(なんでこんなことになってるんだ?)
車にぶつかって死んだ筈の青年瀧本千秋は困惑していた。
さっきまでいた見慣れた賑やかな街の道路ではなく、まるで西洋の城の玉座の前で両膝をついている。
玉座の前には金髪で蒼眼の青年がいて、周りには鎧を着た城の家来のような者達が千秋の前を囲んでいた。千秋が逃げ出さないように冷たい視線を向けている。
千秋は後ろ手に縛られて逃げたくても逃げられなかった。
(しかも…なんで…)
蒼眼の青年が持つ剣に映る今の自分の姿を見て千秋は更に困惑した。困惑するのも仕方がない。何故なら…。
(なんで俺がミスティア・カーラーになってるんだよぉ〜!!!しかもよりによって処刑寸前〜!!!)
内心あたふたしている千秋を見て目の前にいる蒼眼の青年はふんっと鼻で笑った。
そして、千秋にこれから起こるであろうことを声高々に叫んだ。
千秋は知っていた。自分が転生したキャラクターがこれから起きる惨劇を。何度も何度も彼女を救う為に見ていたから知っていたのだ。
「ミスティア・カーラー!!長年自らを聖女と偽り帝国を騙し続け、本来の聖女であり私の恋人のドレミカ・アルバートを殺めようとした貴様を生かしておくわけにはいかない!!」
(待って…冗談だろ…?!)
「よって貴様をこの場で私の手で処刑する!!!!」
(いやいやいやいや!!!!いや、だから、待ってくれって!!!俺ってゆーか、あの、この子が正真正銘の聖女なんだってばぁ〜〜!!!!)
逃げようと身体を動かすも周りの家来の兵達に抑えつけられて逃げられない。仮に逃げ出せたとしてもきっと兵達に殺されて終わり。
今の千秋には逃げ場がなかった。
「ち、違います!おれ…じゃなくて私が本物の…!!」
「この女まだ言うか!!」
「浅ましい女だ!!」
(ひぇ…ぜっんぜん聞く耳持ってくれないやつや…!!!ど、ど、どうする?!なんかないか!なんかないか?!!)
ゆっくりとこちらに近づいてきた蒼眼の青年は持っていた剣を振り上げる。
千秋は目の前の現実に一気に絶望すると同時にキラリと輝いた刃が美しく感じてしまった。
(あ…終わった…)
ミスティアに転生したばかりの千秋はもう終わるであろう命に絶望しぎゅっと目を瞑った。
男子高校生瀧本千秋がゲームキャラクターミスティア・カーラーに転生するほんの数分前。
現実世界の日本。S県S市の瀧本家の千秋の自室。
ミスティアに転生する前の彼は、姉から譲り受けたゲームソフト《聖女の祈り》というノベルゲーをプレイしていた。
ひょんな事からナルハナ帝国にやってきたヒロインのドレミカ・アルバートを聖女に仕立て上げられ皇太子ハロルドと結ばれるというストーリーで、ミスティアはナルハナ帝国の正式な聖女だったがドレミカにその立場を奪われてしまうという悲運なキャラクターだった。
ミスティアにしか使えない聖女の魔法をドレミカも使えてしまったという出来事から彼女の転落人生が始まり、守ってきた大事な人達に裏切られ、ドレミカには無実の罪で濡れ衣を着せられ、最終的には斬首刑もしくは火刑というどちらかの処刑方法で死ぬことになっている。
全てはドレミカが持つ見たものをコピーすることができるという能力が元凶だったが、原作はヒロインである彼女のその行動を正当化するようなストーリーで進んでゆく。
ネットのレビューでもヒロインドレミカへの批判よりも彼女とハロルド幸せを願った賛賞の方が何故か多かった。
千秋の姉聡美も「2度とやりたくない。レビューも意外とあてにならん。売ったら負けた気がするからアンタにやる」と呆れながら譲ってきたほどだ。
確かに聡美の言う通り頭が痛くなるようなストーリーだったがもしかしたらミスティアが幸せになるルートもあるのではという淡い期待を持ってゲームを進めていた。
しかし現実は無情で残酷だった。
「ん?ん?はぁ?なんでだよ?」
このゲームは2つエンディングがあるのだがどちらもミスティアが処刑されてしまう内容だったのだ。
どんなに選択肢を変えても彼女の運命は変えられない。唯一変わるものはさっきも話した2つの処刑方法だけ。
「この脚本おかしい…誰だよコレ書いた奴…!!」
メルヘンチックなクラシックのエンディングテーマと共に流れるスタッフロールを殺意を込めて睨みつける。
どうして帝国の為に聖女として一生懸命尽くしてきたミスティアがこんな悲惨な形で殺されなければならないのか。
何故聖女でもなんでもないドレミカが愛されるのか。
それよりも何故ドレミカのバレバレの嘘を信じて疑わないのか。
最後ハロルドと幸せそうに結婚したはいいが正式な聖女でもないドレミカが帝国を守ることができるのか。
というかエンディングが少な過ぎる。
ゲームに対しての不満。ヒロインへの批判。千秋の中でそんな疑念ばかりが募る。
(も、もしかして…これがクソゲーってやつ…?)
非の打ち所がないミスティアを平気に殺すこのゲームの題名にも怒りを覚えた。こんなの祈りもクソも無い。千秋はそう思うしかなかった。
(このままスタッフロール見続けたらテレビ壊しそうだな…。エンドっていう英文出たら秒でテレビに風穴開ける自信あるわ…)
そうなる前にゲーム機の電源を消し、テレビの電源も落とした千秋は苛立ちながら立ち上がり後ろの勉強机に向かう。
机の上に置いてあった"みんな大好き!!お菓子レシピ大全集!!"というレシピ本を手に取る。
ガバッと本を開きパラパラとページを捲り目についたページで動きを止める。
(……コイツを作って気を紛らわそう。いや、作る。お菓子作って気持ちを切り替えないと…)
捲られたページに描かれていたのはシンプルなプレーンクッキーとココアクッキー、プレーンとココアが組み合わさった市松模様のアイスボックスクッキーの作り方だった。
机の引き出しから黄色の付箋を取り出しクッキーのページに乱暴に貼り付ける。
早足で自室を飛び出し、1階のキッチンに向かい材料を探す。
しかし、卵はあったが薄力粉とバターと純ココアが無かった。
「はぁ〜…よりにもよって材料不足なんてよ〜…聞いてない…」
ジーンズの後ろのポケットに入れていたスマホを取り出し電源を入れて時間を見ると16時半を回っていた。
千秋をため息をつき考える。
(そういやぁ…おかんもおとんもねーちゃんも今日は仕事で遅くなるとか言ってたっけな…まだ時間あるしスーパーでも行ってくるか…)
2階の自室へと財布を取りに戻る。
そこで一瞬だけ目についた聖女の祈りのソフトケースを見てまたため息をついた。
(まさかゲームの中身に腹立って菓子作りするなんてな…)
千秋は嫌なことがあった日は必ずお菓子を作っていた。
元々母親と姉聡美の影響でお菓子作りをしていたが、何かを作ることが楽しかったのと、幼い頃に洋菓子屋さんで見た鉄板に並べられたクッキー生地やケーキが綺麗に焼き上がり生クリームやフルーツやマジパン等でさらに美しく時に可愛く彩られてゆく姿に感動したから。それを大きくなった自分でも出来る様になったことが彼のお菓子作りの原動だった。
しかし、それは苛立った日になると暴走することがあるのが玉に瑕だったりもする。
しかも無意識に作り気が付くと1人では食べきれない量のお菓子を作ってしまうことがある。
(あれはホントに気を付けないと…理性保たんととんでもないことになる…でもなぁ~)
やはりあのゲームの内容を忘れようとしても何かの拍子で思い出してしまう。
千秋は早く忘れようと黄色のエコバックに財布を入れながら頭を素早く横に振った。
(……スーパーで薄力粉とバターと純ココアを買って…)
スーパーで買う物を思い浮かべながらしっかりと施錠をしたのを確認し家を出る。
クッキー作りとミスティアの最期の姿が交互に頭に浮かび上がる。
(なんであの帝国の奴らってみんな馬鹿なんだろ?ミスティアがやってないの明白だったじゃん…)
とぼとぼと足は行き慣れたスーパーへと進んでゆく。
(市松模様とうずまき模様も作ろう。いや、絶対作る。是が非でも作るわ)
考え事をしながら歩みを進めている今の千秋は目の前をよく見ていなかった。音や声も殆ど聞いていないに近い。
それが時間的に車通りが多い道路だとしても。
「にいちゃん!!!危ない!!今赤だよ!!!」
年配のおじさんのその声を聴いて「え?」っと横断歩道の信号を見ると確かにあかになっていた。
しかし警告を聞いた時にはもう遅かった。
「あ…」
眩い光と共にトラックがこちらに向かってくる。スピードも速く、止まりそうな気配もない。
さっきまで考えでいっぱいだった頭が一気に白紙になる。急すぎて恐怖も感じられなかった。
(あ、これ死んだわ)
これが男子高校生瀧本千秋が覚えている現実世界の最期の記憶だった。
トラックに当たった衝撃と痛みを味わう前に意識が飛んでいた。
トラックに轢かれて異世界に転生するなんて全く予想だにしていなった千秋が次に目を覚ました時に聞いた言葉がこれだった。
「ミスティア・カーラー!!聖女と偽っただけでは飽きたらず、本物の聖女のドレミカ・アルバートに危害を加えた貴様を生かしておくわけにはいかない!!!」
千秋自身がそのミスティアに転生し、お城で断罪中で処刑寸前ということも、しかもさっきまでプレイしていたノベルゲー《聖女の祈り》の世界に転生したのも全て予想外だった。
(なんでよりにもよって~~!!!!!!!)
現実世界で死んだと思って異世界に転生した矢先に早速死のカウントダウンが始まるというとても不運で不憫な始まりだった。
トラックに轢かれて死んだと思ったらあるゲームの世界に転生したはいいがタイミングが悪かった千秋は必死に頭をフル回転させていた。
(どうやってここから脱せればいいんだぁ?!でも、このまま何もしなかったら殺されるし…助けも……ん?待ってくれ…)
千秋は助けという言葉を思い浮かべて何かを思い出しかけようとしていた。ゲームの中でミスティアが処刑されるシーン、ちょうど今と同じ状況の時だった。
(助けはいる!!いるし今こっちに向かってるところだと思う。……確かに助けはいるんだけど来るタイミングが丁度あと一歩のところだったんだよなぁ…)
ミスティアを救出しにきた人物はいたのだが、玉座の間に着いたと同時に彼女が殺されてしまうというシーンだったのだ。
しかもその助けに来たのがミスティアの従者であるノイン・テイラーという人物で彼女を愛し忠実な男だった。
そんな彼も最期はミスティアが殺されるところを見て絶望しながら殺されるという悲運な運命を辿っている。
(時間を稼げはなんとかなるか…?いやぁ…でもなぁ〜…)
「ミスティア・カーラー。ドレミカを毒殺しようとしたお前を私は許さない」
「え?あ、はい?何?」
「貴様!!!聞いているのか?!!」
(やっべ…全然馬鹿皇太子の話聞いてなかったわ…まっ、どーーせ"よくも私の愛しいドレミカを傷つけてくれたな〜"なんてほざいてたんだろ?どーーーせ)
来てくれるであろう従者の心配と彼が来るタイミングの事を考えていた千秋は皇太子ハロルドの話など全く聞いていなかった。
けれど、彼がどんな内容の話をしていたのかは大体予想はついていたのであまり気にしてはいなかった。
「さすが自分を聖女を偽っていた女だ。ふざけてる!!」
(はいはい。ふざけてるのは俺とミスティアじゃなくてアンタら2人とおめーら皇族共だよ)
「何故我々はお前のような女を聖女だと信じていたのだろう…本物の聖女はドレミカなのに…!!」
(突然現れたぽっと出ヒロインの虚言を信じてるアンタらにドン引きっすわ)
怒りを通り越してもう呆れしか感じなかった。結局どんなに国に尽くしても結果はコレなのだから余計にそう感じてしまう。
ハロルドの側で怯えるドレミカを見れば尚更。
千秋はどうせ何を言っても聞いてくれないと分かっていたからもうため息しかつけなかった。
(この人らミスティアが死んだ後のことは考えてるのかね…?ぜってーあのぽっと出の魔法はただの複製《コピー》だから俺ら人間や精霊達に影響出るだろうに)
ミスティアは精霊達に愛されていた存在でもあった。彼女が生まれた時も、正式に聖女と認められた時も精霊達から必ず祝福の白い花びらが天から降り注がれる程ミスティア愛されていた。
逆に突然現れて聖女となったヒロインのドレミカは精霊達に全く相手にされていなかった。
(きっと精霊達は見抜いてたんだな…アイツの能力と本性を)
誰からも愛されていた筈のミスティアの最期があまりにも惨めなものだったことを改めて思い知らされた千秋はぎゅっと爪が食い込むほど強く拳を握る。
やっぱり死なない。彼女の為にもここでは死なない。自分が転生したのは彼女の運命を変える為だとそう感じていた。
「これ以上貴様に何を言っても無駄だな。これより刑を執行する」
(え、あ、待って!!まずい!!)
刑を執行するというハロルドの言葉を聞いて千秋は慌てて顔を上げる。
まだノインが来ていない。千秋は焦って立ち上がろうとするも辛いに両肩を掴まれ抑えつけられてしまう。
(まずい!まずいまずいまずい!!!)
ゆっくりと剣を片手に持ったハロルドがこちらへ向かってくる。
焦りが千秋の頭の中をさらに混乱させた。
縛られた縄が手に食い込み動かす度に痛みが走る。
「まって…待ってください!!」
「ドレミカ?!」
ずっとハロルドの側でメソメソしていたドレミカが悲しげな声で彼を制止した。ハロルドはその声に驚きドレミカの方へ身体を向けた。
周りの家来達も驚き、千秋も驚きながら声がした方へ目を向けた。
(は…?急に何…?)
「ハロルド様待ってください。彼女に…ミスティアさんに最期に何か言わせてあげてください」
「え…それはどういう…」
「きっと彼女も最期に何か伝えたいことがあると思うのです。ただこのまま殺してしまうのは可哀想ですわ…」
「ドレミカ…」
自分を陥れようとしたミスティアを憐れに思ったドレミカが見せた変な優しさにハロルドと家来達は感動していた。
"さすがドレミカ様"、"自分を殺そうとした女にもあんな優しさを見せるなんて"、"やはり彼女こそ正真正銘の聖女様だ"と家来達は口々に呟く。
千秋はドレミカの思想がなんとなく想像がついた為全く感動しなかった。寧ろ呆れ果てていた。
「ハロルド様。このナルハナ帝国の聖女として、私《わたくし》ドレミカ・アルバートとしてのお願いです…どうか…」
「……わかった。君の優しさに免じて罪人ミスティア・カーラーの最期の発言を許そう」
「ありがとうございます。私《わたくし》の勝手なお願いを聞いてくださりとても感謝いたします。ハロルド様」
(コイツ…また自分に良い印象を与える為にこんなことを…しかもなんだよ…あの皇太子様の表情。あのぽっと出ヒロインにぞっこんじゃねーか…あほくさ。まぁ、いいや。これで時間稼ぎができる。できるだけ長めにダラダラ話してやろう)
言いたいことを言ってすっきりさせてから脱出してやろうと考えた千秋はゆっくりと深呼吸をする。
ハロルドは視線をミスティア(千秋)の方に戻し、さっきまでドレミカに向けていた優しい表情からスイッチを切り替えるように汚い物を見るような軽蔑する目に変わった。
ハロルドのその態度に千秋の怒りはさらに増した。こんな男が将来皇帝として国を守れるわけがないとおもいながら。
「ドレミカに感謝しろ。彼女のおかげでお前に発言権を与えてやったのだ」
「……それはどーも。おれ…じゃなくて私もいろいろ言いたいことがあったんでね。本当ドレミカ様様ですよ。感謝してる」
「…?」
「なんすか?もう発言してもいいんっすか?」
「え、ああ、早くしろ」
さっきからハロルドはいつも敬語であまり砕けた話し方をしないミスティアに少し戸惑いを見せていた。きっとこれが彼女の本性だという考えと、どうせ何をしても殺される運命だから全てに諦めているのだと勝手に結論付けたがどうもしっくりこなかった。
ミスティアの中身が異世界から来た人間に成り代わっているなんてよっぽどのことがない限り彼は気付くことはないだろう。それはドレミカと周りの家来達にも言えることだった。
その秘密を唯一知っているのはミスティアとして転生した瀧本千秋のみ。
(何なんだ…あの女の考えが分からん…)
「おれが…じゃなくて…、えっと、私が最期に言いたいことは沢山ありますが今はこれだけ言っておきます………だぁーーもう!めんどい!!!」
「な…っ!」
「ハハ…なんかめんどくせーや。アンタの相手してるせいで気が狂いそう。ミスティアになりっきて喋るの一旦やめるわ。もう最期だし《《俺自身》》の言葉でぶちまけてやる。こんなこと聞いたってどうせアンタら気が付かねーから」
「ミスティア・カーラー。貴様何を…」
「これから話すから邪魔するな馬鹿皇太子殿」
ミスティア(千秋)を抑えつけていた家来が彼女の皇太子への不敬に”ハロルド様になんてことを!!”と叫ぶ。それと同時に抑えていた彼女の両肩にさらにぐっと圧力をかけた。圧が増した両肩に千秋は短く唸った。
けれど千秋は負けずにもう一度深呼吸をし、後ろ手に縛られている手に力を込め目の前にいるハロルドをキッと睨みつけた。
「アンタらに、否、この帝国に未来なんてもうねーよ。だってアンタらは本物の聖女を捨てようとしているんだからな」
「何?!」
「お前らこのぽっと出が本当に聖女だと思ってるの?んなわけねーだろ!!!コイツは、そこで馬鹿みたいに怯えてるその女は聖女でも何でもない!!ただの複製《コピー》する能力があるだけのやつなんだよ!!ミスティアの聖女の魔法を見様見真似で複製《コピー》してるだけ!!なんで精霊達が現れないのかなんも疑問に思わないのかよ?!」
「ミスティアさん…酷い…そんなあんまりですわ…!!!」
「酷い?なにが酷いんだ?だって事実だろ?!真似だけの聖女の魔法に希望を見出そうとするなよ!!それに俺はドレミカに食わせた菓子に毒を盛るような真似はしない!全部コイツの虚言!!!自分が聖女に成り代われば幸せになれると思ったら大間違いだぞ!!!どんなに帝国の奴等を欺いてもお前は聖女にはなれない!!人を陥れるような人間が聖女なんてなれるわけがない!!」
「ミスティア!!よくもドレミカに!!!」
「うるせぇな!俺がまだ喋ってるだろうが!!黙って聞いてろ!!!」
ボロボロの状態のミスティアの身体で自分でもどこからそんな力が出てくるのか分からないぐらい思いを叫びぶち撒ける。千秋はここで喉から血が出てもおかしくないほどに。
元の世界でミスティアの幸せを願って探したエンディングは見ることはなかった。けれど彼女がいる世界に転生した今の自分なら叶えられるかもしれない。だから千秋は諦めたくなかった。
「仮にこの人が聖女じゃなくてもアンタらみたいに人を陥れる様な真似をするような人じゃねぇ。それは胸を張って言える。彼女は、ミスティアは、精霊達に愛されて、お菓子作りが大好きな優しい人…。そんな人を国の為に尽くしてきた人をこんな形で裏切るアンタらに待ってるのは破滅だよ」
「ふんっ!破滅するのは貴様だ」
「一年後の結界の儀式」
「ん?」
「帝国の結界をかけ直す儀式。忘れてるわけじゃないだろ?」
千秋の口から出た一年後の結界の儀式という言葉。
それは聖女しか使えない魔法の力を使って帝国を覆う結界をかけ直す儀式だった。
ドレミカが持つ複製《コピー》の力では再現できないほどの聖女の特別な魔法でしかその儀式は成功しない。
千秋は聖女ではないドレミカではできないと踏んでいたのだ。その前に綻びが出ることも予想して。
「あの儀式は正真正銘の聖女でしか成せない。アイツじゃ無理だよ。それでも《《俺》》を殺すの?絶対後悔すると思うけどなぁ?」
「もういい。お前の戯言なんて聞き飽きた。後悔なんかするはずない。本物の聖女は私のドレミカなのだから」
「そうか。後で泣いて後悔しても知らんからな。俺は言ったからな。紛い物の魔法じゃどうしようもないって」
「とっとと死ぬがいい。ミスティア・カーラー!!!!」
ハロルドが持っていた剣を振り上げた。
千秋は反射的に目を瞑り身構える。
ノインは間に合わなかった。もう運命を受け入れるしかないと諦めていた時だった。
頭の中である言葉がふと浮かび無意識にその言葉を呪文のように唱えた。
《精霊よ。大地の加護を我に与えよ》
「え…?」
無意識に心の中で唱えといた言葉に驚いていると突然地面から激しい地鳴りと共に棘に似た岩が突き上げてきて千秋の周りにいた家来達を薙ぎ倒した。
千秋を抑えつけていた家来も棘岩に突き飛ばされていた。
それは剣を千秋に振り下ろそうとしたハロルドも例外ではなかった。
「な、なんだ?!!ぐぁっ!!!」
「キャアア!!!ハロルド様ぁ!!」
千秋が唱えた不思議な呪文がもたらした棘岩の出現に周りは騒然とする。
2人の様子を見ていたドレミカの悲鳴が混乱と壮絶さを物語っていた。
砂塵が立ち込め視界が狭まれて千秋は動けなくなってしまう。砂塵が喉に入り激しく咳き込んでしまった。
すると、入り口の方から地鳴りに混じって勢いよく扉が開く音がした。
そこに現れたのは薄茶色の髪を後ろに縛った長身の男だった。顔には返り血が付いていた。
「ミスティア様!!!」
「まさか…ノイン…?ノインなのか…?!」
「くっ!どこにいるのですか?!ミスティア様!!!」
「ノイン!おれ…じゃなくて私はここだ!!!ノイン!ノイン!!」
砂塵で視界が狭まれる中、千秋は必死に自分を呼ぶノインの方へ後ろ手に縛られているせいで上手く走れずフラフラになりながらも走った。
元の世界で何度も見たエンディングが全く違う運命になった瞬間を自分自身で体験している。もう少しでミスティアとノインを救えると千秋は思った。
家来達を蹴散らしようやくノインの元へ着くとノインはミスティアの身体をギュッと抱きしめた。
その顔は今にも泣きそうな顔だった。
「ミスティア様…!!ミスティア様…!!よかった…間に合った…!!やっと貴女を助けられた…!!」
「ノイン…」
「…再開を喜ぶのはここを出てからの方がいいみたいですね」
「あ、うん。後さ、おれ…じゃなくて…私の手を縛ってる縄切ってくれると嬉しいかな…へへ」
「あ、そうでしたね」
ノインに後ろ手に拘束していた縄をナイフで切ってもらった。手首には縄で縛られた痕と痣が残っていた。
(やっと自由だ…フフ…)
今まで見てきたエンディングと全く違う運命に千秋は自分でも気持ち悪いなって思う笑みを浮かべてしまった。
しかし、その笑みを浮かべるほど千秋は喜んでいたのは事実だった。
後は騒然としているこの城から従者ノインと共に脱出するのみとなった。それが成功すればミスティアの運命が今度こそ変わる。千秋の悲願がようやく叶うのだ。
「行きましょう。ミスティア様」
「おう…じゃなくて…ええ!!行きましょう、え?うおっ!!」
突如身体が持ち上げられた感触を覚え思わず千秋は短く悲鳴を上げた。
ノインが千秋もといミスティアを横抱きに抱きかかえたからだった。千秋は突然のこと過ぎて言葉が出なかった。
ハロルドの“追え!!逃がすな!!”という怒号を背にしてノインは大事に彼女を抱きかかえながら玉座の間を後にした。
(ひ、ひぇ~…初めてお姫様抱っこされたわ…。どうしよう、別に1人で歩けるのだが…)
「大丈夫ですか?」
「え?あ、うん。まぁ…一応大丈夫なんだけど…わ、私、自分で歩けるから降ろしてくれる…?」
「貴女のその痣と傷だらけの足を見て降ろせるわけないでしょう。この城にいる間だけですから。我慢してください」
「あ、はい…」
ノインの必死と緊迫が混じる声に千秋は否応なしに首を縦に振るしかなかった。
彼に言われた通りミスティアの身体は痣と傷まみれ。ずっと牢屋に入れられ尚且つ城の看守からの暴言と暴力にまみれた尋問で傷ついた彼女の身体はボロボロだった。
ミスティアの傍らにいたノインにとって今の彼女の姿はそれは耐え難いものだったであろう。千秋はそれ以上何も言わず彼に身を委ねることにした。
すると、ノインのすぐ近くに数本の矢が床や壁に突き刺さった。後ろを振り返ると城の衛兵達が持っていたボウガンでノイン達に狙いを定めていたのだ。
ボウガンは容赦なくノイン達に矢を放った。
(飛び道具なんか卑怯やんけ!!!つーかこのままじゃ俺らに確実に当たる!!)
「従者の方は殺してもかまわん。罪人は生きて捕らえろ!!」
「ノイン…!」
「私は大丈夫ですから。是が非でも貴女をここから連れ出します」
ノインの手の力がこもる。千秋にもその感触は当然伝わる。
彼の必ずミスティアを自由にするという自信の表れがとても強く伝わった。
(あーもー!!どうすりゃいい!!さっきみたいになんか聖女の魔法を…えっと、なんか、バリア的な呪文があった筈…)
千秋は再び頭をフル回転させて自分自身とミスティアの記憶を探る。彼が元の世界でゲームプレイ中に見たシーンと彼女が歩んできた記憶。
さっき自分の危機を救ってくれた正真正銘の聖女の魔法の呪文。千秋は必死に思い出そうとしていた。
(確か…)
それは優しくも凛々しい聖女ミスティア・カーラーの声と共に千秋の頭の中である言葉が響き渡った。
『—―――偉大なる聖騎士達よ、危機なる我らに護りの加護を…』
(こ、これだ!!!この呪文があった!!)
千秋は落ち着いて深呼吸をし、思い出した呪文を小さく呟いた。
「偉大なる聖騎士達よ、危機なる我らに守りの加護を…!!聖女の祈りを聞き届けたまえ…!!」
呪文を唱えた途端、逃げ惑うノイン達を優しい白い光が包み込む。飛んできた矢が光に触れると焼け消えてしまった。
衛兵達はそれ見て一瞬たじろぐも構う事なく再びボウガンをノイン達に向け矢を撃ち放つ。
「まだ使えたのですね」
「正直無理かと思ったとかも意外とできた…でも…あんま保たないかも…」
「いえ、ここまで出来れば十分です。後は"オニキス"に乗って彼らから逃げ切れば…」
ノインが言っていたオニキスとは彼の黒毛の馬のことだ。
ゲームの中にも出てきたその馬はよく2人の助けになっていたがノインと同じ悲しい運命を辿った名馬でもあった。
千秋は思う。やはり全てが違う。全ての運命が変わりつつある。この城さえ脱出してしまえばミスティア達の新しい人生が始まるとさえ思えた。
(ミスティア達の運命が完全に変わる…!!!あと少しだ…!!)
無数の矢と怒号が降り注ぐ中をミスティアに転生した千秋と従者のノインは優しい光と共に走り抜ける。
千秋がかけた魔法の光が暗闇の中にいた彼女らに照らす希望の光を照らした瞬間だった。
城の出入り口付近まで逃げてきたミスティアに転生した千秋のミスティアの従者のノイン。
あと少しで外に出られる。後は帝国からの追手を振り切れば良い。
けれど、ミスティア(千秋)を抱えたままのノインの力だけではここからの脱出は難しい。
しかも脱出口の城門は頑丈な鉄で出来ていて彼1人では開けることができない。
そこでノインは連れてきた黒馬のオニキスを使って逃げようと試みた。
「ミスティア様。指笛でオニキスを呼んでもらってもいいですか?」
「え…指笛…」
「見ての通り私は今手が離せません。申し訳ないのですが…」
ノインに横抱きのまま城から脱出しようとする千秋は彼から指笛でオニキスを呼び寄せて欲しいと頼まれた。
しかし千秋は指笛という言葉に焦ってしまった。
彼は指笛をやった事なんて一度も無かった。
(指笛なんてやったことねーんだけど…?!)
「ミスティア様?」
「あ、いやぁ、その、指笛しなきゃヤバい?」
「そうですね…オニキスがいる所まですぐに辿り着ければいいのですが追手が少し多過ぎて…」
(うぐ…その通り過ぎてなんも言えねえや…そういえばミスティアも指笛で自分の馬呼んでたな…確かステラだった筈…)
「城門の件はどうにかします」
「えぇ…どうにかって…」
そうこうしている内にも追手は攻撃を止めるどころか更に激しくなってゆく。
幾ら聖女の魔法で攻撃を防いでいるとしても逃げ切れなければなんも意味がない。
今の千秋には選択肢は無いに近かった。
(ええい!!儘よ!!)
腹を括った千秋は右手の親指と人差し指で輪を作り、軽く口に含み舌先を指で押しつけた。
目をぎゅっと瞑り指笛をおもいっきり吹いた。
ピィーっという高い音が響き渡った。
(で、できた!!ミスティアの身体が覚えてたやつかもだけど良いや!!オールオッケー!!後は…城門問題とこの指笛がオニキスに聞こえてればのお話なんだけど…)
無事に指笛が吹けて安心していると2人を追跡していた衛兵が背後に現れた。しかも前も立ち塞がられてしまった。
ノインの腕の中のミスティアを見て衛兵は早く捕らえてしまえと忙しなく叫んだ。
「いたぞ!!従者を殺せ!!」
「チッ」
(げっ!!!本当衛兵どもしつけぇ!!まだ魔法効いてるけどこれはマズイ!!でもこのまま黙っているなんてぜってーやだな。あ!!せや!!良いこと思いついた♪)
千秋は再びミスティアの記憶を探る為目を瞑る。
盾の魔法以外の術がゆっくりとだが思い浮かび始める。それは攻撃の魔法。
「えっと…"火神リカルドよ、烈火の加護を我に与えよ!!"」
「え?あの、ミスティア様?何を…?」
「まあまあ安心してくれたまえ。これで脱出できるし、オニキスも来やすいやろ♪そして覚悟しとけよ衛兵ども」
「え?」
困惑するノインをよそに千秋は呪文を唱えた。
すると、千秋の左手に赤色とオレンジの色が混ざり合った光が込められた。その光は千秋の手の中でみるみる内に大きくなってゆく。
炎にも似たその光を鉄の城門に向かって解き放った。
解き放たれた光は閃光の如く城門に素早く向かう。千秋の手の中で込められていた時よりも光は巨大化する。
城門前にいた衛兵はその光の球を見て"に、逃げろー!"っと慌てて逃げ伏せた。
誰もいなくなったそこに光の球がぶつかった途端、頑丈で変わらない筈の鉄の城門と周りの外壁は爆発し粉々に崩れ去った。
周りは玉座の間で千秋が起こした魔法のように砂煙と燃えた草木で煙たくなっていた。焦げ臭い匂いといろんなものが混じった煙が充満している。
城門が破壊された今、後はこの帝国には何も用はない。
「す、す、すげー…」
「あの…ミスティア様…ちょっとやり過ぎでは…?」
「うっ、で、でも!!これで逃げやすくなったじゃん…って、ん?」
すると、千秋の耳に遠くから蹄の音が入ってきた。
その音はみるみる大きくなってゆく。
千秋はその正体をすぐに気がつくことができた。
(オニキスじゃね?!!やった!!成功やんけ!!)
ぶるるっとここに来たと合図をするように鼻を鳴らす馬。千秋の予想通り2人の前に現れたのはノインの黒馬のオニキスだった。
転生する前にゲーム内で見た時よりも立派で凛々しく毛並みがとても美しかった。
(かっけ〜…マジで今からこれに乗って俺ら逃げるの?ヤバ…泣きそう…)
「偉いぞオニキス。さぁ、もうここには用はありません。行きましょう」
「あ、うん。行こうぜ」
緊張した面持ちでノインの助けを借りながら千秋はオニキスに乗馬した。ノインは千秋を守る形で後ろに乗り込んだ。
「行くぞオニキス。ミスティア様を守り抜くぞ」
(やばぁ〜!!なんかテンション上がってきた!!!オニキスに乗って脱出とかヤバい!!なんかもうヤバいしか言葉出ねーわ!!)
ノインの決意がこもった言葉を聞いたオニキスはそれに応える様に甲高く鳴いた。手綱を引くとオニキスは来た時同じ様に勢いよく走り出した。
さっきの爆発で逃げていた衛兵達は慌ててボウガンをオニキスに発射するが盾の魔法が効いていた為矢はすぐに塵と化した。
「このまま城下町を突っ切るしかないですね。関係ない方には申し訳ないですがここから生き延びる為ですから」
「まぁ…正直そんなこと言ってる場合じゃないしな…」
城下町はいろんな店があり賑わっていたが千秋達が起こした城の騒ぎで帝国の民はざわついていた。
千秋達はそんなことお構いなしに城下町を颯爽と走り抜けて行く。さまざまな人間の悲鳴と驚きの声を聞きながら帝国と外の世界の境目の門へと急ぐ。
「ミスティア様。もう一度炎の魔法を放てそうですか?」
「さっきの?う~ん…あと1回ぐらいなら大丈夫かな……多分」
「《《まだ眠くないですよね》》」
「え…?別に平気だけど…つか、こんな状況じゃ眠くもならんて」
「なら大丈夫です。もし《《眠くなったら》》無理しないでいいので」
(なんだぁ?さっきから眠くないとか聞いて?よく分らん…)
千秋はノインの問いかけに首を傾げた。なぜそんな事を突然聞いてきたのか全く分からなかった。ノインはもし眠いのならそのまま眠ってしまっても構わないという言いようだったのも引っかかった。
こんな緊迫とした命がけの逃亡時に眠くなるなんてありえないと千秋は思っていた。
千秋の目に少しずつ門が見ててきたことで一旦その考えを払拭し、軽く深呼吸をした後落ち着いてノインに頼まれた通り炎の魔法の呪文を詠唱した。
「"火神リカルドよ、烈火の加護を我に与えよ!!"」
千秋の手に再び炎の光が宿る。先ほどよりも光の球が大きくなるのが早くなっていた。
「いっけーー!!!」という千秋の叫びと共に光の球は門に向かって放たれた。
門番は城の衛兵のように怯えながらその場から逃げ出した。
巨大な球となった炎の光は城門を壊した時よりも激しく爆発し大きな穴を開けた。
追ってきた衛兵と避難していた門番はとても青ざめた様子で破壊された門と外壁を見ていた。
(よっし!!!!)
「よ…よくもこんな…」
「もし我々に当たっていたら確実に死んでいたぞ…!!!」
「なんて女だ…!!」
(ざまぁ。帝国にも皇太子にも一泡吹かせたしスカッとしたわ)
そんな彼らを見て千秋は心の中でガッツポーズを決めていた。
これからもっと後悔する様なことが起きるだろうと思うと余計にテンションが上がってしまう。
帝国に尽くしてきたミスティアを粗末に扱った報いの序奏とさえ思えた。
ノインは手綱を引きオニキスをさらに加速させる。爆発が原因の煙なんて閃光の様にかけて行くオニキスにが起こした風で吹き飛ばす勢いだった。
やっと外へ出れると考えていると突然千秋に異変が起こりはじめていた。
「これで外へ行けますね」
「……」
「ミスティア様?」
「まずい……なんか眠くなってきた…」
「え?」
「ちょ…調子こき過ぎたかも…」
帝国の門を爆破し、いざ脱出と意気込んでいた千秋に激しい睡魔が襲いはじめた。必死に目を開けていようとするも段々と瞼が重くなってゆく。
ノインがさっき言っていた《《まだ眠くないですよね》》の意味がなんとなく分かってきた。それは…
(魔力の使い過ぎ…!!確かに元から結構ギリギリだったもんな…あー…何やってんだろ…)
「さっきも言いましたがここまで来ればもう大丈夫ですよ。後は私に任せてください」
「だ、ダメだ…!!そうしたら盾の魔法が…」
「大丈夫です。安心してください」
「ノイン…」
千秋はノインにそう促されても起きていようと必死になったが、オニキスの揺れるリズムがゆりかご代わりになって更に眠気を誘う。背後では遠くで衛兵の怒号が聞こえてくるが眠気のほうが勝って集中できなかった。
かけていた盾の魔法の優しい白い光がノイズみたいに不安定になってきてしまった。
「ま…まずい…魔法が…」
「ほとんど体力も気力もない中でここまでやってくれました。後はもう休んでいてください。ミスティア様」
「ごめん…の…イ…」
「私達の味方は大勢いますから。次に目覚めた時はきっと…」
「………」
重かった瞼が完全に閉まるまでにそう時間はかからなかった。千秋は猛烈な睡魔に勝てることなく眠りについた。
最後に覚えていた記憶は衛兵の追跡から魔法なしでも逃げ切れると言いたげな自信に満ちたノインの顔だった。
千秋は何故か城下町の広場である光景を見ていた。
そこにいるのは皇太子のハロルドとヒロインのドレミカと城の家来と大勢の野次馬。
そして、石やゴミを投げつけられるミスティアの姿。近くには先に殺されていたノインの首なしの死体が転がっていた。
脱出したはずの彼女らが更に悲惨な状況で人生の最期を迎えようとしていた。
「私じゃない!!!私は毒なんか盛っていません!!ドレミカさんを殺そうなって私は考えてない!!お願いです!!信じてください!!!」
「うるさい!!聖女と偽った上に私の大事なドレミカを殺そうとした貴様をこれ以上生かしておくわけにはいかない。とっとと死ぬがいい」
「殺せ!!!」
「邪悪な女を早く殺してしまえ!!!」
「ちがう…!!!本当に違うのに…!!!どうして…」
千秋は絶望するミスティアを助けようと身体を動かそうとするが全く動けない。声も出せすただただ惨劇を見守るしかできなかった。
玉座の間の時と同じようにハロルドが持っていた剣を振り上げる。
ハロルドの傍らで怯えているような様子だったドレミカの顔を見て千秋とミスティアは愕然とした。
ドレミカは声を出さず口の動きだけで言葉を発した。
『さようなら。《《本物さん》》』
その言葉を発した時のドレミカは邪悪と欲に満ちた満面な笑顔だった。
振り上げられた剣は素早く振り下ろされミスティアの首をいとも簡単に切り落とした。
千秋は彼女の長い漆黒の髪が首と共に切り落とされるのと、あふれ出る夥しい量の赤い鮮血を見て絶叫した。
野次馬が処刑される瞬間を目撃して歓声を上げた。ハロルドとドレミカはようやく平和が訪れるなど言いながら抱きしめあっていた。
ミスティアの血が自分の足元にまで届いた時にバンっと何かが弾けた様な衝撃と眩い光をもろに受けたところで千秋は目を覚ました。
「うわあああああ!!!!……ってあれ…?」
叫びながら目覚めた千秋は慌てて首に触れた。ちゃんと繋がっているのを確認すると安心した様にため息をついた。
それと同時に今自分が見知らぬ部屋にいると思い知らされた。さっきまで乗っていた馬のオニキスの上ではなく、ふわふわの木製のベッドの上で彼は目を覚ました。
頭が真っ白なまま周りを見渡すとそこは掃除が行き届いた部屋の中だった。
ドレッサーとクローゼット、出入り口の扉付近にはスタンド型の姿見が設置されていた。
棚の上には花瓶に飾られた白い生花や、少し大きめの熊のぬいぐるみがあったりとまさに女の子らしい部屋に千秋は眠っていた。
(姉貴の部屋みたいだ…)
ドレッサーの鏡に映った自分を見た。やはり元の姿である高校生の瀧本千秋ではなく聖女のミスティア・カーラーだった。
そして、さっきまで見ていた悪夢は夢幻のままでノインと共にオニキスに乗って逃げ延びたのが現実なのだと実感した。
千秋は伸びているミスティアの髪をそっと掴み優しく引っ張った。
「生きてる…ちゃんと…」
千秋の目に涙が溢れ始めて視界が滲む。やっと運命を変えられたのだという喜びが溢れて今にも大声で泣きそうになってしまった。
(俺…やったんだ…ミスティアの運命を変えられた…!!)
必死に声を抑えながら千秋は溢れ出る涙を拭う。
まだ油断はできない。けれど今だけはこの気持ちのままでいたいと千秋は思った。
感情に浸っている彼の耳にコンコンっと扉の方からノック音が入ってきた。
千秋はもう一度強く涙を拭い慌てて返事をした。
「あ、えっと、はい!!」
「ミスティア様、起きられたのですね?おはようございます。よく眠れましたか?」
(ノインの声だ…無事だったんだな…)
扉の向こうから聞こえてきたノインの声に千秋は安堵した。
魔力を使い果たして眠ってしまった後のノインとオニキスの安否がとても気掛かりだった。けれど、ノインの朝の挨拶を聞いて千秋は安心していた。
「お、おはよう…!!よく眠れた…あ、あのオニキスは…!!」
「安心してください。オニキスは無事ですよ。今は馬小屋でゆっくりと休んでます。落ち着いたら見にいきましょう」
「うん。そうする。それとさ…急で申し訳ないんだけど風呂に入りたいんだが…あと着替え…」
起きたばかりの千秋の姿はまだワンピース型のボロボロの囚人服のまま。顔だけは拭かれていたが髪はゴワゴワしていてまだ洗っていない様だった。
「もう準備してあります。今から浴室にお連れしますのでついて来てください。こちらです」
「あ、うん。ありがと…」
千秋はノインの後ろをゆっくりっとついて行く。今いる建物が2階建てだと知るのは階段を降りた時だった。
元の世界ではあまり見られないおとぎ話に出てきそうな家。千秋はワクワクしながら周りを見渡した。
(下は…お店…?2階が住居スペースってことか?ミスティアは此処で何をしようと…)
ゲームの中では描かれていない出来事が再び発生していることに千秋は困惑しながらも必死に順応しようとしていた。
イレギュラーである自分がいる時点で全く違う展開になっているのだから余計にそう考えてしまう。
そんな千秋はノインは申し訳なさそうに話しかけてきた。
「本当はあの時、すぐにでも身体と髪を綺麗にしてあげたかったのですが、私が許可なく貴女の身体を触る訳にはいかなくて…申し訳ないです…」
「あ、いや…当たり前の事だから仕方ないって。命の危機が迫ってたらまた別だけど」
ノインのその判断に対し千秋は"やっぱりミスティアの従者らしいな"っと思った。
ゲームの中の彼も彼女が嫌がる様なことは必ず避けていた。例外なのは彼女に危機が迫っている時以外。
ノインにとって聖女の従者であることは人生であって支えでもあった。
ミスティアもそれに応える様に彼の傍を片時も離れなかった。
(ミスティアがノインの全てなんやろうな…)
あの2つのエンディング共死んだミスティアを見てノインは絶望していた。生きる糧と愛する人を失った彼にはとても残酷な結末だった。
けれど、そんな彼は今は隣で笑ってくれている。
(油断はまだできねーけど変えられたんだ)
いろいろ思い返している内に目的の場所についていた。ノインは扉を開けてここが脱衣所だと教えてくれた。
「このガラス扉の先が浴室です。バスケットの中に着替えの服が置いてありますから」
「お、あ、ありがと!出たらまた呼ぶから!」
「フフ。はい。朝食の準備をしながら待ってますね」
「え…えへへ…」
何故かよく分からない笑いが出て千秋は少し恥ずかしくなった。自分でも気持ち悪いと感じてしまっていた。
(テンパり過ぎぃ!!!落ち着け自分!!!)
「お風呂から出たらミスティア様が眠ってしまった後の事と、これからの事を食事をしながら話しましょう」
「そうだね。おれ…じゃなくて、私もいろいろ話したいことあるから」
「わかりました。ゆっくり入ってきてください」
「うん。ありがと」
脱衣所に入った千秋を見ながらノインはゆっくりと扉を閉めた。
千秋は深くため息をついた。
(どうしよう。心が痛い。中身がミスティアじゃないってバレたら泣くでアイツ…)
さっきの自分の中のノインの印象が罪悪感を煽る。
けれどいつかはミスティアの中身が異世界から転生してきた自分であることを打ち明けなければならない。そう考えると千秋は頭を抱え悩んだ。
もう一度ため息をつき気持ちを入れ替えた。
(……まぁ…とにかく今は一旦風呂入ろ…いろいろさっぱりさせたい…んで、風呂から出たらノインに聞きたいことたくさん聞いてそれから…)
脱ぎかけた囚人服を見て必ずしなくてはならないことがすぐに思い浮んだ。
ボロボロのその服は今まで見たミスティアの悲惨なエンディングの象徴。運命が変わり始めた今の彼女にはもう必要のない物となった。
(あの店みたいなところにあった暖炉。確か火がついてたはず。もうこんな物とっておく必要ないし…)
ノインが言っていたバスケットの中の衣服にこれからの彼女の新しい人生が詰まっている。
身体と心を洗い流し、綺麗な衣服を着た彼女の人生をやり直すのが転生した今の自分の役割だと千秋は思った。
もう元の世界で悔しい思いをしなくていい。偽者を信じた奴等に後悔する余地なんて与えるつもりもない。
そう決意を固めた千秋は囚人服を勢いよく脱ぎ捨てわざと踏みつけながらガラス扉の向こうの浴槽に向かうのだった。
扉を閉めた後のノインはすぐにはその場から離れていなかった。扉にもたれかかり天井を見上げる。
思い浮かべるのは帝国の者に捕まる前のミスティアの姿。
『まもなく私達の運命を変えてくれる方がこちらに来るでしょう。異世界で私達を知る方が私に転生して…。その時は《《彼》》を守ってあげてくださいね?約束ですよ?ノイン…』
それがノインとミスティアが交わした最後の約束だった。
「転生者様のことは私に任せてください。ミスティア様。必ず貴女の名を汚した者を私は…」
彼女の願いの為なら死ぬ覚悟がある彼に迷いなどなかった。愛する聖女の為ならどんなことだって。
ミスティアの夢が詰まったこの家に希望の光となった異世界からやって来た千秋。彼が現れたことで動くはずのなかった時間がようやく動き始めた瞬間だった。
「ドレミカ・アルバートを真の聖女と認める」
ナルハナ帝国の大聖堂。そこで行われていたのはドレミカ・アルバートのナルハナ帝国の正式な聖女として認められる大事な式。
大勢の貴族や王族達が彼女の門出を祝う為に大勢集まっていた。
しかし、肝心の精霊主達が来ていない。
それもその筈。ドレミカは人間に認められただけの偽りの聖女だからだ。
聖女は必ず精霊主達の加護を受ける。しかし、嘘で固められた彼女にはその加護を受ける価値も資格も無いに等しかった。
ドレミカは複製という特別なギフトを待つだけに過ぎない。彼女が見様見真似で覚えた聖女の魔法もただの紛い物。
本物の聖女を罵った挙句、でっち上げの罪を被せ死に至らしめ、偽りの聖女を崇める人間達に精霊主達は呆れた怒りを通り越していた。
だから精霊主達はドレミカの任命式には誰一人参加することはなかった。
本来、新しい聖女の為に祝福の花びらという精霊達の祈りが込められた美しい白い花が空から舞うのだが今回はそれがない。
ミスティアの時には溢れんばかりの花びらが舞ったというのにドレミカには舞うことはなかった。
「ドレミカ様の門出の日なのに何故だ…」
「精霊主達は何を考えて…」
人々は疑問の言葉を投げかける。
その言葉は当然ドレミカとハロルドの耳にも当然入る。
本人達も周りと同じ気持ちだった。特にドレミカは特別な日を精霊達に台無しにされたのに対し苛立ちを覚えていた。
けれど、大勢の観衆の前で本性を見せるわけにはいかない。ドレミカは今にも爆発しそうな感情を必死に抑えていた。
「ドレミカ…」
「私は大丈夫よハロルド。彼らが認めてくれなくても貴方とこの帝国の民達が信じてくれている。それだけ十分よ」
「当たり前だ。真の聖女は君しかあり得ない!精霊どもは何を考えているのか…!」
「……いつか分かってくれる筈よ。私が本物だって。私が正真正銘の聖女だって…」
自分をこんなにも慰め大切にしてくれるハロルドにこれ以上心配をかけたくなかった。
だが、いずれ皇帝となる彼を支える立派な聖女になると思い描いているドレミカの気持ちとは裏腹に事は次第に悪化してゆく。
(アイツは…あの女はもうこの世にはいないのよ?!どうして私を認めてくれないのよ?!!!)
悲鳴にも近いドレミカの叫びは口から出ることはなく怒りと共に心の中に納められたのだった。