「外見なんて、ただの飾りだよ」
 大輔はそう言うと、ニッと笑った。
 さくらはこの時、初めて胸がときめくのを感じた。外見以外の魅力をこんなにもストレートに伝えてくれたのは、大輔が初めてだったのだ。
(私、そんな風に見られていたのか……)
 さくらはドキドキする胸を押さえ、赤くなった顔を見られないようにそっと(うつむ)くのだった。 オリエンテーションが終わるとクラス内は本格的に授業が始まり、中間テストに向けて空気が変わり始める。さくらと大輔の関係も進展をみせることなく、それぞれがそれぞれの時間を過ごしていた。
 しかしさくらの視線は自然と大輔を追ってしまい、教室で明るく騒ぐ大輔を見ると、何だか心の中が温かくなるのを感じるのだった。
 さくらと大輔の間に表立った変化がないまま、時間は進んで行く。
 一学期の期末テストが終わると、クラス内の雰囲気は一気にその先に待っている夏休みへと意識が向かっていった。しかし進学希望のさくらは、夏休みも夏期講習があるため浮き足立つことはなかった。一方、就職希望の大輔は相変わらず無邪気にクラスの男子たちと騒ぎ、夏休みの予定を立てている。
(夏休み、か……)
 さくらは楽しそうに予定を決めるクラスメイトたちを少し(うらや)ましいと感じながらも、大学受験を控えているのだから、と自分に言い聞かせていた。
 夏休みが始まり、朝からうだるような暑さの中、夏期講習へと向かう。
 さくらたちの高校は坂の上にあるため、毎年この暑さの中、坂道を登って通うのはかなり体力のいることだった。しかし坂を上りながら眼下に広がる海を眺めるのが、さくらは好きだった。
 この日も心臓破りの坂と呼ばれる坂道を上りながら、さくらは吹き出る汗をタオル生地のハンカチで拭いながら登り、夏期講習へと向かっていた。すると後ろからバイクの音が近付いてくる。
 さくらは条件反射で坂の隅に身体を寄せ、バイクを避けようとした。しかし、バイクはスピードを落とし、さくらの横で止まった。さくらの足も、条件反射で止まってしまう。
「前田さん、学校?」
 止まったバイクに乗っていたのは、松本大輔だった。
 さくらは一瞬、心臓が止まりかける。
「乗ってく?」
 原付きバイクに乗った大輔が何でもないように言うが、さくらが気になったことは、
「松本くん、免許、持ってたんだね」
「ないよ」
「え?」
 さくらの言葉に何の悪びれもせず大輔が即答した。さくらは思わず耳を疑う。
「先輩に教えて(もら)ってさ。このバイクも、先輩に借りてんの」
 大輔はそう言うと、ニヤッと笑った。
(やっぱり、松本くんは不良なんだな……)
 さくらはその時、改めて大輔が品行方正とは真逆の存在であることを思い知らされた。
「無免許の人のバイクには、乗れないかな……」
 さくらはそう言うと、学校に向けて坂道を歩き始める。そんなさくらについてくるように、大輔も原付きバイクから降りて、バイクを押しながら隣を歩いていた。
「ねぇ、前田さん。学校、何時に終わる?」
「今日は夕方には終わるよ」
「じゃあ、俺、迎えに行くわ!」
「えっ?」
 何気ない会話のつもりだったが、大輔から出た言葉にさくらが驚く。そんなさくらに大輔は何でもないように言った。
「この辺も何かと物騒じゃん? 家の近くまで送るって」
「そんな、悪いよ……」
「いーから、いーから!」
 大輔はそれだけ言うと、じゃっ! と言って、再び原付きバイクにまたがった。
「校門前で待ってるから!」
 大輔はそう言い残すと、(さっ)(そう)と原付きバイクで坂道を登っていくのだった。
(な、なんだったの……?)
 まるで台風のような大輔の登場に、さくらは驚きとドキドキする胸を押さえながら学校までの道のりを歩いて行くのだった。
 その日の講習内容は良く覚えていない。
 この講習が終わったら、本当に校門前に大輔がいるのだろうか?
 さくらはそのことばかりが気にかかり、授業に集中することが出来なかったのだ。
 夏期講習が終わり、さくらはドキドキしながら校門を出ようとした。周りを気にしていることを悟られないように、なるべく平静を装っていたのだが、やはりその目は自然と(だい)(すけ)を探してしまっていた。
 しかしさくらの視界には大輔の姿はなく、さくらはがっかりしたような、安心したような、複雑な気分になった。
(いるわけ、ないよね……)
 さくらは短く息を吐き出すと、自宅に向けて坂を下ろうとする。すると後ろから、
「前田さん!」
 聞き覚えのある声に呼び止められた。その声を聞いた瞬間、さくらの心臓は口から飛び出るほど大きく脈打った。
「良かったぁ~、間に合った!」
 後ろから駆け寄ってきたのは、もちろん大輔である。
「松本くん……」
 さくらはそう言うだけで精一杯だった。
(うそ)つき男になるところだったぜ!」
 大輔はそう言うと、さくらの横に立った。
 その時さくらは、大輔が徒歩であることに気付いた。思わず、
「あれ? バイクは……?」
 そう(たず)ねていた。
 大輔はさくらの言葉に、
「原付きは先輩に返した! 前田さん、二人乗りしたくなさそうだったからさ。歩いてきた!」
 大輔は汗だくになりながらも笑顔でそう答える。
 眼下の海に沈んでいく夕日に照らされたその笑顔は、さくらには(まぶ)しく感じるのだった。
 二人はゆっくり歩きながら、坂道を下っていく。
 共通の話題は夏休みの課題についてだった。
「宿題、多すぎね?」
 大輔はそう言って、不満そうに唇を(とが)らせる。その横顔をさくらはおかしそうに笑って眺めていた。
「あ、そうだ! 前田さん、明後日の夜って暇?」
「明後日? 何かあるの?」
「祭り、行かない?」
 突然の誘いに、さくらの足が止まる。
 確かに、明後日は地元で夏祭りがあったような気がする。
 毎日勉強漬けですっかり忘れていた。
 まさかその祭りに誘われることになるとは。
 さくらの思考がパニックに陥りそうになった時、
「前田さん? おーい?」
「あっ!」
 目の前で大輔の手のひらがヒラヒラとしていることに気付いた。
「大丈夫? 忙しい?」
「あ、いや……」
「じゃあさ、返事は今じゃなくていいから、連絡先、教えてよ」
 それで、明後日までに返事して欲しい、と大輔は言う。
 さくらは大輔に言われるがまま、メッセージアプリの連絡先を交換した。
 さくらは今、一体自分に何が起きているのかまだ整理がつかなかった。しかし、とんでもないことをしているのではないか? とドキドキする鼓動を止めることが出来ない。
「よっしゃ! 前田さんの連絡先、ゲット!」
 大輔はそんなさくらをよそに、本当に(うれ)しそうに笑っていた。
 さくらはその笑顔を見ただけで、良かった、と思うのだった。
 その日の夜。
 さくらは大輔から誘われた祭りに行くかどうするか、ずっと悩んでいた。菜月に相談しようとメッセージアプリを開いてみると、大輔からメッセージが入っていることに気付く。
『ちゃんと、家、着いた?』
 そんな短いメッセージは数時間前に届いていたものだった。さくらは慌てて、
『ごめんなさい。今、気付きました。家には無事に着きました。今日はありがとう』
 そう返信する。するとすぐに既読のマークが付き、
『良かった! やっぱり家まで送るべきだったかなって、心配してた!』
 大輔がそう返信を送ってくる。
 さくらはその文面に申し訳なく感じながら、
『心配かけて、ごめんなさい』
 そう返すのが精一杯だった。
『明日も迎えに行こうか?』
 大輔からの返信は早い。すぐにこう返ってきた。
 さくらはまさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったため、スマートフォンを片手に目を見開いてしまう。しかし何か返さなければ、と焦れば焦るほど、どう文章を打とうか悩んでしまった。
『前田さんが、迷惑じゃなければ、だけど……』
 さくらからの返信がないことに不安を覚えたのか、大輔から更にメッセージが飛んでくる。
 さくらは(とっ)()に、
『迷惑じゃないです!』
 と返した。
『じゃあ、明日!』
 (だい)(すけ)はすぐにそう返信をすると、それからさくらにメッセージが届くことはなかった。
 さくらは一連のやり取りで再び鼓動が激しくなるのを感じながら、菜月にメッセージを送る。
『なっちゃん、助けて……』
 さくらがメッセージを送ると、すぐに菜月の方に既読がつきスマートフォンが菜月からの着信を告げた。
『さくらっ? どうしたっ?』
 通話に出たさくらに、菜月は焦ったような声で開口一番こう言った。
「あ、なっちゃん……」
 菜月の声を聞いたさくらは、何だか安心して泣きたくなってしまった。
 どうにか気持ちを落ち着かせ、さくらは今日あった大輔との出来事を菜月に説明する。菜月は(ちゃ)()すでもなく、真剣にさくらの話を聞いてくれた。
『つまり、松本くんに夏祭りに誘われて、ドキドキしちゃったってこと?』
 菜月はさくらの話を要約する。さくらは菜月に見えていないのに、大きくコクコクと(うなず)きを返していた。
『それはもう、さくらは一緒に夏祭りに行くべきだね!』
「えっ?」
『だって、それ、恋、だよ?』
 思わぬ菜月からの言葉に、さくらは返す言葉が見当たらない。
 黙ってしまったさくらに、
『高校三年の夏は一回しかないし、後悔しないようにしな?』
 菜月は真面目にそう言った。
 それを聞いたさくらの気持ちも固まったようで、
「そうだね……。うん、私、松本くんと行ってくるよ! 夏祭り!」
『そうしな! 楽しんでね!』
 さくらの声が明るくなったのを感じたのか、菜月の声も明るく、さくらの背中を優しく押してくれるのだった。
「えっ? マジっ?」
 翌日の夏期講習の帰り道。さくらは本当に迎えに来てくれた大輔に、翌日の夏祭りに一緒に行きたい旨を話していた。大輔はその返答が予想外だったのか、坂の途中で足を止め、目をパチパチとしばたたかせている。
 大輔のその反応がさくらにとっては予想外だったため、一緒に足を止めてさくらも目をパチパチとさせてしまった。
「いや、これ、夢なのか?」
 大輔はそう言うと、思いっきり自分の(ほお)(たた)く。パチン! と小気味のいい音が響き、
「いってぇ~……」
 大輔はそう言うと自分の頬をさすった。
「夢じゃないみたいだ……。そっか、一緒に行ってくれるんだ?」
「う、うん……。松本くんがイヤじゃなければ……」
 さくらは一連の大輔の行動に驚いてしまったが、しっかり伝えることは伝えることが出来た。そんなさくらの言葉に、
「やったぁ~! 前田さんと初デートだぁ~!」
 大輔は身体全体で喜びを表現するかのように飛び上がった。さくらは大輔のその行動より、大輔の口から出た『初デート』と言う単語にドキドキしてしまう。
「じゃあ、明日、夜の七時に神社で待ち合わせってことで!」