【お天気】スキルを馬鹿にされ、追放された公爵令嬢。不毛の砂漠に雨を降らし、美少女メイドと共に甘いスローライフ~干ばつだから助けてくれって言われてももう遅い~

 男性と幼女は慌てた様子で後ろへと下がり、ひざまずく。

峻厳(しゅんげん)なる我らが旭光(きょっこう)にご挨拶申し上げます」「あげまちゅ」

 オディールも急いで彼らに続いた。

「結城くん、随分満喫してたじゃない。見てたわよ」

 柔和な笑顔で女神はオディールに温かく声を掛けた。

「はいっ! おかげさまで一度は失われた人生、満喫しております。ただ……、本日はどうしてもお願いしたいことがありまして……」

「ミラーナちゃんの事ね。彼女は残念だったわね」

 女神は申し訳なさそうな顔をする。

 オディールはキュゥっと心臓が苦しくなる。このままでは『残念』で済まされてしまう。それだけは避けなければならなかった。

「そ、そこを女神様のお力で何とか……」

 オディールは顔面蒼白になってすがる。

「うーん、死にそうな人が出るたびに治していたら身体がいくつあっても足りないの。分かる?」

 女神は肩をすくめ、ウンザリしたように首を振る。

 確かに無数の人々からお願いされ続けていたらこうなってしまうのは分からないでもない。しかし、ミラーナを諦めることなんてできない。

「無理を言っているのは分かっています。何でもやります。自分のできること、何でもやるので、どうか、ミラーナだけは治してください! お願いです! お願いしますぅぅぅ……」

 オディールは涙をポタポタとこぼしながら女神に深く頭を下げる。ここまできて断られてしまったらもう生きてなどいけないのだ。

 幼女はテコテコとオディールのそばまで来ると、優しくオディールの背中をさすった。

 女神は小首をかしげ少し考えると、挑戦的な視線をオディールに投げかける。

「何でもやるって、たとえ死んでも?」

「はい! ミラーナが助かるなら命は惜しくありません!」

 オディールはすがるように女神を見つめた。

 女神はうんうんとうなずくと、オディールの方へ静かに近づき、深く温かな微笑みを投げかける。

 オディールは何が待ち受けているのか分からないまま、ただ彼女の澄み通る琥珀色の瞳に目を奪われた。

 女神は優雅に身を屈め、オディールの白くて柔らかな頬を両手で優しく包む。

「じゃあ一つ、奇跡を授けましょう」

 女神は人差し指を黄金色に輝かせ、そっとオディールの唇に触れた。

 え……?

 黄金色に輝きだすオディールの唇。

「これは【愛の奇跡】。この唇で愛する者同士がキスをすると、どんな病やケガもたちどころに治るという最上級の奇跡よ」

 女神は神々しい笑みを見せた。

 しかし、オディールはその条件にキュッと胸が痛くなる。

「『愛する者同士』……ですか?」

「そう。愛し合ってないと効かないわ」

 女神は当たり前のように言い放つ。

「僕はミラーナのことを命より大切に思っているのですが、ミラーナは……、どうでしょうか……」

 憂いを帯びた表情で、オディールは眉をひそめ、顔を伏せた。

「ならそれまででしょうね。ミラーナちゃんはそろそろ命のスープに溶けてしまうわ。急がないと間に合わないわよ?」

「えっ!? い、行きます!」

「では転送するけど、命のスープに触れたらあなたも命を溶かされてしまうわ。決して近づいてはダメよ?」

 命を分解するところへ送り込まれ、ギリギリのところで口説けと言う。それはスカイダイビング中に命をかけた愛の告白をするようなもので、オディールはその不可能さに気が遠くなった。

 しかし、やる以外ない。

 オディールはギュッとこぶしを握り、息を整えると女神をまっすぐな目で見つめた。

「わ、分かりました。お願いします!」

 女神は優しく微笑み、オディールに指先を向けるとくるっと回し、ほとばしる黄金の微粒子の奔流でオディールを包み込む。

 うわぁ!

「二人で過ごしてきた時間を信じなさい……」

 女神が優しく手を振ると、オディールはあっという間に幻想的な空間へと旅立っていった。


         ◇


 気がつくとオディールはフワフワとした光の雲がいくつも浮かぶ空中を漂っていた。

「あれ? ここは……?」

 下の方にはウユニ塩湖のような鏡の水面がどこまでも広がり、輝く雲を映し出している。ある意味天国なのかもしれない。

 辺りを見回すと、一人の少女が黒髪をなびかせながらゆっくりと流され、光の雲の一つへと吸い込まれて行っているのが見えた。それはミラーナだった。

 ミラーナは意識のないまま流されている。このままだと光の雲が飲みこんでしまうだろう。そして、この雲が『命のスープ』、命を分解し、新たな生命の源に還元していく所に違いない。吸い込まれたら最後、ミラーナはこの世から消えてしまうのだ。

 オディールは慌ててミラーナの方へ飛んだ。

「ミラーナ!」

 オディールはミラーナの腕に飛びつくと、助けようと引っ張ってみる。しかし、光の雲の吸引力はすさまじく、オディールが全力を出しても逃げることはできなかった。

 くぅぅぅ……。

「あら、オディ。どうしたの?」

 ミラーナは穏やかに目を開け、ほほ笑んだ。

 オディールは何をどう伝えていいのか混乱し、口ごもる。きっと今キスをしてもミラーナを救えない。確実にミラーナを口説いて彼女の愛を勝ち取らねばならないが、残り時間もわずかの中、そんな魔法のような言葉など浮かんでこなかった。

「ここは綺麗なところね……」

 ミラーナは辺りを見回してのんきに言うが、光の雲は目前にまで迫っている。もはや猶予はなかった。

 オディールはキュッと唇をかむと、何とか突破口を見つけようと口を開いた。

「ねぇ、ミラーナ? 初めて会った日のことを覚えてる?」

「え? ずいぶん昔の話……ねぇ」

 ミラーナはクスッと笑う。

「そう、昔。僕のところへあいさつにやってきた時だよ。公爵家の窮屈な生活の中で腐っていたいたずらっ子の僕は『お前なんか要らない』なんて酷い事言っちゃったじゃない?」

「あら、そんなこともあったわねぇ」

 ミラーナは優しく微笑む。

「ごめん。ずっと謝りたかったんだ。そして、今は逆。僕はもうミラーナがいないと生きていけないんだ」

 オディールはミラーナのブラウンの瞳に心からの愛を注ぎ、情熱を込めて手をギュッと握りしめた。
「ふふっ、いきなりどうしたの?」

 ミラーナはオディールの必死さに少し戸惑い、眉をひそめる。

 マズい……。どうやら押しすぎてしまったらしい。しかし、もはや猶予はない。オディールは深呼吸をしてテンションを少し落とすと、落ち着いた声で語り掛ける。

「ねぇ、ミラーナ……」

「なぁに?」

 オディールは大きく息をつくとミラーナを引き寄せ、ミラーナのブラウンの瞳をのぞきこむ。

「僕と一緒に人生を歩んで行って欲しいんだ」

「あら、今でも一緒じゃない?」

 ミラーナはトロンとした目で、屈託のない笑顔を見せる。

 ダメだ……、全く手ごたえを感じられない。オディールはギリッと奥歯を鳴らす。見れば光の雲はもうすぐそこまで迫っている。もう、ためらってる場合ではない。オディールはなりふり構わず勝負に出た。

「ミラーナ……。僕がミラーナをどれだけ愛しているか知って欲しいんだ。僕の心は、ミラーナへの思いで溢れかえってる。もうミラーナなしでは生きていけないんだよ。恋人に……なってくれないか?」

 オディールは碧い瞳に情熱を宿しながら、まっすぐにミラーナを見つめる。

「えっ、恋人……?」

 ミラーナは想定外の告白に、言葉を失ったまま目を見開く。

 ここが人生の分岐点。自分の未来、ミラーナの未来が次の一瞬で決まる。

 NOであれば生きてても仕方ない。オディールはこのままミラーナと一緒に人生を終えるつもりだった。

 瞳がキュッキュと動き、言葉が出てこないミラーナ。

 オディールは沈黙に耐えられず、口を開いた。 

「そ、そりゃ、女同士、変かもしれない。でも……」

 ミラーナは幸せそうな笑顔を浮かべると、オディールの唇をふわりと人差し指で押さえる。

 え……?

 静かにうなずいたミラーナは何も言わず、そっと唇を重ねてきた。

 ん、んん……?

 ミラーナの舌が愛おしそうにオディールの唇をなぞる。それはいまだかつて体験したことのない、甘い甘い愛撫だった。

 オディールは恐る恐るミラーナの舌に触れてみる。

 その瞬間、カラーン、カラーンとどこかで鐘の音が鳴り響き、二人の身体は煌めく黄金色の輝きに満たされていく。やがて、愛のエネルギーは二人の心を温かく包み込んでいった。

 女神から授かった奇跡は全てを超越し、二人の失われかけた未来を明るく照らし出していく。

 二人は温かに輝く光の中でお互いの想いを確かめ合う。紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、ようやく結ばれた二人。ここにオディールの試練に満ちた旅は幕を閉じる。

 オディールの目から自然と溢れ出す涙は空へと舞い上がって飛び散り、キラキラと輝きを放った。


        ◇


 夢見心地の時が過ぎ、オディールが目を開けると、そこはベッドの上だった。

 月明かりの差し込む見慣れた部屋、そこは壊れたはずのオディールの部屋――――。

「えっ!?」「あれっ!?」

 二人は一体何が起こったのか混乱し、見つめあう。

 窓から外を眺めると、セントラルもしっかりと建っているし、フローレスナイトも健在だった。

「こ、これは……?」

 その時、けたたましく非常警報が鳴る。

 そう、公爵たちが襲来した時に時間が巻き戻っていたのだ。きっと女神が気を利かせてくれたのだろう。

 二人は見つめあい、うなずきあうと手をつなぎ、一緒に指令室へと駆けていく。

 指令室ではケーニッヒとトニオが地図を指さし、深刻そうな顔をしていた。

 前回見たのとまったく同じ光景に、オディールはつい笑ってしまいそうになる。二周目は絶対に負けない。オディールはキュッと口を結ぶとこぶしに力を込めた。

「オディール殿、お休みのところ申し訳ない。東方に赤い狼煙ですが……そっちは延々と砂漠が続きその先は海。そちらから何かが来るとは考えにくいのですが……」

 ケーニッヒがあの時と同じように言う。

「それね、陽動なの。敵は公爵、この屋根の上に隠ぺい魔法で隠れてるよ。捕まえてくれる?」

「えっ!? でも魔力反応はありませんが……?」

「いいから早く!」

「ぎょ、御意!」

 ケーニッヒは屋上に突入し、公爵たちの野望はあっさり砕かれたのだった。


        ◇


 捕らえられた公爵はオディールを見て真っ赤な顔して喚く。

「この疫病神め! お前のおかげで公爵家はおとりつぶしだ!」

「勝手に追放しておいて何言うの? つくづく自分勝手ね」

 オディールはあきれ顔で肩をすくめた。

「屋上にいたのをなぜ分かった? 隠ぺい魔法は完ぺきだったはずだ」

「分かんなかったわよ。で、何度も死にそうな目に遭ったわ」

 オディールは剣をギラリと光らせ公爵ののど元に突きつける。その碧い瞳には激しい怒りが燃えていた。

「な、何を意味分からないことを……」

 冷汗を浮かべて刀身を見つめる公爵。

「とは言え僕もあんたの娘だ。お前に選択肢をやろう。奴隷契約をするか……、今ここで死ぬか……だ。どっちがいい?」

 オディールはかつて聞かされた通りに返す。

「ど、奴隷!? 親に向かって奴隷とは……」

「じゃあ死ぬ? 寝込み襲ってきて無事に帰れるとでも思ってるの?」

 オディールは剣先でのどを少し突いた。

「くっ! や、止めろ! わ、分かった……奴隷でも何でも好きにしろ!」

 公爵はのどから少し血を流しながら観念し、うつむいた。

 ここに父親との確執は完全に終止符が打たれ、オディールは完全勝利を達成することとなる。

 安堵したオディールはふぅと息をつき、目をつぶった。次元回廊からの数奇な旅路の果てにたどり着いた新たな人生の始まり。オディールは女神に感謝の祈りを捧げた。

 ただ、今回は前回とは全く違う結末を描かねばならない。

 ぬるい対応が招いた失態。二回目は徹底抗戦以外考えられないが、下手をしたら多くの人が死んでしまう。もうこの道しかないと分かっていても手が震えてしまうのだ。

「オディ、大丈夫?」

 ミラーナはオディールの震える手を取り、心配そうに顔をのぞき込む。

 オディールはギュッとミラーナを抱きしめ、深呼吸を繰り返す。

 そう、やらねばやられる。セント・フローレスティーナを作ろうと決めた時から、衝突はもう運命だったのだ。であるならば全力で完勝する以外ない。

 オディールは大きく深呼吸をすると覚悟を決める。

「ありがとう……。もう大丈夫」

 オディールはニッコリとほほ笑み、ミラーナの頬に軽くキスをした。
 オディールは剣を高々と掲げると堂々とした声で叫ぶ。

「公爵家の財産は没収! 領地は我がセント・フローレスティーナが併合する!」

「おぉ!」「つ、ついに……」

 自警団のみんなはオディールがアグレッシブな方針を決意したことに驚き、どよめきが広がる。圧倒的な力と先進的な発想を持ちながら砂漠に籠り切っていたことにみんな違和感を持っていたのだった。

 くぅぅぅぅ……。

 盛り上がる自警団たちに反し、公爵は無念そうに声を漏らす。

「父さん、泣くことなんてないわ、喜んで。うちの領地になったからには豊かになるんだから」

 オディールはニヤッと笑いながら公爵の肩を叩いた。

「どんなに豊かになろうが、奴隷じゃ仕方ないだろ!」

「しっかりと働いたら奴隷からは解放してあげるわよ」

 ニヤッと笑うオディール。

「……。な、何をやらせるつもりだ?」

 公爵は少しおびえた様子を見せながらオディールを見上げた。

「ヘーリング王国をぶっ潰す! この大陸に平和を取り戻すのよ」

 オディールはグッとこぶしを高く掲げ、晴れやかな顔で自警団のみんなを見渡す。

「やろう!」「やったぁ!」

 自警団は盛り上がり、みんなもこぶしを高く掲げた。

「は、反逆じゃないか!」

 公爵は真っ赤な顔で怒鳴る。

 オディールはムッとした様子で剣を再び公爵に向ける。

「奴隷は口答えしない!」

 くぅ……。

 公爵はガクッと肩を落とす。そこにはいつもの威厳のある姿はなかった。

 公爵家は代々王家と共に歩んできた。幾多の困難も公爵家が支えることで王国は長き繁栄の時代を築き、公爵家も恩恵を得てきていた。その伝統を自ら崩すことに公爵はひどく抵抗がある。しかし、奴隷となればもう従うしかなかった。

「ケーニッヒ、悪いけど手伝ってくれる? 国王を捕縛するわよ」

 オディールは決意のこもった目でケーニッヒを見る。崩壊していたセントラルの映像が目に焼き付いているオディールにはもうためらうことなどなかった。やらねばやられるのだ。ミラーナと作り上げたこの花の都を脅かす者は根絶やしにするしかない。

「御意! 憂いは残してはなりませんからな」


        ◇


 翌日、王都の上空に飛来する巨大な影――――。

 漆黒の鱗に覆われた巨大な生き物、ドラゴンは黄金色の輝きをまといながら王宮を目指し急降下していく。

 ギュオォォォォ!

 重低音の咆哮が王都一帯に響き渡り、街中騒然となった。

「な、なんだあれは!?」「女の子が乗ってるぞ!」

 ドラゴンの背中には青い戦闘服を来た少女が剣を高々と掲げ、金髪を風になびかせている。ドラゴンは国造りの伝説に出てくるレジェンド、それが少女を乗せて王宮を目指しているのだ。きっと時代が大きく変わるに違いない。

 その姿を見上げながら人々はこれからとんでもない事が起こる予感に震えた。

 直後、上空に暗雲が立ち込め、雷鳴と共に巨大な雹が宮殿に降り注いでいく。

 宮殿の魔術師たちが慌ててドーム状の結界を張るものの、灼熱のドラゴンブレスがあっさりと焼き払ってしまう。雹による空襲は宮殿の屋根を次々と破壊し、警備兵たちを逃げ惑わせた。

 そこに公爵の部隊と剣聖が突入し次々と制圧していく。騎士団は慌てて宮殿防衛に走ったがドラゴンブレスの圧倒的な猛威の前に近づけず、ただ、見守るばかりだった。

 へーリング国王は雹でグチャグチャになってしまった宮殿から命からがら逃げだしてきたものの、ドラゴンと剣聖ににらまれ、もはやこれまでとひざから崩れ、ガックリとこうべを垂らす。

 ここまでものの数分、まさに電撃的な王都陥落だった。

「エイ、エイ、オー!!」

 突入部隊はこぶしを突き上げ、(とき)の声が王都に響き渡った。

 オディールはうなだれる国王の前に出ると、刀身をギラリと光らせながら国王に向ける。

「チェックメイト! うちにちょっかいを出した報いを受けてもらうよ?」

 ニヤッと笑うオディール。ミラーナが生死の境をさまよったのはコイツのせいである。二度とそんなことができないようにしてやる以外ない。

「わ、悪かった。何でもやろう! 金貨でも宝石でも爵位でも好きな物をとらそう! どうじゃ?」

 国王は冷や汗を流しながら必死に喚いた。

「馬鹿ねぇ。王家の全財産は没収。貴族制は解体。あんたは奴隷よ?」

 オディールは状況を分かってない国王に思わず苦笑する。

「ど、奴隷!?」

 国王は仰天して手を震わせた。

「それとも……、今死ぬ?」

 オディールはニヤッと笑うと、剣を上段に高く振りかぶる。

 それを見たケーニッヒは、国王の腕をとって後ろ手に回してキメ、首をオディールの前に差し出した。

「うぎゃぁ! ま、待て! 待ってくれぃ! お主を襲ったのは公爵が勝手にやったこと。わしは無関係なんじゃ!」

 往生際の悪い国王にオディールはウンザリする。こんなのが国のトップに居続けているから民衆は苦しむばかりなのだ。

「嘘つきは死刑。もう救いようがないわ。死んで?」

「うわぁぁぁ! わしが悪かった! 本当は国のため、国民のためだったんじゃぁぁぁ! 何でもする。だから命だけは……」

 自分の保身を『国民のため』とすり替える国王。その醜い姿にオディールは怒りすら感じた。

「僕、ズルいオッサン嫌いなの。セイッ!」

 オディールは剣を持ち直すと振り下ろし、剣身の側面でパーン! と国王の頭をどついた。

 ふぐぅ……。

 国王は首を斬られたと錯覚し、泡を吹きながら気を失ってしまう。

 そんな国王の無様な姿を遠巻きに見ていたへーリング国王の兵士たちは、失意のあまり皆がっくりと肩を落とした。国王は奴隷にされ、ドラゴンと剣聖を敵に回してしまっては、もはや打つ手はなく、観念せざるを得ない。

 そんな連中をしり目に、オディールはセント・フローレスティーナの旗を持って宮殿のがれきをよじ登っていく。そして、頂上に巨大なセント・フローレスティーナの旗を立てた。

 小高い丘の上の宮殿に花模様をあしらった上品な旗がはためく。それはまさに新時代の到来を象徴した。

「うぉーー!」「やったぁ!」

 突入部隊の歓声が辺りを包む。

「みんなー! ありがとーー!!」

 オディールは満面に笑みを浮かべながら大きく手を振った。

「オディール様バンザーイ!」

 トニオが叫ぶと、みんな手を上げてそれに続く。

 バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!

 爽やかな風に大きくはためく旗の下で、万歳の声が響き渡る。みんな新たな時代の到来に胸躍り、喜びを爆発させた。

 街の人たちもその様子にヘーリング王家の終了を知り、大騒ぎとなる。ドラゴンに乗った少女があっという間に王宮を制圧し、貴族の圧政から市民を解放したことはまさに伝説的な出来事だった。

 へーリング国王を叩き起こして無条件降伏の書面にサインさせ、事務方の協議に移るとオディールは旗を持ってドラゴンに乗り、凱旋を始める。これから始まる自由で開かれたセント・フローレスティーナの統治を街の人に受け入れてもらうことは大切な事だった。

 ヴォルフラムも同乗し、用意してきた多量の花びらを街に振りまく。

 王都の上空をゆったりとドラゴンは旋回していった。色とりどりの花びらの舞う中、セント・フローレスティーナの旗を振る少女。それは理不尽に貴族に虐げられてきた民衆には神からの使いに見えた。

 街のみんなは大きな歓声をあげて歓迎し、大きく手を振る。民衆は熱狂的にオディールを支持し、ここに新たな王都の歴史が始まることになった。

 こうしてオディールと王家、公爵家との確執は伝説を築きながらオディールの圧倒的な勝利で幕をおろしたのだった。


        ◇


 カラーン! カラーン!

 さわやかな青空の元、セントラルに鐘の音が響き渡った。

 今日はオディールとミラーナの結婚式。セント・フローレスティーナを挙げて二人の結婚を祝福することになったのだ。

「お集まりの皆さん! いよいよこれより我が領主オディール殿と、ミラーナ嬢の結婚式を開催いたしまーす!」

 ステージでタキシード姿のローレンスは、マイクを片手に笑顔で叫ぶ。

 うわぁーー! おぉぉぉーー!

 セントラルに集まった数万人の住民たちは各階のテラスをびっしりと埋め尽くし、地響きのような拍手で揺れる。

 バサッバサッと力強くはばたく音が辺りに響き渡り、セントラルに落ちた巨大な影がスーッと動いていく。

 おぉぉぉ……。

 観客席にどよめきが広がる。

 大空に現れた漆黒のドラゴンは、大きな翼を広げ、美しく輝く光に覆われながら上空を通過していく。

 ドラゴンは一旦ロッソの方で優雅に旋回すると、ステージめがけて徐々に高度を下げていく。その頭部には純白のウェディングドレスに包まれた二人の女性、オディールとミラーナが乗っていた。

 二人は、喜びに満ちた笑顔で手を振り、熱狂的な観客の歓声に応える。

 やがて、レヴィアは荒々しく翼をはばたかせながらステージに降り立った。ズズーンという轟音が響き渡り、セントラルはその衝撃に揺れ動く。

 そして咆哮を一発。

 セントラルに響き渡る恐ろし気な重低音の咆哮に、観衆たちは思わず息をのんだ。

 頭をゆっくりと下ろしたレヴィアから、ステージへと降りてくる二人。

 うわぁぁぁ!

 ひときわ高い歓声が今日の二人の主役を出迎える。

 その時だった。

 ドーン!

 ロッソの山頂で大爆発が起こったかと思うと、数百メートルはあろうかという巨大な木の芽がニョキっと顔を出した。

 えっ……? はぁ……? あれは一体……。

 一体何が起こったのか分からない観客たちがどよめく。

 やがて木の芽はすくすくと空へ向かって伸び始める。その速度はどんどんと上がり、ゴゴゴゴという地響きを伴って、最後にはまるでロケットが宇宙へと飛んで行くように目にもとまらない速さで空を目指した。

 茎の太さもどんどんと太く立派になり、もう直径一キロは優に超えているのではないだろうか?

 先端はもはや宇宙に達していて、青空の霞の向こうにうっすらとその姿を見せるばかりとなっている。

 巨大な葉が次々と展開し、途中でどんどんと枝分かれしていった枝先にはやがてつぼみが見えてくる。数十メートルはあろうかという大きなつぼみが無数に現われてきて大空を覆いつくしていく。

 と、その時だった――――。

 いきなり太陽が消えた。

 みんなが驚いて太陽の方を見ると、なんと皆既日食となって幻想的な光のリングが星空の中に浮かんでいる。

「ちょ、ちょっと、これ、どういうこと……?」

 オディールは焦って、金髪のおかっぱ娘に戻ったレヴィアに聞く。

「さぁ、分からん。じゃが、こんなことができるのは世界には一人しかおらんからのう。お主、よほど気に入られたと見える。カッカッカ」

 レヴィアは嬉しそうに笑った。

「月を動かせるお方……、はぁ……」

 オディールはそのとんでもない力に感嘆し、星空に怪しく煌めくリングを見上げた。

 やがて大樹のつぼみは黄金色の光をまとい、暗がりの中のランタンのように空を明るく照らし出す。

 どんどんと膨らんでいくつぼみは、最後には純白に輝く大輪のバラの花となって大空を埋め尽くしていく。開ききった白バラからはキラキラと輝く黄金の微粒子があふれ出してきた。

 光の微粒子はセントラル一帯に降り注ぎ、まるで花火の中に身を置いたかのような、美しい景色が広がっている。

 うわぁぁぁ!

 神秘的で壮大な花の演出に観客たちは歓声を上げ、大きな拍手が沸き上がった。

「うわぁ、素敵ねぇ……」

 ミラーナはうっとりしながら空を見上げ、まるで雨のように降り注ぐ神秘的な光の微粒子を手のひらで受ける。

 やがて日食が終わりを迎え、リングの端からまばゆい光が顔を出すダイヤモンドリングとなって大空を彩った。

 おぉ……。うわぁ……。

 ざわめく観衆。

 徐々に明るさを取り戻していく中、一本の枝がゆっくりと降りてくる。数十メートルはあろうかという巨大なバラのつぼみはステージの上に降り立つとゆっくりとその花びらを開いた。

 一体何が起こるのか、オディールたちも観客もみんな固唾を飲んで見守る。

 白バラから放たれる眩しい黄金色の輝き。吹きだしてくる黄金の微粒子の中、クリーム色の法衣をまとった女性がふわりと浮かびながら優雅に登場し、にこやかにオディールとミラーナへ向けて両手を広げた。

「め、女神様……」

 オディールは目を丸くして叫んだ。

 まさか創造神である偉大なる女神が来てくれるなんて思いもしなかったのだ。

 どよめく観客席。

 女神様のことは誰でも知っている。しかし、それは神話の世界の話であって、まさか実在し、降臨することがあるなんてみんな想像もしていなかった。

 みんなその人知を超えた創造神の降臨に圧倒され、慌てて手を合わせる。

 お、おぉぉぉぉ……。

 地響きのような歓喜の叫び声が響き渡り、涙を流し、打ち震える人々が続出した。

「人の子らよ、(なんじ)らは幸いである。私の大切な二人の子供、オディールとミラーナの街に住まうことはまさに奇跡……。ありがたく思えよ」

 女神の伸びのあるつややかな声が観衆たちの魂に直接響き渡る。

 うぉぉぉぉぉぉ!

 数万人の観客は割れんばかりの歓声で女神に応え、女神は嬉しそうに微笑むと軽く手を上げ、うなずいた。

 宇宙からのバラに乗って現われた女神の降臨、それは新たな神話の一ページを紡ぎ、伝説となった。


          ◇


 女神は美しいウェディングドレスを身にまとった二人を並ばせると前に立ち、オディールを見つめた。

「オディールよ、汝はミラーナと結婚しようとしておる。汝は、ミラーナを愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、堅く節操を守ることを誓うか?」

 オディールはミラーナと目を合わすと幸せそうに微笑み、前を向いてしっかりと女神を見つめた。

「誓います!」

「絶対か?」

「絶対です!」

「もし、浮気でもしたらこの街焼き払うぞ?」

 女神は少し茶目っ気のある視線でオディールを見つめる。

「そんなことにはなりません!」

 ちょっと憤慨しながらオディールは返す。

 女神は嬉しそうにニコッと笑い、うなずくと今度はミラーナを見る。

「さて、ミラーナ、汝はここなオディールと結婚しようとしておる。汝は、常にオディールを愛し、敬い、慰め、助けて、変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の灯の続く限り、堅く節操を守ることを約束しますか?」

「誓います」

「よろしい!」

 女神はほほ笑み、うなずいた。

「ちょ、ちょっと、なぜミラーナには聞かないんですか?」

 納得いかないオディールは女神に噛みついた。

 すると、女神はテレパシーをオディールに飛ばし、ニヤッと笑う。

『結城くん、君、ちょっと東京で恋多かったかなぁ?』

 うっ……。

 オディールは言葉に詰まる。前世では仲良くなった女の子にすぐ惚れて、それでも告白できずに機会を逸し、何度も恋を散らしてきたヘタレな所業が全部バレていたのだ。

「別にオディールを疑ってるわけではないぞよ」

 女神はそう続け、オディールは「ははぁ」と観念したように頭を下げた。
 可愛いピンクのドレスに身を包んだタニアがトコトコっとやってきて、ニコッと笑いながら指輪を載せたトレーを差し出した。

「どうじょ」

 サラサラとしたボブの髪型にプニプニのほっぺたが実に可愛らしい。

「ありがとう」「いい子ね」

 二人はリングを取ると、互いの薬指にリングをはめあい、ほほ笑みあう。

「それでは誓いのキスを捧げよ」

 いよいよクライマックス。女神は優しく微笑みながら二人を向かい合わせる。

 二人はお互いを見つめ合う。

 初めて出会った時のこと、ドラゴンを倒した時、このセントラルを作り花の都を実現した時、そして、死の縁から救い出して結ばれた時のこと、その一つ一つを思い出しながら視線を絡ませる。

 それらの想い出はかけがえのない宝となって二人をしっかりと結びつけていく。心から湧き上がる喜びに照らされ、二人の目には涙が煌めいた。

 どちらからともなく恋人つなぎした手をそっと引き寄せ、二人は唇を重ねる。

 メイドと令嬢として出会った二人は友達になり、命がけの試練を経て今ここに人生を共有するパートナーとして正式に結ばれたのだった。

 パン! パン!

 たくさんの魔法の花火が上空で破裂し、赤、青、緑と鮮やかに輝く光の微粒子がセントラルに降り注ぐ。

 うぉぉぉぉぉ!

 数万人の観客は大歓声で二人の愛を祝い、盛大な拍手の渦がセントラルに響き渡った。

 こうして、女神によって執り行われた伝説に残る結婚式は無事終了し、二人は正式なパートナーとして全世界に認められることとなる。

 もちろん中には同性愛を認めたくない者もいたが、女神によって認められた結婚を否定すれば異端となってしまうため、新たな時代を受け入れざるを得なくなった。


         ◇


 それから数年後、二人のスイートホームに非常警報が鳴り響いた――――。

 ヴィーン! ヴィーン!

「おわぁ! 敵襲だ!」

 朝食をとっていたオディールはトーストの残りを強引に口に詰め込み、ミルクで流し込む。

 その警報は神殿からの呼び出し。オディールは女神の所で世界の管理を手伝うようになっていたのだ。

「最近多いわねぇ……」

 ミラーナは大きく膨らんだ自分のお腹をやさしくなでながら、不安そうにオディールを見る。そう、ミラーナは二人の遺伝子を使った子供を身ごもっていたのだ。

「蜘蛛男の分身がまだ残ってるんだよね。あともう少しだと思うんだけど……」

「気を付けて……」

 ミラーナは心配そうに眉を寄せ、オディールに両手を伸ばす。

 オディールはニコッと笑うと優しくハグをした。

「大丈夫だって! レヴィアも手つだってくれるしさ。それにこの子を抱くまでは死ねないよ」

 オディールはミラーナのお腹をなでる。すると、ポコッと赤ちゃんが蹴ってきた。

「あっ、動いた!」

「うふふ、最近活発なのよ。もういつ出てきてもおかしくないわ」

 ミラーナは愛おしそうに両手でお腹をなでる。

「楽しみだね」

「そうね、でも、次はオディが産んでよ?」

 ミラーナは上目づかいで口をとがらせ、くぎを刺す。

「わ、分かってるよぉ……。はははは……。じゃあ、行ってきます!」

 オディールは指先で空間をツーっと裂くと逃げるように中へ入っていった。


         ◇


「遅いぞ!」

 神殿の作戦室ではレヴィアが映像に囲まれながら眉をひそめ、腕を組んでいた。

「ごめん、ごめん。どんな感じ?」

「ヤバいぞ。蜘蛛男が海王星のサーバー施設に出現。爆発物を仕掛けて地球を一つよこせと要求しておるんじゃ」

「え? コンピューターの中の世界から出てきちゃったの?」

「そうなんじゃ、どうやったんじゃろう? こんなの我らにはお手上げじゃ。女神様にお願いするしかないじゃろうな……」

 コンピューターを破壊されたら世界そのものが消滅してしまう。レヴィアは最悪の事態を想定し、冷汗を浮かべた。

 しかし、オディールはニヤッと笑うとサムアップをする。

「あはは、大丈夫だって。僕に任せて!」

 そう言うとオディールは目をつぶり、深呼吸を始める。

「だ、大丈夫ってどうするん……、えっ!?」

 オディールはすうっと消えていってしまった。


       ◇


 冷たい海王星の奥深く、氷点下二百度のダイヤモンドの吹雪の吹き荒れる中に一キロメートルほどの巨大な漆黒の構造物が揺れている。表面を覆う幾何学模様の継ぎ目からは神秘的な青い光が漏れ、上部からはモコモコと白い煙を噴き上げている。それは地球を創出しているコンピューターサーバー施設【ジグラート】だった。

 ジグラートはまるで貨物列車のように次々と連なり、全体で一万個くらい運用されている。それらは太陽のそばで生みだした膨大な電力を使って一万個の地球を実現していた。

 そのうちの一つ、オディールの住む地球を創り出しているジグラート内部に蜘蛛男は現われたのだ。

 しかし、蜘蛛男はコンピューターによって創出されたコンピューター内の存在である。本来、コンピューターを出ることはできない。それでも蜘蛛男は金属でできた作業用のアンドロイドの身体をどこからか手に入れてジグラート内に出現したのだった。

「いいか! 脅しじゃないぞ! 自由にできる地球を提供しないなら本当に吹き飛ばすからな!」

 円筒形のコンピューターサーバーがずらりと並ぶ通路で、蜘蛛男は爆発物の起動スイッチを手にして監視カメラに向けて叫んだ。サーバーが破壊されれば街も人も地球上にある全ての物が一瞬で消えてしまう。男は究極の人質を取って立てこもっているのだ。
 そんな男の前に碧い目の女の子がいきなり現れ、金髪をかき上げる――――。

「ふふーん、やってみたら?」

 それはオディールだった。彼女はコンピューター内そのままの姿で現れて、ニヤリと笑う。

「ゆ、結城! お前、なんでそのまま出てきてるんだ!?」

 男は驚愕する。金髪のアンドロイドなどコンピューターの外側には用意されていないのだ。

「君は高校で物理や化学を習っただろう? 僕のこの身体を科学で説明してみたまえ。ん?」

 オディールは昔言われたままに返すと、モデルのように優雅にくるりと回ってポーズを取る。

「こ、この野郎……。前々からアンドロイドの身体を用意していた……、いや、その皮膚はどう見ても生身の身体じゃないか……」

 しなやかに動く肌に筋肉、それはとても人工のものとは思えず、男の額に冷汗が浮かぶ。コンピューターの外部で生身の身体などということはもはや女神と同等という意味になってしまう。東京生まれの転生者がなぜ神になっているのか?

 混乱する男を満足げに眺め、うなずくオディール。

「君にいい事を教えてあげよう! 『この世界は情報でできている』んだよ」

 オディールは鋭く目を光らせると指をパチンと鳴らし、ブリザードを呼び出して男を吹雪に包んだ。

 ぐはぁぁ!

 猛烈な吹雪に吹き飛ばされ、男はゴロゴロと金網でできた床に転がる。金属の身体がカカカカン! と派手に金網を鳴らした。

 くぅぅぅ……。

 男はオディールをにらむと、キュイーンというアクチュエイターのかすかな音を立てながら、ゆっくりと身体を起こす。

「な、なぜコンピューターの外で魔法が使えるんだ!?」

「だから科学だよ。『科学で説明できないことなどない。魔法なんてものは本来ある訳ないのだ』って自分で言ってたじゃん?」

 オディールはニヤニヤしながら男を見下ろした。

「くぅ……。覚えてろ!」

 男はカシャッと目をつぶると、アンドロイドの身体を捨ててコンピューターの内部へと逃げようとした――――。

 しかし、何も起こらない。

 あ、あれ……?

 いつまで経っても男は逃げられず、まぶたをカシャカシャと鳴らすばかりだった。

 あたふたとして焦る男。アンドロイドとの接続を切るだけなのになぜかそれができないのだ。

「ぷくくく……。残念でしたー! 君を拘束するよ!」

 オディールは手を口に当てながら笑いをこらえ、男を指さした。

「くっ! 捕まるくらいならこうだ!」

 男は爆発物の起動スイッチをオディールに見せつけると、薄笑いを浮かべながらガチリと押し込む。

「もろとも死ねぇ!!」

 男の勝ち誇った叫びがジグラート内にこだまする。

 しかし……、何も起こらない。

「あ、あれ……、おい、どうしたんだ……?」

 男は焦って何度もガチガチとスイッチを連打したが何の反応もない。

 ブリザードの極低温でスイッチは壊れてしまっていたのだ。

「ふふーん、残念!」

 ニヤッと笑ったオディールは、拘束魔法を使うと蜘蛛男を光の鎖でぐるぐる巻きに縛り上げる。

「くっ! なんなんだ貴様は!」

 全てが上手くいかない男は喚き散らす。

 オディールは腕を組み、無表情で男を見下ろした。

木宮啓介(きみやけいすけ)、調べさせてもらったよ。君も僕と同じ東京出身の転生者だったんだね」

 男はハッとして、忌々しそうにオディールをにらむ。

「ふん! だから何だって言うんだ! 俺はお前と違ってITエンジニアだからな。いち早くこの世界のからくりを看破して女神に正当な権利を要求してやったんだ。そしたらあいつは俺を拒否しやがった。優秀な人間を正当に評価できないような組織は破壊するしかねーだろ!」

「木宮くん、君は僕よりはるかに優秀だよ。でも、優秀なだけだ。君は今、縛られて転がっている。優秀さってその程度のことなんだよ」

 オディールは肩をすくめ、首を振る。

「ふん! 偉そうに! 女神に気に入られただけのくせに!」

「そうかもしれない。でも、君はなぜ気に入られなかったのかな?」

 オディールは木宮の目をじっと見つめた。

「な、なぜ……? 知らねーよ!」

 オディールはふぅと息をつくと、諭すように声をかける。

「人間って一人じゃ何もできないんだよ」

 木宮は頬をピクッと動かすと目をそらした。

「他の人と楽しくつながること、そうすると無限にいろんなことができるようになる。人は社会の生き物だったんだ」

「はっ! この俺様に馬鹿どもとつるめって言うのか?」

 木宮は吠えた。

「優秀さで線を引く、その結果、君は縛られて転がってる。自業自得だよ」

 オディールは目をつぶり、大きくため息をつく。

 木宮はギリッと奥歯を鳴らす。

「はっ! お説教か、偉くなったもんだな。あの時とっとと殺しておけばよかった」

「改善の見込みナシ……。お別れだな……」

 オディールは指で銃の形をつくり、つまらなそうな顔で木宮の額を指さした。

 にらみ合う二人――――。

 ブーンと鳴り渡る排気ファンの音の向こうでピン、ポポン、ピンと、微かに電子音が響く。

 鬼のような形相でオディールをにらんでいた小宮だったが、荒い息を何度か漏らすと意を決し、叫んだ。

「俺はお前らを全力で否定する! ただでは死なん、全人類道連れだ! 死ねぇ!」

 刹那、ジグラート内に強烈な閃光が走り、木宮の身体が大爆発を起こす。体内のエネルギーパックを暴走させ、爆弾に変えたのだ。

 激しい衝撃波は立ち並ぶ円筒形のサーバー群を粉砕し、それと同時にジグラートの外壁を突き破る。直後、なだれ込んでくる氷点下二百度の高圧メタン。もうこうなってしまうとどうしようもない。ジグラートは爆破された潜水艦のように、もうもうと煙を上げながら沈み始める。つなぎとめていた巨大な鎖が次々と火花をともなってはじけ飛び、大きく傾くと、そのまま海王星の奥底へと静かに消えていった。

「ああっ! なにをやっとるんじゃぁ!」

 様子を見ていたレヴィアは真っ青になって頭を抱える。サーバー群が壊れてしまってはもう地球は破滅だ。大地や海だけでなく、動物も人も生きとし生けるものすべてがこの世から消滅してしまうのだ。

 うわぁぁぁ……。

 レヴィアはうなだれ、愛しき地球の終えんに涙を流す。

 しかし、戻ってきたオディールは何事もなかったように、ニコニコしながらレヴィアの肩を叩いた。

「ははは、レヴィちゃん、大丈夫だって。ほら」

 オディールは多くの人でにぎわうセントラルを映像に映し出して見せた。

「えっ!? なんで無事なんじゃ?」

「事前に別のジグラートに移転しておいたんだよ」

「へっ!? 地球の全データをあの短時間に移転? ど、どうやって……?」

 レヴィアは目を真ん丸にして驚き固まる。

 地球を構成するデータは、人も動物も街も合わせて天文学的な莫大な量である。それを転送しようとすればそれこそ何十年もかかってしまうくらいの量だった。ものの数分で何とかできる量ではない。でも、確かに圧壊、沈没してしまったジグラートのデータは他のジグラートに問題なく引き継がれ、セントラルには多くの人たちの笑顔が踊っていた。

「ふふっ、それは企業秘密ね」

 オディールは人差し指を立てて唇に当てると、嬉しそうに笑う。

「秘密って……、お主……」

 レヴィアは言葉を失ったまま静かに首を振った。
 時は数年前にさかのぼる――――。

 女神の仕事を手伝うようになったオディールは、その日も朝早くから神殿のコントロールルームへ出勤していた。

「おはようございまーす!」

 自分の席に座って目の前に大きな画面をいくつか開くオディール。任されていたのは蜘蛛男のような危険分子を探し出し、世界の健全性を保つという仕事なのだった。

 コントロールルームは、まるで外資系コンサルのオフィスを思わせるような、木の魅力を活かした洗練されたインテリアとなっている。高い天井近くには多くの丸い照明がふんわりと浮かんでおり、温かみのある光で空間を照らしだしていた。

 あくびをしながら画面をつらつらと眺めていると、幼女の叫び声が響いてくる。

「いやぁぁぁ! つまんないの!」

 どうやらタニアがグズっているらしい。

 見るとパパがタニアを抱き上げるが、バシバシと叩かれ、なんだかとても痛そうである。

 オディールは苦笑いを浮かべ、タニアに近づいて声をかけた。

「タニアちゃん、どうしたの? おねぇちゃんと遊ぼうか?」

 パパから逃げ出して涙目になっていたタニアは、オディールを見るとテコテコと駆けだしてオディールに飛びついてくる。

「おー、よしよし」

 ふんわりとミルクの匂いにつつまれながら、オディールはタニアのプニプニのほっぺに頬ずりをした。

「結城くん、ごめんね。今日はちょっとご機嫌斜めみたいなんだ」

 パパは疲れ切った顔で謝る。

「大丈夫です。今日の作業は緊急でもないので僕がしばらく面倒見てます」

 オディールはタニアを抱き上げると休憩室の方へ移動した。

 休憩室は壮麗なガラス張りで、足元には碧く煌めく海王星が広がり、頭上には雄大な天の川が流れ、星々が輝く壮大な宇宙が見渡せる。

「さーて、何して遊ぶ?」

 オディールが聞くとタニアはピョンとオディールの腕から飛び降り、嬉しそうに叫んだ。

「ケンカごっこ!」

「ケ、ケンカ……?」

 戸惑うオディールをしり目にタニアは肉球手袋をポッケから取り出し、装着すると、キラリと目を輝かせた。

 きゃははは!

 タニアの嬉しそうな声が部屋中に響き渡る。

「いや、それ、危ないから……」

 なんとか肉球手袋を取り上げようとしたオディールだったが、タニアは楽しそうに肉球手袋を光らせて光の刃を放ってくる。

「いっくよー! きゃははは!」

 ひぃ!

 オディールは習ったばかりの魔法の盾を慌てて出し、間一髪で光の刃を打ち消した。パン! と、衝撃音が響き閃光が放たれ、オディールは目がチカチカしてしまう。

「何すんだよ! ちょっとヤメ!」

 怒るオディールをしり目にタニアはソファーの上によじ登ると、両手を腕の前でクロスして、得意満面で叫ぶ。

「おねぇちゃん! くらえー! きゃははは!」

 放たれる巨大な光の刃。これは渋谷で高層ビルを一刀両断した大技である。

「おっ、お前! ふざけんな! うわぁぁぁ!」

 オディールは慌てて楯を展開するものの、巨大な刃全部はフォローできない。

 ぐわぁ!

 オディールは自分の身は守れたものの、照明器具やキャビネットなど周りの家具は切り裂かれ、吹き飛び、最後は透明な壁も切り裂かれていった。

 ゴォォォォ!

 部屋の空気が盛大に宇宙へと漏れていく。

「コラッ! タニア!」

 頭にきたオディールは、手のひらをタニアに向け、巨大なシャボン玉をポンポンと放った。これは暴徒鎮圧などに使う魔法である。

 きゃははは!

 ちょこまかと嬉しそうに逃げ回るタニア。

「逃がさんよー!」

 オディールはそんなタニアを先回りし、大人げなく全力でシャボン玉を撃っていった。

 いやーー!

 最初は器用にかわしていたタニアだったが、シャボン玉が床のあちこちに残り始めると徐々に追い詰められる。

 キャァッ!

 最後にはシャボン玉にけつまづいて、転び、シャボン玉を浴びてしまうタニア。

 エイエイエイ!

 オディールはとどめを刺すように、タニアをシャボン玉だらけにして動きを奪ったのだった。

「あー、楽しかった!」

 タニアはハァハァと荒い息をつきながらシャボン玉だらけの中で嬉しそうに笑う。

「『楽しかった』じゃないよ、これどうするのさ?」

 オディールはめちゃくちゃになった室内や壁を指さし、口をとがらせる。

 休憩室のある神殿を構成しているデータは渋谷とは違い、最高レベルのセキュリティ管理がされており、実質女神にしか操作はできない。こんなことを女神にどう報告したらいいのかオディールは頭が痛くなる。

「大丈夫っ!」

 タニアはニヤッと笑うと指先をクルクルっと動かした。

 ヴォン!

 不気味な電子音が響くと、壊れた家具たちは一瞬ブロックノイズの中に沈み、直後、家具は元通りになって出現したのだった。

 見れば割れた壁も元通りである。

 へっ!?

 驚くオディールを見ながらタニアは「きゃははは!」と、楽しそうに笑った。

「ちょ、ちょっと待って!」

 オディールは慌ててキャビネットに走り寄ると、切断されたはずの切り口を探すが、木目の美しい板にはどこにも切れ目などなかったのだ。

 オディールは首を振りながら後ずさりする。

 女神にしかできないはずの操作をタニアはいとも簡単にやったことになる。しかし、何の権限も与えられていない幼女ができるようなことではない。何かがおかしい……。

 オディールは背筋にゾクッと凍るような戦慄が走るのを感じた。

「な、なんで……。こんな事……できるの?」

 オディールはこわばった笑顔でタニアの顔をのぞきこむ。

「うーんとね、上から入るの!」

「う、上……?」

 意味不明なことを言い出したタニアにオディールは眉をひそめた。

「ふふふっ。おねぇちゃんにだけ教えてあげるねっ!」

 タニアは指先で空間をパリパリっと割ると、オディールの手を取り、異空間へと引っ張っていく。

「えっ!? ちょっ! 待っ……」

 いきなりのことに頭が追い付いて行かないオディールは、目を白黒させながらそのまま異空間へと連れられていった。
 気がつくと目の前には巨大な満開の桜の木があった。それは大宇宙の星空をバックに幽玄な淡い輝きを放ちながら静かにたたずんでいる。

「こ、これは……?」

 いきなり連れてこられた異空間にオディールは呆然として言葉を失う。

 見回してみても巨大な碧い海王星も神殿もどこにも見えない。少なくとも神殿の管理区域にこんなところはなかった。一体どこに連れてこられてしまったのだろうか?

「世界樹よ。全宇宙の全ての星と命が全部ここに表されているわ」

 十五歳くらいの美しい少女が、ふわっといきなり現れてにこやかに説明する。彼女は長いブラウンの髪を揺らしながら、愛らしい笑顔でオディールの碧眼をのぞきこんだ。

「え……? あなたは?」

 いきなり登場した少女に焦るオディール。

「ゴメンゴメン。タニアの本体よ。タニアが私の分身って言った方が分かりやすいかしら?」

 少女はそう言ってパチッとウインクをした。

「ほ、本体……?」

 見れば確かに目鼻立ちはタニアとそっくりである。しかし、お転婆幼女が少女の分身と言われてもどういうことなのかさっぱり分からず、オディールは首をかしげる。

「あの子にも困ったものね。ここは人間が来てはいけない所なのに……」

 少女は眉をひそめると口をキュッと結んだ。

 『人間が来てはいけない』ということはこの少女もタニアも人間ではないということだろう。となると神か悪魔か……。

 オディールはサーっと血の気が引く思いがした。

「まぁ、それだけあの子がお世話になってるって事よね」

 少女はニコッと優しい笑顔を見せる。

 オディールはなんと返したらいいのか分からず愛想笑いでごまかした。

 少女はオディールの手を引っ張ると、ツーっと桜の花の房まで引き寄せる。

「ほら、ここを見てごらん」

 桜の花に見えていたのは、小さな碧い地球の玉とその周りにピンク色に光を放つ小さな羽だった。

「こ、これは……?」

 これがあなたたちの住む星、そして、このピンクの羽が住んでいる人の命の輝きなの。

「命の……輝き?」

「そう、見ればわかるけど星ごとに大きさや輝きが違うでしょ?」

 確かに花ごとに芯の地球は同じでも周りの羽は異なっていた。

「人口が多かったりすると大きく輝くんですか?」

「そうよ。でも、それだけじゃないわ。生き生きとしている命の方がより輝くのよ。ちなみにこれが日本のある地球。どう? 立派でしょ?」

 確かにその地球の花びらは鮮烈な輝きを見せており、その息をのむような煌めきに思わず見惚れてしまう。

「八十億人が元気に活躍してる星ってなかなか無いから見事よね」

 少女は嬉しそうに目を細め、微笑む。

「そういう地球を増やしたい……ってこと……ですか?」

 オディールは恐る恐る聞く。

「そうなんだけど、多様性が無きゃ意味がないわ。似たような文化文明だったらやる意味ないもの」

 少女は肩をすくめる。

「オリジナリティが重要ってこと……なんですね」

「そう。そのためにわざわざ地球をたくさん作ってるんだから」

 少女は嬉しそうな笑顔を見せた。

 なるほど、たくさんの地球はオリジナリティのある文化を育てるいわば牧場なのだ。文化はAIが自動で作っても意味がない。たくさんの人を作り、生活させ、考えさせ、その中で生み出され磨かれていくから価値が出るのだ。それには地球をシミュレートする以外ないということだろう。

 オディールは自分たちが生み出された理由の一端を垣間見て、複雑な気分で思わずため息を漏らす。自分たちはずっと少女の作った箱庭で生きていた。それはこの世界がコンピューターでできていると知った時から分かっていたことだが、改めて言われると自分の存在そのものへの自信が揺らいでしまう。

「そして、この花を支えているのが海王星よ」

 少女は花の房の根元を指さした。そこには碧い玉があり、そこから白いひも状のものが伸びて、それぞれの地球に繋がっていた。

「これは……、地球を創り出しているのは海王星だって……ことなんですか?」

「そうよ。そして、そのさらに根元が金星ね」

 少女は海王星に繋がっているひもの根元の金色の玉を指さす。

「えっ!? もしかして、海王星は金星のコンピューターで創られているって……ことですか?」

「そうそう。まだまだあるわよ」

 少女はそう言いながら、桜の木の根元に向かって次々と連なっているひもと星の連鎖を指さした。

 そう、宇宙とはコンピューターによって作られた星々で構成され、その中で生まれたコンピューターが、さらにまた星を作るということの繰り返しの中で成長してきたのだ。

 うわぁ……。

 オディールはその壮大な連なり、無数の星々の連鎖に圧倒され、心が震えた。見渡せば桜の花は百万個をゆうに超えるように見え、それぞれがオリジナリティあふれる生命の輝きを放っている。自分の住む世界がこんなにも美しい構造に満ちていたなんて想像もしていなかったのだ。

 ただ、ここで奇妙なことに気が付く。花を咲かせているのは末端の星だけだった。

「なんで、海王星や金星には花が咲かないんですか?」

 少女はピクッと眉を動かすと、苦笑しながら首を傾ける。

「コンピューターを生み出すと人はなぜか消えていってしまうの」

「えっ!? それはどういうこと……ですか?」

「丁度日本のある地球が分かりやすいと思うけど、コンピューターが発達してAIが生まれる頃になると人間は子供を産まなくなるのよ」

「少子……化?」

「そう、子供を産まなくなって数千年後、みんな消えていってしまうのよ」

「え? じゃあ女神様は?」

「あの人は特別ね。もう百万年は生きているわ。でも、金星で生き残ってるのは彼女くらいよ」

 オディールは驚き、言葉を失う。絶滅した金星人の生き残り、それがあの女神だというのだ。百万年の孤独、それを彼女がどう乗り越えてきたのか想像もつかないが、あの孤高の気高さの裏にある過酷な歴史にオディールは胸が痛んだ。

 しかし、そんな事を知っているとなるとこの少女はただものではない。オディールはゴクリとのどを鳴らすと、恐る恐る聞いた。

「し、失礼ですが……、あなたは?」

「ふふっ。五十六億七千万年生きてきた存在……って言ったら、信じる?」

 少女はいたずらっ子の笑みを浮かべた。

「ご、五十六億!?」

 オディールは仰天し、これをどう捉えていいか困惑する。もし本当だとすればこの宇宙の構造を創り出した始祖、全ての存在の母なのだ。しかし……、本当にこんな可愛らしい少女が?

 オディールは口をポカンと開けながら首を振る。

 その時、世界樹の奥の方でポン! と音が上がると、一つの星が禍々しく赤黒く輝いた。

 あっ!

 少女はそれを目にした瞬間、急に危険な雰囲気を纏いだす。そして、ぶわっとブラウンの髪の毛を逆立てると殺意のこもった目でボソッとつぶやいた。

「チッ! やりやがったな……」

 そのヒリつくような気迫に思わずゾッとするオディール。溢れ出すオーラはとても少女のものとは思えない威圧感をもってその場を支配する。

「ちょっと待っててね。世界樹に触っちゃ……ダメよ?」

 少女はオディールを見ると、優しく微笑みながら忠告するが、その瞳の奥には有無を言わせぬ危険なエネルギーが渦巻いていた。

「わっ、わっかりましたぁぁ」

 オディールは声が裏返りながら思わず敬礼してしまう。

 少女はクスッと笑うと、赤い星のところまでツーっと飛んで、ウインクしながらすうっと消えていった。
 オディールはホッと胸をなでおろす。

 やはり少女はただものではなかった。五十六億年が本当かどうかは分からないが、少なくとも女神よりはるかに危険な匂いを感じる。

 静まり返る世界樹の空間に一人取り残されたオディールは、大きく深呼吸を繰り返すともう一度世界樹を眺めてみる。

 華やかに咲くピンクの花々は、キラキラと輝く光の微粒子を振りまきながら穏やかに揺れ、夜空の星々と共に息を呑むような幻想的な光景を創り出していた。

 それは命の輝きそのものであり、全宇宙のそれこそ数百兆、数千兆人の命が今ここで輝きとなって宇宙を照らしている。

 美しい……。

 オディールはその荘厳な輝きを前に、知らぬ間に涙がこぼれていた。

 世界樹の煌めきは全宇宙で一番尊い輝きとなってオディールの心に染みこんでいく。

 無意識のうちに指を伸ばしていたオディールは、自分の地球の花びらにそっと触れる。

 その刹那、脳髄に流れこんでくる膨大な星の記憶……。セントラルや王都の映像、農業に勤しむ人々、運河を進んで行く水夫たち、そして愛を語る恋人たちの姿が、一気に脳内に押し寄せる。

 おわぁぁぁぁ……。

 何億人ものエネルギーに満ちた活動の記録がそのままオディールを貫き、反動でオディールは宙を舞った。

 くるりくるりと宇宙空間をゆったりと舞うオディールは、心が喜びに満ち溢れてくるのを感じていた。命の営み、その一つ一つは些細な取るに足らない小さな活動であっても、それが家族や社会を構成し、億人単位となって動くとき、それは一つの生命体のように文化や文明を創造し、躍動しながら宇宙に輝きを放つのだ。

 それは心の奥底に響く、限りなく尊い輝きだった。


          ◇


 しばらく漂っていたオディールは、ふと思い立ち、世界樹の根元へと降り立つ。この宇宙の根源に興味が湧いたのだ。

 この連綿と続く宇宙の尊い営み。それは何から始まったのだろうか?

 物理学者が『ビッグバンから始まった』と推定したこの宇宙の始まり、実際には何だったのだろう?

 世界樹の一番の根元、根源には虹色に光る球があった。それはもはや星ではなく、ただのエネルギーの塊のようにも見える。

「こ、これは……?」

 恐る恐る手を伸ばしてみるオディール。触ってはいけないと言われたものの、どうしても好奇心を押さえられなかった。何しろこの宇宙の根源が目の前にあるのだ。

 『この世界は何なのか? どうやって始まったのか?』そんな究極の問いの答えが目の前にある。こんなチャンスはもう二度と来ないに違いない。

 そろそろと伸ばす人差し指が虹色の輝きに触れた瞬間だった。激烈な閃光が放たれ、オディールはまばゆい光の中へと溶けていく。

 ぐわぁぁぁ!

 オディールはあっという間に光と影の空間へとふき飛ばされていった。


        ◇


 気が付けばそこは暗黒の世界――――。

 見渡す限り暗黒が広がるその世界で、遠くの方で何かが妖しく煌めいている。

 オディールは徐々にその煌めきの方へと引き寄せられていった。

「な、なんだあれは……?」

 目を凝らして見ればそれは激しいエネルギーの奔流だった。

 莫大なエネルギーの奔流が行き場を失って円盤状にグルグルと渦巻き、時にパリパリと稲妻を纏いながら闇の中に浮いている。

「これが宇宙の根源……?」

 すさまじいエネルギーの波動におののきながらオディールは眉をひそめた。

 さらに近づいて行くと、その円盤の中心には漆黒の球体があることに気づく。

 その球体はものすごい力で周囲のあらゆる物を飲みこみ続けている。

 近づくものは輝きを放ちながら漆黒の球のそばでバラバラに分解され、球の周りを数回転するうちに光の雲となって次々と吸い込まれていく。吸い込まれる刹那、断末魔の叫びのようにパリパリと青紫のスパークを辺りに放った。

 よく見ると球体の周りは空間がゆがんでおり、周辺がいびつに見えている。

「一体これは……?」

 オディールはその地獄のような恐るべき世界にブルっと身震いをする。この悪夢のような世界のどこに何千兆人もの生命を育む土台があるのだろうか?

 オディールが困惑し、冷や汗を流しながら眺めていると、いきなりパリパリっと漆黒の球の周りに稲妻が走った。

 え?

 刹那、漆黒の球が大爆発を起こし、激しい閃光がオディールを貫く。

 ぐはぁ!

 その限りないエネルギーの奔流に吹き飛ばされていくオディール。

 膨大なエネルギーがオディールの身体を無数に突き抜け、激しい衝撃を与え続ける。

 ぐぉぉぉぉ!

 そのとてつもないエネルギーの襲撃にオディールは意識を持っていかれそうになった。

 一瞬でも隙を作ったら自我が崩壊しそうな衝撃に耐え続けるオディール。

 くぅぅぅ……。

 必死に耐え続けるオディールだったが、やがて体を突き抜け続けていくエネルギーがただのエネルギーではなく、無数の長い虹色のリボンによって構成されていることに気が付いた。

 次から次へと吹っ飛ぶように伸びてくる大量の虹色のリボン。それらはオディールの身体を貫き、腕を、のどを、眉間(みけん)を貫いていく。

 ぐぉぉぉ……。

 貫かれるたびに何らかの概念が膨大に流れ込んでくるが、あまりに多すぎてパンクし、もう何も考えられなくなってついに気を失った。

 オディールは激しい爆発の続く中、広大な宇宙空間をリボンに貫かれながら漂っていく。

 どれくらい時間が経っただろうか、徐々に爆発が落ち着いてきて、オディールにも意識が戻ってくる。

 あ、あぁ……。

 オディールが目を開けると虹色に輝くリボンが何本も目の前に伸びていくのが見えた。

 一体これは何なのだろう? わけのわからないオディールはリボンをじっと見つめた。すると、リボンの表面には何か微細なものがチカチカと動いていることに気が付いた。

 な、何……?

 オディールはリボンに近づき、表面を観察して驚く。それは無数の1と0の数字だったのだ。そう、リボンとは赤青緑に輝く1と0の集合体でできていた。そしてその数字は高速にチラチラと書き換わり、何らかの【演算】を行っているように見える。

 こ、これは……?

 慌ててオディールは周りに伸びているリボンも確認してみた。するとそこでも無数の数字が高速に書き換わっている。

 オディールはその数字の無数の書き換わりを眺めているうちにそれらにリズムがあることに気が付いた。赤色の数字には赤色のリズム、青色、緑色にはまた別のリズム、それらが気持ちよく大宇宙に虹色の光を放っている。それは光のオーケストラのようにも見えた。

 その美しさに見とれ、オディールはリボンの一つに触れてみる。すると、その数字の表している情報が映像となって脳内に流れ込んできた。それは大森林であり、広大な海であり、大自然あふれる惑星だったのだ。

 ここでオディールはようやく宇宙の根源とは何かに気が付く。宇宙の根源とは情報の大爆発、デジタル・ビッグバンだったのだ。宇宙を埋め尽くす1と0の数字たち、それらは相互に何らかの関係を持ち、まるで歌を歌うように気持ちよく書き換わり、結果として何らかの演算に繋がっている。

 それらの演算の結果生まれたのがデジタルな生命だった。この生命がデジタルのリボンの中で表現された惑星で何十億年もかかって進化を繰り返し、ある日、知的生命体となって覚醒する。そして覚醒した生命体は長い年月を世代交代を繰り返しながら文化文明を実現していく。ただ、リボンの内部の生命体から見たら地球のような惑星で暮らし、繁栄しているだけに見えるのだろう。

 外から見たら1と0の長大なリボン、中から見たら大宇宙に浮かぶ三次元空間、これがオディールの住む世界だったのだ。

「そんな馬鹿な……」

 宇宙という三次元空間があって、その中で生まれた惑星の中で何億年もの化学反応の末に生命は生まれる。根源にはそんな素朴な宇宙が広がっているのだろうと期待していたオディールだったが、宇宙は徹頭徹尾デジタルだった。1と0が美しく舞う世界、それが本当の宇宙の根源だったのだ。そして、その演算の果てにオディール自身も生まれ、今この瞬間も生きている。

 もちろん、リボンの内部は素朴な宇宙ではあるのだが、それはあくまでもデジタルの演算の結果に過ぎなかった。

『世界は情報でできている……』

 天使の言った言葉がオディールの頭に響く。

 オディールは宇宙の根源に触れ、その壮大な宇宙と生命の営みに圧倒された。