月夜の宝石はアガパンサスに恋をする

ラクサに向かう船の中。
初めての船旅はどれも未知なものばかりで、レインには刺激的だった。
船酔いもその一つだが、荒れた海の中を大きな揺れを感じながら渡った事も印象的だった。

(怖かったけど、なんかワクワクはしたわな。初めだけは)

ラクサまで後どれくらいだろうと思いながら海を眺め続けた船旅だった。自分をここまで連れてきてくれたガイアはずっと寝ずっぱりの状態だった。

(慣れてるのか知らんが、よくあんな荒波の中を寝れたな…逆に尊敬するわ)
「ふにゃあ……それはまたたびです…」
(なんつー夢を見とるんだ。この人は)

ガイアの変わった寝言に少し恐怖を覚えたレインはそれを忘れようと小窓から再び海を眺める。
ふと、夢というキーワードである言葉を思い出した。

《私の可愛いレイン。私の可愛いアガパンサス。誰よりも幸せになってね》

その優しい言葉を囁いてくれたのはこの世にはいない母親の声。

《神様から授かった贈り物はきっと貴方を導いてくれるからね。愛しているわ。私の愛しい可愛い子》

愛する我が子の幸せを願った言葉。その言葉達は度々レインの夢の中に現れ、心身が傷ついた彼の支えにもなっていた。
だが、母親の願いとは反対の人生を歩んでいる現状にレインはどこか情けなさを感じていた。

(幸せどころか、仕事場を転々として、雇い主にボコられたり差別されたりで、とてもじゃないけど幸せな人生を歩んでるとは言えないよな…ハハ…)

とても母親に顔向けできないとはぁーっと深くため息をついてしまう。
マグアからの脱出という意味と、なんとかこの現状を変えたい一心でここまで来たが新天地で今度こそ幸せになれるかはまだ分からない。
ガイアという自称・奴隷商人という少し胡散臭い男の話についてきてしまったのは自分が決めた事だからと無理矢理不安と恐怖を忘れようとする。
それと同時にラクサという未知なる土地に希望を抱いているのも嘘ではなかった。
身勝手な理由でマグアから追放され、自分は一生マグアから出ることはないだろうと思っていた彼にとっては最大の転機が訪れたと言っても過言ではなかった。

(使用人の仕事はずっとしてきたから慣れてるし、まぁなんとかなるっしょ?採用されなくてもせめてまずは住む場所だけでも確保したい)

現実的な事もしっかりと考えながらラクサに思いを馳せていると背後からう〜んっという寝起き声が聞こえてきた。

「おはよ〜もう着いた?」

呑気に起きてきたガイアに拍子抜けしてしまう。

「…おはようございます。もう少しみたいですよ?こんなに激しく揺れてたのによく寝れますね。すごいと言うしか」
「いや〜♪僕ってさ結構各地を飛び回ってたりしてるから慣れちゃったと思うんだぁ♪どうしても船乗ると爆睡しちゃうんだよねぇ〜そう…あれだよ…ゆりかご的な…」
(本当中の人奴隷商人なのか?とてもそうに見えないけど)

自称が付いているのもあって今だにガイアのことを信じきれずにいる。だからといって彼についてこなければここまで動けなかっただろうと思う気持ちもあった。

(騙されて娼館とかに売り飛ばされそうに秒で殴って逃げよう)
「大丈夫だよレインちゃぁん♪大事なギフト所有者の君を下品な所に売り飛ばしたりしないからぁ♪」
「え」

思っていた事をまるで読んでいたかの様なガイアの台詞にレインは少し驚愕する。これ以上不安になる様な事を口や心の中でにあまりしないようにしなければと思ってしまった。
そうこうしている内に船はラクサの港町に近づいてゆく。

「俺の雇い主になるかもしれない人ってどんな人?」
「年は君と同じぐらいで髪の毛が凄く綺麗な美人さん」
「いや、見た目じゃなくて中身中身」
「あ〜性格的なのね。んとね〜誠実で仕事に関してはピカイチ。身分関係なしに接してくれる人かな」
「へぇ〜」

う〜んっと少し困った様に何か隠してそうな顔をして少し沈黙したがすぐに口を開いた。

「まぁ…好きになったらとことん愛する人。大事な人を傷つける様な輩を一撃必殺。病院送り必須的な…」
「へ、へぇ〜(なんだそりゃ)」
「後はね〜、ちゃんとギフトを分け隔てなく発揮してくれてるところかな。一言で言えば、高圧的なところもあるけどとても優しくて有能ってことだよ!大丈夫大丈夫」
(なんかいろいろ端折られた)

結局、ガイアから聞けた公爵の情報はふわふわとしたものであまり当てにできそうになかった。ただ、分け隔てなくギフトを使っているという情報だけでも聞けてよかったとレインは感じていた。

(俺みたいな記憶の異能って感じじゃない。分け隔てなくって事だから体を治す的なのか?)
「流石、月夜の宝石に愛された人と呼ばれてもおかしくないの。彼女。まぁ、会ってみれば分かるって。あ、そろそろだね」

話している内に船はようやくラクサに辿り着く。その証が鐘として船内に響き渡る。
レインの新しい人生の始まりの一歩とも言えるだろう。

「その人、俺の様な人を見ていろいろ決めつける人じゃないですよね?分け隔てなくとか言ってますけど?」
「カイリ・マリアネル女公爵は見た目で判断する様な愚かな貴族共とは違うよ。僕が保証する。…うぅ…あのさ、それよりお腹空かない?船降りたら何か食べよう?奢るからさぁ」

ぐうっとガイアのお腹から空腹の虫が鳴る。
キリッと真剣な眼差しで女公爵の事を信じて欲しいと告げたガイアだが、やはり空腹に勝てずすぐにいつものおちゃらけた彼に戻る。
レインもガイア程ではないが空腹だったのでその提案に賛成した。

(朝飯まだだったし)
「ラクサに良いカフェがあるからそこ行こう。確かお菓子系が結構美味しかったよ」
「いいですね。そこにしましょう」
「もしかしたらカイリお嬢様が来店してるかもだしね」
「え?」
「僕達がこれから行くカフェだけど、彼女のお気に入りのお店なんだよね。よく侍女と一緒に来るんだよ。特に今みたいな早朝にね」

タイミングが良かったら女公爵様の姿を拝めるかもしれないとガイアから告げられてレインは少し興味を持ったが、これも運によるからあまり期待はしない様にと釘を刺した。
空腹の方が優ってカフェで何を食べようかという考えですぐに薄れてゆく。
船の中ではあまり食べれなかった甘い物にするか、塩っぱい物にしようか、その2択で頭がいっぱいになった。

(新天地で食べる最初の飯だからちゃんとしたのにしよう…)

ガイアと共に港から少し離れた繁華街に着いたレインはマグアにはあまり無かった光景に目を輝かせていた。
ラクサ特有の文化を表した建物、音楽、そして、大勢の人が行き交う光景に目を離せなかった。マグアにはない何かキラキラとした美しさに満ち溢れていると実感する。
そして、レインは改めて自分が異国の地に足を踏み入れたのだ自覚していた。
そうこうしていると目的のカフェにようやく辿り着く。
ガイアはシックで店構えのカフェの扉をそっと開けた。カフェの中はまだ開店したばかりなのかまだ人は疎らだった。

「お!ラッキー!!まだ空いてるね!!早く座ろ〜」
「此処、そんなに人気なんですか?」
「めっちゃ人気だよ。地元民もよく来るけど、昼間とか観光客ですぐいっぱいになっちゃうから。狙い目はやっぱ朝だよねー」
「へぇ…」
「ここのお勧めはケーキ。普通の生クリームを使ったケーキも美味しいけど、特に人気なのはパンケーキ!!!」
(そういえば、店の前の看板にもそう書いてあったな)

レインは店前の看板に描かれていた蜂蜜がたっぷりかけられていたパンケーキのイラストを思い出しゴクリと喉を鳴らす。口の中が完璧にパンケーキになった。もう他の選択肢はない。
2人は席につき、席に置かれていたメニューを見る。

「なんか塩っぱいのが食べたいからハムチーズサンドイッチとコーヒーにするかな」
(あ、勧めておきながらパンケーキじゃないんだ)
「レインくんは?」
「えっと…俺は、パンケーキと紅茶でお願いします」
「パンケーキ結構甘いけど大丈夫?」
「俺、こう見えて甘党なんで全然平気ですよ。寧ろ食べたいです」

ガイアは少し驚いた様子でレインを見る。

「へぇ〜なんか意外。甘いのそんなに好きそうじゃなさそうなのに」
「よく言われます」

レインは見た目に反して結構甘い物に目がなかった。
亡くなった母親が作ってくれたおやつの影響で甘い物が好きになり、雇い主の残りからいただいたり、何か珍しいお菓子かあったら少ない給料の中で買っていた程だ。
マグアにもパンケーキに似た物はあるが、看板に描いてあるようなふわふわのパンケーキは初めてだった。
ガイアはウェイトレスを呼び、お互いに決めていた物を注文する。パンケーキは少し時間を頂くと確認されるが、食べたかったのとまだまだ時間はあるので快く了承した。
注文した物を復唱した後、少々お待ちくださいませと告げて離れてゆく。

「うーーん。ちょっと早過ぎたかな。カイリお嬢様まだ来てないみたい」
「まぁ…これも運ですから。それに毎日来るわけじゃないでしょ?」
「でもさぁ〜、マリアネル邸に行く前に一回会わせたかったからさぁ〜」
「どうせ後で会うかもなんで大丈夫ですよ。まさか俺がギフトを持ってるから先に会わせたかったとかですか?」
「それもあるけどぉ〜…」
(コイツやっぱり)

この男やっぱり何隠してるなっと思い問いただそうとするが、注文していたコーヒーと紅茶が運ばれてきた。
思いもよらないところからのはぐらかしでガイアはどこが安心した様子のまま、コーヒーにミルクだけ入れてかき混ぜ、レインは焦るな焦るなと落ち着かせる様に紅茶に角砂糖を二つ入れた。

「……どうせ、俺がギフト持ちだから先に会わせて多く金貰おうとか思ってるでしょ?」
「ん〜半分合ってるけど半分違うかな〜」
「は?じゃあなんで…」
「僕にもいろいろあるのさ。これは賭けなんだけどね」
「賭け?」
「あのお嬢様は幾ら公爵の爵位を持っていても女性ってだけで馬鹿にする。たとえギフトを持っていてもね。レインくんの様な平民を蔑む愚かな貴族の奴らにギャフンと言わせる様なことを起こしてやりたいわけ」

レインもマグアで味わってきた貴族からの差別を込めた危害は同士でもあり得るのだとガイアの方から語られる。

「本当の貴族は平民を導かなければいけない存在なのに欲に塗れた存在になっちゃって」
(その通り過ぎて何も言えない。でも、貴族でもないのにどうして…?貴族に恨みがあるのか?それかゲーム感覚でやってるかも?)

まだ、女性の地位は低い。例え最高位の爵位を持っていても、表では持て囃し、影では蔑み彼女らが進むはずの道を妨害する。
身分が違い、人種が違えばそれはさらに酷いものになる。レインは嫌でも心身に受け止めて生きてゆくしかなかった。
無実の罪で何度殺されかけても彼はもがき続けた結果今ここにいるのだろう。

「だから自称なんですか?なんか奴隷商人らしくないって思ったら」
「自称なのはまだまだ理由があるんだけど、それも一因ってことよ。もう少しここでの暮らしが慣れてきたら教えてあげるね」
「まだここで働けるかも分かんないでそんな…住み続けられるかも分からないのに」
「レインくんなら大丈夫!!マグアよりいろいろ理解あるところだし!!」

また大丈夫大丈夫だと楽観的な考えのガイアについていけないレインは運ばれてきた紅茶を飲み気持ちを落ち着かせる。

(ここの紅茶めっちゃうま…。コレに関しては生きてラクサに来て良かったって思う)

ダージリン特有の美味しさとあまり渋味がないおかげで飲みやすく、レインが2つ入れた角砂糖が程よい甘さを醸し出してる。不安だった気持ちを和らいでくれる味だった。
今度来た時はガイアが頼んだコーヒーを注文してみようと決めた。
そうしている内に、ガイアが頼んだハムチーズサンドイッチが先に運ばれてくる。ガイアは「先にごめんね〜」と言いながら先に食べ始めた。
その数分後にレインが頼んだパンケーキが運ばれてきた。
看板に描いてあったイラストよりもふっくらなパンケーキにレインは心躍らせた。
注文は以上で?とウェイトレスから確認されて、ガイアが「はい。大丈夫です」と済ませた。
レインは、小さな陶器のハニーポットに入った蜂蜜をバターが乗っかったパンケーキの上にゆっくり垂らしてゆく。
キラキラと光っている様に見える蜂蜜とパンケーキが食欲をさらに誘う。
ナイフとフォークを使いパンケーキを一口で切り分けて口に運ぶ。

「うまっ」

思わず口に出てしまうほどの味にレインの食べ進める手が止まらなくなる。
そんなレインの姿をガイアはどこか我が子を見ている様な心境で見ていた。

(レインくんが嬉しそうな顔初めて見たかも。なんか新鮮〜)

ガイアはにまにましながらコーヒーを飲んでいると突然横から誰かに呼び止められた。

「ガイアさん?」
「んえ?あ、リンちゃん!!おひさ〜!!」

リンと呼ばれた女性はうげっと嫌な表情でガイアを見ている。それとは対照的にガイアは嬉しそうだった。

「なんでアンタが…まさかこの人を騙して…!!」
「違うってばァ!!!合意の上でだよぉ!!合意の上!!!」

ガイアの言葉を信じられなかったリンだが、美味しそうにパンケーキを食べているレインの姿を見てようやく納得してくれた。
パンケーキに夢中になっているレインは邪魔するなと言いたげに全然相手にせず食べ続けていた。

(ふわふわで蜂蜜がたっぷりで美味しいとか最高やんけ)
「で?何しにラクサに来たわけ?」
「ん〜売り込み。この子をね。パンケーキに夢中になってるこの子をお宅のカイリお嬢様の使用人として売り込みに来たわけ」
(変な大物を連れて来たわね。この男…)
「この子、いろいろすごいから」
「本当に?」

リンにはパンケーキを食べているレインからすごさを全く感じていなかった。寧ろ、マリアネル家の使用人としてやっていけるのか不安になる方が強かった。

「僕の目的は応えたんだからリンちゃんも話してよ?」
「私はカイリお嬢様の付き添い。お嬢様は知り合いの方と今話されてるけどすぐに来るわ」
「え!本当!やった!タイミングが合ったね」
「ふぇ?何がですか?」
「カイリお嬢様に会えるぞ♪すごく美人さんだから!!」
「はぁ…」

正直、レインにとって見た目とかあまり気にしていなかった。衣食住がしっかりできていればという気持ちの方が優っていた。
今のレインは月夜の宝石ことカイリ・マリアネルより、目の前のふっくら蜂蜜たっぷりパンケーキの方が大事だった。
それがリンのレインに対する不信感を生んでいることなど知る由もないだろう。
すると、入り口のベルがカランと鳴らしながら扉が開く。
入って来たのは、薄紫色のドレスを着こなし、夜空の様に美しい髪を三つ編みベースのシニヨンにまとめた女性が入ってきた。胸元には黒曜石に似たネックレスが輝いている。

「おはようございます。カイリお嬢様」
「おはよう。リンが先に来ていると思うけど」
「今、あちらのお客様と話されてある様で…」
「分かったわ。ありがとう」

コツコツと足音を鳴らしながらレイン達がいる席の方に近付いてくる。周りにいる客達が彼女を見て「カイリお嬢様だ」「月夜の宝石に会えた」等と口々にしていた。

「リン。そこで何をしているの?」
「あ!お嬢様!!」
「カイリ・マリアネル女公爵様。おはようございます。お久しぶりですねぇ」
「ガイアさん…貴方がここに来たってことは良い人材を見つけてくれたって事でいいのかしら?」
「えへへ♪実はそうなんですよぉ〜」

ガイアはさりげなくパンケーキに夢中になっているレインの肩をツンツンと4回指で突っつく。それに気付いたレインは、少し不快そうな顔で食べる手を止めてガイアの方に振り向いた。
ガイアは小声で今の状況を小声で簡潔に伝える。

「なんですか?」
「レインくん。来たよ。僕が会わせたかった人」
「え…」

レインはガイアに促される様に立ち上がり、彼が言う会わせたかった人がいる方に身体を向けた。
カイリもレインの方に視線を向けた時だった。

「っ!!!」

カイリの全身に雷が落ちたかの様な衝撃が走る。胸が締め付けられるという初めての感覚にカイリは困惑し痛みを抑える様に胸にぎゅっと手を添えた。
レインは不思議そうな顔をして彼女を見た。

「あの…」
(な、何?なんなの今の感覚…?!)
「(と、とりあえず自己紹介をしよう)えっと…レイン・バスラです。その…実は貴女の元で働かせてもらいたいというか…」
「……」
「お嬢様…!!」

呆然とするカイリにリンは慌ててレインの言葉に何か返せと促す。リンの声で我に帰ったカイリは軽く首を振り姿勢を正した。

「あの、ごめんなさい。今日はちょっと体調がすぐれなくて…。それより、貴方がガイアさんに連れて来られた方ね。使用人の仕事は初めてなの?」
「初めてじゃないです。マグアの方でずっとやってたので」
「そう。なら期待してるわ。ごめんなさい。今日は帰らせていただくわ。行きましょうリン」
「あ、はい。それじゃあ、すみません。レインさん。後でマリアネル邸にいらしてください。手続きとかありますので。ごめんなさい、またあとで…」
「え…あの(えぇ、急に何なん)」

リンから手続きのことを聞いたレインは顔色があまり良くなさそうに見えるカイリに心配そうな顔を向ける。
カイリはレインに視線を向けない様に背を向けた。急いで胸元に下がる月夜の宝石を見て彼女は目を見開いた。
リンの腕を掴み逃げる様にカフェを出た。突然のことでリンは状況が掴めず混乱していた。

「え、ちょっと、お嬢様?!」
「リン。早く、早く屋敷に戻らないと」
「一体どうしたんですか…?!」
「歩きながらでいいから見て。コレを」
「何を……えっ?!!!」

気分転換の為に来たカフェで何も頼まないまま出てきてしまったカイリに困惑していたリンにその理由を突きつける。
リンの目に入ってきたのは胸元で夜空の様に黒かった筈の月夜の宝石が満月の月の様に白く輝いていたのだ。
月夜の宝石は所有者の運命の番にしか反応しない。それなら光るということはつまり。

「まさか、あのマグア人がお嬢様の運命の番ってことですか?!!」
「リン。声を抑えて。きっとそうに違いないわ。きっとそうなのよ」
「でも、まだ確信が…」
「あるわ。コレがなくても、きっとこの人が私の夫になる人だと感じたもの」
(ん…?まさかそれって…?)

そっとカイリの顔を覗く。リンはあることに気付きニマニマした。

「あ〜〜。そういうことですか。だから突然胸を抑えてたんですね?」

リンが見たカイリの顔。さっきまで毅然としてまさにマリアネル家当主で最高位の公爵の称号を受け継いだ彼女が親しい者にしか見せない筈の表情。
表情を見たリンはカイリにニマニマ顔を向ける。

「はは〜ん…そういう事ですか。なるほどです」
「な、何よ?」
「月夜の宝石が運命の番を見つけてくれるって言うけど、それって所有者の思想も繋がってたりして…なんて思っただけです」
「うぅ…」

図星過ぎてぐうの音がでなかった。
カイリを襲った衝撃。それは、レインを一目見た途端に全身に走ったモノ。
リンが見たカイリの表情がそれを物語っていた。

(これが一目惚れ……確かにとてもかっこよかったけれどまさか私が…)

その彼がこれから邸宅にやってくる。使用人として働きに来るのだ。
身分が違い過ぎる。けれど、カイリにはそんなモノ無意味だった。

(ありがとうナイト。彼を選んでくれて)

カイリは月夜の宝石ことナイトに心の中に感謝する。今まで光を放たなかったのは全てはこの為だったのだと感じていた。

(やっと見つけた。私の運命の番を)

この事を叔父のマージルに知られたらとんでもないことが起きるのは想定できる。けれど、カイリ・マリアネルはそれで折れる様な女ではない。その逆、徹底的に潰し欲しいモノを必ず手に入れる。マリアネルの当主、そして、公爵の名に相応しい女だ。
カイリの脳裏にレインの顔が過ぎる。

(私に与えられた使命がまた増えた)
「これであのお見合い写真も心置きなく燃やせますね」
「ええ。だって、もう必要ないもの」

何かを決意したカイリはリンにレイン・バスラの情報を全て調べ上げろと指示した。
彼の人生に妨害になる様な輩から排除していかなければと考えた。
さっきまでの顔色が打って変わってとても明るく清々しいモノに切り替わっていた。足取りもどこか軽々しく見える。
差別と蔑みに苦しんでいたカイリの世界に光が差した瞬間だった。




レインとガイアは、そんな事などつゆ知らず、まだカフェでまったりとしていた。船旅の疲れがどっとでてしまったせいでなかなか店から出れずにいた、
初めてカイリと邂逅したレインはある事に気付いていた。

(あの、カイリって人が付けてたネックレス。初めて見た時は黒かった筈なのに途中から白くなってたけど気のせいだったのかな?もしかしたら、気のせいかもしれないけど)

気付いたことはそれだけではない。もう一つある。
それは、ギフトを持つ者にしか聞こえない声。宝石の声だ。まるで自分を待っていた様な言葉。

『やっと見つけたぞ。我が主人(あるじ)の番。運命の番、レイン・バスラ。カイリを光に導き続けてくれる使者、ギフト(異能)を持つ者よ』

月夜の宝石の言葉から出た"運命の番"。
一体それがどういう意味なのか今のレインには何も分からなかった。だが、自分にとってはあまり良い事ではないということはひしひしと感じていた。

(なんだろう。運命の番って。まさか、あのお嬢様と俺に何か使用人以外の繋がりが生まれるとか…?いやいや…まさか……ねぇ?)
「ん?レインくんどったの?」
「いいえ。別になんでもないです」

一抹の不安を感じつつ、眠そうな顔でハムチーズサンドイッチと食べるガイアを横まで見ながらすこし冷めてしまった紅茶を啜り空になったパンケーキが乗っていた筈の皿を見て、今度は自分のお金で食べに来ようと決意するのだった。
カフェを出たガイアとレインはその足でマリアネル邸に向かった。
ガイアは楽しそうに歩いているが、レインは月夜の宝石に囁かれた"運命の番"という言葉に引っ掛かりを感じていた。

(運命の番……番ってことは夫婦になるって事だよなぁ。ん……?夫婦…?はぁ?ちょっと待て)

番の意味を思い返したレインは困惑してしまう。
どうして身分が低く、貴族でもなんでもない自分には与えられる筈のないお告げだ。レインは頭を抱えてしまう。

(いや、聞き間違えだって。おかしいおかしい。あんなお嬢様の旦那になれるわけねーし。もう、あんま気にしちゃダメだ。今は使用人として働いて生活を安定させないと…)
「レインくん大丈夫?なんか思い詰めてるみたいだけど」
「ふぇ?!別に大丈夫ですけど!!」
「び、びっくりした。本当に大丈夫?もう少ししたらマリアネル邸に着くよ?」
「あ、はい、平気っす。いや、その、いろいろ考えちゃって」

きっとこれから始まる新生活のせいで緊張しているのだろうと思われたのだろう。ガイアは「大丈夫大丈夫。レインくんならできるよ」と優しく諭してくれた。
しょげてた理由はそれではないが、その言葉だけで少し心が軽くなったのも事実だった。

「君が持つギフトも駆使すれば早めに昇格するかもだし。応援するよ」
「……本当奴隷商人らしくないですよね。普通そこまでしませんよ?もっとヤバいところに売り飛ばしそうなのに」
「だって自称だもん。ロリでもショタでもないしね。さっきも言ったけど、全ては一部の貴族共への復讐みたいなものだから。レインくんには幸せになって欲しいし」

マグアでも幼少期の頃に何度か奴隷商人に捕まり売られたりしたが、ここまで献身になってくれる様なものはいなかった。寧ろ、雑に扱い、逆らおうとすれば暴力を加えるという過酷な環境ばかりだった。
ガイアの場合はどれも当てはまらない。本当に彼が言う復讐の為に動いているのだろう。
レインは拍手の理由を聞こうとしたがまだそのタイミングではないだろうと思い心に留めた。

「ある程度の自己紹介は済んでるし、後は執事の人に挨拶とリンちゃんが言ってた手続きぐらいかな」
「執事の人って優しい?」
「結構厳しいかな。カイリお嬢様が生まれる前から支えてるから」
(結構、由緒ある貴族なんだな。じゃあ…あの宝石ももしかしたら何か関係してるかも。まぁ!俺には関係ないけど!……ギフトが絡んでなければ…)

レインのその考えはすぐに覆される。
あの月夜の宝石から告げられた呪詛の様な言葉はゆっくりと彼の日常に浸食し始める。
それを思い知るのはマリアネル邸の使用人として認められてからあまり時間が経たないうちに思い知る事になる。遂にマリアネル宅にやって来たレインは使用人専用の応接室で面接を受けていた。

「お前がガイア殿に連れて来られたという男だな。確か…名前は…」
「レイン・バスラです。マグアから来ました。向こうでは主に使用人の仕事をしてました。えっと…大体のことは分かってるつもりです……はい」

名前を聞いてきたマリアネル邸で働く使用人達の長であり執事でもあるエドワード・ベルナーレにここで働きたいという旨を伝える。なんとか自己紹介はしたが緊張気味で話しているせいかどこかぎこちない。
あらかじめカフェで書いておいた履歴書にも目を通されて更に緊張と不安が増す。
何故ラクサにやって来たのか、ここに来るまで何があったのかといろいろ聞かれるのでは身構えていたがガイアが連れて来たという理由だけ十分だったようだ。

「一応聞くが…マグアではどこまでやっていた」
「えっと…フットマンの仕事までは…従者の仕事も少しはやりましたけどいろいろありまして…」
「……」
(この沈黙が怖過ぎる…)

エドワードは「分かった」と一言つぶやく。

「今日からここで働いてもらう。使用人としての経験は豊富な様だから一応フットマンから始めてもらう。あまりカイリお嬢様の名を汚す様な粗相の無いように」
「えっ、あ、はい!!!ありがとうございます!!!がんばります!!」

所々不安になる様な間があったものの、なんとかマリアネル家の使用人として採用されたレインは安堵する。
やはり、使用人としての仕事が初めてではなかったことが大きかったようだ。けれど、幾ら採用されたとしても大変なのはここからだ。
レインは気を引き締めてこの仕事をしっかり努めようと決意する。

「レイン。これが部屋の鍵だ。同室のケヴィンにいろいろ教えてもらいなさい。準備ができたらすぐに私の元に来るように」
「(2人部屋なんだ)はい。分かりました」

エドワードから自室の鍵を受け取り、教えてもらった通りに部屋がある方に向かう。
歩きながらなんとか衣食住を確保できたことに再度安堵する。

(船の中とマグアでの野宿は本当キツかったからな…。やっとベッドで寝れる…)

しばらくちゃんとした寝具で寝れていなかった現状を打破できたことにもとても感謝していた。
御曹司の虚言のせいで職と住処を失い、国を追われたレインはガイアが現れるまでの間ずっと野宿状態だった。ラクサに向かった船の中もベッドというものはなく雑魚寝状態。
もし不採用だったらと思うとレインは身震いした。
そして、自室の前に着き、コンコンコンと3回扉をノックした。扉の向こうから「はーい」とくぐもった声が聞こえてきた。
レインは緊張気味にドアノブを回し「失礼します」と言いながら部屋の中に入った。

「あの〜…」
「あ!!君が今日から入った人だよね!!!俺、ケヴィン・フレイ!!よろしく!!」
(ひぇ…陽キャ…)
「俺もここに来たばかりで心細くてさぁ〜。良かった。これから仲良くやろうね!!」
「は、はぁ…」

ケヴィンという名の栗毛でそばかすの肌の青年は、嬉しそうにレインの手を握りブンブンの上下に振るう。ガイアに明るさをもう少し足したような人だとレインは感じた。

「荷物はここに置いて。で、えっと…」
「えっと、まだ名乗ってなかったですよね。名前はレイン・バスラです」
「レイン…おぉ〜かっこいい名前…」
「そ、そうですかね?(初めて言われた…)」
「レインはそっちの左側の席とベッド使って。クローゼットは机の隣だから」

ケヴィンはちらっと壁にかけられた時計を見る。

「エドワードさんにすぐに来るように言われてるよね。ごめんね!仕事終わったらいろいろ話そう!」
(すんごい陽キャ寄りの子や…俺大丈夫かな…)
「レイン?大丈夫?緊張してる?」
「へ?あ、ああ…まぁそうですね。今日来たばかりなんでいろいろ分からなくて」
「大丈夫だよ。確かに仕事は大変だけど慣れればね。住めばなんとかってやつだよ。あ、話してる場合じゃないね!行こう!」

マグアから来た自分を快く受け入れてくれたケヴィンの太陽な笑顔はレインには眩しく見えた。自分にはない眩しさ。
けれど、マグアにいた頃には感じなかった感情がゆっくりとレインの心に芽生えてゆくのを感じていた。
レインは急いでケヴィンと共にエドワードの元に向かう。

「あの…ケヴィンさん…」
「さん付けじゃなくていいよ!!ケヴィンでいいから!!タメで話してよ」
「えっと、じゃあ、ケヴィンは、そのどこに配属なの?」
「俺さ、まだ使用人の仕事初めてだからボーイからなんだ。ブルエラって国出身でここに来るまで炭鉱とか新聞配りとかやってたんだけどお金が高いもんだからここにきたわけ」
(まだ見習いなんだ。でも、此処のことはケヴィンの方がよく知ってるし先輩だよね)
「レインのこともあとで聞かせてよ!約束だから!」
「お、おう」

ケヴィンも階級関係無しに友達として接してくれそうだなとレインは思った。まさに太陽な人だとも。

レインの新しい生活は、不思議な男の手引きと女公爵、そして、月夜の宝石という鉱石の声から始まった。彼がこれから歩む道に優しくも眩しい太陽が付け加えられる。
もうそこには冤罪によって全てを奪われた可哀想な青年はいなかった。
「カイリお嬢様。そろそろ首を縦に振ってくれません?迷うことはないのですよ?」

レインがラクサに足を踏み入れるほんの少し前。
マージルに無理矢理組まれたお見合いでターン・ブリク令息に迫られた時に言われた言葉だ。
わざわざ、マージルの邸宅に来て行われたお見合いでカイリは持っていた扇子を折ってしまいそうなの程屈辱を受け、そして、怒りとを覚えた。
まるで、断る理由がないと言いたげなその言葉にカイリは苛立つ。今でも思い出すだけで舌打ちをしたくなる程だ。
まだ結婚する気はないと告げてもしつこく"それ貴女の本心ではない"と勝手に決めつけてくる。

「幾ら公爵の名を受け継いだからって意味ないですよ?貴女は女なんだから。形だけのものなんですよ?いい加減気づいたらどうです?」

「貴女には公爵の爵位は見合わない。結婚して世継ぎを産めばいい。僕達の話を素直に縦に首を振ってればいいんですよ」

「他の貴族の方からなんて呼ばれてるか知ってます?弁えのない愚かな令嬢だって」

「貴女が持つ異能は本来平民に使っちゃいけないって教えてもらったでしょう?あんな下級共には勿体無い聖なる力は僕らの様な家族にだけ使えばいい」

求婚を受け入れようとしないカイリを責め立て煽る様な言葉達。
父から受け継いだ特別な爵位をカイリは誇りに思っていた。だが、その誇りを容赦なく汚し、女というだけで蔑んでくる。
カイリの気持ちを知ろうともしない悪意が彼女を闇へ取り込もうとしている。


そんな中、ようやく月夜の宝石が美しい満月の光を放つ。
その光を生み出したのは、海の向こうからやってきたパンケーキを美味しそうに頬張ってた褐色の肌の青年はレイン・バスラだった。
彼を見て初めて全身に走った衝撃は一生忘れられない。

(やっと見つけた。私の希望の光)






レインがマリアネル邸に来て3週間経った。
ラクサの生活に慣れつつ、マグアで培った知識と、生まれ持ったギフトを上手く駆使しながら使用人の仕事を全うしていた。
だが。忙しくもどこか幸せな日々外部からの身勝手な思想は許そうとしなかった。
カイリの元に叔父のマージルが送り込んだ見合い相手が毎日のように邸宅に訪れるようになった。
いつも、エドワードやリン達の使用人達に追い出されてるが性懲りも無く現れる。
初めてカフェで会った日以来、レインには殆ど会えていない。会えたとしても挨拶ぐらいで終わってしまっている。いつもカイリが肌身離さず持っている月夜の宝石を白く光らせたのもあの日以来だ。
本当はしっかりも向き合って話し合いたいのだが、仕事も相まって時間が取れずにいる。カイリの頭を悩ませていた。

(本当うざったいわね。そんなに私が公爵でいるのが気に入らないの?)
「今日も来てますよ?ターン令息。今日は会えないって言ってるのに何時間でも待つとか言い出して…」
「酷いようなら警備隊を呼んでいいから。捕まって廃嫡になろうが知らないわ。自分で蒔いた種だもの」

自室の扉から外を眺めると、ターン令息と思われる男が執事のエドワードと使用人に怒鳴っている声が2階から見ていても
聞こえてくる。
よくよく見ると、怒鳴られている使用人の一人がレインだった。

(レイン…!!)

居ても立っても居られなくなったカイリは、自室を飛び出しレイン達の元へ向かう。その怒りは、空気を凍らし殺気を撒き散らす。扇子を握る手の力が更に強まってすぐにでも折れてしまいそうな勢いだった。

「いいからカイリお嬢様に会わせろ!!言っただろう?!!彼女が僕との結婚を了承するまで諦めないって!!!」

唾を撒き散らしながらカイリに会わせろと罵倒するターンにレインはドン引きしていた。
嫌な出来事がレインとカイリの脳裏に過ぎる。


それは、レインが採用された日の翌日に起きた出来事。
今日の様にターンはマリアネル邸に訪れていた。その時は今回みたいに狂気に満ちてはいなかったが、この日に訪問した目的も今回と同じでカイリへの求婚だ。
レインとはフットマンの仕事の一つである来客の対応で、コートや帽子等を預かった時にターンと初めて接触していた。
ターンはレインの肌の色を見た途端、軽蔑な視線を向けた嘲笑った。

「こんなマグア出身で奴隷肌の人間を雇ったのですか?いけませんよ?またマリアネルの名を穢すつもりですか?」
「……穢す?どうして貴方に指図されなければいけないのですか?それに、貴方のその愚かな考えは今すぐにやめるべきですよ?」
「マグアの人間は野蛮な人間が多い。盗みも平気でする奴らばかり。このまま彼を雇い続ければマリアネルの名に泥を塗りかねない。だから忠告してるんです」

得意げに語るターンの言葉は嫌でもレインの耳に入る。いたたまれなくなったレインは近くに居た同僚に耳打ちし裏に隠れた。
マグア人特有の褐色肌は貴族の間では奴隷肌と呼ばれていて差別の対象だった。雇われたとしても、レインの様な使用人の仕事に就くのは珍しく、環境が良くない環境での雑用以下の仕事や鬱憤晴らしの道具として扱う事が多い。
亡くなったとしてもその死が明るみになることはない。闇に葬られ、また新しく犠牲者を連れてくるというのが貴族の間では普通になっていた。
マリアネル家の様にマグア人も平等に扱う貴族はとても稀な存在であり他の貴族からは見下げた態度を取られていた。
カイリは平気でマグア人を傷つける様な貴族達に軽蔑し反抗していた。マージルが送り込んできた見合い相手の想いを徹底的に潰し諦めさせていたのもそのうちの一つだった。けれど、ターンだけはそれが効かなかった。

「勝手な偏見で全てを決めつけ差別するのはとてもいただけません。それに私はこの異能……ギフトを貴族だけに使うつもりはありませんし、これからもそのつもりです。何度も言ってる筈ですけど忘れましたか?」
(やっぱりマージル様の言う通りだ。この女、変に強気になりやがって。どうせ後で後悔して泣いて縋り付くんだ。こんな女に爵位なんか与えるからつけ上がるんだ。早く分からせないと…)

たかを括っていたターンに対しての不快感が限界に達したカイリはエドワードに強制的に退去しろと指示させる。
数人の使用人と共にターンを囲い退去を促した。
カイリはその様子をちらっと一目だけ見て立ち去ろうとする。

「残念ですが、お嬢様は人を差別する様な人間とは結婚する気はございません。お引き取りを」
「な、何を言っている!!!彼女は絶対に僕のことが…!!」
「貴方のその身勝手な考えは早めに捨て去ることね。もう十分話を聞きました。お帰りください。エドワード申し訳ないけど後はお願い」
「はい。お嬢様」
「待って、待ってください!!カイリ様!!!!」

懇願する愚かな男の声を聞きながらカイリは急いでレイン元へ向かおうとするが、同席していたマージルに腕を掴まれてしまう。

「カイリ!!貴様よくも…!!よくも私の顔に泥を…!!!」
「…本当、貴方が連れてきた男は全員馬鹿ばかり。会う人皆人を見下してばっか。私がそんな(やから)と結婚するとでも思っているの?」
「我儘言いやがって…!!誰がここまで育ててやったと思ってる!」
「仕事の忙しい父の代わりをしてくれたのは感謝します。ですが、それとこれとは話が違います。貴方様な人間にマリアネルの名もギフトの力も渡さない。それだけは覚えておいて」

カイリはマージルの手を振り解き、裏に隠れてしまったレインの元へ急いだ。マージルは「待て!!!」と叫びながらカイリの背中を憎悪の目で見ていた。

(兄貴そっくりだあの小娘…!!絶対に許さん!一刻も早く始末してやる。楽には死なせない。苦しみながら殺してやる…!!!)



ターンの差別の言葉を聞いたのは初めてではない。マグアでも散々聞いてきた言葉だ。
けれど、未知なる地での生活や仕事等で心身共に弱っていたせいかその言葉がナイフに刺されてゆく感覚で効いてしまっていた。
さっきのターンの言葉から逃げる様に見合いが行われていた応接室から思わず飛び出してしまった程だ。
仕事を放棄してしまったという後悔がレインを蝕む。

(何やってんだよ。慣れてた筈なのに)

深くため息を吐き、仕事に戻ろうとするも身体が動かない。頭の中にさっき言われたことが嫌でも過って、またそう言われてしまうのではという不安が身体を固着させてしまう。
すると、レインから話を聞いていた同僚がケヴィンに伝えてくれたのだろう。動けずにいるレインの元に駆けつけてくれたのだ。
ケヴィンは心配そうにレインに話しかけた。
こんなに弱々しいレインを見たのは初めてだったケヴィンは胸を締め付けられた。それと同時に彼をこうさせたターンに怒りが湧いた。

「レイン。大丈夫か?」
「ケヴィン…」
「ジョージから全部聞いた。あのブリクのところの令息だろ?アイツ…」
「いや、弱い俺が悪いんだ。仕事も放棄しちゃうし」
「何言ってんだよ。あんな事言われて辛くならない奴なんているかよ。エドワードさんも心配してたぞ?」
「お嬢様のお見合いを台無しにした挙句、エドワードさんにも迷惑かけちゃったな。はぁ〜」
「…寧ろ、そうしてくれてありがとうって言ってたよ。俺もスカッとした」
「……」

ケヴィンは、同僚のジャージから聞いたレインがいなくなった後の事の経緯を話た。それでもどこか心は晴れなかった。


『私の可愛いレイン。私のアガパンサス。誰よりも幸せになってね』


母が遺してくれたおまじないが今のレインには皮肉にしか聞こえない。
この言葉を実現するには困難が多過ぎるとも感じていた。

(今のままじゃ幸せになんて程遠過ぎる。もし、ケヴィンみたいに肌が白かったらこんなこと言われずに済んだのかな?)

時折、マグア出身じゃなかったら、肌が白ければ、もっと身分が高ければとタラレバばかり並べてしまう自分にレインは嫌気がさしてしまう。
そんな自分に手を差し伸べてくれるケヴィンは、レインの灰色の世界の一筋の光となっていた。

「エドワードさんに言って早めに昼休憩もらってきたから少し休もう。俺腹減っちゃった」
「…ありがとう。ごめんな。俺のせいでケヴィンの仕事を台無しにして…」
「もう〜謝るなよ〜。つーかレインは何も悪くないっての。悪いのはあのボンボンだよ…あ〜思い出しただけで腹立つ〜!!何がマグア人は奴隷肌で奴隷の種族だよ!!本当ムカつく〜!!!」

自分のことの様に買ってくれる人に出会ったのは初めてだったせいかレインはどう反応すればいいか分からなかった。けれど、満更でもないのは確かだった。

「あーゆー差別人間は一生出世しねーって母さんが言ってた。だからあのボンボンは将来廃嫡されるか島流しだな、うん」
「はは。何だよそれ」
「だってぇ、あんなふざけた奴が統治できる気がしないもん。もっと大きな事件を引き起こして泣き喚く未来しか見えん」
(まぁ、分からんでもない)

楽しそうに話すレインとケヴィンを影から見ていたカイリは2人の仲を邪魔してはいけないと思い踵を返した。
悲しい顔を浮かべていたレインをケヴィンという友人が笑顔を取り戻してくれたことにとても感謝していた。

(もうレインを悲しませる様な真似はしたくない。早くあの話を進めてしまわなければ。後はあの男共をどうするかね)

レインとふたりきりになりたくても、マージルが送り込んでくる輩のせいで時間が作れずにいる。それに、領地の運営や自分が手掛けている事業等の仕事にも支障が出てきてしまっている。
これ以上マージル達の勝手にはさせられない。その口を塞ぐ方法は一つ。

「貴方の出番よ。ナイト」

月夜の宝石であるナイトは、カイリのその呼びかけに応えるかのように一瞬だけ怪しく光った。




そして今に至る。
言い争っている声がカイリの耳に嫌でも入る。ターンの不愉快な声は苛立たせるのに打ってつけだ。
このまま感情のままに動いたら相手の思う壺だ。カイリは女公爵として怒りに蓋をする。

「あ!カイリお嬢様!!やっぱり会いにきてくれた!!!」
「おはようございます。私に会いにきたのでしょう?これ以上私の使用人達に危害を加えるのはやめていただけません?
「いや、それは、この人達がカイリお嬢様には会わせられないってふざけた事を…」

ターンのその言葉を聞いて、カイリは激しく音を立てながら扇子を閉じた。
エドワードは扇子が閉じる前からカイリの怒りを感じ取っていたのか、レイン含む使用人達の様に動揺はしていなかった。寧ろ、やっぱりなっという様子でターンとの会話を見守っていた。

「屋敷の中ではなんですから庭園の方へ行きませんか?丁度、今の時期アガパンサスが咲き頃なので、そこでお茶でも飲みながらお話ししましょう?」
「はい!!是非!!!」
(アガパンサス…)

レインはある花の名前に反応する。
故郷の花であり、夢に出てくる母親の言葉の中に出てきた花の名前だ。
薄紫色と白色の彼岸花によく似た花で初夏に咲く。
母はその美しく可憐な花を愛する息子に重ねていたのだ。
月夜の宝石いう鉱石、そして、アガパンサスという花が同じ異能(ギフト)を持つレインとカイリを結びつけてゆく。
レインはその事実に薄々気づいてはいたが知らないふりをして逃亡を図ろうと試みる。例えそれが母が望む幸せだとしてもレインは受け入れるつもりは更々なかったからだ。
マリアネル邸の周りに広がる美しい庭園には噴水とガゼボがある。
特にガゼボの周りは薄紫色と白色のアガパンサスが咲き誇っており、初夏にお茶会をする時は大体この場所で開かれている。
いつもは信頼できる人物としか行われない筈のお茶会がカイリが望まない見合いという名目で急遽行われる事となった。
アポイント無しに現れたターンの押し入りが原因だ。
カイリに会わせてくれるまで帰らないと使用人達の仕事に支障を与えかねない程喚き散らした。その使用人の1人にレインが居たことがカイリは許せなかった。

(こんな無意味な見合いなんてとっとと終わらせて今日かそレインと話さなきゃ)

ベラベラと喋るターンの話なんて右から左に受け流し、ただ相槌を打って時折微笑を浮かべる。今にも感情が爆発しそうなのを紅茶を飲んで無理矢理落ち着かせようとする。
レインはフットマンとして給仕をやらなければならない為その空気を嫌でも感じなければならなかった。正直、別の人に代わってほしいと思うがこれも仕事なのだからと割り切った。

(き、貴族ってろくな奴いないの…?アポ無しって何?)

ため息を吐きたい気持ちをなんとか抑えながらレインは指示が出るまでその場で待機する。
カイリはそんな彼を見てそっと微笑んだ。

(だって私の運命の番は貴方なのよ。レイン・バスラ。今後、ターンがいる席には貴方が座ることになるのだから)
「新婚旅行はどこか常夏の島でバカンスなんてどうです?」
「どうでしょう?私はあまり……日焼けしてしまいますわ。それに私には仕事がありますからそんな時間はございませんわ」
「そんな!!カイリお嬢様なら日焼けしたって美しいに決まってる。仕事だって他の人にやらせればいいだけ!!」

皮肉に気付かないターンにカイリは頭を抱える。

(……貴方とは行きたくないって言ってるの。気付きなさいよ)

カイリはティーカップの取手を折りそうな勢いでぐっと掴む。自分勝手に話を続けるターンが無意識に彼女の怒りを煽るせいだ。
カイリは被っていた帽子を整えるふりをしてそっと弄る。本来、野外でお茶会を開く時でも帽子は取らなければならないが、今回はカイリのマージルとターンへの抵抗が込められていた為に帽子を被ったまま見合いに挑んでいた。
もう一つ理由がある。カイリ自身が月夜の宝石と呼ばれる由縁となった黒髪を触れられない為の防御策でもあった。

(初めて会った時平気で触ってきたの今でも怖いし気持ち悪い。さっきも触ろうとしてきたし…)

マージルの手引きで初めてターンと会った時、カイリの了解なくターンは彼女の髪をベタベタと触ってきたことがあった。

「どうせ僕らは夫婦になるんだからこれくらい普通でしょ?」

その一言でカイリの中でターンが自分の夫になることはないと結論付けた。月夜の宝石であるナイトも反応するどころか、ターンを酷く嫌い彼に会う度に罵倒する様になった。

(どうしよう。レインがもしギフト持ちだったらナイトの声が聞こえてしまうわ)

カイリはレインにナイトの罵倒が聞こえてしまうのではないかと心配していた。
だが、その心配は取り越し苦労となる。ナイトの罵倒は見事にレインの耳に届いていた。

(なんかすんごい汚い言葉が聞こえてくるのだが何?まさかあのお嬢様の黒い宝石から…?怖。相当あのお坊ちゃんのこと嫌ってるじゃん)

レインはナイトの罵倒に顔面蒼白になってしまった。気にしちゃダメだと軽く首を横に振り、また仕事に戻る。
カイリはその様子を見ようとしたが、目の前の見合い相手がそれを許さなかった。

「お嬢様。そろそろ返事がほしい。貴女の本当の気持ちを教えてほしい!!!」
「前にも言いましたけど」
「いいえ!!アレは貴女の本心じゃない!!」

ターンはカイリの返事を否定する。前回の見合いと同じ応えなのは明白。
けれど、カイリを是が非でも手に入れたいターンはその応えは彼女の嘘だと、彼女の照れ隠しなのだと勝手に解釈していた。
なかなか納得してくれないターンにカイリは業を煮やしているのに彼は理解しようとしない。結局、自分の思い通りにならない現実を無理にでも変えようとしているのだ。

「……どうしてそう思えるのですか?」
「だって僕とお嬢様は運命だと思うのです!!全てマージル様のおかげ!!!僕の一族はずっと彼に助けられてた。だから恩を…」
「返したいとでも言いたいわけ?まさか、貴方、あの男が助けてくれてたとでも思ってるの?あの男が何をしてきたか何も知らないくせに」
「か、カイリお嬢様…?」
「全てお父様がしてきた事を自分の手柄にしてきたあの男の為に私は…!!!!」

今までマージルが引き起こしてきた不祥事の尻拭いは全て亡くなったカイリの父親が行なっていた。幾ら血の繋がった弟の為とはいえその気苦労は計り知れないだろう。カイリはそんな父親の姿をずっと見てきた。
余計にマージルを崇めるターンの言葉に我慢ができなくなった。怒りに任せてカイリは勢いよく立ち上がる。その衝撃でティーカップの中の紅茶が溢れ白いテーブルクロスに鮮やかな赤茶色のシミができてしまった。
カイリは構う事なくターンに反論しようとした瞬間だった。彼女に向かって強い風が吹く。

「きゃ!!」

抑えていたカイリの帽子が風で飛ばされてしまった。帽子は風と共に遠くへ飛ばされてゆく。
飛ばされた帽子が目に入ったレインは自然と身体が動き遠くへ行こうとする帽子を追う。
帽子はガゼボを離れ、大きな噴水がある方に向かってゆく。
足の速さに少しだけ自身があったレインは諦めようとせず必死に追いかけた。

「あともうちょい風の勢いが弱まれば届きそう…ってやば…!!」

帽子は立派な噴水に着地しそうだった。このままではカイリの帽子は水に濡れてしまう。
もし、お気に入りのものだったら大変なことになってしまうのではとふとレインの頭を過ぎる。

(ど、ど、どうしよう。弁償どころの話じゃなくなる!!解雇待った無し!!!流石にそれだけは勘弁だぁ!!!)

ようやく慣れてきたこの生活を手放したくない一心でレインは勢いよくジャンプをする。
彼のジャンプと、丁度風が弱まって帽子が降下したおかげで無事に帽子を取り戻すことができたが。

「あ、やば」

レインは噴水の水の中にドボンと背中から飛び込んでしまった。帽子は濡れる前に地面の方へと手が離れた為回避できた。
レインを追ってきたカイリは噴水に落ちた彼の元へ急ぐ。

「レイン!!!!」

ぷはっと浅い水中から出てきたレインは声がする方に顔を向ける。

(ぐあ〜!!すんごい恥ずい…。せめてかっこよく帽子をキャッチすれば…)

びしょ濡れになった顔の水を拭っているとカイリが今にも泣きそうな顔でレインに駆け寄ってきた。

「レイン?!!大丈夫?!怪我は?!!」
「あ、カイリお嬢様。俺は平気っすけど、その、あの、帽子…」
「そんなのどうでもいい!!貴方の体の方が心配よ!!本当に平気なの?!!」
「へ?はい、だ、大丈夫です…多分…」
「…っ!!」

カイリはレインがびしょ濡れでも構うことなくギュッと抱きしめた。レインは突然のことに呆気に取られ頭が真っ白になってしまった。

「ふぇ…?」
「良かった…貴方が無事で本当に良かった…!!」
(え?え?何?この状況…?何何何?!!!なんで俺、カイリ・マリアネルに抱きしめられてるのぉ?!!!!)

レインはハッと我に返り、このままではドレスが濡れてしまうからと慌てて自分からカイリを引き剥がそうとする。しかし、カイリは離れるつもりはまだないせいか抱きしめる力を少しだけ強めた。

「(この人見た目によらず力強っ)あ、あの、お嬢様。ドレスが…」
「ドレスなんかどうでもいい。貴方が無事なら私は…」
(ど、どういうことや…!!!頼む!!早く誰か来てくれぇ〜!!!)

抱きしめ返す訳にもいかず、行き場をなくした両手はパシャっと再び水中の中に戻る。
レインの胸部にカイリの温度が伝わる。緊張で心臓がいつも以上に激しく動いているから彼女の耳にはうるさく聞こえてしまっているとレインは恥ずかしくなった。

(早く来てくれとは思ったけどあの坊ちゃんだったらマズいのでは?いろいろと)

レインはこの光景を見たターンのリアクションが嫌でも目に浮かぶ。最初に対応した時のように怒り狂うのがもう目に見えていた。

「お嬢様!レイン!!」

エドワードの2人を呼ぶ声が遠くの方から聞こえてきた。レインはそちらの方に目を向ける。

「大丈夫か……ん?」
「あ…エドワードさん助けて…」
(お、お嬢様…!!)

この光景を見て誤解をしなかったのは長年培ってきた目利きのお陰だった。レインに非が無いのは一目で分かった。寧ろ、どうやってギュッとレインを抱きしめて離す気配が全くないカイリを機嫌を損なわせることなく引き離すかと頭をフル回転させる。
エドワードもレインがカイリの心を奪い、尚且つ月夜の宝石を輝かせた男だということは聞いていたが、まだ何も知らないレインにカイリが考えているような愛をぶつけるのはまだ早いのではと忠告はしていた。だがしかし、いざ2人きりになるとカイリのタガが外れて今に当たっていたのだ。

「お嬢様。一旦離れましょう?レインも困ってます。それにドレスがもっと濡れてしまいますよ?」
「嫌。ドレスなんて別に濡れても平気よ」
「マージル様とターン令息もいらっしゃってますし…」
「どうでもいい。レイン?本当に怪我はないのね?」
「へ?あ、ハイ。全然大丈夫です。寧ろ風邪ひきそうでヤバいなというか…」
「まぁ!!それはいけないわ!!

カイリは風邪を引いてしまうというワードで我に返りようやくレインから離れた。
レインとエドワードがほっとしたのも束の間、ぞろぞろとカイリ達の後を追ってきたターンと使用人数人がやって来た。
ターンの目に飛び込んできたのは、自分よりも身分が低く使用人であるはずのレインを自愛の目で見つめるカイリの姿だった。
その目は自分向けられる筈のものだとターンは憤慨した。

「この奴隷肌が!!!お嬢様から離れろ!!!」
「あ、ぶえっ」

ズンズンとレインとカイリの詰め寄ってきたと思うと、ターンは2人の中に割り込み、思いっきりレインの身体と押し倒し再びレインは水中にダイブする羽目になった。
その場にいたマージルも情けない声で沈んだレインをターンと共に嘲笑った。
水に沈むレインを見て気が晴れたターンはカイリに触れようとするが、一部始終を見ていた彼女は容赦なくその手を叩いた。

「っ!!な、何を…!!」
「何を?貴方、自分が何をしたのか分かっているわよね?」
「何をって、僕はただあんな奴隷肌の男に美しい貴女を触れさせたくなかっただけで…!!」
「……」
「僕の妻になる人をあんな汚い手で触れるなんて許せる訳ないだろう?!!なのに貴女はこんな暴力を」

ターンはカイリに叩かれ赤く腫れた手を摩りながら反論しようとするが、静かに怒るカイリの圧力が彼を強引に黙らせた。

「もういいわ。……ターン令息。私はこれまでずっとの貴方の我儘と自惚れ話をずっと聞いてきた。叔父のマージルの機嫌を損ねたくないからじっと我慢して聞いてきた」
「カイリ…お嬢様…?」
「勝手に私が貴方と結婚するなんて戯言も我慢さてじっと聞いてた。約束もしてないのにこうやって話し合いの場も作った。でも、これでようやく解放される」

噴水に落ちてしまったレインを泣きそうな表情で心配を案じていた声は、凍て付くような冷たく人を罰するに相応しい声に切り切り替わる。
起き上がったレインは、公爵としてその場に立つカイリに目が離せなくなっていた。

「叔父のマージルの顔を立てて、今までの見合いのことは貴方の御父上と女王陛下には告げていませんでしたがもうそれもやめにしますね」
「え、ま、待ってください!!それだけは…!!」

ラクサに君臨する王族の声は貴族のモノよりも強い。特に頂点に立つ女王陛下の声は苦しむ民の為ならと盾にも武器にもなる。それは移住してきた者にも通じること。
今までマージルと共に見下し蔑まれてきた人物はカイリだけではない。性別や身分、レインの様に肌の色と生まれた土地を知るや否や平気で軽蔑してきた。当然、物理的にも加えてきた。
彼らに鉄槌が下される時がようやく訪れた。それが今なのだろう。
ターンの父であるブリク家の長も黙ってはいられないだろう。次期当主で爵位を継がせるに相応しいと考えていた息子は見事に名に泥を塗ってしまったのだから。
勘当は免れたとしても廃嫡は確実にされるだろう。
ターンを唆し、結託していたマージルも例外ではない。
さっきまで勝ち誇っていたターンの顔から血の気が引いてゆく。
マージルが狼狽えながらカイリに詰め寄ろうとするがエドワードに阻止される。

「カイリ、待ってくれ。それは俺もなのか?俺はお前を育てた恩が…!!!」
「ターン令息をここまでさせた責任はしっかり取るべきですわ。サファイア女王は貴方が私の父にした事は知っているし、証人も大勢いるので言い逃れはできないと思ってくださいね?もう今更遅いですけど。リン」

カイリは侍女のリンを呼び付け、びしょ濡れになってしまったレインにタオルを渡して欲しいと指示する。
指示を聞いたリンは快く承知してから大事なことを伝えた。

「念の為に警備隊を呼んでおいて正解でしたね。これでやっとこの2人も近寄らなくなりますよ」
「いや、そんな、本当に待って…お嬢様…僕は…!!!」
「折角伯爵になれるレールにいたのに残念でしたわね。ターン令息。これでこの言葉を言うのも最後だわ」

カイリは淑女に相応しい柔らかくもどこか凛々しい微笑をターンに向けた。ターンの心に冷たくも重い何がか突き刺さった。


「貴方とは結婚できませんわ。貴方の理想になれない弁えない女である私には相応しくありませんもの」


項垂れるターンにカイリはトドメを刺す。容赦など最初からなかった。
レインの目に映った蝶の様に美しくも鬼の様に恐ろしい微笑は生まれて初めてだった。

(この女公爵を怒らせたら最後だ…)

逃げ出したいレインはもうすでに逃げられる道は閉ざされている。
レインはその現実をまだ知ることのないまま、ようやく噴水から脱出するのだった。
壮絶な現場に居合わせたレインはその後、自室に戻り、他の同僚より早めに休憩をとらせてもらうことができた。
噴水に落ちてずぶ濡れになった身体を乾かし、濡れた服を脱ぎ新しい物に着替えてようやく落ち着くことができた。
初夏とはいえまだ水遊びをするには少し早い。それもあって寒さがレインの身体から完全に抜ける気配はもう少しかかる様だ。渡された大判の紺色のブランケットを全身を包ませて暖をとっていた。
ケヴィンは、寒がるレインにあったかいココアを持ってきてあげていた。
寒さに支配されているレインはココアを啜りながらケヴィンに感謝した。

「ありがとうケヴィン。甘くて美味しいし、すごくあったまる…生き返るわ〜」
「よかったよかった。いや〜なんと言うか…散々だったね〜」
「散々もいいとこだよ。本当何なんって思ったわ。帽子取ろうとしてバランス崩した挙句噴水に落ちるわ、突然お嬢様に抱きしめられるわ、断罪イベ的なのを見るわ」
「お、おおう…」
「明日風邪ひいたらごめん」
「いやね、それはいいんだけどさ、いろいろ内容が濃過ぎて何で言ってやればいいのか分かんない」

それは当事者であるレインも同じだった。
唯一良かった事は、風で飛ばされてしまった帽子が濡れてしまわなかった事ぐらいだろう。

「でも、なんで急に抱きしめてきたんだろう?何かお嬢様と何かあった?」
「何もないから分からないんだよ…。此処に初めてきた時にカフェで鉢合わせたぐらい。しかも、会話らしい会話もしてない。挨拶だけ」

レインは何度も思い返していたが、やはりカイリに気に入られる様なことをした覚えは一つもなかった。
もし気に入られる要因と言えばギフトを所有している事ぐらいだが、記憶のギフトのことはまだ彼女には話してはいない。目の前にいる友人となってくれたケヴィンにもまだ伝えていないほどだ。知る由もないだろう。
邸宅に来て何か偉業を成し遂げたのかと言ったら特にない。
あと考えられるのは一つ。レインの悩みの一つであるあの月夜の宝石の声と彼から告げられた呪詛に似た予言だろう。

(運命の番…。どういうことだかさっぱりだけど、まさかそれが関わってるとか?)

ケヴィンに相談するべきか一瞬迷ったが、ギフトのことも伝えていない今のままでは気味悪がられるのがオチだろうという結論が出てすぐにやめた。

(実はギフト持ってて不思議な声が聞こえまーすなんて言ったら速攻でドン引きされて最悪絶交だろ。今後のラクサでの生活に支障が…!!!)
「でも、カイリお嬢様って優しいから抱きしめてくれたのかも?」
(う〜ん。そんな純粋なことじゃない気がする…もっと欲望に満ちた感じの…)

ケヴィンが持ってきてくれたココアを味わいながら考えを巡らせる。
ケヴィンの優しさから来る慈悲の精神で自分を抱きしめてきたという意見には疑問を呈した。

(それだったら全員にやってる筈だし、やっぱカイリ・マリアネルが持ってるギフトと月夜の宝石が絡んでる気がする。こんな事ならガイアにもっといろいろ聞いておけば良かった)

マリアネル邸に就職してからガイアと連絡が取れなくなっていた。
"おめでとう。僕は次のところに行くね。アデュー!!"という小さく可愛めにデフォルメ化した自身の落書きも含めた書き置きを残してガイアはレインの前からいなくなった。自称・奴隷商人である彼はきっといろんなところに飛び回っているのだろう。
突然いなくなってしまった事で肝心なことが聞けなかったのが心残りだった。彼ならあの不思議な声のことを知っていそうな気がしていたが、まるで分かっていたかのようなタイミングいなくなってしまった。

(……わざとだったらどうしよう)

あまり考えたくない思考が浮かび上がる。首を横に振りその考えを消そうとした。
すると、入り口の扉からノック音が聞こえてきた。
扉の向こうから聞こえてきたのはエドワードの声だった。

「ん?何だろう?はーい!」
「レイン・バスラ居るか?」
「(え、俺?)あ、あの、はい!!待ってください!今開けます!!」

レインは持っていたマグカップを机に置き、急いで扉を開けた。

「ごめんなさい。すぐ仕事に…」
「いや、こちらこそ突然すまんな。仕事に戻って欲しいから来たわけではない」

エドワードはごほんと短く咳払いをし、改めて要件を伝えようとする。

「レイン・バスラ」
「は、はい」
「お嬢様がお前を呼んでいる。帽子の取り戻してくれたお礼をしたいだそうだ」
「お礼なんてそんな…(寧ろドレスを濡らしてしまったんだが)」
「身なりを整えたらすぐにお嬢様の元に行く様に。分かったな?」

断れる雰囲気ではないのは明らか。尚且つ、使用人の立場である自分にどんな理由があろうとそんな選択肢はない。
レインは仕方なく二つ返事で了承した。

「あまり彼女を待たせるんじゃないぞ」
「…分かってます。すぐに行きます」

友人と話していた時間がもっと長く続けたかったがそれは許されなかった。レインはエドワードとの会話を終えたのち、ケヴィンに少し手伝ってもらいながら身なりを整えた。

「給料アップだといいね」
「ぜってー違うと思う。嫌な予感しかしない」
「もし、理不尽な解雇とかだったら僕も一緒に抗議するから!!」

だから任せてと親指を立てる前向きなケヴィンにレインは少し笑ってしまったが同時に勇気を与えられた。
もし、彼の言う通り此処を去れと告げられても彼なら友達でいてくれる気さえした。ほんの少しだけ不安も薄れていた。





重い足取りでエドワードに指示された通りにカイリの部屋に向かったレイン。
帽子を拾った御礼とそこからくる給料の値上げの話だけになってくれればと願うばかりだが、先程のカイリの行動が引っかかって話がややこしいかなるだろうと推測していた。

(なんか、使用人としてじゃなくて愛しいモノを大事に抱きしめてる感じだったんだよなぁ…。本当あれ何だったんだろう?)

やはり気がかりなのは彼女が身に付けている月夜の宝石のことだ。あの宝石が呟いた"運命の番"というワードが関わっているのだろう。
けれど、何故それが自分なのかレインは理解できなかった。

(ギフトを持ってる以外何の取り柄もないのに。身分も低い俺を何で運命の番になんか)

何度考えても答えは出ない。出てくるのは溜め息ばかりだ。
気付くと、もうカイリの部屋の前に着いていた。緊張で胸がいつも以上に高鳴る。
一瞬だけ躊躇したが、すぐに腹を括り一息してからノックをした。扉の向こうから「どうぞ」という声が聞こえてきた。

「……失礼します」
「レイン。お休みのところ突然呼び出してごめんなさい」
「いえ、別に平気ですから。あの…」
「こちらに座ってゆっくり話しましょう?時間はたっぷりあるから」
「はぁ…」

レインは不安が扉を閉め、出迎えてくれたカイリに言われるがままソファーの方へ向かう。
カイリと向かい合わせになったことでさらに緊張感が上がる。
あまり来ることがなかったマリアネル邸の主人の部屋を見渡す余裕も今のレインにはなかった。何を言われるのだろうと言う不安に駆られる。

「あの、その、改めて聞きますけど、話ってなんですか?」
「まずはさっきの私の帽子をずぶ濡れになって拾ってくれたことの御礼と、もう一つはそうね…」

カイリはワンクッションとして紅茶を一口飲んだ。
その目はレインに向けられる。カイリの真剣な眼差しにレインは目を背けようとするが威圧がそれを許さなかった。

(ひぇ)

あまりの圧で思わず心の中で変な声が出てしまった。

「私と同じギフトを持つ貴方には打ってつけの話とでも言いましょうか」
「っ!!いや、ちょ、ちょっと待ってください。今なんて」
「私と同じギフトを持つ者。私は何でも知っているのよ。レイン・バスラ」

緊張を紛らわそうと飲もうとした紅茶を吹き出しそうになったレインは、ガチャンと少し乱暴にティーカップをソーサーに置き、慌ててカイリを問い詰めようとする。
その様子をまるで分かっていたかの様にカイリはニヤリと笑った。
レインは女公爵カイリ・マリアネルの企みに嫌でも巻き込まれ、尚且つ、逃れられないのだと思い知ったのだった。
レインは必死に思い返す。
自分はただの使用人で、たまたま風で吹き飛ばされた女公爵様の帽子を拾っただけなのだと。
バランスを崩して噴水に落ちてびしょ濡れになった帽子を濡らさず持ち主の元へ返しただけの筈。
感謝の言葉を得るだけだろうとレインは思っていた。
だが、助けた相手から告げられた言葉は全てを一変させた。それはレインも想像していなかった宣言だった。
まずは、秘密にしていたはずのギフトの所有。レインにとっても、そして、カイリにとっても良い話。
レインは必死に頭をフルに回転させて何を言われるか予想するがピンとくるものが見当たらない。
焦っているレインをよそに、カイリは話を進めてゆく。

「貴方が見えないところで調べさせてもらったの。ここに来るまでに貴方の身に起きたことを全部ね」
「(そんな事いつの間に…!!)で、でも、なんで俺のことなんか調べるんですか?俺のことなんか調べたって何もなりませんよ?寧ろ、時間の無駄なんじゃ…」
「何言っているの。全然時間の無駄ではないわ。とても必要なことだったもの。いろいろ知れたし、これで心置きなく貴方に言える」
「言える?一体何を」

カイリは再びレインに向けて意地悪そうな笑顔を向ける。レインは変に身構えた。

「言ったでしょ?私と同じギフトを持つ貴方にとって打ってつけの話だって……貴方も聞こえているんでしょう?この男の声が」

カイリは首から下げていたネックレスを外し机の上に置く。いつも肌身離さず身に付けていた月夜の宝石だ。
レインは困惑しながら月夜の宝石を見つめる。

「声…?」
「ギフトを持つものは宝石の声を聞くことができる。神様が与えてくれた共通の異能と言ってもいいかしら。さっきもずっと聞こえてたはずよ。あんま口には出したくない言葉ばかりだったけれど」
(つまり、これ以上誤魔化したって無駄ってことかよ。腹括るか…)

レインは、全てを諦めはぁっと自分を落ち着かせる様に短くため息を吐き、開き直った気持ちでカイリを見た。
自分の情報を得たと言うことは、きっとガイアが突然いなくなったのも彼女が関わっているのだと悟った。
もう逃げられないなら、徹底的に利用してやろうとさえ思えた。カイリが言う打ってつけの話がレインにとって有利なものになる場合ならだが。

「お嬢様の言う通り、ずっとその黒い宝石の声聞きながらあの場にいましたし、相当あの御曹司のことを軽蔑してて引きました」
「ああいう融通がきかない人間にはいつもこうなのよ。まぁ、ずっとそういう家族たちを見てきたから仕方がないのだけれど」
(ずっと見てきたってことは先代から受け継いできたってことか)
「ガイアから聞いたと思うけど、コレが私が月夜の宝石と呼ばれる由縁にもなった宝石。マリアネル家の家宝でとても特別な宝石なの」
「…そうなんですか。でも、それと俺に何の関係があるんですか?声が聞こえるぐらいしか共通点がない気がするんですけど?」

訝しげなレインはカイリに目の前の月夜の宝石を自分の前に出した意味を探ろうとする。

「すぐに分かるわよ。その宝石に貴方が触れればね」
「え?俺が触れればって…」
「その答えが知りたいなら月夜の宝石に触れて。貴方の人生を変えたいなら」

傷ひとつない月夜の宝石が天井のシャンデリアの光で反射している。まるで早く触れろと訴えてきている様に見えて仕方がなかった。
こんな神秘な光を放つ宝石に、レインは身分が低い自分が触れてしまっていいのかと躊躇してしまった。

(どうしよう。幾ら触れって言われても汚したりしたら…)

さっきまで治っていたはずの緊張が再び全身に湧き上がる。
レインは本当にいいのかと目で訴える。カイリは微笑みながらこくりと頷いた。

(こ、こんなに高価なやつを、しかもマリアネルの家宝を手袋無しに触るなんて。どうしよう弁償しろとか言われたら…でも…)

だからと言っていつまでも躊躇していられない。
レインは、覚悟を決めてゆっくりと月夜の宝石に手を伸ばした。
晴れるか触れないかのところで一瞬だけ手を止めてしまったが、目をギュッと瞑り今度こそ宝石に触れた。宝石の感触が手に伝わると同時にそっと目を開ける。その時だった。

「え、何?!うわぁ!!!」

黒曜石の様な宝石がレインが触れた途端、眩い白い光が放たれる。とても神々しい美しい光。
まるでレインに触れられるのを待っていたかの様なその光はカイリに希望を与えた。

(ナイトの言う通りだった。そして、私の想いも間違っていなかった。やっぱり彼だったのね。彼が私の運命の番。私の夫になる人)

カイリの想いとは対照的に、レインは突然の宝石の異変に驚愕していた。

(何?!何何何?!!なんで急に光ったの?!!俺なにしちゃったの?!!!)

何故、漆黒の色だった月夜の宝石が満月の様に白く輝いたのかレインはまだ知らない。驚愕して慌てふためくのも無理もないだろう。
触れていた宝石から慌てて手を離した。光は止んだが、宝石の色は白いままだ。
レインはある程度自分を落ち着かせてからカイリに問い詰めた。

「今のは何なんですか?!!きゅ、急に宝石が光って…」

取り乱すレインに近づいたカイリは、あの噴水の時の様に再び彼を抱きしめた。彼を落ち着かせる為でもあったが、それよりも愛おしい気持ちが勝り、絶対に離さない、誰にも彼を渡さないという独占欲が彼女を動かしていた。
カイリに抱きしめられたことによりレインは更に混乱してしまった。

(ひぇ〜〜!!!なんでぇ〜〜?!!!)

カイリを突き飛ばすわけにもいかず、どうしようか困惑したレインだったが僅かに残った平常心を使って一旦落ち着こうと試みる。

(だ、ダメだ。ここは一旦落ち着かなきゃ…!!正直、今すぐにでも叫んで逃げたいぐらいだけどココは落ち着いて冷静になるんだ…!!!)
「レイン」
「へ?はい!?な、何でしょう?」

カイリの声でレインはようやく我に帰れた。一瞬情けない声が出たが気にしない様にした。

「驚かせてしまって申し訳ないわ。貴方に教えておけばよかったわね。月夜の宝石の特別な秘密を」
「秘密?あの宝石の?」
「ええ。月夜の宝石はある一種の探知機。所有者にとって大事なモノを見つけ出してくれる特別な宝石なの」
「その大事なモノって一体…」

カイリはそっとレインから離れ、そっと彼の頰に触れる。まるで大事なモノを壊さない様に大事に触れ、愛おしむ目で彼の瞳を見つめる。
レインは恥ずかしさ思わず顔を赤らめてしまう。自分の頬を触れているカイリの手を払い除ける気にはならなかった。彼女の愛おしげな目から逸らすこともできなかった。

「お嬢…さ…ま…?」
「月夜の宝石を新月の夜から満月の白色(はくしょく)に変えられる者。それができるのは所有者の"運命の番"となる者のみ」
「運命の番…?」
「私の伴侶になる者にしか反応しないのよ。つまり貴方のことよ。レイン。貴方は私の夫になるのよ」
「……へ?」

あまりに突然のことでレインの思考が止まる。
ようやく月夜の宝石が呟いた運命の番の意味を知ることができたが、それと同時にすぐには受け入れられない事態が起きてしまった。
カイリは呆気に取られているレインの両方の手を優しく握った。
そして、決意した目付きで彼を見て告げた。

「レイン・バスラ。私の運命の人、私の希望の光となる人。そして、私と同じギフトを与えられた人。私は貴方という人を心の底から好きになりました。きっと宝石の導きがなくても私は貴方を是が非でも探し出していたわ」
(待って)
「ようやく人生を共にしたいと思える人が貴方だった。ずっと暗闇だった世界に光を差してくれたの。そんな貴方を手放したくない。だから…」
(これって)


「私と結婚していただけませんか?」


一世一代の人生を賭けたプロポーズ。
男性から告げられるのが主流になっているがレインが受けたのは逆のもの。
身分の低いレインを騙して悲しませたいという気持ちなど一切ない真剣なプロポーズだった。
両手に伝わるカイリの手の温かさと少し潤んだ目が応えを引き出そうとする。
突然の求婚にレインは、当然だがすぐには応えを出すことができなかった。

「そんな、そんな急に結婚してくれって言われても困ります!幾らその宝石が俺を運命の番に選んだとしても!!」
「どうして?」
「だって、俺はここの使用人で平民。身分が違い過ぎる!!それに…」
「それに?」
「……きっと後悔するから。マグア人である俺と結婚なんかしたら絶対に貴女は後悔する。だから…」

レインのビジョンにはカイリが差別と好奇の目に晒されて傷つけられる未来しか見えず、とても幸福な未来になるとは到底思えなかった。
運命の番に選ばれた自分よりもっと彼女には相応しい人がいる。
彼女がレインに告げたプロポーズに偽りはなかった。そんな彼女を悲しませたくない一心だった。
このまま身を引いた方が彼女の幸せになるのだとレインは考えていた。

「ごめんなさい。貴女の期待には応えることはできない。きっとすぐに良い人が現れて…」
「もう現れてるわよ。目の前にいるじゃない」
(ん?)

だが、それだけで諦める女ではないことをレインは知る由もなかった。
レインが想定していた応えはまるっきり否定される。
心の底から好きになったモノは死んでも離そうとしない。それがカイリ・マリアネルという女。


(え…?ん?んんん?ちょっと、いや待って。ホント待って。諦めてくれる筈じゃ…)
「私がそう簡単に諦めると思った?言ったでしょ?打ってつけの話があるって。逃がさないから。あとでもう一度聞くわね?」


逃がさないというパワーワードと鬼の様な圧がレインを顔面蒼白にさせる。カイリはそんな彼対してニヤリと不敵に笑っていた。



「愛しているわ。"私の可愛いアガパンサス"」
「そんな諦めないって……俺なんかが貴女の旦那になるなんて絶対に無理ですよ!いろいろと無理があり過ぎる!!!」

レインは諦めるという文字が存在しないカイリに必死に抵抗していた。
幾ら運命の番に選ばれたとはいえ、やはり身分の違いと種族の違いが今後カイリの足を引っ張ることになるのだと悟っていたからだ。
だが、レインのその考えはこの女公爵には通用しない。寧ろ、彼女にやる気を与えてしまったと言っても過言ではなかった。
やる気に満ちたその目にレインは恐怖を感じていた。

「何故そう言い切れるの?」
「いや、考えれば分かるでしょ!?身分も低いし、人種も違うし!!」
「…でも、ギフトを持ってるじゃない」
「それだけでしょ?!ギフトを持ってるからって貴女と結婚していい理由なんて…」
「あるわよ。私と結婚すれば貴方を守ることができる」
「その…一体誰から守ると?」
「知っている筈よ。貴方と私達のギフトを付け狙う輩共のことを」

レインはカイリのその言葉に思い当たる節があった。
マグアにいた頃もその危機は何度もあった。ギフトを持っているだけで彼を襲った正体。
神々から授かったギフトを本来の持ち主に返すべきだと主張する異端者達。
一番最初にギフトを授かった使者のひとりが行動、それは身分が低い者にもギフトを教え、そして、後継させ繁栄させたこと。
だが、ギフトは神の物だと認識し信仰している異端者達。
少しでもギフト所有者だと疑いがある者には容赦なく危害を加えている。
ギフト所有者と判明するとすぐさま捕らえ、拷問し、最終的には生贄として神に異能を返すという名目で殺す。それが一種のカルト教団と化した奴らのやり方だ。
その被害は貴族であるカイリにも及んでいて、爵位を受け継ぎ公爵となった今は鳴りを潜めているもののいつまた彼女を襲うか分からない。マリアネル邸に使用人としてやってきたレインも例外ではないだろう。

「まさか、結婚すれば俺を守ってくれるとでも?」
「ご名答。このマリアネルの名と、私の公爵の爵位の地位があれば貴方を守れる。奴らも身分の高い貴族にはそう簡単には手は出さない筈」
「仮にそうだとしてもそれが結婚していい理由には…」
「なる。それに私は貴方に初めて会った時から好きになってしまったの。所謂、一目惚れってやつね」
(まさかあのカフェで会った時の?え…?パンケーキに夢中になってた奴のどこに惚れたんだ…?)

レインはカイリを惚れさせるような仕草をした覚えは全くなかった。紳士の様にエスコートした覚えも、誰かに絡まれているところを助けたという様なヒーローじみたこともしていない。
ただ、ガイアの隣でバターの匂いと蜂蜜がたっぷりかかったふっくらパンケーキを夢中で頬張っていたことしか覚えていない。レインは更に困惑した。

「あと、貴方と結婚すればいろいろと解決することもあるのよ」
(解決?俺と結婚すれば解決するってどんな問題だよ)
「ターン令息の隣にいた男のこと覚えてる?」
「えっと…ああ…なんか胡散臭そうな奴がいましたけど、それが?」

カイリは困った様にはぁっとため息をついた。目の前の愛する人に紹介したくない人物を話すのは気が滅入るからだ。カイリは決意を固め重い口を開いた。

「マージル・マリアネル。あの男は父の弟で私の叔父なのよ。私の面倒を見てくれた人でもあるわね」
(え"?あの人叔父だったの?全然見えなかった。ヤバそうな詐欺師かな?って思っちゃったよ)
「あの男は自分より身分が低い者にはあんな態度をとるのよ。ほら…変に横暴だったでしょ?いつもああなの」
(確かに。変に俺ら使用人にキツく当たってからな。やっぱりそういうことか)

カイリの言う通り、マージルもターンと同じで自分より身分が低い者には遠慮がなかった。
紅茶の味が気に入らないもしくは冷めていただけで突然紅茶を浴びせてきたり、来るのが遅いからと怒鳴りつけ最悪の場合はビンタをかましてくる等目に余る行為を平気でしてくる男だった。
マグアにいた頃に見た貴族達も同じだった。レインを優しくしてくれたのはごく一部の人間だったのだと改めて思い知らされた。
けれど、それが自分との結婚とどう影響するのかレインにはまだ分からなかった。

「マージルの目的はマリアネルの正式な後継者になって全ての権限を自分のものにすること。そして、公爵の名を私から奪い取ること」
「でも、マリアネル家の後継者は貴女であることも爵位だって貴女のお父様も意思もあって受け継いだって知ってる筈じゃ…」
「私が女だから気に入らないの。まぁ、それ以外もあるけれど。血の繋がった兄弟で、忙しい父の代わりに私の面倒をずっと見てくれていた。だけど、父は彼を見限った。家の地位も爵位も財産も全て私に残したくれた。逆にマージルには何も残してくれなかった」
(つまり、全然信用されてなかったってことか。納得)
「いろいろやらかしてたから当たり前なんだけど」

カイラのその一言にもレインは変に納得してしまった。

「面倒見てくれたけどいい気はしなかったわね。父の目が見えないところで叩いてもきたし、それ以外もいろいろされたから。今もだけどね」
「とんだ最低野郎ですね」
「そこにあの見合いよ。自分に有利な人間と無理矢理結婚させて、私を形だけの存在にさせてすべてを牛耳ろうとしてる。さっきの見合いも同じ。私の意思も愛もない道具にさせるための結婚。逃げたくて仕方がなかった。でもね」
「え?」
「そんな時に貴方が現れた。月夜の宝石を光を灯し、私の心を一目で奪った貴方が私の前に現れてくれたの。これは運命なのよ。レイン・バスラ」
「う、運命なんてそんな…」

目を輝かせながらレインを両手を掴むカイリにレインは圧倒される。
彼女の言葉に嘘は見えなかった。確かにマージルという叔父とギフト所有者を付け狙う異端者に命を狙われているということは分かった。
特に、後者はカイリと同じギフト所有者であるレインも他人事ではなかったからだろう。
それでもレインを決断させるにはあと一つ足りないものがあった。

「とりあえず話は分かりました。けど、使用人の俺を夫にしたらもっと泥沼化しそうなんですけど…」
「一旦、マージル達にギャフンと言わせたいから気にしなくていいわ。いろいろ手は打ってあるし」
「それに…絶対俺なんかをマリアネル家に迎えたら他の貴族から何か言われるんじゃ…好奇の目で貴女を見る様になるかも…」
「そんな愚か者に負ける様な私ではないわ。それだけで貴方を守りきれなかったらマリアネルの名に泥を塗るようなものだもの」
「でも…っ!!!」
「私と結婚したくない理由がまだあるの?」

悲しげな目に切り替わるカイリにレインは何も言えなくなった。
このままこの結婚を受け入れれば一気に貴族の仲間入りとなる。今までの生活が全て一変するだろう。
けれど、平民から成り上がった自分のせいで後ろ指を刺され、見た目で差別する者の目も彼女にも降りかかってしまうのが嫌だった。
そして、レインに向けられている好意も一時的なモノだったとしたらと思うと安易に首を縦に振らなかった。
まだ、カイリの様な想いには至っていない。けれど、彼女が歩んできた人生を聞いてからレインは少しでも力になりたいと思っていた。
帽子を拾っただけの自分をここまで愛そうとしてくれる彼女に見放されたらという恐怖はまだ拭えない。

「本当に俺のことが好きなんですか?」
「大好きよ。初めて会った時からね」
「月夜の宝石を光らせた……運命の番として宝石に選ばれたからってだけじゃないってことですよね…?」
「当たり前じゃない!彼が選んだだけじゃない!私が心の底から好きになったからこうして結婚を申し込んでるのよ!!」

嘘偽りのないカイリの一言一言にレインの疑念は少しずつ薄れてゆく。
レインは決意を固め一番不安になっていた思いを彼女にぶつけた。

「……本当に俺を…、奴隷の地で生まれた俺を本当に一生かけて愛してくれるんですか?」
「……」

レインの声が恐怖で震える。
今までレインという一人の人間として愛してくれる人なんていなかった。ギフトを持っていたから愛してくれた人は大勢いたが、レイン自身を愛してくれる人は初めて友人となったケヴィンぐらいだった。
レインに対して愛を説いていたカイリに実は冗談だった、全て嘘だったと言われてしまうのではないかとずっと疑心暗鬼になっていた。
彼女の沈黙が恐怖にしか感じない。今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
カイリの優しい声が凍てついた沈黙を破る。

「レイン・バスラ」
「……はい…」
「私は月夜の宝石が選んだから貴方に求婚したんじゃない。本当に貴方を愛してしまったから申し込んでいるの」
「嘘だ」
「嘘なんかじゃない。私はそこらの貴族共と一緒にしないで頂戴。私は身分なんていうものなんか必要ないって思ってる。確かに利用できるけど、ただの枷にしか思えない」

あまりにも眩しくも凛々しい目にレインは釘付けになっま。
あの帽子を拾った時、ターン令息を圧倒させていた彼女こそまさにマリアネル家当主、そして、女公爵に相応しい。そう思える程、カイリ・マリアネルの嘘偽りなき告白は少しずつ疑念に満ちていたレインの心を解いてゆく。
求婚を断ろうとした気持ちがどんどん揺らいでゆくがもう止められなかった。

「私は一生をかけて貴方を幸せにする。絶対に悲しませたりしない。どんな脅威からも守り切ってみせる。だから改めて言わせて」

レインはある一言を思い出す。


『私の可愛いレイン。私の可愛いアガパンサス。誰よりも幸せになってね』


いつも夢の中で母が囁く言葉。
その言葉通りの人生がもう目の前にある。その手を払いのける理由なんてもう彼にはなかった。

「レイン。私の愛しい人。どうか私と結婚してくれませんか?」

改めて告げられたカイリからのプロポーズ。
レインは本当は自分から言わなきゃいけないのにと感じていた。けれど、その目にもう恐怖と不安はもうなかった。


「……これからすんごい迷惑かけると思うし、公爵である貴女の立派な夫になれるかまだ分からない。でも、こんな俺をそこまで想ってくれる貴女となら楽しい一生になれるかも」
「ってことは…」

緊張気味な表情のカイリにレインは微笑んだ。

「カイリ・マリアネル様。俺も貴女を幸せにしてあげたい。その言葉に嘘がないなら受けます。結婚しましょう」

カイリはレインの応えに一瞬だけ驚きを見せたがすぐに我に返り、嬉しさが爆発し、小さく嬉しい悲鳴を上げながらガバッと彼を抱きしめた。

(く、苦しい…!!!)
「ありがとう!!本当に嬉しいわ!!!私、断られたら絶対立ち直れなかった。大好きよ!!!」
「あ、あはは。そ、そりゃよかったです。あの、俺達、まだお互いのことよく分かってないんでゆっくり…」
「そうよね!たっぷり時間はあるもの!!もっとレインのこと知りたい」
(愛がすごい。俺の何がこの人をこうさせたんや…)

ぱぁっと太陽の様な笑顔のカイリに少しドキッとしてしまったが今は知らないふりをする。きっとそれがバレてしまったらややこしい事になるとレインは悟っていたからだ。

(初めての感覚にいろいろ追いつかない…)
「これからもっと忙しくなるわね。貴方との婚約をいろんな人に広めなきゃだし、結婚式もとても素敵なものにしなきゃだし…」
「…そんなに焦らなくても俺は逃げませんから、ゆっくり考えましょう?ほら、さっき言ったでしょう?時間はまだあるって」
「そうだけど、嬉しくて気持ちばかりが先走っちゃって。でも、本当に、本当にありがとうレイン。私を選んでくれてありがとう…!!!」
「あ、あはは…」
「そうと決まれば、みんなに報告しなきゃね」
(ん?報告?)

すると、レインの腕を掴みそのまま引っ張られる様に部屋から出る。

「え?!ちょっとカイリお嬢様ぁ?!!」
「ほら!!早くマリアネル邸にいる皆に教えなきゃ!!」
「一旦秘密にしません?!つか、俺自身全然心の準備が…!!」
「大丈夫。私がいるもの」
(そうゆう問題じゃね〜〜!!!!)

その後、ロビーにてマリアネル邸で働く者全員に婚約をした事を告げられた。
皆、婿になる人が自分達の同僚だとは予想していなかったせいで大変驚いていた。レインはその様子を見て"穴があったら入りたい"という気持ちに駆られた。
レインの耳に月夜の宝石ことナイトの声が聞こえる。

『貴様がちゃんとカイリを幸せにするまで逃さぬ。その逆も然りだが』

レインは改めて自分はもうこの女公爵から逃れることができないだろうと諦めのため息をついた。
カイリとの婚約が決まったレインの生活は一変していた。
突然貴族の仲間入りを確約されたことを未だ信じられずにいるレインを置き去りにして事は進んでゆく。

「俺はこれからこんな広い部屋で住むってこと…だよな…」
「すげー…まさか俺の親友が大出世して、しかもカイリお嬢様と逆玉婚なんて…やべ、なんか嬉しくて泣けてきた」
「泣くな泣くな(寧ろ泣きたいのはこっちだよ)」

マリアネル家の当主の婿になる人をいつまでも狭い使用人用の部屋に住まわす訳にはいかないと、あらかじめ用意された自室にいた。
カイリの部屋と同じぐらい広く、いろんな作家で高価な家具や装飾品に囲まれた部屋にレインはこれから住むことになる。とても現実味が感じられないレインは呆気に取られるばかりだった。
そんなレインにケヴィンはどういう訳か感動していた。
まさか、自分の初めての友人が逆玉の輿に乗ることができ幸せの階段を駆け上がり始めるのを自分の目で見守れるのがとても嬉しかったのだ。嫉妬という言葉は最初からなく、本心からレインを祝福していた。

「でもさ…レインはこれからはカイリお嬢様の旦那様になるから僕とはあまり話とかできなくなっちゃうね。そこはちょっと寂しいかな」

同じ使用人として友人としてずっと側に居たレインが手の届かない所に行ってしまったら、前みたいに冗談を言い合ったりできない寂しさだけは拭えなかった。
大切な親友が成り上がって幸せになるのはとても喜ばしいことだが、ケヴィンはその寂しさを酷く感じ取っていた。
けれど、レインは諦めていなかった。寧ろ、ケヴィンの絆を更に深める方法をすでに見出していたのだ。

「あのさ、ケヴィン。一つだけ我儘聞いて欲しいんだけど。いい?」
「え?何?」
「これはカイリ様とエドワードさんに聞かなきゃいけないからどうなるか分からんけど、もし、俺の従者になって欲しいって言われたらどう?」
「……え?ええ?!!」
「それなら離れ離れにならんだろ?」

レインから思わぬ申し出にケヴィンは驚いて言葉を失ってしまったが、大好きな親友の側にいられるならこのチャンスを逃す訳にはいかないとすぐに我に帰った。答えはもうとっくに決まっていた。

「もちろんイエスだわ!!!でも、本当に僕でいいの?まだ見習いなのに。絶対いろいろ迷惑かけちゃうよ?」
「ケヴィンだからお願いしてるんだ。見習いでも別に構わない。俺もそうだから」

近しく親しい人が側に居てくれればお互い助けになる。レインがラクサに来て一番実感した一つ。
突然全てが一変しても大事な仲間がいれば乗り越えられる。レインがケヴィンを自分の従者に決めた一手だった。

(それにまだあのお嬢様のこと何も知らないし、一人で不安になるよりかはまし…)

幾ら夫婦になるとはいえ、まだお互いのことをよく知らない。
その不安を一人で抱えるより親しい誰かに相談できるツテが欲しかったのもあった。
何度もカイリのプロポーズを思い出してはその不安を拭うべきだと考えるがそうはいかないだろう。

(俺の我儘をなんでも聞いてくれそうな気がするの何だろうな。ちょっと怖い)
「それじゃあ、早速エドワードさんに聞いてみよう!!あと、お嬢様にも!!」
「お、おう」

お互い学んでゆき成長してゆくしかない。
自分が女公爵の夫に相応しい男なのか、何故月夜の宝石が自分を選んだのかまだ分からず手探りの状態だ。けれど、ここで悩んで立ち止まっていても何も始まらない。
目の前にいる親友の様な前向きさに憧れながらレインはエドワードの元に急いだのだった。




カイリは侍女のリンを連れて街に繰り出していた。その理由はある大事な物を作りにジュエリーショップに行くからだ。
その大事な物とは、彼女の婚約者となったレインへのプレゼント。一言で言えば、婚約指輪をまだ使っていなかったからだと言った方が正確だろう。
けれど、カイリは少し引っ掛かりを感じていた。それは。

「……う〜〜ん…」
「どうしたんですかお嬢様?」
「うん…ちょっとね…なんか違う気がして…」
「違う?何がですか?」
「指輪のこと。指輪じゃなくて他のアクセサリーの方が似合う気がして。あと、あるモノをモチーフにしたアクセサリーの方がいい気がして。でも、考えが纏まらないのよ」

悩むカイリにリンはそのあるモノが何か問う。

「庭に咲いてるアガパンサス。今、見頃の薄紫の花。彼の出身地のマグアが原産地みたいなの。だからアガパンサスをモチーフにした物にしようかなって…」
「まぁ!!それは良いアイデアですね!!とても素敵ですよ!!」
「指輪で作ろうかと思ったけど、何か違う気がして。リン、何か良い案ない?」

カイリから提案されてリンはうーんっと目を閉じてじっくり考える。
ふと、リンの脳裏にあるアクセサリーが頭を過ぎる。それは、よく貴族の男性が身に付けている宝石のブローチだった。
これならお嬢様も納得してくれるとすぐにその答えを彼女に伝えた。

「ブローチなんてどうですか?薄紫のアガパンサスをモチーフにしたブローチとかとても素敵だと思います」
「ブローチね…」
「ほら、胸の辺り付ければ結構目立ちますし、お嬢様の婚約者だという証にもなる気がするのですが」
(私の婚約者だという証…)

その言葉が繰り返し頭に響く。引っかかっていたものが一気に削ぎと落とされ悩みが吹き飛んだ。
レインを他の者に奪われない為の独占欲の具現化を見せつけるのには最適だとカイリはほくそ笑んだ。

「ありがとうリン。貴女のお陰で全て解決したわ。これでジュエリーショップで悩み込まなくてすむわ」
「いえいえ。悩める主人を救うのも仕事のうちの一つですから♪」
「フフ。本当にありがとね。助かったわ」



マリアネル邸にて。外は暑いというのにレインは一瞬だけだが鋭い悪寒を感じ身震いした。

「ひぇ。なんだ?」
「どうしたん?」
「あ、いや、なんか今悪寒が…(なんだろ…?)」

レインは腕を摩りながら胸騒ぎを覚えた。
もう一つの宝石と出会うまであと少し。
レインがカイリにプロポーズされてから少し経った頃。
女公爵の夫に相応しい人間になる為に花婿修行を半強制的に始められていた。
その理由は、レインが自分の婚約者になったことを他の貴族に披露するからだ。それも手紙などではなく人目がつくパーティーの場で。
たった2週間の間にできるだけ多くの事を覚えて欲しいと怒涛のスケジュールを組まれることになりレインは気が滅入っていた。

(幾らギフトがあるからって、これはヤバいって)

正直、使用人の時よりもハードではと思えるほどの修行にレインは逃げ出したいという考えがいつも過るようになった。
まずは、基本的な礼儀作法は難なくこなせたが、貴族の名前を覚える事と、ダンスに関してはレインの悩みの種となっていた。
記憶のギフトを使っても覚える事が多過ぎるせいか、その日の修行が終わると夕食も食べずにそのままベッドに寝てしまう事が多くなってしまっていた。
ケヴィンも従者として見習いなりにレインを支えていた。

(このお披露目会が終わったらしばらく花婿修行は休ませてもらおう…この怒涛さは死ぬ…頭がパンクしそうや…)



女公爵の自室兼仕事場。
婚約者となったカイリにもここ数日はあまり会えていない。彼女も仕事が立て込んでいるせいか、なかなかレインに会えずじまいで苛立っていた。

「レインに会いたい…エドワード、レインを呼んでちょうだい」
「ダメですよ、お嬢様。彼にはこの短い期間でいろいろ覚えてもらわないとならない事があるのですから。邪魔してはなりません」
「うぐ〜〜!!なんでよぉ〜少しぐらい良いじゃない〜」
「いけません。ギフトを酷使しながら必死に花婿修行に励んでいるのです。今は優しく見守ってやってください。それに、その仕事の量を終えなきゃ彼に会えませんよ?」
「分かってるわよ…。他の人に任せられないものばかりだし仕方ないわ…。はぁ〜それでも会いたい」
「もう少しの辛抱です。あ、そうそう」

エドワードはある事を思い出すと、先ほどリンから受け取ったある箱をカイリの机の上に置いた。

「もしかしたらコレって…」
「はい。先程、リンがお嬢様の代わりに受け取って来てくれたので。やっとですね」

カイリは一旦仕事の手を止めて、ある物が入った箱をそっと開ける。
その中身はカイリを納得させる作りになっていて満足の出来となってやってきた。

「完璧よ。後はレインに渡すだけね。絶対に気に入ってくれるわ」

月夜の宝石ことナイトも箱の中身の物に関心を持った。

『まだおぼっこい声だが、まぁあの男にはぴったりだな』

ギフトを待つ者にしか聞こえない宝石の声。その声は所有者の守護となってどんな危機からも守ってくれる。そして、幸福へ導く声にもなる。
亡くなった母から教わったギフトと宝石のお話。
皆は、それはただの迷信だと言っていたが、レインを見つけてくれたことで迷信なんかではなく事実だったと思い知らされた。
宝石はゆっくりと結びを深めてゆく奇跡の鉱物なのだとカイリは思った。

「そのブローチ。披露会の時に渡すのですか?」
「ええ。そのつもりよ。皆に認められる夜に渡そうと思ってるの。絶対に似合うわ。彼の花をモチーフにしたもの」

彼女の中でアガパンサスはレインを連想させる物となっていた。
マグアが原産地であることもあるが、あの出来事があった日も庭園のアガパンサスが綺麗に咲き誇っていたのが印象的だった。

「さて、早く仕事を終わらせなきゃね」
「そうですよお嬢様。彼も頑張ってますから」

カイリは再びペンを持ち目の前の仕事をこなしてゆくのだった。






「マージル様!!!どういうことですか?!!カイリお嬢様があんな奴隷と婚約なんて!!!!」

マージルの邸にやって来たターン令息は取り乱しながら彼に問い詰めた。
まだ他の貴族に伝えていない筈の情報をどこからか得たのだろう。ターンはレインがカイリの婚約者になった事に憤怒した。
本来ならそのポジションは自分の筈なのに何故奴隷の地と言われるマグアの男に取られるのだと憤慨したのた。
マージルも必死に怒りを抑えながら紅茶を飲む。

「私も今知ったのだ。デマの可能性もあるだろう?」
「っ!!!デマなんかじゃありません!!忍び込ませたメイドが教えてくれたのですから!!!クッソ!!なんで……」
(……この男の話が本当なら…。あの子娘。マリアネル家の恥晒しが)

ターンがカイリの動向を知る為にメイドを装って送った密偵が掴んだ情報だ。ターンに忠を尽くしている者の情報に偽りはないだろう。
密偵が掴んだ情報が書かれた紙をマージルに渡す。
マージルは少しずつ怒りを滲ませ、持っていた紙にシワを作らせた。

「本当…なのだな……」

マージルの怒りの雰囲気にターンは恐怖で一瞬だけ言葉を失う。恐怖に襲われながら辿々しく、なんとか言葉を続けようとする。

「ほ、本当です!!カイリお嬢様はあんな下級の者を婚約者にすると使用人達の前で宣言したと…」
「そうか…」
「このままではマリアネルの名も、神聖なギフトも卑しい血で汚れてしまう…!!何か策を…」

マージルは持っていたティーカップを怒りに任せておもいっきり床に叩きつけた。パリンと傷一つなかったティーカップは呆気なく砕け散った。
ターンはその様子を呆然と見ているしかなかった。

「すまない。見苦しいところを見せてしまった」
「あ、そんなこと…仕方ありませんよ。あんな事されたら僕ら以外の貴族達も怒りますよ」
「そうか。でも…あんな小娘にここまで手こずらせられるなんてな。私のした事が。あそこまで大切に育てて来たのに失敗してしまった」
「マージル様は何も悪くありません!!カイリお嬢様の婚約もきっとあの奴隷が唆したに決まってます!!」
「そうだといいがな。……そう言えば、さっき見せてもらった資料の中に書いてあったのだが」
「え?」
「私達にとって有利となる事が一つ書いてあった。ターン令息の密偵は本当に有能だな」

マージルはくしゃくしゃになってしまった資料をテーブルの上に置きある文章に指をさす。
そこに書かれていた文にターンは目を通す。彼はその一行に驚愕し目を大きく見開いた。

「う、嘘だ!!どうしてあんな奴隷がギフトを?!しかも神々に選ばれた使者の子孫しか持たない筈の《記憶》のギフトをなんで?!!!」
「それは私にも分からん。だが、一つだけ分かっていることがある」
「あの奴隷からギフトを取り上げる…否、取り戻すこと…」
「あんな卑しい血が通う者が持っていい異能ではない。高貴な血を持つ者にしか許されない。神々もそれを望んでいるだろう」
「でも、取り戻すって言ってもどうしたら…」

マージルは不安なターンに対して、ニヤリと何か企んでいる様な笑みを浮かべた。
すると、マージルは左手に嵌められていた黒革の手袋を外し始めた。

「この紋章に見覚えがあるだろう?」

マージルは手の甲に彫られた黒色の何かの紋章の刺青をターンに見せた。

「っ!!!これは…!!!」

刺青を見たターンから一気に不安が払拭された瞬間だった。彼もニヤリと不敵に笑う。

「ギフトを神に返し、ギフト所有者が最も恐れる存在で救済者である教団《オルロフ》の力があれば両方共取り戻すことができる」

マージルが所属しているオルロフこそ、カイリが言っていた異端者だった。
神々にギフトを返すと名目で所有者を捕らえ、拷問をしたのち最終的に生贄として殺す。特に身分が低いギフト所有者には容赦がなく、遺体が残らないもしくは原型を留めないほど酷い状態で見つかることが多い。
ここまで残酷な行為を行っているというのに、高位な貴族ばかりが集まるその教団を断罪することはできない。権力と金を使い証拠は全て改竄され、大勢の無実の人間を何度も断頭台に送ってきた。
その魔の手を身勝手な野望に満ちていたマージル達はレインとカイリへと伸ばそうとしていた。

「あの奴隷の血をマリアネルに混じらせる前に手を打たねば。やはり、彼女をここ呼んで正解だった」

すると、マージルは部屋の端で控えていた従者を呼び寄せ耳打ちをする。命令を受けた従者は早歩きで部屋を出て行った。

「誰か僕以外に来客でも?」
「ああ。もしもの事もあってと思って。安心しろ。彼女も私達のオルロフの仲間だ」

少し経って、コンコンっとノック音が扉からした。
音が止んだと同時に扉が開き、マージルの従者と共に入って来たのは赤いドレスに美しい金髪の一本の三つ編みを肩から垂らした女性だった。ターンはそのあまりの美しさに姿にドキッとしてしまった。

「(なんて美しいんだ…!!)ま、マージル様!この方は…!!」
「彼女は、オルロフの幹部の一人アンダース伯爵のご令嬢ミネア様だ。彼女もオルロフを信仰している仲間だよ」
「初めましてターン・ブリク令息様。(わたくし)名は、ミネア・アンダース。以後お見知り置きを」
「彼女の力があればあの奴隷を捕らえることなど容易い事。そして、神々にいち早くギフトを返すことができる」
「話は聞かせてもらいましたわ。確かに、由緒正しいマリアネルの血から一刻も早く卑しく汚い血を排除せねばなりませんね。カイリ様にも貴族として再教育しないと。彼女は身を弁えてもらわないと」

どこか怒りを込めた静かな口調のミネアにターンは賛同する。

「ほ、本当にその通りです。カイリ様は一番爵位が高い公爵というだけで好き勝手やってきた。僕との結婚も台無しにして…!!」
「その悔しさ、とてもよく伝わります。それはそれは辛かったでしょう。でも、もう大丈夫ですわ。後は私とマージル様、そして、素晴らしいオルロフの力で全てやり直しますから」
(ミネア様…!!)
「だから私を信じてください。ターン様。必ず貴方の望む未来にしますわ。私達貴族が未来永劫明るい未来を歩む為に」

ウフフっとミネアは笑う。その笑顔はまさに可憐と言えた。
だが、その笑顔の裏では黒く悍ましい思想が蠢いていた。

(あの女、やってくれるじゃない。本当にマリアネルの当主としても女公爵としても似合わない女ね。いつも私を逆撫でさせる事ばかりやって。私が欲しい物を全て手に入れて…。でも、それももう終わる。今度は私があの女から全てを奪ってやるのよ。カイリ・マリアネルを私の足元にひれ伏させてやるの)

ミネアの脳裏に凛々しい顔付きで彼女を見つめるカイリが過ぎる。だが、すぐにミネアの妄想が侵食し泣きながら土下座をし彼女に許しを得るカイリの姿に切り替わる。
ミネアは思わず笑い上げそうになったが、すぐに持っていた扇子で口元で隠し笑いを抑えた。
もう少しでその妄想が現実になると思うと笑いが止まらなかった。

(あの女が選んだマグア人もギフト持ちなんて。神様はとんでもない間違いをしてくれたわ。でも、私達オルロフが修正する。そして、あの女が入れ込んでるそのマグア人を目の前で殺してあげなきゃ)
「あの、早速話を進めましょう!!!ミネア様!!早くカイリお嬢様の目を覚まさせないと」
「……落ち着きなさってターン様。この賭けは私達の勝利であることはもう確定しているのですから」
「ミネア殿の言う通りだ。ここで焦れば裏目に出る。ここはじっくりと練ろう」

ミネアは黒いレースの手袋を外し、左手の甲のマージルと同じ紋章の刺青を見せ教団に忠誠を誓う。

「全ては神々とオルロフの為」
「我ら貴族の未来とマリアネル家の栄光の為に」
(ぼ、僕とカイリお嬢様様の未来の為に…!!!)

それぞれの漆黒で歪んだ誓いが立てられる。
マージルとミネアの左手に刻まれた紋章は血塗られた歴史を物語せている。



ゆっくりと幸せな道を踏み入れようとしていたレインとカイリに魔の手が忍び寄っていたのだった。