〈雪斗さんが事故に遭ったのは私のせいなんです。本当に、申し訳ありませんでした〉
文字を書いたタブレットを彼の方に向け、その場で頭を下げた。額がテーブルにつきそうな程、深く。
「違うよ、あれは事故だ。不運な事故だったんだよ。――と、言いたい所だが、何故君がそう思うのか聞いてもいいかな」
彼の声は変わらず優しいままで、怒っている訳でも訝しんでいる訳でも無い事が分かった。その声の御陰もあってか、なんとか冷静さを保ったまま続きの言葉を文字にする。
〈横断歩道を渡っていた時、スマホで調べものをしていたんです。周りを見ていなくて、それで、此方に向かってくる車にも気付けなかった。それを、雪斗さんが庇ってくれて〉
「……そうだったんだね」
彼がそう呟き、暫しの沈黙が流れる。しかし、すぐさま彼がそれを否定した。
「悪いのは、運転手の方だよ」
〈確かに、交通法で言えば運転手が過失になりますが〉
「いや、そうではなくてね」
彼がなめらかな動きで自身のカップの飲み物を飲み、
「幾ら調べものをしていたとしても、君が雪斗を事故に遭わせた訳じゃない。交通法、なんてものは関係ないんだ。じゃあ仮に、君が周囲に注意しながら横断歩道を渡っていたとして、そこに今回の車が来たら咄嗟に避けられたかな」
彼の言葉に、暫し考え込む。
〈不審な車がいたら、横断歩道を渡らなかったという事も、出来たかと〉
「じゃあその不審な車に気付けなかったら?」
〈それは〉
「君のせいに、なるのかな。これは差別的な言葉になってしまうから言いたくはないけれど、君は足に障害があるよね。途中でその車に気付いたとしても、避ける事は出来なかったんじゃないかな。不審な車、というのは早々気付けるものではないよ。そもそも人間は――歩行者は特に、ね。信号が青であると〝安全〟だと思い込みがちなんだ。だから、君が今回スマホで調べものをしていなかったとしても、同じ結果になっていたんでは無いかと僕は思う」
〈信号が青なら安全だと、思い込んでしまった私にも責任が〉
「うぅん、君は少々頑固だね」
彼が苦笑して、椅子の背凭れに身を預けた。
「――僕は、身を挺してでも大切な人を守った自分の息子を誇りに思うよ」
彼が優しく、私に強く言い聞かせる様に告げる。その言葉に、鼻の奥がつんとして瞳にじわりと涙が滲んだ。
店員の目もあるこんな場所で泣く訳にはいかない。彼にも迷惑を掛けてしまう。
「仮に雪斗の容態が急変しても、最悪な事態に陥ったとしても、この言葉を変えるつもりはない。君に怪我が無くて良かった。君が、生きていてくれて良かった」
しかし彼が続けた言葉で、決壊する様に堪えていた涙がボロボロと溢れ出した。
――怪我が無くて良かった。
――生きていてくれて良かった。
そんな事、誰にも言われた事が無かった。
もしかすると、それは本心じゃないかもしれない。こうして私を諭していても、心の内では私が代わりに事故に遭えば良かったのにと思っているかもしれない。だけど、それでもその言葉は今の私の心を救うには充分なものだった。
ぽん、と、頭に大きな手が置かれる。ぎこちなく頭を撫でるその手は白川と同じで、八神の元から連れ出してくれた時や、秋口の廊下での事が蘇る。あの時も、白川は今の彼と同じ様に頭を撫でてくれた。その時の感覚や体温が愛おしくて、恋しくて、涙は止まる事無く更に溢れる。
「誰も、君の事を責めてないよ。だから、君も自分の事をこれ以上責めたらいけない」
優しい口調で、彼が言葉を続ける。
「今僕達がすべき事は誰かを憎み、責める事じゃなく、雪斗が返ってくる事を信じる事だ」
そこで彼が急に、「ごめんね、今ってこういうのセクハラになるんだっけ」と雰囲気をぶち壊すには充分すぎる発言をしたのちパッと頭から手を離した。その発言のせい、という訳では無いのだが、タイミング良く涙も落ち着いてきた為テーブルに備え付けられた紙ナプキンで軽く目元を押さえる。そしてそっとカップを手に取りミルクティーを口に含むと、もう冷まさずに飲める位には温くなっていた。
〈雪斗さんの事とは関係ない事なんですが、一つ聞いてもいいですか?〉
「なにかな?」
カップの中のミルクティーが空になった頃。時計を見るともうカフェに入ってから三十分も経っていて、会話も尽きてきた為、私達の間にはそろそろ店を出ようかといった雰囲気が流れている。
これを尋ねるかは、最後まで迷った。だが、もう彼――北条涼太とこうして話す機会は二度と訪れないかもしれない。ならばせめて、私の心の中にあった疑問だけでも彼にぶつけてみようと思った。これは、昔から彼と会えたら聞いてみたいと思っていた事だ。
〈北条先生、貴方の心の内に、植物は育っていますか?〉
文字を書いたタブレットを彼の方に向け、その場で頭を下げた。額がテーブルにつきそうな程、深く。
「違うよ、あれは事故だ。不運な事故だったんだよ。――と、言いたい所だが、何故君がそう思うのか聞いてもいいかな」
彼の声は変わらず優しいままで、怒っている訳でも訝しんでいる訳でも無い事が分かった。その声の御陰もあってか、なんとか冷静さを保ったまま続きの言葉を文字にする。
〈横断歩道を渡っていた時、スマホで調べものをしていたんです。周りを見ていなくて、それで、此方に向かってくる車にも気付けなかった。それを、雪斗さんが庇ってくれて〉
「……そうだったんだね」
彼がそう呟き、暫しの沈黙が流れる。しかし、すぐさま彼がそれを否定した。
「悪いのは、運転手の方だよ」
〈確かに、交通法で言えば運転手が過失になりますが〉
「いや、そうではなくてね」
彼がなめらかな動きで自身のカップの飲み物を飲み、
「幾ら調べものをしていたとしても、君が雪斗を事故に遭わせた訳じゃない。交通法、なんてものは関係ないんだ。じゃあ仮に、君が周囲に注意しながら横断歩道を渡っていたとして、そこに今回の車が来たら咄嗟に避けられたかな」
彼の言葉に、暫し考え込む。
〈不審な車がいたら、横断歩道を渡らなかったという事も、出来たかと〉
「じゃあその不審な車に気付けなかったら?」
〈それは〉
「君のせいに、なるのかな。これは差別的な言葉になってしまうから言いたくはないけれど、君は足に障害があるよね。途中でその車に気付いたとしても、避ける事は出来なかったんじゃないかな。不審な車、というのは早々気付けるものではないよ。そもそも人間は――歩行者は特に、ね。信号が青であると〝安全〟だと思い込みがちなんだ。だから、君が今回スマホで調べものをしていなかったとしても、同じ結果になっていたんでは無いかと僕は思う」
〈信号が青なら安全だと、思い込んでしまった私にも責任が〉
「うぅん、君は少々頑固だね」
彼が苦笑して、椅子の背凭れに身を預けた。
「――僕は、身を挺してでも大切な人を守った自分の息子を誇りに思うよ」
彼が優しく、私に強く言い聞かせる様に告げる。その言葉に、鼻の奥がつんとして瞳にじわりと涙が滲んだ。
店員の目もあるこんな場所で泣く訳にはいかない。彼にも迷惑を掛けてしまう。
「仮に雪斗の容態が急変しても、最悪な事態に陥ったとしても、この言葉を変えるつもりはない。君に怪我が無くて良かった。君が、生きていてくれて良かった」
しかし彼が続けた言葉で、決壊する様に堪えていた涙がボロボロと溢れ出した。
――怪我が無くて良かった。
――生きていてくれて良かった。
そんな事、誰にも言われた事が無かった。
もしかすると、それは本心じゃないかもしれない。こうして私を諭していても、心の内では私が代わりに事故に遭えば良かったのにと思っているかもしれない。だけど、それでもその言葉は今の私の心を救うには充分なものだった。
ぽん、と、頭に大きな手が置かれる。ぎこちなく頭を撫でるその手は白川と同じで、八神の元から連れ出してくれた時や、秋口の廊下での事が蘇る。あの時も、白川は今の彼と同じ様に頭を撫でてくれた。その時の感覚や体温が愛おしくて、恋しくて、涙は止まる事無く更に溢れる。
「誰も、君の事を責めてないよ。だから、君も自分の事をこれ以上責めたらいけない」
優しい口調で、彼が言葉を続ける。
「今僕達がすべき事は誰かを憎み、責める事じゃなく、雪斗が返ってくる事を信じる事だ」
そこで彼が急に、「ごめんね、今ってこういうのセクハラになるんだっけ」と雰囲気をぶち壊すには充分すぎる発言をしたのちパッと頭から手を離した。その発言のせい、という訳では無いのだが、タイミング良く涙も落ち着いてきた為テーブルに備え付けられた紙ナプキンで軽く目元を押さえる。そしてそっとカップを手に取りミルクティーを口に含むと、もう冷まさずに飲める位には温くなっていた。
〈雪斗さんの事とは関係ない事なんですが、一つ聞いてもいいですか?〉
「なにかな?」
カップの中のミルクティーが空になった頃。時計を見るともうカフェに入ってから三十分も経っていて、会話も尽きてきた為、私達の間にはそろそろ店を出ようかといった雰囲気が流れている。
これを尋ねるかは、最後まで迷った。だが、もう彼――北条涼太とこうして話す機会は二度と訪れないかもしれない。ならばせめて、私の心の中にあった疑問だけでも彼にぶつけてみようと思った。これは、昔から彼と会えたら聞いてみたいと思っていた事だ。
〈北条先生、貴方の心の内に、植物は育っていますか?〉