【九月四日(木曜日)】
 
「あれ?」

 いつもあるところに、あるものがない……。

 その日の放課後、図書室に行ったが、渡辺明日奈の姿はなかった。
 しばらく待ってみたが、渡辺は現れなかった。
 学校には来ていたのに、どうしたのか?
 
 カウンター係の図書委員に聞いてみたが、渡辺の所在は分からない。
 棚整理についても、渡辺が担当責任者なので、渡辺がいないと手が付けられないというのだ。

 ずさんなシステム……。
 まあ、あの佐々木が顧問の委員会だ。
 いい加減なところも頷ける。
 
***
 
 一旦オレは教室に戻り、一番後ろの渡辺の席を確認した。渡辺のカバンはまだ机に掛けてあった。
 
***
 
 オレは少し心配になって、保健室に行ってみたが、渡辺はいなかった。

 ……。

 冗談じゃない。
 今日来ないのなら、昨日のうちに言っといてくれりゃいいのに。

 それとも……急用だろうか?
 オレは腹が立っているのに、同時に透けるような寂しさを感じた。
 
***
 
 もう一度、図書室に戻っていなかったら、帰ろう。

 ……。

 “もう一度”?

 なにやってるんだろう、オレ。
 
 手伝いなんかしないでいいなら、しないに越したことないのに。

 ……笑える。

 なのに足は、自然に図書室に向かうのだ。
 
***

 たまたま昇降口を通り過ぎたとき、オレは見知った姿を見掛けた。
 
 あ……あの胸は……

 ――城内百花。

 城内は焦りながら、上履きからテニスシューズに履き替えている。
 スコートからは、日に焼けた柔らそうな脚が伸びていた。
 
 城内……、城内ならもしかして、知ってるかもしれない。
 
「き、城内」
「え? ……えーと、相葉クン? なあに?」
 
 城内はきょとんと、オレを見上げて来た。城内は女子の中でも、大分背が低い方だ。
 にしても……胸の圧がすごい。



「……あのさ、渡辺知らない?」
「え? 明日奈ちゃん? 知ってるよ。当たり前じゃない」
「どこにいるのかな?」
「……今?」
「そう」
「う~ん。それは分からない」
「え、でも今、知ってるって」
「明日奈ちゃんのことは、知ってるよ!」
「……」
 
 会話が噛み合ってない……。
 
 そうだ……城内ってこういうやつだった。
 ボケボケッとしてるっていうか、見た目通りというか。
 まあ、そこが可愛いところでもあるんだが。
 
「知らないならいいや。引きとめてゴメン」
「明日奈ちゃんに、何か用?」

 城内は不信そうに、短めの眉を潜めた。
 顔が丸いせいか、まったく怖くない。
 むしろ愛嬌(あいきょう)がある。オレは思わず噴出しそうになった。
 
「相葉クンって、明日奈ちゃんと仲良かったの?」
「いや、別に仲良くないよ。ただ、オレ今さ、遅刻の罰当番やらされてて、渡辺から指示してもらわないと、当番クリア出来ないんだよ」
「へ~。遅刻の罰かあ。相葉クンってそんなに遅刻してたっけ? 先生もヒドイよね~。大変だね~」


 ……。

 心の中で、なにかがざわめいた。


「……そう。ホントひどいだろ。遅刻ぐらいでさ~」
「でも、明日奈ちゃんはもっと大変じゃない? そんな相葉クンの罰に、付き合ってあげてるわけでしょ?」

 ……!

「……渡辺の仕事、手伝ってやってるのはオレの方!」
「本当かな? 明日奈ちゃんの足、引っ張ってるんじゃないの?」

 ……。

「……そんなこと、ねーよ」
「ホント~? あんまり信用出来ないけど、明日奈ちゃんが、それで助かるならいいや! 相葉クン、頑張ってね!」

 城内はポヨンポヨンと、あまり緊張感もなく、急がなくっちゃ~と、昇降口をくぐり、校庭の方に駆けて行った。

 
 頑張れ……という言葉は嫌いだ。

 でもそれは、発する相手によるのかもしれない。そう思った。

 そう気付けて、ほんの一週間前のオレだったら、城内のエールが純粋に嬉しかっただろう。

 だけど……

 心に引っ掛かったなにかが、純粋に喜ぶことを妨げている。

 ……渡辺。
 また、おまえかよ。


つづく