終焉告げる金色の蝶と死想の少女

 目の前に、金色(こんじき)の光が咲き零れる。それは蝶だった。眩い煌めきの中で、翠緑の少女の凛とした声が響き渡る。



「主様に仕える片羽のひとり――楪」


 その名の通り、蝶のカタチを模した池が確かに、そこには存在した。中央には天を衝くような鳥居が堂々と存在感を示している。


 まさに神の領域であり聖域――月伽の瞳の奥は煌々と燃えている。


 もうすぐ、だ。


「そう、案内どうもありがとう」

「礼には及びません月伽様。ここでは、必然なのですから――では呼んでまいります」



 翠緑の少女は刹那に蝶へと姿を変え、迷う事なく池の中へと姿を消した。


 数分も経つのに、いまだ楪は戻らない。月伽が思うよりこの池の水深は、夜の底より深いのかもしれない。しかし待つのは苦ではないし、これから目の当たりにする幻想を思えば刹那に過ぎないのだ。



 水面が揺蕩う。次第にそれは大きな波紋を描き中から現れたのは、夜を纏ったかのような男。外套は蝶の羽のように優雅で美しく――すべて、この世から外れた泡沫の美しさ。



 それが余計に、この男を神秘的に映すのかもしれなかった。



「これはこれは珍しい。――失礼、楪がわざわざ自ら私を呼びに来るなど、都市伝説的にありえないものですから。私はローエン。《金色の蝶》とあなた方が呼ぶ者です」




 すべての出会いは泡沫だ。


 それでも、どうしようもなく惹かれてしまうのは人の性(さが)かもしれない。



 月伽は高鳴る鼓動の奥に、この瞬間、はじめて楽園を垣間見たような気がした。


 その男は夜を纏っていた。呼吸をするように、それは必然に。

 金色の蝶と呼ばれるわりに華やかさはないが、絢爛(けんらん)だった。その煌めきは、一体どこから滲み出ているのだろうか。


 こんなにも美しい光の世界にいるのに、けっして霞む事はない。


 男は鳥居の天辺に腰掛けたまま、月伽に問いかける。


「都市伝説は、美しい嘘なんですよ。それを語る事ができる人は美しいですし価値がある。

そうは思いませんか?」


「そうですね。都市伝説として、語られる物語には泡沫の美しさがあります。だからこそ心惹かれ魅了されてしまうのかもしれません」

「儚くて美しいものほど、人は追い求めてしまう。例えばそうですね……“死”とか」


 美しい男の唇から零れた言葉に、月伽の心臓は恋にも似た歪な熱を持つ。


 翠緑の蝶は見守るように沈黙している。主の生き生きとした姿のせいかもしれない、いつもの妖しい笑みを貼り付けているのは、ちっとも変わりないのだが。


「ローエン様とは、いい関係が築けそうです」

「それは光栄です。死を否定的に想う者が遥かに多いですから。今からよろしければ、ご一緒にお茶などいかがですか?」

「喜んで」


 夜を纏う男――ローエンは微笑み、パチンと指を鳴らす。


 次の瞬間世界が反転し――月伽の視界に映ったのは、白磁のティーポットから紅茶を注ぐ少年だった。丁寧に刺繍された雫模様のテーブルクロスを敷いた上には、焼き菓子が皿に並べられている。


 目の前の男は、ずっと笑顔のままだ。


「楪とあなたから、金木犀の香りがしたので――お好きかと思いまして。柊に用意させました」

「ありがとうございます。ローエン様」

「“様”なんて必要ないですよ。呼び捨てする者は無論、大嫌いですが……でもあなたからなら、歓迎です“月伽”」


 穏やかにそう言い、ローエンは金木犀香る紅茶を上品な仕草で一口飲む。


 月伽はくすくす笑う。


「もう呼び捨てなのですね“ローエン”。別に構いませんけど、せめて聞いてくれてもいいでしょう」

「すみません。自分の心に正直なもので」

「ひとつ、聞いてもいいですか」

「なんでしょう? ひとつと言わず、答えますよ。他ならぬ美しい女性の、“あなた”なら」


 ローエンの神秘的な紫の瞳が、月伽を真っ直ぐに見つめる。


 男が茶会の場所として選んだのは、黄昏色の書架だった。そこには蝶が描かれたステンドグラスが大きく中央に飾られてあって、幻想的な美しさをこの空間に創り出している。

 

 蝶の楪がふわっと、少年の肩にとまって。


『柊……いつ戻ってたの?』

「主からすぐ呼び戻された。姫君をもてなすとかで」

『イレギュラーでしょう、それこそ』

「それは同意する」



 柊と呼ばれた少年は笑い声を立てる。いつもながらに嬉々としたローエンの姿を見たのは、季節が反転するくらい驚きだった。


 そもそも《ローエン》である姿を見せる事も名乗る事すらしない。――あくまでも《金色の蝶》のままで終える。“興味の対象の限りなく外側です”と冷ややかなものだったから、柊も楪もそういうものだと主をずっとそんな風に認識していた、今となってはとんだ茶番だと思うが。


「楪は、彼女の事どう想う?」

「――夏椿のように儚い、死神姫かしら」

「あぁ、確かにピッタリだ」


 焼き菓子を食べる月伽はとても幸せそうで、作ってよかったと柊は思う。月並みにガトーショコラやマフィン、クッキーを用意した。


 菓子以外にも作れるようになったのだが、ローエンと楪の価値感には合わなかったようだ。向かい合って座る姿も華があって、絵になるふたりだと柊はつくづく思う。


 月伽が、柊の方に顔を向ける。


「ここへ連れてきてくれてありがとうございます。小さな案内人さん」


 今きっと、自分の顔は紅葉しているだろう。こんな夜色の美しい髪の乙女に、微笑まれ言の葉をもらったのだから。


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