カタム砦で英気を養い、最終決戦へ向けて準備を進める。
「王都の門番」とも呼ばれているこの場所だ。カタム砦さえ突破すれば、王都は目前であった。忠臣と名高いキ・ソコ将軍とアルボル卿を味方につけた私たちを、阻もうとする者ももういなかった。
 合流した民たちも引き連れ、私たちは城へ足を踏み入れた。

(うわ……)
 城内は、かつて私たちがいた頃とは、まるで様子が違ってしまっていた。
(人がいない……。チヨミが軍を率いて来たと知って逃げたのか。それともすでに、ヒナツに愛想をつかして離れてしまったのか……)

 掃除も行き届いておらず、全体的に薄汚れている。
 さらに、かなりの数の貴重品が持ち去られているようだった。

「閑散としてて、人の気配がないねぇ。これが一国の王のおわす城とは」
 メルクが呆れたように肩をすくめる。
 タイサイはどこからともなく漂ってきた異臭に、鼻をつまむ。
「ちょっと離れている間に、ここまで荒れるものかよ」
「ヒナツ……」
 心配そうに辺りを見回すチヨミの手を、私は取る。
「行こう、チヨミ。ヒナツはきっと、こっちにいるよ」
「うん……」
 私たちは、謁見の間に向かって進んだ。

 ■□■

 予想過たず、ヒナツは謁見の間にいた。
 ここもやはり薄汚れ、閑散としている。
 窓から差し込む光の中で、埃が白く舞っていた。

 荒れ果てたこの光景の中、ヒナツは玉座に腰を下ろし、頬杖をついて私たちを見ている。
 かつて野良犬と呼ばれ何も持たぬ存在だったヒナツ。
 だが、宝石や貴金属で飾り立て国の頂点に立った今となっても、纏う雰囲気はひどく(すす)けていた。
 ヒナツは取りつかれたような目をして、口元に薄い笑いを浮かべている。
(あっ!)
「ラニ!!」
 ヒナツの側にはラニの姿があった。
 蒼ざめ、恐怖におののく眼差しをこちらに向けている。
 怯えて膝にすがるラニの頭を、ヒナツは猫でも愛でるように撫でていた。
「ヒナツ!」
 チヨミが部屋に足を踏み入れる。
 私も彼女と共に、一歩部屋に入った時だった。

 バタン

 背後で扉が閉まった。

「え?」
 私たちは振り返る。
 扉の陰に隠れていた兵士二人が、鍵をかけ、その上から魔術を施すのが見えた。
「あなたたち、何を……!」
 チヨミの声に、二人の兵士は縮み上がる。
「ひぃ……」
「すみません!」
 だがそこへ、ヒナツの大音声が響く。
「よくやった、お前たち! さぁ、どこへなりと消えるがいい!」

 兵士たちはおびえた表情のままヒナツの方へ走る。そしてそのわきを抜けると、部屋から逃げ出していった。
「みんな!」
 私は閉ざされた扉へ取りすがる。
 分断された向こう側に、メルク王子やその他の仲間が全員取り残されていた。
(くっ、ロックがかかってる! どうすれば開くの!?)
 ゲーム脳の私には、ある程度の目星がついた。恐らくここにかけられたのは施錠の魔法だ。開錠の魔法を持つ人間にしか開けられない。けれど私が知っているのは、簡単な攻撃魔法と補助や回復を目的としたものばかりだ。
「みんな! そっちは無事!?」
 私が扉を叩くと、向こう側からテンセイの声が返ってきた。
「こちらの心配は無用です! すぐにここを開けて合流します!」

 今この部屋にいるのはヒナツとラニ、チヨミ、そして私のたった四人だった。
(こんな……!)

「久しいな、わが妻。そして、わが愛妾よ」
 ヒナツは傲岸不遜な態度で私たちに言い放つ。
(何を……)
 苛立ちと恐怖を覚えながら、悪魔のような笑みを浮かべるヒナツを私は睨む。
「ヒナツ……」
 チヨミは、まっすぐにヒナツを見ていた。
 濁りを(まと)ったヒナツを、澄みきった眼差しで。
「ヒナツ、話をしに来たの」
 チヨミは清らかで勇ましく、まさに魔王と対峙する英雄の姿そのものだった。
 味方と分断され、戦場の悪鬼のようなヒナツを前にしても、彼女は全く怯む様子を見せなかった。
「今日はあなたに何を言われても、私が思っていることを言わせてもらう。あの日、あなたを気遣い言葉を飲み込んだことで、こんな事態を招いてしまったのだから」
「……ほぉ?」
「ヒナツ様!」
 ラニが怯えて伸びあがると、ヒナツの首にしがみついた。
「ヒナツ様、私怖いですわ。私、あの者らに殺されるのは嫌です! まだ死にたくありません!」
「ラニ……」
 ヒナツは目だけを動かし、すがりついてくる幼女を見る。そしてラベンダー色の髪をいつくしむように撫でた。
 ラニはこちらを肩ごしに振り返ると、涙の浮かんだ目で睨みつけてきた。
「御覧なさいませ、ヒナツ様! お姉さまたちのあの悪鬼のように恐ろしいお顔!」
 おい! 失礼だぞ、そこの美少女!
「ヒナツ様、この世で最も強く、最も正しく、最も尊いお方、必ずや私を守ってくださいましね? 甘言にほだされて、私を見捨てないでくださいましね?」
 ガクガクと震える細い体を、ヒナツは愛し気に抱き寄せる。
「あぁ、ラニ、わかっている……。お前は何も案ずるな」
 それはこれまで聞いたことがないほど、優しいヒナツの声だった。
「お前だけは、俺を見捨てずにいてくれたのだからな」
「ヒナツ様……」
「ヒナツ……!」

 チヨミの声に応じるように、ヒナツがゆっくりとした動きで王座から立ち上がる。
 そして剣を鞘から抜くと、重々しい足取りで一段、また一段と階段を下りてきた。
(ひ……!)
 彼の放つ殺気だけで、足が強張る。これほど死を間近に感じたことはなかった。まだ十分な距離があると言うのに、もはや魂が生きることを諦めかけている。体が気絶を選び取ろうとした時だった。
「ソウビ、下がってて」
 チヨミの凛とした声に、私の意識は引き戻される。彼女は堂々とその場に立ち、ヒナツを見据えたまま細身の剣を手にしていた。
「ヒナツ、あなたに王の座から下りてもらう」
「……」
「あなたは王位をトロフィーか何かのようにしか思っていない。でもね、その地位はこの国の誰よりも責任の重いものなんだよ。おもちゃのように扱ってはいけなかった!」
 ヒナツが鼻で笑う。けれどチヨミは言葉を続けた。
「国中の全ての人の幸せを想いながら、あなたは地位や力、そしてその体や頭脳を駆使しなきゃならなかった。でも、あなたの目に入っていたのはラニだけ。あなたの自尊心を満足させてくれる幼い少女一人」
 チヨミは一つ大きく息を吸うと、はっきりと言い放つ。
「それは王にはふさわしくない行いなの!」
「うるさい」
 羽虫を追い払うような仕草をし、ヒナツがさらに距離を詰めてくる。けれどチヨミは止まらない。
「民があなたに求めたのは、自分たちと同じ目線を持ち、寄り添い共に歩んでくれる強い指導者。けれどあなたは、そんな民の望みを、命をないがしろにした」
 チヨミの目に戦う意思が宿る。剣を構え、その澄んだ声を室内に響かせた。
「ヒナツ! 今、この国に、あなたを王にいただきたい人間はもういない!」
「黙れ!!」

 ギィンと音を立て、刃がぶつかり合う。
「くっ! 黙らない!」
「誰に向かって口をきいている! 俺は王だ!」
 ヒナツの攻撃が絶え間なくチヨミに降り注ぐ。チヨミはその刃を全てギリギリで凌ぐ。
「俺は誰よりも高い地位にあり、誰よりも尊い! 俺に命令できる人間は、もはや誰もいない! 民が俺にそうあれと望んだのだ。今さら何を言う!」
「くぅっ!」
 チヨミの顔が苦痛に歪む。力の差は圧倒的だった。
(いけない!)
 私も腹をくくる。
(チヨミがいくら策謀を得意としていても、こんな真正面からじゃヒナツには勝てない!)
 ここでただチヨミに守られているだけじゃだめだ。
 チヨミはヒナツを、私はラニを。私たちは二人で、大切な人を救いにここまで来たのだから。
 私は自分の内部へ意識を集中させる。
(補助魔法でチヨミを助けよう)
 何とか頭に叩き込んだ古えの言葉を、ヒナツに気づかれないよう詠唱する。
(防御力アップ!)
(攻撃力アップ!)
(敏捷性アップ!)

 私はチヨミに補助魔法をガンガン重ね掛けする。完全に劣勢だったチヨミが、徐々に持ち直し始めた。
 激しい剣戟(けんげき)の音が続く。

(よし! バフ盛り盛り! いける!)
 私は小さくガッツポーズをする。
(けど、原作ゲームだとチヨミは1人でヒナツと対峙するってことになる? ここ、どう攻略するんだろ?)
 つい、ゲームの攻略で考えてしまう。
(負け確定イベント? それともレベルマックスまで育てて経験値で殴る系?)

「ほぅ?」
 ヒナツがこちらを見て、ニタリと目を細めた。そして一撃でチヨミを弾き飛ばす。
「ぐふっ!」
 壁に叩き付けられ、チヨミが呻く。だが、かつての妻のそんな姿を振り返ろうともせず、ヒナツは私に向かって進んできた。
「ソウビ、面白い真似をしているではないか!」
(ぎゃああああ、こっち来たぁああ!!)
 ヒナツが剣を大きく振りかぶる。その瞳は完全に、獲物をいたぶる肉食獣のものだった。私は逃げることも叶わずその場にたたずむ。
(足が、動かない……!)
 悪魔のような笑みを浮かべたまま、ヒナツは私の頭上へ刃を振り下ろそうとした。
(もうだめ……!)
 しかしそこへ、チヨミが駆け込んでくる。
 息を荒げながら、チヨミは細身の剣でヒナツの刃を受けとめた。
「ヒナツ、させない!」
「邪魔だ、どけ!」
 傷だらけのチヨミが不敵に微笑む。
「こんな時くらい、私だけを見てくれてもいいでしょ?」
「チィッ!」