丁度、教室の壁に掛けられた時計の針が八時二十分を指した頃。建付けの悪い教室の扉が、ガタガタと音を立てて開いた。
入って来たのは、担任の来栖朱莉先生。先生が声を掛ける前に、クラスメイトが各々自席に戻ってゆく。だが、自席に戻った後も教室はガヤガヤと煩いままだった。
普段なら、先生が入ってくれば比較的静かになる。ひそひそと喋っては笑い合う女子生徒も居るが、今日程じゃない。
しかし思い返してみれば、昨日も一昨日も、HRが始まっても騒がしかった気がする。まだ夏休みがあけて三日目だ。もう三日、ではあるが、一ヶ月以上の大型連休の後では休み気分が抜けないのも致し方が無い。かく言う私も、一ヶ月以上一人で過ごしていた故にこの煩雑とした空気には未だ慣れていなかった。
私は教室を一瞥する事無く、タブレットを机の隅に追い遣り窓の外に目を向ける。
あ、そういえば。さっきの本、注文手続きしてなかったな。在庫、少なかった気がする。
人気の書籍ともなると品薄になってしまい、重版分が入荷するまで購入できなくなってしまう。書店まで足を伸ばせば残っている場合もあるのだが、私にはそれが少々難しい。故に、ネットショップを頼る他無かった。
「皆さん、新学期を迎えて三日目ですが、慣れてきましたか?」
来栖先生の、ふわふわとした明るい声が教室中に響く。繊細ではあるが、良く通る声だ。
彼女は国語を担当する物腰の柔らかな先生で、天然な性格に少々空気の読めない所が玉にきずではあるが、美人で優しくて生徒からは人気の高い教諭である。
「実は今日、編入生が来ています」来栖先生のその言葉に、漸く視線を教卓の方へ向けた。「本当は始業式からの筈だったんだけど、色々あってね。遅くなっちゃいました」
教卓の隣にぼんやりと立っているのは、長めの黒髪に、雪の様に白い肌を持つ中世的な男子生徒。背は特別高くは無いが、顔はかなり整っていて女子受けが良さそうな男だ。
クラスメイト達に目を向けてみると、既に女子達は瞳を輝かせて彼に熱の籠った視線を向けていた。それを見た瞬間、なんだか平穏な日常を壊しそうな男だな、と思った。よく言えば賑やか、悪く言えば騒々しいこのクラスが、より一層騒がしくなる様な。
彼が来栖先生に促されるままに黒板に近付き、白いチョークを一本摘まみ上げる。そしてやや気怠げな様子で、黒板に大きくも小さくも無い字で名を書いた。
『白川雪斗』
これまた綺麗とも、汚いとも言えない字だ。個性の無い字、とでも言うのだろうか。瞬時に、筆跡鑑定が難しそうな字だ、なんて良く分からない感想を抱いてしまう。
しかし此方に向きなおった彼の姿を見て、その字の感想など一瞬にして吹き飛んだ。頭に浮かぶのは、童話の白雪姫。
彼の白い肌と黒い髪、そして制服の赤いネクタイがそう思わせたのだろうか。
いや、違う。きっと一番は、その名前だ。苗字の白川から『川』を、名の雪斗から『斗』を除けば『白雪』になる。
「白川です。勉強は嫌い、運動も嫌い、学校がそもそも好きじゃない。人付き合いも友達作りも怠い。恋愛は、まぁ興味無くは無いけど、付き合うとか面倒なんでする気はないです。よろしくしたくないけど、一応よろしく」
ハスキーで、少し高めの声。合唱で、テノールでもやらせれば映えそうだ。聞いていて、心地の良い声である。昔好きだった声優に、どことなく声が似ている様な気さえしてくる。
しかし、そんな事よりも。
――なんだこいつ。
それが、彼に抱いた最も強い印象だった。
入って来たのは、担任の来栖朱莉先生。先生が声を掛ける前に、クラスメイトが各々自席に戻ってゆく。だが、自席に戻った後も教室はガヤガヤと煩いままだった。
普段なら、先生が入ってくれば比較的静かになる。ひそひそと喋っては笑い合う女子生徒も居るが、今日程じゃない。
しかし思い返してみれば、昨日も一昨日も、HRが始まっても騒がしかった気がする。まだ夏休みがあけて三日目だ。もう三日、ではあるが、一ヶ月以上の大型連休の後では休み気分が抜けないのも致し方が無い。かく言う私も、一ヶ月以上一人で過ごしていた故にこの煩雑とした空気には未だ慣れていなかった。
私は教室を一瞥する事無く、タブレットを机の隅に追い遣り窓の外に目を向ける。
あ、そういえば。さっきの本、注文手続きしてなかったな。在庫、少なかった気がする。
人気の書籍ともなると品薄になってしまい、重版分が入荷するまで購入できなくなってしまう。書店まで足を伸ばせば残っている場合もあるのだが、私にはそれが少々難しい。故に、ネットショップを頼る他無かった。
「皆さん、新学期を迎えて三日目ですが、慣れてきましたか?」
来栖先生の、ふわふわとした明るい声が教室中に響く。繊細ではあるが、良く通る声だ。
彼女は国語を担当する物腰の柔らかな先生で、天然な性格に少々空気の読めない所が玉にきずではあるが、美人で優しくて生徒からは人気の高い教諭である。
「実は今日、編入生が来ています」来栖先生のその言葉に、漸く視線を教卓の方へ向けた。「本当は始業式からの筈だったんだけど、色々あってね。遅くなっちゃいました」
教卓の隣にぼんやりと立っているのは、長めの黒髪に、雪の様に白い肌を持つ中世的な男子生徒。背は特別高くは無いが、顔はかなり整っていて女子受けが良さそうな男だ。
クラスメイト達に目を向けてみると、既に女子達は瞳を輝かせて彼に熱の籠った視線を向けていた。それを見た瞬間、なんだか平穏な日常を壊しそうな男だな、と思った。よく言えば賑やか、悪く言えば騒々しいこのクラスが、より一層騒がしくなる様な。
彼が来栖先生に促されるままに黒板に近付き、白いチョークを一本摘まみ上げる。そしてやや気怠げな様子で、黒板に大きくも小さくも無い字で名を書いた。
『白川雪斗』
これまた綺麗とも、汚いとも言えない字だ。個性の無い字、とでも言うのだろうか。瞬時に、筆跡鑑定が難しそうな字だ、なんて良く分からない感想を抱いてしまう。
しかし此方に向きなおった彼の姿を見て、その字の感想など一瞬にして吹き飛んだ。頭に浮かぶのは、童話の白雪姫。
彼の白い肌と黒い髪、そして制服の赤いネクタイがそう思わせたのだろうか。
いや、違う。きっと一番は、その名前だ。苗字の白川から『川』を、名の雪斗から『斗』を除けば『白雪』になる。
「白川です。勉強は嫌い、運動も嫌い、学校がそもそも好きじゃない。人付き合いも友達作りも怠い。恋愛は、まぁ興味無くは無いけど、付き合うとか面倒なんでする気はないです。よろしくしたくないけど、一応よろしく」
ハスキーで、少し高めの声。合唱で、テノールでもやらせれば映えそうだ。聞いていて、心地の良い声である。昔好きだった声優に、どことなく声が似ている様な気さえしてくる。
しかし、そんな事よりも。
――なんだこいつ。
それが、彼に抱いた最も強い印象だった。