「ううん。俺が悪かったよ。猫に嫉妬してしまったよ。」
夏都は泰明を無言で抱きしめる。
「なつちゃん……俺、子どものころから君が好きだったんだ。」
夏都は突然の告白に戸惑う。
心の中での葛藤を持ってしまう。
――泰兄ちゃんのことは好きだけど……。
それが恋愛感情かわからない。
でも正兄ちゃんのことは一目ぼれだ。
本当にわからない。どうしたらいいの?
大事な恩人のひとり。
だから無下にすることもできない。
答えは?今は返事をする時でないと思った。
「泰兄ちゃん、ごめんね。考えさせて……」
泰明はさみし気に「うん」とだけ返事をした。
いきなり告白するのは早すぎたかと思いながらベランダに移動する。
窓越しから、愛おしい人を見つめる梅雨の始まりかけのころだった。
――煙草をふかしながら思い人のことを考えてしまう。
第2章 完。
翌日の朝食の光景。
なんとなく気まずい日々が続く。
泰明も夏都をチラチラ見る。
だけど、夏都が見ると目をそらしてしまう。
告白されてから、返事を保留にしている。
そんな空気に耐えられず正明は朝食を最後まで食べずに「ごちそうさま」と箸をおいた。
「正兄ちゃん、もういいの?お口に合わなかった?
「ううん。おいしいよ。ただ今日は早めに出かけないとダメなんだ。なつちゃんが悪いんじゃないだ。」
宏明も箸が進まない状態だ。
「二人ともなんかあったのか?空気重いんだけど?」
「脳内の大半が食欲で占めてるお子さま猿にはわからない大人の事情だよ。」
「なんだと!この脳筋性欲ゴリラ!だいたい俺とお前はひとつふたつしか変わらねぇだろ!?」
正明は二人の頭をはたく。
「お前らふたりともガキだ!小学生レベルの口喧嘩ばかりして。」
二人とも頭を押さえながら「なんで俺が」と言わんばかりの顔だ。
「なつちゃんの前でみっともないだろ」
正明の静かな一喝で二人ともおとなしくなる。
「俺そろそろ行くから。なつちゃん、いつも弁当ありがとう。」
正明は家を後にする。
「泰兄ちゃんと宏兄ちゃんは学校や仕事は大丈夫なの?」
二人ともその言葉に「やべ」といわんばかりにそれぞれ自分の弁当をもって出かける。
夏都は静かになったリビングのソファーに座り込んだ。
「共有花嫁って思ったより大変だなぁ……でもいい人たちでよかった。」
『ママー大丈夫?』
シャニはご飯を食べ終わり、夏都に近づいてきた。
「大丈夫だよーシャニくん、おいで」
『うん』
シャニは夏都の胸に飛び込むと『ままー』とふみふみしだした。
泰明が見ると絶対怒る光景だろうと安易に想像がつく。
それ抜きでも猫のふみふみはすごく可愛い。
この子が守り猫になってくれるのだから不思議なものだ。
「シャニ……」
『なーに?まま』
夏都はシャニの頭を撫でながら「私のところに来てくれてありがとうねー」と優しく囁いた。
シャニのゴロゴロ喉を鳴らす音に癒されつつある。
過去の仕打ちもどうでも良くなる気がした。
夫たちは優しいし、猫も可愛い。
でも、いつかは夫たちのどちらかの子どもを産まないといけない。
「シャニ、泰兄ちゃんには悪いけど出来れば正兄ちゃんの子どもを産みたいな。」
『まま?』
「あっ、今言ったことはふたりだけの秘密だよ。」
夏都はいたずらっぽくシャニにシーとポーズをとる。
『俺はもちろん言わないけどあいつ絶対盗聴器を仕掛けてるぞ?』
「そんな事言わないの。ママのことを助けてくれた旦那様のひとりなのよ。」
夏都がそう窘めるとシャニ――は『ごめんなさい』としょげた。
シャニは夏都の胸を枕にし再びゴロゴロ喉を鳴らす。
こんな幸せな光景があるのか。
夏都もシャニのゴロゴロ音に瞼が重くなるのだった。
――――――――――――――――――
しばらくすると正明たちが戻ってきた。
「三人ともおかえり。ご飯できたよー」
「ただいまーうひー腹減ったー」
宏明は伸びをしながら台所に入って晩御飯のおかずをつまみ食いした。
「宏明、お行儀悪いぞ!」
正明は宏明のつまみ食いを咎める。
「わーたよところで……これから1週間づつ俺ら兄弟と過ごすことになるよな。」
夏都は「えっ!」って顔になった。
「若干腑に落ちないけど、最初は長男である兄貴のところに行くけどな。」
泰明は「面白くない」と言いたげだ。
「えぇぇー」
夏都の声がマンション中に響く。
九州で初めての共有花嫁であることもだけど一週間ずつこの兄とふたりきりだ。
この三人は嫌いでない。
むしろ好きな方。ただただ不安なだけ。
あの朝以降からの5月8日。
暖かくなってしばらくしてからのことだ。
夏都の片思いの相手の正明とこれから一週間過ごすことになるので心が踊る。
正明からも、タクシー代を受け取っているが歩く方が健康・経済的にもいいので歩くことを選んだ。
坂道も足取りが軽い。
『ママー、いつ目的地につくの?』
「もうすぐだよ。辛抱してね。」
『むぅ。』
夏都の「もうすぐ」が曖昧過ぎてシャニはむくれる。
しばらく歩くと大きなマンションに到着する。
『でけー。』
「うん。大きいね。」
学生の住んでいる賃貸など築何十年のボロアパートを想像したが、セキュリティがしっかりしてな真新しいマンションだ。
夏都はダイアルを正明の住む部屋番号を入力し呼び出しボタンを押す。
スピーカーから『はーい』と声が響く。
「正兄ちゃん、なつです。」
『あぁ、なつちゃん、すぐに開けるね。部屋まで来らそう?』
「うん。わからなかったら携帯に連絡するね」
『わかった。開けるよ』
カチャと音とともに自動ドアが開く。
エレベーターやロビーもきれいなものだ。
正明の部屋までたどり着くと、呼び鈴を鳴らした。
ドアが開くと正明が顔を出す。
「やあ、なつちゃん待っていたよ。これから1週間よろしくね」
正明は夏都に優しくほほえみかけた。
「うん。」
『ママ、目がハートになってるよ。』
「え?!うそ」
『しっかりしてよ。共有花嫁も大事な役割だからね』
シャニは呆れた口調で、夏都を諭した。
「さ、上がって。汚いけど。」
謙遜だろう。
片付いたリビングに、2部屋あり、バス・トイレ別の内装もきれいな一室だ。
1日目は、正明の好意に甘えた上でゆっくり休むことにした。
自分やシャニのためにフカフカの寝床とキャットタワーを用意してくれた。
「今日は移動で疲れたでしょ?出前でも取ろうか。」
「え!?ご飯とか作らなくて大丈夫?」
「うんいいよ。1日くらいは出前を使お?なつちゃんはお寿司好き?」
「大好き!」
「シャニ」
『何だよ!』
シャニは正明に嫉妬してるのだろう、尻尾を上下にムチのように床に叩きつけている。
「お前は刺し身とか食べられそうか?」
『刺し身……俺はプレミアム猫缶がいい。でも食ってみたい。』
「わかった。決まりだな。」
正明は1次反抗期の子どもをあしらうように笑った。
流石は長男、お兄ちゃんだ。
晩御飯に寿司を食べながら他愛のない話をする。
「正兄ちゃんに聞きたいことがあるんだけど…………」
「うん?」
「正兄ちゃんはどうして私を三人の共有花嫁に迎え入れようと思ったの?もっときれいな人はいるはずなのに……」
「あーその話ね。泰明は勿論だけど、俺や宏明も君のことが気に入ったんだよね。だから共有花嫁として君を迎え入れた。それだけ」
正明はなかなか本音を言わない男だ。
それで納得できるわけではない。
「正兄ちゃん個人は私のことどう思ってる?」
「想像に任せるよ。なつちゃんがもう少し大きくなったら教えるね。」
なんだかあしらわれた気分だ。
和泉や和貴からも聞いていたけど本当に本音を言わないと思った。
夏都もモヤモヤしたままシャニを抱きしめて眠りに着いた。
――――――
2日目。5月9日の火曜日。
正明が大学院に行ってる間、部屋中を掃除したあと、シャニに留守番を頼み買い出しに出かける。
夏都はモヤモヤしながら、6日分の買い物をしながら考え事をしている。
正明は一体何を考えて、自分を共有花嫁として迎えてくれたのか。
でも、恩人の一人であることには変わりない。
悶々(もんもん)とする中、食品を物色する。
誰かが「なーちゃん」と明るく声をかけてきた。
声の主を目で辿ってみると、和貴だ。
「カズくん……」
「考え事してるみたいやけど、よかったら話きくで?」
一旦買い物を中断しフードコートに場所を移した。
「実は、正にいちゃんのことで……」
「なんや?早速正明くんと喧嘩したん?」
和貴の問に夏都は首を横に振る。
「じゃあ、何や?」
「正兄ちゃんがわからない。私のことが好きなのか、嫌いなのか……」
「あー……正明くんは長男のサガかはわからへんんけど本音を言わへんからな。まぁ俺も長男だからあの人の気持ちはわからんことあらへんけどな。」
「そうなの?」
「せやで。これだけは言える。正明くんたちも嫌いやっったらなーちゃんを共有花嫁として迎えへんで。」
「うん……それは……そうだけど……」
和貴は夏都の背中をポンポン叩く。
「そんな浮かない顔をしたらあかんで?正明くん達不安がるで?」
「うん……」
「なぁちゃん自身が不安……なんやろ?」
「!?」
「そういう感じや。顔に書いてあるで?」
「……」
「目は口ほどにものを言うというのはほんまやな。せやったら思い切り正明くんたちに真正面からぶつかてみ?だいぶ違ってくると思うで。」
親のように背中を押してくれる和貴の言葉に夏都は涙がボロボロ出た。
なにか緊張の糸が切れた。
本当は両親にやってほしかったこと。
「ありがとう。頑張ってみる」
「頑張れや」と和貴は笑顔で夏都に手を振った。
正明のアパートに戻り、すぐに夕飯の準備をする。
明るく鼻歌を歌う夏都は食事の準備をし続けた。
『マサアキーママやけに機嫌いいよな』
「そうだね。でも来たときよりだいぶ明るくなったから安心したよ」
正明の笑顔はどこか能面を貼り付けたような笑顔だ