アルミュール砦での戦闘から半月後。
ミルドアース軍内ではついに、レベル90を超える英雄級へと昇格した者が誕生した。英雄級の参戦によって戦争はより激化し、戦況は目まぐるしく変化していく。
変化は、グラムロックの身近な人物達にも起こり始めた。
「老兵はここいらで引退だ。幸運を祈る!」
英雄級誕生の朗報から程なくして、戦場での負傷を理由を斧騎士のマックスが引退。療養のため、故郷であるフォールクヴァング領南部、エトワールへと帰還した。
負傷を理由に引退というのは、あくまでも表向きの理由だ。実際は病の侵攻により、これ以上戦場に立ち続けることは難しいという判断によるものであった。戦友たちに余計な心配をかけたくないという本人の意向により、病については伏せられたまま、マックスは戦場を去っていった。
「嬉しい一方で、グラムロックやノルンと離れ離れとなってしまうのは寂しいですね」
マックスの引退から二か月後。長らくグラムロックと同じ部隊に所属していた白魔導士のウルスラが、ユニークスキルの発現を期に頭角を現し、ついにレベル90に到達、英雄級へと昇格した。軍全体では4人目。女性としては初の快挙である。この頃より彼女の異名も、それまでの「慈愛の聖女」から「救世の聖女」へと変化した。
英雄級の実力者として、ウルスラは大隊クラスの指揮官として別部隊へと配属。グラムロックらの部隊を離れることとなる。お互いに多忙を極め、顔を合わせる機会は激減。そんな状態が、戦争終盤に大部隊が再編制されるまでのあいだ続いた。
それから程なくして、グラムロックは決して忘れることの出来ない悲劇に見舞われる。
「……町が、壊滅した?」
数十体もの氷塊巨人との激戦から生還したグラムロックの下へと突然、悲報がもたらされた。
グラムロックの故郷であるグリトニル領西部の港町が、突発的に発生した氷魔軍の侵攻により壊滅したのだ。住民は全滅。犠牲者の中にはグラムロックの妹と、伯母夫婦も含まれていた。
戦場で剣を振るい続けることにかまけてグラムロックは結局、一度も故郷へ里帰りしていなかった。自分が戦線を離れている間に新たな悲劇が生まれてしまうかもしれない。そう思うと、里帰りの時間が惜しかった。それがまさか、最前線で剣を振るっている間に、戦渦の影響が少なく比較的安全な地域であったはずの故郷に悲劇が訪れるなんて、あまりにも皮肉な話だ。
この時点でグラムロックのレベルは78。複数体の氷塊巨人ですらも一人で相手出来る程の力を得たというのに、肝心な時に大切な家族を守ることが出来なかった。妹はきっと、遠方にいる兄に助けを願っただろうに。
家族には会える時に会っておいた方がいい。
今は亡きカーラの忠告が呼び起こされる。もしも別れが訪れるなら、戦場に生きる自分が死んだ時だとばかり思っていた。それがまさか、平和に暮らしていたはずの妹の方に死が訪れるなんて。最後に顔を合わせたのはもう、随分と前のことになる。どうして会いに行ってやらなかったのだろう? 激しい後悔が止めどなく溢れ出し、グラムロックの感情を激しく揺さぶった。
「俺は無力だ……俺は……」
「グラムロック様……」
悲報を聞いた瞬間に泣き崩れたグラムロックを、ノルンアークはただただ抱きしめ続けた。前に彼が自分にそうしてくれたように、感情が落ち着くまでの間、ひたすらその身に寄り添い続けた。
「……グラムロック様は十分に戦われました。もう、楽になってもよろしいのではありませんか?」
「……ここまで来て、いまさら立ち止まれるかよ」
剣を振るうことを辞めたら、きっとその瞬間に心が折れてしまう。故郷に帰る時間を惜しみ、ひたすら戦ってきた自分に嘘をつくわけにはいかない。守るべきものが失われてしまったからこそ、悲劇を減らしたいという願いだけは、絶対に裏切るわけにはいかない。
「分かりました。私はどこまでもグラムロック様と共に参ります」
「……お前は死ぬなよ」
「グラムロック様こそ。あなたが居なければ、私はきっと生きていけませんから」
「そうか……なら、俺も死ぬわけにはいかないな」
悲劇で傷ついた感情を誤魔化すように、時にお互いの心の傷に手を翳し合いながら、二人は戦場に立ち続けることを選んだ。命の危機に瀕する場面もあったが、運命は常に二人を生かし続けた。時には自力で、時には幸運に助けられながら、二人は死に物狂いで戦場を生き抜いていく。
「平和が訪れたら、グラムロック様はどうなされるおつもりなのですか?」
「具体的なことは何も考えていないが、良くも悪くも戦場に身を置き過ぎた。戦後は静かな田舎でゆっくりと隠居するのもありかもな。そういうノルンアークは、平和になったら何かやってみたいことはないのか?」
「そうですね。ミルドアースでいうところの、平穏な日常というものを送ってみたいです。料理をしたり家事をしたり、お買い物をしたり」
「素敵な目標だと思う。ノルンアークが平穏な日常を送れる新天地を見つけられるように俺も手伝うよ」
「私はどこまでもグラムロック様についていくと誓いました。私の新天地があるとすればそれは、グラムロック様の隠居先です」
「お前にはお前の人生がある。何も戦後にまで俺に付き合う必要は無い」
「私にとってはそれが幸せなのです。ご迷惑でなければ、どうか戦後も私をお側に置いてくださいませ」
「……考えておく」
そして五年前。二年近くに及んだ氷結戦争は、ミルドアース軍の勝利によってついに終結を迎えた。
戦後、グラムロックとノルンアークは、戦友でもある「救世の聖女」ウルスラからの誘いを受け、新興領フェンサリルの立ち上げへと参加することとなる。
氷結戦争を経た今、あらゆる種族が手を取り合い、平和な時代を築き上げていくべきだと確信したウルスラは、あらゆる種族に対して開かれた土地であれという理念の下にフェンサリル領を建領した。その理念は、敵対する世界の出身であるノルンアークとも、友情を築くことが出来た経験も大きく影響していた。
フェンサリル領が正式に発足すると同時に、グラムロックとノルンアークはフェンサリル領の市民権を取得し移住。その際にノルンアークは名前をノルンと改めた。ミルドアースにやってきて最初に出会った、カーラとマルコのつけてくれた愛称を大切にしていきたいというノルンの思いからである。
グラムロックは本名であるグラムロックの名で市民権を取得したが、ノルン同様にカーラとマルコのつけてくれた愛称には思い入れがあり、人前ではグラムの名を名乗るようになった。彼を本名のグラムロックと呼ぶのは、終戦以前の一部の関係者のみ。フェンサリル領内ではウルスラだけである。
以降、五年間。
グラムとノルンは町はずれの家で二人、平穏な日常を送って来た。
「――以上が、私とグラム様の出会いと、このフェンサリル領へ移住するまでの経緯です」
憂いを帯びたノルンの語りに、誰もが終始無言で聞き入っていた。良く悪くもマイペースなノルンと、彼女の口から語られた、多くの悲劇を含んだ壮絶な過去とのギャップには正直、誰もが驚きを隠せないでいる。普段のノルンはそういった過去を一切感じさせないくらいに活き活きとしているから。
感情移入してしまったのか、シグリは少し涙目になっており、隣のレンカの袖を握っている。
レンカとクリムヒルデもノルンとグラムの経験した壮絶な過去に言葉を失っていたが、同時にワープスキルで現れたグラムがどうして見ず知らずの自分のために力になってくれたのか、ようやくその理由に合点がいった。
幼い姉弟や大切な家族の命を救えなかった経験故に、グラムは窮地に陥った誰かを全力で助けたいという思いが人一倍強いのだ。だからこそ、初対面の誰かのためだとしても、問題解決のために全力を尽くしてくれる。
「ノルン殿は、ニブルアースからの亡命者だったのだな」
「見方が変わりましたか?」
ノルンは微笑みを浮かべてクリムヒルデへと語り返した。クリムヒルデが、悪意をもってそのような言葉を発するような人物でないことは、ノルンだって分かっている。
「私は偏見など持たぬよ。ただ、貴女の心の強さに感服していただけだ。辛い過去を乗り越え、今はこうしてグラム殿と共に平和な世を生きている。そんな貴女のことを私は尊敬しているよ」
「尊敬だなんてそんな」
裏表のないクリムヒルデの感情はいつだってストレートだ。珍しくノルンも照れ臭そうにしている。その一方で裏表がないからこそ、クリムヒルデはノルンについて納得いかない部分もあるようで。
「……ただ、話を聞いていて一つだけ気になったことがある」
「何でしょうか?」
「失礼を承知で尋ねるのだが、語られた過去の印象と、今のノルン殿の印象が少し異なるのが気になってな。その……時々飛び出す性的な発言とか」
「あらあら」
礼儀正しい性格は回想と違わぬが、少なくとも過去のノルンは性的な発言とは縁遠そうな、お淑やかで上品な印象が強い。5年という歳月は人を変えるには十分だろうが、どういった経緯で現在のノルン像が出来上がっていったのかは気になるところだ。
まったく同じ疑問を抱いていたのであろう。クリムヒルデの疑問に便乗し、レンカもコクコクと頷いている。普段シグリの前では極力性的な話題は出さないようにしているので、シグリだけは話の流れについていけずにキョトンとしている。
「それはですね……」
再びノルンの口調が憂いを帯びる。ひょっとしたら振る舞いの変化にも、何か並々ならぬ理由があるのかもしれない。クリムヒルデとレンカが緊張感から唾を飲み込む。
「フェンサリル領へ移住してから間もなく、ミルドアースの文化を学ぼうと、お料理や家事の勉強の傍ら、大図書館に入り浸って大衆小説を読み漁っていたのですが、そこで読んだ、主とメイドの濃密な日々を描いた官能小説にはまってしまいまして。いつの間にやら影響されてしまいました。慣れとは恐ろしいものですね。性的な発言も最初は恥ずかしかったのに、口に出している内にだんだんと恥じらいが無くなっていきました」
思わぬカミングアウトに、レンカとクリムヒルデが分かりやすくずっこけた。
一方的にドラマを想像していたのは確かに二人の落ち度だが、だからといって官能小説に影響されて振る舞いに変化が現れたなど、流石に予想外であった。そういったことを楽しめるまでにノルンの心に平穏が訪れたのだと考えれば、心温まる? 話だとは思う。
「一度試しに、グラム様にもタイトルを偽って読ませてみたのですが、数ページ読んだだけで赤面して本を突き返してきました。そんなに刺激の強い作品でしたでしょうかね?」
「……騙し討ちで官能小説を読ませるとは、ノルン殿はやはりユニークなお方だな」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてないと思いますよ、ノルンさん」
上機嫌に笑っているノルンとは対照的に、クリムヒルデとレンカはリアクションに困って苦笑している。
そんな中、一人だけ話についていけていなかったシグリが不意に立ち上がり、小首を傾げながらノルンの後方を指差した。
「あの人、誰でしょうか?」
それまで四人しかいなかった平原に突如として出現した第三者の姿。その気配に、高レベルの魔導士であるノルンや、武人であるクリムヒルデも今の今まで気がつかなかった。
「久しぶりだな。氷魔軍のスパイ」
懐かしく、それでいて悪意を含んだ物言いに、ノルンの表情が凍り付く。
「……アラングレン。どうしてあなたがここに」
視線の先に立つのは、茶色の長髪を結い上げた、左目に眼帯をはめた男。身に着ける黒いロングコートの腰の位置には、ベルトで固定された二本のハルペーが見える。五年もの歳月で風貌はやや変わったが、あの二本のハルペーや悪意を含んだ笑みを見間違えるはずがない。かつてのトリルハイム領での戦闘に参加した勇者級の一人。アラングレンがそこにはいた。
「お前に会いに来たに決まっているだろう。見つけるのには随分と苦労したよ。まさか、ウルスラさんの興したフェンサリルに逃げ込んでいたとはね。まったく、あの人のお人好しにも飽きれたものだ」
声色こそ好青年のように爽やかだが、その表情はまったく笑っていない。
氷結戦争終戦からもう5年も経つというのに、外見以外はあの頃と一切変わっていない。残念ながら、穏便に事が済む雰囲気では無さそうだ。
「ノルン殿、アラングレンと言ったがまさかあの男?」
「……先程のお話しに登場したアラングレンです。アルミュール砦での一件以来、一度も会ったことはありませんでしたが」
風の噂では、アラングレンは氷結戦争終結後、その戦闘能力を見込まれて多くの地域や組織から勧誘を受けたそうだが、全ての誘いを蹴って失踪。その後の動向は一切不明であった。そんな男が終戦から5年もの月日が経った今、どうして再びノルンの前に姿を現したのか。最悪な想像が頭を過る。
「ご用件はなんでしょうか? まさか、昔懐かしい顔にふらっと会いにきた、というわけではないでしょう」
「決まっているだろう。氷魔軍関係者は一人残らず皆殺しだ。もちろん君もね」
「アラングレン殿と言ったか。大戦の勇者と承知の上で物申させて頂く!」
正義感の強いクリムヒルデが横から話に割って入った。
いかに相手が大戦で活躍した勇者級であろうとも、その行いに正義が無いのなら、臆さず毅然とした態度で臨んでいく。
「ノルン殿は大戦時に亡命し、ミルドアース側に協力してくれたお方だ。現在は正式に市民権を有するフェンサリル領の領民でもあらせられる。彼女を敵視する理由がどこにある? 正当性無く彼女を断罪しようとする貴殿の行いこそ罪ではないのか?」
「外野は黙っていろ! そいつは敵だ! ミルドアース全体の敵だ! 悲劇を繰り返さないために、氷魔軍の関係者を生かしておくわけにはいかない」
「……何を言っているのだ?」
問いかけに対する答えにまったくなっていない。ノルンのスパイ容疑など氷結戦争時点ですでに解けている。亡命に関しても、公的機関による正式な手続きに則って行われたものだ。なお、戦中にはミルドアース全域で、ノルン以外にも百数名の氷魔軍関係者が、厳正な審査を受けた上でミルドアースへの亡命を果たしている。
ノルンには一切非はなく、対するアラングレンの主張には一切の正当性が存在しない。アラングレンは氷魔軍は全て殺さねばならないという、己の正義を妄信しているに過ぎないのだ。それが歪んだ正義であることに、彼自身が気付いていない。
「……各地で元氷魔軍所属の亡命者が殺害される事件が発生していますね。あなたの仕業ですか?」
ここ数年大陸全土で、亡命した元氷魔軍所属関係者達が不審死を遂げる事件が数件発生している。
単なる偶然という可能性も考えられるが経歴上、念のためノルンも注意しておくようにと、友人であり領主でもあるウルスラから数カ月前に注意喚起を受けていた。
その情報を初めて聞いた際、アラングレンの関与が頭を過ったことは事実だが、各個たる証拠はなく、いくら彼でも、氷魔軍の脅威が去った戦後になってまで、そのような暴挙に及ぶことはないだろうと楽観視していた。しかし、実際にアラングレンが目の前へと現れ、氷魔軍関係者は一人残らず皆殺しなどと発言した以上話は別だ。元氷魔軍関係者達の死に、アラングレンが関わっているのはほぼ確定的だろう。
「そうだよ。ミルドアースを氷魔軍の脅威から救うために、僕がスパイ共を殺して回った。亡命者の情報は厳重に管理されているからね。捜し出すのが大変で大変で。5年もかけてまだたったの7人しか殺せていない。いや、今日殺すお前で8人目か」
衝撃的な告白を受けノルンは目を細め、クリムヒルデは不快感に顔を歪めている。シグリとレンカは恐ろしいものでも見るように体を震わせ、怯えるシグリはレンカの後ろへと隠れた。
己の正義を妄信した上に、平和の訪れた世界で、自らの裁量で罪なき者の命を奪うという一線まで超えている。これ以上の問答は不要。説得などもはや不可能だ。
「さてと、そろそろ始めようか!」
不敵な笑みを浮かべた瞬間、不意に視界からアラングレンの姿が消えた。
仲間の中で最もレベルの高いノルンだけが、辛うじてその姿を目で追う。
「リムさん、危ない!」
「なっ――」
目にも止まらぬ速度で迫ったアラングレンが、クリムヒルデの腹部を強烈に蹴り付けた。咄嗟に両腕でガードするも勢いを殺せず、クリムヒルデの体は大きく吹き飛ばされてしまう。
クリムヒルデはレベル42の強者だが、それでも勇者級との間には圧倒的な壁が存在する。咄嗟にガードしたのもほとんど直感的。動きそのものはまるで追えていなかった。
「速すぎる……」
「リムさん、今治療を」
痛みに表情を歪めながら上体を起こしたクリムヒルデが、血の混じった唾を吐き出した。慌てて駆け寄ったレンカが、すぐさま魔導スキルによる治療を開始する。
「アラングレン! あなたの狙いは私のはずです。あの子達には手を出さないでください!」
「もちろんだよ。だからこそ今の一撃は加減した。僕が殺すのは氷魔軍のスパイだけ。勇者としてミルドアースの民は絶対に殺さない」
アラングレンの言う通り、クリムヒルデ達を殺す気などないのだろう。ただ、邪魔だから荒っぽい方法で退いてもらっただけのこと。事実、アラングレンはまだ武器すら抜いてはいない。危険人物だが、それ故にミルドアースの民は絶対に殺さないという言葉は信用出来る。行き過ぎた行為で懲罰を受けた経験が多々あるが、少なくとも味方と認識している者や民間人を傷つけたことは一度もない。標的はあくまでもノルンだけのはずだ。
「リムさん、負傷中のところ申し訳ないのですが、流れ弾でシグリちゃんとレンカさんが怪我をしないように守ってあげてください。アラングレンは私が何とかします」
「……心得た。加勢出来ずに済まぬ」
力不足を歯がゆく思いながらも、今の自分に出来ることを精一杯果たそうと、クリムヒルデは口元の血を手で拭い、非戦闘員であるシグリとレンカを背中に庇った。
「正義の味方みたいな物言い、気に入らないな。まるで僕が悪者みたいじゃないか」
「この場で善悪について議論するつもりはありませんが、あなたが私達の平穏な日常に、無粋に踏み入って来た侵入者であることは紛れもない事実です」
「スパイが平穏な日常などと、笑わせてくれる!」
アラングレンの抜剣と同時に、戦闘が開始された。
「その首、刎ね飛ばしてやるよ!」
一瞬で視界から消えたアラングレンがノルンの背後に現れ、ハルペーで首を狙う。高速移動の秘密は一瞬で相手の背後を取る強化スキル「バックボーン」だ。
しかし、実戦から離れていたとはいえ、ノルンは現在でもレベル61を誇る勇者級。背後を取られたくらいでアドバンテージを与えたりしない。ノルンの首にハルペーの刃が接触した瞬間、衝撃で全身が一気にひび割れ崩壊した。
「氷の人形?」
「正解です」
ノルンは一瞬にしてアラングレンから背後を取り返した。アラングレンが攻撃したのはノルンが作り出した精巧な氷像。ノルンの得意技の一つ、生み出した氷像と自身の位置を一瞬で入れ替えるスキル「氷像置換」による緊急回避だ。これは至近距離限定ながらも一種のワープスキルでもあり、氷結戦争終盤にノルンが新たなに取得したものだ。このスキルのおかげで危機的状況を切り抜けられた場面も少なくない。
「殺しは好みません。お縄について頂きます」
命は奪わぬ程度に、アラングレンを戦闘不能状態とする。先ずは危険な二本のハルペーを封じようと、ノルンが氷の武器を生み出す「氷武創造」のスキルによって、凍てつく氷の鞭を二本生成、背後から即座にアラングレンの両手首へと鞭を巻き付け、鞭と凍結効果とで二重に両手を拘束したが、
「この程度でお縄など、僕も甘く見られたものだな!」
「そんなっ!」
一瞬にして氷の鞭が粉々に砕け散る。あろうことかアラングレンは、腕力だけで氷の鞭の拘束を破壊したのだ。
同じ勇者級同士。ノルンとていつまでもアラングレンを拘束しておけるとは思っていなかったが、時間稼ぎにすらならないというのは想定外だ。
動揺に付け入ったアラングレンが一瞬にして肉薄。瞬時に右のハルペーを水平に振るった。動揺しているとはいえノルンとて勇者級。咄嗟にバックステップを踏み、体はハルペーの刀身の軌道上から外れたが、
「かっ――」
刀身が通過した瞬間、回避に成功していたはずのノルンの腹部に真一文字の赤い線が引かれ、血液が派手に飛び散った。激痛に表情を歪め、ノルンはその場に膝をついてしまう。刀身の回避に成功したことは、決して見間違いではない。事実、ハルペーに血液は一滴も付着していない。
「……リーチを見誤りました。あなた、スキルで刃を延長しましたね?」
「ご名答。正義のためなら僕は騙し討ちも厭わない」
刃を回避したはずのノルンに傷を負わせたカラクリ、それは剣術系スキル「幻刀」だ。「幻刀」は見えない刃で攻撃のリーチを延長させるトリッキーな効果を持つ。武器のリーチを見誤らせる性質から、不意打ちや暗殺に適した危険なスキルだ。取得条件が難しいスキルでもあり、勇者級でも所有者は限られている。
「……以前よりもかなり強い。今のあなたのレベルは御幾つですか?」
「82だよ。氷魔軍のスパイ共を根絶やしにすべく、血反吐を吐きながら己を鍛え上げて来た」
「……妄執の域ですね」
アラングレンがいとも容易くノルンの拘束から逃れた理由も実に単純であった。いかに勇者級同士といえども、レベルが20も違えば戦闘能力の差は歴然。レベル82相当の腕力に加え、アラングレンは魔導耐性にもステータスが振られている。執念深く、妥協を知らないアラングレンは加えて、魔導士の多い元氷魔軍関係者を万全の状態で殺害すべく、スキル面でも魔導耐性を万全に整えていた。レベル差に加えて相性も最悪。再会してしまった時点で、ノルンにとってあまりにも分の悪い状況であった。
「お別れだ、氷魔軍のスパイ!」
「ノルンさん!」
「止めてください!」
「ノルン殿! 逃げろ!」
膝をついたノルンの脳天目掛けて、アラングレンは容赦なく凶刃《きょうじん》を振り下ろす。
シグリ、レンカ、クリムヒルデが叫ぶも、祈りも物理的な距離もあまりに遠い。
誰もがノルンが脳天を割られる凄惨な光景を想像したが。
「……何だと」
「前にも言ったよな。不満があるのなら、力づくで俺を黙らせろって」
金属同士が接触する音が響くと同時に、アラングレンの表情が歓喜から驚愕へと変貌した。振り下ろされた凶刃は、ノルンを庇うようにして突如として出現した、グラムロックの丸盾によって防がれていた。
ノルンの窮地を救ってほしいというシグリ、レンカ、クリムヒルデの願い。ユニークスキル「ワープスキル・救世主」が、グラムをこの場へと導くに条件は十分に満たしていた。
「グラムロック、一体どこから」
「わざわざ説明してやる義理はない」
ノルンを傷つけられたことに静かに怒りを燃やし、グラムは丸盾で強烈にハルペーを弾き返した。グラムのパワーには抗いきれず、アラングレンの体は大きく後退する。
「大丈夫か、ノルン」
「……この程度、戦争時に比べたらどうということはありません。グラム様はどうやってお戻りに?」
「ノルンを救ってほしいという、シグリやレンカ、クリムヒルデの願いが俺をここまで導いた」
グラムの登場にシグリとレンカは泣きそうな顔で抱き合い。クリムヒルデも肩の荷が下りたように安堵の溜息を漏らしている。三人の希望を肯定するように、グラムは力強く頷いた。
「もちろん出先の危機も救ってきた。この盾は戦利品だ」
ワープした先で野盗に襲われていた旅行者たちの安全は無事に確保してきた。盾は野盗の一人から拝借してきたものだ。
戦利品と呼んだその盾を、グラムは振り向きざまに投擲。こちらへ斬りかかろうとしていたアラングレンへの牽制とした。どこにでも売っている大量生産品なので、手放しても惜しくはない。突然飛来した丸盾をハルペーで受け流したため、アラングレンは攻撃のタイミングを見失う。
「ノルン、怪我をしているところ申し訳ないがあれを取り出してくれ。アラングレン相手に武器無しでは辛い」
「承知しました」
ノルンは魔導系スキル「無限の鞘」を発動した。異なる場所に保管してある武器を任意で、瞬時に呼び出すことが出来るとても便利なスキルだ。
何もない空間から突如、閃光と共に黒い両手剣が出現。グラムが即座にそれを掴み取った。
氷結戦争時から愛用している頑丈な黒い両手剣。有事に備えて手入れは欠かしていなかったが、実戦で振るうのは氷結戦争終結以来となる。勇者級同士の戦闘だ。万全の状態で臨まねばこちらがやられる。
「ありがとうノルン。後は俺に任せて、お前は下がっていろ」
「安心してお任せいたします」
アラングレンがノルンに手出しできないよう、グラムは両手剣の切っ先を向けたまま、一挙手一投足を注視している。アラングレンとてグラム程の男に睨みを効かされては、軽率な行動は取れない。その間に負傷したノルンにクリムヒルデが肩を貸し、シグリたちの元まで後退させた。
「ノルンを傷つけた代償は高くつくぞ、アラングレン」
経緯の全てを把握しているわけではないが、アラングレンがノルンの命を狙っていると理解した時点で戦う理由は十分だ。元戦友として、説得が通じるような相手でないこともよく分かっている。
「悲しいな。君はすっかりあの女スパイに骨抜きにされてしまったらしい。いいだろう、先ずは君の目を覚まさせてやる!」
グラムをどうにかしなければノルンに攻撃は届かない。即座に意識を切り替え、アラングレンは戦友と相対する覚悟を決めた。殺しはしない。あくまでも戦闘不能に持ち込むだけ。目を覚まさせるためなら、手足の一本くらいは奪う必要があるかもしれない。
「風の噂で君は隠居していると聞いていた。大戦時にあれだけの活躍をしたというのに勿体ないね」
「俺の人生だ。戦後に何をしようと俺の勝手だろう」
クロスさせて振り下ろしてきたハルペーを、グラムロックが真正面から受け止め、両者顔を突き合わせる。争いの中とはいえ戦友同士の数年振りの再会だ。気乗りするかは別として、話題には事欠かない。
「あのガキどもは何だい? 随分と君やあの女スパイに懐いている様子だけど」
「お前には関係のない話しだ」
「関係はないけど興味はある。あの少女と和装の娘、どことなく君と女スパイに懐いていた姉弟の姿にだぶる。生きていれば、年の頃も同じくらいじゃないかな?」
「想像力豊かで羨ましいよ」
「あの年長の勝気な女はそうそう。確か君の妹さんが、生きていればあれぐらいの年齢だったかな」
「口の減らない野郎だ」
グラムが強引に二刀のハルペーを弾き返し、膠着を解いた。やはり戦闘中に無駄話などするものではない。
挑発だと理解しているからこそ冷静さを保っているが、シグリ達はもちろん、亡くなったマルコやカーラ、妹のことを挑発の材料にされることは不愉快だ。剣圧には確かに感情が乗っていた。
「アラングレン。何がお前をここまで駆り立てる。氷結戦争はもう終わったんだぞ?」
「僕の中で、氷結戦争は終わってなんかいない!」
アラングレンが低い姿勢から、剣術系スキル「崩足一閃」でグラムの足元を狙った。グラムは即座に軌道上に両手剣を突き立てガード。衝撃まで完全に殺し切った。アラングレンは攻撃の手を緩めず、すぐさま姿勢を高くし、二本のハルペーによる目まぐるしい連撃を打ち込んでいく。
「僕が初めて戦場で出会った氷魔軍の兵士はね、異種族同士でも友情は築けはずだと言って僕らに擦り寄って来た! 今からでも過去に戻って、あの頃の、無条件に甘言を受け入れた思慮の浅い自分をぶん殴ってやりたいよ……正体を現した氷魔軍の兵士は、僕と親友を言葉巧みに本隊から孤立させ、忍ばせていた伏兵と共に一斉に襲い掛かって来た。奴らにとってあれは単なるゲーム。普通の殺しには飽きたから、信頼関係を築いた上で殺すという趣向を凝らしたのさ。その方が殺される側の絶望感は強くなるからね……奴らは命乞いをする僕の親友を、生きたまま、苦痛が長引くような方法で惨殺した。あの光景が脳裏に焼き付いて離れない……あんな惨い仕打ちをする奴らを生かしておけない! 甘言で擦り寄ってくる卑怯者を許しておくわけにはいかない! 氷魔軍に属する者は例外なく殺すべきなんだ! 故郷を失った君にも僕の気持ちは分かるはずだろう!」
饒舌になるにつれアラングレンは冷静さを失っていく。感情を刃で訴えかけるかのように、攻撃速度を上げていく。しかし、激情で加速した刃は速度こそ驚異的だが、思考が伴わない分、太刀筋は単調で読みやすい。グラムロックは得物の強度を信じ、冷静に一太刀一太刀を受け流していく。
「確かに氷魔軍は恐ろしい相手だった。悪鬼羅刹としか言いようのない残虐な連中もたくさんいた。だけど、全員が全員そうだったわけではない。少なくともノルンは違う」
「違わないさ! 氷魔軍なんてどいつも一緒だ。平和な時代が訪れたならばなおのこと! あんな悲劇を繰り返さないためにも、危険の芽は早々に摘み取らなければいけない。スパイ共はきっと将来、新たな戦乱をミルドアースへともたらすに決まっている。僕の行為は正義だ! 正義は僕にある!」
「お前の言う正義がどれほどのものか、試してやるよ」
グラムは至近距離で衝撃を打ち込む剣術系スキル「剣衝」でハルペーを弾き、アラングレンに強制的に距離を取らせた。
「実力は拮抗している。長々と斬り合ったところで時間の無駄だろう。互いの本気の一撃で勝負を決めないか」
「いいだろう。あくまで君が僕の行く手を阻むというのなら、全力を持って膝をつかせてやる」
アラングレンはグラムの提案を快く受け入れた。挑発に刺激された部分もあるが、グラム程の男を相手に出し惜しみしている場合でないこともまた事実だ。
アラングレンがハルペーをクロスさせた状態で構える。氷結戦争時より彼が最も得意とし、最も破壊力の高い技。かつてのアルミュール砦の戦いでもウェンディゴに傷を刻み込んだ剣術系スキル「刀罰」の構えだ。あの頃よりもレベルは20以上も向上し、破壊力は各段に上昇している。
対するグラムは両手剣を引き刺突の構えを取る。発動する剣術系スキルは、同じくかつてのウェンディゴ戦でも使用した「剣穿突貫」だ。
「行くぞ!」
「僕こそが正義だ!」
合図もなく、示し合わせたかのように両者同時に駆け出し、中心点で両手剣とクロスさせたハルペーが激しく接触した。
一瞬の静寂の後、土煙を纏った凄まじい衝撃波がグラムとアラングレンを中心に発生。ピクニック用にシグリ達が敷いたレジャーシートや、サンドイッチを入れていたバスケットなどが吹き飛んだ。衝撃波が止み土煙が晴れてくると、衝撃の中心にいたグラムとアラングレンの姿が徐々に明らかになっていく。
「……グラムロック、始めから狙っていたな」
「感情的に攻撃を打ち込みすぎたな。俺の剣は強度が自慢でね」
クロスさせたアラングレンのハルペーが罅割れ、粉々に砕け散った。グラムの持つ両手剣は接触面が微かに欠けたものの、本体は原型を留めており無事だ。
グラムの狙いは始めから武器を破壊することにあった。アラングレンを黙らせるには、彼の攻撃性の象徴でもあるハルペーを破壊するのが最も効果的だ。物理と精神、二重に戦意をへし折ることが出来る。
勇者級同士の打ち合いで武器が損耗しないはずがない。アラングレンが感情の赴くまま、荒々しく斬撃を打ち込んできたのに対し、グラムは自身の得物の強度を信頼し、硬度に優れる部位で的確に弾き返すことで、ハルペーだけが疲労を貯め込むように仕向けていた。
加えて、アラングレンが魔導耐性にもステータスを振っているのに対し、グラムは極端なまでに物理特化型。僅かながらレベルもグラムの方が上であり、近接戦闘ではグラムの方にアドバンテージがあった。
スキル面でも、アラングレンは元氷魔軍関係者に多い魔導士を狩ることに執着し過ぎたあまり、魔導耐性上昇や状態異常対策、不意打ちや搦め手に特化したスキルばかりを所有している。物理防御の低い魔導士相手ならば有効的な構成であったが、物理特化型のグラム相手では相性は微妙だ。
「感情的にならず、長期戦に持ち込めばあるいはお前にも勝機があったかもな」
グラム自身、他にも強力な剣術系スキルは幾つか有しているが、あえて選択したのは対象の破壊に特化した「剣穿突貫」であった。武器破壊を目指すのに一番効果的な攻撃だ。そうしてグラムの目論見通り、アラングレンのハルペーの耐久は限界を迎えた。
感情的に激論を交わしてるように見えて、グラムはあくまでも冷静な判断の下に行動していたのだ。感情を乗せてしまったのは到着直後の盾での攻撃と、大切な人達の名前を挑発に使われた際の二回だけである。
「どうして武器だけを破壊するような真似をした? ハルペーの強度が限界を迎えていた今、破壊と同時に僕を貫くことだって出来ただろうに」
「この場には子供もいるんでね。人を殺す瞬間なんて見せるものじゃない。それに、お前の罪は俺一人の裁量で断じていいものではないだろう。お前は国際機関に出頭して罪を償え」
「……志半ばで、僕がおいそれと捕まってやると思うかい?」
「思わないな!」
「ちっ――」
グラムは丸腰となったアラングレン目掛けて全力で両手剣を振り抜いた。殺すつもりはないといった直後にも関わらず、その一撃には明確な殺意が乗っている。目立った負傷はないとはいえ、レベル85のグラムの全力の一撃を受けたら、アラングレンといえども無事では済まない。意識を集中させ、擦れ擦れのタイミングでバックステップを踏み、グラムの斬撃を回避した。
「チェックメイトですよ、アラングレン」
「なっ!」
回避した直後。突如としてアラングレンの四肢が、強靭な光の縄に絡めとられ転倒。光の縄はさらに数を増してアラングレンの全身に巻き付き、その動きを完全に封じ込めてしまった。先程のノルンの氷の鞭とはわけが違う。魔導耐性にステータスを振っているとはいえ、近接戦闘を得意とするアラングレンでは生粋の魔導士には劣る。レベル90を超える勇者級の魔導士が本気で拘束してきたのなら、逃れることは難しい。
「……ウルスラさん」
「久しぶりですね、アラングレン」
転倒したアラングレンは芋虫のように身を捩りながら、苦々しい顔でウルスラを見上げた。
ウルスラの到着をいち早く察していたグラムは、アラングレンに対して殺意の乗った強力な一撃を放った。勇者級であるグラムの全力を前にすれば、アラングレンの回避に集中するあまり、周辺警戒にまで意識が向かなくなるからだ。事はグラムの目論見通りに進み、到着したウルスラは、攻撃の回避に成功して油断していたアラングレン目掛けて「シャイニングロープ」のスキルを発動。その身柄を拘束した。
戦友同士、グラムとウルスラの連携は氷結戦争終結後5年が経ってなお健在である。
「あなたには複数の魔導士を殺害した容疑がかかっています。フェンサリル領領主として、あなたの身柄を拘束し、国際機関へと引き渡します」
「あなたも結局、あの女スパイの味方をするというのか?」
「ノルンは我がフェンサリル領の領民です。領主としても一人の友人としても、彼女を侮辱ような発言は許しませんよ」
「……大戦の英雄が聞いて呆れる。あなたはあらゆる種族に対して開かれた土地であれという理念の下に領を興したそうだが、そんなものは綺麗ごとだ。あらゆる種族に対して開かれた土地など、スパイの温床となりかねない危険地帯じゃないか!」
「大罪を犯した分際で説教など、つけあがるな! あなた如きの言葉で揺らぐ程、私の、フェンサリル領の信念は軟ではありません! 氷結戦争は終わったのです。平和な時代を維持し続けるためにも、これからはもっと先の未来まで見据えて活動していかなければいけない。過去へ囚われ、妄執へと逃げたあなたとは覚悟が違います」
「僕を侮辱するのか……」
「これ以上、あなたと問答するつもりはありません。どうせ平行線でしょうからね。私とフェンサリルの理念が本当にただの綺麗ごとだったのか否か、冷たい牢獄の中から見定めなさい。処刑台へと上がるその時までね」
「信念というのなら、僕の信念こそ決して揺るがない! 見ていろ、ミルドアースに救う氷魔軍の残党どもを今に一人残らず――」
「連れて行きなさい」
アラングレンはウルスラによって体だけではなく、口まで光の縄で塞がれてしまう。身動きの取れないアラングレンはそのまま、ウルスラの護衛官に身柄を拘束された。
「大丈夫ですか、ノルン」
アラングレンの身柄を移送する前に、ウルスラは友人でもあるノルンの元へと駆け寄った。
「この程度の傷、大したことはありません」
「傷のことはもちろんですが、何よりも心配しているのは心のほうです。平穏な日々を送っていた矢先に、アラングレンという名の過去が襲ってきた。さぞお辛かったでしょう」
「……大きな衝撃を受けたのは事実ですが、悪いことばかりではありませんでした。私はシグリちゃん、レンカさん、リムさんの三人に命を救われました。そのことがとても嬉しかったから」
不意にノルンから感謝の笑顔を向けられた三人は、思わず面食らってしまう。
「シグリ、怯えていただけで何も出来ませんでした」
「私もです。震えるばかりで何も」
「……私も肝心なところで役に立てなかった。手も足も出せなかった自分が情けない」
三者三様に感謝されるような理由は何も無いと首を横に振る。純粋な願いだからこそ、無自覚な部分もあったのだろう。
「いいえ、皆さんのおかげで私はこうして生きていられるんです。皆さんがグラム様をここへと導いてくれたから、私は命を繋ぐことが出来た。これ程嬉しいことはありません」
「みんなの声、ちゃんと聞こえたぜ。俺からも礼を言わせてくれ。あの願いが無ければ、俺は危うくまた大切な人を失うところだった。ノルンを救ってくれてありがとう」
グラムの言葉を受けて、三人は今更ながらグラムがこの場へと現れたことの意味を理解したらしい。反応に困って照れ臭そうな顔をした後、代表してクリムヒルデがグラムとノルンに「礼などいい」と言い、目頭を押さえた。
「微笑ましいです。種族や出身の垣根を超えた絆は存在するのだと、改めて実感出来ました」
「そうだな。この絆をこれからも大切にしていきたい」
フェンサリル領の領主として、ウルスラの感慨もまた一入であった。長い付き合いであり、共にフェンサリル領を興した関係者の一人として、グラムは労うようにしてウルスラの肩に触れた。
「アラングレンを移送しなければいけないので、私はそろそろ行きますね。もし良かったらこれをノルンとクリムヒルデさんに使ってあげてください。傷の治りが早くなりますから」
「助かるよ」
グラムに瓶に入ったお手製の回復薬を手渡すと、ウルスラはアラングレンの移送に従事すべく、護衛官に合流した。
英雄級の最上位の白魔導士である、ウルスラお手製の回復薬の効果は絶大だ。ノルンとクリムヒルデの傷は数日と言わず、朝目覚める頃には回復しているだろう。
「とんだピクニックになってしまったが、とりあえず俺達も一度家に帰るか」
「私、跳んでいったレジャーシートとバスケットを回収してきます。放置はよくないですから」
「シグリも一緒に行きます」
幸いなことにピクニック道具は目につく範囲に散らばっていたので、レンカとシグリがすぐさま駆け足で回収に向かった。自分達の持ち込んだ物はしっかりと持ち帰る。良い心がけだ。
「グラム殿、ノルン殿は負傷の身だ。自宅まで背負ってあげてはどうだ?」
「私なら大丈夫です。リムさんこそお怪我をしているではありませんか」
「見た目ほど重症ではないし、レンカの治療のおかげで大分回復したから問題ない。とにかく、一番重症なのはノルン殿なのだから、グラム殿に背負って頂け。おっと、レジャーシートが木に引っ掛かっているようなので、ちょっと助けに行ってくる!」
不器用に気を効かせると、クリムヒルデは必死にジャンプしてレジャーシートに手を伸ばそうとしているシグリに加勢し、肩車をしてやった。
「だそうだ。リムの提案に便乗して、たまには背中を貸してやるよ」
穏やかな笑みを浮かべながら、グラムはノルンに背を向け姿勢を低くした。
「よろしいのですか?」
「遠慮するな」
「私の豊満なバストの感触を受けたグラム様が、我を忘れないかが心配です」
「俺は変態か。いつもの調子が戻って来たようで何よりだ」
背中に体を預けてきたノルンを、グラムは傷に響かないように優しく背負いあげた。
「グラムさん、ノルンさん。シートとバスケットの回収が終わりました」
戦闘で怪我をしたクリムヒルデを気遣っているのだろう。荷物はシグリとレンカの二人が、苦笑顔のクリムヒルデから無理やり奪い取って両手に抱えている。
「それじゃあ、帰るとするか」
アラングレンの襲撃から三日後。
アラングレンの身柄は国際機関へと移送され、先の戦闘で負傷したノルンとクリムヒルデも、ウルスラの回復薬のおかげですっかり回復している。フェンサリル領内は再び、平穏な日常を取り戻しつつあった。
「よし、本日の訓練はここまで!」
修練場にて、クリムヒルデの言葉を受けて本日の訓練メニューは終了。自警団の新兵達が続々と家路へついていく。
「お疲れさん、リム」
「おお、グラム殿」
この日、グラムはウルスラの付き添いのもと、先のアラングレン襲撃に関して国際機関の捜査官から、事実関係の確認のためのに事情聴取を受けていたのだが、それもようやく一段落ついた。
「今晩暇なら、うちにご飯を食べに来ないか。ノルンの奴、しばらく料理が出来なかった反動で今日はたくさん作ると張り切っていてな。せっかくだから皆も誘おうかと思って」
「相変わらずノルン殿はユニークのお方だな。もちろん私も参加させて頂く。身支度を整えたら向かうよ」
「それじゃあまた後で」
簡潔に要件だけを告げるとグラムは修練場を後にした。
その足で次は、図書館にいるであろうレンカの元へと向かう。
「是非とも参加させて頂きます。ノルンさんのお料理はどれも大変美味しいですからね。勉強し甲斐があります」
図書館の勉強机の上には魔導書の他にも、挿絵付きの料理本もいくつか並べられていた。真面目なレンカのことだから、魔導の勉強はしっかりこなした上で趣味の本にも手を出しているのだとは思う。たぶん。
「リムさんと合流して、後でお伺いしますね」
「食べ過ぎてお腹壊すなよ」
苦笑顔でそう言い残すと、グラムはそのまま家路についた。
「お帰りなさい、グラム様」
「お帰りなさいです、グラムさん」
料理の下ごしらえをするノルンとその補助をするシグリが、キッチンから玄関の方へ向けて顔を覗かせた。
「リムとレンカは後で合流する。ウルスラは忙しいみたいでな、残念ながら今回は不参加だ」
「承知しました。グラム様はしばらくお休みになっていください」
「俺も何か手伝おうか?」
「グラム様は力仕事以外はてんで駄目なんですから、余計な仕事を増やさないように大人しくしてください」
「うちのメイドさんは手厳しいね」
苦笑顔で肩を竦めると、グラムは大人しくベランダのウッドチェアへと腰を下ろした。気分転換に大きく伸びをしようとした瞬間・
『誰か助けて……』
「呼ばれたからには、力にならないわけにはいかないな」
頭の中で声がすると同時にグラムは、準備運動に肩を回しながらウッドチェアから立ち上がった。
「ノルン、悪いが少し出てくる。いつでも迎えに来れるように準備だけしておいてくれ」
「遅くなってもいいように、残り物でお夜食ご用意しておきますね」
グラムがユニークスキルによって、突然別の場所へワープしてしまうことにも、お互いにすっかり慣れたものだ。すでに日常の一部になっている。
当たり前のように、グラムの姿は自宅のベランダから消失し、ノルンはその光景を手を振りながら見送った。
窮地に陥った時、突然屈強な赤毛の青年が現れたならもう安心だ。
時にはパンイチの変態扱いをうけるかもしれない。時には覗きの疑いをかけられるかもしれない。時にはネギを担いた頼りない姿で現れるかもしれない。だけど安心してほしい。そう見えても彼は、かつての氷結戦争で活躍した勇者の一人なのだから。
彼が来たからには、大概のことはもう大丈夫。
隠居した大戦の勇者、ワープスキルで救世主となる 了