「その様子だと、知っていたのだな」
「ええ」
「誰から聞いた?」
「現在、母上の侍女を務める、乳母だった女性です」
「そうか」

 ロンリンギア公爵は従僕に窓を開けるよう指示し、懐から銀のシガーケースを取り出す。
 慣れた手つきで葉巻の端を切り、マッチを使って火を点した。
 葉巻を吸い、吐いた煙は窓の外へと流れていく。

「父上も、ご存じだったのですね」
「身内のやらかしに気付かないほど、耄碌(もうろく)していない」

 気まずい空気が流れる。とても私なんかが口を挟めるような状況ではなかった。

「そもそも、私は医者から、体質的に子どもは作れないだろう、と言われていた。妻や周囲の者にも話したが、誰ひとりとして信じなかったのだ」

 衝撃の事実である。
 ロンリンギア公爵家の家督は弟夫婦の間に生まれた子に――なんて考えていたようだ。

「数年、子どもが生まれなければ、信じるだろうと思っていたが、妻は必死になって、私の子を産もうとしていた」

 その当時からロンリンギア公爵夫人はヒステリックな様子で、訴えを聞く耳もなかったらしい。

「妻は気の毒なことに、貴族女性の価値は、結婚し跡取りを産んで初めて認められる、という古い考えを盲目的に信じていた」

 なかなか子どもが生まれないため、ロンリンギア公爵家の親族からネチネチと小言を言われていたらしい。それも、彼女の精神を追い詰める原因のひとつとなっていたのだろう。

「親戚の前で、私が子どもができない体質だという診断を受けたと訴えても、妻を守るために言ったのだと勘違いされてしまった。誰ひとりとして、私の話を信じなかったのだ」

 ロンリンギア公爵家の人達は皆、苦しめられていたのだ。話を聞いていると、胸が締めつけられる。

「結婚から五年後、妻は懐妊した。皆、奇跡だと喜んでいたが――」

 ロンリンギア公爵は自分以外の男と関係を持ち、子を作ったのか、と呆れた気持ちでいたという。

「反面、もう妻を苦しめる者はいなくなると思って安心していたのだが」

 ロンリンギア公爵夫人に、安寧は訪れなかった。
 彼女は幼いアドルフを残し、逃げるようにして王都を発ったという。

「父上はなぜ、俺を実の息子のように育てたのですか?」
「哀れな子に、罪はないから。情が湧いたとも言えるな」

 ロンリンギア公爵に情というものが存在していたのか。意外に思う。なんて考えているのを見破られてしまったのか、ジロリと睨まれてしまった。

「俺は、いずれ父上に血が繋がっていないことを打ち明けて、家から出て行こう、と思っていました」
「それは許さない」
「どうしてですか?」
「苦労して育てた息子を、逃がすわけないだろうが。そもそも、この十八年もの間、お前にどれだけ投資してきたと思っているんだ?」
「ですが、俺は、父上の子ではありません」
「血が繋がっていないと、親子ではないという決まりはどこにもない。それに貴族は血統が大事だの、なんだのとうるさく言うが、血統を大事に守った結果、体の弱い子ばかり生まれたり、早くに亡くなったりと、いろいろ支障をきたしている家も多い。現に私も、子どもが作れない。血を大事にするあまり、近親同士の結婚が重なった結果だろう」

 新しい血を入れることも大事だと、ロンリンギア公爵は主張する。

「呪われた血は私の代で終わらせる。アドルフ、お前は新しい時代を、お前自身が選んだ女性(おんな)と共に築くのだ」
「父上……!」

 親子をふたりっきりにさせておこうと思い、一歩、一歩と後方に進んでいく。
 出て行こうとした瞬間、アドルフとロンリンギア公爵からジロリと睨まれ「逃げるな!」と同時に言われてしまった。
 なんというか、彼らは似た者親子なのでは、と思ってしまった。

 ◇◇◇

 そんなわけで、アドルフはロンリンギア公爵と血は繋がっていなかったものの、問題なし、という結果になった。
 家を追い出されることもなく、今までどおり暮らしている。
 
 ミュリーヌ王女が画策した事件に関しては、隣国でも大きな問題となったらしい。
 国王は賠償金を請求しただけでなく、我が国に有利な取り引きもいくつか交わしたという。
 ミュリーヌ王女は事件の責任を受け、修道院にしばらく身を預けることになったようだ。
 今後、どうなるかは彼女次第なのだろう。

 私も気持ちを入れ替え、魔法学校の退学を考えた。
 周囲に相談せず、教師に退学届を持って行ったところ、全力で引き留められる。
 なんでも私とアドルフは魔法学校始まって以来の優秀な生徒として、記録に残したいらしい。
 あまりにも必死に止めるので、どうしたものかと思ってしまう。
 退学届を受け取ってもらえなかったので、校長などを交え、私は正直にリオルと入れ替わりで通っていることを告げた。
 これで退学届を受け取ってもらえるだろうと信じていたのに、校長を始めとする教師陣は「知らなかったふりをするから、卒業してくれ!」と泣きつかれてしまった。
 ここまで言われてしまったら、無理矢理退学する必要もない。
 私はありがたくも、魔法学校での学生生活を続けることとなったのだった。
 
 それから月日が流れ、ついに私は魔法学校を卒業する――。

 皆、魔法学校の正装に身を包み、礼拝堂に集まる。
 校長からひとりひとり、魔法学校の卒業証書と卒業生の記章(バッジ)を受け取った。
 在校生へ贈る言葉は、アドルフが読み上げた。これは期末テストで首席を取った者が読むのだが、私とアドルフは同点だったのだ。
 そのため、文章を私が考え、アドルフが読むという役割分担だったのである。
 在校生達のほとんどが、涙ぐんでいるように思える。アドルフは立派な様子で、読み上げてくれたのだった。
 最後に讃美歌を歌い、卒業式は幕を閉じる。
 クレマチスが巻きついたアーチをくぐり抜けると、教師や寮母などが拍手で出迎えてくれた。
 これから盛大な舞踏会(プロムナード)が開催される。
 外からパートナーを招待し、一緒に踊ったり、ご馳走を食べたりするパーティーだ。
 皆、燕尾服を着ているので、そのままパートナーと合流し、参加する。
 しかしながら私は、寮母に捕獲された。

「急いで準備するわよ」
「お願いします」

 私はアドルフの婚約者として、舞踏会に参加する約束をしていた。
 外部からも多くの人達が参加する盛大な催しなので、リオルがいなくてもバレないだろう。なんて、目論見もあった。

 学校関係者が使う休憩室を借り、身なりを整える。 
 |地平線上(ホライズン)|の空色(ブルー)のドレスは緑がかった美しい青で、アドルフと一緒に選んだものだった。お気に入りの一着である。購入したのは三ヶ月も前なので、ようやく袖を通す日が訪れたのだ。
 出入り口には鍵をかけ、誰も入れないようにしてから着替えを始める。

「あの、ここを借りて、先生達に迷惑ではなかったのですか?」
「あら。私は勝手にここを借りて、着替えていたわ。もう、時効よね?」

 なんというか、私よりも豪快な男装学生生活を送っている人がいたのだな、と思ってしまう。
 今回はきちんと許可を取っているので、心配しなくてもいいと言ってくれた。

 ドレスをまとい、化粧を施して、髪を結ってもらう。
 鏡に映る私は、魔法にかけられたみたいな変貌ぶりであった。

「きれいよ」
「ありがとうございます」

 声変わりの飴の効果を解き、こっそり外へ脱出する。
 舞踏会が行われている講堂へ急いだ。

 アドルフは私と約束した、アーモンドの木の下で待っていた。すぐに気付き、こちらへ駆け寄ってくる。

「リオニー!」
「お待たせしました」
「少しも待っていない」

 そんなわけがない。あれから一時間半は経っている。きっと彼の優しさなのだろう。

「ドレス、よく似合っている。きれいだ」
「ありがとうございます」

 ぐっと背伸びし、アドルフもすてきだと耳打ちしてみた。すると、アドルフの耳はみるみるうちに赤く染まっていく。

「そういうことは、結婚してから言ってほしい。我慢できなくなるから」

 いったい何を我慢しているのか。尋ねたが、顔を逸らすばかりであった。

「リオニー、あっちにリオルがいる」
「え?」
 
 アドルフが指差した方向を向いた瞬間、頬にキスされた。
 突然のことだったので、言葉を失ってしまう。
 もちろん、リオルの姿なんてなかった。
 抗議するような目でアドルフを見ると、言い返されてしまう。

「我慢とはこういうことだ」
「まあ!」

 からかったので、仕返しをされたようだ。身をもって、何を我慢していたのかわかってしまう。

「正直、リオニーから褒められるのは慣れていない。結婚してから、盛大に褒めちぎってほしい」
「わかりました」

 婚前に関係を持ってしまったら、父に何を言われるかわからない。
 私達の結婚は一年後なので、もうしばらく我慢してもらう必要があった。

「そろそろ行こうか」
「ええ」

 講堂から楽団の演奏が聞こえていた。

「リオニー、先に何か食べるか?」
「わたくしは平気です。アドルフは?」
「俺も、あとでいい」

 アドルフが差し出してくれた手に、そっと指先を重ねる。
 私達は足並みを揃え、会場へ向かったのだった。

 こっそり入って、目立たないようにしよう、なんて思っていたのに、一歩踏み入れた途端に大きな騒ぎとなってしまった。
 あっという間に周囲は人で囲まれてしまう。
 アドルフは自慢げな様子で、私を紹介していた。恥ずかしいから、適当でいいのに。

「彼女が俺の婚約者であるリオニーだ。世界一美しいだろう?」

 相手が頷くと、アドルフは満足げな様子で頷く。
 本当に美しいと思っているわけではなく、皆、ロンリンギア公爵家の嫡男の発言に忖度しているだけだろう。
 アドルフはそれに気付いていないのである。

 途中で、ランハートがやってきた。まだ婚約者が決まっていないようで、七歳の妹と一緒にやってくる。
 ランハートの妹は、アドルフをキラキラした瞳で見つめていた。
 
「あー、えーっと」

 ランハートが話しかけようとすると、アドルフが私を庇うように一歩前にでてくる。
 なんていうか、舞踏会でバチバチするのは辞めてほしい。
 ランハートとの約束通り、私が男装して魔法学校に潜入していたことを知っていた事実に関して、アドルフに打ち明けていない。今の嫉妬っぷりを見ていたら、墓場まで持って行ったほうがいいなと、お互い考えているだろう。
 アドルフがランハートの妹の相手をしている間に、一言だけ感謝の気持ちを伝えた。

「ありがとう」

 ランハートは頷き、「幸せになれよ!」と明るく言ってくれた。
 彼と出会えて、本当によかったと思う。

 ひとり挨拶が終わった瞬間に、また別の人物が話しかけてくる。魔法学校の者達がアドルフと縁故(コネクション)を結ぶ機会は今日が最後なので、皆必死になっているのだろう。
 このまま永遠に立ち話をするのではないかと思っていたのだが、ワルツの演奏が始まると、アドルフは「失礼」と言って人の輪から抜けていく。
 そして、私を振り返り、ダンスに誘ってくれた。

「リオニー、一緒に踊らないか?」
「ええ、喜んで」

 今日のために、ダンスレッスンに励んでいたのだ。ロンリンギア公爵家の嫡男と結婚する女が、ダンスが下手なんて言わせない。
 手と手を取り、音楽に合わせて優雅に踊る。
 アドルフのリードのおかげで、気持ちよくステップが踏めた。彼も楽しんでいるというのが、表情でわかる。
 音楽が終わると、すばやくダンスの輪から離れる。
 人に捕まる前に、アドルフと共に会場を抜け出す。最後だからと、魔法学校の校舎を見学して回った。

 実験室では、初めて召喚術を習った。チキンとは本契約を交わし、今でも傍にいる。
 ケツァルコアトルであったことは驚きだが、私にとっては可愛い雀ちゃんであった。
 今日は寮で、大人しく眠っていることだろう。
 
 教室ではクラスメイトとの楽しい思い出が詰まっていた。
 お菓子を交換したり、雑誌を貸し借りしたり、勉強を教え合ったり。
 どれもこれも、かけがえのない青春の一ページとなっている。
 仲良くしてくれたクラスメイトには、感謝しかない。

 最後に、寮に戻った。すでに荷物は実家に送られている。部屋の中には、チキンが眠るばかりであった。
 以前、先輩から引き継いだ椅子も、後輩に渡していた。
 空っぽになった部屋で、アドルフと過ごす。

「最後に紅茶を飲もうと思って、持ってきた」

 窓からは、講堂から聞こえる賑やかな楽団の演奏が聞こえていた。
 それを聞きながら、私はアドルフと紅茶を楽しむ。
 これが、魔法学校の最後の一日だった。