霧谷(むや)の村奥の小さな神社を清掃していた沙和(さわ)は、叔母の怒声に全身を強張らせた。

「あんたはまた鎮守(ちんじゅ)様を降ろせなかったそうね? おかげであたしにまで苦情が来たじゃないの! いったいいつまで、あたしらを飢えさせるつもり!?」

 沙和は慌ててホウキを置き、緋袴(ひばかま)(すそ)をからげて叔母の元に走る。待たせるとぶたれる。

「家に置いてやっても目障りだっていうのに、巫女に()っても役に立たない。鎮守様のお声も伝えられないなんて、愚鈍(ぐどん)な子! どこなの、さっさと出てきなさいよ! 今日という今日は許さないから!」

 今日は一段と激しい罵声だ。足がもつれ、たたらを踏んだけれど、沙和はなんとか境内の中央で待つ叔母の前に進み出た。
 叔母は今日も、不作に(あえ)ぐ村の長の妻とは思えない、美しい着物を着ていた。

「叔母さま、申し訳ございません……っ」

 頭を下げたのと同時に、沙和は砂埃(すなぼこり)に咳きこみ、目をしばたたいた。叔母が足元の砂を蹴りあげたのだ。
 目に入った砂を追い出そうとして、生理的な涙がぼろぼろ零れる。

「奥方様と呼べと言ったでしょうが。迷惑ばかりかけないでちょうだい! おおかた、母親のようによその男をたぶらかしてるんでしょうよ。だから鎮守様がお怒りなのよ!」
「とんでもないです、鎮守様は――」
「愚図が口答えをするんじゃない! まったく、役立たずのくせに偉そうに!」

 パシッという乾いた音とともに頬を叩かれ、沙和は唇を噛んだ。

(わたしのことはまだ我慢できる。けどお母さんはそんなひとじゃないのに……っ)

 姉である母の他界により、叔父はしかたなく沙和を娘として引き取った。村長の体面を守るためだと聞く。
 けれど実際には、沙和は下女として扱われた。
 鎮守の神に奉仕するときは巫女、家に帰れば下女。沙和は十五歳になる今日まで、叔父夫婦の家で休まず働かされていた。

「――お母さま? お父さまが呼んで……あっ、沙和も一緒なのね?」

 鈴を転がすような愛らしい声がして、鳥居のほうを見やると、義妹の美綾(みあや)が鳥居をくぐってくる。
 美しく着飾った義妹の姿に、沙和は目元をぐいっと拭った。
 叔母が美綾のそばに寄り、打って変わって甘ったるい声で言う。

「そうよ、美綾。沙和はお遣いをさぼっていたから、叱っていたのよ」
「沙和、それはダメだよ。ちゃんとお遣いしなさいね」
「……はい、美綾様」

 美綾にも下女としか思われないのは複雑だけれど、屋根の下で寝起きさせてもらえているだけ、ありがたいと思う。
 だから沙和は叔母を苦手には思っても、恨んではいない。

(わたしが無能なのだもの……)

 鎮守の神も降ろせないのだ。頬を叩かれたり、砂をかけられるくらいは甘んじて受けなければならないとも思っていた。

「美綾は先に戻りなさい。お母様は少ししてから戻るわ」
「はぁい。じゃあね、沙和」

 舌足らずな声で美綾が手を振る。その姿が見えなくなったとたん、沙和は叔母に腕を引っつかまれた。

「今日という今日は許さないって、言ったわよね? 来なさい」