魔法学校に通うワケアリ男装令嬢、ライバルから求婚される「あなたとの結婚なんてお断りです!」

 今日は初めて、アドルフがヴァイグブルグ伯爵家を訪問する。
 リオルには地下の部屋から出ないようにと厳命しておいた。メイドや従僕を待機させて、見張りもさせている。きっと大丈夫だろう。
 父もアドルフに会いたがっていたが、敢えて勤務が入っている日を選んだ。
 何か言ってしまいそうで、怖いからだ。
 チキンは部屋で眠らせておいたので、その隙を見てアドルフと面会する。

 妙な緊張感を抱えたまま、アドルフを迎えた。
 
「いらっしゃいませ、アドルフ」
「リオニー、今日は訪問を受け入れてくれて、感謝する」

 私としては外で会いたかったのだが、アドルフが危険だから家で会いたいと言ってきたのだ。
 
「どうぞ、おかけになって」
「ありがとう」

 アドルフはまず、抱えていたフリージアの花束を渡してくれた。

「気に入ってくれると嬉しいのだが」
「まあ! ありがとうございます」

 黄色いフリージアは見ているだけで元気になる。リオルが何かしでかすのではないかと不安になる私を、頑張れと応援してくれるようだった。
 花束は侍女に手渡し、花瓶に活けておくように命じておく。

「あと、これは降誕祭の贈り物のお返しだ」
「よろしいのですか?」
「ああ。受け取ってくれると嬉しい」

 これはアドルフなりの好意だと言い聞かせ、いただいておく。
 丁寧にラッピングされたそれは、先日アドルフと選んだティーカップとソーサーだろう。
 アドルフの期待に応えられるような反応ができるのか。
 妙な胸の高鳴りを感じていた。

「えっと、ここで開封してもよろしいかしら?」
「もちろん」

 アドルフはすでに、キラキラとした瞳でこちらを見つめていた。
 そんなに期待しないでほしいのだが……。

「な、何が入っているのでしょうか?」
「それは、開けてからの楽しみだ」
「ドキドキして、胸が張り裂けそうです」

 胸が張り裂けそうな理由は、アドルフの期待に応えられるか否か、なのだが……。
 小芝居を挟みつつ、ゆっくり、丁寧にラッピングを解く。そしてついに、木箱の蓋を開いた。

「あら、まあ!!」

 予想通り、木箱の中にはフリージアのカップとソーサーが収められていた。
 改めて見ても、美しい硬質磁器である。
 先日、説明を聞いたときの感動が、一瞬にして甦ってきた。

「なんて美しいカップなのでしょうか!」

 そっと手に取ると、驚くほど軽い。窓から差し込む太陽の光にかざすと、本物の真珠のように輝いているように思えた。

「こちらを、わたくしに?」
「そうだ」
「ああ、アドルフ様、ありがとうございます。嬉しいです」

 アドルフは安堵したような表情で、私を見つめていた。
 これは合格点に達した、ということでいいのか。
 いろいろと事前に台詞を考えていたのだが、どれも言わなかった。カップ一式を目にした瞬間、自然と感激する言葉がでてきたのだ。
 難しく考える必要なんてなかったというわけである。

「あと、お守りも用意したかったんだが、今日までに間に合わなかった」
「お守り、ですか?」
「ああ」

 金属素材から手作りし、守護の呪文を付与させるという、とんでもないお守りを作ろうとしていたらしい。
 そんな物が短期間で作れるわけがない。

「お守りは、アドルフからいただいた指輪がありますので」
「それはいくつか問題があった。リオニーが助けを望まないと発動しないなんて、魔法の設計ミスもいいところだ」

 ほどほどに、無理はしないようにと言っておいた。

「また明日から新学期が始まる。外出許可が取れたら、またここに来てもいいか?」
「ええ、もちろんですわ」

 リオルを地下に閉じ込め、父の干渉を阻止しなければならないが、まあ、なんとかなるだろう。

「では、そろそろ失礼しよう」
「ええ」

 玄関まで見送りに行こうとしたら、地下からドン!! という破裂音が聞こえた。

「襲撃か!?」
「いえ、あの、おそらくリオルの実験です」

 三日に一回くらい、このような音を鳴らすのだ。我が家では日常茶飯事であるものの、アドルフを驚かせてしまったらしい。

「様子を見に行かなくて、本当に大丈夫なのか?」
「従僕がおりますので、おそらく確認していることでしょう」

 何度も大丈夫だと言うと、アドルフは「そうか」と納得してくれた。
 あれほど大人しくしているようにと言っていたのに、まさか特大の破裂音を響かせてくれるなんて。
 
「リオルにも挨拶をしたかったのだが」
「今頃、破裂した物の片付けで忙しくしていると思います」
「それもそうだな。では、破裂させるのもほどほどに、と伝えておいてくれ」
「わかりました」

 アドルフはロンリンギア公爵家の馬車に乗りこみ、帰っていった。
 私は笑顔で見送り、馬車が見えなくなると回れ右をする。
 リオルに注意したかったのは山々だが、なんだか疲れてしまった。後始末は使用人達に任せて、少し休もう。
 アドルフが言っていたように、明日から新学期だ。今は英気を蓄えなくては。

 ◇◇◇

 あっという間に二週間の休暇期間が終わり、二学期目となる四旬節学期が始まる。
 私は荷物をまとめ、実家から寮に戻った。
 身辺を警戒せよ、というロンリンギア公爵の言葉を受け、私はアドルフから貰った婚約指輪をチェーンに通し、首飾りにして下げている。
 以前、魔法雑貨店で貰った魔法巻物も、ジャケットの内ポケットに忍ばせておいた。小さな火らしいが、何かに役立つだろう。

 寮に戻ってきた寮生達は談話室に集まり、降誕祭をいかに楽しく過ごしたか会話に花を咲かせていた。
 談話室が賑やかになるのを見越した寮母は、普段よりもたくさんのお菓子を用意してくれていた。
 山盛りのビスケットに、キャラメル、キャンディにスコーンなどなど。
 ピッチャーには鍋でまとめて煮だしたと思われるミルクティーが五つも用意されていた。紅茶にこだわりがある執事が見たら卒倒しそうな代物だが、人数が多いので仕方がない。一杯一杯丁寧に入れている場合ではないのだ。生徒が部屋から持参したマグカップに並々とミルクティーが注がれ、あっという間になくなっていく。
 眺めていて気持ちがよくなるほどの、飲みっぷり、食べっぷりだった。
 そんな楽しい談話室にアドルフがやってくると、寮生達の背筋はピンと伸びる。
 彼はぴしゃりと注意した。

「あまり、騒ぎすぎないように」

 皆、授業中よりも真剣な様子でこくこくと頷いていた。
 その一言で去ると思いきや、談話室の端でビスケットを囓っていた私のもとにアドルフがやってくる。
 何か用事だろうか。
 アドルフは私の肩に手を置き、ぐっと接近する。
 友達だからこその近さだが、彼を慕う身としては心臓に悪い。
 内心慌てふためいていた私に、アドルフが耳元で囁いた。

「リオル、実験の爆発はほどほどに」
「なっ――!?」

 アドルフは片目をぱちんと瞬かせてから去っていく。不意打ちのウインクは心臓に悪かった。

 それはそうと、爆発を起こしたのは本物のリオルだ。私が注意されるとは、不本意である。まさか、リオルのやらかした件について注意されるなんて。
 やはり、正式に抗議しておけばよかったと、今さらながら後悔した。

 部屋に戻り、明日の授業の復習をしていたところ、扉が叩かれる。

「誰?」
「俺だ」

 声の主はアドルフである。いったい何用なのかと扉を開くと、まさかの姿に驚愕することとなった。
 なんと、アドルフは私が作ったセーターを着ているではないか。

「だ、ださっ……!」
「なんか言ったか?」
「な、なんでもない」

 竜がでかでかと編まれたセーターは、なんというか、こう、あか抜けなくて野暮ったい仕上がりになっていた。
 編み上げたときは、かっこいいセーターができたと信じて疑わなかったのに。
 やはり、睡眠時間を削って作業するというのは、判断能力を低下させるのだろう。
 しかしまあ、私服で寮内を歩き回ることは禁じられている。部屋着として着用するならば、なんら問題ないだろう。

「リオル、見てくれ。これがリオニーが作ってくれたセーターだ。洗練されていて、品があるだろう?」
「アドルフがそう思っているのならば、僕は否定しない」
「どういう意味だ?」
「すてきなセーターだねってこと」
「そうだろう、そうだろう」

 どうやらセーターを自慢しにきたらしい。ここまでお気に召してくれたのならば、作ったかいがあるというもの。

 なんだか話が長くなりそうだったので、部屋に招き入れる。
 紅茶はアドルフが淹れてくれた。
 茶菓子は焼きたてのスコーン。談話室から出てすぐに、寮母が持たせてくれたのだ。
 クリームやジャムはないものの、ドライフルーツ入りなので、そのまま食べてもおいしいだろう。

 アドルフは優雅に紅茶を飲みながら、問いかけてくる。

「リオルはリオニーからセーターを貰ったことはあるのか?」
「ないよ。編み物は基本、慈善活動で寄付するために作るだけだから」

 こういうふうに言うと、アドルフへセーターを作る行為が慈善活動のように聞こえるのではないか。口にしてからハッと気付く。
 しかしながら、アドルフは慈善活動をするリオニーへの関心度のほうが高かったようだ。

「支援のために編み物をするとは、なんと健気で優しい女性(ひと)なのか」
「前にも言ったけれど、姉上はあまり性格がよくないから、期待値を上げないほうがいいよ」

 結婚し、性格をよくよく理解するようになった結果、相手の一挙手一投足に嫌気が差す、なんて夫婦もいるという。アドルフにはそうなってほしくないので、ハードルは可能な限り下げておきたい。

 ちらりとアドルフのほうを見ると、真顔だった。怒っているのか、そうでないのかはわからない。きっと幼少期から感情を読み取れないよう、表情筋を鍛えているのだろう。

「仮にリオニーが猫を被っていたとしても、それはそれでいい」

 猫を被る、という表現にドキッとしてしまう。今、男装している私も、猫を被っているようなものだから。

「普段、俺と一緒にいるときは控えめ過ぎるくらいだから、どんどん発言して、自由気ままでいてほしいと思っている」
「公爵家の妻が奔放では困るんじゃないの?」
「それくらいでいないと、親族と渡り合えないだろう」

 確かに、アドルフの親戚達は一筋縄ではいかない。自分を強く持ち、いい意味で我を通さないと、圧倒されてしまう。

「この前の降誕祭パーティーでの、リオニーの毅然とした態度は見事だった。あの父上さえも、一目を置いたくらいだ。リオルにも見せたかった」
「そうだったんだ」
「リオニーが帰ったあと、父上から〝いい婚約者を選んだな〟って褒められて……。誇らしかった」

 あの無愛想で冷徹なロンリンギア公爵が私を認めてくれたなんて、想像もできない。

「父上はこれまで、俺を褒めたことなんて一度もなかった。人生初めてのそれが、リオニーに関してだったから、本当に嬉しかったんだ」

 生まれたときから未来のロンリンギア公爵になるということが決められているアドルフにとって、自分自身で決めた選択というのは極めて少なかったらしい。
 数少ない選択のひとつが、結婚相手だった。

「リオニーを選んだことは、間違いではなかったんだ」

 キラキラとした瞳で、アドルフは語り続ける。
 私のことでもあるので、話を聞いているうちに恥ずかしくなってきた。
 スコーンを頬張り、紅茶を飲む。

「リオル、スコーンをそのように一気に食べるものではない。顔が赤くなっている」
「好物だから」
「ならばなおさら、ゆっくり味わって食べろ」
「そうだね」

 思う存分話して満足したのか、アドルフは部屋から去る。
 私は深い深いため息を吐いたのだった。
 始業式を始める前の教室は、寮同様に降誕祭の話でおおいに盛り上がっていた。
 人だかりの中心にいたランハートが、私に気付いて手を振る。

「リオル、おはよう!」
「おはよう」

 ランハートはこちらにやってきて、背中を軽くポンと叩く。
 以前であれば、「二週間ぶりだな、リオル!」と言って体当たりしていたはずだ。
 それをしなくなったのは、私が女だと知っているからだろう。
 ランハートは驚くほど以前と変わらない。これまで通り賑やかな友達でいてくれる。
 けれども、肩を組んだり、腕を組んだりと、接触してくる回数はぐっと減っていた。
 男同士のスキンシップはいささか乱暴なところがあるので、その点は助かっている。
 その反面、少しだけ物足りないと思うところもあった。

 アドルフも私がリオニーだと知ったら、態度が変わってしまうのか。
 彼はランハートのように、激しいスキンシップはしない。けれども、リオルでいるときにしか見せない、くしゃっと笑う表情が見られなくなるのは寂しい。

 人を騙しておいて、これまで通りの付き合いなんてできるわけがないのだ。
 これは私の罪なのだと言い聞かせて諦める。

 始業式ではアドルフが生徒を代表して、四旬節学期の抱負を発表していた。
 教室に姿がないと思っていたが、大役を任されていたからだったようだ。
 立派に読み上げると、拍手喝采が巻き起こる。
 隣で、鼓膜が破れそうなくらいの音で手を叩く音が聞こえた。誰だと思って横目で盗み見ると、アドルフの元取り巻き達だった。
 まだ、取り巻きに戻れると思っているのだろうか。いい加減、諦めたらいいものの。
 最後に校長のありがたいお話の時間となったのだが、アドルフと内容が被っていたようで、話すことがなくなってしまったと訴え、生徒達の笑いを誘う。
 三分という短い時間で終了となった。
 毎度、校長の話は要領を得ず、ただただ長いだけなので、アドルフは生徒達の心の英雄となっただろう。

 始業式を終えると、選択制の授業がある者は教室に残り、ない者は寮に帰っていく。
 私は魔法生物学の授業を受けるため、授業の前に復習しておく。
 教科書をチキンがめくってくれる。視線を向けただけで、嘴で突いて次のページにしてくれるのだ。教えていないのに、身に着けてくれた芸である。

 隣の席に座ったアドルフが、チキンの芸を見て物申す。

「リオルのところの使い魔、そんな繊細な作業もできるんだな」
「まあね。たまに枝毛があったら抜いてくれるし」
「毛繕いまでできるのか」

 アドルフが感心したように言うと、チキンは誇らしげに胸を張る。

『チキンは嘴で、チェリーの軸を結ぶこともできるちゅりよ』
「それはすごいことなのか?」
『もちろん、すごいことちゅりよ』

 なんてどうでもいい会話をしているうちに、授業が始まる。
 教室にいる生徒は七名。
 魔法生物学は一学年と二学年のみ必須科目で、三学年からは専門的な内容になるため、選択制となっているのだ。
 週に一度授業があって、毎回楽しみにしている。
 ローター先生がやってきて、点呼を取る。全員揃っているのが確認されると、授業が始まった。

「えー、今日は使い魔の本契約について、学びましょう」

 一学年のときに召喚した使い魔は、仮契約のまま一緒に過ごしていた。二学年の最後の授業で契約解除を学び、ほとんどのクラスメイトが各々のタイミングで使い魔を手放したらしい。
 ここにいる七名は、使い魔との契約を解除せずに、継続していた者ばかりである。
 フェンリルを使い魔に持つアドルフが契約を継続するのは納得していたようだが、私のチキンは意外だとクラスメイト達に言われた。
 チキンは寝るのが趣味で、性格は喧嘩っ早く、かと言って特殊な能力があるわけではない。何か命令したら反抗するときもあるので、扱いが難しい小さな暴君としてクラスや寮の中で名を馳せていたのだ。
 私個人としては、チキンがいたおかげで、ずいぶんと癒やされた。
 振り返って見ると、気質なども似ているところがあったのかもしれない。二年と約半年の間、私達は仲良くやってきたのだ。
 チキンさえよければ、これからも一緒にいる予定だ。

「これまでは仮契約だったということで、使い魔の実力は三分の一以下でした。しかしながら、本契約を交わすと、実力はそれ以上となり、これまで以上に活躍してくれるでしょう」

 仮契約は強制力があるものの、本契約は使い魔側の意思も重要視される。無理矢理従わせることも可能だが、対価として多くの魔力を与えなければならないらしい。
 
「一学年のときに召喚、仮契約を交わし、二年もの間信頼関係を築いてから本契約をするという流れは、使い魔契約でもっとも理想的な形となっています」

 ただ、使い魔は本契約となると、主人が死ぬまで縛られる。そのため、すぐに応じるわけではないらしい。
 肩に飛び乗ってきたチキンに、問いかけてみる。

「ねえ、チキン。私と本契約をしてくれる?」

 チキンは小さな体だが、自尊心は誰よりも大きい。きっと、説得に説得を重ねないといけないだろう。そう思っていたのだが――。

『いいちゅりよ!』

 あっさりと応じてくれた。
 言葉を失っていたら、目の前に魔法陣が浮かび上がる。それは、チキンとの本契約を記録したものであった。

「え、嘘!」

 今の軽い会話が、本契約が締結されたと見なされたようだ。
 ローター先生はすぐに気付き、拍手する。

「ああ、ヴァイグブルグ君が、使い魔との本契約を交わしました。皆さん、拍手しましょう」

 パラパラと拍手される中、チキンは翼をあげて『どうもちゅり』なんて偉そうに応じている。
 本契約を交わしたら、チキンが三倍の大きさになったらどうしよう。なんて思っていたのに、チキンはいつもと様子は変わらなかった。

 その後、授業に参加していた生徒達は、次々と本契約に挑む。
 ローター先生が話していたとおり、すぐに受け入れる使い魔はいなかった。
 最後に、アドルフが挑む。
 勇ましいフェンリル、エルガーを呼び寄せ、本契約を持ちかけた。

「我が名はアドルフ・フォン・ロンリンギア。汝、我と共に人生を歩み、影のように従うことを誓え」

 エルガーは伏せの体勢を取る。その瞬間に、本契約を結んだことを示す魔法陣が浮かび上がった。

「さすが、ロンリンギア君ですね!」

 私もあんなふうに、カッコよく本契約を結びたかった。
 後悔しても遅いのだが。

 ◇◇◇

 勉強に追われていると、月日が瞬く間に流れていく。休暇期間中、一日を長く感じていたのが嘘のようだった。
 窓の外では雪がしんしんと降り積もり、一学年の生徒達が楽しそうに遊ぶ声が聞こえる。 私も一学年のときは、ああして無邪気に遊んだものだ。
 二学年から本格的な紳士教育が始まると、あのように遊べなくなるのである。
 机に出していた手紙を書く道具を見下ろし、ため息を零す。外で遊べないから、憂鬱になっているわけではなかった。
 一ヶ月に一度ある二連休に、アドルフからのお誘いがあると想定し、外出届を提出していた。しかしながら、アドルフからのお誘いの手紙は届かない。空振りだったわけだ。
 ただ、実家に帰るだけでは惜しい。以前、アドルフと行った魔法雑貨店に制服を着て行ってみようか。二割引きは大きいだろう。
 ちょうど、輝跡の魔法に使う魔石が不足していたのだ。父からお小遣いを貰っていたので、使わせてもらおう。

 週末――明日から二連休なので、実家に戻るために、必要な勉強道具を鞄に詰め、チキンはコートの内ポケットに突っ込んでおく。
 休日は翌日からだが、授業が終わったら帰っていいことになっている。
 外は夕暮れ時だ。早く行かないと、あっという間に日が暮れてしまうだろう。
 部屋を出ると、アドルフも続けて出てきた。
 鞄を背負う私とは異なり、アドルフは一冊の魔法書のみ手にしていた。

「リオルも実家に帰るのか?」
「そうだけれど、アドルフも?」
「ああ。国王陛下の晩餐会に呼ばれていて」

 表情が暗い上に、ため息まで吐いている。よほど、参加したくなかったのか。

「嫌なの?」
「そんなわけあるか。ただ、二連休はリオニーと会おうと思っていたのに、叶わなかったから」

 アドルフが憂鬱そうにしていた理由は、婚約者に会えないからだった。
 心配して損したと思う。アドルフにとっては、重大な問題だったらしい。

「リオル、リオニーにまた今度会おうと伝えておいてくれ」
「わかった」

 アドルフとは馬車乗り場まで一緒に歩く。私は乗り合いの馬車で、アドルフはロンリンギア公爵家の馬車で帰るのだ。

「アドルフ、また週明けにね」
「ああ。風邪を引くなよ」
「そっちこそ」

 アドルフと別れ、乗り合いの馬車に乗りこむ。央街で下り、魔法雑貨店を目指した。

『ご主人、鞄は重くないちゅりか?』
「平気だよ」

 魔法学校に入学する前ならば、一度、家に帰っていたかもしれない。
 今は体力がついているので、魔法書や教科書が十冊は入っている鞄を背負っていても、平気で歩き回れる。

 ただ道を歩いているだけで、周囲からちらちらと視線を感じてしまう。というのも、王都にある魔法学校は少数精鋭の選ばれた者だけが通える、エリート学校である。外出もあまりできないため、もの珍しさから注目を集めてしまうのだ。
 これも二割引きのため、と自らに言い聞かせる。
 必要な物を買い物かごに入れ、生徒手帳と共に会計を行うと、本当に二割引きになった。
 なんともお得な制度である。
 ほくほく気分でお店から出たところ、突然声をかけられた。

「君、魔法学校の生徒? そのネクタイの色、三年生だよね?」
「……誰?」

 帽子を深く被った、見るからに怪しい中年男性のふたり組である。

「おじさん達、こういう者なんだ」

 いきなり名刺を渡される。グリムス社というのは、国内でも有名な新聞社である。

「アドルフ・フォン・ロンリンギア君のこと、知っているかな?」

 なぜ、アドルフについて聞くのか。一気に警戒心が高まった。

「知っているけれど、どうして?」
「今、彼についての情報を探していてね」

 質問の答えになっていない。なぜ、アドルフの情報について聞きたがっているのか問いかけたのに。
 子どもだと思ってそれらしいことを言い、けむに巻くつもりなのだろう。

 もしもアドルフにとっていい記事を書くつもりであれば、ロンリンギア公爵家に直接交渉を持ちかけるに決まっている。
 明日開催される晩餐会で、インタビューだってできるかもしれない。それをしないということは、何かしら悪い記事を書こうとしているのだろう。

「彼について何か情報を提供しているのであれば、謝礼を出そう」

 記者らしき男のひとりがちらつかせた謝礼は、金貨一枚だ。魔法雑貨店の割引制度を使っている生徒ならば、喜んで飛びつくような金額である。
 なるほど、いい場所で待機していたというわけだ。

「ある方面からの噂では、彼は婚約者がいるにもかかわらず、グリンゼル地方に古くから付き合いのある恋人を匿っている、という話なんだ。それについて、何か知っているかい?」
「――!」

 もうすでに、アドルフについていろいろと嗅ぎつけているようだ。
 そんなことを記事にして、どうするつもりなのか。
 ロンリンギア公爵家を敵に回したら大変なことになるくらい、彼らもよくわかっているだろうに。

「なんでもいいんだ。たとえば、女癖が悪かったとか、こっそり飲酒していたとか」

 何かあるだろう、と下卑た様子で問いかけてくる。
 アドルフの評判を落とすために、誰かが画策したに違いない。
 こんな卑劣な行為など、許せるわけがなかった。

「アドルフ・フォン・ロンリンギアは――」

 記者らは前のめりになりつつ、深々と頷く。

「模範的な生徒で、成績は極めて優秀、曲がったことが大嫌いで、学校のいじめを撲滅した。正義感に溢れ、悪を憎むような人物だよ」

 期待していた情報が得られず、記者らは明らかに落胆する。

「じゃあ、この際嘘でもいい。この録音できる魔技巧品に向かって、証言してほしい。そうしたら、報酬を与えよう」

 そこまでして、アドルフを陥れたいのか。呆れてしまった。

「じゃあいくよ、せーの!」

 息を大きく吸い込み、力の限り叫んだ。

「――おじさん達の記事は、インチキ!!」

 周囲の視線が一気に集まる。私は咎められる前に、路地裏へと逃げた。

「この、クソガキが!!」
「待て!!」

 私の発言に激怒した記者らは、あとを追いかけてくる。
 この辺りは以前、アドルフと一緒にやってきた場所だ。
 ならば、アレがある。
 
「へへ、この先は行き止まりだ!」
「捕まえて、とっちめてやる!」

 悪役みたいな台詞を吐いているが、彼らは本当に記者なのか。それすら怪しいところである。
 記者らの宣言通り、行き止まりに行き着いた。
 目くらましとして、火の魔法巻物を発動させる。小さな光が、記者達の前に飛び出していった。
 この魔法巻物は攻撃性がないもので、火も記者に届かない。
 けれども突然火が現れたら、攻撃だと思うだろう。

「うわ!」
「ぐう!」

 記者が顔を逸らした隙に、私は壁の中へと飛び込んだ。

「き、消えた!?」
「馬鹿な!!」

 私が避難した先は、魔法書を販売するお店の地下通路である。アドルフが私ひとりでも行き来できるよう、オーナーに交渉してくれたのだ。
 薄暗い中、階段に蹲る。
 大変なことになった。アドルフの悪評を流そうとしている記者がいるなんて。
 どうしてそうなったのか。考えてもわからなかった。 
 あれから二時間くらい経ったか。私は息をひそめ、階段に座り込んでいた。
 恐ろしかった。思い返しただけでも、ガタガタと震えてしまう。
 ひとりだったら、泣いていたかもしれない。しかしながら、私の肩には頼りになる相棒チキンがいた。

「記者の人達、そろそろいなくなったかな?」
『外に気配はないちゅり』
「そう」

 ずいぶんと遅くなってしまった。懐から懐中時計を取り出すと、二十時過ぎとなっている。
 この二連休で実家に戻ることは告げていない。きっと、捜索騒ぎにはなっていないはずだ。
 帰宅が遅いと父に怒られそうなので、今日は裏口からこっそり帰って、明日の朝に帰ってきたことにしておこうか。
 こういう悪知恵ばかり働くのだ。

 外に出ると、真っ暗だった。記者に追いかけられた時間帯はまだ夕日が沈んでいなかったのだ。
 幸い、貴族街へ向かう馬車は、まだ残っている。もうすぐ最終便が出る時間だろうから、急がなければならない。

 人の多さが夕方の比ではなかった。きっと、飲み歩いたり、夜遊びをしたりしている者達に違いない。
 この人込みと暗さの中では、魔法学校の制服でも目立たないだろう。
 乗り合いの馬車は――いた!
 急げば間に合う。駆けて行こうとした瞬間、背後から叫びが聞こえた。

「いたぞ! あの金髪の学生だ!」

 耳にした瞬間、ゾッとした。けれども、声はずっと遠い。だから、振り向かずに馬車に乗りこんだら大丈夫。馬車の出発時間も迫っていた。

 一歩、強く踏み出した瞬間、服から婚約指輪を通したチェーンが飛び出してきた。
 アドルフ、助けて。そう呟くも、守護魔法は発動しない。
 きっと、私に衝撃がいかないと、発動されない仕組みなのだろう。 
 馬車まであと少し、あと少しだと思っていたが――ゴッ! と後頭部に衝撃が走る。

『ご主人ーーぢゅん!!』
「おっと、お前はこっちだ」

 白くなっていく視界の端で、チキンが鳥カゴに入れられているのが見えた。
 どうやら、味方が近くにいたらしい。
 帰宅するよりも、騎士に助けを求めればよかったのだ。
 何もかも、遅い。

 ◇◇◇

「おい、いつまで寝てるんだよ!」

 腹部に衝撃を受け、目を覚ます。どうやら腹を蹴られたらしい。
 反撃しようにも、手足を縛られているようで、思うように動けなかった。
 魔法は呪文と魔力、そして杖や指輪、魔法陣などの媒介があって初めて発動させる。どれかが欠けていたら、不完全な魔法となって術者に牙を剥くのだ。
 
「ううう……」

 さらに、言葉を発しようとしたが、上手く喋ることができない。
 
「むぐ、うぐぐ」

 どうやら手足の拘束だけでなく、布を噛まされているらしい。外れないように、後頭部のほうでしっかり結んでいるようだ。
 ケガをしたときに口を切ったのか。布は血の味がする。
 殴られた頭も、ズキズキ痛んでいた。学生相手に、加減なんてしなかったようだ。
 ぱち、ぱちと瞬きしたら、ぼやけた視界に数名の男がいる様子が見えた。
 人数は四……いや五人いるのか。
 服装は先ほどの記者達よりも、粗暴な印象である。グリムス社の記者に雇われた、無頼漢なのだろうか? 視界から得られる情報は、薄暗いのであまり多くない。

「目が覚めたようだな」
「うぐぐ、うぐ!」

 男が手下に、布を外すように命令する。
 
「あ、あなた達は、グリムス社の記者?」
「答える義務はねえ」

 すぐに、口に新しい布が当てられ、喋れないようにされてしまう。
 おそらく、魔法を警戒しているのだろう。

 夕方に付きまとってきた記者とは別人だった。かなり大人数で、アドルフの情報収集をしていたのか。
 
 それにしても、ここはいったいどこなのか。
 薄暗くてよくわからないが、木箱がたくさん置かれている。工場のような、物置のような、そんな雰囲気である。埃臭く、人の手入れが頻繁にされているような場所ではない。天井が高く、上部にある窓から太陽の光が差し込んできた。

「む――うぐぐ!?」

 なぜ、どうして? そんな疑問を口にしようとしたが、噛んでいる布のせいで言葉を発することは叶わなかった。

 私が襲撃を受けたのは、夜の二十時くらいだったはずだ。それがどうして、日中になっているのか。
 ……どうやら私は殴られたあと、太陽が昇るまで気を失っていたらしい。
 
 男のひとりが、何やら手元で小さな物をぶんぶん振り回している。
 よくよく見たら、それはアドルフがくれた婚約指輪だった。

「ぐう、うぐぐ! うう!」

 返せ、という言葉は発することができなくても伝わったのだろう。男は馬鹿にしたように笑いつつ、私の訴えに対して答える。

「魔法が刻まれた指輪なんか、渡すわけないだろうが」

 男達は多少、魔法の知識があるらしい。奥歯を噛みしめる。
 ここでふと、チキンがいないことに気付く。周囲を見回したら、木箱の上に鳥かごがあった。鳥かごの中には、苦しげな様子でいるチキンの姿があるではないか。なんて酷いことをするのか。

「使い魔に酷いことをしやがって、とでも言いたげな顔だな。だが、酷いのはお前のほうだ。嘘を言って、大人達を欺くなんて」

 どの口が言うのだ。なんて言葉は喉から出る寸前で呑み込む。
 彼らを刺激したら、きっと酷い目に遭う。これ以上、痛い目になんか遭いたくない。
 まずは、取り引きをして、この場から脱出する必要がある。

 まずは、ここがどこなのか把握しなければならない。
 おそらく、王都のどこかか、離れていても郊外くらいだろうが。
 キョロキョロしている私の様子に気付いた男が、現在地を教えてくれる。

「ここはグリンゼル地方の某所だ」
「むぐ!?」

 グリンゼル地方!? 馬車でも一日半かかる距離にいたなんて、思いもしなかった。

「転移魔法の魔法巻物でやってきたんだよ」

 ひらひらと、目の前で見せつけられる。間違いなく、転移魔法が使える魔法巻物であった。
 なぜ、彼らがそれを持っているのか?
 もしかしたら、裏社会では流通しているのかもしれない。

 想定外の移動距離に、呆れてしまう。
 私をグリンゼル地方まで連れてきて、望むのはアドルフについての情報だろう。

「ここからが取り引きなんだが、アドルフ・フォン・ロンリンギアについて知っている情報を提供したら、ここから解放してやろう。もしも応じない場合は、二度と、家に帰れないと思え」

 そんなの取り引きでもなんでもない。ただの脅迫だろう。

「グリンゼルに、アドルフ・フォン・ロンリンギアの愛人がいるんだろう? その女はどこにいる?」

 再度、口元の布が外される。

「……どうして、自分達で調べないの?」

 次の瞬間には、布を噛まされる。
 新聞社の記者ならば、独自に調査し、情報を得ることが可能だろう。魔法学校の生徒を誘拐するという危険で手荒な手段なんて使うわけがない。

「どうしてって、それは見つけられなかったからに決まっているだろうが。街の奴らが話していた赤い屋根の屋敷は、別の貴族の家だったからな」

 グリンゼルの街では、以前、ちょっとした噂になっていた。たしか、〝観光地から北に進んでいくと、霧ヶ丘って呼ばれる場所があるらしい。そこに赤い屋根の屋敷がある。その屋敷に、薔薇と恋文が届けられているんだ〟という話だったか。
 それらはもしかしたら、ロンリンギア公爵家の者が流した、偽情報だったのかもしれない。家に押しかけられたら困るからだろうか? 工作をする理由はよくわからない。

「いくら王都から荷物を追いかけても、いつの間にか忽然(こつぜん)と消えているらしい。魔法か何かで配達している可能性もあるようだが、お前、何か聞いていないか?」

 男はぐっと接近し、にたにたと笑いながら問いかけてくる。

「あれくらいの年齢の男は、愛人なんて持っていないだろう? 学校で、自慢して回っていたんじゃないか?」

 返答を聞くため、布が外された。その瞬間、私は叫ぶ。

「アドルフはそんな人じゃない!」

 とっさに言い返すと、またしても腹を蹴らしてしまう。
 
「う……ぐっ」

 こうなることは想定できたはずなのに、好き勝手言われることが許せなかったのだ。

「それで、何か情報を提供してここから脱出するのか、それともここの倉庫が死に場所となるのか」
「死に、場所?」
「そうだ。お前が喋らないのであれば、ここの倉庫にうっかり火を放つかもしれない。新聞にはこう報じられるだろう。魔法学校の生徒が家出し、潜伏していた倉庫で火の扱いを誤り、焼死してしまった、とな」

 家出をする動機はないが、実家を詳しく調査されたら、私自身の秘密が明らかになってしまう。男装をし、魔法学校に通っていたなんて普通ではない。何かしらの悩みを抱え、家を飛び出し、問題を起こしてしまった――というのは、まったく不自然ではないだろう。
 つまり、私が死んでも、悪人は絶対に捕まらないというわけだ。

 話すつもりはないと判断されたのか、口に布を詰め込まれそうになった。その瞬間、私は証言する。

「き、霧ヶ丘には、いくつか屋敷がある。普段は魔法で隠されていて、外部の人間は入れないようになっているんだ」

 口からでる言葉に任せて、いい加減な証言をする。けれども、グリムス社の記者が嗅ぎ回っても見つけられないということは、おおよそ間違いではないだろう。

「僕を現場に連れていったら、案内できる! だから、殺さないで」

 必死になって訴えたが、口に布を当てられ、後頭部でぎゅっときつく結ばれてしまった。
 男は手下達に、再度霧ヶ丘を調査するように命令する。

「本当かどうか確かめてやる。もしもなかったときは、容赦しないからな」

 そんな言葉を残し、男は去って行く。倉庫には見張り役を一名置いていくようだ。
 薄暗くてよく見えないが、見張りはナイフを手にしているようだ。
 私を脅していた男とは違い、ひょろっとしていて、荒事に慣れているような雰囲気はない。
 先ほど、私の口に布を取ったり、外したりしていた者だろう。手つきは案外丁寧で、乱暴な様子はなかった。
 彼と何か交渉できないだろうか。話しかけようにも、口に布を詰め込まれているので、自由は利かない。
 ダメ元で、話しかけてみる。

「うぐぐ! ううううう!」
「え、なんだ?」

 言葉に少しだけ地方訛りがあった。王都に出稼ぎに来た者なのだろうか。
 無頼漢なんかの手下になって、家族が哀しんでいるのではないのか。そんな言葉すら、発することができない。

「うううううう、ううううう!!」

 苦しむ振りをしたところ、すぐに見張りはこちらへやってきた。

「ど、どうしたんだ? く、苦しいのか?」

 こくこく頷くと、見張りは口元の布を外してくれた。

「水、飲む?」
「飲む」

 やはり、彼は悪い者ではないようだ。
 横たわる私に水を飲ませる方法も知っているようだった。つまり、誰かを看病した経験がある人なのだろう。

「お、お礼に、胸ポケットに、懐中時計が、あるから」
「そんな! 貰えないよ」
「いい、から」

 魔法学校に入学すると配布される懐中時計は、他人へ譲渡すると学校側に警告が届く。
 その魔法が発動して、どうにか私の危機に気付かないかと願ったが――遠慮されてしまった。

「銀の、懐中時計、なんだ」
「銀だって!?」

 見張りはすぐさま私の懐を探り、懐中時計を手にする。

「本物の銀だ! よくわからないけれど」

 見張りの目付きが、一気に変わっていった。

「これがあれば、弟の病気も治る」

 独り言のように呟くと、見張りは勢いよく立ち上がる。そのまま出入り口のほうへ駆けていってしまった。
 あまりにも素早い判断に、呆然としてしまう。
 見張りの男は故郷に病気の弟がいて、薬代を稼ぐために王都にやってきたのか。
 ただ、魔法学校の懐中時計は転売できないようになっている。さらに、加工しようとしたら、防御魔法が働くのだ。
 なんだか悪いことをした――と思いつつも、同情なんてしている場合ではない。
 見張りはいなくなった。その間になんとかここから逃げ出さなければならないだろう。
 まずは、手足の拘束をどうにかしたい。
 見張りの男がナイフでも置いていってくれたらよかったのだが。
 口元だけでも解放されたことを、よかったと思うようにしなければ。

 足をさまざまな角度に捻ってみるも、縛られた縄は堅くてびくともしない。
 手元も同様に、力でどうにかできそうな状態ではなかった。

 チキンのほうを見てみると、先ほど同様にぐったりしていた。意識はあるように思えないが、声をかけてみる。

「ねえ、チキン。チキン、起きて……」

 反応はない。ここにくるまで酷いことをされたのだろうか。心配になる。
 今、私にできることは、何もないのか?
 手足が縛られているので、魔法は使えない。
 本当に、どうしたらいいものなのか……。
 何か尖った物があったら、縄を切ることができるだろう。
 周囲を見渡すが、それらしき物はない。木箱の角に縄を擦り付けたら、いつか切れるかもしれないが、時間がかかりすぎてしまう。
 必死になって起き上がってみると、木箱の上に花瓶が置かれているのを発見する。あれをなんとか割って、ナイフ代わりに使えないだろうか。
 再度寝転がり、倉庫の床を転がったり、這ったりして、花瓶に近付く。木箱に体当たりすると、花瓶がぐらりと傾いた。
 向こう側に落ちるように強く当たったのに、花瓶はこちら側に倒れてくる。

「――っ!!」

 花瓶は私の顔を目がけて真っ逆さま。なんとか当たる寸前で回避したものの、すぐ近くで花瓶が割れてしまう。
 飛び散った花瓶の破片が、頬や額を切りつける。

 ここまで体を張ったのに、大きいガラスの破片は遠くへ飛び散ってしまった。
 近くにあるのは、粉々になったガラスの欠片だけである。
 ただ、頬や額を切り、血を流すだけで終わった。
 物音を聞いて、男達が戻ってこないといいが……。
 しばし、息を顰(ひそ)める。どくん、どくんと胸が激しく高鳴っていった。
 人がやってくる気配はないので、ホッと胸をなで下ろす。

 他に、何かないのか。
 ただ、あったとしても、花瓶のガラスの破片が散った中で、動き回るのは危険だろう。
 花瓶を使った作戦は大失敗だった。
 魔法陣さえ描くことができたら、錬金術を使い、ガラスでナイフを作ることができるのに。
 ガラスのナイフ程度であれば、魔法陣だけで作ることができる。
 必要なのは素材であるガラスと、魔法陣を描くインク――と、ここで気付く。
 頬や額から流れた血が、倉庫の床に散っていた。まだ乾いておらず、濡れている。
 これで、魔法陣を描くことが可能だ。
 幸いと言うべきか、手は前方で括り付けられている。これが背中に回された状態だったら、できなかったかもしれない。
 手を伸ばし、指先で血を掬う。自由が利かない手を駆使し、血で魔法陣を描いた。
 足でガラスの欠片を魔法陣に集め、呪文を唱える。
 魔法陣は強い白光を放ち、形なき物質(もの)が、ひとつの塊と化す。
 光が収まったあと、魔法陣の上には小型のナイフのような物が完成していた。
 すぐさま手を伸ばし、手首と縄の間に刃を差し込む。
 指先だけでナイフを動かし、少しずつ縄を切りつけていった。
 思っていたよりも、ガラスのナイフは切れ味が悪い。私の頬や額を切ったガラスのほうが、よく切れるように思えてならない。急遽作った物だったので、仕方がないだろうが。

 だんだんと具合が悪くなってくる。たぶん、頭の打ち所が悪かったからだろう。腹部も蹴られているので、それも原因のひとつかもしれない。
 どうにかして拘束を解き、一刻も早くここから逃げ出したいのに。
 体が思うように動かなかった。

「はあ、はあ、はあ……!」

 呼吸も上手くできなくなっていた。なんだか酷く息苦しい。
 瞼も重たくなってくる。ここで眠ってしまったら、逃走なんて絶対にできない。
 一回、縄でなく、手を切りつけた。
 縄だとあまり切れないのに、手だとさっくり切れる。おかげで、目が覚めた。
 じくじくと痛むが、今は気にしている場合ではない。
 あと少し。そう言い聞かせ、縄を切る作業を再開させる。
 やっとのことで、手の縄が切れた。あとは足を解いて――と考えていたところに、乱暴に出入り口の扉が開かれた。
 どうやら男達が戻ってきたようだ。

「お前、ふざけるなよ!!」

 男達がぞろぞろとやってくる。中には杖を持つ、外套の頭巾を深く被った魔法使いらしき者もいた。
 私を同行させなかった理由は、仲間に魔法使いがいたからだったのだ。

「霧ヶ丘に魔法で隠された家があるなんて、嘘じゃないか!!」

 ずんずんと男が接近し、私の拘束が解けているのに気付く。

「お前、いつの間に!? 見張りはどうした?」
「さあ? 知らない」

 振り上げた拳は、私目がけて突き出される。ぎゅっと目を閉じた瞬間、倉庫内に声が響いた。

「待て!!」

 男は拳を止め、振り返る。
 倉庫の出入り口に立っていたのは、フェンリルを従えたアドルフだった。
 私は思わず、叫んでしまった。

「アドルフ!!」
「リオル、待ってろ!!」

 男は慌てた様子で、手下達にアドルフを襲うように命令する。
 けれども、エルガーがひとりひとり突進し、倒していく。
 アドルフにナイフを突きつける者もいたが、逆にナイフを奪われ、形勢逆転となっていた。
 私は足を拘束していた縄をガラスのナイフで切る。自由になった足で、チキンを鳥かごの中から救出した。

「おい、お前ら、何をしている!! 例の手段に出るんだ!!」

 例の手段とはいったい!?
 アドルフが私のもとへとやってきて、腕を伸ばす。
 差し出された手を握り返した瞬間、魔法使いがいた方角が強く発光した。
 巨大な魔法陣が浮かび上がり、倉庫全体が揺れる。

「あの魔法陣は――!?」

 授業で習ったので、よく覚えている。
 あの魔法は、召喚術だ。

 魔法陣から這い出た存在(もの)は、巨大な泥人形(ゴーレム)だった。
 泥人形は一体だけではなかった。二体、三体と召喚される。
 大きさは十フィート以上あるだろうか。見上げるほどに大きく、威圧感がある。
 召喚術の影響で建物がガタガタと揺れる。天井から砂埃がパラパラと小雨のように落ちてきた。
 私を誘拐した男や手下達は逃げていく。魔法使いすらも、泥人形の召喚を終えると、回れ右をして出入り口へ全力疾走だった。
 私達も脱出しようと試みるも、泥人形の一体が出入り口に入り込み、硬化してしまった。逃げられないように、あのようなことを命じていたのだろう。

「そんな、酷い……!」

 泥人形が雄叫びをあげると、窓のガラスが割れて散ってくる。アドルフは上着を脱いで、私に被せてくれた。
 エルガーが泥人形と戦ってくれる。だが、いくら攻撃を与えても相手は泥からできた生き物。崩れてもすぐに再生し、起き上がってくるようだ。
 氷属性であるエルガーは、氷のブレスを吐いて凍結状態にさせる。けれども、力で氷の拘束を解いてしまった。
 最悪なことに、泥人形の体が分断されると元に戻らず、新たな個体を生みだす。
 残り二体となっていた泥人形は、いつの間にか五体にまで増えていた。
 戦闘能力は低いものの、生命力は強いので厄介な相手だ。

 しかし、どうしてアドルフがここに現れたのだろうか?
 燕尾服姿でいる彼は、晩餐会から抜け出してきたみたいに見える。
 そんなアドルフが私を振り返り、声をかけてきた。

「リオル、大丈夫そうには、見えないな」
「意外とまだ元気だよ」
「その見た目では信用できない」

 アドルフが傷を回復させる魔法薬を手渡してくれた。それを飲むと、体の痛みが引いていく。

「どうしてここに?」
「リオニーに渡した指輪の、魔力反応が変わったからおかしいと思って、ヴァイグブルグ伯爵家を訪問したんだ」

 私が誘拐されたのは昨晩。晩餐会中に違和感を覚えたアドルフは、途中退場したらしい。

「ヴァイグブルグ伯爵家に行ったら、ふたりともいないと聞いていたから、驚いて――」

 リオルは家にいただろうが、アドルフがいてもでないようにと言っておいたのだ。
 その結果、姉と弟、両方ともいないという事態に発展していたのだろう。
 婚約指輪の現在地を探ったら、グリンゼル地方と出たらしい。
 アドルフは私達姉弟を救助するため、王族からワイバーンを借りて駆けつけてきたようだ。

「ここの建物に指輪と魔力の反応があったから、リオニーが絶対にいると思っていたんだが」

 どくん、と胸が大きく鼓動する。
 アドルフは婚約指輪を通して私の魔力を察知し、誰かの手に渡ったら反応するような魔法を仕掛けていたようだ。魔法学校の懐中時計に施された、転売防止の魔法と似たようなものだろう。
 なんでも盗難や紛失するのを想定し、魔法をかけていたらしい。

「リオニーはここにいないのか?」

 アドルフは木箱を開けたり、布で覆われた資材を調べたりと、リオニーを探し始める。
 いやここにいる、なんて言葉は喉からでてこなかった。

「ひとまず、ここから脱出することだけを考えよう」

 泥人形が木箱を潰し始める。中に入っているのは、液体だ。

「あの臭いは――」
「油だ」

 泥人形はその辺に散らばっていた金属のシャベルを手に取り、地面に先端を滑らせる。すると、火花が散った。
 油に引火し、あっという間に辺りは火の海となる。

 瞬く間に煙が充満する。これを吸ったら大変なことになる。
 アドルフと共に、姿勢を低くした。

 エルガーが氷のブレスを吐いて消火に努めるも、火の勢いのほうが強い。
 私達の魔法を使ったとしても、焼け石に水状態だろう。

「げほっ、げほっ……リオル、エルガーに乗って、先にここから脱出するんだ」
「ど、どうして?」
「窓が高いところにあるから……あそこまで登るのにふたり乗せるのは難しいだろうから。俺はここで……もう少しリオニーを探しておく」
「姉上は、ここにいない」
「どうしてわかるんだ? リオニーの魔力反応も……ここだったんだ。どこかに隠されているはずだ!」

 そう言うや否や、アドルフは必死の形相で見つかるはずもない婚約者を探し始める。
 私はアドルフの腕を掴んで叫んだ。

「リオニーは僕だ!! ここにいる!!」
「お前……今、なんて」

 アドルフが驚きの表情で振り返った瞬間、エルガーの叫びが聞こえた。

『ギャン!!』

 熱で溶けた泥人形が、杭のように突き出した状態で硬化したらしい。その先端が、エルガーの足を引っ掻いたようだ。
 エルガーは左前足を庇うように、ひょこひょこと動いている。

「エルガー! 大丈夫か!?」
『くううう……』

 重傷ではないようだが、とても痛そうだ。
 アドルフは悔しそうに呟く。

「このケガでは、脱出はできない」

 このままではふたりとも死んでしまう。
 誰か、誰か助けて――そう願いを込めた瞬間、手のひらに握っていたチキンが目を覚ます。

『ふわあああ、よく眠っていたちゅりねえ』

 周囲は火の海、絶体絶命の状況だというのに、なんとも気の抜けた言葉であった。

「チキン、あなた、大丈夫なの?」
『平気ちゅりよお。っていうか、ここ、熱いちゅりねえ』
「ここから、出たいんだけれど、入り口を塞がれてしまって……」
『だったら、ちゅりが脱出させてあげるちゅりよ』

 大口を叩いたのだと思ったが、次の瞬間、チキンの体が強く発光する。

「え、嘘……!」
「これは」

 チキンを包み込んだ光はだんだんと大きくなり、最終的に十二フィートほどの大きさになる。
 尾びれが美しいこの巨大な鳥は――。

「ケツァルコアトル!? チキン、あなた、ケツァルコアトルだったの?」
『そうちゅりよ~~』

 ケツァルコアトルというのは、風の大精霊である。
 ただの雀だと思っていたのに、精霊だったなんて。

 チキンは首を下げ、跨がるようにと指示する。私はアドルフと視線を合わせ、頷いた。エルガーもチキンの背中にしがみつく。
 どろどろに溶けた泥人形が襲いかかったが、チキンが翼を動かして起こした風に吹き飛ばされていた。

 チキンは助走もなしに飛び上がり、何やら呪文を唱える。天井付近で魔法陣が浮かび上がり、竜巻が巻き上がった。
 その衝撃で屋根が吹き飛んだので、そこから脱出する。

 空を飛んでいると、私達を誘拐した男達が乗っているらしい馬車が見えた。
 私にはわからないが、チキンは男達の魔力を記憶しているらしい。

『ご主人達とちゅりに酷いことをする奴らは、お仕置きちゅりよ!!』

 そう叫ぶやいなや、巨大な竜巻が発生する。
 竜巻は馬車の車体だけを呑み込み、中に乗っていた男達をぐるぐる振り回していく。

「うわあああああ!」
「なんじゃこりゃあああ!」
「た、助けてーーー!!」

 男達の絶叫が、当たりに響き渡る。

「チキン、あの、殺さないでね?」
『ご主人は優しい人ちゅりね』

 ほどほどのタイミングで、男達は竜巻から解放される。
 外には騎士隊が駆けつけており、男達は彼らがいた周囲に落とされたようだ。私達も着地する。
 チキンの体から下りると、膝から頽(くずおれ)れてしまった。

「リオル!! いや、リオニーか?」

 私を支えるアドルフの表情は、複雑そのものであった。
 アドルフは私をじっと見つめたまま、動かなくなってしまった。
 そんな私達のもとに、騎士が駆けつけてくる。

「ロンリンギア様! ご無事でしょうか!」

 彼らはグリンゼル地方に駐屯する騎士隊だという。アドルフはまず、私を探す前に、騎士隊に行って調査を依頼したらしい。
 調査本部を作り、部隊を集めるのに時間がかかるらしく、待ちきれなくなったアドルフはひとりで飛び出してしまったらしい。
 微弱な私の魔力と指輪の反応、さらにエルガーの鼻を使って見事、探し当てたようだ。 負傷したエルガーには、回復魔法が使える衛生兵が治療を施していた。

「俺は平気だ。彼……は負傷しているから、回復魔法をかけてほしい」

 魔法薬を飲んだので平気だと断ったが、アドルフからじろりと睨まれてしまった。
 逆らわないほうがいいと察し、回復魔法をかけてもらう。
 ちなみにチキンは眠っていただけのようで、ダメージはないらしい。その辺はホッとした。

「それで、婚約者のほうは――」
「ああ、それは、もう大丈夫だ。安全な場所にいる」
「そうでしたか。よかったです」

 事情を話すため、私とアドルフは騎士隊の駐屯地に向かった。
 グリンゼル地方の騎士隊長が聴取に参加し、私は誘拐されるに至った事情を打ち明けることとなった。

「最初に接触してきたのは、グリムス社の記者を名乗る男達でした」

 金品と引き換えにアドルフについての情報を聞きたがった。
 それを拒否すると乱暴な挙動を見せるようになり、私は逃げる。それから二時間、隠れたのち、帰宅しようとしたところ、襲撃を受けた。

 そんな経緯を聞いたアドルフは、傷ついた表情を浮かべている。
 きっと、自分のせいで事件に巻き込んでしまったと、思っているのだろう。
 今回の件にかんしては、全面的に私が悪い。ここ最近もロンリンギア公爵に気を付けるように言われていたのに、供も付けずに歩き回っていたのだ。
 さらに、誘拐犯は魔法学校に属する三学年の生徒だったら、誰でもよかったように思える。つまり、私が事件に巻き込まれたのは、運が悪かったとしか言いようがない。

 事情聴取が終わると、私には宿で休むように言われた。侍女やメイドがいて、部屋には女性用の服と男性用の服が用意されている。
 アドルフが手配してくれたのだろう。

 彼は一度、王都に戻らなければならないらしい。ロンリンギア公爵に事件について報告するように命令されていたようだ。

 別れ際、アドルフは思い詰めた様子で話しかけてきた。

「リオル……いいや、リオニー。戻ってきたら、ゆっくり話そう」
「わかった」

 アドルフは踵を返し、去っていく。
 彼の姿が見えなくなるまで、私は見送った。

 ◇◇◇

 ドレスとフロックコート、どちらを着るのか、考えるまでもなかった。
 私の正体はバレてしまった。もう、男のふりをして魔法学校に通うなんて無理は通用しない。
 迷わずドレスを手に取り、メイドの手を借りて着たのだった。

 アドルフと入れ替わるように、リオルがやってきた。ワイバーンが用意され、飛んできたという。
 出会い頭、知りたくなかった情報を伝えてくれる。

「姉上、父上が大激怒だ」
「そう」

 ヴァイグブルグ伯爵家の姉弟が同時に行方不明となった――という事件は、王都で大きく報じられていたらしい。
 アドルフが昨晩、晩餐会を飛び出して行ったので、騒ぎが大きくなったようだ。
 父は私を心配していたようだが、安否が確認されると、激しく怒り始めたらしい。

「息子の代わりに娘を魔法学校に通わせているのがバレて、自分の立場が悪くなるって思っているのかも」
「その辺の責任をお父様が担うことも含めて、許してくださったのだと思っておりました」
「小心者の父上が、そこまでできるわけないでしょう」
「まあ、今回の事件で父上が解雇されても、うちは僕の収入だけで十分暮らしていけるから、心配ないよ」

 まったく励ましにならない言葉である。父が聞いたら、泣いてしまうかもしれない。

「あまりにも怒っているから、姉上を殴りかねないと思って、僕が代わりに来たんだ」
「あら、お父様とは、一度殴り合いの喧嘩をしてもいいと思っていましたのに」
「父上が負けそうだから、やめたげなよ」

 行方不明の記事に加えて、父娘(おやこ)の殴り合いも報じられるところだった。
 
「なんと言いますか、今回の件に関しては、わたくしの日頃の行いが悪かったとしか言いようがありませんわ」
「わかっているじゃん」
「当然です」

 アドルフは何を思っているだろうか。二年半ほど、彼を騙し続けていたのだ。
 もしかしたら、婚約破棄されるかもしれない。
 非難されても、軽蔑されても、甘んじて受け入れようと思ってる。

「しばらく、僕もここにいるよ」
「リオル、あなた、本当は優しい子なのですね」
「いや、父上から、姉上が暴走しないように見張っておけって言われたから」
「信用がありませんのね」
「当たり前だよ」

 リオルと話しているうちに、気分が晴れてきた。
 やってきたのが父ではなく、彼でよかったと思った。

 ◇◇◇

 翌日――アドルフがグリンゼル地方へ戻ってきた。
 目の下には隈が色濃く残っており、目も充血している。顔色は真っ青だった。
 昨晩、よく眠れなかっただろうことは、一目瞭然である。
 アドルフは初めて、私達姉弟が揃っているところを見たのだ。

「リオルは、リオルじゃない。こんなに大きくない」

 アドルフは小さな声で、抗議する。
 入学前の私達の背丈は同じくらいだったが、そこからリオルだけぐんぐん伸びたのだ。

「このリオルは、可愛げもない」
「悪かったね」
「生意気なところは、そっくりだ」

 性格はリオルに似ていると認定され、なんとも複雑な気持ちになる。

「本当に、リオルはリオニーだったのか?」

 その問いに、私は深々と頷いた。

「リオル……と呼ぶのは違和感があるが、すまない。リオニーとふたりきりで話をしたい。しばらく席を外してくれるか?」
「いいよ」

 父に見張りを命じられていたリオルは、役割をあっさり放棄し、部屋の外へと出て行った。
 アドルフとふたりきりになり、しばし沈黙に支配される。
 まだ、信じられないのだろうか。それも無理はないだろう。私は二年間、彼を騙していたのだから。

「アドルフ、ごめんなさい」
「何か、事情があったのか?」

 首を横に振り、自分自身の我が儘だったと告げる。

「わたくしはどうしても魔法が習いたくて、弟が魔法学校に行きたくないと言うものだから、無理を言って通わせてもらっていたのです」

 アドルフは眉間に皺を寄せ、苦しげな表情でいた。私が許せないのかもしれない。
 まだ、怒鳴られたほうが楽なのに、彼は感情を剥き出しにはしなかった。

「魔法が習いたい。たったそれだけの理由で、男所帯の中で、二年以上過ごしていたのか」
「ええ」
「無理がある」

 とは言っても、一人部屋だったし、お風呂や洗面所は部屋にあった。
 貴顕紳士を育てる場でもあったので、男子校と言っても乱暴な振る舞いをする生徒はいなかったし、監督生や教師の睨みが利いていたので、秩序も保たれていたように思える。

「リオニー、どうして……」

 ぎゅっと拳を握り、頭(こうべ)を垂れる。婚約者が魔法学校に忍び込み、性別を偽って暮らしていた、なんて事実が報じられたら、ロンリンギア公爵家にとっては恥となるだろう。本当に、申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうになる。

「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ」
「え?」
「もしも知っていたら、いろいろとしてあげられることがあったのに」

 アドルフは今、何を言っているのか。
 疑問符(はてな)が雨のように、降り注いでくるような感覚に陥る。

「これまで、よく頑張った。これからは、リオニーが快適に過ごせるよう、俺も手を貸そう」
「ちょ、ちょっと待ってください! どういうことですの?」
「どういう、というのは?」
「アドルフは、二年以上もの間、わたくしに騙されて、怒っていませんの?」
「いや、とてつもなく驚きはしたが、怒ってはいない」

 アドルフはあっけらかんと言ってのける。その発言は予想外過ぎた。
 リオルがリオニーのわけがないと信じられなかったようだが、本物のリオルを見た瞬間、入れ替わりの事実を受け入れられたのだという。

「正直に言えば、早い段階で打ち明けてほしかった、という気持ちはある。けれども、誰かに打ち明けたら、魔法学校を退学しなければならないと考えていたのだろう?」
「え、ええ。で、ですが、魔法学校は男子校です。女であるわたくしが、通っていい場所ではないのです」
「二年半も隠し通したんだ。残り数ヶ月、通っていても問題ないだろう」

 ただ、今回の事件で私とリオルの入れ替わりが露見しただろう。それをどう誤魔化すのか、その辺は疑問であった。

「事件については心配するな。行方不明になったのはリオニーのみで、弟のリオルは屋敷の地下に引きこもって勉強し、発見できなかった、ということにしておいた。何も心配しなくていい。これまで通り、魔法学校の生徒として、胸を張って通えばいいんだ」
「どうして? どうしてそこまでしてくださるのですか?」
「それは、魔法学校に通うリオルが、とても楽しそうだったから。それに、俺はライバルであるリオルがいないと、勉強がはかどらないからな」
「アドルフ……ありがとう、ございます」

 涙がぽろぽろと零れてきた。そんな私を、アドルフは優しく抱きしめてくれる。

「俺は果報者だ。世界で一番愛する女性と、もっとも大切な親友を、一度に得ることができるのだから」
「アドルフ……」

 アドルフは私自身のすべてを受け入れてくれるようだ。胸がいっぱいになる。
 チキンが私達を祝福するように、祝福の歌を贈ってくれた。

『こうしてふたりは~~、いつまでも、幸せに暮らしたちゅりよ~~』

 あまりにも歌が下手すぎた。何もかも、台無しである。ただ、気持ちは和んだ。

「チキン、お前にも助けられたな」
『事件が解決したのは、ちゅりのおかげちゅりね!』
「そうだな」

 まさか、チキンがケツァルコアトルとは想定もしていなかった。なんでも本契約を交わしたので、あの大きな姿に変化することができたのだという。

「俺はチキンのすごさに気付いていたぞ。召喚した日、リオルに言っただろう?」

 そういえばと思い出す。アドルフはチキンを召喚した日、私が一位だったと言い切ったのだ。

「言葉を喋ることができる使い魔なんて、高位的な存在に決まっているだろうが」
「そうかもしれないけれど、見た目が雀だったから」

 ずっと偉そうな発言ばかりする子だな、と思っていたが、実力が伴ったものだったのだ。
 心の中で、チキンに謝罪した。

 話が一段したところで、先ほどのアドルフの言葉で気になった点を聞いてみる。

「それはそうと、世界で一番愛すべき女性がわたくしだというのは、間違いではありませんの?」
「そうだが?」
「では、薔薇の花束と恋文を贈っていたお相手は?」

 問いかけた瞬間、アドルフの顔が青ざめる。

「知っていたのか?」
「ええ、ずっと」

 せっかくなので、洗いざらい打ち明ける。

「わたくし、アドルフが薔薇の花束と恋文を贈っていた相手を、探そうとしていましたの」
「そう、だったのだな」
「ですが、途中で諦めました」
「それは、なぜ?」
「彼女の存在に、嫉妬してしまって。それに、相手が打ち明けていないことを探るのは、悪い行為を働いているように思えて、遂行できなかったのです」

 ごめんなさい、と謝ろうとしたのに、なぜか先にアドルフのほうが頭を下げていた。

「リオニー、黙っていて、すまない。ずっとずっと、打ち明けようと思っていたのだが、いろいろと事情が重なって……」

 いったい、アドルフはどんな問題を抱えていたというのか。
 彼は静かに隠していたであろう真実を打ち明ける。
 本題に入る前に、少し前置きがある。アドルフがそう言って話し始めたのは、想像をしていなかった事実であった。

「俺は母の愛人との間に生まれた。父であるロンリンギア公爵の血は流れていない」
「そ、そんな――!」

 まさか、アドルフが公爵家の血を引いていないなんて。
 たしかに、ロンリンギア公爵とアドルフはまったく似ていなかったが……。勝手に母親似なのだろうと思っていたのだ。

「以前、リオニーが私の瞳はガラス玉にそっくりだ、なんて言ったことがあっただろう?」
「あ――!」

 それは、初めてアドルフと出かけたときの話である。路地裏で宝石と偽り、ガラスでできた宝飾品を発見したのだ。
 そのさい、私はアドルフに意地悪を言うつもりで、瞳がガラス玉に似ていると言ってしまった。

「そのとおり、俺は本物のロンリンギア公爵の息子ではない。偽物のような存在だと、思ったのだ」
「ご、ごめんなさい。わたくし、酷いことを言いました」
「いや、本当のことだったから」

 過去の自分は何を言っていたのか。時間が巻き戻せるのならば、発言を取り消したい。

「なぜ、俺がロンリンギア公爵家の血を引いていないのかというと、冷え切った夫婦仲が原因だった、なんて、現在母の侍女を務めていた乳母が話していた」

 貴族の結婚の大半は、政治的な意味合いが強い。アドルフの両親も結婚当日に顔を合わせ夫婦となった。

「父は半月に一度、夫としての役割をこなしていたらしい。しかしそれだけでは母が妊娠せず、もっと回数を増やしてほしいと懇願していたようだ」

 しかしながら、ロンリンギア公爵はその願いを叶えなかった。それどころか、仕事が忙しくなり、役目を果たす日にしか帰宅しなかったという。

「寂しさと、ほんのわずかな反抗心を抱いた母は、他の男を家に連れ込むようになった」

 貴族が愛人を持つのは珍しくない。男性でも、女性でも。
 そのため、最初はロンリンギア公爵の関心を引くための工作だったらしい。

「父は母の稚拙な行動に気づいていたのか、いなかったのか、気にかけることなく放置していた」

 それがよくなかったのか。ロンリンギア公爵夫人は愛人と関係を持ち、そして――。

「妊娠してしまった」

 愛人と関係を結んでいた間も、ロンリンギア公爵は役割を果たしていた。
 そのため、妊娠が発覚しても、愛人の子だと周囲は疑っていなかったようだ。

「妊娠中、母は気が気でなかったらしい」

 もしも子どもに、愛人の男の特徴があったらどうしようかと。
 約十ヶ月後――アドルフが生まれる。

「俺は母と同じ、黒髪で青い瞳を持って生まれた」

 もしかしたらロンリンギア公爵の子どもかもしれないとロンリンギア公爵夫人は希望を抱いたものの、面差しはどことなく愛人の男に似ていたらしい。

「それに気付いていたのは、愛人との関係を把握していた俺の乳母だけだったが……」

 結婚から五年――ようやく待望の後継者(エア)が生まれた。
 次は予備(スペア)を産まないといけない。ロンリンギア夫人はそう決意していたものの、アドルフが生まれた途端に、ロンリンギア公爵は役割をしに帰らなくなった。
 夫婦の仲は、さらに冷え切ってしまう。不幸はそれだけではなかった。

「子どもを見た愛人が、自分の子ではないのかと主張するようになった。母は金を渡し、黙らせていたようだが、その後、毎週のように金品をしつこくねだるようになったらしい」

 止(とど)めを刺したのは、ロンリンギア公爵夫人が金と引き換えに、年若い男を家に連れ込んでいるというゴシップ報道がされたことであったという。

 アドルフを産んでからというもの、関係は持っていなかった。そう主張しても、周囲の者達は聞く耳を持たなかったという。

 愛人の男や記者、社交界の冷ややかな視線から逃げるように、ロンリンギア公爵夫人は各地を旅行し、姿を消していたようだ。
 そういう状況へ追い込まれても、ロンリンギア公爵は妻を庇わず、好き勝手させていたという。

 ただ、いくら旅を続けても、心の傷は癒やされなかった。

「最終的に母は精神を病み、グリンゼル地方へ療養することとなった」

 それは、アドルフが十一歳のときの話だという。

「グリンゼル地方に、お母様が?」
「ああ、そうだ。久しぶりに再会した母は、俺を父だと勘違いし、機嫌取りをしてきた。そのときに、乳母から真実を聞いた」

 アドルフはロンリンギア公爵の子どもではない、と――。

「正直、ショックが大きかった。父は知らないだろう、ということにも、酷く心が締めつけられた」

 打ち明けたほうがいいのか、と乳母に聞いたところ、絶対にダメだと口止めされたらしい。

「なぜ、乳母は真実を言ってしまったのでしょうか?」
「自分ひとりで抱えきれない問題だと思ったのだろう」

 そこから、アドルフは母親のために何ができるのか、考えたらしい。

「その結果が、父のふりをして、母に薔薇の花束と恋文に見せかけた手紙を送ることだった」
「あ――!」

 アドルフが想い人へ、毎週欠かさず送っていたという薔薇の花束と恋文は、病気の母親に向けて送ったものだった。 
 私はそうだと知らずに、彼を時に嫌悪し、秘密を暴こうとしていた。なんて愚かな行為だったのか。

「まさか、それらが周知されていたとは知らず、リオニーにも不快な気持ちにさせてしまった」
「いいえ、いいえ」

 宿泊訓練のとき、アドルフは私をロンリンギア公爵夫人に紹介しようとしていたらしい。そういえば、話したいことがある、なんてことを言っていた。
 薔薇の花束と恋文を贈り始めてから数年、容態はずいぶんと落ち着いていたようだ。
 けれども、久しぶりに会いに行ったとき、ロンリンギア夫人は誰もが想定していなかった反応を示す。
 これまでロンリンギア公爵だと思っていた息子を見て、悲鳴をあげたのだ。

「母は俺を、愛人だった男と見間違ったらしい。顔を知っている乳母曰く、今の俺は生き写しのようにそっくりだと」

 ロンリンギア公爵夫人は、アドルフを愛人だった男だと思い込み、金品を奪いにきたのだと勘違いしたのだという。

「母をリオニーに会わせるわけにはいかない。そう判断し、急遽、リオニーに少し待ってほしいと手紙を送ったのだ」

 アドルフの手を握り、頭を下げる。
 これまで秘密を抱え、大変だっただろう、苦しかっただろう。
 私は彼が抱えていた苦労を、気付いてあげられなかった。

「早く、おっしゃっていただけたらよかったのに」
「そうだな。婚約をする前に、言うべきだったのかもしれない。俺はいつか、父にこのことを報告するつもりだったから」

 アドルフはロンリンギア公爵家の血を引いていない。そのため、後継者でなくなってしまう。

「俺は、夢見ていたのかもしれない。未来のロンリンギア公爵でなく、ただのアドルフでも、リオニーやリオルは、代わらず傍にいてくれるのだろうと。けれども、貴族の関係は家柄や血統ありきだ。もしかしたら、ふたりと離れ離れになってしまうかもしれない。それを思ったら、なかなか、言い出せなくて――!」

 私は顔を上げ、今にも泣きそうなアドルフを強く抱きしめた。

「わたくしは、アドルフが何者でも、ずっとずっと、傍におります」
「リオニー、ありがとう」

 最初から、彼を支えようと覚悟を決めていたのだ。今さら、アドルフが誰の子だと聞かされても、心が揺らぐはずがない。

「もしかしたら、苦労をかけてしまうかもしれないが――」
「男子校に潜入して首席を取ることより、難しいことがあるのでしょうか?」

 アドルフと一緒ならば、どんな苦難でも乗り越えてみせる。
 私にはその自信があったのだ。

「俺の婚約者は、世界で一番頼もしいな」
「当然ですわ」

 私の周囲が呆きれるくらいの負けん気は、逆境の中でこそ輝くのかもしれない。
 アドルフと話しながら、そう思ったのだった。
 もうアドルフに隠し事をしなくてもいいし、彼に対する疑問も解消された。
 すがすがしい気持ちになっているところに、アドルフが苦虫を噛み潰したような表情で、これからの予定を口にする。

「実は、父上から、リオニーを家に連れてくるように、と言われている」
「わたくしが、ロンリンギア公爵に、ですか?」
「ああ。なんでも、事件についての真相の一部が、報告書として届いたようだ」

 犯人はグリムス社の記者だと思っていたが、それは犯人側が勝手に名乗っていただけだったらしい。正体は別にあったという。

「俺も詳しくは聞いていない」
「わかりました。帰りもワイバーンですの?」
「そうだ。リオルも一緒に、連れて帰ろう」

 そう口にしてから、アドルフは少しバツの悪そうな表情を浮かべる。

「今、部屋の外にいるリオルを、どうしてもリオルだと思えない」
「アドルフにとっては、わたくしが扮するリオルがリオルですものね」
「そうなんだ。声は、魔法か何かで変えていたのか?」
「ええ、声変わりの飴で」

 最初に作った飴は数時間しか効果を発揮しなかったが、二年もの間に改良を加え、最長で二十四時間声を変えられるものを作りだしたのだ。
 そのおかげで、誘拐されたあとも女性の声に戻らなかった。

「徹底していたのだな」
「もちろんです」

 なんて話している間に、王都へ戻る時間が迫っていた。
 父の怒りが治まるまでグリンゼル地方にいたかったのだが、ロンリンギア公爵の呼び出しがあるので仕方がない。しぶしぶ家路に就く。

 リオルは馬車で王都に戻るという。ワイバーンの飛行での移動は一度でお腹いっぱいだと言われてしまった。

「アドルフ・フォン・ロンリンギア、姉上の見張り、よろしく」
「ああ、任してほしい」

 これ以上、私が何をするというのか。本当に信頼がない。
 ワイバーン車に乗りこむ私達を、リオルは見送ってくれる。
 アドルフは窓を開け、リオルに「王都に戻ったら、ゆっくり話そう」と叫んでいた。
 それに対し、リオルは「気が向いたら」と返す。
 アドルフは私を振り返り、抗議するような視線を向けた。

「とてつもなく生意気だ。魔法学校のリオルそっくりだな」
「姉弟ですので、仕方がありませんわ」

 ワイバーンが翼を動かすと、車体が少しずつ浮いていく。
 あっという間に高く飛びあがったのだった。
 しばし、窓の外の雲を眺めていたアドルフが、私に話しかけてくる。

「リオニー、父上には、今日、本当のことを告げようと思っている」
「ええ」
「反対はしないのか?」
「なぜですの?」
「黙っていたら、未来の公爵夫人なのに」
「ああ、そういう意味でしたか」

 別に公爵夫人になることに関して、別に何も思っていなかった。
 そもそも私自身、淑女教育が徹底的に叩き込まれているわけではないし、多くの人に好かれるような性格でもない。最初から向いていなかったのだ。

「わたくしは別に、公爵夫人になりたかったわけではありませんでしたので。アドルフの妻になれるのであれば、立場や財産など、気になりません」
「立場や財産か……。そうだな。もしかしたら、着の身着のままで追い出される可能性だってある」
「そのときは、夫婦揃って一生懸命働いたらいいだけのことです」

 幸いと言うべきか、リオルが魔法で収入を得る以前は、貧相な暮らしをしていた。

「食事がパンとスープだけだったという日も、珍しくなく――」
「そうだったのだな」

 見栄っ張りな父が使用人だけは数名雇っていたので、私達家族の食費が削られていたのだという。
 思い返してみると、育ち盛りの子ども達に酷い仕打ちをしてくれたと思ってしまう。

「この先、国王補佐はできないかもしれないが、仕事はたくさん身についている。どこに行っても、何かしらの職に就けるだろう」
「でしたら、グリンゼル地方で働くのはいかが?」
「なぜ?」
「自然が豊かですし、湖は美しいですし、のんびりしていて、よい場所だと思うのです。あと、アドルフのお母様もいらっしゃいますし」

 ロンリンギア公爵夫人の容態が快方に向かったら、会いに行きたい。
 会って、話をしたいと思っている。

「母はきつい性格の人だ。リオニーに対して、酷いことを言われるかもしれない」
「心配はご無用です。わたくし、負けず嫌いですので。舌戦になったら、本気を出します」
「それは……頼もしいな」

 アドルフが笑ってくれたので、ホッとする。ずっと思い詰めた表情を浮かべていたので、心配していたのだ。

 ここで、今思いついた計画を、アドルフにそっと耳打ちしてみる。

「それは――いい考えだな」
「実現できると思いますか?」
「俺も手伝おう」
「ありがとうございます」

 強力な味方を得られたので、王都に到着するまで、計画について楽しく話し合った。

 ◇◇◇

 アドルフと共に、ロンリンギア公爵の執務室へ向かう。
 今日も不機嫌かつ重苦しい空気を背負ったロンリンギア公爵が、私達を迎えてくれた。

「父上、戻りました」
「ああ」

 ロンリンギア公爵の執務机には前回以上に書類が山積みとなっていて、忙しい中での呼び出しだったようだ。

「小娘……いや、リオニー・フォン・ヴァイグブルグ、今回の事件では、迷惑をかけた」

 ロンリンギア公爵が頭を下げて謝罪したので、驚いてしまう。アドルフも目を見張っていた。
 事件について、ロンリンギア公爵は淡々と報告する。真犯人は信じがたい人物だった。

「この事件を計画したのは、隣国のミュリーヌ王女だった」
「父上、それは本当ですか!?」
「ああ、間違いない」

 なんでも婚約を断られ、降誕祭パーティーで冷たくあしらわれたミュリーヌ王女は、アドルフに対して強い憎しみを抱くようになったらしい。

「ミュリーヌ王女が……なぜ?」
「大きな好意は、裏切られたと感じた瞬間、別の感情に移り変わりやすい。愛が憎しみになるのも、おかしな話ではないだろう」

 アドルフに恥を掻かせてやろうと画策した結果、ある噂話を入手したらしい。

「お前が、婚約者以外の誰かに、薔薇の花束と恋文を熱心に届けている、と」

 それだけでは醜聞として弱いが、それに関連したある疑いが、ミュリーヌ王女の耳に届いたようだ。

「それは、アドルフ、お前がロンリンギア公爵家の血を受け継いでいない、ということについてだ」

 ロンリンギア公爵の追及するような視線に、アドルフは動揺を見せなかった。
「その様子だと、知っていたのだな」
「ええ」
「誰から聞いた?」
「現在、母上の侍女を務める、乳母だった女性です」
「そうか」

 ロンリンギア公爵は従僕に窓を開けるよう指示し、懐から銀のシガーケースを取り出す。
 慣れた手つきで葉巻の端を切り、マッチを使って火を点した。
 葉巻を吸い、吐いた煙は窓の外へと流れていく。

「父上も、ご存じだったのですね」
「身内のやらかしに気付かないほど、耄碌(もうろく)していない」

 気まずい空気が流れる。とても私なんかが口を挟めるような状況ではなかった。

「そもそも、私は医者から、体質的に子どもは作れないだろう、と言われていた。妻や周囲の者にも話したが、誰ひとりとして信じなかったのだ」

 衝撃の事実である。
 ロンリンギア公爵家の家督は弟夫婦の間に生まれた子に――なんて考えていたようだ。

「数年、子どもが生まれなければ、信じるだろうと思っていたが、妻は必死になって、私の子を産もうとしていた」

 その当時からロンリンギア公爵夫人はヒステリックな様子で、訴えを聞く耳もなかったらしい。

「妻は気の毒なことに、貴族女性の価値は、結婚し跡取りを産んで初めて認められる、という古い考えを盲目的に信じていた」

 なかなか子どもが生まれないため、ロンリンギア公爵家の親族からネチネチと小言を言われていたらしい。それも、彼女の精神を追い詰める原因のひとつとなっていたのだろう。

「親戚の前で、私が子どもができない体質だという診断を受けたと訴えても、妻を守るために言ったのだと勘違いされてしまった。誰ひとりとして、私の話を信じなかったのだ」

 ロンリンギア公爵家の人達は皆、苦しめられていたのだ。話を聞いていると、胸が締めつけられる。

「結婚から五年後、妻は懐妊した。皆、奇跡だと喜んでいたが――」

 ロンリンギア公爵は自分以外の男と関係を持ち、子を作ったのか、と呆れた気持ちでいたという。

「反面、もう妻を苦しめる者はいなくなると思って安心していたのだが」

 ロンリンギア公爵夫人に、安寧は訪れなかった。
 彼女は幼いアドルフを残し、逃げるようにして王都を発ったという。

「父上はなぜ、俺を実の息子のように育てたのですか?」
「哀れな子に、罪はないから。情が湧いたとも言えるな」

 ロンリンギア公爵に情というものが存在していたのか。意外に思う。なんて考えているのを見破られてしまったのか、ジロリと睨まれてしまった。

「俺は、いずれ父上に血が繋がっていないことを打ち明けて、家から出て行こう、と思っていました」
「それは許さない」
「どうしてですか?」
「苦労して育てた息子を、逃がすわけないだろうが。そもそも、この十八年もの間、お前にどれだけ投資してきたと思っているんだ?」
「ですが、俺は、父上の子ではありません」
「血が繋がっていないと、親子ではないという決まりはどこにもない。それに貴族は血統が大事だの、なんだのとうるさく言うが、血統を大事に守った結果、体の弱い子ばかり生まれたり、早くに亡くなったりと、いろいろ支障をきたしている家も多い。現に私も、子どもが作れない。血を大事にするあまり、近親同士の結婚が重なった結果だろう」

 新しい血を入れることも大事だと、ロンリンギア公爵は主張する。

「呪われた血は私の代で終わらせる。アドルフ、お前は新しい時代を、お前自身が選んだ女性(おんな)と共に築くのだ」
「父上……!」

 親子をふたりっきりにさせておこうと思い、一歩、一歩と後方に進んでいく。
 出て行こうとした瞬間、アドルフとロンリンギア公爵からジロリと睨まれ「逃げるな!」と同時に言われてしまった。
 なんというか、彼らは似た者親子なのでは、と思ってしまった。

 ◇◇◇

 そんなわけで、アドルフはロンリンギア公爵と血は繋がっていなかったものの、問題なし、という結果になった。
 家を追い出されることもなく、今までどおり暮らしている。
 
 ミュリーヌ王女が画策した事件に関しては、隣国でも大きな問題となったらしい。
 国王は賠償金を請求しただけでなく、我が国に有利な取り引きもいくつか交わしたという。
 ミュリーヌ王女は事件の責任を受け、修道院にしばらく身を預けることになったようだ。
 今後、どうなるかは彼女次第なのだろう。

 私も気持ちを入れ替え、魔法学校の退学を考えた。
 周囲に相談せず、教師に退学届を持って行ったところ、全力で引き留められる。
 なんでも私とアドルフは魔法学校始まって以来の優秀な生徒として、記録に残したいらしい。
 あまりにも必死に止めるので、どうしたものかと思ってしまう。
 退学届を受け取ってもらえなかったので、校長などを交え、私は正直にリオルと入れ替わりで通っていることを告げた。
 これで退学届を受け取ってもらえるだろうと信じていたのに、校長を始めとする教師陣は「知らなかったふりをするから、卒業してくれ!」と泣きつかれてしまった。
 ここまで言われてしまったら、無理矢理退学する必要もない。
 私はありがたくも、魔法学校での学生生活を続けることとなったのだった。
 
 それから月日が流れ、ついに私は魔法学校を卒業する――。

 皆、魔法学校の正装に身を包み、礼拝堂に集まる。
 校長からひとりひとり、魔法学校の卒業証書と卒業生の記章(バッジ)を受け取った。
 在校生へ贈る言葉は、アドルフが読み上げた。これは期末テストで首席を取った者が読むのだが、私とアドルフは同点だったのだ。
 そのため、文章を私が考え、アドルフが読むという役割分担だったのである。
 在校生達のほとんどが、涙ぐんでいるように思える。アドルフは立派な様子で、読み上げてくれたのだった。
 最後に讃美歌を歌い、卒業式は幕を閉じる。
 クレマチスが巻きついたアーチをくぐり抜けると、教師や寮母などが拍手で出迎えてくれた。
 これから盛大な舞踏会(プロムナード)が開催される。
 外からパートナーを招待し、一緒に踊ったり、ご馳走を食べたりするパーティーだ。
 皆、燕尾服を着ているので、そのままパートナーと合流し、参加する。
 しかしながら私は、寮母に捕獲された。

「急いで準備するわよ」
「お願いします」

 私はアドルフの婚約者として、舞踏会に参加する約束をしていた。
 外部からも多くの人達が参加する盛大な催しなので、リオルがいなくてもバレないだろう。なんて、目論見もあった。

 学校関係者が使う休憩室を借り、身なりを整える。 
 |地平線上(ホライズン)|の空色(ブルー)のドレスは緑がかった美しい青で、アドルフと一緒に選んだものだった。お気に入りの一着である。購入したのは三ヶ月も前なので、ようやく袖を通す日が訪れたのだ。
 出入り口には鍵をかけ、誰も入れないようにしてから着替えを始める。

「あの、ここを借りて、先生達に迷惑ではなかったのですか?」
「あら。私は勝手にここを借りて、着替えていたわ。もう、時効よね?」

 なんというか、私よりも豪快な男装学生生活を送っている人がいたのだな、と思ってしまう。
 今回はきちんと許可を取っているので、心配しなくてもいいと言ってくれた。

 ドレスをまとい、化粧を施して、髪を結ってもらう。
 鏡に映る私は、魔法にかけられたみたいな変貌ぶりであった。

「きれいよ」
「ありがとうございます」

 声変わりの飴の効果を解き、こっそり外へ脱出する。
 舞踏会が行われている講堂へ急いだ。

 アドルフは私と約束した、アーモンドの木の下で待っていた。すぐに気付き、こちらへ駆け寄ってくる。

「リオニー!」
「お待たせしました」
「少しも待っていない」

 そんなわけがない。あれから一時間半は経っている。きっと彼の優しさなのだろう。

「ドレス、よく似合っている。きれいだ」
「ありがとうございます」

 ぐっと背伸びし、アドルフもすてきだと耳打ちしてみた。すると、アドルフの耳はみるみるうちに赤く染まっていく。

「そういうことは、結婚してから言ってほしい。我慢できなくなるから」

 いったい何を我慢しているのか。尋ねたが、顔を逸らすばかりであった。

「リオニー、あっちにリオルがいる」
「え?」
 
 アドルフが指差した方向を向いた瞬間、頬にキスされた。
 突然のことだったので、言葉を失ってしまう。
 もちろん、リオルの姿なんてなかった。
 抗議するような目でアドルフを見ると、言い返されてしまう。

「我慢とはこういうことだ」
「まあ!」

 からかったので、仕返しをされたようだ。身をもって、何を我慢していたのかわかってしまう。

「正直、リオニーから褒められるのは慣れていない。結婚してから、盛大に褒めちぎってほしい」
「わかりました」

 婚前に関係を持ってしまったら、父に何を言われるかわからない。
 私達の結婚は一年後なので、もうしばらく我慢してもらう必要があった。

「そろそろ行こうか」
「ええ」

 講堂から楽団の演奏が聞こえていた。

「リオニー、先に何か食べるか?」
「わたくしは平気です。アドルフは?」
「俺も、あとでいい」

 アドルフが差し出してくれた手に、そっと指先を重ねる。
 私達は足並みを揃え、会場へ向かったのだった。

 こっそり入って、目立たないようにしよう、なんて思っていたのに、一歩踏み入れた途端に大きな騒ぎとなってしまった。
 あっという間に周囲は人で囲まれてしまう。
 アドルフは自慢げな様子で、私を紹介していた。恥ずかしいから、適当でいいのに。

「彼女が俺の婚約者であるリオニーだ。世界一美しいだろう?」

 相手が頷くと、アドルフは満足げな様子で頷く。
 本当に美しいと思っているわけではなく、皆、ロンリンギア公爵家の嫡男の発言に忖度しているだけだろう。
 アドルフはそれに気付いていないのである。

 途中で、ランハートがやってきた。まだ婚約者が決まっていないようで、七歳の妹と一緒にやってくる。
 ランハートの妹は、アドルフをキラキラした瞳で見つめていた。
 
「あー、えーっと」

 ランハートが話しかけようとすると、アドルフが私を庇うように一歩前にでてくる。
 なんていうか、舞踏会でバチバチするのは辞めてほしい。
 ランハートとの約束通り、私が男装して魔法学校に潜入していたことを知っていた事実に関して、アドルフに打ち明けていない。今の嫉妬っぷりを見ていたら、墓場まで持って行ったほうがいいなと、お互い考えているだろう。
 アドルフがランハートの妹の相手をしている間に、一言だけ感謝の気持ちを伝えた。

「ありがとう」

 ランハートは頷き、「幸せになれよ!」と明るく言ってくれた。
 彼と出会えて、本当によかったと思う。

 ひとり挨拶が終わった瞬間に、また別の人物が話しかけてくる。魔法学校の者達がアドルフと縁故(コネクション)を結ぶ機会は今日が最後なので、皆必死になっているのだろう。
 このまま永遠に立ち話をするのではないかと思っていたのだが、ワルツの演奏が始まると、アドルフは「失礼」と言って人の輪から抜けていく。
 そして、私を振り返り、ダンスに誘ってくれた。

「リオニー、一緒に踊らないか?」
「ええ、喜んで」

 今日のために、ダンスレッスンに励んでいたのだ。ロンリンギア公爵家の嫡男と結婚する女が、ダンスが下手なんて言わせない。
 手と手を取り、音楽に合わせて優雅に踊る。
 アドルフのリードのおかげで、気持ちよくステップが踏めた。彼も楽しんでいるというのが、表情でわかる。
 音楽が終わると、すばやくダンスの輪から離れる。
 人に捕まる前に、アドルフと共に会場を抜け出す。最後だからと、魔法学校の校舎を見学して回った。

 実験室では、初めて召喚術を習った。チキンとは本契約を交わし、今でも傍にいる。
 ケツァルコアトルであったことは驚きだが、私にとっては可愛い雀ちゃんであった。
 今日は寮で、大人しく眠っていることだろう。
 
 教室ではクラスメイトとの楽しい思い出が詰まっていた。
 お菓子を交換したり、雑誌を貸し借りしたり、勉強を教え合ったり。
 どれもこれも、かけがえのない青春の一ページとなっている。
 仲良くしてくれたクラスメイトには、感謝しかない。

 最後に、寮に戻った。すでに荷物は実家に送られている。部屋の中には、チキンが眠るばかりであった。
 以前、先輩から引き継いだ椅子も、後輩に渡していた。
 空っぽになった部屋で、アドルフと過ごす。

「最後に紅茶を飲もうと思って、持ってきた」

 窓からは、講堂から聞こえる賑やかな楽団の演奏が聞こえていた。
 それを聞きながら、私はアドルフと紅茶を楽しむ。
 これが、魔法学校の最後の一日だった。
 卒業後、私は結婚式の準備を始める。
 通常、ドレスや装身具などの身の回りの品は母親と選ぶのだが、母はすでに亡くなっている。代わりに、侍女達が親身になって手伝ってくれた。
 彼女達は嫁ぎ先であるロンリンギア公爵家にもついてきてくれるらしい。
 なんでも実家から侍女を連れてくるというのは、貴族の中では前代未聞だという。
 通常、花嫁は身ひとつで嫁いでくるからだ。
 アドルフが侍女はどうすると相談してきたときに、ダメ元で意見してみた。それが採用されたので、私は慣れ親しんだ侍女と離れ離れにならずに済んだわけである。
 理解あるアドルフには感謝しないといけない。

 ふたつ年上の従姉、ルミもヴァイグブルグ伯爵家を訪問し、結婚式の準備を手伝ってくれる。

「リオニーさん、あまり頼りにならなくて、ごめんなさいね」
「いいえ、お気になさらず。今は大事な時期ですから、無理なさらないで」

 ルミは去年、結婚した。夫となった男性は優しい人で、ふたりはお似合いだったのだ。
 そして現在、ルミのお腹には小さな命が宿っている。嫁ぎ先が近所なので、歩いてやってくるのだ。
 行きと帰りに侍女やメイドを大勢引き連れているので、ルミは恥ずかしいと言っていた。なんでも、夫から同行させるように厳命されているらしい。
 過保護だと言うが、妊婦はそれくらい大事にしないといけない。
 私も可能な限り、ルミがやってくる日は送り迎えするようにしている。

「それにしても、リオニーさんは三年間、よく頑張りましたね」
「アドルフやランハート、一部の学校関係者には女であると露見してしまいましたが」
「周囲の理解を得られたというのは、リオニーさんの努力の結果です」
「ルミさんのお手紙も、私を励ましてくれました」
「そう言ってくれると、とても嬉しいです。手紙にあった一番のお友達とは、連絡を取り合っていますの?」
「ランハートのことですか?」
「ええ」

 一時期、あまりにも心配するので、親切なお友達ことランハートの存在に手紙で触れていたのだ。

「彼とは、アドルフ公認で文通していますの」

 卒業後、なんとかランハートと連絡を取りたいと思ったのだが、婚約者以外の男性と会うのは外聞が悪い。さらに、手紙の交換も誤解されては困る。
 アドルフが送り続けていた薔薇の花束と恋文の一件で、私は手紙という連絡手段に対し、警戒心を抱いていた。
 どうにかしなければと考えた結果、アドルフに相談したところ、意外な提案を受ける。
 それはランハートの手紙を、アドルフを通して送り合えばいい、というものだった。
 さっそくランハートに相談したら、新たな条件が付けられる。それは、届いた手紙は一度アドルフが開封し、内容を確かめてもいい、というものだった。
 ランハートはアドルフの嫉妬を恐れているようで、心配するような内容ではないと確認させたかったのだろう。その条件を、私も受け入れたのだった。
 そんな感じで、ランハートとは文通を始めている。

「魔法騎士になった彼は、実力を買われて、国王陛下の近衛部隊に配属になったそうで」
「将来が楽しみですね」
「本当に」

 影ながら、ランハートの活躍を応援していた。

「と、お喋りしている場合ではありませんわね。リオニーさん、手を動かしませんと」
「そうでした」

 現在、私はルミと婚礼衣装に使うレースを編んでいた。
 我が国では伝統として、首元に使うレースを花嫁とその家族が作るのだ。
 ルミは母親のいない私の代わりに、手伝うと名乗り上げてくれた。

「リオニーさん、もうひと頑張りですよ」
「ええ」

 口ではなく、手を動かし、必死になってレース編みを進めたのだった。

 ◇◇◇

 アドルフは魔法学校の卒業後、国王陛下の側近として働き始めた。
 忙しい日々を過ごしているのに、ヴァイグブルグ伯爵家を頻繁に訪問してくれる。
 今日は結婚式の招待客をピックアップし、招待状作りをせっせと行う。
 大量に作った招待状の中には、ロンリンギア公爵夫人宛てに作ったものもあった。
 明日、これを届けに行く予定だ。
 なんと、驚くべきことに、ロンリンギア公爵も一緒だという。家族が数年ぶりに、一堂に会するようだ。

「もしかしたら、父と母が揃う機会は、俺が赤ん坊のとき以来かもしれない」
「ドキドキしますね」
「嫌な意味でな」

 あれから数ヶ月経ち、ロンリンギア公爵夫人の容態は快方に向かっているという。ここ最近は庭へ散歩に出かけるほどの体力も回復してきたようだ。
 さらに家族の近況についても、聞きたがっているらしい。
 タイミングは今しかない、と決意したようだ。

 翌日――竜車に乗ってグリンゼル地方を目指す。
 ロンリンギア公爵と一緒の空間で、しばらく過ごすという初めての体験をした。

「小娘、竜車は怖くないのか?」
「ロンリンギア公爵、リオニーさん、ですわよ」
「小娘め、さん付けで呼んでもらおうとするとは、なかなか度胸があるな」
「父上、いい加減、リオニーの名前を覚えてください」

 ロンリンギア公爵はチッと舌打ちし、懐からシガーケースを取り出す。
 私はすぐさまそれを奪い取り、アドルフへ手渡した。

「空の上の車内は禁煙ですわ。どうしても吸いたいのであれば、飛行中のお外へどうぞ」
「……」

 ロンリンギア公爵は何も言い返さず、窓の外の景色を眺め始めた。
 今度、空の旅に出るときは、ロンリンギア公爵のために、シガレット型のクッキーを作ってこようと心の中で誓った。

 若干の気まずさとともに、グリンゼル地方へと到着する。竜車は直接別荘の庭へ着地した。
 すでに夜になっており、ロンリンギア公爵夫人がいるであろう部屋にだけ灯りが点されている。
 ドキドキしながら、案内された寝室へと向かった。

 家族が再会する場に、私がいてもいいものか。まずは家族水入らずで、と言ったら、傍にいるように、とアドルフとロンリンギア公爵の両方から言われてしまった。
 
 扉が開かれると――ロンリンギア公爵夫人は、上体を起こした姿でいた。
 やってきた私達を見て、驚いた表情でいる。
 一応、アドルフが知らせていたようだが、ロンリンギア公爵までやってくるとは思ってもいなかったのだろう。

「久しいな」

 ロンリンギア公爵がそう声をかけると、ロンリンギア公爵夫人は顔を逸らし、震える声で言葉を返した。

「今さら、なんの用ですか」
「俺達の息子が立派に育ち、嫁を迎えるから、紹介にやってきたのだ」

 ロンリンギア公爵は、アドルフと私の背中を押し、一歩前に押しやる。
 
「母上、お久しぶりです。今日は、婚約者のリオニー……リオニー・フォン・ヴァイグブルグを紹介しにきました」
「そう」

 ドレスの裾を摘まみ、頭を下げる。
 ロンリンギア公爵夫人は感情のない瞳で、私を見つめていた。

「初めまして、ロンリンギア公爵夫人。お目にかかれて、幸せです」
「……」

 顔を逸らし、窓の外を眺めた瞬間、今だと思う。

「実は、ロンリンギア公爵夫人に、贈り物を用意しまして。窓の外にある夜空をご覧ください」

 私はアドルフと共に、魔法を発動させる。
 それは、大叔母が考案した魔法のイルミネーション、〝輝跡の魔法〟だ。
 夜空に流れ星がいくつも瞬き、光の花が開花する。
 星のシャンデリアや光の噴水、きらめく川など、輝跡の魔法は夜の空を美しく彩る。
 私が魔法学校で学んだ集大成として、ロンリンギア公爵夫人に見てもらいたかったのだ。

 ロンリンギア公爵夫人は輝跡の魔法を眺めつつ、「きれい……」と呟く。
 瞳には真珠のような涙が浮かび、静かに流れていった。

 魔法はまだまだ続く。
 ロンリンギア公爵は夫人に近付き、そっと肩を支える。夫婦は見つめ合い、目と目で会話をしているようだった。
 ふたりきりにさせよう。そうアドルフに耳打ちすると、頷いてくれた。
 輝跡の魔法は大成功だった。
 夫婦ふたりの関係は、わからない。それに関しては、本人達次第なのだろう。
 ひとまず、私はやりたかったことのひとつを無事に達成できたのだった。

 ◇◇◇

 一年後――私はついにアドルフとの結婚式の日を迎えた。
 純白の婚礼衣装に袖を通し、オレンジの冠とベールをルミに被せてもらう。

「リオニーさん、どうか、お幸せに」
「ルミさん、ありがとう」

 彼女と作ったレースは、私の首元を美しくしてくれていた。

「今日という日を迎えられて、本当に幸せです」

 涙がじんわり浮かんできたが、化粧が崩れてしまうと周囲の人達を慌てさせてしまった。
 礼拝堂には多くの参加者がすでに花婿と花嫁を待っているらしい。
 あの引きこもりとして有名なリオルも、参列してくれているという。
 ロンリンギア公爵夫人は、まだ来ていないとのことだった。
 家族の再会から一年、ロンリンギア公爵夫人はずいぶん元気になったという。
 あれから私とロンリンギア公爵夫人は文を交わすようになり、週に一度は近況を報告し合っていた。ロンリンギア公爵も、半月に一度はグリンゼル地方の別荘を訪問していたらしい。
 夫婦仲は修繕しつつあるようだ。

 そろそろ時間らしいので、ルミと別れて礼拝堂の外へと向かう。
 ガチガチに緊張した父と合流した。顔面蒼白で、ガタガタと震えている。大丈夫なのかと心配になった。
 空からチキンが飛んで来て、肩に止まった。

『今日はすばらしい結婚式日和ちゅりねえ』
「本当に」

 チキンから父は寒いのかと質問されたが、そういうことにしておいた。
 ついに、結婚式が始まる。礼拝堂の扉が開かれ、真っ赤な絨毯の上を父と共に歩く。
 参列者の中に、さっそくランハートを発見した。厳かな雰囲気だというのに、元気よく手を振っている。彼は相変わらずのようだった。
 ルミも生まれた子どもと夫と一緒にいた。おめでとう、と目線で訴えてくるのがありありとわかった。感謝の気持ちを込めつつ、少しだけルミを見つめた。

 前方座席にはリオルの姿があった。すでに飽きました、という表情でいる。もう少しだけ我慢をしてほしい。そう、心の中で願ったのだった。

 ロンリンギア公爵が偉そうにふんぞり返っているのは想像通りだったが、その隣にロンリンギア公爵夫人の姿もあった。
 淡く微笑みながら私を見たので、泣きそうになる。
 まさか、参列してくれるなんて……! こんなに嬉しいことはないだろう。

 アドルフが私を迎え、父はお役御免となった。
 彼と腕を組み、祭壇の前まで歩いていく。
 神父が結婚の宣誓を読み上げた。お決まりの言葉だが、胸にジンと響く。

「――汝らは幸福を感じるときも、苦難を感じるときも、裕福なときも、貧しいときも、喜び、悲しみのときも、共にわかちあい、相手を敬い、慈しむことを誓いますか?」

 アドルフと私は見つめ合い、頷く。共に誓った。
 神父から誓いのキスを促され、アドルフはベールを上げた。
 一度接近し、耳元で囁く。

「リオニー、とてもきれいだ」

 不意打ちの言葉に、顔が熱くなる。きっと私の顔は真っ赤になっていることだろう。
 アドルフは私の肩に触れ、優しくキスをする。
 ふたりの誓いは、永遠のものとなった。

 こうして無事に、私はアドルフの妻となった。
 人生、何が起こるかわからないと、しみじみ思う。
 平々凡々な貴族令嬢だった私が、魔法学校に通い、同級生でライバルであるロンリンギア公爵家の嫡男と結婚したのだから。

 彼と築く家庭では、きっと楽しい毎日が送れるだろう。
 そう確信していた。

 この日、私は世界で一番幸せな花嫁になったのだった。

 引きこもりな弟の代わりに男装して魔法学校へ行ったけれど、犬猿の仲かつライバルである公爵家嫡男の婚約者に選ばれてしまった……! 完

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