その時、ファミレスでは外に救急車が来て少し騒々しかった。奥から担架で運ばれる藍里。それを追う清太郎と理生。
さっきまで清太郎といたクラスメイトたちも心配そうにみていた。が、そのうちの一人帷子アキがスマホを見ている。
「あ、それさっきの藍里じゃん。可愛く撮れてる」
と、姫路《ひめじ》優香が覗き込む。アキのスマホに藍里をこっそり撮った写真を何がメッセージフォームにつけてページの送信ボタンを押した。
「まさかアキ、あれに送ったの?」
潮なつみも覗き込む。アキはニヤッと笑った。
「てか大丈夫かなぁ……百田さん」
「すごい勢いで頭ぶつけてたし……血は出てなかったけどさ。にしても宮部くんが藍里! 藍里! って叫んでたのびっくりだわ~」
「宮部くんと百田さん、幼馴染運命の再会恋愛……見守りたいよねー」
「うんうん!」
あき、優香、なつみは何事もなかったかのように清太郎と食べるはずだったビックパフェを食べる。
「そうそう、あと……」
藍里の写真を送った先から返信がアキのメールに届いた。
『この度は推薦でのご応募ありがとうございます。結果につきましてはまたこちらからメールを送らせていただきます
名古屋発映画、橘綾人の娘役オーディションチーム』
藍里は担架に乗って救急車に運ばれた。清太郎も一緒である。後で一緒に理生が藍里のカバンを持って追いかけてきた。
「……理生さん、お店は?」
「大丈夫よ。昔のバイトの子達招集してなんとかきてもらった。前から頼んでいたけど一気に今日は入れますって。偶然にも程があるわ。あなたはラッキーよ」
と清太郎に荷物を渡して藍里の右手を握った。
「気にしないで、少しでも早く呼べていたらあなたに不慣れなことをさせなかったのに、ごめんなさいね。でも制服似合ってたから。回復したら少しずつ私のもとでフロアで働こうね」
とたたみかけるように理生は話しかけた。藍里は苦笑いして握り返す。
「そろそろよろしいでしょうか。ご家族の方ですか」
「職場の先輩です、でこの男の子は……」
救急隊員に対して理生はなんと言っていいかわからず声が出ない。すると清太郎が
「えっと、藍里の彼……」
と言いかけたところであった。
「藍里ちゃーん!!!!!」
とやってきたのは時雨であった。
「おたくは……」
「藍里ちゃんの……えっと、その、なんというか……あ、さくらさん……藍里さんのお母様の代わりにやってきました。今まだ寝てるんです……」
「寝てる……? 母親が」
救急隊員はあっけに取られているようだがもう行くとのことで時雨は理生の目の前で救急車に乗り込んだ。清太郎もあっけに取られている。救急車は発車した中で藍里はさくらがまだ寝ているのかと彼女もなんとも言えないのだが、今清太郎と時雨というこの組み合わせの中一緒にいるのがさらに……。
「さくらさん、少し前にまた寝ちゃって。明日からまた仕事でしょ。寝ちゃうと起きないし、何度も叩き起こしたけども起きなかったから枕元にメモを置いておいた……」
「マジかよ、娘倒れたのに寝るような人だっけ」
「……藍里ちゃん、彼は誰? 制服からすると一緒の高校の」
藍里は答えようとしたが
「彼氏です」
と思ってもいない回答に声が出なくなった。藍里は首を横に振ろうとしたが隊員が押さえていたため振れなかった。
「それは驚きだなぁ……藍里ちゃんここにきてからすぐ彼氏出来るなんて、さくらさんに似て美人さんだからそうだよね」
時雨もそんなことを言い、こないだの藍里ちゃんも、の「も」の意味深さに拍車をかける。
「……彼氏ってのは冗談ですけどあなたこそ誰ですか」
清太郎がさらっというと時雨は笑った。
「冗談きついよ。そうだよね、彼氏じゃないよね。あ、僕は藍里ちゃんの家に住まわせてもらってます家政夫です。一応さくらさんの彼氏っていうテイですけど」
「ヒモじゃん」
「君、言うねぇ~おもしいろいよ」
「さっき電話でも言ったけど宮部清太郎、藍里とは幼馴染でさくらさんに言えばすぐわかると思う」
「あぁ、そうなのか……幼馴染とこうして偶然に会うのもすごいね、藍里ちゃん」
あっという間にこの空間は和んだようにも思えたが……
「恐れ入ります……患者さんの名前とか住所とかわかりましたらご記入ください」
と救急隊員が間に入って時雨と清太郎はハイ、と冷静になった。時雨が記入用紙を手にして書き出す。
「名前は、百田藍里……生年月日は……えっと」
「そう言えば時雨くん、保険証はある?」
「あるよ。一応さくらさんの財布の中にあるって前聞いたことがあって」
「そこに載ってるから」
と時雨がさくらの財布を取り出そうとすると、清太郎が記入用紙を取り上げる。
「俺と同じ生まれで、1月11日生まれ。身長、体重……」
「……それは私が書くよ。恥ずかしい」
「恥ずかしいもクソもないだろ、書かないとこれからの診察に支障出るだろ」
「わかったよ……」
と藍里は恥ずかしそうに答えてそれを清太郎は書く。時雨はさくらの財布を握ったまま居た堪れない顔をしている。財布から保険証を取り出して、あるよとアピールはした。すると時雨のスマホに着信が。
「あ、さくらさんだ」
「ママ……」
「ここはスマホ大丈夫ですか。彼女の母親からで」
と隊員さんに聞き、やむおえない状況だと許可をくれたのだが隊員からしたらこの時雨とやらは家族でなかったのかという冷ややかな目線を送っているようにしか藍里は見ていた。
「さくらさん、はい。ごめん驚かせちゃって。そうだよ、藍里ちゃんがバイト中に倒れて。頭も打ったんだって。ごめん財布持ってる……あ、免許証」
そう、さくらの財布の中に車の免許証も入ってたのだった。あっちゃーという顔をして時雨は電話を切った。
「さくらさん、タクシーで来るって。僕としたことが……ごめんね」
「ううん、ありがとう」
清太郎は藍里をじっと見てた。とりあえず時雨がさくらの恋人であることであるのは理解できたようではあるが。救急車は病院に着いた。
藍里は部屋に入ってきたさくらを見ると少しホッとした。なんだかんだでやはり母親が一番なのだ。
さくらは藍里の右手を握る。反対の腕は点滴を打っているようだ。
「貧血と過労とのことよ。脳波も異常なし。ごめんね、すぐ行けなくて」
「ううん、ママも体調悪かったし……明日から仕事で大丈夫? 生理終わってないのに」
「そうだけど私が休んだらあんたと時雨君養っていけないでしょ。頑張んなきゃ」
「……無理しないで。私みたいに倒れちゃう」
「大丈夫、やすみやすみにやれるから。あ、二人にも入ってきてもらおうか」
さくらは手を離して外で待っていた清太郎と時雨を呼んだ。
「藍里ちゃん……特に何もなくてよかったよ」
「時雨君もありがとう。宮部くんもこんな夜遅くまで待っててくれたなんて」
清太郎は首を横に振った。
「しばらくは授業のノート書いてもっていくよ。無理すんな」
「ありがとう……」
さくらは少し難しそうな顔をしている。
「途中から編入してきてしかも夏休み明け……数日休んだら遅れがさらに増えてしまうわ」
藍里も確かに、と言いつつもどうにもできないものである。さくら自身も藍里を連れて逃げた際にしばらくはまともに学校に生かすことができずに避難先の施設で勉強を教えてもらったくらいであった。
「勉強に遅れがあるけどさらに遅れちゃう……」
さくらは頭を抱える。
「ごめんね、藍里……私がいけない」
「なんで? ママがなんで今そんなこと言うの。私がちゃんんと自分の体調を管理しなかっただけだし」
「私が逃げなきゃ、逃げなかったらあんたがこんな苦労することなんてなかったの」
さくらはまた自責の念に陥る。
時雨がさくらを抱えて宥めながら病室を出ていく。
病室の中は清太郎と二人きりになった。
「……お前の母ちゃん、雰囲気変わったな」
「うん、宮部くんもそう思うよね。自分の母親のこと言うのもあれだけど」
「あの彼氏さんがいい人なんだろうな。優しそうじゃん」
藍里は頷いた。どちらかといえばさくらよりもそばにいる時間が長い彼女は彼の優しさはわかっている。
「でも表情があんなに柔らかくなってた。あの頃の怯えたような目とは違う」
清太郎も子供ながらにそう思っていたようだった。藍里はそのようにさくらがそう思われていたとは……。
「じゃあ俺帰るわ。……じゃあ」
清太郎は藍里を見ている。じっと、瞳を見ている。
「なんだよ、もう無理すんな」
「ありがとう」
「それと……その」
「なぁに?」
「お前、あのおとこのひとがすきなんだろ」
藍里はいきなり清太郎にそう言われて声が出ない。
「図星だな。じゃあ……」
清太郎とすれ違いに時雨とさくらは入ってきた。互いに頭を下げる。時雨は荷物を撮りに行くついでに清太郎を送っていくそうだ。
さくらは藍里の頭を撫でる。
「ごめんね、もっと強くならないとね。弱くてごめん」
「宮部くんがね、変わったねって。私も変わったと思うよ。ママ」
「藍里……っ」
さくらは涙が出る。藍里は思い出した。
「そうだ、宮部くんのお母さんがママのこと心配してるって……」
「……」
さくらはそれ以降黙っていた。藍里はしまった、と思いながらもいつの間にか眠りについていた。
藍里は何とか受けごたえもできて会話もできるが頭を強く打ったという清太郎の証言もあったため、念の為に検査を受けることになり、少し時間がかかるようだ。
時雨と清太郎はベンチで待つ。互いに知らない同志。男と男。病院ということもあり静かな時間。
「あのさ……また明日学校もあるから君は先に帰っててもいいよ、親御さんも心配するだろう」
と言い出したのは時雨だった。清太郎は首を横に振った。
「僕は親戚の家に居候していまして……連絡もしてます。正直居候の家にいるよりかは外にいた方がいいから待ちます」
「いや、もう夜8時だよ。だったらタクシー呼ぶから」
「いいえ、藍里のそばにいてあげたいです」
清太郎の強い眼差しに時雨はびっくりした。
「ごめんね、なんか……追い出してるわけではないけど、なんというか」
時雨は少しひるんでるようだ。
「さくらさんの娘さんで……ほら付き合ってるんだけど、一緒にいる時間が長くて。なんというか、そのね……」
と口を濁らせてるようにしどろもどろに時雨が目線を合わせずに答えてると、さくらがあわててやってきた。
着の身着のまま来たらしく、ルームウェアだがなんとか外でもセーフな格好であった。
「藍里はっ、時雨くん……ってあなたは」
さくらは目の前でスッと立ち上がった青年の清太郎を見てハッとする。
数年前に見た時よりも大人になったが面影はあるようだ。
「……宮部、清太郎くんよね? お久しぶりね」
「お久しぶりです。懐かしいですね」
「うん、あらまーあんなに小さかっ……いや、それがもうこんなにっ。藍里に時雨くんよりも大きい」
比べられた時雨は苦笑い。
「180はあるので。父さんに似ました」
「そうだったわね……まさかこんなところで会うなんて。制服、藍里の学校だから……岐阜からここまで通ってる?」
「親戚の家が近くなんで下宿してます」
「藍里、まったく言ってなかったわよ。クラスメイトだなんて」
すると時雨が首を横に振る。
「なんか藍里ちゃんの彼氏だって」
さくらはびっくりする。清太郎は慌てる。
「いや、あれは冗談です」
するとそこに看護師がやってきて静かに! のジェスチャーをされ、3人は一緒にベンチに座る。看護師が藍里の家族の一人として書類や説明などを聞かされ、記入していく。
「でも藍里が倒れたなんて……あっ」
「なんか心当たりでも」
さくらだけが藍里が生理だと知っていた。しかし男二人には言うに言えない。
「藍里はファミレスで接客中に倒れたんですよ。僕あの時客としていて。見てました」
「……接客」
さくらは書く手を停めた。藍里には表に立つ仕事をするなと何度も口酸っぱく言っていた。綾人と離れても彼に見つかってはいけないという不安がある。
「どうやら人手が少なくて裏方で働いてた藍里がヘルプでやってたんですよ。不慣れなのに仕事もきつそうで、最後接客してたところは女の人を……」
藍里からさくら母娘の事情を聞かされていた清太郎はこれ以上は言えないと思って口を閉じした。
「……そうなのね。多分ただの貧血よ」
「貧血……もしかして」
時雨はさくらを見ると彼女は頷いた。言うまいと思っていたが。
「それ気づいてたらなにか対策できたのに。不覚だったよ」
「時雨君、私が言わなかったから」
「これから貧血対策のメニューももっと日常的に考えるね」
「ありがとう。私も貧血持ちだから……」
清太郎はこの二人の会話をずっと聞いていた。彼も思い当たることがあって頻繁にトイレに行く藍里を見かけていたこと、そして朝に走って学校に行くと言った時に藍里は嫌がったこと。
「……そういうことか」
「ん? どうしたの」
清太郎にさくらは問いたときに検査室から看護師が出てきてさくらだけ通された。時雨と清太郎は再び二人で待つ。
「あの、さっき言いかけて終わったんですけど」
今度は清太郎から声をかけた。
「え、なんのことだっけ」
「……忘れたならいいです」
と二人の間は静かになった。
藍里は特に脳などに問題がなく、数日休み医者からOKをもらったら通学ができるようになるそうだ。
それから次の日の昼前には退院をした藍里。迎えにきた時雨と共に帰る。さくらは仕事に行って次の朝まで帰ってこないとのことだ。
「ママ、働くよねー……て私のバイト代足しにならないし、ママが働くしかないもんね」
「僕もある意味無職だし、仕事しながらでも家事をしてさくらさんと藍里ちゃんを支えていきたいよ」
時雨の運転する車の助手席。藍里はそれを聴くと時雨はもうさくらと結婚し、戸籍上自分の父親が時雨になるのか、と思ってしまった。
「でもさ、いい職場見つかりそうなんだよ」
「は、はやっ……どこなの?」
「昨晩タクシーで宮部くん送ってく時にさ、彼って親戚の弁当屋に下宿してるんでしょ。あそこの弁当屋さん。夫婦二人でご飯作ってレジと配達員をバイトにやらせてるらしいけど、作る人もう一人くらい欲しいらしいんだ」
藍里はそういえば昨日は清太郎と時雨は一緒だったということを思い出す。
藍里が時雨のことを好きと見透かされていたわけであって、そのあと二人で何を話したのか気にもなっていた。
「結構気さくで礼儀正しい子だね。今度お店に行こうかなって。メアドも交換しちゃったー。高校生とメアド交換ってなんかテンション上がる……って同姓同士、嬉しい。友達そんなに多い方じゃないから」
変にテンションが高い時雨にすこし引き気味の藍里だが、そんな無邪気な時雨の笑顔と一緒にいられるのが嬉しいのだ。
昨晩はずっとさくらが泣いていた。居た堪れなくなり藍里は寝たふりをして目を瞑っていた。時雨も知っている。荷物を持ってきてさくらにまた声をかけて空いているベッドの上にさくらを横に寝させた時雨だが、さくらは時雨をそのまま押し倒してキスをした。長く長く。音を立てて、時雨のベルトを外すガチャガチャっと言う音。藍里はドキドキと鼓動が高まった。
我に帰った時雨はダメだよ、と言ってさくらを引き離し、さくらは何でって叫んだ。時雨は明日藍里を迎えに行く、と言って再び病室を後にした。藍里は眠りにつくまでさくらの啜り泣く声を聞いていた。全部このやりとりは聞いていた。二人とも藍里が起きてたなんて思わないだろう。
そんなことがあっても時雨は藍里を迎えにきた。さくらとの昨日のやりとりで時雨はどう思っているのか。
娘ながらに心配しつつも、複雑な気持ちの藍里であった。
「今日はお家でゆっくり、ね。ご飯は食べれたかな」
「……あまり美味しくなかった」
「じゃあ昼にスパゲッティ、めんたいこスパゲッティ用意してありますー」
「もう用意してたんだ、嬉しい」
「当たり前よー、藍里ちゃんの大好きなスパゲッティ!」
藍里は嬉しくなった。でも、めんたいこスパゲッティが好きなのはさくらなのだが、と思いつつも時雨の笑顔に昨日の大変だったことが消えて無くなる感じもしたようだわ
家につき、リビングに行くと一つの封筒が置いてあった。あの書類提出用のものだった。
「夜になかったからきっとさくらさんが置いていったと思うよ。僕が寝てる間に家に来てそのまま仕事かな」
藍里も気づいたらさくらが横のベットからいなくなってたことに気づいた。
封筒を開けて書類を見るとさくらの職業欄にしっかり名前が書いてあった。
『株式会社エージェントタウン』と記載してあり、聞いたことのないところだと思いながらも封筒を学校のカバンに入れた。
「さてさてースパゲッティをチンするね。そこで座ってて」
藍里はソファーに座った。少しまだ頭は痛いしまだ生理も終わらないがさくらみたいに生理の日はゴロゴロしていたい、そう思うばかりだ。
するとメールが入った。清太郎からである。学校のはずだが……。えっ、と藍里は声を出す。
「どしたの、藍里ちゃん」
「宮部くんが今からくるって」
「え、学校は?」
「……そういえば今日は昼までだったんだ」
藍里はすっかり忘れていた。時雨もうっかり、と笑った。
「なんならスパゲッティ食べてもらおっかな。余ってるし」
とまた台所に行ってしまった。
「……こんな時に時雨くんと宮部くん……」
「体調はどうだ、藍里」
と机の上に何か入った袋を置く清太郎。ノートのコピーも一緒に。何だか1日、というか半日の量にしては多い。時雨に昼ごはんもどうかと言われたが、学食のパンを買ったからいいと言っていた。藍里はスパゲティを半分くらいまで食べ終わった。
「ありがとう、昨日は夜遅くまで。それにこれ……」
「おばちゃんが弁当屋のデザート持ってけ、て言うから。お前の母ちゃんと、なんだっけ……おにぎりみたいな具の」
「時雨くん……ね」
時雨はその時は台所でお茶を入れていた。多分聞こえて入るだろうが。
藍里はノートのコピーを手にして中を見ると文字が一枚一枚違う。
「クラスメイトの奴らが心配して何も言ってないのにコピーして渡してきた」
「そうだったんだ、今度お礼しなきゃね」
「だな」
そこに時雨がお茶を持ってきた。
「どうも、おにぎりの具の時雨です。はい、お茶」
やはり聞こえてたんだと藍里は笑った。清太郎も。時雨も別に慣れているのであろう、ニコニコ。
「時雨くん、デザートもらった」
「それはそれはご親切に。じゃあ僕のコーヒーゼリーはいらないかなぁ」
「あ、どうしよ」
清太郎はじゃあほしい、と藍里に伝えると時雨が台所に戻っていった。
「……まさか手作りのデザート?」
「うん、常に何かデザートを作ってストックしてくれてるの。すっごい美味しいんだから」
「ちょうどよかった、昨日パフェ食べれなかった……ビッグパフェ」
「ごめん」
清太郎はクラスメイトたちがあとで送ってきた写真を藍里に見せた。3人でこのパフェを食べられたのだろうか、清太郎も一緒に食べてでさえも食べきれないサイズである。
「ここで働いてる藍里にいうのも悪いけど俺は甘いのよりもコーヒーゼリーの方が断然いい。こんなあまったるい塊をあいつらは完食したらしい」
ともう一枚完食した写真も。
「これはこれは……なかなかだね。盛り付けも大変だから店側からしたら大感激だよ」
「だよな」
と時雨が二人の話を聞いてたのか立ち尽くしてた。
彼の手には生クリームホイップたっぷりかけたコーヒーゼリー。
「ごめん、甘ったるいのダメだったかな。苦いから生クリームホイップしてみたんだけどさ」
少ししょんぼり顔の時雨。だが清太郎は首を横に振って受け取る。
「いや、これなら大丈夫ですコーヒーの苦味とホイップの塩梅がいいと思います」
「ならよかった……あっ」
時雨はすこし後退りした。この二人の雰囲気に何かを察したようだ。
「僕風呂場の掃除してくるから……若い二人で仲良く……ね」
とサササササっとリビングを出て行った。藍里は早速ホイップから食べている。
清太郎も座って食べる。
「食欲はあるんだな。明太子スパも食べて、デザートも食べて」
「食欲はあるよ。時雨くんの作ってくれたものは全部美味しいの」
フウンとまっさらに平らげた皿を見て、藍里がコーヒーゼリーを食べている姿を見ると昨日横たわっていた人間と同じには思えないようである。
「まさかあの人と一緒にいるのか」
「……学校とバイト以外は。ここ最近はママよりも一緒にいる時間長いかも」
「まじか、てかコーヒーゼリー美味いな。あの人お前の母ちゃんの恋人ってことは40……まだいってなさそうだけども30代くらいだろ」
「うん、34歳」
「お前と結構離れてるのか」
「そうだね……ママにとっては年下の恋人だけど」
「再婚したら父親、になるのか」
藍里はスプーンを口に含んだ。口の中はコーヒーの苦味とクリームのあまみ、スプーンの冷たさ。
「橘綾人……まさかあの人がお前の本当の父親だなんてクラスメイトたちが知ったら驚くよな」
「だよね、よく教室で話しててさ。かっこいいとかそんなこと聞くと恥ずかしい」
「恥ずかしい、か……」
「パパが褒められてるってなんかね」
「会ってるのか」
清太郎は半分残ったコーヒーゼリーを一気に口に含んだ。藍里は首を横に振る。
「そうだよな、離婚したんだもんな」
「……今はいいけどママの前ではパパの話をしないでね」
「いいお父さんだったと思うけどさ」
「……うん」
「母ちゃんからは聞いてた。『外面ばかり良過ぎる』って」
「……」
「ごめん、昨日倒れた理由……あれだろ。お前の母ちゃんが橘綾人にされてたようなことをあの客がしてた、それを思い出したんだろ」
「……」
藍里の手が止まった。右目から涙が出た。
「すまん、昨日倒れたばかりなのに」
「大丈夫、事実だから。でも……パパ優しい人よ」
「……ずっと見てたんだろ、ああいうの」
「……」
「母ちゃんのことを藍里のかあちゃんに言ったら狼狽えてたけど、唯一相談してたんだってな。本当に母ちゃん心配してるから」
藍里は両手を覆って泣いた。清太郎はそんな彼女を抱きしめる。
「もっと近くにいた俺も気づいてやれなくてごめん許してほしい」
藍里は声を上げて泣いた。
その様子を時雨はドアの向こうから聞いていた。途中からではあったが。
しばらくはリビングに入らないようにしようと再び浴室に戻っていった。
「おれさ、藍里が学校にこなくなって家に行ったら血相変えて探し回ってるお前のお父さんがいたんだ……お前は知らないか? っていつも優しかった人だったのにすごく目の敵にされたかのように……怖かった。俺だってどこに行ったかわからなかった、知りたかった」
「ごめんね……」
「あのあと何度も知らないって言っても嘘だ、藍里と一番仲よかっただろって。なんとかして逃げて家帰ったら家にも来て、母ちゃんにたいしてもどっかに匿ったろって。姉ちゃんはびっくりして泣いてた。二人だって藍里たちがいなくなったこと知らなかったし」
「宮部くんの家まで行ったの、パパ」
藍里はふと綾人がさくらに対して攻めている時の言動を思い出す。普段はよその人の前では見せない姿を他の家庭でも見せたのかと。
「母ちゃんは知らないの一点ばりで家に上がらせないようにしたけどちょうど父ちゃんが早くに帰ってきて……説得して帰ってもらったよ」
藍里は自分達が逃げた後の地元の様子は一切知らない。
「そのあとお前の父ちゃんもだけど学校に連絡したんだろうな。俺らも街の中探した。でも母ちゃんは何か知ってそうだったけど……」
「ママに宮部くんのお母さんの話したらなんでかわからないけど黙っちゃった」
清太郎の胸元で香る匂い、時雨とは違った石鹸と有名メーカー度シャンプーの匂い。こんなに近くにいたのは初めてだ。この間の時雨との距離以上に近すぎてドキドキが増す。
「来週くらいに母ちゃんと姉ちゃんがこっち来る。会わせてやってもいいか。俺もいるから」
「わからない。多分だけど過去のことから完全に断絶したいんだよ、ママは」
「でも断絶してほしくない、母ちゃんのことは。俺らはこうして出会えたんだ。だから……」
藍里は首を横に振った。清太郎はそうか、と少し悲しげだった。
「宮部くんに会えたのは本当に嬉しかった。知らない人ばかりで不安だったの。岐阜から離れて神奈川行ってもうまく人間関係も築けなくて……」
「俺たちだけはずっと繋がっていたい。俺は藍里の味方。それに俺の母ちゃんも藍里と藍里の母ちゃんの味方。それだけは忘れるな」
清太郎はじっと見つめる。藍里は涙を拭いて頷いた。
二人の顔が近くにある。じっと見つめ合う……だが清太郎はハッと我に帰って二人は体を離した。互いに真っ赤な顔になっている。
「……まぁそれより、っていうか身体休ませて学校に戻ってこい。これからポストにコピー入れておくから。毎回毎回家上がってきをつかわせるのもだから。ねぇ、時雨さん」
と二人でリビングのドアの方を見ると数秒後に開いた。時雨は再びリビングに来ていたのであった。
「……今さっきこっちに戻ってきて、その……」
「大丈夫です、そんな仲ではないですから。学校の方では俺がいますので安心してください、今は藍里にとって癒しの一つは時雨さんといることみたいだから」
「だといいな……」
時雨は藍里を見ると彼女は微笑んだ。
「じゃあ俺は帰ります」
「あ、宮部くん……待って」
藍里は自分の部屋からあの封筒を持って行った。
「これなんだけど、先生に渡してほしい」
「おう、わかった」
「ママ、ちゃんと会社の名前書いたから。どこかわからないけどきっとママは私たちのために一生懸命働いている。私もそれに応えて早く元気になって勉強しなきゃ」
と書類の職業欄を見せた。
「エージェントタウン……」
「知ってる? 宮部くん」
「知らない。接客業っていってたけども」
時雨もやってきた。清太郎は書類をしまった。
「宮部くん、弁当屋で働く話はまた連絡するよ」
「わかりました。いつでも面接OK、すぐ働いてもOKだそうなんでお待ちしてます」
そう言って清太郎は帰って行った。すこし時雨はほっとため息をつく。が振り返ると藍里が彼を見ていたことに驚く。
「……時雨くん、何聞いてたの」
「いや、その……ところどころ。だってきになるじゃん……男と二人きりで。さくらさんにも朝言われたんだよ……宮部くん来ても極力二人きりにさせるなって」
「……だからって盗み聞きも酷いじゃん」
「ごめんね、藍里ちゃん~」
すると藍里はべーっと下を出し
「なぁんてねっ。もう、時雨くん心配しすぎ。過保護だよ」
と笑った。
「だよね、過保護だよね……さあさあ片付けしなきゃね。藍里ちゃんは座って休んでなさい」
と時雨は皿を片付ける。
藍里はソファーに座ってクッションに顔を埋める。
「なんで……先に宮部くんと会えなかったんだろう……」
時雨のことは好き、でも幼馴染であり本当は初恋の清太郎と距離を縮められなかったのだろう。苦しくなる。そして頭が痛くなり、そのままソファーにゴロンと横になったのであった。
休んでるとほんとダラダラしてしまう藍里。バイトも一週間休みなさいと本部からも通達が来てしまったらしい。お見舞い金は来た。
授業のノートを見てても頭に入らない。やはり自分の目標がないからなのかと落ち込む。
大学に入るとなるとお金かかる。奨学金だけはやめなさい、と理生さんから言われていた。かと言って高卒で新社会人として社会に解き放たれるのも、とぐるぐると頭の中で回るだけである。
「藍里ちゃん、今は何も考えないことが大事だよ」
と、隣ではハーブティーを飲む時雨。彼は家事の合間のリラックスタイムになるとソファーでテレビを見ながらこうリラックスするのが好きだという。特に派手に出歩くこともなく、今は百田家に雇われてる身として自覚しているようだが、もし清太郎の親戚の家で働くとなるとどうなるのであろうか。
家事や料理もしっかりしてくれるのだろうか。彼がいるからこそ自分はこうごろんとなれるんだろうなと藍里は思った。
テレビにはまた綾人が映った。先日クラスメイトが言ってた人気俳優の尊タケルとの共演しているドラマ予告であった。
「ねぇこのドラマってどう思う?」
「んー、クラスの子たちはキャーキャー言ってた」
「……同じ同性からすると自分よりも年上の男同士で恋仲になる、というのは少しありえないなーって思うからどんな世界なんだろうってワクワクしちゃうんだ」
「BL……なんで人気なんだろう。わたし、恋愛ものとかあまり好きじゃない」
「わかるわかる、僕もね。恋愛ものよりも謎解きとか刑事もの」
「だよね、いつもそれ見てるもん時雨くんと」
「うん。……だからなんというかさくらさんと一緒にいることが今リアルな恋愛ドラマみたいな感じで」
「……」
「ごめん、こんなのぼせたなような話聞きたくないよね」
「ラブラブなんだから」
「なんだかんだでね」
藍里には複雑だ。自分の好きな人がさくらとの交際を楽しんでいる。
でもさくらが幸せなら、だがこの間はさくらの悲しんでいる姿に悩みに悩んでいた時雨を見たばかりだった。
そしてこの間の意味深な時雨の言葉も。
すると予告が終わると綾人が映った。ゲストだとのこと。時雨が察して消そうか? と言うが藍里は首を横に振る。
『今度ドラマ初主演なんですね』
『そうなんですよ。ありがたいことに先輩の尊さんとダブル主演で。彼も社会人演劇出身なのですごく嬉しい限りです』
『そうですよねー。しかも今度地元の東海地方でこちらは単独初主演の映画の制作も決まってて』
『ありがたいことに、地元のテレビ局の方からご連絡いただきまして、昔素人の時に出ていた番組の。嬉しくて嬉しくて』
藍里はボーッと綾人の姿を見ている。人前ではあんなに優しく笑う。もちろん自分の前でも、だが……。
「やっぱり消す」
時雨がリモコンを手に取ると藍里は手を握り首を横に振る。
『しかも今度、綾人さんの娘役を東海地区でオーディションで決めるって、すごいですね!』
『そうですね。娘役ですよ。相手役でもいいんですけどね』
「……やっぱり消す」
時雨は藍里の手を優しく解きリモコンでテレビを切った。
藍里は両目から涙が出ていた。
「ごめん、藍里ちゃん……ごめん……」
時雨はそう言うものの、涙が止まらない。そして時雨に抱きついた。
「あ、藍里ちゃんっ……」
前は時雨が泣いて藍里に泣きついたが今度はその反対である。
声を上げて藍里は泣いた。最初時雨は戸惑ったが優しく彼女を抱きしめる。何も言わずに、ゆっくりと。鼓動が互いに増す。
時雨は藍里の辛さもさくらのこともあって理解はしている。
だが今抱きしめているのは自分よりも一回りも二回りも下の高校生である。柔らかさと甘い匂い、さくらの香りや弾力と違うものを抱き、さらに胸もあたる。下心はなかったのだがやはり男である自分の中の理性が崩れかけようとしている。
その時、時雨は一度藍里を引き離してソファーの上にあったタオルケットをぐるぐるに彼女に巻きつけた。
「な、なにしてるの……」
とタオルで巻かれた藍里。
「ごめん、こうでもしないと……はい、僕の胸に飛び込んできておいで。たくさん泣いて。泣きたいだけ泣いて。僕が受け止めるから!!!」
両手を広げる時雨。
「……もぉ、わたし芋虫みたいだよ」
と笑い出した藍里。
「ごめん、ほんとごめん」
「じゃあお言葉に甘えて……」
藍里はタオルケットに包まれたまま、時雨の体に寄り添った。時雨はぎゅっと抱きしめた。
「そういえばね、お父さんによく子供の頃抱きついてたんだ。離れる前まで……」
「そうなんだ。お父さんの代わりにはなれるのかな、僕」
「どうだろう……」
と二人は笑った。
二人きりをいいことに、なのか時雨と藍里は寄り添う。
「なんかホッとする」
「僕も」
「こうやってブランケットにくるまってなかったけどさ」
「くるまってもらわないと」
あのとき時雨が藍里に泣きついた以上に顔の距離は近い。
不思議と藍里はドキドキしない。反対に時雨がいつも以上にニヤニヤして顔を赤らめている。でも目を逸らさずに話す。
あくまでも時雨はブランケットに包んだ藍里を両手で抱き抱えるだけ。赤ん坊を抱くような感じで。藍里は体に寄り添う。
「ねえ、手は出しちゃダメなの?」
「手、かぁ……片手だけ」
藍里は右手だけ出した。そして時雨の手を握る。弱く握ったり離したり、また握ったり。動きを変えるたびに時雨は声を上げて笑う。
「どうしたの」
「ううん、なんでもない。楽しい? 手を触って」
「うん。硬い手だね」
「そうかなぁ。わかんないや」
と藍里は指の一本一本を触る。
藍里も次第に鼓動が高まる。すると藍里は時雨の手を自分の顔に近づけて匂った。
流石に時雨もびっくりして引っ込める。
「こらこら。なに匂うの……恥ずかしいよ」
「……パパはね柔らかくて、こんなに手汗なんてかかないし、あとタバコの匂いもした」
「今はタバコ吸わないからさ。お父さんはタバコ吸っていたんだね」
「うん、ママは嫌がったけど台所のコンロの近くとかベランダで吸ってて。その姿カッコよかったの」
藍里が片手を出したまま時雨に寄り添おうとしたら時雨は藍里をソファに横にさせ、立ち上がった。
「そ、そうだ……コンビニでお菓子買ってくるね。……あ、何か欲しいのあるかな」
「なにを急に。お菓子なんていらないよ。宮部くんからもらったばかりだし」
「あ、そうだよねぇ。でも書いたいものがあるから」
少し慌てた様子の時雨。カバンを持って部屋を出ていった。
藍里はブランケットから出てソファーに座った。
「……わたし、なにやってんだか。時雨くんはお父さんじゃないよ」
ふとスマートフォンを見る。先ほどテレビで気になったことを検索した。
あまり藍里はスマホを見ることはしないタイプである。
その検索結果は
『橘綾人娘役オーディション』
の画面である。渋い顔をした宣材写真。オーディションの条件は東海地区の高校生から大学生まで。芸能事務所所属でも可。東濃弁を話せる人は尚更良い。自薦他薦問わず。他薦の場合紹介者には賞金あり。
「そんなんだったら自薦でも誰かに頼んで他薦してもらって賞金もらうわよ……」
藍里はふと子供の頃、さくらと綾人のやりとりを思い出した。
二人はとても険悪そうだった。
「……生活費が足りんだと? お前がちゃんと家計簿しっかりつけてないからだろ。それとも無駄に何か買ってたりへそくりとかでもしてるのかよ」
とネチネチと声を荒げないでさくらに言う姿は子供ながらに怖かった。いつも抱きしめてくれる綾人の優しさはなかった。
「ごめんなさい。でも無駄遣いもしてないしへそくりもなにも……」
さくらの声は震えている。藍里の手を握っていたがとても強く、痛かったが痛いと言えない。
「だったら仕事をして……」
「もっと家のこともちゃんとしてから仕事をしたいとか言えよ。仕事があるから家事できませんとかありえんし、てか藍里はどうするの、それに社会経験がへっぽこな芸能マネージャーって言う経歴、ドコも採用してくれないんじゃないの?」
綾人は笑った。さくらはなにも言い返せない。
「まぁ採用してくれるのは風俗くらいか」
「藍里の、子供の前でそんなこと言わないでっ」
さくらが声を荒げると藍里はビクッとした。
「こらこら、声を荒げると怖いよね。藍里。それにママが仕事いっちゃったら悲しいよね、寂しいよね」
そう言いながら綾人は藍里に抱きついた。藍里は縦に頷くことしかできなかった。さくらの顔を見ると次第に目から涙が垂れ、藍里をじっとみてる。
「俺が一生懸命働いてるんだから、まさか満足できないって言うのか?」
「……そういうわけじゃないの……ごめんなさい」
さくらは後ろを向き、綾人たちに見えないように涙を拭いた。
さくらはそれを見ていた。
抱きつく綾人からは香水とタバコの匂い。温かい体温。
ふとなぜそのことを思い出したんだろう。と藍里はソファーに再び横になる。
「時雨くん、早く帰ってきて」