今年も勉強道具を抱えて実家に戻る。
降誕祭のシーズンだというのに、我が家にはツリーすらない。
ツリーの下に蝋燭を立てるのは礼拝堂にある物のみで、一般的な家庭では贈り物を並べるらしい。それは降誕祭の当日に開封するのだとか。
侍女に家族の近況を聞くと、父は泊まり込みで仕事、リオルは十日間ほど地下に引きこもり、お風呂にも入らずに研究に打ち込んでいるらしい。
「リオニーお嬢様、ご様子を見に行かれますか?」
「十日間もお風呂に入っていないリオルになんて、ぜったいに会いたくありませんわ!」
侍女は苦笑いを返す。
リオルは幼少期から、お風呂が大嫌いだった。何度入れと訴えても、聞く耳は持たないのである。三日に一度入ればいいほうで、今はもう諦めている。
一年前に浄化魔法という、体中の汚れを除去する魔法を編み出し、リオルは毎日、自分にかけるようになった。そのため、見た目はかなりマシになっているものの、魔法を頼らずにお風呂にゆっくり入ってほしいというのが本音であった。
魔法学校にも、リオル同様にお風呂嫌いの生徒はいた。しかも、ひとりやふたりではないのだ。
さすがに集団生活をするなかで、三日、四日とお風呂に入らない生活は許されない。そういう生徒は寮母に捕まり、強制的に入浴させられるのである。さらに、厳しい罰則(ペナルティー)が言い渡されるのだ。
お風呂に入らないというのは、魔法学校では大罪なのである。
うちの寮では、アドルフが特に厳しかった。少し汗臭いだけで、身なりをきちんと整えるように、と注意を受けるのだ。香水で誤魔化してもバレるようで、皆、毎日お風呂に入らざるをえなかった、というわけである。
アドルフは几帳面過ぎるところがあるものの、入浴に関する考えだけは同意でしかなかった。
「リオニーお嬢様、婚約者であるロンリンギア公爵家のアドルフ様から、お手紙が届いております」
「ええ、そう」
先に実家に戻っていたアドルフは、その日の晩に私へ手紙を書いてくれたようだ。降誕祭パーティーに参加するという手紙を送っていたので、それの返信だろう。
部屋で開封し、手紙を読む。内容はもっとも忙しいシーズンが終わったという報告と、降誕祭パーティーを楽しみにしている、というものだった。
手紙と一緒に降誕祭パーティーの招待状が入っていた。二つ折りになっていたカードを開くと、魔法陣が浮かび上がる。その後、小さな流れ星が現れ、星の絵がキラキラと瞬いた。
一瞬であったが、これは叔母が作った輝跡の魔法だろう。こういうふうに招待状に使うなんて、斬新すぎるアイデアだ。これはロンリンギア公爵家が送る招待状の仕様なのだろうか。すばらしいとしか言いようがない。
なんだか降誕祭パーティーが楽しみになってしまった。
◇◇◇
ロンリンギア公爵家で行われる、降誕祭パーティー当日を迎えた。
相変わらず、家族は私に興味がないようで、帰宅してから一度も会っていない。これが通常のヴァイグブルグ伯爵家の様子である。慣れっこだった。
アドルフが用意してくれたドレスはすばらしいもので、最先端の流行を取り入れた一着だと侍女が絶賛していた。
真珠を使った宝飾品の数々もすばらしい品で、私の肌の色と相性がいいように思える。
「リオニーお嬢様、大変お美しいです」
「そう? ありがとう」
このところずっとズボンを穿いていたので、ドレスは落ち着かない気分にさせてくれる。これが本来の私なのだ、と何度も自らに言い聞かせた。
チキンは当然留守番である。いつも置いていくと言うと不満を訴えるので、今日は違う手段にでてみた。
「チキン、今日はわたくしの部屋の警備隊長に任命します」
『任せるちゅり!』
少し出かけると言うと、チキンは翼で敬礼しつつ見送ってくれた。
なんと言うか、素直な使い魔である。
時間になると、ロンリンギア公爵家から馬車の迎えがやってきた。実家の馬車とは異なる、六頭の馬が引く贅沢な車体に気後れしてしまう。
魔法学校を卒業後、私はアドルフと結婚するのだ。馬車程度で心を怯ませている場合ではない。
片手に手作りのセーターが入った包みを抱き、もう片方の手はドレスの裾を摘まんで、馬車へ乗りこんだ。
馬車は石畳をスムーズに走っていく。実家の馬車のように車体がきしんだり、ガタゴトとうるさく音を鳴らしたりすることはない。内装もベルベット仕立てで品がよく、座席に座ってもお尻が痛くならなかった。本当に素晴らしい馬車である。
この馬車ならば、乗り物酔いなんてしないだろう。
十五分ほどで、ロンリンギア公爵家に辿り着いた。街屋敷であるというのに、立派な佇まいである。
改めて、アドルフはやんごとない一族の嫡男なのだな、と思ってしまった。
こちらが名乗らずとも丁重なもてなしを受け、侍女のひとりが貴賓室(ステイト・ルーム)に案内してくれた。
手にしていた贈り物は、アドルフの部屋へ届けてくれるらしい。先に預けておく。
一歩、一歩と廊下を進むにつれて、この場にふさわしくないのでは、とヒシヒシ感じる。慣れたらそうでもないのだろうか?
否、実家とは規模がまるで違う屋敷に、慣れるわけがない。
貴賓室にはすでに、複数のご令嬢やご婦人が待機していた。
全員、アドルフの親戚だろう。顔見知りのご令嬢がいるわけがない。
注目を浴び、針のむしろに座るような居心地の悪さを覚えてしまった。
こういう場では堂々としていなければ、周囲の者達から軽んじられる。それが、アドルフの立場を危うくすることにも繋がるのだ。
おじけづいてはいけない。そう言い聞かせ、キッと前を見る。
こういう注目を浴びる場は、これまで何度か経験した。一年に一度ある、学習の成果を発表する会に比べたら、なんてことはない。あちらは、全校生徒と教師陣から見られるのだ。
女性陣は十人いるくらいだろう。ぜんぜん怖くない。
ドレスの裾を摘まんで会釈し、挨拶をした。
「みなさま、ごきげんよう。わたくしはアドルフ・フォン・ロンリンギアの婚約者である、リオニー・フォン・ヴァイグブルグですわ」
にっこりと微笑みかけると、こちらを睨むように見つめていたご令嬢が、少したじろいでいるのがわかった。
なんとか先制攻撃をできたのか? しかしながら、この場に私の居場所はないように思える。それでも、なんとか馴染んでいくしかない。
これが、私が選んだ道なのだから。
色とりどりのドレスをまとった女性陣が私の一挙手一投足を、固唾を呑んで見ていた。
敵対心を含んだ視線が、これでもかと全身に突き刺さっている。
次期当主であるアドルフの妻となる者が、どんな女性か探っているのだろう。
女性陣からの態度は、最悪の事態を想定していた。喧嘩をふっかけられ、頬を叩かれるかもしれない――なんて展開までも想像していた。
今のところ、直接攻撃にやってくる様子は感じられない。
ロンリンギア公爵家の女性陣は、攻撃的というよりも保守的なのだろう。
ただ、弱みなんて絶対に見せてはいけない。強くいる必要がある。
私から目をそらしているご令嬢を発見し、隣まで移動する。なるべく優しい声で話しかけた。
「あの、ここに座ってもよろしいかしら?」
ご令嬢は私のほうを見上げ、世にも恐ろしいものを見た、という視線を向けている。
自分が話しかけられるとは、思ってもいなかったのだろう。
微かに震えている様子を見せているので、若干可哀想になってしまった。
斜め前に腰かける、年配の女性が物申す。
「ヴァイグブルグ嬢、申し訳ありません。そこに座る者は、すでに決まっておりまして」
「まあ、そうでしたの」
年配の女性は「格下の家の娘が、調子に乗るな」と言わんばかりの視線を向けていた。
アドルフの取り巻き達の妬みがこもった視線に比べたら、可愛いものだと思うようにする。
「どこか、空いている席はありませんの?」
シーンと静まり返る。なんとも気まずい雰囲気が流れていた。
ここで貴賓室を去り、アドルフに泣きついたら、私は永遠に彼女達から軽んじられるのだろう。
結果はありありとわかっていた。負けるわけにはいかない、と気合いを入れる。
私はひとりひとり女性陣を確認し、もっとも敵対するような目で見つめていたご令嬢のところへやってきた。
赤毛に青い瞳の、十七歳か十八歳くらいのご令嬢である。ルビーレッドの美しいドレスを纏っていて、年若い女性陣のリーダー格、といった空気を放っていた。
「こちら、空いているようですので、失礼いたします」
勝手に座るとは思っていなかったのか、ギョッとした表情で私を見つめていた。
「あなた、お名前を聞かせていただける?」
会話の主導権なんて渡さない。すぐさま話しかけた。
私はアドルフの婚約者である。立場上、私を恐れていなければ、彼女は無視なんかできないはずだ。
「私は、カーリン・フォン・グライナー」
グライナー侯爵家のご令嬢のようだ。たしか、現公爵であるアドルフの父親の妹が、嫁いだという記録が貴族名鑑に書いてあった。カーリンはアドルフの従妹なのだろう。
「カーリン様のドレス、とってもすてきですわ」
「ええ、ありがとう」
キラリ、と瞳が意地悪な感じに輝いたのを見逃さない。きっとこれから何か物申すのだろう、と覚悟を決める。
「リオニー様のドレスは、埃色みたいで、いろいろ斬新ですわね」
くすくす、と周囲から控えめな笑い声が聞こえた。年若いご令嬢だけでなく、壮年の女性陣も嘲り笑っている。
困った人達だ、と思いながら言葉を返した。
「まあ、こちらは埃色、と表すのですね。実は、このドレスはアドルフ様から頂いた物なのですが、カーリン様が埃色と申していたと、お伝えしておきます」
「なっ!?」
カーリンの顔色が、みるみるうちに青ざめていく。彼女だけでない。周囲の女性陣も、咳払いをしたり、顔を逸らしたりと、様子がおかしくなっていった。
ここでアドルフの名前は出したくなかったのだが、彼が贈った品をけなしたのだから仕方がない。
ついでに、言い伝えておく。
「わたくしは世間知らずで、取るに足らない部分があるかもしれません。しかしながら、わたくしは未来の公爵夫人となる者。その名誉を傷付けようとすることすなわち、夫である者を軽んじるということになります。そのことを、ゆめゆめ忘れないでいただくよう、お願いいたします」
カーリンは涙目になりながら、何度もこくこくと頷いた。
彼女のように、真正面から嫌味を言う人間は、まだマシなのだ。
中には、自分の手を汚さずに、害する者だっている。常に警戒するに越したことはない。
しかしながら、お嬢様育ちの彼女らにできる嫌がらせなんてたかが知れている。
何かやらかしたとしたら、悪事を企む黒幕が絡んでいるときだろう。
ふう、と溜め息をついた瞬間、貴賓室の扉が勢いよく開かれる。やってきたのはアドルフだった。
「リオニー嬢!!」
私を発見するや否や、アドルフは急いで駆けてきた。私の前に片膝を突くと、小さな声で「よかった」と呟く。
「リオニー嬢がやってきたら、俺の部屋に呼ぶように従僕に頼んでいたのに、すでに侍女が案内したあとだって言うものだから」
「まあ、そうでしたのね」
従僕の不手際のおかげで、鮮烈なロンリンギア公爵家の親戚デビューを飾ることができた。これだけ力を示しておいたら、彼女らもこれ以上の悪さはしないだろう。
「酷いことを言われていないか?」
その一言に、場の空気が一気に凍り付く。
ここで私が告げ口したら、彼女達は一巻の終わりだろう。
しかしながら、ここで女性陣の過失を暴露するのは惜しい。
「いいえ、みなさん、とても親切でしたわ。特にこのカーリン様は、アドルフ様が贈ってくださったドレスを、褒めてくださいました」
「ああ、そうだったか。ドレス、似合っていてよかった」
「ありがとうございます」
アドルフは貴賓室の冷え切った空気には気付いていない。ホッと胸をなで下ろす。
「俺の部屋でゆっくり過ごそう。ここ最近、紅茶を淹れる方法を学んだんだ。ぜひとも飲んでほしい」
あの、私がさんざん実験台として飲まされた紅茶である。どうやらおいしく淹れることに成功したらしい。
アドルフが格下の家の小娘に紅茶を淹れるという話を聞いて、女性陣は信じがたい、という視線を向けていた。
アドルフは周囲の目なんて、気にしていないようだった。
「さあ、行こうか」
「はい」
アドルフにエスコートされ、貴賓室を去る。これは勝ち逃げ、ということでいいのだろうか。
絶妙なタイミングでやってきたアドルフに、心の中で感謝した。
降誕祭のシーズンだというのに、我が家にはツリーすらない。
ツリーの下に蝋燭を立てるのは礼拝堂にある物のみで、一般的な家庭では贈り物を並べるらしい。それは降誕祭の当日に開封するのだとか。
侍女に家族の近況を聞くと、父は泊まり込みで仕事、リオルは十日間ほど地下に引きこもり、お風呂にも入らずに研究に打ち込んでいるらしい。
「リオニーお嬢様、ご様子を見に行かれますか?」
「十日間もお風呂に入っていないリオルになんて、ぜったいに会いたくありませんわ!」
侍女は苦笑いを返す。
リオルは幼少期から、お風呂が大嫌いだった。何度入れと訴えても、聞く耳は持たないのである。三日に一度入ればいいほうで、今はもう諦めている。
一年前に浄化魔法という、体中の汚れを除去する魔法を編み出し、リオルは毎日、自分にかけるようになった。そのため、見た目はかなりマシになっているものの、魔法を頼らずにお風呂にゆっくり入ってほしいというのが本音であった。
魔法学校にも、リオル同様にお風呂嫌いの生徒はいた。しかも、ひとりやふたりではないのだ。
さすがに集団生活をするなかで、三日、四日とお風呂に入らない生活は許されない。そういう生徒は寮母に捕まり、強制的に入浴させられるのである。さらに、厳しい罰則(ペナルティー)が言い渡されるのだ。
お風呂に入らないというのは、魔法学校では大罪なのである。
うちの寮では、アドルフが特に厳しかった。少し汗臭いだけで、身なりをきちんと整えるように、と注意を受けるのだ。香水で誤魔化してもバレるようで、皆、毎日お風呂に入らざるをえなかった、というわけである。
アドルフは几帳面過ぎるところがあるものの、入浴に関する考えだけは同意でしかなかった。
「リオニーお嬢様、婚約者であるロンリンギア公爵家のアドルフ様から、お手紙が届いております」
「ええ、そう」
先に実家に戻っていたアドルフは、その日の晩に私へ手紙を書いてくれたようだ。降誕祭パーティーに参加するという手紙を送っていたので、それの返信だろう。
部屋で開封し、手紙を読む。内容はもっとも忙しいシーズンが終わったという報告と、降誕祭パーティーを楽しみにしている、というものだった。
手紙と一緒に降誕祭パーティーの招待状が入っていた。二つ折りになっていたカードを開くと、魔法陣が浮かび上がる。その後、小さな流れ星が現れ、星の絵がキラキラと瞬いた。
一瞬であったが、これは叔母が作った輝跡の魔法だろう。こういうふうに招待状に使うなんて、斬新すぎるアイデアだ。これはロンリンギア公爵家が送る招待状の仕様なのだろうか。すばらしいとしか言いようがない。
なんだか降誕祭パーティーが楽しみになってしまった。
◇◇◇
ロンリンギア公爵家で行われる、降誕祭パーティー当日を迎えた。
相変わらず、家族は私に興味がないようで、帰宅してから一度も会っていない。これが通常のヴァイグブルグ伯爵家の様子である。慣れっこだった。
アドルフが用意してくれたドレスはすばらしいもので、最先端の流行を取り入れた一着だと侍女が絶賛していた。
真珠を使った宝飾品の数々もすばらしい品で、私の肌の色と相性がいいように思える。
「リオニーお嬢様、大変お美しいです」
「そう? ありがとう」
このところずっとズボンを穿いていたので、ドレスは落ち着かない気分にさせてくれる。これが本来の私なのだ、と何度も自らに言い聞かせた。
チキンは当然留守番である。いつも置いていくと言うと不満を訴えるので、今日は違う手段にでてみた。
「チキン、今日はわたくしの部屋の警備隊長に任命します」
『任せるちゅり!』
少し出かけると言うと、チキンは翼で敬礼しつつ見送ってくれた。
なんと言うか、素直な使い魔である。
時間になると、ロンリンギア公爵家から馬車の迎えがやってきた。実家の馬車とは異なる、六頭の馬が引く贅沢な車体に気後れしてしまう。
魔法学校を卒業後、私はアドルフと結婚するのだ。馬車程度で心を怯ませている場合ではない。
片手に手作りのセーターが入った包みを抱き、もう片方の手はドレスの裾を摘まんで、馬車へ乗りこんだ。
馬車は石畳をスムーズに走っていく。実家の馬車のように車体がきしんだり、ガタゴトとうるさく音を鳴らしたりすることはない。内装もベルベット仕立てで品がよく、座席に座ってもお尻が痛くならなかった。本当に素晴らしい馬車である。
この馬車ならば、乗り物酔いなんてしないだろう。
十五分ほどで、ロンリンギア公爵家に辿り着いた。街屋敷であるというのに、立派な佇まいである。
改めて、アドルフはやんごとない一族の嫡男なのだな、と思ってしまった。
こちらが名乗らずとも丁重なもてなしを受け、侍女のひとりが貴賓室(ステイト・ルーム)に案内してくれた。
手にしていた贈り物は、アドルフの部屋へ届けてくれるらしい。先に預けておく。
一歩、一歩と廊下を進むにつれて、この場にふさわしくないのでは、とヒシヒシ感じる。慣れたらそうでもないのだろうか?
否、実家とは規模がまるで違う屋敷に、慣れるわけがない。
貴賓室にはすでに、複数のご令嬢やご婦人が待機していた。
全員、アドルフの親戚だろう。顔見知りのご令嬢がいるわけがない。
注目を浴び、針のむしろに座るような居心地の悪さを覚えてしまった。
こういう場では堂々としていなければ、周囲の者達から軽んじられる。それが、アドルフの立場を危うくすることにも繋がるのだ。
おじけづいてはいけない。そう言い聞かせ、キッと前を見る。
こういう注目を浴びる場は、これまで何度か経験した。一年に一度ある、学習の成果を発表する会に比べたら、なんてことはない。あちらは、全校生徒と教師陣から見られるのだ。
女性陣は十人いるくらいだろう。ぜんぜん怖くない。
ドレスの裾を摘まんで会釈し、挨拶をした。
「みなさま、ごきげんよう。わたくしはアドルフ・フォン・ロンリンギアの婚約者である、リオニー・フォン・ヴァイグブルグですわ」
にっこりと微笑みかけると、こちらを睨むように見つめていたご令嬢が、少したじろいでいるのがわかった。
なんとか先制攻撃をできたのか? しかしながら、この場に私の居場所はないように思える。それでも、なんとか馴染んでいくしかない。
これが、私が選んだ道なのだから。
色とりどりのドレスをまとった女性陣が私の一挙手一投足を、固唾を呑んで見ていた。
敵対心を含んだ視線が、これでもかと全身に突き刺さっている。
次期当主であるアドルフの妻となる者が、どんな女性か探っているのだろう。
女性陣からの態度は、最悪の事態を想定していた。喧嘩をふっかけられ、頬を叩かれるかもしれない――なんて展開までも想像していた。
今のところ、直接攻撃にやってくる様子は感じられない。
ロンリンギア公爵家の女性陣は、攻撃的というよりも保守的なのだろう。
ただ、弱みなんて絶対に見せてはいけない。強くいる必要がある。
私から目をそらしているご令嬢を発見し、隣まで移動する。なるべく優しい声で話しかけた。
「あの、ここに座ってもよろしいかしら?」
ご令嬢は私のほうを見上げ、世にも恐ろしいものを見た、という視線を向けている。
自分が話しかけられるとは、思ってもいなかったのだろう。
微かに震えている様子を見せているので、若干可哀想になってしまった。
斜め前に腰かける、年配の女性が物申す。
「ヴァイグブルグ嬢、申し訳ありません。そこに座る者は、すでに決まっておりまして」
「まあ、そうでしたの」
年配の女性は「格下の家の娘が、調子に乗るな」と言わんばかりの視線を向けていた。
アドルフの取り巻き達の妬みがこもった視線に比べたら、可愛いものだと思うようにする。
「どこか、空いている席はありませんの?」
シーンと静まり返る。なんとも気まずい雰囲気が流れていた。
ここで貴賓室を去り、アドルフに泣きついたら、私は永遠に彼女達から軽んじられるのだろう。
結果はありありとわかっていた。負けるわけにはいかない、と気合いを入れる。
私はひとりひとり女性陣を確認し、もっとも敵対するような目で見つめていたご令嬢のところへやってきた。
赤毛に青い瞳の、十七歳か十八歳くらいのご令嬢である。ルビーレッドの美しいドレスを纏っていて、年若い女性陣のリーダー格、といった空気を放っていた。
「こちら、空いているようですので、失礼いたします」
勝手に座るとは思っていなかったのか、ギョッとした表情で私を見つめていた。
「あなた、お名前を聞かせていただける?」
会話の主導権なんて渡さない。すぐさま話しかけた。
私はアドルフの婚約者である。立場上、私を恐れていなければ、彼女は無視なんかできないはずだ。
「私は、カーリン・フォン・グライナー」
グライナー侯爵家のご令嬢のようだ。たしか、現公爵であるアドルフの父親の妹が、嫁いだという記録が貴族名鑑に書いてあった。カーリンはアドルフの従妹なのだろう。
「カーリン様のドレス、とってもすてきですわ」
「ええ、ありがとう」
キラリ、と瞳が意地悪な感じに輝いたのを見逃さない。きっとこれから何か物申すのだろう、と覚悟を決める。
「リオニー様のドレスは、埃色みたいで、いろいろ斬新ですわね」
くすくす、と周囲から控えめな笑い声が聞こえた。年若いご令嬢だけでなく、壮年の女性陣も嘲り笑っている。
困った人達だ、と思いながら言葉を返した。
「まあ、こちらは埃色、と表すのですね。実は、このドレスはアドルフ様から頂いた物なのですが、カーリン様が埃色と申していたと、お伝えしておきます」
「なっ!?」
カーリンの顔色が、みるみるうちに青ざめていく。彼女だけでない。周囲の女性陣も、咳払いをしたり、顔を逸らしたりと、様子がおかしくなっていった。
ここでアドルフの名前は出したくなかったのだが、彼が贈った品をけなしたのだから仕方がない。
ついでに、言い伝えておく。
「わたくしは世間知らずで、取るに足らない部分があるかもしれません。しかしながら、わたくしは未来の公爵夫人となる者。その名誉を傷付けようとすることすなわち、夫である者を軽んじるということになります。そのことを、ゆめゆめ忘れないでいただくよう、お願いいたします」
カーリンは涙目になりながら、何度もこくこくと頷いた。
彼女のように、真正面から嫌味を言う人間は、まだマシなのだ。
中には、自分の手を汚さずに、害する者だっている。常に警戒するに越したことはない。
しかしながら、お嬢様育ちの彼女らにできる嫌がらせなんてたかが知れている。
何かやらかしたとしたら、悪事を企む黒幕が絡んでいるときだろう。
ふう、と溜め息をついた瞬間、貴賓室の扉が勢いよく開かれる。やってきたのはアドルフだった。
「リオニー嬢!!」
私を発見するや否や、アドルフは急いで駆けてきた。私の前に片膝を突くと、小さな声で「よかった」と呟く。
「リオニー嬢がやってきたら、俺の部屋に呼ぶように従僕に頼んでいたのに、すでに侍女が案内したあとだって言うものだから」
「まあ、そうでしたのね」
従僕の不手際のおかげで、鮮烈なロンリンギア公爵家の親戚デビューを飾ることができた。これだけ力を示しておいたら、彼女らもこれ以上の悪さはしないだろう。
「酷いことを言われていないか?」
その一言に、場の空気が一気に凍り付く。
ここで私が告げ口したら、彼女達は一巻の終わりだろう。
しかしながら、ここで女性陣の過失を暴露するのは惜しい。
「いいえ、みなさん、とても親切でしたわ。特にこのカーリン様は、アドルフ様が贈ってくださったドレスを、褒めてくださいました」
「ああ、そうだったか。ドレス、似合っていてよかった」
「ありがとうございます」
アドルフは貴賓室の冷え切った空気には気付いていない。ホッと胸をなで下ろす。
「俺の部屋でゆっくり過ごそう。ここ最近、紅茶を淹れる方法を学んだんだ。ぜひとも飲んでほしい」
あの、私がさんざん実験台として飲まされた紅茶である。どうやらおいしく淹れることに成功したらしい。
アドルフが格下の家の小娘に紅茶を淹れるという話を聞いて、女性陣は信じがたい、という視線を向けていた。
アドルフは周囲の目なんて、気にしていないようだった。
「さあ、行こうか」
「はい」
アドルフにエスコートされ、貴賓室を去る。これは勝ち逃げ、ということでいいのだろうか。
絶妙なタイミングでやってきたアドルフに、心の中で感謝した。