【お天気】スキルを馬鹿にされ、追放された公爵令嬢。不毛の砂漠に雨を降らし、美少女メイドと共に甘いスローライフ~干ばつだから助けてくれって言われてももう遅い~

 脱穀したらふるいにかけ、実だけにする。パンパンに膨らんだ大粒の実は見るからにおいしそうで、見る者全ての表情をほころばせた。

「なんと立派な実じゃ!」「これをパンにしたら美味しくなるよ!」「やったぁ!」

 収穫の喜びがみんなを心地よく包み込み、幸せの息吹を運んでくる。

 次は男たちの力仕事、石臼挽きだ。ミラーナの作った巨大な岩の石臼を、男たちが総出で回して挽いていく。

「おらぁ! やったるでー!」

 トニオも気合十分で石臼についた棒を押し、回していった。

 回すたびにゴリゴリと思い音を響かせながら、石臼のヘリからは砕かれた麦がポロポロとこぼれていく。これでようやく食べられる粉となったのだ。

 こうして製粉された小麦粉は次々と袋詰めされ、積み上げられていく。大地の恵みがみんなの力で小麦粉の山へと変わっていったのだ。

 その輝くような白い粉は、パンになり、麺になり、セント・フローレスティーナの活力へと変わっていくだろう。

 次々と積み上がっていく小麦粉の袋を見ながら、住民はみな笑顔で充実感のある汗を流していた。


       ◇


 日も傾いてきたころ、無事、住民総出の収穫も終わり、いよいよ収穫祭が始まる。

 セントラルの広場では、レヴィアが真っ赤に熱した石窯を使い、次々とアツアツのピザが焼かれ、テーブルに配られていく。ピザの上にはカラフルな撫子(なでしこ)やパンジーの花びらを盛り付け、何ともおしゃれな花のピザになっていた。

 エールやリンゴ酒(シードル)の樽も次々と開けられ、みんな思い思いに好きな飲み物を手にした。

「はーい、みんなー! 注目だよー!!」

 赤毛を編み込み、紺色のジャケット姿のファニタがパンパンと手を叩きながらステージで叫ぶ。

「はい! そこ! こっち向くんだよー! ……。これより、収穫祭を始めるよー! それでは我らが領主、オディール・フローレスティーナ様よりご挨拶をいただくよ! みんなちゃんと聞いてよー!」

 ザワザワしていた会場も一気に静まり返る。

 夕焼けに真っ赤に輝くロッソをバックにオディールはステージに上がり、優雅な身のこなしで頭を下げる。白地に花模様の金の刺繍のついたドレスに身を包んだオディールは、魔法のスポットライトで明るく浮かび上がった。

 おぉ……。うわぁ……。

 農作業姿とは打って変わって、元公爵令嬢の洗練されたスタイル、身のこなしにみんなどよめいた。

 オディールは集まってくれた住民のみんなを見渡し、微笑みを浮かべる。一人一人移住時にあいさつはしているものの、こうして正装でみんなの前に立つのは初めてなのだ。

「みなさん、お疲れさまでした」

 ニコッと笑うオディール。

「お疲れさまー!」「オディールさまー!」「素敵ー!」

 会場からは熱気がほとばしる。

 オディールはそんなみんなの顔を見回し、感慨深そうに微笑む。

 数か月前までただの砂漠だったところに花が咲き誇り、街が育ち、今、幸せな笑顔を浮かべるたくさんの人々が集まっている。それはまさに奇跡だった。

 オディールは改めて自分のやってきたことは間違っていなかったのだと思いを新たにし、潤んでくる目頭をそっと押さえた。

 静まり返る会場。

 オディールは大きく息をつき、顔を上げる。

「この砂漠のど真ん中で、作物が大きく実り、食べ物が自給自足できるようになりました! これもみんなのおかげだよ! ありがとーう!」

 大きく腕を突き上げるオディール。

 うぉぉぉぉ!

 空気が震えるほどの歓声が上がる。

 オディールは両手を大きく広げ、歓声を受け止めながら会場の隅から隅までを満面の笑みで眺めていった。

 一通り見まわすと、自分は幸せものだと深く感謝しながら深々と頭を下げる。

 パチパチと万雷の拍手が会場を包んだ。

 タイミングを見計らったミラーナがリンゴ酒のグラスを持ってステージにのぼり、オディールに手渡す。

 オディールは笑顔で受け取って会場へと差し向けた。

「では、そろそろ乾杯しましょ? 今、手元に配ってる食べ物、それ、ピザって言うの。うちの畑で獲れたもので作ってるよ。お花が乗っててね、さわやかな苦みが結構癖になるんだ。これ、うちの名産品にするから食べてみて、美味しいよ! それじゃ、いくよ? カンパーイ!」

 オディールは満面の笑みでグラスを高々と掲げた。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 みんなエールのジョッキをゴツゴツとぶつけ、ゴクゴクとのどを潤していく。

「クハーーッ!」「美味い!」

 あちこちで声があがり、パチパチパチとひときわ元気な拍手がセントラルに響き渡った。

 こうして、街で最初のイベント、収穫祭は順調にスタートした。

 ただ、千人のイベントの裏方は大変である。

 ミラーナを中心としたピザ焼き部隊がフル回転で次から次へと焼いていくが、大好評で焼くそばから飛ぶように消えて行ってしまう。

「トニオ! ピザ生地まだね? 待ってるんだけど?」

 綿棒で丸く引き伸ばしているトニオにファニタが怒る。

「だってコイツ、伸ばしてもすぐ元に戻っちゃうんだよぉ」

 泣きそうになりながら力いっぱい伸ばすトニオ。

「おい、見なよ。こう回すんだよ」

 ガスパルが、指先でクルクルッとピザ生地を回し、空中でどんどん大きく伸ばしていく。

「えっ!? 何それ?」

 トニオは目を丸くして、あっという間に出来上がっていくピザ生地に唖然とする。

「お主には無理かな? カッカッカ」

 ガスパルは笑いながら二枚目を回し始めた。

「くぅっ! 俺も回してやっからよ!」

 真似してクルクルと回してみるトニオだったが、あっという間に失敗して床に落としてしまう。

「ああっ!」

「何やっとるんよ! あんた食べなさいよ!」

 ファニタがパシッと頭をはたいた。

「くぅぅぅ、もう一回!」

 トニオはもう一度指先でクルクルと回してみるが、やはりうまくいかず、ピョンと飛んで行ってしまう。

 運悪く、生地はそのままファニタの顔にぶつかり、辺りに粉が散った。

 粉だらけのファニタは怒りに震えながら鬼の形相でトニオをにらむ。

「ひっ!」

 危機を察知したトニオは一目散に逃げだそうとしたが、一瞬遅く襟元をファニタにガシッとつかまれる。

 あわわわわ……。

「『ごめんなさい』は?」

 ファニタはギロリとトニオをにらんだ。

「ピザ生地が勝手に逃げ出したんだって! 俺のせいじゃないってば!」

「生地のせいにしない!」

 パシーン!

 あひぃ!

 二人の掛け合いが広場に響き、笑いが起こった。

「おぉ、やってるやってる」「トニオ、謝れー」「もう一緒になっちゃえ!」

 やじ馬の声にファニタは怒る。

「誰がこいつと一緒になるんよ?」

「え? 結構いい物件だと思うけどなぁ」

 トニオはにやけて返す。

「いい物件はピザ生地ぶつけないの!」

 ファニタは手にした綿棒でトニオのお尻をパシッとはたく。

「いてて、暴力はんたーい! みなさんもちょっと言ってやってくださいよ!」

 トニオはおどけながら観衆にアピールする。

 ワハハハ!

 上がる笑い声。

 もはや名物となってしまった仲良くケンカする二人を、みんな笑いながら温かく見守っていた。

 結局その日は多くの酒樽が空っぽになって転がり、夜遅くまでにぎやかな声がセントラルにこだましていた。
 翌朝、ロッソのよく見えるカフェテラスで朝食をとった一行――――。

「ねぇ、今スキルランクいくつ?」

 オディールは食後のお茶をすすりながらミラーナに聞いた。

「え? 十五……かな?」

「へっ!? じゅ、十五ってSランク冒険者を超えてますよ!」

 横で聞いていたヴォルフラムはビックリして目をまん丸にする。

「だって、毎日最大出力の魔法打ちまくってるんだもの。そのくらい行くわ」

 ミラーナはちょっと得意げにヴォルフラムを見る。

 インフラの土木工事はほぼすべてミラーナがやってきたのだ。その行使した魔法量は世界でもトップクラスになっている。ただ、敵を倒しているわけではないのでレベルは低いままだが。

「じゃあ、今日はゴーレム作ろうよ、ゴーレム!」

 オディールは好奇心で目をキラキラと輝かせる。

「ふふっ、ゴーレムってこれの事かしら?」

 ミラーナはポケットから丸い石ころを出してテーブルに置いた。

 するとその丸みを帯びた石ころはちょこちょこと動き出し、ミラーナの手の上によじ登っていく。

「えっ!?」「はぁ!?」

「ハムスターゴーレムの『ハム』ちゃんよ。可愛いでしょ?」

 ミラーナは腕を登るハムを見せながらニコッと笑う。クリっとした目がついていて、黄金色に光っている。

「す、すごいね。もうやってたんだ」

「だって、オディがハムスターも作れるって言うから練習してたのよ」

 ミラーナはオディールの腕にハムを乗せた。

「うわぁ……、良くできてる……」

 石でできたハムはクリっとした目を輝かせ、小首をかしげてオディールを見上げている。

 オディールはハムを手のひらに乗せると、すべすべしたハムの頭をなで、嬉しそうに微笑んだ。

「ここまでできてたらワーカーゴーレムもできるね」

「ワーカーゴーレム?」

 首をかしげるミラーナ。

「こういうのだよ、農作業や力仕事をやってもらおうかと思って」

 オディールは設計図を出して広げた。

 そこにはいかつい装甲で異彩を放つ人型機動兵器モビル・アーツのスケッチや、手足のパーツの概要が細かく書かれている。

「……。何……? これ……?」

 ミラーナは眉をひそめて渋い顔をする。

「モビル・アーツだよ。ほらこの(かぶと)のような装飾、カッコいいでしょ?」

「……。もっと可愛いのがいいわ」

「えっ。いや、これにはロマンが……」

「なんかこう丸っこいのがいいの」

 ミラーナは口をとがらせて頑固に譲らない。

 いや……、えぇっ。

 オディールは凍り付く。夢の等身大モビル・アーツの計画が根底から否定されてしまったのだ。堂々とした巨大なブーツから伸びる精悍な脚、無機質な胸部に強靭な肩。これらが生物のように力強く大地を駆け抜ける、そんな情景を思い描いていたオディールは言葉を失った。

「こういうのがいいのよ……」

 ミラーナはそう言いながら紙に卵のような図形をかいて手足を生やし、丸い目玉を描いた。

「卵……」

 オディールは言葉に詰まる。人型機動兵器モビル・アーツを作るはずが、このままだとハンプティダンプティみたいなファンタジーな妖精になってしまう。

「きっとこういう可愛い子の方が人気出るわよ」

 ニッコリと笑いながらさらに違うバージョンの卵を描いていくミラーナ。

 その嬉しそうな姿にオディールは何も言えなくなってしまう。やはり異世界の少女にモビル・アーツの魅力なんてわかるはずもなかったのだ。

 すっかりしょげ返ってしまったオディールを見たミラーナは、焦った様子で言う。

「あ、そのうちにこのモビル何とかも作るわよ。でも、最初は卵で行きましょうよ」

 重いため息と共にオディールは静かにうなずいた。


       ◇


 その後二人で、熱い議論を交わしながら、ときに微笑みを交えて、卵型ゴーレムの設計をじっくりと詰め上げていった。

 スピードを求めれば車輪が必要だが、車輪だと階段は登れない。となると脚と車輪のハイブリッドが答えだろうが、卵の下部に両方はなかなかうまく収まらない。

「二輪は止めて一輪にしようか?」

 オディールはシュッシュと卵の下の方にタイヤを埋め込んだ絵を描いた。

「えっ! 倒れないかしら?」

「一輪車に乗ってる人もいるじゃん? そこは賢く頑張ってもらって……。それで脚はこう!」

 そう言いながら長い腕を四本描いた。

「え? 腕……なの?」

「普段は車輪で動いて、階段などは下側の腕でゴリラみたいに歩くんだよ。どう?」

 そう言いながら、可愛いクリっとした目を描き加えるオディール。

 その、ぬいぐるみのような愛らしさにミラーナは嬉しそうに微笑む。

「あら可愛い! モビル何とかよりこっちの方がずっといいわよ」

「そ、そうかもね……」

 オディールは死んだ魚のような目で力なく答えた。
 オディールはジャラジャラと綺麗な小石をマジックバッグから出し、テーブルに広げた。

「さて、コアとなる石はどれがいい?」

 ゴーレムは輝石を核にしてボディを作り上げる。石の色や硬さはそのままボディに反映させるので石選びは重要だった。

「うーん、この色が上品で綺麗かも? これにするわ!」

 ミラーナは淡いクリーム色の石を取り上げる。それは瑪瑙(めのう)のように半透明でしっとりと上質な美しさを放っていた。

「あぁ、素敵だね。卵型に合いそうだ」

「ふふっ、いい子に創らないとね」

 ミラーナは微笑みながら、輝石を丁寧になでる。その指先には愛情が溢れていた。


         ◇


 ミラーナは土魔法をつかって140cmくらいの卵のボディを創り出す。淡いクリーム色の半透明のボディは窓からの日差しを浴びて、しっとりと艶やかに輝いた。

「おぉ! まるで宝石みたいだね!」

 ボディへと頬を寄せ、その表面を優しくなでるオディールの瞳は好奇心でキラキラしている。

「思ったより……、綺麗にできたわ」

 はぁはぁと肩で息をしながらミラーナは優しくボディをなでた。

 続いて手を生やす。素材は白い粘土で、下側の腕は足にもなるので太く丈夫にした。

 最後に大きな車輪を作り、卵のボディに埋めこんでいく。

 これで身体の出来上がり。後は魂を込めるだけである。

 ミラーナは卵のボディに手を当てて、目をつぶり、イメージを固めていく。

 石の塊が一つの生き物としてある種の命を帯びてゴーレムとして生を受ける。それはある意味神の領域に近い創造の力だった。土魔法使いでもそんなことができる人はごく一部だろう。そんな神に近い神聖な儀式がいよいよ始まる。

 室内には静かな緊張が走り、オディールはゴクリと唾をのんだ。

 ミラーナは首をグルグルと回し、一旦緊張をほぐすと両手をボディに添える。

「じゃあ、いくわよ……」

 ブツブツと呪文を詠唱し、徐々にミラーナの身体が黄金色の光を帯びていく。それに合わせてオディールは魔力を注入していった。

 直後、卵のボディが黄金色の光を放ち、ぶわっと輝く微粒子が全身から立ち上っていく。

 光はどんどんと輝きを増し、最後に激しい閃光と共にズン! という爆発音を放った。

 キャァ! うわぁ!

 思わずしりもちをついて転がる二人。その予想外の激しい反応に何が起こったかさっぱり分からず二人は混乱してしまう。

「何だこりゃ! いてて……。大丈夫?」

 もうもうと上がる煙の中をオディールはミラーナの手を取ってそっと引き起こす。

 ミラーナはせき込みながら静かにうなずいた。

 窓とドアを開け、煙を追い出していくが、ゴーレムはピクリともせず床にそのまま転がっている。

「……。失敗……、かな?」

 オディールは、渋い顔でミラーナを見る。ミラーナは理由が分からず眉をひそめ、首をかしげていた。

「ハムちゃんと同じ手順なのよ? なんで爆発したのかしら……?」

 その時だった。

 キュィィィーーン……。

 不気味な高周波音が部屋に響き渡ると、ゴーレムの丸い目がいきなり黄金色に閃光を放ち、輝いた。

 あれ……? へ……?

 直後、車輪がキュルキュルキュルと高速回転したかと思うと、ガバっと起き上がるゴーレム。

 キュイッ、キュイッ!

 黄金色の目を明滅させながら何かを語りかけてくるゴーレムだったが、刹那、急発進して二人の方に突っ込んできた。

「うわぁ!」「きゃぁぁぁ!!」

 慌てて逃げる二人をかすめ、ゴーレムはそのまま棚に突っ込んだ。載っていたものを吹き飛ばし、自分もゴロゴロと転がっていく。

 キュイッ、キュイーーーーッ!

 ゴーレムは再度車輪を高速回転させガバっと起き上がると、また二人に向けて突っ込んでくる。

「止めて止めて!」「ダメ! 止まらないわ!」

 二人は部屋から逃げ出し、慌ててドアを閉めた。

 ズーン!

 ゴーレムはドア脇の壁に激突し、激しい衝撃音が響き渡る。

 あわわ……。

 細かいチリが天井の方からパラパラと降ってくる中、二人は青ざめた顔を見合わせ、とんでもない事になってしまったことに途方に暮れた。

「た、大変なことになっちゃった……」「なんでいうこと聞かないのかしら……」

 しばらく部屋の中ではゴーレムが家具を壊し、椅子を吹き飛ばし、ものすごい音をたてながら大暴れしつづける。

「おいおい、何やっとるんじゃ?」

 騒動に気づいたレヴィアがバタバタと走ってやってくる。

「ゴーレムが言うこと聞かないんだよぉ」

 オディールは口をとがらせ、部屋の窓を指さした。

 レヴィアは窓から暴れるゴーレムを覗く。

「ふむ、こりゃ酷いな……。あ奴の名前は?」

「名前……? これからつけようと思ってたから、まだ……」

 ミラーナは泣きそうな顔で答える。

「名前がないと暴れる奴がいると聞いたことがあるぞ」

「な、名前……」

 口をキュッと結んだミラーナは、眉をひそめてしばらく何かを考える。

「私、行ってくる!」

 ミラーナは大きく息をつくとドアを開け、部屋に入っていった。

「あっ! 危ないよミラーナ!」

 慌てて追いかけるオディール。

 ゴーレムは二人を見つけると、まるで怒り狂った牛のように猛然と突っ込んでくる。キュルキュルと車輪が高速回転する音が部屋中に響き渡った。

 ミラーナは高速に明滅する黄金色の眼を見据えると、両手をゴーレムの方へ向け呪文を唱える。

「危ない! 避けるんじゃ!」

 レヴィアの叫び声が響いたが、ミラーナはゴーレムをまっすぐに見すえたまま、最後まで詠唱しきった。
「土精霊に愛されし(しもべ)よ、(なんじ)の名は【キュルル】。我が力となれ!」

 刹那、ゴーレムは(まぶ)しく黄金色に輝き、部屋は目も開けられないほどの光であふれた。

 ズン!

 ミラーナをかすめたゴーレムはそのまま壁に激突して、閃光を放ちながらゴロゴロと転がっていく。

 一同は固唾を飲んで徐々に輝きが収まっていく卵型の石を見守った。

 これでダメだとどうしたらいいか分からない。ミラーナは両手を組んで泣きそうな顔で祈る。

 光が収まっていくゴーレム……。

 室内にはパラパラと何かのかけらが落ちてくるかすかな音が響く。

 直後、目が金色にキラっと輝いた。

 キュイッ、キュイッ!

 卵型ゴーレム【キュルル】は、鳴き声を立てると静かに立ち上がり、腕を使って器用にくるりと回ってミラーナを見つめた。

「キュルル、おいで」

 ミラーナはニッコリと笑うとそっと手を伸ばす。

 そろそろとミラーナの前まで来たキュルルは、下側の腕をついてミラーナに(かしず)くと、左手を胸に、右手をうやうやしくミラーナに差し出した。

 ふぅっと大きく息をついたミラーナは、ニッコリと笑いながら柔らかく白いキュルルの手を取る。

「最初から名付けておけば良かったわね。ごめんね」

 そう謝るミラーナに、キュルルは『キュイィィィ』と申し訳なさそうに鳴いた。

「良かった! 成功だ!」

 オディールはパチパチと手を叩きながら新たな頼もしい仲間の誕生を祝う。これから大きく成長していく街には警備などの危険な仕事や力仕事がたくさん出てくる。それをゴーレムが担当してくれるならとても助かるのだ。

 キュルルは辺りを見回すと、自分がぶちまけてしまった棚や家具を慌てて一つずつ元に戻していく。長い粘土の腕を巧みに使って器用に丁寧に戻していく様には、先ほどまでの猛牛のようなどう猛さなどかけらもなく、勤勉で繊細な働き者だった。

「お疲れ様! こいつ、自分がやったことわかってるんだね」

 オディールはミラーナの手を取り、ねぎらいながら言った。

「そうみたいね。これならいろんな仕事を頼めるかもしれないわ」

 ミラーナは甲斐甲斐しく働くクリーム色の卵型ゴーレムを見つめながら、優しく微笑んだ。


        ◇


 しばらく元気に動いていたキュルルだったが、急に動きが緩慢になり、眼の輝きが消え、『キュー……』と、いいながら止まってしまった。

「あ、あれ? 壊れちゃった?」

 オディールが恐る恐るキュルルをつついていると、レヴィアが腕を組んで言った。

「燃料切れじゃろう。このくらいのサイズのゴーレムは燃費悪いからのう」

「あ、じゃ、魔力をまた込めればいいの?」

「それじゃまたすぐ燃料切れになるぞ。魔晶石を使えばよかろう」

「魔晶石? あの、魔法のランプに入ってる……」

「そうじゃ、あれは光の魔晶石。魔晶石に込められた魔力が電池のように魔法を駆動し続けるのじゃ。ゴーレムなら土の魔晶石をボディに埋めておけばよかろう」

「おぉ! それなら動き続けられるんだね!」

 オディールはニコニコしながらレヴィアに手のひらを差し出した。

「おい……、何じゃその手は?」

 レヴィアは眉をひそめる。

「レヴィちゃんなら持ってるよね? 魔晶石」

 レヴィアはギュッと目をつぶる。

「お主、土の魔晶石は貴重なんじゃぞ? 分かっとるのか?」

「知らないけど、レヴィちゃんたくさん持ってそう」

 ニコニコと嬉しそうに言うオディール。

「土の魔晶石で大きいのとなると、それこそジャイアント・トレントとか倒さんと手に入らんのじゃ」

「あー、じゃ、今度一緒に倒しに行こう! だからそれまで貸して」

 オディールは小首をかしげてニコッと笑いながら両手を出した。

「見つけるの大変なんじゃぞ……。ふぅ、お主には敵わんな。貸すだけじゃぞ」

 レヴィアは大きくため息をつくと、空間を裂き、中から黄色に光る透明な丸い石を取り出す。

「おぉ……」「こ、これが魔晶石?」

 二人は黄色に輝く鮮やかな煌めきに思わず見とれてしまう。

「輝きが無くなったら魔力充填が必要じゃ。聖水にでも漬けておけば一晩で満タンになろう」

「え? 漬けるだけでいいの?」

「聖気とは混じりけのない純粋な魔力のこと、それがたっぷり溶け込んだロッソの上質な聖水なら漬けるだけで充填されるじゃろ」

「それはいいね! じゃあ十個くらい貸して」

 オディールはニコッと笑ってまた手を出した。

「じゅ、十個!?」

「まずは十体つくるんだよ。レヴィちゃんいっぱい持ってるでしょ? 借りるだけだからさぁ」

 レヴィアは大きくため息をつくとジト目でオディールをにらむ。

「貸すだけじゃぞ? お主もちゃんとトレント倒すんじゃぞ?」

「分かってるってぇ!」

 オディールはニコニコ笑いながらパンパンとレヴィアの肩を叩いた。

 こうしてセント・フローレスティーナには頼もしいゴーレム部隊が誕生した。休みも取らず淡々と力仕事をこなせるゴーレムは特に、物流方面で大活躍することになる。

 魔晶石でまた元気を取り戻し、健気に働くキュルルを見ながらオディールは静かにガッツポーズをした。

 その晩、セントラルのステージでゴーレムのお披露目会が開かれた。

 夕闇に浮かぶステージにトニオが軽やかに飛び乗った途端、スポットライトが彼の優しい笑顔を光り輝かせた。

「レディース、エンド、ジェントルメン! これより新しい仲間の紹介を行うっす!」

 住民は興味津々でステージの周りに集まり、また、各階の手すりから見下ろしている。

「それでは、【ピュルル】と【ピーリル】の入場っす!」

 キュルルルル!

 二体のゴーレム、クリーム色の【ピュルル】と淡いピンクの【ピーリル】の車輪が高速回転してステージの袖から登場する。ピュルルにはミラーナが、ピーリルにはオディールがお姫様抱っこされながら乗っていて、手を振りながらの入場だった。

 うぉぉぉぉ!

 予想外の可愛いゴーレムの登場にセントラルは沸いた。

 ステージに並んだ二体のゴーレムはゆっくりと二人を降ろし、観衆に大きく手を振る。

「今日から、セント・フローレスティーナには可愛い仲間が加わりました! こう見えて力持ちで、とっても賢いの」

 ミラーナがゴーレムの手を取り、会場を見回しながら紹介する。

「力仕事や、警備など、人がやるには大変なことを担当してもらうよ!」

 オディールがピーリルのピンクのボディをポンポンと叩く。

「えっ! これ、ゴーレムっすか!? こんなの王都にもないっすよ?」

「ふふーん、ゴーレム動かすには膨大な魔力が必要で、王都だと魔法使いがたくさん必要になっちゃうから気軽には使えないんだよ。でも、セント・フローレスティーナならたくさん降り注いでるからね。こんなのうちだけだよ!」

 オディールはドヤ顔でロッソを指さす。

「さすがセント・フローレスティーナ! あー、もしかして、丸太を運んだり切ってもらったりもやってもらえるって事っすか?」

 まるでテレビショッピングみたいに、わざとらしくトニオが聞いてくる。

「そうそう、希望者は一階の事務局まで! みんな、仲良くしてね!」

 オディールはみんなに手を振った。

 おぉぉぉぉ!

 頼もしい仲間の登場に盛り上がる会場。

 キャハハ! キャーー!

 可愛いゴーレムに興味津々の子供たちが、ステージにワラワラと登ってきた。

 オディールは可愛い幼女を抱き上げると愛おしそうにプニプニの頬に頬ずりをしてニコッと笑い、ピーリルに渡す。

 ピーリルは『ピィピィ!』と言いながら黄金色に輝く目を明滅させ、子供を高く掲げた。

 キャハァ!

 奇声を上げて喜ぶ幼女。

「僕も僕もーー!」「私が先ーー!」

 子供たちはピュルルとピーリルにどんどんとよじ登り始める。

『ピュルー!』『ピィーー!』

 ゴーレムたちはやや戸惑いながらも、楽しそうに子供たちを扱っていく。

 子供たちと遊ぶゴーレムたちを見まもるみんなの目には、セント・フローレスティーナが新たな局面を迎えたことへの心躍る期待が満ち溢れていた。


           ◇


 ゴーレムは十体作り、希望者に貸し出して、製粉作業や船への荷物の積み下ろしなど毎日あちこちで活躍してもらうことになった。ゴーレムは今風に言えば自律AI搭載の重機。極めて優秀で頼もしい仲間である。こうして徐々に街の経済活動も形が整い始める。

 そんな順風満帆のセント・フローレスティーナだったが、ある日、トニオがバタバタとオディールの執務室に駆け込んできた。

「た、大変っす! の、狼煙(のろし)が上がってるっす!」

 息せき切らしながら真っ青な顔をして叫ぶトニオ。

「へ? 何の?」

 おやつのクッキーをくわえながら渋い顔で書類をにらんでいたオディールは、キョトンとした顔で聞く。

「警備のゴーレムが不審者を発見したってことっすよ! 大変っすよぉ!」

 ピンと来てないオディールに業を煮やしたトニオは、腕をブンブンと振りながら叫ぶ。

 街の周りに数か所やぐらを組んでゴーレムたちに監視をさせていたのをオディールは思い出した。狼煙が上がったということは誰かがセント・フローレスティーナを目指しているということ。ヤバい相手だとしたら追い払わねばならない。

 オディールはニヤッと笑うと、甲斐甲斐しく紅茶を入れているピンクのゴーレムに声をかけた。

「ヨシ! ピーリル! 出陣だ!」

 ピュイピュイ!

 ここのところ事務処理に追われ、刺激に飢えていたオディールはこれ幸いに謎の侵入者に会いに行こうと思い立つ。

 オディールはピーリルの腕にピョンと跳び乗ると、ドアを指さした。

「レッツゴー!」

 ピュイーー!

「えっ! 一人で行くつもりっすか!? ダメっすよーー! 危ないっす!」

 領主の単独出陣など聞いたことの無いトニオは必死に制止しようとしたが、ノリノリのオディールは止められない。ピーリルは凄い勢いで部屋を飛び出し、階段を車輪のまま駆け下りて行った。

「どいてどいてーー! きゃははは!」

 右手を突き上げながら楽しそうに叫ぶオディール。

「あっ! オディール様……?」「領主様?」

 キョトンとする住民たちの間を縫い、飛ぶように石橋を渡り、ドリフトしながらセントラルを飛び出していく。

「それいけーー! きゃははは!」

 追いかけたものの到底追いつけなかったトニオは、砂煙を巻き上げながらやぐら目指して一直線に突っ走るオディールを見て絶望する。

「何すかあの娘は!? くぁぁぁ! みんなを呼ばなきゃ!」

 おてんば娘の自由奔放な行動に頭を抱えたトニオの叫びがセントラルにこだました。
 見回すと花畑の続く丘陵のかなた南方に、赤く染まった煙が澄み通った青空を背景に一筋上がっている。

「あれか! 急ぐぞ!」

 ピュイッ!

 ピーリルは狼煙めがけて快調に速度を上げていった。

 南側のエリアは未だに手付かずの花畑が広がっている。川沿いに花畑の中をガタガタと、一直線にやぐらを目指す。時には何かを踏んで高くバウンドしながらもピーリルは巧みにバランスをとって健気に疾走した。

 やぐらに近づいていくと、ラクダが見えてくる。近くには男が立っていて、赤い卵型ゴーレムが横たわっていた。

 オディールは戦慄を覚える。ゴーレムは強い。そう簡単に倒せるようなしろものではないのだ。

 砂漠を数百キロ、一人でラクダに乗ってやってきてゴーレムを倒す、男の超人的な能力にオディールは眉をひそめる。敵か味方か分からないが、可愛いゴーレムを倒されてオディールは頭に血が上った。

「あの野郎! 好きにはさせないよ!」

 オディールはギュッとこぶしを握り締めた。


         ◇


 近づいていくと、男の様子が分かってきた。白いターバンを巻いて紫色のワンピースのような民族衣装を身にまとっている。

 オディールはピーリルを止めると飛び降り、叫んだ。

「何者だ! ここはセント・フローレスティーナ。危害を加える者は容赦しないよ!」

 可愛い少女の登場に男は少し意外そうな表情を見せたが、すぐにニッコリと笑いながら胸に手を当てる。

「自分はローレンス。アバロン商会の者だ。良ければ交易をしたいと思ってはるばる砂漠を渡ってきた」

 ヘーゼル色の瞳に丁寧に整えられたひげ、アラサーぐらいだろうか、かなりのイケメンに見えた。

「交易? ならなぜ、ゴーレムを倒した?」

「あ、コイツが妨害して全く進めなくなったんでね。ちょっと寝てもらっただけだよ」

 ローレンスは魔晶石をポケットから取り出すとオディールに放り投げた。ゴーレムのポケットから魔晶石を抜き取ったのだろう。オディールは顔を歪め、簡単に取り出せるようにしておいた自分の甘さを後悔しながら魔晶石をキャッチした。

「交易は君たちにとってもメリットになるだろう。領主さんにつないでほしい」

「領主? ……。僕がその領主だと言ったら?」

 オディールはニヤッと笑った。

「はっはっは。お嬢ちゃん、これは遊びじゃないんだよ。この川の水は聖水だろ? こんな贅沢な豊かな街との交易はうちにとっては一大事業。領主さんとしっかりと話をしたいんだ」

「僕の言葉を信じられないなら帰んな」

 オディールは手で追い払うしぐさをした。

 ローレンスはピクッとほほを動かし、威勢のいいこの少女をどう扱ったものかとキュッと口を結んだ。

 にらみあう両者。

 びゅうと花畑を渡る風がローレンスの民族衣装をバタつかせる。

「ここまで砂漠を三日、どれだけ大変だったか……。そう簡単に帰れると思う?」

 ローレンスは低い声で威嚇し、懐から魔法銃のような物を出すと、銃口をオディールに向けた。

 すかさずピーリルは前に出て両手を開きオディールをかばう。

「何? 僕と勝負すんの?」

 オディールは両手を高く掲げ、ブツブツと祭詞をつぶやく。

 いきなり空にもこもこと暗雲がたちこめ、ゴロゴロと雷鳴が辺りに響きわたった。

「ふふっ、黒焦げにしてあげようか?」

 オディールは楽しそうに笑う。

「な、なんだ……?」

 ローレンスは空を見上げ、混乱した。

 暗雲を操り、(いかずち)を武器とする金髪碧眼の可愛らしい華奢な少女。その、見たことも聞いたこともないスキルに圧倒され、後ずさりする。

 これが天候を操るスキルだとしたら砂漠に大量の水があることも説明がつく。だとしたら彼女が本当に領主なのかもしれないと、ローレンスは思いなおした。

「あ、あなたが本当に領主だとしたら……、拉致して洗脳すれば全ての利権はわが手になる……わけだが……」

 ローレンスは冷汗を浮かべながら、銃の安全装置をカチャッと外した。

「ふぅん、やってみる? でも、僕に手を出して生きて帰れるかなぁ……?」

 バサッバサッ、と巨大な翼のはばたく音が近づいてくる。

 ローレンスは空を見上げ、おののいた。そこには黄金の光をまとった漆黒の巨体、伝説のドラゴンがこちらめがけものすごい速度で迫ってきていたのだ。

 お、おぉ……。

 ローレンスのほほに冷汗が伝う。

 ドラゴンはギュァァァァ! という腹に響く重低音の咆哮を放つと急降下し、ズン! と地震のように地面を揺らしながらオディールの隣に降り立つ。その巨大な真紅の瞳はローレンスを射貫くように赤く輝いた。

「どう? まだやるの?」

 オディールは腕を組み、ドヤ顔で真っ青になっているローレンスを見る。

 ローレンスは引き金を引いたが、ポン! と銃口から出てきたのは小さな花束だった。

「これはこれは龍を従える偉大なる領主様、大変に失礼をいたしました」

 ローレンスはひざまずき、花束をうやうやしくオディールに捧げる。

「うんうん、分かればいいんだ。アバロン商会、名前は聞いたことあるよ。君は二代目?」

「はい、父が会長、自分は新規開拓担当をしております。なにとぞこのご縁を大切にさせてください」

「砂漠越えてくるの大変だったでしょ? もてなしてやるからおいで」

 オディールは右手をすっと差し出す。

「もったいなきお言葉、光栄です。ぶしつけな訪問にもかかわらず、情け深きご配慮に深く感謝申し上げます」

 ローレンスはオディールの手を取ると、手の甲に軽く口づけをした。

「そんな格式張らなくていいよ。まだ何もない小さな街だからね、ろくなおもてなしもできないけどゆっくりしてって」

 オディールはローレンスの手を取り、立ち上がらせるとにっこりと笑った。

「ありがたきお言葉感謝します」

 ローレンスは胸に手を当てて嬉しそうに微笑む。

 その時、ザバッザバッと派手に水しぶきをたてる音が川の上流から近づいてきた。

「オディールさーん!」

 見ると、トニオが消防団の若者たちを乗せて船を飛ばしてやって来る。

「あぁ、心配かけちゃったな」

 オディールはトニオの必死な姿に申し訳なさそうに微笑むと、千切れんばかりに大きく手を振った。

 船の大きさは二十メートルくらい。川を使って物資を運ぶように建造されたばかりの平底船で、風の魔晶石を組み込んであり、魔晶石から吹きだす風を使ってジェットフォイルのように推進する。川の水の聖気を使うので、燃料不要で走る実にエコな乗り物だった。

「おぉぉぉ、なんとすごい……」

 ローレンスは船尾からバシューと派手に吹きだすジェット水流を見ながら圧倒される。

「へへん! いい船だろ?」

 トニオは鼻高々に自慢しながら舵をクルクルッと回した。

「魔晶石は我のじゃがな……」

 レヴィアはジト目でトニオを見る。

 船は快調に飛ばし、花畑の間をゆったりとカーブしながら湖へとやってきた。目の前に現れる白亜の構造物、セントラル。巨大な岩山、ロッソを背景としてまるで豪華客船のように優美な姿を湖面に展開している。

「え? 湖の上に建物が……、ど、どういうことだ……、ありえない……」

 ローレンスはその異次元の風景に息を呑んだ。

 砂漠のど真ん中の花畑に囲まれた碧く澄んだ湖。その上にそびえたつ見たこともない巨大構造物。神々の領域に足を踏み入れたかのような景色にローレンスはただ茫然とするばかりだった。

 オディールは目を丸くしているローレンスを見ながらニヤッと笑う。

「あそこがセント・フローレスティーナの中心、セントラルだよ。まずは聖水のお風呂に浸かってゆっくりして」

「せ、聖水で風呂!?」

 ローレンスはその常識外れの話にポカンとした間抜けな顔で言葉を失った。


      ◇


 セントラルの船着き場に船を寄せると、一行は作ったばかりのエレベーターに乗った。ゴーレムの動力を使ってカゴを上下させるだけの簡単なエレベーターだ。

 今回の動力源はピーリル。エレベータのカゴの脇の方に長方形の穴が掘ってあり、そこにピーリルは身体を合わせた。そして、みんなが乗ったら車輪を回し始める。穴の下には歯車がついてあり、それを回すとかごが上下する仕組みになっているのだ。

 エレベーターはシースルーになっており、湖が一望できる。どんどんと上層階へと上がっていく中、ローレンスはキラキラと光る湖面を見ながらキツネにつままれた気分になっていた。

 砂漠から水が流れてきたという報告に興味を持って、川沿いに砂漠を延々と旅してきたローレンスだったが、そこにあったのは花畑であり、湖であり、未来的な建造物にエレベーター。まるで桃源郷にでも来たような地に足のつかないフワフワした気持ちだった。

 ピュイッ!

 十階につくとピーリルはカゴをロックして扉を開けた。

「セントラルへようこそ!」

 オディールはにこやかに腕を伸ばし、ローレンスを十階のフロアに案内する。

 手すりから下を見ると、スタジアムのように下のフロアが棚状に一階のステージを囲んでおり、その機能美にローレンスはグッとくる。

 ロッソの方はV字型に開かれていて、花畑の中にそびえ立つ巨大な岩山を一望できる。その今まで見たことの無い建築物にローレンスは、思わずため息をついて首を振った。

 ロッソには一筋の滝が流れ落ちており、キラキラと聖気を含んだ金色に光る微粒子の群れが滝つぼから煙のように上がっている。高低差三百メートルを一気に落ちる滝のダイナミックな景観は見事だし、なおかつそれが聖水だという事実にローレンスは圧倒された。

「どう? これが僕の街、セント・フローレスティーナだよ」

 オディールはニッコリと笑う。

「あ、あぁ……。言葉もない。……。こんな街がこの世にあるなんて信じられない……」

「ははっ、僕も信じられないよ」

 オディールもつい笑ってしまう。

 続いて大浴場を案内する。

 十階の一段高いところに設置された大浴場は露天風呂になっており、浴槽の縁一杯まで張られた聖水は風呂と湖が一体となって見えた。

「これが、聖水の風呂……?」

 ローレンスは浴槽に手を入れ、キラキラと舞っている金色の微粒子をしばらく眺めると、おもむろに両手ですくってゴクリと一口飲んだ。

「おぉ……、おぉぉぉ……」

 全身に染みわたる聖気に細胞の一つ一つが活性化され、身体の芯にエネルギーがほとばしるのをローレンスは感じる。その圧倒的な効果に、ローレンスはひげから水滴をポタポタと落としながら思わず天を仰いだ。

「これは凄い!」

「まぁ、ゆっくり浸かって。タオルとかは脱衣場にあるから、終わったらゲストルームに来てね」

 オディールはサムアップしてニッコリ笑った。

 服を脱いだローレンスは恐る恐る浴槽に身体を沈める。

 聖水の聖気が体の芯に徐々に浸透してきて心も身体もポカポカしてくる。それは今までに感じたことの無い、脳髄の奥底まで揉みほぐされていくような心地よい癒しだった。

 おぉぉぉ……。

 ローレンスは両手に聖水を救うとジャバジャバと顔を洗い、大きく息をつくと眼前にそびえる巨大な岩山を眺める。

「さて……、どうしよう……?」

 この桃源郷で何をしたらいいのか分からなくなり、ローレンスは困惑していた。最初はいい交易品があれば商売相手として関係を築こうと気楽に考えていたのだったが、ここはもはやそういう次元に無かった。

 聖水を瓶に詰めて売るだけだって膨大な利益になるだろう。だが、この最高の露天風呂に身を委ねているとそんな金儲けがくだらなく虚しく思えてしまうのだった。
 ローレンスは雄大なロッソの姿を見つめながら、ふと一つの可能性に気が付いた。もしかしたら、ここは次代のあるべき社会の形を提案しているのではないだろうか。貴族を中心とした階級社会、その中で汲々(きゅうきゅう)として疲弊する市民、社会とはそのようなものだと達観していたが、ここに来て目からうろこが落ちた。ドラゴンを従えながらあっけらかんとしてこだわりのない領主。そんな領主を慕いながら楽しそうに支える領民、未来的な技術や建築。そして夢のような聖気、全てが衝撃だった。

 その時、さわやかな風がビュウと吹き、水面に鏡のように浮かぶロッソがさざ波に揺れた。

 ポカポカと温かいお湯に湖を渡る涼しい風、ローレンスはそのさざ波をボーっと眺める。

 やがてロッソの像は静かにゆっくりと美しい元の姿に戻っていった。

 その瞬間だった。まるで稲妻が直撃したかのようにローレンスの頭の中に激しい閃光が走る。

 それはまるで天啓のように、今までモヤモヤとしていたものがロッソの像のように頭の中で一つの美しい姿を形作ったのだ。

 おぉぉぉ……。

 ローレンスは子供の頃から父親に帝王教育を受けて育った。金が無ければ何もできない、金が全てであり、金をどうやって効率的に確実に儲けるかを、徹底的に叩きこまれたのだった。

 確かに商会は栄えている。多くの人が父に頭を下げ、貴族も無視できない。美味しいものも好きなだけ食べられるし、平民ではなかなか入れないアカデミーも卒業できた。しかし、それで幸せになれたかというと疑問だった。結局は金を使ったズルが上手くなっただけではなかっただろうか? ローレンスはずっとそういう後ろめたさにさいなまれてきた。

 しかし、そんな金の流れとは全く関係ないところに夢の国を作り上げた少女がいる。それは今まで全く気付かなかった新たな人生の形だった。

 これだ!

 ローレンスはパン! と、こぶしで水面を叩く。激しい水しぶきがあたりに飛び散って、パラパラと音を立てた。

 自分の人生に欠けていたもの、それがここ、セント・フローレスティーナにあったのだ。

「これだよ! これだったんだ!」

 ローレンスはザバッと立ち上がり、ロッソに向けてこぶしを握る。その瞳には限りない情熱の炎が宿っていた。


       ◇


 オディールがゲストルームでレヴィア達とバカ話をしてると、ドタドタドタと駆けてくる音がしてバンとドアが開いた。

 まだ髪の毛も濡れたままのローレンスが鋭い視線でオディールを見て、はぁはぁと息を切らしている。

「ゆ、湯加減はどう……」

 オディールが言いかけると、ローレンスはバタバタっとオディールに近づいてひざまずいた。

「領主様! なにとぞ私を配下にお加えください!」

 へっ!?

 いきなりの提案にオディールは困惑し、レヴィアと顔を見合わせた。

「下働きからでも結構です! 私にチャンスをください! 必ずやお役に立って見せます!」

 一体お風呂で何があったのだろうかと、困惑する一同。

「まぁまぁ、とりあえず座って」

 オディールは椅子をすすめ、お茶をカップに注いだ。

 ローレンスはお茶を一口すすると、熱く語りだす。

「この街こそ人類の夢なんです! この街で人類は次のステージへと駆け上がるのです!」

 あまりの熱量に気おされながら、オディールは返す。

「買ってくれるのは嬉しいけど、僕はただみんなが楽しく暮らせる場所を作りたいだけなんだよ」

「それです! 今の王侯貴族にその発想はあるでしょうか? 金と権力の権謀術数、腐りきった賄賂(わいろ)と癒着、市民を無視した横暴の数々。私はもう既存の国々には我慢ならんのです!」

 ローレンスはバン! とテーブルを叩いた。

 オディールはその気迫に圧倒され、困惑した顔で宙を仰ぐ。

「あー、お主はこの街に理想を求めたいということじゃな」

 レヴィアが鋭い真紅の瞳でローレンスの顔をのぞきこむ。

「そうです。自分がずっと求めてきたものがここにあったんです!」

「それは……、幻想かもしれないよ?」

 オディールは意地悪な顔をして返す。オディールは単にミラーナと楽しく暮らしたいだけなのだから、人類の在り方などそもそも興味がなかったのだ。

「げ、幻想……?」

「だって僕は聖者じゃない。ただの女の子だもん。いつ気が変わるかなんて分かんないじゃない?」

 ニヤニヤするオディールを見て、フローレンスはキュッと口を結び、ジッと考える。

「永遠に続くものなんて無いからのう」

 レヴィアは肩をすくめる。

「……。分かりました。それでいいです。でも領主様が変節されたら私が倒します」

 ローレンスは熱情に燃えた瞳でキッとオディールをにらんだ。

「きゃははは! 倒す……ね。ならいいんじゃない、手伝ってよ」

 オディールはニコッと笑いながら右手を差し出す。

 え……?

 勢いで『領主を倒す』と宣言してしまったローレンスは、そんなオディールの対応に逆に圧倒される。一体この世のどこに自分を倒そうとするものを仲間にする人がいるのだろうか? ローレンスはポカンとして言葉を失う。

「僕を倒すんだろ? いいじゃないか、その熱意をセント・フローレスティーナに役立ててよ」

 嬉しそうにローレンスの顔をのぞきこむオディール。

「え……? い、いいんですか!? ありがとうございます!」

 ローレンスはガバっと立ち上がるとオディールの手を取り、堅く握手を交わした。

「で、君の得意分野とやりたい仕事は?」

 オディールはにっこりと笑いながら身を乗り出す。

「自分はアカデミーで経済を専攻しておりまして……」

 その日は夜遅くまでセント・フローレスティーナの未来について議論を交わすこととなる。

 最後の方にはミラーナもレヴィアも居眠りする中、オディールとローレンスの二人だけが机をバンバンと叩きながら熱く議論を交わしたのだった。
 次の晩、主要メンバーを集めてローレンスの歓迎会が開かれた――――。

「それではローレンス君のジョインを祝ってカンパーイ!」

 オディールは上機嫌にグラスを高々と掲げる。

「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」

 大手商会の幹部がジョインしてくれるのは想定もしていなかった理想的な展開であり、みんな嬉しそうにローレンスのグラスに乾杯を合わせていった。

 場が盛り上がってきたころ、ローレンスは座席を変えながら一人一人、嬉しそうな顔で巧みな話術を繰り広げていく。

「いやぁ、トニオ先輩! さすがですねっ!」

「そうだろ? 分かんないことは何でも聞いて!」

「ヴォルフラム先輩! 収穫祭の話聞きましたよ! 先輩あってのセント・フローレスティーナですねっ!」

「あ、いや、そんなことはないですって。ぐふふふ」

「ファニタさん、ちょっと前髪あげてもらっていいですか……。ふぅ、目が凄くきれいですねっ!」

「何言ってんの! いやだよぉ……」

 オディールはその様子を見ながら感服する。あざといヨイショではあったが、なぜかあざとさの裏に自分への好意を感じてしまうのだ。その心をつかんでいく技はまさに魔法とも言うべき高等なテクニックであり、とても自分にはできない。

 ローレンスが次に目をつけたのがミラーナだった。

「ここの建物はみんなミラーナさん作だって聞きましたよ! 本当ですか!?」

 大げさに驚きながらミラーナのブラウンの瞳をのぞきこむ。

「ふふっ、そうですよ。ここの建物はみんな私の子供たちなんです!」

 ミラーナは嬉しそうに目をキラリと光らせ、答える。

「ブラウンの瞳……、魅力的ですね。お付き合いされている方はいるんですか?」

 いきなり核心を突いてくるローレンスにオディールは思わずリンゴ酒(シードル)を吹きだしてしまう。

「え? いや……、そんな……」

 赤くなってうつむくミラーナ。

「ちょ、ちょっとそこ! セ、セクハラだよ! ダメダメー!」

 慌ててオディールは二人の間に割って入る。

「おっとこれは失礼……。あまりにも魅力的だったものですから……。乾杯……」

 ローレンスは上手くかわし、ミラーナのグラスにチン! とグラスを合わせた。

「このくらい大丈夫よ、オディ」

 ミラーナもニコッと笑い、別に不愉快には感じていないようだった。

「だ、大丈夫……? あ、そう……」

 本人に大丈夫と言われてしまうと、もうオディールには言うことが無い。

 オディールは渋い顔で首を振りながら席を移動し、レヴィアの隣にドカッと座った。

「おや? ミラーナに振られたんか?」

 レヴィアは樽をグッと傾けるとエールをそのままゴクゴクと美味しそうに飲む。

「ミラーナはイケメンに甘いんだよ!」

 ミラーナと一緒に花の都で暮らすという計画が、今、土台から揺らいでいるのをオディールは感じていた。例えミラーナがいてくれても、心を他の人に取られてしまったら、自分はどうしたらいいのだろう? 嫌なイメージが頭の中をグルグルと回り、オディールは耐えられなくなってリンゴ酒(シードル)をグッと飲み干した。

「ほう……? このままじゃ取られるかも……しれんのう……」

 レヴィアは談笑しているいい感じの二人をチラリと見て、嫌なことを言う。

「……。どうしよう……」

 オディールは今にも泣きそうな顔でレヴィアの腕をギュッとつかんだ。

「どうしようも何も、想いをそのまま伝えたらええじゃろ? 面倒くさい奴じゃな」

「えっ!? だって僕、女の子だよ?」

「ははっ、愛に性別なんぞ関係なかろう」

 レヴィアは笑い飛ばすと樽を傾けた。

「僕……。本当のこと、まだ話してない……。中身は違うのにベタベタしてたなんてとても言えない……嫌われちゃう……」

 オディールは涙目で口をとがらせ、うつむく。

「はぁ? お主がオッサンだったとして何の問題がある? 美少女とオッサンで魂の価値なぞなんも変わらんわ!」

「いやいやいやいや……。美少女とオッサンは月とスッポン、宝石とゴミだよ……」

「……。お主、何か勘違いをしておるぞ? オッサンだろうが美少女だろうが、魂に貴賤(きせん)はない。みな等しく尊いぞ?」

「え……?」

 オディールはポカンとしてレヴィアの真紅の瞳を見つめた。

「そりゃ、美少女はチヤホヤされるかもしれんぞ? じゃが、見てくれなんぞただの飾りじゃ。人間は他の人の心とどれだけ豊かな交流ができるかだけが全て。オッサンでも愛される者もおるし、美少女でも嫌われとる者はいるじゃろ?」

「いや、でも……」

「要はどんな外見かじゃない、その人の魂が相手の心にどれだけ寄り添えるか? じゃ。性別も年齢も人種も美醜もみーんな関係ないんじゃ」

「いや……、それは理想論だよ。カミングアウトして嫌われたらと思うと到底踏み込めないよ」

 しょんぼりするオディールをじっと見て、レヴィアは深くため息をつくと呆れたように首を振る。

「はぁぁぁ、お主は結構アレじゃな。そんなの黙っとけ! カミングアウトするってのは本人の自己満足に過ぎんわ!」

「えっ!? でも……」

 レヴィアはビシッとオディールを指さし、真紅の瞳をギラリと光らせながらにらむ。

「いいか? お主がどれだけミラーナのことを想っているか? それだけが問われとる。後は些細な事じゃ。黙っとけ!」

 鋭く言い放ったレヴィアは、また樽を傾けてゴクゴクとエールを飲んだ。