疲れた時の私の癒し

 ここは、学校や仕事で疲れた女性たちが、癒されていくご飯屋『ほっと』。店主は不思議な声を持つ男性。別に食べログやSNSで有名なわけじゃないからお客さんが入るのは1日2人いればラッキー。そんなお店に入った女性たちの結末は。

 疲れた時に、愚痴を聞いてもらえるって最高ですね。さあ、今からはあなたの番ですよ。
(今日も疲れた。なんで私しか対応できないの。なんで他の人に仕事を任せないの。なんで信用できないような人を雇ってるの。本当に意味が分からない。それなのに私の給料が一番少ないなんて。確かに派遣だから仕方がない。でも、何にもしてないほかの人の方が給料いいなんて)

 私の仕事のイライラは尽きることがない。しかも、仕事のイライラだけでおさまらないのが、現状だ。

(はぁ。家に帰っても、ヒモ彼氏に「めしー」って言われて、作って、ダメだしされて。せめて働けよ。別にお前は働けるだろう。コンビニバイトでもしてろ。使う人が便利な分、仕事大変だから。そして社会に絞られて来い。私は十分絞られてるぞ)

 そう。私の彼氏は寄生するだけで何にもしていないヒモ彼氏。そんなの別れればいい話。でも、それができたら苦労しない。

 一度、私が痺れを切らせて別れた時。彼には家を出て行ってもらって、私は一人で暮らした。初めの一週間は楽園だった。仕事して、疲れて、ご飯作って食べて、寝て。でも、それは長く続かなかった。家に帰ると郵便受けに呪いの文章が書かれた手紙が10通入っていて、仕事帰りにはストーカーされてている気配がして、非通知から電話が仕事中でも家でも30回はかかってきて。

 手紙の字を見た時、元カレのだってわかったし、ストーカーが下手で時々見えた顔が元カレだったし。こんな面倒なことが続くなら、私が彼と付き合っていた方が全然いい。そう思うと私は、元カレに連絡をしてよりを戻すことになった。

 でも、やっぱり付き合うと私には重くて。責任を無駄に感じてしまう。しかも、何もやってくれないような人だ。私の悩みは絶えそうにない。


 ある日の仕事帰り、昨日までなかったと思われる場所にお店があった。そのお店を見た途端、家に帰らなければならないと頭の中ではわかっているのに、体がいうことを聞いてくれない。お店に吸い込まれていった。

チリンチリン。ドアを押すとベルの音がした。

「こんばんは、いらっしゃいませ。おひとり様でよろしかったですか?」
「はい、、」
「でしたら、こちらのカウンター席におかけください。お荷物、お預かりいたしましょうか」
「、、、コートだけお願いします」

 そう私が言うと、私よりとても丁寧な手つきで、コートをハンガーにかけてくれた。しかも、ロッカー付きで、鍵まであった。ついでにカバンもお願いすればよかった。今日に限って大事な資料がたくさん入っている。鍵なしだったた自分で持っている方が安全だと思ったのに。そんな私を見て店主が、

「よかったら御鞄もお預かりいたします」

 と言ってくれた。エスパーか?とりあえず、カバンを預けて席に着いた。そして、鍵をもらい、スラックスのポケットに入れた。

 そう言えばここは何屋さんなんだろう。店の雰囲気は、木で統一されていて落ち着く感じになっている。和食だろうか。魚は食べれるけど、物による。どうしよう。とりあえずメニュー、、、。ない。メニューがないお店なんて初めてで、とんでもなく高いのではないかと心配になってきた。

「あの、すみません。メニューってないですか」

 私がそう声をかけると店主が説明してくれた。

「この店は、お客様の希望を聞いてお料理を作らせていただいています。なので、メニューはありません。なので、お客様の希望を聞いてから献立を考えています。ちなみにお名前を伺っても?」
「はい。斎藤佳子です」

 私はそういって名刺を取り出した。すると店主は、名刺を出されるなんて思っていなかったのか、慌てた様子で自身の名刺を差し出してきた。名前は浅井翼。無事(?)に名刺交換をして、料理を考える。

(お店の雰囲気に合ったものが食べたいな。でも、和食は魚だったら食べられない。どうしよう。あ、スープとかもいいかもしれない。木のぬくもりに触れながら食べるポトフとか絶品だろうなぁ。どうしよう)

 しばらく考えてから浅井さんに話しかけた。

「すみません」
「はい」
「ポトフってお願いできますか?」
「できますよ。ほかに何か食べられますか」
「えーと、浅井さんのおすすめを一品ほどお願いします」
「承知いたしました」

 そういうと、浅井さんは厨房にこもった。その間私は、いつも持ち歩いている本を読んで待っていた。いつもと同じように本を読むだけなのに、お店と料理人の雰囲気だけでだいぶ印象が変わるものだ。

 しみじみそう考えていると、携帯が鳴った。メールだ。差出人を見るとヒモ彼氏。

『今日帰り遅い日だっけ?おなかすいた』

 今までの暖かな気持ちが一瞬で砕けた。いい気分だったのに。でも、これは私の事情であって、彼氏の事情ではない。それはは分かっているはずなのに、どうしても苛立ってしまった。

『ごめんね。会社の人と飲みながら仕事のこと話すことになって。連絡してなくてごめんね。ご飯は好きなとこで買って食べてて。普段より値段高いいいやつたべていいよ』

  返信する。連絡していなかった私が悪いんだから、多少贅沢はさせてあげたい。あぁ、こういうところだいけないんだろうか。でも、こうでもしていないと罪悪感に押しつぶされそうだった。結局、自己満足の世界なのに。

 自分で反省していると、いい香りが鼻腔をくすぐる。ふと顔を見上げてみれば、浅井さんがスープを持って立っていた。

「お待たせいたしました。ポトフと店主おすすめの一品です。ごゆっくりお楽しみください」
「ありがとうございます」

 運ばれてきたスープは、木のお椀に入っていて、スプーンまで木で作られていた。そんなスープの香りは、普通のポトフ。そして、店主のおすすめの一品は、まさかの梅が入った雑炊。こちらも温もりがある気のお椀に入れられていた。不思議な組み合わせだなと思い、浅井さんに聞いてみた。

「あの、どうしてポトフに雑炊を?」
「ポトフを作りながら斎藤さんの様子を少し見させていただきました。その時、携帯を見てため息をつかれることが多かったように思いました。疲れているとき、体調を崩しやすいです。だから、胃に優しい雑炊を。そしてその中には梅を入たものにしました。お口に合わなかったらすみません」
「えっと、、お気遣いありがとうございます。でも、なんで胃に優しいものを?」
「直感的なことなのですが、体調を崩すと、お腹が痛くなる人もいるので、その時に、刺激物が入っていると、少し治りにくい気がしたので。友人の経験談です」

 そういうと彼は、とても優しい顔で笑った。なんだか犬が尻尾を振って喜んでいる様子みたいだな。そんなことを考えながら、浅井さんに感謝を告げ、食べた。

「いただきます」

 スプーンを手に取って一口食べる。すると、とても短時間でできないであろうブイヨンの風味と、くたくたに煮込まれた野菜や肉が混ざり合って、とても家では作れないような味がした。なのにどこか家庭的な味がするのはなぜだろうか。そして、雑炊。ポトフと一緒に食べる日が来るとは思わなかったけれど、案外合う。梅がいい意味で目立ち、口の中を引き締めてくれる。

 あぁ、こんなに心が温まるおいしいご飯を食べたのはいつぶりだろう。彼氏にご飯を作らず、食べたいものを作ってくれる。そして、自分の体調を気遣った料理。こんなにも心がこもった料理は本当に久しい。そう思うと、なぜだか頬が濡れていた。

 驚いて携帯のカメラで顔を見ると、私は泣いていた。突然のことに驚いた私は言葉を失う。

 そんな私を見ていた浅井さんが遠慮がちに声をかけてきた。

「もしよかったらお話、聞きましょうか。何かアドバイスできるとかはないので、聞くだけになるかもしれませんが」

 こんな優しい言葉を聞いたら、信用してしまいそうになる。『初対面の人に話してはいけません』という天使と、『ちょっとぐらいはなしちゃえ!』という悪魔が脳内で戦っている。少し考えた結果は悪魔の勝ち。

 私は、職場と彼氏の不満を浅井さんに打ち明けた。途中、言っていいのか迷ったりもしたけど、話していくうちに心が落ち着いていった。そう思うと、口が勝手に自分のつらいことを話していた。話し終わった後、私は言った。

「私以上につらい思いをしている人がいるのも知っているし、こんなことでつまずいてたらいけないことは分かってるんですけどね、、、。どうしても、つらいと感じてしまうみたいです。やめる方法ないですかね」

 無意識のうちに、困ったことのような言い方をしていた。自嘲するように笑うと、ずっと静かに話を聞いてくれていた浅井さんが話しかけてきた。

「斎藤さん、それは違います。あなたにとってのつらいことはつらいこと、なんです。だから、『自分よりつらい思いをしている人がいるから、我慢しなければならない』と考えるのは傲慢です。あなたにつらいことはつらいこと。別に、そう思うのは悪いことではありません。だから、どうかその考え方を改善してほしい」

 そう話す彼は、どこか悲しそうな顔をしていた。

「あ。あと、斎藤さんの彼氏さん、ストーカー規制法違反に違反するので別れてもいいと思います。もう一度別れて、ストーカーされるようでしたら、警察に連絡してください。それが、あなたが自分で自分を守ることにつながると思うので」

 そんなのがあるのか。今日家に帰ったら別れ話をしてみよう。そこからまた考えていこう。

「話を聞いてくださりありがとうございます。それに加えてアドバイスまで。少しずつ自分を変えていきます」
「そうなると願っています」

 浅井さんはそういうと、「落ち着くまでゆっくりしていってください」と言って厨房に戻った。

 目の腫れが引いてきたころ、お会計をお願いした。食べた量や技術に見合わないほど安かった。驚いてこんな値段でいいのかきくと、

「斎藤さんの心の傷が少し治ったお祝いです」

と、笑顔で言っていた。さすがに安すぎたので、私はひそかにまた来ようと決めた。

「ごちそうさまでした。ありがとうございました」
「またのお越しをお待ちしております」

 そういってて店を出たころには、家に帰る足取りが軽やかになっていた。

 話を聞いてもらっただけ。でも、その行動が私の心を癒してくれた。
****斎藤さんのその後****

 あの日、家に帰ってから彼氏に別れを告げ、ストーカーされたので、警察に相談して、逮捕してもらったそうです。

 仕事は、派遣先の会社の人事部に仕事の量がおかしいことを告げると、改善されたようです。

 よかったね、斎藤さん。
(学校疲れたな。早く家帰って寝たい。あぁ、家に帰っても休めないんだっけ。それだったら、いっそ死んでしまえば疲れないのかな。でもそしたら、親不孝者って言われちゃうかな。でも、仕方なくない?寝れないんだもん。勉強勉強勉強勉強。勉強の効率上げるには適度な睡眠も大事なはずなのに、ママは知らないんだろうな。あの鬼は。自分ができないからって娘に押し付けるなよ。しかも、勉強勉強言っておきながら、自分は会社の人と飲むから、どっかで食べてきて?ふざけないでほしい。なんでママの都合に合わせて行動しなきゃいけないの。意味わかんない)

 永遠に愚痴を吐いているのは、藤凛花。今日も勉強と親に対する愚痴は絶えない。

 親から夕飯代はもらったし、どこかで食べていこう。そう決意すると、不思議と吸い付けられる魅力を持ったお店を見つけた。店名を『ほっと』という。どこか、安心する雰囲気がある店だな、とか思いながら、ドアを開けた。

チリンチリンと鐘が鳴った。すると、

「こんばんは、いらっしゃいませ」

という、優しい声が返ってきた。

(あれ、こんなにも優しい声を聴くのはいつぶりだろう)

そう思って安心すると、 いきなり涙が溢れてきた。お店の人はとても驚いていた。そりゃそうだ。自分の挨拶で泣かれてしまうのだから。私は、とても申し訳ないと思った。でも、お店の人は

「大丈夫ですか?よかったらこれ、お使いください」

と言って、新しい真っ白のハンカチを差し出してくれた。

 その優しさをありがたく思いながら、涙を拭かせてもらう。そして、私が落ち着いたころ、カウンター席に案内された。荷物を預けてから座ると、独特な座り心地がする木の椅子に驚かされた。

 とりあえず、メニューを見たいと思いあたりを見るとあれ、メニューがない。不思議に思ってお店の人に尋ねる。

「メニューってないんですか?」
「当店では、お客様の要望に応えて料理を提供させていただいています。なので、食べたいものをなんでもリクエストしてくださいね」
「、、、わかりました」

 私が今日食べたいのは何だろう。食べたいもの、、、、ないな。でも、強いて言うなら、お店の人が作るのを好きな、得意料理が食べたい。そんな抽象的なものでもいいのかな。少し考えてから、お店の人に声をかけた。

「すみません。お店の人の得意料理を食べたいです」
「承知いたしました。少々お待ちください」

 待っている間は、いつものように勉強をする。幸い、自分以外のお客さんがいなかったから気が楽だ。そう思いながら短い時間、集中して行う。そんな彼女には、厨房からの視線に気が付くことはなかった。

「お待たせいたしました。店主おすすめの料理です」

 あれ?私がお願いしたのは得意料理のはずだ。なのになぜ、おすすめ料理なのか。不思議に思って訊ねてみた。

「あの、、私が注文したのって、お店の人の得意料理だったはずですが、、、、」
「勝手に注文を変えてしまってすみません。しかし、私の得意料理がなくてですね。正確にはあるんですけど、お客様に提供できないほどの激辛カレーなので、換えさせていただきました」
「そうなんですね」
「はい。ちなみに今回のメニューは、唐揚げとゆで卵の入ったサラダ、ヨーグルトです。お飲み物はホットココアにさせていただきました」
「理由を伺っても?」
「もちろんです。お客様は少々ストレスが溜まっている、あるいは精神的に不安定な状況だと見受けられます。そこで、ストレスに聞くといわれている、たんぱく質が多く入っているものをメインにしました。そして、ホットココアは、マグネシウムが入っていて、これもストレスに効くといわれています。このマグネシウムは、カルシウムと一緒に摂ると吸収されやすいのでヨーグルトも一緒にお出ししました。何か質問、ありますか?」
「いえ、ないです」
「かしこまりました。では、ごゆっくりお楽しみください」

 私は会釈を返して、食べ始めた。

 おいしい。唐揚げはサクサクで味がしっかりついていてジューシー、サラダはさっぱりしていてドレッシングがレモン風味で唐揚げに合う。ホットココアは落ち着く味がして、ヨーグルトはまろやかだ。

 一つ一つの食材が、一品一品に生かされていて、すごく丁寧だ。夢中になって食べ進めていると、いつの間にか食べ終わっていた。こんなにも満足する食事をして、食べていることを実感したのはいつぶりだろう。そう思うと、心の奥が温まった気がした。

 食事を堪能し、お店の人にお会計をお願いすると、「お代は結構です」と言われた。さすがにこんなにもおいしい料理を作ってくれたのに、お金を払わないのは気が引けた。なんとか払いたい旨を伝えると、お店の人は少し考えてから声を出した。

「お客様のストレスの原因、ぜひ私に聞かせていただけないでしょうか?私はアドバイスできませんが、聞くことはできます。話すだけで気が楽になることはあると思います。もし、ならなかったらお代をいただきます。でも、もし気が楽になったのならば、お客様の心が気楽になった記念に僕からのおごりということにしてください。それでいいですか?」

 本当は払いたい。でも、ここまで言われたら条件をのむしかない。私はうなずいたと同時に、自分の悩みを打ち明けていた。

 家族のこと、勉強のこと、学校のこと、死にたいと思ってしまったこと。その間、お店の人は話を静かにずっと聞いてくれていた。そして私は最後に、こう付け加えた。

「もちろん、命が尊くて、今まで生きてこられたことが奇跡なのはわかっています。でも、今日を生きたい昨日亡くなった人の代わりに自分の命を全うするなんて、どうしたらいいのかがわかりません。そんな私を見たら周りの人に失望されて、生きにくくなりそうです、、ははは」

 自嘲するように言うと、お店の人は、少し怒気を含んだ声で私に言った。

「誰かの代わりに生きようなんて傲慢ですよ。自分のできる範囲で、自分の人生を楽しめばいいんです。別にほかの人の分まで生きなければならない法律や条例なんてないんですから。でも、死ぬのは話が変わります。いくら貴女にひどいお母様だって、貴女がこの世界からいなくなれば、悲しみます。それは知っておいてくださいね」
「母は、私がいなくなって喜ぶと思いますが」
「それは分かりません。でも、愛してやまないあなただからこそ、厳しくしてしまうのではないかと私は考えます。だって、愛する人が、社会に出る学力でつまずいている姿や、社会のマナーで恥をかいているのを見るのは辛いですからね」

 そういうとお店の人は、今にもなくなりそうな透明感のある顔で笑った。それを見てると励まされたような気がした。ついでに心まで軽くなった気がする。

「どうですか?話して楽になりませんでしたか?」
「、、、、なりませんでした」
「嘘ですね」
「、、、、嘘じゃないです」
「じゃあなんで答えるまでに間があるんです?あと、目が合いませんねぇ」

 お代を払わないのは気が引けたから、嘘を言って変わらなかったから払いたい、と言おうと思ったが、ダメだった。この人に嘘は通用しないらしい。

「すみません。どうしても払いたかったので嘘、、ついてしまいました。話を聞いていただいて、だいぶ心が軽くなった気がします。ありがとうございました」
「いえいえ、心が軽くなってよかったです。心が軽くなると、物事へのやる気も変わりますからね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」

 そういって私は席を立った。

「ごちそうさまでした」
「またのお越しをお待ちしています」

 少しやり取りをして私は店を出た。その瞬間にお店の電気が消え、目視できなくなったが場所は覚えた。必ずまた来ようと決心したのであった。
****藤さんのその後****

 相変わらずお母さんに「勉強」というものを強制されて疲れるけど、『ほっと』の店主の言葉を思い出しながら日々、彼女なりに楽しんで生活しているそうです。

 そして、あの日以降、死にたいと思わなくなったらしいです。
(こんな世界、なくなってしまえばいいのに。でも、どれだけそれを祈ってても異世界に転生することなんてできないし、地球も宇宙もなくなるわけではないし、神様や悪魔のいない世界になるわけでもない。そうわかっていても、この世界がなくなるわけでもないし、無の空間になることを願ってしまう。あぁ、誰か、私を殺して下さい)

 こんなことを永遠に考えているのは、大学生の小倉美幸。彼女は、周りの人の期待に答えるべく、小学校から高校までは暇さえあれば勉強をしていたので、成績がいつもトップだった。

 高校は県内一の進学校。勉強だけではなく、学校の活動にも積極的に参加していた。そのおかげで教師陣にも信用されるようになった。大学も難関大学と呼ばれるところに合格。周りの人から見れば、羨ましい限りの人生だ。努力なんてしても結びつかない人がいるのだから。

 どれだけ勉強しても、いろいろな方法を試して効率よく行っても、自分に合う勉強ができず、焦りを感じて、努力するのがむなしくなる人がいるのも知っているし、努力の仕方がわからず悩み、自分を苦しめてしまう人がいるのも知っている。でも、私は、努力が実ってよかった、と思ったことなんて一度もない。

 努力が実ると、周りに人は勝手に自分ができなかったことを代わりにかなえてもらおうとか思って、期待してくる。その期待に応えるのが楽しいと思えるのは、最初だけ。月日が流れていくうちに重く私を苦しめた。

 だから、私は努力が嫌いだ。

 でも、その努力をやめた時、人が離れていくのが怖くて結局努力してしまう。

 さすがに勉強漬けの毎日が嫌になって、大学に入って数か月後、バイトを始めた。親を説得するのは、楽だった。だって、

「将来、自分が就職した時のためになると思って。社会経験のためにバイトしたいです。お願いします」

と、いうだけで娘の真面目さに喜んで「頑張れ、応援している」という無責任な言葉を吐いて許可してしまう。

 私はそれじゃ嫌だ。だって、本当の理由じゃないから。でも、自分の勉強が嫌だからバイトしたいというのはどうしても憚られた。

 バイトは、自分の実は興味があるデザイン系のところにした。こまごました作業は大好きだし、絵をかいたり配置を考えたり何かを作るのが大好きだから。バイト先では、日ごろの悩みを忘れられるぐらい楽しめた。

 ある日のバイト帰り、急に現実に戻されるのが嫌で、いつものように冒頭カッコ内と同じことを永遠に考えていた。でも、今日は普段と少し違って、不思議なお店を見つけた。店名を『ほっと』という。私の直感がこの店で食べるといい、言い始めたので入ってみた。

チリンチリン。ドアに触れると、鐘の音がした。すると、

「いらっしゃいませ。こんばんは。お好きな席におかけください」

と、透明感のある、どこか落ち着くような声をした男性に声をかけられた。

 私はカウンター席に腰かけると、その男性が荷物を預かってくれた。ご丁寧に鍵までついている、そのことに安心する。一息ついて、注文しようとすると、メニューがない。これでは料理が注文できないではないか。店内の雰囲気では、何屋さんかわからない。どうしよう。

 そんな私のひそかな焦りに気が付いたのか、男性が慌てて声をかけてきた。

「『ほっと』の店主、浅井翼と申します。この店では、メニューがありません。なので、お客様の今食べたいものを注文していただければおつくりいたします」

 変わったお店だ。そういえば、私は何を食べたいんだろう。お母さんの得意料理はなんだったっけ。あぁ、ピッティパンナとかいうスウェーデンの家庭料理だっけ。スウェーデンが好きなお父さんの胃袋を落とすために練習したとか。少し懐かしい気分になって考えていると、男性―浅井さんを待たせているのを思い出した。

 私は、ピッティパンナとおすすめのスープをお願いし、待ち時間は携帯でTL警備をしていた。あまり好きじゃないはずなのに、気が付いたら見ている自分が憎らしい。

「お待たせいたしました。ピッティパンナとトマトスープです。初めて作ったので、この組み合わせが合うかはわかりませんが、ごゆっくりお楽しみください」

 私は礼をいって食べ始める。おいしい。でも、浅井さんの言った言葉が引っ掛かった。

 この人も、この短時間で考えて努力して、おいしいものを提供している。でも、私が本当に努力しているのは何なのか。勉強?今思えば、別に努力していなかったのではないか?ただただ機械的にすることを勉強と言っていいのか。そうすると、私以上に頑張ってやっていた人たちの努力はどうなるの?

 悶々としながら食べ進める。すると浅井さんが声をかけてきた。

「何か考え事ですか?」
「えっ。なんでわかるんですか?」
「考え事をしながら食事をする人の表情は、無意識のうちに皆さん同じなんです。カウンターだと余計気になってしまっていけませんね。あの、もしよければ、相談乗りましょうか?」

 私は、少し考えてからお願いした。

「先にお名前だけ伺ってもよろしいですか」
「あぁ、小倉美幸です」
「小倉さんですね。ありがとうございます。それで、お悩みというのは」
「悩んでいるというか、考えて答えを出そうとしているだけなんですけど、、、」
「かまいません。ただ、私の話すことがあなたのためになるかがわかりませんが」
「ありがとうございます」

 そういって私は、努力とは何かについて自分の考えを軽く述べてみた後、浅井さんに意見を求めた。

「そうですねぇ。何を『努力』と考えるかでもちろん変わってきます。ですが私は、『どれだけのことをいかに効率よく吸収できるよう工夫したか』だと思います。別に知識になっていなくても構いません。ただ、どれだけそのことを覚えようと必死になったかが大切だと思います。そうですねぇ、例えば”1+1=2”というのがありますよね。多分、小倉さんにとっては朝飯前かもしれません。それはもう知識として覚えたからですよね。でも、小倉さんみたいに覚えきれていなくて、”1+1=11”と考える人もいるかもしれません。もちろん、これは間違った答えです。でも、たくさん考えて、どれだけ工夫して考えても理解できないかもしれません。でも、その理解しようとする姿勢を努力と言っていいと思います。なので自分にとっての努力とは、繰り返し言っていますが、どれだけのことをいかに効率よく吸収できるよう工夫したか、だと考えます」

 (そうか、なるほど)とは、ならなかった。でも、自分とは違う考えを聞けて良かった。出口には行けなかったけど、出口に近づいた気がした。浅井さんに感謝しなきゃな。

「ありがとうございました。少し、出口が見えてきた気がします。本当にありがとうございました。じゃあ、ご勘定お願いします」
「かしこまりました」

 レジで値段を見た瞬間、驚いた。とても安すぎたのだ。

「失礼ですが、安すぎませんか?」
「小倉さんの心が軽くなったお祝いです」
「え、でも、、」
「とりあえず、この値段でお願いします」
「はい、、、」

 そこまで言われて、食い下がれるわけがなかった。お会計を済ませて、ドアに触れる。

「ごちそうさまでした」
「またのお越しをお待ちしております」

 そういった彼の顔は、形容しがたい笑顔でこちらを見ていた。
****小倉さんのその後****

 誰にもわからなかったそうです。でも、似たような人とすれ違ったとき、今までとは違う、少し明るい顔をしていたとか。
 ご飯屋『ほっと』に行って、浅井さんに話を聞いてもらった人は、今までの心の傷が癒えたとか。

 そんな不思議な力を持ったお店には、相変わらず人が少ない。でも、少ないからこそ、一人一人のお客様に向き合うことでできる魅力がある。

 あなたも是非、癒されてみては?

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