恋の味ってどんなの?

 藍里は2日後、病院で経過観察を受けて特に以上もなく休んだおかげもあってか学校に行けるようになった。
 時雨に抱きしめてもらったのはあの時だけだった。そのあと時雨とさくらが愛し合った声を聞いていた藍里はしばらく自室にこもっていた。

 そんな彼女に時雨は3食美味しいご飯を用意した。さくらはまた仕事に行ったものの藍里がリビングに来ないのを心配する。

 そして学校に行く日の朝。
「藍里ちゃん、お弁当作ったよ。無理しないでね。なんなら車で送るよ」
「ありがとう、たぶん宮部くん外で待ってるから」
 時雨は少しフゥンと言ったが笑顔で藍里を見送った。さくらもこの日は仕事に行っている。

 下に降りると清太郎が待っていた。
「おはよう、藍里」
「おはよう、迎えに来てくれてありがとう」
「当たり前やん……行くぞ。ゆっくりでいい」
「うん」
 時折歩幅が大きくなる清太郎だが藍里に気を遣ってゆっくり歩く。藍里はそれに気づいて嬉しくなる。
 特に言葉は交わすことはなかったがすごく幸せな時間なんだ、と。



 教室に行くと藍里はクラスメイトたちに出迎えられた。
「久しぶり! 無理しないでね」
「百田さん……いや、藍里! 困ったことあったら私たちがなんとかするわ」
「仲良くしましょうね、藍里!」
 アキ、優香、なつみが藍里を囲む。藍里は戸惑って清太郎を見ると

「俺が伝えたらこの3人が真っ先に喜んだ。同性同士、男の俺に言いにくいことあったら彼女たちに……なっ」
 清太郎は頭をかく。藍里はしばらく友達はできなかった。清太郎がそういうなら、と信じようと思った。

 他のクラスメイトにも声をかけられた。こんなに優しくしてもらったことはない。
「藍里?」

 清太郎にそう声をかけられた藍里の目から涙が出ていた。
「藍里、泣かないで……」
 優香がハンカチで藍里の涙を拭う。

「何で泣いちゃったのかな……ごめん。そうだ、みんなノートありがとう」
「大丈夫よ。あ、ノートわかった? アキがめっちゃ字が汚いし」
「うるさいなー、ギャル文字のなつみには言われたくないわ!」
 藍里が笑うとみんなは笑う。その姿を見て清太郎もホッとした。

 担任が朝のホームルームにやってきた。藍里が登校しているのを確認すると
「よかったな、無理すんなよ」
 と声をかけられると藍里は頷いた。こんなふうに多くの人に心配されたり声をかけられることもなかった藍里は戸惑いつつも学校生活を再開するのであった。


 昼になると清太郎といつも食べていた藍里は優香たち3人も交えて5人で食べる。
 弁当箱を開けると焼きそば、唐揚げ、卵焼き、具がツナマヨと梅干しのおにぎり。フルーツはパイン。

「おいしそーっ……これって藍里が作ったの?」
 そう言うアキは購買部のやきそばパンである。
「ううん、違うよ」
「えっ、じゃあお母さん?」
 優香も母親の手作りの弁当だった。デコ弁で、聞くところによるとそれが趣味なんだとか。
 藍里はさくらは作ることもしないし、みんなの知らないさくらの恋人である時雨が作ってるだなんて言うにも言えない。先日時雨と鉢合わせた清太郎に目を配ると彼もどうしよう、みたいな顔をしていた。

「まぁ、そうかな」
 と、返答を濁したが誰もそこまで気にしなかった。
「……美味しそうやな」
「食べる? てか食べてみて」
 清太郎はじゃあ、と取ろうとするとなつみがニコニコと食べた。
「あっ、俺の……」
「弱肉強食、ふふふ。ああ美味しい」
 なつみは昨日の晩御飯をよく詰めて持ってくる。自分で一応作った分類になるようだが。

 クラスメイト三人衆は笑って先に全部弁当を平らげて屋上で遊んでくるーと足早に去っていった。

 また藍里と清太郎だけになる。
「まだ唐揚げ残ってるけど食べる?」
「いいよ、ありがとう。てか……時雨さんだっけ。今日昼ごはん焼きそばだろうな」
「……確かに。それか夜ご飯にも出てくるかもね」
「青のりかけないのも配慮できてる。唐揚げもうまくあがってる。すごいなぁ、やっぱり弁当屋来てほしい」
「……時雨くんも働きたいって。ママがどう言ってるか知らないけど」

 するとそこに担任がやってきた。
「百田くん、話あるんだがきてくれないか?」
「あ、はい……」
 藍里は立ち上がろうとしたが、
「俺も一緒に同席いいっすか」
 清太郎が間に入る。

「何で宮部も」
 担任は何故か眉を垂れ下げがっかりしてるようだ。
「いや、藍里の母さんから……あまり一人にするなって」
 藍里は清太郎を見る。そんなこと言わなかったような、と。

「たしか宮部は百田さん親子と面識あるんだよね。まぁならいいか。ここじゃあれだから……食べ終わったらきてくれないか」

 藍里は何があったのだろうか、と不安になる。清太郎が彼女の肩を叩く。
「大丈夫、俺がいるから」
 藍里は頷いた。
 担任は自分の顧問である美術部の準備室に二人を入れた。油絵の油の匂いや画材の独特な匂いが混ざる。
 たくさんの作品や彫刻も並ぶ中、担任は自分の机の前に二つ椅子を並べた。

 清太郎は藍里を先に座らせ、藍里は不安になりながらも担任を見る。

「……百田さん、復帰したばかりで本当に大変だと思うが、ちゃんと宿題もできていて、元々成績も良かったし頑張ってやり抜く力はありますね」
「ありがとう、ございます……」
 何だ、とホッとしたのも束の間。

「そのですね、編入してきた時にお話は大体聞いてましたが……本当に大丈夫か?」
 藍里はその大丈夫か、という言葉にまたヒヤリと感じた。

「実はな、君が休みの間にバイト先のオーナーさんから連絡が入ってね」
 藍里は自分のマンションの管理人を思い出した。社員沖田の親が管理人なのである。

「辞めてもらおうかと言う話があってね」
「えっ」
「また後日改めてお話しはあると思うがね……他にも色々と」
 藍里は何が何だかわからないようだ。まだしばらくバイトは休む予定だったが、全く連絡はなかった。

「なんでバイト先からこっちに連絡来るんですか」
 清太郎が藍里の代わりに身を乗り出して話す。担任は苦い顔をしている。

「まぁ人材不足でフロア未経験の百田さんを体調もチェックしないでいきなり激務をさせて倒れさせるまでしたのはアウトだとは思いましたがね……」
「バイトはクビなんですか?」
 藍里は不安が過ぎる。たしかに彼女のバイト代は家庭の足しにはあまりならないものの、自分の必要なものなどを買うとか少しの貯金をと思っていたが、ほとんどのバイトはさくらが嫌がる表に出る仕事しかなく、裏方を何とかさせてもらえる職場だった。

「クビ、というか……仕事先での百田さんのお話も聞きましてね、裏方での仕事も備品を、お皿を割ったり指示通りにできないとのことで違う仕事で百田さんのあった仕事があるのでは、とのことでしたね」
 たしかに皿を割ったりとか上手くできないという事実は藍里は自分自身もわかってはいたが、社員の沖田はともかく理生や先輩たちが大丈夫と言ってくれていたのに、と。

「確かにね、ご家族で大変なことがあって逃げられてお母様一人で働いててお辛いかと思いますが……仕事先ももう少し広げて他の職場を探しましょう。じゃないと変なことを考える生徒が多いですから。今までの経験上」
 変なこと、と言われて藍里はよくわからなかった。

「変なことって。藍里は……そんなことはしないです」
 清太郎には何となくわかったようだ。今年に入っただけでも数人の女子生徒が売春やらなんやらで警察に補導されて彼らのクラスでも一人先輩に唆されて美人局をしたということもあった。それは藍里は知らない。
「いや、ねぇ。どうしよう、百田さんも宮部くんにも言うのはあれなんですけどね。お母様がお母様ですから」
「お母さんが、母がどうしたんですか」
 担任はニヤリと笑った。

「ああ、知らなかったのですが。百田さんのお母様の仕事先を調べさせてもらいましたよ。いや変な意味じゃなくて緊急連絡先としてね、スマートフォンでは全く繋がらなくて。会社の方にお電話させてもらいましたら……その……」
「やめろっ」
 清太郎は立ち上がって担任のところに向かうが藍里が止める。
「おや、宮部くんは知ってたんですか?」
「……」
「百田さんは知らないのですか? お母様の仕事を」
 藍里は首を縦に振る。

「……そうですか、流石に言えませんよね。接客業、といえば接客業ですし、私もその仕事をする人に対しては偏見を持ってはいけないとは思ってますよ。でも流石にね」
「藍里には言わないでください」
「でもいつかはバレるでしょう。百田さんも同じようなことで仕事をして道を外して欲しくない、心配だから言ってるんです。宮部くんも幼馴染でお付き合いしているのならそんなことしてほしくないでしょ?」
 清太郎は言葉が出なかった。拳は強く握っているのに藍里は気づいた。全く何が何だかわからない。

「やっぱり付き合ってますか。どこまでのお付き合いかわかりませんが、ねぇ」
「藍里のことは俺が何とかします。仕事も一緒に探します!」
「ほぉ、そうか……それなら安心だな。まぁまた決まったら報告してくれ。それと、避妊はしっかりしろよな」
 清太郎はデリカシーのない言葉にまた立ち上がるが藍里が抑えた。

「あとね、オーナーさんがこないだ百田さんが倒れた時に知らない男の人が救急車に乗り込んだって」
「あっ……」
「オーナーも学校でも百田さんのご家庭は母娘二人暮らしとしか聞いてません」
「母の、恋人です」
「そう……大丈夫? 変なことされてない?」
 清太郎はもう耐えきれず担任につかみかかった。

「お前っ、いい加減にしろよ! 藍里はまだ病み上がりなんだっ。それにその人はそんなことをする人じゃない!」
「やめて、宮部くん!」
 藍里は清太郎を抑えるがもうダメである。担任は怯まずに清太郎の腕を掴み捻り返す。

「これは正当防衛です。これ以上やるとわかってますよね? 停学、そして百田さんはさらに傷つく……」
「るせぇ、不倫ゲス野郎っ。いでっ!!」
 さらにきつく担任は腕を掴む。

「……百田さん、住む場所無くなりますよ。オーナーも怒り心頭ですから。息子さんもヘルニア再発させられた、人員削減、今まで目を瞑ってたのも耐えられないと」

 藍里は泣き崩れた。
「まぁまたお母様と連絡ついたら電話しますが……その前にもうオーナーさんからバイトの連絡も来ると思いますしね、制服を早いうちに返しにいってください。お母様は本当にお仕事お忙しいようで」
 とニヤッと担任は笑って部屋を出て行った。

「……最悪だ、あの野郎」
 二人きりになった美術準備室。藍里にティッシュを渡して背中をさする清太郎。

「ごめんね、宮部くん。私のせいで」
「お前は謝る必要はない、辛いだろ」
「もうわけわかんない、バイトは首になるし、なんか宮部くんは怒ってるし、先生も。それに住むところがなくなるって?」
「あいつのせいだ。こんな時に!」

 藍里は鼻を啜りながら清太郎の腕を掴む。顔はなるべく見せないようにしてる。

「ママ……ママがなんなの? ママの仕事ってなんなの? 宮部くんは知ってるの?」
 清太郎は口籠った。
「ねぇ、知ってるの? ねえっ……」
「知らないんだよな、なぁ」
「うん」
「本人から聞くか?」
「……うん。時雨くんも知らないって」
「マジかよ」
「知らないのに付き合ってるのか……てっきり知ってるかと」
 清太郎は驚いていた。藍里はよくわからない。さくらの仕事先の名前を思い出そうとするが思い出せない。でも聞いたことのない名前。

「仕事どうしよう……」
「おばさんに聞いて弁当屋の仕事やるか?」
 藍里は首を横に振る。

「私、足手まといだったんだもんね。理生先輩とかパートのおばさんとか大丈夫大丈夫とか言ってたけど裏でそんなこと言ってた。フロアの仕事もうまく回せなかった。接客業だからああいう理不尽な人たくさんいる、それをうまくかわすのも仕事なのに。裏でも表もできないなら……弁当屋さんも足手まといになる」
「まだファミレスの仕事も半年も経ってなかったろ? 誰でも最初はそういうことがある。俺も弁当屋でも一年バイトしてても怒られてっぞ」
 藍里は不安になる。いつも微笑んでいた理生や職場の人たちが直接は言えない藍里の評価を人伝に聞く、どれだけ辛いことか。

 すると清太郎が藍里を抱きしめる。
「清太郎っ……」
「俺が守ってやる、前は冗談って言ったけど俺は藍里の彼氏だ。俺と一緒に探そう」
 少しずつ強く抱きしめられる。鼓動がかさなる。藍里も顔が赤くなる。清太郎も。

「宮部くん、ここは学校だよ。恥ずかしい……」
「はずかしい……ごめん」
 と清太郎は藍里から離れた。

「……でもしばらくは休んだほうがいい」
「働かないと……でもママの仕事って何、宮部くんは知ってるの?」
「……じゃあ私検索する。覚えてる? 会社の名前」
 藍里はスマホを取り出した。清太郎は首を横に振る。
「なんで……ママは何をしてるの。まさか詐欺とか悪いことしてるの?」
「やめとけ、今は」
「ママ、私のために働いているの。私も助けないと」
「……確かに一生懸命働いていると思う。でも今は知る必要もないし、もし知りたいなら本人が、さくらさんが言いたいというタイミングでお前にいうと思う」
「なんで、なんで宮部くんは知ってるのに教えてくれないの」
 藍里は声を荒げてしまった。二人の間に沈黙が。
 清太郎は観念した。

「……お前の母さんは詐欺とか悪いことじゃないんだけどさ、男性の前で裸を見せる仕事をしてる」
「……」
「風俗とは同じかどうか知らんけど、直接触られるものではないけど……いろんな男の人がお金を出してお前のお母さんの裸を見てる」
「……」
 藍里は言葉が出なかった。
「もちろん俺は十八歳以下だから見れんけど……ホームページで調べてその会社が経営しているサイトの紹介にはそう書いてあった。色々調べたら家でもスマホ一台でできるけどそういう事務所で個室になってて、その……そういう部屋で……きっと仕事に行くと言ってそこに行ってるんだろう」
「……」
「本拠地は神奈川、お前が前にいた場所、寮完備……」
「たしかに……私の住んでいたところはお父さんがいない人が多かった」
「どうだかわからないけどシングルや独身の女の子とかそういう子たちに貸していたんだろうな」
「……」
「これはあくまでもネットで検索……いや、その本の出来心であの書類の会社名をスマホで調べたら出たわけで、そのサービス自体もその、まだ十八歳未満だからみることはできなくて……」
 清太郎は狼狽えている。が、さっきまで動揺していた藍里はフーッとため息ついた。

「詐欺じゃなくてよかった。でもそういう仕事なら納得いくところあったわ。生理の時は休んでたし、夜遅くから言って朝過ぎに帰ってきたり……月初はほとんど家にいなかったり……」
「月初は客が給料もらって入金するんだろうな、だからそこが一番稼ぎ時だ」
 藍里は清太郎をじっと見る。
「こういうのはどこの商売もそうだろ、こういうのは俺はよくわからん」
「ほんと?」
「ほんとだ、あほう。さっきから言ってる通り十八歳未満は見れんの!」
「見れたら見るのかー」
「こらぁ」
「……揶揄うと可愛い。昔もそうだった」
「藍里……」
「もう行こう。ふっきれたよ。ママには聞かないけどさ。私決意した。ママにそんな仕事しなくてもいいように私、頑張らなきゃ」
「だな……藍里はするなよ」
 藍里は清太郎を小突く。

「するか、ばーか」
「バカで悪かったな、仕事探すぞ。って弁当屋でいいやろ」
「かなぁ……」
「さっそく学校終わったら弁当屋来い!」
「宮部くん、ほんとスパルタ……」
 二人は笑った。
 放課後、清太郎の弁当屋に行く藍里。夕方は残ったおかずを惣菜品として出して販売している。清太郎は主に平日の夕方、土日で働いている。店にはとある夫婦がいた。
「せいちゃんおかえり、おや……藍里ちゃん。大丈夫だったかね」
 清太郎の母の姉、つまり叔母の里枝であった。藍里はやはり何度見ても清太郎の母に似ていると思いつつも里枝の方が丸くて穏やかそうに見えた。
 学校に行く際に店で働く姿を見てはいたがこうまじまじと対面するのは藍里は初めてだった。

「はい。先日はデザートありがとうございました。母も喜んでました」
「そーかねっ。礼はええよ。てかどうしたの? やっぱ2人はそういう仲なん」
「いや、その……」
 と藍里は清太郎につんつんと人差し指で突っつく。

「あのさ、こないだ紹介した人ともう1人藍里もここで働かせてほしいなぁって」
 藍里もペコペコする。すると清掃作業していた里枝の夫がやってきた。

「ほぉ、この子が清太郎の幼なじみの子か。どえりゃーべっぴんさんやな。……ここで働きたいんか」
「は、はい……」
「料理はできるかい」
「……できないです」
 藍里はダメかぁと少しがっかりする。やはり時雨に料理を教えてもらうべきか。

「こういう可愛い子いるだけでも客は増えるでなぁ。よかったらレジやってくれるとありがたいよ」
 里枝はニコッと笑った。藍里はすぐには採用されないものと思っていてびっくりした。清太郎もよかったよかったと喜ぶ。

「でもこんなべっぴんさんを小さな弁当や 屋で働かせてもいいのかねぇ。せいちゃんや姉ちゃんからも聞いてるけど元々子役さんなんやろ」
「……いえ、働かせていただけてもらえるのだけでもありがたいですし。あ、子役はだいぶ前に辞めました」
「もっと大きなチェーン店とか素敵な舞台で全面に出てる仕事が向いてると思うわよー」
 藍里はその大きなチェーン店のファミレスでクビになったんだよなぁと清太郎を見て苦笑いする。働けるなら……だがさくらにはレジとか前に出て働く仕事はやめなさいとは言われていたがそう贅沢は言えない。
 綾人だって仕事が忙しいし追うこともしないだろう。
 でもさくらにはまだ怖いという気持ちがあるのだろう。

「レジ以外で何か仕事はありますか」
 ついでに、という形で藍里は聞いてみた。すると里枝は首を横に振る。

「まぁこうして父さんみたいに掃除とかはしてもらえるとありがたいけど調理は私と数人のパートさん、そしてあの……梅か昆布かなんだっけ」
「時雨さん、廿原時雨さん。ひどいよおばちゃん。名前間違えんなよ」
 清太郎がツッコむ。藍里はつい笑ってしまった。
「おにぎりの具みたいなお名前だからついね、職業柄。時雨さんは板前さんだったからわたしと父ちゃん、時雨さんの3人メインでやっていこうかなという感じだから。まぁーあと1人くらいいるともっと楽に回せるけど。あとレジが固定しているだけでも本当に助かるわ」
 レジは人が足りない時に入ったことはあるのだがほとんど裏方だった藍里。
 いきなりレジで仕事をするのは大丈夫なのか、さくらは許してくれるのだろうか。こないだ倒れた時もフロアで働いていたことに対してあまり良く思われなかった。

「あとね、これも聞いとるけど……何かあったらわたしたちが守ったるで。いつまでも逃げてちゃあかん」
 里枝は藍里の手をギュッと握った。とても暖かく、強く。

「なーんかあったらうちの父ちゃんは柔道有段者だから、安心しな!」
 と、後ろで里枝の夫が力こぶを見せた。藍里はまた笑った。

「まぁ2人とも変わった人だけど優しいし、不安だったら時雨さんも俺もおるで」
「変わった人とはなんなん。あんたの母さんと姉さんの方よりかはマシやけどね」
「……まぁな」
「藍里ちゃん、せいちゃんはあの2人が嫌だからここから通ってるんよ」
「言うな、おばちゃん」
「事実やろ」
「はい……」
 清太郎は俯く。たしかに強烈な母親とドSな姉に清太郎は抑えられていたイメージはあった。
 その理由は全く藍里は聞いていなかった。東京の大学に進学するのもきっと母親と姉から遠ざかるためなのか? と察した。

「じゃあ明日夕方から働いてもらうけど……体調はどうかね」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃあいろいろと書いてもらうものあるからね、小さい店だけど。時雨さんは来週から働いてくれるみたいだから賑やかになるわねー」

 藍里はほっと一安心した。清太郎を見ると彼もホッとしたのか微笑んだ。

 すると藍里のスマートフォンの着信がなった。メールである。
「あ、ママから……今どこ、って。もしかして」
「前のバイト先か?」
「たぶんママと一緒に行かなきゃ」
「まぁ無理すんなよ」
 藍里は頷き、店を後にした。残った清太郎は里枝たちに小突かれる。

「可愛い子じゃないノォ。早くしないと取られちゃうわよ。ほら紹介してくれた時雨くん、優しそうな子だったから……ってかなり歳離れてるけど、藍里ちゃんみたいな境遇な子は優しい人に優しくされるといくら歳が離れててもフラーっと行っちゃうからね」
 清太郎は里枝たちには時雨が藍里の母の恋人であることと一緒に暮らしているのは言っていなかった。

「そ、そんなことないやろ」
「ありえるの。父さんだってわたしより10離れてるでしょ。うち親が今で言う毒親でね。父さんが優しくって16だった私はフラーっと、あら藍里ちゃんと同じくらいの歳の頃だわーイヤーン」
 勝手に暴走するところが清太郎の母に似てると清太郎は思った。だが確かに時雨と一緒にいることが多い藍里。
 もしかして、と考えてしまう。だがそれは違うと思いながら部屋に入っていった。
「せいちゃーん、あんたのお母さんからまた電話来たけどちゃんと電話しなさいよー」
「はーい」
 清太郎はため息をついた。

「はよこの家からも出たい……」
 放課後、清太郎の弁当屋に行く藍里。夕方は残ったおかずを惣菜品として出して販売している。清太郎は主に平日の夕方、土日で働いている。店にはとある夫婦がいた。
「せいちゃんおかえり、おや……藍里ちゃん。大丈夫だったかね」
 清太郎の母の姉、つまり叔母の里枝であった。藍里はやはり何度見ても清太郎の母に似ていると思いつつも里枝の方が丸くて穏やかそうに見えた。
 学校に行く際に店で働く姿を見てはいたがこうまじまじと対面するのは藍里は初めてだった。

「はい。先日はデザートありがとうございました。母も喜んでました」
「そーかねっ。礼はええよ。てかどうしたの? やっぱ2人はそういう仲なん」
「いや、その……」
 と藍里は清太郎につんつんと人差し指で突っつく。

「あのさ、こないだ紹介した人ともう1人藍里もここで働かせてほしいなぁって」
 藍里もペコペコする。すると清掃作業していた里枝の夫がやってきた。

「ほぉ、この子が清太郎の幼なじみの子か。どえりゃーべっぴんさんやな。……ここで働きたいんか」
「は、はい……」
「料理はできるかい」
「……できないです」
 藍里はダメかぁと少しがっかりする。やはり時雨に料理を教えてもらうべきか。

「こういう可愛い子いるだけでも客は増えるでなぁ。よかったらレジやってくれるとありがたいよ」
 里枝はニコッと笑った。藍里はすぐには採用されないものと思っていてびっくりした。清太郎もよかったよかったと喜ぶ。

「でもこんなべっぴんさんを小さな弁当や 屋で働かせてもいいのかねぇ。せいちゃんや姉ちゃんからも聞いてるけど元々子役さんなんやろ」
「……いえ、働かせていただけてもらえるのだけでもありがたいですし。あ、子役はだいぶ前に辞めました」
「もっと大きなチェーン店とか素敵な舞台で全面に出てる仕事が向いてると思うわよー」
 藍里はその大きなチェーン店のファミレスでクビになったんだよなぁと清太郎を見て苦笑いする。働けるなら……だがさくらにはレジとか前に出て働く仕事はやめなさいとは言われていたがそう贅沢は言えない。
 綾人だって仕事が忙しいし追うこともしないだろう。
 でもさくらにはまだ怖いという気持ちがあるのだろう。

「レジ以外で何か仕事はありますか」
 ついでに、という形で藍里は聞いてみた。すると里枝は首を横に振る。

「まぁこうして父さんみたいに掃除とかはしてもらえるとありがたいけど調理は私と数人のパートさん、そしてあの……梅か昆布かなんだっけ」
「時雨さん、廿原時雨さん。ひどいよおばちゃん。名前間違えんなよ」
 清太郎がツッコむ。藍里はつい笑ってしまった。
「おにぎりの具みたいなお名前だからついね、職業柄。時雨さんは板前さんだったからわたしと父ちゃん、時雨さんの3人メインでやっていこうかなという感じだから。まぁーあと1人くらいいるともっと楽に回せるけど。あとレジが固定しているだけでも本当に助かるわ」
 レジは人が足りない時に入ったことはあるのだがほとんど裏方だった藍里。
 いきなりレジで仕事をするのは大丈夫なのか、さくらは許してくれるのだろうか。こないだ倒れた時もフロアで働いていたことに対してあまり良く思われなかった。

「あとね、これも聞いとるけど……何かあったらわたしたちが守ったるで。いつまでも逃げてちゃあかん」
 里枝は藍里の手をギュッと握った。とても暖かく、強く。

「なーんかあったらうちの父ちゃんは柔道有段者だから、安心しな!」
 と、後ろで里枝の夫が力こぶを見せた。藍里はまた笑った。

「まぁ2人とも変わった人だけど優しいし、不安だったら時雨さんも俺もおるで」
「変わった人とはなんなん。あんたの母さんと姉さんの方よりかはマシやけどね」
「……まぁな」
「藍里ちゃん、せいちゃんはあの2人が嫌だからここから通ってるんよ」
「言うな、おばちゃん」
「事実やろ」
「はい……」
 清太郎は俯く。たしかに強烈な母親とドSな姉に清太郎は抑えられていたイメージはあった。
 その理由は全く藍里は聞いていなかった。東京の大学に進学するのもきっと母親と姉から遠ざかるためなのか? と察した。

「じゃあ明日夕方から働いてもらうけど……体調はどうかね」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃあいろいろと書いてもらうものあるからね、小さい店だけど。時雨さんは来週から働いてくれるみたいだから賑やかになるわねー」

 藍里はほっと一安心した。清太郎を見ると彼もホッとしたのか微笑んだ。

 すると藍里のスマートフォンの着信がなった。メールである。
「あ、ママから……今どこ、って。もしかして」
「前のバイト先か?」
「たぶんママと一緒に行かなきゃ」
「まぁ無理すんなよ」
 藍里は頷き、店を後にした。残った清太郎は里枝たちに小突かれる。

「可愛い子じゃないノォ。早くしないと取られちゃうわよ。ほら紹介してくれた時雨くん、優しそうな子だったから……ってかなり歳離れてるけど、藍里ちゃんみたいな境遇な子は優しい人に優しくされるといくら歳が離れててもフラーっと行っちゃうからね」
 清太郎は里枝たちには時雨が藍里の母の恋人であることと一緒に暮らしているのは言っていなかった。

「そ、そんなことないやろ」
「ありえるの。父さんだってわたしより10離れてるでしょ。うち親が今で言う毒親でね。父さんが優しくって16だった私はフラーっと、あら藍里ちゃんと同じくらいの歳の頃だわーイヤーン」
 勝手に暴走するところが清太郎の母に似てると清太郎は思った。だが確かに時雨と一緒にいることが多い藍里。
 もしかして、と考えてしまう。だがそれは違うと思いながら部屋に入っていった。
「せいちゃーん、あんたのお母さんからまた電話来たけどちゃんと電話しなさいよー」
「はーい」
 清太郎はため息をついた。

「はよこの家からも出たい……」
 次の日の放課後から弁当屋でバイトをする。はじめての仕事で緊張するが常連も多く、昼は惣菜を買いにくるだけの主婦や仕事帰りの中年のサラリーマンが多く混み合うこともなくスムーズに仕事ができた藍里。
 少しヘマはしてしまったが里枝たちはうまく支えてくれた。
 清太郎も夕方の配達を終え藍里の手伝いをする。
「お客さんからもお嫁さんきたかね、て言われちゃったよ」
 里枝はほくほく顔。実際のところ息子2人は結婚して他県にいるがこっちに寄り付かないそうだ。そのこともあってか日に日に藍里は里枝たちから優しくしれ、お客さんからも可愛がられた。

 しかしその間、藍里はさくらとは口を聞かなかった。
 そしてまた仕事の量を増やして藍里となるべく会わないようになってしまった。

 藍里は弁当屋から帰ってくると時雨は相変わらず何かを作っていた。

「おっかえりー。あ、今日は青椒肉絲」
「ただいま。ピーマンとパプリカ食べられるようになったのも時雨くんが作ってくれたからだもんね」
「ふふん。あ、藍里ちゃん。そこにあるもの洗って」
「はぁい」
 得意げに笑う時雨。来週からは時雨も弁当屋でバイトをするのだ。そのため家事を藍里も手伝うことになった。
 なによりも藍里は時雨と一緒にいられるのがやっぱりいい。清太郎もいいのだろうが。

 藍里は食器を洗う隣で手際よく野菜を炒めている時雨を見る。
「藍里ちゃんにもこの作り方を教えてあげるよ。ピーマン、パプリカも赤と黄色、カラフルにすれば見た目も良くなる」
「初めて作ってくれたときこんなにピーマンとかパプリカ美味しいんだって思わなかったもん」
「あとは味をよく覚えて。こんな味だったな、って……」
 と時雨は箸を替えて小皿に乗せて肉とピーマンを絡めて藍里に差し出す。藍里は両手泡だけである。
 口をぱくぱくさせる藍里。時雨は笑いながらその口に入れる。肉とピーマンが口の中に入り、旨味と肉汁が広まる。

「美味しい」
「覚えておいてね」
 藍里は時雨を見る。じっと見つめる。二人きりは何度もあるのに抱き合ってからさらに距離を縮めたくなる気持ちとさらにもっと近くになりたい気持ちが彼女の中に沸々と起こる。清太郎の時なはないこの感情。

 藍里は目を瞑った。
 少し間があって時雨が彼女の肩を持った。
「こーら、そういうことをしないで。洗わないと」
 と時雨は藍里のおでこにあごをつけた。
「……」
「藍里ちゃん」
「ねぇ時雨くん、また抱きしめて欲しい」
 藍里がそう言うと時雨はわかったわかった、と。
「皿洗い終わったらね」


 青椒肉絲は藍里の皿洗いが終わるよりも出来上がって大きなさらに盛られた。

 食べる前に二人はリビングに行き、ソファーに座る。藍里から歩み寄ろうとすると時雨がブランケットを彼女に巻き付ける。
「これがないとだめ?」
「うん、お願い」
 少し納得のいかなさそうな顔をする藍里だが時雨が腕を広げて
「おいで」
 とやるのでくるまった状態で藍里は身を任せる。藍里の頬を撫でる手の匂いは台所洗剤の匂い。

 父親……綾人は家事をしない人だった。彼の手から洗剤の匂いなんて記憶にない。
 そこで藍里はふと我にかえる。

 優しく時雨に抱きしめられていたが藍里は自分から離れた。
「どうしたの? 藍里ちゃん……」
「ありがとう。もういいや」
「……そうか、いつでもおいで。あ、さくらさんのいない時に」
「うん、もちろんよ……そうだ、今日のレシピ教えて。メモする」
 時雨はうんと頷いた。

「でもさ、料理は作りながらが一番教えやすいんだけどね」
「そうかーそうだよね。でもレシピだけでも」
「だから今は少しリラックスして、自分を休ませる時間にしなよ。また明日一品一緒に作ろう。何がいいかな」
 藍里はうーん、と考える。

「オムライスかな」
「ちょうどよかった。卵たくさんあるから。あと中のご飯はチキンライス? バターライス?」
「時雨くんが前作ってくれたのって……美味しかったやつ」
「チキンライスだね。チキンライスから作る?」
「うん、作りたい」
 時雨は関心した。
「意欲的だねー、チキンライスは冷食のやつでもいいけど藍里ちゃんがそういうなら教えちゃうよぉー」
 時雨は部屋からなにやら本やノートを出してきた。

「えっ、これって……」
 沢山レシピが書かれていて絵や文字でいっぱいである。
「子供の頃からつけてたレシピ本と料理メモ。図書館で本を借りてきて写した」
「絵まで描いてる……色まで塗ってるし。上手……」
「へへへっ。てか藍里ちゃん」
 藍里はなに? という顔をした。時雨はしっかりと彼女を見る。

「もっと頼ってよ。藍里ちゃん……僕はいつか君のお父さんになるかもしれないんだ。だから、もっとこうしてほしいとかこうしたいとか……言ってごらん」
 藍里はハッとした。やはりもう自分は時雨とはこれ以上の関係になれないんだと。

「……やっぱママが好きなんだね」
「うん……」
 時雨も色々と何かを飲み込み言葉を選ぶ。

「藍里ちゃんも僕のことが好きって思ってくれるの嬉しい。いい家族になれそうだ……」
 家族、その言葉を聞いてもうやはりそうだと確信した藍里。

「そうだね。時雨くんといると楽しいし、落ち着く」
「僕もだよ。退屈しない。色々と教えてあげるから。頼ってください……」
「はい……って何改まって」
「だよね、てハイハイ……まぁこのノートは貸すから適当に読んでおいて。今は自分のしたいことを優先に、ね」
 藍里はノートを置いた。

「じゃあゲームする」
「はいはい、わかりました」
「めんどう?」
「なわけないよ」

 藍里は運命を恨んだ。

 もしさくらよりも先に時雨と会っていたら……。

 でももう変えられない運命だと思うしかなかったのだ。
 そうこうしてる間に時雨も弁当屋で働きにやってきた。
 この日は日曜。朝からの仕事でさくらもやってきた。どうやら娘の様子が気になったようだ。
 朝の仕込みをしている里枝夫婦のもとに菓子折りを持ってきたさくら。

「ありがとね、わざわざ。藍里ちゃんは本当可愛くてお客様にも人気で活気づいてるよ」
「ご迷惑おかけしてませんか。この子はその……」
「あー、もうもう。お母さん、さくらさんだっけ。姉さんから聞いてるけど自分や自分の娘下げんのやめな。藍里ちゃんはがんばってるから。てか手伝ってくれない?」
「え?」
 とさくらが店に来てすぐの対応である。さくらは藍里と目を合わせたがなんのことかわからない。

「ちょーっと今日パートの人が急用でね。子供調子悪いからって。時雨さん来ても間に合わん。藍里ちゃん調理補助、さくらさん、あんたレジやって」
「はい?」
「姉さんからもあなたのことは色々聞いてる。とにかく今は手伝って」

 さくらは菓子折り渡して帰って久しぶりの日曜休みで寝ようと思っていたようだ。

「ママ、そういうことらしいから……エプロン、これ」
「レジなんて学生のバイト以来触ってないよ」
「大丈夫。レジはタブレットだからすごく簡単なの。私でもわかったから、わからなかったらこのはてなのボタン押せばなんとかなる!」
 藍里自身も補助に入るのはなかなかない。が、時雨の補助となると大丈夫なのかな、と思いつつ、時雨もこの日初めてで多忙を極めるのには不安になるかと思いきやタオルを頭に巻き、Tシャツ姿にエプロン、気合が入っている。

「忙しいが一番仕事しやすいです! 今日からよろしくお願いします!」
 と満遍な笑顔。とてもワクワクしてる少年のよう。藍里はいつも家で家事や料理をしているからか彼が料理をしてるのは見慣れているが、家とは違った雰囲気を横で感じてドキッとしたが今はそんな場合ではない、と手を動かした。

 途中から配達を終えた清太郎も手伝いに合流する。
「今日からよろしくね」
 時雨は清太郎にニコッと笑った。
「あ、はい……よろしくお願いします」
「藍里ちゃんもさ、僕の真似してやってくれてるから宮部くんも真似してな」
 清太郎は藍里の様子を見てると時雨ほどどはないがテキパキとやっている。

「藍里、やればできるんじゃん」
「へへへ、よく時雨くんの料理作ってるところ見てたんだ」
「へぇ……見るだけじゃおぼわらん」

 レジではさくらが久しぶりだとか言いながらも明るく接客をしている。
「声が通るねぇ、さくらさんも」
 里枝もかなり声が大きく通っている方だが、さくらの明るい声と笑顔で彼女初めてみるお客さんもすんなりと受け入れている。

 藍里はさくらが舞台女優をやっている映像を子供の頃に見た時のことを改めて思い出した。
 とても生き生きして表情豊かな彼女をみて自分も女優になるんだ! と。それをさくらに伝えたら
『お母さんの分まで頑張って。わたしが支えてあげるから!』
 と涙目で藍里を見ていた。でもその表情は舞台に立っていた母よりも暗かった。

 時雨と付き合ってからのさくらは少しずつ声の大きさも表情も変わってきた。でもまだ綾人から受けた言葉の暴力に怯えている。

 でも今日は久しぶりに明るいさくらを見て藍里はホッとする。
 仕事の時もきっとこれくらい明るく振る舞っているのだろうか。知らない男性たちに自分の裸を見せる役として演じているのであろう。

 自分達の生活のために。

 藍里はグッと手に力が入る。
「……がんばんなきゃ」
 とつい口からこぼれた。
 清太郎はそれに気づいたがそっと見守っていた。
 昼過ぎになりピークも終わって昼の部の営業も一旦休み。
 弁当屋の奥の居間で従業員全員で昼ごはんを摂る。

「いやー、さくらさんもありがとね。いきなり押しつけちゃってぇ。たすかったわ」
「いえ……久しぶりにレジやったんですけど今のレジってすごいんですね」
「レジもやけどあなたの接客すごかったわー仕事でもテキパキやってらっしゃるでしょー」
 さくらは里枝にそう言われると苦笑いした。彼女のことを知ってる藍里と清太郎もなんとも言えなかった。

 時雨はにこにこと里枝の夫と話をしてる。本当に明るく、初日から多忙だったのだがなんともなさそうである。

「料亭の時もずっと仕込みとか仕出しとか弁当とか料理してたからね。ちょっとずつ感覚取り戻した」
 午前中だけで取り戻せるのもすごいようなものだが。

「里枝さんや店長さんたちがちゃんと仕切ってくれたし。さくらさんに宮部くん、それに藍里ちゃんがいて心強かったよ。ありがとう」
「そうそう、藍里ちゃんもちゃんとできるやんね。いつもよりも捗ったのはせいちゃんがおるからやないの?」
 里枝が清太郎を小突く。

「なんだよ、俺がいなくても藍里はちゃんとできるんだよっ」
 と顔を真っ赤にしてごはんをかきこんだ。藍里も褒められて嬉しかった

「ふつつかな娘と……その、彼ですがよろしくお願いします」
「何言ってる、全然二人とも助かってるぞ。いい娘さんと彼氏さんじゃないか」
 そう里枝の夫に言われ、さくらも頬を真っ赤に染め頭を下げる。

「……いろいろ義理姉さんから聞いてる。僕のお姉さんも嫁ぎ先で小間使いのように扱われてな。家族は嫁いでしまってから何にも助けてやれんかった」
 と里枝の夫は箸を置いて話し始めた。

「とても美しかった姉さんが里に帰ってきた頃にはもうげっそりと見た目が変わってしまってた。何もできなかった……僕は」
 他のみんなも箸を止めた。

「なんでな、酷いことされた人が逃げなかんのやろうな……さくらさんも藍里ちゃんももう安心して表に立って生活してくれ。藍里ちゃんにも言ったけど何かあったら僕たちが守りますからね」
 そう言って席を立ち奥の部屋に行ってしまった。

 さくらは大きく頭を下げ、藍里は俯いた。
「そうそう、今は味方たくさんいる。今日の接客を見てたけどいつもよりもさくらさん輝いてた。藍里ちゃんも」
 時雨がそういうと人目を憚らずさくらは彼に抱きつき、泣いた。彼もしっかりと抱き寄せる。

 藍里は目の前でそれを見て自分の出る幕ではない、と。するとポンと肩を抱かれる。横を見ると清太郎。
「そうそう、もう逃げなくてもいい。藍里もさくらさんも大丈夫だから」
「……宮部くん」
 藍里も泣く。

「こらこら、宮部くん。藍里ちゃんの肩をいつまでも持たない!」
「なんすか、いいじゃないですか。俺は藍里の彼氏だから。あなただって人前でさくらさんとギューっとしてて何言ってるんですか」
「……そ、そのね! まだ二人が付き合うとか付き合わないとか……認めたくない」
 するとさくらが笑った。

「なにやきもち焼いてんのよ。藍里が清太郎にとられて悔しいの? 父親気取り?」
「ち、ちがう! まだ宮部くんのことよく知らないし、そんな知らん人が藍里ちゃんにどさくさ紛れで肩もつとか許せんのだけど……」
 藍里も笑った。もう時雨とは恋に発展しない、そうわかってはいて複雑だが。

 今自分には自分のことを思ってくれている清太郎がいる。
 藍里はふと時雨を見た。彼は微笑んだ。
 さくらは昼ごはんのあとに家に帰り、時雨は残りの休憩時間は寝たいと和室を借りてすぐ寝息を立てた。

「なんだかんだで朝からうちの家事をいつものようにやってから来たから疲れたんだろうね」
「すぐ寝ちまったな……」
 と時雨の寝顔を見て二人は和室の襖を閉じた。

「あのさ、俺の部屋行くか?」
「えっ……」
「べつになにもしないって」
 藍里はキョロキョロしてる。里枝夫婦も居間におらず、まだ休憩時間も残っている。

「べつに時雨さんみたいに寝ててもいいけど?」
「んー、なんか目が冴えてる」
「まじか、なら部屋行くか?」
「その流れで行くの……変な感じだけど行く」
「ついてこい」
 藍里は清太郎についていった。彼女は同世代の男の人の部屋には入ったことがない。
 階段を登るたびにドキドキする。下には他の大人たちはいるのに二人きりで、と思うと藍里はドキドキした。
 時雨といる時は平気だったのに……と思いながらも。

 部屋は2階、階段上がってすぐのところにあった。昔はここに里枝の長男、清太郎の従兄弟が使っていたそうだ。彼らはもう結婚して県外から出て行っている。
 部屋は至って普通でベッドと学習机はそのまま中身は変えて使わせてもらっているようで従兄弟たちは清太郎よりも十歳上だからか少し年季が入ってた。

 ドアを閉め中に入る。机の上にはたくさんの参考書やノートがある。大きな窓はとても景色がよく見える。藍里の部屋は窓が小さい。直ぐ隣に建物があってこんなに綺麗に見えない。
「椅子でもいいし、ベッドでも好きな方でどうぞ」
「じゃあ、いす。すごい良い椅子だね」
「その椅子は昔から使ってて座ってても疲れにくいから持ってきた」
 藍里はその椅子が気に入って深くぐいぐい跳ねると椅子が沈むので何度もやってみた。
 清太郎はその無邪気な姿、そして時折スカートがフワッとあがる瞬間がありドキッとした。

「こら、壊れるわ」
「ごめんごめん、たのしくてつい。清太郎も座ってよ。こっちの椅子がよかった? 私ベッド行くから」
「いい、いい、ここに座れ。俺は立ったままでいい」
 そう、と藍里は机の上に目をやる。東京の大学の過去問の参考書。

「すごいね、勉強してる」
「当たり前だろ……てかお前は進路決まったのかよ」
「大学展今度行ってから」
「ある程度目星つけとけよ。無駄なところ回ると大変だから」
「大丈夫、時雨くんと行くから」
「……さくらさんは仕事か」
「うん、しょうがないよ」
「俺が行けたらよかったのにな。去年行ったからある程度勝手はわかる」
「だってその日、おばさんたちくるんでしょ」
「ああ、憂鬱。夕方には栄で集合でよかったよな」
 そう、大学展のあと清太郎親子と藍里親子、時雨で会うことになったのだ。ほぼほぼ清太郎の母親のゴリ押しである。

「しつこいからさ、ごめんな。さくらさんにさっき言えばよかったけど」
「私がうまく言っとく……でもさ里枝さん見てたら宮部くんのお母さんみたいで、たぶんママもそう思ったと思う」
「里枝さんもだけどそれ以上だから。その中間が姉貴で」
 藍里は笑った。笑っては行けないのだが。

「おじさんはほんと穏やかだよね。宮部くんのお父さんも宮部くんも」
「宮部家の男は全員こんなんだ……」
 二人の間に沈黙が流れる。二人きりで部屋の中で何をするのもどうすればいいのやら。
 子供の頃は平気だったのに、とお互い成長して年頃の年代になり意識しあってしまう。

「あのさ、もう宮部くんじゃなくて清太郎って呼んで」
「ああ……清太郎……うん」
「そう、それでいいよ。今度みんなで会う時3人宮部いるからさ」
「それでなんだ……」
 清太郎は床に座る。藍里も合わせて椅子から降りて床に座る。

「椅子に座れよ」
「ううん、この方が目線同じ」
 なら、とベッドに座る清太郎。藍里も座る。すると清太郎が肩を抱き寄せる。

「ちょっと……」
「……」
「まだ返事してなかったね」
 と藍里が言った瞬間、清太郎がキスをした。