並んだ本の背表紙を徒に指でなぞりながら、お目当ての本を探す。著者順に丁寧に並べられた本棚は、書店や図書室を連想させた。こうして著者順に並べられている本棚を見ていると、心が安らぐ。
 本棚の中から見つけた、お目当ての本。北条(ほくじょう)涼太(りょうた)の『植物』。北条涼太は約二年前に大きな賞を受賞した小説家だ。一時、時の人としてマスコミにも取り上げられ、ニュースを開けば必ずその名前を見る程だった。この本『植物』は、北条涼太のデビュー作である。これを読んで私は、彼の書く物語、文章、雰囲気全てに心を奪われた。
 本棚の前に座り込み、本を開く。

『人間の心はプランターである。この世に生を受けたと同時にプランターに土を敷かれ種が埋め込まれる。褒め言葉や好意、会話が肥料になり、人間は己の人生をかけて心の内に美しい植物を育てる』

 そんな一風変わった文章から始まるこの本は、私の愛読書だ。何回、何十回とこの本を読んできた。
 北条涼太とは、どの様な人物なのだろう。顔はメディアに公開されている為見た事があるが、顔を見ただけでは性格までは分からない。
 どんな声で、どんな言葉を紡ぐのだろう。どんな、世界を見ているのだろう。北条涼太は、枯れた私の心に水をやってくれる様な存在だった。
 彼と話をする事が出来たら、どれだけ幸せだろうか。過去に、七夕の短冊に「北条涼太に会いたい」なんて馬鹿げた願いを書いた事がある位だ。それ程までに、私は北条涼太に焦がれている。
 私が小説家になれば、彼と話す事が出来るだろうか。この本を手にした二年前、そんな事を考えた。「これだけ沢山の本を読んでいるのだから、きっと文章を書く事も出来るはずよ」そう朗らかに笑った母の言葉もあり、当時中学生だった私は文章を書く事を始めた。しかしながらその夢は、僅か半年で終わってしまった。
 私は文章を解読する才能があっただけで、文章を書く才能はまるで無かったのだ。――いや、最早文章を書く以前の問題である。ストーリーを考える事すら思う様に出来ない。
 苦労して仕上げた小説も、読み返してみれば稚拙な作文でしか無く、あんなもの、物語の全容をただ書き記しただけのプロットだ。とてもじゃないが小説とは呼べない。更には、何処かで見た事のある様なベタなストーリーであり、起承転結すらも成り立っていなかった。
 そんな自身の初めての作品はあまりの稚拙さに人に見せる事が出来ず、その日の内に夢と共にシュレッダーにかけた。
 
 丁度半分、全四章中二章まで読み終わり、顔を上げた。時計は十八時半を指している。十六時半過ぎには帰ってきていたのに、二時間も本棚の前に座り込んで読み耽ってしまった。
 私は他の生徒の様に部活動に所属していない為、六時限目が終わった後のHRと清掃が終われば基本的に帰れるのだ。担任の来栖先生に放課後呼び出される事は多々あるが、何も無い日は十六時には帰宅のバスに乗れる。部活動に励んでいる他の生徒よりも時間があるのだから、せめて勉強だけは頑張ろうなんて思っていたが完全に失念していた。
 二時間も読書に時間を費やしてしまった事に罪悪感を抱きながらも本にしおりを挟み、課題に手をつける前に先に夕飯にしてしまおうとキッチンへ向かった。