「いらっしゃいませぇえええ……って、あれ?」
 なぜか意識を取り戻したと同時にまだファミレスにいたと思い込んでいた藍里は、今ここはファミレスではないってことに気づく。バイト先の休憩室である。
「大丈夫か、藍里」
「……宮部くんがなんでここ……うっ」

 体をゆっくり起こしたが少し頭に痛みを覚える。清太郎が藍里を再び横にした。
「倒れたんだよ。その時にテーブルの角に頭すったみたいだけど……今救急車呼んだらしい」
「……保険証、多分家」
「お母さん呼ぼうか。電話貸して」
 藍里は首を縦に振る前に、さくらは今日まで生理で体調が悪い……滅多にない休みを自分のために使っていいのだろうか。倒れたのはきっと貧血だろうが。それとも……あの男の客の傲慢な態度を見て過去を思い出したのだろうか。

 清太郎は藍里の頭をアイスノンで冷やす。
「一緒に来てたクラスの子達は……」
「心配してた。まだいるけど」
「……お店は」
「今はそんな心配するな。それよりも早よ電話」
 藍里はスマホで『さくら』と着信履歴から出して清太郎に渡した。自分から電話しようとしたがやはり少し頭が痛い。なかなか着信に出ないようだが清太郎は心配そうに藍里を見ている。
 よりによって自分の倒れた時に彼が客としているだなんて、しかも他のクラスメイトもいた訳であって……恥ずかしさもある。
「……俺の席からあの客見ていたけど酷かったよな。奥さんに対してすごくひどいことを言ってたしな」

 藍里は男性客を綾人、女性客をさくらと重ね合わせてみていた。
「ひどいよな……あ、もしもし? あれ、橘……じゃなくて百田……さくらだっけ藍里のお母さんの名前」
「さくら。ママ出た?」
 清太郎はスマホを持ったまま少しキョトンとした顔している。きっとさくらが寝ぼけて電話に出たのだろうか。
「百田さくらさんのスマホですか。……そうですよね? あの、さくらさんは」

 もしかして、と思い藍里はスマホを取り上げた。
「もしもし」
『もしもし、藍里ちゃん? 今の男の人誰かな。さくらさんは今寝てるんだけどどうしたかな』
 時雨の明るい声だった。しまったーと清太郎を見ながら電話を続けようとするが清太郎がスマホを取り上げた。

「すいません、同じクラスメイトの宮部清太郎です。さくらさんに名前おっしゃっていただけたらわかるはずです。さくらさんの娘さんの藍里さんがバイト中に倒れまして……はい、ええ。今ご自宅の下のファミレスです。頭を打ちましてもうすぐ救急車……」
 救急車の音が聞こえた。

「はい、今すぐ来ていただけますか。お願いします」
 藍里はどうしよう、と思いながらもやはりまだ体はだるい。スマホを返されたが2人の間に沈黙が流れる。

「その、今のはね……」
「男の人、だったね。びっくりしちゃったよ」
 清太郎は苦笑いしている。母娘女所帯であろう百田家に男がいる、それには彼も驚いているようだった。

「救急車きたぞ……たく、また人手足りなくなるぞ」
 沖田が仕事の合間になのか心配するそぶりもなく休憩室に来た。藍里はやっぱり自分は……と苛まれてしまう。子役の時もそうだった。うまくいかずに裏でマネージャーだったさくらがスタッフに怒られているのを。
 家ではそのことを綾人にさくらがなじられていた頃を。そしてさくらと2人きりの時に藍里はさくらから八つ当たりされていた頃を。

 それを思い出すたび息が苦しくなる。息が荒くなる。清太郎はそれに気づいた。
「藍里、大丈夫かっ! ……おっさんも少しは心配しろよ」
「おっさんだと?」
「あぁ、おっさん。藍里が客に絡まれていた時に無視してただろ。それよりも前に鬱陶しいから藍里にあの席で接客させたんだろ。俺は見てたぞ」
 沖田はぬぐっと口を歪めた。清太郎は藍里のそばにいながらもきっとした表情で睨む。

「患者さんはどちらでしょうかっ」
 と救急隊員が休憩室に入ってきた。沖田は複数の隊員によって押しのけられて尻餅をついてしまう。

「くそっ! イタタタっ」
 その後沖田の元に理生がやってきたが情けない彼の姿に見下ろして笑った。
「何笑ってる、少しヘルニアが……俺も倒れたらどうするんだ、この店は」
「バイトを馬鹿にしたバチが当たったのよ。それにあんたの代わりはいくらでもいるわ」
「はぁ?」
「あんたのせいでやめてったバイトの子達を招集してきたから」
 と数人の女性たちも沖田を見下ろす。全員冷たい目線だが誰もいなくなった休憩室に入って着替えを始めるようだ。

 理生に引きずられて休憩室を追い出された沖田は腰を痛そうにしている。
「腰が痛くても座ってできる作業あるでしょ。さっさと動きな」
 理生はその後藍里を追いかけた。