アドルフが泣きそうな表情を見せていたのは一瞬だけで、露店を通り過ぎるといつも通りの彼だった。もしかしたら目にゴミが入ったか、見間違いだったのかもしれない。気にしたほうが負けだと思い、気づかなかったことにする。

 先ほど買ってもらった首飾りをつけ、どうかと聞いてみた。

「リオニー嬢は本当にそれが気に入ったのか?」
「ええ、もちろんです」

 どこからどうみてもガラス玉だが、貴族女性としての役割をまっとうできず、魔法学校に通っている私にはお似合いに違いない。
 そうでなくても、どこか寂しげな色合いの青いガラス玉は他にない色合いで、気に入っている自分がいた。

「俺と一緒にいるときはいいが、それ以外の場所につけていかないほうがいい」

 ガラス玉の首飾りなんかつけていったら、社交場で恥をかくからだろう。
 その理由をそのまま言うのか。気になったので問いかけてみる。

「あら、どうしてですの? すてきな首飾りですので、たくさんの方に見ていただきたいのに」
「それは――」

 アドルフは眉間にぎゅっと皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべる。
 きっと、私の間違いを指摘し、恥をかかせるということをしたくないのだろう。
 紳士の鑑(かがみ)である。
 彼が女性に対し、ここまで優しい男性(ひと)だとは知らなかった。
 魔法学校で出会っていなければ、「すてきなお方!」と思ったに違いない。
 今は暴君の本性を知っているので、猫かぶりめ、としか感じなかったが。

 さて、アドルフはどう答えるか。
 ちらりと顔を見ると、顔を真っ赤にしながら私を見つめていた。

「その首飾りをつけたリオニー嬢はあまりにもきれいだから、他の人には見せたくない!」
「まあ!」

 そうきたか! と膝を打ちたくなる。
 彼は普段、こういう甘い言葉を吐くひとではないのだろう。
 相手に恥をかかせるよりも、自分が恥をかくことを選んだのだ。

 少し前まで、アドルフにこれがガラス玉だとわかっていて、あなたの瞳に似ていると言ったのだ、と打ち明けようとしていた。
 それを聞いた彼が、私を嫌うだろうと思ったから。
 けれども今、アドルフ最大の気遣いを前に、言えるわけがなかった。
 最後まで道化を演じようと心の中で誓ったわけである。

「では、アドルフの前でだけ、こっそりつけますね」
「そうしてくれると非常に助かる」

 路地を抜けた先は下町だ。人通りが多い。今の時間帯は買い物客で溢れているのだ。
 キラキラしたものを身に着けていたら、盗まれてしまうかもしれない。そう思って首飾りを外す。
 薄暗い通りから、太陽がさんさんと差し込む大きな通りにでてきた。
 そこで見たガラス玉の首飾りは、暗がりで見るよりも美しかった。

「きれい」

 思わず口にしてしまう。それがアドルフにも聞こえてしまったようだ。
 彼はまっすぐに私を見つめていた。気まずくなって、早口で話しかけてしまう。

「アドルフもそう思いませんか?」
「ああ、きれいだ」

 アドルフは首飾りではなく、こちらを見ながら言った。
 まるで彼が私をきれいだと言ったように聞こえて、気恥ずかしくなってしまった。

「リオニー嬢、顔が赤い」
「へ!?」

 ご令嬢とは思えない、素の声が出てしまう。まさか、目に見えてわかるほど赤くなっていたなんて。

「今日は日差しが少々強いから、肌が焼けてしまったのだろう。気づかなくてすまない」
「あ! えっと、そう! かもしれません」

 外歩きをする予定はまったくなかったので、日傘や帽子など持ってきていなかったのだ。

「どこかに日避けを売る店があればいいのだが」

 下町にそんな小洒落た店があるわけがない。
 キョロキョロと周囲を見渡しているところに、ひとりの幼い少女が近づいてきた。年頃は七歳くらいだろうか。
 手には花が入ったカゴがあって、一輪の花を差し出してくる。

「お花、買いませんか? 銅貨一枚です」

 それはどこにでも咲いている|野の花(メドウ)。紫色のリンドウの花である。
 アドルフはすぐに銅貨三枚を少女に手渡す。

「あ、三本、ですか?」
「いいや、一本でいい」
「あ、ありがとうございます」

 少女は可愛らしくぺこりと会釈し、去っていった。
 その花をどうするのか。見守っていたら彼はまさかの行動に出る。
 リンドウをポケットに挿し、懐から粉インクが入った缶を取り出す。
 蓋を開くと、銀色の輝く粉が見えた。あれは魔法陣を描くときに使う道具だ。
 何をするのかと思えば、指先で粉インクを掬い、手のひらに魔法陣を描いた。
 ちらりと横目で呪文を覗き見る。あれは、質量変化の魔法だった。
 魔法陣を描いた手のひらでリンドウを握ると、茎や花が巨大化した。
 瞬く間に、先ほどの少女の身の丈ほどにまで大きくなったのだ。
 アドルフは巨大化させたリンドウを私に手渡す。

「間に合わせだが、これを日傘代わりに使ってくれないか?」
「あ、ありがとう、ございます」

 なんとも可愛らしい日傘だ。見た目が優れているだけでなく、きちんと日差しを避けてくれる。
 それにしても驚いた。高位魔法をいとも簡単に、短時間で使って見せるとは。
 私がこの魔法を発動させるとしたら、魔法陣の作成に五分はかかっていただろう。
 筆記は私が強いが、実技はアドルフが強い。
 試験は筆記科目が多いので、私が有利になってしまうのだ。
 こういう優秀な面をさらりと見せられると、悔しくなってしまう。
 花を日傘に見立てるというアイデアも、素晴らしいとしか言いようがない。 

 リンドウの日傘を持って歩いていたら、道行く女性たちに「それ、どこで買ったの?」と聞かれてしまう。
 そのたびに「彼からの贈り物ですの」と答えていた。

「すまない。その日傘のせいで、余計な手間をかけてしまった」
「いいえ。道行く方々に、可愛いと言っていただけて嬉しかったです」
「そうか。だったらよかった」

 そんな話をしているうちに、目的地のクッキー店に到着した。

「ここが、そうなのか?」
「ええ」

 築二百年以上の、年季が入りまくりな店舗である。
 店内は薄暗く、外から見ても営業しているか否かわかりにくい。
 今日はお菓子が店内に並んでいるので、営業しているのだろう。

「こちらは修道女が作るお菓子を販売しているお店ですの」

 家が傾いているからか、扉は開けにくい。コツがあって、扉を押しながら足で蹴るとすぐに開く。
 今はしとやかなご令嬢としてやってきたので、蹴りは入れられない。
 扉を開けるのに苦戦していたら、アドルフが代わってくれた。
 彼が取っ手を捻ると、すぐに開いた。ただ、力が強すぎたからか、お店全体が揺れた。
 天井からは粉塵がパラパラと降ってくる。

「店が崩壊するかと思った」
「大丈夫です。たぶん」

 店内のお菓子は、すべて|ガラス瓶(ジャー)に入っているので、埃や塵が舞っても問題ないというわけであった。
 棚には所狭しと、クッキーが入った瓶がずらりと並べられている。 
 店主はいないが、呼べばくるだろう。

「こういう店は初めてだ。あの大きな瓶ごと買うのか?」
「いいえ、ここのお店は量り売りですの。このカゴの中に、欲しいクッキーを入れて会計するのです」
「なるほど」

 一枚から販売していて、近所の子どもが半銅貨を握りしめて買いにやってくるらしい。
 私やリオルみたいな裕福な家の子は初めてだと、以前店主は話していた。
 当時はまったく裕福ではなかったのだが、まあ、下町の人たちに比べたら豊かな暮らしをしていたのだろう。
 店内に並ぶクッキーは二十種類くらいか。
 貴族の茶会で出されるサブレやラングドシャ、ディアマンクッキーといったおなじみの物はない。
 素朴なバタークッキーやビスケットが主力商品なのである。

「アドルフ、この近くに高台があって、王都の景色を一望できるのですが、ここのクッキーを食べながら見ません?」
「わかった」

 私はごつごつとした岩のような見た目のオーツクッキーを選び、 アドルフは栄養豊富なオートミールのクッキーを選ぶ。
 リオルへのお土産として、アーモンドのクッキーを買った。
 購入したクッキーは、追加料金を払うと包んでもらえる。リオルのお土産のクッキーは油紙に包んだあと紐で縛ってもらい、それ以外のクッキーは剥き出しのままだった。すぐに食べるのでまあいいかと思い、絹のハンカチに包んでおく。
 クッキー店をあとにすると、ちょうどミルク売りが通りかかった。
 ミルク売りというのは、荷車に瓶入りのミルクを積んで売り歩く商人である。
 アドルフは不可解な生きものを見る目で、ミルク売りを眺めていた。中心街ではこのようにミルクを売っていないので、驚いているのだろう。
 クッキーだけ食べたら喉が詰まるので、何か飲み物がほしいと思っていたところである。
 
「店主さま、ミルクをいただけるかしら?」
「おうよ」

 新作だと言って紹介されたのは、ミルクティーである。

「なんでもお貴族さまが好んで飲んでいるらしい。これがよく売れるんだ」
「でしたら、ミルクティーをふたつ」
「銅貨三枚だ」

 財布を取り出そうとした瞬間には、アドルフがミルク売りの店主に支払いを済ませていた。

「あ、あの、ありがとうございます」
「気にするな。先ほどの首飾りに比べたら、安い物だ」

 そうだった。ついさっき、彼に銀貨一枚支払わせたばかりである。
 思わず笑ってしまった。アドルフにとっては笑い事ではないだろうが。

 瓶入りのミルクティーをアドルフは店主から受け取る。紙袋はなく、剥き出しのまま差し出されたので戸惑っているようだった。
 下町に無償の袋文化などないのだ。諦めてほしい。

「では、高台に行きましょう」

 道草を食べつついろいろ歩き回っていたからか、太陽は傾きつつあった。急がないと、あっという間に日が暮れてしまうだろう。
 途中でリンドウの日傘は「可愛いねえ」と褒めてくれた少女に手渡し、高台を目指していく。

 下町から旧街道のほうへ向かい、途中にある石の階段を上がっていく。
 スカートを摘まみ、頂上を目指した。

「王都にこういう場所があるなんて、知らなかった」
「魔法騎士隊の警備塔ができる前は、ここから街の様子を見ていたそうです」
「なるほど。そういう用途だったか」

 子どもの頃は駆け上がれた階段も、今は息が乱れてしまう。
 アドルフはクラブ活動で体を鍛えているからか、平然としていた。

「リオニー嬢、手を」
「え?」 
「急がないと、太陽が沈んでしまう」
「そう、ですわね」

 差し出された手に、指先を重ねる。力強く握り返され、階段を上がりやすいように手を引いてくれた。

 やっとのことで、頂上に辿り着く。
 太陽が沈む絶妙な時間で、王都の街並みはあかね色に染まっていた。

「美しいな」
「ええ」

 私とアドルフは、太陽が沈みきるまで会話もなく、景色を眺めていた。
 太陽が地平線に沈み、薄暗くなってからハッと気づく。

「あ、クッキーとミルクティーの存在を失念しておりました」
「そこに座って食べよう」

 今は使われていない、石造りの椅子があるのだ。
 アドルフは胸ポケットに入れていたハンカチを広げ、私にどうぞと手で示してくれた。

「ありがとうございます」

 こういうところも抜け目はないようだ。さすが、ロンリンギア公爵家のご子息である。
 アドルフはオートミールのクッキー、私はオーツクッキーを手に取る。
 
「リオニー嬢のクッキーは珍しいな」
「岩みたいでしょう?」
「ああ」

 半分に割って差し出すと、アドルフは目をまんまるにさせて私を見る。

「どうぞ。お召し上がりになって」

 とてもおいしいからと言うと、小さな声で「感謝する」と言った。
 ただ、アドルフの手はオートミールのクッキーとミルクティーで塞がっていた。仕方がないと思い、口に運んであげる。

「アドルフ、あーん」
「は!?」
「あーん、です。お口を開けてくださいませ」

 アドルフは言葉に従い、口を開く。そこにオーツクッキーを詰め込んだ。
 バターが少ないクッキーだからか、アドルフは食べた瞬間に咽せていた。

「アドルフ、ミルクティーを飲むのです」
「ごほ、ごほ!」

 ミルクティーを飲み、ごくんと呑み込む。アドルフは驚いた表情のまま、感想を述べた。

「おいしい……!」
「でしょう?」

 クッキーとミルクティーの相性は最強なので、極上の味わいだっただろう。私もクッキーを一口食べ、ミルクティーを飲む。

「おいしいです」

 何を思ったのか、アドルフはオートミールのクッキーを半分に割っていた。片方を私に差し出す。

「これも食べてみろ」
「ありがとうございます」

 まさか、アドルフとクッキーを半分こにする日がくるとは、まったく思わなかった。
 分けてもらったクッキーは、とてもおいしかった。

 ミルクティーを飲み干した瞬間に、アドルフが親指に嵌めていた銀の指輪が光る。
 アドルフは驚愕の表情を浮かべ、指輪を押さえた。

「なっ――封じていたはずなのに」

 いったいどうかしたのか。問いかけようとしたら、遠くから声が聞こえた。

「アドルフお坊ちゃまーー!!」
「いました」

 その声を聞いたアドルフは、チッと舌打ちした。
 いつもの暴君の姿が垣間見える。
 声がしたほうを振り返ると、御者と護衛がこちらへ駆けてきた。

「ああ、よかった。舞台が終わっても呼び出しがないので、心配しました」
「ご無事で何よりです」

 なんでも指輪には追跡魔法がかけられていたのだという。
 アドルフは途端に、不機嫌な様子となった。

「あの、アドルフ、そろそろ帰りましょうか」
「ああ」

 これまでの楽しかった雰囲気は消え失せ、なんとも気まずい空気が流れる。
 アドルフとのお出かけは、ロンリンギア公爵家の者達の介入とともに終了となったのだった。