調理場には水が引かれていて、蛇口を捻ったら水が出てくる。浄化魔法がかけられている水のようで、そのままでも飲めるらしい。

「アドルフ、森菜の土を落として、きれいに洗って」
「わかった」

 なんでこの俺が! と言われるかもしれない、と思ったものの、アドルフは素直に応じてくれた。
 その間に、私は別の調理に取りかかる。アナグマの骨と肉の一部を煮込まなければならない。
 魔石圧力鍋に骨と筋張った肉の部位を入れ、天然水を注ぐ。ここにアドルフが丁寧に洗ってくれた野草人参と小玉葱を皮ごと入れる。他に、道行く中で摘んだ薬草や香草を入れ、しばし煮込む。
 通常であれば十時間以上煮込むのだが、魔石圧力鍋だと三十分で済む。本当に便利な品だ。

 続いて、アナグマの串打ちを始める。

「僕は肉を切るから、アドルフはボウルにミルクを注いでおいて」
「承知した」

 これは、私たちが食べるための串焼き肉だ。
 取っておいた柔らかい部位を切り分け、臭み消しのためにミルクにしばし浸ける。
 肉をミルクが入ったボウルに放り込んだので、アドルフは驚いた表情で私を見つめる。

「リオル、これはミルク味の肉なのか?」
「違うよ。こうしてミルクに浸けておくと、肉の臭みが消えるんだ。それだけじゃなくて、肉自体も柔らかくなる」
「そのような知識、よく知っていたな」
「まあね」

 これは慈善活動で養育院にいったときに、教わったものである。
 やわらかくていい肉は買えないので、安くて硬い肉をやわらかくして食べようという暮らしの知恵だった。

 ミルクに浸けた肉を水で洗い、ひとつひとつ串打ちする。 
 アドルフが真剣な眼差しで、鉄串に肉を刺していた。
 味付けは塩コショウ、それから乾燥薬草をぱらぱらと振りかける。
 アナグマの串焼きの下ごしらえはこんなものでいいだろう。布をかけ、食品保存用の氷の傍に置いておいた。
 そろそろスープがいい頃合いだろう。
 魔石圧力鍋の蓋を開けると、白濁としたスープが完成していた。
 骨やくたくたになった野菜、肉を取り除く。肉はカットして、鍋に戻した。
 新しく野草人参、小玉葱やキャベツ草を加え、キノコ類もカットして入れる。
 ぐつぐつと煮立ち、食材すべてに火が通ったら、塩コショウ、香辛料などで味を調える。 
「アドルフ、味見をしてみよう」
「そうだな」

 アドルフにとって、アナグマは未知なる食材である。
 小皿に注いだスープを前に、緊張の面持ちでいた。スプーンでスープを掬って食べる。

「――っ!!」

 アドルフの瞳がカッと見開いた。その反応だけでは、おいしいのかそうでないのかよくわからない。

「アドルフ、どうかな?」
「これは、信じられないくらいおいしい。さっぱりしているのにコクと深みがあって、品すら感じる。極上のスープだ」

 お口に合ったようで、ホッと胸をなで下ろす。
 思っていた以上にたくさんできたので、中くらいの鍋に移して教師たちのもとへ運んだ。

 拠点に待機していた教師陣は、総じて顔色が悪かった。
 その理由は、生徒たちが作った料理にあるのだろう。
 私たちの前にも、料理を運んできた生徒がいた。

「題して、〝池の魚を油にどーん〟です」

 見た目は焦げている上に、泥抜きされていない魚である。
 すでに同じような料理を食べてきた教師が、涙で訴えた。

「お前たち、私に嫌がらせをするために、こんなものを作ってきたんだろう?」
「違うって」
「一生懸命作ったんだ」

 見た目は焦げているが、中の身は大丈夫なはず。そう言って、料理を勧めていた。
 教師がナイフで焦げをそぎ落とし、器用に身を切り分ける。

「半生(はんなま)……」

 隣に座っていた別の教師が、「食べないほうがいいです!」と叫んだ。
 けれども、制止を無視して教師は食べる。

「ウゲロロロロロロロロ!!」

 あらかじめ用意していた袋に、口の中に入れたばかりの魚を吐き出した。

「先生のほうが酷いじゃん!!」
「すぐに吐くなんて!!」
「酷いのはお前らだ!! こんなもん食ったら死ぬ!!」

 こういうのを繰り返していたため、教師陣はすっかり憔悴しきっているというわけだった。

 料理を持ってくるのは、私たちで最後らしい。
 教師のひとりが蚊が飛ぶようなか細い声で、「次」と言う。

「第三学年、一組、出席番号一番、リオル・フォン・ヴェイグブルグ」
「同じく、出席番号二番、アドルフ・フォン・ロンリンギア」
「お、おお、首席と次席コンビか!」

 いい食材を持ち帰っていたという話が届いていたらしい。
 教師たちは救世主を見るような視線を送ってくる。

「料理は、アナグマのスープ、です」

 アドルフはナプキンを広げ、皿とスプーンを置く。そこに、アナグマのスープを注いだ。

「こ、これは――!」

 ゾンビのように顔色を悪くしていた教師陣が、わらわらと集まってくる。
 そして、アナグマのスープを覗き込むと、口々に感想を述べた。

「ああ、ちゃんとしたスープだ」
「これまでの生徒が作ってもってきた、泥スープではない」
「なんておいしそうなんだ」

 泥スープとはいったい……? 聞いただけで不味そうだ。
 
「では、いただこう」

 固唾を呑みながら、試食を見守る。教師はスープを掬い、ごくりと飲んだ。
 眦から、つーと涙が伝っていった。
 泣いている。大の大人が、料理を食べて涙を流していた。

「う、うまい!! うますぎる!!」

 そこから一言も発さずに、ごくごくとスープを飲み続けた。
 他の教師たちも我慢できなかったようで、アナグマのスープを飲みたいと訴えてくる。
 鍋ごと持ってきていたので、全員にスープは行き渡った。

 アナグマのスープを完食した教師は、ぼんやりしつつ呟く。

「俺は、夢をみているのだろうか。生徒のクソ不味い料理を食べ過ぎたせいで、気を失った?」

 夢だと錯覚するくらい、アナグマのスープはおいしかったという。
 教師は大粒の涙を流しつつ、頭を下げる。

「もう、来年からは生徒に料理なんてさせない。この身をもって、学習した」

 教師一同、頷く。ただひとり、魔法生物学の教師だけは来年もやっていいと言っていた。解体のおかげで、研究資料がたっぷり集まったらしい。

「やりたいときは、ご自身の授業でやってください」

 実行は自己責任で。自分以外の教師全員から責められた魔法生物学の教師は、ひとりきょとんとしていた。

 料理部門でも、私たちは学年一位と評価される。
 あとは、レポートにまとめるだけ。

「レポートの提出は明日の朝だ。結果は三日目の朝に出る。楽しみにしておくように」

 教師の話に深々と頷く。
 このあとは、お楽しみの夕食の時間である。

 夕食はペアになった生徒とバンガローの前で野外炉料理(バーベキュー)と決まっていた。
 初めて聞く言葉だが、グリンゼルで人気を博しているらしい。
 先ほどの野外料理とは異なり、肉や野菜、パン、チーズなどの食材は学校側が用意している。
 男子生徒が集団になれば、盛り上がって騒いでしまうので、ペアでやることになっているらしい。
 ペア以外の生徒とは接触厳禁。つまり私はアドルフと共に食事をすることとなる。

「リオル、食材を貰いに行こう」
「うん、わかった」

 アドルフはごくごく自然に私に微笑みかけ、提案してくれた。
 取り巻きに囲まれているときには絶対に見せなかった表情である。
 私たちは本当に、以前の関係ではなくなってしまったのだろうか?
 わからない。
 けれども、一緒にいるときに居心地がよくなったのは確かであった。

 教師が宿泊する小住宅の前に、野外炉料理の食材と焚き火台、網、薪、火起こしセット、火鋏、トングなどが用意されていた。監督する教師が注意事項を呼びかけている。

「ステーキ肉はひとり一枚まで。野菜はきちんと持って行くように。パンは三つまで、チーズはふた欠片までだ」

 食材が山盛りにおいてあり、自分で取り分けて行くようだ。

「リオル、俺は焚き火台と道具を持つ。お前は食材を頼む」
「了解」

 生徒が食材にわらわらと群がっているが、間をすり抜けて自分たちの分を確保していった。

 焚き火台などを持ったアドルフと共に小住宅へと戻る。
 いろいろしているうちに、太陽は沈んでいた。外は真っ暗だが、アドルフは光魔法で灯りを作ってくれたので、視界はしっかり確保されている。
 バルコニーに焚き火台を設置したアドルフは、薪を山盛りにする。

「アドルフ、それはちょっと」
「違うのか?」
「全然違う」

 火は空気を含ませたほうが燃えやすい。そのため、ぎっちり重ね合わせたら、火が燃えにくくなってしまうのだ。

「なるほど、そういうわけか。火魔法の原理はわかるのに、物理的に発生させる火についての知識はからっきしだった」

 ちなみに、野外炉料理は火魔法での調理は禁じられていた。野外料理の大炎上を見て、薪を使うように変わったのかもしれない。

 火起こしは養育院で何度か行った私が担当する。
 アドルフが「俺は役立たずだ」としょんぼりするので、ある仕事を頼んだ。 

「ねえアドルフ、その辺に針葉樹の枝が落ちていたら拾ってきて」
「枝なんかなんに使う?」
「着火剤として使うんだ」

 針葉樹には着火を助ける樹脂が多く含まれている。薪だけでは火を点けることは難しいのだ。

「わかった。針葉樹だな? すぐに集めてこよう」

 アドルフがバルコニーから飛び出すと、フェンリルも大跳躍を見せて続く。
 この辺りは針葉樹だらけなので、すぐに集まるだろう。

 火鋏とトングを縛っていた麻紐を手に取り、裂いて解していく。これも、着火の際に使うのだ。
 アドルフが針葉樹の枝の束を持って戻ってきた。

「リオル、まだ必要か?」
「十分だよ。ありがとう」

 フェンリルが手伝ってくれたので、短時間でたくさん集められたらしい。枝拾いまでできるとは、かなり賢い。

 フェンリルを偉いと褒めていると、これまでポケットの中で眠っていたチキンが顔を覗かせる。

『ちゅりも、針葉樹の枝くらい集められるちゅり』
「だったら、チキンは広葉樹の枝を集めてきてくれる?」
『了解ちゅり!』

 広葉樹はここから少し離れた場所にある。薪があるので必要ないが、何かしたいお年頃なのだろうと察知したので、仕事を頼んでみた。

「おい、リオル。広葉樹の枝はなんに使うのだ?」
「広葉樹はじっくりゆっくり燃えるの。だから、火が安定してきたときに入れる用かな」
「なるほどな。木の種類によって、用途が異なるというわけだ」
「そうそう」

 焚き火台に薪を積み、上にアドルフが持ってきてくれた針葉樹の枝を並べていく。

 さっそく、火を点けよう。革袋に入れられた火起こしセットの中身は、|火打ち石(ストライカー)と金属棒(ロッド)である。
 金属棒で火打ち石を擦り、火花を起こす。このときに発生した火花から、大きな火を作るのだ。

「アドルフ、やってみる?」
「ああ」
「この解した麻紐に向かって、火を落として」

 金属棒を素早く火打ち石に擦りつけるだけだと説明したが、アドルフは苦戦していた。

「くっ……! 魔法であれば、一瞬で火が点くのに!」
「本当に、そうだよね」

 五分ほど奮闘した結果、火花が散った。運良く麻紐に落ち、小さな火が灯る。
 ふーふーと息を吹き込むと、火が大きくなっていった。

「リオル、火を置け! 火傷するぞ!」

 アドルフに急かされながら、火を置いた。針葉樹の枝のおかげで、火はすぐに大きくなる。
 強い風が吹いたが、火は消えない。
 暗闇の中に火の粉が舞って美しかった。思わず見とれてしまう。
 アドルフも同じことを考えているのか、しばしふたりで火を眺めてしまった。