「何てことをしてくれたのじゃ! 竜神様を殺害するなど罰当たりどころの話ではない! 村に災いが降り掛かったらどうする!」
「そのでかい魚は神様でも何でもない。災いなんて起こらないよ」

 狼狽する村長の怒りに対し、グラムは不快そうに顔をしかめた。
 閉鎖的な村だし、情報が限定的だったのは仕方がないことかもしれないが、だからといって、定期的に生贄を差し出して来たこれまでの対応には憤りを覚える。その行為にまったく意味などなかったのだから。

「でかい魚などと、竜神様に侮辱的な言葉を吐くでない!」
「そいつの名前はモーレイドラゴン。東部のセックヴァベッグに出現することは珍しいが、南部の水源地には頻繁に出現する、何の変哲もない魔物だ。レベルは平均して25前後ってところだな。どういう経緯でこの湖に住み着いたかは分からないが、水質の違いで本来の力を発揮出来ず、20年単位の長期の眠りを繰り返していたと推察出来る。事実、南部に生息しているモーレイドラゴンと比べて随分と弱々しかった」

 グラムは淡々と事実だけを告げる。
 村人たちは竜神様と呼び、称え、畏怖していたが、その正体は神でも無ければ高位の魔物ですらない。地域差はあれど、野生に当たり前に存在している平凡な魔物に過ぎないのだ。呪いを宿す種でもないので、当然祟られるようなこともない。

「確かに常人が敵う相手じゃないが、レベル25前後ならば、手練れの戦士ならば十分に対処可能な脅威だ。生贄を差し出す必要なんてない。少し大きな町のギルドにでも行って、駆除依頼を出すだけで良かったんだよ。金銭的な問題もあるかもしれないが、決して高額ではないし、モーレイドラゴンの目覚めが20年周期だったなら、依頼料を積み立てることだって可能だったはずだ」

 氷結戦争を経て、高レベルの戦士が増えた現代ならば依頼はより受理されやすかったはず。もっと言うならば、善意で魔物の脅威から人々を守る活動をしている者もおり、彼らを頼れば最低限の出費で事態を解決出来た可能性だってある。

 モーレイドラゴンを駆除するという発想を持てず、顔色を伺うようにして崇める方向に動いてしまったのが全ての過ちだ。20年周期で生贄を差し出すことで村が守られるならば安い犠牲と考えたのかもしれないが、それは将来的な意味でも悪手だったといえる。

「酷なことを言うようだが、生贄を出すことには何の意味もなかった。それどころか、将来的にあんたら自身にも不幸をもたらした可能性だって考えられる。魔力に優れた娘を喰らうことで、モーレイドラゴンは徐々に本来の力を取り戻し、暴れ回ったかもしれない。そうなれば、まっさきに狙われるのは最寄りのシデン村だ!」

 無知は罪だ。命に関わる事柄なら猶の事。
 知らなかったでは済まされない。グラムは語気を強め、村長だけではなく、村人全員へと強く言い聞かせる。直ぐに理解することは難しいかもしれないが、ほんの僅かでも心境に変化が起きてくれればとグラムは期待する。

「黙れ! 罰当たりめが! もうお終いじゃ、貴様が竜神様を殺したせいで、きっと村には大きな災いが起きる!」
「災いなんて起こらないと言っている」

 村長は半ば錯乱している様子で、グラムの言葉はまるで耳に届いていない。長年の習慣を妄信してしまっているのだろう。他の村人たちも似たり寄ったりだ。

「竜神様を殺した大罪人の命を捧げれば、我らに降りかかる災いを回避出来るやもしれぬ! 皆の衆! 今すぐあの大罪人とレンカを捕らえろ!」

 村長の指揮の下、武器を手にした男衆たちが再び活気づく。真の脅威は去り、災いの訪れもないと告げているのに、思い込みとは恐ろしく、そして愚かしい。

「やれるものならやってみろよ!」
「ひっ……」
「こ、殺される」

 グラムが一睨みするだけで、途端に村人たちは戦意を喪失。銛や鍬といった長物を続々と手放していく。グラムは何かスキルを発したわけではない。これは氷結戦争を生き抜いたレベル80越えの猛者としての単なる凄みだ。せいぜいレベル10前後であろう村人たちが震え上がるのも無理はない。

「俺と竜神様とやら、どっちが恐ろしいかくらい、あんたらだってもう分かっているだろう? これ以上、俺を苛立たせるな」

 苛立っているのは事実だが、発言自体はただの脅しだ。大戦の元勇者として、例え理不尽に敵意を向けられようとも、一般人相手に本気で事を構えるつもりなどない。

「素直でよろしい」

 すっかり委縮してしまった村人たちに背を向け、グラムはレンカの方へと向き直った。

「レンカ、この村に未練はあるか?」
「どういう意味ですか?」
「君が望むなら、俺と一緒に行こう。先方には俺が話を通しておく」
「ま、まてレンカ! まさかその男と共に村を出るつもりか? いかん! 生贄の巫女がいなくなれば、いったいどんな災厄が村に起きることか」

 会話に割り込もうとする村長にグラムが睨みを効かせようとするが、その所作をレンカは首を振って制した。レンカはすでに覚悟を決めているようだ。何を言われようともその意志はもう揺らがない。

「私はグラムさんのお言葉を信じます。あれは竜神様などではなく、単なる野生の魔物。生贄なんて捧げる必要は無かったし、今後災厄が訪れるようなこともない。そうですよね?」
「そうだ。だから何の遠慮もいらない。君は君の心に従えばいい」
「レンカ! 行ってはならぬ! 身よりのないお前をここまで育ててやった恩を忘れたのか?」
「こんな村に未練なんてありません。私を生贄として育てて来た人達のいる村になんてこれ以上いられません。残ったところで、迫害されることは目に見えています。グラムさん、是非私も一緒に連れて行ってください」
「レンカ!」
「だそうだ。俺はレンカと一緒に帰る。連れ戻したければ力づくでどうにかするんだな」

 当然、グラムに襲い掛かる度胸のある者などこの場にはいない。仮に攻撃できたとしても、グラムにまともなダメージを与えることなど出来ない。状況を支配しているのは間違いなくグラムだ。

「村長さん、最後に一つだけ忠告しておくよ。モーレイドラゴンの死骸は湖から引き揚げて、念入りに焼いておけ。それなりの巨体だ、腐敗すれば衛生面で不利益をもたらす。呪いではなく、自然の摂理としてな。頭は潰したし、引き上げるのは村の男衆で十分間に合うだろう。村を守るのが村長の務めだというのなら、その辺りの危機管理はしっかりと行っておけ」

 現実を伝えておかないと、村長たちは竜神様に触れるのは恐れ多いなどと言い出し、処理を怠りかねない。その結果村に不利益が起こり、それを祟りだなんだと恨まれても寝覚めが悪い。

「行こうか、レンカ」
「はい」

 死骸処理に関する忠告を残すと、グラムはレンカを伴い紅蓮の湖周辺を後にした。
 落ち着いて話せる場所まで移動したら、ノルンを呼び出し、三人でフェンサリル領へ帰還する運びとなるだろう。

「これから、グラムさんの暮らすフェンサリル領へ向かうのですよね? 余所者の私を受け入れてくれるのでしょうか?」
「うちの領主は移民の受け入れに寛容だから心配いらない。もちろん俺も仲介してやる。これからの事については、フェンサリル領で暮らしながらゆっくりと考えていけばいい。環境や風土が異なるし、慣れるまで少し時間がかかるかもしれないが、フェンサリルでは、閉じた村では出来なかった様々な経験を得られるはずだ。先ずは新しい環境を存分に楽しめ」
「ありがとうございますグラムさん。だんだんと、不安よりも期待の方が高まってきました」

 レンカの晴れ晴れとした笑顔を見てグラムは確信する。レンカならばきっとフェンサリル領でも上手くやっていけると。生贄の巫女としての不条理な運命から解き放たれた今のレンカには、無限の可能性が広がっている。救った者の責任として、彼女の歩みを見守っていきたいと、グラムは親心的な感慨を抱いていた。

「そろそろノルンを呼び出すとするか」

 グラムはポケットにしまっていた予備の「スフィア」を取り出し地面へと投げつけ、ノルンに連絡と取るための水溜まりを作り出した。