*
「腹減った」
「がまん、しろ」
「真姫の手料理食べたい」
「だから、がまん」
あれから、更に四日が経った。
白川――いや、〝雪斗〟が目を覚まし、精密検査の結果無事一般病棟へ移された。医者からの監視も逸れ、今や普通の入院生活を送っている。
しかしまだ固形物は食べられないらしく、朝昼晩とおかゆが出されている様で雪斗は会う度に不満を漏らしていた。
私はというと、すんなりと声が出たのは四日前のあの時だけで、会話はとてもたどたどしく今まで通り、とは中々ならなかった。更には吃音に似た症状も出ていて、時々どもってしまうのが嫌であまり自ら会話をしようとは思えない。それでも、もう筆談はしていなかった。
「――そういえばさ」
花瓶に花を活け終え、漸く椅子に腰を下ろした時。雪斗がぼんやりと天井を見つめながら口を開く。
「夢に、大人になった真姫が出てきた」
「おとな、に?」
「そう。髪長くて、こう、巻き髪みたいにふわふわしてて、顔も大人っぽくなってて、それに、背も少し高かった様な。今と違って穏やかな表情してて、優しそうな美人だったな。あ、でも、目元にほくろあったかも。よく覚えてないけど。でも、そう考えると真姫ではないのかもな」
「……」
髪が長くて、巻き髪の様にふわふわとしていて、大人っぽい顔つきに、穏やかな表情。そして、目元にほくろ。思い浮かぶのは一人しかいない。
「それ、私、の、母親」
「え」
「だと、おもう」
もしかすると、母は私の事だけでなく雪斗の所にまで行ってくれたのかもしれない。
昏睡状態の患者を、死者が連れ戻す、なんてのはたまに聞く話だ。それこそ、スピリチュアル的な話ではあるのだが。
「夢、の、なかの、母は、なに、言ってた?」
「あー、えっと、何だったかな。『此処にいたら駄目』とか『あの子が、貴方を呼んでる』とか」
「しゃべ、ってる、時点で、わたしじゃ、ないだろ」
「……言われてみれば確かに」
ふう、と溜息をつき、窓の外に目を遣る。
一月十二日。冬休みは終わり、二日前から三学期が始まっている。声が出せる様になった日の翌日に学校の存在を思い出し、なんとか来栖先生に連絡をしたのだが、彼女は声が出る様になった事を大層喜び、一人で勝手に話を進め病院やリハビリもあるだろうからなんて言って三日間の休みをくれた。出席日数や単位はどうなるのだろう、なんて思っていたが、その後来栖先生からの連絡で学校側が特別に三日間のみ出席扱いにする事を認めてくれたのだと知った。そして始業式の日にクラスメイトにも私の事を説明してくれたらしく、安心して学校に来ていいからね、なんて言葉もくれた。至れり尽くせりである。
「そんな事よりさぁ」
雪斗がふふふ、と不気味な笑みを浮かべながら徐にスマホを手に取った。
「折角声出る様になったんだから、これ真姫の口から聞きたいんだけど」
「は?」
見せられた、スマホのディプレイ。表示されているのは、メッセージアプリのトーク画面だ。そこにあるのは、〈好きだよ、白川。早く、お前に会いたい〉の文字。紛れもなく、自身が打ち込んだ文字だ。
しまった、勢いに任せてこんなものを送ってしまったのだった。何故送信取り消しをしておかなかったのだろうと後悔が押し寄せる。そして、湯気が出そうな程一気に顔に熱が上った。
「下らない事、言って、ないで、寝ろ」
雪斗の頭の下から枕を引っこ抜き、その顔に思い切り投げつける。
「痛い」
「自業、自得、だ」
椅子から腰を上げ、病室の窓を開いた。病室内の暖かい風が逃げ出すのと同時に、ふわりと冬の冷気が入り込む。
今日の最高気温は八度。雪が降る事は無いが、まだまだ寒さは続く。しかし今の私にとっては、火照った頬を冷ますのに丁度良い寒さだった。
「――真姫」
雪斗に呼ばれ、振り返る。彼は、先程とは違う優しい表情を浮べていて。
「――好きだよ」
そう言って、ふわりと柔らかく笑った。
その顔を見て、心から思う。彼が、目を覚ましてくれて良かったと。
今でも、目を伏せればあの事故の光景が蘇り、夢に見る事すらある。苦しくないと言えば、嘘になるだろう。一刻も早く忘れたい光景だ。
「……う、ん。私も――」
それでも、あの事故の事は忘れてはいけない。あの事故を教訓として、私はこれからも同じ悲劇が起こらぬ様に一日一日を生きてゆく。
彼がこうしてまた目を覚まし、笑ってくれた事を奇跡だと信じて。
「――好き」
「腹減った」
「がまん、しろ」
「真姫の手料理食べたい」
「だから、がまん」
あれから、更に四日が経った。
白川――いや、〝雪斗〟が目を覚まし、精密検査の結果無事一般病棟へ移された。医者からの監視も逸れ、今や普通の入院生活を送っている。
しかしまだ固形物は食べられないらしく、朝昼晩とおかゆが出されている様で雪斗は会う度に不満を漏らしていた。
私はというと、すんなりと声が出たのは四日前のあの時だけで、会話はとてもたどたどしく今まで通り、とは中々ならなかった。更には吃音に似た症状も出ていて、時々どもってしまうのが嫌であまり自ら会話をしようとは思えない。それでも、もう筆談はしていなかった。
「――そういえばさ」
花瓶に花を活け終え、漸く椅子に腰を下ろした時。雪斗がぼんやりと天井を見つめながら口を開く。
「夢に、大人になった真姫が出てきた」
「おとな、に?」
「そう。髪長くて、こう、巻き髪みたいにふわふわしてて、顔も大人っぽくなってて、それに、背も少し高かった様な。今と違って穏やかな表情してて、優しそうな美人だったな。あ、でも、目元にほくろあったかも。よく覚えてないけど。でも、そう考えると真姫ではないのかもな」
「……」
髪が長くて、巻き髪の様にふわふわとしていて、大人っぽい顔つきに、穏やかな表情。そして、目元にほくろ。思い浮かぶのは一人しかいない。
「それ、私、の、母親」
「え」
「だと、おもう」
もしかすると、母は私の事だけでなく雪斗の所にまで行ってくれたのかもしれない。
昏睡状態の患者を、死者が連れ戻す、なんてのはたまに聞く話だ。それこそ、スピリチュアル的な話ではあるのだが。
「夢、の、なかの、母は、なに、言ってた?」
「あー、えっと、何だったかな。『此処にいたら駄目』とか『あの子が、貴方を呼んでる』とか」
「しゃべ、ってる、時点で、わたしじゃ、ないだろ」
「……言われてみれば確かに」
ふう、と溜息をつき、窓の外に目を遣る。
一月十二日。冬休みは終わり、二日前から三学期が始まっている。声が出せる様になった日の翌日に学校の存在を思い出し、なんとか来栖先生に連絡をしたのだが、彼女は声が出る様になった事を大層喜び、一人で勝手に話を進め病院やリハビリもあるだろうからなんて言って三日間の休みをくれた。出席日数や単位はどうなるのだろう、なんて思っていたが、その後来栖先生からの連絡で学校側が特別に三日間のみ出席扱いにする事を認めてくれたのだと知った。そして始業式の日にクラスメイトにも私の事を説明してくれたらしく、安心して学校に来ていいからね、なんて言葉もくれた。至れり尽くせりである。
「そんな事よりさぁ」
雪斗がふふふ、と不気味な笑みを浮かべながら徐にスマホを手に取った。
「折角声出る様になったんだから、これ真姫の口から聞きたいんだけど」
「は?」
見せられた、スマホのディプレイ。表示されているのは、メッセージアプリのトーク画面だ。そこにあるのは、〈好きだよ、白川。早く、お前に会いたい〉の文字。紛れもなく、自身が打ち込んだ文字だ。
しまった、勢いに任せてこんなものを送ってしまったのだった。何故送信取り消しをしておかなかったのだろうと後悔が押し寄せる。そして、湯気が出そうな程一気に顔に熱が上った。
「下らない事、言って、ないで、寝ろ」
雪斗の頭の下から枕を引っこ抜き、その顔に思い切り投げつける。
「痛い」
「自業、自得、だ」
椅子から腰を上げ、病室の窓を開いた。病室内の暖かい風が逃げ出すのと同時に、ふわりと冬の冷気が入り込む。
今日の最高気温は八度。雪が降る事は無いが、まだまだ寒さは続く。しかし今の私にとっては、火照った頬を冷ますのに丁度良い寒さだった。
「――真姫」
雪斗に呼ばれ、振り返る。彼は、先程とは違う優しい表情を浮べていて。
「――好きだよ」
そう言って、ふわりと柔らかく笑った。
その顔を見て、心から思う。彼が、目を覚ましてくれて良かったと。
今でも、目を伏せればあの事故の光景が蘇り、夢に見る事すらある。苦しくないと言えば、嘘になるだろう。一刻も早く忘れたい光景だ。
「……う、ん。私も――」
それでも、あの事故の事は忘れてはいけない。あの事故を教訓として、私はこれからも同じ悲劇が起こらぬ様に一日一日を生きてゆく。
彼がこうしてまた目を覚まし、笑ってくれた事を奇跡だと信じて。
「――好き」