恋の味ってどんなの?

 藍里は何とか受けごたえもできて会話もできるが頭を強く打ったという清太郎の証言もあったため、念の為に検査を受けることになり、少し時間がかかるようだ。

 時雨と清太郎はベンチで待つ。互いに知らない同志。男と男。病院ということもあり静かな時間。

「あのさ……また明日学校もあるから君は先に帰っててもいいよ、親御さんも心配するだろう」
 と言い出したのは時雨だった。清太郎は首を横に振った。

「僕は親戚の家に居候していまして……連絡もしてます。正直居候の家にいるよりかは外にいた方がいいから待ちます」
「いや、もう夜8時だよ。だったらタクシー呼ぶから」
「いいえ、藍里のそばにいてあげたいです」
 清太郎の強い眼差しに時雨はびっくりした。

「ごめんね、なんか……追い出してるわけではないけど、なんというか」
 時雨は少しひるんでるようだ。

「さくらさんの娘さんで……ほら付き合ってるんだけど、一緒にいる時間が長くて。なんというか、そのね……」
 と口を濁らせてるようにしどろもどろに時雨が目線を合わせずに答えてると、さくらがあわててやってきた。
 着の身着のまま来たらしく、ルームウェアだがなんとか外でもセーフな格好であった。

「藍里はっ、時雨くん……ってあなたは」
 さくらは目の前でスッと立ち上がった青年の清太郎を見てハッとする。
 数年前に見た時よりも大人になったが面影はあるようだ。

「……宮部、清太郎くんよね? お久しぶりね」
「お久しぶりです。懐かしいですね」
「うん、あらまーあんなに小さかっ……いや、それがもうこんなにっ。藍里に時雨くんよりも大きい」
 比べられた時雨は苦笑い。

「180はあるので。父さんに似ました」
「そうだったわね……まさかこんなところで会うなんて。制服、藍里の学校だから……岐阜からここまで通ってる?」
「親戚の家が近くなんで下宿してます」
「藍里、まったく言ってなかったわよ。クラスメイトだなんて」

 すると時雨が首を横に振る。
「なんか藍里ちゃんの彼氏だって」
 さくらはびっくりする。清太郎は慌てる。
「いや、あれは冗談です」
 するとそこに看護師がやってきて静かに! のジェスチャーをされ、3人は一緒にベンチに座る。看護師が藍里の家族の一人として書類や説明などを聞かされ、記入していく。

「でも藍里が倒れたなんて……あっ」
「なんか心当たりでも」
 さくらだけが藍里が生理だと知っていた。しかし男二人には言うに言えない。

「藍里はファミレスで接客中に倒れたんですよ。僕あの時客としていて。見てました」
「……接客」
 さくらは書く手を停めた。藍里には表に立つ仕事をするなと何度も口酸っぱく言っていた。綾人と離れても彼に見つかってはいけないという不安がある。

「どうやら人手が少なくて裏方で働いてた藍里がヘルプでやってたんですよ。不慣れなのに仕事もきつそうで、最後接客してたところは女の人を……」
 藍里からさくら母娘の事情を聞かされていた清太郎はこれ以上は言えないと思って口を閉じした。

「……そうなのね。多分ただの貧血よ」
「貧血……もしかして」
 時雨はさくらを見ると彼女は頷いた。言うまいと思っていたが。

「それ気づいてたらなにか対策できたのに。不覚だったよ」
「時雨君、私が言わなかったから」
「これから貧血対策のメニューももっと日常的に考えるね」
「ありがとう。私も貧血持ちだから……」
 清太郎はこの二人の会話をずっと聞いていた。彼も思い当たることがあって頻繁にトイレに行く藍里を見かけていたこと、そして朝に走って学校に行くと言った時に藍里は嫌がったこと。

「……そういうことか」
「ん? どうしたの」
 清太郎にさくらは問いたときに検査室から看護師が出てきてさくらだけ通された。時雨と清太郎は再び二人で待つ。

「あの、さっき言いかけて終わったんですけど」
 今度は清太郎から声をかけた。
「え、なんのことだっけ」
「……忘れたならいいです」
 と二人の間は静かになった。

 藍里は特に脳などに問題がなく、数日休み医者からOKをもらったら通学ができるようになるそうだ。
 それから次の日の昼前には退院をした藍里。迎えにきた時雨と共に帰る。さくらは仕事に行って次の朝まで帰ってこないとのことだ。

「ママ、働くよねー……て私のバイト代足しにならないし、ママが働くしかないもんね」
「僕もある意味無職だし、仕事しながらでも家事をしてさくらさんと藍里ちゃんを支えていきたいよ」
 時雨の運転する車の助手席。藍里はそれを聴くと時雨はもうさくらと結婚し、戸籍上自分の父親が時雨になるのか、と思ってしまった。

「でもさ、いい職場見つかりそうなんだよ」
「は、はやっ……どこなの?」
「昨晩タクシーで宮部くん送ってく時にさ、彼って親戚の弁当屋に下宿してるんでしょ。あそこの弁当屋さん。夫婦二人でご飯作ってレジと配達員をバイトにやらせてるらしいけど、作る人もう一人くらい欲しいらしいんだ」
 藍里はそういえば昨日は清太郎と時雨は一緒だったということを思い出す。
 藍里が時雨のことを好きと見透かされていたわけであって、そのあと二人で何を話したのか気にもなっていた。

「結構気さくで礼儀正しい子だね。今度お店に行こうかなって。メアドも交換しちゃったー。高校生とメアド交換ってなんかテンション上がる……って同姓同士、嬉しい。友達そんなに多い方じゃないから」
 変にテンションが高い時雨にすこし引き気味の藍里だが、そんな無邪気な時雨の笑顔と一緒にいられるのが嬉しいのだ。

 昨晩はずっとさくらが泣いていた。居た堪れなくなり藍里は寝たふりをして目を瞑っていた。時雨も知っている。荷物を持ってきてさくらにまた声をかけて空いているベッドの上にさくらを横に寝させた時雨だが、さくらは時雨をそのまま押し倒してキスをした。長く長く。音を立てて、時雨のベルトを外すガチャガチャっと言う音。藍里はドキドキと鼓動が高まった。

 我に帰った時雨はダメだよ、と言ってさくらを引き離し、さくらは何でって叫んだ。時雨は明日藍里を迎えに行く、と言って再び病室を後にした。藍里は眠りにつくまでさくらの啜り泣く声を聞いていた。全部このやりとりは聞いていた。二人とも藍里が起きてたなんて思わないだろう。

 そんなことがあっても時雨は藍里を迎えにきた。さくらとの昨日のやりとりで時雨はどう思っているのか。
 娘ながらに心配しつつも、複雑な気持ちの藍里であった。

「今日はお家でゆっくり、ね。ご飯は食べれたかな」
「……あまり美味しくなかった」
「じゃあ昼にスパゲッティ、めんたいこスパゲッティ用意してありますー」
「もう用意してたんだ、嬉しい」
「当たり前よー、藍里ちゃんの大好きなスパゲッティ!」
 藍里は嬉しくなった。でも、めんたいこスパゲッティが好きなのはさくらなのだが、と思いつつも時雨の笑顔に昨日の大変だったことが消えて無くなる感じもしたようだわ

 家につき、リビングに行くと一つの封筒が置いてあった。あの書類提出用のものだった。
「夜になかったからきっとさくらさんが置いていったと思うよ。僕が寝てる間に家に来てそのまま仕事かな」
 藍里も気づいたらさくらが横のベットからいなくなってたことに気づいた。
 封筒を開けて書類を見るとさくらの職業欄にしっかり名前が書いてあった。
『株式会社エージェントタウン』と記載してあり、聞いたことのないところだと思いながらも封筒を学校のカバンに入れた。

「さてさてースパゲッティをチンするね。そこで座ってて」
 藍里はソファーに座った。少しまだ頭は痛いしまだ生理も終わらないがさくらみたいに生理の日はゴロゴロしていたい、そう思うばかりだ。

 するとメールが入った。清太郎からである。学校のはずだが……。えっ、と藍里は声を出す。

「どしたの、藍里ちゃん」
「宮部くんが今からくるって」
「え、学校は?」
「……そういえば今日は昼までだったんだ」
 藍里はすっかり忘れていた。時雨もうっかり、と笑った。

「なんならスパゲッティ食べてもらおっかな。余ってるし」
 とまた台所に行ってしまった。

「……こんな時に時雨くんと宮部くん……」
「体調はどうだ、藍里」
 と机の上に何か入った袋を置く清太郎。ノートのコピーも一緒に。何だか1日、というか半日の量にしては多い。時雨に昼ごはんもどうかと言われたが、学食のパンを買ったからいいと言っていた。藍里はスパゲティを半分くらいまで食べ終わった。

「ありがとう、昨日は夜遅くまで。それにこれ……」
「おばちゃんが弁当屋のデザート持ってけ、て言うから。お前の母ちゃんと、なんだっけ……おにぎりみたいな具の」
「時雨くん……ね」
 時雨はその時は台所でお茶を入れていた。多分聞こえて入るだろうが。

 藍里はノートのコピーを手にして中を見ると文字が一枚一枚違う。

「クラスメイトの奴らが心配して何も言ってないのにコピーして渡してきた」
「そうだったんだ、今度お礼しなきゃね」
「だな」
 そこに時雨がお茶を持ってきた。

「どうも、おにぎりの具の時雨です。はい、お茶」
 やはり聞こえてたんだと藍里は笑った。清太郎も。時雨も別に慣れているのであろう、ニコニコ。

「時雨くん、デザートもらった」
「それはそれはご親切に。じゃあ僕のコーヒーゼリーはいらないかなぁ」
「あ、どうしよ」
 清太郎はじゃあほしい、と藍里に伝えると時雨が台所に戻っていった。

「……まさか手作りのデザート?」
「うん、常に何かデザートを作ってストックしてくれてるの。すっごい美味しいんだから」
「ちょうどよかった、昨日パフェ食べれなかった……ビッグパフェ」
「ごめん」
 清太郎はクラスメイトたちがあとで送ってきた写真を藍里に見せた。3人でこのパフェを食べられたのだろうか、清太郎も一緒に食べてでさえも食べきれないサイズである。

「ここで働いてる藍里にいうのも悪いけど俺は甘いのよりもコーヒーゼリーの方が断然いい。こんなあまったるい塊をあいつらは完食したらしい」
 ともう一枚完食した写真も。

「これはこれは……なかなかだね。盛り付けも大変だから店側からしたら大感激だよ」
「だよな」
 と時雨が二人の話を聞いてたのか立ち尽くしてた。
 彼の手には生クリームホイップたっぷりかけたコーヒーゼリー。

「ごめん、甘ったるいのダメだったかな。苦いから生クリームホイップしてみたんだけどさ」
 少ししょんぼり顔の時雨。だが清太郎は首を横に振って受け取る。

「いや、これなら大丈夫ですコーヒーの苦味とホイップの塩梅がいいと思います」
「ならよかった……あっ」
 時雨はすこし後退りした。この二人の雰囲気に何かを察したようだ。

「僕風呂場の掃除してくるから……若い二人で仲良く……ね」
 とサササササっとリビングを出て行った。藍里は早速ホイップから食べている。
 清太郎も座って食べる。

「食欲はあるんだな。明太子スパも食べて、デザートも食べて」
「食欲はあるよ。時雨くんの作ってくれたものは全部美味しいの」
 フウンとまっさらに平らげた皿を見て、藍里がコーヒーゼリーを食べている姿を見ると昨日横たわっていた人間と同じには思えないようである。

「まさかあの人と一緒にいるのか」
「……学校とバイト以外は。ここ最近はママよりも一緒にいる時間長いかも」
「まじか、てかコーヒーゼリー美味いな。あの人お前の母ちゃんの恋人ってことは40……まだいってなさそうだけども30代くらいだろ」
「うん、34歳」
「お前と結構離れてるのか」
「そうだね……ママにとっては年下の恋人だけど」
「再婚したら父親、になるのか」
 藍里はスプーンを口に含んだ。口の中はコーヒーの苦味とクリームのあまみ、スプーンの冷たさ。

「橘綾人……まさかあの人がお前の本当の父親だなんてクラスメイトたちが知ったら驚くよな」
「だよね、よく教室で話しててさ。かっこいいとかそんなこと聞くと恥ずかしい」
「恥ずかしい、か……」
「パパが褒められてるってなんかね」
「会ってるのか」
 清太郎は半分残ったコーヒーゼリーを一気に口に含んだ。藍里は首を横に振る。

「そうだよな、離婚したんだもんな」
「……今はいいけどママの前ではパパの話をしないでね」
「いいお父さんだったと思うけどさ」
「……うん」
「母ちゃんからは聞いてた。『外面ばかり良過ぎる』って」
「……」
「ごめん、昨日倒れた理由……あれだろ。お前の母ちゃんが橘綾人にされてたようなことをあの客がしてた、それを思い出したんだろ」
「……」
 藍里の手が止まった。右目から涙が出た。

「すまん、昨日倒れたばかりなのに」
「大丈夫、事実だから。でも……パパ優しい人よ」
「……ずっと見てたんだろ、ああいうの」
「……」
「母ちゃんのことを藍里のかあちゃんに言ったら狼狽えてたけど、唯一相談してたんだってな。本当に母ちゃん心配してるから」
 藍里は両手を覆って泣いた。清太郎はそんな彼女を抱きしめる。
「もっと近くにいた俺も気づいてやれなくてごめん許してほしい」
 藍里は声を上げて泣いた。


 その様子を時雨はドアの向こうから聞いていた。途中からではあったが。

 しばらくはリビングに入らないようにしようと再び浴室に戻っていった。
「おれさ、藍里が学校にこなくなって家に行ったら血相変えて探し回ってるお前のお父さんがいたんだ……お前は知らないか? っていつも優しかった人だったのにすごく目の敵にされたかのように……怖かった。俺だってどこに行ったかわからなかった、知りたかった」
「ごめんね……」
「あのあと何度も知らないって言っても嘘だ、藍里と一番仲よかっただろって。なんとかして逃げて家帰ったら家にも来て、母ちゃんにたいしてもどっかに匿ったろって。姉ちゃんはびっくりして泣いてた。二人だって藍里たちがいなくなったこと知らなかったし」
「宮部くんの家まで行ったの、パパ」
 藍里はふと綾人がさくらに対して攻めている時の言動を思い出す。普段はよその人の前では見せない姿を他の家庭でも見せたのかと。

「母ちゃんは知らないの一点ばりで家に上がらせないようにしたけどちょうど父ちゃんが早くに帰ってきて……説得して帰ってもらったよ」
 藍里は自分達が逃げた後の地元の様子は一切知らない。

「そのあとお前の父ちゃんもだけど学校に連絡したんだろうな。俺らも街の中探した。でも母ちゃんは何か知ってそうだったけど……」
「ママに宮部くんのお母さんの話したらなんでかわからないけど黙っちゃった」
 清太郎の胸元で香る匂い、時雨とは違った石鹸と有名メーカー度シャンプーの匂い。こんなに近くにいたのは初めてだ。この間の時雨との距離以上に近すぎてドキドキが増す。

「来週くらいに母ちゃんと姉ちゃんがこっち来る。会わせてやってもいいか。俺もいるから」
「わからない。多分だけど過去のことから完全に断絶したいんだよ、ママは」
「でも断絶してほしくない、母ちゃんのことは。俺らはこうして出会えたんだ。だから……」
 藍里は首を横に振った。清太郎はそうか、と少し悲しげだった。

「宮部くんに会えたのは本当に嬉しかった。知らない人ばかりで不安だったの。岐阜から離れて神奈川行ってもうまく人間関係も築けなくて……」
「俺たちだけはずっと繋がっていたい。俺は藍里の味方。それに俺の母ちゃんも藍里と藍里の母ちゃんの味方。それだけは忘れるな」
 清太郎はじっと見つめる。藍里は涙を拭いて頷いた。

 二人の顔が近くにある。じっと見つめ合う……だが清太郎はハッと我に帰って二人は体を離した。互いに真っ赤な顔になっている。
「……まぁそれより、っていうか身体休ませて学校に戻ってこい。これからポストにコピー入れておくから。毎回毎回家上がってきをつかわせるのもだから。ねぇ、時雨さん」
 と二人でリビングのドアの方を見ると数秒後に開いた。時雨は再びリビングに来ていたのであった。

「……今さっきこっちに戻ってきて、その……」
「大丈夫です、そんな仲ではないですから。学校の方では俺がいますので安心してください、今は藍里にとって癒しの一つは時雨さんといることみたいだから」
「だといいな……」
 時雨は藍里を見ると彼女は微笑んだ。

「じゃあ俺は帰ります」
「あ、宮部くん……待って」
 藍里は自分の部屋からあの封筒を持って行った。

「これなんだけど、先生に渡してほしい」
「おう、わかった」
「ママ、ちゃんと会社の名前書いたから。どこかわからないけどきっとママは私たちのために一生懸命働いている。私もそれに応えて早く元気になって勉強しなきゃ」
 と書類の職業欄を見せた。

「エージェントタウン……」
「知ってる? 宮部くん」
「知らない。接客業っていってたけども」
 時雨もやってきた。清太郎は書類をしまった。

「宮部くん、弁当屋で働く話はまた連絡するよ」
「わかりました。いつでも面接OK、すぐ働いてもOKだそうなんでお待ちしてます」
 そう言って清太郎は帰って行った。すこし時雨はほっとため息をつく。が振り返ると藍里が彼を見ていたことに驚く。

「……時雨くん、何聞いてたの」
「いや、その……ところどころ。だってきになるじゃん……男と二人きりで。さくらさんにも朝言われたんだよ……宮部くん来ても極力二人きりにさせるなって」
「……だからって盗み聞きも酷いじゃん」
「ごめんね、藍里ちゃん~」
 すると藍里はべーっと下を出し
「なぁんてねっ。もう、時雨くん心配しすぎ。過保護だよ」
 と笑った。

「だよね、過保護だよね……さあさあ片付けしなきゃね。藍里ちゃんは座って休んでなさい」
 と時雨は皿を片付ける。

 藍里はソファーに座ってクッションに顔を埋める。

「なんで……先に宮部くんと会えなかったんだろう……」
 時雨のことは好き、でも幼馴染であり本当は初恋の清太郎と距離を縮められなかったのだろう。苦しくなる。そして頭が痛くなり、そのままソファーにゴロンと横になったのであった。

 休んでるとほんとダラダラしてしまう藍里。バイトも一週間休みなさいと本部からも通達が来てしまったらしい。お見舞い金は来た。
 授業のノートを見てても頭に入らない。やはり自分の目標がないからなのかと落ち込む。

 大学に入るとなるとお金かかる。奨学金だけはやめなさい、と理生さんから言われていた。かと言って高卒で新社会人として社会に解き放たれるのも、とぐるぐると頭の中で回るだけである。

「藍里ちゃん、今は何も考えないことが大事だよ」
 と、隣ではハーブティーを飲む時雨。彼は家事の合間のリラックスタイムになるとソファーでテレビを見ながらこうリラックスするのが好きだという。特に派手に出歩くこともなく、今は百田家に雇われてる身として自覚しているようだが、もし清太郎の親戚の家で働くとなるとどうなるのであろうか。
 家事や料理もしっかりしてくれるのだろうか。彼がいるからこそ自分はこうごろんとなれるんだろうなと藍里は思った。
 テレビにはまた綾人が映った。先日クラスメイトが言ってた人気俳優の尊タケルとの共演しているドラマ予告であった。

「ねぇこのドラマってどう思う?」
「んー、クラスの子たちはキャーキャー言ってた」
「……同じ同性からすると自分よりも年上の男同士で恋仲になる、というのは少しありえないなーって思うからどんな世界なんだろうってワクワクしちゃうんだ」
「BL……なんで人気なんだろう。わたし、恋愛ものとかあまり好きじゃない」
「わかるわかる、僕もね。恋愛ものよりも謎解きとか刑事もの」
「だよね、いつもそれ見てるもん時雨くんと」
「うん。……だからなんというかさくらさんと一緒にいることが今リアルな恋愛ドラマみたいな感じで」
「……」
「ごめん、こんなのぼせたなような話聞きたくないよね」
「ラブラブなんだから」
「なんだかんだでね」
 藍里には複雑だ。自分の好きな人がさくらとの交際を楽しんでいる。

 でもさくらが幸せなら、だがこの間はさくらの悲しんでいる姿に悩みに悩んでいた時雨を見たばかりだった。

 そしてこの間の意味深な時雨の言葉も。

 すると予告が終わると綾人が映った。ゲストだとのこと。時雨が察して消そうか? と言うが藍里は首を横に振る。

『今度ドラマ初主演なんですね』
『そうなんですよ。ありがたいことに先輩の尊さんとダブル主演で。彼も社会人演劇出身なのですごく嬉しい限りです』
『そうですよねー。しかも今度地元の東海地方でこちらは単独初主演の映画の制作も決まってて』
『ありがたいことに、地元のテレビ局の方からご連絡いただきまして、昔素人の時に出ていた番組の。嬉しくて嬉しくて』
 藍里はボーッと綾人の姿を見ている。人前ではあんなに優しく笑う。もちろん自分の前でも、だが……。

「やっぱり消す」
 時雨がリモコンを手に取ると藍里は手を握り首を横に振る。

『しかも今度、綾人さんの娘役を東海地区でオーディションで決めるって、すごいですね!』
『そうですね。娘役ですよ。相手役でもいいんですけどね』

「……やっぱり消す」
 時雨は藍里の手を優しく解きリモコンでテレビを切った。

 藍里は両目から涙が出ていた。
「ごめん、藍里ちゃん……ごめん……」
 時雨はそう言うものの、涙が止まらない。そして時雨に抱きついた。

「あ、藍里ちゃんっ……」
 前は時雨が泣いて藍里に泣きついたが今度はその反対である。

 声を上げて藍里は泣いた。最初時雨は戸惑ったが優しく彼女を抱きしめる。何も言わずに、ゆっくりと。鼓動が互いに増す。
 時雨は藍里の辛さもさくらのこともあって理解はしている。

 だが今抱きしめているのは自分よりも一回りも二回りも下の高校生である。柔らかさと甘い匂い、さくらの香りや弾力と違うものを抱き、さらに胸もあたる。下心はなかったのだがやはり男である自分の中の理性が崩れかけようとしている。

 その時、時雨は一度藍里を引き離してソファーの上にあったタオルケットをぐるぐるに彼女に巻きつけた。
「な、なにしてるの……」
 とタオルで巻かれた藍里。
「ごめん、こうでもしないと……はい、僕の胸に飛び込んできておいで。たくさん泣いて。泣きたいだけ泣いて。僕が受け止めるから!!!」
 両手を広げる時雨。

「……もぉ、わたし芋虫みたいだよ」
 と笑い出した藍里。

「ごめん、ほんとごめん」
「じゃあお言葉に甘えて……」

 藍里はタオルケットに包まれたまま、時雨の体に寄り添った。時雨はぎゅっと抱きしめた。

「そういえばね、お父さんによく子供の頃抱きついてたんだ。離れる前まで……」
「そうなんだ。お父さんの代わりにはなれるのかな、僕」
「どうだろう……」

 と二人は笑った。
 二人きりをいいことに、なのか時雨と藍里は寄り添う。
「なんかホッとする」
「僕も」
「こうやってブランケットにくるまってなかったけどさ」
「くるまってもらわないと」
 あのとき時雨が藍里に泣きついた以上に顔の距離は近い。
 不思議と藍里はドキドキしない。反対に時雨がいつも以上にニヤニヤして顔を赤らめている。でも目を逸らさずに話す。

 あくまでも時雨はブランケットに包んだ藍里を両手で抱き抱えるだけ。赤ん坊を抱くような感じで。藍里は体に寄り添う。

「ねえ、手は出しちゃダメなの?」
「手、かぁ……片手だけ」
 藍里は右手だけ出した。そして時雨の手を握る。弱く握ったり離したり、また握ったり。動きを変えるたびに時雨は声を上げて笑う。
「どうしたの」
「ううん、なんでもない。楽しい? 手を触って」
「うん。硬い手だね」
「そうかなぁ。わかんないや」
 と藍里は指の一本一本を触る。
 藍里も次第に鼓動が高まる。すると藍里は時雨の手を自分の顔に近づけて匂った。
 流石に時雨もびっくりして引っ込める。
「こらこら。なに匂うの……恥ずかしいよ」
「……パパはね柔らかくて、こんなに手汗なんてかかないし、あとタバコの匂いもした」
「今はタバコ吸わないからさ。お父さんはタバコ吸っていたんだね」
「うん、ママは嫌がったけど台所のコンロの近くとかベランダで吸ってて。その姿カッコよかったの」

 藍里が片手を出したまま時雨に寄り添おうとしたら時雨は藍里をソファに横にさせ、立ち上がった。

「そ、そうだ……コンビニでお菓子買ってくるね。……あ、何か欲しいのあるかな」
「なにを急に。お菓子なんていらないよ。宮部くんからもらったばかりだし」
「あ、そうだよねぇ。でも書いたいものがあるから」
 少し慌てた様子の時雨。カバンを持って部屋を出ていった。

 藍里はブランケットから出てソファーに座った。
「……わたし、なにやってんだか。時雨くんはお父さんじゃないよ」
 ふとスマートフォンを見る。先ほどテレビで気になったことを検索した。

 あまり藍里はスマホを見ることはしないタイプである。
 その検索結果は
『橘綾人娘役オーディション』
 の画面である。渋い顔をした宣材写真。オーディションの条件は東海地区の高校生から大学生まで。芸能事務所所属でも可。東濃弁を話せる人は尚更良い。自薦他薦問わず。他薦の場合紹介者には賞金あり。

「そんなんだったら自薦でも誰かに頼んで他薦してもらって賞金もらうわよ……」
 藍里はふと子供の頃、さくらと綾人のやりとりを思い出した。

 二人はとても険悪そうだった。
「……生活費が足りんだと? お前がちゃんと家計簿しっかりつけてないからだろ。それとも無駄に何か買ってたりへそくりとかでもしてるのかよ」
 とネチネチと声を荒げないでさくらに言う姿は子供ながらに怖かった。いつも抱きしめてくれる綾人の優しさはなかった。
「ごめんなさい。でも無駄遣いもしてないしへそくりもなにも……」
 さくらの声は震えている。藍里の手を握っていたがとても強く、痛かったが痛いと言えない。
「だったら仕事をして……」
「もっと家のこともちゃんとしてから仕事をしたいとか言えよ。仕事があるから家事できませんとかありえんし、てか藍里はどうするの、それに社会経験がへっぽこな芸能マネージャーって言う経歴、ドコも採用してくれないんじゃないの?」
 綾人は笑った。さくらはなにも言い返せない。

「まぁ採用してくれるのは風俗くらいか」
「藍里の、子供の前でそんなこと言わないでっ」
 さくらが声を荒げると藍里はビクッとした。
「こらこら、声を荒げると怖いよね。藍里。それにママが仕事いっちゃったら悲しいよね、寂しいよね」
 そう言いながら綾人は藍里に抱きついた。藍里は縦に頷くことしかできなかった。さくらの顔を見ると次第に目から涙が垂れ、藍里をじっとみてる。

「俺が一生懸命働いてるんだから、まさか満足できないって言うのか?」
「……そういうわけじゃないの……ごめんなさい」
 さくらは後ろを向き、綾人たちに見えないように涙を拭いた。

 さくらはそれを見ていた。
 抱きつく綾人からは香水とタバコの匂い。温かい体温。




 ふとなぜそのことを思い出したんだろう。と藍里はソファーに再び横になる。

「時雨くん、早く帰ってきて」
 時雨は急ぎでもないのに時間もあるのに小走りでエレベーターを使わずに階段でアパートを降りていく。息を切らしてさらに先にあるコンビニまで走っていく。

「……はぁ、やばい、やばい。もうすぐでやばいところやったわ」
 走って気持ちを紛らわしていたのだ。別にコンビニじゃなくてもよかったのだがそう口走ってしまった。店内に入ってなにを買うわけでもなく。成人向け雑誌はさっと目を背け、ちらっと見ると綾人が表紙になっている雑誌を見るとすこしムッとする。他の雑誌で隠した。
 振り返って日用品を見る。切れていた食器用洗剤の詰め替え、キッチンタオルを入れる。ふと避妊具に目がいく。一度目を逸らすがコンビニで買ったことがなく見たことのないデザインだとつい手にとって見た。

「あのぉ」
「わぁああ」
 時雨は慌てて避妊具をカゴに入れて声かけてきた人を見る。

「やっぱ時雨やったか。久しぶりやな」
「沖田くん。……久しぶりだね」
「久しぶりやなぁ。藍里ちゃんと知り合いやったん?」
 その沖田という男は時雨の高校の同級生でもある。藍里のバイト先のファミレスの社員でもある。

「知り合いっていうか……なんというか」
「藍里ちゃん運ばれていく時に遠目にお前の姿見つけてな。いや、ここ半年お前に似たようなやつこの辺でうろうろしてるの見えてな……こんなところで会うとは思わんかったわ」
「沖田君は結婚しとったんやないの」
「……離婚した、嫁さん子供連れて逃げたわ。ってお前結婚式呼ばんかったのに知っとったか」
 確かに、と時雨は思い出すが離婚した時いた時に結婚式行って御祝儀払わなくてよかったと。沖田は同級生同志で結婚したのだがクラスメイトのほぼ全員呼ばれていたのになぜか時雨だけ呼ばれなかったのだ。

「あの頃はめっちゃ存在感なしだったけど今じゃ垢抜けたなぁ、名古屋出るとやっぱりい変わるねぇ。って今はなにしてるの。藍里ちゃんとなんか関係あるの」
「あ、その……」
 時雨は忘れてはいない。沖田を中心にした時雨へのいじめを。いじめと言っても無視や仲間はずれがメインだった。
 昔から勉強熱心で趣味が料理や読書などインドア派だった時雨を女々しいと沖田に揶揄われていた。
 時雨は流石に今は自分が無職で年上のシングルマザーに養われ家事料理をしているというのがバレたら……と笑って誤魔化す。

「ごまかすなよ、まかさ藍里ちゃんの彼氏か? 藍里ちゃんは今療養中、こんなもの買って……まさかまだ18にもならん彼女と? 陰気なお前は犯罪を起こすなんてなぁ、びっくりやわ。今度また同窓会やるんや。ってお前のところには連絡ないと思うけどな」
 沖田が籠の中に入っていた避妊具を取り出して時雨の頬を叩く。

「それともあれか。母親の方か? 一度あったけどいい女だったなぁ、彼女にも店で働かんかって聞いたけど断られたけど……あのお女、屈んだ時大きな谷間見えて。いい体しとったわ」
 時雨は体を震わせ今にでも沖田に殴りかかろうとするところである。
「怖い怖い、そか母親の方か。年上だな。熟女、まあ俺らも36。変わりないか。でもあの母親、なんの仕事しとるんやろうな。お前知っとるか」
 時雨は深呼吸して感情を抑える。
「……知らん、聞いても濁らされる」
 すると沖田は笑った。他の客にはバレないよう時雨を隅っこに追いやる。
「絶対風俗だわ、あの体は。他の不特定多数の男に抱かれてる熟女をタダで抱けるってええな、今度家に入れてくれや、で3人で、藍里ちゃんも交えて4人でやろ……ん!!!!!」
 時雨は沖田の両頬を右手で挟んで壁側に追い込んだ。

「僕の仕事を教えてやろか? さくらさんと藍里ちゃんを守っている!!!!」
 声を抑えて沖田にそう言って手を離し、時雨は籠を持ってレジへ会計に行ってそのままコンビニを後にした。沖田は数日前に再発したヘルニアをさらに再発させて腰を抜かした。その様子を見て周りの客に見られて笑われている。

 時雨は部屋に戻り、玄関のなかでペタンと腰を抜かした。心臓がバクバクといってる。
「時雨くん、どうしたの? おかえりなさい」
 藍里が出迎えてくれた。時雨は何も言わずに抱きしめる。

「ちょ、時雨くん?!」
「藍里ちゃんとさくらさんは僕が守る!」
「……何いってんのよ。もう十分守ってくれてるじゃん」
 藍里も時雨の頭を撫でた。

「何買ってきたの?」
「えっとね……」
 時雨は慌てて買ったため、袋の中に避妊具が入ってて焦ったが、とあるものを藍里に見せてニコッと笑った。

「タバコ、買ってきた」
 台所のコンロの前で時雨は適当に掴んでカゴに入れたライターでタバコに火をつける。久しぶりなのかなかなかつかない。
「前はさジッポーだっだんだよね」
 ようやく火が出て口に咥えたタバコに火がついた。

「お父さんもジッポーだったよ」
「そうなんだ。でも面倒な時はコンロの火でやってたけどね、あー久しぶりだー」
 とコンロの換気扇に煙が行くように時雨は煙を口から吐いた。

「てか藍里ちゃん、座ってなよソファーで。タバコ吸ってるの君に見られるの恥ずかしいな」
「なんで? 私こうやって台所で吸うパパを見てた」
「……そうなんだ。なんかさ、僕の吸う姿がヤンキーみたいだってさくらさんに言われたことある」
「そんなこと言われたんだ。たしかに時雨くんがタバコ吸うイメージ無いなぁ」
 でしょでしょ? と時雨は笑う。

「タバコ買うために慌ててコンビニ行ったの?」
「……まぁ、ね。やっぱ見られるの恥ずかしいや。あっち行ってて」
「わかったよ。終わったらまた来て」
 時雨は久しぶりのタバコを味わう。しかし灰皿がない、それに気づく。

 置いてあったジャムの瓶に灰を落とした。


 時雨はソファーに戻り、藍里の横に座る。
「どうだった? 久しぶりのタバコ」
「うまかった」
「そんなもんなの? よくわかんないけど」
 藍里は時雨の横に行く。ほのかに香るタバコの匂い。時雨はブランケットを取ろうとするが藍里は首を横に振った。

「だめだよ」
 と言われても藍里は時雨に抱きついた。服にまとわりついたタバコの煙の匂い。さっきよりも時雨の鼓動が強いと気づくがブランケットに包まれてる時よりも温もりがさらに伝わる。自分自身もドキドキするのに近くにいたくなる。不思議な気持ちである。
「タバコの匂い、服についてるね」
「だね……」
 時雨も藍里を優しく抱きしめる。柔らかい。さっき沖田に罵られて怒りを抑えきれなかった自分を癒してくれる、そんな気持ちであろう。そして守ってやりたい。……しかしさっきはタオルケットを包んで抱き締めていたが今は違う。そのまま藍里を抱きしめている。さっき走って解消したばかりなのにな、と時雨は少し困った。
 そうこうしてるうちに藍里は時雨の腕の中で寝ていた。
 まだこうやって抱きしめてやりたいが如何にもこうにも理性が保てないと感じた時雨はゆっくりと体をずらして藍里を横たわらせた。

 と、その直後だった。
「ただいまー」
 玄関からさくらの声がした。時雨は慌てて藍里との距離を離してソファーに座る。

 さくらはまだこの時間には帰ってこないはずだったが。
「お、おかえり……早かったね。ご飯の用意できてないよ」
 振り返るとさくらが少し疲れ切った顔をしていた。

「いいよ、まだ食欲ないし。会社の人に今日はもういいよって言われたの。藍里、寝ちゃってるね。こんなとこで寝なくてもいいのに」
「部屋で寝るよりここがいいって」
 するとさくらが鼻ひくひくさせる。

「なんか臭い、タバコ?」
 時雨はハッとした。タバコの吸い殻を台所のジャムの瓶に捨てたまま置いてあったことを思い出した。隠そうと立ち上がったがさくらが近づいてきて服を匂う。

「やっぱり……タバコ吸った?」
「はい……吸いました」
 さくらはもしかしてと台所に行くとタバコの箱と吸い殻を見つけた。

「もう吸わないでって言ったよね」
「ごめん、ついコンビニ行った時に……」
「まぁいいけど、没収。藍里もいるんだから……」
 さくらは自分のカバンの中にタバコとライターを入れた。
「あのさ、あとちょっと聞きたいんだけど」
「なにを」
「……藍里と二人きりの時何してるの」
 時雨はドキッとした。

「テレビを見たり、話をしたりとかゲームとかしたり……」
 流石に今日のことは言えない。

「ふうん……まぁ20も下だしね、話は合うの?」
「まぁそこそこ、藍里ちゃんも最近のことよりもさくらさんの影響で昔のドラマとか好きみたいだし」
「そっか……」
 さくらは少しそっけない。機嫌をまた損ねてしまったかと時雨はソワソワする。

「僕はさくらさんも藍里ちゃんも大事にしたい。幸せにする」
「何を急に。もう幸せにしてもらってるよ十分」
 時雨はハッとした。藍里も似たようなことを言っていた。時雨はさくらを抱きしめた。

 やはり二人は匂いも感触もちがう、さくらなら心置きなく抱きしめられるのか首元にキスをする。
 さくらもぎゅっと抱き返す。
「ごめんね、さっきは嫉妬したの」
「嫉妬?」
「うん、わたしといるより藍里との時間が長いから何してるんだろって気にしちゃった」
「嫉妬しちゃうのか……」
 さくらは時雨にキスをした。さらに身体を密着させる。時雨は藍里との抱擁で少し乱れた理性が崩れかけていた。
「さくらさん、まだ体調良くないんだろ? だめだよ」
「大丈夫……最近してないから溜まってるよ、時雨くん」
「いいの? 生理なんだろ?」
「もうピークは過ぎた……少し血はあるけど」
「休まなきゃ、無理はだめだよ」
「大丈夫……」
「さくらさんっ!!!」

 もう時雨は限界だった。タバコのそばにコンビニの袋があった。その中の避妊具をすぐ使うとは思わなかった。

 そしてその二人の愛し合う声を寝たふりをしていた藍里は聞いていた。
 藍里は2日後、病院で経過観察を受けて特に以上もなく休んだおかげもあってか学校に行けるようになった。
 時雨に抱きしめてもらったのはあの時だけだった。そのあと時雨とさくらが愛し合った声を聞いていた藍里はしばらく自室にこもっていた。

 そんな彼女に時雨は3食美味しいご飯を用意した。さくらはまた仕事に行ったものの藍里がリビングに来ないのを心配する。

 そして学校に行く日の朝。
「藍里ちゃん、お弁当作ったよ。無理しないでね。なんなら車で送るよ」
「ありがとう、たぶん宮部くん外で待ってるから」
 時雨は少しフゥンと言ったが笑顔で藍里を見送った。さくらもこの日は仕事に行っている。

 下に降りると清太郎が待っていた。
「おはよう、藍里」
「おはよう、迎えに来てくれてありがとう」
「当たり前やん……行くぞ。ゆっくりでいい」
「うん」
 時折歩幅が大きくなる清太郎だが藍里に気を遣ってゆっくり歩く。藍里はそれに気づいて嬉しくなる。
 特に言葉は交わすことはなかったがすごく幸せな時間なんだ、と。



 教室に行くと藍里はクラスメイトたちに出迎えられた。
「久しぶり! 無理しないでね」
「百田さん……いや、藍里! 困ったことあったら私たちがなんとかするわ」
「仲良くしましょうね、藍里!」
 アキ、優香、なつみが藍里を囲む。藍里は戸惑って清太郎を見ると

「俺が伝えたらこの3人が真っ先に喜んだ。同性同士、男の俺に言いにくいことあったら彼女たちに……なっ」
 清太郎は頭をかく。藍里はしばらく友達はできなかった。清太郎がそういうなら、と信じようと思った。

 他のクラスメイトにも声をかけられた。こんなに優しくしてもらったことはない。
「藍里?」

 清太郎にそう声をかけられた藍里の目から涙が出ていた。
「藍里、泣かないで……」
 優香がハンカチで藍里の涙を拭う。

「何で泣いちゃったのかな……ごめん。そうだ、みんなノートありがとう」
「大丈夫よ。あ、ノートわかった? アキがめっちゃ字が汚いし」
「うるさいなー、ギャル文字のなつみには言われたくないわ!」
 藍里が笑うとみんなは笑う。その姿を見て清太郎もホッとした。

 担任が朝のホームルームにやってきた。藍里が登校しているのを確認すると
「よかったな、無理すんなよ」
 と声をかけられると藍里は頷いた。こんなふうに多くの人に心配されたり声をかけられることもなかった藍里は戸惑いつつも学校生活を再開するのであった。


 昼になると清太郎といつも食べていた藍里は優香たち3人も交えて5人で食べる。
 弁当箱を開けると焼きそば、唐揚げ、卵焼き、具がツナマヨと梅干しのおにぎり。フルーツはパイン。

「おいしそーっ……これって藍里が作ったの?」
 そう言うアキは購買部のやきそばパンである。
「ううん、違うよ」
「えっ、じゃあお母さん?」
 優香も母親の手作りの弁当だった。デコ弁で、聞くところによるとそれが趣味なんだとか。
 藍里はさくらは作ることもしないし、みんなの知らないさくらの恋人である時雨が作ってるだなんて言うにも言えない。先日時雨と鉢合わせた清太郎に目を配ると彼もどうしよう、みたいな顔をしていた。

「まぁ、そうかな」
 と、返答を濁したが誰もそこまで気にしなかった。
「……美味しそうやな」
「食べる? てか食べてみて」
 清太郎はじゃあ、と取ろうとするとなつみがニコニコと食べた。
「あっ、俺の……」
「弱肉強食、ふふふ。ああ美味しい」
 なつみは昨日の晩御飯をよく詰めて持ってくる。自分で一応作った分類になるようだが。

 クラスメイト三人衆は笑って先に全部弁当を平らげて屋上で遊んでくるーと足早に去っていった。

 また藍里と清太郎だけになる。
「まだ唐揚げ残ってるけど食べる?」
「いいよ、ありがとう。てか……時雨さんだっけ。今日昼ごはん焼きそばだろうな」
「……確かに。それか夜ご飯にも出てくるかもね」
「青のりかけないのも配慮できてる。唐揚げもうまくあがってる。すごいなぁ、やっぱり弁当屋来てほしい」
「……時雨くんも働きたいって。ママがどう言ってるか知らないけど」

 するとそこに担任がやってきた。
「百田くん、話あるんだがきてくれないか?」
「あ、はい……」
 藍里は立ち上がろうとしたが、
「俺も一緒に同席いいっすか」
 清太郎が間に入る。

「何で宮部も」
 担任は何故か眉を垂れ下げがっかりしてるようだ。
「いや、藍里の母さんから……あまり一人にするなって」
 藍里は清太郎を見る。そんなこと言わなかったような、と。

「たしか宮部は百田さん親子と面識あるんだよね。まぁならいいか。ここじゃあれだから……食べ終わったらきてくれないか」

 藍里は何があったのだろうか、と不安になる。清太郎が彼女の肩を叩く。
「大丈夫、俺がいるから」
 藍里は頷いた。