恋の味ってどんなの?

 放課後、清太郎の弁当屋に行く藍里。夕方は残ったおかずを惣菜品として出して販売している。清太郎は主に平日の夕方、土日で働いている。店にはとある夫婦がいた。
「せいちゃんおかえり、おや……藍里ちゃん。大丈夫だったかね」
 清太郎の母の姉、つまり叔母の里枝であった。藍里はやはり何度見ても清太郎の母に似ていると思いつつも里枝の方が丸くて穏やかそうに見えた。
 学校に行く際に店で働く姿を見てはいたがこうまじまじと対面するのは藍里は初めてだった。

「はい。先日はデザートありがとうございました。母も喜んでました」
「そーかねっ。礼はええよ。てかどうしたの? やっぱ2人はそういう仲なん」
「いや、その……」
 と藍里は清太郎につんつんと人差し指で突っつく。

「あのさ、こないだ紹介した人ともう1人藍里もここで働かせてほしいなぁって」
 藍里もペコペコする。すると清掃作業していた里枝の夫がやってきた。

「ほぉ、この子が清太郎の幼なじみの子か。どえりゃーべっぴんさんやな。……ここで働きたいんか」
「は、はい……」
「料理はできるかい」
「……できないです」
 藍里はダメかぁと少しがっかりする。やはり時雨に料理を教えてもらうべきか。

「こういう可愛い子いるだけでも客は増えるでなぁ。よかったらレジやってくれるとありがたいよ」
 里枝はニコッと笑った。藍里はすぐには採用されないものと思っていてびっくりした。清太郎もよかったよかったと喜ぶ。

「でもこんなべっぴんさんを小さな弁当や 屋で働かせてもいいのかねぇ。せいちゃんや姉ちゃんからも聞いてるけど元々子役さんなんやろ」
「……いえ、働かせていただけてもらえるのだけでもありがたいですし。あ、子役はだいぶ前に辞めました」
「もっと大きなチェーン店とか素敵な舞台で全面に出てる仕事が向いてると思うわよー」
 藍里はその大きなチェーン店のファミレスでクビになったんだよなぁと清太郎を見て苦笑いする。働けるなら……だがさくらにはレジとか前に出て働く仕事はやめなさいとは言われていたがそう贅沢は言えない。
 綾人だって仕事が忙しいし追うこともしないだろう。
 でもさくらにはまだ怖いという気持ちがあるのだろう。

「レジ以外で何か仕事はありますか」
 ついでに、という形で藍里は聞いてみた。すると里枝は首を横に振る。

「まぁこうして父さんみたいに掃除とかはしてもらえるとありがたいけど調理は私と数人のパートさん、そしてあの……梅か昆布かなんだっけ」
「時雨さん、廿原時雨さん。ひどいよおばちゃん。名前間違えんなよ」
 清太郎がツッコむ。藍里はつい笑ってしまった。
「おにぎりの具みたいなお名前だからついね、職業柄。時雨さんは板前さんだったからわたしと父ちゃん、時雨さんの3人メインでやっていこうかなという感じだから。まぁーあと1人くらいいるともっと楽に回せるけど。あとレジが固定しているだけでも本当に助かるわ」
 レジは人が足りない時に入ったことはあるのだがほとんど裏方だった藍里。
 いきなりレジで仕事をするのは大丈夫なのか、さくらは許してくれるのだろうか。こないだ倒れた時もフロアで働いていたことに対してあまり良く思われなかった。

「あとね、これも聞いとるけど……何かあったらわたしたちが守ったるで。いつまでも逃げてちゃあかん」
 里枝は藍里の手をギュッと握った。とても暖かく、強く。

「なーんかあったらうちの父ちゃんは柔道有段者だから、安心しな!」
 と、後ろで里枝の夫が力こぶを見せた。藍里はまた笑った。

「まぁ2人とも変わった人だけど優しいし、不安だったら時雨さんも俺もおるで」
「変わった人とはなんなん。あんたの母さんと姉さんの方よりかはマシやけどね」
「……まぁな」
「藍里ちゃん、せいちゃんはあの2人が嫌だからここから通ってるんよ」
「言うな、おばちゃん」
「事実やろ」
「はい……」
 清太郎は俯く。たしかに強烈な母親とドSな姉に清太郎は抑えられていたイメージはあった。
 その理由は全く藍里は聞いていなかった。東京の大学に進学するのもきっと母親と姉から遠ざかるためなのか? と察した。

「じゃあ明日夕方から働いてもらうけど……体調はどうかね」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃあいろいろと書いてもらうものあるからね、小さい店だけど。時雨さんは来週から働いてくれるみたいだから賑やかになるわねー」

 藍里はほっと一安心した。清太郎を見ると彼もホッとしたのか微笑んだ。

 すると藍里のスマートフォンの着信がなった。メールである。
「あ、ママから……今どこ、って。もしかして」
「前のバイト先か?」
「たぶんママと一緒に行かなきゃ」
「まぁ無理すんなよ」
 藍里は頷き、店を後にした。残った清太郎は里枝たちに小突かれる。

「可愛い子じゃないノォ。早くしないと取られちゃうわよ。ほら紹介してくれた時雨くん、優しそうな子だったから……ってかなり歳離れてるけど、藍里ちゃんみたいな境遇な子は優しい人に優しくされるといくら歳が離れててもフラーっと行っちゃうからね」
 清太郎は里枝たちには時雨が藍里の母の恋人であることと一緒に暮らしているのは言っていなかった。

「そ、そんなことないやろ」
「ありえるの。父さんだってわたしより10離れてるでしょ。うち親が今で言う毒親でね。父さんが優しくって16だった私はフラーっと、あら藍里ちゃんと同じくらいの歳の頃だわーイヤーン」
 勝手に暴走するところが清太郎の母に似てると清太郎は思った。だが確かに時雨と一緒にいることが多い藍里。
 もしかして、と考えてしまう。だがそれは違うと思いながら部屋に入っていった。
「せいちゃーん、あんたのお母さんからまた電話来たけどちゃんと電話しなさいよー」
「はーい」
 清太郎はため息をついた。

「はよこの家からも出たい……」
 放課後、清太郎の弁当屋に行く藍里。夕方は残ったおかずを惣菜品として出して販売している。清太郎は主に平日の夕方、土日で働いている。店にはとある夫婦がいた。
「せいちゃんおかえり、おや……藍里ちゃん。大丈夫だったかね」
 清太郎の母の姉、つまり叔母の里枝であった。藍里はやはり何度見ても清太郎の母に似ていると思いつつも里枝の方が丸くて穏やかそうに見えた。
 学校に行く際に店で働く姿を見てはいたがこうまじまじと対面するのは藍里は初めてだった。

「はい。先日はデザートありがとうございました。母も喜んでました」
「そーかねっ。礼はええよ。てかどうしたの? やっぱ2人はそういう仲なん」
「いや、その……」
 と藍里は清太郎につんつんと人差し指で突っつく。

「あのさ、こないだ紹介した人ともう1人藍里もここで働かせてほしいなぁって」
 藍里もペコペコする。すると清掃作業していた里枝の夫がやってきた。

「ほぉ、この子が清太郎の幼なじみの子か。どえりゃーべっぴんさんやな。……ここで働きたいんか」
「は、はい……」
「料理はできるかい」
「……できないです」
 藍里はダメかぁと少しがっかりする。やはり時雨に料理を教えてもらうべきか。

「こういう可愛い子いるだけでも客は増えるでなぁ。よかったらレジやってくれるとありがたいよ」
 里枝はニコッと笑った。藍里はすぐには採用されないものと思っていてびっくりした。清太郎もよかったよかったと喜ぶ。

「でもこんなべっぴんさんを小さな弁当や 屋で働かせてもいいのかねぇ。せいちゃんや姉ちゃんからも聞いてるけど元々子役さんなんやろ」
「……いえ、働かせていただけてもらえるのだけでもありがたいですし。あ、子役はだいぶ前に辞めました」
「もっと大きなチェーン店とか素敵な舞台で全面に出てる仕事が向いてると思うわよー」
 藍里はその大きなチェーン店のファミレスでクビになったんだよなぁと清太郎を見て苦笑いする。働けるなら……だがさくらにはレジとか前に出て働く仕事はやめなさいとは言われていたがそう贅沢は言えない。
 綾人だって仕事が忙しいし追うこともしないだろう。
 でもさくらにはまだ怖いという気持ちがあるのだろう。

「レジ以外で何か仕事はありますか」
 ついでに、という形で藍里は聞いてみた。すると里枝は首を横に振る。

「まぁこうして父さんみたいに掃除とかはしてもらえるとありがたいけど調理は私と数人のパートさん、そしてあの……梅か昆布かなんだっけ」
「時雨さん、廿原時雨さん。ひどいよおばちゃん。名前間違えんなよ」
 清太郎がツッコむ。藍里はつい笑ってしまった。
「おにぎりの具みたいなお名前だからついね、職業柄。時雨さんは板前さんだったからわたしと父ちゃん、時雨さんの3人メインでやっていこうかなという感じだから。まぁーあと1人くらいいるともっと楽に回せるけど。あとレジが固定しているだけでも本当に助かるわ」
 レジは人が足りない時に入ったことはあるのだがほとんど裏方だった藍里。
 いきなりレジで仕事をするのは大丈夫なのか、さくらは許してくれるのだろうか。こないだ倒れた時もフロアで働いていたことに対してあまり良く思われなかった。

「あとね、これも聞いとるけど……何かあったらわたしたちが守ったるで。いつまでも逃げてちゃあかん」
 里枝は藍里の手をギュッと握った。とても暖かく、強く。

「なーんかあったらうちの父ちゃんは柔道有段者だから、安心しな!」
 と、後ろで里枝の夫が力こぶを見せた。藍里はまた笑った。

「まぁ2人とも変わった人だけど優しいし、不安だったら時雨さんも俺もおるで」
「変わった人とはなんなん。あんたの母さんと姉さんの方よりかはマシやけどね」
「……まぁな」
「藍里ちゃん、せいちゃんはあの2人が嫌だからここから通ってるんよ」
「言うな、おばちゃん」
「事実やろ」
「はい……」
 清太郎は俯く。たしかに強烈な母親とドSな姉に清太郎は抑えられていたイメージはあった。
 その理由は全く藍里は聞いていなかった。東京の大学に進学するのもきっと母親と姉から遠ざかるためなのか? と察した。

「じゃあ明日夕方から働いてもらうけど……体調はどうかね」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃあいろいろと書いてもらうものあるからね、小さい店だけど。時雨さんは来週から働いてくれるみたいだから賑やかになるわねー」

 藍里はほっと一安心した。清太郎を見ると彼もホッとしたのか微笑んだ。

 すると藍里のスマートフォンの着信がなった。メールである。
「あ、ママから……今どこ、って。もしかして」
「前のバイト先か?」
「たぶんママと一緒に行かなきゃ」
「まぁ無理すんなよ」
 藍里は頷き、店を後にした。残った清太郎は里枝たちに小突かれる。

「可愛い子じゃないノォ。早くしないと取られちゃうわよ。ほら紹介してくれた時雨くん、優しそうな子だったから……ってかなり歳離れてるけど、藍里ちゃんみたいな境遇な子は優しい人に優しくされるといくら歳が離れててもフラーっと行っちゃうからね」
 清太郎は里枝たちには時雨が藍里の母の恋人であることと一緒に暮らしているのは言っていなかった。

「そ、そんなことないやろ」
「ありえるの。父さんだってわたしより10離れてるでしょ。うち親が今で言う毒親でね。父さんが優しくって16だった私はフラーっと、あら藍里ちゃんと同じくらいの歳の頃だわーイヤーン」
 勝手に暴走するところが清太郎の母に似てると清太郎は思った。だが確かに時雨と一緒にいることが多い藍里。
 もしかして、と考えてしまう。だがそれは違うと思いながら部屋に入っていった。
「せいちゃーん、あんたのお母さんからまた電話来たけどちゃんと電話しなさいよー」
「はーい」
 清太郎はため息をついた。

「はよこの家からも出たい……」
 次の日の放課後から弁当屋でバイトをする。はじめての仕事で緊張するが常連も多く、昼は惣菜を買いにくるだけの主婦や仕事帰りの中年のサラリーマンが多く混み合うこともなくスムーズに仕事ができた藍里。
 少しヘマはしてしまったが里枝たちはうまく支えてくれた。
 清太郎も夕方の配達を終え藍里の手伝いをする。
「お客さんからもお嫁さんきたかね、て言われちゃったよ」
 里枝はほくほく顔。実際のところ息子2人は結婚して他県にいるがこっちに寄り付かないそうだ。そのこともあってか日に日に藍里は里枝たちから優しくしれ、お客さんからも可愛がられた。

 しかしその間、藍里はさくらとは口を聞かなかった。
 そしてまた仕事の量を増やして藍里となるべく会わないようになってしまった。

 藍里は弁当屋から帰ってくると時雨は相変わらず何かを作っていた。

「おっかえりー。あ、今日は青椒肉絲」
「ただいま。ピーマンとパプリカ食べられるようになったのも時雨くんが作ってくれたからだもんね」
「ふふん。あ、藍里ちゃん。そこにあるもの洗って」
「はぁい」
 得意げに笑う時雨。来週からは時雨も弁当屋でバイトをするのだ。そのため家事を藍里も手伝うことになった。
 なによりも藍里は時雨と一緒にいられるのがやっぱりいい。清太郎もいいのだろうが。

 藍里は食器を洗う隣で手際よく野菜を炒めている時雨を見る。
「藍里ちゃんにもこの作り方を教えてあげるよ。ピーマン、パプリカも赤と黄色、カラフルにすれば見た目も良くなる」
「初めて作ってくれたときこんなにピーマンとかパプリカ美味しいんだって思わなかったもん」
「あとは味をよく覚えて。こんな味だったな、って……」
 と時雨は箸を替えて小皿に乗せて肉とピーマンを絡めて藍里に差し出す。藍里は両手泡だけである。
 口をぱくぱくさせる藍里。時雨は笑いながらその口に入れる。肉とピーマンが口の中に入り、旨味と肉汁が広まる。

「美味しい」
「覚えておいてね」
 藍里は時雨を見る。じっと見つめる。二人きりは何度もあるのに抱き合ってからさらに距離を縮めたくなる気持ちとさらにもっと近くになりたい気持ちが彼女の中に沸々と起こる。清太郎の時なはないこの感情。

 藍里は目を瞑った。
 少し間があって時雨が彼女の肩を持った。
「こーら、そういうことをしないで。洗わないと」
 と時雨は藍里のおでこにあごをつけた。
「……」
「藍里ちゃん」
「ねぇ時雨くん、また抱きしめて欲しい」
 藍里がそう言うと時雨はわかったわかった、と。
「皿洗い終わったらね」


 青椒肉絲は藍里の皿洗いが終わるよりも出来上がって大きなさらに盛られた。

 食べる前に二人はリビングに行き、ソファーに座る。藍里から歩み寄ろうとすると時雨がブランケットを彼女に巻き付ける。
「これがないとだめ?」
「うん、お願い」
 少し納得のいかなさそうな顔をする藍里だが時雨が腕を広げて
「おいで」
 とやるのでくるまった状態で藍里は身を任せる。藍里の頬を撫でる手の匂いは台所洗剤の匂い。

 父親……綾人は家事をしない人だった。彼の手から洗剤の匂いなんて記憶にない。
 そこで藍里はふと我にかえる。

 優しく時雨に抱きしめられていたが藍里は自分から離れた。
「どうしたの? 藍里ちゃん……」
「ありがとう。もういいや」
「……そうか、いつでもおいで。あ、さくらさんのいない時に」
「うん、もちろんよ……そうだ、今日のレシピ教えて。メモする」
 時雨はうんと頷いた。

「でもさ、料理は作りながらが一番教えやすいんだけどね」
「そうかーそうだよね。でもレシピだけでも」
「だから今は少しリラックスして、自分を休ませる時間にしなよ。また明日一品一緒に作ろう。何がいいかな」
 藍里はうーん、と考える。

「オムライスかな」
「ちょうどよかった。卵たくさんあるから。あと中のご飯はチキンライス? バターライス?」
「時雨くんが前作ってくれたのって……美味しかったやつ」
「チキンライスだね。チキンライスから作る?」
「うん、作りたい」
 時雨は関心した。
「意欲的だねー、チキンライスは冷食のやつでもいいけど藍里ちゃんがそういうなら教えちゃうよぉー」
 時雨は部屋からなにやら本やノートを出してきた。

「えっ、これって……」
 沢山レシピが書かれていて絵や文字でいっぱいである。
「子供の頃からつけてたレシピ本と料理メモ。図書館で本を借りてきて写した」
「絵まで描いてる……色まで塗ってるし。上手……」
「へへへっ。てか藍里ちゃん」
 藍里はなに? という顔をした。時雨はしっかりと彼女を見る。

「もっと頼ってよ。藍里ちゃん……僕はいつか君のお父さんになるかもしれないんだ。だから、もっとこうしてほしいとかこうしたいとか……言ってごらん」
 藍里はハッとした。やはりもう自分は時雨とはこれ以上の関係になれないんだと。

「……やっぱママが好きなんだね」
「うん……」
 時雨も色々と何かを飲み込み言葉を選ぶ。

「藍里ちゃんも僕のことが好きって思ってくれるの嬉しい。いい家族になれそうだ……」
 家族、その言葉を聞いてもうやはりそうだと確信した藍里。

「そうだね。時雨くんといると楽しいし、落ち着く」
「僕もだよ。退屈しない。色々と教えてあげるから。頼ってください……」
「はい……って何改まって」
「だよね、てハイハイ……まぁこのノートは貸すから適当に読んでおいて。今は自分のしたいことを優先に、ね」
 藍里はノートを置いた。

「じゃあゲームする」
「はいはい、わかりました」
「めんどう?」
「なわけないよ」

 藍里は運命を恨んだ。

 もしさくらよりも先に時雨と会っていたら……。

 でももう変えられない運命だと思うしかなかったのだ。
 そうこうしてる間に時雨も弁当屋で働きにやってきた。
 この日は日曜。朝からの仕事でさくらもやってきた。どうやら娘の様子が気になったようだ。
 朝の仕込みをしている里枝夫婦のもとに菓子折りを持ってきたさくら。

「ありがとね、わざわざ。藍里ちゃんは本当可愛くてお客様にも人気で活気づいてるよ」
「ご迷惑おかけしてませんか。この子はその……」
「あー、もうもう。お母さん、さくらさんだっけ。姉さんから聞いてるけど自分や自分の娘下げんのやめな。藍里ちゃんはがんばってるから。てか手伝ってくれない?」
「え?」
 とさくらが店に来てすぐの対応である。さくらは藍里と目を合わせたがなんのことかわからない。

「ちょーっと今日パートの人が急用でね。子供調子悪いからって。時雨さん来ても間に合わん。藍里ちゃん調理補助、さくらさん、あんたレジやって」
「はい?」
「姉さんからもあなたのことは色々聞いてる。とにかく今は手伝って」

 さくらは菓子折り渡して帰って久しぶりの日曜休みで寝ようと思っていたようだ。

「ママ、そういうことらしいから……エプロン、これ」
「レジなんて学生のバイト以来触ってないよ」
「大丈夫。レジはタブレットだからすごく簡単なの。私でもわかったから、わからなかったらこのはてなのボタン押せばなんとかなる!」
 藍里自身も補助に入るのはなかなかない。が、時雨の補助となると大丈夫なのかな、と思いつつ、時雨もこの日初めてで多忙を極めるのには不安になるかと思いきやタオルを頭に巻き、Tシャツ姿にエプロン、気合が入っている。

「忙しいが一番仕事しやすいです! 今日からよろしくお願いします!」
 と満遍な笑顔。とてもワクワクしてる少年のよう。藍里はいつも家で家事や料理をしているからか彼が料理をしてるのは見慣れているが、家とは違った雰囲気を横で感じてドキッとしたが今はそんな場合ではない、と手を動かした。

 途中から配達を終えた清太郎も手伝いに合流する。
「今日からよろしくね」
 時雨は清太郎にニコッと笑った。
「あ、はい……よろしくお願いします」
「藍里ちゃんもさ、僕の真似してやってくれてるから宮部くんも真似してな」
 清太郎は藍里の様子を見てると時雨ほどどはないがテキパキとやっている。

「藍里、やればできるんじゃん」
「へへへ、よく時雨くんの料理作ってるところ見てたんだ」
「へぇ……見るだけじゃおぼわらん」

 レジではさくらが久しぶりだとか言いながらも明るく接客をしている。
「声が通るねぇ、さくらさんも」
 里枝もかなり声が大きく通っている方だが、さくらの明るい声と笑顔で彼女初めてみるお客さんもすんなりと受け入れている。

 藍里はさくらが舞台女優をやっている映像を子供の頃に見た時のことを改めて思い出した。
 とても生き生きして表情豊かな彼女をみて自分も女優になるんだ! と。それをさくらに伝えたら
『お母さんの分まで頑張って。わたしが支えてあげるから!』
 と涙目で藍里を見ていた。でもその表情は舞台に立っていた母よりも暗かった。

 時雨と付き合ってからのさくらは少しずつ声の大きさも表情も変わってきた。でもまだ綾人から受けた言葉の暴力に怯えている。

 でも今日は久しぶりに明るいさくらを見て藍里はホッとする。
 仕事の時もきっとこれくらい明るく振る舞っているのだろうか。知らない男性たちに自分の裸を見せる役として演じているのであろう。

 自分達の生活のために。

 藍里はグッと手に力が入る。
「……がんばんなきゃ」
 とつい口からこぼれた。
 清太郎はそれに気づいたがそっと見守っていた。
 昼過ぎになりピークも終わって昼の部の営業も一旦休み。
 弁当屋の奥の居間で従業員全員で昼ごはんを摂る。

「いやー、さくらさんもありがとね。いきなり押しつけちゃってぇ。たすかったわ」
「いえ……久しぶりにレジやったんですけど今のレジってすごいんですね」
「レジもやけどあなたの接客すごかったわー仕事でもテキパキやってらっしゃるでしょー」
 さくらは里枝にそう言われると苦笑いした。彼女のことを知ってる藍里と清太郎もなんとも言えなかった。

 時雨はにこにこと里枝の夫と話をしてる。本当に明るく、初日から多忙だったのだがなんともなさそうである。

「料亭の時もずっと仕込みとか仕出しとか弁当とか料理してたからね。ちょっとずつ感覚取り戻した」
 午前中だけで取り戻せるのもすごいようなものだが。

「里枝さんや店長さんたちがちゃんと仕切ってくれたし。さくらさんに宮部くん、それに藍里ちゃんがいて心強かったよ。ありがとう」
「そうそう、藍里ちゃんもちゃんとできるやんね。いつもよりも捗ったのはせいちゃんがおるからやないの?」
 里枝が清太郎を小突く。

「なんだよ、俺がいなくても藍里はちゃんとできるんだよっ」
 と顔を真っ赤にしてごはんをかきこんだ。藍里も褒められて嬉しかった

「ふつつかな娘と……その、彼ですがよろしくお願いします」
「何言ってる、全然二人とも助かってるぞ。いい娘さんと彼氏さんじゃないか」
 そう里枝の夫に言われ、さくらも頬を真っ赤に染め頭を下げる。

「……いろいろ義理姉さんから聞いてる。僕のお姉さんも嫁ぎ先で小間使いのように扱われてな。家族は嫁いでしまってから何にも助けてやれんかった」
 と里枝の夫は箸を置いて話し始めた。

「とても美しかった姉さんが里に帰ってきた頃にはもうげっそりと見た目が変わってしまってた。何もできなかった……僕は」
 他のみんなも箸を止めた。

「なんでな、酷いことされた人が逃げなかんのやろうな……さくらさんも藍里ちゃんももう安心して表に立って生活してくれ。藍里ちゃんにも言ったけど何かあったら僕たちが守りますからね」
 そう言って席を立ち奥の部屋に行ってしまった。

 さくらは大きく頭を下げ、藍里は俯いた。
「そうそう、今は味方たくさんいる。今日の接客を見てたけどいつもよりもさくらさん輝いてた。藍里ちゃんも」
 時雨がそういうと人目を憚らずさくらは彼に抱きつき、泣いた。彼もしっかりと抱き寄せる。

 藍里は目の前でそれを見て自分の出る幕ではない、と。するとポンと肩を抱かれる。横を見ると清太郎。
「そうそう、もう逃げなくてもいい。藍里もさくらさんも大丈夫だから」
「……宮部くん」
 藍里も泣く。

「こらこら、宮部くん。藍里ちゃんの肩をいつまでも持たない!」
「なんすか、いいじゃないですか。俺は藍里の彼氏だから。あなただって人前でさくらさんとギューっとしてて何言ってるんですか」
「……そ、そのね! まだ二人が付き合うとか付き合わないとか……認めたくない」
 するとさくらが笑った。

「なにやきもち焼いてんのよ。藍里が清太郎にとられて悔しいの? 父親気取り?」
「ち、ちがう! まだ宮部くんのことよく知らないし、そんな知らん人が藍里ちゃんにどさくさ紛れで肩もつとか許せんのだけど……」
 藍里も笑った。もう時雨とは恋に発展しない、そうわかってはいて複雑だが。

 今自分には自分のことを思ってくれている清太郎がいる。
 藍里はふと時雨を見た。彼は微笑んだ。
 さくらは昼ごはんのあとに家に帰り、時雨は残りの休憩時間は寝たいと和室を借りてすぐ寝息を立てた。

「なんだかんだで朝からうちの家事をいつものようにやってから来たから疲れたんだろうね」
「すぐ寝ちまったな……」
 と時雨の寝顔を見て二人は和室の襖を閉じた。

「あのさ、俺の部屋行くか?」
「えっ……」
「べつになにもしないって」
 藍里はキョロキョロしてる。里枝夫婦も居間におらず、まだ休憩時間も残っている。

「べつに時雨さんみたいに寝ててもいいけど?」
「んー、なんか目が冴えてる」
「まじか、なら部屋行くか?」
「その流れで行くの……変な感じだけど行く」
「ついてこい」
 藍里は清太郎についていった。彼女は同世代の男の人の部屋には入ったことがない。
 階段を登るたびにドキドキする。下には他の大人たちはいるのに二人きりで、と思うと藍里はドキドキした。
 時雨といる時は平気だったのに……と思いながらも。

 部屋は2階、階段上がってすぐのところにあった。昔はここに里枝の長男、清太郎の従兄弟が使っていたそうだ。彼らはもう結婚して県外から出て行っている。
 部屋は至って普通でベッドと学習机はそのまま中身は変えて使わせてもらっているようで従兄弟たちは清太郎よりも十歳上だからか少し年季が入ってた。

 ドアを閉め中に入る。机の上にはたくさんの参考書やノートがある。大きな窓はとても景色がよく見える。藍里の部屋は窓が小さい。直ぐ隣に建物があってこんなに綺麗に見えない。
「椅子でもいいし、ベッドでも好きな方でどうぞ」
「じゃあ、いす。すごい良い椅子だね」
「その椅子は昔から使ってて座ってても疲れにくいから持ってきた」
 藍里はその椅子が気に入って深くぐいぐい跳ねると椅子が沈むので何度もやってみた。
 清太郎はその無邪気な姿、そして時折スカートがフワッとあがる瞬間がありドキッとした。

「こら、壊れるわ」
「ごめんごめん、たのしくてつい。清太郎も座ってよ。こっちの椅子がよかった? 私ベッド行くから」
「いい、いい、ここに座れ。俺は立ったままでいい」
 そう、と藍里は机の上に目をやる。東京の大学の過去問の参考書。

「すごいね、勉強してる」
「当たり前だろ……てかお前は進路決まったのかよ」
「大学展今度行ってから」
「ある程度目星つけとけよ。無駄なところ回ると大変だから」
「大丈夫、時雨くんと行くから」
「……さくらさんは仕事か」
「うん、しょうがないよ」
「俺が行けたらよかったのにな。去年行ったからある程度勝手はわかる」
「だってその日、おばさんたちくるんでしょ」
「ああ、憂鬱。夕方には栄で集合でよかったよな」
 そう、大学展のあと清太郎親子と藍里親子、時雨で会うことになったのだ。ほぼほぼ清太郎の母親のゴリ押しである。

「しつこいからさ、ごめんな。さくらさんにさっき言えばよかったけど」
「私がうまく言っとく……でもさ里枝さん見てたら宮部くんのお母さんみたいで、たぶんママもそう思ったと思う」
「里枝さんもだけどそれ以上だから。その中間が姉貴で」
 藍里は笑った。笑っては行けないのだが。

「おじさんはほんと穏やかだよね。宮部くんのお父さんも宮部くんも」
「宮部家の男は全員こんなんだ……」
 二人の間に沈黙が流れる。二人きりで部屋の中で何をするのもどうすればいいのやら。
 子供の頃は平気だったのに、とお互い成長して年頃の年代になり意識しあってしまう。

「あのさ、もう宮部くんじゃなくて清太郎って呼んで」
「ああ……清太郎……うん」
「そう、それでいいよ。今度みんなで会う時3人宮部いるからさ」
「それでなんだ……」
 清太郎は床に座る。藍里も合わせて椅子から降りて床に座る。

「椅子に座れよ」
「ううん、この方が目線同じ」
 なら、とベッドに座る清太郎。藍里も座る。すると清太郎が肩を抱き寄せる。

「ちょっと……」
「……」
「まだ返事してなかったね」
 と藍里が言った瞬間、清太郎がキスをした。
 数日後、清太郎と共に担任へ弁当屋でバイトをしていることを報告する藍里。担任は清太郎の働いている弁当屋で、仕事もうまくいっているというと、そうか、それなら大丈夫かと言うだけであった。


 藍里と清太郎が教室に戻った。するとクラスメイト三人衆が2人に駆け寄る。

「何か酷いことされた? 言われた?」
「大丈夫。バイト頑張れってくらい」
「そうかー。でも宮部くんと同じところで働けるならいいよねぇ」
 3人は藍里を椅子に座らせる。

「こないだよー、藍里が病み上がりっつーのに。俺がいなかったらどうなってたんだろうか」
「そうよね。無理しないでね、藍里ちゃん。あの担任のことはもう無視の無視!」
 優香は声がデカく清太郎から声小さくしろ、と怒られてテヘヘと笑った。

 するとなつみは雑誌を持ってきた。
「2人きりだったら何しれてたかわからないよ。藍里ちゃん可愛いから。さぁ、気持ち切り替えてー。藍里ちゃんは何が好きなのある? 芸能人とか歌手とかキャラとか」
「……えっと」
 表紙が綾人だった。隣にはダブル主演の尊タケルもいるが藍里はまじまじと綾人を見てしまう。清太郎はすぐ取り上げた。

「ちょ、宮部くんなにするのよー。あ、さっきさぁ綾人見てたよね? まさか好きだったりする?」
 なつみは清太郎から雑誌を返してもらおうと必死だ。藍里は立ち上がって代わりに雑誌を手に取った。そしてそれを見る。
 自分の父親である綾人、そして数ページめくるとインタビュー記事と映画の娘役オーディションのことも書いてある。

「やっぱり好きなの、綾人のこと……」
 藍里は反応しない。その姿を清太郎は見る。オーディションは岐阜、愛知、三重それぞれで行われる、選ばれれば綾人演じる主人公の娘役として映画に出演できて芸能活動とすることができる。
 選ばれなくても各事務所からのスカウトで芸能活動ができると書いてあった。そこには昔藍里が所属していた事務所の名前もあった。

「……藍里?」
 清太郎は自分の腕に藍里がぎゅっと右手で掴んでいた。

「な、なんでもない。どっちかと言えばこの隣の尊タケルのほうが私は好き」
 藍里は嘘をついた。

「へー、結構おじさんとか好きなんだ。意外な藍里」
「まぁね……」
「てか絶対オーディションとか受けたら一発合格だよ、藍里」
「無理無理、オーディションだなんて。特技とかないし」
 清太郎はそういう藍里をじっと見ていた。そんなはずはないと。

 クラスメイト三人衆は賑やかにしている中、その中のアキだけはなんか浮かない顔だ。
「……」
 彼女はスマートフォンを見た。その画面を見るととあるメール画面が。

『この度は推薦ありがとうございました。橘綾人娘役オーディション第一次審査に合格いたしましたのでご連絡いたしました。次回の審査に関しましてご本人様とも連絡をお取りしたいと思いますのでご本人様に以下の書類を推薦者様から渡していただきたいです』

 という文字が。アキは項垂れていた。

「アキ、どうしたの……」
「な、何でもない! 私も尊タケル好きだよ。今度映画出るらしいじゃん。コテージでの殺人事件ミステリー!!!」 
「ああ。なんかテレビで見たきがする」
 と藍里は取り繕っていた。

 心の中ではオーディションが気になってはいた。子供の頃、子役で何度かオーディションを受けた。さくらがいつも見守っててくれた。
「藍里は大丈夫。藍里はできる!」
 そう言い聞かせてくれていた。
 でもほとんどメインのオーディションには落ちて端役しかもらえない。セリフも一つあるか無いか。

 家に帰ると綾人がさくらに向かって罵倒している。
「おまえがちゃんとレッスンの時のことをメモして藍里に復習させることをしてないからだ!」
「マネージャーを違う人に任せた方がいいんじゃ無いの? 大した仕事取らないくせに家事も中途半端なんだけど。こんなんだったら藍里、受からないよ」
 ……藍里はそれを目の前で見てきた。何で自分がダメだったのにさくらが怒られているのだろうか。

 その次に思い出したのはさくらと藍里が二人きりになった場面。
「あんたがトチるからダメになるの! 受からないとお父さんに怒られるのは私なんだからね!」
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
「何で泣くの! 泣きたいのは私なのよ!」
 さくらから大量の涙。綾人の前では流さなかった涙が両目から。藍里は何も言えなかった。

 そして次は台所で家事をしているさくら。調理、食器洗い、全てを一人でしていた。
 綾人はソファーでゴロンとして次のアマチュア舞台の台本を読んでいた。
「藍里、おいで」
 藍里は綾人の元に行く。この部屋はさくらのいるキッチンから見えない。
 タバコの匂いが服からも、手からも。藍里はぎゅっと綾人を抱きしめる。

「藍里、温かいだろ」
「うん……」
「ほら、もっと触ってよ」
 綾人は藍里の手を握り綾人の服の中に引き寄せ……。




「!!」
 藍里は我にかえる。

「藍里ちゃん、大丈夫?」
「……大丈夫……」

 藍里は清太郎と目を合わせた。
 突然のことに藍里は離れた。

「バカ」
「……ごめん、つい」
「ついじゃないでしょ」
 二人は再び距離を縮める。手を握る。
「今日はここまでだよ」
「すまなかった。でも手はいいんだな」
 藍里は頷いた。清太郎はぎゅっと握った。

「あのさ、おじさんが……あの話したのは初めてだけどな。おじさんのお姉さんは自殺したって言ってた。げっそり痩せて帰ってきたってのは死に顔がそうだったらしい」
「……帰ってきた時はもう亡くなってたの?」
「だってよ。俺が生まれる前のことだから母さんも見たことあったらしいけど……こき使われて耐えきれずに自殺、荼毘にされずに田舎に遺体をじいちゃんたちが持って帰ってきたらしい」
「……そんなひどい」
「だから俺は母ちゃんに昔から俺に好きな女を泣かすな、酷いことするな、優しくしろ、守れってどれだけ言われたことか」
 だからか、清太郎の優しさは、と藍里は思った。

「さくらさんには時雨さんがいるし、お前には俺がいる。だからもう怖くない。逃げなくていい。辛い思いした人が逃げなくてもいい」

 そう清太郎が言うと藍里は抱きしめた。
「手、繋ぐだけじゃなかったのか?」
「なんとなくね。てか、清太郎もお母さんたちが嫌で逃げてきたくせに。子供の頃からお母さんやお姉さんたちに女は大事しろ、とかってさ……そう押さえつけられてて嫌だったんでしょ、辛かったんでしょ……」
「……」
 清太郎は図星で声が出なかった。ぎゅっと藍里は抱きしめると清太郎も抱きしめた。

 そしてベッドにそのまま倒れ込み、二人は見つめあった。藍里は時雨との抱擁とは違ったものを感じた。匂いも感触も違う。
 清太郎の目は涙で潤んでいた。藍里も涙がでる。

 そしてキスを再び……。

「おーい、藍里ちゃん。清太郎くんー」
 階下から時雨の声がした。二人はハッとした。

「時雨くん、若い子たちが二人でおるのに邪魔したらいけないよ」
 と一緒に里枝の声もした。かなりでかい声。時雨が何か言ってはいるが聞こえない。

 藍里と清太郎は笑った。そして、改めてキスをした。



 休憩時間いっぱいまで二人で抱き合って何度もキスして見つめあった。

「子供の頃さ、一緒に寝たの覚えてるか」
「うん、てかよくある幼馴染エピソード」
「かなぁ。藍里といるときが一番落ち着いた」
「わたしも、清太郎といる時が一番落ち着いた……」
「てかなんか……これまでに彼氏いたのか」
 藍里はドキッとした。もちろんいなかったがその前には時雨に抱きしめてもらった、それくらいだがそれはカウントされないだろうかとヒヤヒヤした。

「いないよ、てか清太郎は? なんかやけに手慣れてる」
「手慣れてるって……いねぇよ。漫画とかドラマとかそういうやつ」
「そういうやつって、やっぱり見てるんだ」
「……悪いか、ちゃんと健全なやつ」
「健全なやつって何よー」
 と茶化す藍里の唇を清太郎が唇で塞ぐ。何度も口づけをする。鼓動が重なり合う。

「もう、下に行こう……」
「……だな」
「恥ずかしいね、降りるの」
「藍里から降りろ」
「……うん」
 ともう一度キスをして抱きしめあった。


 案の定、藍里が階段から降りると時雨はいつも以上に忙しなく動いていた。
 悩み事や考え事があるときは動いてた方が楽だ、それを言っていたのを思い出した藍里。隣では里枝夫婦たちがにこやかに待ってた。

「ほれ、準備して。さくらさんいないから藍里ちゃんが今度レジしなきゃ」
「はぁい」
 と髪の毛を束ねてエプロンを着た。時雨は少し寂しげな顔をしていたが仕込みに集中していた。

「私、表立ってくるね」
「おや、どうしたの」
「まだ惣菜残ってるんでしょ。外で出してくる……清太郎ーっ、清太郎ー」
 藍里が清太郎を呼ぶ。遅れて降りてきた清太郎。少しドキドキが残ってはいる。時雨が清太郎を見ている。

「どうしたんだよ、藍里」
「清太郎、外で惣菜出して売りたいの」
「えっ……」
 今まで藍里は店の中でレジをしていた、さくらに言われた通りに中で仕事をしていた。

 藍里は決めたのだ。もう逃げる必要はない、中に閉じこもってはいけないと。

「藍里ちゃん、いいのか……」
 時雨も心配している。が、里枝と里枝の夫は頷いた。

「じゃあ出すかね、いい案じゃない。藍里ちゃん。せいちゃん、手伝って!」
「は、はい!」

 藍里は店の外に出た。深く息を吸った。清太郎が横に立つ。
 隣に清太郎がいるから大丈夫、と。

「はい、これも売ってよ。店長さんが材料残ったってつくりました」
 大学芋を時雨は持ってきた。
「あ、これ美味しいやつー」
「まじか?」
「うん、あ……いらっしゃいませ!」

 時雨は店内から見守るか、と中に入っていった。
 そのころ時雨は家で焼きそばを食べていた。藍里の弁当の中にも入れ、昼に自分でも食べてまた夜に藍里と自分、そしてさくらも食べる。

「たくさん作っちゃったなぁー」
 と食べ終わった後、食器を運びふとコンロに目をやる。……タバコをまたふと吸いたくなる。さくらには交際当初に吸うのは辞めてくれと言われ、高校生の藍里がいるのもあってやめたのだが、藍里がタバコの吸い終わった後の手の匂いを喜んでいたのを思い出す。
 しばらくは二人きりになっても抱きつくこともしなくなった。
 藍里は清太郎と付き合い始めたからだ。


 と時雨はしまっておいたこっそり買ったタバコの箱を取り出して吸っていた頃のように手慣れた感じでタバコをひょいと出してコンロの日にタバコを近づけて口にした。

 そして吸った煙をふぅーっとコンロの換気扇に当てる。流石に板前の頃は店ではすることはなかったが、さくらの前に付き合っていた女性の家に泊まった頃に一緒にタバコを吸ってこのようにしていたこともあったという余計な過去と思い出してしまった。

 彼はそう恋愛経験はないし、恋人も指で数えても片手で済む、過去の恋もそんな修羅場とかすごく悲しい思い出もなかった。

 ここ数年はさくらのことが一番だったはずなのに、その娘の藍里、しかも自分よりも一回り以上下の高校生にかき回されるだなんて思いもしなかったようだ。

 一度自分がさくらのことをどうもできず泣きついてしまった時はつい、であったが藍里から抱きつかれた時には流石に不意打ちで、自分の体が反応してしまった時に咄嗟にタオルケットで藍里を巻いてから抱きついたもののやはりダメだった。
 あの時さくらが帰って来なかったらその自分の性の捌け口の行方は……。

 久しぶりに最後までさくらと愛を交わせた、と。あの時コンビニで避妊具を買って台所にそのまま袋に入れて置いてあったのを思い出して使った。

 隣のリビングのソファで藍里が寝ているのにも関わらずそういう行為をしてしまったのは反省したいところだが自分の欲を発散させるためにはしょうがなかった。さくらもいつも以上に興奮しており声も大きかった。満足させてあげられて時雨は嬉しかった。

 でもその避妊具は藍里との間に何かしらの気持ちが起きてしまってその時に使おうとは思ってはいた。だがそんな良からぬことで使うこともなく。自分は高校生の藍里と、ましてや恋人のさくらとそういう関係になろうということを考えてしまったことに反省してしまう。

 そして今は藍里は……清太郎のそばにいる。少し胸が痛む。

 ふぅっとまた大きく煙を吐く。
「馬鹿か、僕は……」
 とタバコを瓶に擦り付けて火を消す。タバコの箱もまだタバコは入ってるのにそのまま捨てた。そして掃除を始める。気を紛らわすには掃除、料理、家事だと。良からぬ思いを考える前にと。

 鼻歌を歌いながら掃除をする。

 ががが……

 何か掃除機の先が詰まっている。ガガガガという音。時雨はヘッドを見ると紙が詰まっていた。
 何かのメモ用紙である。

「エージェントタウン……」
 そう書かれた紙の下に電話番号と住所。筆跡からさくらの字だとわかった。藍里の学校に提出する書類に会社名を書くときにメモをしたものだろう、時雨は捨てようとした。だが彼女の仕事をしっかり聞いていなかった。

 自分は養われている身分からして詮索はするまいと思ってはいた。だが……つい気になり持っていたスマートフォンで検索した。

 そして会社のサイトをクリックし、読み進める時雨。


「……!」