扉を開くと、アドルフが遠慮がちな表情で立っていた。
「突然すまない、今、時間はいいか? 話したいことがあるんだ」
「うん、いいよ」
部屋に招き入れ、窓際にある椅子を勧める。
いったい何用なのか。本を貸し借りしたり、勉強したいわけではないらしい。
少しソワソワした様子で、部屋の中へと入ってくる。
「アドルフ、お茶飲む?」
「いや、長居するつもりはない。それに、今から頼んでも、届くのは早くて十五分後くらいだろうが」
「いや、これ、実家から持ってきたんだ」
茶器セットを見せると、アドルフは目を見張る。
「お前、紅茶を淹れることができるのか?」
「できるよ。簡単だし」
最近、実家から持ち込んだ魔石ポットを使い、湯を沸かして紅茶を淹れた。
寮母に頼んだらいつでも淹れてくれるのだが、誰とも会いたくないときにこっそり淹れて飲んでいたのだ。
「アドルフ、砂糖とミルクは――」
いらないんだっけ? と言いかけたあと、口をきゅっと噤む。彼は紅茶に何も入れないで飲んでいたのだが、それは婚約者である私だけが知る情報である。同級生であるリオルが把握している情報ではない。
ちなみに私はストレート派だ。たまに、疲れているときは砂糖とミルクを入れることもあるが。
「砂糖は三杯、ミルクは少々入れてくれ」
「え?」
外で会ったとき、アドルフが砂糖を入れているところなんて見た覚えはない。
そういえば、彼はクッキーが大好物である。甘党なのは明らかであった。
「砂糖、そんなに入れるんだ。いつも?」
「そうだ。悪いか?」
ではなぜ、いつもはストレートで飲んでいるのか。
なんて考えつつ、紅茶を飲む。
「リオルも、紅茶はストレートなんだな」
「え? まあ、そうだね」
なんて言葉を返してからハッとなる。別人を装うならば、好みは別にしておくべきだった。
「リオニー嬢もストレートで飲むから、一緒に会うときは俺もストレートで飲むようにしている」
あえて砂糖とミルクを入れずに飲んでいたという。別に、相手の好みに合わせなくてもいいのに。それも、紳士的行動なのだろうか?
「別に、好きなように飲めばいいじゃない」
「俺だけ砂糖をドバドバ入れていたら、格好悪いだろうが」
まさかの理由に、思わず噴き出してしまう。
「笑うな!」
「いや、だって、恰好つけてストレートの紅茶を飲んでいたなんて、笑っちゃう」
婚約者である私の前では、絶対に見せないであろうアドルフの様子に、笑いが止まらなくなってしまう。
今、初めてアドルフの友達をするのも悪くないな、と思ってしまった。
「それにしても、リオル、お前はすごいな」
「何が?」
「紅茶をこうしてひとりで淹れられるではないか」
「ああ、これね。魔法を使うより簡単だよ」
「魔法を使うより……そうだな」
アドルフは紅茶の淹れ方を覚えてみたい、なんて言ったので、軽く教えてあげた。
記念すべき一杯目は、少しだけ渋かった。
「そういうときは、ミルクで薄めたらいいんだ」
「嫌だよ、風味が台無しになる」
なんでもアドルフが生まれる前から働いているロンリンギア公爵家の老執事はたいそう渋い紅茶を淹れてくれるらしい。そのたびに、アドルフはミルクを追加して味わいを調節していたようだ。
「上手く淹れられるようになったら、リオニー嬢に飲んでもらうか。リオル、練習に付き合ってくれ」
「僕は実験台か」
「そうだ」
堂々と言い放ってくれる。思わず、同時に噴き出し笑いをしてしまった。
「実は、お前に相談をしようとしていた」
「していた? 話さないってこと?」
「ああ、そうだ。今さっき、解決したからな」
曰く、私が言った「魔法を使うより簡単だよ」という言葉と、紅茶の淹れ方を習っているうちに、自分の気持ちに決着が付いたらしい。
「誰かに相談すべきか、ずっと迷っていた。慎重を要する問題だから、言わないほうがいいのでは、と考えていたのだが」
アドルフの言う〝問題〟というのは、グリンゼル地方で療養している彼女についてだろうか?
先日、事態が変わり、今すぐに状況を打ち明けることができない、なんて言っていたのだが。
私との些細な会話の中で、解決したのならばそれでいい。そもそも聞きたくなかったし。
しかしながら、言葉を聞く限り、アドルフはひとりで問題を抱えていたように思える。
婚約者であり、アドルフに恋心を寄せる立場から言えば聞きたくないが、同級生であり、ライバル、また友達である立場からしたら放っておけない。
「アドルフ、問題はひとりで抱え込まないで。話を聞くだけだったら、いつでもできるから」
「リオル……ありがとう。少し、気が軽くなった」
話はこれで終わりかと思いきや、まだあるらしい。
「そうそう。リオル、あとでリオニー嬢から話があるだろうが、ロンリンギア公爵家の降誕祭に行うパーティーに参加しないか?」
「ああ、それね」
「もしや、すでに話は聞いていたのか?」
「まあね」
アドルフの手紙がヴァイグブルグ伯爵家に届き、転送されてから三日は経っている。話を聞いていてもおかしくない期間だろう。アドルフの言葉に頷いておく。
「お前、前に降誕祭は家で何もしない、なんて言っていただろう? だから、ロンリンギア公爵家のパーティーに参加したらどうかと思って」
驚くべきことに、アドルフは一学年のときに私が話した降誕祭についての会話を覚えていたようだ。
「少し堅苦しいパーティーだが、華やかで、楽しめる……と思う」
「アドルフ、ありがとう」
私が本物のリオルであれば、喜んで参加していただろう。けれどもパーティーに行くならば、リオルではなく、リオニーとして挑んだほうがいい。
「僕は遠慮しておく。休暇期間に実家でやりたいこともあるし」
「降誕祭は、ひとりで過ごすと言うのか?」
「うちでは毎年そうだったから」
アドルフのほうを見ると、雨の日に捨てられた子犬のような表情でいた。そんなにリオルである私に参加してほしかったのか。
「もしかしたら、リオニー嬢も参加しないのかもな」
アドルフはさらに悲しげな表情を浮かべたため、慌てて弁解する。
「いや、姉上は参加するから。手紙に書いてあったし」
「そうか! それはよかった」
今度は晴れ渡った空のような笑みを浮かべる。その様子を見て、ホッと胸をなで下ろした。
「公爵家のパーティーともなれば、姉上は新しくドレスを用意しないといけないな」
果たして、既製品で公爵家のパーティーの服装規定(ドレスコード)を通り抜けるドレスなど残っているのか。嫌な感じに、胸がばくばくと脈打つ。
現在、貴族達は領地から街屋敷(タウンハウス)にやってきて、社交を行い始めている。大勢の貴族令嬢がパーティーに参加するため、仕立屋にドレスを買いに訪れるのだ。貸衣装屋でさえ忙しい、という期間である。
売れ残りの安っぽいドレスで参加したら、アドルフにも迷惑をかけてしまう。だから絶対に、身なりだけはしっかりしていないといけないのだ。
「リオニー嬢のドレスについては心配いらない。すでに用意している」
「え!?」
「実を言えば、婚約が決まったのと同時に、頼んでいたのだ」
なんでも予約は五年待ちという噂の仕立屋に、降誕祭用のドレスを注文していたようだ。
「え、でも、ドレスの寸法とか、わかるの?」
「仕立屋同士情報交換を行って、リオニー嬢のドレスの寸法を入手したらしい」
「そ、そうなんだ」
婚約が決まったときからドレスを用意していたなんて、用意周到にもほどがある。
しかしながら、助かったというのも本音であった。
「リオル、リオニー嬢には内緒にしておけよ?」
「もちろん」
すでに婚約者である私には筒抜けなわけだが、とにかく今は感謝の気持ちしかなかった。
◇◇◇
三学年ともなれば、専門的な授業を選べる授業が開始する。
その中で、もっとも難しいとされる錬金術の授業を受けることに決めた。
錬金術を習得していたら、輝跡の魔法を実現しやすくなるのだ。
先日、アドルフから何を選ぶのかと聞かれて答えていたのだが、授業当日、彼が錬金術の授業がある教室にいたので驚く。一番前の席に、どっかりと鎮座していたのだ。
「アドルフも錬金術を選んだんだ」
「ああ、まあ、そうだな」
「錬金術に興味があったの?」
「いや、お前がこの授業を選ぶと聞いていたから」
友達が選んだからと言って、自分も希望するようなタイプには見えないのだが。
私が変わったように、彼もいろいろと考えが変わっている可能性もある。
正直に言えば、アドルフと一緒に授業を受けられるので嬉しかった。
隣に座り、他の生徒を待つ――が、誰もやってこない。
「これ、もしかして希望したの僕らだけ?」
「その可能性は大いにある」
なんでもここ三年ほど、錬金術の授業を希望する生徒はいなかったらしい。
難易度が高いというのもあるが、授業で少し囓った程度では使いこなせないのだという。
私は輝跡の魔法を調べるさいに、錬金術についても少々であるが学んでいる。下地がある状態で挑んでいるのだ。
アドルフは――どうだかわからない。
彼が苦手な薬草学の応用も多いが、得意な実技も多い。アドルフがいて心強かった。
教師はいったい誰なのか、なんて話していると、授業開始を知らせる鐘が鳴り響く。
やはり、参加するのは私達だけのようだ。
教室の扉が開き、教師がやってくる。
「いやはや、お待たせしました」
白い髭が特徴の、お爺ちゃん先生――魔法生物学も担当するザシャ・ローターである。
どうやら彼が錬金術の授業をするらしい。
「首席と次席を常に争っていたふたりが、錬金術の授業を選んでくれるなんて、とても嬉しく思います」
やはり、錬金術を選んだのは私とアドルフだけだったようだ。
久しぶりの錬金術の授業で嬉しいらしい。わくわくした様子で、教科書を開いていた。
「錬金術は魔法の中でも奥深いものです。金属の特性を知るのも、なかなか楽しいですよ。たとえば、液体の金属が存在したり、金属が突然病気になったり」
錬金術と言えば、金を作れる夢のような技術だが、現代で成し遂げられる者はいない。かなり高等な技術らしい。
錬金術で金がほいほい作ることができたら、その希少性は失われていただろう。
第一回目の授業では作成可能な金属の作成を伝授してくれるという。
「では今日は、銅作りの授業をしますね」
内心、拳を握る。
錬金術の授業でしたいことは、輝跡の魔法で使える金属作りだ。まさか最初からできるなんて、想定していなかったのだが。
錬金術で金属を作れるようになったら、安価で輝跡の魔法を実現できる。
魔法が美しければ美しいほど、予算がかかるというのはネックだったのだ。
「銅の錬成は錬金術の中でも比較的わかりやすく、完成しやすいものです。ですので、そこまで心配することはありません」
教師のほとんどは座学から入るが、ローター先生は実技から入って学ぶことの楽しさを教えてくれる。知識愛があるあまり暴走してしまう面があるものの、いい先生なのだ。
「まず、錬金術について軽く触れておきましょう。アドルフ・フォン・ロンリンギア君、錬金術というのは、どんなものかわかりますか?」
「触媒を用いて、卑金属から貴金属を作りだす奇跡です」
「けっこう」
錬金術の触媒としてもっとも有名なのは、〝賢者の石〟である。それはただの石だったり、液体だったり、杖だったりと、魔法書によって姿は異なる。
ただそれは、この世に存在しない物質だという。物語の世界にのみ、登場するのだ。
「リオル・フォン・ヴァイグブルグ君、賢者の石は存在すると思いますか?」
「あると思います。数多くの天才達が存在していた古(いにしえ)の時代に作り出されていたのではないか、と考えていました」
「なるほど。君は賢者の石は、〝人工遺物(アーティファクト)〟だと考えているのですね」
「ええ。金銀財宝を作り出す触媒なんて、欲望を抱く人類が生み出したとしか思えません」
「〝自然遺物(リメイン)〟ではない、ということですか?」
「はい、そう思っていました」
アドルフにも意見を聞いていたが、同じだと答える。アドルフの見解も聞きたかったので、喋りすぎてしまったと内心反省した。
「では、銅の作り方について、説明しますね」
銅の材料は骸炭(コークス)と石灰石(ライムストーン)。これらを溶鉱炉で熱し、酸素を吹き込む。最後に魔石を使った電解精錬装置で純度を上げて、銅が完成となる。
これらの手間がかかる作業を、錬金術では魔法陣と触媒を使って作り出すようだ。
「魔法陣での火魔法と雷魔法を融合させる魔法式を考えてみてください。まずはひとりで考えてみましょうか」
錬金術は四大元素に、異空間に存在する物質〝エーテル〟を加えた五大元素を取り入れた術式で考えないといけない。
十五分かけて考えたが、私とアドルフの魔法式に点けられた点数は揃って五十点だった。
「次に、ふたりで協力し、魔法式を編み出してください」
アドルフが考えた魔法式を見ていると、足りない部分がすぐにわかった。アドルフもまた、同じことを考えていたらしい。
私達は話し合わずに、無言で魔法式を編み出していく。
そして、ローター先生に提出したのだった。
「はい、けっこう。さすが、首席、次席コンビですね。授業内に自力でここまで至る生徒は極めて稀です」
授業では一度考えさせたのちに、正解を教えてから実技に入るようだ。
「では、お楽しみの実技といきましょう」
魔法陣の|ひな形(テンプレート)が用意される。すでに、円式が描かれており、魔法式を書き込むだけになっているのだ。
どこにどの魔法式を置くか、というのは魔法の成功率に繋がる。同じ魔法式を使っていても、異なるものが完成するのだ。
「魔法陣が完成したようですね。では、銅を作ってみましょう。どちらからしてみますか?」
アドルフよりも先に挙手する。
「では、ヴァイグブルグ君から」
使う触媒は魔力を多く含む〝マナの樹〟の枝。ひとり一本配布される。それを杖のように持ち、呪文を唱えるのだ。
まずは枝で門の魔法文字を描き、魔法式を展開させる。呪文を口にすると、魔法陣が淡く光った。材料である骸炭と石灰石は赤く染まり、じわじわ溶けていく。
最後に強く発光し、魔法陣全体が見えなくなった。
光が収まると、ボロボロに朽ちた黒い物体が残った。これは、銅には見えない。
「残念ながら失敗ですね。しかしながら、成功へはあと一歩、というところでしょう」
アドルフも挑戦してみるものの、結果は同じだった。
「では次は、ふたりで話し合い、魔法陣を作ってみてください」
ああではない、こうでもないと意見を出し合い、二十分ほどかけて魔法陣を完成させる。
「では、実技に取りかかるのは、どちらにしますか?」
「アドルフのほうがいい」
「そうだな。魔法陣の八割はリオルの魔法式を引用したものだから」
アドルフはマナの枝を握り、呪文を口にした。すると――先ほどとは比べものにならないほど眩く発光する。
光が収まると、つるつると輝く銅ができているではないか。
「すばらしい! 魔法学校の歴史の中で、自力で銅を完成させたのは、君達が初めてです!」
ローター先生は興奮した様子で、私達が作った銅を絶賛する。
褒められて悪い気はしない。私とアドルフは目と目を合わせ、微笑み合ったのだった。
「突然すまない、今、時間はいいか? 話したいことがあるんだ」
「うん、いいよ」
部屋に招き入れ、窓際にある椅子を勧める。
いったい何用なのか。本を貸し借りしたり、勉強したいわけではないらしい。
少しソワソワした様子で、部屋の中へと入ってくる。
「アドルフ、お茶飲む?」
「いや、長居するつもりはない。それに、今から頼んでも、届くのは早くて十五分後くらいだろうが」
「いや、これ、実家から持ってきたんだ」
茶器セットを見せると、アドルフは目を見張る。
「お前、紅茶を淹れることができるのか?」
「できるよ。簡単だし」
最近、実家から持ち込んだ魔石ポットを使い、湯を沸かして紅茶を淹れた。
寮母に頼んだらいつでも淹れてくれるのだが、誰とも会いたくないときにこっそり淹れて飲んでいたのだ。
「アドルフ、砂糖とミルクは――」
いらないんだっけ? と言いかけたあと、口をきゅっと噤む。彼は紅茶に何も入れないで飲んでいたのだが、それは婚約者である私だけが知る情報である。同級生であるリオルが把握している情報ではない。
ちなみに私はストレート派だ。たまに、疲れているときは砂糖とミルクを入れることもあるが。
「砂糖は三杯、ミルクは少々入れてくれ」
「え?」
外で会ったとき、アドルフが砂糖を入れているところなんて見た覚えはない。
そういえば、彼はクッキーが大好物である。甘党なのは明らかであった。
「砂糖、そんなに入れるんだ。いつも?」
「そうだ。悪いか?」
ではなぜ、いつもはストレートで飲んでいるのか。
なんて考えつつ、紅茶を飲む。
「リオルも、紅茶はストレートなんだな」
「え? まあ、そうだね」
なんて言葉を返してからハッとなる。別人を装うならば、好みは別にしておくべきだった。
「リオニー嬢もストレートで飲むから、一緒に会うときは俺もストレートで飲むようにしている」
あえて砂糖とミルクを入れずに飲んでいたという。別に、相手の好みに合わせなくてもいいのに。それも、紳士的行動なのだろうか?
「別に、好きなように飲めばいいじゃない」
「俺だけ砂糖をドバドバ入れていたら、格好悪いだろうが」
まさかの理由に、思わず噴き出してしまう。
「笑うな!」
「いや、だって、恰好つけてストレートの紅茶を飲んでいたなんて、笑っちゃう」
婚約者である私の前では、絶対に見せないであろうアドルフの様子に、笑いが止まらなくなってしまう。
今、初めてアドルフの友達をするのも悪くないな、と思ってしまった。
「それにしても、リオル、お前はすごいな」
「何が?」
「紅茶をこうしてひとりで淹れられるではないか」
「ああ、これね。魔法を使うより簡単だよ」
「魔法を使うより……そうだな」
アドルフは紅茶の淹れ方を覚えてみたい、なんて言ったので、軽く教えてあげた。
記念すべき一杯目は、少しだけ渋かった。
「そういうときは、ミルクで薄めたらいいんだ」
「嫌だよ、風味が台無しになる」
なんでもアドルフが生まれる前から働いているロンリンギア公爵家の老執事はたいそう渋い紅茶を淹れてくれるらしい。そのたびに、アドルフはミルクを追加して味わいを調節していたようだ。
「上手く淹れられるようになったら、リオニー嬢に飲んでもらうか。リオル、練習に付き合ってくれ」
「僕は実験台か」
「そうだ」
堂々と言い放ってくれる。思わず、同時に噴き出し笑いをしてしまった。
「実は、お前に相談をしようとしていた」
「していた? 話さないってこと?」
「ああ、そうだ。今さっき、解決したからな」
曰く、私が言った「魔法を使うより簡単だよ」という言葉と、紅茶の淹れ方を習っているうちに、自分の気持ちに決着が付いたらしい。
「誰かに相談すべきか、ずっと迷っていた。慎重を要する問題だから、言わないほうがいいのでは、と考えていたのだが」
アドルフの言う〝問題〟というのは、グリンゼル地方で療養している彼女についてだろうか?
先日、事態が変わり、今すぐに状況を打ち明けることができない、なんて言っていたのだが。
私との些細な会話の中で、解決したのならばそれでいい。そもそも聞きたくなかったし。
しかしながら、言葉を聞く限り、アドルフはひとりで問題を抱えていたように思える。
婚約者であり、アドルフに恋心を寄せる立場から言えば聞きたくないが、同級生であり、ライバル、また友達である立場からしたら放っておけない。
「アドルフ、問題はひとりで抱え込まないで。話を聞くだけだったら、いつでもできるから」
「リオル……ありがとう。少し、気が軽くなった」
話はこれで終わりかと思いきや、まだあるらしい。
「そうそう。リオル、あとでリオニー嬢から話があるだろうが、ロンリンギア公爵家の降誕祭に行うパーティーに参加しないか?」
「ああ、それね」
「もしや、すでに話は聞いていたのか?」
「まあね」
アドルフの手紙がヴァイグブルグ伯爵家に届き、転送されてから三日は経っている。話を聞いていてもおかしくない期間だろう。アドルフの言葉に頷いておく。
「お前、前に降誕祭は家で何もしない、なんて言っていただろう? だから、ロンリンギア公爵家のパーティーに参加したらどうかと思って」
驚くべきことに、アドルフは一学年のときに私が話した降誕祭についての会話を覚えていたようだ。
「少し堅苦しいパーティーだが、華やかで、楽しめる……と思う」
「アドルフ、ありがとう」
私が本物のリオルであれば、喜んで参加していただろう。けれどもパーティーに行くならば、リオルではなく、リオニーとして挑んだほうがいい。
「僕は遠慮しておく。休暇期間に実家でやりたいこともあるし」
「降誕祭は、ひとりで過ごすと言うのか?」
「うちでは毎年そうだったから」
アドルフのほうを見ると、雨の日に捨てられた子犬のような表情でいた。そんなにリオルである私に参加してほしかったのか。
「もしかしたら、リオニー嬢も参加しないのかもな」
アドルフはさらに悲しげな表情を浮かべたため、慌てて弁解する。
「いや、姉上は参加するから。手紙に書いてあったし」
「そうか! それはよかった」
今度は晴れ渡った空のような笑みを浮かべる。その様子を見て、ホッと胸をなで下ろした。
「公爵家のパーティーともなれば、姉上は新しくドレスを用意しないといけないな」
果たして、既製品で公爵家のパーティーの服装規定(ドレスコード)を通り抜けるドレスなど残っているのか。嫌な感じに、胸がばくばくと脈打つ。
現在、貴族達は領地から街屋敷(タウンハウス)にやってきて、社交を行い始めている。大勢の貴族令嬢がパーティーに参加するため、仕立屋にドレスを買いに訪れるのだ。貸衣装屋でさえ忙しい、という期間である。
売れ残りの安っぽいドレスで参加したら、アドルフにも迷惑をかけてしまう。だから絶対に、身なりだけはしっかりしていないといけないのだ。
「リオニー嬢のドレスについては心配いらない。すでに用意している」
「え!?」
「実を言えば、婚約が決まったのと同時に、頼んでいたのだ」
なんでも予約は五年待ちという噂の仕立屋に、降誕祭用のドレスを注文していたようだ。
「え、でも、ドレスの寸法とか、わかるの?」
「仕立屋同士情報交換を行って、リオニー嬢のドレスの寸法を入手したらしい」
「そ、そうなんだ」
婚約が決まったときからドレスを用意していたなんて、用意周到にもほどがある。
しかしながら、助かったというのも本音であった。
「リオル、リオニー嬢には内緒にしておけよ?」
「もちろん」
すでに婚約者である私には筒抜けなわけだが、とにかく今は感謝の気持ちしかなかった。
◇◇◇
三学年ともなれば、専門的な授業を選べる授業が開始する。
その中で、もっとも難しいとされる錬金術の授業を受けることに決めた。
錬金術を習得していたら、輝跡の魔法を実現しやすくなるのだ。
先日、アドルフから何を選ぶのかと聞かれて答えていたのだが、授業当日、彼が錬金術の授業がある教室にいたので驚く。一番前の席に、どっかりと鎮座していたのだ。
「アドルフも錬金術を選んだんだ」
「ああ、まあ、そうだな」
「錬金術に興味があったの?」
「いや、お前がこの授業を選ぶと聞いていたから」
友達が選んだからと言って、自分も希望するようなタイプには見えないのだが。
私が変わったように、彼もいろいろと考えが変わっている可能性もある。
正直に言えば、アドルフと一緒に授業を受けられるので嬉しかった。
隣に座り、他の生徒を待つ――が、誰もやってこない。
「これ、もしかして希望したの僕らだけ?」
「その可能性は大いにある」
なんでもここ三年ほど、錬金術の授業を希望する生徒はいなかったらしい。
難易度が高いというのもあるが、授業で少し囓った程度では使いこなせないのだという。
私は輝跡の魔法を調べるさいに、錬金術についても少々であるが学んでいる。下地がある状態で挑んでいるのだ。
アドルフは――どうだかわからない。
彼が苦手な薬草学の応用も多いが、得意な実技も多い。アドルフがいて心強かった。
教師はいったい誰なのか、なんて話していると、授業開始を知らせる鐘が鳴り響く。
やはり、参加するのは私達だけのようだ。
教室の扉が開き、教師がやってくる。
「いやはや、お待たせしました」
白い髭が特徴の、お爺ちゃん先生――魔法生物学も担当するザシャ・ローターである。
どうやら彼が錬金術の授業をするらしい。
「首席と次席を常に争っていたふたりが、錬金術の授業を選んでくれるなんて、とても嬉しく思います」
やはり、錬金術を選んだのは私とアドルフだけだったようだ。
久しぶりの錬金術の授業で嬉しいらしい。わくわくした様子で、教科書を開いていた。
「錬金術は魔法の中でも奥深いものです。金属の特性を知るのも、なかなか楽しいですよ。たとえば、液体の金属が存在したり、金属が突然病気になったり」
錬金術と言えば、金を作れる夢のような技術だが、現代で成し遂げられる者はいない。かなり高等な技術らしい。
錬金術で金がほいほい作ることができたら、その希少性は失われていただろう。
第一回目の授業では作成可能な金属の作成を伝授してくれるという。
「では今日は、銅作りの授業をしますね」
内心、拳を握る。
錬金術の授業でしたいことは、輝跡の魔法で使える金属作りだ。まさか最初からできるなんて、想定していなかったのだが。
錬金術で金属を作れるようになったら、安価で輝跡の魔法を実現できる。
魔法が美しければ美しいほど、予算がかかるというのはネックだったのだ。
「銅の錬成は錬金術の中でも比較的わかりやすく、完成しやすいものです。ですので、そこまで心配することはありません」
教師のほとんどは座学から入るが、ローター先生は実技から入って学ぶことの楽しさを教えてくれる。知識愛があるあまり暴走してしまう面があるものの、いい先生なのだ。
「まず、錬金術について軽く触れておきましょう。アドルフ・フォン・ロンリンギア君、錬金術というのは、どんなものかわかりますか?」
「触媒を用いて、卑金属から貴金属を作りだす奇跡です」
「けっこう」
錬金術の触媒としてもっとも有名なのは、〝賢者の石〟である。それはただの石だったり、液体だったり、杖だったりと、魔法書によって姿は異なる。
ただそれは、この世に存在しない物質だという。物語の世界にのみ、登場するのだ。
「リオル・フォン・ヴァイグブルグ君、賢者の石は存在すると思いますか?」
「あると思います。数多くの天才達が存在していた古(いにしえ)の時代に作り出されていたのではないか、と考えていました」
「なるほど。君は賢者の石は、〝人工遺物(アーティファクト)〟だと考えているのですね」
「ええ。金銀財宝を作り出す触媒なんて、欲望を抱く人類が生み出したとしか思えません」
「〝自然遺物(リメイン)〟ではない、ということですか?」
「はい、そう思っていました」
アドルフにも意見を聞いていたが、同じだと答える。アドルフの見解も聞きたかったので、喋りすぎてしまったと内心反省した。
「では、銅の作り方について、説明しますね」
銅の材料は骸炭(コークス)と石灰石(ライムストーン)。これらを溶鉱炉で熱し、酸素を吹き込む。最後に魔石を使った電解精錬装置で純度を上げて、銅が完成となる。
これらの手間がかかる作業を、錬金術では魔法陣と触媒を使って作り出すようだ。
「魔法陣での火魔法と雷魔法を融合させる魔法式を考えてみてください。まずはひとりで考えてみましょうか」
錬金術は四大元素に、異空間に存在する物質〝エーテル〟を加えた五大元素を取り入れた術式で考えないといけない。
十五分かけて考えたが、私とアドルフの魔法式に点けられた点数は揃って五十点だった。
「次に、ふたりで協力し、魔法式を編み出してください」
アドルフが考えた魔法式を見ていると、足りない部分がすぐにわかった。アドルフもまた、同じことを考えていたらしい。
私達は話し合わずに、無言で魔法式を編み出していく。
そして、ローター先生に提出したのだった。
「はい、けっこう。さすが、首席、次席コンビですね。授業内に自力でここまで至る生徒は極めて稀です」
授業では一度考えさせたのちに、正解を教えてから実技に入るようだ。
「では、お楽しみの実技といきましょう」
魔法陣の|ひな形(テンプレート)が用意される。すでに、円式が描かれており、魔法式を書き込むだけになっているのだ。
どこにどの魔法式を置くか、というのは魔法の成功率に繋がる。同じ魔法式を使っていても、異なるものが完成するのだ。
「魔法陣が完成したようですね。では、銅を作ってみましょう。どちらからしてみますか?」
アドルフよりも先に挙手する。
「では、ヴァイグブルグ君から」
使う触媒は魔力を多く含む〝マナの樹〟の枝。ひとり一本配布される。それを杖のように持ち、呪文を唱えるのだ。
まずは枝で門の魔法文字を描き、魔法式を展開させる。呪文を口にすると、魔法陣が淡く光った。材料である骸炭と石灰石は赤く染まり、じわじわ溶けていく。
最後に強く発光し、魔法陣全体が見えなくなった。
光が収まると、ボロボロに朽ちた黒い物体が残った。これは、銅には見えない。
「残念ながら失敗ですね。しかしながら、成功へはあと一歩、というところでしょう」
アドルフも挑戦してみるものの、結果は同じだった。
「では次は、ふたりで話し合い、魔法陣を作ってみてください」
ああではない、こうでもないと意見を出し合い、二十分ほどかけて魔法陣を完成させる。
「では、実技に取りかかるのは、どちらにしますか?」
「アドルフのほうがいい」
「そうだな。魔法陣の八割はリオルの魔法式を引用したものだから」
アドルフはマナの枝を握り、呪文を口にした。すると――先ほどとは比べものにならないほど眩く発光する。
光が収まると、つるつると輝く銅ができているではないか。
「すばらしい! 魔法学校の歴史の中で、自力で銅を完成させたのは、君達が初めてです!」
ローター先生は興奮した様子で、私達が作った銅を絶賛する。
褒められて悪い気はしない。私とアドルフは目と目を合わせ、微笑み合ったのだった。