やがて、雷雲は去り、穏やかな静寂が一行を包んだ。
畑のあちこちからはブスブスとかすかな破裂音を響かせながら、淡い煙がゆらりと上空へと上がっている。
ガスパルはよろよろと立ち上がり、空襲に晒されたかの如く焦げ付いた畑をゆっくりと見渡した。
おぉ……。
驚愕の光景を目の当たりにし、心からのため息をつきながら首を振る。天から降り注いだ膨大な肥料。驚くような豊作となるに違いない。
ガスパルはオディールの透き通るような碧眼をのぞきこみ、優しく彼女の肩を軽く叩いて感慨深そうに言った。
「嬢ちゃんは神様の化身だよぉ……」
「いやぁ、それほどでもぉ」
照れ隠しで頭をかくオディール。
「これなら石灰を撒いて、一週間もしたら種まきだよ」
「え? 一週間?」
「そうだよ。土が落ち着くのを待つんだよ」
「えー……。二、三日になりませんかねぇ……?」
オディールは上目づかいでお願いしてみる。食料問題はなるべく早く解決しておきたかったのだ。
すると、ガスパルは突然不満げな顔を見せ、眼は危険なほどに閃いた。必要な日数は、彼が長年積み上げてきた経験からの鉄則で、それを動かすことなど考えられないのだ。
「バッカモーーン! いいか? 土というのは……」
真っ赤になって杖を振り上げるガスパルだったが、どうしたことか急にピタッと固まってしまった。
目を見開いたまま微動だにしないガスパルにレヴィアはけげんそうに声をかける。
「おい、どうしたんじゃ?」
「こ、腰が……」
ガスパルは杖を持つ手をプルプルと震わせ、脂汗をたらりと流し始める。
「腰!? 腰かぁ……。腰はマズいぞ。どうしようかのう……」
レヴィアの背に乗って数百キロも飛んできたことが腰に悪かったに違いない。レヴィアは眉を寄せ、オディールを見る。
しかし、オディールも治療については門外漢でオロオロしてしまう。
「病院なんてないし、どうしよう……。あっ! 聖水で治療できないかな?」
「おぉ! 聖水か……。よし! 聖水風呂にでも入れてみようかのう。お主らちょっと手伝ってワシに乗せろ」
レヴィアはピョンと跳び上がるとボン! と爆発音を立て上空でドラゴンに変身した。
◇
すっかり冷めてしまった露天風呂だったが、レヴィアが火を入れて湯気がふたたび立ち上りはじめる。お湯をすくってみると黄金色の微粒子が舞っており、それはまるで金箔がちりばめられているようであった。一晩中ロッソの聖気を吸収した風呂は、すでに聖水へと変わっていたらしく、まさに贅を尽くした聖水風呂となっていた。
「おぉぉぉ……、これは効くぅ……」
下着姿で慎重にゆっくりと浴槽に入れられたガスパルは、聖水の聖気を全身に浴び、恍惚とした表情を浮かべる。
「湯加減はどうですか?」
少し安心したオディールはタオルを渡しながら聞いてみる。
「ここは天国かね……。聖水の風呂だなんて夢にも見たことがなかったよ」
ガスパルは幸せそうにお湯をすくってゴクゴクと飲み始める。
「えっ!? 残り湯だから汚いよ!」
焦るオディールだったが、ガスパルは聞かずに美味い美味いと飲み続ける。
「カァァァッ! 聖水飲み放題、ここはまさに天国じゃ!」
ガスパルは満足そうに笑みを見せると、そのままブクブクと泡をたてながら浴槽の中に沈んでいった。
「えっ!? 溺れてる? いいの?」
オディールは心配になってレヴィアを見るが、レヴィアは腕を組んで首をかしげている。
「この聖水風呂はもしかしたらとんでもない代物かもしれんな……」
「え? どういうこと?」
「あ奴の身体を見てみろ」
オディールが浴槽の底に沈んでいるガスパルを見ると、ポコポコと口から泡を吐きながらかすかに黄金色に発光している。聖気が全身に満ちている証拠だった。さらに真っ白だった髪の毛も徐々に茶色に変色が進んで行く。
「こ、これは……?」
その直後、ガスパルはザバッと水しぶきを上げながら起き上がり、ピョンと浴槽から飛び出した。髪の毛は黒々として顔に刻まれた深いシワもとれ、つやつやだった。
「ぬはははは! 完全復活だよ!」
ガスパルは嬉しそうに笑うと、ボディビルダーのように腕を組んでムキムキっと筋肉を誇示した。
はぁ……? へ……?
一同は驚いた。さっきまで立つこともできなかった白髪の老人が、なんとも若々しい健康体になったのだ。二十歳は若返ってしまったのではないだろうか?
「嬢ちゃん! 決めたよ、ワシはここに住むよ!」
ガスパルは精気みなぎる目でオディールの手を取るとブンブンと力強く振った。
「あ、そ、それはありがたいけど……」
オディールはその勢いに圧倒される。
「ここは天国だよ、村のみんなも呼んでいいかね?」
ガスパルは人懐っこい笑顔でオディールの顔をのぞきこむ。
「みんな? 人が増えるのは嬉しいけど、まだ畑しかないよ?」
「カッカッカ。街づくりから手伝わせればいいよ。大工も鍛冶屋もいるでよ」
「本当!? ヤッター! ぜひぜひ!」
オディールは目を輝かせてガスパルの手をブンブンと振った。
ガスパルの村は近年雨が降らなくなってきて作物の収量も落ち、村を出ていく人が後を絶たず、過疎化が進んでいるらしい。その中でロッソの龍脈に守られたセント・フローレスティーナはまさに理想の移住先とのことだった。
「良かったわ!」「いいですねぇ」
ミラーナとヴォルフラムは、仲間が増える見通しに心を弾ませ、喜びに満ち溢れた表情で、パチパチと賛同の拍手を贈った。
こうしてセント・フローレスティーナには一気に住民が流入してくることになる。オディールは、夕陽に照らされて赤く煌めき始めたロッソに向かってグッと拳を握り、いよいよ始まった花の都への本格的な挑戦に気合を入れなおした。
その頃、王都の宮殿に動きがあった。内務省の方で緊急の会議が招集されたのだ。
内務大臣以下、そうそうたる面子がそろう中、担当者から『今年は降水量が少なく、このままでは大飢饉になるかもしれない』との報告がなされる。
本来もっと早く報告すべきだった担当者は、ビクビクしながら内務大臣の方を見た。
「こんなになるまで何をやっとったんだ! で、教会の聖女はなんと言っとる?」
大臣は渋い顔で報告書をテーブルに放り投げ、担当者をギロリとにらんだ。
「『東方聖地の金髪少女オディールに頼れ』とのことで……」
「オディール? 誰だ?」
大臣は隣の側近をチラっと見る。
「元公爵令嬢のことかと。彼女のスキルは【お天気】と、聞いています。そのスキルを使えというお告げなのかと……」
ザワっと会議室に穏やかでない空気が流れた。王子が追放した元公爵令嬢、それに頼ることは王家の不興を買う施策であり、とてもそのままでは王様に進言できない。
内務大臣はギリッと奥歯を鳴らし、ガン! と、こぶしをテーブルに叩きつけた。
くぅ……。
目をギュッとつぶり、しばらく何かを考えた末、大臣は低い声を絞り出す。
「本件は王室マターだ。他言無用……。解散!」
参加者はお互いの顔を見合わせながら静かに立ち上がると、そのまま何も言わず退室していった。
◇
若い男が宮殿の王子の部屋のドアをノックする。
「ご報告があります」
男は辺りを気にしながら言った。
ほどなくガチャリとドアが開き、バスローブ姿の王子が乱れた金髪をそのままに、顔をのぞかせる。
「おう、間の悪い奴だな。早く入れ」
王子も周りを気にしながら部屋に招き入れた。
男が奥のベッドルームをチラッと見ると、若い女があられもない姿で横たわっている。 男は苦笑をすると、報告を始めた。
「王室マターの情報を得ました……」
「フンッ! 続けろ!」
王子は面倒くさそうに眉をひそめてソファにドカッと座ると、ティーカップを取る。
「はっ! 先ほどの臨時会議で……」
男は諜報の成果を報告していく。
ティーカップを傾けながら聞いていた王子は、オディールの名前を聞くと急に顔色が変わった。
「ちょっと待て! 誰だって?」
「オ、オディールです。殿下の元婚約者の……」
男はビクビクしながら説明する。
「あんの小娘がぁぁ!」
王子は激高し、ティーカップを壁に投げつけた。
パリーン! と、カップが砕ける鋭い音が部屋に響く。
ヒッ!
思わずおびえる男。
「小娘は俺が追放したんだ。今さら頼むなんてことできるか!」
王子はドカッとローテーブルを蹴飛ばし、ティーポットが転がり落ちる。
「い、いや、しかし、聖女のお告げを無視することはできません。このままでは……」
男は転がってくるティーポットをよけ、冷汗を流しながら食い下がった。
王子は上気した顔で爪をガリガリとかじりながら必死に何かを考える。啖呵切って追放した小娘に頭を下げるなんてそんなことはあってはならないのだ。
張り詰めた雰囲気が部屋を支配する。
やがて王子はピクッと眉を動かし、いやらしい笑みを浮かべた。
「ふふん。いいことを思いついたぞ。奴隷だ、奴を奴隷にしてしまえばいい。捕まえて奴のぺったんこの胸に奴隷の焼き印を入れてやれ!」
「いや、強引に奴隷にするのは違法では……?」
「知らん! 俺は国外の奴隷商から奴隷を買うだけだ? 何か問題が?」
ドヤ顔でニヤッと笑う王子。要は、第三者が国外で勝手にオディールを奴隷化した形にしてしまえば問題ないということだった。
「あ、そ、それなら……」
「上手くいったら褒美に一晩小娘を好きにさせてやる」
「ほ、本当ですか?」
「お前、ああいうツルペタが好きなんだろ? いい声で鳴かせてやれ」
悪い顔をして男の顔をのぞきこむ王子。
「えっ!? いや、そのぅ……」
「今すぐ手はずを整えろ!」
「ハッ!」
男は敬礼をすると足早に部屋を出ていく。
「小娘め! 俺を怒らせたらどうなるか見せてやろう……。クフフフ……、はっはっは!」
悪意を孕んだ不気味な笑い声が部屋に響いた。
◇
ところ変わってガスパルを仲間に迎えたセント・フローレスティーナ――――。
オディール一行は夜遅くまで飲んで歌って騒ぎ、翌朝、ガスパルはレヴィアに乗って村へと飛んで行った。村のみんなの勧誘をしてくれるらしい。
「みんな来てくれるかなぁ……」
花咲き乱れる丘の向こう、朝日を浴びながら空高く遠く小さくなっていくドラゴンを眺め、オディールはつぶやく。
「ふふっ、来てくれるわよ。セント・フローレスティーナみたいな素敵なところ、どこにもないんだもの」
ミラーナはニッコリとほほ笑み、オディールの手を取った。
「これもミラーナのおかげだよ。ありがとう……」
幸せに満ち溢れた笑顔を浮かべ、オディールはミラーナの手を愛情深く、ぎゅっと握りしめた。
「ふふっ、役に立ててよかったわ。私たちいいペアかもしれないわね」
「あれ? ずっと前からいいペアだったよ?」
「いたずらっ子だったくせにー」
えへへへ。うふふふ。
さわやかな朝日が花畑を色鮮やかに輝かせる中、二人は幸せいっぱいに笑い合った。
この微笑ましい光景の裏で、オディールに向けられた悪意が着実に彼女の運命に手を伸ばしてきていたが、二人はそんなことを知る由もなかった。
オディールは朝のさわやかな風を頬に感じながら、澄み通る深い青空へ両手を広げた。
「【龍神よ、猛き息吹で恵みを降り注げ】」
見渡す限り辺り一帯にサラサラと雨が降り注いでいく。花畑の花々はぬれて色鮮やかに輝き、辺りをみずみずしいパレットのように彩っていた。
オディールは瞼を閉じ、幸せに満ち溢れた微笑みを浮かべながら、雨の滴に心地よく濡れていく。これこそが【お天気】スキルの正しい使い方であると、彼女は深い満足感を抱き、静かに頷いた。
◇
みんなを率いて湖までやってきたオディールは、バチャバチャと湖水の中を駆けながら両手を上げ、嬉しそうに叫んだ。
「さぁ、ここに家を建てていくよ~」
数キロに及ぶ広大な湖は朝日を浴びてキラキラと輝いている。その湖を取り巻くように美しい花畑が広がり、まるで名画のように壮観な風景を鮮やかに描き出していた。
「ここに……、家?」
ミラーナは顔に困惑の色を浮かべ、湖の中をのぞきこむ。水は澄み通り、金色の微粒子がキラキラと揺らめいている。やはり湖全体が聖水になっているようだった。
「砂漠の中の水上の街、いかにもセント・フローレスティーナっぽいじゃない?」
オディールは陽気に言い放ったが、ミラーナはヴォルフラムと顔を見合わせて首をかしげる。湖の上に家を建てるなんて聞いたこともなかったのだ。
「まぁいいからやってみよう! ヴォルは柱の位置に棒を立てていって」
オディールは設計図をヴォルフラムに渡し、場所を指示していった。
◇
ミラーナはワンピースのすそを結んで恐る恐る湖に入っていく。水量はまだ少ないためひざ位の深さしかない。
ヴォルフラムはザバザバと豪快な音をたてながら湖を進み、設計図と周りの風景を確かめながら指定の場所を探す。
「最初の柱はここでいいですかね?」
ヴォルフラムは竹竿で湖底をつつきながら振り返り、オディールに聞いた。
ミラーナの手を引きながら追いついてきたオディールは辺りを眺め、ニコッと笑う。
「そうだね、ここから十メートルおきに円周上に立てていくよ。ミラーナ、太さ二メートルの柱をここにバーンとよろしく!」
「もう、オディったら、気軽に言うんだから……」
ミラーナは口をとがらせながら魔法手袋を着け、厳しい視線で湖底をにらむ。水の向こうの地面に土魔法が届くかどうかなんて、やったこともないから分からないのだ。
「失敗したっていいんだよ。まずやってみようよ!」
お気楽に言ってくるオディールをジト目でにらむと、ミラーナは大きく息をつく。そして軽く肩を回すと両手を湖底に向けて目をつぶり、精神を集中してイメージを固めていく……。
呪文をつぶやき始めたミラーナの背中に、オディールは手を当て、膨大な魔力を注ぎ込む。これが上手くいかなければ計画は一からやり直し。オディールはキュッと口を結び、いつもより多めの気合いを込めた。
二人は一瞬全身から閃光を放ち、ヤバいほどの魔力がミラーナの手にあつまっていく。
その壮絶な魔力に、ヴォルフラムは思わず息を飲む。美しい湖での未曾有のチャレンジの行方はまさに予断を許さない。
直後、ミラーナから放たれる黄金色に輝く微粒子の群れは湖底を目指した。水面で多くがはじかれてしまったが、それでも一部が湖底にたどり着くとモコモコっと膨らみ始める。
「行っけーーーー!」
オディールはギリッと奥歯をかみしめ、下腹部から魔力を絞り出した。
直後、真っ白な御影石の柱がバシュッと水しぶきを散らし、天に駆け上がるかのように飛び出してくる。それは朝日を浴び、金色の輝きを纏いながら、澄み通る青空めがけて勇壮にそびえ立った。
「おぉ!」「ヤッターー!」
その柱はパルテノン神殿のように、ふっくらとわずかに優美な曲線を描きながらまっすぐに空へと伸びている。
ミラーナは肩で息をしながらその柱を見上げ、ほほ笑みながらふぅと息をつく。
「さっすが、ミラーナ!」
オディールは満面の笑みでミラーナの手を取り、はしゃいだ。ここまでしっかりしていればこの上に建造物を作っても大丈夫だろう。
「こんなのでいいかしら? 高さは足りてる?」
ミラーナは安堵した様子でオディールを見た。
「上出来だよ。高さは後で調整すればいいからね。最終的には水面が後二メートルくらい高くなって、その上三メートルが一階になるんだ」
オディールは竹竿で柱をパシパシ叩きながら説明する。
「はぁ……、そうなのね。でも水上に街を作るなんて聞いたことないわ。オディの発想には驚かされるばっかり。その発想どこから出てきたの? 本当に年下なの?」
眉を寄せながらオディールの顔をのぞきこむミラーナ。
「や、やだなあ、僕は子供……。子供だからこういう発想なんだよ!」
オディールは冷や汗を流しながら後ずさりする。中身がオッサンだとバレたら大変である。
「まあ、小さな頃から面倒見てるから良く知ってるんだけど……」
腕を組んで首をかしげながら考え込むミラーナ。
「そ、そうだよ。さぁ、次に行くよっ!」
オディールはミラーナの背中をパンパンと叩くと、ジャバジャバと水をかき分け、ヴォルフラムが待ってる所へと走って行った。
◇
午前中、二百メートルの円の範囲内に十メートル間隔で柱を打ち、湖畔への橋げたも作り上げた。
聖水に浸かりながらだと疲労は感じないので予想以上に良いペースで作業が進み、欲張って一気に設置してしまったのだ。
「姐さん、そろそろお昼ですよね?」
お腹を空かせたヴォルフラムは子リスのような目をして訴えてくる。
「え? もうそんな時間かぁ。なるほど……。せっかくだから柱の上に一区画だけ作ってそこで食べよう」
オディールは柱に生やしたらせん階段を登り、上に立つと、見事に円の形にずらりと並んだ柱の群れを見渡した。
花畑の向こうにたたずむロッソ、静かに広がる湖面、この美しいキャンバスに下手な建物は建てられない。
セント・フローレスティーナ初の本格的な建物は、単に住めれば良いという物ではダメなのだ。見た人が思わず見惚れてしまうような、シドニーのオペラハウスにも匹敵するほどのインパクトある美しさが必要なのだ。
一度見たら忘れない、美しく、人の心をつかんで離さない壮大な建築物をここに……。オディールはブルっと武者震いすると、グッとロッソに向けてこぶしを握った。
◇
「よーし、ミラーナ! 梁を通すよ!」
「梁? 隣の柱まで横に伸ばすの?」
「そうそう、クレヨンの家の床を作った時みたいにさ」
「いやいや、あれよりももっと遠いじゃない……」
渋い顔をして首を振るミラーナ。
「大丈夫だって! 外してもやり直せばいいんだからさ」
オディールはニコニコしながらミラーナの肩を叩いた。
ミラーナはジト目でオディールを見る。しかし、今さら柱の位置は変えられない。大きく息をついたミラーナはしゃがみ込み、ボウリングの球を投げる時のようにジッと隣の柱の位置を見定めた。
しばらく精神集中をしたミラーナは、片手を目標の柱に向け、もう一方を足元の柱に向け、呪文を唱え始める。
それに合わせオディールは魔力を注入していく。
直後、ミラーナから迸った黄金色の微粒子は二本の柱にまとわりつき、向かい合う地点をぼうっと光らせた。そこからにょきにょきと御影石が生えてきてお互いに向けて伸びていく。やがて中央部でぶつかるとパァッと黄金色の輝きを放ち、くっついた。
「おぉ! できたできた! さすが、ミラーナ!」
オディールはミラーナの背中に飛びつく。
そんな調子のいいオディールにふぅと息をついたミラーナだったが、振り向くと優しく金髪をなでたのだった。
「こんなので満足かしら?」
少し乱れた呼吸で、ミラーナはオディールを見つめた。
「もうバッチリだよ!」
浮かれたオディールは小鳥のように飛び跳ねながら梁の上を進み、楽しげにくるりと回る。しかし、その高さは五メートル。落ちたら笑いごとではない高さだった。
「オディ! 危ないわよ!」
ミラーナは眉をひそめて注意する。
「へへーん、大丈夫だって!」
逆にオディールは調子に乗ってクルクルッと踊った。しかし、安全を軽視する現場ネコには災いが降りかかると決まっている。
一陣の風が浮かれたオディールに襲いかかる。
「おっとっと……。うわぁぁぁ!」
バランスを崩して梁の縁でワタワタするオディール。
「きゃぁぁぁ!!」「うひぃ!」
ミラーナの心を刺すような叫びの中、オディールは真っ逆さまに落ちていった。
『えっ? マジ?』
オディールはスローモーションで動く世界を見つめ、終わりの瞬間がこんな形で訪れるとは夢にも思わず、ただ細く小さくなっていく梁を呆然と見つめるばかり……。
「どっせい!」
掛け声が響き、オディールが気がつくと、ヴォルフォラムの温かく頼もしい腕の中に包まれていた。
「姐さん、あぶないですよ」
ニコッと笑うヴォルフォラム。
オディールの危機を見越し、早くから心配して対策を練っていたヴォルフラムは、ただ優しく微笑みながらその無事を喜んだ。
「あ、ありがとう……」
たくましい筋肉の温かさに包まれながら、オディールは彼の優しさに触れ、顔を真っ赤にして頭を掻いた。
◇
ハムとチーズのサンドイッチをほお張りながら、三人は幽玄なロッソの景色を静かに眺めていた。頂上から吹き出す聖気はとどまることを知らず、まるで噴火のようにキラキラと輝きを放ちながら噴きあがり、一帯に降り注いでいる。三人もそのキラキラとした微粒子を浴び、疲労もすぐに回復していく。このロッソの聖気は大いなる大自然の恵みであり、セント・フローレスティーナの魅力の源泉だった。
この大いなる恵みを生かすも殺すもランドマークとなるこの建物で決まる。心に響く素敵な建物になれば自然と人も集まってくるのだ。
オディールはカメラマンのように指で四角をつくり、完成イメージを湖上に思い描く。それは夜通し何度も悩んで、寝返りを打ちつつベッドの中で作り上げた最高の自信作だった。
この絵画のような壮麗な湖に映える白亜の巨大建造物、想像するだけでワクワクが止まらなくなってくる。
「さぁやるぞーー! 午後はフロアだ!」
バッと立ち上がったオディールは、右手を突き上げ、心から湧き上がる興奮を声に乗せて放った。
「はいはい、頑張るわよ。オディールは落ちないこと、分かったわね?」
ミラーナは上目遣いでオディールをじっと見つめる。
「わ、分かったよぉ……」
オディールは口をとがらせ、渋い顔で頭をかいた。
◇
柱の上に梁を渡し、その上に白い御影石の板をかぶせていく。コツをつかんだミラーナは手際よく湖の上にフロアを広げていった。昨日の畑作業含めてスキルランクは相当に上がったようで、土魔法使いとしてはすでにかなりの熟練者となっている。ただ、敵を倒しているわけではないのでレベルは低く、あくまでもオディールとペアになる必要があるのだが。
数時間の作業で湖面上には直径二百メートルの御影石の円形ステージが出来上がる。
「おぉ、できましたね! 姐さんたち凄いです!」
ヴォルフラムは嬉しそうに広大なステージを見渡し、パチパチと手を叩いた。
「いやいや、ミラーナが凄いんだよ」
オディールはポンポンとミラーナの肩を叩く。
「ふふっ。自分にこんな才能があったなんて全然知らなかったわ」
ミラーナは、白い豪華な御影石のステージを見回し、満足そうに両手を広げる。彼女のブラウンの瞳は輝き、壮大な湖の上に広がる美しい建築物に深い感動を覚えていた。
孤児院出のメイドの人生など一生下働き、朝から晩まで馬車馬のように働いて王都から出ることもなく死んでいくのが普通だった。それが今、まるで絵画のような壮麗な湖で前代未聞の大仕事をしている。それはミラーナにとって生まれて初めて得た、自分にしかできないやりがいと充実感あふれる天職の実感だった。
「これもみんなオディのおかげね……。ありがとう……」
柔らかな微笑を浮かべたミラーナは、瞳を潤ませながらオディールの手を取る。
「ほ、ほら、僕たちいいペアだからさ」
照れ笑いをしながらオディールはミラーナの手を包んだ。
「旅に出て……、良かった……」
湖面を渡る風に黒髪をなびかせながらミラーナは顔を上げ、キラキラと聖気を噴き上げるロッソを眺めた。
「そ、そう? 良かった……」
オディールはホッとしながらミラーナを握る手に力を込めた。
「まぁ、明日は逆のことを言ってるかも……しれないけど?」
ちょっといたずらっぽい目でオディールをのぞきこむミラーナ。
「そ、そんな風にはさせないよ!」
「本当?」
「ホ、ホントだよ!」
オディールは顔を真っ赤にしながら力説した。
ミラーナは優しくうなずくと、そっとオディールを包み込むように抱きしめる。
オディールは一瞬戸惑いながらも、まぶたを下ろし、背中にそっと手を回した。
◇
「次はどうするんですか?」
ヴォルフラムはマグカップでお茶を飲みながら聞いた。
「二階を作ろう。Cの字型にこの円の上にフロアを重ねるんだ。ロッソが見えるようにロッソ方向が開いたフロアだね」
オディールはロッソを指さす。
「じゃあ中心部は広場になるのね。何だかカッコいいわ。三階建て?」
ミラーナは嬉しそうに聞いた。
「一番高いところは十階だよ」
「じゅ、十階!?」「へっ!?」
二人は目を丸くして驚く。王都でもほとんどが三階建て、一番高い教会の塔でも六階建てがせいぜいだったのだ。
「そのうちにもっと高いのも建てるよ!」
オディールはドヤ顔で言う。
「いやいや、階段登るの大変ですよ!」
ヴォルフラムは渋い顔で返す。
「そこはそのうちエレベーターっていう昇降機でなんとかなるんだな。まぁ、見ててよ」
オディールは嬉しそうに笑った。
は、はぁ……。
ヴォルフラムはミラーナと顔を見合わせて小首をかしげる。
「それから、ここは上に行くにしたがってフロアは細くなるから、こーんな感じで、すり鉢状のスタジアムみたいになるんだ」
オディールは両手を大きく動かしながら全身を使ってイメージを伝えた。
「え? ここは闘技場みたいになるんですか?」
「そうだね、ステージにも使えるようにしたいね。多分、二万人くらいは収容できると思うよ。それから上の方はロッソ側が少し湖の上に張り出して、優雅に口が開く感じにするよ」
「へぇ、優雅っていうのは良いわね」
「中心になる建物はやっぱり美しくないとだから。名前もみんなが集まる中心『セントラル』にしようかと思ってるんだ」
「あれ? 集まるって、ここは人が住む建物じゃないの?」
ミラーナは不思議そうに聞く。
「もちろん最初は住居だけど、人口が増えてきたらショッピングモールにするんだ。住居は今後ここを中心に湖上に放射状の道を作ってたくさん建てていくよ」
「ショッピングモール!?」「へっ!?」
ミラーナとヴォルフラムは想像以上のスケールに驚き、お互いの顔を見合わせる。広大なスタジアム兼ショッピングモールなど、王都にすらない。そんな物をまだ住民もいないこの地に建てるオディールの発想に二人は呆然として言葉を失った。
困惑している二人に、オディールは固く握った拳をブンブンと振りながら、熱意を込めて語る。
「何言ってるんだよ。街を目指す以上、セント・フローレスティーナには少なくとも十万人が住むことになるんだよ? 最終的には百万人を超えるかも。ショッピングモールは必要さ」
「百万……? 王都ですら二十万人しかいないんですよ?」
ヴォルフラムは困惑しながら返す。
「百万くらい行くんじゃないの? 一千万人の都市だってあるんだ……。あっ、理屈上はね?」
オディールはつい東京を思い出しながら言ってしまい、慌てて冷や汗を流した。
「一千万人なんて不可能ですよ! でも……、そんなに人が集まったら凄いことになりそう……。夢みたいですねぇ」
ヴォルフラムはメトロポリスを夢見て、嬉しそうに笑った。
「ほんと夢みたいだねぇ……」
オディールは憂いを帯びた瞳でロッソを見つめ、深いため息を零した。そう、東京の暮らしは夢みたいだった。新宿の高層ビルで働いて、夜は渋谷の夜景を眺めながら飲み、ラノベを読んで、アニメを観て笑っていた。ネットではバカな騒動がひっきりなしに起き、みんなでバカ話を書き込んで笑いあう。異世界ではもう想像もつかない刺激と熱情のるつぼだった。
オディールの胸を一抹の寂しさが吹き抜ける。
しかし、今、自分には新しい仲間とセント・フローレスティーナがある。オディールはブンブンと首を振って未練を飛ばすと、ここを東京なんかより楽しく活気ある街にするのだと、決意を新たに拳を握りしめた。
◇
二階のフロアも完成し、立体駐車場みたいながらんとした一階の空間に壁を作っていく。当面は住居に、その後商店としても使えるような区分けを考えながら廊下を作り、住めるように壁を張っていった。
「そろそろ夕飯にしませんか?」
ヴォルフラムがお腹を鳴らし、目を潤ませながらオディールに哀願する。
その姿があまりに可愛らしいので、オディールはつい笑いそうになった。
「そうだね、続きは明日だ。ミラーナもお疲れ様!」
張った壁が若干曲がっているのが気になって、ペシペシと岩壁を叩いていたミラーナは振り返り、驚いたように言った。
「え? もう終わり? 私はまだまだいけるわよ!」
「夕飯の準備もしないとだし、ヴォルのお腹がもう限界っぽいよ」
ミラーナはヴォルフラムの方を向くと口をとがらせ、大きく息をついてうなずく。
その時だった。バサッバサッと翼のはばたく音が響いてきた。
急いで広場に行って見上げるとレヴィアが着陸態勢に入っている。背中には人影があり、大きな荷物を足からぶら下げている。どうやら移住者も連れてきたようだった。
レヴィアは素早く羽ばたいて空中に一旦止まると、荷物を降ろし、自分も広場に降り立つ。
ズーン! と、重低音が響き渡り、セントラル全体が地震のように揺れた。
「あわわわ。レヴィア! ダメだよ! ここは人間専用!」
オディールは両手を突き上げ、怒りの叫びを響かせた。
「なんじゃい、もっとしっかりしたもの建ててくれぃ。ガッハッハ!」
レヴィアは悪びれもせず重低音を響かせながら笑う。
すると背中からアラサーの赤バンダナ男がピョンと跳びおり、駆け寄ってくる。
「おぉ! お嬢ちゃん。君が領主さんっすか?」
男はなれなれしくオディールに近づいた。
「りょ、領主……?」
男に迫られ、気おされるオディール。
「こんな華奢な女の子に街なんて作れるんすかね?」
男は右から左からオディールをジロジロと眺めまわした。
直後、女性が慌てふためいて近づいてきて、力強く男の頭をはたく。
「コラァ! あんたはいつもずけずけと失礼なんよ!」
彼女は赤毛をくくり、藍色の作業服を着て、男と同年代に見える。
「痛ったぁ! 何すんね?」
「『何すんね』じゃないよ! すみませんねぇ、ホント、コイツバカなんよ」
女性はオディールに深々と頭を下げる。
「あー、皆の衆。紹介しよう! 彼女が我がセント・フローレスティーナの初代領主、【オディール・フローレスティーナ】じゃ。彼女がこの地を見つけ、この地を聖地として花開かせたのじゃ」
金髪おかっぱになったレヴィアはオディールを紹介した。
「りょ、領主ってどういうこと?」
オディールは焦ってレヴィアに小声で聞く。
「何言っとる! 移住者を受け入れた時点でここはもう領土。そしてリーダーは領主じゃ。覚悟決めんかい!」
レヴィアはパンとオディールのお尻をはたいた。
オディールは改めてやってきた人たちを確認する。先ほどの男女と二つの家族、子供たちを含め、おおよそ十人ほどがオディールの方に静かに視線を注いでいた。彼らの視線には、一抹の戸惑いが見て取れる。華奢な十五歳の金髪少女が領主であることはやはり不安を呼ぶのだ。
延々と砂漠を数百キロ飛んで、着いたのは何もない花畑であり、領主は少女だという。その困惑は痛いほどわかる。何しろセント・フローレスティーナには夢と希望しかないのだから。
とは言え、もはや賽は投げられたのだ。オディールは彼らを見回し、ゴクリと唾をのんだ。
「ほら、なんとか言え」
え? えーと……。
レヴィアに促され、何か言おうと口を開いたものの、オディールにはいい言葉が思いつかなかった。
まだ何もないこんなところに来てくれる移住者は本当に奇特な人たちだ。ありふれた歓迎の言葉など微塵も足りなく感じてしまう。
「あ、あのぉ……」
オディールはみんなを見回して声を出したものの、頭が真っ白となってしまう。
「飾った言葉なぞ要らんぞ」
見かねたレヴィアが耳元でアドバイスする。
う、うん……。
オディールは大きく息をつくと、ニコッと笑って言った。
「ようこそ、セント・フローレスティーナへ! まさか最初からこんなに来てくれるなんて思ってなくて……」
オディールは急に涙があふれ出し、声が詰まる。
見も知らぬところへ移住しようというのは人生における大きな賭けだ。きっとこれから多くの困難が待っているだろう。それを即断即決して数百キロを旅してやってきてくれた十人の決意に思わず胸が熱くなってしまう。
「お姉ちゃん、ガンバッテ!」
小さな女の子が応援してくれる。
ハハッ!
オディールは笑顔を作って女の子に手を上げ、涙をぬぐう。
「立派なことは言えません。街も見てもらえばわかる通り作り始めです。でも、ここは百万人が笑う素敵な花の都になるんです。ぜひ、僕を助けてください。お願いします」
深々と頭を下げるオディールにみんなは熱い拍手で応えた。
「任せとけって! 俺が素敵な街にしてやっからよ!」
バンダナ男は得意げに胸を叩く。
「なーにを偉そうに! コイツの言うこと真に受けちゃダメですよ!」
赤毛の女性は肘で男を小突いた。
「な、なんだよぉ、俺は大工の腕ならだれにも負けねぇっての!」
「あんたはこの街のどこに木があると思ってるんよ?」
「え……? 石造り……、花畑……、砂漠……、NOぉぉぉぉ!」
バンダナ男は頭を抱え、ひざから崩れ落ちる。
キャハハハ!
小さな女の子が男を指さして笑い、みんなもひょうきんな男の様子に思わず笑いがこぼれる。
「君は大工さんなんだ。材木はちゃんと用意するから頼りにしてるよ」
オディールは楽しい男の登場を頼もしく思い、肩をポンポンと叩いた。
「おぉ、領主様! ありがてぇこってす!」
バンダナ男は目をウルウルさせながらオディールに両手を合わせた。
男の名はトニオ、赤毛の女性ファニタとは幼馴染で二人とも若いころは冒険者として腕を磨いてきた仲である。だが、激しい魔物との戦いの中で才能に限界を感じ、二人とも村へ帰ってきて家業を継いでいた。トニオは手先が器用で、家だけでなく家具も作れるし、ノミで木彫り細工なども作っている。
一方、ファニタは鍛冶屋で、鍋、釜、農具を作るだけでなく、刃物も鍛えられるという若いのにいい腕をした職人だった。
残りの家族連れはガスパルの子供夫婦で、農作業を担当する。
「さあさあ、堅い話は止めにして乾杯としよう!」
レヴィアは空間を裂くと中から肉やら酒樽やら晩餐の材料を取り出した。
「おぉ、肉に酒! いいっすねー!」
トニオは有頂天で飛び上がり、手際よく手伝っていく。
やがてステージの真ん中は飲み会の会場に早変わりしていった。
◇
「ヨシ! 乾杯じゃ! 領主! おい、領主どこ行った?」
レヴィアは酒樽を持ち上げながら辺りを見回す。
「オディ、呼んでるわよ!」
ミラーナはオディールの背中をパンパンと叩いた。
「え? 僕……?」
急に家族がたくさん増えたような思いでみんなをぼんやりと眺めていたオディールは、いきなりのご指名に驚く。
「そんなとこにいたか、はよ乾杯の音頭を取らんかい!」
オディールは頭をかきながら前に出ると、グラスを高く掲げた。みんな早く飲みたくてうずうずしているのが伝わってくる。
移住者を迎えたセント・フローレスティーナは今宵、街としての一歩を踏み出したのだ。もうただの花畑ではない。この歓迎会はセント・フローレスティーナの誕生祭でもある。
こみあげてくる感慨に少し目が潤み、ふぅと息をついたオディールは腹から大きな声をあげた。
「はるばるようこそ! 今日はみんなの歓迎会だよ。楽しんでね。それじゃ行くよぉーー! セント・フローレス?」
「ティーナァ!」「ティーナ!」「ティーナ!」
ジョッキが夕暮れ空に高々と掲げられ、みんな笑顔でジョッキを合わせ、のどを潤していく。
パチパチパチと盛大な拍手が上がり、歓迎会はスタートした。
◇
「オディールさん、ここは素敵なところっすねぇ」
トニオは真っ赤な顔をして上機嫌にオディールの席へとやってくる。
「どう、気に入った?」
オディールはリンゴ酒のジョッキをトニオのジョッキにコツンとあわせながら聞いた。
「いやもう最高っすよ、ロッソも花畑もいいんすけど、このステージは何なんすか? 広くてきれいで快適。こんな建物見たことないっすよ!」
トニオは興奮気味に言った。夕暮れの茜色に染まる白い御影石のフロアは、まるで豪華客船のような優雅な水上のステージになっている。
「いいでしょ? ここが我がセント・フローレスティーナの中心だよ」
「ほんと、感動っすよ! ヨシ! この感動を踊りで表現するっす!」
トニオはタタッと距離を取ると、赤く染まるロッソを背景にタッタカタカタカと軽快にタップダンスを始める。革のベストにキャスケット帽でキメたトニオは、小粋なリズムをセントラルに響かせた。
いきなりハーモニカの躍動的な音色が響き渡り、ダンスをグンと盛り上げる。
見るとヴォルフラムがご機嫌な様子で小さなハーモニカを奏でていた。
ファニタはクスッと笑うと、スプーンを二本取り、テーブルと皿を打ち鳴らしてドラム演奏を始める。
トニオはそんな二人を見てニヤッと笑うと、気合を込めて陽気な気持ちを体全体で表現し始めた。自分自身を軽快なリズムに任せ、手足をリズミカルに交差し、手を高々と挙げては前後にステップを踏む。
大工とは思えないキレキレのダンスに手拍子が巻き起こり、ガスパルはピューイ! と口笛を吹いた。
ステージはトニオの情熱的なパフォーマンスによって、瞬く間に熱狂的な雰囲気に包まれる。
その圧倒的な熱量、オディールは手を打ち鳴らしながら、人が集まって発生するケミストリーに思わず涙ぐんだ。街を作るというのは単に人口が増える事ではなくこういう情熱が湧き出すステージを作ることなのだ。
自分が生み出したこのステージはどこまで大きくなってくれるだろうか? オディールは楽しそうなみんなの笑顔を眺めながら街づくりの重責と尊さを深く受け止めた。
ひとしきり踊ったトニオは実感に満ちた顔で両手を高く上げ、見事な決めポーズを披露する。
「イェーーイ!」
するとガスパルが飛び入りし、タッタカタカタタタタとトニオより軽快なリズムでステップを踏んだ。
「おぉーーーー!」「じぃちゃん無理すんなーー!」
観客から声がかかる。
仁王立ちになったままピョンピョンピョーンと跳んだかと思えば、足をブンと回しながら高々と掲げ、その勢いでくるっと回った。
昨日まで杖をついていたはずのガスパルは、老人とは思えないキレッキレのパフォーマンスで場を盛り上げ、ガッツポーズでトニオを挑発する。
トニオは負けじとさらに一段高速なリズムでダンスバトルを挑んでいった。
両者一歩も引かないバトルでステージには汗が飛び散る。
観客も大盛り上がりで、手拍子がセントラルに響き渡った。
直後、足がもつれたトニオが派手にすっころぶ。
ああっ! きゃぁ!
一瞬、静まる観客。
「くはーーーー! 楽しっす! サイコーー!」
トニオは大の字に手足を伸ばして叫んだ。
「ワハハハ!」「トニオいいぞー!」
笑いが起こり、子どもたちがステージに出てきて真似して踊り始める。
ヴォルフラムは子供たちに合わせて、少しスローなスタンダードナンバーに変更し、ファニタもリズムを合わせた。
はしゃぎながら楽しく踊る子供たち。大人たちは優しい笑顔で見守った。
「私たちも行きましょ?」
ミラーナはニコッと笑ってオディールの手を取る。
「えっ? お、踊るの?」
いきなりの提案に腰が引け気味のオディール。
「昔よくダンスの練習、二人でやったじゃない?」
ミラーナは諭すように温かい笑顔でオディールを見つめる。
「う……うん……。よしっ!」
オディールはリンゴ酒のジョッキをグッとあおると覚悟を決めて立ち上がり、ミラーナの手を引いて子供たちの隣までやってくる。
二人はしばらく見つめあい、やがて静かに動き出す。
手をつないでお互いをクルリクルリと回しあい、足を右右、左左と前に出し交差させてクルリと回って戻る。
「おぉぉぉ!」「領主様ー!」「オディールさまー!」
その息のぴったりと合ったダンスにステージは最高潮に盛り上がった。
やがてレヴィアや子供たちの親たちも踊り始めて、セントラルには楽しい声が響き渡る。
ひとしきり踊ったオディールとミラーナは、ステージの隅で緩やかなペアダンスを続けた。
「ねぇ、オディ……」
ゆったりとステップを踏みながらミラーナはオディールを見つめる。
「ん? 何?」
「私、何だか幸せすぎて怖いの」
ミラーナの微笑みには、わずかに憂いの色が見て取れた。
メイドとしての働き詰めの生活から一転した、彩り豊かな暮らし。日々新たな挑戦と笑いがあり、夢に満ちた仲間たちに囲まれた生活はミラーナの心を解放していたが、あまりにも急速な変化に彼女はまだ戸惑いが残っていた。
「怖くないよ、これからもっともっと幸せになるんだから」
オディールはニッコリと笑い、残照で真っ赤に浮かぶロッソを背景にミラーナをゆっくりと回す。
「……。本当?」
つないだ手をギュッと握るミラーナ。
「僕がちゃんと幸せにするよ」
オディールは屈託のない笑顔で潤んだブラウンの瞳を見つめた。
ミラーナはわずかな困惑見せ、目を見開くと、クスッと笑う。
「オディ、それってなんだかプロポーズみたいだわよ?」
「えっ、あっ……。僕はそのぅ……」
期せずして告白してしまったオディールは動揺を隠せない。
「オディももう少ししたら素敵な殿方に恋をすると思うの。こんなところでプロポーズしてても仕方ないわよ?」
ミラーナはたしなめるようにオディールの顔をのぞきこむ。
「ぼ、僕はそんな恋なんてしないの! ミラーナが一番なんだから!」
「はいはい。嬉しいわ」
ミラーナは余裕のある笑顔でオディールの周りをゆったりと弧を描きながら回る。
「もぅ! 本当だよ!」
「はいはい」
オディールは口をとがらせ、ミラーナはそんなオディールを愛おしそうに見つめた。
こうしてその晩はみんな夜遅くまで飲んで歌ってはしゃぎ、セント・フローレスティーナの新たな一歩を祝ったのだった。
◇
その後、セント・フローレスティーナは急速に発展していった。セントラルはほどなく十階建てになり、移住者がどんどんと入居してにぎやかになっていく。
オディール達は上下水道を整備し、運河を掘り、道を引き、街のインフラを整備して住みやすい街へと変えていった。
整備が進むにつれ話題となり、移住者はどんどんと増えていく。二カ月もすると人口は千人を超えて村の規模となる。ここ数年の異常気象が今年は特にキツいようで、暮らしが立ち行かなくなった農家を中心に移住希望者が相次いだのだった。
そんな窮状はどこ吹く風のセント・フローレスティーナでは毎朝雨が降り、暑い日には雲が出て雹が降る。
セントラルには子供たちのはしゃぐ声、槌やノコギリの音がにぎやかに響き、夜になると歌や手拍子、笑い声がステージを彩った。
こうして急速に街の形を整えていくセント・フローレスティーナ。畑ではロッソから降り注ぐ聖気のおかげですでに麦が色づき始めていた。
ガラーン、ガラーン!
セントラルの屋上にある鐘楼からの大きな響きが、朝の爽やかなセント・フローレスティーナを優しく包み込む。
「さぁみんな、今日は収穫だよーー!」
オディールはセントラルのステージに立ってみんなに手を振る。
ぞろぞろと出てきた住民たちはステージのオディールを見下ろすと、パチパチパチと拍手で応え、手を振り、口笛を鳴らした。
今日は初めての収穫、初の住民総出の共同作業である。
「そしたらみんなでレッツゴー!」
オディールは期待と不安が織り混じる中、右腕を突き上げ、ピョンと跳んだ。
◇
広大な麦畑では豊かに熟した黄金色の穂がさわやかな朝の風にそよぎ、ウェーブを作っている。
麦畑ではすでに今日の主役、ヴォルフラムが精神統一をして手順を確認していた。彼の風魔法を使って麦の穂を集めてくるのだ。責任重大である。
「そんな緊張しなくたっていいって!」
オディールはヴォルフラムの背中をパンパンと叩いた。
「いやでも、穂だけをうまく切り落として巻き上げる……、ちょっと難易度高すぎですよ……」
「大丈夫、大丈夫! 練習通りにやればいいからさ」
「そうよ、上手くやろうなんて思わずに、淡々とやればいいわ。お茶でも飲んで」
ミラーナもニッコリとほほ笑みながらマグカップを手渡した。
◇
空き地にむしろを敷き詰め、準備が整うといよいよ収穫である。
ヴォルフラムは大きく息をつき、魔法手袋を装着すると両手を麦畑へと伸ばし、真剣な表情でイメージを固めていく。
千人の視線がヴォルフラムに集まり、辺りは緊張感に満ちた沈黙に覆われた。
「子リス頑張るっすよー!」
トニオは空気を読まず腕を突き上げ叫ぶ。
すかさず、パシーン! とファニタがすかさずトニオの頭をはたいた。
「何言うとるんよ! 静かにしときんさい!」
まるで漫才のような息の合った突っ込みに、ドッと笑いが起こり、辺りを包む。
トニオは頭をさすりながら、ファニタをジト目でにらんだ。
一旦集中が途切れてしまったヴォルフラムだったが、おかげで余計な力も抜け、ニコッと笑うと自然体で風刃の呪文を唱えていく。オディールはそれに合わせてヴォルフラムの背に手を当て、魔力を一気に注ぎ込んだ。
一瞬二人は閃光を放ち、直後、緑色のまぶしい輝きを放ちながら、巨大な空気の刃が黄金の麦畑を軽やかに飛んでいく。
間髪入れずに放たれる竜巻。風刃で一旦宙に舞い上がった麦の穂を竜巻が追いかけながら回収していくのだ。
たわわに実った黄金色の麦の穂は竜巻の中にぐんぐんと吸い込まれ、天高く巻き上げられていった。
およそ百メートル範囲の麦の穂はこうして全て宙に舞い、やがてむしろのあたりに降り注ぐ。
まるで豪雨のように降り注ぐ大量の麦の穂。セント・フローレスティーナにもたらされた豊穣の恵みが今、黄金色の雨になって山のように積み上がっていく。
住民たちはその幻想的な光景に思わず息をのみ、あるものは涙ぐみながら手を合わせる。
最後の穂がパサっと麦の山に落ちた時、万雷の拍手が麦畑に響き渡った。
麦さえあれば飢えなくて済む。干ばつに苦しんでいた農民たちにとって、それは命を潤す恵みだった。
「ブラボー!」
ファニタは肩で息をしているヴォルフラムに駆け寄ると、ムキムキの腕に抱き着いた。
「あんたやるなぁ、何? 今の魔法。あんな盛大な魔法、うち見たことないって!」
いきなり抱き着かれたヴォルフラムは焦って、真っ赤になってしまう。
「あ、こ、これは姐さんの力で……」
「何言うとんの? こんな難しい技を一発で決めるなんてそうはできんよ」
「そうだよ、ヴォルはもっと胸張って!」
オディールはウブなヴォルフラムの様子に吹きだしそうになるのをこらえながら、背中をパンパンと叩いた。
トニオはジト目で口をとがらせる。
「何だよ、俺のこと褒めてくれたことなんて一度も無いってのに……」
「あらそう? じゃあ次、活躍したら褒めてあげるよ」
ファニタはニヤッと笑い、トニオの肩を叩いた。
「やった! 俺にもちゃんとしがみついてよ?」
トニオは嬉しそうに腕をまくり、力こぶを見せる。
しかし、ファニタはフンっと鼻で笑う。
「ちょっとこれ見ちゃうとねぇ……」
ヴォルフラムの異常に発達したムキムキの筋肉を、ファニタはトロンとした目でなでる。
「え? いや、ちょっと……」
女の顔になったファニタに焦るヴォルフラム。純朴な田舎青年は女性に迫られることに慣れていないのだ。
「くぅぅぅ、子リス! 覚えてろぉ! 俺もムキムキになってやっからよ!」
二人のやり取りに耐えられなくなったトニオは、ヴォルフラムをビシッと指さしながら、涙目で駆けていった。
◇
ガスパルは竿をみんなに配っていく。
「はい、みんなーー! 竿持って叩いてよー!」
集まった麦の穂は竿でバシバシと叩いて脱穀する。叩くことで穂から実が落ちるのだ。
キャハハッ!
子供たちも大人をまね、子供用の短い竿で叩いていく。叩くたびに穂からバラバラッと実が飛び散り、みんな楽しそうに作業を進めていった。
この一粒一粒が命をつなぐ貴重な食料である。砂漠のど真ん中で得られた初めての収穫物に感謝しながら、みんな無心に叩き続けた。
脱穀したらふるいにかけ、実だけにする。パンパンに膨らんだ大粒の実は見るからにおいしそうで、見る者全ての表情をほころばせた。
「なんと立派な実じゃ!」「これをパンにしたら美味しくなるよ!」「やったぁ!」
収穫の喜びがみんなを心地よく包み込み、幸せの息吹を運んでくる。
次は男たちの力仕事、石臼挽きだ。ミラーナの作った巨大な岩の石臼を、男たちが総出で回して挽いていく。
「おらぁ! やったるでー!」
トニオも気合十分で石臼についた棒を押し、回していった。
回すたびにゴリゴリと思い音を響かせながら、石臼のヘリからは砕かれた麦がポロポロとこぼれていく。これでようやく食べられる粉となったのだ。
こうして製粉された小麦粉は次々と袋詰めされ、積み上げられていく。大地の恵みがみんなの力で小麦粉の山へと変わっていったのだ。
その輝くような白い粉は、パンになり、麺になり、セント・フローレスティーナの活力へと変わっていくだろう。
次々と積み上がっていく小麦粉の袋を見ながら、住民はみな笑顔で充実感のある汗を流していた。
◇
日も傾いてきたころ、無事、住民総出の収穫も終わり、いよいよ収穫祭が始まる。
セントラルの広場では、レヴィアが真っ赤に熱した石窯を使い、次々とアツアツのピザが焼かれ、テーブルに配られていく。ピザの上にはカラフルな撫子やパンジーの花びらを盛り付け、何ともおしゃれな花のピザになっていた。
エールやリンゴ酒の樽も次々と開けられ、みんな思い思いに好きな飲み物を手にした。
「はーい、みんなー! 注目だよー!!」
赤毛を編み込み、紺色のジャケット姿のファニタがパンパンと手を叩きながらステージで叫ぶ。
「はい! そこ! こっち向くんだよー! ……。これより、収穫祭を始めるよー! それでは我らが領主、オディール・フローレスティーナ様よりご挨拶をいただくよ! みんなちゃんと聞いてよー!」
ザワザワしていた会場も一気に静まり返る。
夕焼けに真っ赤に輝くロッソをバックにオディールはステージに上がり、優雅な身のこなしで頭を下げる。白地に花模様の金の刺繍のついたドレスに身を包んだオディールは、魔法のスポットライトで明るく浮かび上がった。
おぉ……。うわぁ……。
農作業姿とは打って変わって、元公爵令嬢の洗練されたスタイル、身のこなしにみんなどよめいた。
オディールは集まってくれた住民のみんなを見渡し、微笑みを浮かべる。一人一人移住時にあいさつはしているものの、こうして正装でみんなの前に立つのは初めてなのだ。
「みなさん、お疲れさまでした」
ニコッと笑うオディール。
「お疲れさまー!」「オディールさまー!」「素敵ー!」
会場からは熱気がほとばしる。
オディールはそんなみんなの顔を見回し、感慨深そうに微笑む。
数か月前までただの砂漠だったところに花が咲き誇り、街が育ち、今、幸せな笑顔を浮かべるたくさんの人々が集まっている。それはまさに奇跡だった。
オディールは改めて自分のやってきたことは間違っていなかったのだと思いを新たにし、潤んでくる目頭をそっと押さえた。
静まり返る会場。
オディールは大きく息をつき、顔を上げる。
「この砂漠のど真ん中で、作物が大きく実り、食べ物が自給自足できるようになりました! これもみんなのおかげだよ! ありがとーう!」
大きく腕を突き上げるオディール。
うぉぉぉぉ!
空気が震えるほどの歓声が上がる。
オディールは両手を大きく広げ、歓声を受け止めながら会場の隅から隅までを満面の笑みで眺めていった。
一通り見まわすと、自分は幸せものだと深く感謝しながら深々と頭を下げる。
パチパチと万雷の拍手が会場を包んだ。
タイミングを見計らったミラーナがリンゴ酒のグラスを持ってステージにのぼり、オディールに手渡す。
オディールは笑顔で受け取って会場へと差し向けた。
「では、そろそろ乾杯しましょ? 今、手元に配ってる食べ物、それ、ピザって言うの。うちの畑で獲れたもので作ってるよ。お花が乗っててね、さわやかな苦みが結構癖になるんだ。これ、うちの名産品にするから食べてみて、美味しいよ! それじゃ、いくよ? カンパーイ!」
オディールは満面の笑みでグラスを高々と掲げた。
「カンパーイ!」「カンパーイ!」
みんなエールのジョッキをゴツゴツとぶつけ、ゴクゴクとのどを潤していく。
「クハーーッ!」「美味い!」
あちこちで声があがり、パチパチパチとひときわ元気な拍手がセントラルに響き渡った。
こうして、街で最初のイベント、収穫祭は順調にスタートした。
ただ、千人のイベントの裏方は大変である。
ミラーナを中心としたピザ焼き部隊がフル回転で次から次へと焼いていくが、大好評で焼くそばから飛ぶように消えて行ってしまう。
「トニオ! ピザ生地まだね? 待ってるんだけど?」
綿棒で丸く引き伸ばしているトニオにファニタが怒る。
「だってコイツ、伸ばしてもすぐ元に戻っちゃうんだよぉ」
泣きそうになりながら力いっぱい伸ばすトニオ。
「おい、見なよ。こう回すんだよ」
ガスパルが、指先でクルクルッとピザ生地を回し、空中でどんどん大きく伸ばしていく。
「えっ!? 何それ?」
トニオは目を丸くして、あっという間に出来上がっていくピザ生地に唖然とする。
「お主には無理かな? カッカッカ」
ガスパルは笑いながら二枚目を回し始めた。
「くぅっ! 俺も回してやっからよ!」
真似してクルクルと回してみるトニオだったが、あっという間に失敗して床に落としてしまう。
「ああっ!」
「何やっとるんよ! あんた食べなさいよ!」
ファニタがパシッと頭をはたいた。
「くぅぅぅ、もう一回!」
トニオはもう一度指先でクルクルと回してみるが、やはりうまくいかず、ピョンと飛んで行ってしまう。
運悪く、生地はそのままファニタの顔にぶつかり、辺りに粉が散った。
粉だらけのファニタは怒りに震えながら鬼の形相でトニオをにらむ。
「ひっ!」
危機を察知したトニオは一目散に逃げだそうとしたが、一瞬遅く襟元をファニタにガシッとつかまれる。
あわわわわ……。
「『ごめんなさい』は?」
ファニタはギロリとトニオをにらんだ。
「ピザ生地が勝手に逃げ出したんだって! 俺のせいじゃないってば!」
「生地のせいにしない!」
パシーン!
あひぃ!
二人の掛け合いが広場に響き、笑いが起こった。
「おぉ、やってるやってる」「トニオ、謝れー」「もう一緒になっちゃえ!」
やじ馬の声にファニタは怒る。
「誰がこいつと一緒になるんよ?」
「え? 結構いい物件だと思うけどなぁ」
トニオはにやけて返す。
「いい物件はピザ生地ぶつけないの!」
ファニタは手にした綿棒でトニオのお尻をパシッとはたく。
「いてて、暴力はんたーい! みなさんもちょっと言ってやってくださいよ!」
トニオはおどけながら観衆にアピールする。
ワハハハ!
上がる笑い声。
もはや名物となってしまった仲良くケンカする二人を、みんな笑いながら温かく見守っていた。
結局その日は多くの酒樽が空っぽになって転がり、夜遅くまでにぎやかな声がセントラルにこだましていた。