学校が終わった後の、自宅での一人の時間。黙々とペンを動かし、出された課題を順番に熟していく。
 私にとって、決してリズムの狂わないメトロノームの様な秒針の音は良きBGMであり、その音の御陰で課題に深く集中する事が出来ていた。過去に何度かスマホやタブレットで、一般的に作業用BGMと呼ばれている動画を流しながら課題に取り組んだ事があったが、あれは私には向いていない。音楽に気を取られてしまい、中々問題が頭に入ってこないのだ。ついでに、脳の処理能力も落ちる。
 故に、結局最後には静寂に響く秒針の音に戻って来てしまうのだった。

 課題が終わり、ペンをノートの上に転がし顔を上げる。見上げた先にある時計の針は十八時半を指していた。
 夕飯にするには、良い時間だ。テーブルに広げていたノートと教科書、配布されたプリントなどを片し、ゆっくりとその場に立ち上がる。
 リハビリの先生曰く、日常の起居動作も足の回復に繋がるリハビリになるらしい。
 神経に触れる怪我だった為、足が元通りに動く事は無い。しかしリハビリ次第では痛みが引く、和らぐ可能性はゼロでは無いと言われていた。私も好き好んで痛みに耐えている訳では無い為、回復に繋がるのならとわざわざローテーブルを使い床に座って課題や食事をする様にしているが、やはり起居動作に慣れる事は無かった。
 今やこの生活がルーチンになっている為変えるつもりは無いのだが、足に痛みを感じる度に自分は障害者なのだと実感させられる。元より、障害を持った人に偏見があった訳では無いが、かといって障害を抱える事に何も思っていない訳でも無かった。
 足を悪くしてまだたったの一年だが、一日一日が濃い生活だったせいか無邪気に走り回っていた頃の事が今ではよく思い出せない。あの頃は、五体満足のありがたみというものも特に感じていなかった。
 人間は、失ってから初めてその大切さに気付く。こんな事になるのなら、体育の授業で怠けたり、歩行が面倒だからと短距離でバスや電車を使ったりなんて事をしなければ良かった。足を悪くしてもしっかりと覚えていられる位に、足を使っておけば良かった。
 外科医からもう普通に歩く事は難しいと告げられた時は「あぁ、そうか」程度にしか思わなかったが、今ではやはり五体満足に戻りたいという感情は少なからずあった。とはいえ、母を喪った今生きる活力が残っているはずも無く、例え五体満足に戻ったとしても希死念慮が消える事はないだろうな、と思うばかりだった。