男装魔法使い、女性恐怖症の公爵令息様の治療係に任命される

「……あの、大変申し訳ないのですが、私は色々と噂されていることもありますし、公爵家の嫡男様の治療係には相応しくないかと。私のこの国の人間でもないですし、事情があって少し滞在していただけなので、そろそろ次の国に行こうかとも考えていまして」

 するとラドフォード公爵が、きょとんとした顔をして「知っているよ?」と言った。

「はい? 知ってる、て……?」
「殿下が、君のことをすぐに調べてね」

 ひぇ、殿下って言っちゃったよこの人。

 とんでもない名前が出てきて、エリザは背筋がひゅっとした。

「恐ろしい魔法使いであるという噂が嘘であること、道で困っている人がいたら手助けをする良き人間であることは確認済みだ。勉強のためこの国の本を求め、魔法を大っぴらに使いもせずひっそりと暮らしている姿勢にも感心されていた」

 考えてみれば、ここは公爵家だ。

 出入りさせる人間は、そもそも先に調べているだろう。

(ああ、だから安心して私を出迎えたわけか……)
 他の屋敷を見かける限り、厳重な警備がされていた。しかし迎えた私兵達以外は、屋敷の景観が崩れるような護衛耐性も見られなかった。

「この屋敷にも大きな図書室がある。そうだな、必要があって出国の予定を立てているというのであれば、次の治療係を探す間だけでも担当してくれないか?」
「次の、治療係が見付かるまで……」

 無理に断ると、目の前に立ちはだかる彼や『殿下』といった権力図が怖い。

 短期間というのなら、悪い話ではない気もしてきた。

「……それまで、毎度の魔法使い証明書もなしに本が好きに選べる?」
「私のところの魔法使いだと分かれば、王都の国立、公共施設に問わず好きなだけ閲覧できる。必要経費はつど支払うし、購入してくれも構わない」
「はぁ。その、有り難いお話過ぎて怖いのですが……」

 本は高価なものだ。売って、その分を次にあてれば彼の懐からそんなに出さなくても済むのかな、とちらりと考えてしまう。
「でも、やはり私は専門家ではないですから、お試しで治療係をするには不相応――」
「隣国までの旅費も約束しよう」
「臨時の治療係としてやらせて頂きます」

 エリザはすかさず答えた。

 それを見たラドフォード公爵が目を丸くし、それからふっと破顔した。

「異国からたった一人で来たというのに、君はなんとも……」
「なんとも?」
「偉大な魔法使いにこんなことを言うのも申し訳ないのだが、怒らないでほしい。警戒心がないなぁと思ってね。誰か、とても優しい良い人間が守って教えてくれていたみたいだ」

 ふっと、エリザは師匠ゼットのことが頭に浮かんだ。

 でも、ラドフォード公爵が何を言っているのかは、よく分からなかった。考えた末、小首を傾げると彼が口に手をやって「ぶふふっ」と噴き出した。

「ふふっ、ふ、すまない。【赤い魔法使い】という名前まで与えられたのに、不思議な子だねぇ。ひとまず、これからしばらくよろしく頼むよ」

 立ち上がり、手を差し出された。

(まさか、ルディオが話していた問題児の治療係になってしまうとは)

 人生とは分からないものだなぁと思いながら、エリザも立ち上がり、弱々しく彼と握手を交わしたのだった。
 治療係は、教育的指導をする教師のようなものだ。

 そう、エリザは就任一日目で思った。

 これから付きっ切りで治療係として仕事をするため、屋敷の二階の一室を借りることになった。

 ふかふかのベッド、立派な机。衣装タンスなども揃っている立派な部屋だ。すごく広い客人用の浴室も使っていいとのことが、エリザ的に一番嬉しいことだった。

 できるだけ同行し、ジークハルトの治療にあたる。毎日報告をまとめ、ラドフォード公爵の仕事を邪魔しないよう報告書を提出する。

 驚いたことは、ジークハルトが『殿下』の護衛騎士であることだった。

 わざわざ臨時で就任する治療係のために、『殿下』が顔合わせも兼ねて彼の半日を休暇にしたのには恐縮した。

 とはいえ、これからジークハルトの問題に関しては、治療係であるエリザに全て投げられるのだ。

 ――つまり、引きこもりも同様である。

「親睦を深めつつ屋敷内を案内してもらおうと思ったのですが……」
「初日からボイコットですか」
 部屋に荷物を仕分け、書斎室でラドフォード公爵と報告までの流れを話し合ったのち、セバスチャンに申し訳なさそうに告げられた。

 前向きであると聞いていただけに、早々に人見知りを発動されるとは思っていなかった。

「私、やはり彼の治療係としてはだめなのでは――」
「いいえ、そうではないのです」

 セバスチャンがやんわりと否定した。

「先日のエリオ様のお話をお聞きになられた旦那様が、少しでも協力をしようと、まずは症状を確認するために何人か手配し、案内する先々に用意しているのです」

 それを聞いて、エリザは悟りを得たように遠い目をした。

「ああ、つまり罠に嵌められる気配を本能的に感じている、と」

 すると、セバスチャンが「恐らくは」と控えめに肯定した。

 帰宅してきたジークハルトは、「女性の気配が増えているような気がする」と不安をこぼし、真っすぐ私室に閉じこもってしまっているのだという。

「ルディオは――仕事でしたっけ」
「はい。坊ちゃまの代わりに護衛業に入っているかと」

 直して間もない扉を、また壊すというのも気が引ける。

「壊すことが前提なのでございますか?」
「思考がつい口からこぼれましたが、違います。誤解されないように言っておくと、私は物理的に物事を解決しようとは考えていません」

 凛々しい顔をしたエリザを、セバスチャンはそうかなという顔で見ていた。

 道のりと扉の形を覚るために、彼に案内されジークハルトの私室へ向かう。とにかく屋敷は広くて、扉がたくさんあるのもややこしかった。

(時間がかからず説得できるといいけどなぁ)

 彼女はそう祈りながら、扉を二、三回ノックした。

「ジークハルト様、いらっしゃいますか? 本日より、短い間ですが治療係に就任した〝エリオ〟です」

 呼ばれるのと同じく、自分でそう名乗るのも慣れない。

(友達はルディオしかいないし、他からは【赤い魔法使い】としか呼ばれないもんな)
 しかし、この男の恰好で『エリザ』と名乗ると、相手が性別を勘違いしていた場合は『実は女性なんですよ』言葉を続けるのもややこしい。

 すると、数秒もしないうちに扉がゆっくりずつ開かれた。

 そこから、騎士服に身を包んだジークハルトが顔を覗かせた。一回目の対面と変わらず、明るい栗色の髪が似合う眩しすぎる美しいお顔である。

 ――扉から頑なに手を離さず、廊下の左右を確認していなければ完璧だったに違いない。

「ジークハルト様、いったい何をされているのでしょうか」

 エリザは、ひとまず笑顔を作って尋ねた。なんとなく推測できたので、こうでもしていないと顔面に全部思いが出そうだ。

「じょ、女性が隠れたりしていませんか?」
「隠れていません。ここにいるのは、私とセバスチャンさんだけです」

 もしや、とエリザは不意に思い至る。

(本能的に、目の前にいる私が女性だと勘付いているとか?)

 ジークハルトから距離を取ろうとしたエリザは、ほっとした彼の、続いた言葉を聞いた途端に拍子抜けした。
「何かあれば、あなたが守ってくれると父から聞いているので安心です」

 あなたの本能、どこか故障しているのでは。

 思わず心の中でツッコミした。

(守るってなんだ。相手はか弱い女性なんだけど、詳細を知っている側からみるととことんヘタレ野郎だよ?)

 エリザは顔が引き攣りそうになった。

 それが顔面に滲みでしていたのだろう。セバスチャンから目配せをされて、咳払いをする振りで表情を戻す。

 治療係がいれば大丈夫、と彼が思ってくれるのもまたいい兆候だ。

 これは彼が出歩ける環境を作れるチャンスである。

 ジークハルトには悪いが、彼の女性恐怖症がどれだけのものか確認したくもある。ラドフォード公爵が張っているという罠、もとい作戦に乗り出していただこう。

「お任せください、ジークハルト様。あなた様は私が守りますので、積極的に出歩くべきです」

 エリザは凛々しい顔でそう言い切った。

 なんとも正義感を漂わせ見事な嘘を断言しきった――と、のちに屋敷内で使用人が話しているのを聞くことになる。
 ジークハルトが私室から出てきてくれたので、そこでエリザは仕事もあるセバスチャンと別れた。

「案内、本当に大丈夫ですか? なんならセバスチャンさんを呼び戻して――」
「その必要はないです。大丈夫です。僕が案内したいので」

 エリザは、歩き出した彼を不思議そうに見上げた。

「ほら、エリオとはまだ二回目の顔合わせですから」

 意外と治療係にも律儀なのかな、とか彼女は思った。

 ジークハルトに案内されて、まずは二階から回ることになった。

 彼が出歩く時はメイドに外出禁止令でも出ているのか、一階に向かう階段からも女性の使用人を見掛けなかった。

 不思議に思ってジークハルトに訊いてみると、彼が出歩くルートは事前にセバスチャンに伝えられており、その時間に合わせて女性の使用人は動いているらしい。

(仕事を振り分けるの、セバスチャンさんも大変だろうなぁ)

 エリザは、彼が大変優秀さであるのを感じた。

 とはいえ、エリザもまたラドフォード公爵に雇われている身だ。