隠居した大戦の勇者、ワープスキルで救世主となる

 かつて、氷結戦争と呼ばれる大戦があった。
 氷に閉ざされた地下世界、ニブルアースの女帝フィンブル率いる氷魔軍が、人型種族の楽園、ミルドアースへの侵攻を開始したのである。

 高レベルの氷塊巨人を中心とした氷魔軍の戦闘能力は圧倒的で、ミルドアースの大地を次々と侵略。氷魔軍に支配された地域は、人型種族では住むことの叶わぬ氷の世界へと姿を変えていった。
 生存領域の減少により、ミルドアースは存亡の危機へと立たされていたが、後に英雄や勇者と呼ばれることとなる者達の活躍により、戦況は徐々に覆されていく。

 奇しくも、氷魔軍の侵攻というかつてない危機が、秘められた人型種族の可能性を覚醒させる要因となったのだ。
 その当時、人型種族の戦闘能力到達限界はレベル50であると考えられていたが、氷魔軍の強力な魔物との戦いを繰り返し、多量の経験値を得ることで、レベル50を超える猛者たちが現れはじめた。

 高みを越えた者達を人々は勇者と呼び慕い、レベル上昇によって、より強力なスキルを得た勇者たちは氷魔軍への反撃を開始。

 中でも特定の個人にしか発現しない強力なユニークスキルを有する者達の活躍は凄まじく、勇者たちは強力な氷魔軍の魔物たちを次々と撃破、レベルをさらに向上させていった。そして戦争中期、一人の勇者がついにレベル90の大台を突破し、人類未踏の境地「英雄」の称号を手に入れた。その後も9名の勇者が「英雄」へと昇格、最終的にはミルドアース軍に10人の「英雄」が誕生した。

 元より規格外だったその者たちの戦闘能力は、「英雄」となったことでより高位の物へと進化。人の身では撃破不可能と考えられていた、屈強な氷塊巨人をも易々と撃破する程の戦闘能力を発揮した。

 戦争末期。10人の英雄達は781人の勇者を率い、フィンブル率いる氷魔軍との最終決戦へと臨む。後にフィンブルの冬と呼ばれた激戦は、多くの犠牲を払いながらもミルドアース軍が氷魔軍へと勝利。フィンブルをニブルアースの地下深くへと追放し、氷魔軍をミルドアースから排除することに成功した。

 しかし、勝利には大きな犠牲が伴った。
 最終決戦にて、3人の英雄と519人の勇者の命が失われたのだ。

 再びミルドアースに平和が訪れた。氷結戦争の勝利に貢献した7人の英雄達は生ける伝説として語り継がれ、それぞれが望みの報酬を受け取ることとなった。
 土地を貰い受け、新たに領を興した者。戦前と変わらず、主君への忠誠を貫き通す者。魔導の探求のために僻地へと籠った者。一切の消息が不明の者。英雄達のその後は様々だ。

 英雄達の輝かしい功績が語り継がれる一方で、戦力の中核を担い、多くの犠牲を払いながらも勝利へと貢献した勇者たちについて語られる機会はあまり多くはない。個人での凄まじい戦績を誇る英雄達は異なり、勇者たちの活躍は個人ではなく集団として捉えられる傾向にある。人々は勇者部隊の活躍を知っていても、その一人一人までは詳細に知り得ていないのだ。

 しかし、忘れてはいけない。勇者を名乗る資格を有するのはレベル50以上の強者のみ。7人の英雄には及ばないとはいえ、その戦闘能力は間違いなく世界最強クラスである。

 生き残った262名の勇者たちのその後についても様々だが、動向が把握されていない者も少なくない。道端で出会った平凡な青年がその実、一線を退いた人類最強クラスの勇者であってもおかしくはないのである。

 氷結戦争終結から5年目の春。
 新興の領、フェンサリルの農村部にも、氷結戦争の最前線で活躍した勇者級の青年が暮らしている。
 青年の名はグラム。英雄達に準ずるステータスを持ちながらも、ユニークスキルを持たぬが故、さらなる高みへは至らなかった、最も英雄に近い勇者と評された青年である。

 この物語は、そんな彼にユニークスキルが芽生えた瞬間から始まる。
 氷魔軍の脅威は去り、世界はすでに平穏を取り戻している。
 果たして彼は、今更芽生えたユニークスキルとどのように向き合っていくのであろうか?

「はあー、生き返る」

 夕刻。一仕事終えて自宅へと戻ったグラムは、夕食前にシャワーで汗を流し、ゆっくりと湯船に浸かっていた。高身長で筋肉質なグラムには、浴槽はやや手狭に見える。大きく伸びをした後、濡れた手で赤毛の短髪をかき上げ、簡易的にオールバックの形を作る。

 今日は戦友でもある領主からの要請で、朝から自警団の新人に剣術の稽古をつけてやっていた。氷魔軍の脅威は去ったとはいえ、野生の魔物の頻出や盗賊行為の横行など、平和を脅かす存在は後を絶えない。
 平和な時代に甘んじず、治安維持のための戦力を整えることは重要だ。無論グラムとて、大戦の勇者として有事に参戦することはやぶさかではないのだが、いかに強者といえども一人で出来ることには限界がある。真の意味で平和を維持し続けるためには、後進の育成は必須だ。

「グラム様。お着替えを置いておきますね」
「ああ、いつも済まないな」

 グラムと同じ屋根の下で暮らす、メイドのノルンの声が脱衣所の方から聞こえた。共にフェンサリル領へと移り住んで以降、ノルンはこの家の家事全般を受け持ってくれている。

「もしよろしければ、お背中でもお流しましょうか」

 ガラス越しでも分かるスタイル抜群のシルエットが、艶めかしくその場で脱衣をするような仕草を取るが、

「そういうのはいいから。もう上がるところだ」
「それは残念です。もっと早く声をお掛けすればよかったですね」
「返事は変わらないよ。着替えをありがとう」

 共に暮らして早5年。ノルンのあしらい方には慣れたものだが、今のが冗談だったのか本気だったのかはグラムにも判断はつかない。

「お風呂上がりにお冷を用意しておきますね」

 ブラウスのボタンを止め直すと、ノルンのシルエットが脱衣所から消えていった。
 体も大分温まったので、グラムは豪快に湯船から上がり、占めに軽くシャワーを体へと浴びた。浴室の鏡には、筋肉質なグラムの体が映り込んでいる。全身にはかつての大戦で負った古傷が数多く刻まれていた。そのほとんどが魔物の噛み痕や爪痕といった傷だ。

 脱衣所へ出て、バスタオルで満遍なく体を拭っていく。バスタオルは腰に巻き、小さいタオルで髪をわしゃわしゃと拭いていると。

『助けてください』 
「人の声?」

 グラムの脳内に突然、少女のものらしき救援要請が飛び込んできた。
 違和感はより鮮明となって現れる。
 不意に脳内に、『ユニークスキルを発現しました』という表示が現れたのだ。
 新たなスキルを取得した瞬間に脳がそれを理解する。これ自体は決しておかしなことではないが、平和な時代が訪れたこともあり、ここ数年は新たなスキルを取得する機会に恵まれていない。スキルを取得した心当たりが存在しないのだ。しかも表示には「ユニークスキル」とある。戦争中、望んでも手に入らなかった天恵が、何故今こんなタイミングで。

「ワープスキル・救世主(セイバー)?」

 ユニークスキルの名称が浮かぶ。スキルの効果を確認しようとするが、その思考はすぐさま掻き消されることとなる。

「おいおいおい、どういうことだよ!」

 全身がユニークスキルの発動を感じ取っていた。発動の意志がないにも関わらずだ。このユニークスキルは、何らかの条件下で強制的に発動するものなのだとグラムは直感した。大戦の勇者としてあらゆる事態に対処出来る自信はあるが、一つだけ大きな問題がある。ユニークスキルの全容は不明だが、スキル名から察するにワープ。すなわち、どこかへ瞬間移動するのだと想像できる。
 そして今のグラムはというと。筋肉質な美しい裸身を腰巻タオル一枚で覆った状態。このままでは、ほぼ全裸で別の場所へとワープしてしまうこととなる。流石にそれは不味い。万が一公衆の面前にでもワープしたなら、露出狂扱いは免れない。

「間に合え!」

 グラムは鬼気迫った表情で着替えの入った籠の中身を掴み取り、白地にピンクのハート柄が散りばめられたトランクス一枚を手に取ることに成功。持ち前の強力なステータスを駆使して、無駄にスタイリッシュにトランクスへ足を通す。トランクスを尻の上までしっかり引き上げた瞬間、グラムの体は青白い光へと包み込まれ、脱衣所から完全に消失した。纏い手を無くしたバスタオルが、ハラりと脱衣所の床面へと落下していく。

「グラム様。着替えをお手伝いして差し上げましょうか?」

 グラムが浴室から上がった気配を感じ取ったノルンが、躊躇なく脱衣所の扉を開けたが、そこにはすでに主の姿は影もない。

「グラム様?」

 床に落ちていたバスタオルを拾い上げて、湿り気があることを確認する。直前までグラムがバスタオルで体を拭いていたことは間違いない。

「はてさて、どこへ行ってしまったのでしょう? もしや、露出癖に目覚めてお散歩に?」
「ここはどこだ?」

 瞬きを終えた時には、グラムはすでに自宅とは異なる場所へと飛ばされていた。
 辺りは薄暗く視界が悪い。朽ちた木材の臭いや黴臭さから、古びた建物の中にいるような印象だ。
 目が慣れてくると、同じ空間には数名の女性らしき人影が存在することが分かった。その内の一人、小柄な少女のシルエットがグラムへと近寄ってくる。

「神様に祈ったら……へ、変態さんが現れました!」

 緑色のフードを被った銀髪の少女が、長身のグラムを何度も、味わい深い困惑顔で見上げていた。
 心の中で助けを求めた瞬間、突如として眩い光と共に現れた一人の男性。救世主は白馬に乗った王子様かと思いきや、実際にはパンツ一丁の大柄な男が一人。困惑するのも当然だ。

「きゃああああああああああ」
「だ、誰よ、あんた!」
「シグリちゃん。危ないから早く離れなさい!」

 女性達から悲鳴と怒声が飛び交い、グラムは困惑気味に当たりを見渡す。どうやらこの空間は広い牢屋のようで、シグリと呼ばれた銀髪の小柄な少女を含め、10名の若い女性が囚われていた。服装などから察するに、全員が素朴な村娘といった印象だ。

「混乱する気持ちは分かるが一度落ち着いてくれ。混乱しているのは俺も同じだ」

 変態呼ばわりされるのは心外だが、女性だけの牢獄に突然パンツ一丁の男が現れたなら、このような反応となってしまうのも仕方がない。それよりもまず確認しないといけないことがある。

「助けを求めたのは君か?」

 パンツ一丁のグラムが膝を折って。銀髪の少女シグリと目線を合わせる。ワープ直前に脳内に響いた少女の声は、間違いなくシグリのものであった。
 外見から察するにシグリの年齢は12~13歳といったところ。銀色の長髪と澄んだ青眼、色白な肌が印象的だが、直近では手入れをする機会に恵まれていないらしく、髪は痛み、頬はやや煤けている。
 ブラウスやプルオーバーを纏った他の女性達とは異なり、シグリは襤褸切れのようになった灰色のトップスの上から緑色の古びたローブを纏い、頭は目深に被ったフードで覆われている。

「私の声が聞こえたのですか?」

 シグリの表情は、困惑から好奇へと変わっていた。グラムから発せられた答えは、外見が間抜けなことを除けば、彼こそが救世主であると確信するには十分な説得力を持つ。

「聞こえた。君の名前は?」
「シグリです」
「ではシグリ、俺は何から君を救えばいい?」

 唐突に発現したユニークスキルと、それに伴うまったく異なる場所へのワープ。置かれた状況は今だに把握出来ていないが、今はそんなことはどうでもいい。助けを求める少女が目の前にいる。グラムの中の正義感が何よりも優先するのは、全力でその想いに応えることだけだ。

「皆さんをここから助け出してあげてください」

 グラムの手を握り、シグリは目を伏せて懇願した。パンツ一丁の変質者の登場に当初は困惑していた周りの女性達も、真剣なシグリの姿を前に、口を挟まずに状況を静観している。

「思いには全力で応えよう。一つ確認させてもらいたいが、君達は今どういった状況に陥っているんだ?」
「それについては私がご説明いたします」

 キリッとした表情の、黒髪ロングの女性が名乗りを上げる。少女のシグリでは上手く説明しきれない部分もあるだろうと考えての判断だ。グラムのことを完全に信用したわけではないが、幼い少女に目線を合わせ、しっかりとその言葉に耳を傾ける真摯な姿勢にはとても好感が持てた。これでパンツ一丁でなければと、誰もがそう思ったことであろう。

「ここは盗賊団のアジトの中です。一帯を縄張りとする盗賊団の主たる生業は人攫い。私達は、近隣の村々から攫われてきました」
「ニブルアースの脅威が去ったことで蛮族どもが活気づく。皮肉な状況はどこも同じか」

 世界滅亡の危機よりも、平和の世の方が蛮行を働きやすい。戦争が終結後、盗賊による犯罪が各地で横行するようになってしまっている。

「聞きにくい話しだがその、ここに連れてこられてから、盗賊達に酷い扱いを受けたことは?」
「幸運にも今のところは誰も。盗賊達のやり取りから察するに、贔屓にしている人買いとの契約により、その……商談前に商品に手を出すことを固く禁じられているとか」

 屈辱に表情を歪め、黒髪の女性は声を震わせる。説明のためとはいえ、自分達を商品に例えねばならぬ状況に怒りを覚えているのだろう。

「事情はだいたい把握した。ここから先は俺に任せてくれ」

 深く頷くとグラムはシグリへと視線を戻し、微笑みを浮かべて頭を優しく撫でた。

「このぐらいなら余裕か」

 景気づけに首を鳴らすと、グラムは金属製の檻を軽く握った。古びてはいるが、牢としての強度は十分に有している。扉はしっかりと施錠されており、鍵無しで出入りすることは困難だ。

「どうするおつもりですか?」
「力技でぶち破る」
「そんなの無茶です」
「まあ見てなって」

 グラムは躊躇なく右の拳を引き、牢屋の扉目掛けて強烈な正拳突きを繰り出した。悪戯に拳を傷めるだけだと、誰もが直視を恐れて目を瞑る。

「きゃっ!」

 グラムの拳が扉と接触した瞬間に発生したすさまじい衝撃波と土煙に、小柄なシグリは身を竦めて短い悲鳴を上げた。轟音と共に扉部分が牢から吹き飛び、奥の石造りの壁面へと衝突する。外界との接触を断つ仕切りが無くなり、牢屋は牢屋としての機能を失った。

「……拳一つで扉を壊した?」
「凄い! 凄いです!」

 唖然とする女性たちをよそに、シグリだけはグラムの強靭さに感激し、心底嬉しそうにその場で飛び跳ねていた。見た目はどうあれ、突如現れたグラムは間違いなく救世主であった。
「一体何事だ!」
「いけない。盗賊達が」

 豪快に牢屋をぶち破ったことで、異変は盗賊達の知るところとなった。様子を確認すべく、武器を持った盗賊が数名、牢屋へと駆け込んできた。

「な、何だこの変態は!」
「どこから侵入したか知らねえが、俺達の商品に手を出しやがって!」

 先着した二人の盗賊が、困惑と苛立ちに眉を顰める。誘拐してきた女を捕らえておく牢に突如として現れたパンツ一丁の男。命知らずのいかれた変態が、女性達に手を出そうとしているものだと盗賊達は認識していた。

「いくらなんでも丸腰では」

 黒髪の女性が不安気に口元を覆う。
 モスグリーンのバンダナを巻いた大柄な盗賊は片手にバトルアックスを握り、ターバンを巻いた長身の盗賊は右手にカトラス、左手に革製の丸い盾を装備している。
 牢屋を素手で破ったグラムは確かに只者ではないが、今のグラムは武器どころかパンツ以外は衣服さえ身に着けてない、まさに丸腰。荒事に慣れた武器持ちの盗賊二人の相手は、常識的に考えてあまりに無謀だ。

「とりあえず死んどけ!」

 若い女ならばともかく、男の侵入者に慈悲をかける必要などない。バンダナの盗賊は問答無用でグラム目掛けて斬りかかった。

「駄目……」

 グラムは回避する素振りをみせず、左腕を頭部へ翳して身を守る。
 斧で腕を切り落とされる。凄惨な光景を想像し、女性達は一斉に目を伏せた。ただ一人、救世主の活躍を信じるシグリだけは目を逸らさない。

「はっ? どういうことだよ?」

 盗賊の滑稽な困惑顔を前に、グラムは不敵に笑う。
 バトルアックスの刃と接触したグラムの腕は、切断どころか傷一つついていない。それどころか、金属製の刃の方が接触の衝撃で欠けてしまっている。まるで強固な金属製の鎧とでも接触したかのような有様だ。

「威勢はどこに行った?」
「がはっ!」

 グラムはそのまま豪快に左腕でバトルアックスを弾き上げると、強烈な右ストレートで盗賊の腹部を一撃した。盗賊の体は豪快に吹き飛び壁面へと衝突。戦闘不能となり地面へと伏した。

「……な、何なんだよお前は!」

 盗賊団の中でも、一際体格のいい仲間が呆気なく沈んだことで、ターバンの盗賊は半ば錯乱状態だ。恐怖で挙動が乱れ、カトラスで我武者羅にグラムへと斬りかかる。

「そんなものか?」

 カトラスの刃で何度もグラムの剥き出しの肉体を斬り付けていくが、一太刀たりとも傷を負わせることは出来ない。盗賊の体力だけが一方的に減少していく。

「どちらもレベル20前後といったところか」

 冷静な分析を口にすると同時に、グラムは素手でカトラスの刀身を受け止め、そのまま握り潰してしまった。盗賊は引きつった顔で、変わり果てた刀身とグラムの顔とを見比べる。

「……殺され――」
「安心しろ。死なない程度に手加減しておく」

 スキル「手加減」を発動。
 グラムは強烈な右ストレートでターバンの盗賊を撃破。戦闘不能となった盗賊はその場に突っ伏すように倒れ込んだ。「手加減」のスキルを使用したため、どんなに強烈な一撃でも相手は死ぬことはない。強力な一撃は強制的な気絶効果をもたらし、その場で数時間単位の行動不能状態とすることが出来る。格下を殺さずに無力化する際に、「手加減」のスキルは非常に有用だ。

 殺さなかったのは慈悲ではなく、女子供に殺人を見せることを躊躇ったところが大きい。元は新人兵士の育成用に取得したスキルだが、周りの状況に配慮し不殺を達成する際にも有用だ。

 集団誘拐など大規模な犯罪行為を行っているところを見るに、一団は悪名高い盗賊団である可能性が高い。捕縛し自治体へ引き渡すことで報奨金を得るのも悪くはないだろう。グリム自身は現在所属する領に役職を持っていることに加え、先の大戦で得た多額の報奨金によって生活には困っていない。今回得られるであろう報奨金は全額、盗賊団の被害にあった人々への補償に当てるつもりだ。

「欠けているが、まだ使えるな」

 バンダナの盗賊が使用していたバトルアックスを拾い上げ、ついでに身に着けていたローブも拝借する。パンツ一丁の変態はローブを羽織った、優雅な風呂上がりのようなスタイルへ進化した。

「シグリ達はもうしばらくそこで待機していてくれ。アジト内の安全を確保したらまた迎えに来るから」
「きゅ、救世主さん!」
「何か質問か?」
「あなたのお名前は?」
「俺の名はグラムだ」

 シグリに笑顔でそう言い残すと、グラムは牢屋を後にし、アジトの中心部へと向かった。道中、牢屋の様子を確認しに来た大勢の盗賊と鉢合わせるも、盗賊の怒声が飛んだかと思った途端、激しい戦闘音と共に場は一瞬で静まり返った。
「何だこいつ! 攻撃がまるで通じ」

 背後から両手剣で斬りつけた盗賊の攻撃は、無防備なグラムの背中に微塵もダメージを与えることは叶わず、ノールックで繰り出したひじ打ちを受け、勢いよく吹っ飛んでいった。

 アジト中心の開けた空間(本来は侵入者を迎え撃つためのスペース)には、盗賊団の全戦力に迫る30人が集結してグラムを取り囲んでいた。圧倒的戦闘能力差故に、グラムは攻撃を回避せず、ひたすら攻撃だけを繰り出していく。回避に有する時間を節約し、あえて直撃を受けることで相手の隙も生み出せる。非常に効率的に盗賊の排除が進んでいく。

「だったらこれで!」

 盗賊達は一斉に口元を布で覆い、一人が球体を地面へと投げつけ煙幕を焚いた。黄土色の煙には麻痺毒が含まれている。まともに吸い込めば、最低でも5分間は麻痺状態から回復することはないはずなのだが。

「うああああああ!」
「何でこいつ」

 煙幕を受けてもグラムの勢いは止まらず、むしろ視界を失った盗賊側の方が不利に陥っていた。あまりにも想定外の展開に、この場を仕切るスキンヘッドの盗賊は、唖然として後退ることしか出来ない。背中が石造りの壁面へと衝突し、文字通り後がなくなる。

 スキンヘッド以外の全ての盗賊を無力化。晴れつつある煙幕の切れ目から、バトルアックスを担いだグラムが、悠然とスキンヘッドの下へと歩み寄っていく。

「……何で、麻痺が効かないんだ?」
「麻痺無効スキルはA+まで習得済みだ。市場に出回っている程度の麻痺毒じゃ俺は止められないよ」
「スキルA+。何だってそんな奴がここに……」
「さてな。俺も何で今ここにいるのか、よく分かっていないんだ」

 麻痺無効A+。
 麻痺完全無効のSには劣るが、一般的な麻痺毒を無効化するならA+で十分すぎる。A+を突破出来る麻痺毒を持つモノが存在するとすればそれは、存在すらも定かではない、伝承クラスの魔物ぐらいであろう。

「俺らの仇は(かしら)が取ってくれる。お前がどんなに強かろうと、頭には及ばねえ! 頭はレベル35まで達した、元傭兵だからな」
「そいつを仕留めれば、ここは完全に制圧だな。頭とやらはどこにいる?」

 威圧的な笑みを前に、スキンヘッドの盗賊は無意識に牢屋と反対側の通路の方へと視線を向けていた。突き当りにある豪奢な扉の奥が、頭目(とうもく)の専用部屋のようだ。

「親切にどうも。寝てていいぞ」

 強烈な頭突きを喰らわせて、スキンヘッドの盗賊の意識を一瞬で刈り取る。「手加減」スキルを使用しているので、もちろん命までは奪っていない。

「邪魔するぞ」
「手下どもはどうした?」
「仲良く全員お昼寝中だ」

 扉を蹴破ったグラムを、木製の机に両足を乗せてふんぞり返った頭目が出迎えた。素肌にレザーのベストを羽織った筋肉質な男で、肌の至るところに、刃物を模した鋭利なシルエットのタトゥーが刻まれている。髪は逆立てた茶髪で、武器は壁に立てかけられた長剣と、腰にも短剣を一本装備しているようだ。

 全ての手下が敗れたことに多少は驚きながらも、頭目の表情には余裕の色の方が濃い。人型種族のレベル上限が50だと考えられていた氷結戦争以前はもちろんのこと、現代においても頭目の持つ35というレベルが、高い実力を示す数値であることは間違いない。自信の表れは、確かな実力に裏打ちされたものだ。

「大そうな自信だが、俺は手下どものようにはいかないぞ? 奴らと俺とでは圧倒的に格が違う」
「手下どもの平均レベルは20前後。対するあんたのレベルは35だと手下の一人が語っていた。その通りだとしたら、確かに格の違いは圧倒的だな」

 一般的にレベルが5違えば、戦闘能力は大人と子供程の差が生じるとされている。手下達の平均値よりも15レベル上回る頭目の戦闘能力は間違いなく別次元。数十の雑兵よりも一人の圧倒的な強者の方が恐ろしい。レベル差とはそれだけの意味を持つ。

「安い正義感で女どもを救おうとしたようだが、運が悪かったな。俺の商品に手を出した代償は高くつくぞ」

 頭目はゆっくりと椅子から立ち上がり、壁に掛けていた長剣を両肩で担ぎ上げた。

「心配するな。運が悪いのは間違いなくお前の方だよ」
「その減らず口、利けなくしてやるよ!」

 机を足場に頭目は勢いよく跳躍、グラムの脳天目掛けて長剣を振り下ろした。

「遅いし軽い」
「なっ……はっ?」

 あまりにも現実離れした状況に、頭目の思考が一瞬停止する。
 レベル35の強者が全力で振り下ろした刀身は、あろうことが右手の人差し指と中指に挟まれ、完全に勢いを殺されてしまっていた。

「戦闘中に呆けた時点で底が知れる」

 指で固定した刀身目掛けて、グラムは容赦なくバトルアックスを叩きつけて長剣をへし折ってやった。これまで数多の敵を屠ってきた得物が呆気なく破壊された様を、頭目は大口開けたあほ面で見つめていた。

「……てめえ、一体何をした?」
「見たまんまだ。指先で受け止めて、斧でへし折った」
「ふざけるな! 俺の剣速を捉え、指だけで止められるわけがねえ! 武器だってそうだ。俺の業物はそんな安物で折れる程軟じゃ!」
「圧倒的なレベル差の前では全てが無意味だ。素のステータス値に大きな開きがあれば、武器の性能差だって簡単に覆る。俺からしたら、レベル20前後の手下どもも35のあんたも大差ない」
「……圧倒的レベル差って。お前いったい」
「俺のレベルは85だ。一線は退いたが、レベルは基本的に減少しないからな」
「85……勇者級?」

 頭目の顔から血の気が失せ、尻餅をついてその場から後退る。安っぽいプライドなど、圧倒的強者の前では呆気なく自壊していく。
 レベル50以上の者を指す勇者級の称号。ましてや80台など、レベル90以上を指す英雄級も目前の超高レベル。存命している勇者級262名の中でもトップクラスの実力を誇るということになる。頭目とグラムのレベル差は実に50。最早単純な数値化など不可能だが、例えるなれそれは、凡人が一人で大国の軍へと挑むかのような、あまりにも圧倒的な戦力差であるといっても過言ではない。

「……何だってそんな奴が、俺らみたいな小物にちょっかいを」
「自分で自分を小物と評するとは、少しだけ見直したよ。何もお前らにちょっかいを出しに来たつもりはないが、助けを求められた以上、やれるだけのことはやってあげないとな。というわけで、ちょっと眠ってろ」

 手加減スキルを発動すると、グラムはバトルアックスの柄で頭目の腹部を一撃して意識を奪った。手加減しているとはいえ、背面の壁が罅割れる程の衝撃であった。

 牢屋を離れてから僅か4分32秒。
 勇者グラムの手によって、盗賊団のアジト内は完全に制圧された。
 
 そして、アジト内の状況など知る由もなく、何とも間の悪いタイミングで来訪した上客が一人。

「な、何事ですか?」

 唖然とした様子で広間に佇むのは、カイザル髭が印象的な小太りの商人風の男。盗賊団と提携して人身売買を行っている人買いだ。さらなる悲劇を生まぬためには、盗賊団を壊滅させるだけでは足りない。共犯者であるこの男の身柄も抑え、自治体へと引き渡すべきだろう。

「いらっしゃい。歓迎するよ人買いさん」

 頭目の部屋から顔を出したグラムが威圧的に笑う。たったそれだけのことだが、戦闘能力皆無の人買いの感じた恐怖は計り知れない。

「だ、誰だ貴様は! 頭目はどうした!」
「惰眠を貪ってるよ。こんな辺境までお疲れだろう。あんたも一緒にどうだい」

 これは提案ではなく命令だ。
 グラムは瞬時に人買いの背後を取り、手加減スキルで放った手刀で後頭部を一撃した。

「本当にありがとうございました」

 アジト内を完全に制圧した後、グラムは女性達をアジトの外へと解放した。
 グラムに助けを求めた張本人であるシグリが、心からの感謝を込めて何度も何度も頭を下げている。
 幼い少女に何度も頭を下げさせるのが忍びない。目線を合わせたグラムは、気持ちは十分に伝わったとの意志表示として、シグリの頭を優しく撫でてやった。

「私達からも心からお礼を申し上げます。あなた様がいなければ、今頃どうなっていたか、想像するだけで恐ろしいです。混乱していたとはいえ、最初の不躾な態度をお許しください」

 女性達を代表して、黒髪の女性が申し訳なさそうに頭を垂れる。
 当初は第一印象だけで判断して、自分達を窮地から救ってくれた恩人に「変態」などとあまりに無礼な言葉を吐いてしまった。数分前の自分を引っ叩いてやりたいと猛省している。

「女性陣の中にパンツ一丁の男が現れたんだ。仕方がないさ。それと、礼ならシグリに言ってあげてくれ。助けを求めるこの子の声が無ければ、俺はきっとこの場にはいなかったはずだから」

 これは謙遜ではなく本心だ。今だに「ワープスキル・救世主(セイバー)」なるユニークスキルの全容は掴めないが、助けを求めるシグリの願いが、グラムをこの場所へと導いたことは紛れもない事実。窮地を救う機会を与えてくれたシグリに対して、グラムはむしろ感謝をしていた。
 
「ところで、今更ながらここはどこなんだ?」

 安全を確保するためアジトの制圧を優先していたが、そもそも自分がどこに飛ばされたのかすら把握してない。大まかな場所さえ分かれば、フェンサリル領の自宅で待つノルンにも連絡を取ることが出来る。

「ここはヒミンビョルグ領の北部、山の裾野に小さな村が点在している地域です。盗賊団のアジトも、山間部の天然の洞窟をアジトとして改修したものだと聞いています」
「ヒミンビョルグ領とは、また随分と遠くに飛んできたものだ」

 黒髪の女性の説明を受け、グラムは困惑と感嘆が交じり合った溜息を漏らす。
 現在グラムが暮らすフェンサリル領は、大陸南部の海洋に位置する諸島群だが、対するヒミンビョルグ領は大陸の北部に位置する山岳地域。その北部だというのだから、現在地はフェンサリル領とは正反対ということになる。まともに移動していたら、一カ月近くはかかっている距離だ。

「流石に、迎えに来てもらわないと帰りは厳しいよな」
 
 現在地を把握したグラムはそう言って、アジトの入り口付近に設置されている井戸から水をくみ上げ周辺に撒き、水溜まりを作り出した。鏡のように自身の姿を映し出す水面に、グラムはそっと手を触れる。

『グラム様。ようやく連絡が取れましたね』
「心配かけたなノルン。少々立て込んでいてな、ようやく水面へ触れることが出来た」

 水面からグラムの姿が消失し、代わりに安堵の表情を浮かべるノルンの姿が映り込んだ。背景が浴室の天井なところから察するに、風呂桶に溜めた水で中継しているのだろう。

 ノルンは高レベルの魔導士でもあり、(ちぎり)を結んだ相手と水面を通して通信する「水鏡(みずかがみ)」と呼ばれるスキルを有している。グラム自身は魔導適性を持たぬ物理特化型だが、「水鏡」発動に必要な魔力はスキルを有するノルンに依存しているため、意識を集中させて水面に触れるだけで、契の結ばれたグラムの側からも、ノルンに対して「水鏡」の効果を発動可能だ。

『驚きましたよ。突然家の中から消えてしまうのですもの。突発的な家出かと冷や冷やしました』
「家出するならパンツ一丁じゃなく、流石にもう少し装備を固めていくさ。今は北のヒミンビョルグ領にいる。『水鏡』の発動で、居場所はだいたい分かっただろう?」
『グラム様の現在地は確認しましたが、どうしてそのような遠方に? まだ行方不明となられてから、10分程しか経過していませんのに』
「俺自身も今だに状況を把握しきれていないが、どうやら風呂上がりにユニークスキルに目覚めたようでな。その効果で長距離を一瞬でワープしてしまったらしい」
『まあ、グラム様にユニークスキルが。確かにワープ系のスキルに目覚めたのでしたら、一瞬での長距離移動も納得ではあります。しかし、よもや今になってユニークスキルに目覚めるなんて』
「皮肉な話だよな。戦渦の最中、どんなに望んでも手に入らなかった天恵が、平和な世になってから、風呂上がりなんて何気ない日常の中で現れたんだから」

 遠い目をしたグラムが無感情に呟く。視線は水面やその先にいるノルンではなく、置いて来てしまった遠い過去へと向いていた。

「とにかく、ユニークスキルの詳細はフェンサリル領に戻ってから鑑定士に尋ねてみることにしよう。現状、直ぐにフェンサリル領まで戻れる手段が無いから、お前にこっちまで迎えに来てもらえると助かる。それと、領へ帰る前に一仕事手伝ってもらいたい。事情は到着後に説明するが、女手があると心強い」

 捕らえられた女性達の信頼こそ勝ち得たが、それでもやはり頼れる同性がいてくれた方がより安心出来るだろう。ノルンは変り者だが、器用かつ気配り上手で、戦闘能力も高いとても優秀なメイドだ。彼女がいてくれた方が物事は円滑に進む。

『かしこまりました。直ぐにそちらへ向かいます』

 水面越しのノルンが頷くと同時に「水鏡」による通信が終了。水面は元に戻り、グラムの顔だけを映し出した。

「今から俺の仲間の女性が一人こちらへ到着する。変り者だが、とても頼りになるから安心してほしい」
「今からですか? 会話中にフェンサリル領と申していましたが、いくらなんでも南部から北部までは距離が離れすぎて」

 黒髪の女性の意見を遮るかのように、グラムの右隣の地面へと突如として円形の眩い光の柱が出現。その中から不意に一人の女性のシルエットが姿を現す。女性が光の柱か一歩踏み出すと同時に、光の柱はその場から消失した。

「グラム様の忠実なるメイド。ノルンと申します。皆様、以後お見知りおきを」

 黒いスカートの端を摘み上げ、ノルンがお淑やかに一礼する。絹糸のように流れる金色の髪と、妖艶さを秘めた紅玉のような赤目。高身長かつメリハリの利いた抜群のボディ。絵画の世界の住人かと思わせる美女がそこにはいた。

 グラムとは異なり魔導系にステータスを振っているノルンは、高ランクの移動系魔導「ピンポイントワープ」のスキルを有している。先程の「水鏡」のスキルでグラムの居場所を把握、転移先を細かに設定することで長距離を一瞬で越えてきた。自身を含めて一度に三名まで同時に移動できる便利なスキルだが、強力な効果故に多用は出来ない。ノルンの魔力量から考えると、ピンポイントワープの利用は一週間に二回までが限界。裏を返せば、週に一度であれば遠方だろうとも、行って帰って来ることが可能ということでもある。

「それでグラム様、この女性達はいったい……まさか、私に黙ってハーレムを築こうと?」

 ノルンがそっとグラムに耳打ちする。

「冗談でも止めてくれ。こっちは変態の誤解を解いた直後なんだ。その洞窟は盗賊団のアジトで、この人達は近隣の村々から誘拐された被害者だ」
「なるほど、事情はだいたい把握しました」

 ノルンは頭の回転が早い女性だ。丸腰で失踪したはずが武器を携帯しているグラム。グラムに心を許し、安堵の表情を浮かべている女性達。いかにも盗賊受けしそうな洞窟を利用した天然のアジト。到着した時点でノルンはある程度事情を把握していた。ハーレム発言自体も冗談だったのだろう。その証拠に女性達には聞こえないようにグラムへそっと耳打ちしていた。女性達の心情に配慮したのだろう。

「ノルン、早速一つ頼みたいんだが」
「何でございましょうか?」
「意識を取り戻した盗賊共が逃げ出せないよう、お前の魔導で入口を封鎖してくれないか」

 女性達を安全な場所まで移動させるためアジトを離れることになるが、気絶した盗賊達もじきに意識を取り戻すはずだ。そうなれば、治安維持部隊を連れて戻って来る頃にはアジト内はもぬけの空となっている可能性が高い。逃げられないためにも、唯一の出入り口を封鎖しておく必要がある。
 グラム自身が出入り口を崩しても良かったのだが、加減を謝って洞窟全体を崩落させてしまう可能性がある。その点、ノルンの魔導を使えばピンポイントで出入り口だけを封鎖出来るので任せて安心だ。

「承知しました。でしたら早速」

 主の願いを叶えるべく、洞窟の出入り口前に立ったノルンが目を伏せて意識を集中させた。大気が渦巻き、美しい金髪がふわっと浮き上がる。

「今からここは立ち入り禁止です」

 笑顔のノルンが、口から発せられた白い息を洞窟の出入り口へと吹きかけた瞬間。

「す、凄いです」
「凄いだろシグリ。ノルンの氷結魔法は天下一品だ」

 ノルンの発動した魔導「氷壁(ひょうへき)」の効果によって、大気の震えと共に巨大な氷の塊が発生。洞窟の出入り口を物理的に塞いでしまった。圧倒的破壊力の打撃や強力な炎熱魔導でも無ければ出入り口の突破は不可能。盗賊達はノルンが「氷壁」を解除するまでの間は、絶対にこの洞窟から出ることは叶わない。

「これから皆様を私とグラム様で安全な場所までお送り致します。それに伴い、お一人ずつお名前とご出身をお教え頂けますでしょうか」

 ノルンが手際よく移動準備にかかり、女性達がノルンの周辺へと集まっていく。全員を無事に送り届けるため、顔と名前は一致させておかなくてはならない。

「よかったならシグリ。もうすぐでお家に帰れるぞ」
「……私、お家が分からないです」

 シグリが不安気に、ギュッとグラムの手を握った。

「どういうことだ?」
「……私には、ここに来る前の記憶がないのです。ただ、身に着けていたネックレスにシグリという名前だけが掘ってあって」

 真偽を確かめるべく、グラムは黒髪の女性へと目配せすると、

「シグリちゃんの言うことは事実だと思います。私達が攫われてきた時点で、シグリちゃんはすでに盗賊に捕らえられていました。お家やこれまでの経緯を尋ねても、何も分からないの一点張りで。狭い地域ですし、近隣の村々は全員顔見知りのようなものですが、シグリちゃんに見覚えのある人は誰もいません。それに」

 瞬間、山間部を強烈な風が吹き抜け一行を襲う。それまでは目深に被っていたシグリのフードが捲れ上がり、黒髪の女性が答えるよりも早く、シグリの秘密が明らかとなる。

「エルフ?」

 露わになったシグリの頭部には、特徴的な長い耳が確認出来た。色白な肌と長い耳、これは多くのエルフに見られる特徴だ。
 落ち着かないのだろうか? シグリはそそくさと、再びフードを被ってしまった。

「気候など環境的な問題もあり、ヒミンビョルグ領にはエルフの里は存在しておりません。経緯は不明ですが、シグリちゃんはどこか遠くから連れてこられたエルフということなのだと思います」
「記憶喪失で帰る場所も分からないか。困ったな」
「ここで出会ったのも何かの縁。出来ることなら私達で保護してあげたいとは思いますが……それは厳しいでしょう。村は優しい方々ばかりですが、記憶喪失の異種族の少女を受け入れるというのは、現実的には難しい。ヒミンビョルグ領がエルフにとっては住みにくい土地なこともあり、それがシグリちゃんのためになるとは思えません」
「確かにな」

 安易な優しさを見せるよりも、よっぽど真摯な対応だとグラムは思う。
 受け入れる環境が整っているならばともかく、地方の山村に、突然記憶喪失の異種族の少女を受け入れというのは酷な話だろう。ヒミンビョルグ領政府にシグリの身を委ねるのが無難だろうが、ヒミンビョルグ領にエルフとのパイプがあるとは思えないし、記憶喪失の異種族の少女は、厄介者として冷遇される可能性もある。いずれにせよ、記憶喪失のシグリは知り合いもいない環境で、長期間心細い思いをさせてしまうことは想像に難くない。

「シグリ、俺達と一緒に来るか? もちろん、君さえよければだが」

 グラムの発言に一同の視線が集まる。
 助けを求めるシグリの声に導かれてグラムはこの場へとやってきた。人身売買の危機からは救うことは出来たが、本当にそれだけでシグリを救えたことになるのだろうか? 真の意味で彼女を救うためには、彼女が記憶を取り戻し、自身の本当の居場所を見つけるための手伝いをしてあげるべきなのではないだろうか? 

 決して思い付きで安易な優しさを口にしたわけではない。五年前に誕生した新興領であるフェンサリルは、領主の意向を受け、移民の受け入れにも寛容だ。多種多様な種族の暮らす特殊な領であり、偏見や差別は存在しない。自然豊かな土地でエルフの居住地としても適している。少なくとも生活環境としては、ヒミンビョルグ領よりも快適なはずだ。

「ご迷惑ではないのですか?」

 信頼の表れなのだろう。失礼のないようにとシグリはフードを下ろして素顔を晒し、満更でもなさそうにグラムの顔を見上げた。

「全然。ノルンも問題ないだろう?」
「グラム様がお決めになられたことでしたら、私は全面的に賛成致します」

 受け入れる側に反対意見はない。グラムはフェンサリルの領主とも親しいので、事情を説明すれば移住の件は問題なく進むことだろう。残るは当事者たるシグリの気持ちだけだ。

「不束者ではございますが、どうかよろしくお願いいたします」
「歓迎するよ、シグリ」


 こうして、グラムの唐突なユニークスキル発現に端を発するヒミンビョルグ領での救出劇は幕を閉じた。
 氷結戦争終結から5年。隠居の身でああった勇者グラムは、ユニークスキルの目覚めによって、再び戦いの中に身を投じる羽目になっていく。
 ヒミンビョルグ領で盗賊団を壊滅させてから八日後。
 フェンサリル領へと帰還したグラムは、自警団の修練場にて新人指導の任へついていた。午後の鍛錬も終わり、本日の訓練メニューは終了。汗だくの新人たちが続々と修練場を後にしていく。

 新興領であるフェンサリルは決して兵力が整っているとはいえず、勇士で結成される自警団が主に周辺地域の治安維持にあたっている。メンバーは志願兵である一般市民が大半。戦闘経験皆無の者も少なくはなく、当人たちの身の安全のためにも、一定期間の戦闘訓練は必須だ。

「熱心ですね、グラムロック」

 修練場の中心に座り込み、明日の訓練計画を書き記した紙を眺めていたグラムの上から女性の影が差す。
 グラムが顔を上げると、プラチナブロンドのショートヘアーと、澄んだ青眼が印象的な長身の美女の笑顔と目が合う。服装は彼女のトレードマークでもある金色で縁取られた紺色のローブだ。屈託のない笑みは幼子のように無邪気であり、それでいて佇まいからは大人の色香が感じられる。相反する印象を無意識かつ同時に体現出来ることもまた、彼女の魅力の一つなのかもしれない。

「おや、帰っていたのか領主殿」
「二人きりの時くらい、砕けた口調で呼んでも構いませんよ。今はお付きの者もいませんから」
「親しき仲にも礼儀ありだよ、ウルスラ」
「相変わらず生真面目な人」

 そう言うと、フェンサリル領の若き領主にして、先の氷結戦争で活躍した英雄の一人でもあるウルスラは、友人としての穏やかな表情でグラムの隣へと静かに腰を下ろす。
 ウルスラは勇者級のグラムを上回るレベル90の英雄級。最高位の白魔導士であるウルスラは大戦時より、「救世の聖女」と呼ばれ慕われている。
 氷結戦争後はその功績から自らの領土を持つことが認められ、5年前に戦友であるグラムらと共に、未開拓の南の諸島群にフェンサリルを建領、徐々に体制を築き上げていき、現在へと至る。

「シグリの件は助かったよ」
「お安いご用ですよ。全ての種族に対して開かれた土地であれ。それが私の興したフェンサリル領の理念でもありますから」

 領主たるウルスラの口添えもあり、シグリのフェンサリル領への移住は滞りなく行われた。体調面に関しては、牢屋に捕らえられていた影響でやや体力の低下が見られたが、医者の見立てではしっかりと栄養と休息を取れば直ぐに回復するだろうとのことだ。一方で記憶喪失に関しては深刻なようで、今のところ回復の予兆も解決策も見えていない。自然に何かを思い出すまで、気長に付き合っていく他ないようだ。

「シグリちゃんの様子はどうですか?」
「徐々にフェンサリルでの暮らしにも慣れて来た様子だ。最近は体力も戻って来て、ノルンと森の探索に出かけたりもしているよ」
 
 移住を勧めた者としての責任もあるでのシグリは現在、グラムとノルンの暮らす家で引き取っている。シグリの今後については、グラムの役に立ちたいという彼女の意志を尊重し、体力が戻ってからはノルンの手伝いをしてもらう予定となっている。シグリが何かやりたいことを見つけたのならその道を全力で応援するつもりだが、記憶喪失に加えてまだ新しい土地にやってきたばかりなこともあり、直ぐに目標を見つけるのは難しいだろう。記憶喪失共々、焦らずじっくりと考えていけばいい。

「あなたに目覚めたという、ユニークスキルに関しては?」
「鑑定士に見てもらったが、過去に例のない相当珍しいものだそうだ。解析によると、助けを求める誰かの声に呼応し、強制的にワープで駆けつける能力ということらしい。先日体験したシグリの件とも一致する」
「助けを求める声に呼応しその場に駆け付ける。スキル名にもある通り、まさに救世主といったところですね。グラムロックの戦闘能力なら、大概のことは何とでも出来るでしょうし」
「……どうせなら、かつての氷結戦争時から発現していたら良かったのにな。あの時代、ミルドアースは悲劇で溢れ返っていた。救えた命だってたくさんあったはずだ」
「酷なことを言うようですが、過ぎた出来事に対してもしもを考えることに意味などありませんよ。誰も過去には戻れないのですから」
「……そうだな。もう、氷結戦争は終わったんだから」

 グラムの言わんとすることはウルスラにも理解は出来る。いかに強力なステータスやスキルを有する英雄や勇者であったとしても、人数が限られる以上やれることには限界がある。
 例えば激戦地で強敵たる大巨人を討ち果たしたとしても、その間に襲われてしまった地方の小村までには守りの手が回らない。平等に全ての人間を救うことは、英雄や勇者をもってしても不可能なのだ。

 だが今のように救いを求める声に呼応し即座に駈けつけることが出来ていたら。激戦に身を投じている間に故郷を失ってしまったグラムがそんな風に思ってしまうのは仕方のないことだった。そんなグラムに突如として目覚めたの「ワープスキル・救世主」は、彼に最も相応しいと同時に皮肉なスキルでもあるのだ。

「しかし、スキルの性質上仕方のないことではありますが、強制的にワープするというのは少々大変ですね。例えば就寝中に突然飛ばされるようなこともあるでしょうし」
「初回からして風呂上がりだったからな。一瞬でも反応が遅れていたら丸出しだった」
「あまり淑女の前で丸出しと口走るのは如何なものかと」
「すまん、つい普段のノリで」

 赤面して顔を背けるウルスラを見て、グラムは申し訳なさそうに苦笑する。
 普段は猥談にも躊躇いのないアクの強いメイドと一つ屋根の下で生活しているせいか、ついつい丸出しなどいう下品な言葉を口走ってしまった。今目の前のいるのは「救世の聖女」であり、純真乙女でもあるウルスラなのだ。発言には配慮しなくてはならない。申し訳ない気持ちもそうだし、照れ隠しで強力な白魔導が暴発しても困る。

「ユニークスキルでのワープとは、どのような感じなのですか?」
「そうだな。先ずは予兆として助けを求める声が」

『どうして私が』

「聞こえて――」

 救いを求める誰かの声を脳が知覚した瞬間には、すでにユニークスキルの効果が発動していた。最後まで台詞を言い切れぬままグラムの体は青白い光に包み込まれ、ウルスラの隣から一瞬にして消えてしまった。
 幸運だったのは初回のような無防備な姿ではなく、今回は黒い半袖のカットソーと茶色のカーゴパンツに、模擬戦用の革製の胸当てやグローブを装着した真っ当な姿だったということだろうか。

「なるほど、ユニークスキルでのワープとはこんな感じですか」

 一人残されたウルスラは感心した様子でポンと手を叩いた。
 突然の出来事に動じない辺りは、流石はレベル90越えの英雄といったところだ。

「また迎えが必要になるかもしれませんし、ノルンにもグラムロックがまたどこかに行ってしまったと伝えておきましょうか」