魔法学校に通うワケアリ男装令嬢、ライバルから求婚される「あなたとの結婚なんてお断りです!」

 扉を開くと、アドルフが遠慮がちな表情で立っていた。

「突然すまない、今、時間はいいか? 話したいことがあるんだ」
「うん、いいよ」

 部屋に招き入れ、窓際にある椅子を勧める。
 いったい何用なのか。本を貸し借りしたり、勉強したいわけではないらしい。
 少しソワソワした様子で、部屋の中へと入ってくる。

「アドルフ、お茶飲む?」
「いや、長居するつもりはない。それに、今から頼んでも、届くのは早くて十五分後くらいだろうが」
「いや、これ、実家から持ってきたんだ」

 茶器セットを見せると、アドルフは目を見張る。

「お前、紅茶を淹れることができるのか?」
「できるよ。簡単だし」

 最近、実家から持ち込んだ魔石ポットを使い、湯を沸かして紅茶を淹れた。
 寮母に頼んだらいつでも淹れてくれるのだが、誰とも会いたくないときにこっそり淹れて飲んでいたのだ。

「アドルフ、砂糖とミルクは――」

 いらないんだっけ? と言いかけたあと、口をきゅっと噤む。彼は紅茶に何も入れないで飲んでいたのだが、それは婚約者である私だけが知る情報である。同級生であるリオルが把握している情報ではない。
 ちなみに私はストレート派だ。たまに、疲れているときは砂糖とミルクを入れることもあるが。

「砂糖は三杯、ミルクは少々入れてくれ」
「え?」

 外で会ったとき、アドルフが砂糖を入れているところなんて見た覚えはない。
 そういえば、彼はクッキーが大好物である。甘党なのは明らかであった。

「砂糖、そんなに入れるんだ。いつも?」
「そうだ。悪いか?」

 ではなぜ、いつもはストレートで飲んでいるのか。
 なんて考えつつ、紅茶を飲む。

「リオルも、紅茶はストレートなんだな」
「え? まあ、そうだね」

 なんて言葉を返してからハッとなる。別人を装うならば、好みは別にしておくべきだった。

「リオニー嬢もストレートで飲むから、一緒に会うときは俺もストレートで飲むようにしている」

 あえて砂糖とミルクを入れずに飲んでいたという。別に、相手の好みに合わせなくてもいいのに。それも、紳士的行動なのだろうか? 

「別に、好きなように飲めばいいじゃない」
「俺だけ砂糖をドバドバ入れていたら、格好悪いだろうが」

 まさかの理由に、思わず噴き出してしまう。

「笑うな!」
「いや、だって、恰好つけてストレートの紅茶を飲んでいたなんて、笑っちゃう」

 婚約者である私の前では、絶対に見せないであろうアドルフの様子に、笑いが止まらなくなってしまう。
 今、初めてアドルフの友達をするのも悪くないな、と思ってしまった。

「それにしても、リオル、お前はすごいな」
「何が?」
「紅茶をこうしてひとりで淹れられるではないか」
「ああ、これね。魔法を使うより簡単だよ」
「魔法を使うより……そうだな」

 アドルフは紅茶の淹れ方を覚えてみたい、なんて言ったので、軽く教えてあげた。
 記念すべき一杯目は、少しだけ渋かった。

「そういうときは、ミルクで薄めたらいいんだ」
「嫌だよ、風味が台無しになる」

 なんでもアドルフが生まれる前から働いているロンリンギア公爵家の老執事はたいそう渋い紅茶を淹れてくれるらしい。そのたびに、アドルフはミルクを追加して味わいを調節していたようだ。

「上手く淹れられるようになったら、リオニー嬢に飲んでもらうか。リオル、練習に付き合ってくれ」
「僕は実験台か」
「そうだ」

 堂々と言い放ってくれる。思わず、同時に噴き出し笑いをしてしまった。

「実は、お前に相談をしようとしていた」
「していた? 話さないってこと?」
「ああ、そうだ。今さっき、解決したからな」

 曰く、私が言った「魔法を使うより簡単だよ」という言葉と、紅茶の淹れ方を習っているうちに、自分の気持ちに決着が付いたらしい。

「誰かに相談すべきか、ずっと迷っていた。慎重を要する問題だから、言わないほうがいいのでは、と考えていたのだが」

 アドルフの言う〝問題〟というのは、グリンゼル地方で療養している彼女についてだろうか?
 先日、事態が変わり、今すぐに状況を打ち明けることができない、なんて言っていたのだが。
 私との些細な会話の中で、解決したのならばそれでいい。そもそも聞きたくなかったし。
 しかしながら、言葉を聞く限り、アドルフはひとりで問題を抱えていたように思える。
 婚約者であり、アドルフに恋心を寄せる立場から言えば聞きたくないが、同級生であり、ライバル、また友達である立場からしたら放っておけない。

「アドルフ、問題はひとりで抱え込まないで。話を聞くだけだったら、いつでもできるから」
「リオル……ありがとう。少し、気が軽くなった」

 話はこれで終わりかと思いきや、まだあるらしい。

「そうそう。リオル、あとでリオニー嬢から話があるだろうが、ロンリンギア公爵家の降誕祭に行うパーティーに参加しないか?」
「ああ、それね」
「もしや、すでに話は聞いていたのか?」
「まあね」

 アドルフの手紙がヴァイグブルグ伯爵家に届き、転送されてから三日は経っている。話を聞いていてもおかしくない期間だろう。アドルフの言葉に頷いておく。

「お前、前に降誕祭は家で何もしない、なんて言っていただろう? だから、ロンリンギア公爵家のパーティーに参加したらどうかと思って」

 驚くべきことに、アドルフは一学年のときに私が話した降誕祭についての会話を覚えていたようだ。

「少し堅苦しいパーティーだが、華やかで、楽しめる……と思う」
「アドルフ、ありがとう」

 私が本物のリオルであれば、喜んで参加していただろう。けれどもパーティーに行くならば、リオルではなく、リオニーとして挑んだほうがいい。

「僕は遠慮しておく。休暇期間に実家でやりたいこともあるし」
「降誕祭は、ひとりで過ごすと言うのか?」
「うちでは毎年そうだったから」

 アドルフのほうを見ると、雨の日に捨てられた子犬のような表情でいた。そんなにリオルである私に参加してほしかったのか。

「もしかしたら、リオニー嬢も参加しないのかもな」

 アドルフはさらに悲しげな表情を浮かべたため、慌てて弁解する。

「いや、姉上は参加するから。手紙に書いてあったし」
「そうか! それはよかった」

 今度は晴れ渡った空のような笑みを浮かべる。その様子を見て、ホッと胸をなで下ろした。

「公爵家のパーティーともなれば、姉上は新しくドレスを用意しないといけないな」

 果たして、既製品で公爵家のパーティーの服装規定(ドレスコード)を通り抜けるドレスなど残っているのか。嫌な感じに、胸がばくばくと脈打つ。
 現在、貴族達は領地から街屋敷(タウンハウス)にやってきて、社交を行い始めている。大勢の貴族令嬢がパーティーに参加するため、仕立屋にドレスを買いに訪れるのだ。貸衣装屋でさえ忙しい、という期間である。
 売れ残りの安っぽいドレスで参加したら、アドルフにも迷惑をかけてしまう。だから絶対に、身なりだけはしっかりしていないといけないのだ。

「リオニー嬢のドレスについては心配いらない。すでに用意している」
「え!?」
「実を言えば、婚約が決まったのと同時に、頼んでいたのだ」

 なんでも予約は五年待ちという噂の仕立屋に、降誕祭用のドレスを注文していたようだ。

「え、でも、ドレスの寸法とか、わかるの?」
「仕立屋同士情報交換を行って、リオニー嬢のドレスの寸法を入手したらしい」
「そ、そうなんだ」

 婚約が決まったときからドレスを用意していたなんて、用意周到にもほどがある。
 しかしながら、助かったというのも本音であった。

「リオル、リオニー嬢には内緒にしておけよ?」
「もちろん」

 すでに婚約者である私には筒抜けなわけだが、とにかく今は感謝の気持ちしかなかった。 

 ◇◇◇

 三学年ともなれば、専門的な授業を選べる授業が開始する。
 その中で、もっとも難しいとされる錬金術の授業を受けることに決めた。
 錬金術を習得していたら、輝跡の魔法を実現しやすくなるのだ。
 先日、アドルフから何を選ぶのかと聞かれて答えていたのだが、授業当日、彼が錬金術の授業がある教室にいたので驚く。一番前の席に、どっかりと鎮座していたのだ。

「アドルフも錬金術を選んだんだ」
「ああ、まあ、そうだな」
「錬金術に興味があったの?」
「いや、お前がこの授業を選ぶと聞いていたから」

 友達が選んだからと言って、自分も希望するようなタイプには見えないのだが。
 私が変わったように、彼もいろいろと考えが変わっている可能性もある。
 正直に言えば、アドルフと一緒に授業を受けられるので嬉しかった。
 隣に座り、他の生徒を待つ――が、誰もやってこない。

「これ、もしかして希望したの僕らだけ?」
「その可能性は大いにある」

 なんでもここ三年ほど、錬金術の授業を希望する生徒はいなかったらしい。
 難易度が高いというのもあるが、授業で少し囓った程度では使いこなせないのだという。
 私は輝跡の魔法を調べるさいに、錬金術についても少々であるが学んでいる。下地がある状態で挑んでいるのだ。
 アドルフは――どうだかわからない。
 彼が苦手な薬草学の応用も多いが、得意な実技も多い。アドルフがいて心強かった。
 教師はいったい誰なのか、なんて話していると、授業開始を知らせる鐘が鳴り響く。
 やはり、参加するのは私達だけのようだ。
 教室の扉が開き、教師がやってくる。

「いやはや、お待たせしました」

 白い髭が特徴の、お爺ちゃん先生――魔法生物学も担当するザシャ・ローターである。
 どうやら彼が錬金術の授業をするらしい。
 
「首席と次席を常に争っていたふたりが、錬金術の授業を選んでくれるなんて、とても嬉しく思います」

 やはり、錬金術を選んだのは私とアドルフだけだったようだ。
 久しぶりの錬金術の授業で嬉しいらしい。わくわくした様子で、教科書を開いていた。

「錬金術は魔法の中でも奥深いものです。金属の特性を知るのも、なかなか楽しいですよ。たとえば、液体の金属が存在したり、金属が突然病気になったり」

 錬金術と言えば、金を作れる夢のような技術だが、現代で成し遂げられる者はいない。かなり高等な技術らしい。
 錬金術で金がほいほい作ることができたら、その希少性は失われていただろう。

 第一回目の授業では作成可能な金属の作成を伝授してくれるという。

「では今日は、銅作りの授業をしますね」

 内心、拳を握る。
 錬金術の授業でしたいことは、輝跡の魔法で使える金属作りだ。まさか最初からできるなんて、想定していなかったのだが。
 錬金術で金属を作れるようになったら、安価で輝跡の魔法を実現できる。
 魔法が美しければ美しいほど、予算がかかるというのはネックだったのだ。

「銅の錬成は錬金術の中でも比較的わかりやすく、完成しやすいものです。ですので、そこまで心配することはありません」

 教師のほとんどは座学から入るが、ローター先生は実技から入って学ぶことの楽しさを教えてくれる。知識愛があるあまり暴走してしまう面があるものの、いい先生なのだ。

「まず、錬金術について軽く触れておきましょう。アドルフ・フォン・ロンリンギア君、錬金術というのは、どんなものかわかりますか?」
「触媒を用いて、卑金属から貴金属を作りだす奇跡です」
「けっこう」

 錬金術の触媒としてもっとも有名なのは、〝賢者の石〟である。それはただの石だったり、液体だったり、杖だったりと、魔法書によって姿は異なる。
 ただそれは、この世に存在しない物質だという。物語の世界にのみ、登場するのだ。

「リオル・フォン・ヴァイグブルグ君、賢者の石は存在すると思いますか?」
「あると思います。数多くの天才達が存在していた古(いにしえ)の時代に作り出されていたのではないか、と考えていました」
「なるほど。君は賢者の石は、〝人工遺物(アーティファクト)〟だと考えているのですね」
「ええ。金銀財宝を作り出す触媒なんて、欲望を抱く人類が生み出したとしか思えません」
「〝自然遺物(リメイン)〟ではない、ということですか?」
「はい、そう思っていました」

 アドルフにも意見を聞いていたが、同じだと答える。アドルフの見解も聞きたかったので、喋りすぎてしまったと内心反省した。

「では、銅の作り方について、説明しますね」

 銅の材料は骸炭(コークス)と石灰石(ライムストーン)。これらを溶鉱炉で熱し、酸素を吹き込む。最後に魔石を使った電解精錬装置で純度を上げて、銅が完成となる。
 これらの手間がかかる作業を、錬金術では魔法陣と触媒を使って作り出すようだ。

「魔法陣での火魔法と雷魔法を融合させる魔法式を考えてみてください。まずはひとりで考えてみましょうか」

 錬金術は四大元素に、異空間に存在する物質〝エーテル〟を加えた五大元素を取り入れた術式で考えないといけない。
 十五分かけて考えたが、私とアドルフの魔法式に点けられた点数は揃って五十点だった。

「次に、ふたりで協力し、魔法式を編み出してください」

 アドルフが考えた魔法式を見ていると、足りない部分がすぐにわかった。アドルフもまた、同じことを考えていたらしい。
 私達は話し合わずに、無言で魔法式を編み出していく。
 そして、ローター先生に提出したのだった。

「はい、けっこう。さすが、首席、次席コンビですね。授業内に自力でここまで至る生徒は極めて稀です」

 授業では一度考えさせたのちに、正解を教えてから実技に入るようだ。

「では、お楽しみの実技といきましょう」

 魔法陣の|ひな形(テンプレート)が用意される。すでに、円式が描かれており、魔法式を書き込むだけになっているのだ。
 どこにどの魔法式を置くか、というのは魔法の成功率に繋がる。同じ魔法式を使っていても、異なるものが完成するのだ。

「魔法陣が完成したようですね。では、銅を作ってみましょう。どちらからしてみますか?」

 アドルフよりも先に挙手する。

「では、ヴァイグブルグ君から」

 使う触媒は魔力を多く含む〝マナの樹〟の枝。ひとり一本配布される。それを杖のように持ち、呪文を唱えるのだ。

 まずは枝で門の魔法文字を描き、魔法式を展開させる。呪文を口にすると、魔法陣が淡く光った。材料である骸炭と石灰石は赤く染まり、じわじわ溶けていく。
 最後に強く発光し、魔法陣全体が見えなくなった。
 光が収まると、ボロボロに朽ちた黒い物体が残った。これは、銅には見えない。

「残念ながら失敗ですね。しかしながら、成功へはあと一歩、というところでしょう」

 アドルフも挑戦してみるものの、結果は同じだった。

「では次は、ふたりで話し合い、魔法陣を作ってみてください」

 ああではない、こうでもないと意見を出し合い、二十分ほどかけて魔法陣を完成させる。

「では、実技に取りかかるのは、どちらにしますか?」
「アドルフのほうがいい」
「そうだな。魔法陣の八割はリオルの魔法式を引用したものだから」

 アドルフはマナの枝を握り、呪文を口にした。すると――先ほどとは比べものにならないほど眩く発光する。
 光が収まると、つるつると輝く銅ができているではないか。

「すばらしい! 魔法学校の歴史の中で、自力で銅を完成させたのは、君達が初めてです!」

 ローター先生は興奮した様子で、私達が作った銅を絶賛する。
 褒められて悪い気はしない。私とアドルフは目と目を合わせ、微笑み合ったのだった。
 錬金術を完成させ、キャッキャと喜んでいる場合ではない。私はロンリンギア公爵家の降誕祭パーティーに参加するための用意をしなければならないのだ。
 幸いにも、アドルフが最先端のドレスを用意してくれた。シルバーグレーの美しい一着だった。それに合わせて、真珠の首飾りや髪飾り、耳飾りなどの|一揃えの宝石(パリュール)を贈ってくれた。当日は母の形見を付けていこうか、などと考えていたので、非常にありがたい。宝飾品も流行があるため、一昔前の物をつけていったら、すぐにバレてしまうのだ。
 
 これだけ高価な品を貰っておいてなんだが、同等のお返しなんてできない。
 どうしようかと頭を悩ませたが、何か手作りの品を贈ろうかと閃いた。
 気持ちをこれでもかと込めた物は、値段なんて付けられない。その価値を、アドルフならば感じてくれるだろう。
 クッキーは定番として、他に何がいいのか。
 談話室にいた寮母に、質問を投げかけてみたところ、「降誕祭は絶対にセーターよ!」なんて言っていた。
 なんでも降誕祭のシーズンになると、街中で降誕祭限定のセーターが売り出されるらしい。それを着て、家族と休暇をのんびり過ごすのがお約束だと言う。
 セーターだったら、手作りできる。大量に毛糸を注文し、侍女に送ってもらった。
 アドルフに似合うであろう、アイヴィグリーンの毛糸はイメージ通りだった。これに、竜の意匠でも入れてみよう。
 自主学習の時間の合間を縫い、編み図を描いていたのだが、アドルフの体の寸法がいまいちわからない。大きすぎても、小さすぎてもよくないだろう。
 リオルの姿であれば、姉の頼みで採寸させてくれと言える。けれども可能であれば、サプライズで贈りたい。
 考えた結果、似た体格のクラスメイトに頼みこむことにした。
 観察した結果、ランハートとアドルフの背格好はそっくりである。さっそく、交換条件をもとに頼み込んでみた。

「ランハート、頼みがあるんだけれど」
「いいよ」
「用件聞く前に、安請け合いしないほうがいいよ」
「リオルがお願いしてくるの初めてだったから、なんでも叶えたいと思って」

 実家から侍女が贈ってきた焼き菓子と引き換えに、採寸をさせてくれと頼み込む。

「姉上がアドルフに似た男子生徒から採寸をしてもらってほしいって頼まれて」
「あー、今のシーズンだとセーター作りかー。くそー、リオルのお姉さんからセーターを受け取れるアドルフが羨ましすぎる」
「はいはい」

 婚約者の存在に羨望を抱いているようだが、ランハートが魔法騎士になって社交界に出たら、きっと結婚相手はすぐに見つかるだろう。
 そういう気持ちを抱くのも、男子校にいる今だけだ。

「お金出すからさー、俺の分も作ってくれないかなー」

 作ってあげたいのは山々だが、試験勉強もあるので一人分が精一杯だ。
 結婚してしばらく落ち着いたら、贈ってあげるのもいいかもしれない。

「なあリオル、お姉さん、元気?」
「元気だよ」

 むしろ、ここにいる。その目で確認できるだろう。……なんて、言えるわけもないが。

「あー、何かの間違いがあって、婚約破棄されないかなー」
「まだそんなこと言っているの?」
「だって、なかなか衝撃的な出会いだったし。異性と話していて、楽しかった経験なんてなかなかないから」

 あの状況が面白くなってしまったのは、本物のリオルの登場とアドルフがやってきたからだろう。私がひとりでいても、ああはならない。
 残念ながら、ランハートを常に楽しませるような女ではないのだ。

「それはそうと、リオルって、ちょっとお姉さんの匂いに似ているよね」
「は?」
「前から思っていたんだけれど、女の子の匂いみたい」

 何を言っているのだ、と冷静に返したつもりだったが、心臓がバクバク鳴っている。
 匂いと言えば、以前アドルフからも似ていると指摘された覚えがあった。
 婚約者として会うときは多少の香水と髪や肌に使う香油で匂いが変わる。普段は、香水や香油なんて付けていない。けれども、体臭は誤魔化せないのだ。

「ランハートは香水とか使っている?」
「ちょっとだけね」

 こうなったら、男性用の香水を使うしかないのか。
 匂いに関連して、バレるわけにはいかない。

「僕も香水を使おうかな。どんなものを使っているの?」
「えー、止めなよ。俺、リオルの匂い、好きだよ」
「匂いが好きとか、気持ち悪いんだけれど」
「酷いなー」

 ちょうどポケットに香水を入れていたようで、見せてくれた。

「これ、使いかけだけれどあげようか? 体の匂いが違うから、同じ匂いになることはないと思うんだけれど」
「いいの?」
「うん、いいよ」
「ありがとう」

 早速匂いを振りかけてみた。女性用の香水の中には甘すぎてかけただけで気持ち悪くなる匂いもある。ランハートの香水は柑橘系の爽やかな香りなので気にならない。

「ランハート、お礼は何がいい?」
「お姉さんに会わせて」
「それはダメ」
「なんでだよー」

 ランハートの前でうっかりぼろを出してしまったら大変だ。なるべく顔を合わせないほうがいい。
 それに、婚約者がいるのに、他の男性と会うというのは体面が悪いだろう。

「じゃあ、魔法薬草学のわからないところを教えて」
「それだったらかまわないよ」
「やった」

 放課後はランハートと共に、談話室で勉強した。部屋に招いてもよかったのだが、婚約者であるアドルフ以外の男性を入れないほうがいいと、先ほど思い直したのだ。
 久しぶりにランハートに勉強を教えたのだが、復習になってよかった。

 ◇◇◇

 編み物をするのは二年ぶりくらいか。以前はよく慈善活動サロンに参加し、養育院の子ども達に向けて手袋や襟巻きを作っていた。
 セーターを作るのは、もちろん初めてである。お坊ちゃま育ちのアドルフが着用することを考えると、手なんか抜けない。丁寧に編み、ドラゴンの模様も大胆に入れていく。
 試験も絶対に手を抜きたくないので、寝る間を惜しんで励んだ。
 その結果、試験は学年首位、セーターも完成する。
 私の名前の下にアドルフの名前があっても、以前のように「勝った!」と喜ぶ気持ちはなくなっていた。
 毎回、アドルフとは総合点数が一点、二点差だったのだが、今回は三十点も差がある。いったいどうしたのか、と心配になった。
 成績が張り出されていても、アドルフは見にきていない。
 もしかしたら、降誕祭正餐の実行委員の仕事が忙しさを極め、試験勉強に時間を割けなかった可能性がある。
 隣に立つランハートは私を絶賛したものの、「はいはい」と適当に返事をする。
 今は成績がどうこうよりも、とにかく休みたい。寮に戻って、夕食の時間までに仮眠を取らなければ。猛烈に眠い。そろそろ限界なのだろう。
 寒気と頭痛と胃の痛みが同時に襲ってくる。眠気以外にも、体が悲鳴をあげていた。
 無理をしてきたツケが、いっきにやってきたのだろう。体調管理ができないなんて、なんとも情けない話である。
 ランハートの話なんてほぼほぼ耳に届いていないのに、続けて話しかけてきた。

「なあ、リオル、二回連続首席じゃないか! お祝いに、売店でなんか奢ってやろうか?」
「……いい」
「なんだよ、ノリが悪い――ってお前、顔色が悪くないか?」

 ランハートが顔を覗き込んでくる。熱でも測ろうと思ったのか、額に手を伸ばしてきたので、触れる寸前で振り払う。

「大丈夫だから、気にしないで」
「いやいや、気にするって」
「寮に帰って少し休むから」
「いや、寮じゃなくて、保健室にしろよ。唇とか真っ青だぞ」

 誰が出入りするかわからない保健室で休むなんて、ゾッとしてしまう。寮でないと、ゆっくり休めない。

「ランハート、僕に構うな」
「いやいや、そういうわけにもいかないでしょう」

 ランハートのこういうお節介なところが苦手だ。冷たくあしらう相手なんて、放っておけばいいのに。

「僕は平気だから――」

 そう口にした瞬間、目の前がぐにゃりと歪んだ。
 体が傾いたのと同時に、視界に階段が飛び込んできた。
 ああ、終わった、なんて思いながら、意識を手放した。

 ◇◇◇

 ゴーン、ゴーン、ゴーンという、夕食の時間が終了する鐘の音で意識がハッと覚醒する。
 起き上がろうとしたが、身じろいだだけで頭がずきんと痛んだ。
 部屋は真っ暗だが、ここが自分の部屋だというのはかろうじてわかった。
 先ほどまで放課後で、成績が首席であることを確認し、そのあと――私はどうしていた?

「夢、だったの?」
「夢なわけあるか!」

 すぐ傍で聞こえたランハートの声に、驚いてしまった。部屋にある魔石灯を呪文で発動させる。すると、寝台の傍に椅子を置き、座っているランハートの姿が確認できた。

「ランハート、どうしてここに!?」
「倒れたお前を運んで来たんだよ!」
「あ――そうだったんだ。その、ありがとう」

 ゆっくり起き上がろうとしたら、ランハートが背中を支えてくれた。
 水差しから水を注ぎ、飲ませてくれる。
 ここで、襟が寛がされているのに気付く。矯正用の下着が見えて、ギョッとした。
 胸を平らにするものだが、前身頃にあるボタンがすべて外されている。
 いったい誰がしたのか。胃の辺りがスーッと冷え込むような、心地悪い感覚に襲われる。

「リオルは保健室に行きたくないみたいだったから、ここに運んで、寮母さんを呼んだ」

 寮母は寮生の健康も管理していて、医療資格も持っている。私の様子を見て、睡眠不足が伴った過労だろうと判断したらしい。

「寮母さんが回復魔法をかけたら、顔色はよくなって。あとは目覚めたら水を飲ませるようにって言ってた」
「そう、だったんだ」
「まだ具合が酷く悪いようだったら、医者を呼ぶこともできるけれど」

 寮母の言葉は、それだけだったらしい。

「具合はどうだ?」
「だいぶよくなった」
「そう」

 再度、ランハートに「ありがとう」と感謝の気持ちを伝える。

「それで、聞きたいことがあるんだけれど」
「な、何?」

 心臓がばくんと脈打つ。ランハートはこれまでにないくらい、真剣な眼差しで私を見つめていた。
 思わず、寛がされた襟をぎゅっと握りしめてしまう。

「リオル、お前、女だったのか?」

 核心を突くような質問に、言葉を失ってしまった。
 
 二年もの間、私が女であるというのは隠し通していたのに。無理が原因でバレてしまうなんて。
 ランハートは普段、ちゃらちゃらしていて何も考えていないような素振りを見せる。けれども、瞳の奥は冷静に人を見定めているように思える瞬間があった。
 ランハート自身、なんでもかんでも楽しければいい、という印象があるものの、付き合う人間は厳選しているように感じた。
 そんな彼の友達でいるのは、私にとって喜ばしいことだったのだ。
 けれども今のランハートは、私に冷え切った視線を向けている。

「言っておくけれど、リオルに触れたのは寮母だ。俺じゃないよ」
「そ、そう」

 ということは、寮母にも気付かれてしまった、というわけだ。
 もう、どうしようもない。
 一刻も早く、退学届を提出して、ここを去らなければならないだろう。
 私は絞り出すように、ランハートへ謝罪した。

「ランハート、騙していて、ごめん」
「否定しないの?」
「だって、女であるというのは、本当だから」

 ランハートは少し傷ついたような表情で見つめていた。私はずっと、彼を騙していたのだ。酷い行為を働いていたのである。

「アドルフは知っているのか?」
「知らない。家族以外、誰も」

 空気が重苦しいような、気まずい時間が流れる。
 息苦しくて、今にもここから逃げ出してしまいたい。いっそのこと、怒鳴り散らしてくれたほうが楽だった。
 こんなときでも、ランハートは冷静だったのだ。

「リオルはどうして、女性の身でありながら、魔法学校に通っていたんだ?」
「それは――」

 きっかけは、リオルが魔法学校に行きたくない、という一言だった。
 リオルが入学しなければ、次代の子どもは通えない。ヴァイグブルグ伯爵家としても、それは困った事態である。
 そこで、私が通うと名乗り出たのだ。ただそれは、大きな理由ではない。
 魔法学校に男装までして通っていたのは、結局のところ私の我が儘だったのだ。

「……どうしても、魔法を習いたかったから」

 そう。魔法学校に通っていた理由は、結局のところこれに尽きる。
 ヴァイグブルグ伯爵家のためだとか、リオルが行きたくないと言ったから、ではなかったのだ。
 自分の欲望を叶えるため、私は周囲の人達を騙して暮らしてきた。
 ランハートは軽蔑するだろう。

「リオルは、魔法学校に通って、どう思った?」

 なぜ、そんな質問をするのかわからない。けれども、正直な気持ちを伝える。

「とても、楽しかった」

 貴族女性の集まりのようにふるまいや身なりを気にすることなく、自由気ままな毎日はどうしようもなく楽しかった。
 同級生との付き合いは飾りけはないが、整然としていて、居心地はよかったように思える。
 何よりも魔法を好きなだけ学べる環境というのは、夢みたいだった。頑張れば頑張るだけ教師に認められ、試験の結果として目に見える成果を得られる。
 魔法学校はさまざまな欲求を叶えてくれる場所だったのだ。

「異性の中でやっていくのは、大変だっただろう?」
「それはそうだけれど、子どものときから負けず嫌いな性格だったから」
「負けん気で乗り切っちゃったのか」
「そう」

 始めから女である私が魔法学校に通うなんて、無理があったのかもしれない。
 今、この瞬間がこの生活を終える潮時なのだろう。

「明日にでも、退学届を提出するから」
「いやいや待って! なんで辞めるの?」
「だって、私は女だし」
「二年間バレずに頑張ったんだから、ここで辞めるのは惜しいって」

 私はきっと、ポカンとした表情でランハートを見つめているのだろう。
 彼は魔法学校を辞めなくてもいいと言ったのだから。

「どうして? 女である私が、魔法学校に通うなんて、道理に反しているでしょう?」
「それは……確かに、としか言いようはないけど」

 ランハートは複雑そうな表情を浮かべつつ、後頭部を掻く。

「そりゃ、異性であることを隠して、友達していましたってわかって、モヤモヤした気持ちはあったけれどさ。俺はずっと、リオルの傍で努力を見続けてきたから」
「努力?」
「そう。毎日毎日勉強して、授業は誰よりも熱心に受けて、下級生の面倒はしっかり見て。さらに、あのアドルフ・フォン・ロンリンギアには毅然とした態度でいて――尊敬でしかなかったよ。そんな毎日なんて、死ぬほど大変だろうなって思っていたのに、楽しかったなんて言われたら、退学すべきだ、なんて言えない」
「ランハート……」

 彼は私のことを、ずっと見ていてくれたのだ。胸がじんと震える。

「でも、寮母にもバレてしまったし、ランハートが黙ってくれていても、無理な気がする」
「あー、でも、あの寮母さんなら大丈夫なんじゃないかな。知らないけれど」

 寮母は生徒の違反を発見したら魔法学校に報告する義務がある。今頃、校長に報告しているかもしれない。

「気になるんだったら、今から聞きに行く?」
「うん」
「辛かったら、おんぶするけれど」
「いい、もう大丈夫」
「リオルの大丈夫は怪しいんだけれどな」
「本当に大丈夫だから」
「はいはい」

 水を飲み、ランハートが剥いてくれたオレンジを二切れ食べた。そのおかげか、頭痛はなくなった。
 制服のボタンを閉じ、ガウンをまとって部屋を出る。

 寮母はいつも、ジャムやお菓子を作る専用の部屋にいるのだ。
 部屋から灯りが漏れていたので、扉を叩く。すぐに扉が開かれ、私の顔を見るなり「あら」と声を上げた。
 寮母はランハートを廊下に待たせ、私だけ部屋に招き入れる。
 何も言わず、ホットミルクを作ってくれた。

 彼女は二十年も寮母を務めていて、さまざまなトラブルを見てきたのだろう。
 私が女であるとわかっているのに、どっしりと構えていた。

「お腹は空いていない?」
「はい。でも、ランハートは空いているかもしれません」
「そう。お友達思いなのね」

 おそらく、ランハートは夕食を食べずに私のもとにいたに違いない。そう訴えると、軽食を用意してくれるという。それを聞いてホッとした。

 寮母は口元に布を当て、三角巾で頭を覆う。
 手際よくサンドイッチを作りつつ、話しかけてきた。

「具合はもう平気なの?」
「はい。その、回復魔法をかけてくれたとのことで」
「ええ、お安い御用よ」

 目の前にホットミルクが差し出される。

「蜂蜜をたっぷり入れておいたから」
「ありがとう、ございます」

 一口飲むと、優しい味わいが広がっていく。ざわざわと落ち着かなかった心が、少しだけ落ち着いたように感じた。

「それで、その――」
「私、何も見ていないわ」
「え!?」

 いったいどういう意味なのか。
 彼女は私が装着していた矯正用の下着を寛がせてくれていた。胸を見ただろうし、触れたら男でないことは明らかだったはず。

「ここから先は内緒話なんだけれど、実は私も、ここの学校の卒業生なの」
「!?」

 それが意味するのは、寮母も男装し、魔法学校に通っていたということである。

「男子生徒の中での共同生活は本当に辛くて辛くて。女だってことがバレたのは、一学年の四旬節期間だったわ。シーツを真っ赤に染めてしまってね、うっかりしていたの」

 入学から半年経った二学期に、同室の男子に正体が露見したようだ。

「たくさん血を流していたから、私が死ぬって思ったみたい。泣きだしたから、なだめるのに私は女だから大丈夫って言っちゃったのよね」

 女性が毎月血を流すのは、生理現象である。それをざっくり把握しているものの、詳しく知っている男性は案外少ないという。

「その人は、三年間黙っていてくれたわ。まあ、今の夫なんだけれど」

 驚いた。私より前に、男装して魔法学校に通っていた女性がいたなんて。

「だからね、私はなーんにも見ていないの。わかった?」

 こくりと頷くと、寮母はサンドイッチの入ったバスケットを手渡してくれた。

「あなたも少しでいいから食べなさい」
「ありがとうございます」

 寮母は笑顔で、私を送り出してくれた。
 ランハートは私の表情を見て、いろいろ察してくれたらしい。

「なあ、大丈夫だっただろう?」

 その言葉に、私は呆然としつつも頷いたのだった。 

 それから部屋に戻り、ランハートと一緒にサンドイッチを食べた。
 安心したからか、一切れ食べきることができたのだ。
 ランハートはびっくりするくらいいつも通りで、それでいいのかと問い詰めたくなる。

「あの、ランハート。その、この先黙っておくことに関しての、その、対価とか、何か必要?」
「え、なんで?」
「なんでって、秘密を守ってもらうには、見返りがいるでしょう?」
「そんなのいらないって。俺達、友達でしょー?」

 それを聞いた途端、涙がポロリと零れてしまった。

「うわ、リオル、なんで泣くの?」
「だって、ランハートが、友達でいてくれるって言うから」
「俺が泣かしたのか! いや、女だろうと男だろうと、リオルはリオルじゃんか」
「うん」
「だから俺達は友達! 変わるわけがないじゃないか」

 泣いたらランハートが困るとわかっているのに、涙が止まらなかった。

「っていうか、改めて確認するんだけれど、リオルって、リオルのお姉さん?」
「そうだよ」
「うわー! 俺、リオルのお姉さんに直接結婚したいって言っていたことになるじゃん!」
「そうだよ。もう言わないで」
「絶対に言わない! ごめん!」

 恥ずかしくなって顔が熱くなったのか、手のひらであおいでいる。

「そういえば、このこと、アドルフにはずっと内緒にしておくの?」
「無理だと思う。結婚したら、そのうち勘づかれてしまいそうだし」
「そっか」
「卒業したら、打ち明けるつもり」

 それでアドルフが婚約破棄すると言っても、私は引き下がらずに受け入れるつもりだ。
 これまではこの秘密は墓場まで持って行くつもりだった。けれどもアドルフへの恋心に気付いた今、隠し通すことなんてとてもできない。すでに覚悟は決めていた。

「リオル、一個だけ約束して」
「何?」
「俺がリオルが女性だって知っていたこと、絶対にアドルフに言わないで」
「どうして?」
「嫉妬するに決まっているから!」
「嫉妬? 誰が?」
「アドルフがだよ!」

 なぜ、ランハートが私の秘密を知っていたら嫉妬に繋がるのか。よくわからなかったものの、ランハートが必死の形相で訴えるので、頷いておいた。

「リオルってば究極の鈍感だな。アドルフの溺愛に気付いていないなんて……」
「なんか言った?」
「いいや、なんでもない」

 十切れ以上あったサンドイッチをぺろりと平らげたランハートは、入っていたバスケットを抱えて立ち上がる。

「よし、もう寝ようかな。リオル、おやすみ」
「おやすみなさい、ランハート」

 ランハートは踵を返し、部屋から去っていく。
 扉が閉ざされた瞬間、ホッと安堵の息が零れた。

 女であることがバレてしまったものの、大丈夫だった。ランハートだったから秘密を守ってくれたのだろう。
 それがアドルフだったら――速攻で校長に報告していたに違いない。
 せっかく手にした機会だ。無駄にしたくない。
 なんとしてでも、魔法学校を卒業するまで女であることを隠し通さなければならない。
 体調不良で倒れるなどもってのほかだ。
 よく寝てよく食べ、よく学ぶ。そんな目標を掲げ、私は眠りについたのだった。

 それからというもの、ランハートは信じがたいほどいつもどおりである。
 異性であることがわかったので、距離を取られるかもしれないと考えていたのだが。
 ただ、少しだけ変わったことがあった。

「リオル、今日は冷えるから、これでもかけておけよ」

 そう言って、どこに持っていたのかわからない肩かけをかけてくれた。

「ランハート、これ、お婆さんとかがよくかけているやつじゃない?」
「そうそう。うちの乳母が趣味が合わないって、突き返されたやつ、実家から持ってきたんだ」

 ……ランハートは私を、お婆さん扱いするようになった。
 お年寄りと同じくらい、気にかけなければならない存在だと認識されてしまったのか。

「リオル、食べ物はよく噛んで、睡眠はしっかり取って、適度な運動をするんだ」
「お年寄り扱いはしないでくれる?」
「廊下で倒れたから、心配しているのに」

 それを指摘されると、何も言えなくなる。
 私が倒れそうになったのは、階段を下りる前。転がり落ちる寸前で、ランハートが助けてくれたらしい。それに関しては、深く感謝している。

「もうランハートを心配させるようなことは、二度としないから」
「頼むよー」

 そんな会話をする私達を、アドルフが見つめていたなど、このときは気付いてもいなかったのだ。
 あっという間に降誕祭学期の期末を迎えた。すべての授業が終了し、あとは降誕祭正餐をするばかりである。それが終わったら、二週間の休暇期間だ。
 夕方になると燕尾服に着替え、礼拝堂に向かう。ここで、聖歌隊の讃美歌を聴くのだ。毎年、ランハートは眠ってしまうので、注意しておかなければならないだろう。
 その前に、中庭にある降誕祭のツリーに、クーゲルと呼ばれる玉飾りを付けにいかなければならない。これは全生徒、毎年降誕祭正餐の前に各自で製作するものだ。
 これは降誕祭の賑やかな様子に誘われてやってくる悪魔を祓う意味があるらしい。さらに、ツリーの周辺には蝋燭を灯す。これは幸せを呼ぶ意味がある。
 つまり、降誕祭のツリーは悪魔をはね除け、幸せを呼ぶものなのだという。
 魔法学校にやってきてから、降誕祭のツリーに関する意味を知った。やたら、シーズンになると街中にあるな、とは思っていたが。
 親から子へ、語り継がれるものなのだろう。
 父よ、その辺の一般的な知識だけは教えてくれ、と心の中で訴えてしまった。

 今年はクーゲルの製作期とチキンの換羽シーズンと重なったので、抜けた羽根を玉飾りに付けてみた。
 チキンは『かっこよくなったちゅりね!』と大絶賛だったものの、どこか禍々しい呪いの道具のような仕上がりに思えてならない。
 まあ、これを見て悪魔がびっくりするかもしれない。魔除けとしてはありな見た目なのだろう。

 中庭へはランハートと一緒に行こうか。約束しているわけではないが、たぶんまだ付けに行っていないだろう。
 などと考えているところに、扉が叩かれる。

「誰?」
「俺だ」

 アドルフだった。以前、紅茶を振る舞ったとき以来の訪問である。
 扉を開くと、燕尾服姿のアドルフが立っていた。
 去年と違い、きっちり前髪を上げ、大人の紳士然とした様子でいる。
 少年期から彼を見ているが、ここ最近、ぐっと大人っぽくなった。
 身長も伸びているようで、今では見上げるくらい差が出ていた。

「アドルフ、どうかしたの?」
「一緒にクーゲルを付けに行こうと思って」
「実行委員の仕事はいいの?」
「もう終わった。あとは下級生がなんとかする」
「そうだったんだ」

 アドルフが燕尾服を着ているからだろうか。なんだか落ち着かない気持ちにさせてくれる。

「ランハートも誘っていい?」
「ダメだ」
「え?」
「ふたりで行こう」

 そう言って、アドルフは私の手を掴む。ちょうど、蝋燭とクーゲルは手にしていたので、そのまま出ても問題ない。けれども、私の手を握る力が少し強いような気がして、少し戸惑ってしまう。

 急ぎ足で廊下を歩いて行く。突然部屋を出たからか、チキンが慌てた様子で部屋から飛んで来た。私の肩に着地すると、羽根で胸を押さえ、ホッとひと息吐いている。

「アドルフ、自分で歩けるから、手を放して」
「こうしていないと、お前はランハート・フォン・レイダーのもとへふらふら行くだろうが」
「ふらふらって、浮気みたいに言わないでよ」

 アドルフは立ち止まり、ゆっくり振り返る。眉間に皺を寄せ、目をつり上がらせた世にも恐ろしい表情で私を見下ろす。
 
「ここ最近、俺が忙しいから、ランハート・フォン・レイダーとの仲を、深めていただろうが!」
「ランハートは元から友達だったし」

 ランハートと仲良くしているように見えたのは、例のお婆さん扱いをし始めたからだろう。最近は抗うのを止めて彼の好意を静かに受け入れていたので、余計にそう見えていたのかもしれない。

 なんだか、ランハートと私の仲に嫉妬しているように思えるのは気のせいだろうか?
 いや、気のせいではないだろう。

「アドルフは休憩時間のたびにいなくなっていたし」
「降誕祭正餐の実行委員の仕事を、隙間時間を利用し、やっていただけだ」
「それで、予習とか復習ができなくて、成績が下がったんだ」
「まあ、それもある」

 他の理由は何かと問いかけると、ボソボソと小さな声で話し始めた。

「リオニー嬢が、俺が忙しいだろうからって、手紙を控えるって送ってきたんだ。彼女からの手紙がないと、頑張れない」

 まさか、私の手紙がアドルフを奮い立たせる材料になっていたなんて。大した話はしていなかったのだが、アドルフにとって気分転換になっていたのかもしれない。

 ここでふと気付く。アドルフは熱心な様子で、グリンゼル地方へ恋文を送っていた。その返信は届かないのだろうか。

「アドルフ、その、グリンゼルの知り合いとは、文通はしていないの?」
「ああ、あの人とは――しない。いや、できない」

 どこか吐き捨てるような物言いに、違和感を覚える。
 それは愛しい相手に向ける言葉とはとても思えなかったのだ。
 ずっとずっと、アドルフが薔薇の花束と恋文を送っているのは、愛しい女性だと決めつけていた。けれども、もしかしたら違ったのだろうか? なんて考えていたらアドルフから鋭い指摘が入る。

「リオル、グリンゼルにいる知り合いについて、リオニー嬢から話を聞いていたのか?」
「あ! そう。姉上は、その、お喋りで。ごめん」

 しまった。この情報は婚約者でいるときに聞いた話だった。
 リオルのときでも以前より打ち解け、話すようになったため、どちらの状態で話を聞いたのか、すっかり失念していた。気を付けなければならない。
 ひとまず、アドルフの荒ぶった感情を鎮めるのが先だろう。
 おそらく、アドルフは私とランハートの親密な関係に、嫉妬している。
 ここで、ハッと気付いた。以前、アドルフは好敵手だった私と親友になりたいと話していたのだ。
 さっそく、打ち明けてみる。

「なんていうかさ、ランハートは友達なんだけれど、アドルフは親友って感じなんだよね」
「親友? ランハート・フォン・レイダーはただの友達で、俺は親友なのか?」
「そう!」

 すると、みるみるうちに眉間の皺が伸びていく。つり上がった目も、僅かに下がった。
 頬を淡く染め、口元を手で覆っていた。おそらく、嬉しくて微笑んでいるのだろう。
 どうやら、不機嫌は治ったらしい。作戦は大成功だった。

「アドルフ、クーゲルを飾りに行こうか」
「ランハート・フォン・レイダーを誘わなくてもいいのか?」
「アドルフがいればいいよ」

 そう答えると、アドルフは満面の笑みを浮かべる。
 見た目は大人っぽくなった彼だが、中身は以前のままだ。そのおかげで、緊張が解けたように思える。

 アドルフと共に、降誕祭のツリーにクーゲルを飾りに行ったのだった。  

 中庭にはすでに、多くの生徒達が行き交い、クーゲルをもみの木に飾り、蝋燭に火を点けて立てていた。私達も手早く行う。

「リオル、知っているか? この降誕祭のツリーに願いをかけると、いつか叶うと言われているんだ」
「へえ、そうなんだ」

 そういう話はまったく把握していなかった。そういえば、よくよく周囲を見てみると、手と手を合わせて何やらお祈りしている生徒が数名いた。

「アドルフ、僕達も何かお願いをしてみようよ」
「ああ、そうだな」

 それから、しばし祈りの時間となる。私は〝これからもアドルフが笑顔で楽しく暮らせますように〟と願った。目を開けると、アドルフは何やら熱心に祈っている。私の倍以上、願い事をしているのではないか。
 その様子を眺めていたら、瞼を開いたアドルフと目が合ってしまった。

「な、なんで俺を見ていたんだ!?」
「願い事が長いと思って」
「長くない!」

 頬を真っ赤に染め、必死の形相で言葉を返す。
 もしかしたら、想い人について何か願っていたのかもしれない。そういうふうに考えると、胸が苦しくなる。油が切れたゼンマイ仕掛けの玩具みたいに、心がキーキーと悲鳴をあげているような気がした。

「お前とリオニー嬢が健やかに暮らせますように、と願っていた。ふたり分だから、時間がかかっただけだ!」
「僕と……姉上について願ってくれたの?」
「そうだと言っているだろうが」
「アドルフ、ありがとう」
「素直に感謝するな。恥ずかしくなるだろうが」

 アドルフは耳まで真っ赤にさせつつ、そっぽを向く。
 奇しくも、私達は互いを思って願っていたようだ。
 アドルフの願いはどうせ想い人についてだろう、と勝手に決めつけていた自分が恥ずかしい。

「リオル、お前は何を願ったんだ?」
「秘密」
「は!? 俺だけ言うのは公平ではない気がするのだが」
「願いは僕が聞き出したわけじゃないのに、アドルフが言い出したんじゃないか」
「それはそうだが……わかった。どうせ、卒業するまで、試験で俺に勝てますように、とか願ったんだろう?」
「それは自分で叶えるつもりだから」
「お前は、なんて自信家なんだ!」

 アドルフの追及から逃れるため、走って礼拝堂を目指す。アドルフよりも背が低くて体が小さいので、小回りを活かして生徒を避けつつ、彼との距離を稼いだ。
 結果、私は逃げ切り、静かにしていないといけない礼拝堂まで辿り着いたのだった。

 アドルフは私の隣に座り、そのまま讃美歌に耳を傾ける。どうやら、私を逃がすつもりはないらしい。
 終演後、祝福の蝋燭とシュトレンが配布される。
 その後、願い事について追及を受けるのかと思いきや、アドルフは「寮に戻るぞ」と言うばかり。

 礼拝堂を出てきた瞬間、アドルフは取り巻き達に囲まれる。

「あの、アドルフ、正餐会は一緒だよな?」
「いや、お前達は好き好きに参加するといい。俺はリオルと一緒にいるから」

 毎年、彼は取り巻きに囲まれて正餐会に参加していたが、今年は誘いを断るようだ。というか、勝手に私と参加することに決定していた。

 何か言いたげな取り巻き達を無視し、アドルフは踵を返す。
 その瞬間、私は取り巻き達にジロリと睨まれていた。
 アドルフと行動を共にする私が憎たらしいのだろう。

「リオル、来い!」

 そう声がかかるや否や、取り巻き達は憎しみがこもった視線を泳がせる。なんともわかりやすい奴らだ。
 長いものに巻かれるタイプである私は、アドルフのあとに続いた。

 食堂には降誕祭のごちそうがすでに用意されていた。
 定番である七面鳥の丸焼きに、ジャガイモや芽キャベツのオーブン焼き、鮭や海老のカナッペ、キノコのミルクスープなど、このシーズンにしか食べられない料理が並んでいた。
 アドルフがどこに座ろうかと悩んでいる間に、ランハートがやってくる。

「リオル! お前、どこにいたんだよ。俺、讃美歌の途中で眠っちゃって、先生に注意されたんだぞ」

 その言葉を聞いたアドルフはランハートを振り返り、一言物申す。

「讃美歌の最中に眠る奴が悪い」
「あ、アドルフ。そこにいたんだ」
「悪いか?」
「いや、悪くないけれど」

 なんというか、タイミングが完全に悪かったようだ。取り巻き達に絡まれたアドルフは、少しご機嫌斜めなのかもしれない。

「リオル、あっちで食べようぜ。みんな待っているから」
「ランハート・フォン・レイダー、残念ながら、リオルは俺と先約済みだ」
「へ、そうなの!?」

 ランハートは驚いた表情で私を見つめる。約束した記憶はないが、いつの間にかそういう流れになっていたのだ。
 降誕祭の正餐会は毎年ランハートと一緒だった。最後の最後で、アドルフと過ごすことになるとは、夢にも思っていなかったのである。

「えーっと、ランハート、そういうことだから」
「今年もリオルに芽キャベツを食べてもらおうと思っていたのに」

 ランハートは芽キャベツが苦手で、私は大好物だった。そのため、毎年分けてもらっていたのだが。今年は頑張ってランハート自身が食べるしかないようだ。

 アドルフは「好き嫌いをするな。食材のすべてに感謝しろ」とまっとうな一言でランハートを黙らせ、私を席に誘う。

 そんな感じで、正餐会が始まったのだった。
 今年も、魔法学校の正餐会の料理は絶品だった。前菜を食べている間に、料理人が丁寧に七面鳥を切り分けてくれるのだが、ナイフを入れただけで脂がジュワッと滴ってくる。
 肉には特製のグレイビーソースがたっぷりかけられ、付け合わせのジャガイモと芽キャベツが添えられる。
 芽キャベツにグレイビーソースをかけたものが最高においしいのだ。
 食後のデザートはプティングである。
 ドライフルーツとオートミールが入った濃厚なケーキで、非常に食べ応えがあるひと品だ。お腹いっぱいなのに、プティングは不思議と平らげてしまうのである。
 正餐会が終わると、談話室にケーキやクッキー、ジュースなどが用意され、皆で盛り上がることが許されていた。消灯時間も、普段より二時間遅くなっている。

「リオル、今日は付き合ってくれてありがとう。楽しかった」
「こちらこそ」

 まさか、殊勝な態度でお礼を言われるとは、夢にも思っていなかった。

「ランハートの誘いを断ってしまって、悪かったな」
「いや、いいよ。二年間、ランハートとは一緒だったし」

 アドルフはこれから実家に帰るという。
 正餐会が終わった瞬間から、帰宅が許可されているのだ。

「お前は友達と談話室で楽しんでくるといい」
「うん、ありがとう」

 アドルフと別れ、私は談話室にいたランハートと落ち合う。

「リオル、よかった! アドルフから解放してもらったんだ」
「まあね」

 ランハートはぐっと接近し、私にしか聞こえないような声で問いかけてくる。

「あいつ、お前の正体がわかっていて、あんなふうに牽制してきたわけじゃないよな?」
「たぶん」

 アドルフは婚約者である私には勝手に触れないし、乱暴な物言いはしない。あれはリオルだと思っている私にのみ見せる態度だ。

「俺にリオルを取られたくないから、あんなことをしてきたんだな」
「ランハート、ごめん」
「いや、いいよ。俺もリオルに甘えすぎていたところがあったし」

 ランハートは急に真顔になって、問いかけてくる。

「ああいうふうに、アドルフから付きまとわれるの、嫌じゃない?」
「いや、別に。平気だよ」
「だったらよかった」

 私が嫌だと言ったら、今後は助ける決意を固めていたらしい。ロンリンギア公爵家の嫡男に刃向かえる覚悟があるなんて勇敢だ。

「ランハート、ありがとう。僕は大丈夫だから」
「お前の大丈夫は信用できないんだよなー」
「信じてよ」

 ランハートはにかっと微笑み、お菓子が並べられたテーブルのほうへ行ってしまった。

「リオルも来いよ。菓子、すぐになくなるから」

 テーブルには降誕祭の日に食べられるお菓子が山のように盛り付けられていた。これが二時間でなくなってしまうので、男子生徒の食欲は侮れない。
 ドライフルーツがたっぷり詰まったミンスパイに、生姜を利かせたジンジャークッキー、バターケーキにキャラメルパイなどなど、胃もたれしそうなほど甘いお菓子の数々である。カップケーキには赤や緑、黄色などの派手な色合いのクリームが絞られていた。
 炭酸入りのジュースも、普段は売店に売っていないので、皆嬉しそうに飲んでいる。
 私はランハートが持ってきてくれたミンスパイを囓った。魔法学校の寮母特製のミンスパイは、ナッツが入っていて、食感がザクザクでおいしい。
 魔法学校の最後の降誕祭を、私はしっかり堪能したのだった。
 今年も勉強道具を抱えて実家に戻る。
 降誕祭のシーズンだというのに、我が家にはツリーすらない。
 ツリーの下に蝋燭を立てるのは礼拝堂にある物のみで、一般的な家庭では贈り物を並べるらしい。それは降誕祭の当日に開封するのだとか。
 侍女に家族の近況を聞くと、父は泊まり込みで仕事、リオルは十日間ほど地下に引きこもり、お風呂にも入らずに研究に打ち込んでいるらしい。

「リオニーお嬢様、ご様子を見に行かれますか?」
「十日間もお風呂に入っていないリオルになんて、ぜったいに会いたくありませんわ!」

 侍女は苦笑いを返す。
 リオルは幼少期から、お風呂が大嫌いだった。何度入れと訴えても、聞く耳は持たないのである。三日に一度入ればいいほうで、今はもう諦めている。
 一年前に浄化魔法という、体中の汚れを除去する魔法を編み出し、リオルは毎日、自分にかけるようになった。そのため、見た目はかなりマシになっているものの、魔法を頼らずにお風呂にゆっくり入ってほしいというのが本音であった。

 魔法学校にも、リオル同様にお風呂嫌いの生徒はいた。しかも、ひとりやふたりではないのだ。
 さすがに集団生活をするなかで、三日、四日とお風呂に入らない生活は許されない。そういう生徒は寮母に捕まり、強制的に入浴させられるのである。さらに、厳しい罰則(ペナルティー)が言い渡されるのだ。
 お風呂に入らないというのは、魔法学校では大罪なのである。
 うちの寮では、アドルフが特に厳しかった。少し汗臭いだけで、身なりをきちんと整えるように、と注意を受けるのだ。香水で誤魔化してもバレるようで、皆、毎日お風呂に入らざるをえなかった、というわけである。
 アドルフは几帳面過ぎるところがあるものの、入浴に関する考えだけは同意でしかなかった。

「リオニーお嬢様、婚約者であるロンリンギア公爵家のアドルフ様から、お手紙が届いております」
「ええ、そう」

 先に実家に戻っていたアドルフは、その日の晩に私へ手紙を書いてくれたようだ。降誕祭パーティーに参加するという手紙を送っていたので、それの返信だろう。
 部屋で開封し、手紙を読む。内容はもっとも忙しいシーズンが終わったという報告と、降誕祭パーティーを楽しみにしている、というものだった。
 手紙と一緒に降誕祭パーティーの招待状が入っていた。二つ折りになっていたカードを開くと、魔法陣が浮かび上がる。その後、小さな流れ星が現れ、星の絵がキラキラと瞬いた。
 一瞬であったが、これは叔母が作った輝跡の魔法だろう。こういうふうに招待状に使うなんて、斬新すぎるアイデアだ。これはロンリンギア公爵家が送る招待状の仕様なのだろうか。すばらしいとしか言いようがない。

 なんだか降誕祭パーティーが楽しみになってしまった。

 ◇◇◇

 ロンリンギア公爵家で行われる、降誕祭パーティー当日を迎えた。
 相変わらず、家族は私に興味がないようで、帰宅してから一度も会っていない。これが通常のヴァイグブルグ伯爵家の様子である。慣れっこだった。
 アドルフが用意してくれたドレスはすばらしいもので、最先端の流行を取り入れた一着だと侍女が絶賛していた。
 真珠を使った宝飾品の数々もすばらしい品で、私の肌の色と相性がいいように思える。

「リオニーお嬢様、大変お美しいです」
「そう? ありがとう」

 このところずっとズボンを穿いていたので、ドレスは落ち着かない気分にさせてくれる。これが本来の私なのだ、と何度も自らに言い聞かせた。

 チキンは当然留守番である。いつも置いていくと言うと不満を訴えるので、今日は違う手段にでてみた。

「チキン、今日はわたくしの部屋の警備隊長に任命します」
『任せるちゅり!』

 少し出かけると言うと、チキンは翼で敬礼しつつ見送ってくれた。
 なんと言うか、素直な使い魔である。

 時間になると、ロンリンギア公爵家から馬車の迎えがやってきた。実家の馬車とは異なる、六頭の馬が引く贅沢な車体に気後れしてしまう。
 魔法学校を卒業後、私はアドルフと結婚するのだ。馬車程度で心を怯ませている場合ではない。
 片手に手作りのセーターが入った包みを抱き、もう片方の手はドレスの裾を摘まんで、馬車へ乗りこんだ。
 馬車は石畳をスムーズに走っていく。実家の馬車のように車体がきしんだり、ガタゴトとうるさく音を鳴らしたりすることはない。内装もベルベット仕立てで品がよく、座席に座ってもお尻が痛くならなかった。本当に素晴らしい馬車である。
 この馬車ならば、乗り物酔いなんてしないだろう。
 十五分ほどで、ロンリンギア公爵家に辿り着いた。街屋敷であるというのに、立派な佇まいである。
 改めて、アドルフはやんごとない一族の嫡男なのだな、と思ってしまった。
 こちらが名乗らずとも丁重なもてなしを受け、侍女のひとりが貴賓室(ステイト・ルーム)に案内してくれた。
 手にしていた贈り物は、アドルフの部屋へ届けてくれるらしい。先に預けておく。
 一歩、一歩と廊下を進むにつれて、この場にふさわしくないのでは、とヒシヒシ感じる。慣れたらそうでもないのだろうか?
 否、実家とは規模がまるで違う屋敷に、慣れるわけがない。
 貴賓室にはすでに、複数のご令嬢やご婦人が待機していた。
 全員、アドルフの親戚だろう。顔見知りのご令嬢がいるわけがない。
 注目を浴び、針のむしろに座るような居心地の悪さを覚えてしまった。
 こういう場では堂々としていなければ、周囲の者達から軽んじられる。それが、アドルフの立場を危うくすることにも繋がるのだ。
 おじけづいてはいけない。そう言い聞かせ、キッと前を見る。
 こういう注目を浴びる場は、これまで何度か経験した。一年に一度ある、学習の成果を発表する会に比べたら、なんてことはない。あちらは、全校生徒と教師陣から見られるのだ。
 女性陣は十人いるくらいだろう。ぜんぜん怖くない。
 ドレスの裾を摘まんで会釈し、挨拶をした。

「みなさま、ごきげんよう。わたくしはアドルフ・フォン・ロンリンギアの婚約者である、リオニー・フォン・ヴァイグブルグですわ」

 にっこりと微笑みかけると、こちらを睨むように見つめていたご令嬢が、少したじろいでいるのがわかった。
 なんとか先制攻撃をできたのか? しかしながら、この場に私の居場所はないように思える。それでも、なんとか馴染んでいくしかない。
 これが、私が選んだ道なのだから。
 色とりどりのドレスをまとった女性陣が私の一挙手一投足を、固唾を呑んで見ていた。
 敵対心を含んだ視線が、これでもかと全身に突き刺さっている。
 次期当主であるアドルフの妻となる者が、どんな女性か探っているのだろう。
 女性陣からの態度は、最悪の事態を想定していた。喧嘩をふっかけられ、頬を叩かれるかもしれない――なんて展開までも想像していた。
 今のところ、直接攻撃にやってくる様子は感じられない。
 ロンリンギア公爵家の女性陣は、攻撃的というよりも保守的なのだろう。
 ただ、弱みなんて絶対に見せてはいけない。強くいる必要がある。
 私から目をそらしているご令嬢を発見し、隣まで移動する。なるべく優しい声で話しかけた。

「あの、ここに座ってもよろしいかしら?」

 ご令嬢は私のほうを見上げ、世にも恐ろしいものを見た、という視線を向けている。
 自分が話しかけられるとは、思ってもいなかったのだろう。
 微かに震えている様子を見せているので、若干可哀想になってしまった。
 斜め前に腰かける、年配の女性が物申す。

「ヴァイグブルグ嬢、申し訳ありません。そこに座る者は、すでに決まっておりまして」
「まあ、そうでしたの」

 年配の女性は「格下の家の娘が、調子に乗るな」と言わんばかりの視線を向けていた。
 アドルフの取り巻き達の妬みがこもった視線に比べたら、可愛いものだと思うようにする。

「どこか、空いている席はありませんの?」

 シーンと静まり返る。なんとも気まずい雰囲気が流れていた。
 ここで貴賓室を去り、アドルフに泣きついたら、私は永遠に彼女達から軽んじられるのだろう。
 結果はありありとわかっていた。負けるわけにはいかない、と気合いを入れる。

 私はひとりひとり女性陣を確認し、もっとも敵対するような目で見つめていたご令嬢のところへやってきた。
 赤毛に青い瞳の、十七歳か十八歳くらいのご令嬢である。ルビーレッドの美しいドレスを纏っていて、年若い女性陣のリーダー格、といった空気を放っていた。

「こちら、空いているようですので、失礼いたします」

 勝手に座るとは思っていなかったのか、ギョッとした表情で私を見つめていた。

「あなた、お名前を聞かせていただける?」

 会話の主導権なんて渡さない。すぐさま話しかけた。
 私はアドルフの婚約者である。立場上、私を恐れていなければ、彼女は無視なんかできないはずだ。

「私は、カーリン・フォン・グライナー」

 グライナー侯爵家のご令嬢のようだ。たしか、現公爵であるアドルフの父親の妹が、嫁いだという記録が貴族名鑑に書いてあった。カーリンはアドルフの従妹なのだろう。

「カーリン様のドレス、とってもすてきですわ」
「ええ、ありがとう」

 キラリ、と瞳が意地悪な感じに輝いたのを見逃さない。きっとこれから何か物申すのだろう、と覚悟を決める。

「リオニー様のドレスは、埃色みたいで、いろいろ斬新ですわね」

 くすくす、と周囲から控えめな笑い声が聞こえた。年若いご令嬢だけでなく、壮年の女性陣も嘲り笑っている。
 困った人達だ、と思いながら言葉を返した。

「まあ、こちらは埃色、と表すのですね。実は、このドレスはアドルフ様から頂いた物なのですが、カーリン様が埃色と申していたと、お伝えしておきます」
「なっ!?」

 カーリンの顔色が、みるみるうちに青ざめていく。彼女だけでない。周囲の女性陣も、咳払いをしたり、顔を逸らしたりと、様子がおかしくなっていった。

 ここでアドルフの名前は出したくなかったのだが、彼が贈った品をけなしたのだから仕方がない。
 ついでに、言い伝えておく。

「わたくしは世間知らずで、取るに足らない部分があるかもしれません。しかしながら、わたくしは未来の公爵夫人となる者。その名誉を傷付けようとすることすなわち、夫である者を軽んじるということになります。そのことを、ゆめゆめ忘れないでいただくよう、お願いいたします」
 
 カーリンは涙目になりながら、何度もこくこくと頷いた。
 彼女のように、真正面から嫌味を言う人間は、まだマシなのだ。
 中には、自分の手を汚さずに、害する者だっている。常に警戒するに越したことはない。
 しかしながら、お嬢様育ちの彼女らにできる嫌がらせなんてたかが知れている。
 何かやらかしたとしたら、悪事を企む黒幕が絡んでいるときだろう。

 ふう、と溜め息をついた瞬間、貴賓室の扉が勢いよく開かれる。やってきたのはアドルフだった。

「リオニー嬢!!」

 私を発見するや否や、アドルフは急いで駆けてきた。私の前に片膝を突くと、小さな声で「よかった」と呟く。

「リオニー嬢がやってきたら、俺の部屋に呼ぶように従僕に頼んでいたのに、すでに侍女が案内したあとだって言うものだから」
「まあ、そうでしたのね」

 従僕の不手際のおかげで、鮮烈なロンリンギア公爵家の親戚デビューを飾ることができた。これだけ力を示しておいたら、彼女らもこれ以上の悪さはしないだろう。

「酷いことを言われていないか?」

 その一言に、場の空気が一気に凍り付く。
 ここで私が告げ口したら、彼女達は一巻の終わりだろう。
 しかしながら、ここで女性陣の過失を暴露するのは惜しい。

「いいえ、みなさん、とても親切でしたわ。特にこのカーリン様は、アドルフ様が贈ってくださったドレスを、褒めてくださいました」
「ああ、そうだったか。ドレス、似合っていてよかった」
「ありがとうございます」

 アドルフは貴賓室の冷え切った空気には気付いていない。ホッと胸をなで下ろす。

「俺の部屋でゆっくり過ごそう。ここ最近、紅茶を淹れる方法を学んだんだ。ぜひとも飲んでほしい」

 あの、私がさんざん実験台として飲まされた紅茶である。どうやらおいしく淹れることに成功したらしい。

 アドルフが格下の家の小娘に紅茶を淹れるという話を聞いて、女性陣は信じがたい、という視線を向けていた。
 アドルフは周囲の目なんて、気にしていないようだった。

「さあ、行こうか」
「はい」

 アドルフにエスコートされ、貴賓室を去る。これは勝ち逃げ、ということでいいのだろうか。
 絶妙なタイミングでやってきたアドルフに、心の中で感謝した。
 アドルフは私の肩を抱き、廊下を歩いて行く。
 すれ違う者達は、壁際に避けて深々と頭を下げた。それは使用人だけでなく、親族の人達も同様に。
 彼が未来のロンリンギア公爵であるのだと、まざまざと見せつけられる。
 アドルフに舞台を観たくないと駄々を捏ねたり、下町に連れて行って遊んだり、今まで呼び捨てにしたりと、恐ろしいことをしていたのだな、と戦々恐々となる。

 アドルフの部屋に辿り着くと、あとを続いていた従僕には下がるようにと命じていた。

「あの、アドルフ様、お茶はいかがなさいますか?」
「俺が用意するからいい。とにかく、リオニー嬢とふたりきりにさせてくれ」

 アドルフが紅茶を淹れると聞いた従僕は、目が飛び出そうなくらい驚いていた。

「では、茶菓子は?」
「昨日、菓子店(パティスリー)〝リスリス・メル〟で、森林檎のパイを買ってきている」
「〝リスリス・メル〟の森林檎のパイって、三時間並ばないと入手できない、アレですか?」
「そうだが?」

 事情を把握した従僕は、一礼して下がっていった。
 扉が閉ざされると、アドルフは私を長椅子のほうへ誘ってくれる。
 アドルフの私室は赤銅色(カッパーレッド)を基調にした、品のある落ちついた雰囲気だ。壁に埋め込まれた形の本棚には魔法書がぎっしり収められていて、くすんだ金細工で縁取られた暖炉装飾(マントルピース)はとても豪奢(ごうしゃ)である。大理石の床には、繊細な模様の絨毯が敷かれていた。
 部屋の中心にローテーブルと長椅子が置かれ、寛げるようにクッションがいくつも置かれている。

「リオニー嬢、楽にしてくれ」
「ありがとうございます」

 アドルフの部屋で寛ぐ前に、彼にあることを懇願する。

「あの、アドルフ、ひとつだけお願いがあるのですが」
「なんだ?」
「わたくしのことは、リオニーと呼び捨てにしてくださいませ」

 これまでは、アドルフへの対抗心からリオニー嬢と呼ばせておこう、と考えていた。
 しかし今は、リオルのときのように、呼び捨てにしてほしいと思ってしまう。
 それに私だけアドルフと呼び捨てにしているのをロンリンギア公爵家の人々が知ったら、よく思わないだろう。

「リオニー嬢、と呼ばなくてもいいのか?」
「ええ。家族になるんですもの。ずっと、わたくしをリオニー嬢と呼ぶわけにもいかないでしょう?」 
「言われてみればそうだな」
「では、決定ですね」
「う、うむ」

 一度呼んでみてください、とお願いしてみたものの、アドルフは顎に手を添えたまま銅像のように固まってしまった。

「アドルフ、どうかしたのですか?」
「な、なんでもない。その……リオニー」

 初めてアドルフからリオニーと呼ばれ、なんともくすぐったい気持ちになる。アドルフも慣れていないからか、少し照れているように思えた。

「それはそうと、俺が淹れた紅茶を飲んでくれ」
「ええ、ありがとうございます」

 あれからどれだけ上達したのだろうか。訓練に付き合った身からしても、非常に気になるところである。
 最後にやった練習のときはおぼつかない様子だったが。
 アドルフは用意していた茶器で、紅茶を淹れる。その手つきは、熟達した執事や侍女のようにスムーズだ。あっという間に、紅茶を淹れてくれた。

「さあ、飲んでみてくれ」
「いただきます」

 黄金色に輝く紅茶を、一口飲んでみた。
 ほどよい渋みと春風のような爽やかな風味が、口いっぱいに広がっていく。ほんのりと甘みも感じて、口当たりはまろやかだった。

「とてもおいしいです。驚きました」

 紅茶を淹れる才能があると絶賛すると、アドルフは嬉しそうに微笑む。
 ここまで上達するには、かなり努力したのだろう。それも含めての賞賛であった。

「リオルが淹れ方を教えてくれたんだ。彼は俺よりも上手い」
「そうでしたのね」

 |リオル(わたし)のほうが上手いだなんて、とんでもない謙遜である。紅茶を淹れる腕は、確実にアドルフのほうが上だろう。

「カップも、とても洗練されていて、すてきです」

 手書きの可憐なリンドウ模様に、金の七宝(ジュール)が大変美しい。カップの|持ち手(ハンドル)は弓のように優美なラインを描いていて、持ち上げやすい。

「そうか。選んだかいがあった」

 てっきり執事が選んだ物かと思っていたが、アドルフのチョイスだったようだ。        

「これから先、紅茶が飲みたくなったら、俺が淹れてやる。だが、淹れるのはリオニーだけだ」
「わたくし、だけ?」
「ああ」
「他に親しい御方は?」
「あー、リオルにはもしかしたら、淹れるかもしれない。それ以外は、絶対に淹れてやらない」

 リオルというのは、私のことである。つまり、世界でただひとり、アドルフが淹れた紅茶を独占できるというわけだ。

 薔薇の花束と恋文を贈っている相手には紅茶を淹れないのか。
 もしかしたら、紅茶すら飲めないくらい容態がよくないのかもしれない。
 それを思うと、胸がツキンと痛む。
 こうしてアドルフと楽しく過ごす時間にすら、罪悪感を覚えてしまった。

「このアップルパイは、噂によるととんでもなくおいしいらしい。リオニーのために並んで買ってきた」
「もしや、三時間もかけて?」
「ああ。参考書を持って行ったから、思いのほかすぐだった」

 この寒空の下、三時間も立ったまま並ぶなんて大変だっただろう。
 アドルフはどうしてここまでよくしてくれるのか。
 その行動の数々が、他に想い人がいるという罪悪感から行っているようには思えない。
 もしや、他に愛する女性(ひと)なんておらず、私だけを大切にしてくれるのではないか、と錯覚してしまう。
 けれども、そんなわけはない。アドルフはグリンゼル地方で、想い人に会いに行っていたのだから。
 それについて考えると、胸が苦しくなる。なるべく考えないようにしたほうがいいだろう。

 私はアドルフ・フォン・ロンリンギアの婚約者だ。
 それ以上でもそれ以下でもない。彼の恥にならないよう、凜と務めないといけない。
 アドルフの愛する人の存在に心を痛めている場合ではないのだ。

 顔を上げると、アドルフが買ってきたアップルパイが目に飛び込む。

「では、アップルパイはわたくしが切り分けます」
「いや、ナイフを握るのは危ないから、俺がやる」

 過保護ではないのか、と思いつつも、彼に任せることにした。
 なんでも、パイを切り分けるのは生まれて初めてらしい。
 アドルフは慣れない手つきで、アップルパイを切り分ける。力加減をしたからか、サクサクのパイ生地が崩れ、ボロボロになっていた。

「すまない。あまり力を込めると、崩壊してしまいそうだったから」
「わかります」

 加減をしたら、逆にパイ生地が崩れてしまう。そのため、思い切ってざっくり切り分けるのがパイを切るためのポイントだろう。
 私も慈善活動で養育院に行かなければ知らなかった情報である。

「もう一度、切り分けてみよう」
「いいえ、こちらをいただきます。どんな見た目でも、味は変わりませんから」
「それもそうだな」

 アドルフと囲んだアップルパイは、とてつもなくおいしかった。


 アドルフのもてなしがある程度終わったのを見計らい、彼に贈ったセーターについて尋ねてみた。

「あの、そういえば、贈り物は届いておりますでしょうか?」

 手元に届いていたら、何かしらの反応があったはずだ。何も言わないということは、まだ届いていないのかもしれない。
 もしかしたら贈り物はロンリンギア公爵家のツリーの下に集められている可能性もあった。しかしながら、侍女にはアドルフの部屋に届けるように言っていたのだが。

「贈り物? 届いていないが、リオニーは俺に何か用意していたのか?」
「ええ、手作りのセーターを」

 期待させてはいけないので、中身について自己申告しておく。すると、アドルフはすっと立ち上がり、隣の部屋へ向かった。

「リオニー、贈り物を確認する。来てくれ」
「え、ええ」

 未来のロンリンギア公爵には、私以外の贈り物も届いているようだ。それらは寝室に運び込まれているらしい。
 彼の私的空間に足を踏み入れるのはよくないと思いつつも、量が量だ。私がこの目で確認する必要がある。

 寝室には大量の贈り物が無造作に置かれていた。それらは、寝台の上にまでどっかりと鎮座している。

「どういった包みだった?」
「銀の包み紙に、赤いリボンが結ばれた箱です」
「似たような物ばかりだな」
「見たらわかります」

 同じような包みはいくつかあったものの、どれも私が贈った包みではなかった。

「どの侍女へ託した? 特徴を覚えているか?」
「背はわたくしよりも低くて、銀縁の眼鏡をかけた侍女です」
「わかった。執事に報告しよう」

 すぐに執事が呼ばれ、私を貴賓室まで案内した侍女がやってくる。

「わ、私はすぐに、近くにいた従僕へアドルフ様の部屋に運ぶよう、頼んでおきました」

 なんでも、アドルフの私室には男性使用人以外近づけないようになっているらしい。そのため、侍女は従僕に頼んだようだ。

「その従僕を呼んできなさい、今すぐに」
「は、はい!!」

 執事に命じられ、侍女は回れ右をして駆けて行く。
 
「アドルフ様、リオニー様、この度は使用人の不手際があり、大変失礼いたしました」
「もしも見つからなかったら、侍女は速攻で解雇する! 従僕は解雇だ!」

 そこまでしなくても、と思ったものの、ロンリンギア公爵家の屋敷内は厳しい環境にあるのかもしれない。
 部外者である私が口出しする権利なんてないのだ。

 問題の従僕は、屈強な使用人二名に左右の腕を取られる形でやってきた。おそらく、逃げようとしていたのだろう。
 足をじたばたと動かしている。逃亡を諦めていないのか。
 アドルフが彼の前に立つと、明らかに顔色を青くさせていた。

「預かった銀色の包みを、どこにやった?」
「し、知りません!」
「知らないわけがないだろうが!」

 アドルフが凄み顔で言ったので、従僕は涙目になる。

「つべこべ言わずに、正直に打ち明けろ!」

 あまりの迫力に耐えきれなくなったからか、従僕は真実を口にした。

「あの、朝から似たような贈り物が大量に届くので、ひとつくらいなくなってもバレないと思い――通いのメイドに渡しました」
「なんだと!?」

 なんでも横恋慕していたメイドに、私が作ったセーターを贈ったのだという。

「そのメイドの名前は?」
「メータ・クルトンです」
「今、そのメータ・クルトンとやらはどこにいる!?」
「階下の、厨房です」
「――っ!」

 アドルフは部屋を飛び出していく。そんな彼を、私は追いかけていった。
 普通の貴族令嬢であれば、ここで距離を離されてしまうだろう。私は魔法学校で男子生徒として過ごしてきた。移動の速さには自信がある。
 アドルフは初めこそ急ぎ足だったが、途中から走り始めた。私もドレスの裾を掴んであとに続く。
 あっという間に一階にある厨房へと辿り着いた。
 きっと厨房内はこれから行われる降誕祭のパーティーの準備で大忙しだろう。

 アドルフはずんずんと厨房内へ入り、よく通る声で叫ぶ。

「メータ・クルトンはどこにいる!?」

 厨房で働く料理人やキッチンメイド達は、キョトンとしていた。おそらくアドルフの顔を知らないのだろう。
 しかしながら、料理長の叫びによって状況は一転する。

「アドルフお坊ちゃん!?」

 それを聞いた者達は皆、恐れおののき、壁際へと移動して頭を下げる。

「もう一度言う。メータ・クルトンはどこの誰だ?」
「あ、あたしです!!」

 十六歳くらいの、栗毛に黒い瞳を持つキッチンメイドが挙手する。
 アドルフは険しい表情で接近し、低い声で問いかけた。

「従僕から、銀色の包みに赤いリボンが結ばれた贈り物を受け取ったか?」
「は、はい。貰いました」
「それは今、どこにある?」
「な、なぜですか?」

 メータが問いかけた瞬間、料理長の「いいから答えるんだ!!」という怒号が響き渡る。

「あの、その、あまりにも野暮ったくてあか抜けないセーターだったので、捨てました」
「なんだと!?」

 アドルフの迫力が恐ろしかったからか、メータは涙目になっていた。すぐさまアドルフのもとへと駆け寄り、腕を掴む。落ち着くようにと、耳元で囁いた。

「捨てた場所へ案内しろ」
「は、はい」

 メイドの休憩室へと急ぐ。突然アドルフがやってきたので、使用人達が作業する空間である階下は大騒動だった。

 メイドの休憩室に行き、ゴミ箱を覗き込む。中は空っぽだった。
 部屋にいたランドリーメイドが、想定外の事実を報告してくれた。

「その中のゴミは、先ほど捨てに行ってましたよ」

 今度はロンリンギア公爵家の屋敷裏にある焼却炉まで急ぐ。十分ほど前だったというので、もしかしたら間に合うかもしれない。
 アドルフはフェンリルを召喚し、私を乗せて焼却炉まで急ぐ。
 どうか間に合ってくれ、と心の中で祈った。

 途中、ゴミ捨て用の荷車を引く使用人を発見した。アドルフが凄みが込められた声で叫んだ。

「そこの者、止まれ!!」
「ひ、ひいいいい!!」

 目の前にフェンリルが下り立ったら、誰でも驚くだろう。使用人は腰を抜かしていた。

「メイドの休憩室のゴミはあるか?」
「ご、ございますが……」

 さまざまな場所の中のゴミが回収され、最終的に庭の水路で掬ったドブが入っていた。
 つまり、私のセーターは現在、どぶまみれだというわけだ。

 アドルフはゴミを見つめ、呆然としていた。

「アドルフ、セーターはまた作りますので」
「いや、大丈夫だ」

 そう言うと、アドルフはどぶの中に腕を入れた。

「あの、汚いです! 何が入っているかわからないので、危なくもあります。そこまでする必要はありません」
「そんなことはない! リオニーが一生懸命作ったセーターを、無駄にするわけにはいかないから」

 どぶと言っても下水ではなく、雨水が泥に混ざったものだという。それでも、何日も放置されていたものなので、汚いだろう。いくら言っても、アドルフは止まらない。
 私も手伝いたいのはやまやまだったが、アドルフから貰ったドレスを汚すわけにはいかなかった。
 五分後――アドルフはセーターを発見する。
 すでに開封され、泥まみれだったが、洗ったらきれいになるだろう。

「これが、リオニーが手作りしたセーターだな?」
「え、ええ。あの、まじまじ見るのは洗ってからにしてください」

 どぶにまみれたセーターは、ランドリーメイドの手に託された。
 燕尾服をどぶまみれにしてしまったアドルフは、急いで身なりを整えるらしい。
 降誕祭パーティーが開始されるまで残り二時間である。頑張れアドルフ、と心の中で応援した。
 私はアドルフの部屋に案内され、ゆっくり過ごすようにと言われる。部屋にある本は好きに読んでいいと言ってくれたものの、すべて魔法関連の書籍である。
 私が普通のお嬢様だったら、退屈しているに違いない。
 アドルフの部屋にある魔法書は、どれも絶版された貴重なものばかりだ。
 題名や著者名を見るだけでも楽しい。
 喉から手が出るほど欲しかった本があるものの、読みふけっていたら不審がられるだろう。
 文字を目で追っている中で、叔母が書いた輝跡の魔法についての本を発見する。貴重な本の中で、少し浮いていた。
 私も二冊持っていて、魔法学校と実家の私室に置いている。
 手に取ると、本自体が少しくたびれている印象を受けた。何度も読み返していたのだろうか。
 表紙を捲ると、大叔母のサインが書かれてある。
 アドルフと大叔母は会ったことがあるのだろうか?
 サイン以外にも、メッセージが書かれていた。

「〝あなたの人生を輝かせる人に、出会えますように〟」

 大叔母らしい、前向きなメッセージである。その言葉は、私の胸にも響いた。
 この先、アドルフにはさまざまな試練が立ちふさがるだろう。そういうときに、彼を支えられるような存在になりたい。

 大叔母の本を読んでいたら、アドルフが戻ってくる。先ほどまでどぶまみれでいたとは思えない、完璧な貴公子然とした姿であった。

「早かったですね。もっとお時間がかかるかと思っていました」
「手早く風呂に入るのは、魔法学校で慣れているからな」

 魔法学校ではお風呂のお湯が出る時間は決まっている。消灯後は水すら出ないのだ。そのため、うっかり忘れていたら、大急ぎで入らないといけない。
 アドルフは何度も、勉強していて入浴時間の終了が迫っていた、なんてことがあったらしい。

「最短記録は十分だな」
「まあ、すばらしい」

 アドルフは私の隣に座り、何を読んでいるのかと覗き込んでくる。
 ぐっと接近された瞬間、石鹸みたいないい匂いがしてドキッとした。

「リオニー、輝跡の魔法の本を読んでいたのだな」
「ええ」
「そういえば、リオルも輝跡の魔法を使いたい、なんて話していたな」
「著者は大叔母ですの。彼女はわたくしの憧れですわ」
「ああ! そういえば、家名がそうだな。なるほど、そういうわけだったのか」

 アドルフはしばし考え込むような素振りを見せたあと、私に真剣な眼差しを向ける。

「いつか、リオニーに話そうと思っていたのだが」
「なんですの?」

 どくん! と胸が高鳴る。ついに、薔薇の花束と恋文を贈っていた相手について打ち明ける気になったのか――と思いきや、アドルフの話は別件だった。

「俺は社交界に初めて出た日に、輝跡の魔法を作った彼女に出会った」

 なんでも、偶然の出会いだったらしい。

「会う人会う人、俺をロンリンギア公爵家の嫡男としてしか見ていなくて、息苦しかった――」

 人々はアドルフを祝いながらも、誰もがその向こうにいるロンリンギア公爵に目を向けていたという。
 ひとりとして、アドルフを見ていなかったのだ。
 アドルフは将来に悲観した。きっとこの先何をしても、認められるのは爵位を継いだ瞬間なのだろうと。
 ならば、この先努力をする意味なんてあるのか。
 当時、十五歳だったアドルフにはわからなかったという。
 アドルフは人に酔ったと言って会場を抜けだし、ふらりと歩いていた先にいたのが大叔母だったようだ。

「廊下の隅で蹲り、見るからに具合が悪そうにしていた。すぐさま介抱し、彼女のために用意されていたという部屋に連れて行ったんだ」

 水を一杯飲んだら、顔色はよくなったという。
 アドルフは逆に、大叔母から心配されてしまったらしい。

「居場所がない、迷子のようだと言われてしまった。そのとおりだったから、たいそう驚いたのを覚えている」

 アドルフがロンリンギア公爵家の者であると名乗っても、大叔母は態度を変えなかった。それで、アドルフは少しだけ心を許してしまったのだと話す。

「俺の中にあるくだらない自尊心をすべて優しく包み込んでくれるような、不思議な人だった。気付いたら、誰かに打ち明けるつもりはなかった胸の内を、すべて彼女に話していた」

 大叔母は部屋に置いていた自らの著書を手に取り、アドルフへ言葉を残した。

「それが、その本に書かれた〝あなたの人生を輝かせる人に、出会えますように〟、というものだった」

 それは、アドルフを理解し、支えてくれる人が世界のどこかにいるはず。そんな人と人生が交わるようにと願いを込めた言葉だったという。

 最後に、大叔母はアドルフにあることを伝授した。

「俺が魔法使いであることを言ったら、簡単な輝跡の魔法を教えてくれた。それは――〝星降り〟」

 輝跡の魔法の中でも基礎的なものだが、簡単な魔法ではない。
 叔母はアドルフの魔法の才能を見抜いて教えてくれたのだろう。

「その後、彼女と別れて会場に戻ったのだが、話しかける者はすべて、父に媚びを売りたい者ばかりだった」

 うんざりしたアドルフは、露台(バルコニー)に避難したらしい。

「ムシャクシャしていた俺は、先ほど習った星降りの魔法を、魔力をありったけ注いで放った。すると、思いがけないほうから声が聞こえて――」
「あ!!」

 思わず、声をあげてしまう。
 私は王宮のパーティーで見た、美しい星降りに覚えがあった。

「一階にはドレスをまとったご令嬢がいて、星降りに感激する声が聞こえた。そのご令嬢は友達といたようで、こう言っていた」

 ――今日は最悪の日だったけれど、今、この瞬間にすてきな日になりましたわ。どなたか存じませんが、ありがとうございます!

「その一言を聞いて、とても清々しい気持ちになった。人を喜ばせることが、こんなにも心地よい気分になるのかと、初めて知った。あのときの俺を救ったのは、リオニーだった」

 アドルフは私の手を握り、深々と頭を下げる。

「リオニーに出会った瞬間、人生が輝いたんだ」
「そんな……わたくしは……」

 婚約したばかりの私はとんでもなく卑屈で、アドルフからの誠意にまったく応えていなかった。それなのに、彼はずっと特別な思いを抱いていたという。

「わたくしは、アドルフに何を返せるのでしょうか?」
「何もしなくていい。傍にいるだけでいいんだ。絶対に、幸せにするから」

 アドルフの言葉に、こくりと頷く。
 彼と一緒ならば、どんな困難も乗り越えることができそうな気がした――。

「ああ、そうだ。降誕祭パーティーが始まる前に、リオニーを父に紹介しないといけない」

 アドルフは苦虫を噛み潰したような顔で言う。

「父は偏屈な人間で、優しさというものを祖母のお腹に忘れてきたような男だ。できるならば、リオニーに会わせたくない」

 けれども、この先結婚するまで、ロンリンギア公爵に会う機会はないという。今日が最後のチャンスというわけだった。

「父については先に謝っておく。不快な気持ちにさせるかもしれないから」

 アドルフは深々と頭を下げ、謝罪した。
 まだロンリンギア公爵は何もしていないのに、先に謝るとは斬新すぎるだろう。

「母上については、おそらくこの先も会えないだろう」
「そう、ですのね」

 母君について口にした瞬間、アドルフの表情が暗くなる。何やらワケアリのようだ。
 執事がやってきて、ロンリンギア公爵の準備ができたという。
 
「リオニー、父上のところに行こう」
「ええ」

 アドルフが差し出してくれた手に、指先をそっと重ねる。
 決戦に挑むような心持ちで、私は立ち上がった。

 降誕祭当日だというのに、ロンリンギア公爵は執務室にいた。まったく歓迎していないという表情で私達を見る。
 白髪が交ざった金の髪に、琥珀色の瞳を持つ、強面の男性がロンリンギア公爵らしい。アドルフとはまったく似ていなかった。きっと、彼は母親似なのだろう。
 ロンリンギア公爵は眉間の皺は基準装備、と言わんばかりの険しい表情を浮かべ、盛大なため息を吐いていた。

「父上、彼女がリオニー・フォン・ヴァイグブルグです」
「例の格下の家の小娘か」

 嫌味たっぷりに返してくれる。事前にアドルフから話を聞いていたので、内心こんなものか、と考えていた。

「ロンリンギア公爵、お初にお目にかかります、リオニーと申します」
「小娘、紹介はいい。どうせ覚えないから」
「父上、あんまりです!」
「うるさい」

 ロンリンギア公爵は乱暴に手を振り、出て行けと行動で示した。
 私は深々と頭を下げ、部屋から出て行く。
 扉が閉まると、アドルフは盛大な溜め息を吐いていた。
 そろそろ降誕祭パーティーが始まる時間帯だが、主催であるロンリンギア公爵の挨拶が終わってから行くらしい。

 アドルフの部屋は会場から遠いため、休憩のために用意された小部屋で待機する。

「開始三十分くらいは、父へのおべっかの時間だ。馬鹿馬鹿しくて、とてもではないが付き合ってられない」
「まあ、そうですのね」
「それよりも、先ほどは父がすまなかった。重ねて謝罪させていただく」
「いえ、ロンリンギア公爵がどういう人物か事前に耳にしていましたので、こういうものか、と思ったくらいです」

 アドルフは目を見張り、驚いた表情で私を見つめる。

「父を前にした年若い女性や子どもは、泣いて回れ右をすることが多い。リオニーは肝が据わっているな」
「そうなのでしょうか?」

 魔法学園の教師の中にも、怖くて厳しい教師は大勢いる。教師が権力と恐怖をもって力を振りかざす理由は、ひとりで大勢の生徒を監督しないといけないからだろう。
 一方で、絶大な権力を持つだけのロンリンギア公爵は、彼らより怖くないように思えた。その背景には、教師よりも精神的な余裕があるからに違いない。
 なんて見解を、アドルフに説明できるわけがなかった。

「ロンリンギア公爵は、よくわたくしとの結婚を許してくださいましたね」
「まあ、すぐに、というわけではなかったのだが」

 アドルフが十五歳で社交界に出た晩、すぐにロンリンギア公爵に対し、ヴァイグブルグ伯爵家の娘に婚約の打診をかけるよう懇願したらしい。

「けれども父は、つり合わないと言って却下した」

 それで簡単に引き下がるアドルフではなかった。

「習得が難しい官僚試験に合格し、魔法学校でトップレベルの成績で入学したら、許してくれないかと条件を出した」

 なんでも、未来のロンリンギア公爵であるアドルフは、十三歳の頃から父親の仕事を手伝っていたらしい。
 実際に王宮へ出仕する日もあったようだ。
 官僚試験というのは、年間で三名も合格しない非常に難しいものだ。それを、アドルフはたった三ヶ月で達成した。

「あとは、魔法学校に首席合格するだけだと思っていたが――」
「リオルに阻まれてしまったのですね」
「そうだ」

 これまで、アドルフが掲げた目標は何事も達成してきた。生まれて初めての敗北が、魔法学校の入学試験だったらしい。

「あそこで首位を取っていたら、すぐにでもリオニーと婚約できていたんだ」

 当時、私が首席を取っていたおかげで、二年もの間、アドルフを婚約者として意識しなくてもよかったというわけである。
 
「リオニーを見かけた日から、一年は経っていた。もしかしたら、すでに結婚する相手が決まっているのかもしれない。リオルから聞きだそうとしたが、首位を取れなかった悔しさがこみ上げてきて、酷い発言をしてしまった」

 彼が私扮するリオルに言った言葉は、一語一句覚えている。
 ――首席になったからといって、調子に乗るんじゃないぞ。そのうち、足を掬ってやるからな。
 結婚を目標に頑張った結果、出鼻をくじかれたのだ。悔しかっただろう。
 私も魔法学校で結果を残そうと必死だったのだ。首席を取れたのは、運がよかったとしか言えない。おそらく、アドルフとの得点にそこまで差はなかったのだろう。

「二回目こそは聞いてやる。そんな意気込みでリオルに話しかけたのだが」

 これも、彼の発言はよーく覚えていた。
 私が結婚しているか確認した挙げ句、とんでもないことを言ったのだ。
 ――なんだ、嫁き遅れか。
 さらに、嘲り笑うような顔も見せていた。

「リオニーが結婚していないと聞いた瞬間、喜びがこみ上げてきた。嬉しくてにやけそうになるのを必死になって抑えていたのだが……」

 嘲り笑いだと思っていたものは、喜びの感情を抑えつけたものだったらしい。二年越しに、勘違いが正される。なんというか、脱力してしまった。

「最終的に、父から認められたのは、二学年になった年の夏学期だった。ヴァイグブルグ伯爵家に打診を出し、了承するという返事があった日は、どれだけ嬉しかったか」

 父は私に聞かずに、勝手に結婚話を進めていた。初めこそ怒ってしまったものの、今となっては感謝している。
 事前に聞かれていたら、絶対に拒否していたから。

「最終的に、婚約が認められた判断材料はどういったものでしたの?」
「それは、リオルの成績らしい。優秀な弟がいるのならば、その姉も極めて優れているだろうと言っていた」
「そ、そうでしたの」

 私の頑張りが婚約成立の手助けをしていたとは、夢にも思わなかった。

「ロンリンギア公爵家が望む結婚相手は、公爵家以上の高貴な血を持つ者だ。しかしながら、大公家生まれの母は――」

 アドルフは視線を宙に浮かせ、苦しそうに眉間に皺を寄せる。
 きっと、これまでに何か母子(おやこ)の間で何かあったのだろう。

「すまない。母については、聞いていて気持ちのいい話ではないから――今度、打ち明ける」
「はい、承知いたしました」
 
 会場から音楽が聞こえてくる。降誕祭パーティーが始まったようだ。

「ああ、そうだ。これを渡そうと思っていた」

 アドルフが胸ポケットから取り出したのは、ベルベットの小袋であった。
 紐を解き、中身を手のひらに出す。それは、白金(プラチナ)の美しい指輪であった。
 表面には小粒のダイヤモンドがいくつも埋め込まれており、キラキラと輝いている。指輪の内側には、呪文が彫られていた。

「婚約指輪だ。その、気に入ってくれると嬉しいのだが」
「ありがとうございます」

 アドルフは私の指に、婚約指輪を嵌めてくれる。驚くほどぴったりだった。

「指輪には、守護の魔法が刻まれている。何かあったとき、リオニーを守ってくれるだろう。肌身離さず、持っていてほしい」

 なんの呪文だったのかと気になっていたが、守護の魔法だったらしい。
 物に魔法を付与するというのは、とてつもなく難しい技術だ。きっと高価だったに違いない。

「アドルフ、嬉しいです」
「そう言ってくれると、頑張って用意した甲斐がある」

 なんでも魔法はアドルフ自身が刻んだものらしい。付与魔法(エンチャント)が使えるとは、驚いた。

「寮で一生懸命刻んだ。それで勉強がいつもよりおろそかになっていたのか、試験は次席になってしまったのだが、後悔はしていない」

 アドルフが私と三十点も差を付けて次席だったのは、婚約指輪に魔法を付与していたからだったわけだ。
 私達は揃って、降誕祭に贈る物を必死になって作っていたというわけである。
 アドルフはまだ、会場に行く気がないらしい。しかしながら、執事がやってきて「そろそろ行かれてはいかがでしょうか?」と申してきた。

「このまま参加しなくてもいいくらいだ。リオニーとここで喋っているほうが、百倍楽しいから」
「アドルフ様、それでは困ります」

 ロンリンギア公爵家の親戚一同から、私のせいで参加しなかったと言われても困る。執事も気の毒なので、会場に行こうと声をかけた。

「わかった。では、行くか」

 執事はホッと胸をなで下ろした様子を見せたあと、私に深々と頭を下げた。
 アドルフが差し出してくれた手を取り、会場を目指す。
 ロンリンギア公爵家の広間(サルーン)は、とてつもなく広い。中心には巨大なクリスタルガラスのシャンデリアが輝き、会場内を明るく照らしている。
 扉を開け閉めしていた従僕が、高々に声をあげた。

「ロンリンギア公爵のご子息アドルフ様及び、婚約者であるヴァイグブルグ伯爵令嬢リオニー様のご登場です!」

 こっそり参加して、会場の人込みに混ざるつもりだったのに、大々的に宣言されてしまった。注目が一気に集まり、穴があったら入りたい気持ちに駆られる。 
 弱気になってはつけ込まれるだけだ。堂々としていなければならないだろう。

 一瞬にして、周囲が取り囲まれる。挨拶攻撃を受けると思いきや、人が避けていく。
 ロンリンギア公爵でもやってきたのかと思いきや――とんでもない相手が接近していた。

 ローズグレイの髪を品良く結い上げた、パウダーブルーのドレスを着こなす十八歳前後の美しい女性。
 すぐに、アドルフが耳打ちした。

「隣国の王女、ミュリーヌ・アンナ・ド・ペルショー殿下だ」

 思いがけない大物に、声をあげてしまいそうなほど驚いた。けれども、喉から出る寸前でなんとか耐える。

「アドルフ、久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「王女殿下におかれましても、御健勝のようで、お喜び申し上げます」
「堅苦しい挨拶はいいわ。子どものときみたいに、ミュリって呼んでちょうだいな」

 ミュリーヌ王女とアドルフは幼少期に付き合いがあったのだろう。王女側は打ち解けた雰囲気でいる。一方で、アドルフは表情から言葉遣いから、堅いように思えた。

「見ない間に大人になっていて、驚いたわ。アドルフだって紹介を受けた瞬間、信じられなかったの」

 ミュリーヌ王女の頬はかすかに赤くなっているように見えた。
 そういえば、と思い出す。以前、アドルフに隣国の王女から熱烈な手紙が届いている、なんて噂話があったことを。
 もしや、ミュリーヌ王女はアドルフが好きだったのか。
 ロンリンギア公爵家の次期当主と、隣国の王女様となれば、誰が見てもお似合いとしか思えない。

 ふと、じりじりと焼けるような強い視線に気付く。それは、ミュリーヌ王女の背後から感じるものであった。
 先ほど一戦を交えたロンリンギア公爵家の女性陣が、ミュリーヌ王女に従うように背後にずらりと並んでいたのだ。
 ここで、彼女達が反抗的だった態度の理由に気付く。
 私との婚約を破棄し、ミュリーヌ王女と結婚すると信じて疑っていないのだろう。
 確かな情報があるのならばまだしも、憶測で行動に出るなんて、愚かとしか思えないのだが。

「ねえ、アドルフ。別の部屋でゆっくり話さない。思い出話をしたいの」

 ミュリーヌ王女がアドルフの腕に手を伸ばした瞬間、サッと避けた。
 
「申し訳ありません、王女殿下。私はリオニーと一緒にいなければならないので、他の者に申していただくよう、お願いいたします」
「え? でも……」
「それに、昔と言っても、当時は五歳か六歳で、よく覚えていないのです」
「嘘よね? 私達だけの記憶があるはずでしょう?」
「当時は未熟な子どもだったゆえ、ご容赦いただければと思います」

 アドルフは深々と頭を下げると、私の手を引いてその場から離れる。
 
「ねえ、アドルフ、待って!」

 アドルフは振り返らずに、歩いて行った。
 彼は迷いのない足取りで露台に出て、従僕に誰も入れないようにと命令する。
 そこには円卓と椅子が置かれていて、軽食も用意されていた。

「リオニー、すまない。まさか王女殿下が来ているとは思わず……」
「わたくしはいいのですが、アドルフは大丈夫なのですか?」
 
 拒絶と言っても過言ではない態度を見せていた。国家間の問題にならないのかと心配になる。

「いや、心配はいらない。父から甘い顔は見せないようにと言われている」
「そう、でしたのね」

 なんでもそれには事情があるらしい。

「幼少期より王女殿下との結婚話はいくどとなく浮上していた。しかしながら、父は話を受けるつもりはなかったらしい」

 隣国の王女を娶れば、王族との力関係が変わってしまう。そのため、何度も断っていたらしい。

「昔、王女は男装していて、俺は完全に男だと思っていた。さらに、彼女が王女であることも知らずに、打ち解けていったらしい」

 はっきり覚えているわけではなく、おぼろげな記憶だったという。

「王女殿下と知らなかった俺の、物怖じしない態度が胸に響いたのかもしれない」

 何度も会いたいという手紙が届いていたようだが、アドルフ自身は興味がなかったし、ロンリンギア公爵からも止められていたので、断っていたようだ。

「まさか、この場に現れるとは――」

 ここで、露台の扉がトントンと叩かれる。執事がやってきたようだ。

「どうした?」
「あの、隣国の外交官が、アドルフ様とお話ししたいとのことで」
「親族のパーティーに、どうして隣国の外交官がやってくるのか」

 ロンリンギア公爵は「一度会っておけ」と執事に言付けしたらしい。

「リオニーがいるのに」
「わたくしは大丈夫です。ここで待っておりますので」

 私の言葉に、アドルフは盛大な溜め息を返す。

「すぐに戻ってくる」
「はい、お待ちしております」

 アドルフはしぶしぶといった様子で露台から出て行った。
 ひとり残された私は、しばしゆっくり過ごさせてもらう。
 ロンリンギア公爵と面会するだけでも大変だったのに、隣国の王女までいるなんて思いもしなかった。
 敵対心は親族の女性陣からしか感じなかったが、ミュリーヌ王女はアドルフと一緒にいる私をいっさい眼中に入れていなかった。それもなんだか恐ろしい。
 まだ、わかりやすく感情をぶつけてくれたほうがいいように思えてならなかった。

 アドルフが隣国の外交官に呼び出されてから、三十分は経ったか。
 なんだか胸騒ぎがしてならない。一刻も早く、戻ってきてほしい。
 願いが通じたのか、扉が開く。

「アドルフ――」

 立ち上がって一歩前に踏み出した瞬間、彼でないことに気付いた。
 燕尾服姿の男性が、私に突然襲いかかってきた。
 男は目にも止まらぬ速さで接近し、私に体当たりする。

「ぐっ!!」

 私の体はあっさり吹き飛ばされ、露台の手すりに背中を強打した。
 間髪入れずに男は接近し、私の首を絞める。それだけではなく、露台のすぐ下にある池に落とそうと体をぐいぐい押していた。
 真冬の池になんか落ちたら、確実に死んでしまうだろう。
 手を外そうと男の手首を掴むが、びくともしない。

「かっ……はっ――!!」

 目の前に白く輝く魔法陣が浮かんできた。これはアドルフがくれた婚約指輪に刻まれた、守護の魔法だろう。
 私が望んだ瞬間、魔法が発動されるに違いない。
 その前にこの男が誰なのか、証拠を掴みたかった。
 けれども顔に見覚えもなければ、こうして襲撃を受ける心当たりはまったく思いつかない。

「う……ぐうっ!」

 そろそろ限界だ。残る力をすべて使い、男の腕についていたカフスを引きちぎった。
 同時に叫ぶ。

「た、助けて、くださいませ!」

 思っていたより声はでなかったものの、魔法は発動される。
 魔法陣から巨大なフェンリルが飛び出し、男に襲いかかった。
 あれはエルガー、アドルフの使い魔だ。

『ギャウ!!』
「う、うあああああ!!」

 男は逃げようとしたものの、エルガーは追撃する。男を露台のガラス扉ごと押し倒す。
 ガラスの破片を散らしながら、広間に押し入る形となった。
 楽しく談話していた会場の空気は、一瞬にして緊迫したものに変わった。人々の悲鳴を響き渡る。

 男にのしかかったエルガーは、首筋めがけて噛みつこうとした。しかしながら、男の姿は一瞬で消えていく。あれは、転移魔法だろう。
 高位魔法を使える誰かが、今回の襲撃に加担しているのか。
 ふらつきながら、会場に足を踏み入れる。
 髪や衣服が乱れた私を見て、誰かが悲鳴をあげた。
 そんな私を守ってくれるように、エルガーがやってくる。ふわふわの毛並みに触れたら、恐怖心が少しだけ薄くなったような気がした。

「リオニー!!」

 アドルフがやってきて、私をそのまま抱きしめる。
 婚約指輪に刻まれた魔法が発動されたのを察知し、ここへやってきたようだ。

「いったい何があったんだ!? いや、それよりも――」

 アドルフは私の肩に着ていた上着を被せ、横抱きにする。エルガーを引き連れ、会場から去って行った。

 連れてこられたのは、救護室のような、寝台が並んだ部屋である。回復魔法が使える魔法使いがいるようで、アドルフは体を癒やすようにと命じていた。

「リオニー、ケガは?」
「ございません。エルガーが守ってくださいました」
「その、首の痣は、もしや絞められてできたものなのか?」
「ええ、まあ」

 アドルフの表情が、一気に険しくなる。
 すぐに回復魔法を、と言ってくれたのだが、この首を絞めた痕は何らかの証拠になるかもしれない。今は治さずに、そのままでいたほうがいい。
 首に残った手形だけで犯人を捜すのは難しいだろうが、騒ぎの自作自演を疑われては困る。
 被害を訴えるためにも、残しておいたほうがいいだろう。

「苦しかっただろうに」
「この真珠の首飾りの上から首を掴んだからか、全力で絞めることができなかったみたいです」
「そう、だったのだな」
「おかげで、助けを求めることができました」

 ただ、首飾りを使って締められていたら、私は即座に意識を失い、池に放り出されていただろう。それを考えると、犯人側も冷静でなかったことがわかる。
 アドルフは婚約指輪を嵌めた私の指先を手に取り、まじまじと見つめていた。

「魔法の引き金は、助けを求めた瞬間では遅いのかもしれない。悪意を持って近付く者を察知した瞬間、発動するように改良しなければ」

 それはいささか過保護ではないのか。その条件ならば、私はしょっちゅうエルガーを召喚してしまう事態になるだろう。

「それにしても、いったい誰がリオニーを襲ったのか」
「ええ……」

 犯人の特徴を、アドルフに伝えておく。

「露台は薄暗かったので、はっきり姿が見えているわけではなかったのですが――」

 外での襲撃だからか、顔は隠されていなかった。
 年頃は三十半ばくらいだろうか。身長は五フィート六インチくらいあっただろう。
 細身の体型で髪色は褐色(ブラウン)。瞳は榛色(ヘーゼル)だったような気がする。

「すみません、あとは記憶になくて」
「いや、十分だ」

 執事がやってきて、アドルフの耳元で囁く。彼はそれに対し、舌打ちを返していた。

「父が呼んでいる。ここにエルガーを置いておくから、安心してほしい」
「わかりました」

 いったい何が起こったのか、ロンリンギア公爵はアドルフから事情を聞きたいのだろう。
 彼と入れ替わるように、侍女がやってきた。乱れた髪とドレスを直してくれる。
 元通りになったので、ホッと胸をなで下ろした。
 侍女達はエルガーに睨まれ、気が気でないようだ。お礼を言って、下がってもらう。
 ふん! と荒い鼻息を吐くエルガーの、もふもふとした美しい毛並みに触れる。

「エルガー、先ほどはありがとうございました。とても、勇敢でした」

 普段、クールな印象があるエルガーだったが、褒められて嬉しかったのだろうか。尻尾を左右に振っていた。なかなか可愛いところもあるものだ。

 しばし時間をもてあましていたら、アドルフが戻ってくる。

「リオニー、すまない。父はリオニーからも話を聞きたいと言っているのだが。嫌ならば断ってもいい」
「わかりました。ロンリンギア公爵のもとへ、連れていってください」

 アドルフに支えられ、ロンリンギア公爵の執務室へと移動した。エルガーもあとに続く。
 先ほど見たとき同様に、執務椅子に座って待ち構えていたようだ。腕組みして待つロンリンギア公爵は、回れ右をして逃げたくなるくらいの重苦しい空気をまとっている。
 自らが主催する降誕祭パーティーで、事件が起きてしまったのだ。ああなってしまうのも無理はないだろう。

「襲撃を受けたようだが、小娘、お前は何をしでかした?」
「父上、その言い方はあんまりです!!」

 アドルフが抗議したものの、ロンリンギア公爵は無視していた。
 おそらく、私は襲撃を受けるほどの問題ある人物だと見なされているようだ。

「犯人はこのエルガーが匂いを嗅いで当てることができます!」
「そういう調査は、無関係の第三者だからこそ、立証できるのだ」
「しかし――」
「お前に話は聞いていない。小娘、答えろ」

 どうやら身の潔白は、自分で晴らすしかないらしい。
「わたくしは襲撃を受けるような心当たりはまったくございません」
「ではなぜ、襲われたのだ?」

 意地悪な質問である。心当たりがないものに、理由付けなんてできるわけがない。

「ここから先はわたくしの個人的な推測なのですが、申してもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」

 ぎゅっと拳を握り、脳裏を過ったありえない推し量った犯人の動機を述べる。

「アドルフ様はかつて、ミュリーヌ王女殿下の結婚相手候補だったと伺いました。ミュリーヌ王女殿下の様子を見る限り、アドルフ様への未練があるように思えて――」
「ミュリーヌ王女が婚約者であるお前を邪魔に思い、殺すために襲撃させた、と?」
「いいえ、ミュリーヌ王女が黒幕であるとは決めつけておりません」
「ほう、どうしてそう思う?」

 たとえば、ミュリーヌ王女の様子を見た臣下の誰かが忖度し、私を殺すために画策してきた可能性もある。

「しかし、ロンリンギア公爵家の誰かでなく、隣国側の者達が犯人だというのは、大胆な推理だな」
「アドルフ様が隣国の外交官に呼び出されたあとに、襲撃されたものですから。おそらく、外交官が話した内容は、ミュリーヌ王女殿下との結婚について、だったのでは?」

 アドルフのほうを見ると、こくりと頷く。
 なんでもミュリーヌ王女殿下と結婚したさいに、ロンリンギア公爵家が受ける多大な益について、こんこんと説明されたらしい。
 それでも、アドルフは首を縦に振らなかったようだ。

「結婚話を断って三分ほど経ったあと、リオニーの婚約指輪にかけていた守護魔法が発動した。思い返してみると、俺が断ったから襲撃を命じたように思えてならない」
「しかしそれだけでは、隣国側に証拠だと示すことは難しいだろう」
「では、こちらをご覧くださいませ」

 ロンリンギア公爵の執務机に、先ほど犯人から引きちぎったカフスを置いた。

「これは――?」
「犯人から奪い取ったカフリンクスですわ」

 カフスには証拠となる家紋などは刻まれていない。けれども触れた瞬間、これは使えると判断したのだ。

「この変哲もないカフスが、どう証拠になると言うのだ」
「こちらのカフスは、〝錫(すず)〟でできたものです」
「錫、だと?」
「ええ」

 金、銀に続く高価な金属として有名な錫だが、見た目は銀と変わらない。

「錫は隣国の一部地域でしか採れない、大変貴重な品です。さらに、我が国では取り引きしていない物となっています」
「錫は……そうだな。たしかに、我が国では取り引きされていない。しかしながら、錫の見た目は銀と変わらない。どうして錫だと気付いたのだ?」
「錫は、金属の中で唯一、病を患うからです」
「金属が病になる、だと? そんなの、聞いたことがないが」

 ロンリンギア公爵は訝しげな表情で私を見つめるが、アドルフはその理由に気付いたようだ。
 執務机に駆け寄り、錫のカフスを手に取って確認している。

「たしかに、これは――」
「見せてみろ」

 アドルフはカフスの裏面を向けた状態で、ロンリンギア公爵の手のひらに置いた。

「カフスの端のほうが、ボコボコと突起し、色がくすんでいる。これが、錫の病です」

 錫は寒さにめっぽう弱い。低温に晒されると、じわじわと病に侵食されていくように変色し、最終的にはボロボロに朽ちてしまう。
 隣国よりも北のほうに位置する我が国に持ち運ぶと、錫はこのような状態になってしまう。これが、病の正体だ。

「隣国から我が国へやってくるさいには竜に乗り、大きな山を越えなければなりません。空の上で氷点下にさらされた錫は、そのような状態になってしまうのです」

 これが、長年我が国と隣国の間で錫の取り引きがなかった理由である。
 錫の特性については、錬金術の授業で聞いていたのだ。偶然、それが役に立ったというわけである。

「なるほど、病を発症した錫のカフスを付けた男に襲撃された、か。これはたしかな証拠になりうるな」

 ロンリンギア公爵は隣国に抗議するという。それを聞いてホッと胸をなで下ろした。
 抗議どうこうよりも、私に関する疑いが晴れたので、それが何よりも嬉しかった。

「今晩は泊まるように。明日の朝に、改めて報告しよう」
「承知いたしました」

 襲撃されたあとなのでロンリンギア公爵家に残るのは恐ろしいが、隣国の者が本気で命を狙うのならば、どこにいても一緒だろう。
 まだ、ロンリンギア公爵の睨みが利いている屋敷にいるほうがマシなのかもしれない。

「それにしても、小娘、お前はなかなか肝が据わっているな。襲撃を受けながら、確かな証拠を確保していたとは」

 私の負けず嫌いが、ここでも出てしまったようだ。普通のお嬢様は、ここまで食い下がることなどできないだろう。

「小娘、名前はなんだったか?」
「リオニー、です」
「覚えておこう」

 ロンリンギア公爵は手を振って邪魔者を追い払うように、私達に下がるよう命じた。
 アドルフは私の手を握り、私室へと導いてくれた。
 丁寧に長椅子を勧め、ホットミルクを作ってくれるという。

「ホットミルクまで作れるのですね」
「従僕相手に紅茶を淹れる練習をさせていたら、夜眠れなくなったと抗議されてな。料理長からよく眠れる飲み物を教えてくれと言ったら、ホットミルクのレシピを伝授してもらった」

 紅茶には興奮作用がある物質が含まれている。そのため、夜に飲むと眠れなくなることがあるようだ。
 小さな鍋にミルクティー用に置いてあったミルクを注ぎ、魔石|焜炉(コンロ)で温める。蜂蜜をたっぷり垂らし、カップに注いでくれた。

「お口に合うといいのだが」
「ありがとうございます」

 蜂蜜の甘さが優しい、おいしいホットミルクだった。ようやくここで、心が落ち着いたように思える。

「それにしても、よく錫について知っていたな。もしや、リオルから聞いたのか?」
「え、ええ。そうなんです」
「やはり、そうだったか」

 なんとか誤魔化せたようで、胸を撫で下ろす。

「リオニー、せっかくの降誕祭パーティーだったのに、怖い思いをさせてしまい、申し訳なかった」
「いいえ、お気になさらず。私はこうして、助けていただきましたので」

 アドルフは私を抱きしめ、本当にすまなかった、と重ねて謝罪した。


 それから私が一晩泊まる部屋に案内される。
 離れにある客室だろうと思っていたのだが、アドルフの私室の隣だった。

「客間は親戚達で埋まっているから、ここを使うといい」

 そこは天蓋付きの寝台が置かれた寝室である。

「こちらは――どなたかのお部屋でしたの?」

 客用という雰囲気ではない。アドルフの隣なので、家族のために用意された部屋だろう。
 
「ここは、その」

 アドルフは顔を逸らし、俯く。
 もしや、グリンゼル地方で療養している、薔薇の花束と恋文を贈っていた相手のためにしつらえた部屋だったのか。

「アドルフの大切な方のために、用意した部屋ですの?」
「まあ、そうだな」

 やはり、と思ったのと同時に、胸が苦しくなる。
 私なんかがここで休んでもいいものか――なんて思っていたら、想定外の説明を受けた。

「リオニーが結婚後、ここを使えるように、以前から用意していた」
「わたくしの、お部屋?」
「ああ」

 結婚し、離婚するまでは、私を正式な妻扱いしてくれる、というわけなのか。
 
「ありがとうございます。嬉しいです」
「まだ未完成だが、眠るだけならば問題ないだろう。自分の家だと思って、寛いでほしい」
「はい」

 アドルフの部屋とは続き部屋になっているようで、好きなときに行き来できるらしい。

「結婚するまで、この部屋を通って俺がやってくることはない」

 今晩はエルガーを番犬として、寝室に置いてくれるらしい。少しの物音でも目覚めるというので、頼りになる用心棒だろう。

「ヴァイグブルグ伯爵家には早打ちの馬を送っておいたから」
「感謝します」

 父は不在で、リオルは帰宅しない私を心配なんてしないだろうが、アドルフの心遣いが嬉しかった。

「侍女に湯を用意させた。隣が浴室となっている。好きに使うといい」
「ありがとうございます」

 何かあったときは、すぐに呼ぶように、とアドルフは私の手を握りながら言う。
 その温もりを感じながら、こくりと頷いたのだった。

「では、また明日」
「ええ」
「おやすみ」
「おやすみなさいませ」

 アドルフの思いのほか優しい「おやすみ」に、くすぐったい気持ちになる。
 結婚したら、毎日言い合うのだろうか。そんな生活が、今の私には想像できなかった。

 お風呂に入りながら思う。
 アドルフはこれまで、想いを寄せる女性について匂わせたり、発言から察することができたりしなかった。
 事情を知らなければ、婚約者を過保護なまでに大事にする優しい男性である。
 私ひとりだけが、うじうじと見たこともない女性相手に嫉妬し、自分なんてと卑下していた。
 もう、そういうことは止めよう。今、この瞬間から。
 アドルフはきっと、結婚しても私を尊重し、大切にしてくれる。
 私も彼を尊重し、大切に思わなければならない。
 一日の汗と一緒に、卑屈で嫉妬深い醜い感情を洗い流した。

 初めて、ロンリンギア公爵家で一夜を過ごす。
 まさか、結婚するよりも先に、こういう機会が訪れるとは思っていなかった。
 ロンリンギア公爵家の女性陣を敵に回し、ミュリーヌ王女に出会い、思いがけない襲撃を受け、今に至る。
 今晩は眠れないのではないか、と思っていたものの、傍にエルガーがいる安心感からか、横になった途端に眠ってしまった。

 翌日――ロンリンギア公爵より呼び出しを受ける。調査の結果が出たらしい。
 途中報告のみかと思っていたが、仕事がかなり早い。

「犯人はミュリーヌ王女の侍女と付き合いがある男――ということだった」

 アドルフに振られてしまったミュリーヌ王女に同情し、私を亡き者にしようと画策したらしい。逃走のさいに展開された転移魔法は隣国にて高値で販売されている、魔法巻物(スクロール)を使ったものだったようだ。

「隣国側は罪を認め、ミュリーヌ王女は今後アドルフへ干渉しない、ということまで約束を取り付けた」

 今後、多額の賠償金が私に支払われるらしい。その代わり、事件について口外しないように、という条件が掲げられたようだ。

 アドルフは険しい表情で苦言を呈する。

「それは賠償金ではなく、口止め料では?」
「言ってやるな。相手が隣国の王族である以上、こちら側もあまり強く出られない」

 事件をきっかけに、隣国との友好関係が崩れたら大変だ。その辺の大人の事情は理解できる。

「まあ、侍女の男がどうこう言っていたが、今回の事件は王女殿下がけしかけた事件だろう。隣国側が罪を認めただけでも、儲けものだ」

 錫のカフスのおかげで、話を有利に進めることができたらしい。

「王女も喧嘩をふっかけた相手が悪かったな。取るに足らない女だと思って、粗末な方法でも仕留められると思ったのだろうが」

 ロンリンギア公爵は何を思ったのか、くつくつと笑い始める。

「外交官の焦った表情は、見物だったぞ。よくやった、小娘」

 昨日、名前をわざわざ聞いたのに、またしても小娘呼びである。きちんと覚える気がないのか。呆れたの一言であった。

「しばらく身辺に気を付けるように」
「はい」

 深々と頭を下げ、ロンリンギア公爵の執務室から出る。
 もう家に帰っていいというので、帰宅させてもらおう。

「アドルフ、ありがとうございました。わたくしはここで」

 中央街に出たら、乗り合いの馬車があるだろう。そう思っていたのに、アドルフに引き留められる。

「家まで送ろう」
「ええ、その、ありがとうございます」  

 アドルフはご丁寧にも、ロンリンギア公爵家の馬車で家まで送ってくれた。
 リオルに会ってから帰る、と言ったときには焦ったが、きっと夜更かしして昼まで眠っているだろうと伝えると、そのまま帰っていった。

 朝帰りした私を待っていたのは、チキンだった。

『帰ってくるのが遅いちゅり!』
「ごめんなさい。ちょっといろいろあって」
『もう、置いていかないでほしいちゅりよ!』

 襲撃された件を振り返ると、チキンを傍に置いておけばよかったと後悔が募る。
 これからはどこかにチキンを忍ばせておかなければならない。
 そう誓ったのだった。