「あれ?」
 希望は首を傾げた。首の後ろが震えているのを感じる。
 発信器が反応しているようだ。
 それと同時に、外ががやがやと騒がしくなってきている気がした。
 希望は自室でぼんやりとソファに座っていたが立ち上がり、夕闇の迫る窓の外を見た。
「希望!」
 ドアがいきなり開けられる。希望は眉を顰めた。
「いきなり、失礼なんじゃ……」
「希望! 大宮人権団体がお前を寄越せと言ってきているぞ。お前、大宮で何かやらかしたのか!?」
「え?」
 希望は自分の両腕で自分の体を抱き締めた。
 ここまで追ってきたの? 人権侵害の研究の関係者の娘だからって? あたしをわざわざこんな所まで殺しに来たの?
 希望はなんと言っていいかわからず、ただふるふると首を横に振った。
 すると和哉は「やっぱりか……」と呟いた。
「何がやっぱりなんで……」
「多分人権団体の奴らに俺たちの研究がバレたんだ。くそっ。大宮での成功をいいことに、ここも潰すつもりか!」
「あ、なるほど……」
 殺しに来たのではなく、助けに来てくれたのかも知れない。妙に納得してほっとしてしまった。その気持ちが顔に出たのだろう。和哉は希望の腕を掴んで強引に引っ張った。
「とにかく、お前は大事な唯一の生粋のネアンデルタール人なんだからな。奴らに渡すわけにはいかない。地下に隠れていてもらおう」
 抵抗しても仕方ないだろうと、希望は素直に歩き始めた。が、ひとつ疑問がわいてきた。
「は、はい。でも、あたしを渡さないとここはどうなるんですか?」
「攻めてくるつもりだろう。ったく、なんなんだ、あいつらは! 人権、人権って、そんなにホモ・サピエンスを殺して何がしたいんだ」
「せ、戦闘になるんですか?」
 希望は声が震えた。
 また、あの地獄が再現されるのだろうか。関係のない市民も巻き添えになってしまうかも知れない。
 和哉は吐き捨てた。
「なるだろうな。とっとと奴らを片付けないと……」
「希望!」
 ガシャンと音がして、窓が割れた。
 希望と和哉は窓のほうを振り向いた。
「鳥……?」
 希望が呆然と呟くと、その背中から人影が見えた。
「とりあえず、逃げろ!」
 その声に弾かれたように希望は駆け出していた。
「高斗!」
 希望の腕を取って高斗が抱き上げる。
「おい、待て!」
 和哉が追ってくるが、その目に砂が飛び散る。
「うちの子が死んだってね。聞いたよ。まあ、会ったことないからどうでもいいけどね」
「……ま、まき、か?」
 和哉は目を擦りながら呻いた。それを尻目に真紀は言った。
「とりあえず、行くよ」
 三人を乗せて、熊鷹は赤く染まった大空へと飛び立った。

   ***

「は? 大宮人権団体が浅間に攻撃を仕掛けている?」
 瞳は朝一番職場の研究室で声を上げた。昨夜はテレビもラジオもつけずにすぐ眠ってしまったから知らなかった。
 テレビを見ながら同僚が頷いた。
「ああ。やべえよな、この団体。大宮を征服するだけじゃ飽き足らなかったのかな。意味わかんねえな」
 瞳は画面に見入った。
「……人権団体の目標は、現在浅間にいると見られているこの人物とされています」
「の……」
 画面に映し出された人物に、思わず声を上げそうになったが、思いとどまった。
「あ、この子、前もテレビでやってたな」
 同僚は呟いた。
「なんでも、特殊な遺伝子を持っているらしくて、この子を神と崇めて他のホモ・サピエンスは平等に暮らすんだと」
「……神?」
 瞳の口から呆けたような声が漏れた。
 同僚は気になっていたニュースなのか、乗り気で説明してくれた。
「ああ。この子の一族を代々神と崇めて平等に暮らしていくのが、我々絶滅まで間がないホモ・サピエンスの最後の努め、という教えらしい。この子の前では、多少の優れた遺伝子なんかかすむすごいホモ・サピエンスらしいぞ。何がすごいのか知らんけど」
「そりゃあ、この子も災難だな」
 何気ないふうを装って瞳は笑った。
「ああ。平等になんかいくわけないよな。この子の一族を崇め、ってことは、この子の配偶者になることを巡って権力抗争が起きるぞ」
 瞳はため息をついた。
「そうだよな。なんでこんな教えがここまでの勢力になってんだろうな」
「まあなあ。でも、大宮はオアシスの都市だからな。俺たちより砂漠に囲まれていて絶滅が身近に感じられてるのかもしれないなあ」
「……そうだな。急がないとならないな」
 急に考え込んだ瞳を、同僚が不思議そうに見つめた。
「松山?」
 瞳は歩き出した。
「急ぐんだ」
「は?」
「途中経過でいい。砂漠化を止め、緑地化を進められる植物が完成したと、すぐに研究成果をまとめて発表しよう」

   ***

「えーと。なんでこんなことになっているのかな?」
 朝、いやもう昼近くか、起きて、希望は自分が何をしたのかよくわからなくなってきた。
「自分で考えてよ」
 真紀はすげない。
 昨夜、熊鷹に乗った三人は岩山の上に辿り着いた。浅間研究都市の北側にある溶岩でできた「鬼押し出し」という山らしい。
 そこに辿り着くと、急激に睡魔が襲ってきた。それはそうだろう、昨夜は高斗と睦み合っていたので寝不足だった。それは高斗も同じようで、ぐっすりと朝まで眠っていた。
「まあ、助けてくれた、んだよな? 真紀、ありがとな」
 高斗が礼を言うと、真紀は「どういたしまして」と無表情で呟いたあと、笑った。
「まあ、希望が浅間にいるって大宮に漏らしたの、私だけどね」
「え?」
 希望は目を丸くした。
「なんで?」
 真紀は「自分の為だよ」と言い、空を見上げた。
「何か動くかなって思って。どうせ早晩首につけた発信器で大宮の人間には希望の居場所はバレたと思うし。それなら、希望と番いにされる前に何かコトを起こしてみようかと」
 高斗が思い出したように顔を顰めた。
「そうだったな、今日そうなるはずだったんだよな」
 真紀は空から目を座る二人に移した。
「希望と高斗の間に子供ができていたとしたら、多分出産までは私は時間を稼げる」
 希望はぼっと顔を赤らめた。対する高斗は真顔だ。
「実験の為か?」
 真紀は頷いた。
「そうだね。貴重なネアンデルタール人の子供だからね。相手がたとえ普通のホモ・サピエンスだったとしても貴重な実験体だよ」
 実験体、その言葉に胸が痛む。
 そんな感傷に浸っている希望はよそに、高斗と真紀は話し込んでいた。
「希望が妊娠しているか、戻って調べたい」
「受精から着床まで、そんなすぐに進まないと思うけど。それまでどこにいるつもり?」
「浅間は駄目なのか?」
 真紀は乾いた笑いを漏らした。
「駄目じゃないと思うけど、和哉がいるからね。その間になんの実験をされるかわかったもんじゃない」
「あ、あの、大宮はどうかな」
 希望は割って入った。
「あたしの引き渡しを求めてて、引き渡さないと攻撃するって聞いたの。それなら、最初か大宮に……」
 両親を殺した大宮人権団体が何を考えているのかわからないのが怖いけれど、戦闘になるくらいなら。
 そう思ったのだが、真紀はかぶりを振った。
「あそこはもっと駄目。希望は高度な遺伝子を持った神様らしいよ。そこで神様として崇め奉られて、その配偶者の地位は権力抗争の火種になる」
「なんだ、そりゃあ」
 高斗が頭を抱えた。
「私も昨日それを大宮人権団体の軍の幹部に聞いたとき、笑っちゃいそうになったよ」
 希望は頭が混乱した。どこに行っても希望に自由はない。それを覚悟で浅間に行ったものの、どうやら自分の存在は各都市間の火種になってしまうらしい。
 人類を絶滅から救おうと意気込んでいたのに、もう何がなんだかわからない。
「となると、残るは……」
 つくば、と言いかけて口を噤んだ。
 希望は火種だ。ほんの半年ほどいただけのつくばの都市の人たちが希望を受け入れるのは、それは争いの種を引き入れたも同じ。
 それじゃあ、無理だよね。きっと迷惑になる……。
「つくばはどうだ?」
 頭に思い浮かべていた場所を口に出されて、希望はどきりと固まった。
「まあ、そこが無難かなとは思うよね」
 真紀も高斗に同意する。希望は慌てた。
「ま、待って、待って。つくばの都市の人に迷惑がかかっちゃ……」
「ーーーー見つけたぞ」
 岩の影から鋭い声が聞こえた。
「和哉さん……」
 真紀が舌打ちする。
「発信器は二つとも浅間の噴火口の方に捨ててきたのに」
 希望ははっとして首筋を撫でる。熟睡していて全く気づかなかったが、真紀が取り出したらしい。
 和哉は笑った。
「長いつきあいだからな、真紀。お前が行きそうな場所くらいわかる」
 言いながら和哉は胸ポケットに手を入れた。
「とりあえず、邪魔で役立たずのホモ・サピエンスは始末しておくか」
 小型の銃口が高斗を捉えた。
「危ない!」
 咄嗟に希望は高斗の前に飛び出した。
「バカ! お前こそ……」
 高斗は希望を守るように抱え込んだ。
 しかし、何も飛んでこなかった。
 高斗の腕の中から目を前に向けると、そこには和哉の腕を吊り上げた瞳が立っていた。
「何す……!」
 瞳は苦笑した。
「長いつきあいだから、かな、和哉」
 そして、ウエストポーチから紙切れを差しだした。
「まあ、まずこれを読め」
 腕を解放された和哉は、しぶしぶといった体で紙を開いた。
 しばらくその紙を和哉は目で追っていた。そして、瞳を睨み付けた。
「なんだ、これは」
 瞳は鷹揚に笑った。
「我が研究都市の研究成果だ。今、日本政府から各研究都市とマスコミに発表してもらった。大宮人権団体にも話は繋がるはずだ」
 和哉は顔を歪めた。
「それで、今浅間はどうなっている」
「大宮との間に停戦協定を結ぶつもりだ」
 希望は目を見開いた。
「戦闘しなくて良くなったってこと?」
 良かった。そう思い嬉しくなって、高斗の胸にしがみつく。
 和哉はがくりと膝をついた。高斗は不思議そうに和哉を見た。
「なんだよ。戦闘がなくなって良かったんだろ?」
 すると、和哉はぼんやりと宙をみつめて呟いた。
「俺のネアンデルタール人研究はどうなるんだよ」
 希望は高斗と顔を見合わせた。そしてお互い首を傾げた。
 瞳が笑った。
「仕方ないな、政府の方針だからな」

   ***

 瞳のもたらした研究成果とそれによる政府の方針は大きくまとめるとこうだった。
 竹と矢車菊の交配種が少量の水分で砂漠に根付いた。砂漠の緑地化に多大なる貢献をする可能性が認められる。
 従来のホモ・サピエンスが従来のホモサピエンスとして豊かに生きる土地を取り戻せるかもしれない。
 ホモ・サピエンスに関する研究に対しては、今後予算や人員は大幅に縮小する。
 緑化植物研究に、各研究都市は力を注ぐべきである。
 
   ***

「ホモ・サピエンスの改良研究よりも、植物の改良研究のほうが世間的には受け入れやすくはあるよな」
 高斗は隣に座る希望に話しかける。
 あれから半月ほど。
 あの後、高斗は瞳に促され、希望と共につくばに帰ってきた。
 和哉は浅間に戻った。その後どうなったのかはわからない。
 真紀も和哉と一緒に浅間に戻った。
「私にはここしか居場所がないからね」と笑いながら。
 きっと真紀はそれなりにうまく立ち回っているのだろうと思う。
「うん。あたしも、結局ここに住んでてもよくなったね」
 希望の首には再び発信器が取り付けられた。まだ人類の希望の唯一のネアンデルタール人であることには変わりはない。
 が、どうやらかつてのネアンデルタール人と現在の環境に生まれたネアンデルタール人は異なるところが多いらしいことがわかってきた。
 例えば、体。ネアンデルタール人は体も脳も大きく重かった。が、希望は背は高いが軽い。真紀は重いが背が低い。ネアンデルタール人の特徴が偏って発現されている。
 また、水分の問題もそうだ。確かに希望は子供の頃からあまり水分を必要としなかったらしいが、真紀の子供はほぼ普通の子供と変わらなかったという。