小学生の頃、わたしは給食の時間に教室のスピーカーから流れてくる校内放送が大好きだった。
その日の献立とか、流行りの音楽とか、優秀だった作文とか。
そういったものを放送部がしゃべっているのがたまらなくかっこよく思えたし、高学年になって委員会活動が始まったら絶対に自分も放送部に入ろうと心に決めていた。
家に帰ってからも放送部の真似をして、自分で作ったオリジナルの原稿をお母さんの前で読んだりすることもあった。
お母さんはいつも
「ゆりな上手ね。絶対に放送部に向いてると思うわ」
って言いながら、わたしのたどたどしい音読を毎回盛大に拍手をしながら褒めてくれた。
本当に嬉しかったし、自信にもなったし、もっと頑張ろうって思っていた。
ニュースだけではなくて天気予報だとか、ラジオだとか。
とにかくアナウンスする真似が楽しくて、練習だって何度も繰り返した。
自分の言葉が誰かに伝わるっていうことが、こんなにも嬉しいことなんだっていうことに小学生の頃に気が付いてからは、多分わたしのひとり遊びはほとんどアナウンサーごっこだったと思う。
お絵描きしたり、折り紙したりするよりも、喋っていることの方が何倍も楽しくて、今思うとよく飽きなかったなって思ってしまうくらい。
だけど、6年生になって委員会活動を決めることになったあの日。
わたしが放送部に立候補で手を挙げると、みんな喜んで賛成してくれるものだと心の底から思っていた。
だけど、クラスの中からは失笑とため息、そういった自分が予想していた反応とは全く異なるものが聞こえてきて。
どうしてか分からなかったし、何がいけないのだろうって疑問に思っていたら、クラスの男子が「お前の声、ガサガサでオヤジみたいなんだよ。だから無理に決まってる」って表情を一切変えることなく、ぶっきらぼうな口調で言った。
なに言ってるんだろ、こいつ、みたいな冷め切った表情と冷ややかな目で、当然の事実を淡々と告げるように。
思わず言葉を失って、その男の子の方をしばらく固まったように見つめていると、他の子たちからも「ゆりなの声は耳障りなんだよ。汚い声してるってこと気が付かないの?」という声が上がってきて、クラス中が笑いに包まれた。
膨らんでいた胸を鋭い針で刺されたかのように、一気にしわくちゃに萎んでいった。
喉元が焼けるように熱くて、しばらく息ができなかった。
悲しい、とか、辛い、とかそういった単純な言葉では表すことができないような絶望感。
足元が抜け落ちたような感覚だった。
「あぁ、自分の声はみんなにとって邪魔なんだ。気持ち悪いんだ」
わたしは生まれてはじめて、そう思った。
その次の時間の国語であった音読ではわたしが教科書を読むと、みんながくすくすと笑いながら、冷ややかな視線を送ってきた。
わたしの声は震え、全身が硬直してしまったかのように、教科書を持つ手に力が入っているのが自分でもわかった。
今まで憧れていた放送部も、アナウンサーも、自分はなれないんだって、そう心から思った瞬間だった。
だけど、お母さんにもらった大切な声をけなされたこともすごくショックで、胸が黒く塗りつぶされた。
本当は違ったのかもしれない。
たぶん最初から、わたしには無理だったのかもしれない。
夢と現実の区別すらつかないわたしを励ますために、お母さんが親として子どもを褒めてあげる、という教育的な意味で口にしていた言葉。
それを鵜呑みにして、勝手に舞い上がり、自分ならできる、そう信じ込んでいた。
自分の愚かさを、骨の芯から痛感した。
だから、その日以来、わたしは友だちとお喋りすることを避けていくようになった。
本当は今までどおりおしゃべりしたかったし、遊んだりもしたかった。
だけど、また悪口を言われることが怖くて、どうしてもみんなの輪の中に入ることが怖くなってしまった。
授業の時間になるとお腹がキリキリと痛み、吐き気もするようになって。
だから毎日、急いでみんなのもとから逃げるようにして保健室に駆け込み、ベッドの中にうずくまり続けた。
本当は思いっきり泣きたかったけれど、ここで泣いたらなんだか負けてしまったような気がしたから、頬の内側を奥歯でぎゅっと噛み締めて、ひたすら堪えた。
いつも具合が悪くなっていたので友だちからは「今日もサボりだ」って非難もされていて、あの時のわたしは明らかにクラスのみんなから軽蔑されていたと思う。
だけど、サボっているつもりは全くなくて、本当に具合が悪かった。
嘘ではなくて、本当のことを言っているだけなのに、みんなに悪く言われるのは理不尽なことだって思ってもいたけれど、反抗する勇気なんてなかったから、結局引きつるような笑顔を浮かべてその場から逃げることしかできなかった。
もちろん心配してくれる人なんて誰もいなくて、わたしなんか最初から存在していなかったような、そういった排除された雰囲気だけがクラス中を漂っていた。
悔しかった。
悲しかった。
辛かった。
苦しかった。
目の前が真っ暗になり、わたしなんていない方がみんなのためなんだって思いはじめてからは、だんだん自分のからの中へと引きこもっていくようになった。
みんなとの間に壁を1度作ってしまうと、それはどんどんと大きくなってしまい、いつの間にかもう自分ではどうしようもできないくらい高いものになってしまっていた。
孤立していく自分が、信じられなかったし、このままの生活がずっと続いたらどうしようって思うと、たまらなく怖かった。
目に見えて身体にできるような傷を作るいじめでもなかったし、物を壊されたり、盗まれているわけでもなかったけれど、それでもわたしの心の中がどんどんとすり減っていって、学校という場所に居場所を失っていった。
お母さんと一緒にカフェでカフェオレを飲んでいる時に「最近、学校は楽しい?」って聞かれた時があった。
本当は「苦しい、しんどい、辛い」って言いたかったけれど、言葉が喉に詰まった。
流し込むようにカフェオレを一気飲みして、言葉を全て飲み込んだあと力ない笑顔を精一杯作って、代わりに「すごく楽しいよ」って答えた。
だって「学校が嫌だ」だなんて口が裂けても言い出せないって思っていたから。
自分からみんなを避けているだけなのに、そんなのただのわがままな気がしたし、それにお母さんにも心配をかけたくなかった。
だけど、きっとあの時のお母さんは薄々わたしの異変を感じ取っていたのかもしれない。
「無理はしないでね。いつでも味方だから」って言って、私の目を正面から見つめながら、手を握りしめてくれたから。
だけど、その表情はなんだか悲しそうで、つらそうにも見えた。
もちろん家でアナウンサーの真似をして遊ぶことは一切なくなったし、放送部にも入らなかった。
代わりに誰とも会話をしなくても済む図書部に入ることにして、毎日ひとりきりで過ごすようになっていった。
自分なりに毎日必死に生きているつもりだった。
誰にも迷惑をかけないように、一生懸命頑張っているつもりだった。
だけど・・・・・・。
気がついた時にはわたしの周りには誰もいなくて、ひとりぼっちになっていた。
その日の献立とか、流行りの音楽とか、優秀だった作文とか。
そういったものを放送部がしゃべっているのがたまらなくかっこよく思えたし、高学年になって委員会活動が始まったら絶対に自分も放送部に入ろうと心に決めていた。
家に帰ってからも放送部の真似をして、自分で作ったオリジナルの原稿をお母さんの前で読んだりすることもあった。
お母さんはいつも
「ゆりな上手ね。絶対に放送部に向いてると思うわ」
って言いながら、わたしのたどたどしい音読を毎回盛大に拍手をしながら褒めてくれた。
本当に嬉しかったし、自信にもなったし、もっと頑張ろうって思っていた。
ニュースだけではなくて天気予報だとか、ラジオだとか。
とにかくアナウンスする真似が楽しくて、練習だって何度も繰り返した。
自分の言葉が誰かに伝わるっていうことが、こんなにも嬉しいことなんだっていうことに小学生の頃に気が付いてからは、多分わたしのひとり遊びはほとんどアナウンサーごっこだったと思う。
お絵描きしたり、折り紙したりするよりも、喋っていることの方が何倍も楽しくて、今思うとよく飽きなかったなって思ってしまうくらい。
だけど、6年生になって委員会活動を決めることになったあの日。
わたしが放送部に立候補で手を挙げると、みんな喜んで賛成してくれるものだと心の底から思っていた。
だけど、クラスの中からは失笑とため息、そういった自分が予想していた反応とは全く異なるものが聞こえてきて。
どうしてか分からなかったし、何がいけないのだろうって疑問に思っていたら、クラスの男子が「お前の声、ガサガサでオヤジみたいなんだよ。だから無理に決まってる」って表情を一切変えることなく、ぶっきらぼうな口調で言った。
なに言ってるんだろ、こいつ、みたいな冷め切った表情と冷ややかな目で、当然の事実を淡々と告げるように。
思わず言葉を失って、その男の子の方をしばらく固まったように見つめていると、他の子たちからも「ゆりなの声は耳障りなんだよ。汚い声してるってこと気が付かないの?」という声が上がってきて、クラス中が笑いに包まれた。
膨らんでいた胸を鋭い針で刺されたかのように、一気にしわくちゃに萎んでいった。
喉元が焼けるように熱くて、しばらく息ができなかった。
悲しい、とか、辛い、とかそういった単純な言葉では表すことができないような絶望感。
足元が抜け落ちたような感覚だった。
「あぁ、自分の声はみんなにとって邪魔なんだ。気持ち悪いんだ」
わたしは生まれてはじめて、そう思った。
その次の時間の国語であった音読ではわたしが教科書を読むと、みんながくすくすと笑いながら、冷ややかな視線を送ってきた。
わたしの声は震え、全身が硬直してしまったかのように、教科書を持つ手に力が入っているのが自分でもわかった。
今まで憧れていた放送部も、アナウンサーも、自分はなれないんだって、そう心から思った瞬間だった。
だけど、お母さんにもらった大切な声をけなされたこともすごくショックで、胸が黒く塗りつぶされた。
本当は違ったのかもしれない。
たぶん最初から、わたしには無理だったのかもしれない。
夢と現実の区別すらつかないわたしを励ますために、お母さんが親として子どもを褒めてあげる、という教育的な意味で口にしていた言葉。
それを鵜呑みにして、勝手に舞い上がり、自分ならできる、そう信じ込んでいた。
自分の愚かさを、骨の芯から痛感した。
だから、その日以来、わたしは友だちとお喋りすることを避けていくようになった。
本当は今までどおりおしゃべりしたかったし、遊んだりもしたかった。
だけど、また悪口を言われることが怖くて、どうしてもみんなの輪の中に入ることが怖くなってしまった。
授業の時間になるとお腹がキリキリと痛み、吐き気もするようになって。
だから毎日、急いでみんなのもとから逃げるようにして保健室に駆け込み、ベッドの中にうずくまり続けた。
本当は思いっきり泣きたかったけれど、ここで泣いたらなんだか負けてしまったような気がしたから、頬の内側を奥歯でぎゅっと噛み締めて、ひたすら堪えた。
いつも具合が悪くなっていたので友だちからは「今日もサボりだ」って非難もされていて、あの時のわたしは明らかにクラスのみんなから軽蔑されていたと思う。
だけど、サボっているつもりは全くなくて、本当に具合が悪かった。
嘘ではなくて、本当のことを言っているだけなのに、みんなに悪く言われるのは理不尽なことだって思ってもいたけれど、反抗する勇気なんてなかったから、結局引きつるような笑顔を浮かべてその場から逃げることしかできなかった。
もちろん心配してくれる人なんて誰もいなくて、わたしなんか最初から存在していなかったような、そういった排除された雰囲気だけがクラス中を漂っていた。
悔しかった。
悲しかった。
辛かった。
苦しかった。
目の前が真っ暗になり、わたしなんていない方がみんなのためなんだって思いはじめてからは、だんだん自分のからの中へと引きこもっていくようになった。
みんなとの間に壁を1度作ってしまうと、それはどんどんと大きくなってしまい、いつの間にかもう自分ではどうしようもできないくらい高いものになってしまっていた。
孤立していく自分が、信じられなかったし、このままの生活がずっと続いたらどうしようって思うと、たまらなく怖かった。
目に見えて身体にできるような傷を作るいじめでもなかったし、物を壊されたり、盗まれているわけでもなかったけれど、それでもわたしの心の中がどんどんとすり減っていって、学校という場所に居場所を失っていった。
お母さんと一緒にカフェでカフェオレを飲んでいる時に「最近、学校は楽しい?」って聞かれた時があった。
本当は「苦しい、しんどい、辛い」って言いたかったけれど、言葉が喉に詰まった。
流し込むようにカフェオレを一気飲みして、言葉を全て飲み込んだあと力ない笑顔を精一杯作って、代わりに「すごく楽しいよ」って答えた。
だって「学校が嫌だ」だなんて口が裂けても言い出せないって思っていたから。
自分からみんなを避けているだけなのに、そんなのただのわがままな気がしたし、それにお母さんにも心配をかけたくなかった。
だけど、きっとあの時のお母さんは薄々わたしの異変を感じ取っていたのかもしれない。
「無理はしないでね。いつでも味方だから」って言って、私の目を正面から見つめながら、手を握りしめてくれたから。
だけど、その表情はなんだか悲しそうで、つらそうにも見えた。
もちろん家でアナウンサーの真似をして遊ぶことは一切なくなったし、放送部にも入らなかった。
代わりに誰とも会話をしなくても済む図書部に入ることにして、毎日ひとりきりで過ごすようになっていった。
自分なりに毎日必死に生きているつもりだった。
誰にも迷惑をかけないように、一生懸命頑張っているつもりだった。
だけど・・・・・・。
気がついた時にはわたしの周りには誰もいなくて、ひとりぼっちになっていた。