何か尖った物があったら、縄を切ることができるだろう。
周囲を見渡すが、それらしき物はない。木箱の角に縄を擦り付けたら、いつか切れるかもしれないが、時間がかかりすぎてしまう。
必死になって起き上がってみると、木箱の上に花瓶が置かれているのを発見する。あれをなんとか割って、ナイフ代わりに使えないだろうか。
再度寝転がり、倉庫の床を転がったり、這ったりして、花瓶に近付く。木箱に体当たりすると、花瓶がぐらりと傾いた。
向こう側に落ちるように強く当たったのに、花瓶はこちら側に倒れてくる。
「――っ!!」
花瓶は私の顔を目がけて真っ逆さま。なんとか当たる寸前で回避したものの、すぐ近くで花瓶が割れてしまう。
飛び散った花瓶の破片が、頬や額を切りつける。
ここまで体を張ったのに、大きいガラスの破片は遠くへ飛び散ってしまった。
近くにあるのは、粉々になったガラスの欠片だけである。
ただ、頬や額を切り、血を流すだけで終わった。
物音を聞いて、男達が戻ってこないといいが……。
しばし、息を顰(ひそ)める。どくん、どくんと胸が激しく高鳴っていった。
人がやってくる気配はないので、ホッと胸をなで下ろす。
他に、何かないのか。
ただ、あったとしても、花瓶のガラスの破片が散った中で、動き回るのは危険だろう。
花瓶を使った作戦は大失敗だった。
魔法陣さえ描くことができたら、錬金術を使い、ガラスでナイフを作ることができるのに。
ガラスのナイフ程度であれば、魔法陣だけで作ることができる。
必要なのは素材であるガラスと、魔法陣を描くインク――と、ここで気付く。
頬や額から流れた血が、倉庫の床に散っていた。まだ乾いておらず、濡れている。
これで、魔法陣を描くことが可能だ。
幸いと言うべきか、手は前方で括り付けられている。これが背中に回された状態だったら、できなかったかもしれない。
手を伸ばし、指先で血を掬う。自由が利かない手を駆使し、血で魔法陣を描いた。
足でガラスの欠片を魔法陣に集め、呪文を唱える。
魔法陣は強い白光を放ち、形なき物質(もの)が、ひとつの塊と化す。
光が収まったあと、魔法陣の上には小型のナイフのような物が完成していた。
すぐさま手を伸ばし、手首と縄の間に刃を差し込む。
指先だけでナイフを動かし、少しずつ縄を切りつけていった。
思っていたよりも、ガラスのナイフは切れ味が悪い。私の頬や額を切ったガラスのほうが、よく切れるように思えてならない。急遽作った物だったので、仕方がないだろうが。
だんだんと具合が悪くなってくる。たぶん、頭の打ち所が悪かったからだろう。腹部も蹴られているので、それも原因のひとつかもしれない。
どうにかして拘束を解き、一刻も早くここから逃げ出したいのに。
体が思うように動かなかった。
「はあ、はあ、はあ……!」
呼吸も上手くできなくなっていた。なんだか酷く息苦しい。
瞼も重たくなってくる。ここで眠ってしまったら、逃走なんて絶対にできない。
一回、縄でなく、手を切りつけた。
縄だとあまり切れないのに、手だとさっくり切れる。おかげで、目が覚めた。
じくじくと痛むが、今は気にしている場合ではない。
あと少し。そう言い聞かせ、縄を切る作業を再開させる。
やっとのことで、手の縄が切れた。あとは足を解いて――と考えていたところに、乱暴に出入り口の扉が開かれた。
どうやら男達が戻ってきたようだ。
「お前、ふざけるなよ!!」
男達がぞろぞろとやってくる。中には杖を持つ、外套の頭巾を深く被った魔法使いらしき者もいた。
私を同行させなかった理由は、仲間に魔法使いがいたからだったのだ。
「霧ヶ丘に魔法で隠された家があるなんて、嘘じゃないか!!」
ずんずんと男が接近し、私の拘束が解けているのに気付く。
「お前、いつの間に!? 見張りはどうした?」
「さあ? 知らない」
振り上げた拳は、私目がけて突き出される。ぎゅっと目を閉じた瞬間、倉庫内に声が響いた。
「待て!!」
男は拳を止め、振り返る。
倉庫の出入り口に立っていたのは、フェンリルを従えたアドルフだった。
私は思わず、叫んでしまった。
「アドルフ!!」
「リオル、待ってろ!!」
男は慌てた様子で、手下達にアドルフを襲うように命令する。
けれども、エルガーがひとりひとり突進し、倒していく。
アドルフにナイフを突きつける者もいたが、逆にナイフを奪われ、形勢逆転となっていた。
私は足を拘束していた縄をガラスのナイフで切る。自由になった足で、チキンを鳥かごの中から救出した。
「おい、お前ら、何をしている!! 例の手段に出るんだ!!」
例の手段とはいったい!?
アドルフが私のもとへとやってきて、腕を伸ばす。
差し出された手を握り返した瞬間、魔法使いがいた方角が強く発光した。
巨大な魔法陣が浮かび上がり、倉庫全体が揺れる。
「あの魔法陣は――!?」
授業で習ったので、よく覚えている。
あの魔法は、召喚術だ。
魔法陣から這い出た存在(もの)は、巨大な泥人形(ゴーレム)だった。
泥人形は一体だけではなかった。二体、三体と召喚される。
大きさは十フィート以上あるだろうか。見上げるほどに大きく、威圧感がある。
召喚術の影響で建物がガタガタと揺れる。天井から砂埃がパラパラと小雨のように落ちてきた。
私を誘拐した男や手下達は逃げていく。魔法使いすらも、泥人形の召喚を終えると、回れ右をして出入り口へ全力疾走だった。
私達も脱出しようと試みるも、泥人形の一体が出入り口に入り込み、硬化してしまった。逃げられないように、あのようなことを命じていたのだろう。
「そんな、酷い……!」
泥人形が雄叫びをあげると、窓のガラスが割れて散ってくる。アドルフは上着を脱いで、私に被せてくれた。
エルガーが泥人形と戦ってくれる。だが、いくら攻撃を与えても相手は泥からできた生き物。崩れてもすぐに再生し、起き上がってくるようだ。
氷属性であるエルガーは、氷のブレスを吐いて凍結状態にさせる。けれども、力で氷の拘束を解いてしまった。
最悪なことに、泥人形の体が分断されると元に戻らず、新たな個体を生みだす。
残り二体となっていた泥人形は、いつの間にか五体にまで増えていた。
戦闘能力は低いものの、生命力は強いので厄介な相手だ。
しかし、どうしてアドルフがここに現れたのだろうか?
燕尾服姿でいる彼は、晩餐会から抜け出してきたみたいに見える。
そんなアドルフが私を振り返り、声をかけてきた。
「リオル、大丈夫そうには、見えないな」
「意外とまだ元気だよ」
「その見た目では信用できない」
アドルフが傷を回復させる魔法薬を手渡してくれた。それを飲むと、体の痛みが引いていく。
「どうしてここに?」
「リオニーに渡した指輪の、魔力反応が変わったからおかしいと思って、ヴァイグブルグ伯爵家を訪問したんだ」
私が誘拐されたのは昨晩。晩餐会中に違和感を覚えたアドルフは、途中退場したらしい。
「ヴァイグブルグ伯爵家に行ったら、ふたりともいないと聞いていたから、驚いて――」
リオルは家にいただろうが、アドルフがいてもでないようにと言っておいたのだ。
その結果、姉と弟、両方ともいないという事態に発展していたのだろう。
婚約指輪の現在地を探ったら、グリンゼル地方と出たらしい。
アドルフは私達姉弟を救助するため、王族からワイバーンを借りて駆けつけてきたようだ。
「ここの建物に指輪と魔力の反応があったから、リオニーが絶対にいると思っていたんだが」
どくん、と胸が大きく鼓動する。
アドルフは婚約指輪を通して私の魔力を察知し、誰かの手に渡ったら反応するような魔法を仕掛けていたようだ。魔法学校の懐中時計に施された、転売防止の魔法と似たようなものだろう。
なんでも盗難や紛失するのを想定し、魔法をかけていたらしい。
「リオニーはここにいないのか?」
アドルフは木箱を開けたり、布で覆われた資材を調べたりと、リオニーを探し始める。
いやここにいる、なんて言葉は喉からでてこなかった。
「ひとまず、ここから脱出することだけを考えよう」
泥人形が木箱を潰し始める。中に入っているのは、液体だ。
「あの臭いは――」
「油だ」
泥人形はその辺に散らばっていた金属のシャベルを手に取り、地面に先端を滑らせる。すると、火花が散った。
油に引火し、あっという間に辺りは火の海となる。
瞬く間に煙が充満する。これを吸ったら大変なことになる。
アドルフと共に、姿勢を低くした。
エルガーが氷のブレスを吐いて消火に努めるも、火の勢いのほうが強い。
私達の魔法を使ったとしても、焼け石に水状態だろう。
「げほっ、げほっ……リオル、エルガーに乗って、先にここから脱出するんだ」
「ど、どうして?」
「窓が高いところにあるから……あそこまで登るのにふたり乗せるのは難しいだろうから。俺はここで……もう少しリオニーを探しておく」
「姉上は、ここにいない」
「どうしてわかるんだ? リオニーの魔力反応も……ここだったんだ。どこかに隠されているはずだ!」
そう言うや否や、アドルフは必死の形相で見つかるはずもない婚約者を探し始める。
私はアドルフの腕を掴んで叫んだ。
「リオニーは僕だ!! ここにいる!!」
「お前……今、なんて」
アドルフが驚きの表情で振り返った瞬間、エルガーの叫びが聞こえた。
『ギャン!!』
熱で溶けた泥人形が、杭のように突き出した状態で硬化したらしい。その先端が、エルガーの足を引っ掻いたようだ。
エルガーは左前足を庇うように、ひょこひょこと動いている。
「エルガー! 大丈夫か!?」
『くううう……』
重傷ではないようだが、とても痛そうだ。
アドルフは悔しそうに呟く。
「このケガでは、脱出はできない」
このままではふたりとも死んでしまう。
誰か、誰か助けて――そう願いを込めた瞬間、手のひらに握っていたチキンが目を覚ます。
『ふわあああ、よく眠っていたちゅりねえ』
周囲は火の海、絶体絶命の状況だというのに、なんとも気の抜けた言葉であった。
「チキン、あなた、大丈夫なの?」
『平気ちゅりよお。っていうか、ここ、熱いちゅりねえ』
「ここから、出たいんだけれど、入り口を塞がれてしまって……」
『だったら、ちゅりが脱出させてあげるちゅりよ』
大口を叩いたのだと思ったが、次の瞬間、チキンの体が強く発光する。
「え、嘘……!」
「これは」
チキンを包み込んだ光はだんだんと大きくなり、最終的に十二フィートほどの大きさになる。
尾びれが美しいこの巨大な鳥は――。
「ケツァルコアトル!? チキン、あなた、ケツァルコアトルだったの?」
『そうちゅりよ~~』
ケツァルコアトルというのは、風の大精霊である。
ただの雀だと思っていたのに、精霊だったなんて。
チキンは首を下げ、跨がるようにと指示する。私はアドルフと視線を合わせ、頷いた。エルガーもチキンの背中にしがみつく。
どろどろに溶けた泥人形が襲いかかったが、チキンが翼を動かして起こした風に吹き飛ばされていた。
チキンは助走もなしに飛び上がり、何やら呪文を唱える。天井付近で魔法陣が浮かび上がり、竜巻が巻き上がった。
その衝撃で屋根が吹き飛んだので、そこから脱出する。
空を飛んでいると、私達を誘拐した男達が乗っているらしい馬車が見えた。
私にはわからないが、チキンは男達の魔力を記憶しているらしい。
『ご主人達とちゅりに酷いことをする奴らは、お仕置きちゅりよ!!』
そう叫ぶやいなや、巨大な竜巻が発生する。
竜巻は馬車の車体だけを呑み込み、中に乗っていた男達をぐるぐる振り回していく。
「うわあああああ!」
「なんじゃこりゃあああ!」
「た、助けてーーー!!」
男達の絶叫が、当たりに響き渡る。
「チキン、あの、殺さないでね?」
『ご主人は優しい人ちゅりね』
ほどほどのタイミングで、男達は竜巻から解放される。
外には騎士隊が駆けつけており、男達は彼らがいた周囲に落とされたようだ。私達も着地する。
チキンの体から下りると、膝から頽(くずおれ)れてしまった。
「リオル!! いや、リオニーか?」
私を支えるアドルフの表情は、複雑そのものであった。
周囲を見渡すが、それらしき物はない。木箱の角に縄を擦り付けたら、いつか切れるかもしれないが、時間がかかりすぎてしまう。
必死になって起き上がってみると、木箱の上に花瓶が置かれているのを発見する。あれをなんとか割って、ナイフ代わりに使えないだろうか。
再度寝転がり、倉庫の床を転がったり、這ったりして、花瓶に近付く。木箱に体当たりすると、花瓶がぐらりと傾いた。
向こう側に落ちるように強く当たったのに、花瓶はこちら側に倒れてくる。
「――っ!!」
花瓶は私の顔を目がけて真っ逆さま。なんとか当たる寸前で回避したものの、すぐ近くで花瓶が割れてしまう。
飛び散った花瓶の破片が、頬や額を切りつける。
ここまで体を張ったのに、大きいガラスの破片は遠くへ飛び散ってしまった。
近くにあるのは、粉々になったガラスの欠片だけである。
ただ、頬や額を切り、血を流すだけで終わった。
物音を聞いて、男達が戻ってこないといいが……。
しばし、息を顰(ひそ)める。どくん、どくんと胸が激しく高鳴っていった。
人がやってくる気配はないので、ホッと胸をなで下ろす。
他に、何かないのか。
ただ、あったとしても、花瓶のガラスの破片が散った中で、動き回るのは危険だろう。
花瓶を使った作戦は大失敗だった。
魔法陣さえ描くことができたら、錬金術を使い、ガラスでナイフを作ることができるのに。
ガラスのナイフ程度であれば、魔法陣だけで作ることができる。
必要なのは素材であるガラスと、魔法陣を描くインク――と、ここで気付く。
頬や額から流れた血が、倉庫の床に散っていた。まだ乾いておらず、濡れている。
これで、魔法陣を描くことが可能だ。
幸いと言うべきか、手は前方で括り付けられている。これが背中に回された状態だったら、できなかったかもしれない。
手を伸ばし、指先で血を掬う。自由が利かない手を駆使し、血で魔法陣を描いた。
足でガラスの欠片を魔法陣に集め、呪文を唱える。
魔法陣は強い白光を放ち、形なき物質(もの)が、ひとつの塊と化す。
光が収まったあと、魔法陣の上には小型のナイフのような物が完成していた。
すぐさま手を伸ばし、手首と縄の間に刃を差し込む。
指先だけでナイフを動かし、少しずつ縄を切りつけていった。
思っていたよりも、ガラスのナイフは切れ味が悪い。私の頬や額を切ったガラスのほうが、よく切れるように思えてならない。急遽作った物だったので、仕方がないだろうが。
だんだんと具合が悪くなってくる。たぶん、頭の打ち所が悪かったからだろう。腹部も蹴られているので、それも原因のひとつかもしれない。
どうにかして拘束を解き、一刻も早くここから逃げ出したいのに。
体が思うように動かなかった。
「はあ、はあ、はあ……!」
呼吸も上手くできなくなっていた。なんだか酷く息苦しい。
瞼も重たくなってくる。ここで眠ってしまったら、逃走なんて絶対にできない。
一回、縄でなく、手を切りつけた。
縄だとあまり切れないのに、手だとさっくり切れる。おかげで、目が覚めた。
じくじくと痛むが、今は気にしている場合ではない。
あと少し。そう言い聞かせ、縄を切る作業を再開させる。
やっとのことで、手の縄が切れた。あとは足を解いて――と考えていたところに、乱暴に出入り口の扉が開かれた。
どうやら男達が戻ってきたようだ。
「お前、ふざけるなよ!!」
男達がぞろぞろとやってくる。中には杖を持つ、外套の頭巾を深く被った魔法使いらしき者もいた。
私を同行させなかった理由は、仲間に魔法使いがいたからだったのだ。
「霧ヶ丘に魔法で隠された家があるなんて、嘘じゃないか!!」
ずんずんと男が接近し、私の拘束が解けているのに気付く。
「お前、いつの間に!? 見張りはどうした?」
「さあ? 知らない」
振り上げた拳は、私目がけて突き出される。ぎゅっと目を閉じた瞬間、倉庫内に声が響いた。
「待て!!」
男は拳を止め、振り返る。
倉庫の出入り口に立っていたのは、フェンリルを従えたアドルフだった。
私は思わず、叫んでしまった。
「アドルフ!!」
「リオル、待ってろ!!」
男は慌てた様子で、手下達にアドルフを襲うように命令する。
けれども、エルガーがひとりひとり突進し、倒していく。
アドルフにナイフを突きつける者もいたが、逆にナイフを奪われ、形勢逆転となっていた。
私は足を拘束していた縄をガラスのナイフで切る。自由になった足で、チキンを鳥かごの中から救出した。
「おい、お前ら、何をしている!! 例の手段に出るんだ!!」
例の手段とはいったい!?
アドルフが私のもとへとやってきて、腕を伸ばす。
差し出された手を握り返した瞬間、魔法使いがいた方角が強く発光した。
巨大な魔法陣が浮かび上がり、倉庫全体が揺れる。
「あの魔法陣は――!?」
授業で習ったので、よく覚えている。
あの魔法は、召喚術だ。
魔法陣から這い出た存在(もの)は、巨大な泥人形(ゴーレム)だった。
泥人形は一体だけではなかった。二体、三体と召喚される。
大きさは十フィート以上あるだろうか。見上げるほどに大きく、威圧感がある。
召喚術の影響で建物がガタガタと揺れる。天井から砂埃がパラパラと小雨のように落ちてきた。
私を誘拐した男や手下達は逃げていく。魔法使いすらも、泥人形の召喚を終えると、回れ右をして出入り口へ全力疾走だった。
私達も脱出しようと試みるも、泥人形の一体が出入り口に入り込み、硬化してしまった。逃げられないように、あのようなことを命じていたのだろう。
「そんな、酷い……!」
泥人形が雄叫びをあげると、窓のガラスが割れて散ってくる。アドルフは上着を脱いで、私に被せてくれた。
エルガーが泥人形と戦ってくれる。だが、いくら攻撃を与えても相手は泥からできた生き物。崩れてもすぐに再生し、起き上がってくるようだ。
氷属性であるエルガーは、氷のブレスを吐いて凍結状態にさせる。けれども、力で氷の拘束を解いてしまった。
最悪なことに、泥人形の体が分断されると元に戻らず、新たな個体を生みだす。
残り二体となっていた泥人形は、いつの間にか五体にまで増えていた。
戦闘能力は低いものの、生命力は強いので厄介な相手だ。
しかし、どうしてアドルフがここに現れたのだろうか?
燕尾服姿でいる彼は、晩餐会から抜け出してきたみたいに見える。
そんなアドルフが私を振り返り、声をかけてきた。
「リオル、大丈夫そうには、見えないな」
「意外とまだ元気だよ」
「その見た目では信用できない」
アドルフが傷を回復させる魔法薬を手渡してくれた。それを飲むと、体の痛みが引いていく。
「どうしてここに?」
「リオニーに渡した指輪の、魔力反応が変わったからおかしいと思って、ヴァイグブルグ伯爵家を訪問したんだ」
私が誘拐されたのは昨晩。晩餐会中に違和感を覚えたアドルフは、途中退場したらしい。
「ヴァイグブルグ伯爵家に行ったら、ふたりともいないと聞いていたから、驚いて――」
リオルは家にいただろうが、アドルフがいてもでないようにと言っておいたのだ。
その結果、姉と弟、両方ともいないという事態に発展していたのだろう。
婚約指輪の現在地を探ったら、グリンゼル地方と出たらしい。
アドルフは私達姉弟を救助するため、王族からワイバーンを借りて駆けつけてきたようだ。
「ここの建物に指輪と魔力の反応があったから、リオニーが絶対にいると思っていたんだが」
どくん、と胸が大きく鼓動する。
アドルフは婚約指輪を通して私の魔力を察知し、誰かの手に渡ったら反応するような魔法を仕掛けていたようだ。魔法学校の懐中時計に施された、転売防止の魔法と似たようなものだろう。
なんでも盗難や紛失するのを想定し、魔法をかけていたらしい。
「リオニーはここにいないのか?」
アドルフは木箱を開けたり、布で覆われた資材を調べたりと、リオニーを探し始める。
いやここにいる、なんて言葉は喉からでてこなかった。
「ひとまず、ここから脱出することだけを考えよう」
泥人形が木箱を潰し始める。中に入っているのは、液体だ。
「あの臭いは――」
「油だ」
泥人形はその辺に散らばっていた金属のシャベルを手に取り、地面に先端を滑らせる。すると、火花が散った。
油に引火し、あっという間に辺りは火の海となる。
瞬く間に煙が充満する。これを吸ったら大変なことになる。
アドルフと共に、姿勢を低くした。
エルガーが氷のブレスを吐いて消火に努めるも、火の勢いのほうが強い。
私達の魔法を使ったとしても、焼け石に水状態だろう。
「げほっ、げほっ……リオル、エルガーに乗って、先にここから脱出するんだ」
「ど、どうして?」
「窓が高いところにあるから……あそこまで登るのにふたり乗せるのは難しいだろうから。俺はここで……もう少しリオニーを探しておく」
「姉上は、ここにいない」
「どうしてわかるんだ? リオニーの魔力反応も……ここだったんだ。どこかに隠されているはずだ!」
そう言うや否や、アドルフは必死の形相で見つかるはずもない婚約者を探し始める。
私はアドルフの腕を掴んで叫んだ。
「リオニーは僕だ!! ここにいる!!」
「お前……今、なんて」
アドルフが驚きの表情で振り返った瞬間、エルガーの叫びが聞こえた。
『ギャン!!』
熱で溶けた泥人形が、杭のように突き出した状態で硬化したらしい。その先端が、エルガーの足を引っ掻いたようだ。
エルガーは左前足を庇うように、ひょこひょこと動いている。
「エルガー! 大丈夫か!?」
『くううう……』
重傷ではないようだが、とても痛そうだ。
アドルフは悔しそうに呟く。
「このケガでは、脱出はできない」
このままではふたりとも死んでしまう。
誰か、誰か助けて――そう願いを込めた瞬間、手のひらに握っていたチキンが目を覚ます。
『ふわあああ、よく眠っていたちゅりねえ』
周囲は火の海、絶体絶命の状況だというのに、なんとも気の抜けた言葉であった。
「チキン、あなた、大丈夫なの?」
『平気ちゅりよお。っていうか、ここ、熱いちゅりねえ』
「ここから、出たいんだけれど、入り口を塞がれてしまって……」
『だったら、ちゅりが脱出させてあげるちゅりよ』
大口を叩いたのだと思ったが、次の瞬間、チキンの体が強く発光する。
「え、嘘……!」
「これは」
チキンを包み込んだ光はだんだんと大きくなり、最終的に十二フィートほどの大きさになる。
尾びれが美しいこの巨大な鳥は――。
「ケツァルコアトル!? チキン、あなた、ケツァルコアトルだったの?」
『そうちゅりよ~~』
ケツァルコアトルというのは、風の大精霊である。
ただの雀だと思っていたのに、精霊だったなんて。
チキンは首を下げ、跨がるようにと指示する。私はアドルフと視線を合わせ、頷いた。エルガーもチキンの背中にしがみつく。
どろどろに溶けた泥人形が襲いかかったが、チキンが翼を動かして起こした風に吹き飛ばされていた。
チキンは助走もなしに飛び上がり、何やら呪文を唱える。天井付近で魔法陣が浮かび上がり、竜巻が巻き上がった。
その衝撃で屋根が吹き飛んだので、そこから脱出する。
空を飛んでいると、私達を誘拐した男達が乗っているらしい馬車が見えた。
私にはわからないが、チキンは男達の魔力を記憶しているらしい。
『ご主人達とちゅりに酷いことをする奴らは、お仕置きちゅりよ!!』
そう叫ぶやいなや、巨大な竜巻が発生する。
竜巻は馬車の車体だけを呑み込み、中に乗っていた男達をぐるぐる振り回していく。
「うわあああああ!」
「なんじゃこりゃあああ!」
「た、助けてーーー!!」
男達の絶叫が、当たりに響き渡る。
「チキン、あの、殺さないでね?」
『ご主人は優しい人ちゅりね』
ほどほどのタイミングで、男達は竜巻から解放される。
外には騎士隊が駆けつけており、男達は彼らがいた周囲に落とされたようだ。私達も着地する。
チキンの体から下りると、膝から頽(くずおれ)れてしまった。
「リオル!! いや、リオニーか?」
私を支えるアドルフの表情は、複雑そのものであった。