恵まれ転生ヒロインと思いきや、好色皇帝に嫁がされることに。嫌すぎて足を踏みつけてやったら、反乱を起こした皇子に求婚されました。

 高く取った天窓からは柔らかな光が降り注いでいた。

 私はその光を仰ぎ見ながら、湯船に浸かり込む。

 湯船からは私が入った分のお湯が溢れ出し、浮かべられた花びらが下へと落ちた。

 私を囲む女官たちはそんなことに気を取られる様子もなく、私が伸ばした腕にマッサージをしながら香油を塗り込む。

 自分で言うのもなんだけど、白魚のような手は何の苦労も知らない。

 箸より重いものを持ったことはないなどと、よく言ったものだ。

 女官たちはその手を優しく、そして慈しむように磨き上げてくれる。

 思わず私は『あ゛あ゛あ゛』と出そうになる声を必死に抑えた。

 そんな声を出せば、完璧な翁主と言われる私の名に傷がついてしまうもの。


「ああ、今日も桜綾漢字(ヨウリン)翁主様はお美しいですわ」

「ふふふ。ありがとう。みんなのおかげよ」

「そんな。翁主様がお美しいのは、もう生まれ持ってのものに決まっているではないですか」

「そうかしら」

「そうですよ。ああ、本当にお綺麗だわ。こんなにお綺麗でお優しい翁主様にお仕え出来て幸せです」

「もう、あなたたちは大げさねぇ」


 女官が私の細く柔らかく伸びた漆黒の髪を、洗い流していく。

 自分で何もしなくても、ココでは本当に至れり尽くせり。こんな幸せがあってもいいのかしら。

 美人って本当に得ね。ああ、でもただの美人じゃなくて、この国で誰よりも愛される翁主様だからかな。

 本当に良かったと思うわ。

 あんなどん底の中で#一度__・__#死んだ時は、神様を恨みまくったけど。

 これならプラスマイナス以上の話だし。

 私はこの国の翁主となる前のことを、ボーっとする頭で考えていた。



     ◇     ◇     ◇



「ねぇ、どうなっているのよ!」

 純白のドレスの裾を強く握りしめた。

 シワは跡になることも気にならないほど、私はスマホの画面を凝視する。

 何通も送ったメールも、何度鳴らした電話も全てスルーされていた。

 何で今日なの? 何で?

 だって今日は……。


「あの……新郎様は……」


 申し訳なさそうに近づいてきたスタッフの一人が声を上げた。

 支度に時間のかかる私よりも彼は一時間遅れてこの会場に入る予定だった。

 付き合って三年。同棲して一年。そして今日は彼氏という立場から、夫となる予定だったのに。

 なんで? なんで電話に出ないの?

 もしかして事故に遭ってしまったとか。でもどっちにしても、最悪の状況であることには変わりなかった。

 今日のこの式の支払いのお金も彼が持ってきてくれるはずだったし。それに主役は二人揃わないと始めることは出来ない。


「なんで電話に出ないのよ!」


 泣いていいのか、怒っていいのか。それすらも分からない。

 しかしその後、自宅を見に行ってくれた真実は私にとっては諦められないものだった。

 一言で言ってしまえば結婚詐欺。

 それでも四年も一緒にいたのに。彼には私に対する愛情は一ミリもなかったのかな。

 家の家具も式のお金も全部持って、彼は綺麗さっぱり消えてしまっていた。


「ホント、馬鹿みたい……」


 慰めてくれる友だちたちさえ振り切り、私はドレスのまま外に飛び出した。

 私の気持ちを汲み取ったように、急に空から大粒の雨粒が降り注ぐ。


「なんで今日だったの? お金ならあげたのに。こんなに惨めな捨て方なんて酷すぎるわ……」


 私が何をしたというの?

 彼の色に染まりたくて、何でもずっと頑張ってきたのに。その結果がコレって終わっているでしょう。

 結婚したら家庭に入って欲しいって言った言葉はなんだったの。

 今日で私はお金も仕事も恋人も全部なくしてしまった。


「惨めだ……」


 この雨が涙を隠してくれることだけが、せめてもの救いだった。

 街中を足早に行き交う人たちは、私を見ては怪訝そうな表情を浮かべても誰も声をかけてはこない。

 私だけがこの世界で浮いてしまってるみたい。異物、ね。これでは。

 はははっと笑ったところで、いろんな人の悲鳴が耳に入ってきた。

 振り返ると、そこには暴走するトラック。

 全てがスローモーションのようにゆっくりとなっていたが、私にはもう逃げる気力すら残ってはいなかった。

 最低だった人生なんて、こっちから願い下げよ!

 (つんざ)くような音と、冷たくなったアスファルトに体温が奪われていく感じ。

 そして誰かの叫び声が転生前の最後の記憶だった。
「ホント、あの頃には二度と戻りたくないわね」

「桜綾翁主様、どうかされたのですか?」

「あー。なんでもないのよ。昨日読んでいた本の内容が、ね」

「翁主様は博学でいらっしゃますからね」


 一瞬驚いた様な表情をした女官が、何もなかったかのように話し出す。

 危ない、危ない。無意識だと、どうしても過去の私が出てきてしまうのよね。なにせあっちでは29年も過ごしたから。

 ここでの17年に比べたら半分くらしだし。

 しかもこの翁主って、思っているよりも職業としては暇。

 この国の姫ってことなんだけど、特にやることないのよね。

 やることと言ったら、本を読んだり琴みたいな楽器を演奏させられたり。

 たまーーーーーーーに慰問に出かけたり。ほぼこの城の中で過保護に育てられているのよね。

 初めはこんなので大丈夫かしらと思ったけど、慣れてしまえば悠々自適な生活といえる。

 だってほぼゴロゴロして好きなことしかしてないんだもの。

 イケメンの兵士を眺めて目の保養をしつつ、優しい女官たちとおしゃべりだけでいいなんて。

 前の世界になんて死んでも戻りたくないわ。まぁ、死ななきゃ戻れないんだけど。


「翁主様! 翁主様! 大変でございます!」

「どうしたの、そんなに慌てて」

「翁主様の御前でそんな風に取り乱すだなんてはしたない」

「で、ですがこれは一刻を争うことでして……」

「いいわ。どうしたの?」


 息も絶え絶えでなだれ込んできた女官を叱るほど、私は心が狭くないのよ。


「お、王様が翁主様をお呼びでして……すぐに来るようにと」

「お父様が? 急に何かしら」


 こんな風に急に呼び出されたのは初めてね。

 女官がこんな風に慌てている所を見ると、あんまりいい予感はしないんだけど。


「あなた何か聞いてる? こんな風に急に私をお父様が呼び出すだなんて」

「あの……それは……」

「別に怒りはしないから言ってちょうだい?」


 私の言葉に、その女官は膝から床に崩れ落ちた。

 
「ああ、どうしたの。濡れてしまうじゃない」


 驚く私など気にすることなく、女官は顔を押さえさめざめと泣き出した。


「申し訳ございません……」

「な、何を謝っているの? 言ってくれないと分からないわ」

「翁主様の御結婚が決まったと……」

「んんん、け、結婚!?」


 さすがに寝耳に水とはこのことね。今まで一回だって、そんな話は出て来なかったのに。

 しかも泣きながら謝る女官を見れば、その嫁ぎ先がマトモではないのだろう。

 私は勢いよく湯船から立ち上がると、先ほどまでマッサージや髪を洗ってくれていた女官たちに指示を出した。


「すぐに用意してちょうだい。謁見します!」

「はい、桜綾翁主様!」


 女官たちは声を揃えながら素早く行動に移した。 
 父である王のいる謁見の間には、すでに他の大臣たちも控えていた。皆誰もが、私の顔を見た瞬間に視線を逸らす。

 なんなのよ、その態度は。一応、私この国の第二翁主なんですけど?

 入って来た瞬間に目を逸らすとか、失礼極まりないわ。

 別に上から目線で説教する気なんてさらさらないけど、フツーに人としてダメでしょう。

 まったくもぅ。


「桜綾にございます。参りました、お父様」


 内心とは裏腹に、あくまで優雅に私は微笑む。



「来たか桜綾」

「はい。何やらお急ぎとのこととお聞きしたのですが……」

「うむ」


 父は私の顔を見るなり、何かを言いかけたまま下を向いた。そして、自慢の白い顎髭を何度も触っている。

 基本、父は今までこれでもかというほど私を甘やかせてきた。

 それもそう、私はこの父譲りの漆黒の長い髪にやや青みがかった黒い瞳。

 父はどちらかといえば、自分によく似てそして美人な私のことを愛していたと思う。

 だからこそ、一応結婚適齢期であっても許嫁すらいない箱入り娘なわけだし。


「なにやら、私の婚姻が決まったとかなんとか?」


 このままではらちが明かないため、こちらから切り出した。

 そして父の周りの大臣たちの顔を見れば、益々目線を合わせようとはしない。


「お父様?」

「うむ……」

「誰か、状況を説明出来ないのですか?」

「いや、わしからしよう」

「はい、お父様」

「お前の婚姻が決まったんだ」

「お相手はどなたなのですの?」


 翁主と言う立場上、政略結婚は免れないなぁとは薄々思ってはいたけど。

 普通だと、婚約期間みたいなのを経てからの結婚となるハズ。それがいきなり結婚だなんて……。


「皇帝だ」

「は?」


 我ながら、らしくない言葉だと思う。でも思わず素が出てしまうほどの、それは爆弾発言だった。

 帝国はここよりも東にあり、この国を統一したところだ。

 だけどうちのような小さな国は、直接あまり関りがなかったのよね。

 確か皇帝は齢60を過ぎていたハズ。皇后も四妃もちゃんとご存命だし。

 そんな人のところに嫁げですって? 冗談でしょう。

 
「よりによって、齢60を過ぎた皇帝だなんて……」

「こら、めったなことを言うんじゃない! 皇帝陛下に嫁げるだなんて、この上ない名誉ではないか」

「は? では、お父様が嫁げばよろしいではないですか? だいたい、私とどれだけ歳が離れていると思っているんですか」

「それは……」

 こっちは初婚なのよ。それにまだ17歳。中身は違うけど。

 しかもこの国一番の美女と言ってもいいくらいなのに、じいさんロリコンすぎでしょう。

 向こうの世界だったら、絶対に捕まる案件だからね。

 うわぁ、ないわ。うん、絶対にない。

 でも、こんなに言いにくそうに切り出すってことは相当のことがあったってことよね。

 一応、聞くだけは聞くけど。


「しかも妃でもないのですよね? 私は(ひん)妃ということですか?」

「い、いやぁ……」

「はぁ? では貴人ということなのですか!」

「そ……それが、常在という……」

「常在? 常在と今言ったのですか!?」

「……そうだ」


 常在って確か、ほぼ下位の側室じゃないの。

 昔は女官扱いされたぐらいの地位ってことでしょう?

 ここは小国とはいえ、帝国内の国なのよ。

 そして私は翁主……つまり姫ポジ。なのに、あんなハーレムで下位の側室って終わってるし。


「桜綾、すまない」

「お父様、すまないでは分かりません。きちんと経緯を説明なさって下さい」


 もちろん納得できない内容なら、絶対に破棄させてやるんだから。

 内心息巻く自分を抑えつつ、あくまでも可憐で儚げな翁主の表情を私は浮かべた。
 父は申し訳なさそうに、うつむきがちになりなから、組んだ手をモソモソと落ち着きなく動かしていた。

 我が国は、資源豊かなもののあまり大きくはない。

 だいたい田舎ずぎて、今まで皇帝の目にも止まらなかったというのに。

 それが今になって急に……。しかも良く聞けば、皇帝の目的は他でもない私だったらしい。

 そりゃあね、ぱっちりお目目に薔薇色の唇。お金をかけまくってる、スベスベのお肌。

 そして宝石のようにやや青く輝く瞳に、艶やかな漆黒の髪。

 惹かれるのも惚れてしまうのも、自分でも分かる。分かるけどさぁ。

 すでに国中から美女たちをこれでもかってかき集めてるのよ?

 さらには私と同じくらいの歳の王子や王女も何人かいたはず。

 しかもわざと身分の低い妃にするということは、きっとただの嫌がらせでしょう。


「皇子でさえ、私と同じかそれ以下の歳ではないですか!」

「それはワシも分かっておる。だが、断れるような立場ではないだろう」

「何かやりようはなかったのですか?」


 目の中に入れても痛くない娘のために、頑張ってよ、もぅ。

 私だって父が決めた人のところに嫁に行くのが嫌なわけではない。

 それが翁主の役目と言われたら、諦めるけど。それとこれとは、次元が違いすぎるわ。


「要求に応じなければ、このままココに攻め込むと……。この国は皇帝の治める国の中の小さな国でしかない。断れるだけなどないだろう」

「兵を、ですか」


 差し出さないのなら、力ずくでってことね。しかも首都から、ココまでは馬で数時間ほど。

 急襲されれば……、されなくてもまぁ、ダメでしょうね。

 兵力もないし。

 たかが嫁を得るためだけに、ここまで実力行使してくるなんて。

 狂ってる。

 頭がおかしいとしか、思えないわ。私、そんなところに嫁がされるのね……。

 急激に重くなる現実に、私は目眩を覚えた。

 そしてあれほど戻りたくないと思った向こうの世界が急に恋しくなる。


「逃げてしまいたい」

「翁主様!」


 私がもらした言葉に、その場に集まったたちは蒼白な顔をしながら声を上げた。

 私が逃げてしまえば、その先の結果は目に見えてるものね。

 その気持ちは分かる。

 フツーの翁主様だったら『分かりました。民のためになら』と言う場面なんだろうなぁ。


「だいたい、たった17歳の翁主に命運を任せて恥ずかしくないのですか?」

「それは……だなぁ」

「それはではありません。いくら皇帝の力が強大だからといって、地方がなんでもかんでもその要求を飲んでしまっては、どんどん力の格差が出来てしまうではないですか!」


 誰も彼の顔色を伺うだけで、何の対策も取ってこなかったことが今回の原因なんじゃないかな。

 あのハーレムに何人収容してんのよ。たぶん少なくとも千人は下らないでしょう?

 こんな数になる前にどうして誰も止めようと思わないのよ。

 暴君は排除するって、鉄則でしょうに。

 どうせ変えられない運命ならと、私はすべての思いを吐き出すことにした。
「今までどこにおいても、誰も何も思わなかったのですか? 抵抗もせずに、ただ差し出すだけで疑問にも思われなかったのですか?」

「それは、そうだが……でも仕方ないではないか」

「仕方ないって。皇帝に全てを支配させるおつもりなのですか?」

「……」

「皇帝が大きな顔をする要因は、それに屈してきた者たちしかいなかったとのことですよ。このままでは、いい様に扱われるだけです」

「ではどうしろと言うのだ」

「それを考えるのは、お父様たちの役目ではなのですか? この国は確かに皇帝陛下の物。しかしながら、間違った方向へと進む場合はきっと誰かが苦言を呈さなけばならない。違いますか?」


 私一人の問題ではない。

 すでに千人を超える妃がいて、誰も手を打たないなんて。

 そんな皇帝の色欲をその意のままにしておけば、いつか破綻しかねない。

 いずれその影響はきっと国をも揺るがすことになるわ。

 今回は私であっただけ。でも明日はまた違う人が犠牲になる。

 どうしてそんなことも分からないのかしら。


「でも拒否すればここは滅ぼされるのだぞ?」

「そうは申してはいないではないですか。私を差し出しただけで終わるとお思いですか? 今までは目につかなかったから、捨て置かれただけで、今回のことで目を付けられたという自覚が必要だというのです!」

「それは……そうかもしれない」

「今はそこで黙っている者たちも、いつかは自分の娘をと言われる日がくるかもしれないのですからね!」


 私の言葉で集まった者たちはハッとするように、顔を更に青くさせた。

 
「私はこの身の可愛さに申しているわけではありません。この先の未来のために言ってるんです!」


 そうは言っても、自分の身はかわいいけどね。

 こんな形で、不幸せになるとか絶対に嫌だし。

 二回目の人生……それも一回目が散々過ぎたんだから、私は幸せになりたいの!

 諦めるのとか、あんなに惨めになるのはもう懲り懲りなのよ。

 
「だが、どうしろと……」

「今回はこのまま向こうの要求通り、婚姻を結びましょう。その先のことは私が自分でどうにかいたします。しかしこの先のことは必ず、私を輿入れしたのだからと発言権を求めるなど何か手立てを周りの国たちと協力するなどして下さい」


 ここまで煽れば、打倒を目指してくれないかなぁ。

 翁主としては泣く泣く嫁に~のが可愛げがあっただろうけど、元の性格上そうはならないから仕方ないわよね。

 しかも翁主の仮面のまま過ごせるほどの事柄でもないし。

 私が言いたい放題なことに若干みんな引いてはいるけど、今の私にはそんなことを気にするような心など微塵もなかった。
「あああ、もーーーー行きたくない!」

「翁主さま!」

「大丈夫よ、そんな顔しなくても行くには行くから……」

「も、申し訳ございません」


 一旦部屋へと戻された私は、ベッドに腰かけると大きくため息と本音を漏らした。

 そんな様子を女官たちが遠巻きに、顔色を伺いながら見ている。

 まったく情報が回るのが早いことね。人の口に戸は立てられぬ、か……。

 まぁ、でも彼女たちが心配する気持ちは分かる。

 だって私が行かなければ、ココは間違いなく滅ぼされてしまうもの。

 国とは言うものの、要は帝国内の小さな県みたいなものだし。

 あれほど私を甘やかし、大切にしてくれていた人たちはもう誰もいない。

 むしろ、17年は幸せに生きられたのだから、諦めろってことね。

 こんな時は大丈夫よって言ってあげるのが模範解答なんだろうけど。でも、嫌なものは嫌なんだもん。 

 17歳の娘を差し出せという爺なんて、ロリコン通り過ぎて、頭おかしいでしょう。あああああ、行きたくない……。

 だけどある国では、その国の王妃を差し出せと言われ断ったら、その一族全て滅ぼされたんだっけ。

 御年64のはずだが元気なことだ。こういう人ってどこの世でも長生きしそうね。


「はぁ」


 ホントなら泣き叫んで嫌だと、のたうち回りたいくらいよ。

 ただ、どこかこの状況を冷めて見ている自分がいる。

 世の中、そうもうまい話はないのだと。

 前回だって、尽くした人に結婚式の前にお金を持って逃げられたくらいだ。

 生まれ変わっても結婚には運がないと諦めるしかないのだろう。

 ただそれにしても、なんだかなぁ。二度目の人生ぐらい、もっとこう……なにかないの?

 なんかさ、もっとこう力があったりしたらなぁ。チートとか授けてくれてもよかったのに、神様。

 この世界に魔法とかチート能力がないのが残念過ぎる。

 中華風ファンタジーの世界に転生とか、優雅でいいなぁって思って生きて来たのに。

 でも、ただこのまま言いなりになるのは癪なのよね。

 だから絶対結婚したって、爺さんの思い通りになんてさせないんだから。

 とりあえずは、後宮で成り上がる方法を考えないと。

 一人ガッツポーズを決める私に不安がる女官たちを、私はそっと無視した。



     ◇     ◇     ◇




「よ、よろしいですか翁主さま、そろそろ出発のお時間です」


 翌日びくびくとしながら、女官の一人が声をかけてきた。

 どうやら向こうからの条件として、ここからは何ひとつ持ち出すことは許されないと先ほど聞かされた。

 向こうの用意した牛車に乗り、一人で向かうのだ。そう、女官すらも連れていけない。

 ある意味、本当に捕虜のような扱いね。

 私が泣き崩れ、弱らせてから手に入れようなんて魂胆が透けて見える。

 なんという性格の悪い皇帝なのだろう。あああ、殴りたい。一回殴りたい。

 しかも元30歳でトータル47の私が、そんなぐらいで泣く気なんてあるわけないじゃない。

 そう考えると、60と47なら大差ない気もするわね。かといって、嫁ぎたいかどうかは別の話だけど。


「で、お父様は?」

「それが……この件で体調を崩されて」

「は? つまりは、見送りすら来ないと?」

「……」

「そう」


 殴りたいヤツが増えたわね。

 危ない、危ない。思わず本音を吐き出しそうになり、思い留まる。

 翁主として、最低限の言葉遣いと行動は気を付けないと。

 喧嘩っ早いとか、短気とか絶対にダメでしょう。

 いや、翁主の前にダメね。短気はダメダメ。

 じっと我慢して、チャンスを待たないと。


「はぁ……」

「も、申し訳ございません!」


 女官はよほど私が怖いのか、目に涙を溜めている。

 こうなると私、悪役みたいじゃない。えええ。さすがに悪役は嫌なんですけど。

 ごめんね、でもこっちが素なのよねー。今までは優雅で優しい翁主を演じてきたが、ここまで来るとソレすら無意味で、ついつい素が出てしまったわ。


「いいのよ、あなたのせいではないのだから」

「桜綾翁主様」


 私は下を向き、盛大にため息を吐いたあと、立ち上がった。

 部屋にいた女官たちがほっとしたような顔をしている。

 それがとてつもなく腹が立つのと同時に、仕方ないとまた諦めた。

 だけど露骨すぎると思うのよね。

 そう、この着てくるように送られてきた服も、だ。

 普段漢服といって、長いワンピースのような服を着ていたのに、送られてきたのは背中がぱっくりと開いたチャイナドレス。

 こんなの妃の着る服ではないでしょうに。

 幸い、靴だけはお気に入りのモノで行けるけど。

 もう一度ため息をつき17年暮らした部屋を眺めた後、私は部屋を出た。
 誰にも見送られることもなく、無言のまま一人向こうが用意した馬車に乗り込んだ。

 牛車は明らかに平民が乗るような簡素な物。それが余計に惨めさを誘う。

 
「はぁ」


 帝国まではここから一日はかかるだろう。

 それなのにこの牛車って失礼すぎでしょう。座布団もぺったんこだし。

 せんべい座布団って表現がむしろぴったりね。

 今時ここまで使い古されたのとか、ある?

 絶対にお尻も腰も痛くなるし。嫌がらせもここまでくると極まれりね。

 おまけに御者は愛想もなく、一人で牛車に乗りこまなきゃいけなかったし。

 あり得なさすぎ。これは私じゃなければ心折れてるわ。

 なのに俺の心は寛大だとか言っちゃう系かしら。

 落としてから優しくするとかって常套手段だけど、イマイチ古臭いのよね。


「どこかで休憩をはさむのですか?」


 安定に私の質問はスルーなのね。ホント、雇い主が雇い主なら、その下も同じようなものね。

 考えるのはやめよう。どうせ泣き叫ぶの待ってるだけだろうし。

 牛が疲れたら休憩しないわけにもいなかいから、それまで寝ちゃおう。

 残念ね、私は思い通りには動かない女なのよ!

 そんなことをブツブツと一人呟きながら、私はせんべい座布団を丸めて枕にして横になった。

 どれだけお腹が空いても、牛車は休むことなく走り続けた。

 日が傾きかける頃にはすでに街並みはどこにもなく、見えるのは鬱蒼と茂った木々だけ。

 城から出たことがない王女には、さぞ心細いことだろう。

 ああ、可哀そうな私。

 そろそろさすがに喉も乾いたけど、飲むとトイレ問題が発生するのよね。でもそれは私だけではないはず。

 御者だって人間だもの。そろそろだと思うのよね。

 すると、ガタガタという大きな音を立てながら馬車が止まる。


「いったーい!」


 その勢いで座席から滑り落ち、尻もちをついた。

 無防備に寝っ転がって私も悪いのだが、さすがにこれはない。

 打ち付けたのが尻だけだったからいいものの、顔などに傷が付いていたらシャレにならないし。


「止まるなら止まるって、言いなさいよ、ホントになんなのよまったく。いくら扱い雑でいいって言われてたってねぇ、物事のは限度があると思うんだけど?」


 これでも貢物なのよ、貢物。プレゼントは丁重にって言葉は帝国にはないのかしら。 

 腹に据えかねた私は自分で牛車の扉を開け、外に出る。

 逃げ足が速いのか、よほど用を足すのを我慢していたのか御者はその席にいなかった。

 不安がらせようとしているのでしょうね。こんなところでも。

 真っ暗な闇深い森の中に一人残されるわけだもの。たった17歳で国から出たこともない翁主だったら……。


「ああ、可愛そうな私」


 お水探しに行きたいところだけど、さすがにトイレ我慢できなくなっちゃうからやめとこう。

 それにきっとそのうち戻って来るでしょう。だって私はあの皇帝の大切な貢物なんだから。

 気配はないものの、きっとどこか遠くから兵士か何かが監視している。

 そんな気がしてならなかった。
「ずいぶんと躾けがなっていない姑娘が来たものだ」


 玉座は細やかな龍の金細工が施され、人が一人で座るのには似つかわしくないほどの大きさだった。

 そして玉座の両脇にはずらりと妃たちが左右対称に並ばされている。

 皇帝に近いほど彼女たちの装飾品も漢服も豪華であり、遠くなればなるほど地味になっていくところを見ると、おそらく近い順に身分が高いってことね。

 そんな玉座にふさわしくないほど、皇帝はご立腹だった。

 まぁそれもそのはずなんだけどね。

 怯え、衰弱しきった娘が送り届けられると思っていたのだろうが、私は勝手知ったるとばかりに牛車が到着するとすぐにそこから飛び出したのだから。

 目的はお手洗いとお水。

 城の造りというのは、構造上どこも似たような造りになっている。

 だからその場にいた者たちを無視し、強引にでも場所を見つけることが出来た。

 そして散々皇帝を待たせた挙句、今に至るという。

 だってねぇ。私、我慢とか嫌いだし? それに全部が思い通りに行くとか思ってるあたりが許せないのよね。

 
「お待たせしてしまって申し訳ありません皇帝陛下。ですがここまでくる間に御者に休憩もさせてもらえず、みすぼらしいまま陛下にお会いするわけにもいかなかったので……。そうですよね、御妃様方?」


 私はわざとの妃たちに声をかけた。同じ状況を強いられた彼女たちなら、私の言いたいことが分かるわよね。

 でも彼女たちは皇帝の顔色を伺うようにちらちらと見ているだけで、誰も声を発しようとはしない。

 そうみると、関係性が良く分かる気がする。

 まぁ初めから良好な夫婦関係なんて無理だとは分かっていたけど。ホント大概だなぁ。


「ここにいる妃たちはどれもお前と違って従順な者たちしかおらぬわ」

「まぁ。では私は毛色の違う猫娘々という感じですね」

「よく回る口だな」

「にゃーと鳴いている方が可愛いですか?」


 中身を知りもしないで、強引に娶ろうとするからでしょう。自業自得よ。当面、扱いずらいくらいに思っていただかないと。

 簡単に屈してあげたりなんてしないんだから。


「これは本格的に躾けないとダメだな。どこに嫁いできたのかと言うことをしっかりと叩き込んでやるわ」

「まぁ、皇帝陛下自ら私に構って下さるのですね。嬉しいですわ」


 こっちだって嫁ぎたくて嫁いできたわけじゃないのよ。そんな風に睨んだところで、私には効果はないから。

 ただ涼やかな顔で微笑み返せば、ますます皇帝の顔は赤くなっていった。

 青筋まで立てる様子に、妃たちはソワソワし始める。

 
「桜綾翁主、この方は偉大なる皇帝陛下にて夫となるお方なのですよ。そんな風にわざと怒らせるような真似はおやめください」


 いたたまれなくなったのか、皇帝に一番近い妃が声を上げた。この方はおそらく皇后陛下なのかな。

 歳としては一番陛下に近い気がする。

 彼女は震えているものの、明らかにその目はやめた方がいいと私に訴えかけていた。

 後宮にも優しい方がいる。それだけで少しは気が楽になる気がした。

 私だって別に陛下を刺激したいわけではないし、このまま後宮で生きていくのなら怒らすのが得策じゃないことなど分かってはいる。

 でも無理して結婚した先に、不幸しかないのにそのまま生きていたくなんてない。そう思えてしまうのだもの。

 もちろん前回みたいに次があるなんて限らないし、私は私でしかないから出来れば長生きはしたいけど。

 苦痛の中で長生きしても楽しくないんだもん。

 これはある意味、転生の弊害といってもいいわね。


「私は私として思ったままを口にしていたのですが、不快にさせてしまったのならば平に謝罪させていただきますわ」

「本当に分からないようだな」


 玉座からずかずかと音がしそうなほど大股で、皇帝は私に近づいてきた。

 背は私の頭一つ分ほど大きく、ガタイもいい。齢60を超えていると思えないほど、茶色く焼けた肌は艶やかだ。

 しかしその赤みががかった黒い瞳はかけらほども笑ってなどいない。

 そしてその太い腕を振り上げ、私の頬をそのまま叩いた。

 大きな、そしてやや高い音が室内に響き渡る。


「いっっっつつたぁーーーい」


 しびれるような感覚に、耳の奥にキーンという甲高い音が鳴り響く。

 私はそのまま横に吹き飛ぶように倒れ込む。

 焼けつくような、と表現がぴったりくるほど叩かれた頬が痛い。

 頬だけじゃなく頭もだ。

 最低。本当に最低。よりによって手を上げるだなんて。

 私は皇帝を見上げ、睨みつけた。