寵姫は正妃の庇護を求む

 私たちは、カタム砦の本来の主によって、内部へと招き入れられた。

「実に面目ない。あ奴らの姦計(かんけい)にうっかりはめられてしまいましてなぁ!」
 キ・ソコ将軍は頭を搔きながらも豪快に笑う。
 私たちは食事をいただきつつ、ここで何が起きていたかを彼に問うた。
「恥ずかしながら、慰労と言う名目でここへ訪れた奴らに一服盛られましてな。気を失い、目覚めた時は牢の中でした」
 隆々と筋肉の盛り上がる腕を胸の前で組み、将軍は眉を下げてうなだれる。
「その時には部下ともども手足を厳重に鎖で繋がれ、ほぼ身動きのとれぬ状態。砦は奴らの手中に収められてた次第で」
(また他人のエリア乗っ取ってたのかよ、あいつら)
 ウツラフ村の時のことを思い出した。
「ではどうやって牢から出て来られたのだ? ここの牢の鎖は、そう簡単には切れぬはずだが」
 長年共に忠臣として名を馳せてきた仲間に、アルボル卿が問う。キ・ソコ将軍は顎に手をやり、ふむ、と一つ頷いた。
「それが、先ほどの騒ぎの中、突如牢の壁が破壊されましてな」
(ん? 壁が破壊?)
「鎖の端はその壁に埋め込まれておったため、壁が崩れると同時に手足が自由になったのだ。解放された直後は、少々手足に痺れを感じておったがな、がははは!!」
(それって、私がうっかり当てちゃった雷撃のせいじゃ!?)
 あの時、「うお」という声が聞こえた気がしたが、この人だったのか。
(雷撃の直撃した牢に、鎖で繋がれていて、手足に痺れ程度で済んだんだ。すみませんでした、よくぞご無事で)
「なんにせよ、無事でよかった。将軍が突然姿を消したので、心配しておったのだ」
「ははは、そちらも。国外追放になったと聞いた時は、驚きましたぞ、アルボルの」
 忠臣二人は楽しげに笑いながら酒を酌み交わす。
 ぐいと盃を空けたキ・ソコ将軍が、ふとチヨミに目を向けた。
「それでチヨミ嬢、いや、正妃チヨミ。あなたはどうするおつもりかな?」
 酒のため赤ら顔ではあるが、将軍の眼差しは鋭かった。
「大勢の民を引き連れ、まるで反乱軍の様相で城へと向かっているようだが」
「ヒナツには王座から下りてもらいます」
 チヨミはキ・ソコ将軍をまっすぐに見返し、言葉を続ける。
「ヒナツは王の器じゃありません。視野が狭く、国を治めるだけの知識がなく采配も拙劣」
(はっきり言った……)

 恋する相手に対しても、冷静な評価を下すチヨミ。彼女の恋は盲目じゃない。
「この国の民を不幸にしないためには、ヒナツを王座から下ろし、統治できる人間が王にならなくてはなりません」
「そして、その人間は正妃チヨミ、あなただと?」
「とは限りません」
(え?)
 戦慣れした将軍の眼光に怯むことなく、チヨミは落ち着いた声で返す。
「多くの民は私を王にと望んでくれています。それはとても嬉しいことです。ですが一方で、長く続いたアーヌルスの血筋が王位に就くことを望む貴族も多い」
(そっか、アーヌルス……って。えっ、こっち来た!?)
「私は、ソウビが王位に就くのが良いと考えています」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってチヨミ!?」
 完全に、主役のチヨミを見る傍観者になっていた私は、いきなり前面に押し出されて慌てる。
「女王とか、心の準備、全っ然出来てないんだけど!?」
「……」
「あと、国を治めるとか正直よく分からないし。ヒナツほど無茶苦茶じゃなくても、穴だらけの治世になっちゃいそうで怖いよ!」
「大丈夫よ、ソウビ。その辺は私たちがしっかり支える。そのための家臣じゃない」
「で、でも……」
(それに、家臣って……)
「正妃チヨミ」
 将軍の重々しい声が、その場の空気を震わせた。
「この私は王に使える将軍ですぞ? 王妃と言えど、反乱の意思ある人間を、おとなしく見逃すとお思いか?」
 厳めしい表情のキ・ソコ将軍が、チヨミを睨み据えている。先ほどと同じ姿で椅子に座ったままだが、既に刃をチヨミの首筋に当てているかのような気迫だった。私たちの間に緊張が走る。タイサイは剣の柄に手をかけていた。
 けれどチヨミは落ち着いた表情で言葉を続ける。
「キ・ソコ将軍。あなたが仕えているのは、現王でなく、国そのものですよね?」
 そこにいたのは、人々の信頼を集め前進する、しなやかで凛としたリーダー。
「キ・ソコ将軍、あなたはこのイクティオを愛している。そして国を傾けんとする人間を、王と認める方とは思えない。きっと私たちの味方になってくれます」
 冷静で、それでいながら柔和な表情のチヨミが、キ・ソコ将軍と真正面から視線を合わせる。二人はそのまま、微動だにせず見合った。私たちも、呼吸音すら許されない緊張感に、身を固くする。

 どれほどの時が経っただろう。実際は数秒のことだったかもしれないが。
「ふふ、はーっはははは!」
 キ・ソコ将軍が豪快に笑いだした。チヨミがそれに合わせるように、目を細め口端を上げる。
 将軍は自分とアルボル卿の盃に酒を注ぐと、アルボル卿の肩にグイッと腕をかけた。
「相変わらず、勘が鋭いだけでなく肝の据わったお嬢さんですな、アルボル卿。わっははは!」
「ははは、これでも昔は、野盗に怯えて泣く娘だったのですが」
(いや、そこ笑うところ!?)
 キ・ソコ将軍はチヨミの盃にも酒を注ぐ。その勢いのまま、皆に盃を向けるように促す。皆の盃が満たされたのを確認すると、彼は「乾杯」と言った。
「あなたのお気持ちはよく伝わりました、正妃チヨミ。このキ・ソコ、あなたの力となりましょう」
 将軍は、恭しい仕草でチヨミにそう告げる。そしてすぐさまその鬼瓦のような顔に、力強い笑みを浮かべた。
「王座には誰がふさわしいか。それはもう少し時間をかけて考えるとして。今日は大変な一日だったでしょう。まずはゆっくりと疲れを癒してください」

■□■

 キ・ソコ将軍とアルボル卿が部屋に引き上げてからも、私たちはその場にとどまった。

「少し予測とは違ったようだが、おおむね君が知ってた流れかな、姫さん?」
「へ?」
 メルクが私の顔を覗き込むようにして笑っている、
「知っていたよな、姫さん? ここの人間がチヨミちゃんの味方になってくれるって」
「えぇ、まぁ……」
 キ・ソコ将軍を味方として得られ、ほっとした空気になったのもつかの間。
 メルクは、私の先読みの力についての説明を求めた。
(なんでここで波風立てるようなこと言い出すのよ! 今日はもう、ゆっくりとした夜を迎えたかったのに)
 だが、これがメルクなのだろう。人当たりのいい笑顔を見せながら誰に対しても油断をしない、冷静沈着な人。
 メルクの言葉に、その場にいたメンバーが表情を引き締め、私を見る。
 やはり気にはなっていたのだろう。追及をしなかっただけで。
 メルクは朗らかに笑いながらも、油断なく私を見据えている。
「敵の本拠地は目の前だ。そろそろ話してもらってもいいかな、姫さん。君が何者なのか。そして、なぜ未来を予知するような真似ができるのか」
 その瞳に、逆らうことを許さぬ鋭い光が宿る。
「最後の戦いを共にする仲間に、出来れば種明かしをしてもらいたいんだが」
(最後の戦いを共にする仲間……)
 私はテーブルを見回す。仲間たちは神妙な面持ちでこちらを見ていた。
「そう、だね……」
 命がけの戦いに、得体のしれない人間を同行するのはやはり不安だろう。疑念は何かのはずみで、良くない影響を及ぼすかもしれない。
「信じられないかもしれないけど……」
 私は正直に全てを話すことにした。

 私は元の世界で上水流(かみずる)めぐりという名であること。
 この世界は、私がプレイしていたゲームの内容と酷似した、私の見ている夢であること。
 私はそのゲームを一周したことで、大体の流れや個人の情報を掴んでいることを。

「カミズル、メグリ……。この世界の全てはあなたの夢の中だと言うの?」
 チヨミは信じられないと言った顔つきで、首を横に振る。他の皆も似たような反応だった。
 その中で、メルクだけが表情を変えない。
「ゲーム、か。カードとはずいぶん趣の違う遊戯のようで、よく分からんが。つまり、俺たちのことを描いた物語が幾通りか存在している。そのうちの一篇を君は読破済で、今我々は君の読んだものとは別の物語の中を進んでいる、そんな解釈でいいか?」
「うん、大体あってる」
「じゃあ、これからどうなるんだ?」
 タイサイが音を立てて椅子から立ち上がった。
「俺たちは勝てるのか? あの腕っぷしだけは妙に立つ、獣のような男にどうやって!?」
 タイサイの問いに、私は言葉を詰まらせる。
(う~ん、この先のことは正確には知らないし、タイサイには特に答えづらいな)
 ここはヒナツ和解ルートの可能性が高い。ヒナツを倒せたとしても、結局チヨミはタイサイでなくヒナツを選ぶわけだ。
 ここへ来てタイサイ×チヨミのカプにハマった身としては、少々胸が痛い。
「ごめん、タイサイ。プレイしてないルートだから知らない」
「チッ、肝心なところで役に立たねぇな」
 相変わらずの物言いに少々腹は立ったが、この先、タイサイが報われないと思うと、あまり強い態度に出られなかった。
 私は彼の憎まれ口をスルーし、説明を続ける。
「先がわからない理由はそれだけじゃないんだ。本来ならソウビ・アーヌルスは皆と一緒に反乱軍なんてやってない。ヒナツの寵姫のまま民衆に憎まれて最期を迎えるんだよ。……テンセイに剣で貫かれて」
 私がそう言うと、テンセイは小さく息を飲む。
「そう言えば、以前もそのようなことをおっしゃっていましたね」
「うん」
「……信じがたいことだ」
「でも、私は今ここにいる。ヒナツの側じゃなく、みんなと一緒にこのカタム砦に。この時点で、私の知っている展開とは異なってる。それにキ・ソコ将軍の件だって」
「キ・ソコ将軍の件?」
私はチヨミに頷いて見せる。
「彼が捕らえられる展開なんて、私は知らなかった。別ルートのせいかもしれないけど、ひょっとすると私がここにいるせいで起こった、イレギュラーな事象かもしれない」
「なるほど」
 メルクはテーブルに肘をつき、指を組むとその上に右頬を乗せた。
「で、姫さん。我々があの暴君に勝てるかどうかは? こちらとしてはそこが一番知りたいんだけど」
 彼の問いに私は即答できない。
 チヨミはゲームの主人公だから、勝利でエンディングを迎えるのはまず間違いない。
 けれど、戦闘に負けてゲームオーバーと言うパターンもこの世界には存在する。
「タイサイにも言ったけど、わからない」
「また『わからない』かよ。大勢の命がかかってんだぞ!?」
 気色ばむタイサイを、チヨミがそっと制する。
「ううん、十分よ。ありがとうソウビ」
「チヨミ……」
「きっと運命に勝利して、この物語をハッピーエンドに繋いで見せる。それがあなたの知る物語の中の、私の役割なんでしょ?」
「うん」
 チヨミはやはり主人公だ。誰よりも先頭に立ち、前に進もうとする。力強く、そしてしなやかに。
「けど、信じがたいぜ」
 タイサイが面白くなさそうに呟く。
「俺らが物語、つまり作り物の中の存在なんてよ」
 だが、タイサイの言葉に思わぬ反応を見せたのはユーヅツだった。
「ボクはそう思わないな」
「は?」
「ボクらが、メグリの世界における作り物の中の存在だとして。メグリ自身が誰かの創作物の中の登場人物じゃないって、言い切れないでしょ?」
(はい!?)
「ど、どういう?」
 困惑する私に、ユーヅツは魔法を教えてくれた時のように、淡々と語る。
「メグリ、君の世界も誰かによって作られたってこと。つまり君自身、己の意思で動いているつもりでも、創作者の意思の伝達役に過ぎないかもしれないってことさ」
 はぃい!?
「面倒くさいから話まとめるけど。ボクらも君も大して違いはないんじゃないかな、多分」
 いや、まとめ方、雑!
「ボクとしては、ソウビはこちらに有利な情報をくれる便利な存在だし。君が別世界の人間の意識を持ってても、問題視する必要全くないな、って思ってる」

 その場にいる全員、呆気にとられた表情でユーヅツと私を見比べる。やがて、小さく吹き出す音が聞こえた。
「はは、確かにな!」
 メルクが王子らしからぬ大口を開けて笑っていた。
「ソウビが意図的に、僕らに不利益な行動を取ったことはないし。問題ないと言えば問題ないよな」
 ないの!?
「じゃ、この話はこれでお開きにすっか!
「ええ!? 軽っ!」
 呆気なく終わった審問。私は流れについて行けず、うろたえる。
 メルクは頭の後ろで手を組むと、意地の悪い笑みを浮かべる。
「なに、姫さん? もっといろいろ追及してほしい? ねちねちと問題提起して責め立ててほしかった?」
「いや、そうじゃないけど!」
 本当にいいのだろうか? この世界の人からすればかなりあり得ない内容を語ったはずだが。むしろ更に疑いが深まってもおかしくない、異常な内容だったわけだが。
「そうね。私もこの話はここまででいいと思う」
「いいの!?」
 思わず出た声に、チヨミがうなずいて返す。
「この先の展開を知らないとはいえ、これまでにソウビの情報に助けられたこともあったから。ソウビは私たちの味方だと信じていいと思うの」
「チヨミ……」
「あと、この世界が君の見ている夢って話だけど」
 話すユーヅツに、私は目を向ける。
「夢とは、魂が異世界で過ごした際の出来事って説もあるんだよ」
「魂が、異世界に?」
 初耳だ。いや、もしかして「胡蝶之夢(こちょうのゆめ)」とかあの辺もそうなのだろうか。
 ユーツヅはさらに続ける。
「その説が正しいなら、メグリって人の魂は寝ている間、ここでソウビとして生きているってことになる。ついでに創作や夢、つまり架空の世界と思われているものは、実在している異世界の可能性もあるとボクは考えてる」
「ぇえ……」
 何と言うか、滅茶苦茶だ。
 だが、私の気持ちを察してか、ユーヅツはあっけらかんと言う。
「証明のしようがないからね。噓とも本当とも言えないでしょ? 想像は自由」
「そうだけど……」
(この、私が夢に見ている世界が実在している他の世界? そして、私の元の世界も誰かの創作物? あ~っ、何が何だか!)

「あ! そうそう」
 頭を抱える私に、チヨミが話しかけてくる。
「ソウビの本当の名前はメグリなんだよね? 今後はそっちで呼ぶ方がいい?」
「えっ、ううん、ソウビのままで。ここではそう呼ばれる方がしっくりくるから」
「わかった。じゃあソウビのままね」
 オフ会では本名ではなく、ハンドルネームで呼び合う。その感覚に近いかもしれない。
「ソウビが別世界の人間の意識を持ってるなんて驚いたけど、掴んでる情報を元に、私たちを困らせたことなんてなかったもんね。味方だってことは疑わなくていいんじゃないかな?」
 その言葉にタイサイが顔をしかめる。
「いや、俺は知られたくないことまで知られてたけど」
「枕の下?」
「言うな!」
 そっちから振ったくせに、キレないでほしい。今のはどう考えてもツッコミ待ちだった。

■□■

(今日は色々あって、疲れたなぁ……)
 砦の中の割り当てられた部屋で、初めての夜を迎える。
 大移動して、戦闘があって、説明があって、心身ともに疲労困憊だった。
 ベッドに身を預けると、すぐさま睡魔が襲い掛かってくる。
(ねむ……)
 そのまま白む意識の中へ飲み込まれようとした時だった。
 コンコン
 ノックの音が聞こえた気がした。
(ん? 誰?)
 身を起こして対応したい。けれど指一本動かすのすら億劫なほど、私の体は疲れ切っていた。
(あ、だめだ。瞼がもうくっつき……)

『ソウビ殿、入ってもよろしいでしょうか?』
「!?」
 この世で最も尊く愛しい、低く甘い声に、一瞬にして意識は呼び戻される。
(テンセイ!? 夜這いイベント!? いや、そんなのなかったはず! このゲームはCERO Bだったし!)
 勢いよく働きだした意識は、おかしな方向に猛スピードで飛んでいく。
 再びノックの音が耳に届いた。
『ソウビ殿? もうお休みでしょうか?』
「は、はーい! 起きてまーす! どうぞ!」
 ベッドに身を起こし慌てて返事をすると、すぐに扉は開かれた。
「ソウビ殿、夜分遅く失礼いたします」
「ううん、テンセイなら歓迎。何かあった?」
「……」
 テンセイは部屋に入ると、扉の前で立ち尽くす。何やら逡巡しているようだった。
 こちらを見たかと思えば、そっと視線を逸らし、何か考え込む仕草をしたかと思うと、またこちらに視線を向ける。
 やがて彼は、覚悟を決めたのか口を開いた。
「いつから、なのでしょうか?」
「? いつから、とは?」
 テンセイの顔が苦し気に歪む。
「メグリ殿、とおっしゃいましたか。あなたがソウビ殿としてこの世に降臨したのがいつからなのか、それをお聞きしたい」
(あ……)
 スッと頭の奥が凍り付いた。
(そっか、テンセイにとってソウビは婚約者。私は途中からその地位を乗っ取ったようなものだ)
 頭から喉元へ、私の体からはどんどんとぬくもりが去ってゆく。
(気分、よくないよね。見知らぬ他人が、自分の婚約者のふりをして側にいたなんて。気付かれてないのをいいことに、馴れ馴れしくしていたなんて……)
「ひょっとしたら、ですが」
 テンセイの金色の眼が、私を見据える。暗がりの中、月の光を返すその瞳は猛獣のもののようだった。
「今の貴女となったのは、ヒナツが王位についたことを祝った宴の日ではございませんか?」
「! あ、あの……、ごめん、騙すつもりじゃ……」
「やはり、そうなのですね」
 テンセイが手で目元を覆い、ため息をつく。金の瞳が見えなくなった瞬間、「終わった」そう感じた。
 テンセイは手を下ろすと、みしりみしりと足音を立てながら近づいてきた。私はびくりと身をすくめ、自分の膝へ目を落とす。やがて頭上から、低く静かな声が届いた。
「あの日、貴女を部屋まで迎えに行った際に違和感を覚えたのです。ソウビ殿とはこのように可愛らしい表情をする方だったかと」
(え……?)
 テンセイの口から発せられた、思いがけぬ柔らかい言葉。けれど私はまだ目を上げられない。
「前王の命により婚約者となって以来、自分とソウビ殿はろくに会話らしい会話をしておりませんでした。自分は面白い話などできぬ男で、そんな自分といるソウビ殿はいつも退屈そうにされておりました」
 テンセイの足が視界に入る位置まで来る。
「あの頃の自分たちの間に、愛情と呼べるものはまるでなかったと言っても過言ではないでしょう。立場や利害最優先の形だけの繫がりでした。……よくある話です」
 テンセイが私のベッドに腰かける。マットの沈む感覚があった。
「ですが、あの夜のソウビ殿は違ったのです。こちらを見た瞬間に目を輝かせ、頬を染め、嬉しそうに微笑まれました。妙なことを口走ってはおられましたが、自分に対する温かな好意が伝わってきたのです」
 大きく熱い指先が私の顎に触れ、軽く持ち上げる。見上げた先のテンセイの眼差しは、はちみつ色に揺れていた。
「あの日から、貴女だったのではないですか?」
 罪の意識に凍り付いていた私の体が、テンセイの熱で優しく溶かされる。
「……、そんなところ」
 その瞳の優しさに誘われるように、私は告白をする。
「正確には、牢から助け出された時。気付いたら私はあの場所にいたんだ」

「そうでしたか。では」
 テンセイが一度睫毛を伏せ、そして目を開くと私をまっすぐに見る。
「自分が心惹かれたのはソウビ殿ではなく、メグリ殿だったのですね……」
「!」
 心臓が止まるかと思った。真摯な金色の眼差しが私を貫く。
(テンセイが私を……? 婚約者のソウビじゃなく、上水流めぐりとしての私を?)
 引き絞った弓が勢いよく矢を放つように、一度凍り付いた私の胸が早鐘を打ち始める。
 私はこの世で最も愛しい人に愛されている。そう思うだけで気絶しそうなほどの幸福を感じていた。
 けれどテンセイの瞳からはまだ、切なさが消えない。
「テンセイ?」
「教えてください、ソウビ殿。貴女はいつまでここにいられるのでしょうか」
「えっ……」
「この命尽きるまで、自分は貴女に寄り添っていられるのでしょうか……」
 言われて初めて気づく。
 この世界へ訪れたのが突然なら、去るのも突然である可能性は十分にあるのだ。
「わからない……」
 私は掛布団を握りしめる。テンセイの真剣な眼差しが、私の胸を苛む。
「わからないよ。私だってずっとテンセイといたいけど、でも……」
 肝心な部分を思い出した。
「これは、私の見ている夢だから……。いつ覚めるか、私にもわからない」
 そう、夢はいつだっていいところで終わる。
「それに物語は終盤に向かってる。ひょっとすると物語のクリアと共にこの夢は……」
「……っ」

 テンセイの力強い腕が伸びて来たかと思うと、私をきつくかき抱く。グッと押しつぶされた肺から息が漏れる。
「儚いお方だ。今にも、この腕の中から消えてしまいそうだ。俺は、それが怖い……!」
 魂を切り刻むほどの悲痛な声。
「魂の捕らえ方など俺は知らない。こうして手に触れられる相手であるなら、無理やりにでもつかまえていられるものを……!」
 私を抱きしめる腕に、更に力がこもる。
「愛している、ソウビ。いや、メグリ。俺から離れないでくれ」
(テンセイ……!)
「貴女でなければだめなのだ!」

 胸が焼け付くように痛む。
 幸せなのに苦しい。
 気が付けば、涙が頬を濡らしていた。

 私は腕を彼の広い背へと回す。
「私だって、このままテンセイと一緒にいたいよ……。だけどわからないんだ、本当に。自分がこの先どうなるのか……」
「……っ」
 テンセイの大きな手が私の後頭部を包む。それは震えながら、幾度もそこを撫で下ろした。
「メグリ……、メグリ……、メグリ……!」

 上ずって掠れた、切なく甘い声。
 それが幾度も私の名を呼ぶ。
 私の髪を、愛し気に指で漉きながら。

 テンセイの声が耳に届くたび私の体から力が抜け、こわばりがとけてゆく。
「どんな形でもいい。貴女と同じ世界で寄り添えるなら……、俺は、何を捨てても構わない!!」
(あぁ、私はなんて幸せ者なんだろう……)
 狂おしいほどに切ない、テンセイのふり絞るような声を聞きながら、私は思う。
(推しの姿を、ただ近くで見られるだけでよかった。声が聴けるだけで幸せだった。なのに、こんなに愛してもらえた……)
 それぞれの涙が、互いの体を濡らす。
(もう悔いはない。でも……、だけど……)
 私も彼を離すまいと、背に回した指に力を込めた。
(やっぱり、テンセイとずっと一緒にいられたら幸せだろうな……)
 カタム砦で英気を養い、最終決戦へ向けて準備を進める。
「王都の門番」とも呼ばれているこの場所だ。カタム砦さえ突破すれば、王都は目前であった。忠臣と名高いキ・ソコ将軍とアルボル卿を味方につけた私たちを、阻もうとする者ももういなかった。
 合流した民たちも引き連れ、私たちは城へ足を踏み入れた。

(うわ……)
 城内は、かつて私たちがいた頃とは、まるで様子が違ってしまっていた。
(人がいない……。チヨミが軍を率いて来たと知って逃げたのか。それともすでに、ヒナツに愛想をつかして離れてしまったのか……)

 掃除も行き届いておらず、全体的に薄汚れている。
 さらに、かなりの数の貴重品が持ち去られているようだった。

「閑散としてて、人の気配がないねぇ。これが一国の王のおわす城とは」
 メルクが呆れたように肩をすくめる。
 タイサイはどこからともなく漂ってきた異臭に、鼻をつまむ。
「ちょっと離れている間に、ここまで荒れるものかよ」
「ヒナツ……」
 心配そうに辺りを見回すチヨミの手を、私は取る。
「行こう、チヨミ。ヒナツはきっと、こっちにいるよ」
「うん……」
 私たちは、謁見の間に向かって進んだ。

 ■□■

 予想過たず、ヒナツは謁見の間にいた。
 ここもやはり薄汚れ、閑散としている。
 窓から差し込む光の中で、埃が白く舞っていた。

 荒れ果てたこの光景の中、ヒナツは玉座に腰を下ろし、頬杖をついて私たちを見ている。
 かつて野良犬と呼ばれ何も持たぬ存在だったヒナツ。
 だが、宝石や貴金属で飾り立て国の頂点に立った今となっても、纏う雰囲気はひどく(すす)けていた。
 ヒナツは取りつかれたような目をして、口元に薄い笑いを浮かべている。
(あっ!)
「ラニ!!」
 ヒナツの側にはラニの姿があった。
 蒼ざめ、恐怖におののく眼差しをこちらに向けている。
 怯えて膝にすがるラニの頭を、ヒナツは猫でも愛でるように撫でていた。
「ヒナツ!」
 チヨミが部屋に足を踏み入れる。
 私も彼女と共に、一歩部屋に入った時だった。

 バタン

 背後で扉が閉まった。

「え?」
 私たちは振り返る。
 扉の陰に隠れていた兵士二人が、鍵をかけ、その上から魔術を施すのが見えた。
「あなたたち、何を……!」
 チヨミの声に、二人の兵士は縮み上がる。
「ひぃ……」
「すみません!」
 だがそこへ、ヒナツの大音声が響く。
「よくやった、お前たち! さぁ、どこへなりと消えるがいい!」

 兵士たちはおびえた表情のままヒナツの方へ走る。そしてそのわきを抜けると、部屋から逃げ出していった。
「みんな!」
 私は閉ざされた扉へ取りすがる。
 分断された向こう側に、メルク王子やその他の仲間が全員取り残されていた。
(くっ、ロックがかかってる! どうすれば開くの!?)
 ゲーム脳の私には、ある程度の目星がついた。恐らくここにかけられたのは施錠の魔法だ。開錠の魔法を持つ人間にしか開けられない。けれど私が知っているのは、簡単な攻撃魔法と補助や回復を目的としたものばかりだ。
「みんな! そっちは無事!?」
 私が扉を叩くと、向こう側からテンセイの声が返ってきた。
「こちらの心配は無用です! すぐにここを開けて合流します!」

 今この部屋にいるのはヒナツとラニ、チヨミ、そして私のたった四人だった。
(こんな……!)

「久しいな、わが妻。そして、わが愛妾よ」
 ヒナツは傲岸不遜な態度で私たちに言い放つ。
(何を……)
 苛立ちと恐怖を覚えながら、悪魔のような笑みを浮かべるヒナツを私は睨む。
「ヒナツ……」
 チヨミは、まっすぐにヒナツを見ていた。
 濁りを(まと)ったヒナツを、澄みきった眼差しで。
「ヒナツ、話をしに来たの」
 チヨミは清らかで勇ましく、まさに魔王と対峙する英雄の姿そのものだった。
 味方と分断され、戦場の悪鬼のようなヒナツを前にしても、彼女は全く怯む様子を見せなかった。
「今日はあなたに何を言われても、私が思っていることを言わせてもらう。あの日、あなたを気遣い言葉を飲み込んだことで、こんな事態を招いてしまったのだから」
「……ほぉ?」
「ヒナツ様!」
 ラニが怯えて伸びあがると、ヒナツの首にしがみついた。
「ヒナツ様、私怖いですわ。私、あの者らに殺されるのは嫌です! まだ死にたくありません!」
「ラニ……」
 ヒナツは目だけを動かし、すがりついてくる幼女を見る。そしてラベンダー色の髪をいつくしむように撫でた。
 ラニはこちらを肩ごしに振り返ると、涙の浮かんだ目で睨みつけてきた。
「御覧なさいませ、ヒナツ様! お姉さまたちのあの悪鬼のように恐ろしいお顔!」
 おい! 失礼だぞ、そこの美少女!
「ヒナツ様、この世で最も強く、最も正しく、最も尊いお方、必ずや私を守ってくださいましね? 甘言にほだされて、私を見捨てないでくださいましね?」
 ガクガクと震える細い体を、ヒナツは愛し気に抱き寄せる。
「あぁ、ラニ、わかっている……。お前は何も案ずるな」
 それはこれまで聞いたことがないほど、優しいヒナツの声だった。
「お前だけは、俺を見捨てずにいてくれたのだからな」
「ヒナツ様……」
「ヒナツ……!」

 チヨミの声に応じるように、ヒナツがゆっくりとした動きで王座から立ち上がる。
 そして剣を鞘から抜くと、重々しい足取りで一段、また一段と階段を下りてきた。
(ひ……!)
 彼の放つ殺気だけで、足が強張る。これほど死を間近に感じたことはなかった。まだ十分な距離があると言うのに、もはや魂が生きることを諦めかけている。体が気絶を選び取ろうとした時だった。
「ソウビ、下がってて」
 チヨミの凛とした声に、私の意識は引き戻される。彼女は堂々とその場に立ち、ヒナツを見据えたまま細身の剣を手にしていた。
「ヒナツ、あなたに王の座から下りてもらう」
「……」
「あなたは王位をトロフィーか何かのようにしか思っていない。でもね、その地位はこの国の誰よりも責任の重いものなんだよ。おもちゃのように扱ってはいけなかった!」
 ヒナツが鼻で笑う。けれどチヨミは言葉を続けた。
「国中の全ての人の幸せを想いながら、あなたは地位や力、そしてその体や頭脳を駆使しなきゃならなかった。でも、あなたの目に入っていたのはラニだけ。あなたの自尊心を満足させてくれる幼い少女一人」
 チヨミは一つ大きく息を吸うと、はっきりと言い放つ。
「それは王にはふさわしくない行いなの!」
「うるさい」
 羽虫を追い払うような仕草をし、ヒナツがさらに距離を詰めてくる。けれどチヨミは止まらない。
「民があなたに求めたのは、自分たちと同じ目線を持ち、寄り添い共に歩んでくれる強い指導者。けれどあなたは、そんな民の望みを、命をないがしろにした」
 チヨミの目に戦う意思が宿る。剣を構え、その澄んだ声を室内に響かせた。
「ヒナツ! 今、この国に、あなたを王にいただきたい人間はもういない!」
「黙れ!!」

 ギィンと音を立て、刃がぶつかり合う。
「くっ! 黙らない!」
「誰に向かって口をきいている! 俺は王だ!」
 ヒナツの攻撃が絶え間なくチヨミに降り注ぐ。チヨミはその刃を全てギリギリで凌ぐ。
「俺は誰よりも高い地位にあり、誰よりも尊い! 俺に命令できる人間は、もはや誰もいない! 民が俺にそうあれと望んだのだ。今さら何を言う!」
「くぅっ!」
 チヨミの顔が苦痛に歪む。力の差は圧倒的だった。
(いけない!)
 私も腹をくくる。
(チヨミがいくら策謀を得意としていても、こんな真正面からじゃヒナツには勝てない!)
 ここでただチヨミに守られているだけじゃだめだ。
 チヨミはヒナツを、私はラニを。私たちは二人で、大切な人を救いにここまで来たのだから。
 私は自分の内部へ意識を集中させる。
(補助魔法でチヨミを助けよう)
 何とか頭に叩き込んだ古えの言葉を、ヒナツに気づかれないよう詠唱する。
(防御力アップ!)
(攻撃力アップ!)
(敏捷性アップ!)

 私はチヨミに補助魔法をガンガン重ね掛けする。完全に劣勢だったチヨミが、徐々に持ち直し始めた。
 激しい剣戟(けんげき)の音が続く。

(よし! バフ盛り盛り! いける!)
 私は小さくガッツポーズをする。
(けど、原作ゲームだとチヨミは1人でヒナツと対峙するってことになる? ここ、どう攻略するんだろ?)
 つい、ゲームの攻略で考えてしまう。
(負け確定イベント? それともレベルマックスまで育てて経験値で殴る系?)

「ほぅ?」
 ヒナツがこちらを見て、ニタリと目を細めた。そして一撃でチヨミを弾き飛ばす。
「ぐふっ!」
 壁に叩き付けられ、チヨミが呻く。だが、かつての妻のそんな姿を振り返ろうともせず、ヒナツは私に向かって進んできた。
「ソウビ、面白い真似をしているではないか!」
(ぎゃああああ、こっち来たぁああ!!)
 ヒナツが剣を大きく振りかぶる。その瞳は完全に、獲物をいたぶる肉食獣のものだった。私は逃げることも叶わずその場にたたずむ。
(足が、動かない……!)
 悪魔のような笑みを浮かべたまま、ヒナツは私の頭上へ刃を振り下ろそうとした。
(もうだめ……!)
 しかしそこへ、チヨミが駆け込んでくる。
 息を荒げながら、チヨミは細身の剣でヒナツの刃を受けとめた。
「ヒナツ、させない!」
「邪魔だ、どけ!」
 傷だらけのチヨミが不敵に微笑む。
「こんな時くらい、私だけを見てくれてもいいでしょ?」
「チィッ!」

 激しい剣戟(けんげき)が続く。私は二人をよけながら、隙を見てチヨミへ補助魔法をかけ続けた。
「ヒナツ、一番伝えたい言葉を私はまだ言ってない!」
 容赦なく刃を叩きつけながらチヨミが叫ぶ。
「うるさい!お前の口から出てくるのは、いつも俺を否定するものばかりだ!」
「聞いてヒナツ、私は……!」
「黙れぇえ!!」
(チヨミ……!)

 その時だった。
 カチリと小さな音が背後から聞こえた。

(今の音……)

 振り返った先で扉が開く。そこから見慣れた顔ぶれが次々と入って来た。

「ソウビ殿!!」
「姉さん、無事か!?」
「テンセイ、タイサイ……!」
「二人とも生きてるようだね」
「あぁ、間に合って良かったぜ」
(ユーヅツ、メルクも!)
 攻略キャラ4人に続き、兵士たちや民たちも開いた扉からなだれ込んでくる。
(なるほど。つまりこの戦闘は『〇ターン耐えろ』とかそういうやつかな?)

 だが、ほっとしたのもつかの間、殺気立った怒声があちこちから湧きあがった。
「チヨミ様に加勢しろ!!」
「おおおお!!」
(えっ!?)
 何が起こったか理解する間もなく、数多の礫がヒナツに向かって飛んでいく。
 民たちの投げつけるそれは、まるで雨のようにヒナツの頭上へと降り注いだ。

「ちょ……」
 予想していなかった彼らの行動に私の声は喉元で固まる。
 やがて、そのうちの大きな一つが、ヒナツの額を直撃した。
「ガッ!」
 ヒナツがのけぞり、よろめき、何とか踏みとどまる。
 彼の赤い髪よりさらに朱い血が、顔を染めた。
「ま、待って、みんな! こんな乱暴な……!」
「父ちゃんを返せ! お前のせいでドラゴンにやられたんだ!」
「……っ!」
 ようやく絞り出せた声は、民たちの怒りにかき消される。
「アタシの夫は、仕事のできない体にされちまった!」
「恋人を返して! 武器も防具も与えないままドラゴンミルクを取りに行かせるから!」
「……っ」
(言えない)
 私は服の胸元をギュッと掴む。
(この行為が、残酷だとか野蛮だとか、私には言えない。ヒナツはこれ以上のことを、国のみんなにやってしまったんだ……!)
 彼らの口を塞ぐことなんて、私にはできなかった。
「くたばれ!!」
「お前のせいだ!!」
「ま、待て、お前たち!」
 彼らの行為を止めようとテンセイが声を上げたが、その勢いはとても収まりそうになり。
「クソが……っ、てめぇら……!」
 顔や王の装束を血に染めたヒナツが、剣を杖にして立ち上がろうとした時だった。
 チヨミが両手を広げ、ヒナツと群衆の間に立ちはだかった。
「姉さん!?」
 礫の一つがチヨミの頬をかすめる。
 チヨミの白い肌にぷくりと血の珠が浮かび、つうと滴り落ちた。

「お。おい、やめろ! 投げるな!! チヨミ様に当たっちまう!!」
 群衆の間に動揺が広がり、勢いが落ちる。
 だが、その中にも怒りの収まらない者がいた。
「チヨミ様、そこをどいとくれ! なぜそんなやつを庇うんだい!?」
 チヨミはまるで磔にされたかのように、左右に腕を伸ばし目を閉じている。
 それは、殉教者のように神々しかった。
「ごめんなさい、皆さん。私は、ヒナツ・プロスペロの妻です」
 チヨミの静かでよく通る声が、謁見室の空気を震わせる。
 彼女は目を開き、慈しみに満ちた視線を人々に向けた。
「今も、夫を愛しているのです」
「なっ……」
 血に濡れた髪の間からヒナツが目を剝く。
「……なん、だって?」
 呻くように言うと、タイサイは剣を取り落とした。

 その場は水を打ったように静まり返る。
 だがすぐにどよめき、怨嗟(えんさ)の声がわき上がった。
「ふざけないで! そんな男を庇うならあんたも同罪よ!」
「今すぐそこをどいてくれ! あんたを憎みたくないんだ!」
 嵐のような抗議の声を受けながら、チヨミはスッと睫毛を伏せる。
「ヒナツ、伝えたかった言葉、言うね」
「……」
 チヨミは再び目を上げる。その瞳に迷いはなかった。次の瞬間飛んでくるかもしれない(つぶて)を恐れることなく、彼女はまっすぐにヒナツの心へ言葉を捧げる。
「昔、野盗から私を助けてくれたよね。あの日から、ずっとヒナツが好きだよ。この命は、この魂は、あなたがいたから今ここにあるの。だからね、今度は私が、ヒナツの命を救う番」
 ヒナツは信じがたいものを見る目で、自分を背に庇うチヨミを見ていた。
「ばかやろう……」
 やがてその口から、震える声が漏れる。
 そして一転、彼女を嘲笑うように顔を歪め、まくしたてた。
「バカな女だなてめぇは!! あんなの、自分のためにやったに決まってんだろ!! お嬢様であるあんたを助ければ、貴族の旦那の目に留まる! 現に、お前の父親は俺を取り立てた!! そうだ、それが目的だったんだ! 別にてめぇを大切に思ってやったわけじゃねぇよ!」
「それでも、あれはあなたの命を引き換えにしての大勝負だった」
 チヨミはヒナツを背に庇ったまま、柔らかに微笑み言葉を紡ぐ。
「そこにどんな感情が絡んでようと関係ない。事実として、あなたは命がけで私を助けてくれた。私の命は、あなたに救われたもの。だからこの命、あなたのために使いたい」
 澄み切ったチヨミの言葉にヒナツは二の句を継げず、ただ大きく腕を広げた彼女の背を見つめる。
 ふと、チヨミの瞳に憂いが差す。
「……ヒナツ、あなたは大勢の民を犠牲にしてしまった。その報いは受けよう?」
「……」
「ごめんね、ヒナツ。私があなたに嫌われることを恐れて、間違った道に進もうとするあなたにちゃんと言えなかったから。せめて私は、あなたの道行きに付き合うよ……」
 チヨミはヒナツに背を向けたまま、聖母のように微笑んだ。
「ヒナツ、あなたが、大切だから」
「う……、うおぉおおおおお!!」
 チヨミが言葉を告げ終わると同時に、ヒナツはその場にくずれ落ちる。
「あぁ、うぁあああ! うわぁあああああ!!」

 幼子のように泣き崩れるヒナツへ、チヨミは腕を下ろしようやく振り返る。悲し気で、そして慈愛に満ちた眼差しを彼に向けた。
「あなたから王の地位をはく奪します。あなたの処遇は、次に王となる者に委ねましょう」
 身を丸めて床にうずくまるヒナツへ、チヨミは跪きそっと手をのばす。血に濡れた赤い髪を、愛し気に指で触れた。
「私も、共に」
 それはまるで一枚の絵画のように美しく、神々しく、誰もがただ言葉を失い見ていることしかできなかった。

 毒気の抜けた雰囲気の中、私はほっと小さく息をつく。
(これで、ひとまずの解決を迎えたってことでいいのかな?)
 そう思い、何気なく玉座の方へ目を向けた時だった。
「あれっ?」
「どうなされた、ソウビ殿」
「ラニがいない」
「なんだって?」
 ユーヅツの声に、タイサイやメルクが目を上げる。
(あ……! これってゲームの中のソウビと同じ行動だよ!)
 チヨミに気を取られて、うっかりしていた。
 原作ゲームでは、皆の目がヒナツに集中している隙をつき、ソウビは城から逃げ出すのだ。
 そして森の中で、憎しみを募らせた民やテンセイに追いつかれ、無惨な最期を迎える。
(と言うことは、ラニはきっとあの森の中……!)

 はじかれたように、私は駆け出す。
「どこへ行かれるのですか、ソウビ殿!?」
「ラニを追いかけなきゃ!」
 きっと今ごろ、彼女は泣きながら走っている。
 恐怖に震え、憎悪に怯え、誰にも頼れない孤独に絶望しながら。
(私の身代わりとなって……!)
「お待ちください、ソウビ殿! 自分も参ります!!」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 ラベンダー色の髪の少女は、泣きながら走っていた。
 飲み込むような鬱蒼(うっそう)とした森の中を。
 柔らかな生地で出来たドレスはあちこち破れ、靴は片方どこかに落していた。
 ドラゴンミルクで磨き上げた自慢の肌も、今や傷つき血が滲んでいた。
「いやいや……! 私は死にたくない、殺されるのはいや……!」
 だが、その願いも虚しく、少女の行く手に村人が現れる。全身に殺気を漲らせ、黒光りする農具を構えて。
「いたぞ! 幼き毒婦、ラニだ!!」
「ひっ!」
 身を翻し、ラニは今来た道を戻る。
「逃げるな!! 自分のしでかしたことを思い知れ!!」
「きゃあああっ!!」
 自分の何倍も年を重ねた、体の大きい大人たちが、少女を(ほふ)るべき敵と認識し追ってくる。ついこの間まで、足元にかしずくことすら許されなかった下賤の者ども。怒号や罵声が雨あられと頭上へ降り注ぐ。
 恐怖で強張る足を懸命に動かし、涙で滲む視界の中を、ラニは走り続ける。
「いや、いや、誰か助けて……! お父様……! お姉さまぁあ……!!」

 ■□■

(ラニ、いた!!)
 テンセイの操る馬に乗せられ、私は夢に見たあの森へ駆けつけた。
 生い茂る木々の向こうに、青いドレスがちらちらと見える。まだ幼さの残る少女の悲鳴もそこから聞こえていた。
 そしてその後ろから彼女に迫るのは、唸るような怨嗟の声。
(だめだ、追手がもうラニのすぐそばまで迫ってる! このままじゃ、ラニは……!)
 かつて夢の中で味わった激痛を思い出す。胸にづぐりと飲み込まれた刃の焼けるような、そして氷のような感触も。

「待て、そこのお前たち! 無体はよせ!!」
 テンセイは馬を止め、ひらりと地面へ降り立つ。
「ソウビ殿、ここでお待ちください。自分はあの者どもを止めてまいります!」
 テンセイは馬を樹に繋ぎそれだけ言い残すと、怒号の聞こえる方へと走ってゆく。
「え、待って!」
 馬上に残され、私は慌てる。
 馬に振り落とされるかもしれない恐怖が一瞬胸をかすめたが、今はラニを助けたい。
(たしかあの魔法は、えぇと……!)
 ユーヅツに見せられた魔導書のページに関する記憶を、私は懸命に辿る。
(思い出して! 私の頭!!)
 ぼんやりと脳裏に浮かび上がってきた呪文を、私は口から放った。
「はあぁああっ!!」
 低く唸るような地響きの後、ラニの背後に何本もの樹が出現する。
「きゃあっ!?」
 それは壁のように密集して生え、ラニと追手を分断した。
「うぉ!? なんだ!! 木が邪魔で進めねぇ!!」
(よし、成功!!)
 テンセイも追手側に残してしまったけれど。
「ラニ!!」
 私は何とか馬から滑り降り、木々の間を縫ってラニの元へとたどり着く。
「お、お姉さま……!!」
 ラニは私を見ると、青白い顔となりその場にへなへなと崩れ落ちた。
「お姉さま、私、私……!! あぁ、ごめんなさい……!!」
 その双眸(そうぼう)から涙がボロボロとあふれ出す。
「許して、お姉さま。私、処刑されますの!? うわぁあああんっ!!」
 幼子のように声を上げて泣くラニを、私はそっと抱きしめる。子どもらしい、細く小さな肩が布ごしにもわかる。ラニは一瞬びくりと身をすくめたものの、私が背を撫でるとしゃくりあげながらしがみついてきた。
(私こそごめんね、ラニ。怖かったよね、不安だったよね。こんな小さなあなたに、私は傾国なんて役割を押し付けてしまった)
「泣かないで、ラニ。私があなたを守るから。出来るだけの償いをするから」
「お姉さま……」
 ひとまずは、ラニを生存状態で確保できたことにほっと息をつく。
 このままテンセイと合流して、城へ戻ろう。その後の判断は、皆に委ねよう。私もできるだけの便宜(べんぎ)を図ろう。そんなことを考えながら、小さな肩を抱きしめていた時だった。
(あれ?)
 急に目がかすむように、視界に淡く白いフィルターがかかる。
「なにこれ、やだ……!」
 全身をぞわりとした感触が襲う。酷く嫌な予感がした。
 ざくざくと下草を踏みしめ、近づいてくる足音に私は振り返る。
「お二人ともご無事で……、ソウビ殿!?」
 テンセイの声が妙に遠い。
 視界は更にかすみ、テンセイの姿も白い靄の中に滲んでゆく。
「景色がだんだん薄れていく……! 私、眠りから覚めようとしてるのかもしれない!!」
「なんだって!?」
(どうしてこのタイミングで!?)
 私は陽炎のようになったテンセイに向かって両手をのばす。
「いやだ、テンセイ、側にいたいよ! 離れたくない!!」
「ソウビ殿! 行かないでくれ!」
 私たちは寄り添い、しっかりと互いの背に腕を回す。手の下に、みっしりとした手ごたえを感じた。私の背と後頭部を、大きく熱い手が覆うのを感じる。
(テンセイのぬくもり、テンセイの厚み、テンセイの匂い……!)
 しかしそれら全てが、腕の中で煙のようにむなしく溶ける。
(あ……!)
 ミルク色の靄の中、私の全ての感覚が遠のいていくのが分かった。

 ■□■

 目を覚ました。
 朝の光がカーテン越しにやわらかく差し込んでいる。
 やがて出遅れた目覚まし時計が、ピピと音を鳴らす。
 アラームを止め、私はベッドの上で身を起こした。
「はぁ……」
 スマホを手に取り、通知をチェックする。いつものように。
(よく寝たはずなのに、なんか疲れてる感じ)
 顔を洗うため、ユニットバスに足を踏み入れる。
 鏡の中には、見慣れた黒髪セミロングの私、上水流めぐるの姿があった。
(仕事の夢でも見てたとか? 全然覚えてないけど、やだなぁ)
 いつものように出社すると、フロアにはすでに朋美の姿があった。
「おはよう、めぐり」
 そう言って、朋美は椅子ごとぐるりとこちらを向く。
「今日も浮かない顔してんね、めぐり。またゲームで徹夜?」
「だから、徹夜はしてないって」
「んじゃ、夜更かし?」
「それもしてない。ガネダンは推しをクリアした余韻をしばらく味わいたいから、二周目はまだプレイしてな……」
 その瞬間、何かが意識の中を駆け抜けた。
 ノイズのかかった光景が、フラッシュバックのように一瞬だけ。
「どうしたの、めぐり? 急に黙って」
「ん……、なんでもない」
 私は朋美に笑って返す。けれどひどく落ち着かない気持ちだった。
(なんだろう、すごく心がざわざわずる。何かに急き立てられるような、大切なことを取り落としているような……)
「今日が終わったら三連休だね。めぐり、どっか行ったりする?」
 朋美が仕事に取り掛かる準備を始めながら、もう退社後の予定を私に聞いてくる。
 三連休……、一日は疲れを取るためゆっくり休んで、二日目は街に出て遊んで、三日目は体力に合わせて出かけるか休むか……。
(違う)
 何かが私を執拗にせっつく。
(そんなことしてる場合じゃない)
 ごく当たり前のように、私の口からは一つの単語が飛び出していた。
「……ガネダン」
「ん?」
「私、『GarnetDance』で、ヒナツルート見なきゃ!」
「……」
 朋美は呆れた目を私に向け、そして諦めたように苦笑いをしてため息をついた。
「……三連休にそれかぁ。新しくできたカフェに、一緒に行けたらなぁって思ったのに」
「ご、ごめん。でも……」
「いいよ。せっかくの連休だもん、楽しいと思うことをしなきゃね」
「朋美……」
「ほんっと、めぐりはオタクだねー」
 そう言って朋美は屈託なく笑った。

■□■

 会社の昼休みに『ガネダン ヒナツルート 行き方』で検索をかけた私は、ついにその条件を見つけ出すことができた。
(ヒナツルートに行くには、それ以外のキャラ全てのエンディングを見なきゃならない。しかも全員トゥルーエンドかぁ)
 更に彼らのルートでもヒナツに関わる選択肢には、気をつけなくてはならないようだ。
 退社後スーパーに立ち寄り、大量の買い物を抱えて帰宅する。
「三日分の食料よし! おやつよし! 飲み物よし! ゲームに没頭する準備は完璧!」
 私はゲーム機の電源を入れる。
 スタートボタンを押し、『続きから』を選択し、クリアデータをロードした。
 ヒナツルートを攻略しなくてはならない。その想いは強迫観念に近いほどで、私を急き立てた。
「っし、まずはタイサイから!」

■□■

 金曜の夜にプレイを開始。一度見たシナリオはスキップモードで飛ばせるし、キャラの戦闘レベルは次の周にそのまま引き継げる。レベル稼ぎなしでさくさく進めるシステムはありがたい。
 タイサイルートをクリアしたのは土曜の正午近くなってからだった。

「くぅ、ツンデレ義弟かわいい! 子どもの頃から温めてきた初恋が実ってよかったねぇえ!」
 私はすっかりぬるくなった炭酸飲料を、ペットボトルからグッとあおる。
「はー、ピュアピュアだった♪ 義弟可愛い。つい徹夜で攻略しちゃったよ。これが人気投票一位の実力、タイサイ恐ろしい子!」
 徹夜明けのテンションで、少しはしゃぎすぎている気がもするが、それだけ満足度の高いストーリーだった。
 気持ちの高揚とは裏腹に、体はぐったりと重い。窓の外の光が黄色く目に映った。
 私はカーテンを閉めると、ベッドへと転がり込む。
(ひと眠りしたら、次はおっとりマイペースのユーヅツルートだ)

■□■

 目を覚ましたのは、空が茜色に染まる頃だった。
 私はシャワーを浴びると、買っておいたレンジ食で手早く腹ごしらえをし、再びゲーム機に向かい合う。
 タイサイルートの時と同じように、一度見たシナリオはスキップで飛ばす。戦闘モードはパターンや展開に慣れた上レベルも高いままなので、クリアまでの時間は短縮された。そうこうしているうちに時が経ち、ユーヅツルートをクリアしたのは日曜の明け方だった。

(くぁああ~っ! ユーヅツ!! おとなしそうに見えて、これまでで一番えっちだったかも! シナリオもそうだけど、声優さんの熱演でエロさ10倍増し!!)
 私は思い出しつつ、床をゴロゴロ転げ回る。
(いいんですか、これCERO Bで! ギリギリを狙って来たのかな? ダークホースだよ、ユーヅツ!)
 床を転げ回っているうちに、頭がぼんやりとしてくる。このまま目を閉じると、眠りに引きずり込まれそうだった。
 私はゲーム機を充電器と繋ぎ、スマホに誰からも連絡が入っていないのを確認してから、ベッドへもぐりこむ。
(よし、また仮眠をとって、次はメルク王子ルートにGO!)

■□■

 体が興奮状態のためか、4時間ほどで目を覚ます。私はシャワーを浴びて頭をスッキリさせると、菓子パンをかじりながらゲーム機を起動する。
 テンセイ、タイサイ、ユーヅツのメイン攻略キャラ3人をクリアしたため、あちこちに選択肢が増えていた。これを選んでいけば、大体メルクルートをクリアできるようになっている。新たなシナリオ出現のため、スキップできる場面は少なかったが、金太郎飴ではない展開にワクワクした。

(なんかこれまでとは別視点の物語だったな。ま、隣国の王子だからね)
 明るく勢いのあるシナリオで、他のルートに比べてチヨミの言動も元気だった気がする。
(いや、自分とこも十分大変なのに、隣国助けてる場合じゃないよ、メルクニキ! それなのに助けちゃうのが、メルク兄貴なんだなぁ)

 時計を見ると夜中の1時すぎ。すでに三連休の最終日に入っていた。
「ふぁ、ねむ……」
 ちょっと気を抜けば、秒で深い眠りに落ちてしまいそうだ。途中で仮眠を挟んでいるとはいえ、ぶっ続けのゲームプレイはさすがにちょっと頭がくらくらした。
 私はゲーム機を充電器に繋ぎ、ベッドへごろりと横になる。
 アラームをセットしたのを確認し、明かりを消した。
(さて、いよいよ俺様簒奪王ヒナツルート……)

 正直あまり好きなタイプじゃない。
 他のキャラと仲良くなりすぎてはならないので、選択肢によってはテンセイにも塩対応が必要となる。
 そこまでして、無理に攻略する意味が分からないのだけど。
(なぜか急き立てられる。心がざわざわする……)
 ヒナツのエンディングは絶対に見なきゃいけない。
 その先に、私を待つ誰かがいるような気がしてならなかった。
 疲れていたのか、目が覚めたのは眠りに就いてから9時間後だった。
「うぉ、あっぶない!」
 いつの間にかアラームを止めてしまっていたようだ。
(大丈夫、まだいける。間に合う!)
 私は顔を洗って目を覚ますと、パン類を側に置きゲームを起動させる。
 主人公の名前欄に「メグリ」と入れようとして手を止めた。
 なんとなくヒナツルートはデフォルト名のチヨミのまま進めたいと感じた。
「さぁ、ヒナツルート、来い!」

■□■

【ヒナツ】
無事か、チヨミお嬢様!

【チヨミ】
ヒナツ……!

【野盗】
このガキ!!

【ヒナツ】
来いよ! お嬢様は渡さねぇ!

■□■

 このシーンは何度見てもいい。
 野盗に襲われたアルボル一家を、まだ12歳のヒナツがナイフ一本で救う場面だ。
 一度見たシーンはスキップして時間短縮する派の私だけど、このシーンだけはいつも音声も飛ばさずきちんと見てしまう。
(ショタナツ良き♪ この頃のままならよかったのに)

■□■

【ヒナツ】
ソウビが言うのだ。
今のままでは臣下も俺を侮ると。
女の尻に敷かれている王であってはならないと、な。

【ヒナツ】
まぁ、そういうわけだ。
荷がまとまり次第、離宮へ移れ。
従者も好きに連れて行っていいぞ。

【チヨミ】
……っ
ヒナツのばかっ!!

■□■

「このわからずや俺様野郎!!」
 物語は、第五章の主人公追放イベントまで進んでいた。
 このシーンを見るたび、はらわたが煮えくり返る。
(選択肢に『殴る』を実装して!! 殴るボタンをよこせ!)
 ヒナツと袂を分かつのは一向にかまわない。ただ、一発殴らなきゃ気が済まない。
(それにしても、ここからどうやって、ヒナツと和解するんだろ……)

■□■

【チヨミ】
ヒナツと、戦いたくないなぁ……。

【チヨミ】
あんな戦の神の化身のようなヒナツと
刃を交わすなんて……

【チヨミ】
ううん、そうじゃない。
私、今もヒナツが好きなんだ。

■□■

 第八章、いよいよ物語は佳境に入っていた。
 このチヨミのセリフは初めて見る。ヒナツ和解ルートに、無事入った証拠だ。
(自分でプレイしといてなんだけど……)
 私はずっともやもやした気持ちを抱えたまま、このルートをプレイしている。
(チヨミ、悪いこと言わないから他のにしときな! タイサイとかさぁ)
「単推しならテンセイだけど、カプ推しだとタイサイ×チヨミだな」
 呟いて、ふと奇妙な心持になる。
 同じことをいつかどこかで、思った気がする。それがどのタイミングだったか、全く思い出せないけど。デジャヴ?
「まぁ、ヒナツはないかな」

■□■

【チヨミ】
ヒナツ、一番伝えたい言葉を私はまだ言ってない!

【ヒナツ】
うるさい!
お前の口から出てくるのは、いつも俺を否定する言葉ばかりだ!

【チヨミ】
聞いてヒナツ、私は……!

【ヒナツ】
黙れぇえ!!

■□■

 最終戦は、まさかの主人公VSヒナツの一騎打ち。
「ぎゃー、ヒナツ強すぎて全然HP削れない!! なんだよ、ダメージ一桁って! 勝てないってこれ!! えー、何? レベルが足りないとか、そんなことないよね!?」
 泣き言を言いながら、私はボタンを叩き続ける。
 攻略Wikiにはまだ、この戦闘に関する情報が上がっていなかった。

■□■

【民】
今すぐそこをどいてくれ!
あんたを憎みたくないんだ!

【チヨミ】
……。

【チヨミ】
ヒナツ、伝えたかった言葉、言うね。

【チヨミ】
昔、野盗から私を助けてくれたよね。
あの日から、ずっと好きだよ。

【チヨミ】
この命は、この魂は、あなたがいたから今ここにあるの。
だからね。

【チヨミ】
今度は私が、ヒナツの命を救う番。

■□■

(チヨミ……)
 いつの間にか私の頬に涙が伝っていた。
(そうか、チヨミにとってヒナツは恋愛の相手という以上に「恩人」なんだね)
 あれほどヒナツだけはやめとけー、と思ったのに、今は納得することしかできない。
(でも、もっと自分を大切にしようよチヨミ……)

 ふぅ、とため息をつき、何気なく時計を見る。
 既に時刻は夜中を回っていた。
「うわ、もうこんな時間!」
 三連休は、がっつりゲームでつぶれてしまった。
 数時間後には会社で仕事を始めているかと思うと気が重い。
 仕事のためにはもう就寝した方がいいとは分かっているのだが。
「とりあえずはラストまで見ちゃおう」
 この「ちょっとラストまで」が数時間かかることも、ゲームではあるあるだ。
 けれど、最後まで見届けたいと言う気持ちが勝《まさ》った。

■□■

【ソウビ】
はぁ、はぁ、はぁ……。

【ソウビ】
どうして……、
どうして私がこんな目に……!

【テンセイ】
……。

【ソウビ】
テンセイ……、
お願い、見逃して。

【テンセイ】
……。

【テンセイ】
ソウビ殿、どうぞこちらへ。

【テンセイ】
チヨミ殿のご意志です。貴女の身柄をお預かりします。

■□■

「えっ?」
 思わず声が出る。
 これまでの展開だと、ソウビはここでテンセイに殺されていた。
(展開が変わった……!)

■□■

【チヨミ】
ヒナツ、あなたを北の塔に拘束します。
そこで静かに余生を過ごしてください。

【チヨミ】
私も、付き合うから……。

【ヒナツ】
……。

【ラニ】
チヨミ、本当に私が王に?
こんな未熟な私が国を背負うなんて荷が重すぎですわ。

【チヨミ】
多くの民が、ラニ様を女王にと望んだのです。

【ラニ】
チヨミ、側にいてくれませんの?

【チヨミ】
大丈夫です、ラニ様。
ラニ様のことはテンセイ、ユーヅツ、タイサイがしっかりと支えますから。

【ラニ】
……お姉さまは、どうなってしまわれるの?

【テンセイ】
ご心配なく、ラニ様。
ソウビ殿は、自分の家で身柄をお預かりします。

【ソウビ】
……!

【テンセイ】
かつては婚約者であった間柄にございます。
ユリスディの家で責任持って面倒を見ましょう。
幽閉にちょうど良い部屋もございますゆえ。

■□■

「はぁ!? ソウビ、テンセイの家に幽閉されるの!?」
 夜中に思わず叫んでしまい、慌てて口を抑える。
 けれど抑えきれない憤りは、口からついつい漏れてしまった。
「えー、やだやだ。もしかしてこの悪役、ずっとテンセイと一緒ってこと? 嫌すぎる。テンセイは私のだから、別の女を家に連れ込まれるのやだなぁ。やだやだ、やだぁ~」
 他のルートでは、ソウビは逃亡中に殺害されてしまう。テンセイの元に預けられるという展開は予想してなかった。
「こんなことなら、ソウビ助けるんじゃなかった~。ヒナツルート見るんじゃなかった~。え~、やだ~。テンセイの側にソウビ置いておくのやだぁああ~!」
 社会人にはあるまじき駄々っ子状態となり、私は床に寝転がり不貞腐れる。だが、そんな私の目に涙が勝手に膨れ上がった。
「あ、あれ……? どうして涙が……」
 私は起き上がり、指先で涙をぬぐう。
「いや、確かにソウビを家に連れ込まれるの嫌だけど。めちゃくちゃ嫌だけど、泣くほどじゃ……」

――どんな形でもいい。貴女と同じ世界で寄り添えるなら……――

「っ!?」
 テンセイの声が、耳の奥で聞こえた気がした。
「なんだろう、今の言葉……。ゲームにあんなセリフはなかったと思うけど、どこかで聞いた気がする……」
 同じ声優さんの別のゲームのキャラだろうか。思い出せない。
(なんだろう、さっきの。わからない、でも……)
 テンセイとソウビが一緒にいるのを見てると胸が苦しい。
(涙が止まらない……。それになぜだろう。「よかった」って、私思ってる……)
 テンセイとソウビが同居となる展開に不満を覚えながらも、不思議な充足感に満たされ、スタッフロールを見ながら私はひとしきり涙を流す。
 やがて「Fin」の文字が表示されると、大きく息をついた。
「よし、これで全クリ。なんか最後は複雑な気分だったけど、目標達成かな」
 私はゲーム機を置くと、翌日の準備をしてベッドにもぐりこむ。
(今夜は夢にテンセイ出てきてほしいな)
 灯りを消し、目を閉じる。

 ――架空の世界と思われているものは、実在している異世界の可能性もある――

(何だこの声……)
 頭の中で流れた謎の声。ユーヅツの声に似ている気がした。
(ま、いっか。もう眠さ限界……)
 そう思ったのを最後に、私の意識は闇の中へと飲み込まれて行った。

 ■□■

 瞼の向こうの明るい光。
 小鳥の声。
 気持ちのいい目覚めを迎えられた幸福感を味わった次の瞬間、ザッと血の気が引いた。
「しまった、寝過ごした!?」
 勢いよく身を起こす。
 また寝ぼけてアラームを勝手に止めてしまった、そう思ったのだ。
「か、会社に連絡!」
 だが。
「ん? ここって……」
 上水流(かみずる)めぐりの1人暮らしのワンルームマンションではなかった。
 天蓋付きの大きなベッドが部屋の半分ほどを占める、見覚えのある寝室。
(王の寝室?)
 そう、ヒナツが使用していた寝室だ。

(ちょ、ちょっと待って!? なんで私がヒナツの寝室に!?)
 この世界でのこれまでの記憶が、じわじわと頭の中に湧き上がってくる。
(そうだ、私、夢の中ではガネダンのソウビで、それで……)
 牢から助け出されて、ヒナツの愛妾にされて、チヨミとともに追い出されて、ラニが私の身代わりになって、イクティオに戻って、チヨミがヒナツに告白して、そして私は、私は……。
(待って? 私がこの寝室で寝てることは、またヒナツの愛妾に戻ってる!?)
 先程とは比べ物にならないほど、全身から血の気が引く。私が身に纏っているのは、体のラインがうっすらとわかるほどの、薄手のネグリジェだった。
(どこ!? 今度はどこからやり直しなの!? てか、既にヒナツに寝室連れ込まれてるってこと!? このループでは私、ヒナツに身を許しちゃってる!?)
「いやぁああああ!!」
「ソウビ殿? いかがなされましたか?」
「テンセイ!?」
 私のそばに、テンセイが駆け寄ってきた。
 上は白いシャツ一枚の、胸元をはだけたとても無防備な姿で。
「あれ、私……」
「……。ひょっとして今、メグリ殿の意識が強く出ておられますか?」
(え……!)
 テンセイはベッドに腰を下ろす。
「寝ぼけておいでですかな、メグリ殿」
 その大きく熱い手が、私の頬から耳元へと触れた。
「おはようございます。親愛なる女王にして、我が愛する妻」
「女王……?」
 私は一呼吸の後に、思わず叫ぶ。
「妻!? え? あ? 妻ぁあ!?」
 テンセイはおかしそうに目を細め、クスクスと笑う。
「ふふ、お忘れですか? それとも別の世界の記憶で混乱しておいでですか?」
「別の、世界の記憶……」
 テンセイの指先が、私の耳朶を軽くくすぐる。
「貴女は大勢の民に望まれて女王となり、自分を伴侶に選んでくださったのですが」
(あ……!)

 不思議なことに、それらは『経験』として私の中へ湧き上がってくる。
 そうだ、ラニを救出したのち、ヒナツは北の塔へ幽閉。
 王の座は私が継ぐこととなり、チヨミは他の仲間と共に一家臣へ。
 そしてラニは、テンセイの家で幽閉と言う名で保護されている。
 私は即位の後、皆に祝福されてテンセイと結婚式を挙げ……。
(え? 結婚式!?)

「夫婦!? 私とテンセイが!? うぼぁあああああ!!」
 ついさっきまで私の中に存在しなかった記憶。今はしっかりと「経験」として私の中に存在する。そう、私たちは間違いなく夫婦となったのだ。身も心も確かめ合って。

「無理、死ぬ。召される!!」
 私は布団の中にもぐりこみ、激しく身悶えする。
「私ごときが大天使テンセイ様を毒牙にかけてしまうとは、おほぁあぁあああ!! やばい、幸せ!! 待って、私、前世でどれだけ徳を積んだの!? 推しと夫婦とか! あぁああああ!! すみませんでしたぁあああ!!」
「相変わらずですな、ははは」
 気持ち悪いヲタクムーブを爆発させる私にも、テンセイは全く動じない。そっとプレゼントを開くように私から布団を取り除くと、身をかがめ顔を覗き込んできた。
「愛していますよ、俺の大切な人」
 睫毛の数も数えられるほど近い距離に、テンセイの金色の瞳がある。
「メグリ殿? ソウビ殿? どちらでお呼びした方がよろしいでしょうか」
「こ、ここではソウビで……」
「かしこまりました。では、ソウビ殿」
 テンセイの唇から、甘く深く低い声が紡ぎ出される。
「自分を大切に想ってくれる貴女との邂逅、それは何という奇跡でありましょう。どんな形でも側にいられれば、そんな願いがまさかこのような最上の形で叶うとは。……ソウビ殿、触れても良いですか、その頬に」
 うっかり奇声を発してしまいそうなため、私は両手で口を覆っている。テンセイの言葉にこくこく頷くと、彼は私の燃えるように熱い頬を両手で包み込んだ。
「あぁ、あたたかい……、俺は何という幸せ者だろう」
 世界で一番愛しい顔が、さらに距離を詰める。
「愛しい人、命尽きるまで貴女と共にあることを許していただけますね?」
 私は頷き、彼の首におずおずと手をまわす。そしてその唇をそっと受け入れた。

 ■END■

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