二年もの間、私が女であるというのは隠し通していたのに。無理が原因でバレてしまうなんて。
ランハートは普段、ちゃらちゃらしていて何も考えていないような素振りを見せる。けれども、瞳の奥は冷静に人を見定めているように思える瞬間があった。
ランハート自身、なんでもかんでも楽しければいい、という印象があるものの、付き合う人間は厳選しているように感じた。
そんな彼の友達でいるのは、私にとって喜ばしいことだったのだ。
けれども今のランハートは、私に冷え切った視線を向けている。
「言っておくけれど、リオルに触れたのは寮母だ。俺じゃないよ」
「そ、そう」
ということは、寮母にも気付かれてしまった、というわけだ。
もう、どうしようもない。
一刻も早く、退学届を提出して、ここを去らなければならないだろう。
私は絞り出すように、ランハートへ謝罪した。
「ランハート、騙していて、ごめん」
「否定しないの?」
「だって、女であるというのは、本当だから」
ランハートは少し傷ついたような表情で見つめていた。私はずっと、彼を騙していたのだ。酷い行為を働いていたのである。
「アドルフは知っているのか?」
「知らない。家族以外、誰も」
空気が重苦しいような、気まずい時間が流れる。
息苦しくて、今にもここから逃げ出してしまいたい。いっそのこと、怒鳴り散らしてくれたほうが楽だった。
こんなときでも、ランハートは冷静だったのだ。
「リオルはどうして、女性の身でありながら、魔法学校に通っていたんだ?」
「それは――」
きっかけは、リオルが魔法学校に行きたくない、という一言だった。
リオルが入学しなければ、次代の子どもは通えない。ヴァイグブルグ伯爵家としても、それは困った事態である。
そこで、私が通うと名乗り出たのだ。ただそれは、大きな理由ではない。
魔法学校に男装までして通っていたのは、結局のところ私の我が儘だったのだ。
「……どうしても、魔法を習いたかったから」
そう。魔法学校に通っていた理由は、結局のところこれに尽きる。
ヴァイグブルグ伯爵家のためだとか、リオルが行きたくないと言ったから、ではなかったのだ。
自分の欲望を叶えるため、私は周囲の人達を騙して暮らしてきた。
ランハートは軽蔑するだろう。
「リオルは、魔法学校に通って、どう思った?」
なぜ、そんな質問をするのかわからない。けれども、正直な気持ちを伝える。
「とても、楽しかった」
貴族女性の集まりのようにふるまいや身なりを気にすることなく、自由気ままな毎日はどうしようもなく楽しかった。
同級生との付き合いは飾りけはないが、整然としていて、居心地はよかったように思える。
何よりも魔法を好きなだけ学べる環境というのは、夢みたいだった。頑張れば頑張るだけ教師に認められ、試験の結果として目に見える成果を得られる。
魔法学校はさまざまな欲求を叶えてくれる場所だったのだ。
「異性の中でやっていくのは、大変だっただろう?」
「それはそうだけれど、子どものときから負けず嫌いな性格だったから」
「負けん気で乗り切っちゃったのか」
「そう」
始めから女である私が魔法学校に通うなんて、無理があったのかもしれない。
今、この瞬間がこの生活を終える潮時なのだろう。
「明日にでも、退学届を提出するから」
「いやいや待って! なんで辞めるの?」
「だって、私は女だし」
「二年間バレずに頑張ったんだから、ここで辞めるのは惜しいって」
私はきっと、ポカンとした表情でランハートを見つめているのだろう。
彼は魔法学校を辞めなくてもいいと言ったのだから。
「どうして? 女である私が、魔法学校に通うなんて、道理に反しているでしょう?」
「それは……確かに、としか言いようはないけど」
ランハートは複雑そうな表情を浮かべつつ、後頭部を掻く。
「そりゃ、異性であることを隠して、友達していましたってわかって、モヤモヤした気持ちはあったけれどさ。俺はずっと、リオルの傍で努力を見続けてきたから」
「努力?」
「そう。毎日毎日勉強して、授業は誰よりも熱心に受けて、下級生の面倒はしっかり見て。さらに、あのアドルフ・フォン・ロンリンギアには毅然とした態度でいて――尊敬でしかなかったよ。そんな毎日なんて、死ぬほど大変だろうなって思っていたのに、楽しかったなんて言われたら、退学すべきだ、なんて言えない」
「ランハート……」
彼は私のことを、ずっと見ていてくれたのだ。胸がじんと震える。
「でも、寮母にもバレてしまったし、ランハートが黙ってくれていても、無理な気がする」
「あー、でも、あの寮母さんなら大丈夫なんじゃないかな。知らないけれど」
寮母は生徒の違反を発見したら魔法学校に報告する義務がある。今頃、校長に報告しているかもしれない。
「気になるんだったら、今から聞きに行く?」
「うん」
「辛かったら、おんぶするけれど」
「いい、もう大丈夫」
「リオルの大丈夫は怪しいんだけれどな」
「本当に大丈夫だから」
「はいはい」
水を飲み、ランハートが剥いてくれたオレンジを二切れ食べた。そのおかげか、頭痛はなくなった。
制服のボタンを閉じ、ガウンをまとって部屋を出る。
寮母はいつも、ジャムやお菓子を作る専用の部屋にいるのだ。
部屋から灯りが漏れていたので、扉を叩く。すぐに扉が開かれ、私の顔を見るなり「あら」と声を上げた。
寮母はランハートを廊下に待たせ、私だけ部屋に招き入れる。
何も言わず、ホットミルクを作ってくれた。
彼女は二十年も寮母を務めていて、さまざまなトラブルを見てきたのだろう。
私が女であるとわかっているのに、どっしりと構えていた。
「お腹は空いていない?」
「はい。でも、ランハートは空いているかもしれません」
「そう。お友達思いなのね」
おそらく、ランハートは夕食を食べずに私のもとにいたに違いない。そう訴えると、軽食を用意してくれるという。それを聞いてホッとした。
寮母は口元に布を当て、三角巾で頭を覆う。
手際よくサンドイッチを作りつつ、話しかけてきた。
「具合はもう平気なの?」
「はい。その、回復魔法をかけてくれたとのことで」
「ええ、お安い御用よ」
目の前にホットミルクが差し出される。
「蜂蜜をたっぷり入れておいたから」
「ありがとう、ございます」
一口飲むと、優しい味わいが広がっていく。ざわざわと落ち着かなかった心が、少しだけ落ち着いたように感じた。
「それで、その――」
「私、何も見ていないわ」
「え!?」
いったいどういう意味なのか。
彼女は私が装着していた矯正用の下着を寛がせてくれていた。胸を見ただろうし、触れたら男でないことは明らかだったはず。
「ここから先は内緒話なんだけれど、実は私も、ここの学校の卒業生なの」
「!?」
それが意味するのは、寮母も男装し、魔法学校に通っていたということである。
「男子生徒の中での共同生活は本当に辛くて辛くて。女だってことがバレたのは、一学年の四旬節期間だったわ。シーツを真っ赤に染めてしまってね、うっかりしていたの」
入学から半年経った二学期に、同室の男子に正体が露見したようだ。
「たくさん血を流していたから、私が死ぬって思ったみたい。泣きだしたから、なだめるのに私は女だから大丈夫って言っちゃったのよね」
女性が毎月血を流すのは、生理現象である。それをざっくり把握しているものの、詳しく知っている男性は案外少ないという。
「その人は、三年間黙っていてくれたわ。まあ、今の夫なんだけれど」
驚いた。私より前に、男装して魔法学校に通っていた女性がいたなんて。
「だからね、私はなーんにも見ていないの。わかった?」
こくりと頷くと、寮母はサンドイッチの入ったバスケットを手渡してくれた。
「あなたも少しでいいから食べなさい」
「ありがとうございます」
寮母は笑顔で、私を送り出してくれた。
ランハートは私の表情を見て、いろいろ察してくれたらしい。
「なあ、大丈夫だっただろう?」
その言葉に、私は呆然としつつも頷いたのだった。
それから部屋に戻り、ランハートと一緒にサンドイッチを食べた。
安心したからか、一切れ食べきることができたのだ。
ランハートはびっくりするくらいいつも通りで、それでいいのかと問い詰めたくなる。
「あの、ランハート。その、この先黙っておくことに関しての、その、対価とか、何か必要?」
「え、なんで?」
「なんでって、秘密を守ってもらうには、見返りがいるでしょう?」
「そんなのいらないって。俺達、友達でしょー?」
それを聞いた途端、涙がポロリと零れてしまった。
「うわ、リオル、なんで泣くの?」
「だって、ランハートが、友達でいてくれるって言うから」
「俺が泣かしたのか! いや、女だろうと男だろうと、リオルはリオルじゃんか」
「うん」
「だから俺達は友達! 変わるわけがないじゃないか」
泣いたらランハートが困るとわかっているのに、涙が止まらなかった。
「っていうか、改めて確認するんだけれど、リオルって、リオルのお姉さん?」
「そうだよ」
「うわー! 俺、リオルのお姉さんに直接結婚したいって言っていたことになるじゃん!」
「そうだよ。もう言わないで」
「絶対に言わない! ごめん!」
恥ずかしくなって顔が熱くなったのか、手のひらであおいでいる。
「そういえば、このこと、アドルフにはずっと内緒にしておくの?」
「無理だと思う。結婚したら、そのうち勘づかれてしまいそうだし」
「そっか」
「卒業したら、打ち明けるつもり」
それでアドルフが婚約破棄すると言っても、私は引き下がらずに受け入れるつもりだ。
これまではこの秘密は墓場まで持って行くつもりだった。けれどもアドルフへの恋心に気付いた今、隠し通すことなんてとてもできない。すでに覚悟は決めていた。
「リオル、一個だけ約束して」
「何?」
「俺がリオルが女性だって知っていたこと、絶対にアドルフに言わないで」
「どうして?」
「嫉妬するに決まっているから!」
「嫉妬? 誰が?」
「アドルフがだよ!」
なぜ、ランハートが私の秘密を知っていたら嫉妬に繋がるのか。よくわからなかったものの、ランハートが必死の形相で訴えるので、頷いておいた。
「リオルってば究極の鈍感だな。アドルフの溺愛に気付いていないなんて……」
「なんか言った?」
「いいや、なんでもない」
十切れ以上あったサンドイッチをぺろりと平らげたランハートは、入っていたバスケットを抱えて立ち上がる。
「よし、もう寝ようかな。リオル、おやすみ」
「おやすみなさい、ランハート」
ランハートは踵を返し、部屋から去っていく。
扉が閉ざされた瞬間、ホッと安堵の息が零れた。
女であることがバレてしまったものの、大丈夫だった。ランハートだったから秘密を守ってくれたのだろう。
それがアドルフだったら――速攻で校長に報告していたに違いない。
せっかく手にした機会だ。無駄にしたくない。
なんとしてでも、魔法学校を卒業するまで女であることを隠し通さなければならない。
体調不良で倒れるなどもってのほかだ。
よく寝てよく食べ、よく学ぶ。そんな目標を掲げ、私は眠りについたのだった。
それからというもの、ランハートは信じがたいほどいつもどおりである。
異性であることがわかったので、距離を取られるかもしれないと考えていたのだが。
ただ、少しだけ変わったことがあった。
「リオル、今日は冷えるから、これでもかけておけよ」
そう言って、どこに持っていたのかわからない肩かけをかけてくれた。
「ランハート、これ、お婆さんとかがよくかけているやつじゃない?」
「そうそう。うちの乳母が趣味が合わないって、突き返されたやつ、実家から持ってきたんだ」
……ランハートは私を、お婆さん扱いするようになった。
お年寄りと同じくらい、気にかけなければならない存在だと認識されてしまったのか。
「リオル、食べ物はよく噛んで、睡眠はしっかり取って、適度な運動をするんだ」
「お年寄り扱いはしないでくれる?」
「廊下で倒れたから、心配しているのに」
それを指摘されると、何も言えなくなる。
私が倒れそうになったのは、階段を下りる前。転がり落ちる寸前で、ランハートが助けてくれたらしい。それに関しては、深く感謝している。
「もうランハートを心配させるようなことは、二度としないから」
「頼むよー」
そんな会話をする私達を、アドルフが見つめていたなど、このときは気付いてもいなかったのだ。
ランハートは普段、ちゃらちゃらしていて何も考えていないような素振りを見せる。けれども、瞳の奥は冷静に人を見定めているように思える瞬間があった。
ランハート自身、なんでもかんでも楽しければいい、という印象があるものの、付き合う人間は厳選しているように感じた。
そんな彼の友達でいるのは、私にとって喜ばしいことだったのだ。
けれども今のランハートは、私に冷え切った視線を向けている。
「言っておくけれど、リオルに触れたのは寮母だ。俺じゃないよ」
「そ、そう」
ということは、寮母にも気付かれてしまった、というわけだ。
もう、どうしようもない。
一刻も早く、退学届を提出して、ここを去らなければならないだろう。
私は絞り出すように、ランハートへ謝罪した。
「ランハート、騙していて、ごめん」
「否定しないの?」
「だって、女であるというのは、本当だから」
ランハートは少し傷ついたような表情で見つめていた。私はずっと、彼を騙していたのだ。酷い行為を働いていたのである。
「アドルフは知っているのか?」
「知らない。家族以外、誰も」
空気が重苦しいような、気まずい時間が流れる。
息苦しくて、今にもここから逃げ出してしまいたい。いっそのこと、怒鳴り散らしてくれたほうが楽だった。
こんなときでも、ランハートは冷静だったのだ。
「リオルはどうして、女性の身でありながら、魔法学校に通っていたんだ?」
「それは――」
きっかけは、リオルが魔法学校に行きたくない、という一言だった。
リオルが入学しなければ、次代の子どもは通えない。ヴァイグブルグ伯爵家としても、それは困った事態である。
そこで、私が通うと名乗り出たのだ。ただそれは、大きな理由ではない。
魔法学校に男装までして通っていたのは、結局のところ私の我が儘だったのだ。
「……どうしても、魔法を習いたかったから」
そう。魔法学校に通っていた理由は、結局のところこれに尽きる。
ヴァイグブルグ伯爵家のためだとか、リオルが行きたくないと言ったから、ではなかったのだ。
自分の欲望を叶えるため、私は周囲の人達を騙して暮らしてきた。
ランハートは軽蔑するだろう。
「リオルは、魔法学校に通って、どう思った?」
なぜ、そんな質問をするのかわからない。けれども、正直な気持ちを伝える。
「とても、楽しかった」
貴族女性の集まりのようにふるまいや身なりを気にすることなく、自由気ままな毎日はどうしようもなく楽しかった。
同級生との付き合いは飾りけはないが、整然としていて、居心地はよかったように思える。
何よりも魔法を好きなだけ学べる環境というのは、夢みたいだった。頑張れば頑張るだけ教師に認められ、試験の結果として目に見える成果を得られる。
魔法学校はさまざまな欲求を叶えてくれる場所だったのだ。
「異性の中でやっていくのは、大変だっただろう?」
「それはそうだけれど、子どものときから負けず嫌いな性格だったから」
「負けん気で乗り切っちゃったのか」
「そう」
始めから女である私が魔法学校に通うなんて、無理があったのかもしれない。
今、この瞬間がこの生活を終える潮時なのだろう。
「明日にでも、退学届を提出するから」
「いやいや待って! なんで辞めるの?」
「だって、私は女だし」
「二年間バレずに頑張ったんだから、ここで辞めるのは惜しいって」
私はきっと、ポカンとした表情でランハートを見つめているのだろう。
彼は魔法学校を辞めなくてもいいと言ったのだから。
「どうして? 女である私が、魔法学校に通うなんて、道理に反しているでしょう?」
「それは……確かに、としか言いようはないけど」
ランハートは複雑そうな表情を浮かべつつ、後頭部を掻く。
「そりゃ、異性であることを隠して、友達していましたってわかって、モヤモヤした気持ちはあったけれどさ。俺はずっと、リオルの傍で努力を見続けてきたから」
「努力?」
「そう。毎日毎日勉強して、授業は誰よりも熱心に受けて、下級生の面倒はしっかり見て。さらに、あのアドルフ・フォン・ロンリンギアには毅然とした態度でいて――尊敬でしかなかったよ。そんな毎日なんて、死ぬほど大変だろうなって思っていたのに、楽しかったなんて言われたら、退学すべきだ、なんて言えない」
「ランハート……」
彼は私のことを、ずっと見ていてくれたのだ。胸がじんと震える。
「でも、寮母にもバレてしまったし、ランハートが黙ってくれていても、無理な気がする」
「あー、でも、あの寮母さんなら大丈夫なんじゃないかな。知らないけれど」
寮母は生徒の違反を発見したら魔法学校に報告する義務がある。今頃、校長に報告しているかもしれない。
「気になるんだったら、今から聞きに行く?」
「うん」
「辛かったら、おんぶするけれど」
「いい、もう大丈夫」
「リオルの大丈夫は怪しいんだけれどな」
「本当に大丈夫だから」
「はいはい」
水を飲み、ランハートが剥いてくれたオレンジを二切れ食べた。そのおかげか、頭痛はなくなった。
制服のボタンを閉じ、ガウンをまとって部屋を出る。
寮母はいつも、ジャムやお菓子を作る専用の部屋にいるのだ。
部屋から灯りが漏れていたので、扉を叩く。すぐに扉が開かれ、私の顔を見るなり「あら」と声を上げた。
寮母はランハートを廊下に待たせ、私だけ部屋に招き入れる。
何も言わず、ホットミルクを作ってくれた。
彼女は二十年も寮母を務めていて、さまざまなトラブルを見てきたのだろう。
私が女であるとわかっているのに、どっしりと構えていた。
「お腹は空いていない?」
「はい。でも、ランハートは空いているかもしれません」
「そう。お友達思いなのね」
おそらく、ランハートは夕食を食べずに私のもとにいたに違いない。そう訴えると、軽食を用意してくれるという。それを聞いてホッとした。
寮母は口元に布を当て、三角巾で頭を覆う。
手際よくサンドイッチを作りつつ、話しかけてきた。
「具合はもう平気なの?」
「はい。その、回復魔法をかけてくれたとのことで」
「ええ、お安い御用よ」
目の前にホットミルクが差し出される。
「蜂蜜をたっぷり入れておいたから」
「ありがとう、ございます」
一口飲むと、優しい味わいが広がっていく。ざわざわと落ち着かなかった心が、少しだけ落ち着いたように感じた。
「それで、その――」
「私、何も見ていないわ」
「え!?」
いったいどういう意味なのか。
彼女は私が装着していた矯正用の下着を寛がせてくれていた。胸を見ただろうし、触れたら男でないことは明らかだったはず。
「ここから先は内緒話なんだけれど、実は私も、ここの学校の卒業生なの」
「!?」
それが意味するのは、寮母も男装し、魔法学校に通っていたということである。
「男子生徒の中での共同生活は本当に辛くて辛くて。女だってことがバレたのは、一学年の四旬節期間だったわ。シーツを真っ赤に染めてしまってね、うっかりしていたの」
入学から半年経った二学期に、同室の男子に正体が露見したようだ。
「たくさん血を流していたから、私が死ぬって思ったみたい。泣きだしたから、なだめるのに私は女だから大丈夫って言っちゃったのよね」
女性が毎月血を流すのは、生理現象である。それをざっくり把握しているものの、詳しく知っている男性は案外少ないという。
「その人は、三年間黙っていてくれたわ。まあ、今の夫なんだけれど」
驚いた。私より前に、男装して魔法学校に通っていた女性がいたなんて。
「だからね、私はなーんにも見ていないの。わかった?」
こくりと頷くと、寮母はサンドイッチの入ったバスケットを手渡してくれた。
「あなたも少しでいいから食べなさい」
「ありがとうございます」
寮母は笑顔で、私を送り出してくれた。
ランハートは私の表情を見て、いろいろ察してくれたらしい。
「なあ、大丈夫だっただろう?」
その言葉に、私は呆然としつつも頷いたのだった。
それから部屋に戻り、ランハートと一緒にサンドイッチを食べた。
安心したからか、一切れ食べきることができたのだ。
ランハートはびっくりするくらいいつも通りで、それでいいのかと問い詰めたくなる。
「あの、ランハート。その、この先黙っておくことに関しての、その、対価とか、何か必要?」
「え、なんで?」
「なんでって、秘密を守ってもらうには、見返りがいるでしょう?」
「そんなのいらないって。俺達、友達でしょー?」
それを聞いた途端、涙がポロリと零れてしまった。
「うわ、リオル、なんで泣くの?」
「だって、ランハートが、友達でいてくれるって言うから」
「俺が泣かしたのか! いや、女だろうと男だろうと、リオルはリオルじゃんか」
「うん」
「だから俺達は友達! 変わるわけがないじゃないか」
泣いたらランハートが困るとわかっているのに、涙が止まらなかった。
「っていうか、改めて確認するんだけれど、リオルって、リオルのお姉さん?」
「そうだよ」
「うわー! 俺、リオルのお姉さんに直接結婚したいって言っていたことになるじゃん!」
「そうだよ。もう言わないで」
「絶対に言わない! ごめん!」
恥ずかしくなって顔が熱くなったのか、手のひらであおいでいる。
「そういえば、このこと、アドルフにはずっと内緒にしておくの?」
「無理だと思う。結婚したら、そのうち勘づかれてしまいそうだし」
「そっか」
「卒業したら、打ち明けるつもり」
それでアドルフが婚約破棄すると言っても、私は引き下がらずに受け入れるつもりだ。
これまではこの秘密は墓場まで持って行くつもりだった。けれどもアドルフへの恋心に気付いた今、隠し通すことなんてとてもできない。すでに覚悟は決めていた。
「リオル、一個だけ約束して」
「何?」
「俺がリオルが女性だって知っていたこと、絶対にアドルフに言わないで」
「どうして?」
「嫉妬するに決まっているから!」
「嫉妬? 誰が?」
「アドルフがだよ!」
なぜ、ランハートが私の秘密を知っていたら嫉妬に繋がるのか。よくわからなかったものの、ランハートが必死の形相で訴えるので、頷いておいた。
「リオルってば究極の鈍感だな。アドルフの溺愛に気付いていないなんて……」
「なんか言った?」
「いいや、なんでもない」
十切れ以上あったサンドイッチをぺろりと平らげたランハートは、入っていたバスケットを抱えて立ち上がる。
「よし、もう寝ようかな。リオル、おやすみ」
「おやすみなさい、ランハート」
ランハートは踵を返し、部屋から去っていく。
扉が閉ざされた瞬間、ホッと安堵の息が零れた。
女であることがバレてしまったものの、大丈夫だった。ランハートだったから秘密を守ってくれたのだろう。
それがアドルフだったら――速攻で校長に報告していたに違いない。
せっかく手にした機会だ。無駄にしたくない。
なんとしてでも、魔法学校を卒業するまで女であることを隠し通さなければならない。
体調不良で倒れるなどもってのほかだ。
よく寝てよく食べ、よく学ぶ。そんな目標を掲げ、私は眠りについたのだった。
それからというもの、ランハートは信じがたいほどいつもどおりである。
異性であることがわかったので、距離を取られるかもしれないと考えていたのだが。
ただ、少しだけ変わったことがあった。
「リオル、今日は冷えるから、これでもかけておけよ」
そう言って、どこに持っていたのかわからない肩かけをかけてくれた。
「ランハート、これ、お婆さんとかがよくかけているやつじゃない?」
「そうそう。うちの乳母が趣味が合わないって、突き返されたやつ、実家から持ってきたんだ」
……ランハートは私を、お婆さん扱いするようになった。
お年寄りと同じくらい、気にかけなければならない存在だと認識されてしまったのか。
「リオル、食べ物はよく噛んで、睡眠はしっかり取って、適度な運動をするんだ」
「お年寄り扱いはしないでくれる?」
「廊下で倒れたから、心配しているのに」
それを指摘されると、何も言えなくなる。
私が倒れそうになったのは、階段を下りる前。転がり落ちる寸前で、ランハートが助けてくれたらしい。それに関しては、深く感謝している。
「もうランハートを心配させるようなことは、二度としないから」
「頼むよー」
そんな会話をする私達を、アドルフが見つめていたなど、このときは気付いてもいなかったのだ。