恋の味ってどんなの?

 突然のことに藍里は離れた。

「バカ」
「……ごめん、つい」
「ついじゃないでしょ」
 二人は再び距離を縮める。手を握る。
「今日はここまでだよ」
「すまなかった。でも手はいいんだな」
 藍里は頷いた。清太郎はぎゅっと握った。

「あのさ、おじさんが……あの話したのは初めてだけどな。おじさんのお姉さんは自殺したって言ってた。げっそり痩せて帰ってきたってのは死に顔がそうだったらしい」
「……帰ってきた時はもう亡くなってたの?」
「だってよ。俺が生まれる前のことだから母さんも見たことあったらしいけど……こき使われて耐えきれずに自殺、荼毘にされずに田舎に遺体をじいちゃんたちが持って帰ってきたらしい」
「……そんなひどい」
「だから俺は母ちゃんに昔から俺に好きな女を泣かすな、酷いことするな、優しくしろ、守れってどれだけ言われたことか」
 だからか、清太郎の優しさは、と藍里は思った。

「さくらさんには時雨さんがいるし、お前には俺がいる。だからもう怖くない。逃げなくていい。辛い思いした人が逃げなくてもいい」

 そう清太郎が言うと藍里は抱きしめた。
「手、繋ぐだけじゃなかったのか?」
「なんとなくね。てか、清太郎もお母さんたちが嫌で逃げてきたくせに。子供の頃からお母さんやお姉さんたちに女は大事しろ、とかってさ……そう押さえつけられてて嫌だったんでしょ、辛かったんでしょ……」
「……」
 清太郎は図星で声が出なかった。ぎゅっと藍里は抱きしめると清太郎も抱きしめた。

 そしてベッドにそのまま倒れ込み、二人は見つめあった。藍里は時雨との抱擁とは違ったものを感じた。匂いも感触も違う。
 清太郎の目は涙で潤んでいた。藍里も涙がでる。

 そしてキスを再び……。

「おーい、藍里ちゃん。清太郎くんー」
 階下から時雨の声がした。二人はハッとした。

「時雨くん、若い子たちが二人でおるのに邪魔したらいけないよ」
 と一緒に里枝の声もした。かなりでかい声。時雨が何か言ってはいるが聞こえない。

 藍里と清太郎は笑った。そして、改めてキスをした。



 休憩時間いっぱいまで二人で抱き合って何度もキスして見つめあった。

「子供の頃さ、一緒に寝たの覚えてるか」
「うん、てかよくある幼馴染エピソード」
「かなぁ。藍里といるときが一番落ち着いた」
「わたしも、清太郎といる時が一番落ち着いた……」
「てかなんか……これまでに彼氏いたのか」
 藍里はドキッとした。もちろんいなかったがその前には時雨に抱きしめてもらった、それくらいだがそれはカウントされないだろうかとヒヤヒヤした。

「いないよ、てか清太郎は? なんかやけに手慣れてる」
「手慣れてるって……いねぇよ。漫画とかドラマとかそういうやつ」
「そういうやつって、やっぱり見てるんだ」
「……悪いか、ちゃんと健全なやつ」
「健全なやつって何よー」
 と茶化す藍里の唇を清太郎が唇で塞ぐ。何度も口づけをする。鼓動が重なり合う。

「もう、下に行こう……」
「……だな」
「恥ずかしいね、降りるの」
「藍里から降りろ」
「……うん」
 ともう一度キスをして抱きしめあった。


 案の定、藍里が階段から降りると時雨はいつも以上に忙しなく動いていた。
 悩み事や考え事があるときは動いてた方が楽だ、それを言っていたのを思い出した藍里。隣では里枝夫婦たちがにこやかに待ってた。

「ほれ、準備して。さくらさんいないから藍里ちゃんが今度レジしなきゃ」
「はぁい」
 と髪の毛を束ねてエプロンを着た。時雨は少し寂しげな顔をしていたが仕込みに集中していた。

「私、表立ってくるね」
「おや、どうしたの」
「まだ惣菜残ってるんでしょ。外で出してくる……清太郎ーっ、清太郎ー」
 藍里が清太郎を呼ぶ。遅れて降りてきた清太郎。少しドキドキが残ってはいる。時雨が清太郎を見ている。

「どうしたんだよ、藍里」
「清太郎、外で惣菜出して売りたいの」
「えっ……」
 今まで藍里は店の中でレジをしていた、さくらに言われた通りに中で仕事をしていた。

 藍里は決めたのだ。もう逃げる必要はない、中に閉じこもってはいけないと。

「藍里ちゃん、いいのか……」
 時雨も心配している。が、里枝と里枝の夫は頷いた。

「じゃあ出すかね、いい案じゃない。藍里ちゃん。せいちゃん、手伝って!」
「は、はい!」

 藍里は店の外に出た。深く息を吸った。清太郎が横に立つ。
 隣に清太郎がいるから大丈夫、と。

「はい、これも売ってよ。店長さんが材料残ったってつくりました」
 大学芋を時雨は持ってきた。
「あ、これ美味しいやつー」
「まじか?」
「うん、あ……いらっしゃいませ!」

 時雨は店内から見守るか、と中に入っていった。
 そのころ時雨は家で焼きそばを食べていた。藍里の弁当の中にも入れ、昼に自分でも食べてまた夜に藍里と自分、そしてさくらも食べる。

「たくさん作っちゃったなぁー」
 と食べ終わった後、食器を運びふとコンロに目をやる。……タバコをまたふと吸いたくなる。さくらには交際当初に吸うのは辞めてくれと言われ、高校生の藍里がいるのもあってやめたのだが、藍里がタバコの吸い終わった後の手の匂いを喜んでいたのを思い出す。
 しばらくは二人きりになっても抱きつくこともしなくなった。
 藍里は清太郎と付き合い始めたからだ。


 と時雨はしまっておいたこっそり買ったタバコの箱を取り出して吸っていた頃のように手慣れた感じでタバコをひょいと出してコンロの日にタバコを近づけて口にした。

 そして吸った煙をふぅーっとコンロの換気扇に当てる。流石に板前の頃は店ではすることはなかったが、さくらの前に付き合っていた女性の家に泊まった頃に一緒にタバコを吸ってこのようにしていたこともあったという余計な過去と思い出してしまった。

 彼はそう恋愛経験はないし、恋人も指で数えても片手で済む、過去の恋もそんな修羅場とかすごく悲しい思い出もなかった。

 ここ数年はさくらのことが一番だったはずなのに、その娘の藍里、しかも自分よりも一回り以上下の高校生にかき回されるだなんて思いもしなかったようだ。

 一度自分がさくらのことをどうもできず泣きついてしまった時はつい、であったが藍里から抱きつかれた時には流石に不意打ちで、自分の体が反応してしまった時に咄嗟にタオルケットで藍里を巻いてから抱きついたもののやはりダメだった。
 あの時さくらが帰って来なかったらその自分の性の捌け口の行方は……。

 久しぶりに最後までさくらと愛を交わせた、と。あの時コンビニで避妊具を買って台所にそのまま袋に入れて置いてあったのを思い出して使った。

 隣のリビングのソファで藍里が寝ているのにも関わらずそういう行為をしてしまったのは反省したいところだが自分の欲を発散させるためにはしょうがなかった。さくらもいつも以上に興奮しており声も大きかった。満足させてあげられて時雨は嬉しかった。

 でもその避妊具は藍里との間に何かしらの気持ちが起きてしまってその時に使おうとは思ってはいた。だがそんな良からぬことで使うこともなく。自分は高校生の藍里と、ましてや恋人のさくらとそういう関係になろうということを考えてしまったことに反省してしまう。

 そして今は藍里は……清太郎のそばにいる。少し胸が痛む。

 ふぅっとまた大きく煙を吐く。
「馬鹿か、僕は……」
 とタバコを瓶に擦り付けて火を消す。タバコの箱もまだタバコは入ってるのにそのまま捨てた。そして掃除を始める。気を紛らわすには掃除、料理、家事だと。良からぬ思いを考える前にと。

 鼻歌を歌いながら掃除をする。

 ががが……

 何か掃除機の先が詰まっている。ガガガガという音。時雨はヘッドを見ると紙が詰まっていた。
 何かのメモ用紙である。

「エージェントタウン……」
 そう書かれた紙の下に電話番号と住所。筆跡からさくらの字だとわかった。藍里の学校に提出する書類に会社名を書くときにメモをしたものだろう、時雨は捨てようとした。だが彼女の仕事をしっかり聞いていなかった。

 自分は養われている身分からして詮索はするまいと思ってはいた。だが……つい気になり持っていたスマートフォンで検索した。

 そして会社のサイトをクリックし、読み進める時雨。


「……!」
 帰り道。
 清太郎と歩く。
「今度時雨さん料理教えてもらうんだ」
「見てるだけだとわかんないって言ってたよね」
「時雨さんに俺らの弁当作ってもらってさぁ……あんな美味しそうなもの俺も作りたい」
「弁当屋のおじさんたちにおしえてもらわなかったの?」
「あの人らは匙加減うまく教えてくれないんよ」
「あ、習おうとはしたんだ……」
「したけどちっとも覚えられん。あっちも忙しそうだし」
「そこまでしてなんで習いたいの?」

 清太郎は立ち止まった。

「お前に食べさせてやりたい」
「えっ」
「藍里もこれから進学して仕事するだろ、で結婚して子供もできたら大変になる。少しでも補えるように俺も料理ある程度できるようにしないとなって」
「……まぁ、だいぶ後の話ね。まぁまだ清太郎はお母さんやお姉さんの言いつけを守ろうとしてる、女を大事にしろっていう。大丈夫よ。私がこれから料理や家事できるように頑張るから」
 清太郎はフゥン、と言った。 

「てかさ、時雨さんとずっと2人きりで一緒にいたら……ずっと彼のご飯食べてたら時雨さんに気持ちがいってたんだろ。いくら母親の恋人だからといっても……」
 図星であった。清太郎に見抜かれていたのだ。

「ほんとごめんな、変なこと言って。結婚とか子供とか。あと時雨さんのことやきもちではない」
「ううん、大丈夫。そういうことを話したり考えたりするのも楽しいよね。でも清太郎も料理とか家事のことを考えてくれてるんだって思うと進学もだけど仕事のことも考えられそう……」
 二人はしばらくの間無言だった。弁当屋の前を通る。清掃の業者が入っている。今日はメンテナンス日で休みである。

 だから二人はバイトは休み。時雨も休みで家にいる。
 弁当屋を横目に二人で藍里のマンションに向かう。
「あのさ、綾人のオーディション……受けないのか」
「えっ」
「……いや、どうかなって。お前昔、子役やっててさ、その……学校で演劇やった時にすごくイキイキしていた」
「まぁ、あの頃は楽しかったけどね。……結局大きな役やお仕事はできなかったけどお芝居をするのはよかったかも」

 レッスンの日々、端役だが多くの人たちと創り上げていく舞台。

「今はもう無理。かなりブランク空いたし、事務所はもうとうに辞めたし、それにお父さんのオーディション……久しぶりに会ってどんな顔して会えばいいのよ。それにママが……ママが必死になって私と逃げたのが全部泡になっちゃう」
「……だよな、すまん。でもいつまでも逃げているつもりなのか?」
「……」
「俺、お前の未来決めてしまうのもなんだけどもう一度舞台で輝いている藍里を見てみたい」

 マンション前に着いた。藍里は先に歩き少し立ち止まって振り返った。


「……」
「綾人に、お前の父親に、今は幸せだって。さくらさんも藍里も昔よりも幸せだって……」
 藍里は俯いた。

「……行こう、早く」
 ちらっとファミレスを見る。窓際で理生が接客しているところであった。
 目が合ったが互いに目を逸らしてしまった。

 結局バイト先の人たちにちゃんと挨拶ができないままだった藍里。
 菓子折りは渡したのだがせめて理生だけには、と思ってもできなかった。
 藍里に一番初めに優しく声をかけてくれて、あれやらこれやら仕事を教えてくれた人。
 同じく母子家庭。何か通ずるものがあったようだ。

「藍里?」
「ううん、大丈夫……時雨くん待ってるよ。行こう」
「ただいまー……あれ」
 藍里は玄関にさくらの靴があるのに気づいた。
 いつも履いているスニーカー。脱いだままであって藍里はクルッと向きを変えた。

「どした」
「ママ、帰ってるみたい」
「そか、なら今度の話言えるな」
「……だね。お邪魔します」
 2人がリビングに行くと案の定さくらがいた。びっくりした顔をしてきたが目元が赤いことに藍里は気づいた。机の上にはティッシュもある。
「……おかえり。宮部くんも」
「おじゃまします」
 仕事帰りだったようだがメイクも落としてラフな格好であることは違いないが何かまた不安定になったのではと藍里は不安になる。いつもはこの時間は料理をしている音が聞こえ、おかえり! と元気よく出迎えてくれる。清太郎がいるなら尚更。

「……時雨くんは?」
 あっち、と指を指す。台所である。なぜか声を出さずに指を指す。藍里たちは台所に行くと時雨が椅子に座って餃子を包んでいた。黙々と。

「ただいま、清太郎……宮部くんも来たよ」
「おじゃまします」
 その声に気づいて2人を見る時雨の目も赤くなっていた。が、メガネをとり目元を右手で拭って立ち上がって笑顔を作る。

「お、おっおかえり!! バイトやすみでも会うとは思わなかったよ。よかった、たくさん餃子たくさん作っちゃった。皮も一からつくってさ! すごいでしょ。よかったよかった! ホットプレートで焼いたらみんなで食べられる……」
 粉のついた手で手元を拭いたのか顔に粉がついている。
 明らかに無理して笑っている時雨に藍里はさくらに聞こえないように奥に追い詰める。

「藍里、藍里……」
 清太郎はその行動にびっくりする。かなり奥の方でかなりの距離だ。2人には平気な距離だが清太郎からしたら近すぎる。

「……またママなにかあった?」
 流石に近く、後ろに清太郎がいるので時雨が少し藍里との距離を置かせた。そして口篭らせている。

「なぁに、なにもないさ。君たちには関係ないから……それにさ」
「それに?」
「清太郎くん、僕これからたくさん仕事入りたい。ほぼ休まず……頑張って働く」
「……大丈夫なの? すごいと思うけど」
「働かなきゃ、僕が。僕がもっと頑張らなきゃ……さくらさん、さくらさんに……辛い思いなんて」
 と時雨はとうとう清太郎がいる前で藍里に泣きつく。藍里も受け止める。

「し、時雨さん?! ちょ、藍里……」
 流石にこれには清太郎はびっくりする。ひくひくと時雨は泣く。藍里は受け止めるもののなんで泣いているかまだわからない。前のようにさくらの不安定さに対してなんだろか、だがそうではない、なんだろうと抱きながら思う。

「……何泣いてんの。一回り以上違う娘に対してなにそんなに。情けない」
 さっきまでリビングにいたさくらが台所にきた。時雨は顔を上げ泣き顔でグチャグチャだ。

「時雨くん、顔拭いて」
 と近くにあった布巾で藍里は拭いてやる。
「ありがと、藍里ちゃん……でもこれ台拭き」

 さくらは2人の間に入る。そして藍里たちの方を見た。
「……2人に話したいことあるの」
「なあに?」
「清太郎くんはどうしよう」
 すると清太郎は察した。

「藍里、きっと……」
 と耳打ちする。さくらも気づいて笑った。

「なんだ、わかってるなら話は早いかー」
 藍里たちはうなずく。時雨は狼狽えている。

「……私、ずっと風俗で働いてたの」
 ようやく藍里はさくらの口から聞けた。清太郎はその言葉を事実を知っていても聞くと恥ずかしいようだ。聞いてもいいのだろうか、という気持ちのような顔をしている。
 時雨は言っちゃった……とうなだれてしまっている。

「と言っても非接触型の風俗。ネットで画面越しで接客して……対応するやつ」
 そう言われても藍里はさっぱりである。

「おっぱいとか見せてるの?」
「……見せてるわ」
「……」
「安心して、顔は口から下だけだし胸は見せてるけど局部はうつしちゃダメだからモザイク越し」
 あああああっ、と時雨がしゃがみ込んだと思ったら立ち上がった。

「いくらね、顔を隠しても声とか……特徴でわかっちゃうんだよ! もしスクショとか録画されてたら!!」
 さくらにそう言うが彼女はどうとも思ってない。

「さっきも言ったけどうちの会社はそういうところ厳しいから大丈夫って言ったじゃん」
「だけどさ、だけど……いやそう言う仕事は悪いとは言ってはないよ? でも、でも……いくら仕事とはいえさくらさんの身体どころか非接触でも心も負担になる!」

 こんなに声を荒げる時雨はなかなかない。
「しょうがないじゃない!」
「しょうがなくない……僕は悔しい、他の男の人の前で……さくらさんの身体が……身体が……」
「……そんな生半可な気持ちでやってんじゃないよ、わたしゃ。てかそんなざめざめなく泣き虫!」
「うああっ!!!!」
 時雨は再び泣き崩れ清太郎に宥められる。藍里は去るさくらを追いかける。

「……こんな形で伝えることになってごめん。でもわたしはあんたを社会にしっかり出すまでこの仕事頑張る。あと六年、46かぁ。結構熟女って需要あるのよ」
 と笑うさくら。しかし目は涙が溜まっていた。
「……いつも私のためにありがとう。でも心配だよ、私も」
 と藍里が言う。
「それに時雨は最後までできないくせに一丁前に俺のさくらとか言うのもね、笑えちゃう……お客さんとの行為でストレス発散してんのもあるのよね」
「えっ……」
 知ることでもなかったことを知ってしまい呆気に取られる藍里。

「また夜出かけるから寝るね。あ、清太郎くんとは仲良くね」

 パタン、目の前で扉を閉められた。

 とても清々したさくらに対して藍里はかっこいいなと思ったのであった。
 リビングのソファーで時雨がシクシクと泣いている。
「ごめんね、変なところ見せてしまって……」
「僕もなんとなく気持ちわかります……わかるとか簡単に言ってしまうのはアレですけど、はいティッシュ」
「ありがとね、ほんと僕はもう泣き虫で」
 チーンと鼻水をティッシュに出す時雨。

「……藍里ちゃんたちも知ってたの?」
「私は……ついこの方知ったばかりで。先生や清太郎から教えてもらった」
「先生にもバレてるのか」
 時雨は項垂れている。

「てかさっき時雨さん、藍里に抱きついてましたよね……」
「あ、その」
 代わりに藍里が声を出してしまった。時雨も顔を上げた。

「……ごめん、いつも藍里ちゃんに話とか聞いてもらっててさ」
「いや、だからといって藍里に抱きつくなんて。それに藍里も藍里でさ抱きしめてなかった?」
 あっ、と藍里は目線を逸らす。

「誰だって泣いてる人いたら……どうかしてあげたいとか思わない?」
「まぁそうだけどさ」
 清太郎はムッとした顔をしている。

「ごめん、藍里ちゃんの彼氏の君の目の前で……でもね、藍里ちゃんは本当に優しくて」
「……」
 藍里も
「清太郎、別にそんな関係じゃないし……優しくしてもらって、夏休みの間は家事とかご飯とか勉強とか……なかなか外に出られない私と遊んでくれたり話をしてくれたり」
 というがいい顔をしない。


 んーと考えてようやく口を開いた。
「……まぁ、藍里やさくらさんがこう今平和に過ごせてるのも時雨さんのおかげでもあるか」
「ごめん、清太郎くん」
「いえ、ありがとうございます。藍里、これからは俺も藍里たちを幸せにするから」
 と時雨の前で藍里を抱きしめる清太郎。突然のことにびっくりする藍里は時雨と目が合う。

 抱きしめる力が強くなる。
 藍里はもちろん清太郎のことは好きだ。だが時雨と目が合うと気持ちが複雑になる。

 時雨は目線を下げて口をぎゅっと固く閉じる。なぜそんな顔をするのか、藍里はわからなかった。さくらのことを好き、彼女のためにもっと仕事をしてと決意していたはずなのに。

 藍里はそんな時雨の顔を見るともう心がぐらついてしまう、だから目を瞑って清太郎のハグを受け入れた。
「藍里、愛してる……」
「清太郎……」

 時雨は立ち上がった。
「はい! てことで、今から餃子を食べよう。たくさん出来ちゃったし、藍里ちゃんと清太郎くんのラブラブ記念日。さてさて食べよう。僕さくらさん呼んでくるから。あ、2人は藍里ちゃんの部屋でラブラブしてて。今からサラダとか作ったりスープも作るから。はいはい!」

 と藍里たちを立たせて藍里の部屋に押し込めた。

 急に部屋に押し込められ2人きりになった2人。清太郎と藍里は目を合わせた。
 清太郎が笑う。

「……ついつい嫉妬してあそこで抱きついちゃった」
 藍里は口籠る。

「そいやさ、時雨さんの前だから恥ずかしかったのかな」
「えっ?」
 清太郎は藍里をじっと見つめる。
「俺に愛してるって言ってくれなかった」
「……!!」
 そういうつもりではない、と思いながらも藍里は顔を赤らめる。そんな彼女に清太郎はキスをした。
 長く長くなんとも唇を離して付けて……。
「愛してる、藍里」

 藍里頷いて
「わたしも、清太郎のこと愛してる……」
 とまたキスをした。たくさん抱きしめ合い、キスを何度もする。いつもよりも鼓動が高まる。
 奥には時雨達がいるのだがいつもの鼓動とは違うもの、何か疼くものがある。

「……だめだ、これ以上ひっついてるともう」
 清太郎から身体を離した。藍里も少し離れた。

「なに嫉妬してんだか、バカだよな。俺は時雨さん手伝ってくる。藍里はここにいろよ……」
 清太郎はしどろもどろになっている。藍里は息も荒くなっていた。顔が赤くなってるのにも気づく。

「……うん、あとでいく」
 清太郎が部屋から出ると藍里はベッドに横たわる。まだドキドキが止まらない。
 清太郎の男の部分を感じたのだ。子供の頃には感じたことのない感触。
 自分の部分も何故か熱くなっている。清太郎から離れなかったら自分達はどうなっていたのだろうか。

 しばらく藍里はベッドの上で悶えていた。ドラマや漫画でしか知らなかった世界。急に自分の身で感じた彼女。
 こないだのさくらと時雨の愛の交わりの声を聞き、それも思い出しながら男と女は愛し合う、それを自分も味わったら……どうなってしまうんだろうか。

 でも早すぎたのか……。

 どれだけベッドの上にいたのだろうか、気付けばいい匂いがする。

「藍里ーできたぞー」
 清太郎の声を聞いて藍里は身体を起こした。

「はぁい……」
 餃子をホットプレートで焼く音。サラダも丁寧に盛り付けられ四人分の食器セット。

「藍里ちゃん、サラダね清太郎くんが切って盛り付けてくれたんだよ」
 確かに少し荒いがサラダの載せ方がいつもと同じだと気づく。早速教えてもらったんだなぁと。
「見た目は良くないかもだけどね」
「何言う、食べれば同じなんだから」
「そっすかね。弁当屋で働いてるくせに」
「いやいや手を抜くとこは抜かないとさー」
 清太郎と時雨は笑ってる。なんだかんだで2人は仲良くできそうかも、と藍里は見ていた。

 すると部屋に閉じこもっていたさくらもやってきた。
 時雨がさくらの椅子を引いてどうぞ、と。さくらはありがとう、と微笑む。

「さーてさてさて、4人いるから弱肉強食だからね」
 さっきまでの雰囲気とは変わってさくらはニヤリと笑った。

 弱肉強食、藍里は思い出した。また子供の頃を。料理やお菓子など家族で食べる時はきっちり人数分で分ける。それは兄弟がいた綾人はとてもこだわっていた。
『きっちりわけろ。さくら、おまえは一人っ子だからさぁ。わからねぇだろ。藍里もワガママの規律のわからない娘だと言われたらどうするんだ!』
 と言う綾人のセリフ。一人っ子イコールわがまま、規律を乱す、そうなの? と藍里は子供ながらに思っていた。

 本当はもっと食べたい、でも一人一人量はしっかり守らないと。怒られてしまう……さくらと2人きりの時に2人で買って食べたお菓子。包装紙の一部が落ちていたのを見た綾人が
『お父さんの分は? お父さんが汗水垂らしてる時に呑気にお菓子食べてるのか。ずるいなぁ、藍里はもっと考える子にならないと。じゃ無いとお母さんみたいな空気の読めない女って言われて結婚できないぞ』
 と言われてから何かおやつをもらった時には頑なに綾人の分を残していた。
 それを渡すと
『えらいぞぉ、藍里』
 と綾人に褒められた。でもその横にいたさくらの顔はとても暗かった。


 でも今のさくらの顔はとてもイキイキしている。さっきはヒヤッとしていたが時雨といる時の顔はやはり良い。

「弱肉強食とか言いつつもちゃんとみんなが満足できる分作ってますから。はい、遠慮せず。ほれっ」
 と時雨は藍里の更に焼き上がった餃子をヘラを使って乗せる。いい匂いが漂う。

「よくもまぁ1人でこんな量作ったわよね」
 さくらも感心する。よくよく考えれば藍里はさくらが包んだ餃子は食べた記憶がなく、冷凍物を焼いたものだったのを思い出す。それはそれで美味しかったのだが。

「ん? なんか皮から作りたくなって無心になって黙々とやってたらこんなにね。タネが切れて一部はチーズ入りもある」
 無心になってやっていたのはまたきっと色々考えてしまった時に料理に集中すると忘れられるという時雨の性質である。
 さくらはわかっているのだろうか……。

「えっ、チーズどれどれ」
「あ、それはキムチチーズね」
「うっまそー」
 清太郎はキムチチーズ入り餃子を時雨から分けてもらってすぐ口の中に入れて美味しいっとホクホク顔。
 さくらも私も私も、と同じものを求める。時雨はニコニコしながら皿に乗せる。
 藍里は手をつけないでその様子を見ていた。

「藍里ちゃん、食べな。焼けてるからどんどん食べないと」
「……時雨くんは食べないの?」
「もちろん食べるけど僕はみんなにまず食べてもらいたいんだ」
「でも作った本人が焦げたもの食べても……先に食べたほうがいいよ」
 藍里がそういうとさくらはハッとする。藍里が過去の綾人の教えを守ってしまっているんだと。

「……藍里、別に……」
「大丈夫。僕はこれでいい。みんなが美味しいって言う顔を見ながら食べるのが好き」
 時雨はそう笑った。

「みんながそれぞれのスタイルで食べればいいよ。俺が一番に食べるんだ、とか均等に分けろとかあるよね。それはそれでいい。僕はそれに従う。藍里ちゃんは気を遣ってくれたんだね、優しい子だ。そうやって教えてくれた人も悪くはないんだよ。そういうふうに考える人もいるんだって考える機会を与えてくれた。経験もできた。僕はずーっと似たような環境にいたからさ。人から聞くくらいしかないもん」
 藍里は綾人のことを思い出した。確かに高圧的なところもあった。さくらにも酷いことを言っていた。

 だが台本読みを手伝ってくれたり、撮影のポージングも研究してくれたり、さくらではカバーできない体力のいる遊びもしてくれた。

 藍里はさくらを見る。さくらは微笑んだ。
「藍里、今、あなたは均等に食べたかったらそれでいいし、好きなだけ食べたかったらそれでいい。てか、早く食べないと焦げる!」
 とさくらが箸でプレートの上に乗っているやや焦げた餃子を大きめの皿に移した。

「あああ、そっちに移そうか。その間に藍里ちゃんと清太郎くん食べてて!」
 と時雨とさくらで餃子をプレートからお皿に移す。あたふたしながらも笑い合って。

「食べろ食べろ。てか俺のキムチ餃子やるわ」
 清太郎は口の中に入れつつも藍里の皿に乗せていく。藍里は頷いた。

「ありがとう。あっ、私その熱々の食べたい!」
「いいぞ! 食べてっ!」
「あっ、俺も!」
「わたしもー!!」
 4人はたらふくになるまで餃子を食べた。
 餃子は流石に食べ切れないものはバットに移して時雨が冷凍庫に閉まっていた。また後日食べられるように。
 作り過ぎちゃった、と言ってたもののさくらの仕事の内容のことで色々と気にしてしまったのを打ち消すため黙々と作り過ぎたものだが……。

「もう遅くなっちゃったし後片付けはうちらがやるから宮部くんは帰りなさい」
 とさくらが言った。

「申し訳ないです。でも餃子、美味かったしサラダと卵スープのコツ、時雨さんに教わって……4人で楽しく食べれて楽しかったです、あ……あと」
 と清太郎が言う。

「さくらさん、今週末はよろしくお願いします。少しだけでもうちの母さんに会ってください」
 これで3度目の打診になる。病院、さっきの食事中、そして今。
 さくらは口を閉ざすが、頷いた。

「わかったわ。……色々とあの時話聞いてくれたし、心配しないでって伝えるためにも会うわ。仕事も夕方前には終わりそうだから、連絡お願いします」
「よかったね、清太郎。私もおばさんに会うの楽しみ……て、里枝さんにほぼ毎日会ってるから久しぶりって気もしないけど」
「……確かに。こないだ見た時すごく似てた」
 さくらと藍里は笑う。清太郎もホッとしたようだ。

「じゃあまた明日からもよろしくね……あ、見送りに……いててて」
 時雨は腕を引っ張られる。さくらが引っ張ったのだ。そして藍里を清太郎の方に突き出して
「藍里、玄関先まで見送ってきな」
「……えっ、あ、うん」
 さくらは藍里と清太郎を2人きりにさせたかったのである。

 2人は玄関から出てドアを閉める。再び2人きり。仄かな電気にもうすっかり周りは暗くなっている。

 2人は見つめあって笑い合う。
「2人きりにさせられたね」
「そうだな、また明日会うのに……てか餃子の匂い明日まで残りそう」
「すごいニンニクマシマシ……っ」
 清太郎は藍里を抱きしめた。不意でびっくりしている。そしてそのあとキスをした。

「互いに同じもん食ってるから気にしない」
 と清太郎はさらにキスをする。藍里ももっとキスをする。2人は立ったまま腕をぎゅっと抱きしめて体密着させ何度もキスをする。

「はいはい、終わり。これ以上は……なっ! じゃあ帰る! おやすみ!」
「おやすみっ……もぉ」
 清太郎は走って去っていった。藍里はドキドキしつつもなぜあんなに抱いてキスをしたのか分からなかった。
 ふぅ、と余韻に浸りながらもドアを開けると玄関にあたふたしてる時雨とさくらが。
 どうみてもさっきまでドアの覗きスコープから見ていたのではと思うくらいの距離。

「いや、別に覗き見とか……してないよ」
「うんうん、ただその藍里が心配で、案の定キス……」
 やはり二人はのぞいていたのだ。藍里は顔を真っ赤にした。

「もぉ! なに覗いてんのよっ!」
「ごめん、ごめん……そんなつもりじゃ」
 と必死に謝る時雨。さくらも宥める。

「藍里、片づけするよ。時雨くんはもう休んでていいから」
「えっ、やるよやる。さくらさんも明日仕事でしょ」
 さくらは首を振る。彼女が家事をするのはどれくらいぶりだろうか。藍里は思い出す。

「もうこれから私もやることにしたから。あ、ちゃんとお金払うけど」
「いや、むしろもう……お金はいらない。それにさくらさんは弁当屋で一緒に働こう!
 ってまだ給料貰ってない身が何を言うって感じかもだけどさ……」
 さくらが時雨に頭ピン、と弾く。
「でしょ。それにあなたがこれから稼ぐって言うなら私も家事やって二人でジャンジャン稼ごうよ。弁当屋の仕事は……考えておくわ。今の仕事の方が効率良く稼げるし」
「……そ、かぁ」

 やはり時雨は表情が曇る。でも効率良く稼げるのは事実である。

「はいはい、時雨くんは先にお風呂入って。私たちで片付けするから」
「わかった。じゃあよろしくお願いします」
 と時雨は二人に頭を下げた。

 藍里とさくら、ふたりで台所。初めてである。横に並んで料理する日が来た。なんだか藍里は不思議な気持ちでさくらが洗ったものをすすいでマットの上に乗せていく。
 よく時雨の横で手伝っていたが、彼はささっとやるが手際よく、しかしさくらはチャチャっと洗って終わり、そういうところを綾人が指摘していたのを瞬間思い出したがまぁいいかと流した。
 藍里はさくらの横顔を見る。今は化粧をしていないが明らかに昔よりも若返った気もしなくもない。
「なぁに、私の顔見て。ちゃっちゃかやって風呂入って早く寝よ」
「うん……なんかママが台所にいるの珍しいからつい見ちゃった」
「珍しいって……昔はよくいたじゃん」
「そうでしたね」
「もう、忘れたの?」
「なんか時雨くんのイメージ」
「まぁそうよねぇ……」
 さくらは笑った。

「藍里、時雨くん……どう?」
「えっ?」
 どう、というのはどの意味でなのか? と藍里はさくらを見た。

「なに動揺してんの。家族としてどうなんかって。……二人仲良いしさ。まさか変な関係じゃないよね」
「じゃないし。でもゲームもしてくれるし勉強も教えてくれるし、話し相手になってくれる」
 と藍里は動揺する気持ちを抑えて無難に答えるとさくらは
「そう」
 と言ってそこからは喋らなかった。
 週末。さくらは昨晩から仕事に行っている。藍里と時雨は土曜日だが4時半に起きて朝ご飯を一緒に食べて弁当屋に向かった。
 昼までの仕事を終えたら二人で名古屋に向かうのだ。

 それが楽しみな二人。今日は天気もそこそこいいので弁当を買って近くの動物園やレジャー施設に行く人も多いようで、朝早くから藍里は清太郎と共に店先に立ち弁当を販売した。

「すいませぇーん」
 藍里は店先から里枝の声がする、と思いふと振り返ると、清太郎が嫌そうな顔をして店内に入っていく。

 まさか、と思い行ってみると

「里枝姉さん、清太郎ー、お義兄さんおじゃましますー」
 里枝をややスリムにした女性……清太郎の母、路子とさらにスリムにして若くした女性……清太郎の姉の清香が立っていた。

「もしかして、清太郎の……」
「……いやもしかして! 藍里ちゃんやないのぉおおお。清香、覚えてるでしょ。清太郎が好きだと言ってた」
「えっ」
 藍里は路子の言葉にびっくりする。

「母さんっ!!」
 清太郎もその言葉を聞いて引き返した。
「……好き好き言ってて、いなくなった時めっちゃ泣いてたの誰?」
 清香からもそのことを聞くと藍里は清太郎をついじっと見てしまう。

「……ま、昔から好きやった。藍里のこと。てか、母さん、姉ちゃん。今藍里と付き合ってる」
「あらま」
「うそぉ」
 清太郎は藍里の肩に手をやる。藍里は恥ずかしくてたまらない。お客さんもいるからである。

「まぁ、でもほんと綺麗になってね。さくらさんも綺麗だったからもっと化粧したらどうかって言ってもお金がないとか言ってて私が化粧品押し付けたんだけど全くしなくてね。にしても藍里ちゃん大変だったね」
 路子が相変わらず話が唐突すぎるあたりが昔と変わらない、そして姉の清香は鉄仮面のごとく表情が変わらないためすごく近寄り難いとヒヤヒヤする藍里。

「お昼はここの弁当食べるわ。里枝姉ちゃん、上がるねー」
「はーい」
 路子と里枝、二人が揃うとかなり賑やかになりそうだ。里枝の夫も眉毛を下げ苦笑いしてるあたりが何かを物語ってるようだ。路子、清香親子は奥に入っていく。清太郎もあとをついていく。

「里枝さんそっくだね、ほんと」
 時雨はそう言いながら賄いを作っていた。
「……まったくかわってなかったわ」
「きょうだいって面白いもんだなあ」
「時雨くんは弟がいたんだっけ……」
「うん、あいつが母さんに似て僕は父さんに似たから見た目は違うけど不思議なもんで遠目から見ると似てるって言われる」
「面白い」
「藍里ちゃんもさくらさんがベースだけど綾人さんにも少し似てると思うよ」
「それ、よく言われる」
 時雨は賄いの豚カツとキャベツを丼に乗せて藍里に渡した。

「本当は名古屋で美味しいもん食べた方がいいけどどうぞ」
「全然時雨くんのご飯の方が美味しい」
「言うねぇ、藍里ちゃん」
「事実なんだもん、早く食べて名古屋行こー」
「うん。店長、里枝さんー昼いただきますー」
 時雨は心なしかなんだか嬉しそうである。藍里は時雨の作ってくれたトンカツ丼を食べながらもあの餃子パーティーのときに時雨のことをどう思うかと言われた時のことを思い出す。あれから何度も。

 もちろん清太郎が藍里の恋人、時雨がさくらの恋人、というのはわかっている。

 でも藍里にとって一番しっくりくる相手が目の前で食べている時雨なのだ。

「こっちに逃げてきたわ」
 清太郎が弁当を持って藍里たちのところに来た。遠くから里江か路子の声が聞こえる。

「大学展行きたいわ、俺も……」
 明らかに路子たちが来てからテンションが下がっている藍里。

「夕方までなんだから……それさえ終わればまた帰るんでしょ」
「まぁな、ああああー」
「まあまあ、はいとんかつあげるから」
 藍里が清太郎の弁当の中にトンカツを入れるが

「弁当にもう入ってる……でもありがとう」
 とすっかりトンカツ弁当を清太郎が食べているのを忘れてた藍里。笑い合う二人。微笑ましく時雨は見ていた。

「そうだ、藍里はある程度目星つけたか? 大学」
「うーん、実のところあまり。今の家から行きやすいと言ったら〇〇女か△△大だけど……」
「たくさん大学あるのに悩むぞ……」
「だよねぇ。でも一応文系、ていうのは決めた」
「ざっくばらんだな……なんなら俺についてくるか」
 清太郎はあっさり言った。清太郎は東京の大学を受ける予定だ。

「……東京」
「うん。同棲してもいいし」
 時雨が丼を置いた。

「……ど、同棲??」
「いや、もしもですし。まぁ無理して俺の人生についてこなくてもいい」
 そう言われると藍里はぐるぐるまた考えてしまう。さくらのことを考えて今の住んでいる場所から近い大学を選んだ。

 でも近いという理由だけである。なんなら付き合ってる清太郎とともに東京という新しい環境に飛び込んでも良い、そう思ったがやっぱりいいとか言われ混乱する。

「今日はヒントをもらうつもりと思ってさ、気を重くせず観に行こうよ」
「だね、ほんと何になりたいとか思いつかないし……まずは知って見て、だよね」
 時雨に対する藍里の受けごたえを見ていた清太郎はなにか感じ取った。

 何か自分にこえられないような壁があるのを。

 正直このあと藍里が時雨と名古屋に行くのも引っかかっていた。でも自分は母親と姉たちに連れ回され満足させなくてはいけない。

「清太郎ー、ねぇねぇ〇〇百貨店てどの駅からいけばいい?」
 清香が顔を覗かせた。地元の大学に進学した彼女は滅多に名古屋に行けずこれを機にたくさん買い物をするようだ。
「……ああ、教えるから待ってて」
「大学展の近くだね、〇〇百貨店」
「そうだな……あと夕方の食事場所から離れないように考えてきてもらったんだけどね」
「頑張ってね」

 母たちに連れ添うのを断って藍里についていけばいいのに、と自分でもわかっていてもそれはできない清太郎であった。
 昼ごはんを食べ終え、片付けも終わったところで藍里と時雨は店を出た。
 清太郎が心なしか暗そうに見えたが
「気をつけてな!」
 と声をかけてくれたのを藍里は少しほっとして、ニコッと笑って返した。

 時雨とここまで遠出をするのはもちろん初めてである。車でもよかったが夕方からの食事会でさくらはお酒飲むであろうと時雨は電車を選んだ。

 土曜日ともあって混み合っている。

 大学展の会場はとても広く、これまた人がたくさんである。大学だけでなく企業や学生たちによる出店もある。

「ここで弁当売ったらめっちゃ売れそう」
「時雨くん、お仕事終わったのにまたそんなこと考えてさ」
「ついつい商売柄……昔旅亭の時もこういうイベントで出店したことあるし、学生時代も専門学校だけどやったことあるよ。今度里枝さんたちにこういうイベントに出てみるとか提案してみるよ」
 時雨は本来の目的地を忘れて出店をあちこち見回ってる。藍里は彼にはぐれないように追いかける。途中で気づいたのかごめんごめん、と言おうおしたら藍里が遠いところで二人組のハッピを着た男子学生に藍里が声をかけられていた。

「ねぇ、お姉さん。クレープどう? 安いよ、美味しいよ」
 お姉さん、と言われて藍里はへっ? と声を出してしまった。
「お姉さん可愛いね。一人? どこの大学? よかったら夜の飲み会来ない? 明日の打ち上げでもいいけどさー」
 ニヤニヤと笑う男子学生たちに狼狽える藍里。するも時雨が駆け寄って
「彼女ははまだ高校生だよ。……クレープか。僕クレープ好きだから買うよ?」
 と割って入った。すると一人の男子学生が舌打ちして

「なんだよ、彼氏いるのかよ……あっちでやってるんで、どーぞ」
 と割引券をぶっきらぼうに渡して男子学生は去っていった。その割引券のサークル名を見て時雨は

「な、なんなんだよ……18歳未満やばいし、彼氏いたらダメなのかよ。て藍里ちゃん、ああいう男たちがいるからすごく心配だよ、大学。テニスサークルとか言って飲み会ばかりして酒飲ませて女の子に意地悪するサークルだよ、きっと」
 時雨は割引券をゴミ箱に捨てた。藍里は顔を真っ赤にした。周りから見たら自分達はカップルに見えるのかと。

 そもそも自分自身も高校生以上に見られていたのもびっくりしたのだ。

「にしても18歳未満だったら手を出しちゃダメとかなんなんだよ。だったら僕自身も周りからしたら……そう思われてるのかな」
「そんなことないよ。時雨くんが若く見えるし、彼氏だって思われたから大丈夫」
「……てことは高校生に見えるのかな。よく童顔て言われるけど30超えてからもそれってなぁ」
「もう、寄り道してないで大学展見たいんですけどー」
「あ、ごめんごめん……」
 二人は大学展の本会場に向かった。