帰りのホームルームが終わって、校舎に鳴り響くチャイムの音を聞いた瞬間、ようやくわたしの心に平穏という時間がやってくる。


1日中ピンと張り詰めていた緊張の糸が緩んで、大きく深呼吸をすることができるから。


溺れていた人が、駆けつけたレスキュー隊に助けられて、やっと息継ぎができた時みたいに。


クラスの半分以上は部活動に所属しているけれど、高校に入学したときに部活動見学さえ行けなかったわたしは、どこにも所属しておらず、いまだに帰宅部。


部活をしている人が、帰宅部を見下している雰囲気は昔から感じていて、それは何も言葉を発しなくても態度でわかってしまう。


会社で働いているわけでもないのに、先輩ぶっているところだとか、自分は忙しいんですよっていうアピールだとか。


特にテスト前になると、部活生が「帰宅部は暇だからいつでも勉強できていいよな」と、あえて大きな声で話すのがあちらこちらから聞こえてきて、帰宅部はかなり教室での居心地が悪くなる。


だから帰宅部は帰宅部なりの仲間意識が芽生えていて、お互いをなんとなく励まし合っているような雰囲気まで見られる。


だけどわたしはそういった小さな仲間の中にも入れてもらえないから、やっぱりどこに行ってもひとりきり。


多分話しかければひとりくらいは誰か答えてくれそうな気もするけれど、自分にはそんな勇気はないし、無視された時の辛さの方が苦しいから、最初から誰とも関わらないようにしている。


みんなわたしのことを空気のような存在だと思っているみたいだし、それどころか悪口を言ってくる人だっているのだから、多分同じ人間としてさえ見てくれていないのだと思う。



「ゆりな、今日一緒にファミレス行かない? いつもひとりぼっちだし」



わたしがカバンに教科書を入れていると、突然背後から聞き慣れた声がした。


優しい雰囲気を醸し出しながら、人を小馬鹿にするこの言い方。



みなみだった。



みなみも帰宅部だけれど、それはごく一般的な帰宅部とは違い、学校帰りにフラフラと遊びまわることを主な活動としているような、特殊な帰宅部。


周囲には「生徒会が忙しいから部活動には入れない」と言っていて、それを鵜呑みにしている人もいるみたいだけれど、わたしはそんな綺麗事を並べたような言葉には引っかからない。


もはや、そんな言葉を信じこんでしまう方が、バカなんじゃないかと思う。



「ごめんね。わたし用事があるから先に帰る。ありがとう」



そう言ってわたしはみなみに力なく右手を振ると、足早にその場を立ち去った。



ごめんね。


ありがとう。



どちらも大切で相手を思いやる挨拶なのに、わたしが使うと安っぽい単調な言葉になってしまう。


きっと口癖のように毎日使っているからだとは思うけれど、自分がこれ以上傷つかないためには必要な言葉だから仕方がない。



「付き合い悪すぎ。だからいつもひとりぼっちなんだよ。せっかく誘ってあげたのに」



背後でみなみが不機嫌そうに言い放った言葉が、耳の奥まで鋭い矢で撃たれかのように、突き刺さる。


わたしにだってわかる。みなみはわたしなんかと一緒にファミレスに行きたいんじゃないってことくらい。


地味な子と一緒にいると自分が際立って見えて、そのことに自惚れたいだけなんだっていうことくらい。


そんな誰の目にでもわかるような嫌がらせ、どんくさいわたしにだってすぐに察しがつく。


そのあとは誰にも声をかけられなかったわたしは、自然と校門へ向かう足が速くなって、外に出た時にはすでに呼吸は短くて浅くなっていた。


こうやっていつも誰かから逃げなければいけない学校という場所は、死ぬことはないけれど毎日が戦場としか思えなかった。




そのまままっすぐバイト先に行こうと思っていたけれど、まだ少し早い気がしてわたしは途中のバス停でバスを降りた。


駅やショッピングセンターがあるここら辺は、住宅街というよりも繁華街といった感じ。


わたしは学校帰りにこうやって、ひとりでふらりと立ち寄ることが好きだった。


はじめの頃は本当に当てもなく歩き回るだけで、単なる時間潰しの目的だったけれど、最近は目当てのお店ができたので頻繁に通い詰めている。



それは県内で1番大きなおもちゃ屋さん。



おもちゃって言っても子供用のおもちゃだけではなくて、大人も楽しめるようなプラモデルやマシンガンなども取り扱っているので、わたしみたいな高校生がひとりで見て回っていても、それほど違和感はなく、ゆっくりと見て回ることができた。


そこでわたしが目についたのが「パズル」。


小さい子向けの簡単なものもあるけれど、大人でも難しそうなピースが多いパズルまで幅広い商品があって、軽い気持ちで買ってみたら案外ハマってしまったという流れ。


ひとりきりで楽しめる、という点でもわたしにはありがたかった。


家の中に毎日引きこもっていても時間を持て余すだけだったし、勉強を何時間もできるわけではないから。


パズルは都合のいい時間潰しになった。


いつも通りパズルコーナーに行って、いろんなパズルを手当たり次第に手に取ってみる。


キャラクターものや、風景画、人物画・・・・・・。


迷いに迷った結果、今日は森の中に湖が広がっている、自然が豊かな風景画のパズルを買うことにした。


他に欲しいものがあるわけでもないから、まっすぐとレジに向かい精算を済ませると、持ってきていたエコバックの中に入れ込んでおもちゃ屋さんをあとにした。


バイト先までは少し距離があったから、バスにもう1度乗ろうかなとも思ったけれど、早く着きすぎても申し訳ない気がしたので、なんとなく歩いていくことに決めた。


1時間ほど歩けば着くことができるので、決して歩けない距離ではない。


右手に持ったパズルをぶらぶらと揺らしながら、大通りを黙々と歩き続けた。


公園が見えたので少しベンチで休もうかなと思い、入り口にさしかかった瞬間、心臓がバクバクと波打ち始めた。


同じ学校の制服の男女が、ベンチにカバンを置いてたむろしているのが見える。


自分と全く関係のない人の前だとなんとか普通を装えるのに、少しでも関係がありそうな人を見かけると一気に足がすくんでしまう。


もし知っている人だったらどうしよう、とか、噂になったらどうしよう、とかいろんな悪い考えが浮かんできてしまい、不安で心が押しつぶされそうになってくる。


パズルの入ったバックをギュッと握りしめてすぐに後ろを振り向くと、今、何も見なかったかのように、急いでその場をあとにした。


こうやって友だちからも、他人からも自分から避けるような生活を送ってしまう自分に対して嫌気がするし、うんざりもしてしまうけれど、今のわたしは人が怖くてたまらない。


とにかく逃げて、自分の身の安全を守ることだけで精一杯だった。



ベンチで少し休憩する予定だったはずなのに、そのまま歩いてきてしまったせいか足がだいぶ疲れてきて、なんだか歩くペースがゆっくりになってきたような気がする。


こんなことになるくらいなら、バスに乗ってまっすぐ行けばよかった・・・・・・。


わたしは大きなため息をついて空を見上げた。


陽がかたむきはじめて、少し暗くなり始めている。


人通りもだいぶ少なくなり、この付近では有名な大きな川がある一本道に辿り着いた。


この川は大雨が降ると一気に水が増し、普段は穏やかな流れが一瞬で濁流になってしまう。


ローカルニュースの天気コーナーでは度々レポーターがこの川を報道していて、自分も小さい頃によく真似をしていた。


だから、この川が危ないということは結構知っている方だと思う。


そんなことをぼんやりと考えがら橋を渡ろうとした瞬間、誰かが橋の下を微動だにしないで覗き込んでいるのに気がついた。


よくよく目を凝らしてみると、足元に荷物を置いていて、かなり真剣に川を見ているように見える。


わたしが少しずつ橋を渡っていると、それは今日図書室で話しかけてきてくれたともやくんだった。


ともやくんはわたしが近寄ってくることに全く気がついていないようで、今にも川の中に吸い込まれてしまうのではないか、と心配になってしまうような雰囲気を醸し出していた。


だけど、わたしはもっと気になることがあった。


ともやくんの足元に綺麗に並べられた学生鞄とリュック。


地面に置かれたスマホ。



普通スマホなんて地面に置かないよね?



わたしはなんだか急に胸騒ぎがして、思わずともやくの元に足を進ませてしまう。



「川、綺麗だよね」



わたしは自分の口から出た言葉に、自分自身で1番驚いた。


なんで話しかけてしまったんだろう。


しかも、よりによってともやくんなんかに。


ともやくんは突然隣に並んだわたしの存在に気がつくと、目を丸くして驚いた。



「ゆりなか・・・・・・」


「川を見るの、わたしも好きだよ。なんかこうやって水が流れていくのを見ていると、自分の苦しみも全部流してくれないかなって思っちゃうんだよね」


「まじ、それな」


「あ、ごめんね。ともやくんにはわたしと違って悩みなんかないよね。ごめんね、わたしなんかと一緒にしちゃって。今のこと気にしないで」



わたし、ともやくんに何言ってるんだろう。


話せば話すほど、空回りしてしまう気がして、どんどん早口になってしまう。



「ゆりながこうやって話しかけてくれるのってはじめてだよね? いつもゆりなってひとりでいるし、あんまり喋らないで過ごしているから」


「う、うん。まぁ。ごめん、わたし、もう帰るわ。ともやくんも帰り気をつけてね。また明日学校で。バイバイ」



身の程知らずにも程がある。


わたしなんかが、ともやくんに話しかけていいわけなんてなかった。


だけど、さっきのともやくんは学校でいつも見ているともやくんとは全然違っていて、2度と会えなくなってしまうのではないかと不安にさせるようなオーラを放っていた。


だから、つい、話しかけてしまった。


だけど、今の自分なんかが気安くともやくんに話しかけていいわけないし、もしも今の光景をみなみに見られてなんかしていたら、明日学校で絶好のネタにされてしまう。



ゆりなみたいな人が、ともやくんに話しかけるだなんて調子乗ってるよね、って。



話しかけてしまった自分が恥ずかしくなるし、罪悪感にも襲われるし、ともやくんの記憶から今の自分を消し去ってしまいたくなる。


ともやくんが何か言いかけたけれど、わたしは気が付かないふりをして、そのまま脇目も触れずバイト先へと向かった。


その場から逃げてしまいたい一心で、もう足の疲れなんて全く気にもならなかった。