夢のように僕たちは



 黄色い絨毯の先に見えた物はガードレールだった。直人とすずは、急斜面を上り終えると白いガードレールを掴みやっと道路に辿り着く。

「すず、大丈夫?」

「大丈夫じゃないよ…
 直人、ここから下を見てみて。
 これって、このアングルは、ほら、純の写真と全く同じ…」

 すずは自分の立っている位置から下を見下ろし、また違った黄色い花の美しさを堪能していた。
 すずは純の大人になった姿を想像していた。デジカメのシャッターを切り得意そうな顔をする純は、すずが知っているあの頃のままだ。純の大きな目と大きな声がすずの脳裏に浮かんできた。
 …もうすぐ、純に会える。
 直人はすずから教えたもらった場所に立ち、そこから写真を撮った。すずもその風景を何枚も写真に収め、すぐにインスタグラムに載せた。

「光太郎と真子にもこの風景を早く見せたい」

 直人は笑って頷き、そしてスマホで自分達の位置を確かめた。

「すず、純の家までもうすぐだ。急ごう」

「うん」

 二人はまだ興奮が冷めないまま、純の家の方向へ歩き出した。



 直人はスマホで地図を見ながら歩いていた。すると、すずが何かを見つけて急に走り出した。

「すず~~」

 直人は、すずがここまで弱音をはかず歩いてくれた事に感動していた。直人の知っているすずは、運動音痴で飛んだり走ったりすることを極力避ける女の子だった。だから、今日はすずをおんぶすると心の中で決めていた。でも、もうその心配はなさそうだ。直人はすずの成長を喜びながら、少し複雑な気持ちになっていた。

「直人、早く来て~ ここ~見て~」

 すずはシャッターが下りている店の前でピョンピョン飛び跳ねている。
 直人はそんなすずを見て、可笑しくてつい笑ってしまった。小さい頃のすずは直人と純以外の人の前では大人しいくせに、二人の前だとよく喋ってよく笑った。きっとそんなすずを二人とも愛していたんだと思う。

「何があるの?」

 直人がそう聞くと、すずはまたバッグからハガキを取り出した。

「ほら、ここを見て」



 すずが取り出した純からのハガキには、鳥の巣の写真が載っていた。

「これがどうしたの?」

 直人は大雑把で四角いものが丸く見えてしまうほどの適当な性格の人間だった。間違い探しとかパズルとか、そういう類のゲームが一番苦手だ。

「直人、これ見て何も分からない?」

「全然、分かんないし」

 すずは純からのハガキを、その空き家の軒先に掲げてみた。

「その時はきっとあそこの軒先の隅につばめの巣があって、純はこの場所から写真を撮った。
 ほら見て、軒先から見える電信柱もあの木だって、この写真と全部一緒だよ」

 直人はハガキを見て、すずが指さす方向を見てみた。

「本当だ……
 と、いうことは、純は俺達がここに来ることを分かってた?
 だから、あちらこちらにヒントを置いててくれたとか?」

 すずはまだ軒先を見つめている。

「そんなわけないじゃん。
 ただの偶然だよ…
 楽しい旅の思い出になるように、神様からの偶然の贈り物だよ」



 すずはその軒先をまた写真に撮り、先を歩く直人の背中を追いかけた。純に会ったら今日のこの出来事を真っ先に伝えたい。純の撮ったたくさんの写真達は、この不安だらけの二人の旅を最高に有意義な時間旅行にしてくれた。
 すると、直人が急に振り返ってすずを見た。

「すず、この角を曲がったら、ほら、何軒か家が見えるだろ?
 ここから右側にある四つ目の家だと思う…
 純、いるかな…
 あ、やべぇ、俺、緊張してきたかも」

「もう、やめて。
 私にまで緊張がうつるよ。
 でも、大丈夫、純は笑顔で迎えてくれる…」

 二人は小さく深呼吸をして、前を見て歩き始めた。
 直人は、六年の間、純に連絡を取らなかった事のけじめについて考えていた。それは直人自身の問題で、でも、きっと純も同じ事を考えているに違いない。
 純の存在は直人にとっては欠かせないものだとこの短い旅で気づかされた。きっと、純だってそう思ってくれている。

「あ、…純?
 純か? 俺だよ、直人だよ…」

 四つ目の家に入る門の前に、純が立っていた。



 直人は無我夢中で駆け出した。頭の中がガンガンするし、目には涙が溜まって先が見えない。でも、すぐそこには純がいる。

「直人兄ちゃん」

 直人はその言葉を聞いてハッとして立ち止まった。目を凝らしてよく見ると、そこに立っているのは久しぶりに見る純の弟の佑都だった。直人はざわめき立つ心臓の音を必死に抑えながら、笑顔で佑都に手を振った。

「佑都か? マジで?
 デカくなったな…
 マジで純かと思ったよ」

 直人の後ろを歩いてきたすずに向かって、佑都はもう一度頭を下げた。

「直人兄ちゃん達が、今日来るのは分かってたんだ。
 ちゃんとここまで来れるか心配してた…」

 佑都はそう言うと、直人の手からすずのバックを受け取った。

「佑都、純は? いる?」

 佑都は笑顔で直人達を見て大きく頷いた。

「でも、こんな田舎まで大変だったでしょ?
 母さんが迎えに行こうかって言ってたんだけど、何時の電車か分からないから下手に動かないで待つことに決めたんだ」

 純の家は、門を入るとそこには広い庭があり自家菜園でたくさんの野菜を作っていた。
 直人は、納屋の隣に下へ降りる手作りの階段がある事に気がついた。
 …きっと、川につながっている。
 不思議と、直人の直感がそう告げていた。



 純の家は大きな二階建ての家だった。納屋の奥にはトラクターが停まっていて、農作業に使う道具が整然と並べられている。

「ただいま~~」

 佑都がそう言うと、奥から純の母親の和美が駆け足で出てきてくれた。久しぶりに見る純の母親は、以前より老けて見える。でも、それは仕方のないことだろう。直人達がこんなに成長したように、直人の母達も明らかに年を重ねている。六年の年月は短いようでやはり長かった。

「直ちゃん、それにすずちゃんまで、よく来てくれたわね」

 直人は玄関先で大きく一礼をした。

「和美おばちゃん、お久しぶりです。今回は急にお邪魔してすみませんでした」

 直人が頭を上げて和美を見ると、和美は純とそっくりな大きな瞳に溢れるほどの涙を溜めていた。


「ううん、いいのよ…
 おばちゃんはすごく嬉しい…
 こうやって、直ちゃんとすずちゃんが純に会いにきてくれたんだもの」

 直人の心臓は荒れ狂ったかのように激しく高鳴っていた。
 …純は? なんで出て来ないんだよ? やっぱり怒ってるのか?



 直人とすずは、佑都に促されて奥の居間に通された。そこはダイニングとリビングが一つになった広い部屋で、大きなソファと六人掛けのテーブルが置いてある。そして、庭が見える大きなサッシの外には手入れが行き届いた縁側もあった。

「そこに座ってね」

 和美は、直人とすずのためにクッキーを焼いていた。
 昔、船橋にいた頃は、団地にある和美の家のキッチンでよくお菓子作りを皆に教えたものだった。小さかった純や直人は、そんな和美の作るお菓子が大好きだった。
 和美はソファの前のテーブルに、出来立てのクッキーとジュースを置いた。

「あ、和美おばちゃんのクッキーだ。
 懐かしい~~
 俺の好物を覚えていてくれたんですね」

 直人は二つ取ると、すずに一つを渡した。

「めっちゃ、美味しい~~
 俺、母さんといおりに自慢します。
 和美おばちゃんのクッキー食べたって」

 直人は、前に座っている和美の様子を見ながらそう言った。でも、本当は、クッキーの味なんかどうでもよかった。

「もしかして、純はまだ帰ってきてないですか?
 俺、バスから純を見かけたんです。
 ここから結構離れている場所だったから、俺達の方が先に着いちゃったのかなって思って」



 和美はハッとした顔で佑都を見た。佑都はすぐに目をそらし、母の動向をうかがっている。

「ううん、純は奥の部屋で二人を待ってるわ」

 和美は立ち上がると、直人とすずについて来るように目配せをした。
 直人は純の家の広さに驚いていた。団地住まいしか知らない人間にとっては憧れの広い家だ。そして、廊下の先にある部屋のふすまを開けて、和美が先に部屋に入った。
 一瞬、直人は体が動かなくなった。あの部屋に入りたくない。直人の頭の中は走馬灯のように純との思い出の日々が駆け回っている。
 …あの部屋で純が俺を待っている?
 でも、胸さわぎが治まらない。直人の魂はもうすでに悲鳴をあげている。
 先にその部屋に入ったすずは、何も言わずに静かに座った。

「直ちゃん、純に会ってあげて…」

 直人はもう分かっていた。純と結びついている力強い絆が直人に教えてくれた。
 …純はもうここにはいない。



 直人は足が震えその一歩が踏み出せない。
 頭の中は真っ白のはずなのに、純の笑った顔と泣きそうな顔が交互に浮かび、現実を受け止められない直人を追い詰める。直人は部屋の入り口の前で呆然と立ち尽くしていた。
 すると、誰かが直人の背中を押した。直人が振り返ると、そこには佑都が立っていた。

「佑都…
 なんで、教えてくれなかったんだ?
 なんで……」

 佑都は気丈に直人の手を引き、その部屋に直人を連れて行った。

「直人兄ちゃん…
 今日は、兄ちゃんに会いに来てくれてありがとう。
 僕達は…
 実は、この日をずっと夢見てたんだ…
 直人兄ちゃんが兄ちゃんを捜してここまで来てくれることを…」

 直人は仏壇の中で笑っている純の写真を見た。この写真には見覚えがあった。小学校の卒業アルバムに載せるために、純のデジカメで変顔をして大笑いしながら二人で撮ったものだ。この純の笑顔の先には直人がいた。

「純… 嘘だろ?
 嘘だよな……」