「松木茜音さん、お客さまですよ」


 部屋の扉をノックして、ナース服姿の女性が声をかけてくれる。

「はい。ありがとうございます」

 部屋の隅には、家族の写真とともに、今日は1枚の写真が飾られていた。


「茜音、具合悪いって聞いたから駆けつけてきたけど、顔色よさそうじゃない」

「うん、一昨日が辛かったかなぁ。今日はお薬お願いしてね」

 部屋には菜都実(なつみ)、佳織、千夏(ちなつ)美鈴(みすず)が集合。お見舞いの面会ではなく、これから女子会でも始まりそうな雰囲気だ。

「懐かしいなぁ。よく残しておいてくれたね」

 この中でまだしゃんとしている佳織が窓際のその1枚に気付いた。

「この頃はみんな若かったよなぁ」

「それ禁句!」

 あの3組合同の結婚式。チャペル前で撮った物には、当時コーディネーターを務めてくれた美鈴と、当日朝一番で駆けつけてくれた千夏も一緒にフレームに収まっている。

「サロンで話題になったよ。そんなの受けちゃってどうするんだって」

「美鈴ちゃん今ごろカミングアウトするそれ?」

 みんなで笑う。もう40年近く前の話だ。とっくに時効で笑い話になっている。

「懐かしいって言えば、茜音の髪型……。懐かしいなぁそれ」

「いつの間にか変えちゃったもんね」

 佳織と菜都実だけでなく、茜音に関わった者はみんな知っている髪型。久しぶりに当時の髪型に戻してみた。

「うん。でも、どっかに三つ編みはしてた気がするなぁ。それがないとわたしじゃない感じがしちゃって」

 髪の毛はすっかり白髪が目立つ。それでも、両こめかみ横から三つ編みを2本、残りは後ろに流しているヘアスタイルは、茜音のトレードマークとして使い続けたことを思い出す。


「みんな、家族は元気にしてるの?」

 五人とも、すでに現役としては引退。年齢は違えど、孫にも恵まれている。

「そうだね。もうあたしはお年玉専門かなぁ」

「仕方ないよ。なんだかんだ言ってこの歳だし。あとはゆっくりって感じかな。でも、茜音が最初にダウンするとは思ってなかったから」

「なんかね、1周忌のあとからガタッと来ちゃった感じかなぁ」

「そっか、茜音も一人になっちゃったんだもんね……」

 この年代になると、まだ早すぎると言われつつも、友人や伴侶に先立たれてしまうことも珍しい話ではなくなってきた。

 五人の中では茜音が健を看取ったのは昨年。佳織も半年前に見送った。

 可哀想なことに、父親の葬儀中に泣き崩れ落ちてしまった結花を別室で抱き締めていたのは他ならぬ茜音だった。

「でもさ、茜音が『泣いている結花ちゃんが心配でお父さん天国に行けないよ?』って言ってくれたじゃない? あの子、それで立ち直ったの。結花にとって茜音は今でも特別な存在なんだって思ったわ」

「よかった。こんなヨボヨボのお婆ちゃんでも役に立てたんだ」

「本当はね、今日も連れてきてあげたかったけど、結花が『みんな行けないのに自分が行っちゃいけない』って送り出してくれたの」

「そっか……。じゃあ、結花ちゃんに渡してくれる?」

 茜音はベッドの横から小さなプラスチックのケースを取り出して佳織に託した。

「茜音……」

「結花ちゃんはね、健ちゃん以外でよくこの髪型を作ってくれたよ。それに使うリボンとか。使う使わないはいいの。結花ちゃんに持っていてほしいから」

 その言葉と渡したものに、みんな気付いている。

 茜音と言葉を交わせるのは、恐らく今日が最後なのだと。

「分かった。この帰りに届けてくる」

「うん。お願いね」

「茜音ほど身辺整理を終わらせておくのって、ほんと教科書みたいだわ。あたしたちも見習わんとね」

 健を弔ったあと、茜音は自分たちの物を整理した。自分もその時はそれほど遠くはない。残った家族に迷惑をかけないように、すでに片づけや準備は終わっている。

 半年前に身辺整理を終え、施設に入るため家を出たとき、茜音は家族を含め周囲に別れを告げてきた。年老いて役に立てない自分が彼らの生活を邪魔してはいけない。施設の費用も自分で払っている。

 彼女が息絶えれば、あとは用意してある遺言に沿って物事が進んでいくだけだから。

 「またみんなで遊ぼうね」がわたしたち五人の約束。

 今の自分達にはもう残された時間も、自由に動かせる体もない。

 いつか生まれ変わったら、必ず一緒に。それまでの長い約束はみんなで輪になってした指切りに込めた。

「美鈴ちゃん、本当にごめんね。最悪な出会いだった。それは今でも後悔してるの……」

「そんなこと、もう関係ないです。また次に会うときには、一番のお友達になれるって、絶対に約束するから」

「茜音……、待ってなさいよ? あたしらもすぐに追い付くから」

「あっちでまたお茶会するから、席とお菓子用意しといてよね」

「うん。みんな……、ありがとう」

 それぞれの家や別の施設に帰る友人たちを一人ずつ大きな瞳に焼き付けた。