(やん)家は現在借金苦だ。一応領地はあるが下級貴族の我が家は、昨年猛威を振るった数十年に一度の大雨で大赤字。国から援助も受けたが足りず、領民を飢えさせることは免れたが借金が多く残った。家族は下っ端官吏をしている父と兄、そして母とわたしである。

「して、ど、どどどのようなお話でしょうか」
 そんな父はただいま皇帝からの使いという男を前にして、緊張の余り噛みまくっている。
「お嬢様には後宮にあがっていただきたく、お願いしに参りました」
 使いの男は空海という、自称皇帝の侍従である。
 予想もしていなかった言葉に、父も母もわたしもキョトンとした。いま何て言ったの?
「すみません。妹が、あの、後宮にですか? しかもわざわざ家にまで来ていただいて……妹はもう二十歳を迎えますし、後宮にあがりたい器量の良い子女はたくさんいると思うのですが」

 一人冷静だった兄が喋ってくれた。要するに、何か裏があるんじゃないかと言ってくれている。遠回しに、わたしはそこまで器量が良くないとも言っている。そうですね、知ってますけども。
「はい、楊春琳(しゅんりん)さんに、是非」
 兄は低い声音で「……何故でしょう」と訊ねた。
「現在後宮には四夫人がおられること、ご存じですね? しかしその下の位である九嬪、二十七世婦は誰一人としておりません」
 春琳たちは頷いた。現皇帝は一年前に即位されたばかりで、後宮に妃が集められはじめたのは半年ほど前だ。
「実は、書庫妃という妃があるのです。春琳さんにはそれになっていただきたく」
 聞いたことがないが、そそられる名前の妃嬪である。うっかり胸をときめかせたのがバレたらしく、目が合った空海に微笑まれた。

「三代前の皇后様が本好きで、後宮に書庫を建てられたのです。それからそこを管理する妃が誕生しました。素行調査をしたところ春琳さんは無類の本好きで、しかも一度読んだ内容は忘れることなくあらすじを説明できる才能があおりだと伺いました」
 勝手に素行調査されていたらしい。言っている内容はそのとおりなので黙って頷いた。
「……それだけじゃないですよね」と言ったのは父だ。

「はい。書庫妃の位は二十七世婦と同等としていますが、陛下のお渡りがない妃になります。書庫妃の役割は書庫の管理、妃嬪や女官たちへの貸し出し業務、そして妃嬪の話し相手なのです。この話し相手というのが重要で、絶対にどこの派閥にも与してはなりません。誰か一人に肩入れすることもなく、ただ公平に妃嬪のおしゃべりや愚痴に付き合うのです。身の回りの世話をする女官はつけますが、これは陛下から派遣された監視だと思ってください。ご実家の楊家にも監視がつきます」
「どうしてそこまで……」
「後宮は息の詰まる場所です。誰が誰を陥れようとしているのか、実家の権力は、政治は……など、何も考えないで話せる相手がいることは浄化作用になりました。妃嬪たちの精神的負荷を軽減するためですね。書庫妃が変な動きをしないよう監視されていることも妃嬪たちは知っています」

 空海はすらすら喋った。要するに誰の敵でもないのが役目の妃ってことかな?

「あのう、なおさらどうしてわたしなんですか?」
「本好きの令嬢、というだけではありません。楊家は今、借金に苦しんでいますね?」
 本当に悩まされている問題に、わたしたちはずぅんとした。
「そして下級……吹けば飛ぶような……いえ、つつましくまっとうに生活されている貴族です」
 はい、吹けば飛ぶような下級貴族です。
「しかも存在感がなさ過ぎて、大物貴族とコネやつながりもない。春琳さんが書庫妃になってくださるのであれば、借金は皇室が払ってあげましょう。春琳さんにも上級女官より多めの手当を毎月出します」

 まじ?

「一度後宮に入れば出てこられない……。ですが、代替わりの折には、尼寺行きではなく、ご実家に帰れるようにします。いかがです?」
 わたしはごくりと唾をのんだ。
「春琳、無理しなくていい。あの後宮だぞ。借金はいつかなんとかなる。だから」
 父がおろおろしている。六年前、三人の皇太子が立て続けに逝去され、暗殺されたのではと噂がまわった。市中で一般人として育てられていた下級妃の子どもが呼び戻され、その子どもが今の陛下である。
 後宮は怖いところだと、末端官吏の父がそう呟いていたのは覚えている。
「なります書庫妃!」
 さよなら借金!
 迷いはない!


       ○


 一ヶ月後、わたしは晴れて後宮入りを果たした。家族には泣かれたり泣かれたり色々あったが、『皇帝が代替わりしたら帰ってくるから、居場所残しておいてね!』とお願いして元気よく実家をあとにした。しめっぽいわたしが皆の印象に残るの嫌だもん。
 後宮の区画は広く、入り口は一つだ。赤い門をくぐればもう戻れない。なかでは女たちの戦いが日夜繰り広げられているというが……中に入ってみて思ったのは、「なんだか静かなところ」という寂しさすらある感慨で、静謐な雰囲気がした。

「はじめまして春琳様。貴方様付き女官になります、明々(めいめい)と申します。以後、よろしくお願いします」
 わたしを出迎えたのは黒髪をひとまとめに結い上げた、きりりとした女性だった。若草色の衣を着ており、背丈はわたしより高い。とても賢そうな雰囲気の人である。
「よろしくお願いします明々さん」
「さん付けはおやめください。春琳さんは妃です。お忘れ無きよう」
「は、はい。すみません」

 謝ると睨まれた。両肩がビッと上がってしまうくらいの迫力のある目だった。
 そうだった、わたしに付いてくれる女官は陛下が送り出した監視役だった。
「以後、気をつける、わ?」
 丁寧語もやめて言い直すと、『それでいい』とでも言うように明々はゆっくり頷いた。
「まずは四夫人様方にご挨拶しに行きます。春琳さんは一緒に頭を下げていてください」
「はい」
 明々はもの言いたげにわたしを見つめた。『はい』は駄目だったのかな?


 明々に連れられて貴妃様、淑妃様、徳妃様、賢妃様にご挨拶をし、いざわたしの住まう場所へ向かうころには気疲れも相まってへとへとだった。話は聞いていたが、後宮、とてつもなく広い。
「お疲れ様です。春琳様の宮はこちらの芙蓉宮になります。勤めていただく書庫はこの裏を行ったところにありますね。ただ今日は荷ほどきの確認などして、おやすみになってください」
「……ここ、ほんとにわたしが住む宮なんですか?」
 明々の目がすぅっと細くなった。

「あっ、いやその、悪い意味じゃなくて、すごく立派で綺麗なところだからです!」
「間違いなく春琳様の宮です。出入りする女官は他に三名ほど。何か用があれば言いつけてください。それと……言葉遣いにお気をつけください」
「あっ」
 謝ったら怒られるので、慌てて二度三度頷いた。
 芙蓉宮はきちんとした綺麗な宮だった。屋根や壁に欠けや剥げもなく、美しい赤と白。広さも十分で、草木も剪定されており、ここの主は春琳なのだという。妃という名目であることをようやく実感した。
「わたし、一応妃なんだった……」
 思わず呟くと、明々から胡乱げな視線を送られた気がした。


 用意されていた服や装飾品の説明を女官たちから受け、美味しいご飯に湯浴み、そして就寝である。正直、ただ「うん」「綺麗ね」「美味しい」などしか言っていない。女官の皆は優しくて、下級貴族出身かつ名ばかり書庫妃のわたしを蔑んだりもしなかった。
 寝具がまた柔らかく、なんだか良い匂いもする。そういえば香を焚いてくれていた。
 今日挨拶した四夫人様方も優しそうで、意地悪なことも言われなかった。本当にこの方たちが蹴落としあったり、罠にはめたりするんだろうか。うーん想像できない。
 ……えっ、なにこれ、後宮生活って怖いとこじゃなかったの。
 ……わたしってば運がいい!


       ○


 そして二日目、お仕事開始である。
「春琳様はとても可愛らしいお顔立ちですので、こういうフワフワひらひらした裾も似合うと思いますの」
「え、わたしが可愛……? ありがとう。じゃあその服をお願いしま……おねがい」
「髪も艶やかですわ。編み込んで結い上げてもよろしいですか?」
 ただ真っ黒なだけなのだが……と思いつつ、にっこり頷いた。女官たちに薄桃色と白緑色でまとめられた襦裙を着せられ、結い上げられた髪には金色の簪が飾られる。実家では自分のことは自分でしていたため、すごく不思議な気分だ。元から貧乏気味だったので、雇えなかったというのもある。
 ちなみにこの装飾品は宮に貸し出しされているものだろうか。無くしたら怖いな。


 明々に案内してもらった書庫は想像以上に立派だった。書庫という名の宮と言っていい。たくさんの書物に、妃嬪を迎えもてなすための間がある。
「春琳様には日中、基本的にこちらで過ごしていただくことになります。妃の方々が来られたら応対してください」
「他にすることは?」
「特にないですが」
「こっ……ここにあるもの読み放題ってこと……!?」
「はい」

 なんとまぁ! こんなうまい話があるのだろうか。家の借金はなくなったし、給金は出るし、衣食住と本付きの、至れり尽くせり! 実は何かの陰謀に巻き込まれて殺される餌だったりとか……しないだろうか。
 ……たぶんだいじょうぶ!

「明々、この書庫には目録とかある?」
「ないと思われます」
「じゃあ作ることにする。それを当面のお仕事にしていいかな?」
 好きにすればいいです、と若干なげやりな感じで明々は頷いた。




 それから三日、目録を作りながら本を読みあさる日々を過ごしていた。……本当にこんなんで良いのだろうか。
「もしもし。春琳ちゃんはいらっしゃる?」
「はい、こちらに……貴妃様!?」
 可憐な声に振り向くと、亜麻色の髪をふんわり結い上げた美女がいた。金糸雀色と白色を基調とした襦裙に、かんざしがしゃらしゃらと揺れている。貴妃様は生来の優しさと輝くような高貴さを身に纏っている方だ。
 わたしは急いで顔を下げて挨拶をした。

「あらやだ、そんなにかしこまらないでくださいな。後宮には慣れてきました?」
「はい、ありがとうございます。毎日美味しいご飯をいただいております」
「ふふ、それはよかったわ。今日はねぇ、本を借りに来たの。女の子たちが活躍する物語など、あって?」
「はいっ! 冒険や推理ものがよいでしょうか」
「何でも読むけれど、なるべく男性がいないものがいいわ。女の子たちが精神的に強く結びつくようなものがあればいいのだけど」
「ここの書庫にはたぶんありませんが、市中にはありましたよ。発注をかけてみましょうか」
 貴妃様が求めているようなものは、数冊読んだことがある。あまりない部類だからそもそも数が少ない。
「ほんとう? お願いね!」

 貴妃様は目をキラキラと輝かせた。駄目元で言ってみたのだろう。
 読みたい本が実在すると分かったときの喜びようったらないよね。分かる。

「今度、うちでゆっくりお茶しにおいでね。春琳ちゃん」
 わたしを春琳ちゃんと呼んだ貴妃様は、お付きの女官と手を繋いで書庫を出て行った。
「貴妃様ってお美しい人だね、明々」
「そうですね」
 明々の相づちはいつも素っ気ないが、わたしはこれが癖になり始めている。




「春琳さん、今いい?」
「淑妃様。こんにちは」
 貴妃様の翌日は淑妃様が来られた。色素の薄い髪はふわふわしていて、瞳が大きく、小柄な可愛らしい方だ。
「読みたい本を探してくれると聞いて……。あのね、婚約者や夫を亡くした女性が強く生きていく話が読みたいの。そういうのある?」
「はい、ありますよ。いくつか持ってきます」
「あとね、再婚とかはせずに一人で生きていく終わりがいいの。ある?」
「はい。お任せください」

 淑妃様には椅子に座っていただき、わたしは覚えのある三冊を探しに行く。書架は現在整理中だが、本の傾向で並べていく方がいいかもしれない。
 淑妃様は三冊とも借りていき、にこりと笑って帰って行った。
「ねぇ明々、淑妃様ってきらきらして可愛い方ね」
「そうですね」


       ○


 書庫妃は週に一度面談がある。後宮内で唯一外部と接触できる東ニノ室にて、宦官や官吏の立ち会い……という監視のもと、業務報告をするようにと言われている。
 といっても報告することなんてない。読んだ本の感想を言えばいいかな?
 しばらく待っていると、背の高い男性が入って来た。薄青の官吏の服を着ているが、禁軍に勤めていると聞いた方がしっくりくるような体格をしている。切れ長の目に泣きぼくろ、女たらしの綺麗な顔立ちだ。
 会ったことなどないはずなのに、どうしてか懐かしく、心がざわざわする。
 目が合い、ふっと微笑まれた瞬間に記憶がばちんとはまった。強くて優しい、年上の幼馴染み。

「……滉月(こうげつ)にいちゃん!?」
「春琳か……!?」
 瞠目した滉月としばし見つめ合った。知っている姿から少し変わっているが、瞳の奥が優しくて、やんちゃそうなのにどこか気品のある雰囲気は変わっていない。
彼は六年ほど前に突然いなくなった幼馴染みである。家族ぐるみで仲良くしていたのに、ある日を境に消息すら分からなくなった。滉月の家族に聞いても分からずじまいで、ずっとずっと心配していたのだ。

「滉月にいちゃん……っ」
 わたしがもう一度小さく名を呼ぶと、滉月にいちゃんはさっと居住まいを正した。
「申し訳ございません春琳様。ご無礼をお許しください」
 突然畏まった滉月にいちゃんに肩がこわばった。そうだ、わたしは妃なのだった。
「い、いいえ……」
 室内に重苦しい沈黙が落ちた。どうしたらいいのだろう。明々を振り返るが、彼女はあろうことか目を閉じていた。何も見ていないですという意思表示なのだろうか。

「ええと……滉月、さま、顔を上げてください」
 本当に滉月にいちゃんである。優しく微笑んでくれている彼と見つめ合い、わたしは口から嗚咽が出た。号泣していた。
「うぇっ、えっ、ぇっ……生きてた……生きてたぁぁぁああ!」
「あっ、しゅ、春琳、様」
「うわぁぁぁぁぁわたしたちみんな心配してたんだからねぇぇぇ」

 滉月にいちゃんは分かりやすくおろおろして、手を上げたり下げたり、官吏や宦官の方をちらちら見たりしている。昔はわたしが泣いていたら頭を撫でて慰めてくれたし、おんぶや肩車だってしてくれた。今はするわけにもいかないので、どうしようか困惑しているのだろう。

「あああぁぁぁ良かったあああ……」
「心配をおかけしてすみませんでした」
「他人行儀ぃぃぃ仕方ないけどぉぉぉ」
 滉月にいちゃんは苦笑した。わたしもそれぐらいは分かっているのだ。
「また機会があればきちんとご説明致しますが、これだけは言っておきます。私は、あの頃の日々を忘れた日はありません。後生大事な宝物です」
 真摯な声にわたしは頷いた。

「兄さんたちにも手紙を書いて知らせておくね……てゆか滉月にいちゃんが言うべきだと思うけど」
「……事情がありまして。でも、そうですね。春琳様が知ったとなれば同じですから、私から手紙を書いておきます。薄情者ですみません、って」
「ほんと、そうだよ」
 怒ってはいない声で、わざと詰ってみた。滉月にいちゃんは嬉しそうに笑っているから、わたしが本当に薄情者だと思っているわけではないと、分かってくれている。それが嬉しかった。
「春琳様も変わらずお元気そうで、私は嬉しいです」


       ○


 滉月にいちゃんはある日突然お迎えが来て、本当の家族の元へ連れて行かれたらしい。それまで家族と思っていた人たちは実家の部下にあたる一族なのだそうだ。一時は裏切られた思いだったが、愛情は本物で、今ではちゃんと仲が良いとのこと。家の事情で、対外的には秘密にしなければならなかったらしい。だから楊家は何も知らされなかったのだ。

 滉月にいちゃん、実はすごく良いところの坊ちゃんなのじゃなかろうか。
 何にせよ生きていて良かった。あれからなんだか、思い出すだけで心にぽっと火が灯るような心地になる。

 そんなことをつらつら考えていると、今日は徳妃様が来られた。艶やかでまっすぐな黒髪をきりりと結い上げた、怜悧な顔立ちの女性だ。涼やかな目元が美しい。
「お邪魔するわ春琳様。私ね、男なんて必要ない主人公が一人で生きていく系統のものが読みたいのだけど、あるかしら?」
「こんにちは徳妃様。似たようなものはいくつかありますので、お出ししますね」
「ありがとう」
 徳妃様が椅子に座ると同時に、もう一人お客様が来た。

「春琳さま、いまいいですか? ……あら、徳妃さまもいらしたの」
「賢妃様、こんにちは」
 絹糸のような繊細な髪をお持ちの賢妃様は、均整の取れた体が美しく、垂れ目が可愛らしい方である。
「わたくしねぇ、閉鎖社会の中で暮らしている女の子たちのお話が読みたいの。なるべく男は出ない方がいいわ。でもそんなのあるかしら」
 ことりと首を傾げて依頼された内容は、なかなか難しいものだった。
「うーん……いくつか近しいものを出しますね」
「楽しみだわ」

 賢妃様は徳妃様の隣に座り、二人は親しげに話し始めた。徳妃様は「あなたなかなか良い趣味してるわね」など言い、賢妃様は「同志を募集中なの。どうかしら?」とお薦めの本を紹介し始めている。雰囲気は和やかだ。
 なんだか嬉しくなって、本を探す足取りが弾んだ。


       ○


「春琳様、本日午前中は中央の庭園に向かわないようお願いします。皇帝陛下と四夫人様方が茶会をされるらしいので」
「分かった。それって五人でお茶会をするの? なんだか不思議な光景のような気が」
「そうですね。これまでの皇帝はなさらなかったでしょうね」
 そんな会話を明々とした夕方、貴妃様が芙蓉宮までやって来られてわたしに言った。
「明日、私たちとお茶会をしません? 美味しい茶菓子も用意するのよ。是非いらして」
「はっ、はい!」



 ――そんなこんなで今、わたしは四夫人様方とお茶会をしている。円卓に等間隔で座り、それぞれの背後にはお付きの女官が佇む。透き通った軽やかなお茶と、甘い包子や木の実などの茶菓子が用意されており、おそるおそる口につけた。とても美味しいだろうに、緊張のためか味があまりしない。

「それでね春琳ちゃん。私たちだぁれも、陛下と夜伽してないのよ」
 脈略もなく貴妃様が言うので危うくお茶を吹き出すところだった。ゴホゴホと咳き込むわたしの背を明々がさすってくれる。
「でもねぇ、私たちって仲良しなのよ。不思議でしょ?」
 にこにこしながら淑妃様が付け足す。徳妃様も賢妃様も頷き、四人ともが優しくわたしを見つめている。何故?
「陛下とはこれからも今の関係で居続ける。そういう約束を私たちはしている」
「だからね、何の気兼ねもなくわたくしたちとお話して欲しいのよ春琳さま」

 徳妃様と賢妃様も落ち着いた声音で言った。
 どれもこれも嘘偽り無く聞こえ、軽く混乱する。ここは陛下の寵を競い合う後宮のはず。そんなことある? 何を言えば正解なのか分からなくて、言葉が出ない。

「びっくりしていますね? 無理もないわ。分かりやすく言うと、今日は春琳ちゃんの恋バナを聞きたくて集まったのよ」
 えっ? 全然違う話じゃないですか貴妃様?
「そうそう。春琳さんって好きな人いるの?」
 後宮にいるのに、陛下の他に好きな人がいたら問題なのでは淑妃さま!?
「初恋の話だったら話しやすいのでは?」
 徳妃様もこの流れにのるのですね。
「わたくしたちもお話するから聞きたいわ?」
 可愛らしく微笑む垂れ目に『絶対に逃さない』という圧を感じます賢妃様……。
「えっ、ど、ど……っ」

 えっと、どういうことでしょう、どうすればいいのでしょうか。救いを求めてわたしは明々を振り返ったが、彼女には薄らと微笑まれて黙殺された。

「あの、その……初恋は十歳くらいでしょうか」
 明々に見捨てられ、むなしい気持ちで白状すると四夫人様たちの目は輝いて前のめりになった。
「それってどんな方なの?」
「ええと、幼馴染みのお兄ちゃんです。家族ぐるみで仲良かったんですよね。かっこよくて優しくて、たまに意地悪だけどやっぱり優しい、みたいな」
 波長が合ったのか、一緒にいると楽しかった。たぶんそれは相手も――滉月にいちゃんも同じだっただろうし、実際兄よりも妹のわたしの方と一緒にいた。いつの間にか恋が芽生えていても仕方無い。
「それでそれで? どうなったのかしらっ?」
「それがですね、ある日突然そのお兄ちゃんがいなくなってしまって。わたしたち家族全員すっごく心配して、探してみたりもしていたのですけど見つからなくって。そうやってわたしの初恋は終わりました」

 当時のことを思い出すと、まだ胸がきゅうっと引き絞られるような感覚に陥る。本当に、本当に心配したのだ。

「……その方とはもう、それっきり?」
 しぃんとしてしまった雰囲気のなか、徳妃様が静かに言った。
「いえ! つい最近、再会したのです。ほんとびっくりして……生きてて良かったです」
 しかし滉月にいちゃんがまさか王宮にいるとは。もしかしなくとも、これから週に一度の面談には彼が来るのでは?
 ……それってまずいのでは。この前再会して、優しく微笑む顔を見て思った。このままだと初恋が再燃してしまう! 一応後宮の妃嬪なのに!

「いやん浪漫ちっくねぇ。胸が疼くわぁ!」
 両手を頬にそえて身をくねらせ、心底楽しそうに言うのは淑妃様だ。
「再会したとき、実際どう思ったの? かっこよかった?」
 深掘りしてくるのは賢妃様。貴妃様も徳妃様も期待の眼差しでわたしを見ている。
 どっ、どうしよう!? と明々を振り返るも、彼女はそっと目を伏せていた。放置である。
「えっと、えっとぉ……かっこよかった、ですよぉ……」
 自分でも分かるくらい、しおしおとした声が出た。貴妃様たちからは更なる追求が迫ってくる。
 たすけて。


       ○


 気力も体力も根こそぎ奪われたお茶会翌日の昼下がり、わたしは自室でのんびり過ごしていた。本日はお休みなのである。長椅子にだらしなく寝そべり、書庫から借りている本を読んでいると、ツカツカツカと急いだ足音とともに入って来た明々がわたしを見下ろした。

「春琳様、ご支度をお願いいたします」
「ん?」
 特に何の予定もなかったはず、と身を起こす。こくりと頷いた明々の背後では、上等そうな服や装飾品が入っている箱を掲げた女官たちが三名、音もなく部屋に入ってきた。
「陛下がこちらにいらっしゃいます」
「……なんだって?」

 思わず低い声が出た。
 どうして何故に何をしに、と言うわたしの言葉は全く聞いて貰えず、明々および女官たちはてきぱきとわたしを飾り付けていく。薄桃色を基調として布をふんだんに使った美しい襦裙に、結い上げた髪には華奢な飾りがついた金の簪をさす。お化粧もしてくれて、鏡に映ったわたしはびっくりするくらい可愛くなっていた。女官さんたちの技術が凄まじいなと感動する。

「うん、本領発揮ですね。じっと黙っていれば深窓の姫君です」
 明々がわたしをまじまじ見つめ、納得するように頷いた。褒められているのか?
「陛下は先ほどまで四夫人様方とお茶会をされていたのですよ。そのついでに、新しく妃として入られた春琳様を見に来られます。だから気楽にされてていいと思いますよ」
「なるほど」

 いつもと変わらない様子で淡々と言う明々に安心する。
 しばらく待っていると数人の足音が聞こえてきた。いつもとは違う少しぴりついた雰囲気に、この芙蓉宮さえ緊張して軋んでいる感じがする。
 部屋にいる女官が頭を下げたので、わたしも慌てて頭を下げた。足音と衣擦れの音、視界には汚れ一つない男物の靴が映る。
 陛下だ。

「顔を上げて?」
 優しい声がかかった。それもよく知っているような声だ。
 ゆっくり顔を上げると、悪戯を仕掛けた子どものような、それでいて不安に怯えているようにも見える彼がいた。
「滉月にいちゃん……?」
「そう、滉月にいちゃんです」
 滉月にいちゃんは銀糸で龍の刺繍が施された深紫の袍を着ていた。この前の書庫妃の面談のときとは違う、見るからに上等な服をまとい、立ち振る舞いにも威圧感がある。

「……陛下が来られるって」
「うん。来たよ」

 呆然として、わたしは口を中途半端に開けたまま固まった。滉月にいちゃんは苦笑いする。
 明々や女官、滉月にいちゃんが連れてきた侍従――空海さんもいる――たちが、静かに部屋から出て行く。ぱたんと扉が閉められ、部屋に二人きりとなった。

「俺が、いまの皇帝。ごめんね、騙すようなことして」
「……騙されてはない、かな?」
 本当のことを知らされてはいなかっただけで、騙されたわけじゃない。それで合ってるよね? と首を傾げると、滉月にいちゃんはほっとするような泣きそうな笑みをうかべる。

「この前普通の官吏として会ったのは、俺が意気地無しだったから。あのころ突然消えた俺が現れたら、春琳はどう思うのか知りたかった。……春琳は泣いてくれた」
「滉月にいちゃんと会えて嬉しかったよ。ほかに何があるの」
「……俺が父さんと母さんの本当の子どもじゃないと知ったとき、馬小屋に家出してたの覚えてる? 一人で泣いてた俺を見つけた春琳は、黙って一晩一緒にいてくれた。いつの間にか藁のなかで一緒に眠っててさ、翌朝大人たちにめちゃくちゃ怒られて、春琳大泣きしたのに、あとでこっそり『今度家出するときはお母さんたちに言ってからお泊まりしようね』なんて笑ってた」

 そういえばそんなこともあったなぁと頷く。「あのときからずっと」と滉月にいちゃんは声を絞り出し、突然片足を立てて跪いた。

「えっ、まってそんな、皇帝陛下なんでしょ」
 滉月にいちゃんはわたしの左手を両手で包み、真摯な瞳で見上げてくる。
「好きなんだ。俺の太陽。どうか妃になってほしい」


       ●


『ひとつ、ご自身の夢を叶えてやりましょう』
 真面目に責務をこなしつつ、目はひどく荒んだ俺に、侍従だという空海が言った。
『ひとつぐらい、我が儘になってもいけますよ』


 突然家にやって来て問答無用に王宮に連れて行かれ、さぁ貴方様は次の皇帝陛下です今日から教育致しますと言われてハイそうですかと承諾できるわけない。できるわけないのに、やらなきゃならなかった。
 俺は、現皇帝の息子だった、ようだ。
 線が細く薄幸そうな妃と対面し、実の母だと言われた。俺が生まれた当時、すでに皇子は三人生まれていて母親は四夫人の誰か。水面下では皇太子をめぐる争いが起きており、下級妃だった母は息子の命の危機すら感じたらしい。宦官を通じて宰相に相談し、一般市民として市井に逃がすことにした。その協力者が俺を育ててくれた父と母で、宰相の派閥にいる下級貴族だったのだ。

 四夫人が生んだ息子たちは次々に死んだ。一人は病死らしいが、二人は暗殺だと思われる。ほかに皇子がいないなか、皇帝陛下が病にかかる。新しい皇子の誕生が難しいと考えられ、俺が呼び戻された、らしい。
 実の母だという妃からは泣きながら「ごめんなさい」と言われ、震える体で抱きしめられた。この人はこの人なりに息子を守ろうとしてくれたのだろう。悪い感情は湧いてこず、華奢な体を抱きしめ返すとさらに泣かれた。
 育ててくれた父と母には王宮で会うことができ、ようやく落ち着いて話すことができた。本当に息子だと思っていること、このまま家を継いでもらうつもりだったこと、愛していること。俺は二人のことが大好きだったし、事実を知った今ではもっと感謝している。

 ――そして俺は、これ以外のものを捨てさせられた。今まで関わった人たちとの縁を切られたのだ。市井でのびのび暮らしていた滉月はいなくなった。もちろん楊家の皆とも会えないし、説明することも許されなかった。第二の我が家のように思っていた、のほほんと優しい楊家の人たちが大好きだった。特に、のんきで明るい春琳。彼女の何気ない言葉やふるまいに、根っこは根暗でじめっとしている俺は何度も救われた。見つめているだけで心が安らぐ、俺の太陽。

 もう、会うことすら、かなわない。

 水に飢えたような渇望は、日々ふつふつと積もり、俺の瞳を淀ませていった。もとが根暗なのでこうなる。そんなとき、空海が言ったのだ。ひとつ、希望を持ちましょうと。皇帝陛下になったら、なってしまったら、ひとつ我が儘を叶えましょうと。
 春琳を妃に迎えましょうと。


 俺は悩んだ。悩んだところで、やっぱり春琳に会いたかった。そばにいて欲しかった。
 結局、いくつか条件をつくって春琳を後宮に押し込むことにしてしまった。
 ひとつ。俺が皇帝になったときもまだ春琳が未婚だった場合。
 ふたつ。再会したときに、突然いなくなった俺のことを嫌いになっていなかった場合。
 もし嫌われていた場合は、何とかして楊家に返す手筈だった。
 ――でも春琳は泣いてくれた。


       ○


「陛下にはなんとかして恋を成就してもらわなくては。私にこんな未来があったなんて信じられないのですもの。幸せになってほしいです」
 貴妃が俺の目をしっかり見て言った。彼女には好きな人がいる。背後に控えている女官である。実家で幼いころから仕えてくれている、幼なじみのような存在でもあると言っていた。彼女たちは想い合っている。

「本当にそう。誰かに嫁ぐこともせずに済んで、かつ家のために貢献できた。私はあの人以外受け入れられないもん」
 淑妃には婚約者がいたが、領内での諍いに巻き込まれて運悪く死んでしまった。彼女はその彼のことが忘れられないし、他の誰とも結婚する気はない。

「女であれば結婚して子をもうけなければならない……もうそれが、かなりの拒否反応」
 徳妃は嫁入りに拒絶感があるらしい。後宮では趣味の薬草研究をしてくれている。

「わたくし男が大っ嫌いだから、後宮の環境は最高。あ、陛下は別ですわ。男特有のねちっこい感じもありませんし。春琳さまとのこと、心から応援していますわ」
 賢妃は筋金入りの男嫌いである。

「みんな、ありがとう」
 俺がそう言うと、四夫人たちはこちらこそと深く頭を下げる。
 彼女たちは“夜伽はしない”という前提で後宮入りした妃であり、実家はそれぞれ力を持っている貴族だ。派閥もまんべんなく、表向きは拮抗した力関係になるよう調整した。どの妃が皇子を産むのか皇后に選ばれるのか、各家は期待と不安で内心気が気でないだろうがそんなことは起きない。
 空海による入念な下調べのおかげで、彼女たちを選ぶことができた。後宮入りの前に一度変装して屋敷に入り込み、直談判もしている。たいてい驚かれたが、説明すると目を見開き輝かせて頷いてくれた。
 そして少なくとも週に一度はこうやって五人で茶会を開き、雑談や情報交換をしている。ここで得た情報を彼女たちは実家へ送る文に書いているので、夜のお渡りは問題なくあると思われているだろう。

「それでどうでしたか、春琳ちゃんの反応は」
「……生きてて良かったと泣いてくれた」
 貴妃に聞かれ、気恥ずかしさを抑えられないまま答えた。すると四夫人たちが顔を見合わせ、真顔で頷き合う。女性たちにそうされると何故か背筋が伸びるような、少し怖いような気持ちになる。

「陛下、春琳ちゃんの初恋の人って、たぶん陛下のことです」
「そ、うなのか?」
 弾んでしまいそうな声をなんとか押しとどめた。
「私たち、“ただの官吏の滉月”として春琳さんと友愛を深め、徐々に色恋へと意識してもらう……そして実は陛下でした。って方針でいこうって言ってましたけど、撤回します。あの春琳さんには悪手かも。今すぐにでも白状して告白して意識してもらう方がいいと思います」
 淑妃が言い、徳妃も深く頷いた。

「それに春琳様はたぶん押しに弱い。嘘を重ねずに、まっすぐぶつかってぶつかって落としましょう」
「わたくし思うに、春琳さまは陛下のこと今もまだ結構お好きだと思うわ」
 賢妃は自信満々にのたまう。それを嬉しく思いながらも、そう都合の良いことばかり起きないのが世の常である。
「……そうだろうか」
 しめっぽい声を出した俺に、貴妃も淑妃も徳妃だって自信ありげに肯定した。頼もしい女性たち……最近は姉のように思っている。

「皆、ありがとう。全部白状して告白してくる」
 そう決めると心がすっきりした。四夫人はうんうんと小さく拍手して激励してくれている。
 俺が席を立つと四人もさっと立ち上がり、顔の前に合わせた両手を掲げ、頭を下げるという敬礼をした。

「陛下。私たちは陛下に忠誠を誓っています。ただ家の駒として嫁がされ生きるしかなかっただろう私たちが、絶対に無理だと思っていた環境で生きている」
「後宮にあがるという、政治的な道具としても役目を果たせました」
「ここでは自分らしくいられる。夢みたいな場所です」
「わたくしたちは生涯、陛下のために力を尽くす所存。どれだけ感謝をのべても足りません」

 貴妃、淑妃、徳妃、賢妃が順番に述べ、顔をあげた。すがすがしい表情で微笑んでいる。
 そんな風に言ってもらえる資格など俺にはなく、申し訳なく思う。

「ありがとう。でも、これは俺の都合でやったことであって、お互いに利益があるというか、そんなに感謝することじゃないんだ。俺は君たちを利用しているから」
「それはそうですけど、陛下は私たちの意見を聞いて尊重してくださる。私たちの暮らしに気を配ってくださる。そもそも夜のお渡りなど、ある程度皇帝が好き勝手できるものです。ですから――受けたご恩を返したく思うのは普通のことですよ」
 貴妃が言い、他の三人に「ね」と同意を促した。力強く肯定してくれる四人はいつも背中を押してくれる。
「……ありがとう。これからもよろしく頼む、皆」
 俺は許される範囲で小さく頭を下げた。あまり深く下げると貴妃たちに怒られるのだ。




 そうして春琳の前に跪いた。
「好きなんだ。俺の太陽。どうか妃になってほしい」
 ぽかんと口を開けて固まる春琳に、事情を説明する。合間合間に小さく頷いているので、たぶん理解してくれているはず。

「書庫妃っていうもの、本当はないんだ。三代前に皆から慕われた妃のあだ名が書庫妃だけど、そんな役職はない。彼女は九嬪の一人で充儀(じゅうぎ)だったかな。だから春琳も実は充儀で登録されている」
「えっ!」
「四夫人は名ばかりの妃嬪で、夜伽はしない。始めからそういう契約なんだ。そしてこれからこの後宮に新たな妃嬪が入ることはない」
「そ……そんなこと許されるの? 貴族たちから色々言われるんじゃ」
「各派閥から四夫人は入れてあるし、先の皇太子争いで起きたことを引き合いに出すと静かになった。被害は皇子たちのみに及ばなかったからな。削減できた後宮費用のぶん、各地の土木工事と教育に回すと言ったら了承された。俺は結構できる皇帝なんだ」
「すごーい」

 それは全て春琳を囲うためのものだが、暢気な彼女はきらきらした瞳で拍手している。

「俺は本当はジメジメした根暗な人間なんだ。前向きで明るくてひたむきな春琳に救われていた。どうか俺の傍にいてくれないか」
「滉月にいちゃんはいつだって優しくて格好良かったけど……?」
「それは春琳が傍にいたから」
 ふうん? と納得してない様子で春琳は小首を傾げる。簪の飾りがしゃらんと鳴った。飾り立てられた春琳は天女と見紛うほど美しくて可愛い。今まで誰かに言い寄られたり、結婚してなかったことが信じられない。

「あっ!」
 春琳が突然声を上げた。

「ど、どうした?」
「わたし……とっくに滉月にいちゃんの妻? じゃない?」

 妃嬪ってそういうことだよね? と確認するように言う春琳に、俺は大笑いした。


       ●


 そんなこんなで、わたしはいつの間にか皇后になっていた。
 いやほんとびっくりである。
 皇子も三人、頑張って産んだ。我ながらすごい。四夫人様方は相変わらず後宮で楽しく過ごされ、皇子たちのこともとても可愛がってくれている。
 長男は『本当は嫌だけど仕方なく皇帝になる』と言い、次男は『そんな兄を支える宰相になってあげる』と宣言し、三男はとても暢気に自由で『じゃあぼくは将軍になろうかな』と武芸に励んでいる。

「春琳~今日も疲れた……」
「お疲れさま」

 夜、わたしの寝所にやって来る滉月にいちゃん――今は滉月様と呼んでいる――を膝枕して、よしよしと頭を撫でるのが日課だ。キリッとして格好良かった覚えのある初恋の人は、今やわたしに甘えるのが好きだった。まぁ可愛いからいいかなと思う。賢妃様あたりに言うとドン引きしそうだけど。

「春琳、いつもありがとう」
「なにが?」
「閉鎖的な後宮で生き生きしてくれてること……俺ってやっぱり強引だったよなぁ、って何度も思う」
「またそれを言うの? わたしたちは毎日楽しいよ!」
「うん、良かった」
 噛み締めるように言う滉月様の頭を撫で、わたしは忍び笑いをもらした。
 わたしの夫は、こんなにも可愛い!


       ◇ ◇ ◇


 のちの歴史書には、滉月帝の治世はおだやかであり、様々な改革を行った優れた為政者として記される。
 当時の後宮については謎に満ちていたが、滉月は月のような麗しい皇帝であり、その皇后である春琳は太陽のように明るく朗らかな人物であった――とも伝えられることは、もちろん春琳は知らない。



(終)