最終章

 伶桜が部活が終わって帰宅すると同時に――僕の母さんも交えて家族会議が始まった。
 僕たちは女装や男装を始めた理由から、現在に至る――交際に至るまでの洗いざらい、全てを話した。
 言い逃れは許さないという叔父さんの鋭い視線に、僕たちは逆らえなかった。
 全ての事実を聞き終えた母さんは、悩ましそうに頭を抱えている。
 叔父さんは――。
「――話は分かった」
 両手の指を絡ませ、深く頷く。視線は真っ直ぐ――僕らを片時も離してはくれない。
「私は古い考え方の人間だが……。女装や男装、そう言った多様性は理解しよう」
「で、では認めて――」
「理解はするが、認められない」
 認めてくれるのかと淡い期待を抱いたが、一刀両断されてしまう。一切の言い訳を許さない力強い口調……。やっぱり、叔父さんは怖い。伶桜も叔父さんには刃向かえないのか、俯いて手を握ったまま固まっている。
「成人してから、というのなら自由だろう。……だが君たちはまだ思春期の子供だ。偏った在り方に固定観念が練り固まる事は、親として認められない」
「叔父さん……。一般的には認められないのかもしれません。でも僕は、女装してやっと自信が出るようになったんです……」
「仮にそうだとしてもだ。――自信が付く、大いに結構。しかし薫くんが女装し、伶桜が男装する事で2度も事件に巻き込まれた。これも事実じゃないかね?」
「…………」
 何も言い返せない。二の句が継けないとは、この事か。
 一度目は僕のSNS宛てに不審なダイレクトメールが届いた事件。そして2度目に至っては――伶桜が殴られた挙げ句、自宅にまで凶器を持った人物が押しかけて来た。……これは僕たちが女装や男装をしなければ起きなかった事件だから。
 正しいのは叔父さんだ。……でも、正しいだけで――僕はもう、自分らしい生き方を否定されたくない。伶桜に格好良い服を着てもらって……。僕はその代わりに、伶桜にメイクアップしてもらう。それが……この上なく、生き心地が良いから。
 その少し特殊な関係性が――今まで地獄だと思っていた世界を、呼吸しやすい世界に変えてくれたのに……。正しさだけで、その感情や事実まで否定されたくない。
「僕は毎日、イジメられていて……。伶桜が僕をメイクアップしてくれなかったら、自分に一切の自信を持てない、地獄の日々を今も送っていたはずです」
「…………」
「叔父さんが言う事が正しいのは分かっています。事件を起こす切っ掛けになってしまったのは、申し訳ないとも思います。……でも、どうかお願いします。僕たちから、生きやすい世界を奪わないでくれませんか?」
 机に額が当たるぐらい頭を下げる僕を見て、僕の母さんや伶桜の母さんは息を飲んでいる。伶桜は――何を考えているのか分からない。呆然と俯き手を握ったまま、全く動かない。
「……私も鬼じゃない。薫くんの事は、小さい頃から見ている。実の母親を前に言うのも難だが、息子のように思う」
「叔父さん……」
「――だからこそ、今は許可が出来ない」
「なんで、ですか!?」
 自分の息子のように思ってくれているなら――少しは願いや意見に耳を傾けても良いじゃないか!? 管理物のように扱われるなんて、我慢が出来ない!
「薫くんは先ほど、自分の生きやすい世界と言ったな? それが君にとって、今は女装という形なんだろう。だが本当に、他の全てを試したのか? その上で、それしか無いのか? 一時の気の迷い、或いは他にもある生きやすい在り方の1つだという可能性は?」
「それは……。少なくとも、今までは他に見つかりませんでした」
「ならば、他の事に目を向ける機会を作っても良いだろう。本当に広く世界を見渡し、その上でどうしても他に代替手段が無いというのであれば、私は何も言わない。だが君は、まだ世間の一部しか知らない子供だ。1つ見つけたからと、ここで可能性を閉ざす必要はない」
「……母さんも、叔父さんの意見に賛成ね。少なくとも高校を卒業するまでは、他の可能性もないのか、目を向けてみなさい」
 それは……成人するまでと言う事なんだろうな。
「……そんなに、女装してメイクアップするのは悪い事なの? これが、僕がバスケや料理で生きやすいって言ったら、成人するまで待てなんて言わなかったよね?」
「バスケや料理は、事件に巻き込まれやすいかね? この短期間で何度も危険な目に遭っている事から子供を遠ざける。それが何であれ、保護者なら遠ざける選択をしたいのが当然だ」
「…………」
 ダメだ。これが悪意や嫌がらせなら、もっと反論も出来るけど……。ここに居る大人たちは、僕らの事を想って忠告してくれている。
 これでは……自由にさせてくれなんて言えない。
「そうだな……。2人の交際に私は賛成だが、一度距離を置いて自立を促すのも良いのかも知れない」
「母さんも、そう思うわ。このままだと2人は……共依存してしまうかもしれない」
「それは……僕と伶桜に別れろって事!?」
 なんでそんな事になるの!? 僕と伶桜が互いに、悪い影響を与え合っていると言うつもり!? そんなの――勝手な言い掛かりじゃないか!
「端的に言えば、その通りだ。……高校卒業後、まだ互いに好きだと言うなら私も文句はない」
 高校卒業後……。それまでの間、無理やり別れさせられるなんて――嫌だ。
「……少々、話が散らかってしまったか。ゆっくり、今日の会話を纏めていこう。薫くんも伶桜も、よく落ち着いて聞いてくれ」
 深呼吸をすると、叔父さんは異論を許さぬ瞳で僕らに圧をかけて来た。
「法秩序に反さぬ限り、マジョリティもマイノリティも、私たちは等しく尊重する。それは人の持つ権利だからな。――だが権利の行使には、責任を伴うものだ」
 これまでの会話を整理するように、一方的に僕らへ向け叔父さんは話し始める。
「1つ実例を挙げよう。自転車の運転は人に認められた権利だ。薫くんだって自転車に乗る事はあるだろう? しかし自転車で事故――人に接触するなどしてケガをさせれば、相応の賠償責任を負う。億に近い賠償金額請求例もある。人の命を奪ってしまったという重責を一生背負う事もだ。これは歩行者ならば発生しなかった責任。自転車に乗る権利を行使したが故に発生した責任だ」
 叔父さんは矢継ぎ早に正論を捲し立てて来た。
「もっと身近な話で例えれば、タトゥーが入っていたり派手過ぎる髪をしている場合だ。それ自体は権利として認められていても、働ける場や公衆浴場への入浴等で制限がかかる。これは自由な権利を行使したが故の対価――詰まるところ、責任だ」
 淡々とした口調で、事実を突き付けて来る。
「薫くんや伶桜がしている事も、権利を行使しているに過ぎない。だが、その行動に伴う責任は、既に身を持って体感しただろう? 心に傷を負うメール、襲撃事件。親からすれば呼吸が止まるほど心配で、監督責任も感じる深刻な事態だ」
 卑怯だよ……。冷酷な第三者じゃなくて、親心って言われたら……強く反抗し辛いじゃないか。
「母さんも、叔父さんの言う事に賛成よ。言い方はキツいけど……SNSや動画で若気の至りが一生の過ちになる事例があるのは、ニュースで見たことあるでしょ?……薫にも伶桜ちゃんにも、そんな辛い思いをして欲しくないの」
 母さんまで……。でも確かに、僕もそういったニュースは見た事がある。その後、苛烈に世間から責め立てられて……学校を退学する事例があったのも知っている。誰にとっても、他人事じゃない。……自分がSNSを理由に事件に巻き込まれたから、本当にそう思う。
「薫くん、伶桜。――自転車、髪色、タトゥー、服装など……なんにしても同じなのだ。自由という権利を行使する場合には、責任が発生する。私たちのような大人には、子供が事件や事故を起こさない、巻き込まれない様に監督する責任がある。同時に自主自立を促し、尊重するバランスの難しさも要求されるがね。……硬い言い方になってしまったか。これは性分でな、済まない」
 叔父さんや母さんの話す内容は正論だからこそ、僕ではまともに反論する余地も与えてもらえない。……正論で勝てないから、どうしても僕は感情論で言い返すしか術がなかった。
「端的に言えば、大切な子が事件を起こさない、巻き込まれない道を歩んで欲しい。平和で安全に育って欲しいと願うのが親心だ。危険に巻き込まれそうならば止めたい。生じる責任を取ろうにも、未成年にはまだ、十分な責任能力は無いのだよ。責任を背負う必要に迫られないなら、それが1番だ。……だが、行使したい権利の要求を力強くで阻止し続けた所で、いずれは決壊する。ならば代替手段は本当に無いのか。今一度、見識を広める時間を持って欲しい。私たちの要求は、それだけなのだよ」
 正論で返せないのに、納得してもらえるはずもないよね……。だって反論内容が正論じゃないってのは――僕らが間違っているから、お情けを期待して、人情に縋るしかないって事なんだから。
 僕は悔しさに震えつつも、押し黙る事しか出来ない。
「……伶桜、お前は転校先が見つかるまで家に居なさい。直ぐに父さんの伝手がある女子校を探す」
 非情な通告に、伶桜は何も答えない。話し合いが始まってから、伶桜は終始俯いたままだ。魂魄まで叔父さんへ恐怖の念が刷り込まれているのが伝わって来る。
 暫しの沈黙の後、伶桜は――小さく頷き、叔父さんに従う意思を示した。
「伶桜!? 本当にそれで良いの!?」
「薫。止めなさい」
「母さん! で、でも――」
「――帰るわよ。ほら、来なさい」
「母さん、待ってよ! 叔父さん、叔母さん、待ってください!――伶桜!」
 結局――伶桜が顔を上げる姿も見られないまま、僕は自宅へと連れ戻された――。
 
 翌日から、伶桜は本当に学校に来なかった。
 どうやら本当に女子校へと転校する手続きを進めているようで……。
 母さんも、お互いの玄関の行き来すら認めてくれない。
 そうして2週間が経過した頃――伶桜が近くの女子校への転校が決まったと噂が広まった。
 蛍雪高校へ挨拶に来ることも無く、有無を言わさずにだ。
 その間、僕は――叔父さんと毎日メッセージのやり取りをしていた。
 どれだけ僕らが本気か、僕たちが女装や男装で互いのコンプレックスを救い合って来たのかを伝え続けている。叔父さんは話を聞くのを止める事こそしないが、今のままでは認めないという姿勢を崩さない。
 それは母さんも同じだった。親同士で話し合いは着いているのか、僕が何を言っても母さんは認めてはくれない。「全ては責任を取れるようになってからの話。覚悟を得てからにしなさい」その一点張りだ。
 ベランダに出て伶桜を待っていても――戸は開かれない。
 伶桜は叔父さんを酷く怖れているから、反抗するのが怖いんだろうなと思う。
 でも、僕は――。
「――伶桜、聞こえてる?」
 返事の無いままに――今日も、ベランダで伶桜に向けて話しかける。
 壁も薄いマンションだ。
 ベランダでの声は、そのままガラス戸越しに聞こえる。だから……僕の独り言だって、聞こえているはずだ。伶桜と無理やり別れさせられても、僕は毎日こうして話かけ続けている。
「ここ数日……。伶桜が完全にいなくなって、僕は元通りの冴えないままでさ……。凄く、息苦しい毎日なんだ」
 柵に寄りかかり、思わず沈んだ声を出してしまう。日に日に、自分の中で活力が失われて行くのが分かる。
 話さない期間はあっても、伶桜と学校が離れた事なんて無かったから……。凄く喪失感に襲われる。
 秋風が胸の中を吹き抜けているように、まるで空っぽになったような気分だ。
「……そんなに、僕たちは悪い事をしたのかな? 女装や男装って、思春期の子供がやったらダメなのかな?……僕は、どうしてもそうは思えない」
 叔父さんに言われた言葉、母さんに言われた言葉を何度も反芻した。
 事件に繋がる事は、確かに起きてしまったけど……。それと未成年だったのが、強い関わりを持っているとは――どうしても思えない。
 成人してから全て自己責任になってからやれ。親を巻き込むなという意味なら、まだこの処置も理解が出来るけど……。
 どうも叔父さんや母さんの言葉からは、単に心配している。或いは――何かを待っているようなニュアンスが感じ取れた。
「気のせいかもしれないけどさ……。落ち着いて考えたら叔父さんも、叔母さんも、母さんだって……。心から女装や男装に反対しているとは思えないんだ。……だって本当に反対しているならさ、高校を卒業してもやらせないって言うでしょ? 僕のクローゼットにある伶桜の服、未だに捨てられて無いんだよ。……伶桜の方は、どうかな? 僕に着せたい服は、捨てられちゃった?」
 本当に女装や男装を止めさせたいのなら――取り上げれば良いんだ。
 危険な包丁から子供を遠ざけるように、触れられない環境を作れば良い。でも僕たちの両親は、それをしない。
 そこに何か意味がある――期待をしているのではないか。……そう思ってしまうのは、都合の良い願望なのかな?
「伶桜……。僕は強く、格好良くなるよ。……意地を、信念を貫くから」
 今日も伶桜は、ベランダに出て来てくれなかった。
 僕は1つの頼み事をメッセージで送り、相手から了承を得たのを確認して床に就いた――。

 翌朝。
 僕は普段より早く登校した。
「――おはよう、蓮田くん」
「山吹さん、おはよう。ごめんね……」
「ううん。……良いの、個人的にも見てみたいし」
 そう言って、山吹さんは袋を僕に手渡して来る。袋の中には、女子用の制服が入っていた。昨夜メッセージでお願いして、貸してくれると言っていた制服の予備だ。身体の成長で買い換える必要があり、眠っていたらしい。
「ちゃんとクリーニングして返すから」
「別に良いのに。……匂いつけちゃっても」
「いやいや。絶対にクリーニングに出すって、決意が強まったよ」
 そのまま僕は男子トイレへと行き、女子用の制服へと身を包む。汚さないよう制服を着込んでから――カッチリと、メイクをしていく。
「――蓮田、なんだその制服は!?」
「制服です」
「校則違反だぞ!」
「そうなんですか? 生徒手帳には、学生は本学の制服を着用する事、としか書いていませんよ?」
「な、なに?」
 そう、これは校則の穴を利用した――屁理屈だ。
 そして、どんなに遠ざけられようと――僕は僕の意思でこの服を着ているんだと示す目的がある。
 きっとこの事は、教師から母さんにも連絡が行く。
 母さんから、叔父さんにも伝わるだろう。16年間隣に暮らしているだけあって、2人の繋がりは強いようだから。――なんなら、叔父さんにも母さんにも、もうこの制服姿は写真で送っている。ノリノリになった山吹さんが一緒に写っているのは問題だけど……。伶桜にも送った。
 写真の中の僕は――我ながら、良い顔で笑っている。
 僕が伊達や酔狂で女子の服を着ている訳ではないという覚悟。
 自分に似合う服を着て、自分が生きやすいと思う生き方をする。別にそれで世間がどう思おうと構わない。それでも――僕は僕だという意思を示すための行動だ。
 教師も校則を改めて読み、今日中に止めさせることは出来ないと判断したのか――後日、職員会議に話を持ち寄ると言い出した。
 それで良い。
 学校によっては男子が女子向けの制服を着たり、女子がスラックスを選択出来るようになって着ている。
 私服では、もうかなり前からメンズもレディースの服をコーディネートに取り入れているんだ。逆もまた然り。
 別に強制する訳じゃない。唯、自分に似合う――自分が生きやすいと思う生き方を選択が出来るようになれば、それで良い。
 誰かに迷惑を掛けるのは、論外だけどね。
 でも、こういう目だった事をすれば……反感を買う。
 いつもの如く、本郷に放課後、校舎裏へ呼び出された――。
「――おい、蓮田。どういうつもりだよ、その格好は?」
「僕は僕のやりたいことをやっているだけだよ? それで本郷とか……皆に何か言われても、まぁ仕方ないよねって思ってる」
「お前、舐めてんのか!? また財布にすんぞ!?」
 本郷は僕の胸ぐらを掴み上げ、脅して来る。かつてない程に直接的だ。
 もう、この学校に伶桜は居ない。僕を守ってくれる人はいない。
 それなら――自分のやりたい事、言いたい事は、キチンと自分で言わなきゃね。
 黙ってれば過ぎ去ると本音を隠すのは、1番ダメだ。
 僕は本郷の手を払いのけ――。
「――自分のやりたいことを、自分でやる。その対価は、自分でしっかり払わなきゃだからね。僕だって、殴られる覚悟は出来てるよ?」
 自分の覚悟を語った。殴られるのは痛いだろけど……言いたい事、やりたい事を我慢して――真綿で首を絞められるように生きながらえるより、余程良い。
「蓮田……お前、なんか変わったか? いや、見た目もそうなんだけど……。中身が、さ」
 中身が、か。変わったんだろうな……。自信が無くて、地味でモッサリした自分を受け入れていた時に比べれば。
 叔父さんたちの言う、他の可能性を探して見ろという意見も分かるけど――偶々、僕には女装が1番似合って、1番やりたい事、1番生きやすい姿だった。
 それが僕を変えたんだと思う。
「誰かに奢ってもらってばっかりじゃなくて、君たちもやりたい事をやる為に努力してみなよ? 美味しいものを食べたり、自分にとって居心地の良い世界や環境を作る。……その目標の為に働いたり勉強するのって、かなり楽しいんだよ?」 
 思えば……これが僕に向いている。
 そう思えてからは毎日、世界が輝いて見えた。
 毎日、どんなメイクをするんだろう。どんなオシャレな服を着るんだろうって。
 格好良い服が似合う体型に育てなかったのは、少し残念だったけど……。
 本当の格好良さは、服装や外見だけじゃない。
 好きだから、こう在りたい。こうなりたいと貫く心だって、凄く大切なんだ。
 だから――どうせイジメられるなら、好きな事をしてイジメられたい。諦めて何もしないより、好きな何かをしてイジメられた方が、遙かに良い。
「熱中する何かを見つけて、堂々とやるんだよ。……限界と退屈でイライラしているのから抜け出すとね、すっごく息苦しさから解放されるから。――よかったら本郷たちも、やってみて?」
 ああ……息がしやすい。
 世界が明るく見える。
 僕は今――心から笑えている気がするよ。
「あ、ああ……。うん。そう、だな」
 本郷たちは、もっと僕に食い下がって来ると思っていたけど……。
 思っていたより、アッサリと解放してくれた。
 僕は財布扱いから抜け出せた事を喜びつつ、暗い校舎裏から校門へと向かって歩く。
 背後から「マジで可愛くね?」、「俺、ありなんだけど」という悍ましい声が聞こえた気がしたけど……。気のせいだ。悍ましい気のせいだ。
 僕は腕を大きく振り、家に向けて走る。
「……叔父さん、ごめんなさい」
 親が心配する気持ちも分かる。心配してくれるのは、ありがたい。発言が正論だとも理解している。――それでも、僕たちの生き方は、こうでないと苦しい。
「リスクを背負ってでも、この権利を行使できない生き方は――閉塞感を感じる。息苦しくて仕方がないんだ。やっと見つけた好きな事、目標を……捨てたくない」
 また事件に巻き込まれる危険はあるかもしれないけど……。
 辛いと億劫に感じながら陰で息を殺して生き続けるより良い。
 息が切れる程に走り、気持ちを整理しながら……僕は自宅へと帰った。
 後は、僕に素晴らしい生き方を教えてくれた想い人と、意思を共有するだけだ――。

 その夕方。
 両親が帰宅する前――僕はベランダで上機嫌に報告をしていた。
「――って事があってさ。本郷たちも、もう手を出して来ないんじゃないかな? ヤバいヤツって思われたなら良いけど、本気で恋されてたらヤバいよね?……最後に背後から聞こえた声、怖かったぁ~」
 勿論、隣には誰も居ない。
「伶桜が居なくても……僕は皆に、覚悟を示せたかな?」
 叔父さんと母さんからは、仕事が終わったら今夜、また話そうとメッセージが来ている。
 正直、怖い。バカな事をしてと詰られるのは分かっている。それでも……僕は自分の好きな生き方も、伶桜も諦められない。
 僕なりの生き方を……伶桜と一緒に磨きたい生き方を、許して欲しい。
 決して、一時の気の迷いなんかじゃないと思っている。
「……伶桜と話せないのは、やっぱり寂しいなぁ」
 もう何日、伶桜と話していないだろうか。……中学校1年生から高校1年生まで、殆ど会話をしなくても、なんとも思わなかった。
 でも今は――1度は見知らぬ存在のように映り、それから恋仲になった伶桜と一緒に居られないのは、寂しくて涙が出て来る。
 文化祭の日、伶桜が部室で撮ってくれた2人の衣装写真を見ると、愛しさが込み上げて来る。
 涙が込みあげ、思わず呼吸が荒くなって――。
 ガララッと、隣の戸が勢いよく開く音がした。
「――卒業まで待てだと? 一時の気の迷いだから心変わりを待てだと!?――ふざけんな!」
「れ、伶桜!? だ、大丈夫なの?」
「何週間も軟禁に近い状態で……。もう黙って聞いてられないんだよ!」
「僕と関わったら、叔父さんに……」
「関係ない! 目の前で大好きな薫が頑張って、泣いている。放って置ける訳がねぇだろ! 何年経とうと変わんねぇ、変わりたくもねぇ事があるんだよ!」
「お、親の心配する気持ちも汲んで……」
 許して欲しいとは言ったけど、親の心配する気持ちも分かる。
 女装、或いは男装しかしなくなるのも、極端な話だし……。思春期に偏るのを心配してくれてるのに、全否定は……。まぁ伶桜も興奮して、一時的に過激になっているだけだとは思うけど。
「自分を殺して、大人が望む都合の良い子ちゃんになろうとすんじゃねぇよ! 大切なのは、俺たちがどうしたいかだろうが!?」
 僕たちがどうしたいか……。そんなの、決まっている。
 やるべき事はしっかりやって……。でも服装だとかは、生きやすいように生きさせて欲しい。好きな人とは――一緒に居たい。
「広く視野を持っても、大切な事が大切な事実は変わらねぇ! 俺は今までの生き方がしたい。薫はどうなんだ!?」
「僕も……前みたいに、いじけた日々には戻りたくないよ。今みたいに生きるのを、許して欲しい!」
「よし、なら――扉から離れてろ!」
「え、え!?」
 蹴破り戸からドンッドンと轟音が響き、僕は驚いて飛び退く。……え、もしかして、この扉をぶち破ろうとしてるの!? 正気!?
「れ、伶桜!? もしかして、この扉を破ろうとしてる!? これ、非常事用の――」
「――好きなヤツと不本意に別れさせられる。これが非常事態じゃなくて、なんだって言うんだ!」
 あ、アホだ……。伶桜は時々、アホになるとは思ってたけど……。――想像以上のアホだ!
「何時迄も父さんにビビってられるか! 薫が自分でイジメを跳ね除ける気概を示したんだ! 俺だって、父さんに気骨を示してやる!」
 音の質が変わった。それまでより鋭く、ズンッズンッという太鼓のような音が響く。
「れ、伶桜!? き、気持ちはズンズン音を立てて胸に響くんだけどさ、素直に玄関から――」
「――良いから、離れてろ!」
 有無を言わさぬ、切羽詰まった声が聞こえて来る。後ずさりして、僕は蹴破り戸から離れた。こ、これは、ちょっと……手が付けられない状態にまで焚き付けてしまったかも?
「クソ! こうなったら……コイツを使うか。オラァアアア!」
 伶桜の雄叫びが聞こえた次の瞬間――蹴破り戸から破砕音が響く。そして扉から突き出て眼前に突き出てきた物に、思わず腰を抜かしそうになる。
「えぇえええ!?――も、物干し竿!?」
 蹴破り戸から――物干し竿が突き出て来るなんてさ、予想出来ないじゃん? 本当に、えぇ……。僕の恋人、言葉にならないぐらい脳筋なんですけど……。
「――俺は薫が好きだ。可愛い衣装でメイクアップして笑う薫も、やりたいことを決心して貫く薫も! 薫はどうなんだ!? 俺の事が好きか!?」
 穴が空いた扉をこじ開け――伶桜が顔を覗かせて来た。
 紅潮した顔で、扉から手をこちらに伸ばして来ている。拳も肘も、蹴破り戸を殴っていて皮が剥けたのか血塗れだ。滴る血は差しだされた手までもを赤く染めて行く。
 暫し呆気に取られていた僕だけど、伶桜の手を取り――。
「――ぼ、僕は……。うん、僕も格好良い服装とか、可愛い服装とか……好きなのは、それだけじゃないかな。自分らしいを目指してる姿が好き。本当の格好良さは、中身にあるって分かったしね」
 今の伶桜にしても、完全にアホの所業だけど……。それは、好きを貫き通した結果のアホだ。
 この後、自分たちで修理代を払う必要はあるけどさ……。自分を貫くぞって活き活きする姿勢は、やっぱり格好良い。人に迷惑を掛けなければね?
「……伶桜には感謝しても仕切れない。息苦しさから解放してくれた恩もある。伶桜は僕に、本当に好きってのは、こういう事なんだって教えてくれた」
「それなら、俺の気持ちに対する答えをくれても良いだろ?……あんま焦らして、意地悪すんなよ」
 伶桜は不安そうに視線を俯かせ、頬を掻いている。そっか……。まだ、伶桜が僕の事を好きだ、お前は?――っていう問いには、答えてなかったか。
「そうだね。……うん、僕も花崎伶桜が大好き。格好良い姿も、好きな事に真摯で、子供のようにキラキラした笑みも、ウキウキする姿も……。全部、大好きだよ」
「よ、よし!――それなら来い。マンションの外で集合だ」
「え? り、了解。……あ、でもその前に」
 僕は壊れた蹴破り戸の写真を1枚撮ってから、伶桜と一緒に外出する。
 幸い、両親はまだ帰って来ていない。
 だから――僕の母さんと伶桜の両親に、ぶち破られた写真を載せ『ごめんなさい。後で事情のお話と修理代はキチンと支払います』とメッセージを送った。
 途端にスマホが通話らしき震動を伝えて来るけど……話は、伶桜との外出が終わった後だ。
 最優先は強引で格好良い、伶桜なんだから――。

 夜の街で買い物を終え戻って来ると――再び家族会議が執り行われた。
 僕の母さんも伶桜の両親も――特に伶桜の両親は、頭が痛そうに手で額を押さえている。
 伶桜は――床に正座させられていた。
「……その、修理代の請求は、僕がバイトして払いますので……」
「……薫くん、良いんだ。どうせ伶桜が感情的になって壊したんだろ?」
「叔父さん、えっと……。ごめんなさい」
 流石は親だ。現場を見ただけで、何故起きたかの分析が出来るなんて……。伶桜、よく見てもらっているね。
「はぁ……。伶桜は感情が爆発すると、とんでもないことをやるからな……。とは言え、ここまでやるとは想定外だった」
「薫も伶桜ちゃんが暴走したら、止めて見せなさいよ」
 母さんは嘆息しつつも、苦笑している。
 疲れた表情には申し訳なくなるけど……あんな脳筋の行動、止められないよ。自分が物干し竿で貫かれるかもしれないじゃん?
「それで……今日、薫くんが送って来たスカート制服の写真に――その指輪。……説明してもらって良いかね?」
 叔父さんは――僕たちの左手薬指に嵌まっているペアリングを睨みながら、そう切り出した。
「まず、制服については僕の独断なんですけど……。僕は見ての通り、男らしくない見た目です。身長も伸びず、筋トレをしても筋肉が付かない。……日に日に自信を失い、学校でも居場所を失っていました」
「ああ、それは前にも聞いたな」
「……そんな僕に最初、女装が似合うと教えてくれたのは伶桜でした。――でもその先は、自ら望んで女装したんだ。メイクアップして、やっと自分の居場所を見つけられた。メイクアップは、可愛くするって意味だけでは、ありません。……『決心する』という意味も、あるそうなんです。――僕は女装を通して好きな事、やり抜きたい事を決心出来て……世界が変わりました。伶桜と共依存して、悪い方向に向かっているんじゃない。僕は僕の生き方を選んだ結果、どうしてもこれが好き。貫きたいんだと伝えたくて……」
「それが、あの制服姿だったと?……全く。伶桜はアホだが、薫くんも大概にアホだ」
「すいません、うちの子がアホで……」
 母さんは叔父さんに頭を下げているが、表情は楽しそうだ。
「……笑い事じゃあ、ないんですがね」
 脳天気な母さんとは対極に、叔父さんは辛そうに声を絞り出している。
「僕たちは、ずっと自分の容姿に悩まされて来ました。僕は弱々しい肉体に、伶桜は格好良い外見に。でも、その特徴を活かして……明るく輝ける生き方を――やっと見つける事が出来たんです。もう手放せないし、手放したくもない大切な事なんです」
「ふむ……それで、指輪は?」
「父さん。これは俺の、俺たちの覚悟を見せる為です」
「覚悟?」
 叔父さんは、やっと黙ることを止めた伶桜に――ギラリと、剣呑に輝く視線を向ける。
 伶桜は一瞬、眼力に押されたように仰け反るが――ゴクリと唾を飲み込んで、震える口を開く。
「一時の気の迷いなんかじゃない。俺たちは、本気で好き合っている! 学校を離されようと、それは永遠に変わらない。――その誓いを形にして、周りに見せる為です」
「……薫君と結婚する、という事か?」
「それは……はい。俺は薫と、結婚するつもりです」
「……薫くんは?」
「僕も同じ気持ちです!……暗闇でいじけていた僕を救ってくれた伶桜以外、考えられません」
「そうか……」
 叔父さんは天を仰ぎ、目を閉じて深呼吸をしている。……悩ませて悪いとは思うけど、僕は止まらない。止まるつもりはない。むしろ、あれだけ弱味を見せなかった叔父さんが、明確に悩んでいる今は――畳みかけるチャンスだ。
「恋人、夫婦……パートナーって関係は、助け合って前に進んで行くものですよね?」
「……その通りだと、私も思う」
「母さんもよ? まぁ……嫌な事も共有して乗り越えられないと、ダメになるけどね」
 り、離婚経験がある母さんが言うと、説得力が違うなぁ。……実の息子としては、少し複雑な心情だよ。反応に困る。
 でも――。
「――それなら、僕と伶桜はパートナーです。断言が出来ます」
「……ほう? どういうことだね?」
「可愛い服装や格好良い服装、メイクアップ。助け合う内容こそ特殊かもしれないですけど……。自分に出来ない事を助け合いながら、笑える日々を作り高め合って行く。この関係を――真のパートナーと呼ぶのでは?」
「パートナーとなるならば、生じる不利益……責任も共に背負わねばならんのだよ? その覚悟があっての発言かな?」
「俺は当然、その覚悟がある! 薫は俺が守る!」
「僕にもあります。僕だって伶桜に守られてばかりじゃあ、いられませんから!」
「若いな……」
――キッと、眉間に皺を寄せ、叔父さんは厳めしい表情を向けて来る。
「――青い。まだまだ2人は若く、何をするにも責任は取れん。――結婚など、認めん」
「父さん!」
「……だが、覚悟の一端は見させてもらった。……結婚までは認めんが、他は好きにすると良い」
「……え?」
 厳めしい表情が崩れ――僅かに叔父さんが微笑んだように見えた。
 あの厳格を絵に描いたような叔父さんが、笑った?
「まずは目先の責任を果たし、覚悟を証明してもらおうか」
「目先の責任、ですか?」
「ああ。伶桜が壊した扉の弁済という形でな。……それで私は、2人には覚悟あり、と……一先ず認める事にしよう」
「え!?――僕たちの生き方を。認めてくれるんですか!?」
「ああ。……無論の事、これからも親として見守り、取り返しのつかぬ事態へ発展せぬよう口は挟むがな」
 叔父さんの頬が緩んだと思えたのは一瞬の事だった。
 もう既に、何時もの厳めしい表情で僕らを見据えている。
「まずは、そうだな……。薫の小遣いは、無しだ。子供ではないと自由を主張するのだから、当然だ。それでも、修理代はもらうがな」
「そんな!? 小遣い無しで、俺にどう払えと!?」
「甘えるな! それを考えるのが責任というものだ。自由に生きる覚悟があるのなら、自由に伴う責任を持て。世間が許し、認めてくれるのを待つな! 己がした事、したい事に責任を取る。民主主義社会に守られる大多数から逸れたいと言うならば、これは最低限だ!」
 叔父さんに一喝され、伶桜は「はい」と項垂れてしまう。……その通りだ。叔父さんの言うことは、全て正しいと僕も思う。
 自由を認めろと騒ぐだけではない。
 自分の自由、生きやすい生き方。それに伴う責任を含めて――背負う。
 でもそれは、耐え続ける日々よりも余程、息が詰まる思いをしなくて済む。
 自分のやりたい事に向かっているのなら――どんな困難でも、責任でも乗り越えようという気持ちになれる。むしろ……前向きに楽しめるかもしれない。
「分かりました。パートナーの責任は僕の責任です」
「薫! 立て替えてくれるのか!?」
「部活をしていた伶桜では、直ぐにはお支払い出来ないでしょうから、僕が立て替えます。勿論、立て替えですから。後で伶桜の分は、キッチリ返してもらいますけどね?」
 笑いながら僕がそう告げると――母さんは嬉しそうに相好を崩し、伶桜はへなへなと崩れた。
 上目遣いでこちらを見つめて来るけど……ダメだよ、ここは譲れないよ? 
 だって僕たちは――平等なんだから。
 一緒に、対等で居ないといけないんだからさ。
 支払うお金だろうと立場だろうと同じ。偏らせはしないから。
「2人とも、若いわねぇ。でも伶桜ちゃんと本当に家族になれたら、最高ね。……薫、見捨てられないように頑張りなさい?」
「……母さん。もしかしてこういう展開になるって、知ってた?」
「当たり前でしょう? 薫、メイクするようになってたしね。……正直、あんたのクローゼットを見る度に分かっていたわよ。この服、伶桜ちゃんのサイズにぴったりと思っていたしね。あんまり子を想う親を舐めない事よ」
「な、なら……叔父さんとも、認めようって話はついてたの?」
「薫たちに危険の説明をして、それでも意志を曲げないと証明したら、認める方向で行こうって話はついてたわよ?……まさか、扉を壊す意思の貫き方を見せられるとは思ってなかったけどね」
「それは……僕だって予想外だよ。普通、壊す? ビックリしたよ……」
 格好良いと言うべきか、自由奔放、豪放磊落と表現するべきか……。悩ましい所だね……。
 うん。やっぱり行き過ぎないように、サポートし合う必要があるな。
 伶桜に足りない部分は僕が。僕に足りない部分は伶桜に補ってもらおう。
「薫、叔父さんの言った言葉を胸に刻みながら――好きに生きなさい。笑えるように生きなさい。……胸を張って、誇れるように生きなさい」
「……うん。ありがとう、母さん」
 僕らの自由――好きにメイクアップして、好きな人と一緒に居ても良い。
 苦手な生き方を強要され、自信を失わずに済む。
 自分の生きやすい生き方を選択が出来る。
 迷いながらも選択して挑戦し続けて……。本当にやりたい事を見つけると、世界は全く色を変えて映るんだね。
 自分は何者なのか。なんで存在しているのか。生きていて良いのか。そもそも生来たいのか。
 自分の惨めさと、必死に足掻いても成果が出ない現実。
 その苦悩と葛藤の日々で、何度も枕を濡らして来た。
 伶桜に格好良いメイクアップをするのは、僕の届かない思いを満たしてくれるからだ。
 僕はもう……伶桜を半身のように想っている。
 女装――メイクアップは、僕を闇から光の舞台へ連れ出してくれた。
 僕が失っていた自信を得て、太陽の下を笑って闊歩するのに必要になっている。
 初めて女装と男装をして……見知らぬ幼馴染みと出会ったあの日を境に、僕は生まれ変われていたのかもしれない。
 人に追い抜かれ、突き放され、迫害されるだけだった僕が――人に認められる喜びを知れた。
 褒められる事なんて皆無だった人が、頑張って誰かに褒められたり認められたら、幸せを感じるのと同じ。
 その充足感が――この世界に僕が存在していても良いんだという自信にまで昇華したんだ。
 大好きな事を大好きな人と一緒に楽しんで、心から笑える日々を、僕は過ごして行く――。