二、そういえば最近、絵画を買った
結局その日は、何もなかった。文字通り何もなかった。
怪奇現象の解決に役立つ発見は何もないし、こころの部屋にも入っていない。そうする必要がないのだ。全ては、居間だけで済む話だ。だから今日の出来事で、何の変化もありはしない。ただ涼太がこころの家を訪れただけだ。
アパートまで帰り着いた涼太はシャワーを浴び、両親不在の家の中をあちこちを漁って食料を見つけ出し、それを食べてベッドに寝転んだ。今日の晩御飯はカップ焼きそばとインスタントのコーンスープだった。美味しいし、手軽にできるので満足のいく食事だと涼太は思った。そしてスマートフォンを充電しながら、アプリの中の一つを起動した。
それは最近の涼太の楽しみだった。
広告にも出されない、殆ど誰も知らないような動画配信アプリだった。画面の中の人々は、自分が選んだ画像を顔の辺りに固定してゲームをしたり、アニメやドラマの感想を話す。
顔を隠すのは各自の判断に委ねられているが、殆どの配信者が素顔を暴かれるのを嫌った。芸能人や、政治家やアニメキャラクターなど、理由もなく選ばれたような顔たちが本来の彼ら、或いは彼女らの表情を隠した。配信者本人について得られる情報は、声と本人の話した内容だけだった。
アプリを利用して配信をしている人間は無数に存在しているが、その中の一人に涼太は注目していた。
兼城スズ、それが名前だった。当然配信のための偽名だろう。性別は、声を聞く限りでは女性だった。
彼女は一週間に二度、ゲームをプレイする画面を視聴者にも表示して見せ、そして何かしらを話した。初めて涼太が兼城スズの画面を開いた時、視聴者は全くのゼロだった。スズは誰も見ていない環境で、懸命におしゃべりをしていたのだ。
サポーターと呼ばれる者は存在していた。涼太を除いて二六人が、本来なら彼女の動向を逐一把握して、配信開始の合図を今か今かと待ち侘びているはずだった。しかし現実としてあるのは、視聴者数ゼロという虚しい結果だけだった。
居た堪れなくなり、涼太は視聴を続行して『何時までですか』とコメントも投げた。勿論スズは反応した。その後しばらく、スズははしゃいで逆に涼太に質問をして来た。それが出会いだった。
あの灯台横の崖を見に行った翌日だったので、丁度一ヶ月くらいになるだろうか。それから火曜日と木曜日の夜は、涼太は時間を空けるようにしていた。
今日も何ら変わりのない、ゲーム配信の画面が流されていた。スズはゲームの際には、自分の顔を画面には映さずにゲームの画面だけを映した。視聴者からは邪魔だろうと判断したのだろう。
兼城スズのプレイするゲームはお世辞にも上手という訳ではない。だがその分、画面内で起こった事に対してのリアクションは大きい。
いや、大きすぎるくらいだ。声を聞いて謎の悪寒を覚えたのも一度や二度ではない。涼太はたまに、視聴を断念したい想いに駆られた。しかし懸命に自分へと話しかける兼城スズの姿を見ると、どうしても応援したい気持ちが勝ってしまうのだ。
『リョウはこれ、どうした方が良い思う?』
スズがその日していたゲームは、所謂バトルロワイヤル形式のもの。ここ最近世間で流行していて、彼女もそれに乗っかりたいようだった。
だがゲーム内の人口は多いので、当然兼城スズのような人間が簡単には勝ち残れない。何度挑戦しても、優勝を逃している。今日もいつものように追い詰められ、恐らく画面の向こうにいるであろう涼太に話しかけて来た。というより、助けを求めた。
コメント機能で答えてほしいという事だろう。早く回答を出さなくてはいけない。入力から反映までには、多少のタイムラグがある。
『リョウ:そこで待機して、他の人が突っ込んでいくのに乗っかった方が良い』
涼太がコメントを残した。スズはすぐに反応した。
『成程ね、了解!』
まるで東京のような大きな都市型のマップだった。兼城スズの操作するキャラクターはビルの影に身を潜めた。しかし背後にいたもう一人のプレイヤーに気付けず、あっさりと撃たれてゲームオーバーとなってしまう。
スズの悔しそうな唸り声が、画面を通して涼太の耳に届いた。
『リョウ:どんまい』
短く、素早く入力した。
『ありがとー、リョウさん』
スズは言った。コントローラーをテーブルか何かに置いたような音がした。
『はい、と言う訳で一〇時を回りましたので、ここからは雑談タイムに移りたいと思います!』
配信時間は既に、三時間に達しそうだった。まだ何かしら続けると言うのか。
涼太はスズがどうしてこんな事を長時間行うのか、理由が気になった。考えた所で『好きには人それぞれある』という結論に達して終わるのだが。
涼太の疑問を抱える視線を浴び続けながら、画面の中央に出て来たスズは話す。顔には、浴槽に浮かんでいるような黄色いアヒルが被さっていた。そこから下は上半身のみが映し出されており、彼女は白いワンピースを着ていた。背景はアプリの機能でモザイクが入っていた。
『まだリョウさんは居るんだよね……?』
『リョウ;今日はもう予定がないから、終わるまで見ている』
『やった、 スズはとっても嬉しいです!』
そう言う所だ、と涼太は心の中で突っ込んだ。変なキャラを作っているから人が寄り付かないのだと。
しかし考えてもみれば、そう感じるのは涼太だけなのかもしれない。スズに人が寄り付かないのも、何かの加減で世間から見落とされているだけなのかもしれない。
抱える疑問の数を勝手に増やし続けている涼太の事など気にせずに、スズは雑談タイムなるものを進行させていた。
『そういえば最近、絵画を買ったの。とっても綺麗な、お花の絵』
涼太は心臓の止まる思いがした。
『リョウ:それって、どんな花? チューリップとか?』
すぐさま打ち込んだ。
『ひまわりの絵だよ。元の絵をコピーしたものだから、三五〇〇円で買えたの。でも初めて買った絵だし、しっかり額に入れて飾ってるんだ。リョウさんは絵とか興味ある?』
涼太は適当に『ちょっとだけね』と返した。スズはそうなんだ、とか何かを喋っていたが、もはや涼太には聞こえない。
ひまわりの絵。それは確かに、今日涼太が目にした物だ。何処でだっただろう、なんて思い出すまでもない。あの家だ、金城こころの家だ。
急遽持ち上がった謎の繋がりのおかげで、その日の配信に涼太は集中できなかった。兼城スズと金城こころは、同一人物ではないだろうか。
結局その日は、何もなかった。文字通り何もなかった。
怪奇現象の解決に役立つ発見は何もないし、こころの部屋にも入っていない。そうする必要がないのだ。全ては、居間だけで済む話だ。だから今日の出来事で、何の変化もありはしない。ただ涼太がこころの家を訪れただけだ。
アパートまで帰り着いた涼太はシャワーを浴び、両親不在の家の中をあちこちを漁って食料を見つけ出し、それを食べてベッドに寝転んだ。今日の晩御飯はカップ焼きそばとインスタントのコーンスープだった。美味しいし、手軽にできるので満足のいく食事だと涼太は思った。そしてスマートフォンを充電しながら、アプリの中の一つを起動した。
それは最近の涼太の楽しみだった。
広告にも出されない、殆ど誰も知らないような動画配信アプリだった。画面の中の人々は、自分が選んだ画像を顔の辺りに固定してゲームをしたり、アニメやドラマの感想を話す。
顔を隠すのは各自の判断に委ねられているが、殆どの配信者が素顔を暴かれるのを嫌った。芸能人や、政治家やアニメキャラクターなど、理由もなく選ばれたような顔たちが本来の彼ら、或いは彼女らの表情を隠した。配信者本人について得られる情報は、声と本人の話した内容だけだった。
アプリを利用して配信をしている人間は無数に存在しているが、その中の一人に涼太は注目していた。
兼城スズ、それが名前だった。当然配信のための偽名だろう。性別は、声を聞く限りでは女性だった。
彼女は一週間に二度、ゲームをプレイする画面を視聴者にも表示して見せ、そして何かしらを話した。初めて涼太が兼城スズの画面を開いた時、視聴者は全くのゼロだった。スズは誰も見ていない環境で、懸命におしゃべりをしていたのだ。
サポーターと呼ばれる者は存在していた。涼太を除いて二六人が、本来なら彼女の動向を逐一把握して、配信開始の合図を今か今かと待ち侘びているはずだった。しかし現実としてあるのは、視聴者数ゼロという虚しい結果だけだった。
居た堪れなくなり、涼太は視聴を続行して『何時までですか』とコメントも投げた。勿論スズは反応した。その後しばらく、スズははしゃいで逆に涼太に質問をして来た。それが出会いだった。
あの灯台横の崖を見に行った翌日だったので、丁度一ヶ月くらいになるだろうか。それから火曜日と木曜日の夜は、涼太は時間を空けるようにしていた。
今日も何ら変わりのない、ゲーム配信の画面が流されていた。スズはゲームの際には、自分の顔を画面には映さずにゲームの画面だけを映した。視聴者からは邪魔だろうと判断したのだろう。
兼城スズのプレイするゲームはお世辞にも上手という訳ではない。だがその分、画面内で起こった事に対してのリアクションは大きい。
いや、大きすぎるくらいだ。声を聞いて謎の悪寒を覚えたのも一度や二度ではない。涼太はたまに、視聴を断念したい想いに駆られた。しかし懸命に自分へと話しかける兼城スズの姿を見ると、どうしても応援したい気持ちが勝ってしまうのだ。
『リョウはこれ、どうした方が良い思う?』
スズがその日していたゲームは、所謂バトルロワイヤル形式のもの。ここ最近世間で流行していて、彼女もそれに乗っかりたいようだった。
だがゲーム内の人口は多いので、当然兼城スズのような人間が簡単には勝ち残れない。何度挑戦しても、優勝を逃している。今日もいつものように追い詰められ、恐らく画面の向こうにいるであろう涼太に話しかけて来た。というより、助けを求めた。
コメント機能で答えてほしいという事だろう。早く回答を出さなくてはいけない。入力から反映までには、多少のタイムラグがある。
『リョウ:そこで待機して、他の人が突っ込んでいくのに乗っかった方が良い』
涼太がコメントを残した。スズはすぐに反応した。
『成程ね、了解!』
まるで東京のような大きな都市型のマップだった。兼城スズの操作するキャラクターはビルの影に身を潜めた。しかし背後にいたもう一人のプレイヤーに気付けず、あっさりと撃たれてゲームオーバーとなってしまう。
スズの悔しそうな唸り声が、画面を通して涼太の耳に届いた。
『リョウ:どんまい』
短く、素早く入力した。
『ありがとー、リョウさん』
スズは言った。コントローラーをテーブルか何かに置いたような音がした。
『はい、と言う訳で一〇時を回りましたので、ここからは雑談タイムに移りたいと思います!』
配信時間は既に、三時間に達しそうだった。まだ何かしら続けると言うのか。
涼太はスズがどうしてこんな事を長時間行うのか、理由が気になった。考えた所で『好きには人それぞれある』という結論に達して終わるのだが。
涼太の疑問を抱える視線を浴び続けながら、画面の中央に出て来たスズは話す。顔には、浴槽に浮かんでいるような黄色いアヒルが被さっていた。そこから下は上半身のみが映し出されており、彼女は白いワンピースを着ていた。背景はアプリの機能でモザイクが入っていた。
『まだリョウさんは居るんだよね……?』
『リョウ;今日はもう予定がないから、終わるまで見ている』
『やった、 スズはとっても嬉しいです!』
そう言う所だ、と涼太は心の中で突っ込んだ。変なキャラを作っているから人が寄り付かないのだと。
しかし考えてもみれば、そう感じるのは涼太だけなのかもしれない。スズに人が寄り付かないのも、何かの加減で世間から見落とされているだけなのかもしれない。
抱える疑問の数を勝手に増やし続けている涼太の事など気にせずに、スズは雑談タイムなるものを進行させていた。
『そういえば最近、絵画を買ったの。とっても綺麗な、お花の絵』
涼太は心臓の止まる思いがした。
『リョウ:それって、どんな花? チューリップとか?』
すぐさま打ち込んだ。
『ひまわりの絵だよ。元の絵をコピーしたものだから、三五〇〇円で買えたの。でも初めて買った絵だし、しっかり額に入れて飾ってるんだ。リョウさんは絵とか興味ある?』
涼太は適当に『ちょっとだけね』と返した。スズはそうなんだ、とか何かを喋っていたが、もはや涼太には聞こえない。
ひまわりの絵。それは確かに、今日涼太が目にした物だ。何処でだっただろう、なんて思い出すまでもない。あの家だ、金城こころの家だ。
急遽持ち上がった謎の繋がりのおかげで、その日の配信に涼太は集中できなかった。兼城スズと金城こころは、同一人物ではないだろうか。