(こんな世界、なくなってしまえばいいのに。でも、どれだけそれを祈ってても異世界に転生することなんてできないし、地球も宇宙もなくなるわけではないし、神様や悪魔のいない世界になるわけでもない。そうわかっていても、この世界がなくなるわけでもないし、無の空間になることを願ってしまう。あぁ、誰か、私を殺して下さい)

 こんなことを永遠に考えているのは、大学生の小倉美幸。彼女は、周りの人の期待に答えるべく、小学校から高校までは暇さえあれば勉強をしていたので、成績がいつもトップだった。

 高校は県内一の進学校。勉強だけではなく、学校の活動にも積極的に参加していた。そのおかげで教師陣にも信用されるようになった。大学も難関大学と呼ばれるところに合格。周りの人から見れば、羨ましい限りの人生だ。努力なんてしても結びつかない人がいるのだから。

 どれだけ勉強しても、いろいろな方法を試して効率よく行っても、自分に合う勉強ができず、焦りを感じて、努力するのがむなしくなる人がいるのも知っているし、努力の仕方がわからず悩み、自分を苦しめてしまう人がいるのも知っている。でも、私は、努力が実ってよかった、と思ったことなんて一度もない。

 努力が実ると、周りに人は勝手に自分ができなかったことを代わりにかなえてもらおうとか思って、期待してくる。その期待に応えるのが楽しいと思えるのは、最初だけ。月日が流れていくうちに重く私を苦しめた。

 だから、私は努力が嫌いだ。

 でも、その努力をやめた時、人が離れていくのが怖くて結局努力してしまう。

 さすがに勉強漬けの毎日が嫌になって、大学に入って数か月後、バイトを始めた。親を説得するのは、楽だった。だって、

「将来、自分が就職した時のためになると思って。社会経験のためにバイトしたいです。お願いします」

と、いうだけで娘の真面目さに喜んで「頑張れ、応援している」という無責任な言葉を吐いて許可してしまう。

 私はそれじゃ嫌だ。だって、本当の理由じゃないから。でも、自分の勉強が嫌だからバイトしたいというのはどうしても憚られた。

 バイトは、自分の実は興味があるデザイン系のところにした。こまごました作業は大好きだし、絵をかいたり配置を考えたり何かを作るのが大好きだから。バイト先では、日ごろの悩みを忘れられるぐらい楽しめた。

 ある日のバイト帰り、急に現実に戻されるのが嫌で、いつものように冒頭カッコ内と同じことを永遠に考えていた。でも、今日は普段と少し違って、不思議なお店を見つけた。店名を『ほっと』という。私の直感がこの店で食べるといい、言い始めたので入ってみた。

チリンチリン。ドアに触れると、鐘の音がした。すると、

「いらっしゃいませ。こんばんは。お好きな席におかけください」

と、透明感のある、どこか落ち着くような声をした男性に声をかけられた。

 私はカウンター席に腰かけると、その男性が荷物を預かってくれた。ご丁寧に鍵までついている、そのことに安心する。一息ついて、注文しようとすると、メニューがない。これでは料理が注文できないではないか。店内の雰囲気では、何屋さんかわからない。どうしよう。

 そんな私のひそかな焦りに気が付いたのか、男性が慌てて声をかけてきた。

「『ほっと』の店主、浅井翼と申します。この店では、メニューがありません。なので、お客様の今食べたいものを注文していただければおつくりいたします」

 変わったお店だ。そういえば、私は何を食べたいんだろう。お母さんの得意料理はなんだったっけ。あぁ、ピッティパンナとかいうスウェーデンの家庭料理だっけ。スウェーデンが好きなお父さんの胃袋を落とすために練習したとか。少し懐かしい気分になって考えていると、男性―浅井さんを待たせているのを思い出した。

 私は、ピッティパンナとおすすめのスープをお願いし、待ち時間は携帯でTL警備をしていた。あまり好きじゃないはずなのに、気が付いたら見ている自分が憎らしい。

「お待たせいたしました。ピッティパンナとトマトスープです。初めて作ったので、この組み合わせが合うかはわかりませんが、ごゆっくりお楽しみください」

 私は礼をいって食べ始める。おいしい。でも、浅井さんの言った言葉が引っ掛かった。

 この人も、この短時間で考えて努力して、おいしいものを提供している。でも、私が本当に努力しているのは何なのか。勉強?今思えば、別に努力していなかったのではないか?ただただ機械的にすることを勉強と言っていいのか。そうすると、私以上に頑張ってやっていた人たちの努力はどうなるの?

 悶々としながら食べ進める。すると浅井さんが声をかけてきた。

「何か考え事ですか?」
「えっ。なんでわかるんですか?」
「考え事をしながら食事をする人の表情は、無意識のうちに皆さん同じなんです。カウンターだと余計気になってしまっていけませんね。あの、もしよければ、相談乗りましょうか?」

 私は、少し考えてからお願いした。

「先にお名前だけ伺ってもよろしいですか」
「あぁ、小倉美幸です」
「小倉さんですね。ありがとうございます。それで、お悩みというのは」
「悩んでいるというか、考えて答えを出そうとしているだけなんですけど、、、」
「かまいません。ただ、私の話すことがあなたのためになるかがわかりませんが」
「ありがとうございます」

 そういって私は、努力とは何かについて自分の考えを軽く述べてみた後、浅井さんに意見を求めた。

「そうですねぇ。何を『努力』と考えるかでもちろん変わってきます。ですが私は、『どれだけのことをいかに効率よく吸収できるよう工夫したか』だと思います。別に知識になっていなくても構いません。ただ、どれだけそのことを覚えようと必死になったかが大切だと思います。そうですねぇ、例えば”1+1=2”というのがありますよね。多分、小倉さんにとっては朝飯前かもしれません。それはもう知識として覚えたからですよね。でも、小倉さんみたいに覚えきれていなくて、”1+1=11”と考える人もいるかもしれません。もちろん、これは間違った答えです。でも、たくさん考えて、どれだけ工夫して考えても理解できないかもしれません。でも、その理解しようとする姿勢を努力と言っていいと思います。なので自分にとっての努力とは、繰り返し言っていますが、どれだけのことをいかに効率よく吸収できるよう工夫したか、だと考えます」

 (そうか、なるほど)とは、ならなかった。でも、自分とは違う考えを聞けて良かった。出口には行けなかったけど、出口に近づいた気がした。浅井さんに感謝しなきゃな。

「ありがとうございました。少し、出口が見えてきた気がします。本当にありがとうございました。じゃあ、ご勘定お願いします」
「かしこまりました」

 レジで値段を見た瞬間、驚いた。とても安すぎたのだ。

「失礼ですが、安すぎませんか?」
「小倉さんの心が軽くなったお祝いです」
「え、でも、、」
「とりあえず、この値段でお願いします」
「はい、、、」

 そこまで言われて、食い下がれるわけがなかった。お会計を済ませて、ドアに触れる。

「ごちそうさまでした」
「またのお越しをお待ちしております」

 そういった彼の顔は、形容しがたい笑顔でこちらを見ていた。