「シャニ、これがほしいだろ?」
『ほしい!』
「だったらさ、ふたりで過ごした夜のこと泰明には黙っていてほしいんだ。お利口さんの君ならわかるよね?」
正明はニッコリと笑い、『早くくれ!』と急かすシャニにチュールを食べさせた。
「正にいちゃんって結構腹黒いな……」
夏都はあっけに取られた反面、好きな人の意外性を知ることができて嬉しくもあった。
正明と過ごした最終日の翌日に泰明が迎えに来た。
夏都は不安気だ。
5月15日の午前10時、泰明と過ごす1週間が始まりつつある。
泰明は夏都を車に乗せ、自宅に向かう。
緊張気味の夏都を見つめ、泰明は一言声をかける。
「そんなに緊張しないで。」
「はい……。」
「しかないか。徐々に慣れてくといいよ。」
泰明は笑顔で車を運転した。
「もうすぐ家に着くから一旦荷物置いたら、オランダ坂に行こうか。」
「オランダ坂?」
「うん。一度でいいからなつちゃんと二人で行きたいと思ってたんだ。」
夏都はキョトン顔だった。
オランダ坂に行ったのは小さい頃、母親や妹たちと4人で行ったきりだった。
――――
『夏都、ほらカステラよ。』
『わーい。お母さんありがとう』
『夏都は本当にカステラが好きよね。』
『うん!』
母親の優しい笑顔が脳裏によぎる。
――――――
「なつちゃん、もう俺の家、着いたよ」
車を降りると、豪華な戸建てだった。
庭付きで大きな家だ。
結納金の8割は泰明が負担したとはいえ、泰明の年齢で豪華な戸建てを買うのは相当稼いでいないと無理なのでは?と疑問がわく。
もはや豪邸レベルだ。
二階建ての温水プール付き。長崎の高い住宅街とはいえ目立つし維持費が大変なのでは?と疑問がわく。
「かなり大きな家だね。」
「うん。これ俺の持ち家。これから1週間、ふたりで過ごすところだよ。」
『すげぇ……』
シャニは泰明の家に度肝を抜かれていた。
泰明が戸建てを建てた理由は正明から話しを聞いていたから安易に想像がつく。
「シャニ、お前の遊び部屋も用意しているからそこで遊ぶといいよ。」
『俺の……遊び部屋?その部屋ママも一緒なの?』
「さあね。」
泰明は意味深に微笑んだ。
中に入ってみると正明のマンションと比べ物にならないくらい広い家だ。
ここで一人暮らしをしているのかと思っていた。
聞けば、虐待を受けた子どもを一時的に保護するため、子供部屋やおもちゃがあるのも納得がいくものだ。
夏都の泰明への見る目が少し変わった瞬間だ。
あためて家の中をみると、広いリビングやゲストルームも何部屋かある。
「なつちゃん、ここが俺たちの寝室だよ」
「え?ふたりと同じ寝室になるの?」
「え?そうだけど。だって君は“花嫁”じゃん。」
「そうだけど……」と言おうとするも喉元から来て飲み込んでしまう。
せめてシングルベッドが2つ並んでいる部屋であって欲しいと心の何処かで思ってしまう。
荷物を置くために恐る恐る見ると、広めの部屋の真ん中にキングサイズのベッドに大きめのクローゼット、スッキリと片付いた最新のデスクトップパソコンが置いてある部屋。
これから1週間、泰明とこのベッドで寝るのかと思うと緊張してしまう。
使用人のように扱っていた実家から自分を助け出してくれた人のひとり。
これは腹をくくるしかない。
「なつちゃん」
「ひゃ!」
「扉の真ん中にいたら通れないよ。」
「ごめんなさい」
「ううん。いいよ」
泰明は夏都の反応にクスリと笑った。
「荷物置いたら、出かけよ。あ、シャニも連れて行こう。」
「うん。」
泰明に誘導されるがまま、出かける。
シャニは夏都の腕の中で泰明を見つめた。
『やすあき、ままに何かしたらどうなるかわかてるだろうな?』
「おっ、ナイト気取りか?」
『ナイトとかライトとかわからないけど、俺は花嫁であるママのまもり猫だからな』
「ふっ、頑張れよ」
夏都は「?」の状態だ。
「泰兄ちゃんとシャニは仲良しだね」
「どこが……」
『ママの天然もここまで来ると呆れる……』
泰明とシャニは夏都の天然さに心底呆れている。
「なつちゃん、車に乗ろうか」
「うん」
泰明は夏都の手を取り、車まで誘導した。
なんとなくだけど、腰に手を回されるのは気恥ずかしい気持ちになる。
シャニを抱っこしながらも康明の運転する車に乗りながら長崎市内の町並みを眺めていく。
「ここ……お母さんや妹たちとよく行ったな……」夏都はポツリと呟いた。
泰明はその瞬間を逃さなかった。
「君のお母さん、いい人だよね。」
「うん……」
「でもね……なつちゃんの身内を悪く言いたくないけど、あんなひどい父親とわかっているなら君を守るために離婚するのも選択肢だと思うよ。」
「……」
泰明は横目で夏都を見ると「ごめん」と一言車の運転を再開する。
「……私のこと……思ってくれているんだよね?」
「うん。俺、なつちゃんのこと一人の女性として好きだよ。だから君を傷つけるもの全てが嫌いだし憎いんだ……」
「うん……」
「君が兄貴のことが好きなのはわかっているよ。」
「!?」
夏都は、泰明の言葉に戸惑った。
「隠さなくてもいいよ。いきなりとは言わない。いずれは俺だけを見てほしい。」
泰明は夏都の唇に「チュッ」と触れるだけの優しいキスをする。
後部座席を見ると、シャニはお腹を上にして眠っていた。
「頼りないまもり猫ね。」夏都は我が子を見つめるように夢の中にいるシャニの頭をゆっくり撫でた。
目的地につくと、シャニを抱えた状態で泰明とオランダ坂を巡った。
ハートの石を探したり、ペット同伴がいいところを探したりと様々な場所を巡った。
福砂屋のカステラをお土産に買いその日は帰宅した。
――――――――
二日目の朝。
泰明はすでに起きており、家の庭でタバコを吸っていた。
「泰兄ちゃん、おはよう」
「ああ、なつちゃんおはよう。」
泰明は夏都の存在に気づくと笑顔になり、灰皿でタバコの火をもみ消した。
「泰兄ちゃん、昨日はオランダ坂と福砂屋のカステラありがとう。」
「ううん、なつちゃん浮かない顔をしてたから息抜きも大事かなと思ったんだ。」
ふと夏都の中にひとつの疑問が浮かんだ。
「泰兄ちゃん、仕事は大丈夫なの?」
「うん。有給を消化しろって会社の人間がうるさかったしちょうどいいから昨日から1週間有給休暇を取ったんだ。」
泰明のそういう所は抜かりなかった。
正明とはそこが違うというものだ。
「朝ごはん、どうする?」
「なつちゃんの作るものならなんでもいいよ。」
その何でもいいが作る側としては困るものだ。
そのまま台所に向かい冷蔵庫をあけてみるやいなや……。
中を見ると食材の殆どがない。
その時に一服終わった泰明が戻ってきた。
「あー、なつちゃんのことで頭がいっぱいだったから見事に忘れてたわ……」
夏都はその言葉に「あのねぇー」といいそうになる。
「ごめん、そんな顔しないで。せっかくだから近くのカフェでモーニングを食べに行こ。ね?」
「うん。」
そのままシャニに留守番を頼んだ。
近くのカフェまで歩くなか、二人で過ごした部屋にあった手垢まみれの絵本のことを思い出した。
「あの絵本って、随分大事に保管してあるみたいだけどあれってどんなお話なの?」
「うさぎ姫。人魚姫のオマージュで切ないけど主人公の健気な恋心を描いた作品なんだ。子どものころ母さんによく読んでもらってたんだ。」
「ふーん」
「なつちゃんはそのうさぎ姫が人間になったときの姿によく似てるよ。背の高い、大人びた顔立ちの美少女なところがね」
「私が?そんなこと……」
泰明のストレートな感想に夏都は顔を赤くした。
「そんなに顔を赤くしてかわいいね。俺は事実をいっただけだから恥ずかしがらなくてもいいよ。」
カフェに到着後、化粧室まで消えた夏都を見つめたあと……。
泰明は不敵な笑みを浮かべた。
「本当にかわいいね。自分だけのものにしたい。俺だけのうさぎ姫。」
泰明の深すぎる愛情。
そのまま夏都はその愛に溺れることを知る由もない。
――――――
3日目の昼過ぎ。
夕はどれだけ泰明の愛に溺れていただろう。
まだ余韻が抜けない。
挨拶にしていたキスと比べ物にならない。
『君を俺だけの花嫁にしたい。』
『子どもの頃はじめて見たときからずっと愛してる』
『兄貴や宏明にも……触れさせたくない。』
そして、泰明の腕の中で眠りにつく寸前のところで……。
『君を……他の男に触れさせたくない。俺だけを見ていてよ。愛してるよ……俺だけのかわいいうさぎさん♡』
その言葉を皮切りに夏都の意識は途絶えた。
「あんなことをサラッと言えるんだな……」
気恥ずかしくなる。
ここまで愛されたのは初めてかもしれない。
「なんの話?」
泰明がいつの間にか後ろにいる。
「泰兄ちゃん……。」
「なつちゃん、おはよう」
いつもの優しいほほ笑みを浮かべる泰明だ。
夏都この人はずっと自分のことを愛してくれたのかと思った。
泰明は夏都の隣に座る。
「なつちゃん、プレゼントがあるからじっとしてね。」
「?」
泰明はいつの間にか夏都の首にネックレスではなくチェーンに高そうな指輪を通してた簡素なネックレスだ。
「きれい……」
夏都は指輪を見つめる。
指輪の素材はプラチナだろう。素手で触っても汚れを知らない。
真ん中には大粒の真珠がはめられていた。
「これ、なつちゃんの気持ちが決まったら指にはめてほしいんだ」
「……」
「前もいったように君が兄貴のことが好きなのはわかっているよ。」
全てを見抜かれており夏都は泰明の言葉に“ドキッ”とした。
でも辛抱強く待ってくれているのは泰明の愛だろう。
――――――――――――
4日目の朝。
夏都は台所に立ちながら考えた。
泰明は美形で20代前半としてはかなり稼いでるのになんでここまで自分のことを一途に思ってくれていたのか。
『大丈夫だよ。後で少しづつ俺のことを好きになってくれればいいいから。』
泰明のその笑顔はどこか寂しそうだった。
夏都もさすがに泰明のその対応に心がチクリと傷んだ。
「泰兄ちゃん……」
今はこの気持ちに答えることができないもどかしさもある。
考え事をしている間、何やら焦げ臭い。
「あ!しまっった!」
コンロ側に目をやると目玉焼きが焦げていた。
「やっちゃった……でも捨てるのはもったいないからこれは私が食べよ。」
ドアの鍵を開ける音が聞こえる。
泰明が朝のランニングから帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりー朝ごはんできたよー」
「ありがとう。楽しみにしていたよ。なつちゃんの料理は何でも美味しいからね。」
テーブルに朝食を並べると泰明も焦げた目玉焼きに気づく。
「あ、これは考え事をしてたら焦がしたの。大丈夫だよ私が食べるから。泰兄ちゃんはこっちね。」
夏都はとっさにきれいな方の目玉焼きを泰明に差し出した。
「別にいいのに」と泰明はきれいな目玉焼きを見ながらポツリと呟いた。
夏都としては、泰明が優しいからと甘えたらだめと考えてしまうことがある。
二人は朝食を食べながらいろんな話をした。
家族のこと、オランダ坂に行ったときのハート型の石を見つけられた達成感があったこと。
「なつちゃん。」
「うん?」
泰明の真剣な眼差しに夏都は視線をそらさず話を聞こうとする。
夏都のその仕草に泰明も優しい笑みを浮かべる。
「ずっとこの家にいてもいいからね。」
――――――――
5日目のこと。
夏都は考え事を紛らわすように泰明の家中を掃除しだした。
泰明は「ハウスキーパーを雇うから掃除しなくて大丈夫だよ」と言ってくれるけど名ばかり花嫁はいやだった。
こんなきれいな家に泊まれるのも最初で最後かもしれない。
そう自分に言い聞かせるように家中をきれいにした。
そんな夏都を見守る泰明はただ呆然としてた。
遊び飽きたのか、シャニは遊び部屋から出てくる。
「シャニ……」
『なんだよ。』
「俺としてはなつちゃんにあまり無理とかしてほしくないんだよな。」
『俺も思うよ。だってママが家事をしなくなったらかまってもらえるし。』
それは泰明も同じ気持ちだ。
夏都がもし自分のだけの花嫁になったら家政婦を雇う覚悟だって辞さない。
「がんばり過ぎだよ。なつちゃん。」
午後からは泰明に捕まり、長崎県外から車で少し遠出をした。
夜になると夜景のきれいなプライベート空間があるレストランまで連れていくなど至れり尽くせりだ。
「今日は遅いからホテル取ったよ。明日朝一で帰ろうか。」
泰明に促されるまま、ホテルの部屋に入ると広いスイートルームだった。
「シャニは大丈夫かな」夏都はそんなことを考えてしまう」
自動給餌機を買ったとはいえまる一日留守番はシャニには酷だろう。
――――――――――――――
6日目。
さすがにリラックスしてほしいと思い午前中はどこかに買い出しに出掛けてしまった。
『すぐに帰ってくるからシャニと留守番してね』
「泰兄ちゃん、何を買ってきてくれるのかな。」
『しらない。あいつ何考えてるかわからないもん。でもママのことが好きなのはたしかじゃないかな。』
シャニは夏都と二人きりになることができればそれでいい。
そんな感じだ。
『俺、やすあきがいる間、ママをひとりじめにできなかったから今だけでもママのお膝に乗っていい?』
シャニは夏都の膝にゴロニャンと甘えながら乗る。
科学的にも猫のゴロゴロ音は癒やされるのは証明されているのも説得力がある。
「ただいまー、あれ?なつちゃん、シャニ?」
泰明は「おかえりー」と返事がない家に違和感を覚えリビングまで走ると夏都がシャニを膝に乗せて夢の中にいた。
そんな様子を見た泰明はクスリと笑う。
「ただいま。愛してるよ。」
泰明は眠っている夏都のさくらんぼのような唇に軽くキスをしたあと、そのまま夏都を寝室まで運んだ。
ベッドの上に寝かせると「ゆっくり休んでいてね。俺のかわいいうさぎ姫」と眠っている夏都の髪を優しく撫でた。
そして泰明も夏都の隣でそのまま眠りについた。
――――――――――
そして最終日。
宏明のところに行こうとする夏都に泰明は名残惜しそうにしていた。
心底惚れている女性が他の男の所に行くのは面白くない。
「泰兄ちゃん、1週間ありがとうね。」
「うん。」
『明日はあいつのところか……』
「明日は俺が宏明のところまで送るよ。」
「え?いいの?」
「うん。なつちゃんとできるだけ長くいたいからね」
泰明は柔らかく微笑んだ。
夏都もようやく泰明に心を開いていた。
恋愛感情かどうかはまだわからないといったところ。
「泰兄ちゃん……」
「うん?なに?」
「泰兄ちゃんはなんでそこまで私に良くしてくれるの?」
「それは愚問だね。しつこいようだけど俺はなつちゃんのことが好きだからだよ。」
泰明は夏都にたいする長年の想いを隠そうとしない。
自分だけをまっすぐ見てくれる。
正明と同様に最後まで……とは行かなかったけどそれは大事にされている証拠何だと思ってしまう。
この日、一日は泰明と家でゆっくり過ごすことになった。