アドルフが泣きそうな表情を見せていたのは一瞬だけで、露店を通り過ぎるといつも通りの彼だった。もしかしたら目にゴミが入ったか、見間違いだったのかもしれない。気にしたほうが負けだと思い、気づかなかったことにする。
先ほど買ってもらった首飾りをつけ、どうかと聞いてみた。
「リオニー嬢は本当にそれが気に入ったのか?」
「ええ、もちろんです」
どこからどうみてもガラス玉だが、貴族女性としての役割をまっとうできず、魔法学校に通っている私にはお似合いに違いない。
そうでなくても、どこか寂しげな色合いの青いガラス玉は他にない色合いで、気に入っている自分がいた。
「俺と一緒にいるときはいいが、それ以外の場所につけていかないほうがいい」
ガラス玉の首飾りなんかつけていったら、社交場で恥をかくからだろう。
その理由をそのまま言うのか。気になったので問いかけてみる。
「あら、どうしてですの? すてきな首飾りですので、たくさんの方に見ていただきたいのに」
「それは――」
アドルフは眉間にぎゅっと皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべる。
きっと、私の間違いを指摘し、恥をかかせるということをしたくないのだろう。
紳士の鑑(かがみ)である。
彼が女性に対し、ここまで優しい男性(ひと)だとは知らなかった。
魔法学校で出会っていなければ、「すてきなお方!」と思ったに違いない。
今は暴君の本性を知っているので、猫かぶりめ、としか感じなかったが。
さて、アドルフはどう答えるか。
ちらりと顔を見ると、顔を真っ赤にしながら私を見つめていた。
「その首飾りをつけたリオニー嬢はあまりにもきれいだから、他の人には見せたくない!」
「まあ!」
そうきたか! と膝を打ちたくなる。
彼は普段、こういう甘い言葉を吐くひとではないのだろう。
相手に恥をかかせるよりも、自分が恥をかくことを選んだのだ。
少し前まで、アドルフにこれがガラス玉だとわかっていて、あなたの瞳に似ていると言ったのだ、と打ち明けようとしていた。
それを聞いた彼が、私を嫌うだろうと思ったから。
けれども今、アドルフ最大の気遣いを前に、言えるわけがなかった。
最後まで道化を演じようと心の中で誓ったわけである。
「では、アドルフの前でだけ、こっそりつけますね」
「そうしてくれると非常に助かる」
路地を抜けた先は下町だ。人通りが多い。今の時間帯は買い物客で溢れているのだ。
キラキラしたものを身に着けていたら、盗まれてしまうかもしれない。そう思って首飾りを外す。
薄暗い通りから、太陽がさんさんと差し込む大きな通りにでてきた。
そこで見たガラス玉の首飾りは、暗がりで見るよりも美しかった。
「きれい」
思わず口にしてしまう。それがアドルフにも聞こえてしまったようだ。
彼はまっすぐに私を見つめていた。気まずくなって、早口で話しかけてしまう。
「アドルフもそう思いませんか?」
「ああ、きれいだ」
アドルフは首飾りではなく、こちらを見ながら言った。
まるで彼が私をきれいだと言ったように聞こえて、気恥ずかしくなってしまった。
「リオニー嬢、顔が赤い」
「へ!?」
ご令嬢とは思えない、素の声が出てしまう。まさか、目に見えてわかるほど赤くなっていたなんて。
「今日は日差しが少々強いから、肌が焼けてしまったのだろう。気づかなくてすまない」
「あ! えっと、そう! かもしれません」
外歩きをする予定はまったくなかったので、日傘や帽子など持ってきていなかったのだ。
「どこかに日避けを売る店があればいいのだが」
下町にそんな小洒落た店があるわけがない。
キョロキョロと周囲を見渡しているところに、ひとりの幼い少女が近づいてきた。年頃は七歳くらいだろうか。
手には花が入ったカゴがあって、一輪の花を差し出してくる。
「お花、買いませんか? 銅貨一枚です」
それはどこにでも咲いている|野の花(メドウ)。紫色のリンドウの花である。
アドルフはすぐに銅貨三枚を少女に手渡す。
「あ、三本、ですか?」
「いいや、一本でいい」
「あ、ありがとうございます」
少女は可愛らしくぺこりと会釈し、去っていった。
その花をどうするのか。見守っていたら彼はまさかの行動に出る。
リンドウをポケットに挿し、懐から粉インクが入った缶を取り出す。
蓋を開くと、銀色の輝く粉が見えた。あれは魔法陣を描くときに使う道具だ。
何をするのかと思えば、指先で粉インクを掬い、手のひらに魔法陣を描いた。
ちらりと横目で呪文を覗き見る。あれは、質量変化の魔法だった。
魔法陣を描いた手のひらでリンドウを握ると、茎や花が巨大化した。
瞬く間に、先ほどの少女の身の丈ほどにまで大きくなったのだ。
アドルフは巨大化させたリンドウを私に手渡す。
「間に合わせだが、これを日傘代わりに使ってくれないか?」
「あ、ありがとう、ございます」
なんとも可愛らしい日傘だ。見た目が優れているだけでなく、きちんと日差しを避けてくれる。
それにしても驚いた。高位魔法をいとも簡単に、短時間で使って見せるとは。
私がこの魔法を発動させるとしたら、魔法陣の作成に五分はかかっていただろう。
筆記は私が強いが、実技はアドルフが強い。
試験は筆記科目が多いので、私が有利になってしまうのだ。
こういう優秀な面をさらりと見せられると、悔しくなってしまう。
花を日傘に見立てるというアイデアも、素晴らしいとしか言いようがない。
リンドウの日傘を持って歩いていたら、道行く女性たちに「それ、どこで買ったの?」と聞かれてしまう。
そのたびに「彼からの贈り物ですの」と答えていた。
「すまない。その日傘のせいで、余計な手間をかけてしまった」
「いいえ。道行く方々に、可愛いと言っていただけて嬉しかったです」
「そうか。だったらよかった」
そんな話をしているうちに、目的地のクッキー店に到着した。
「ここが、そうなのか?」
「ええ」
築二百年以上の、年季が入りまくりな店舗である。
店内は薄暗く、外から見ても営業しているか否かわかりにくい。
今日はお菓子が店内に並んでいるので、営業しているのだろう。
「こちらは修道女が作るお菓子を販売しているお店ですの」
家が傾いているからか、扉は開けにくい。コツがあって、扉を押しながら足で蹴るとすぐに開く。
今はしとやかなご令嬢としてやってきたので、蹴りは入れられない。
扉を開けるのに苦戦していたら、アドルフが代わってくれた。
彼が取っ手を捻ると、すぐに開いた。ただ、力が強すぎたからか、お店全体が揺れた。
天井からは粉塵がパラパラと降ってくる。
「店が崩壊するかと思った」
「大丈夫です。たぶん」
店内のお菓子は、すべて|ガラス瓶(ジャー)に入っているので、埃や塵が舞っても問題ないというわけであった。
棚には所狭しと、クッキーが入った瓶がずらりと並べられている。
店主はいないが、呼べばくるだろう。
「こういう店は初めてだ。あの大きな瓶ごと買うのか?」
「いいえ、ここのお店は量り売りですの。このカゴの中に、欲しいクッキーを入れて会計するのです」
「なるほど」
一枚から販売していて、近所の子どもが半銅貨を握りしめて買いにやってくるらしい。
私やリオルみたいな裕福な家の子は初めてだと、以前店主は話していた。
当時はまったく裕福ではなかったのだが、まあ、下町の人たちに比べたら豊かな暮らしをしていたのだろう。
店内に並ぶクッキーは二十種類くらいか。
貴族の茶会で出されるサブレやラングドシャ、ディアマンクッキーといったおなじみの物はない。
素朴なバタークッキーやビスケットが主力商品なのである。
「アドルフ、この近くに高台があって、王都の景色を一望できるのですが、ここのクッキーを食べながら見ません?」
「わかった」
私はごつごつとした岩のような見た目のオーツクッキーを選び、 アドルフは栄養豊富なオートミールのクッキーを選ぶ。
リオルへのお土産として、アーモンドのクッキーを買った。
購入したクッキーは、追加料金を払うと包んでもらえる。リオルのお土産のクッキーは油紙に包んだあと紐で縛ってもらい、それ以外のクッキーは剥き出しのままだった。すぐに食べるのでまあいいかと思い、絹のハンカチに包んでおく。
クッキー店をあとにすると、ちょうどミルク売りが通りかかった。
ミルク売りというのは、荷車に瓶入りのミルクを積んで売り歩く商人である。
アドルフは不可解な生きものを見る目で、ミルク売りを眺めていた。中心街ではこのようにミルクを売っていないので、驚いているのだろう。
クッキーだけ食べたら喉が詰まるので、何か飲み物がほしいと思っていたところである。
「店主さま、ミルクをいただけるかしら?」
「おうよ」
新作だと言って紹介されたのは、ミルクティーである。
「なんでもお貴族さまが好んで飲んでいるらしい。これがよく売れるんだ」
「でしたら、ミルクティーをふたつ」
「銅貨三枚だ」
財布を取り出そうとした瞬間には、アドルフがミルク売りの店主に支払いを済ませていた。
「あ、あの、ありがとうございます」
「気にするな。先ほどの首飾りに比べたら、安い物だ」
そうだった。ついさっき、彼に銀貨一枚支払わせたばかりである。
思わず笑ってしまった。アドルフにとっては笑い事ではないだろうが。
瓶入りのミルクティーをアドルフは店主から受け取る。紙袋はなく、剥き出しのまま差し出されたので戸惑っているようだった。
下町に無償の袋文化などないのだ。諦めてほしい。
「では、高台に行きましょう」
道草を食べつついろいろ歩き回っていたからか、太陽は傾きつつあった。急がないと、あっという間に日が暮れてしまうだろう。
途中でリンドウの日傘は「可愛いねえ」と褒めてくれた少女に手渡し、高台を目指していく。
下町から旧街道のほうへ向かい、途中にある石の階段を上がっていく。
スカートを摘まみ、頂上を目指した。
「王都にこういう場所があるなんて、知らなかった」
「魔法騎士隊の警備塔ができる前は、ここから街の様子を見ていたそうです」
「なるほど。そういう用途だったか」
子どもの頃は駆け上がれた階段も、今は息が乱れてしまう。
アドルフはクラブ活動で体を鍛えているからか、平然としていた。
「リオニー嬢、手を」
「え?」
「急がないと、太陽が沈んでしまう」
「そう、ですわね」
差し出された手に、指先を重ねる。力強く握り返され、階段を上がりやすいように手を引いてくれた。
やっとのことで、頂上に辿り着く。
太陽が沈む絶妙な時間で、王都の街並みはあかね色に染まっていた。
「美しいな」
「ええ」
私とアドルフは、太陽が沈みきるまで会話もなく、景色を眺めていた。
太陽が地平線に沈み、薄暗くなってからハッと気づく。
「あ、クッキーとミルクティーの存在を失念しておりました」
「そこに座って食べよう」
今は使われていない、石造りの椅子があるのだ。
アドルフは胸ポケットに入れていたハンカチを広げ、私にどうぞと手で示してくれた。
「ありがとうございます」
こういうところも抜け目はないようだ。さすが、ロンリンギア公爵家のご子息である。
アドルフはオートミールのクッキー、私はオーツクッキーを手に取る。
「リオニー嬢のクッキーは珍しいな」
「岩みたいでしょう?」
「ああ」
半分に割って差し出すと、アドルフは目をまんまるにさせて私を見る。
「どうぞ。お召し上がりになって」
とてもおいしいからと言うと、小さな声で「感謝する」と言った。
ただ、アドルフの手はオートミールのクッキーとミルクティーで塞がっていた。仕方がないと思い、口に運んであげる。
「アドルフ、あーん」
「は!?」
「あーん、です。お口を開けてくださいませ」
アドルフは言葉に従い、口を開く。そこにオーツクッキーを詰め込んだ。
バターが少ないクッキーだからか、アドルフは食べた瞬間に咽せていた。
「アドルフ、ミルクティーを飲むのです」
「ごほ、ごほ!」
ミルクティーを飲み、ごくんと呑み込む。アドルフは驚いた表情のまま、感想を述べた。
「おいしい……!」
「でしょう?」
クッキーとミルクティーの相性は最強なので、極上の味わいだっただろう。私もクッキーを一口食べ、ミルクティーを飲む。
「おいしいです」
何を思ったのか、アドルフはオートミールのクッキーを半分に割っていた。片方を私に差し出す。
「これも食べてみろ」
「ありがとうございます」
まさか、アドルフとクッキーを半分こにする日がくるとは、まったく思わなかった。
分けてもらったクッキーは、とてもおいしかった。
ミルクティーを飲み干した瞬間に、アドルフが親指に嵌めていた銀の指輪が光る。
アドルフは驚愕の表情を浮かべ、指輪を押さえた。
「なっ――封じていたはずなのに」
いったいどうかしたのか。問いかけようとしたら、遠くから声が聞こえた。
「アドルフお坊ちゃまーー!!」
「いました」
その声を聞いたアドルフは、チッと舌打ちした。
いつもの暴君の姿が垣間見える。
声がしたほうを振り返ると、御者と護衛がこちらへ駆けてきた。
「ああ、よかった。舞台が終わっても呼び出しがないので、心配しました」
「ご無事で何よりです」
なんでも指輪には追跡魔法がかけられていたのだという。
アドルフは途端に、不機嫌な様子となった。
「あの、アドルフ、そろそろ帰りましょうか」
「ああ」
これまでの楽しかった雰囲気は消え失せ、なんとも気まずい空気が流れる。
アドルフとのお出かけは、ロンリンギア公爵家の者達の介入とともに終了となったのだった。
先ほど買ってもらった首飾りをつけ、どうかと聞いてみた。
「リオニー嬢は本当にそれが気に入ったのか?」
「ええ、もちろんです」
どこからどうみてもガラス玉だが、貴族女性としての役割をまっとうできず、魔法学校に通っている私にはお似合いに違いない。
そうでなくても、どこか寂しげな色合いの青いガラス玉は他にない色合いで、気に入っている自分がいた。
「俺と一緒にいるときはいいが、それ以外の場所につけていかないほうがいい」
ガラス玉の首飾りなんかつけていったら、社交場で恥をかくからだろう。
その理由をそのまま言うのか。気になったので問いかけてみる。
「あら、どうしてですの? すてきな首飾りですので、たくさんの方に見ていただきたいのに」
「それは――」
アドルフは眉間にぎゅっと皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべる。
きっと、私の間違いを指摘し、恥をかかせるということをしたくないのだろう。
紳士の鑑(かがみ)である。
彼が女性に対し、ここまで優しい男性(ひと)だとは知らなかった。
魔法学校で出会っていなければ、「すてきなお方!」と思ったに違いない。
今は暴君の本性を知っているので、猫かぶりめ、としか感じなかったが。
さて、アドルフはどう答えるか。
ちらりと顔を見ると、顔を真っ赤にしながら私を見つめていた。
「その首飾りをつけたリオニー嬢はあまりにもきれいだから、他の人には見せたくない!」
「まあ!」
そうきたか! と膝を打ちたくなる。
彼は普段、こういう甘い言葉を吐くひとではないのだろう。
相手に恥をかかせるよりも、自分が恥をかくことを選んだのだ。
少し前まで、アドルフにこれがガラス玉だとわかっていて、あなたの瞳に似ていると言ったのだ、と打ち明けようとしていた。
それを聞いた彼が、私を嫌うだろうと思ったから。
けれども今、アドルフ最大の気遣いを前に、言えるわけがなかった。
最後まで道化を演じようと心の中で誓ったわけである。
「では、アドルフの前でだけ、こっそりつけますね」
「そうしてくれると非常に助かる」
路地を抜けた先は下町だ。人通りが多い。今の時間帯は買い物客で溢れているのだ。
キラキラしたものを身に着けていたら、盗まれてしまうかもしれない。そう思って首飾りを外す。
薄暗い通りから、太陽がさんさんと差し込む大きな通りにでてきた。
そこで見たガラス玉の首飾りは、暗がりで見るよりも美しかった。
「きれい」
思わず口にしてしまう。それがアドルフにも聞こえてしまったようだ。
彼はまっすぐに私を見つめていた。気まずくなって、早口で話しかけてしまう。
「アドルフもそう思いませんか?」
「ああ、きれいだ」
アドルフは首飾りではなく、こちらを見ながら言った。
まるで彼が私をきれいだと言ったように聞こえて、気恥ずかしくなってしまった。
「リオニー嬢、顔が赤い」
「へ!?」
ご令嬢とは思えない、素の声が出てしまう。まさか、目に見えてわかるほど赤くなっていたなんて。
「今日は日差しが少々強いから、肌が焼けてしまったのだろう。気づかなくてすまない」
「あ! えっと、そう! かもしれません」
外歩きをする予定はまったくなかったので、日傘や帽子など持ってきていなかったのだ。
「どこかに日避けを売る店があればいいのだが」
下町にそんな小洒落た店があるわけがない。
キョロキョロと周囲を見渡しているところに、ひとりの幼い少女が近づいてきた。年頃は七歳くらいだろうか。
手には花が入ったカゴがあって、一輪の花を差し出してくる。
「お花、買いませんか? 銅貨一枚です」
それはどこにでも咲いている|野の花(メドウ)。紫色のリンドウの花である。
アドルフはすぐに銅貨三枚を少女に手渡す。
「あ、三本、ですか?」
「いいや、一本でいい」
「あ、ありがとうございます」
少女は可愛らしくぺこりと会釈し、去っていった。
その花をどうするのか。見守っていたら彼はまさかの行動に出る。
リンドウをポケットに挿し、懐から粉インクが入った缶を取り出す。
蓋を開くと、銀色の輝く粉が見えた。あれは魔法陣を描くときに使う道具だ。
何をするのかと思えば、指先で粉インクを掬い、手のひらに魔法陣を描いた。
ちらりと横目で呪文を覗き見る。あれは、質量変化の魔法だった。
魔法陣を描いた手のひらでリンドウを握ると、茎や花が巨大化した。
瞬く間に、先ほどの少女の身の丈ほどにまで大きくなったのだ。
アドルフは巨大化させたリンドウを私に手渡す。
「間に合わせだが、これを日傘代わりに使ってくれないか?」
「あ、ありがとう、ございます」
なんとも可愛らしい日傘だ。見た目が優れているだけでなく、きちんと日差しを避けてくれる。
それにしても驚いた。高位魔法をいとも簡単に、短時間で使って見せるとは。
私がこの魔法を発動させるとしたら、魔法陣の作成に五分はかかっていただろう。
筆記は私が強いが、実技はアドルフが強い。
試験は筆記科目が多いので、私が有利になってしまうのだ。
こういう優秀な面をさらりと見せられると、悔しくなってしまう。
花を日傘に見立てるというアイデアも、素晴らしいとしか言いようがない。
リンドウの日傘を持って歩いていたら、道行く女性たちに「それ、どこで買ったの?」と聞かれてしまう。
そのたびに「彼からの贈り物ですの」と答えていた。
「すまない。その日傘のせいで、余計な手間をかけてしまった」
「いいえ。道行く方々に、可愛いと言っていただけて嬉しかったです」
「そうか。だったらよかった」
そんな話をしているうちに、目的地のクッキー店に到着した。
「ここが、そうなのか?」
「ええ」
築二百年以上の、年季が入りまくりな店舗である。
店内は薄暗く、外から見ても営業しているか否かわかりにくい。
今日はお菓子が店内に並んでいるので、営業しているのだろう。
「こちらは修道女が作るお菓子を販売しているお店ですの」
家が傾いているからか、扉は開けにくい。コツがあって、扉を押しながら足で蹴るとすぐに開く。
今はしとやかなご令嬢としてやってきたので、蹴りは入れられない。
扉を開けるのに苦戦していたら、アドルフが代わってくれた。
彼が取っ手を捻ると、すぐに開いた。ただ、力が強すぎたからか、お店全体が揺れた。
天井からは粉塵がパラパラと降ってくる。
「店が崩壊するかと思った」
「大丈夫です。たぶん」
店内のお菓子は、すべて|ガラス瓶(ジャー)に入っているので、埃や塵が舞っても問題ないというわけであった。
棚には所狭しと、クッキーが入った瓶がずらりと並べられている。
店主はいないが、呼べばくるだろう。
「こういう店は初めてだ。あの大きな瓶ごと買うのか?」
「いいえ、ここのお店は量り売りですの。このカゴの中に、欲しいクッキーを入れて会計するのです」
「なるほど」
一枚から販売していて、近所の子どもが半銅貨を握りしめて買いにやってくるらしい。
私やリオルみたいな裕福な家の子は初めてだと、以前店主は話していた。
当時はまったく裕福ではなかったのだが、まあ、下町の人たちに比べたら豊かな暮らしをしていたのだろう。
店内に並ぶクッキーは二十種類くらいか。
貴族の茶会で出されるサブレやラングドシャ、ディアマンクッキーといったおなじみの物はない。
素朴なバタークッキーやビスケットが主力商品なのである。
「アドルフ、この近くに高台があって、王都の景色を一望できるのですが、ここのクッキーを食べながら見ません?」
「わかった」
私はごつごつとした岩のような見た目のオーツクッキーを選び、 アドルフは栄養豊富なオートミールのクッキーを選ぶ。
リオルへのお土産として、アーモンドのクッキーを買った。
購入したクッキーは、追加料金を払うと包んでもらえる。リオルのお土産のクッキーは油紙に包んだあと紐で縛ってもらい、それ以外のクッキーは剥き出しのままだった。すぐに食べるのでまあいいかと思い、絹のハンカチに包んでおく。
クッキー店をあとにすると、ちょうどミルク売りが通りかかった。
ミルク売りというのは、荷車に瓶入りのミルクを積んで売り歩く商人である。
アドルフは不可解な生きものを見る目で、ミルク売りを眺めていた。中心街ではこのようにミルクを売っていないので、驚いているのだろう。
クッキーだけ食べたら喉が詰まるので、何か飲み物がほしいと思っていたところである。
「店主さま、ミルクをいただけるかしら?」
「おうよ」
新作だと言って紹介されたのは、ミルクティーである。
「なんでもお貴族さまが好んで飲んでいるらしい。これがよく売れるんだ」
「でしたら、ミルクティーをふたつ」
「銅貨三枚だ」
財布を取り出そうとした瞬間には、アドルフがミルク売りの店主に支払いを済ませていた。
「あ、あの、ありがとうございます」
「気にするな。先ほどの首飾りに比べたら、安い物だ」
そうだった。ついさっき、彼に銀貨一枚支払わせたばかりである。
思わず笑ってしまった。アドルフにとっては笑い事ではないだろうが。
瓶入りのミルクティーをアドルフは店主から受け取る。紙袋はなく、剥き出しのまま差し出されたので戸惑っているようだった。
下町に無償の袋文化などないのだ。諦めてほしい。
「では、高台に行きましょう」
道草を食べつついろいろ歩き回っていたからか、太陽は傾きつつあった。急がないと、あっという間に日が暮れてしまうだろう。
途中でリンドウの日傘は「可愛いねえ」と褒めてくれた少女に手渡し、高台を目指していく。
下町から旧街道のほうへ向かい、途中にある石の階段を上がっていく。
スカートを摘まみ、頂上を目指した。
「王都にこういう場所があるなんて、知らなかった」
「魔法騎士隊の警備塔ができる前は、ここから街の様子を見ていたそうです」
「なるほど。そういう用途だったか」
子どもの頃は駆け上がれた階段も、今は息が乱れてしまう。
アドルフはクラブ活動で体を鍛えているからか、平然としていた。
「リオニー嬢、手を」
「え?」
「急がないと、太陽が沈んでしまう」
「そう、ですわね」
差し出された手に、指先を重ねる。力強く握り返され、階段を上がりやすいように手を引いてくれた。
やっとのことで、頂上に辿り着く。
太陽が沈む絶妙な時間で、王都の街並みはあかね色に染まっていた。
「美しいな」
「ええ」
私とアドルフは、太陽が沈みきるまで会話もなく、景色を眺めていた。
太陽が地平線に沈み、薄暗くなってからハッと気づく。
「あ、クッキーとミルクティーの存在を失念しておりました」
「そこに座って食べよう」
今は使われていない、石造りの椅子があるのだ。
アドルフは胸ポケットに入れていたハンカチを広げ、私にどうぞと手で示してくれた。
「ありがとうございます」
こういうところも抜け目はないようだ。さすが、ロンリンギア公爵家のご子息である。
アドルフはオートミールのクッキー、私はオーツクッキーを手に取る。
「リオニー嬢のクッキーは珍しいな」
「岩みたいでしょう?」
「ああ」
半分に割って差し出すと、アドルフは目をまんまるにさせて私を見る。
「どうぞ。お召し上がりになって」
とてもおいしいからと言うと、小さな声で「感謝する」と言った。
ただ、アドルフの手はオートミールのクッキーとミルクティーで塞がっていた。仕方がないと思い、口に運んであげる。
「アドルフ、あーん」
「は!?」
「あーん、です。お口を開けてくださいませ」
アドルフは言葉に従い、口を開く。そこにオーツクッキーを詰め込んだ。
バターが少ないクッキーだからか、アドルフは食べた瞬間に咽せていた。
「アドルフ、ミルクティーを飲むのです」
「ごほ、ごほ!」
ミルクティーを飲み、ごくんと呑み込む。アドルフは驚いた表情のまま、感想を述べた。
「おいしい……!」
「でしょう?」
クッキーとミルクティーの相性は最強なので、極上の味わいだっただろう。私もクッキーを一口食べ、ミルクティーを飲む。
「おいしいです」
何を思ったのか、アドルフはオートミールのクッキーを半分に割っていた。片方を私に差し出す。
「これも食べてみろ」
「ありがとうございます」
まさか、アドルフとクッキーを半分こにする日がくるとは、まったく思わなかった。
分けてもらったクッキーは、とてもおいしかった。
ミルクティーを飲み干した瞬間に、アドルフが親指に嵌めていた銀の指輪が光る。
アドルフは驚愕の表情を浮かべ、指輪を押さえた。
「なっ――封じていたはずなのに」
いったいどうかしたのか。問いかけようとしたら、遠くから声が聞こえた。
「アドルフお坊ちゃまーー!!」
「いました」
その声を聞いたアドルフは、チッと舌打ちした。
いつもの暴君の姿が垣間見える。
声がしたほうを振り返ると、御者と護衛がこちらへ駆けてきた。
「ああ、よかった。舞台が終わっても呼び出しがないので、心配しました」
「ご無事で何よりです」
なんでも指輪には追跡魔法がかけられていたのだという。
アドルフは途端に、不機嫌な様子となった。
「あの、アドルフ、そろそろ帰りましょうか」
「ああ」
これまでの楽しかった雰囲気は消え失せ、なんとも気まずい空気が流れる。
アドルフとのお出かけは、ロンリンギア公爵家の者達の介入とともに終了となったのだった。