「ここまで来れば安心だろう。先ずは手枷と鉄球を外さないとな」
処刑台広場を離脱したグラムと女騎士は、遠く離れた森の中へと身を潜めていた。鉄球を身に着けた人一人抱えているにも関わらず、一度も休憩を取らずに走り抜けたグラムの体力は凄まじい。
女騎士の両腕を傷つけないよう、絶妙な力加減で素手で手枷を粉砕。続けざまに腕力に物を言わせて鉄球と足首とを繋ぐ鎖を豪快に引き千切った。
鍵開けや拘束解除系のスキルがあれば良かったのだが、腕力だけでどうにかなったので結果オーライだ。最前線での戦いにこういったスキルが必要となる場面が無かったため、グラムは取得する機会には恵まれていなかった。
「命を救って頂いただけに留まらず、拘束の解除まで。何と礼を言ったらいいか」
「礼なんていい」
額が地面に付きそうなくらい深々と頭を下げる女騎士に対し、グラムは頭を上げるよう促すが、まだまだ感謝が足りないと言わんばかりに女騎士は頑として頭を上げようとしない。仕方がないのでグラムは話題を変えることで女騎士に面を上げさせようとする。
「まだ名前を聞いていなかった。君の名前を聞かせてもらってもいいか?」
目も合わさずに名前を名乗ることは失礼だと思ったのだろう。グラムの思惑通り、女騎士は顔を上げた。
「これはとんだ失礼を。私の名はクリムヒルデ。エトワールの地を治めしエックハルト家に仕えし騎士だ」
クリムヒルデと名乗った女騎士は、ハーフアップの亜麻色の髪と色白な肌、澄んだ碧眼が印象的な長身の美女だ。騎士社会に身を置いているだけあり、その表情は凛々しさと気品を両立している。長身の印象も手伝いとても大人びた印象だが、実年齢は19歳とかなり若い。
「俺の名はグラム。フェンサリル領からやってきた。間抜けなことを聞くようだが、エトワールとは大陸全体で見たらどの位置にあたる? 助けに来ておいてなんだが、俺は今、自分がどこにいるのかも分かっていなくてな」
「エトワールは、フォールクヴァング領の南部に位置する地域だが」
「フォールクヴァング領か。これまた随分と遠くに」
当惑からグラムは苦笑を浮かべた。フォールクヴァング領といえば大陸の西部。ユニークスキルを発現して以降、拠点である南部のフェンサリル領も含めれば、たった一カ月弱で大陸の東西南北に足を運んだことになる。遊びに行ったわけではないので、喜んでいいのか難しいところだ。
「私の目には、グラム殿は突然処刑台へと現れたように見えた。フェンサリルとは随分と遠方のご出身らしいし、どういった経緯でこの地へやって来たのだ?」
「経緯なんて大そうなものではないが、俺は特定の条件下で強制的に発動するユニークスキルを持っていてな。その効果で、フェンサリル領からあの処刑台まで一瞬でワープしてきた」
「なるほど、ユニークスキルによるワープか。それならば突然、処刑台の上に現れたことにも得心がいく」
これまで出会ってきた者達とは異なり、クリムヒルデの理解は早い。
勇者級には及ばぬとは言え、騎士として戦闘経験豊富なクリムヒルデもそれなりのレベルの持ち主。おおよそ40台前半といったところだろうか。
戦闘経験豊富な武人としてスキルに対する理解も深く、一瞬で長距離を越えてこれるワープスキルの存在も当然承知している。状況を受け入れることに抵抗が少ないのだろう。
「特定の条件下というのは?」
「助けを求める誰かの声に導かれることだ」
「なるほど。天に乞うた助命が、遠く離れたグラム殿の下に届いたということか。強制的だというのなら突然のことだったのだろう。迷惑をかけたな」
「別に迷惑なんてことはない。夕飯よりも、誰かの命を救う行為を優先するのは当然だ。あともう頭は下げないでいい」
義理堅いクリムヒルデが再び深々と頭を下げようとするが、礼ならばもう貰ったからと、今度は早々に頭を上げさせた。
「それで、さっきの連中は」
「グラム殿は志半ばの私の命を救ってくださった。もう十分だ。これ以上、私達の事情に巻き込むわけにはいかない」
「乗りかかった船だ。事情くらいは聞かせてくれてもいいだろう。下船の判断なんていつでも下せる」
迷いのないグラムの視線に耐え切れず、クリムヒルデは渋面で目線を逸らす。
グラムの実力は先程の処刑台での立ち回りで証明済み。彼ならば現在自分達が置かれている状況を覆せるのではと思う。一方で、エトワールやエックハルト家の問題に無関係な人間を巻き込むめないし、命を救ってくれた恩人にこれ以上の迷惑をかけたくないという思いもある。
「さっきの騎士連中も、君と同じくエックハルト家に仕える連中だろう?」
クリムヒルデの本音を引き出すべく、グラムはいきなり核心を突いた。
「何故それを?」
「君と連中の腕には同じ腕章が巻かれている。見たところそれは家紋だろう。共通した家紋をつけている以上、同じ家に仕える者達だと考えるのが妥当だ。この場合の候補はエックハルト家しかない」
「……あの立ち回りの中、そこまで見ていたのか。底の知れないお方だ」
「エックハルト家では何らかのお家騒動で、内紛のような状態が発生している。同じ家に仕えながらも、君とさっきの連中には敵対関係が生じていると俺は見ている」
先ずはグラムの見立てを聞こうと思ったのだろう。クリムヒルデは口は挟まず、指摘を肯定し頷くだけに留めている。
「突然やって来た余所者目線から見て、正義は君の側にあったように思う。決して感情論じゃない。あくまでも客観的な意見だ」
死線を生き抜くためにはレベルやステータスだけでは足りない。観察力や洞察力も生存のための大事な要素だ。その習慣が染みついているグラムは、戦闘中であっても決して周辺を観察するということを忘れない。クリムヒルデに正義があるというのは総合的に判断した上での結論だ。
「例えば君が背反行為を働いた罪人だというのなら、公衆の面前で堂々と処刑に踏み切ればいい。それをしなかったのは民意を得られず批判を浴びる可能性が高いからだ。あれは処刑というよりもむしろ、敵対勢力に対する目せしめの意味も込めた私刑の側面が強かったんだろう。仮にも同僚だった人間の首を刎ねようかという場面で、奴らは娯楽のような笑みを浮かべていたしな。処刑という公的な場に、裏家業らしき人間を同席させている点も不自然だ。恐らく奴らは騎士達の協力者。怪しい連中と手を組んでの私刑染みた行いを見るに、エックハルト家に反旗を翻した裏切り者が奴らで、エックハルト家の側に立ち続ける忠義者が君の方なのではと俺は見ている」
「……恐れ入ったよ。まるで全ての事情を知った上で語っているかのようだ」
それは皮肉ではなく、純粋な感嘆から発せられた言葉だ。
優れた洞察力と戦闘能力に加え、行動力までも伴ったグラムならば、そう時間をかけずとも一人でエックハルト家の内情を調べ上げてしまいそうだ。
それならばせめて、自分の口から真実を告げようとクリムヒルデは決意した。グラムが言っていたように、下船の判断など後からでも下せる。
「私の口から事情を説明しよう。貴殿の見立て通り、現在エックハルトのお家騒動によって、エトワールの地は内紛状態にある」
目を伏せたクリムヒルデは、微かに声を震わせながら語り始める。本来ならば自分達の手で解決すべき問題に、図らずも部外者を巻き込んでしまった。事情を語るだけとはいえ、生真面目さ故に申し訳なさを感じていた。
「順を追って話そう。エックハルト家の現在の当主の名はトマス・エックハルト様。聡明で慈悲深く、民からの支持も厚い明主であらせられる。本来、人から恨まれるようなお方ではないが、そんなトマス様に対して一方的に不満を抱く者がいた……」
「そいつが反旗を先導した?」
「その通りだ。反逆の首謀者の名はユルゲン。トマス様の最側近にして、実の兄にあたる」
「最側近が兄? 家督を継いだのは弟であるトマス殿の方ということか?」
「エックハルト家は代々、後継を決めるにあたって能力を重視する傾向にあり、必ずしも長子が家督を継ぐとは限らない。過去にも兄ではなく弟が家督を継いだケースは少なくなかったと聞いている」
「そういった事情ならば、不満の原因にも想像はつくな」
「……人格的にも能力的にも、トマス様の方が当主として遥かに器だったのは周知の事実だ。トマス様は人格者だ。兄弟たるユルゲンに対する親愛の情は変わりなかったが、あるいはそれすらも、ユルゲンには侮辱と映っていたのかもしれないな。嫉妬心が積もりに積もり、憎悪にまで膨れ上がってしまったのだろう」
「家督を継げず、自分で自分に劣等のレッテルを貼ってしまった。そのことには同情出来なくもないが、嫉妬心なんて下らない理由で反逆を企てた時点で底が知れる。民や土地の将来を憂いて現体制に反旗を翻すならばともかく、個人的感情に起因している時点で当主の器には程遠いな」
自己中心的で民のことをまるで考えていない。当主の座に収まることだけを目的とし、その先のことなど一切考えていないのかもしれない。思慮不足も合わせてユルゲンはやはり、当主の器足り得ぬ人間ということなのだろう。
「しかし、悪知恵だけは働く男だった。自身に忠誠を誓う一部の騎士と、多額の成功報酬を条件に迎え入れた武闘派のならず者たちを配下とし、反逆のための勢力を結成。騎士団の主力に複数人で闇討ちをかけることで徐々に戦力を削ぎ、ついには屋敷内を完全に掌握した。トマス様は軟禁状態にあり、騎士団長のローレンス様や副長のマリウス殿は、トマス様の命を人質に取られ、屋敷の牢獄に囚われている。
内紛発生時、私は仲間と共に魔物討伐の任に就き、屋敷を離れていたので巻き込まれずに済んだ。屋敷がユルゲンに掌握されたことを知り、仲間達と共に奪還作戦を決行したのだが……私の隊にもユルゲンの配下の者が紛れ込んでいた。背後から奇襲を喰らい作戦は失敗。何とか仲間達を離脱させることには成功したが、私は逃げ遅れ、捕らえれてしまった」
「奴らはどうして君を、あんな大仰な方法で殺そうと?」
「私が、屋敷の奪還を目指す騎士達のリーダー格だったからだろう。不穏分子に対する見せしめの意味と、あわよくば、私を助けようと駆けつけた仲間達を一網打尽にしようと考えたのだろうな。その可能性は考慮していたから、私は事前に仲間達には、万が一のことがあっても私を助ける必要はないと強く言いつけておいた。とはいえ、性分もあって我ながら生きようとする意志は強くてな。志半ばで散るわけにはいかぬと天に助命を乞うたら」
「突然、俺が現れたと」
「そういうことだ。以上がエトワールおよびエックハルト家の現状だ」
終始真剣な面差しで聞き入っていたグラムが、得心がいった様子で頷いた。
「事情は把握した。そのうえで、改めて俺は船に乗らせてもらうよ」
「お気持ちは嬉しいが、これはエトワールのエックハルト家の問題だ。無関係なグラム殿を巻き込むわけには」
「俺が勝手に巻き込まれたんだ。気にするな。処刑場で顔を見られたし、俺ももう無関係とはいかない。どうせ直ぐには領まで帰れないんだ。しばらくここに居る必要があるなら、俺は君の力になりたい」
「グラム殿……」
「現状、君達の勢力は分が悪いが、そんなもの俺が全部引っくり返してやる。戦いだけは昔から得意でね」
「頼ってもよいのか?」
「ここに来た時点で、俺は君を助けると決めている。それは何も処刑の危機からだけじゃない。君を取り巻くあらゆる問題からだ」
「……感謝する。お言葉に甘えて、グラム殿のお力に頼らせて頂く。正直なところ、手詰まりだったのは事実だ」
「決まりだな。改めてよろしく、クリムヒルデ」
「リムでいい。親しい者からはそう呼ばれている」
「分かった。よろしくリム」
「こちらこそよろしくお願いします。とても心強いよ。グラム殿」
手枷が外れたことで、二人は改めて出会いの握手を交わした。
「皆、心配をかけたな」
クリムヒルデとグラムはエトワールの南、山岳地帯の古い採石場を訪れていた。この場所はクリムヒルデをリーダーとする、エックハルト邸の奪還を目指す解放部隊の騎士が拠点として利用している。
これまでの衝突で囚われたり、戦死した仲間も少なくない。残る解放部隊のメンバーはすでに10人を切っている。騎士達は天望が見出せず、肉体的にも精神的にも大きく疲弊していた。
「リム、無事で何よりだ。一時はどうなることかと思ったが、君がいてくれれば我々はまだ戦える」
解放部隊の副官を務める金髪の青年騎士、オスカルがホッと息を撫で下ろす。目の下の深い隈が、これまでの心労を物語っていた。クリムヒルデは戦闘能力はもちろんのこと、その高潔な精神とリーダーシップから、部隊の精神的支柱としての側面も強い。もしもクリムヒルデが処刑されていたなら、解放部隊は自然消滅していた可能性も考えられる。
「リム、そちらのお方は?」
オスカルら解放部隊の視線が、クリムヒルデの後ろに控える大柄なグラムへと注がれる。
「このお方はグラム殿。処刑の危機に瀕していた私を救って下さった命の恩人だ」
「処刑の危機を? リムの処刑に際し、奴らは厳重な警戒を強いていたはずだ。それをお一人でどうやって?」
「説明すると少しややこしいんだが、俺はワープ系のユニークスキル持ちで、たまたま処刑台の上に飛ばされてな。正義のありそうなリムの側に加勢して今に至る」
「グラム殿の戦闘力は私の遥かに上をいく。瞬く間に処刑人を倒してしまったかと思えば、次の瞬間には私を抱えたまま追手を撒いてしまった」
俄には信じがたい話だが、処刑の危機にあったクリムヒルデが健在で、彼女自身がそう語る以上それは疑いの余地はない。周りの騎士達が唖然とする中、副官のオスカルだけは記憶の中に何か思い当たる節があったようで。
「グラム殿? もしやあなたは、氷結戦争で活躍したグラムロック殿ですか?」
名前の類似点と、クリムヒルデを鮮やかに救出してみせた圧倒的な戦闘能力。オスカルの記憶の中の勇者の名が、目の前の青年の姿と重なる。
「俺の昔の名を知っているとは珍しいな。確かに俺は氷結戦争に参加していたグラムロックだ。今はグラムと名乗っているがな」
冷静な反応を示したグラムとは対照的に、周囲は騒然としている。クリムヒルデも例外ではなく、初めて出会った時以上の衝撃を受け、大きく目を見開ていた。ただ者でないことを理解しながらも、氷結戦争を生き抜いた程の大物であることまでは想定外だったのだろう。
「驚きました。氷結戦争でご活躍された勇者様とこのような形でお会いすることになるとは」
「オスカルさんだったか。どうして俺の名前を知っている? 英雄級の人間ならばともかく、勇者級の名前まで把握しているのは珍しい」
「僕の伯父も、かつて氷結戦争に参加していました。その頃同じ部隊に所属していたという、グラムロック様のお話しを、伯父からよく聞かされていたものでして」
「伯父さんの名は?」
「マックスという名の斧騎士です。負傷で戦線を離脱したため、終戦前にはエトワールの地へと戻っておりました」
「マックスさんか、懐かしいな。そう言えば故郷に俺と同い年くらいの甥っ子がいるって話してた時があったが、それがオスカルさんか」
かつての戦友の身内との思わぬ出会いにグラムの心は躍る。
壮年の斧騎士のマックスとは、氷結戦争初期から中期にかけて同じ部隊に所属していた。陽気なおっちゃんといった人柄で、故郷の甥っ子を思い出すと言い、グラムによく食事を奢ってくれていたことが印象深い。
戦士としては戦闘経験豊富なベテランとして、若手のグラムによく戦術的指導も行ってくれた。猪突猛進の傾向があったグラムに、状況判断の大切を説いた人物でもあり、それは此度のクリムヒルデ救出の際の周辺観察にも大いに役立った。当時は攻撃系スキルばかり習得していたグラムに対して守備の大切さを教え、毒や麻痺耐性スキルの取得を勧めたのもマックスだ。
マックスが前線を退いた後もグラムは終戦まで戦い抜いたが、マックスの教えのおかげで難を逃れた場面も少なくない。お互いに所在を知らせる術を持たなかったので戦後には一度も顔を合わせていなかったが、グラムにとってはとても印象深い戦友であった。
「僕で間違いないと思います。伯父は独り身で、甥っ子の僕のことを可愛がってくれいましたから」
「マックスさんは元気にしているか?」
「……伯父は、氷結戦争終結の翌年に亡くなりました。戦前より患っていた病の影響です」
「……そうだったのか。状況が落ち着いたら墓参りに伺いたい。今度案内してくれ」
「喜んでご案内させて頂きます。伯父も喜びますよ」
マックスの死を残念に思いながらも、ショック自体はそこまで大きくはない。
氷結戦争終結から早5年。戦友が亡くなっていても不思議ではない。こうして彼の身内と出会い、故人について語る機会を得られたことは幸運だった。
「マックス殿が氷結戦争に参加していたことは私も知っていたが、まさかグラム殿が戦友であったとは。それも勇者級。失礼ながら、現在のレベルはおいくつだ?」
マックスとの思い出話が一段落したところで、クリムヒルデが純粋な興味で質問する。命の危機を救ってくれた恩人に対する感謝の念とは別に、一人の武人として、氷結戦争で活躍した勇者グラムという存在に対する好奇心が強まっていた。
「現在のレベルは85だ。事実上これで打ち止めだろうが」
氷魔軍の脅威が去った今、高レベルの者がレベルアップに必要な経験値を得る機会は皆無。グラムは現在のレベル85が自分の事実上の到達点であると考えている。むしろ、そうであってほしい。
高みを求める戦士の気持ちが理解出来る一方で、複数の英雄や勇者が誕生する状況というのは、世界レベルの災厄が起こっている時期に他ならない。グラムの成長が止まっているということは、今現在、世界に大きな危機は訪れていないということでもある。世界の安寧が続くならばそれに越したことはない。
「85!」
まさに絶句。日常では、否、戦渦でも滅多にお目にかかることはないであろうグラムの高レベルを受け、クリムヒルデや周りの騎士達は驚きのあまり表情が強張っている。唯一グラムの存在を知り得ていたオスカルもまた、現在のグラムのレベルを聞いた瞬間には驚きのあまり、グラムの方を思わず二度見してしまっていた。
オスカルが聞き及んでいたグラムのレベルは、伯父マックスがグラムと同じ部隊に所属していた時点でのレベル60前後。この時点ですでに勇者級だが、そこからさらにレベルを上げ、英雄級も目前に達していたという事実には驚きを禁じ得ない。
「グラム殿のお力を借りられるのはとても心強いが、本当によろしいのか?」
命を救ってくれたグラムには感謝しているし信頼もしている。
レベル85の勇者級の力を借りられるならばこれ程心強いことはない。しかし一方で、グラムが氷結戦争で活躍した勇者であると分かったことで新たな懸念が生まれる。
「地方とはいえ、一貴族の家督問題に関わることで、グラム殿自身のお立場に不利益が生じる可能性はないのか? 厚意は素直に受け取るべきだと思う一方で、恩人だからこそ迷惑をかけたくないという思いもあるのだ」
英雄級には及ばぬとはいえ、レベル80台の勇者ともなれば、各地で重役に就いている可能性が高い。立場ある者がよその地域の問題に関われば、本人の意志はどうあれ周囲から反感を持たれる可能性は高い。グラムの介入なしに現状を覆すことは難しいが、だからといって恩人にこれ以上の迷惑をかけるような真似は、騎士としては選びかねる。
「まあ、問題無いだろう」
クリムヒルデの懸念とは裏腹に、グラムはあっさりと即答する。
当初は騎士が相手だったこともあり、政治的背景を気にして控えめな行動に留めていたが、相手が体制を揺るがす反抗勢力と分かった今なら、多少は暴れても大丈夫だろうとグラムは判断した。素性がばれないように注意しつつ、戦闘も不殺に留めれば大きな問題にはならないだろう。
エックハルト家としても、内紛の鎮圧は外部の協力ではなく、自分達だけの力で達成したという形の方が政治的に好都合のはず。態々グラムの存在を吹聴するような真似はすまい。
「ず、随分と軽いな。私達に気を遣う必要はないのだぞ?」
「気を遣うも何も、今の俺は隠居したただの一般人で立場なんてものはない。もちろん、所属先のフェンサリル領には事前に報告はしておくが、正義のためならば駄目だとは言われないだろう」
「グラム殿がそう仰るならば、これ以上遠慮するのは無礼というものだな。ありがたくグラム殿お力を拝借させて頂く」
クリムヒルデを筆頭に、周辺の騎士達が次々と深々と頭を下げる。クリムヒルデ一人でさえ申し訳なかったのに、数倍の人数に頭を下げられては流石に恐縮してしまう。
「いいから頭を上げてくれ。俺が勝手に首を突っ込んでいるだけなんだから」
苦笑顔で促すと、ドミノ倒しを逆再生するかのように、騎士達が次々と頭を上げていく。
「先ずは作戦を考えようか」
「それならば私に良い考えがある。エックハルト邸には、外部と繋がる地下道があってな」
グラムとクリムヒルデを中心として、エックハルト邸奪還作戦の計画が話し合われることとなった。
エックハルト邸の正門前。オスカルに調達してもらった深緑色のローブと顔の上半分を覆う仮面で素顔を隠したグラムは、正門から正面突破を試みようとしていた。作戦開始前に、ノルンを介してウルスラにも確認を取り、エックハルト家のお家騒動への介入を正式に許可された。これで心置きなく戦いに臨める。
「貴様、何者だ!」
「ご想像にお任せするよ」
グラムが正面から堂々と仕掛け、敵の注意を引きつけつつ戦力を大幅に削いでいく。その混乱に乗じてクリムヒルデ達は秘密の通路から屋敷内に潜入し、当主であるトマスの救出および、囚われた騎士団長達の解放を目指す、という計画だ。
第一段階として、ユルゲンの配下らしき二名の門番を即座に無力化する。右方のスキンヘッドの男には、目にも止まらぬ速さで正面から「手加減」スキルによるひじ打ちで一撃。衝撃は革製の防具でも御しきれず、一瞬で気絶してしまった。
「お、おのれ!」
一瞬で仲間が倒されたことに動揺しながらも流石は門番。残る長髪の門番は果敢にも、手にした長槍でグラムの顔面目掛けて刺突した。
「残念だったな」
グラムはその場から動かず、最小限の首だけの動きで槍による刺突を回避。呆気に取られた門番に肉薄すると、無防備な額目掛けて右手で軽くデコピン。意識を刈り取られた長髪の門番は白目を向き、その場にうつ伏せに倒れ込んでしまった。
グラムは手早く、長髪の門番の手にしていた槍を拝借。強引に素手で刃をへし折り、長槍は木製の柄だけの、打撃用の棒へと成り下がる。相手を殺す意志は無いので殺傷能力は不要との判断だ。今回の作戦においてグラムは、素性を隠した上で、あくまでも不殺で相手を無力化していくことに決めている。
閉ざされた重く厚い正門の前に立ったグラムは景気づけに首を鳴らしてから、正拳突きの形で右の拳を引いた。スキルも武器も使うまでもない。この程度の質量の扉なら、拳一つで余裕でぶち破れる。ド派手に音を立てながら侵入した方が、屋敷内の戦力を引きつける陽動としても好都合というものだ。
正拳突きが直撃した瞬間、凄まじい轟音と共に正門が崩壊。
開通した道をグラムは悠然と進んでいく。
「所詮は一人だ。大勢で取り囲め!」
事態を察したユルゲン配下の騎士やならず者たちが集結。一斉にグラムを取り囲んだ。これで全員ではないが、大半の兵をこの場に引きつけることには成功したはずだ。屋敷内に残った兵は、クリムヒルデ達の部隊に任せることとなる。前回は数の暴力に敗北してしまったが、クリムヒルデは本来レベル40台とかなりの手練れだ。心配はいらないだろう。
「処刑台に現れた野郎だな。顔を隠していても声で分かる」
グラムと取り囲む者の中には、数時間前に処刑台の上で気絶させた黒衣の処刑人の姿もある。意識を取り戻した今、雪辱を誓うその眼光は鋭利だ。自慢の大斧で首を刎ね飛ばしてやると殺意全開で息まいているが、因縁を感じているのはあくまでも処刑人の側だけ。悲しいかな、当のグラムは処刑人の存在などまるで意識していない。所詮は周りよりやかましいだけの、その他大勢に過ぎない。
「お前が反逆の騎士達のリーダー格だな?」
「どうだろうな」
その他大勢は無視し、グラムが問い掛けた相手は、クリムヒルデ処刑の場にも立ち会っていた、カイザル髭が印象的な金髪の中年の騎士であった。処刑場で立ち回った謎の男の再来に頭を悩ませるかのように、分かりやすい渋面を浮かべている。
数の暴力で押し切れると高を括っている他の騎士やならず者たちとは異なり、すでに敗北の可能性を憂いているようだ。反逆の騎士のリーダー格として、戦闘能力も恐らく他の者達よりも上。なまじ実力者だからこそ、先の一件も踏まえて早々に格の違いを理解してしまったのだろう。
全てが上手くいっていたはずだった。数時間前にあの処刑台で、解放部隊の象徴たるクリムヒルデの首さえ落とせれば、反抗的な勢力も沈静化する。ユルゲンの天下は目前だったというのに、突如処刑台にネギを担いで現れた謎の男の存在一人に、事態は大きく掻き乱されることとなってしまった。
「てめえ! 俺を無視するんじゃ」
「邪魔だから視界に入るな」
我慢の限界と右側面から斬りかかって来た黒衣の処刑人を、グラムは目にも止まらぬ速さの裏拳で殴り飛ばしてしまった。殴り飛ばされた処刑人の体に巻き込まれ、数名の騎士が転倒。処刑人は「手加減」スキルで殴りつけたし、巻き込まれた側もあの程度で死にはすまい。
「どうする? 無駄な抵抗はしないと誓うなら、これ以上手荒な真似はしないと約束するが」
「……出来ぬ相談だな。例え負け戦と分かっていようとも、私は尊敬するお方の命令に従うまでのこと」
「忠義者ってのは厄介だな。説得の言葉なんて掛けるだけ無駄か」
聞き及ぶ印象では、ユルゲンが忠誠を誓うに値する主君とは思えないが、カイザル髭の騎士の覚悟の据わった目を見る限り、忠告に従うことは絶対になさそうだ。揺るぎない騎士の忠義心とは美徳であると同時に、相対する側としては厄介でもある。
「皆の者! かかれ!」
カイザル髭の騎士の号令の下、数十名に及ぶ騎士やならず者たちがグラム目掛けて一斉に襲い掛かって来た。忠告はした。それでもなお挑んでくるというのなら、後は実力行使で黙らせるまでのこと。
「全員ゆっくり寝てな」
柄だけになった槍を器用に両手で回転させつつ、グラムは反逆の軍勢を単身迎え撃つ。
「貴様ら、一体どこから!」
「何も知らずに警備していたとは、愚かな」
クリムヒルデ率いる解放部隊は、地下通路を利用しエックハルト邸への侵入を果たした。先陣を切るクリムヒルデが、警備にあたっていた二人のならず者を、長剣で一瞬で切り伏せる。
100年程前、フォールクヴァング領では大規模は内乱が発生し、貴族の屋敷には脱出用の地下通路が整備されているのが基本だった。現在は使われていないものの、エックハルト邸にも、最寄りの教会まで繋がる地下通路が当時のまま残されている。今回は逆にそれを侵入に利用した形だ。
当然、ユルゲン側も地下からの侵入経路については把握していたようだが、突如正門を突破してきたグラムに対処すべく、地下通路の出入り口の警備に当たっていた騎士も正門に投入せざる負えない状況になってしまっていた。結果、地下通路の出入り口を警備するのは屋敷の内情に詳しくない、部外者である数名のならず者達だけ。つけ入る隙は大きく、侵入は容易であった。
「どけ、貴様らに用はない!」
余計な戦闘をしている時間を惜しみ、クリムヒルデは刺突の構えを取り、自身の得意技でもある剣術系スキル「剣衝突貫」を発動。凄まじい衝撃波を纏った刺突で一瞬で駆け抜け、ならず者たちを次々となぎ倒していく。大ダメージを受けたならず者たちはことごとく戦闘不能に陥り、地下通路出入り口の警備は一瞬で壊滅した。
「先ずは牢に囚われている仲間達を救出する」
「了解」
念のため地下通路の出入り口に二人の騎士を残すと、クリムヒルデはオスカルらを伴い、騎士団長や副団長らが囚われている地下牢を目指した。
「ご無事ですか、マリウス殿!」
「リム、クリムヒルデか。良かった、君の処刑が行われると耳にし心配していたんだ」
クリムヒルデは50名以上を収容出来るエックハルト家の地下牢の前へと到着。牢越しに、エックハルト騎士団の副団長である赤毛の青年騎士、マリウスとの再会を果たした。
囚われの騎士達に精神的な追い打ちをかける意味合いで、本日クリムヒルデの処刑が行われることは、牢獄にも大々的に伝えられていたのが、クリムヒルデは仲間の救出という、これ以上ない形で健在ぶりを知らしめた。意気消沈していた囚われの騎士達の志気も、自然と高まってくる。
「オスカル、牢獄の開錠を」
「お任せあれ」
グラムが暴れた影響だろうか。牢の見張り番も鍵ごと不在であったが、開錠系のスキルを有するオスカルが居たおかげで、騎士達の解放には支障は無かった。オスカルもまた伯父であるマックスの教えに従い、戦闘系だけではなく補助系のスキルも積極的に取得。その経験が大いに役立った。
手際よく開錠が成され、30名の騎士達が牢獄から解放された。
しかしその中に、この場にいるべき人物の姿が足りない。
「マリウス殿。ローレンス団長の姿が見えぬが?」
「団長殿は、屋敷に混乱が起こって直ぐに、ユルゲンに連れていかれた。団長の計略と疑い、尋問する気なのやもしれぬ」
「おのれ、ユルゲン」
怒りに声を震わせ、クリムヒルデが左の拳を強く握った。
「ローレンス団長やトマス様が心配だ。私はユルゲンを追う」
「しかし、屋敷内にはまだ相当数ユルゲン配下の兵がいるはずだ。そう簡単にユルゲンの下まで辿り着けるかどうか」
「屋敷内の敵対勢力でしたら、我らの協力者のおかげで間もなく壊滅することでしょう」
マリウス副団長の不安は杞憂であると、クリムヒルデは自信満々に言い切った。ユルゲンの配下ではグラムには敵いっこない。正門付近の戦闘音はすでに静まってきている。正門での戦闘は間もなく終了すると見て問題無いだろう。
「オスカル、貴殿らは現状を把握するためにも、一度グラム殿に合流してくれ」
「了解だよ、リム」
グラムとの連絡役には、思わぬ接点のあったオスカルが最適だ。
頷くオスカルはすぐさま行動、仲間の騎士4名と共に地上階へと駆け上がっていった。
「私もリムと共にユルゲンを追う。詳しい経緯は移動がてら聞くことにする。負傷者は地下通路を利用し、一度屋敷を離脱しろ。戦える者は武器庫で武器を確保した後、エックハルト邸の奪還を目指せ」
「了解しました!」
マリウス副団長の指示を受け、解放された騎士達も次々と行動を開始していく。
「参りましょう、マリウス殿」
仇敵との対峙を前に、クリムヒルデは神妙な面持ちで上階へと駆け上がっていった。
「そこまでだユルゲン、これ以上の悪行は許さぬぞ!」
ユルゲンの足跡を追い、クリムヒルデとマリウス副団長は、晩餐会に使用されるエックハルト家のホールへと駆け込んだ。
ホールの中心部には青ざめた顔で震え上がるユルゲンと、首筋に短剣を向けられた人質のエックハルト家当主、トマスの姿があった。
白髪交じりの黒髪を撫でつけた精悍な顔つきのトマスは、ユルゲンよりも3歳年下の37歳であるにも関わらず、兄よりも老けた印象を与える。立場が顔立ちを作るといったところだろうか、圧倒的な威厳が感じられる。対する兄ユルゲンは顔立ちこそ美形であるものの、威厳がまるで感じられない。刃物を向けられているというのに、トマスは顔色一つ変えず堂々としている。表情だけならば、どちらが人質か分からないくらいだ。胆力という面でも兄弟間の差は歴然だった。
「ユルゲン、貴様の配下の戦力はじきに壊滅する。野望もこれまで、これ以上の愚行を重ねるな。大人しく投降しろ」
ユルゲン配下の戦力は、グラムの一騎当千の活躍により沈黙。残存戦力も牢獄から解放された騎士達により次々と制圧されている。エックハルト邸の奪還はもう時間の問題。トマスを救出し、ユルゲンの身柄を確保すれば事態は解決する。
「兄上、クリムヒルデの言う通りだ。武器を置き、大人しく投降してくれ。これ以上兄弟で争って何になる」
「だ、黙れ!」
「トマス様!」
「よい、マリウス」
激昂したユルゲンの握る短剣に力が込められ、切っ先がトマスの首に薄い線を引き、微量の血液が滴り落ちる。
主君の負傷に動揺したマリウスが長剣で斬りかかろうとするが、それを制したのは他ならぬトマスであった。トマスは傷を負ってもなお怯むことはなく、瞳に宿りし力強い意志は一切の衰えを見せない。
「兄上、結局のところ私は甘かったのだろうな。兄上が私に対して悪意を抱いていることには薄々感づいていたよ。それでもなお、まさか実の兄が私の命を狙うような真似まではすまいと、血の絆を無条件に信じ込んでいた……兄弟間の争いに巻き込まれ、愛すべき臣下達の命が失われた。悔やんでも悔やみきれぬよ」
「状況が分かっているのか? 今お前の命は、私が握っているのだぞ!」
生殺与奪の権利を握られているにも関わらず、トマスからは一切の怯えや不安が感じられない。改めて格の違いを思い知らされていくようで、口調とは裏腹にユルゲンの方が追い詰められていた。
「兄上には一つだけ感謝しているよ。此度の一件で私は、非情になることの大切さを思い知らされた。兄弟の情は捨て、兄上を一罪人として処分することを決意出来たよ」
「トマス、貴様!」
不意に首筋の短剣に手を伸ばしたトマスが、刃が食い込むこともためらわずに左手で力強く握った。刀身を握った状態で、強引に短剣を奪い取る。
「この程度の痛み、傷ついた臣下や、情勢不安に怯える民の心情に比べたらどうということはない」
「……ひっ」
実の弟から怒りと侮蔑とが混在した鋭い眼光を向けられ、ユルゲンは短い悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んでしまう。
「マリウス。大罪人のユルゲンを捕らえよ」
「承知いたしました」
駆け寄ったマリウスが即座にユルゲンの身柄を拘束、血塗れのトマスの左手から短剣を預かる。
「……私は悪くない。私はただ、あいつの作戦に乗っただけだ」
「この期に及んで責任転嫁か? 見苦しいぞユルゲン!」
小心者の戯言とマリウスが吐き捨てるが。
――本当にユルゲン一人でこんな大それたことを考え出したのか?
奇妙な違和感と胸騒ぎに、クリムヒルデの表情が強張る。
往生際が悪いといえばそれまでだが、最早言い逃れなど出来ぬ状況であることはユルゲンとて理解しているだろう。物事は常に最悪の場合は想像するべきだ。一度処刑の危機に瀕した今、クリムヒルデは決して状況を楽観視などしない。
今になって思えば、屋敷に混乱が発生した直後のユルゲンの行動にも違和感がある。外部からの襲撃が起きたとすれば、それは敵対勢力たるクリムヒルデらの介入と考えるのが妥当。主君を人質に取られ、早々に牢獄に囚われた騎士団長に尋問する必要などあるだろうか? もしもユルゲンの目的が別のところにあったとするなら? 最悪な想像を裏付けるかのように、今この場に疑惑の人物の姿はない。
「リム、後ろだ」
「……ああ、分かっている」
忠告の正体は正門での戦いを終え、オスカルから事情を聞き駆けつけたグラムだったが、忠告を聞くまでもなく、クリムヒルデはすでに行動を開始していた。即座に振り抜いた長剣が、背後から振り下ろされた長剣と接触、甲高い金属音が響き渡る。
不敵な笑みを浮かべて凶刃を振り下ろして来たのは、騎士としての憧れでもある、エックハルト騎士団団長のローレンスであった。金髪をオールバックに纏めた精悍な顔つきと屈強な体躯のもたらす迫力は、味方として戦場に臨む際は何よりも心強く、敵として相対した際は何よりも恐ろしい。
「良い反応だ。見せしめのための処刑など行わず、捕らえた時点で殺しておくべきだったかな」
「……ローレンス団長、何故ですか?」
ローレンスが力強く長剣を薙いだ瞬間、長剣同士が弾けて膠着が解かれる。その反動を利用し、ローレンスとクリムヒルデは同時に後退。距離を取った。
「ローレンス! どういうことだ?」
トマスがローレンスへと語気を強めて問いかける。動揺は内心に留めているが、騎士団長として長年尽くしてくれたローレンスの乱心は、実の兄の反逆よりも衝撃的であった。
「そこの情けない男の言葉は真実ですよ。ユルゲンを唆し、此度の内紛を誘発させたのは私です。騎士団長たる私の関与でも無い限り、ユルゲンに反逆を企てる度胸などありませぬよ」
ローレンスがユルゲンの発言を肯定したことで、騎士団長の反逆という、ショッキングな事実が確定した。グラムの来訪で屋敷内に混乱が発生した際、ユルゲンがローレンスを牢獄から連れ出したのは尋問のためなどではない。想定外の事態に動揺し、共犯者として意見を求めたのだ。他の騎士共々囚われの身となっていたのは、疑いの目を向けられないための芝居だったのであろう。まさか誰も、囚われの身にある者が、ましてや騎士団長の地位にある者が、反逆の首謀者などとは思うまい。
「なるほど。反逆に加担した騎士達はユルゲンよりもむしろ、騎士団長たるあんたへの忠誠心で動いていた部分が大きそうだな」
いかに直属の臣下といえども、ユルゲンのような男の企てに、騎士達がそう簡単に加担するとは思えない。しかし、騎士達を束ねし団長が反逆を企てたとなれば、後に続こうとする騎士が出て来たとしてもおかしくはない。先程グラムが撃破してきたカイザル髭の騎士も恐らくは、ローレンスへの忠誠心から反逆に加担した人間だったのだろう。
「ふむ。貴様がクリムヒルデの処刑の場に乱入したという男か。まったく、貴様という不確定要素が無ければ全ては上手くいったものを」
順調だった計画は、あの処刑台の一件から狂いだした。
グラムに対し貴様と呼ぶ際のローレンスの表情には青筋が浮かび、激しい怒りの念が表面化している。事実、グラムの介入さえ無ければ、今頃は潜伏していたオスカルら残存戦力を殲滅し、完全にエックハルト家を掌握出来ていたはずなのだから。
「ローレンス団長! どうしてあなたほどのお方がこのような乱心を! せめて理由をお聞かせ願いたい」
怒りと失望とが混在した複雑な感情を胸に、副団長のマリウスが声を張り上げた。
騎士として全力でトマスを守り抜く覚悟に揺らぎはない。反逆者であるというのなら、ローレンスとも戦わなければならぬだろう。それでもせめて、敬愛する上官であったローレンスがどういった経緯で主君を裏切る決断に至ったのか、その理由くらいは知っておきたい。
「権力を欲する。それ以外に何か理由が必要か?」
「はっ?」
心の中では、やむを得ない事情を抱えた末の苦渋の決断だったのではと淡い期待を抱いていた。にも関わらず真実は、誇り高き騎士団長とはとても思えぬ、あまりに俗物染みた返答。マリウスは失望感に言葉を失う。
「昔から地位というものには強い憧れがあってな。しかし、生まれもあってどう足搔いても騎士団長以上の地位は望めそうにない。当然のことながら、私はエックハルトの血筋ではないからね。そこで考えたのだ、当主の地位にはつけないまでも、当主の地位にある人間を裏から支配することが出来ればそれは事実上、最上の地位にあたるではとはね。トマス様は完璧過ぎるあまり付け入る隙など無かったが、トマス様に劣等感を抱いていた兄のユルゲンならば話は別だ。少々手間はかかるが、ユルゲンを当主の座に押し上げた後で、影の支配者とて君臨しようと考えたのさ」
「団長、いや、もう団長とは呼べまい……」
この男はいったい何を言っているのだと、不快感からクリムヒルデは生唾を飲み込んだ。副団長のマリウスは唖然とした様子で瞬きの回数が増え、当主のトマスは臣下の野心を見抜けなかった己を恥じるかのように渋面を浮かべている。マリウスに拘束されるユルゲンに至っては全てを諦め、魂が抜けてしまったかのように放心していた。
この場で唯一平静であったのは、窓枠に腰を掛けたまま状況を静観しているグラムだけであった。
「真実が露見した今、もはやこのエトワールの地に私の居場所は無かろうが、罪人として捕まるのは論外だ。悪いがこの場は引かせてもらうよ」
強者たるクリムヒルデさえ仕留めれれば何とかなると考え不意打ちを仕掛けたが、それも失敗した今、これ以上この場に留まっている理由はない。形勢不利を理由に、ローレンスはホールからの離脱を図り身を翻す。
「悪いが今からここは通行止めだ」
「……貴様」
ホールの出入り口である両開きの扉の前に、グラムが一瞬にして回り込む。
ただ扉に背中を預けて腕を組んでいるだけだが、それだけでこのホールの出入り口は世界最大級に突破の難しい鉄壁と化してしまった。ローレンスは仮にも騎士団長として戦闘経験豊富な人物。力量差くらいは弁えている。
「ローレンス。貴様のつまらぬ野心によって、罪なき者達の血が流れたのだ。その罪は贖ってもらうぞ」
静かな怒りの込められた口調と共に、長剣を手にクリムヒルデがローレンスへと睨みを効かせる。
「リム。俺の加勢は必要か?」
「罪人の始末くらいはこちらでつけるさ。グラム殿はそこで見守っていてくれ」
クリムヒルデの言葉に従い、グラムは両開きの扉に背中を預けたまま状況を静観することにした。グラムが介入すれば直ぐに決着はつくだろうが、クリムヒルデの覚悟に水を注すのは野暮というものだろう。
無論、クリムヒルデ救うためにエトワールの地までやってきた以上、再び彼女が命の危機に瀕したなら、恨まれることも顧みず助けに入る。しかし、その可能性は無いだろうとグラムは確信していた。
見たところ、ローレンスのレベルはクリムヒルデよりも2高い程度。レベルに大差ない以上、精神面も戦闘には大きく影響する。ローレンスの野心とクリムヒルデの騎士としての覚悟。どちらがより芯が通っているか、それは誰の目にも明らかだ。
「よかろう。クリムヒルデよ、貴様を地獄への道連れとしてくれる」
グラムに逃げ道を塞がれたことで、ローレンスはすでに勝利を諦めている。残された感情は、グラム共々計画を大きく掻き乱してくれたクリムヒルデを殺害し、一矢報いてやることだけだ。
悠然とクリムヒルデの方へと向き直ると、激情に血走った双眸でクリムヒルデを見据え、長剣で刺突すべく中段で構える。この構えは地下での戦いでクリムヒルデが、ならず者相手に使用したのと同じ、剣術系スキル「剣衝突貫」発動の構えだ。凄まじい衝撃波を纏った刺突で相手をなぎ倒すこのスキルは、エックハルト騎士団に所属する騎士が最も得意とするもの。シンプルかつ強力だが、それ故に個人の技量が大きく問われるスキルでもある。
「受けて立とう、ローレンスよ。貴様のような反逆者に、私の剣は折られはしない」
クリムヒルデも刺突の構えを取り、剣術系スキル「剣衝突貫」でローレンスへと正面から挑む。エックハルト騎士団の一員として、クリムヒルデもまたこのスキルを一番の得意技としている。エトワールの地で起こった内紛に、エックハルト家のお家騒動に終止符を打つならば、このスキル意外には考えられない。真正面から同じ技をもってローレンスを打ち倒してみせる。
「行くぞ! クリムヒルデ!」
「クリムヒルデ、参る!」
両者同時に駆け出し、剣術系スキル「剣衝突貫」により、凄まじい衝撃波を纏った刺突と刺突が両者の中間地点にて接触。両者の体が交錯し互いの位置が入れ替わると同時に、一際大きな衝撃波が発生。ホール全体が激しく震動する。
「……くっ」
微かに吐血したクリムヒルデの体がよろけるが、膝をついてなるものかと、長剣を床面へと突き立て、その場へと踏みとどまる。
「まったく、ひよっこがいつの間にか強くなりおって。才能とは恐ろしい……」
口元を悔し気に歪めた瞬間、ローレンスの大柄な体躯が膝をつき、そのまま前のめりに倒れ込んでいく。床面に伏したローレンスの腹部や口元から血が滲みだし、赤い絨毯を一層赤く染め上げていった。
「騎士の誇りを懸けた一撃だ。野心に囚われた貴様なぞに負けはせぬよ……」
沈黙するローレンスにそう語り掛けると同時に、クリムヒルデは苦痛に表情を歪め片膝をついた。
「見事な一撃だった、騎士クリムヒルデ」
一騎打ちを制した気高き女騎士を称える言葉と共に、グラムが優しく手を差し伸べた。
「……大戦の勇者たるグラム殿よりの称賛のお言葉、身に余る光栄だ」
震える手で、差し伸べられたグラムの手を取る。
裏切り者とはいえ、尊敬する騎士団長を自らの手で討つことには複雑な感情を抱いていたのだろう。称賛の言葉に微笑みを浮かべながらも、クリムヒルデの左頬には一筋の涙が伝っていた。
「よく頑張ったな」
「……これ程まで辛い戦いは初めてだった」
「胸くらい貸してやるよ」
「……すまない」
主君たるトマスや上官であるマリウスの前で泣き顔を晒すことを躊躇ったのだろう。迷惑を承知の上で、クリムヒルデはグラムの胸に押し当てた顔を離すことが出来なかった。グラムのカットソーの胸元には、クリムヒルデの涙が染み渡っていく。
かくしてエックハルト家のお家騒動は、反逆の首謀者たるローレンスの死亡および、主犯格のユルゲンの身柄確保をもって収束を迎えた。
当主トマスの意向もあり、身内の恥じとでも呼ぶべき此度の事件に関しては、ある一部分を除き、民や近隣地域にも公表される運びとなった。一時的に混乱が生じたものの、内紛の早期鎮圧に成功し、不都合な事実も包み隠さず公表したトマスの手腕や誠実さを評価する声が多く聞かれ、最終的にはトマスの評価をより高める結果へと繋がった。優れた弟への劣等感から反逆の片棒を担いだユルゲンにとっては、あまりにも皮肉な結末である。
反逆の大罪人であるユルゲンは現在、地下牢へと幽閉中。処分については現在協議中だが、犯した罪の大きさから鑑みて、死罪を言い渡される可能性も高いだろう。此度の一件を経て、当主トマスは兄弟への甘さを捨てている。
内紛鎮圧に大きく貢献したグラムの存在については、本人および、所属先の領主であるウルスラの申し出により公表はされていない。トマスは民に嘘をつくことは不本意だとしながらも、恩人の頼みを無碍には出来ぬと、グラムたちの意向を受け入れてくれた。偶然ではあるが、トマスとウルスラの間には過去に面識があり、その関係性によって話がスムーズに進んだ部分も大きい。
エックハルト騎士団の騎士達にも、グラムの関与については他言無用と言いつけてある。義理堅い彼らのこと、仲間内でグラムの活躍を話の種とすることはあっても、守秘義務を破るような真似は絶対にしないであろう。
そして、内紛鎮圧のもう一人の功労者であるクリムヒルデのその後はというと。
「今日の訓練はここまでとする」
エトワールでの一件から二週間後。
フェンサリル領の修練場には、エックハルト騎士団所属の女騎士クリムヒルデの姿があった。
「すまないな。赴任して早々教官職を任せてしまって」
「これぐらいお安いご用だ。グラム殿には返し切れない御恩があるからな」
差し入れを持って修練場に顔を出したグラムから、クリムヒルデは冷水の入ったグラスを受け取った。今日の分の訓練メニューは終了したので、新人たちを帰し、二人で肩を並べてベンチへと腰掛ける。
騒動の解決後。エトワールの地にて、エックハルト家当主トマスと、フェンサリル領領主のウルスラとの間で会談が執り行われた。5年前の氷結戦争時、エックハルト家はミルドアース軍を支援すべく、食料品や物資の配給を積極的に行っていた。その関係でウルスラとトマスとの間には当時から面識があり、此度の一件を経て数年振りに再会し意気投合。地域の垣根を超えた交流を開始することを決定した。その一環として、両地域は交換留学という名目で人材派遣を実施している。
フェンサリル領には、人材不足を補うために新兵教育のための指導教官を、エトワールには、教育の遅れている魔導関係の教官をそれぞれ派遣。エトワール側から派遣されたのが、自らその任に志願したクリムヒルデであった。フェンサリル領からは、魔導指導教官として、ウルスラの愛弟子の一人が派遣されている。
距離が離れているため直ぐには難しいが、今後は流通網を整備することで交易なども実施していき、より親密な関係を築いていく計画だ。
「こっちでの生活にも慣れてきたか?」
「おかげさまで。隣室のレンカも親切に色々と教えてくれるからな」
フェンサリル領へと赴任してきたクリムヒルデにも、フェンサリル領の運営する寮の一室が提供されている。部屋はレンカの部屋の隣だ。
「リム、この後何か予定はあるか?」
「後は自室に戻るだけだが、どうかしたのか?」
「今日は俺の家で鍋パーティーをする予定でな。ここに来る途中でレンカにも声をかけておいた」
「申し出はありがたいが、人数が増えてご迷惑ではないか?」
「迷惑なんてとんでもない。主役がいないと成り立たないしな」
「主役?」
「前々から計画していたリムの歓迎会だよ。ようやく全員の予定が揃ったんでな。公務が終わり次第、ウルスラも顔を出すそうだ」
「そ、そんな、私などのために、か、歓迎会などと大それたことは」
困惑しながらも表情はどことなく嬉しそう。生真面目故に、羽目の外し方が分からないのかもしれない。
「顔は正直じゃないか。そうと決まれば、早速帰るぞ」
「あ、ああ」
グラムの差し伸べた手を、クリムヒルデはらしくない、もじもじとした仕草で取った。
エックハルト邸でのことを思い出してしまったのかもしれない。生真面目で男性経験もない彼女が、異性の胸元を涙で濡らした経験など、あれが初めてのことだったから。
「そういえば、まだちゃんと言えてなかったな」
そう言って、グラムはクリムヒルデへと微笑みかける。
「ようこそ、フェンサリル領へ」