次の日の放課後から弁当屋でバイトをする。はじめての仕事で緊張するが常連も多く、昼は惣菜を買いにくるだけの主婦や仕事帰りの中年のサラリーマンが多く混み合うこともなくスムーズに仕事ができた藍里。
 少しヘマはしてしまったが里枝たちはうまく支えてくれた。
 清太郎も夕方の配達を終え藍里の手伝いをする。
「お客さんからもお嫁さんきたかね、て言われちゃったよ」
 里枝はほくほく顔。実際のところ息子2人は結婚して他県にいるがこっちに寄り付かないそうだ。そのこともあってか日に日に藍里は里枝たちから優しくしれ、お客さんからも可愛がられた。

 しかしその間、藍里はさくらとは口を聞かなかった。
 そしてまた仕事の量を増やして藍里となるべく会わないようになってしまった。

 藍里は弁当屋から帰ってくると時雨は相変わらず何かを作っていた。

「おっかえりー。あ、今日は青椒肉絲」
「ただいま。ピーマンとパプリカ食べられるようになったのも時雨くんが作ってくれたからだもんね」
「ふふん。あ、藍里ちゃん。そこにあるもの洗って」
「はぁい」
 得意げに笑う時雨。来週からは時雨も弁当屋でバイトをするのだ。そのため家事を藍里も手伝うことになった。
 なによりも藍里は時雨と一緒にいられるのがやっぱりいい。清太郎もいいのだろうが。

 藍里は食器を洗う隣で手際よく野菜を炒めている時雨を見る。
「藍里ちゃんにもこの作り方を教えてあげるよ。ピーマン、パプリカも赤と黄色、カラフルにすれば見た目も良くなる」
「初めて作ってくれたときこんなにピーマンとかパプリカ美味しいんだって思わなかったもん」
「あとは味をよく覚えて。こんな味だったな、って……」
 と時雨は箸を替えて小皿に乗せて肉とピーマンを絡めて藍里に差し出す。藍里は両手泡だけである。
 口をぱくぱくさせる藍里。時雨は笑いながらその口に入れる。肉とピーマンが口の中に入り、旨味と肉汁が広まる。

「美味しい」
「覚えておいてね」
 藍里は時雨を見る。じっと見つめる。二人きりは何度もあるのに抱き合ってからさらに距離を縮めたくなる気持ちとさらにもっと近くになりたい気持ちが彼女の中に沸々と起こる。清太郎の時なはないこの感情。

 藍里は目を瞑った。
 少し間があって時雨が彼女の肩を持った。
「こーら、そういうことをしないで。洗わないと」
 と時雨は藍里のおでこにあごをつけた。
「……」
「藍里ちゃん」
「ねぇ時雨くん、また抱きしめて欲しい」
 藍里がそう言うと時雨はわかったわかった、と。
「皿洗い終わったらね」


 青椒肉絲は藍里の皿洗いが終わるよりも出来上がって大きなさらに盛られた。

 食べる前に二人はリビングに行き、ソファーに座る。藍里から歩み寄ろうとすると時雨がブランケットを彼女に巻き付ける。
「これがないとだめ?」
「うん、お願い」
 少し納得のいかなさそうな顔をする藍里だが時雨が腕を広げて
「おいで」
 とやるのでくるまった状態で藍里は身を任せる。藍里の頬を撫でる手の匂いは台所洗剤の匂い。

 父親……綾人は家事をしない人だった。彼の手から洗剤の匂いなんて記憶にない。
 そこで藍里はふと我にかえる。

 優しく時雨に抱きしめられていたが藍里は自分から離れた。
「どうしたの? 藍里ちゃん……」
「ありがとう。もういいや」
「……そうか、いつでもおいで。あ、さくらさんのいない時に」
「うん、もちろんよ……そうだ、今日のレシピ教えて。メモする」
 時雨はうんと頷いた。

「でもさ、料理は作りながらが一番教えやすいんだけどね」
「そうかーそうだよね。でもレシピだけでも」
「だから今は少しリラックスして、自分を休ませる時間にしなよ。また明日一品一緒に作ろう。何がいいかな」
 藍里はうーん、と考える。

「オムライスかな」
「ちょうどよかった。卵たくさんあるから。あと中のご飯はチキンライス? バターライス?」
「時雨くんが前作ってくれたのって……美味しかったやつ」
「チキンライスだね。チキンライスから作る?」
「うん、作りたい」
 時雨は関心した。
「意欲的だねー、チキンライスは冷食のやつでもいいけど藍里ちゃんがそういうなら教えちゃうよぉー」
 時雨は部屋からなにやら本やノートを出してきた。

「えっ、これって……」
 沢山レシピが書かれていて絵や文字でいっぱいである。
「子供の頃からつけてたレシピ本と料理メモ。図書館で本を借りてきて写した」
「絵まで描いてる……色まで塗ってるし。上手……」
「へへへっ。てか藍里ちゃん」
 藍里はなに? という顔をした。時雨はしっかりと彼女を見る。

「もっと頼ってよ。藍里ちゃん……僕はいつか君のお父さんになるかもしれないんだ。だから、もっとこうしてほしいとかこうしたいとか……言ってごらん」
 藍里はハッとした。やはりもう自分は時雨とはこれ以上の関係になれないんだと。

「……やっぱママが好きなんだね」
「うん……」
 時雨も色々と何かを飲み込み言葉を選ぶ。

「藍里ちゃんも僕のことが好きって思ってくれるの嬉しい。いい家族になれそうだ……」
 家族、その言葉を聞いてもうやはりそうだと確信した藍里。

「そうだね。時雨くんといると楽しいし、落ち着く」
「僕もだよ。退屈しない。色々と教えてあげるから。頼ってください……」
「はい……って何改まって」
「だよね、てハイハイ……まぁこのノートは貸すから適当に読んでおいて。今は自分のしたいことを優先に、ね」
 藍里はノートを置いた。

「じゃあゲームする」
「はいはい、わかりました」
「めんどう?」
「なわけないよ」

 藍里は運命を恨んだ。

 もしさくらよりも先に時雨と会っていたら……。

 でももう変えられない運命だと思うしかなかったのだ。