【お天気】スキルを馬鹿にされ、追放された公爵令嬢。不毛の砂漠に雨を降らし、美少女メイドと共に甘いスローライフ~干ばつだから助けてくれって言われてももう遅い~

 ローレンスは雄大なロッソの姿を見つめながら、ふと一つの可能性に気が付いた。もしかしたら、ここは次代のあるべき社会の形を提案しているのではないだろうか。貴族を中心とした階級社会、その中で汲々(きゅうきゅう)として疲弊する市民、社会とはそのようなものだと達観していたが、ここに来て目からうろこが落ちた。ドラゴンを従えながらあっけらかんとしてこだわりのない領主。そんな領主を慕いながら楽しそうに支える領民、未来的な技術や建築。そして夢のような聖気、全てが衝撃だった。

 その時、さわやかな風がビュウと吹き、水面に鏡のように浮かぶロッソがさざ波に揺れた。

 ポカポカと温かいお湯に湖を渡る涼しい風、ローレンスはそのさざ波をボーっと眺める。

 やがてロッソの像は静かにゆっくりと美しい元の姿に戻っていった。

 その瞬間だった。まるで稲妻が直撃したかのようにローレンスの頭の中に激しい閃光が走る。

 それはまるで天啓のように、今までモヤモヤとしていたものがロッソの像のように頭の中で一つの美しい姿を形作ったのだ。

 おぉぉぉ……。

 ローレンスは子供の頃から父親に帝王教育を受けて育った。金が無ければ何もできない、金が全てであり、金をどうやって効率的に確実に儲けるかを、徹底的に叩きこまれたのだった。

 確かに商会は栄えている。多くの人が父に頭を下げ、貴族も無視できない。美味しいものも好きなだけ食べられるし、平民ではなかなか入れないアカデミーも卒業できた。しかし、それで幸せになれたかというと疑問だった。結局は金を使ったズルが上手くなっただけではなかっただろうか? ローレンスはずっとそういう後ろめたさにさいなまれてきた。

 しかし、そんな金の流れとは全く関係ないところに夢の国を作り上げた少女がいる。それは今まで全く気付かなかった新たな人生の形だった。

 これだ!

 ローレンスはパン! と、こぶしで水面を叩く。激しい水しぶきがあたりに飛び散って、パラパラと音を立てた。

 自分の人生に欠けていたもの、それがここ、セント・フローレスティーナにあったのだ。

「これだよ! これだったんだ!」

 ローレンスはザバッと立ち上がり、ロッソに向けてこぶしを握る。その瞳には限りない情熱の炎が宿っていた。


       ◇


 オディールがゲストルームでレヴィア達とバカ話をしてると、ドタドタドタと駆けてくる音がしてバンとドアが開いた。

 まだ髪の毛も濡れたままのローレンスが鋭い視線でオディールを見て、はぁはぁと息を切らしている。

「ゆ、湯加減はどう……」

 オディールが言いかけると、ローレンスはバタバタっとオディールに近づいてひざまずいた。

「領主様! なにとぞ私を配下にお加えください!」

 へっ!?

 いきなりの提案にオディールは困惑し、レヴィアと顔を見合わせた。

「下働きからでも結構です! 私にチャンスをください! 必ずやお役に立って見せます!」

 一体お風呂で何があったのだろうかと、困惑する一同。

「まぁまぁ、とりあえず座って」

 オディールは椅子をすすめ、お茶をカップに注いだ。

 ローレンスはお茶を一口すすると、熱く語りだす。

「この街こそ人類の夢なんです! この街で人類は次のステージへと駆け上がるのです!」

 あまりの熱量に気おされながら、オディールは返す。

「買ってくれるのは嬉しいけど、僕はただみんなが楽しく暮らせる場所を作りたいだけなんだよ」

「それです! 今の王侯貴族にその発想はあるでしょうか? 金と権力の権謀術数、腐りきった賄賂(わいろ)と癒着、市民を無視した横暴の数々。私はもう既存の国々には我慢ならんのです!」

 ローレンスはバン! とテーブルを叩いた。

 オディールはその気迫に圧倒され、困惑した顔で宙を仰ぐ。

「あー、お主はこの街に理想を求めたいということじゃな」

 レヴィアが鋭い真紅の瞳でローレンスの顔をのぞきこむ。

「そうです。自分がずっと求めてきたものがここにあったんです!」

「それは……、幻想かもしれないよ?」

 オディールは意地悪な顔をして返す。オディールは単にミラーナと楽しく暮らしたいだけなのだから、人類の在り方などそもそも興味がなかったのだ。

「げ、幻想……?」

「だって僕は聖者じゃない。ただの女の子だもん。いつ気が変わるかなんて分かんないじゃない?」

 ニヤニヤするオディールを見て、フローレンスはキュッと口を結び、ジッと考える。

「永遠に続くものなんて無いからのう」

 レヴィアは肩をすくめる。

「……。分かりました。それでいいです。でも領主様が変節されたら私が倒します」

 ローレンスは熱情に燃えた瞳でキッとオディールをにらんだ。

「きゃははは! 倒す……ね。ならいいんじゃない、手伝ってよ」

 オディールはニコッと笑いながら右手を差し出す。

 え……?

 勢いで『領主を倒す』と宣言してしまったローレンスは、そんなオディールの対応に逆に圧倒される。一体この世のどこに自分を倒そうとするものを仲間にする人がいるのだろうか? ローレンスはポカンとして言葉を失う。

「僕を倒すんだろ? いいじゃないか、その熱意をセント・フローレスティーナに役立ててよ」

 嬉しそうにローレンスの顔をのぞきこむオディール。

「え……? い、いいんですか!? ありがとうございます!」

 ローレンスはガバっと立ち上がるとオディールの手を取り、堅く握手を交わした。

「で、君の得意分野とやりたい仕事は?」

 オディールはにっこりと笑いながら身を乗り出す。

「自分はアカデミーで経済を専攻しておりまして……」

 その日は夜遅くまでセント・フローレスティーナの未来について議論を交わすこととなる。

 最後の方にはミラーナもレヴィアも居眠りする中、オディールとローレンスの二人だけが机をバンバンと叩きながら熱く議論を交わしたのだった。
 次の晩、主要メンバーを集めてローレンスの歓迎会が開かれた――――。

「それではローレンス君のジョインを祝ってカンパーイ!」

 オディールは上機嫌にグラスを高々と掲げる。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 大手商会の幹部がジョインしてくれるのは想定もしていなかった理想的な展開であり、みんな嬉しそうにローレンスのグラスに乾杯を合わせていった。

 場が盛り上がってきたころ、ローレンスは座席を変えながら一人一人、嬉しそうな顔で巧みな話術を繰り広げていく。

「いやぁ、トニオ先輩! さすがですねっ!」

「そうだろ? 分かんないことは何でも聞いて!」

「ヴォルフラム先輩! 収穫祭の話聞きましたよ! 先輩あってのセント・フローレスティーナですねっ!」

「あ、いや、そんなことはないですって。ぐふふふ」

「ファニタさん、ちょっと前髪あげてもらっていいですか……。ふぅ、目が凄くきれいですねっ!」

「何言ってんの! いやだよぉ……」

 オディールはその様子を見ながら感服する。あざといヨイショではあったが、なぜかあざとさの裏に自分への好意を感じてしまうのだ。その心をつかんでいく技はまさに魔法とも言うべき高等なテクニックであり、とても自分にはできない。

 ローレンスが次に目をつけたのがミラーナだった。

「ここの建物はみんなミラーナさん作だって聞きましたよ! 本当ですか!?」

 大げさに驚きながらミラーナのブラウンの瞳をのぞきこむ。

「ふふっ、そうですよ。ここの建物はみんな私の子供たちなんです!」

 ミラーナは嬉しそうに目をキラリと光らせ、答える。

「ブラウンの瞳……、魅力的ですね。お付き合いされている方はいるんですか?」

 いきなり核心を突いてくるローレンスにオディールは思わずリンゴ酒(シードル)を吹きだしてしまう。

「え? いや……、そんな……」

 赤くなってうつむくミラーナ。

「ちょ、ちょっとそこ! セ、セクハラだよ! ダメダメー!」

 慌ててオディールは二人の間に割って入る。

「おっとこれは失礼……。あまりにも魅力的だったものですから……。乾杯……」

 ローレンスは上手くかわし、ミラーナのグラスにチン! とグラスを合わせた。

「このくらい大丈夫よ、オディ」

 ミラーナもニコッと笑い、別に不愉快には感じていないようだった。

「だ、大丈夫……? あ、そう……」

 本人に大丈夫と言われてしまうと、もうオディールには言うことが無い。

 オディールは渋い顔で首を振りながら席を移動し、レヴィアの隣にドカッと座った。

「おや? ミラーナに振られたんか?」

 レヴィアは樽をグッと傾けるとエールをそのままゴクゴクと美味しそうに飲む。

「ミラーナはイケメンに甘いんだよ!」

 ミラーナと一緒に花の都で暮らすという計画が、今、土台から揺らいでいるのをオディールは感じていた。例えミラーナがいてくれても、心を他の人に取られてしまったら、自分はどうしたらいいのだろう? 嫌なイメージが頭の中をグルグルと回り、オディールは耐えられなくなってリンゴ酒(シードル)をグッと飲み干した。

「ほう……? このままじゃ取られるかも……しれんのう……」

 レヴィアは談笑しているいい感じの二人をチラリと見て、嫌なことを言う。

「……。どうしよう……」

 オディールは今にも泣きそうな顔でレヴィアの腕をギュッとつかんだ。

「どうしようも何も、想いをそのまま伝えたらええじゃろ? 面倒くさい奴じゃな」

「えっ!? だって僕、女の子だよ?」

「ははっ、愛に性別なんぞ関係なかろう」

 レヴィアは笑い飛ばすと樽を傾けた。

「僕……。本当のこと、まだ話してない……。中身は違うのにベタベタしてたなんてとても言えない……嫌われちゃう……」

 オディールは涙目で口をとがらせ、うつむく。

「はぁ? お主がオッサンだったとして何の問題がある? 美少女とオッサンで魂の価値なぞなんも変わらんわ!」

「いやいやいやいや……。美少女とオッサンは月とスッポン、宝石とゴミだよ……」

「……。お主、何か勘違いをしておるぞ? オッサンだろうが美少女だろうが、魂に貴賤(きせん)はない。みな等しく尊いぞ?」

「え……?」

 オディールはポカンとしてレヴィアの真紅の瞳を見つめた。

「そりゃ、美少女はチヤホヤされるかもしれんぞ? じゃが、見てくれなんぞただの飾りじゃ。人間は他の人の心とどれだけ豊かな交流ができるかだけが全て。オッサンでも愛される者もおるし、美少女でも嫌われとる者はいるじゃろ?」

「いや、でも……」

「要はどんな外見かじゃない、その人の魂が相手の心にどれだけ寄り添えるか? じゃ。性別も年齢も人種も美醜もみーんな関係ないんじゃ」

「いや……、それは理想論だよ。カミングアウトして嫌われたらと思うと到底踏み込めないよ」

 しょんぼりするオディールをじっと見て、レヴィアは深くため息をつくと呆れたように首を振る。

「はぁぁぁ、お主は結構アレじゃな。そんなの黙っとけ! カミングアウトするってのは本人の自己満足に過ぎんわ!」

「えっ!? でも……」

 レヴィアはビシッとオディールを指さし、真紅の瞳をギラリと光らせながらにらむ。

「いいか? お主がどれだけミラーナのことを想っているか? それだけが問われとる。後は些細な事じゃ。黙っとけ!」

 鋭く言い放ったレヴィアは、また樽を傾けてゴクゴクとエールを飲んだ。

「そうは言ってもなぁ……」

 妹扱いされている十五歳の少女にとって、一体何をどう言ったらミラーナの心をつかめるのか皆目見当がつかない。

 ふとミラーナに目をやってオディールは固まった。

 へっ!?

 なんと、ローレンスがミラーナの手を握っているではないか。

 ガバッと起き上がり、真っ青な顔でその認めたくない現実を眺めるオディール。

 ミラーナは嫌がる様子もなく、にこやかに談笑している。

「あわわわわ……」

 オディールはレヴィアの腕を掴んだがその手はブルブルと震えていた。

「ふははは。ま、早めに覚悟を決めるんじゃな。カッカッカ!」

 他人(ひと)事なレヴィアは楽しそうに笑う。

 くぅぅぅ……。

 オディールはギリッと奥歯を鳴らし、フゥフゥと荒い息を漏らすとバッと立ち上がり、大声で叫んだ。

「宴もたけなわではございますが! そろそろ! お時間が来たようです! 明日も早いですから本日はこの辺りでお開きとしましょう。では、ローレンス君、最後に一言お願いします!」

「えー! オディールさん、ちょっと早くないっすかぁ?」

 トニオが不満顔でクレームをつける。

「君のところ、ドアの取付工事が遅れているようなんだけど、これからちょっと相談の時間を取ろうか?」

 オディールは有無を言わせぬ鬼の形相でトニオをにらんだ。

「あ、いや、だ、大丈夫っす。頑張りまっす!」

 かくして、歓迎会は早めにお開きとなって、飲み足りないメンバーは二次会へを繰り出していった。


       ◇


 その日の晩、オディールは寝支度をするミラーナをボーっと眺めていた。ミラーナは心なしか上機嫌で、流れるような髪をとかしている。

 改めてじっくり見ると、ミラーナのプリッとした紅い唇にはドキッとさせる大人の色気が纏い始めていた。なるほど、ローレンスが目をつけるのも仕方ないだろう。

 はぁ……。

 どうしたらいいか分からなくなったオディールは、深くため息をついてうなだれる。

「じゃあ、私は寝るわね。おやすみ」

 オディールに手を振り、自室に入ろうとするミラーナ。

 あっ!

 オディールは自然に身体が動き、慌てて駆け寄った。このままではとても眠れそうにないくらいオディールは追い詰められていたのだ。

 しかし、引き留めてどうするというのだろう。『ローレンスと仲良くしないで欲しい』喉まで出かかった言葉が行き場を失い、ぐるんぐるんと脳内を巡る。そんなことを言う権利などどこにもないのだ。

 オディールはミラーナのパジャマのすそをつかんでうつむいてしまう。

「あら? どうしたの?」

 ミラーナは苦笑しながらオディールの顔をのぞきこむ。

 レヴィアの言う通り、想いは伝えねばならない。

「あ、あのね、ミラーナ……」

 オディールはギュッとこぶしを握ると、ありったけの勇気を振り絞って声にした。

「どうしたの? そんな改まって……」

 ミラーナは小首をかしげる。

 言うぞ、言うぞとオディールは気持ちを盛り上げていく。

「あ、あのさ、実は僕は……」

 オディールはバッと顔を上げ、ミラーナのブラウンの瞳を見つめた。

「なぁに?」

 まるで小さい子をあやすように、優しい笑顔でオディールを見つめているミラーナ。

 その瞬間、オディールは言おうとしていた言葉が全て霧散してしまった。ミラーナの瞳に溢れているのは慈愛であって、恋愛とは程遠い色だったのだ。

 うっ……。

 オディールは凍りつく。

 今、告白なんてしたら気持ち悪がられ、むしろ今までの関係が根底から破綻してしまうに違いない。オディールはそんな予感に言葉を失った。そんなことになったらとても生きていけないのだ。

「どうしたの? ……。一緒に寝たいの?」

 ミラーナは優しい目でオディールを見つめる。

 オディールは静かにうなずいた。

「しょうがないわねぇ……。今日だけよ?」

 ミラーナはオディールの金髪をやさしくなで、手を引っ張る。

 オディールは大きくため息をつき、当面妹ポジションを抜け出せなさそうな現実に打ちのめされていた。

      ◇


 ベッドに飛び込んだオディールはミラーナの優しい匂いがしみ込んだ毛布を抱きしめ、ふんわりと温かな気持ちに染まる。

「狭いのは我慢してよ?」

 月明かりに薄青く照らされたミラーナが毛布を持ち上げながらベッドに入ってきた。

 オディールは半分毛布に潜りながらミラーナを見つめる。美しくカールした長いまつ毛、スッと筋の通った高い鼻。透き通る肌が月明かりを浴びて妖艶に輝いていた。

 いつかはミラーナは自分のことを好きになってくれたりするのだろうか? そうこうしているうちにローレンスに口説かれてしまったらどうしたらいいのだろう?

 くぅ……。

 すぐ隣にいるのにどうしても縮められない距離を感じ、オディールはギュッと目をつぶる。

『一体どうしたら……』

 ふぅと大きく息をつくとオディールは意を決し、切り出した。

「ねぇ……。ミラーナ?」

「なぁに?」

「ロ、ローレンス……、ど、どう思う?」

 オディールはドクドクと高鳴る心臓の音を聞きながら核心を尋ねてみる。

「どうって……? 役に立ってくれそうだと思うけど?」

「そ、そうじゃなくて……。ひ、人として……どうかなって……」

 ミラーナはピンと来たように人差し指を立て、ニヤッと笑う。

「ふふーん、オディ、好きになっちゃった?」

「ち、ち、ち、違うよ! ミラーナが今日楽しそうに話してたから、もしかしてローレンスのこと……気に入ったのかなって」

「ははっ! 私は今はそんな恋愛モードにはならないわ。だって毎日楽しいんだもの」

「あ、そ、そうなんだ……」

 オディールは毛布の中で何度もガッツポーズを繰り返す。

「なぁに? そんなことが気になって一緒に寝たいだなんて言い出したの?」

 ミラーナはオディールのほっぺたをツンツンとつついた。

「え? あ、いや……」

 オディールは真っ赤になって毛布に潜り、ミラーナの腕に抱き着く。

「まだまだ子供なんだからぁ」

 ミラーナはそう言ってやさしくオディールの頭をなでる。

 その拍子にミラーナの柔らかなふくらみがオディールのほほをなで、オディールはドキッとして思わず唾をのんだ。

 甘くやわらかなミラーナの匂いに包まれ、オディールの脳髄にパチパチと衝撃が走る。震える手が知らず知らずのうちにミラーナのふくらみを目指してしまう。

『ダメダメ!』

 すんでのところで正気に戻ったオディールは、改めてミラーナの腕にギュッとしがみついた。

 やはり自分は妹ポジションなのだ。オディールは大きくため息をつく。

 レヴィアは気楽に言うが、この妹扱いからの発展は極めて困難に思える。オディールは想いの置きどころを失い、キュッと口を結んだ。

 やがてスースーというミラーナの寝息が聞こえてくる。

 そもそも自分は何をやりたいのか分からなくなり、オディールは頭を抱えた。

 ミラーナを誰かに取られるのは絶対に嫌だが、では自分はどうなればいいのかがさっぱり分からない。男だったら単純な話だったが、妹扱いされる十五歳の少女では手詰まりにしか思えなかった。

 オディールは窓の向こうの青い月を眺め、深いため息をつくと毛布をバッとかぶった。

 ローレンスが来てからというもの、セント・フローレスティーナは加速度的に発展していった。

 川は運河として整備され、南の街ハーグルンドとの航路が開通する。これにより人と物資の往来が飛躍的に拡大することになった。セント・フローレスティーナからは聖水、果物が輸出され、ハーグルンドからは日用品や建築資材、家具などが輸入されることとなる。特に聖水は世界一の純度と濃度を誇り、非常に高値で売れ、外貨の獲得に大きく寄与した。

 増え続ける移住者に対応するため、セントラルの西側には扇状に通路を造り、豪華客船をモチーフとした水上マンションを林立させていく。

 さらに観光事業も開始し、富裕層向けのラグジュアリーなツアーの販売を始めた。病気が治り、アンチエイジングにも効果的だということが知れ渡ると、貴族や裕福な商人はこぞってやってくるようになる。そしてその美しい景観、未来的な設備、聖水風呂の圧倒的な効果に感動し、リピーターとして予約待ちが連なるまでになっていた。

 そんな順風満帆な発展に、オディールは満を持してミラーナに切り出す。

「そろそろ、モビル・アーツ……、作ろうよ」

 オディールはモジモジしながらミラーナを上目づかいに見た。

「え? あの、人型何とか兵器?」

「人型機動兵器だよ! ローレンスが来た時も今のゴーレムじゃ対抗できなかったしさ、そろそろ防衛も考えないと」

 オディールはここぞとばかりに設計図を広げてアピールする。

「ああ、そうね……。でも、ちょっと(いか)つすぎ? セント・フローレスティーナっぽくデザインは変更させてもらうわよ?」

「えっ!? デ、デザイン変更って……?」

「セント・フローレスティーナは花の都よ? 花に似合うデザインじゃないと……」

 ミラーナはそう言いながら楽しそうにモビル・アーツの肩当と盾に花の絵を描き加えていく。

「は、花……?」

 オディールは泣きそうな顔をしながらミラーナの筆先を眺める。

「ほぅら、こっちの方がいいわ!」

 ミラーナは満足げにニッコリと笑った。

「あ、そ、そうだねぇ……」

 オディールは作り笑いを浮かべ、力なくうなずいた。


       ◇


 全長十八メートルになる巨大ゴーレムはブーツだけでも四メートル近い。二人は広い空き地を作り、そこで作業を始めた。

 ミラーナは土魔法で基本的な形をにょきにょきと生やし、そこに設計図に合わせて関節の部品や外装パーツを付けていく。

 作ったパーツは完成した時の位置に合わせて地面に並べていった。ミラーナの手際の良さもあり、夕方には全部のパーツが完成して並び終える。

 おぉぉぉ……。

 異世界で初めて見たメカメカしい光景に、オディールは感動でプルプルと震えていた。巨大ブーツにいかつい肩当、そして鋭いスパイク付きの美しい兜……。子供の頃、飽きることなく愛でていたプラモデルのあいつが今、等身大サイズで大地に配置されている。それはオディールにとってまさに夢の実現だった。

「イエス、イエス!」

 オディールは目を見開き、興奮して腕をブンブンと振った。

「こんなのでいいかしら? 後はこれを組んで行けばいい?」

 ミラーナは少し疲れた顔でオディールを見る。

「ちょっと待って、最終チェーック!」

 オディールはメジャーを持って各パーツのサイズを測っていく。その目はいつになく真剣だった。

「オディはなんでこんなのが好きなのかしら……?」

 ミラーナはそんな生き生きとしたオディールを見ながら、首をかしげる。

「あっ! ここ五ミリ長いよ!」

 オディールはブーツのサイズを測りながらミラーナを見た。

「えー……。こんな何メートルもある物、五ミリなんて誤差だわよ!」

「ふっ、認めたくないものだな。長さゆえの過ちというものを……」

 オディールは変なポーズを取りながらカッコつけて言う。

「……。オディ、大丈夫? さっきから変よ?」

「勝利の栄光を君に! なーんちゃって、きゃははは!」

 オディールは意味不明なことを口走りながら浮かれていた。


         ◇


 翌朝、オディールはヴォルフラムやトニオも連れてくる。

 たくさん並ぶパーツは朝露に濡れ、日の光を浴びて輝いていた。

「おぉぉぉぉ……。美しい……」

 夢にまで見たモビル・アーツが今まさに誕生を待っていることに、オディールの心は舞い上がり、高揚感に包まれる。

「オディールさん、一体これは何なんすか?」

 トニオは訳わからないパーツがずらりと並んだ様子を見て、首をかしげる。

「人型機動兵器モビル・アーツだよ。美しいと思わないかね?」

 オディールはドヤ顔でパシパシと巨大なブーツを叩いた。

「はぁ……、ゴテゴテしててよく分からないっす」

 オディールはトニオをジト目で見るとポンポンと肩を叩き、ため息をつく。

「気に入ったぞ、小僧。それだけハッキリものを言うとはな。まあいい、組み立てを始めよう!」

 何かになり切ってノリノリのオディールを見ながら、トニオとヴォルフラムは顔を見合わせ、首をかしげる。

 二人の作業は何トンもあるパーツを持ち上げて隣のパーツと組み合わせること。二人はやぐらを組み立てて滑車を降ろし、まずは膝関節を組付けていく。

「オーライ、オーライ! うーん、あと二センチ!」

 オディールは横から位置決めをして、力を合わせ、超重量のパーツ同士を組み合わせていく。

「オーライ、オーライ、ハーイ、OK! ミラーナ、固定して!」

「はいはい……」

 ミラーナは呪文を唱え、関節のカバーを生やし、覆っていく。

 そんな作業を繰り返し、昼過ぎにはすべての組付けが終わった。

 可憐な花々が咲き誇る大地に横たわる等身大モビル・アーツ。それは近未来から訪れたかのような異次元の存在感を放っていた。

 やぐらに登ったオディールは横たわるモビル・アーツを眺め、その重厚感のある機械的な美にうっとりとしながら震えていた。
 昼休みの後、いよいよ魂を入れていく。全長十八メートルの巨大構造物に果たして魂など宿るのか? その答えは誰も知らなかった。何しろこの世界の魔法の最高峰、王都の魔塔の魔術師たちであってもそんなことやったことも無かったのだ。

 ミラーナは目をつぶると大きく息をつき、モビル・アーツの太さ四十センチはあろうかという人差し指に手を当て、イメージを固めていく。この十八メートルの巨体の隅々に至るまで活用するイメージを土魔法の文脈で整理して、呪文の形に変容させていった。それは彼女が土魔法を修練し尽くしたからこそ可能な高度な技術の発露である。

「オディ、行くわよ?」

 ミラーナはイメージを保持したままボソッと言った。

「OK! そーれっ!」

 オディールはミラーナの背中に手を当て、魔力をミラーナへと流し込んでいく。

 ミラーナはぶわっと黄金色に輝き、その手からほとばしった黄金の光はモビル・アーツへと流れ込んでいった。

 しかし、十八メートルの巨体にはなかなか行き渡らない。うすぼんやりと光るもののすぐに消えてしまう。

「足りない……? パワーアップ!」

 オディールは魔力の湧き上がる下腹部に気合を入れると一段ギアを上げ、さらに強烈な魔力をミラーナに渡していく。

 くぅぅぅ……。

 激しく光り輝くミラーナは目をギュッとつぶり、苦しげな声を出した。額には脂汗が浮かんでいる。

 このままではダメだと悟ったミラーナは叫ぶ。

「オディ! もっと!」

「えっ!? でも……」

 すでに莫大な魔力がミラーナに注がれ、激しい輝きを上げている。これ以上の魔力の注入は下手をしたらミラーナの命に関わるかもしれない。

「いいから早く!」

 ミラーナは有無を言わせぬ気迫で叫んだ。

 オディールは大きく深呼吸をすると覚悟を決め、下腹部に渾身(こんしん)の力をこめていく。

 ぶわっとオディールの身体も激しい黄金の光に包まれ、かつてないほどの魔力の奔流がミラーナを貫いた。それはまるで地上に太陽が現れたような激しい光の洪水だった。

 ぐわっ! ひぃっ!

 かたわらで見ていたトニオたちがあまりの眩しさに顔を覆って後ずさりする。

 直後、モビル・アーツの全身も光に覆われ、ズンという衝撃と共に、辺り一面を覆う強烈な閃光が空も地も包み込んだ。

 うはっ! くぅ……。

 舞い上がる土煙。

 ミラーナは顔を覆いながら薄目を開け、叫んだ。

「起きるのよ! フローレスナイト!」

 直後、土煙の向こうで多角形の目がまばゆい黄金の光を放つ。

 ギュィィィィン!

 電子音があたりに響き渡り、ゆっくりとモビル・アーツ【フローレスナイト】は体を起こし始めた。

 「こいつ、動くぞ!」

 恐る恐る様子をうかがっていたトニオは目を真ん丸に見開いて叫ぶ。まさか本当にビルみたいな大きさのゴーレムが動くとは思っていなかったのだ。

 フローレスナイトは身体をむっくりと起こすと、地響きをたてながらブーツに力を込め、立ち上がる。

 身長十八メートル、もうもうと立ちこめる土煙の中で高層ビルのような壮麗な巨体は強烈な存在感を放った。

 ぐぉぉぉぉぉ!

 フローレスナイトは空を見上げ、高々と両腕を掲げると重低音の雄たけびを上げた。

「おぉぉぉぉ……」「あわわわ……」

 オディールとミラーナは腹の奥底に響く気迫に圧倒され、思わず後ずさる。

「ひぃぃぃ……」「うわぁぁ……」

 トニオとヴォルフラムは恐怖に包まれ、抱き合いながら震えていた。こんなものが襲い掛かってきたら一瞬でミンチにされてしまうのだ。二人とも冷や汗を流しながら息をのむ。それだけフローレスナイトの放つエネルギッシュな気迫は桁外れだった。

 ミラーナは大きく息をつくと鋭い視線をフローレスナイトに向け、指さして叫ぶ。

「直れ!」

 その毅然(きぜん)とした態度にみんな驚き、どうなるのか固唾を飲んで見守った。

 すると、フローレスナイトはギュィィィィンと電子音を響かせながら身体を下ろし、ミラーナにひざまずく。

「おぉぉぉ」「すごい!」「やった!」

 フローレスナイトはゆっくりと手を伸ばし、極太の人差し指をミラーナの前に差し出した。

「うん、いい子ね。よしよし」

 ミラーナはニッコリと笑いながら太い人差し指をさする。

 グォォォォ。

 フローレスナイトは嬉しそうにのどを鳴らした。

「あなたは私と、このオディの命令を聞くこと。いいね、分かった?」

 ミラーナは小首をかしげながらフローレスナイトの光る眼を鋭い視線で貫く。

 グォッ!

 うなずくフローレスナイト。

「よーし、いい子だ」

 ミラーナは嬉しそうに微笑むと何か呪文を唱えながら人差し指にチュッと軽くキスをした。

 刹那、フローレスナイトはぶわっと全身が輝き、ウォォォ! と、嬉しそうな雄たけびを上げる。

 かくして前代未聞の巨大ゴーレムは魂を宿し、セント・フローレスティーナの大いなる守護神として仲間に加わったのだ。

 夢にまで見たモビル・アーツが今、生き物のように動いている。それはオディールの原風景の大切な一ページの具現化であり、まさに夢の実現であった。

 YES! YES!

 オディールは両手を空へと突き上げて叫ぶ。子供の頃、一生懸命プラモデルとして組み立てていたあいつが今、ここで等身大の生を受けた。それはオディールの心に限りない輝きを放つ。

「ねぇ乗せて!」

 オディールは目をキラキラと輝かせながらフローレスナイトに頼む。

 フローレスナイトはうなずき、オディールの前に手を広げた。手のひらに乗れということらしい。

「一緒に乗ろ!」

 オディールは躊躇(ちゅうちょ)するミラーナの手を引いて乗り、フローレスナイトは立ち上がった。

「うわぁ!」「ひぃ!」

 まるでエレベーターに乗ったように、一気にビルの五階に相当する高さにまで引き上げられ、はるか下の方に小さくなったヴォルフラム達が見える。

 二人はさすがに足がすくんだ。

 胸の所のコクピットのキャノピーがゴリゴリゴリと音をたてながら開き、手のひらはその前で止まった。しかし、キャノピーと手のひらとの間には大きな隙間があり、落ちたら即死しそうである。

「え? ここから跳び乗れって?」

 オディールはミラーナを見る。

「オディの設計でしょ?」

 ミラーナはちょっと不機嫌そうに答えた。

「そ、そうだったね……。オディール、行きまーす!」

 オディールは意を決してピョンと跳んでコクピットに飛び込む。

「ふぅ……。セーフ。ちょっと手すりとかが要るなぁ」

 オディールは渋い顔をしながらミラーナに手を差し伸べる。

「どこにどうつけるか考えてね?」

 ミラーナはそう言いながらおっかなびっくり、オディールに引かれるままにコクピットに乗り込む。

 トニオとヴォルフラムはその危険な搭乗風景をハラハラしながら見守っていた。

 のどかな花畑にはそぐわない近未来的なフォルムの巨大ゴーレムに二人の美少女が乗り込む。その現実離れした光景に言葉を失い、ポカンと口を開けるばかりだった。

オディールはコクピットの座席に座り、辺りを一望する。セントラルや豪華客船のような居住棟群が並ぶ湖はキラキラと日の光に輝き、右手には花畑の向こうにロッソがたたずんでいる。

 おぉぉぉぉ……。

 素晴らしい見晴らし、巨体がもたらすずっしりとした安定感に嬉しくなったオディールは後ろを見上げた。

 そこには兜の中で多角形の目が黄金に光り輝いている。子供の頃、プラモデルを手に持って、空想の世界の中で一緒に遊んだモビル・アーツ。今、自分はそれに搭乗しているのだ。

「くふぅ、やった、やったぞ!」

 オディールは何度もガッツポーズを見せ、叫ぶ。異世界に来て一つ夢をかなえたオディールは有頂天だった。

「よーし、フローレスナイト! 前進だ、シュッパーツ!」

 グォッ!

 ズーン! ズーン! と、派手に地響きを響かせながらフローレスナイトは花畑の中を歩き始める。

 一歩で五メートルほど進むフローレスナイトは、綺麗なフォームで愚直にまっすぐに歩いていった。

「おぉ! 卵とは違うのだよ、卵とは!」

 興奮したオディールは思わず叫ぶ。

 ただ、コクピットの中は結構揺れる。

「乗り心地は……いまいちよね……」

 ミラーナは座席のひじ掛けにしがみつきながら渋い顔でオディールを見た。

「ま、まあ、馬に乗ったようなものだよ」

 オディールはひきつった笑顔で答える。何しろ乗り心地なんて全く考慮していなかったのだ。


 畑の方を見ると、農作業をしていた人たちが集まって大騒ぎになっている。いきなりこんな巨大な機動兵器が現れたのだ。驚くのも無理はない。

 オディールはキャノピーを開くと、みんなに手を振った。

 するとフローレスナイトも真似して、大きな手をゆっくりと振る。

 その様子を見たみんなは一瞬どういうことか戸惑ったものの、すぐに大きな歓声を上げて手を振り返してきた。

 うぉぉぉぉ! うわぁぁ!

 キラキラと光る湖を背景に花畑を行く近未来的な巨大機動兵器。その圧倒的な存在感は、見ていたみんなには新時代の守護神の降臨に映ったのだ。

 喜ぶみんなを見ながら、フローレスナイト作りは正解だったとオディールはグッとこぶしを握り、ニヤッと笑った。新たな世界を提案していく花の都セント・フローレスティーナにはこういうアイコンが必要なのだ。

 オディールは立ち上がり、天高くこぶしを突き上げる。

「セント・フローレスティーナに栄光あれ!」

 おぉぉぉ!

 みんなも真似してこぶしを高くつき上げ、畑には歓声が響き渡った。

 ミラーナは嬉しそうにはしゃぐオディールをやさしい目で見つめる。オディールがずっと欲しがっていたものの魅力を少し分かったようだった。


 と、その時、湖の方からボーッボーッ! と警笛が響いてきた。振り返ると二(そう)の船が異常接近している。

 どうやら運河から出てきた貨物船とセントラルへ向かう旅客船が、同じ方向に避けあってしまって衝突コースに乗ってしまったようである。

「あっ! 危ない!」

 直後、激しい衝撃音が響き渡り、旅客船は貨物船のどてっぱらに突き刺さってしまった。旅客船の方は舳先(へさき)が壊れ浸水してしまっている。

「あわわわ……。助けに行かなきゃ! フローレスナイト、GO!」

 グォッ!

 オディールたちは急いで救助に向かった。


       ◇


 時をさかのぼること六時間――――。

 往年の剣聖【ケーニッヒ】はセント・フローレスティーナで開始された湯治ツアーのうわさを聞きつけ、ハーグルンドの港から船に乗った。
 ケーニッヒは【剣聖】のスキルを持つ凄腕剣士として、多くの上級魔物を斬り裂いて街を守り、武闘会では優勝し、その名を大陸にとどろかせていた。しかし、四十歳を機に現役を引退し、今ではのんびりと余生を送っている。

 体力の衰えもあるが、過去の多くの戦闘で負った古傷が加齢と共にうずくようになり、とても戦闘できる状態になかったのだ。

 船に乗ること半日、カーキ色のショートマントにハンチング帽をかぶった長い黒髪姿のケーニッヒはついにセント・フローレスティーナの全貌を目にする。

「はぁーー、なんじゃこりゃぁ……!? 造った奴はどえらい阿呆(あほう)だな、はっはっは」

 砂漠のど真ん中に花畑に囲まれた湖があって、豪華客船のようなビル群が林立し、船が多く行きかっている。それはとても現実とは思えない想像を絶する桃源郷に見えた。

 と、その時、警笛が鳴り響く。

 見ると貨物船がこっちに突っ込んでくるではないか。

「皆さん! うずくまって何かにつかまり、衝撃に備えて下さーい!」

 アテンダントは青い顔をして絶叫した。

 船長は一生懸命に舵を切るが、もはや手遅れに見える。

 キャーー! ひぃぃぃ!

 悲痛な叫びが響き渡った直後、激しい衝撃が船を襲い、乗客はあちこちに身体を打ちつけた。

 ぐはぁ! ゴフッ!

 うめき声が響き、嫌な静けさが船内に流れる。

 顔を上げると、舳先(へさき)が壊れ、水が船内に入り込み始めている。

「これはマズい……」

 ケーニッヒは顔をしかめた。乗客には高齢者も多い。このままでは多くの人が水に沈んでしまう。残念ながら【剣聖】スキルは人助けには向いていない。自分が助けられるとしても一人二人が限界だろう。

 その時だった。

 ズシーン! ズシーン! と、地響きが聞こえてくる。何かと思って振り返ったケーニッヒは目を疑った。そこには見たことも聞いたこともない超巨大なナニカが土手を走っていたのだ。

 大騒ぎしていた乗客たちはその巨大なロボットに度肝を抜かれ、言葉を失う。

 大きさもさることながら、厳つくメカメカしい未来的なフォルムにみんな釘付けとなった。この世界ではゴシック様式の直線を基本としたデザインが至高とされてきたが、このロボットは流れるような流線型を巧みに生かして力強い機能美を実現している。まるで異世界からやってきたようなその圧倒的な造形はみんなの心をグッと掴んだ。

 すると、その巨大ロボットは湖に進み、ジャバジャバと水しぶきを上げながら近づいて来るではないか。

「みなさーん、今助けまーす!」

 胸のところに乗っている金髪の少女が手を振りながら叫んでいる。

 ここにきてようやくみんな、このロボットが乗り物だということに気が付いた。しかし、こんな巨大なロボットは見たことも聞いたこともない。トゲのような装飾をつけた兜の中では多角形の目が黄金色に輝き、自分たちを見つめている。表情もないその巨大ロボットの視線にみんな戸惑いの表情を浮かべた。

 ロボットは船を両手でつかむとゆっくり持ち上げる。

 おぉぉぉ……。うわぁぁ……。

 船内にどよめきが広がり、足元に迫っていた水はザザー! と、音をたてながら船外へ流れ落ちていく。

 ロボットは船を持ち上げたまま丁寧に一歩一歩湖を進み、岸辺までくると、土手の上にそっと船をおろす。

 こうして無事、全員が救助された。沈没必至の大事故はこうしてロボットのファインプレーで事なきを得たのだった。

「事故に遭わせてしまってごめんなさい。皆さん無事ですかね?」

 少女は唖然として言葉を失っている乗客たちを見回し、うなずくと、あとを船長に任せて立ち去っていく。

 ズシーン、ズシーンと、地響きをたてながら巨大ロボットは花畑の丘の向こうへと消えていった。

 乗客たちは一体何を見たのかよく分からないまま、お互い顔を見合わせ、首をひねる。

 ケーニッヒはとんでもないものを見てしまったことに心がザワついていた。もちろんダンジョンでゴーレムと戦ったこともあったが、大きさは精々数メートルだった。あんな見上げるほどのサイズではない。

『もし、あれが敵として出てきたら自分は勝てるのだろうか?』ケーニッヒは腕を組み、うなった。しかし、何度シミュレーションしても勝ち筋は見えない。たとえ全盛期の自分だったとしても難敵と言わざるを得なかった。

 ケーニッヒは大きくため息をついて首を振る。湖の中の巨大構造物にしてもロボットにしても、ここは尋常ならざるところだとケーニッヒはギュッとこぶしを握った。

          ◇

 その後、代わりの船で運ばれ、セントラルの十階に作られたホテルにチェックインしたケーニッヒは、早速聖水風呂に浸かってみる。

 それはちょうどいい湯加減でじんわりと古傷を温めた。

「ふぅ、いい湯加減だ……。続いてこれを……」

 配られた聖水の瓶を開けて一気に飲み干す。スパイスの効いたハーブティーのようなピリッとした刺激がブワッと口の中に広がった。

 刹那、全身に熱いエネルギーがみなぎり、古傷が激しく痛みだす。

「ぐわぁ! な、なんだこれは……」

 あまりの痛みに悶絶(もんぜつ)していたケーニッヒだったが、直後、痛みは快感へと変わっていく。

 おぉ、おぉぉぉぉ……。

 目の前をビカビカする極彩色の幾何学模様がグルグルと(うごめ)き、快感の絶頂へと昇り詰めていく。やがて、まるで母の胎内へ帰っていくような圧倒的な安らぎがやってくる。

 それは全身の細胞が全部作り替えられていくような、生命の根源へ回帰する衝撃的な体験だった。グルングルンと目が回り、ケーニッヒは意識が遠くなっていく。

 う?

 気がつくと辺りはうす暗くなり、目の前でロッソが真っ赤に萌えている。もう夕暮れになっていたのだ。いつの間にか数時間が経っていたらしい。

 ザバッと立ち上がってみて驚いた。身体が軽いのだ。

「おぉ、こ、これは……」

 ケーニッヒは隅に置いてあった掃除用ブラシを取ると、クルクルッと木の()だけにし、ヒュンヒュンとふりまわす。

 うん。

 そう言って軽くピョンピョンと跳んだケーニッヒは、基本の剣技の型を繰り出した。

「三の型、鳳凰!」

 肩を前に出し、剣先を斜め下にした構えから、ヒュンと手首を返しつつ眼にもとまらぬ速さの斬撃、そして間髪入れずに今度はステップを生かして斜め下から斬り上げる。

 ブゥン!

 刹那、木の柄はまるでライトサーベルのように青く輝き、衝撃波が宙を舞った。

 キィン。

 金属がはじけたような音がして、御影石の手すりが割れ、飛び散る。

 痛みもなく、スムーズに繰り出せた斬撃はまるで全盛期のような鋭さを放ち、それに【剣聖】のスキルが呼応したのだ。

 お、おぉ……。

 ケーニッヒは驚き、呆然としながら木の柄を眺める。まさかまた【剣聖】スキルを使えるようになるとは思ってもみなかったのだ。

『俺の人生はまだ終わっていなかった……』

 現役を引退し、日に日に衰えていく身体は残酷な現実としてケーニッヒの心まで蝕み、酒の手放せない暮らしとなってしまっていた。そんな中で(わら)をもつかむ思いでやってきたセント・フローレスティーナ。それは大正解だった。この奇跡にケーニッヒの心は震え、ギュッと木の柄を握り締める。

 知らぬ間にケーニッヒのほほを涙が伝った。

「ここに来て……よかった……」

 ケーニッヒは星の瞬きだした群青色の天を仰ぎ、この素晴らしい花の街に対する限りない感謝の気持ちに包まれていく。

「新しい人生をありがとう……」

 ケーニッヒは涙をぬぐうとロッソに手を合わせた。

 ディナーでは花のピザなどのセント・フローレスティーナの名物料理が次々と出てきた。どれも見たこともない独創的な料理であったが、花をふんだんに使った大胆な構成ながら繊細な味付け、上質な盛り付けにケーニッヒは感嘆した。花びらのほろ苦さはいいアクセントになってグッと料理を引き立てていたし、何よりも見た目が今まで食べたどんな料理より華やかだった。

「お茶をどうぞ……」

 まだ若いウェイトレスが慣れた手つきで紅茶を注いでくれる。

「あ、ありがとう。美味しかったよ」

「うふふ、そうですか、良かったです」

 少女はブラウンの瞳を嬉しそうに輝かせてほほ笑んだ。

「あ、そうだ。風呂場の手すりを壊しちゃったんだ……。弁償するので見てもらえないかな?」

 ケーニッヒは申し訳なさそうに少女を見た。

「あー、手すりですね。後で直しておくので大丈夫です!」

 ニッコリと笑う少女だったが、ケーニッヒは首をかしげた。

「あ、いや、派手に壊しちゃったんだよ。そう簡単には……」

「大丈夫ですよ。だって、この建物全部私が作ったんです」

 少女は嬉しそうにほほ笑んだ。だが、ケーニッヒは何を言っているのか分からなかった。言葉通り受け取れば、この十階建ての巨大建築物を彼女が一人で作ったということだったが、そんなことあり得ないのだ。

「作ったって……、この床とか壁とか?」

「そうですよ? 柱を十メートル間隔でドンドンって生やして……」

「生やしたって……土魔法……かな? 失礼だけどあなた、スキルランクは?」

「二十を超えたあたり……ですかね?」

 さらっととんでもない数字を口にして、小首をかしげる少女にケーニッヒは絶句した。Sランクパーティで組んでいた最高級魔法使いのスキルランクは十五だった。それもアラサーでである。目の前の少女はどう見てもまだ成人もしていない。それなのにランクは二十を超えているという。本当だとしたら人類最高レベルの魔法使いなのだ。なぜこんなところでウェイトレスなどやっているのか?

 あまりのことに混乱したケーニッヒは、湧き上がってくる疑問をうまく言葉にできない。

 ピュイッピュイッ!

 ピュルルがワゴンを押してくる。

「あ、手伝ってくれるの? 偉いわね」

 少女はピュルルをなでると食べ終わった食器をワゴンに移していく。

 ピュイー!

 ゴーレムは嬉しそうに答える。

「も、もしかしてそのゴーレムも君が?」

 複雑な処理をこなす優秀なゴーレムは高いスキルランクが無いと作れない。そして、このゴーレムの態度は少女が創造者であることを表していた。

「そうですよ?」

「失礼だけど、その……、若いのにすごいね」

「うふふ、ありがとうございます。でも領主は私より若くてもっとすごいですよ」

 はぁっ?

 ケーニッヒは唖然とした。砂漠の真ん中に未来的な水の都を開いたのは子供だという。もし、それが本当だとしたらとんでもない事だ。これは時代が変わる。

 と、この時、ケーニッヒはこの少女のことを思い出した。船を助けてくれた超巨大ロボットに乗っていたもう一人の少女、その人だった。となると、あのロボットもこの娘が作ったのかもしれない。

 この砂漠の街を中心に世界がガラッと変わってしまう予感に、ケーニッヒはブルッと震えた。

「そろそろ行かないとなので……」

 少女はニコッと笑い、頭を下げると次のテーブルへと移動していった。


       ◇


 少女たちの作った不思議な街、セント・フローレスティーナ。ケーニッヒはこれをどう捉えたらいいのか分からず、夜風に当たろうとセントラルをぶらぶらと歩いた。

 下層階には飲食店やバー、雑貨屋が開いていて多くの人が行きかっている。みんな笑顔で楽しそうにしていて、ケーニッヒも自然と笑顔になってきた。

 笑顔の溢れる街、そんな今まで体験したことの無い新鮮な感覚にケーニッヒはこの街の未来が楽しみになる。何しろ貴族の圧政で不景気が蝕む既存の街では犯罪も多く、みんなピリピリとしていたのだ。

 その時、向こう側から四人の男が歩いてくる。表情にはやや緊張の色が見られ、ジャケットの中だから見えないが、脇腹の所に何かをぶら下げているようだった。そして、その足運びにはしっかりと地面を捉える訓練を受けた者独特の癖が見受けられる。

 普通の人なら気づかないレベルだったが、明らかに浮いているようにケーニッヒには見えた。

 農民がほとんどのこの街にそぐわない異様な四人組が気になって、ケーニッヒは静かにやり過ごすと後を追ってみる。

 男たちが入っていったバーを確認すると、ケーニッヒも間を開けて入り、彼らの近くのカウンターに座った。

 エールを傾けながら聞き耳を立ててみたものの、酒の味がどうの、女がどうのとつまらない話をしている。

 しばらく聞いていたが、笑いどころの分からない話で笑い、突っ込みもセンスがない。だんだん辛くなってきた。

 単なる思い過ごしだったと思ってふぅと息をつき、エールをゴクリと飲む。

 その時だった――――。

「今晩だしな。酒はこのくらいにしておこう」

 リーダー格の男が意味深なことをつぶやき、店員に会計を依頼した。

 いぶかしく思っていると、部下が決定的なことを言う。

「成功させておねーちゃんの店でパーッとやりましょう!」

「バカ! 声が大きいんだよ!」

 ケーニッヒは大きく息をつくと、軽くうなずき、エールをグイッと一気にあおった。



 その晩、オディールとミラーナは早めに眠りについた。

 二人はセントラルに近い居住棟の最上階で、ピュルルとピーリルに警護してもらいながら暮らしている。

 夜半にドガッ! ガスッ! という衝撃音が響き、二人は目を覚ました。ミラーナは慌ててオディールの部屋にやってくる。

「な、何があったの?」「さぁ? なんだろう?」

 目をこすりながら顔を見合わせる二人。

 直後、ガチャガチャという音がしてドアのカギが開けられ、誰かが入ってくる。

 開けられるはずのないドアが開けられた。

 ここに来て二人は深刻な事態に陥ったことを理解し、青い顔をして震えあがる。

 ピィッ!

 侵入者に飛びかかるピーリルであったが、あっという間に腕を斬られ、怪しい魔道具で殴られるとズン! という音とともに吹き飛ばされた。

 ぐぅぅぅ……。

 力無いうめき声をあげたピーリルは、倒れてきた食器棚の下に埋もれて動かなくなった。

 直後、寝室のドアをバンと蹴破ってリーダー格の男が入ってくる。男は黒装束に短剣を構え、無駄のない動きでオディールに迫る。

「きゃぁぁぁ!!」「ひぃぃ!」

 想定外の賊の侵入に慌てて逃げようとする二人。

「お嬢ちゃん、どこへ行こうというのかね?」

 男はいやらしい笑みを浮かべながら短剣をちらつかせ、オディールを威圧する。

「い、いやぁ……」

 逃げ道をふさがれたオディールは首を振りながら後ずさり。

 男はオディールにすっと駆け寄ると、眼にもとまらぬ速さで頭を蹴った。

 ガスッ!

 鈍い音がしてオディールは崩れ落ちる。

 続いてミラーナに迫ろうとする男だったが、オディールが朦朧(もうろう)としながらも必死になって男にしがみつく。

「ミ、ミラーナ……、逃げて……」

「邪魔すんな!」

 男はオディールの顔を蹴り上げ、オディールはもんどりうって転がった。

「きゃぁっ!!」

 慌ててドアから逃げようとするミラーナ。

 しかし、ドアの向こうには他の男がニヤけながら立っていたのだった。

「残念でしたー!」

 男はニヤッと笑うと、ミラーナのお腹を思いっきり蹴り抜き、ミラーナは吹き飛んで床に転がった。

 ぐふっ……。

 何とか立ち上がろうとするミラーナだったが、さらに男に頭を蹴られ、意識を飛ばされる。

「よーし、お仕事完了! ターゲットはこの娘だったかな?」

 リーダー格の男はオディールの金髪をむんずとつかむと乱暴に持ち上げた。鮮やかな赤い血が鼻から頬を伝い流れていく。何とか足掻(あが)きたいオディールだったが、脳震盪(のうしんとう)で体が言うことを聞かず、ただ、うつろな目で男を眺めるばかりだった。

「うんうん、違えねぇ。上玉だがまだちと青いか」

 リーダー格の男はオディールの顔をいやらしく舐めるように見る。

 その時だった、入り口の方で、ギャッ! グハッ! と悲鳴が響く。

「何だこの野郎!」

 ミラーナを制した男が短剣を取り出すと駆けていったが、すぐにゴフゥ! と悲痛な声を上げながらもんどりうって倒れた。

 リーダー格の男は息をのむ。もう何年もこの稼業をやっているが、仲間がこんな簡単に倒された事はない。それなりの腕利きを揃えて万全の態勢で来たはずだったのだ。

 男の額にはじわっと脂汗が浮かぶ。

 ふらりとケーニッヒがベッドルームに入ってくる。手にはホウキの柄を持ってゆらゆらと揺らしている。

 男は得意の短剣術で乗り切ろうとしたが、すぐにその考えが無謀であるということに気づく。ケーニッヒには全く隙が無かったのだ。その完成された所作、気迫にはどんな技も通用するイメージが持てなかった。一体どこまで鍛えたらここまでになれるのだろうか?

 男はギリッと奥歯を鳴らすとオディールをベッドに転がし、のど元に短剣を当てた。

「動くな! この娘がどうなってもいいのか?」

 フゥフゥと男の荒い息が部屋に響く。

 ケーニッヒはチラッとオディールを見る。

「私はこの街の者じゃない。その娘が誰かも知らん。ただ、乱暴するのは……いかがなものか……」

「なるほど……。そういう事なら金貨百枚出す。だから見逃してくれ。こいつは多くの人を苦しめる大悪人、正さねばならんのだ!」

 ケーニッヒは少し考える。剣聖とは言え短剣がのど元にあるうちは動けない。

「ほら、金貨だ!」

 男は巾着袋をポケットから出すとケーニッヒの足元に放った。

 慌てて巾着袋を叩き落とすケーニッヒだったが、その瞬間ボン! と、爆発音とともに激しい閃光が部屋を埋め尽くす。

 くっ!

 ケーニッヒは目をやられ、何も見えなくなった。男の巧みな戦術にやられたケーニッヒは、現役から離れていたブランクの大きさにギリッと奥歯を鳴らす。

 その隙に男はオディールを担ぐとダッシュで部屋を抜け出していく。

「くはは、逃げるが勝ち。あばよ!」

 男はオディールを担いだまま階段をダッシュで駆けおりていった。後は待たせてある船に乗って逃げるだけ。これで金貨三百枚が手に入る。それは三年は働かずに済む大金だった。

 ハッハーイ!

 任務達成の高揚感が男を包んでいく。

 だが、三階まで降りてきた時だった、薄暗がりの中、誰かが立っているのを見つけ、慌てて急停止する。

 それは目をつぶり、夜風に長髪をたなびかせている男、ケーニッヒだった。