深夜の公園。
5人組の青年達が1人のホームレスに激しい暴行を加えていた。
ホームレスの男が彼らに何かした訳でも金品目的でもない青年達の憂さ晴らしという快楽の為の身勝手な動機から始まったことだった。

「とっとと死ねよ!クソ浮浪者!!」

倒れ込むホームレスの男を高校生ぐらいの青年はギャハハっと楽しそうに笑いながら容赦なく蹴り上げた。痛がる男の姿に青年とその仲間達は更に嘲笑う。

「や、やめ、やめてくれ…」
「あぁ?ホームレスのくせに何指図してんの?」

これ以上痛めつけないで欲しいと懇願する男を無視して青年の仲間は暴行を続けた。青年はズボンのポケットからジッポライターを取り出し男にちらつかせる。
青年達は何も怖くなかった。自分達がまだ未成年で未来ある少年達だから捕まらないし寧ろ守ってくれると分かっていたからだ。
尚且つ被害者は身寄りのなさそうな浮浪者。歪みきった青年達にはうってつけの玩具に過ぎなかった。
カチッとライターの蓋を開けて火を灯す。火の光で照らされた青年の顔に男はさらに恐怖した。

「うわ。マジでやるの?」
「は?当たり前だろ?この街の汚物どもは払拭しなくちゃ」
「さすがヨリテル。やっぱ俺らとちげーわ」

ヨリテルと呼ばれた青年は躊躇なくライターの火を男の衣服に近づけ引火させた。恐怖に満ちた叫び声と共に燃え広がって服と皮膚は焼き爛れていった。
男の悲鳴を聞いても壮絶な光景を見ても原因を作った青年達はおもしろそうに笑っているだけだった。
もっと燃えろ、もっと苦しめと青年達は笑い転げた。

「これで一丁あがり♪次の浮浪者排除にいこうぜ」
「早く死ねよな〜」
「まっ!助けを呼んでも俺らまだ未成年だから何やっても許されるから無駄だけど」

火だるまと化した男は必死に青年達に手を伸ばしたが彼等は玩具を遊び飽きたかのように罵倒しながらその場を去っていった。
彼等に罪悪感というものは一切無い。
男の全身の皮膚は完全に焼き爛れてしまった。彼はもう助からないと既に悟っていた。
ただ普通に生きてきただけなのに、他のホームレスの仲間達と面白楽しく生きてきただけなのに何故こんな仕打ちを受けなければいけないのか。あの青年達を野放しにしたらまた被害が増える。このまま死んでしまうのは嫌だとそんな未練ばかりが男の頭を過ぎる。

(なんで……)

どうして自分だけこんな目に遭わなければならないのか。死にたくないという気持ちと青年達への恨みが男の中で入り混じる。
燃え盛る炎に焼かれる暑さと激しい痛みに苛まれながら男は意識を手放しかけた時だった。

「さっきのガキ共の親の方が見てみたいなぁ」

突然、青年達が去って行った方向に向かって彼等を蔑む言葉でぼやく声が聞こえてきた。
その声の主である男の目の前に現れたのは黒いコートを身に付けフードを深く被った初老ぐらいの男だった。
その男はため息を吐きながらゆっくりと屈み、死にゆくホームレスの男にそっと語りかけた。

「可哀想に。ただ自分にとっての幸せな時間を過ごしてきたのにな」
(え……?誰だ…?)
「あんな屑どもの格好の遊び道具にされて。許せないよな。まだ大人じゃないからって調子に乗った馬鹿は粛清しないと。そう思うだろ?」
「……あ、…ぁ…」
「お前が死んだ後もアイツらはお前と同じような境遇の奴を死至らしめるだろう。その前に我々で止めようではないか」
「…ぇ?」
「復讐と抑止。今のお前ならできる。私を信じてくれればな」

フードを被った男は手を差し出した。その男の顔はとても穏やかで"大丈夫。もうあなたを傷つけることはしない。私を信じて欲しい"と言っているように見えた。
ホームレスの男はその表情に嘘偽りはないと感じ取る。
彼はきっと一緒に自分をこうした奴等に罰を与えてくれる。そんな気がしてならなかった。
差し伸べられた手に必死に焼き爛れた手を伸ばす。

「たす…け…て…」
「ああ。助けてやるとも。私を信じろ」

全身を走る痛みを堪えながら差し出された手を握った。それと同時にホームレスの男は安心したかのようにゆっくりを瞼を閉じた。
フードの男はニヤリ笑った。

「後は私に任せろ。お前の怨念はすぐに報われるだろう」

フードの男のもう片方の手に握られていたおどろおどろしいオーラを放つ黒曜石の様な鉱物が不気味に輝いた。

「この瘴気がお前を救ってくれる力だ。受け取るがいい」

まだ炎が残る焼かれた男に黒い鉱物を近づけた。鉱物がズブズブと男の身体に埋め込まれてゆく。
怪しげな鉱物を与えた男はゆっくりと立ち上がり救いを受けた者の行く末を見守った。


「これからだ。ようやく始まるのだ。木原露華。俺を選ばなかった末路がな」


この世への未練と怒りが原動となって漆黒の鉱物の力が身体と思考の形を変えてゆく。男が発した愛憎が込められたその言葉が具現化した証でもあった。
これからどんな惨劇が起こるのだろうと考えると男は思わず笑ってしまった。


「殺せ。お前を見下してきた馬鹿共を。喰らい尽くせ」


巨大な爬虫類に似た化物に変貌したホームレスだった男は人間とは思えない叫び声を上げる。
焼き爛れた肌は白と黒のまだら模様の鱗の肌になっていた。
男が言った救いの力を得た者に怖いものなどなかった。失うものがない無敵の化物になった者に人を恐怖なんてとっくに失せていた。
そんな化け物が現れた平和だった街が鮮血に染まるまでそう時間はかからなかった。





「早く目を覚まして俺を止めてみろ。露華」








鮮血に苛まれてゆく街に希望の閃光を走る二つ星が現れるまでそう時間はかからなかった。その事をまだ愛憎に満ちた男は知る由もない。


どんなに今が暗闇でも必ず光は現れると–––––––
夢の中。思い出したくもない記憶の悪夢。
木原怜はその夢をよく見ては魘される。

「おい。ガイジンもどき」

小学生の頃の怜は同級生の1人に指を刺されながらそう言われた。
中身はれっきとした日本人なのに見た目は父親の遺伝がよく現れた姿。褐色の肌と直毛とは程遠いチリチリの髪、顔も日本人の顔ではない。
その見た目が原因で怜は幼い頃から周りから変な目で見られていた。
それがエスカレートしたのが小学生の時だった。

「汚いからその手で触らないでくれる?」
「黒人のくせに足遅いんだね。ダサ…」
「ゴキブリのくせに学校来るなよ」
「英語が喋れない"ニセモノ"」

浴びせられる罵倒を聞きながら怜は自分の机を見る。机一面に埋め尽くされている嫌な言葉ばかりが並ぶ落書き。
ボロボロに破られた教科書とノート。投げつけられる紙屑と消しゴムのかけら。
幼い怜はそんな仕打ちを静かに泣いて耐えるしかなかった。

(これ以上父さんに迷惑かけられない…大丈夫…僕が我慢すれば…)

全ては病で眠り続けている母親の為。ここで心を折るわけにはいかなかった。それは今でも。









「っ…!!!あー…またかよ…」

中学生の怜はさっきまで見ていた悪夢が原因で自室のベットで目が覚めた。
舌打ちをしながらベットの下に落ちていたペンギンの大福クッションを片手で持ち上げそのまま抱きしめた。

(やっと忘れかけてたのに。なんで変に思い出させるかね…)

大体目覚めたら夢の内容を忘れることが多いがこの悪夢を見る時は必ず覚えていてなかなか忘れられないものだった。
怜は大好きなペンギンのマイクロベルボア素材の大福クッションを抱きしめて夢を忘れようする。

(本当ならペン丸と戯れる夢だったはずなのにな。なぁ〜?ペン丸ぅ)

大福クッションのペンギンのキャラクターペン丸に想いを馳せる怜はゴロリと寝返りを打つ。もう一眠りしようと目を瞑った。
けれど、怜のその考えは突然の訪問者によってすぐに打ち砕かれる。
突然バンっと勢い良く部屋の扉が開いたと思うとドタドタと足音を立てながら怜が寝転がっているベットに近づいてきた。
その影はペン丸の大福クッションを抱き締めていた怜にドンっと飛び乗ってきた。怜に見覚えがある重みがのしかかった。

「にーちゃん!!おはよー!!!」
「うお!萊?!」
「おーきーてー!!!ちこくするよー!!!」
(また萊に頼んだな…)

その正体はニコニコと楽しそうに怜を起こそうとする弟の莱だった。きっと父のルイスか姉の莉奈に頼まれたのだろうと怜は悟る。
怜はペン丸の大福クッションを渡し、莱がベットから落ちないように抱き締めながらゆっくりと起き上がった。
萊の頭を撫でると彼は嬉しそうに笑った。

「おはよう萊。パパとねーちゃんとこ行こうぜ」
「うん。おなかすいたぁ」

萊を抱き上げベッドから立ち上がる。
自分によく似た弟を連れながら部屋を出るとトーストを焼いた香ばしい匂いが漂ってきた。その匂いがする方へ足を進めた。
ふぁっと欠伸をしながらリビングに向かうと既に父親のルイスと姉の梨奈が朝食の準備を終えて2人を待ってくれていた。

「おはよ」
「おはよう怜。よく眠れたかい?」
「……一応」

悪夢のせいで飛び起きたことは父であるルイスには内緒にした。
あまり心配かけたくないのと、過去の出来事が原因なのを言ってしまったら更に悲しませてしまうと思ったからだ。
怜は短くため息をつきながら席に着き、箸を手に取り"いただきます"と呟いた。
机に並べられていた目玉焼きに箸をすすめる。
すると、あっと短く呟き何かを思い出した里奈が怜に話しかけてきた。

「怜。今日アンタの学校に転入生が来るんだってね」
「……なんでねーちゃんが知ってるの?まさか幸人?」
「そう。昨日アンタに聞くの忘れてたから。女の子らしいじゃない?」
「俺のクラスに来ることぐらいしか知らんて。そいつが女の子って話今知ったし。それに転入生とか俺にはクッソどうでもいいわ」
「少しは関心持ちなさいよ。無理にとは言わんけども」
「俺には何も関係ないから関心もクソもない。それより今日の夜アニマルアースチャンネルでやる世界のペンギン大特集の方がすんごい気になる」
「でた…怜のペンギン大好き病…」
「ペンギンは俺の全てだからね。特にペン丸は」

呆れ果てる莉奈を構うことなく怜は豆腐の味噌汁を啜った。莉奈の"そんなんだから女の子寄り付かんのよ"というぼやきは怜には通用しない。

「怜。今日は病院に行く日だよな」
「うん。母さんの見舞いの日。その後幸人と…」
「ダメだ。露香のお見舞いが終わったら真っ直ぐ帰ってきなさい」
「はぁ?なんで?だって今日は幸人と遊ぶから夕飯いいって言ってあったじゃん」
「ニュースを見ろ」

前々から母親の露香の見舞いの後に親友の幸人と遊ぶと約束をしていた怜は苛立った。その事をルイスにしっかりと告げていたのに今日になって突然却下されてしまったからだ。
ルイスにニュースを見る様にと促され怜は不貞腐れながらテレビがある方に目を向けた。
ニュースで流れていたのはある猟奇事件の報道だった。

『シズカラ市清滝区のシズカラふれあい公園近くの雑居ビルで遺体が発見されました。遺体の性別が判明できないほど損傷が激しく身元の特定が…』
「え」
『近くには総合病院と小学校がある場所で…』
(《《今度》》は母さんの病院近く…)
『先日に発生した事件と類似していることから同一犯と見て捜査を…』
(………なるほど。んあ〜…だからかぁ〜…ん〜…俺は大丈夫って言っても聞かないやつだ…)

テレビに映っているのは見覚えがあるビルの裏口。まだ犯人が近くにいるかもしれない、この前も同じ様な事件が起きたばかりで住人の不安がさらに募るとテレビから流れた。
怜達が住むシズカラ市で同様の事件が起き犯人もまだ捕まっていないのも事実だった。
その時も夥しい量の鮮血と僅かな肉片しか残らない壮絶な殺人現場だったと報道されていた。今回もきっとそうだろう。
しかも今回は怜の母が入院している病院の近くで発生したことで怜の約束を聞いていたルイスは気が気でなかった。

「……あ…なるほどね…うん…」
「だから今日は露香のお見舞いが終わったら真っ直ぐ帰っておいで」
「りょーかい」
「あ、パパ!肝心な事言い忘れてる!!」

莉奈のその言葉にルイスはあっ!っとした様子で何かを思い出した。真剣な表情だったルイスの顔が一気に綻んだ。

「怜。あとお前にサプライズがある」
「はぁ?次は何?サプライズ?何?俺の誕生とっくに過ぎてるけど…」
「帰って来てからのお楽しみ」
「おたのしみ〜」

萊が楽しそうにルイスの言葉を真似する。
怜はルイスが言ったサプライズの意味を探ろうとしたがそろそろ登校する時間が迫っていて叶わなかった。

「やば!ごちそうさま!!」

少し慌ててご飯を食べ終えた怜は急いで身支度をした。
その足で浴室の方へ向かい洗面台で歯磨きと顔を洗ってから慌てながら自室で制服に着替えた。
ドタドタと音を立てながら階段を降りる。

「怜。弁当、弁当」
「サンキュッ」

リュックの中にルイスから受け取ったお弁当と今日必要な教材と愛用のヘッドフォンが入っているのを確認してから背中に背負った。

「じゃ行ってきます!!」
「いってらっしゃい。怜」
「にーちゃん頑張ってね〜」
「いってらっしゃいー!!ちゃんと真っ直ぐ帰ってきなさいよ!!!」

大好きな家族の声を背に怜は玄関の扉のドアノブに手をかける。
ふと、さっきルイスと里奈が言っていたサプライズの事を思い出した。

(……結局サプライズってなんだろ?何も聞けなかったな。こえーから父さん達には内緒で寄り道してやろう…うん。それがいい…)

ルイスの言いつけを敢えて破ってやろうと考えながら玄関の扉を開け目の前を見る。するとそこには幼馴染で学級員長の石橋楓がインターホンの前で突っ立ていた。
家から出てきた怜に楓は顔を赤くしながらあたふたしていた。

「え、あ、あの、えっと、えっと…お、おは、おはよう…!!木原くん…!!」
「おはよう石橋さん。どうしたの?俺んちの前で」
「いや、その、あの、た、たまたま、き、き、木原くんの家の前を通ったら出てきたら、い、い、一緒に学校行きたいな…なんて…だ、だって、ほら、最近、事件が起きたばかりだし…その…」

楓は自分が怜の家の前にいた目的を伝えようとするも緊張と恥ずかしさで声が小さくなってしまい彼に伝わる事はなかった。よく聞こえなかった怜は首を傾げた。

「え?」
「あ、いや、な、なんでもないの!!たまたま木原くんちに通りかかったら家から出てきたら挨拶しようとしただけで深い意味はないの!うん!!」
「あ〜そうなんだ。なんかありがとな。ごめん。幸人待たせるから先行くわ」
「え?あ、うん。ごめんなさい。なんか引き止めちゃって…あの…また後でね…」
「うん。また後で学校で」

段々と遠くなってゆく怜の背中を見送りながら控えめに手を振る楓は呆然としていた。

"またダメだった"

楓が怜の家の前に来るのは初めてではない。一緒に登校しようと誘おうとするのも。
けれど、一度も成功したことがない。何故なら大好きな怜の前になるとすぐに緊張で上がってしまうのが原因だからだ。
いつものように心の中で反省する。はぁーっとため息をつく。

(あ〜も〜!!なんでいつもいつもこうなんだろう?!そうじゃなくて一緒に登校しようって言うだけなのに…!!)

気持ちに余裕がある時にしかインターホンを押せない自分に地団駄踏んでいた。
いつも通り怜の背中を見送る。それが勇気が足りない楓の朝だった。
肝心の怜はその事を知らない。楓の気持ちを知らないから尚更。
そんな彼は気持ちを切り替えようとワイヤレスヘッドホンを装着してスマホをタップした。
スマホに映るのは怜が生まれる前の年代に活躍した世界的に有名なイギリスのロックバンドのアルバムのジャケットだった。
お気に入りの曲名をタップし再生させた。
ヘッドホンから音楽が流れる。今回セレクトしたのはロック調のテンションが上がるような楽曲だった。
エレキギターとドラムの激しくも心地よい曲調がさっき見た悪夢を忘れさせてくれる。
今の怜には楓の気持ちに気づく気配はない。

(なんで石橋さんあんなに顔真っ赤に上がってたんだろ?俺何かしたとか?まぁいいか)

楓が怜のことが好きだからだが彼は知ることはいつになるやら。楓が怜とふたりきりで登校できるのもいつになるのか。また遠くなるのか。
けれど怜はそんな事知る由もない。今大事なのは親友の佐々間幸人と合流する事が大事だったからだ。

「怜〜!!!」

音楽を聴く怜の背後から聴き慣れた声がした。
敢えていつもより少し音量を下げていたおかげか激しめの曲調でもその声はしっかりと怜の耳に入ってきた。
右耳のイヤホンを外しそのままズボンのポケットへしまった。
声の主は駆け足で怜に近づき彼の肩に手を回した。

「おはよ!待った?」
「おはよう。幸人。ううん。別に。そんなに待っとらんよ。ちょっと石橋さんと話してたりしてたから」

怜の名を呼んだのは幼馴染の佐々間幸人だった。
幸人は怜が楓と会って話していたことを聞いて思い当たるものがあった。
怜の今の表情を見てなんとなく楓の今の状態を察した。

「え?委員長と?あ、ふーん……なるほど」
「なるほどって?」
「ん〜…まぁ今は深く考えんでいいってことよ」
「え?」
「いいからいいから」
(……別に石橋さんとは何ともないから気にせんでいいのに。なんではぐらかすかね〜?)

怜ははぐらかされたので少し気になったがどうせ教えてくれないことはわかっていた。
幸人が考えているような事は起きてない。楓と同じ気持ちだと勝手に決めつけていた。
何か言いかけた幸人はすぐに話題を切り替えた。

「それよりさぁ〜今日だろ?」
「何が?」
「転入生だよ!俺んちクラスに来るじゃん!!覚えてねーの?!」
「……全くもって興味ないから殆ど覚えてねーわ。新学期早々の転入生ぐらいしか」
「女の子らしいぞ!!しかもすんごい美人の!!」
「くっそどうでもいい。そんな女男どっちでもいい。それに俺とは関わることはないだろうし、どうせあの性悪イケメンの平良に向かうだろ?」

クラスメイトの平良雅紀の顔が頭に思い浮かぶ。
楓と《《一部》》の女子以外は大体彼の甘い美貌に魅入られてしまう。幸人はそれが原因で好きだった女の子に振られていつも泣かされていた。
雅紀の性格を昔から知っていた怜は怒りと哀れみの目で見ていた。
さっき見た夢が少しフラッシュバックする。

(あのバカは奪うことしか脳にない。いずれバチが当たるさ)
「確か平良の隣の席さ空席だったよね…」
「そうだっけ?まぁ俺の隣もそうなんだけど。こっちに来ることはねーだろ?」
「来るかもしんないじゃん!諦めんなって」
「……あんまり幸人以外と関わりたくないだけだよ」

はぁーっとため息をついた怜はズボンのポケットにしまっていた右耳用のイヤホンを取り出し再び装着する。
今の怜には異性には全く興味がなかった。
自分を見守ってくれる家族と自分とは違う明るさを持つ親友の幸人と今聴いている洋楽、そして幼い頃から大好きなペンギンがいれば十分だった。
だから新しく加わる新入生にも興味を示さなかった。
玲は幸人の話を聞きながらイヤホンから流れる曲の音量をほんの少しだけ上げた。



シズカラ中学の2-3の教室。
学校に着いた怜は自分の机に持ってきた教科書を入れリュックを机のフックにかけた。
イヤホンは学校に到着する直前に外しリュックの中においていた。
まだ朝のホームルームが始まる前だからクラスメイト達はそれぞれ友人達と共に談笑したり授業の準備をしていた。
けれど一番話題になっていたのはやはりこれから来る転入生のことで持ちきりだった。怜は相変わらず興味を示さなかった。

(そんなに盛り上がることかねぇ?)

自分達の人生にはほんの少ししか関わらないであろうその人物に無関心のままの怜は一限目の授業の支度を始める。一限目は怜が好きな歴史の授業だった。
歴史の先生がクラスの担任であるということで今日のHRが転入生の登場で長引いて授業が短くならないか少しだけ不安になった。

(嫌な予感しかしねぇでやんの…)

深くため息を吐きながら空席状態の隣の席を見る。
誰も座ることはないであろうそこに来ることはない。来るのはきっと。

(平良の隣)

そう考えていると今一番聞きたくなかった男の声が聞こえてきた。今朝見た悪夢の元凶ともいえる男の声。

「お前の隣に転入生が来るわけねーだろ?《《クロンボ》》が夢なんか見てんな」
「はぁ?」
「俺見たんだよ。さっきすんごい美人の子が職員室に入っていくのを。絶対俺の隣に来る。お前みたいなクロンボ陰キャの隣の席なんて選ぶわけねーもんな」

勝ち誇った顔で平良雅紀は構うことなく差別と侮辱を込めた呼び名で怜を呼ぶ。怜を蔑む言葉と一緒に。
自己中な考えをぶつける雅紀に怜はただただ呆れるしかなかった。相手にするのも面倒くさくあまりのしつこさにもうため息しか出てこなかった。

「……そんな馬鹿みたいな夢見てるのはお前だけだよ」
「あぁ?負け惜しみかよ?」
「なんでそういう考えになるの?俺は転入生が女の子だとか美人だとかクッソどうでもいい。どうせしばらく経てば当たり前になる。今だけ勝手に騒いでればいい。それだけ」
「本当つまんねーな」

雅紀は苛立った鋭い目つきで怜を睨みつける。怜はその目に怯むことなく人を馬鹿にした目で睨み返した。
周りの空気が一気に凍てつき静まり返る。
空気を察した幸人が慌てて怜に駆け寄ろうとする。クラスの代表兼学級員長の楓も慌てて怜を心配しながら2人の間に入ろうとするも正義心よりも恐怖心の方が優って動けずにただただ見守っているしかなかった。

「お、おい、怜」

怜に駆け寄った幸人はすぐに彼が冷静なままだと悟る。今、怒りの感情で何を仕出かすか分からないのは目の前の男だけ。
さっきまで騒がしかった教室内が嘘みたいに静まり返る。
静寂が走る教室のスピーカーから聞き慣れたチャイムの音が空気を読むことなく平然と響き渡った。
ピリピリとした空気には似合わないチャイムの音を聞いて怜は拍子抜けしてしまう。

(俺はこんなガキみたいな奴に泣かされてたのか。あんな悪夢まで見るぐらいに。情けねーったらありゃしない)

怜は願わずとも怒り浸透の雅紀を見て昔の自分を思い出してしまう。
今はこんな風に強く言い返せているが中学に上がる前はその真逆だった。だから尚更怜は自分自身に情けなさを感じていた。
我慢しきれなくなった雅紀が怜の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした時だった。
教室の引き戸が開くのと同時にクラスの担任の三河貴絵のハキハキとした声が一触即発の空気を打ち破った。

「ハイハーイ!!みんな席に着くー!!!朝のHR!!石橋さん。みんなが席に着いたら挨拶お願い!!」
「え?!えっと、あ、あの、はい!!み、皆さん!席についてください!!!」

楓の呼び声と教卓に立った河村を見て怜と雅紀を見ていた生徒達は蜘蛛の子を散らす様に急いで自分達の席に戻ってゆく。
雅紀も怜を睨みつけながら舌打ちを打ち不機嫌そうに自分の席に着いた。
まだ困惑する空気の中、河村の言いつけ通り楓は大声で号令をかけた。

「起立!礼!着席!!」

一通りの号令を終えるとガタガタと椅子を動かす音が教室に響く。怜にとっては一旦雅紀との諍いが終わった合図にも聞こえた。
全員が席に着いたのを確認し点呼を終えた後、遂に怜以外の生徒達が心待ちにしていた転入生の話なった。

「みんなもう知ってると思うけど今日はこのクラスに新しい子。つまり転入生が編入してきます」
「先生!どんな人ですか?!」
「フフ。今呼ぶから待って。どうぞ!入ってきて!!」

河村は引き戸に向かって噂の転入生を呼び寄せた。
その転入生はゆっくりと引き戸を開け新しい教室に足を踏み入れる。
転入生は教卓の隣で立ち止まり生徒達がいる方に身体を向けた。
その姿を見た生徒達は息を呑んだ。皆口々に思い思いの感想を小声で言い合う。

「すっごい美人…」
「本当にこのクラスに来るの…?!」
(確かに美人だけどさ…どうせしばらく経てば慣れるやろ)

怜だけは相変わらずだった。早くこの時間が終わってほしいとさえ思っていた。
慣れればそんな思いも消えてなくなると。
そんなことなんて知る由もない転入生に河村は自己紹介をするように促した。

「自己紹介いいかしら?」
「はい!初めまして!島崎澪です!」

腰まで長い真っ直ぐな綺麗な黒髪で三つ編みのハーフアップを施した髪型、パチリとした瞳、色白の肌を持つ澪という転入生は黒板の方に身体を向けチョークで自分の名前を書いた。
名前を書き終えた澪は再び生徒達の方に身体を向けてにこりと微笑んだ。

「よろしくお願いします!!」

お辞儀をしながら元気よく挨拶をする。
澪のあまりの美しさに怜以外の生徒は圧倒されて言葉がすぐには出てこなかった。特に雅紀は完全に彼女にぞっこんだった。
怜はそんな彼を見てドン引きしていた。同時に話のタネもできた。

(うっわ。平良の目ハートマークになっていやがる。昼になったら幸人に話そ)
「島崎さんはお母様の仕事の関係でシズカラ中学に転入してきました。皆、仲良くしてあげてね!」
「いろいろ迷惑かけちゃうかもしれないですがよろしくお願いします」
「島崎さんも何か分からないことがあったら皆に聞いてね。それじゃ…えっと…島崎さんの席は…平良くんの隣と木原くんの隣が空席なんだけどどっちがいい?」

河村が澪にどっちの席がいいか聞いた途端、その言葉を待ってましたと「先生!!」と雅紀は大声でアピールし始めた。雅紀は初めて会った澪に完全に虜になっていた。
雅紀は怜の席に指を指しながらこちらに来てほしいという気持ちを必死に河村と澪に訴えた。

「俺の席にしてください!!ココの方が黒板も見やすいし!!アイツの隣じゃなくて俺の隣に…!!!」
(おい。良いとこアピールしたいからって俺に指さすな。馬鹿平良)
「わ、わかったから平良君ちょっと落ち着いて……島崎さんどうする?」
「……」

雅紀の必死さに苦笑い気味の河村に再度席の選択を促された澪だがもうとっくにどっちの席にするかは決まっていた。この教室に来る以前から決まっていたといっても過言ではなかった。その答えを言葉ではなく体現で示した。
こっちに来ることはないだろうと頬杖をしながら目線を窓際のほうに向けていた怜に影が覆われた。
ほんの少し暗くなった視界に驚き気配がする方にゆっくりと目を向けた。

「えっ」

彼女の答えは怜の隣の席。
雅紀の必死のアピールは無駄な浪費で終わってしまった。彼と他の生徒達はは澪の選択に唖然としていた。
来る筈ないだろと高を括っていた怜は突然のことで頭が真っ白になっていた。
怜に想いを寄せている楓も気が気でなかった。

「へ?なんでこっち…」
「これからよろしくね!木原くん!!」
「あ、うん?!よろしく?!」

予想外のことでパニック状態の怜の手を握り澪はにこりと笑った。
澪はじっと怜の顔を見てボソリと呟いた。

「………ホント…キレイ…」
「え…」

名残惜しそうに怜の手を放し自分の席に着く。
まだ感触が残る右手に怜はさらに困惑した。さっき微かに聞こえた澪の呟きが恐怖心を付け足した。
そうこうしている内に朝のHRが終わりそのまま楽しみにしていた歴史の授業に突入したが全く身につかなかった。
隣の席に座る澪が気になって仕方がない。それに加えて興味津々の幸人と苛立ちMAXの雅紀と焦る楓の視線が怜にグサグサと刺さり続ける。
一刻も早く昼の時間になって欲しいと願うことしかできなかった。
頭を抱える怜とは対照的に澪は幸せそうでとても上機嫌な様子で授業を受けていた。

(なんでよりによって俺の隣なんだよ…!!!)

澪がボソリと呟いた言葉が更に怜を困惑させる。
彼女はまるで初めて会ったような雰囲気で無かったからだ。まるで何処かであった事があるような。

"ずっと前から貴方を探してた"

そう訴えているかのような目。
今まで感じたことのない不快感に怜は焦りと不安に苛まれた。






ようやく地獄のような午前の授業が終わり昼の長めの休み時間となった。
その知らせを告げるチャイムが鳴り響き、号令が終わると同時に持ってきた弁当を鞄の中から取り出した怜は慌てた様子で幸人の元へ駆け寄った。澪に聞こえないように小声でいつものように屋上に行こうと促した。

「おい!!!行くぞ!」
「島崎さんも誘おうよ~?」
「はぁ?!いい!!呼ばんでいい!!早く!!!!」
「せっかちぃ〜」
「せっかちとかそういう問題じゃないんだよ!!」

ギャーギャー騒ぎながら怜は幸人を引っ張るような形で屋上へ急いだ。
バタバタと教室を後にした怜達を澪はじっと見ていた。
平良を含めた男性生徒や女子生徒達に一緒にお弁当食べようと誘われたが彼女は丁重に断りお弁当を持って怜達の後を追う。
幸人を引きずりながら屋上へ上がりバンっと勢いよく屋上の入り口の扉を開けた。

(鍵かけられればいいのに…)

施錠できないことに落胆するも少しの間でも澪から距離を置けたので少し安堵した。
一息つき、手摺を背にして2人は座り込み持ってきた弁当を広げた。

「いや〜まさか怜の隣の席を選ぶなんてねぇ〜」
「しかもなんか気に入られたくさい」
「あ?やっぱ?」
「……なんか一目で気に入られたっぽい…よく分からんけど…」
「平良の奴、授業中ずっと不機嫌だったな。まぁ委員長もなんだけども」
「え?なんで石橋さんも?」
「あ〜…あのな…そのねぇ〜…ん〜と〜…いろいろあるんだよ。いろいろとね」
「?いろいろ?」
「そう。いろいろあるんだよ」

楓の気持ちを知る由もない怜の答えに幸人は言葉を濁した。よく分かっていない怜は一瞬だけ頭の中にクエスションマークが浮かぶもすぐに別の話題に切り替わってぱっと消えた。

「そういえば島崎さんって人、急に俺の方を見て綺麗とか言ってきてさ」
「綺麗?目の瞳のこと?」
「たぶんそうだろうけど分からん。ボソって聞こえただけだから。その後も妙に俺の方を何度も見てこようとしてたし…」
「確かに怜の目綺麗だもんな。ルイスさんそっくり」
「はぁ〜…やめてくれよ。それであんまいい思い出ない」

幸人に指摘された通り、怜の目の瞳は一般的な日本人のモノと肌同様異なっていた。
日本人特有の茶色の瞳ではなく、父ルイスと同じライトブラウンとダークグリーンの中間色のヘーゼルカラーだった。
とても綺麗な瞳の色だが、その事で揶揄われたり、日本人と信じてもらえなかったりと怜にとっては散々な思い出ばかりであまりいいものではなかった。
周りの冷たい扱いと、母の血が強く引く姉の莉奈に憧れと嫉妬を抱いた苦い思い出がの方が優っていた。

(本当に自分がハーフなのか疑いたくなる。萊の目は母さんの目なのに)

中身は完全に日本人だが外見は父によく似た黒人の青年。
母親と同じ茶色の瞳を受け継いだ莉奈と弟の萊。自分には露香の子である証が身体の中に流れる血しかない。だからそんな疑問が産まれてしまう。

「でも綺麗じゃん」
「良くない。綺麗なだけじゃだめなんだよ。何も母さんと似てる要素ないもん。弄られるし。ねーちゃんと萊が羨ましいよぉ」

どうする事もできない現実にため息をつきながら唐揚げを頬張る。
幸人も怜のコンビニで買ってきたサンドイッチを食べ進める。

「……今日は裏口から帰った方が良さそう」
「平良対策?」
「それもあるし、あの転入生対策だよ。今日は母さんの見舞いに行かなきゃだから早めに出たい」
「俺も途中まで行ってもいい?ほら、おばさんの見舞いの後遊ぶ予定だったじゃん。せめてたい焼き食べてこ?」
「賛成。あの猟奇事件のせいでなくなったし買い食いぐらい許して欲しい」
「よし決まり!これでその後の授業も乗り越えられそう」
(まぁ…なんか胸騒ぎがするし…姉貴達が言ってたサプライズ…嫌な予感しかしねー…)

莉奈達から告げられたサプライズ。
澪がクラスにやってきて怜の隣の席に来た時からなんとなく彼女が関わっているのではないかという疑惑が沸々と湧いていた。
ただの思い過ごしだと考えたいが彼女の行動が更に疑念を深めた。

(大丈夫大丈夫。父さん達はあの転入生のこと今日来ることぐらいしか知らないし。絶対関係ない。焦るな焦るな)

甘めの卵焼きを口に含んだ瞬間、再びバンっと勢いよく屋上入口の扉が開く音がした。
驚いた怜と幸人は慌てて音のした方に首を向ける。

「げっ!!!」

扉を開けた人物は2人を追ってきた澪だった。
怜は思わず持っていた弁当を落としかけるもなんとか持ち堪えた。
怜を見つけた澪はにっこりと嬉しそうな表情で彼らの方へ近づいてきた。

「ここに居たのね。お昼、一緒に食べてもいいかな?」
「あ!!澪ちゃん!!うん!!是非是非!!!」
「はぁ?!やめろっての!!」
「ありがと幸人くん♪それじゃ…」

怜達同様、弁当片手に屋上にやってきた澪は幸人の了承を快く得ることができた。そのおかげで彼女が望んだ怜の隣へと座ることができた。
その様子に怜の食べすすめていた弁当の箸が止まる。ゲンナリとした様子で澪を見る。

「なんでだよ…!」
「ごめんなさい…木原くんともっとお話ししたくって…ダメだった…?」
「え"…」
「れーいー?」

嫌そうな態度をとる怜に澪は涙目でそう訴えてきた。まるで自分が彼女を泣かした悪者だと周囲に伝えさせている雰囲気になってしまった。
焦った怜は親友で味方になってくれるであろう幸人の方は目を向ける。
しかし、幸人は狼狽える怜に"いつまでも拒絶してないでいいから聞いてやれよ"とジト目で睨みつけた。
今の怜に味方はいなかった。澪の涙に全部持ってかれてしまっていた。

(う…うう…)
「ダメなら私教室に帰るね…」
「あ、いや、あーもー!!!わかったわかった!!帰らんでいい!!島崎さんと俺らで一緒に昼飯食おう!!幸人もそれでいいだろ?!!」
「さっすが怜さん♪話がお早い♪」
(腹立つ…!!!)
「ありがと木原くん♪優しいね」
(優しいとかそういう問題じゃないんだが…)

腹を括った怜は渋々承諾し3人でお昼を囲むことになった。
幾ら澪を警戒する怜も流石に涙には敵わなかった。こうするしかなかった、飯食いながら適当に相槌を打てばすぐにこの時間は終わるだろうと怜は自分に言い聞かせた。
早く時間が過ぎてくれと訴えながら唐揚げ弁当をもくもくと口に運ぶ。
そんな怜をよそに幸人は澪に自分が疑問に思っていたことを質問していた。

「澪ちゃんって何処から来たの?」
「東京だよ。いろいろあってしばらくママと一緒に暮らせないの。それでママの知人のお家で居候することになってるのよ」
「いろいろ?」
「うん。ちょっとね…ママも忙しい人だから仕方ないっていうか…もう慣れてるしね」
「へぇ〜澪ちゃんのうちも結構大変なんやな…寂しくないの?」
「平気。ママの知人の人とても優しい人だから」

話が盛り上がっている2人を横目に怜は持ってきたペットボトルのお茶の喉に流し込む。
急いで食べた弁当はもう空っぽでお茶しか残っていなかった。

(なんか食べた気しねーや。やっぱ後で見舞いの前にたい焼き買おう)
「怜は何か澪ちゃんに聞きたい事とかないの?」
「はぁ?……まぁ特にないけど…強いて言うならさっきの事」
「さっきの事?」
「だから俺を見てキレイだって呟いてた事だよ。ボソって言ってたの聞こえたから。空耳だったらごめん」

澪は怜のその問いに一瞬だけキョトンとした表情を浮かべたがすぐに元の笑顔に戻った。まさか聞こえているとは思っていなかったという様子だった。

「聞こえちゃってたんだ」
「まぁな。なんで俺のこと見てキレイだなんて言ったんだって。そんなこと言う人アンタが初めて」
「え!私が初めて?!」
「うん。大体の奴は俺のこと外人と間違えたり、差別用語連発するような奴ばかりだったから…」
「はぁ?!なにそいつら!!許せない!!!どこのどいつ?!教えて!!!」

怜が簡潔に自分の見た目が原因で受けてきたことを話したと途端、突然澪は怒りを爆発させた。怜はもちろん隣にいた幸人も驚きを隠せなかった。
澪が右手に持っていたハムチーズのサンドイッチがぐしゃっと潰れてマヨネーズで汚れてしまったが、怒りに狂った彼女にとってはどうでもよかった。
憤怒する彼女にとって大事なのは怜の今までの待遇だ。自分のことのように許せなかった。

「そ、そんなに怒らんでも…!!慣れてるし…」
「慣れちゃダメ!!こんな事ならもっと早く転校してきたかった!!!木原くんはとても素敵でキレイで完璧なのに!!」
(なんでコイツはそんなに俺のことで怒れるの?!自分のことじゃなくて初対面の俺のことで!!)
(澪ちゃん怒ると怖いタイプの女子や…でもかっけー…)

初めて見る澪の憤怒の姿に幸人は思わず見惚れてしまう。
さっき教室で見た清楚な雰囲気の彼女からは想像がつかない姿に幸人は更に彼女を気に入ってしまった。怜はその真逆で余計に警戒心が強くなった。

(出会ってほんの数時間の俺を見て何を根拠に完璧だと思ったのだろう?何かしたっけ…?)
「木原くん!もし何かあったらすぐに私に言ってね!」
「あの…それ転入したての貴女じゃなくて在校生の俺らが言う台詞では…?」
「澪ちゃんの頼もしさにファンになりそう」
「……それよりさっきの質問なんだけど」

完全に澪のファンになった幸人に怜は呆れた目で見る。
怜は話が逸れて聞けなかった疑問をもう一度澪に投げかけた。初対面の筈なのにまるで会ったことがあるような態度が遠くから感じていたことも加えて。
澪は手に付いてしまっていたマヨネーズを持参したウェットティッシュで拭き取りながら聞き取る。
さっきまでの表情と打って変わって楽しそうに応えた。

「怜の瞳の色が宝石みたいにキラキラしててすごく綺麗だったの。ヘーゼルカラーの素敵な色。もちろん肌の色も全部ね」
「へ、へぇ…」
「あと…私と木原くんは今日が初めてじゃないよ。前にも会ってる」
「え?は?一回会ってる?嘘だ」
「覚えてないのは仕方ないと思う。だって木原くんは…」

澪がそう言いかけた途端、昼休憩を終えるチャイムの音が響き渡った。
澪は"教室に戻らなきゃ。放課後話しましょ!"と言って話を切り上げた。怜は突然の澪の発言に呆然とするしかなかった。
片付けを終えていた澪は"先に戻ってるね"と一足先に屋上を後にし教室へ戻っていった。
残された2人も片付けを急いで済ませ屋上を後にした。

「澪ちゃんに会ったことあるの?」
「はぁ?!んなわけねーだろ?!全然知らないし!」
「でも澪ちゃんが怜と会ったことあるって…」
「誰かと勘違いしてるんだ。あんな奴知らない。今日が初めてだよ。綺麗だとか言ってるのもそいつと間違えてるだけ」
「そうかな?」
「そうだよ。それより急ごう。授業始まる」

何度記憶を思い返しても澪にあった覚えはない。どうして彼女が突然そんなことを言い出したのか困惑する。
幸人には人違いだと言っていた怜だが、彼女の口ぶりからしてそれは見当違いだとなんとなく気づいていた。

母親の仕事の関係で来たのは間違いないが、違う目的があって自分の目の前に現れた。

それが怜が澪から感じ取った疑念。
変に怜に関わろうとする行動と態度と言動が更にこの疑念を深めた。
きっとろくでもないことが起きる。怜はそう思えて仕方がなかった。

(これ以上あんまり島崎澪とは関わりたくない。最低限の会話ぐらいで済ませた方が無難な気がする)

初めて会ったのに今まで受けてきた冷遇を自分のことのように怒ってくれた彼女から感じる奇妙さ。
本来の目的があるとしたらそれが何なのか分からないまま怜は幸人と共に教室へ急いだ。
午後の授業と帰りのHRも終えてしばらく経った後の教室。
担任の河村から部活の事で話があるからと職員室は来るようにと呼び出されていた澪は慌てて教室に戻ってきた。
キョロキョロを周りを見渡す。

「あれ?木原くんは?」

澪はさっきまで隣に居た例を探していたが何処にも見当たらない。仕方なく近くにいた楓に問いただしてみた。
楓は大好きな怜の隣の席を取られたことで芽生えた嫉妬で不機嫌気味に澪を睨みつけた。

「……今日はお母様の見舞いの日だからもう帰ったよ」
「あ、そうなんだ。な〜んだ…実は木原くんと同じ帰り道だから一緒帰りたかったけどしょーがないわね」
「え?は?待って?一緒の帰り道って…」
「道に迷ったら莉奈さんに連絡すればいいか。今日は1人で帰ります。それじゃ石橋さん!また明日!」
「待って!なんで木原くんのお姉さんの名前…!!ちょっと!!島崎さん?!」

楓のヒステリックな叫びを背に澪は教室を飛び出し下駄箱の方へと急いだ。
悲鳴にも似た楓の問いかけに澪は敢えて応えなかった。今話してしまえばややこしい事になると予想していたからだ。
そんな事よりもはやり転入初日に怜と下校できないという悲しい事実が今の澪にとって重大だった。

(先生の呼び出しがなかったら怜と帰れたかもしれないのに……それに露華さんにもご挨拶できたかもしれないのになぁ…)

はぁ〜っと深くため息をついた澪はすぐには立ち直れそうにない。怜が自分を警戒しているというのもさらに追い打ちをかける。

(だめだめ!!今日が初日なんだから仕方ない!!じっくり少しずつ距離を詰めればいいのよ!!……でも、ずっとこのままだったら…いやいや…!!)

浮き沈みが激しい考えが澪の頭の中を駆け巡っている時だった。
突然、背後からガシッと右腕を掴まれた。驚いた澪は考えていた頭の中が一気に真っ白になったと同時に足を止めた。
掴まれた方を見るとそこにいたのは朝のHRで怜と席のことで争っていた雅紀だった。彼の取り巻きの林田と浦川が澪が逃げられないように周りを囲む。
掴まれた所に力がこもり澪の顔が少し歪んだ。

「島崎さん!俺と帰りませんか?!」
「えっと…あの…1人で帰れるから大丈夫。それと痛いから離してくれない?」
「でも、今日こっち来たばかりでしょ?!1人じゃ危険ですよ!!ほら!!ニュースでやってた猟奇事件のことも心配だし…」
「大丈夫。すぐ家近くだから。あの、お願いだから離して。本当に」
「嫌だ!!!島崎さんが"はい"って言ってくれるまで離さない!!」
(はぁ〜〜?!)

雅紀の一方的過ぎる要求に澪はただただ呆れるしかなかった。
掴まれた腕を必死に振り解こうとするも掴む力が更に増してしまい難しいものとなってしまった。
雅紀の取り巻き達も「すんません。雅紀さん一度決めたら曲げない人で」「一緒に帰ってあげてくださいよ」と彼の顔色を伺うだけで困っている澪を助けようとはしなかった。
澪は《はぁー》っと怒りと呆れが混じった深いため息をつく。

「それに、俺はやっぱり島崎さんがあんな奴の席の隣なんて納得できねーよ。本当は島崎さんも嫌だったろ?今から先生のところへ…」
「行きません」
「え?」
「席も変えるつもりもないし、貴方とも帰らない。それは明日もこれからも。こんな風に人の邪魔をするような人私嫌い」
「え……んえ……?」

澪の口から出た《《嫌い》》という言葉に雅紀は凍りつく。その反動で力が弱まりようやく雅紀から腕を振り払うことができた。
痛む右腕を摩りながら呆然と立ち尽くす雅紀に澪は憎悪を込めた笑顔を振り撒いた。

「それじゃ平良さん。また明日」
「あの……」
「た、平良さん…」
「しっかりしてくださいよぉ〜」

ショックで固まる雅紀に林田と浦川は必死に彼に呼びかけるも全く効果がなかった。
澪はその声を聞きながら再び下駄箱へと足を進める。

(よりにもよって平良雅紀に絡まれるなんて。今後も要注意ね…。まぁ、私には怜がいる!!それだけで大丈夫だし最高よ!!)

さっきまで起きていた出来事を忘れる様に澪は大好きな怜のことを想い浮かべる。明日こそ彼と下校すると心に決めて。
下駄箱で上靴からローファーに履き替えた颯爽と学校を飛び出す。

ずっと思っていた人と傍にいられる。澪にとっての運命の人と。

澪はニヤつきそうな顔を必死に抑えながらこれから自分の棲家になる所へと急いだ。



1人で学校から帰ってきていた澪の居候先の家。
そこに住んでいる高校生の少女が学校から帰ってきた澪を快く迎え入れる。
これから住むその家の暖かい雰囲気が澪の中にあった不安が一気に払拭された。

「いらっしゃい澪ちゃん!!あとおかえりなさい!!初シズカラ中はどうだった?」
「これからよろしくお願いします!!あと、ただいま!とても楽しくてこれから通うのが楽しみです♪怜くんともたくさん話せました!」
「それは良かった。アイツあんまり人と話そうとしないから…。あーそうそう。2階の澪ちゃんの部屋作ってあるから自由に使って」
「ありがとうございます。これから大事に使わせて頂きますね!」

澪は少女にお礼をすると嬉しそうに階段を駆け上がった。
自室に向かおうとした澪はピタッと怜の部屋の前で立ち止まった。一瞬躊躇ったがキョロキョロと周りを見渡し注意して恐る恐るドアノブに手をかける。

(勝手に入っちゃいけない。分かってるけど…分かってるけど…)

ドキドキする心臓の音がいつもより響く。その音を聞きながらガチャっとドアノブを回した。
ドアを開けた先には澪が思い描いていた通りの光景が広がっていた。
澪は目を輝かせながら部屋を見渡した。

「わぁ〜…!!!」

ペンギンのぬいぐるみとクッション、ペンギンキャラのペン丸のフィギュアと異様さを放つ70〜80年代に活躍した世界的有名なロックバンドのポスター。
カーテンとベッドカバーとピローカバーはペンギンを模した紺色。
ほぼペンギンに埋め尽くされた部屋に澪は心踊らされていた。

(怜のベッド、怜のペンギングッズ、怜の机…!!!うふ、うふふふふ…♪)
「うふふふ…」

心の中で呟いていた声が表に出てしまった。けれど今の澪にはそんな事なんの問題でもなかった。
大好きな人の匂いと生活感が充満する部屋に居れることで澪は幸せを感じていた。
変に顔がにやけてしまう。心臓の鼓動がドキドキと嬉しそうに響く。
澪は飛び込む様にベッドに寝転がりペンギンのクッションを抱きしめた。それも力強くギュっと抱きしめる。ペンギンのクッションから小さな悲鳴が聞こえてきそうな程。
悶絶してベッドでゴロゴロと激しめに寝返りをうつ。

(本当に私今日から此処で居候するんだよね?!!やば!!どうしよう明日死ぬのでは…?いやいやいやいや!!!死んでられない!!!だって…)

母親の仕事の都合という理由だけでこの静紫市に来た訳ではない。彼女にはもっと大事な目的があった。
その為に静紫市に引っ越してきた。そして、この家にやって来た。《《怜に会い、彼に関わる本来の目的を告げる為に。》》

(でも、今だけは…怜が戻ってくるまでは…ん…?なんか眠い…とても幸せな感覚がぁ…)

引っ越しと初めてシズムラ中にやって来た疲れがどっと睡魔となって澪を眠りに誘い始める。瞼が重くなり目を開けているのが難しくなってきた。

(どうしよう…怜が帰ってくるかもしれないのに…まぁいいか…)

必死に起きあがろうとするも睡魔には勝てなかった。澪はそのままスヤァっと怜のベッドで眠りについてしまう。



「はぁ?!!!!なんで?!!!!」



怜の悲鳴を数時間後に聞くことを知らずに澪はぐっすりと彼のベッドで眠りについた。






シズカラ総合病院の入り口前。
一足先に下校していた怜は幸人共に母露華の見舞いへと訪れていた。
露華の容態の関係と病院の意向で親族以外の面会は許されていなかった為、付き添いの幸人は外で待つことになった。

「それじゃ俺外で待ってるわ」
「ごめん幸人。ちょっと顔見せてくるだけからすぐ戻るよ」
「なーに言ったんだよ。俺のことなんか気にしないでちゃんとおばさんと話してきな。大丈夫。《《無駄》》なんかじゃないさ」
「…ありがと。後でたい焼き奢るわ。それじゃ行ってくる」
「うん。ゆっくり行ってこいよ」

どんなに大切な人が長い間眠っていたとしても必ず声は届く。幸人は声をかけることは無駄ではないと怜を勇気付けた。
怜の弟萊を身籠ったまま大病が原因で長い眠りについた。お腹の中にいた萊がすっかり大きくなっていることも姉の莉奈と怜が大人へと少しずつ近づいていることも知らない。
もし目覚めたら沢山話したい。萊を抱きしめて欲しい。まだまだやりたい事がある。

(父さんも諦めてない。必ず目覚める)

建物に入ると、周りには看護師に付き添ってもらう老人や、怜と同様に見舞いに来た人、冷却シートを額に貼って母親と順番を待つ子供、病院特有の光景が広がっていた。
ロビーで受付を済ませ、露華がいる部屋の階にエレベーターで向かう。
広めのエレベーターはゆっくりと上へと進む。

(母さん。今日元気かな?)

そう思っていると機械的な声で"5階です"とアナウンス音が流れエレベーターが停止し扉がゆっくりと開く。
少しだけ院内で聞こえる騒がしさが怜の緊張をほぐしてくれた。
《木原 露華》と書かれた名札が付いた部屋の前で立ち止まり引き戸の取手を掴みそっと開けた。

「母さん。来たよ」

怜はいろんな管に繋がれたままベッドの上で眠り続ける母親に来た事を告げた。当然何も応えは返ってこない。
それでもまだ生きていることの方が怜達家族には重要だった。

「今日は顔色いいね。この前来た時はあんまりだったから。あ、コレ、萊が母さんにだって。壁に貼っておくね」

怜が鞄の中から取り出したのは萊が前日の夜に描いた露華の似顔絵だった。クレヨンで描かれたその似顔絵はとても優しげな笑顔の《《想像の母親》》。
写真と動画の中でしか知らない母親の姿を萊は会いたいという気持ちを込めて描いていた。
怜の視界が少しだけ涙で歪む。ぐいっと乱暴に涙を拭い似顔絵を壁に貼り付けた。
壁には既に数枚の写真と萊が描いた絵が貼られていた。露華の目覚めの為にまた増えてゆく。

「今日さ、俺のクラスに転入生が来たんだ。なんかすごく変わった子。急に俺の顔見て“キレイ”だって。初めてだよ。そんなこと言うヤツ」

返ってくるのは規則正しく鳴る心電図の音と人工呼吸器の音と時計の音だけ。
もう慣れてしまった。けれど、心の何処かで言葉が返ってくるのではないかとつい思ってしまう。
眠り続ける母親の手はほんのりと暖かくまだ生きているのだと希望が奮い起こされる。

「最近、病院の近くで事件があったみたいでさ、もしかしたらこっちに来れるの少し減るかも。でも、何があってもちゃんと母さんに会いに行くから。父さん達もきっと大丈夫」

チラッと壁掛けの時計を見て此処を出なければいけない時間だと知る。今回はいつもよりも短い母親との面会だった。怜は名残惜しそうに露華の手をもう一度手を握った後そっと離した。

「ごめん。下で幸人を待たせてるからそろそろ行くね。また来るから…」

暖かな感触を残したまま怜は帰り支度を終え入ってきた扉の方へ向かう。
部屋を出る前にもう一度露華が眠るベッドに身体を向けた。やはり帰る時は何度訪れてもどうしても慣れない。別れが浅い気持ちはどうしても。

「またね。母さん」

眠り続ける露華にまた来ると約束をして怜は部屋を後にした。
来た道を戻り、外で待つ幸人の元へ足を進めた。
乗り込んだエレベーターの中でふと考え事をする。

(今日の母さん顔色が良かったな。ちょっと安心した。次来る時もそうだといいけど…)

もし、次来た時に目を覚ましていたらなんて考えてしまう。その願いが叶うのはあまりにも低い。
僅かな希望を胸に怜は外で待っていた幸人と再会した。

「おかえり。おばさんどうだった?」
「ん〜?前来た時よりは良いかな。後、ちょっと今日のこと愚痴ってきた」
「澪ちゃんのこと?良い子じゃん」
「どこが?ただの俺に関心持ち過ぎてる変人だろ?それとその澪ちゃんって呼ぶのよせよ…」
「え。やだ。澪ちゃんもそう呼んでって言ってくれてるし」
(コイツ…)
「それより《《瀧本先輩》》のとこ行こう?早くプレミアムカスタードクリームたい焼き食いたい」
(こ、コイツ…俺の奢りだからって高ぇーヤツ頼もうとしてやがる…!!!)

怜に大好きなたい焼きを奢ってもらえる嬉しさでルンルンな幸人を見てさっきまで沈んでいた気持ちが一気に吹き飛んだ。しかも、いつも買っている普通のカスタードクリームではなくプレミアムの方を頼むと宣言されてしまったからもう反論できない。
露華との面会の間、ずっと外で待たせてしまった負い目もあってそれ以上何も言えないものあった。
2人は病院を後にし、ここから少し離れた新シズムラ駅近くの同じシズムラ中学の卒業生が営むたい焼き屋タキモトへ向かう。
怜はさっきまでマナーモードにしていたスマホを見て通知を確認すると、天気とゲームの通知と姉の莉奈から3件のメッセージが届いているという通知が届いていた。

(ねーちゃんからだ。なんだろ?)

パスワードをタップしロック解除をしてメッセージの内容を確認する。
題名には《おつかいたのむ!!》と書いてあった。

その中身は《ごめん!!お願いがあるんだけど、お母さんの病院の帰りにたい焼き屋タキモトで予約してある商品を受け取って欲しい!!(>人<;)》という顔文字付きのお使いメッセージだった。
怜はそれを見てため息をついた。結局、自分はたい焼きを食べれずじまいだと知ってしまったからだ。

「おう…今食ったらやべーな…はぁー…」
「怜?どうした?」
「なんでもない。ちゃんと奢るから安心してくれ」
「?」
(まさか、父さん達が言ってたサプライズが関わってたりしてないだろうな?なんかまた不安になってきた)

朝、ルイス達が言っていたサプライズの不安が再び押し寄せる。しかも今回は朝の時とはまた違う不安だ。学校で感じた事。
それは、転入生の島崎澪が関わっているんじゃないかという不安。
ニュースでやっていた猟奇事件さえなければ幸人と一緒に遊べるしバックレたのにという思いもぶり返した。

(犯人…ゆるせぬ…)
「あ、あの怜?大丈夫?なんか怖いよ?」
「うん。大丈夫。なんも気にせんでいいから早く行こう?フフ…」
(こえーよ…)

怜から醸し出される負の感情が幸人を変にビビらせた。
そんな2人を1匹の大きな影が電柱の上でジッと睨みつける。人間とは程遠い爬虫類の様な身体。誰にも見えない様に身体を透明と化している。



《ダめ、だ、ァ…もう…ご、ろ"じ……た…ク…》

『うまソ…はや、ク…殺し、た…イ…』



その怪物は《《なにか》》と葛藤しながら逃げる様にその場を立ち去った。

(ん?今何か聞こえた気がしたけど…気のせいか?)

怜は何かを感じ、怪物がいた方に目を向けるが何もいなかった。自分でもどうしてこっちの方向を見たのか分からなかった。
まぁいいかとすぐにそのことを忘れてたい焼き屋タキモトへと向かった。





「怜。コレ、ルイスさんから頼まれたやつ。こし餡&カスタード食べ比べセットね。代金はもう貰ってあるから」
「ありがとうございます」
「それと幸人にはプレミアムカスタードクリームたい焼き。380円」
「ありがとうございます〜♪千秋先輩♪」

駅近のたい焼き屋タキモトで莉奈からのおつかいで頼まれた物を受け取った。手提げの紙袋に入っている白い箱の中には、こし餡5個、カスタードクリーム5個入った店の定番の食べ比べセットだった。
幸人は宣言通り380円のプレミアムカスタードクリームたい焼きを頼み怜に奢ってもらった。

「今日はサンキューな怜♪やっぱ奢ってもらったプレミアムカスタードクリームたい焼きうめーわw」
「腹立つ。おめー次は俺に奢れよたい焼きィ!」
「それは俺が何か怜に頼み事をしてからだな」
「コイツ…!」

口元にカスタードクリームを付けたまま美味しそうにたい焼きを頬張る幸人に怜は悔しさを滲ませていた。
"まぁ、家に帰ったら2種類も食べれるからおあいこだ"と考えてなんとか怒りを抑えた。
たい焼きを食す幸人を見る度にお腹がすいてしまう怜は帰宅したい気持ちが優ってきたがサプライズという言葉が邪魔をする。

(よくよく考えたら頼んでくれた食べ比べセットぜってー2匹余るんだよなぁ…いつもはセットじゃなくて単品で頼むのに。まさか…サプライズ…)
「おーい?大丈夫かー?」
「え?あ、ごめん。いろいろ思う事が…」
「今日の怜は考え事ばかりやんけ。大丈夫!何かあったら俺に頼めっていつも言ってるだろ?」

口元をカスタードクリームを付けたままポンっと誇らしげに胸を叩く幸人に怜は呆れつつも彼のその姿勢のおかげで気持ちが少しだけ和らいだ。
けれど、そんな彼にいつも助けられたから今の自分はここにいるのだ実感する。

「クリーム口付いてる奴が言うからあんま説得力ねーな」
「え?マジ?はずっ」
「でも、ありがと。もし何かあったらすぐに連絡するよ」

怜に指摘されてようやく口元の状況に気が付いた幸人は慌ててクリームを指で拭う。
すると、怜のスマホからメッセージが届いたという通知音が響く。後ろのスラックスのポケットからスマホを取り出しメッセージを見ると父ルイスからの"お見舞い終わったら早く帰っておいで"という内容だった。

「ごめん幸人。そろそろ帰らないとまずい」
「あ!待って!あと一口だから!」

幸人は尻尾の部分だけとなったたい焼きを一口で食べきり急いでリュックを背負った。口をもぐもぐさせながら"おまたせ!行こう!!"と怜に合図しそれぞれの家へと出発した。


帰宅の途につく最中、いつも別れるところの道を歩いている時に怜はさっき聞こえたあの不気味な声を思い出し隣を歩く幸人にも聞こえたかどうか尋ねてみた。

「変な声?何それ?そんなの聞こえなかったけど」
「え…じゃあ俺の空耳かな」
「まぁ〜病院の近くの公園、よくホームレスのおっちゃんとか変なヤンキーおるから聞こえてもおかしくないけど」
(……そう思いたいけど何か違う気がする)

問いの答えは予想していた通りだったが、幸人が提示した原因の元にどうも納得がいかなかった。
ニュースでも連日やっている猟奇事件。しかも、事件が起きた現場の近くで聞こえた声。

(あの転入生といい、事件といい、最近おかしい事が起き過ぎやろ)
「おかん達の言う通り、今はあんま外に出ない方がいいかもね。まだ殺人事件も解決してないし。こうやって放課後にたい焼き食って明るい内に帰るのが無難かも」
「そうかもな」
「澪ちゃん大丈夫かな?1人で帰れたかな?怜と帰りたがってたかも?」
「幼稚園児じゃねーんだから平気だろ。アイツなら尚更。つーか、委員長の石橋さん辺りが同行するだろ?」
「どーかな?明日は澪ちゃんと帰ってやりなよ。な?」
「はぁ?!やだよ!」
「ぜってー明日の怜は澪ちゃんの帰る。予言しとく。じゃ!俺こっちだから!」
「あ!待て!!幸人テメー勝手に予言すな!!逃げんな!!」
「じゃあの〜」

明日の怜の様子を予言した幸人は逃げる様に自宅がある道を走り抜けていった。
追いかけてやろうかと考えたが、今日はたい焼きが入った袋を持っていら為、怜は悔しそうに彼の背中を見守るしかなかった。
ポツンと1人になってしまった怜も深いため息をついた後、のそのそと再び自分の家へと足を進めた。
何か気分転換に曲でも聞こうかと思ってスマホを取り出し選曲するがピンとくるものがなかなか見つからない。
そうこうしている内に家の前まで来てしまった。

(今日はロクな日じゃねーな)

スマホをスラックスの後ろのポケットにしまい家の扉を気怠そうに開けた。怜はボソリと"ただいま"と呟いた。少し遠くの方から"おかえりー"と明るい声が帰ってきた。
靴を脱ぎ、そのまま声がした方へ向かう。玄関には見覚えのない靴があったのだが疲れ果てた怜は気に留めなかった。
それよりも早く手に持っているたい焼きを莉奈に託して自室で休みたいという気持ちの方が優っていて他のことなどどうでもよかった。
キッチンに向かうと先に帰宅していた莉奈が夕食の準備を始めていた。

「ねーちゃんただいま。はい。頼まれモノ。ここ置いとくから」
「おかえり怜。おーサンキュー」
「あとで手伝うから少しだけ休ませて。眠い」

怜は眠そうにあくびをする。その様子を見た莉奈は可愛い表情を見せた怜にクスっと笑った。あまり無理させないようにしようと怜の要求を快く承諾した。

「いいよいいよ。今日はそんなに大変じゃないから。それより、今日病院行ったんでしょ?お母さんどうだった?元気そうだった?」
「うん。この前よりは顔色良かったよ。こっちも安心した」
「そっか。あたしは明日行くから少し帰りが遅くなるかも」
「りょーかい。なんか今日はいろいろ疲れた」
「お夕飯になったら呼ぶからね」

眠そうにキッチンを後にする怜にまだ告げなかった。《《サプライズの正体》》がこの家の中に居ることを。
何も知らない怜は、たい焼きをキッチンのカウンターテーブルに置き、そのまま浴室のへ向かい洗面台で手洗いとうがいを終えて自室に急ぐ。
のっそりと階段を上がり、自室のドアを開ける。
自志うに入り、背負っていたリュックを勉強机の椅子に置き、着替えは後にしてさて寝ようといざベッドに飛び込もうとした時だった。

「ん…?」

いつもベッドに置いてある筈のペン丸大福クッションが転がり落ちている。
しかも、整えられていた筈のベッドが何故か変に盛り上がっている。まるで、《《誰か》》が眠っているとでも言いたげに。
今、家の中には自分と姉の莉奈しかいない筈。父と弟はまだ外。
ならばそこで眠っているのは…?さっきまであった眠気が恐怖で一気に吹き飛んだ。
なんとなくだが寝息も聞こえた気もする。
怜は転がっていたクッションを武器として左手で持ち、もう片方の手にはスマホを構えゆっくりとベッドに近づいた。
ドキドキと心臓の鼓動が激しくなる。
恐る恐る掛け布団を掴み、一呼吸し“もし、自分に何かあったら大声で叫べばなんとかなる!!どうにでもなれ!!”っと決意を固めバっと捲り上げた。

「え?!!!」

掛け布団を勢いよく捲り上げ侵入者の正体を目撃した。ここに居ない筈の転入生島崎澪がそこに眠っていた。
驚きのあまり武器として持っていた大福クッションをするりと手放してしまった。

「はぁ?!!!!なんで?!!!!」

怜の叫びで覚醒したのか澪の身体が小さくビクッと反応した。ん~っと眠そうに声を上げながらゆっくりと起き上がる。
眠気まなこの目を擦りつつ怜の方に顔を向ける。澪の目に飛び込んできたのは驚愕と困惑が入り混じる表情の怜だった。
一気に澪の頭が冴えてゆく。怜とは違う嬉しさ寄りの驚愕の表情を浮かべた。

「れい…?え?!怜?!いつ帰ってきたの?!」
「い、いやいやいやいや!そんなことどーでもいいんだよ!!なんで俺のベッドで寝てんだ?!」
「なんでって…、ちょっとお部屋を見せてもらって、ついベッドに寝転がったら眠気が襲ってきて…そうしたら寝ちゃってたわけ」
「いや、それも意味わからんし、なんでアンタが俺の家に居座ってるんだよ?!」
「あれ?まだ聞いてなかったの?私、今日からここに住むの。居候ってやつ」
「はぁ?!!居候って…まさか…」

ようやくサプライズの正体に気が付いた怜は急いでキッチンにいる莉奈に真相と問い質しに向かう。
家族から伝えられてた謎のサプライズ、何故か怜に興味を持つ転入生、何となく予想はしていたが考え過ぎだと消えてはまた現れる不安、その全てが的中してしまった。

「ねーちゃん!!まさかサプライズって!!」
「やっと気づいた。そうだよ。アンタの学校に転入生してきた澪ちゃんの事」
「なんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!!」
「言ってたらアンタ嫌がるでしょ!お父さんと相談して決まった事だから。澪ちゃんも今日から家族の一員なんだから大切にしなさいね」
「いきなりそんな事言われても困る!しかも勝手に俺のベッドで寝てたし!」
「許してあげて。今日が初登校だったんだから。明日のお夕飯、アンタが好きな茶碗蒸し出してあげるから機嫌直して。現実を受け入れて」
「そういう問題じゃない!!」

トントンっと澪が階段から降りてきた。怜のベッドで寝たお陰で疲れが消えて元気になっていた。
取り乱す怜を余所に澪は莉奈に手伝いますよと申し出た。

「ありがと澪ちゃん。それじゃちらし寿司盛りつけちゃってくれる?エプロンそこの棚に入ってるから」
「はい♪」
「え、いや、待って、溶け込むの早…」
「はいはい。騒いでないでアンタもお夕飯の支度手伝って」

莉奈にぐいっと5人分の皿を押し付けられてこれ以上何も言えなくなってしまった。
まさか、あの転入生が莉奈のエプロンを使って彼女と共に料理をしている光景を見るなんて夢にも思っていなかった。
怜は早く幸人に愚痴りたいと思いながら渋々押し付けられたお皿を並べた。

(あの余分なたい焼きの2匹分は島崎澪のってことかよ…本当今日はロクな日じゃねーわ!!)

露華の見舞いに行ったこと以外、その日の怜にとってプラスになることは無かった。
突然現れたかと思ったら、予想外の展開で自分の隣の席に座り、自分を見て"キレイ"だと言われて、会ったのは今日が初めてではない宣言と、何故か過去の事を話したら自分のことの様に怒った不思議な少女。
そして極め付けに、初めて来る家のベッドで、しかも《《ほぼ見ず知らず》》の男のベッドでぐっすりと爆睡していた澪に怜は改めて愕然し先が思いやられるのであった。





しばらく経ってからルイスと共に萊も帰宅した。
殆ど支度は莉奈と澪のお陰で終えていた為、身支度を終えた後夕食兼澪の歓迎会が始まった。
怜以外の家族全員は澪を歓迎するムードだった。
紺色のジャージと灰色の短いズボンに着替えた怜はポケットに其の場凌ぎ用のスマホとワイヤレスイヤホンがあるか手で確認する。

(やらかした…まさかの色がペアルックス状態…)

澪も制服から怜と同じ紺色を基調にした私服に着替えた緊張気味に自己紹介を始めた。

「もう知ってると思うけど、今日からウチで居候することになった澪ちゃん。仲良くしてあげて」
「えっと…島崎澪です。ルイスさんがママの知り合いだっていう事で私の居候先を快く引き受けてくれてとても感謝しています。これからよろしくお願いします!」
「澪おねーちゃんよろしねー!」
「よろしくね!澪ちゃん!」
「……」
「怜」

現実を受け入れきれていない怜は何も言いたく無かったがルイスに指摘されてしまう。
はぁーっと大きくため息をつき重い口を開いた。

「…どーもよろしく」
「よろしくね"怜くん"♪」
(はぁ…?コイツ…)

すぐに家族に溶け込んだ澪は尽かさず怜のことを下の名前で呼ぶようになった。怜は呆れて何も言えずもう一度ため息をつくしかなかった。
しかも、学校の時と同様に食卓の席も隣同士になり澪は上機嫌だったが怜はその逆。
弟の萊の隣がよかったが、今ここでそれを言ったら"澪ちゃんが可哀想だろう"と指摘されしまうと予想していたのですぐに諦めた。
ある程度の自己紹介を終えたと同時にそれぞれいただきます号令をし食事が始まった。
怜は気怠そうに目の前の蒸し鶏を自分の皿にのせる。

「怜。澪ちゃんの分も頼む」
「…はいよ(自分でやらせろよ…)」
「いえいえ〜お構いなく〜」
「(マジで何なのこの女)島崎さん。お皿貸して」
「そんな澪でいいのに」
「まだそんなに親しくないから今のところは苗字で呼びますね。はい。コレくらいでいい?」

蒸し鶏と付け合わせのレタスが盛られた皿を澪に渡す。皿を受け取った澪はなかなか下の名前で呼んでくれない怜の言葉に少ししょげていたが全く諦めていなかった。
怜も自分の皿に同じ様に盛ってから椅子に座りもそもそと食べ始めた。

(まさか夕飯も一緒なんて…)
「澪ちゃんは東京から来たんでしょ?やっぱりこことはだいぶ違うでしょ?」
「そうですね…」

黙って食事を続ける怜の横で、新参者の澪は家族と話を弾ませる。その姿は心の底から楽しそうだった。
蚊帳の外状態の怜はズボンのポケットからワイヤレスイヤホンを取り出そうとしたがルイスか莉奈に見つかったらまた面倒なことになるなと頭がよぎり思い留まった。
このまま黙っているわけにもいかないので怜は1番腹が立っていた事をルイスにぶつけた。

「父さんあのさ、なんで今日のこと黙ってたわけ?島崎さんがウチで居候することをサプライズにしたことをよ」
「驚かせようと思って。まさか自分の学校に転入してきた子がウチにいるなんで驚くだろ?」
「いいよそんなサプライズ。教えておいてくれよ…。萊も知ってたわけ?」
「うん!!知ってたぁ!!」
(く…知らなかったのは俺だけってことかよ…)

お茶碗にちらし寿司をよそいながらサプライズを内容を家族の中で自分しか知らなかったことにもう呆れを越していた。
そして、変にチラチラとこちらを見てくる澪からの視線が痛かった。

(とっとと食べて部屋戻ろう…んで、幸人に今起きた事を全部話そう…明日の学校まで待てん…)
「私、怜くんの学校に転入できてとても嬉しかったです。先生もクラスの人も親切だし」
「つか、島崎さんはお母さんの仕事の関係でこっちに越してきたんだろ?肝心のお母さんとなんで一緒じゃないんだよ?」
「特殊な仕事をしてる人だからすぐにどこかに行っちゃうし、一つの場所に留まってられないの。いつも一人にさせてしまうし、一人だと何かと心配だからってことで、しばらくルイスさんの所で居候させた方が安全だってことになったの」
「澪ちゃんのお母さんの崋山さんとよーく話し合って、年の近い莉奈と怜がいるから大丈夫だろうってことでこうゆう形になったんだ」
「ふぅん…」

ますます謎が深まるだけで納得はしなかった。居候という形ではなく、寮に入った方が良いのではないかと考えてしまう。
けれど、自分の知らないところで話を勝手に進めないで欲しいという思いの方が1番強かった。

(とっとと食って部屋戻ろう…たい焼きは部屋で食うって押し切ろう…んで、幸人に愚痴ろう…)

澪とルイス達が話で盛り上がる中、怜はもくもくも夕飯を食べた。
皿の上のちらし寿司にのっていた一切れだけ残ったサーモンを食べ終えた後、ごちそうさまと呟き食事を終え食器をシンクの中に置いておいた。
キッチンのカウンターに置かれていたたい焼きの袋からあんことカスタードを1つずつ新しい皿に乗せてから自室に向かった。

「疲れたから先に部屋戻る。用があったら呼んで」

一言そう告げた後、ルイスに咎められる前に逃げる様な形で自室に戻った。澪は少し寂しそうに怜の背中を見送る。

「気にしないで澪ちゃん。いつもああだから」
「いえ!私が学校で迷惑かけっぱなしだったから嫌われちゃってるかもしれないので…」

澪の視線にわざと気付かないふりをしながら自室に入り、机の上にズボンのポケットに入っていたワイヤレスイヤホンと、たい焼きが乗った皿を置く。
疲れたと呟きベッドに倒れ込む。傍に置いてあるペン丸大福クッションを抱き寄せぎゅっと強く抱き締めた。
大好きなペン丸のマイクロベルボア素材のクッションに少しずつ癒されてゆく。

(居候…来年の中3までならまだしも、まさか高校生になってからも…?いやさすがに…でもな〜…)

いつまで澪との居候生活が続くのか不安になった。
来年までは予想はできたがそれ以上はあまり考えられなかった。
その間に関係が改善できるのか、今の怜にはとても想像ができなかった。
澪の自分への反応を見てから、学校でも、家でも、塩対応で接していたから余計にそう思えた。
変に澪の悲しげな顔が頭を掠める。

(いやいや…大丈夫だって…って俺のせいなんだけれども)

違う違うと頭を振りながら澪の顔をもみ消す。
ポケットの中に残っていたスマホを取り出し幸人へのメッセージを送る。ペン丸のスタンプを使って今の自分の心境を伝える。ヤバいというペン丸があたふたと焦っている動くスタンプを最初に送った。
そのすぐ後に幸人から"どうした?"と熊のキャラクターのスタンプで返信がきた。
怜は包み隠さず全て話そうと文を打ち始めた。

《単刀直入に言うと居る》
『居るって誰が?』
《察してくれ。分かるだろうに》

幸人は何となく誰かは分かってはいたが少し揶揄いたくなり、さっき送った熊キャラの首を傾げているスタンプを使って分からないふりをした。
怜は少しイラっとしたのでペン丸の怒り表情スタンプで応戦する。

《分かってるくせにオメーよぉ》
『だってさぁww澪ちゃんでしょ?島崎澪ちゃん』
《御名答。アイツが家にいる。今日から居候だとよぉ!》
『え?!居候?!!マジ?!』
(大マジなんだよ…!!)

今の自分の状況がペン丸がしょんぼりへたり込むスタンプと同じだというの込める。自分だけ蚊帳の外だったと言うことも伝えた。

『怜だけ知らなかったってこと?澪ちゃんの居候話』
《何も知らんかった。ウチの家族いろいろおかしい。それをサプライズって言葉で何とかしようとしやがってよぉ。しかも、もう俺以外の人んちと打ち解けてて辛い。》
『まぁ…しゃーないというかさ…まさかそこまで繋がってるってなんかの運命としか思えんのだが』
《やめてくれよ。そんな運命いらん。そんなのより母さん目覚めさせてほしいぐらいだわ》
『長期になるだろうな。この様子じゃ。でも、悪い子じゃないから大丈夫っしょ?』
《俺が持たないのでは…?》

うるうると涙を溜めているペン丸のスタンプを送った後、一旦起き上がり机の上に置いてあったたい焼きを手に取り口に運ぶ。手に取ったのはあんこだった。冷えてはいたがちゃんと小豆特有の甘さが口に広がってゆく。

(美味しいけど次は出来立てが食いたいなぁ。やっぱり少し夕飯食えなくてもいいから幸人と食べればよかった)

頭の部分は二口目でほぼ齧られて無くなっていた。
食べる度にタラレバが思い浮かんでしまう。
あの猟奇事件が無かったら、澪が自分のクラスに来なければ、やっぱり幸人とたい焼きを食べていれば、ちゃんと居候の話を伝えてくれたら、けれど全て後の祭り。魔法でもない限り覆ることはない。
怜はまたため息をつく。いつも以上にため息が多くて気が滅入ってしまった。疲れもいつもよりひどい気がする。
いつの間にか尻尾の部分しか残っていなかったたい焼きを口の中に放り込む。
ゆっくり味わいながら飲み込み、もう一つのカスタードのたい焼きに手を伸ばそうとした時だった。
トントンっと扉のほうからノックする音した。
スマホをベッドに置き、音がした扉の方に体を向ける。

「怜くん?いいかな?」
(げ…)

扉の向こうから聞こえてきたのは澪の声だった。
このまま寝たふりでも決めてしまおうかと考えたが勝手に部屋に入ってきて寝る奴だから入ってくると思い諦めて返事をした。

「……いいけど」
「ごめんね。入るよ?」
《ごめん。後はまた明日話すわ。おやすみ》
『あいよー。おやすみ〜』

澪が部屋に入ってきたことでメッセージでの会話を終えた。おやすみという寝ているペン丸のスタンプと幸人からのクマのおやすみのスタンプで会話を終わらせた。
スマホの電源を切り枕の横に置いて、澪の方に身体を向ける。

「何か用?」
「うん。あのさ、今から散歩に行かない?」
「はぁ?今から?」
「そう!今から。いろいろ話したい事もあるし」
「話したい事って…でも、猟奇事件のこと知ってるだろ?夜に出かけるなんて父さんが…」
「それは大丈夫。ルイスさんから了承得てるから」
「な…っ」

澪との夜の外出を許した父親に怜は"幸人とはダメって言ったくせに"と不公平さを感じ苛立ちを隠せなかった。思わず軽く舌打ちをする。
時計を見ると針は22時を回っていた。もう夜遅いのに、未だ犯人が捕まっていない事件が起きたばかりなのに外に出るのを許すのもどうなんだとも。

(何を考えて…)
「早く!行くよ!」
「わ!馬鹿!引っ張るなよ!まだ行くって言ってねーだろ?!」
「お願いだから!怜が一緒にきてくれないと始まらないの!」
「はぁ?!なんだそれ?!」
「いいから!おーねーがーいー!!!」
「(あー!面倒くせーな!)分かった分かった!!行くから引っ張るなぁ!」

強引に外へ連れ出そうとする澪と張り合うのが面倒くさかった怜はすぐに折れた。それとは対照に澪は目を輝かせていた。

「早く行きましょ!」
(マジでこの女の思考が分からん…)

椅子にかけてあった青のジャージの上着を羽織る。
スマホをズボンの後ろのポケットにしまい、澪と共に部屋を出た。
すると、澪は何かを思い出したかのようにあ!っと呟いた。

「ごめん!忘れ物した!先外出てて!」
「…はいよ」

ゆっくりのそのそと玄関に向かう怜を一眼見てから澪は来た道を戻った。再び二階に駆け上がる。
自分の部屋に行き、鞄に入っていた猫ととかげの可愛らしいキャラクターが描かれた薄い紫色の封筒を取り出す。
既に手紙は封筒の中に入っており封もしてあった。
澪はその手紙を片手に階段を降り、ルイスの自室の前で立ち止まる。
緊張した面持ちで深呼吸をしてから、締め切ってある扉の隙間に持っていた手紙をそっと入れた。
不安な気持ちを抱えながら澪は怜が待つ玄関の方へ急いだ。
慌てて靴を履き外へ出る。怜が暇そうにスマホをいじって待っていた。

「ごめんごめん!お待たせー!行こうか!」
(なんでコイツと…つーか、猟奇殺人犯に遭遇したらどうしよう…イメトレして逃げる方法を考えて…)
「怜?」
「(ん…?いつの間にかコイツ、俺のことくん付けするのやめとる)あーごめん。行こう行こう」

面倒臭そうにスマホをポケットに入れて歩み始める。
澪が知らないうちにくん付けをやめていたのが少し気に掛かったが黙っておくことにした。なんとなくそうなると予想していたのもあったが。

「明日も学校なのになんでこんな遅くに散歩なんて…俺の部屋でもできたことだろ?そんないちいち外出なくても」
「ちょっとね。あのさ、一つ書いてもいい?」
「何?」
「私がこの街に来たもう一つ理由があるって言ったら?」
「……え?お母さんの仕事の都合以外に?なんだろ…?ま、まさか、俺に会いに来たとか…?」
「それもある。でも、とても重要な事。貴方も関わってくる。大切な事」
「俺に関わる?なんだよそれ?」
「もう少ししたら分かるよ。大丈夫。私がいるから安心して」

突然、澪からふっかけられた問いにどう答えたらいいか怜は思い浮かばなかった。
澪が言うそのもう一つの理由に自分が関わっているのというがよく分からなかった。彼女の口調からそれが最重要な事案であることを物語っていた。
変な緊張感が2人を包む。怜はこの雰囲気のせいで居た堪れなくなり歩きながらスマホを動かし始めた。
ふと気がつくと、澪が向かっていた場所は、昼間に不気味な声が聞こえた病院近くの公園だった。
事件が起きた場所からそう離れていないのと、犯人がまだ捕まっていないせいもあってか人はおらずしんと静まり返っていた。

(…よりにもよって公園に向かってるやんけ…やば…)
「聞きたいことがあるんだけど。半年前、ここでホームレス狩りがあったの覚えてる?」
「あ、ああ…ホームレスのおっちゃんが暴行された挙句、身体に火付けられて殺されたやつだろ?しかも犯人未成年だったやつ。それがどうした?」
「実は今回の猟奇事件に関わってる。殺されたのはそのホームレス狩りの犯人達」
「へ?嘘だ。まさか…そんな…」
「自分達は未成年だから大丈夫ってたかくくってたみたいだけど。見事に殺されちゃったわね。まぁ、自業自得ってやつよ」
(い、いや、嘘だろ。ニュースじゃ10代の少年の死体だかなんだか言ってた気もするけど…それよりなんで急にそんな話…)

澪は立ち止まり、スマホのライトである場所を照らしていた。照らされた先には大きな黒い煤な様なものがコンクリートに残っていた。何かを燃やした後の様だった。近くにはワンカップと小さな花束が添えられている。

「えっと、此処って…」
「猟奇事件の発端の場所。全ての原因と言ってもいいかな」
「原因って…なんだよ。犯人が人間じゃないみたいな…」
「そうって言ったら?」
「……はぁ?何意味分からんこと言ってんだ?そんな筈ない…」

『みづ…、げ…だぁ…』

怜の耳に昼間に聞いたあの不気味な声が入る。背筋が凍る。背後に何が気配を感じるが振り返ることが湧き上がる恐怖心が邪魔してできなかった。
怜とは対照的に、澪はその声を待っていたという表情で後ろを振り返った。
彼女の目に映ったのは、巨大な白と黒のまだら模様の蜥蜴のような化け物だった。その化け物は2人に向かって長い舌を鋭い速さで伸ばしてきた。
舌が当たる前に澪は怜の腕を掴み走り出した。狙いを外した舌はコンクリートの地面を砕いた。

「こっちよ!!!早く!!」
「え?!な、な、なんだよアレ?!!!あの化け物何?!!!」
「アレは魔獣って言って…って!話は後!!!!今は安全第一!!急いで!!」
「急いでって言われても、アイツ追いかけてきてる!!」
「目的を失って自我を失くし始めてる。まずいわね」
「目的…?!」

ドスドスっと大きな音を立てながら怪物は2人を追いかける。閉じられた口から漏れ始める炎が2人を捉える。オレンジ色の光が2人の背後を照らす。
澪は怜の腕をひきながら走り続ける。困惑するしかない怜は今は彼女に身を預けるしかない。
怪物から放たれる攻撃から逃れながら隠れる場所がないか周りを見渡す。
焦りがジワジワと込み上がってくるの感じるが見ぬふりをするが怪物は容赦しない。口の中で溜められていた炎が大きな塊となって逃げる2人に放たれた。

「え?!ちょっと冗談だよね?!待ってよ!!」
「っ!!!」
「れ、怜、わぁ!!」

怜は澪の手を振り解いたと同時に、彼女に覆い被さる形で飛びかかった。澪は怜と共にうつ伏せで倒れ込む。2人の背後で炎の塊が鋭い速さで猛烈な熱さと共に通り過ぎた。
澪は怜の突然の行動に一瞬困惑したが自分を守ってくれたとすぐに理解した。
なんとか炎の塊から身をかわすことができた怜は、澪からすぐに離れ彼女の腕を掴みながら立ち上がる。無理矢理澪を立ち上げさせ、今度は怜が彼女の腕を引き再び走り始めた。
このままではマズイと怜は、咄嗟に周りを見渡し地面に落ちていた大きめの石見つけそれを手に取り怪物に向かっておもいっきり投げつけた。
その石はもう一度炎の塊を放とうとしていた怪物の頭に見事に命中。石が当たった途端「ふぎゃあ!!」っとなんとも情けない鳴き声を上げ痛みで暴れる。
咄嗟の判断で隙を作らせ事で木々の中に身を隠すことができた2人は身を屈めながら怪物の様子を伺う。

「ナイス!!さすが怜!!今のうちにあの遊具の中に隠れましょう!!」
「お、おう」

さっきまで恐怖で慄き、澪に手を引かれていた自分がここまで活躍できたことが怜は信じられなかった。
パニくる怜をよそに、澪はようやく避難先を見つけその方向に指を差す。
指差した先にあった大きな山型の遊具が一時的な避難場所となった。小さなトンネルの中に入ってゆく。
トンネルの先の中心部の広めの空間に着いた2人はその中に身を隠した。
2人をは荒くなっている息を整え、一つずつ今の状況を整理し始めた。
周囲に警戒し、澪は未だ状況を把握できていない怜に寄り添った。

「なぁ?!!あの蜥蜴みたいな化け物なんだよ?!なんか火吹いてるし!すんげー長い舌持ってるし…!!」
「アレは魔獣っていう化物。瘴気っていう人々の負の感情の思念体が未練を残したまま亡くなった人の魂に取り憑き具現化させたモノ」
「魔獣?なんでそいつがこの公園にいるんだよ?突然俺らのこと襲ってきたし最悪」
「さっき言ったホームレス狩りの話。覚えてる?」
「覚えてるけどそれがどうした?」
「あの魔獣の正体はホームレス狩りの被害者。魔獣に殺されていたのは彼を嬲り殺した未成年の加害者」
「……」

怜はニュースで流れていた被害者が全員自分と同じ未成年だったと思い出した。加えて、殺された全員が公園で起きたホームレス狩りに関わっていたとも報道されていたことも思い出した。
澪は淡々と魔獣の仕組みを怜に教えた。

「魔獣は未練を残した人の魂が瘴気の力を借りて生み出した怪物。瘴気は自分を死に陥れた人間に強い恨みを持ったまま死んだ人の魂に取り憑くの」
「強い恨み…?」
「うん。復讐の為に魔獣に変身したらそいつらをまず殺しにかかるの。あの猟奇事件が良い例ね。でも、全ての元凶を殺したからって元の魂に戻るわけじゃない。目的を果たしたら瘴気は取り憑いた魂の自我を少しずつ奪ってゆくわけ」

澪が逃げる前に言っていた目的の意味を知った怜は昼間に聞いた魔獣の言葉の意味をようやく理解した。あの時にはもう復讐対象を殺し尽くし、自我を瘴気によって奪われ始めていたのだと。
どれだけ痛く辛い思いをしながら死んでいったのだろうと思うと瘴気の力を借りてでも恨みを晴らしたいという気持ちが分からなくもなかった。だが、その代償はあまりにも大き過ぎる。

(なるほど。あの時、もう殺したくないって訴えてたんだ。けど、瘴気ってやつがそれを許さなかった。接点の無い見ず知らずの俺らを突然襲い始めたのも合点がいく)

昼間に聞いたあの声が再び怜の頭の中を掠める。苦しげな何かを求める声。


《ダめ、だ、ァ…もう…ご、ろ"じ……た…ク…》

『うまソ…はや、ク…殺し、た…イ…』


けれど、再び遭遇した時には魔獣の中に囚われた魂が葛藤する声はもう聞こえなくなっていた。心のどこかで胸騒ぎを感じる。もう、魂自身では止められないところまで来てしまったのだと。そして、もう時間がないという事実。

「……その…瘴気に取り憑かれて自我を完全に失った魂って最終的にどうなるの?」
「自我を失ってしまった魂は瘴気と化す。自分と同じ様な彷徨う魂に取り憑く瘴気になって人々を襲う様になる。もう、元の魂には戻れないし生まれ変わることもできない。だから、早く私達が救ってあげないと…」
「私達が救う?どうやって?」
「瘴気に取り憑かれた魂を救う方法。それは、武器人(ぶきびと)と剣士の力を使って魔獣を倒し、邪悪な瘴気を祓うこと。それが魂を救うたった一つの救済方法」
「へ?ぶ、ぶきびと?けんし?」
「えっと、武器人というのはね…」

澪が少し緊張気味に話そうとした瞬間だった。
コンクリートの壁に亀裂が走りパラパラと砂煙が落ちる。重く砕ける音が大きな音を立て始める。
2人は慌ててトンネルを通り山型遊具から脱出した。
外に出たと同時に炎の塊が破壊された遊具に数発放たれる。さっきまで身を潜めていた場所は被弾し、火の海と化して熱気が襲う。
呆然とする怜はこちらに向かってくる魔獣を見て絶望で言葉を失った。
露華が入院している病院の建物が目に入る。

(母さん…)

ここで死ぬかもしれない。母さんの目覚めを見ることなく自分はこんな化物に殺されてしまう。父さん達は何て言うだろうと思うと悲しくなった。
まだ死にたくない。やっとそう思えたのに。
絶望に染まる怜に澪は希望の光を与えようとした。
澪だけが知ってる全てを救う奇跡。その光の手は悲観するに差し伸べられた。

「怜!聞いて!私は貴方を絶対にここで死なせない!2人でここから生き延びるの!!生き延びて露華さんを一緒に救うの!!」
「え?何?!なんで母さんの名前が出てくるんだよ!」
「貴方のお母さん、露華さんは病気で眠っているわけじゃない!瘴気の呪いで眠っているの!その呪いを解くには貴方の力が必要なのよ!!」
「呪い…?!嘘だ!!そんなでたらめ…」
「デタラメなんかじゃないわ!!魔獣を一緒に倒して、ここから生き延びたら全て話す!!だから私と一緒に戦って!!!お願い怜!!私を信じて!!!」

澪の真剣な目に迷いも偽りは無かった。その眼差しと差し伸べられた手は怜を包んでいた絶望を祓おうとしている。
魔獣も猛スピードでこちらに向かってきている。
彼女の言葉を鵜呑みはできない。しかし、もう迷っている時間など無い。
このまま殺されて食われるか、澪の言葉を信じて戦いに身を投じるか。逃げるという選択肢は死を意味していた。
怜はぎゅっと目を瞑り、決意を固め目を開いた。

「本当に死ななくて済むんだな?」
「ええ。約束する」
「本当に母さんを救えるんだな。俺達で」
「私達にしかできない」
「…………全部嘘だったら殺してやる」
「怜に殺されるなら本望よ」
(本当…変わったやつ…)

希望が込められた澪の手を怜は躊躇うことなくしっかりと握り締めた。その途端、握られた2人の手から優しい光が放たれた。
魔獣はその光に耐えられず苦しげに雄叫びを上げ立ち止まる。
目の前の澪がどうなっているのか気になったが光が強すぎて直視できなかった。左手で光を遮る様に目を覆う。

「うぅ…っ!!」

少しずつ光が収まってゆくの感じゆっくりを目を開ける。目の前にいた筈の澪がいなくなっている。
必死に当たりを見回しても彼女の姿は見えない。
一気に消えていた筈の絶望と怒りが込み上がってきたが右手に感じた重みに違和感を覚えそちらを見た。
その重みの正体は、鉄紺色の(つか)と百合の花の(がら)の鍔と傷ひとつない刃を持つ美しい太刀だった。
澪が消え、代わりに現れたのがその太刀だったことに怜は驚きを隠せなかった。

「か、刀?!!いつの間に…?!」
「やったぁ!!成功よ!!やっぱり私達は運命なんだわ!!!」

いなくなっていた筈の澪の声が近くで聞こえてきたが再度周りを見回してもやはり何処にもいない。
混乱する怜をよそに澪はとても喜んでいた。

「島崎?!お前今どこに」
「貴方が握ってる太刀を見て。それが今の私」
「え?はぁ?!意味わからんのだが?!」
「これが私が言った武器人の正体。瘴気に取り憑かれた魂を救う唯一の神器」
「武器人…」

鏡の様な美しさを保つ刃に自分の顔が映る。立ち止まれない。少しだけ残っていた迷いを振り切る様に両手で(つか)を握り締め刃を魔獣の方は向けた。
怜に向かって突進してきた魔獣の猛攻を避け、おもいっきり太刀を振り下ろした。右腕の付け根を斬りつけるとそこから真っ赤な鮮血が噴き上がった。
痛みで鳴く魔獣は長い舌を使って反撃を試みるも、怜は容赦なくその舌を血で染まった太刀で切断する。
切断された舌先がボトリと地面に落ちビチビチと陸に上がった魚の様に跳ねる。切断された場所から鮮血がゆっくりと流れて血溜まりを作る。

「なんか…急に運動神経が格段に上がった気がするのだが気のせい?」
「ううん。気のせい何かじゃない。私の武器人の力によって怜の剣士としての能力を引き出してるから。このまま魔獣を弱らせて」
「まぁ、いまいちよく分かってないけど、つまりあの大蜥蜴をさっきみたいに斬れってことだな?りょーかい!」

太刀を構え直し再度刃を魔獣に向ける。痛みと血で喘ぐ魔獣はこのまますまさないと口の中で炎の塊を溜め始める。
口から漏れる炎が大きくなる度に激しくなってゆく。

「あの〜…島崎さん?この刀って炎が斬れたりする?」
「それは怜の気持ち次第ね」
「なんだよそれ…って…やばっ!!!」

魔獣の口の中で蓄えられていた炎の塊が怜に向かって放たれる。
自分に向かってくる血が混じったその塊に一か八かで斬りつけた。炎の塊は半分に斬られ黒い煙と共に消滅した。

「すごい!!斬れた斬れた♪」
「へ、へぇ〜斬れるもんだなぁ〜…で?後はどうすればいいの?魔獣を弱らせるのは分かったけど、どうやって魂を瘴気から解放すればいい?」
「魔獣の額に黒い結晶があるでしょ?アレが魔獣の核。まぁ心臓部ね。あの中に魂が瘴気に囚われてる。早く祓わないと魂が瘴気化して大変なことになる」
「なるほど。とりあえずあの結晶を壊せばいいってことだな」

怜は魔獣の方へ走り、額の黒い結晶に狙いを定める。
魔獣の尻尾が怜の進路を妨害しようとするが、澪の刃がそれをズタズタに斬り刻み鮮血の海へと変わる。飛び散る血が怜の服と頬に付く。
ようやく再生した舌が再び怜に襲い掛かるが当たる寸前に飛び上がり魔獣の身体に跨った。
怜を振り落とそうと激しく抵抗する魔獣の背中に刃を突き刺す。

「暴れんな!暴れんなっての!!」

太刀を引き抜き、柄の頭を先端になる様に持ち変える。黒い瘴気の結晶に柄の頭をおもいっきり打ち付ける。
すると、少しずつピシッと亀裂が走る。亀裂が入った結晶にもう一度柄の頭を打ち付けた途端結晶が砕け散った。砕け散ったそこから黒い煙の様な瘴気が浮かび出た。
苦しげな雄叫びと共に核を失った魔獣の身体が元の黒い靄の様な瘴気へと戻ってゆく。その中に白い光が見えた。
地面に着地した怜は太刀を再び持ち替え刃を瘴気の方向けた。

「まだ魂は無事ね。後は瘴気を祓えばいい」
「どうすればいい?ただ斬りつけるだけじゃダメなんだろ?」
「今の刃のままじゃダメ。魔獣を倒す時はいいけど瘴気を払う時は浄化刃(じょうかとう)に換えないと」
「換える方法は?」
「今から言う私の言葉を復唱して。剣士となった貴方ならすぐに覚えちゃうはずよ」
「どうだか。それにお前の言ったことが嘘だったら剣士なんてやめるし殺す」
「分かってる。まずは目の前のことを解決しなきゃ」
「だな」

太刀を一振りし、刃に付いていた血を払う。柄を持つ手に力がこもる。

「"罪なき魂に巣食う瘴気よ。我が刃で消滅せよ。"斬鬼(ざんき)清鏡華(しょうきょうか)"」
「え、微妙に長、覚えられ……っ!!!」

すると、突然頭の中で誰かのビジョンが浮かび上がる。自分によく似た青年が今の自分と同じ様に太刀を持って魔獣と戦っているビジョン。
その青年も澪が言った呪文の様な台詞と呟いていた。まるで彼に助けてもらった感覚を覚えた怜はその青年の顔を見ようとするもモヤがかかって見えない。
頭の中に言葉とビジョンが焼き付く。
きっとその青年の顔を見れるのは自分が強くなってからだと怜は実感した。澪の言葉が本当なら自分は彼と同じこの運命を歩むのだろうと。そして、その運命が母親を救う光でもあるから。
決意を固めた怜は小さく深呼吸をし落ち着いてゆっくりと復唱した。

「罪なき魂に巣食う瘴気よ。我が刃で消滅せよ。"斬鬼(ざんき)清鏡華(しょうきょうか)"」

刃が鏡の様に綺麗な銀色から光を帯びた白い刃へと変貌してゆく。鎬地に鍔と同じ百合の花の彫刻が浮かび上がる。
淡い光を纏う刃を見た瘴気は魂を持ったままうめき声を上げながらこの場から逃げようとする。だが、目の前にいる若き剣士と武器人がそれを許すはずもなかった。
突進の如く颯爽と瘴気に近づき太刀を躊躇なく振り下ろした。

(アンタは充分苦しんだ。こんな苦しい思いは俺達が断ち切る。だから、もうアンタは安心して眠ってくれ)

白い刃に斬られた瘴気が叫び声を上げる。斬られた場所から眩い光が放たれ魂に纏っていた黒い靄が消滅してゆく。
弱まっていた魂に光が戻る。怜は魂にそっと手を添えた。

「お…俺は助かったのか?もう誰も殺さなくていいのか?」
「アンタから瘴気を祓った。もう苦しまなくていい」
「……俺はただ一生懸命生きてただけだ。誰にも迷惑かけずに仲間と一緒に楽しく生きてただけなのに。それなのに…」
「分かってる。アンタを殺した奴らは同じ様なことを何度も繰り返してた。見下したまだ法に裁かれないからってふざけた理由で。でも、ソイツらはアンタに裁かれた」
「自分への仇と仲間の仇としてな。だが、目的を果たしてからはおかしくなって自分でなくなった。でも…これでやっと殺された仲間の元へ行ける。ありがとな」

怜にお礼を言うと魂は光の粒となって消えて空へと還った。ずっと瘴気の中で苦しんでいた魂が解放されようやく眠りにつくことができた。
夜空に輝く星の中に弔った魂が加わるのもきっとすぐ。怜はそう思い夜空を見上げた。

(これが剣士の役割…)

持っている太刀の方に目線を移す。刃に怜の顔が映る。さっきまで"斬鬼《ざんき》・清鏡華《しょうきょうか》"の能力で白い刃へと変貌していたが、瘴気を払って魂を救った後は元の銀色の刃に戻っていた。
太刀が再び光を放つ。怜の手から離れて太刀の形から元の人間の姿に戻っていった。
元に戻った澪は満面の笑みを浮かべながら嬉しそうにガバッと怜に抱きついた。

「やったぁ!!初魔獣討伐大成功!!!」
「お、おい!急にくっつくなって!!」
「だって…だって嬉しいんだもん!大好きな人と戦えて、初めて一緒に魔獣を倒せて、魂を無事に救うことができて…私、私、感激が止まらない…!!」
「大好きな人…」
「やっぱり怜は私の運命の人。貴方とならどんな困難でも越えられる」
「(運命の人…なんかすんげー重い…)確かになんとか魔獣を倒せたのは良かったけど、忘れてないだろうな?お前が俺に言ったこと」
「私が怜に言ったこと?」
「だから母さんの事だよ。本当に俺達で目覚めさせることができるんだよな?」

怜のその言葉に応える様に澪は彼を抱きしめる力を強めた。うぐっと怜は小さく呻き声を上げる。
なんとか澪から離れようと身を捩るが彼女の方が力が上だった。

「できるよ!その為にもっと強くならないと!どんどん魔獣を倒して、瘴気を祓い、魂を救う。私達なら絶対できるわ!!」
「まだこんなのと戦わないといけないのかよ…」
「泣き言いわない!お母さん助けたいでしょ?だったら頑張らなきゃ!私も頑張るから!!ね♪」
(本当かよ…なんか信じられなくなってきた…)

澪のあまりのやる気の高さに怜はよくあんなのと戦って怖がらないなっと呆然とする。
彼女が言った"お母さんを助けられるのは私達"という言葉が何度思い返しても信じられずにいる。このまま信じて大丈夫なのか。どうして母親が瘴気と関わっているのか。疑問が次から次へと増えてゆく。
けれど、今は彼女の言う通りに動くしかない。先が見えない未来に怜はため息をついた。
全てが終わり緊張の糸が切れたのかゆっくりと眠気が怜に襲ってくる。
一度だけ大きな欠伸をしたのは覚えているがその後の記憶は途中でぶつりと途切れていた。


次に目覚めたのは自室。いつも通りの朝の筈だった。萊が起こしに来て朝ごはんを食べて。
だが、あの出来事の翌朝は違った。
怜を起こしに来たのは可愛い弟ではなかった。昨日から居候として暮らし始めた武器人の彼女。

「おはよう!怜!朝だよ〜!」
「うお!!」
「起きて?朝ご飯できてるよ?」
「あ…あの…萊は?」
「萊くんはリビングでテレビ観ながらパン食べてるよ?あー。言い忘れてたけど今日から私が怜を起こす係だから」
「はぁ?!!」
「だって私は怜の許嫁みたいなものだし。いろいろ知りたいこともあるしね♪」
「お前何を口走っとんじゃ?!許嫁?!!」
「ほらほら!それよりもう起きないと学校遅刻しちゃうから早く早く!!」

いつも以上にバタバタな朝が始まった。昨日の夜の出来事が嘘みたいに明るい朝。
突然、家族の中に新参者が来ただけでこんなにも変わってしまうなんて怜はまだ受け入れられずにいた。澪は構うことなくそんな彼の手を引く。
必ず自分と怜の運命を日向の道に向かわせる為に。

楓は今日も何とか勇気を震わせて木原家の前にやって来た。インターホンのスイッチを押そうとするのだがどうしても緊張して寸前のところで動かなくなってしまう。
ポチッと一回押すだけ、木原くんに一緒に学校に行こうと誘うだけ。そう頭でイメージしても心と身体が追いつかない。

(また…昨日と同じ…あーもー!!ライバルが増えたかもしれないのに…)

ゆっくりと深呼吸をしてもう一度トライする。震える指先でスイッチを押そうとした瞬間だった。
玄関から扉越しに争う様な声が聞こえてきたと思ったらバンっと勢いよく扉が開くと同時に怜が家から出てきた。
楓は急いで彼に駆け寄ろうとしたが次に出てきた人物を見て全身の動きが止まった。
彼女の目に入ってきたのは、今もっとも見たくない光景だった。

(島崎さん?!!!)
「だーから!引っ付くなって!!勘違いされるだろ?!」
「だって好きな人の腕に手を組んで歩くの憧れだったんだもん♪あ!石橋さんだ!おはよう!!」
「あ、え、あの、おはようございます…」
「(げ!?石橋さん?!!)お、おはよう!!ど、ど、どうしました?家の前で…」
「………今日も家の前を通ったから一緒にって思ったけど…あーううん!なんでもない!それじゃ私先に行きますね!!島崎さんも遅れないように…」
「ちょ、待って、石橋さん…!」

澪がとても幸せそうに怜の腕を組んでいる姿を見た楓はあまりのショックでフラフラになり思うように歩けなかった。

(許さない…!!島崎澪…!!)

しかし、そのショックは楓だけでは終わらなかった。あの雅紀にも伝染していた。
学校に向かう途中で2人を目撃した雅紀は呆然とした。いつも怜を見下し、新しくやって来た澪に一目惚れした彼にとっては刺激が強過ぎたのだ。
取り巻き達が必死に呼びかけても抜け殻のように動かない。
雅紀はブツブツと心の中で怜に呪詛を唱えていた。

(あの偽黒人…よくも俺の澪ちゃんを…許さない…)


2人の生徒を絶望のどん底に突き落としているなど露知らずの澪は完全に恋人気分に浸ってた。
怜はもう抵抗しても無駄だと悟り諦めムード。
肝心の親友の幸人も"んえ?この一晩で何あった?まぁいいや。邪魔しちゃ悪いんでぇ、俺先に行きやすね〜(後で話聞かせろ)"と先に学校へ行ってしまい怜の味方はいなくなってしまった。"わ〜!1人にしないでくれぇ〜!"と必死に手を伸ばすも親友は楽しそうに遠ざかった。
強い力で怜の腕を組む澪からもう逃げられない。
いつも通りに幸人と登校する筈の朝は彼女の登場で全てが一変した。




「改めてだけど…これからよろしくね。木原怜くん♪」
「うっさい。やかましいわ…」




自称許嫁の少女との慣れない生活と奇妙な怪物退治。
大好きな家族とペンギンと洋楽さえあれば良い。あとは適当に生きればいいと思っていた怜の運命の歯車がようやく動き始めた。
それを彼が受け入れられるのはしばらく先の話になるだろう。
新たな悩みが増えた怜は澪にされるがまま学校に向かうのであった。
「なんか緊張するけど…大事なことだもんね」

怜と澪が初めて魔獣を倒す少し前の事。木原家のルイスの自室の扉の前。
魔獣退治に出かける前に澪はルイスに手紙を渡そうとしていた。
ずっとどうやって渡そうか考えた結果、出かける直前にルイスの部屋の扉の隙間に入れることにした。直接渡すという選択は緊張が邪魔して最初から除外されていた。

(直接ルイスさんに渡したらなんて言われるか怖い。幾ら分かっていたことだとしても)

ふぅーっと息を吐き、決意を固めた表情で持っていた手紙を扉の下の隙間に入れた。何を言わずに去ることに罪悪感を覚えた。けれど、もう咎められても立ち止まれない。
心臓をドキドキさせながら澪は怜が待つ玄関の方へと向かった。
彼の運命が変わる夜はあと少し。

(必ず生きて帰らなきゃ。私達にはやる事が沢山ある)





自室で仕事をしていたルイスは、扉の方で小さな物音したのを聞いた。扉の方へ向かうと扉の隙間にねこととかげのキャラクターが描かれた薄い紫色の手紙が挟まっていた。
ルイスは驚く事なくその手紙を手に取り封を開ける。もう手紙の内容は予想はできていた。

《今夜決行します。
今回の魔獣については調べはもうついているので安心してください。
彼ならきっとやり遂げる筈です。怜さんを信じてあげてください。
そして、もっと強くなって、私達で必ず露華さんの呪いを解きます。約束します。 島崎 澪》

手紙を読んだルイスは深くため息をついた。まだだと思っていた日が遂に来たのだ。現実を受け入れなければと。

(分かっていたとはいえやっぱり辛いなぁ…)

ルイスは机に戻り、机の上に置いてある写真立てを手に取り眺める。写真に写っているのはまだ小さい頃の莉奈と怜、そして、ルイスと眠りにつく前のお腹の大きい露華の写真だった。萊が生まれる少し前に撮られた写真。
こんな未来になるなんて想像もしていなかった明るかった頃の過去が詰まっている。
すぐ横の少し開いたガラス扉から下を見ると、怜と澪がどこかに歩いて行くのが見えた。
本当は自分達で終わらせる筈だったモノが自分の子の代まで影響してしまったショックは大きい。

(僕がもっと強ければ…露華も…)

どんなに後悔しても過去は変えられない。カイと呼ばれた瘴気の元凶を倒す手立てとルイスと露華の明暗は若き2人に託されたのも。
もう一度短くため息をつくとガラス窓からぬっとふっくらした茶トラの猫が入ってきた。首には鈴付きの赤い首輪が括り付けられていた。

「フータ!どこに行ってたんだい?莉奈と萊が心配してたんだぞ?」
「なーご」

フータと呼ばれたその猫は嬉しそうにルイスの足元に擦り寄る。ちりんと鈴の音が心地よく響く。ルイスはフータの背中をゆっくりと摩る。
ぴょんっとルイスの膝に飛び乗りにゃあっと一言鳴いて丸まった。
ルイスはフータを撫でながら彼が久々に家に帰ってきた訳を悟った。

「……フータが帰ってきたってことは…僕らも行かなきゃダメってことだね?そうだろ?」
「んにゃあ」

膝の上でのんびりしているフータを抱き上げ立ち上がり自室を出た。
ゆったりとするフータとは対照的にルイスは精悍な面持ちで外に向かう。
すると、たまたま廊下を通りかかった莉奈に呼び止められた。

「パパ?どこ行くの…ってフーちゃん!!いつ戻ってきたの?!」
「つきさっき僕の部屋のガラス窓からぬっとね。どこも怪我がなくってよかったよ」
「んにゃ〜」
「もう!フーちゃん!萊も私も心配してたんだから!!」

ルイスの腕の中にいるフータは久々の帰宅に安堵している莉奈を見て眠そうに欠伸をする。彼女の心配の気持ちなんてお構いなし、我が道をゆくフータはまたどこかへ行ってしまうだろう。帰ってくるのはルイスに用がある時か餌と木原家が恋しくなった時。
もー分かってる?っと心配の声を漏らす莉奈にルイスは優しく諭した。

「まぁ、許してあげて。フータにも色々あるんだよ」
「…それもそうだけど、パパこれからフーちゃん連れてどこ行くの?怜と澪ちゃんもこんな時間なのに出かけちゃったし。止めなかったの?」
「ちょっとね散歩にね。怜達のことは大丈夫。ちゃんと帰ってくる筈だから」
「えー…でも、まだ公園の猟奇事件の犯人がまだ捕まってないのに心配。大丈夫かな…」
「これから僕も行くし、途中で会うかもしれないから。それじゃ行こうかフータ」
「本当に気を付けてね。夜だから余計に危ないから」
「分かってる。行ってくるよ」

心配する莉奈に見送られながらルイスとフータは家を後にする。
"莉奈に嘘をついてしまった。本当は散歩なんかではない"と心を痛めた。けれど、その嘘は愛する家族を守る為のモノ。澪からもらったあの手紙を読んでから余計にそう思えてしまう。
腕の中で安心しきるフータを見て少し心が和らぐ。
ルイスにとっては何度も経験してきたものだがどうしても慣れない。それは露華がまだ眠りにつく前から変わらない。
憂鬱な気持ちでしばらく歩いていると、突然、ズドンと重い何かがおもいっきり地面を踏む音が周りに響き渡った。
ルイスは面倒臭そうに音があった方に身体を向けた。そこにいたのは黒い影で作られた大きな4足で2本の角を持った化物が背後に立っていた。

「ルイス・アーノルド。お前の息子はどこだ?この先にいるとは聞いたが?」
「……貴様が知る必要なんてないだろ?一体何が目的だ?」
「"あの方"の部下様が探してるんだ。お前の息子の身体が必要なんだとよ」
「やっぱりな。お前の作りが"カイ"とは違う。純粋な魂から作られた魔獣じゃない。穢れきった魂で象られた獣物」
「は!!あんなへなちょこと一緒にするな!!あんな結晶がある魔獣は出来損ない!!あの方ならこんなヘマしねーよ!!」
「で?イキがってるところ申し訳ないけど、その部下様っていうのは誰だ。お前を作り出した奴。作り慣れてないから完全に魔獣になりきれてないようだけど」
「教えるかバーカ!!貴様らのせいでこうなったんだろ!!お前と木原露華を殺し、お前の息子の身体さえ手に入ればあの方は復活する!!そうすれば俺も…!!」
「……バカバカしい…」

のんびりしていたフータがルイスの腕の中から飛び降り、魔獣に向かってフーッと毛を逆立てながら激しく威嚇する。常に冷静なルイスとは対照的。
ルイスはそんなフータを見てフフっと微笑を浮かべる。魔獣を煽るのには十分だった。

「露華も殺させないし、怜も守りきる。どんな手を使ってでも。貴様らの目論みは必ず砕ける」
「ケッ!言ってろ!どうせテメーはここで俺に殺されるんだ!!残念だったな!!お前らの希望の光は俺に消されるんだ!!」
「言いたいことはそれだけかい?」
「は?部下様の言う通り本当意味わかんねー野郎だな。とっとと殺してオメーの息子を捕らえねーとな!!!」

魔獣はルイスとフータに向かって突進してきた。
それでもルイスは冷静のまま目を閉じる。
すると、威嚇していたフータの身体が漆黒の光を放ち鞘に収まっている太刀へと変身しルイスの左手に握られる。
右手で柄を握ると突進してくる魔獣の方へ歩いてゆく。鞘から太刀を抜き目を開いた。

「輪廻を絶ち闇に沈め。絶日(ぜっび)影月(かげつき)
「何?!あぎぁ!!!!」

黒く染まった刃はたった一振りで魔獣を切り裂く。筋肉質の大きな肉体は黒い斬撃でズタズタに斬り刻む。絶叫を上げる余裕すら与えない。
血一つ付いていないルイスの太刀は妖しく黒光り月を照らす。絶命したと同時に太刀は再び鞘の中に収まった。
さっきまでルイスを殺そうと息巻いていた魔獣の思想はあっけなく漆黒によって砕け散った。黒い影で作られたそれは血も一滴も残さないまま闇夜へ消えた。

「ごめんねフータ。こんな雑魚を斬らせて。でも、家族を守る為なんだよ」

鞘に収まっていた太刀は元の猫のフータの姿に戻っていた。一仕事終えたフータ満足そうに"にゃあ"っと鳴いた。ルイスはしゃがみ込み、フータの頭を撫でて彼を褒め称えた。"武器人"の力を持ったフータはとても誇らしげだった。ちりんと可愛げな首輪の鈴の音がとても心地よかった。
勝利に浸っていると、突然殺意を感じ取り、優しげな目でフータを見ていたルイスの目が気配を感じた方に向ける。凍てつく軽蔑を込めた目に切り替わる。

(あんな小物を寄越してきたくせに自分達は高みの見物。本当、《《アイツ》》そっくりな部下だこと)

ルイスが睨んでいた先にいた2人組の人物は悔しそうに彼らを見ていたが、今の自分達では奴には敵わないという事、これ以上此処に留まる必要はないと逃げるようにその場を去った。ここから飛び出してルイスにを斬り殺したいという衝動を抑えながらの屈辱の撤退でもあった。
殺気が消えてもう襲ってこないと悟ったルイスはフータを抱え立ち上がる。一先ずは息子への脅威は一つ減らせたと安堵した。

(後はあの2人がカイが生み出した魔獣を倒して無事に帰ってくることを祈るだけ。僕が助けるわけにはいかない)

フータは、早くお家に帰ってゴロゴロしたい、頑張ったご褒美に大好物のにゃーるというペースト状の猫用の餌が欲しいとうるうると目で訴えていた。
なんとなくその訴えを悟っていたルイスは"早く帰らなきゃね"と微笑みフータを抱き抱え我が家へと歩みを進めた。来た時とは違って憂鬱さは無くなり、一つやるべき事を終えた満足がない表情だった。


(怜も澪ちゃんもドロドロになって帰ってくるだろうからお風呂沸かし直してあげないとね)

きっと、2人はやり遂げると見越しての予想。そのは見事な当たる。
ルイスが家路に着いたから数時間後に帰ってきた怜と澪を何も言わずに迎え入れた。無事に帰って来た2人への安堵、これから彼等に待ち受けている運命への不安が入り混じる時間でもあった。




これは、ルイスと飼い猫フータの特別な秘密と怜と澪への導きの光。
暗い、くらい、クライ。寒い、さむい、サムイ。
何も見えない暗闇の中で聞こえたのは女の子のすすり泣く声。

「ごめんね…ごめんね…」

どうしてあやまるの?どうしてないてるの?

「私は普通に戻りたかっただけ…こんな筈じゃなかったのに…!!!どうして私ばっか…!!!」

どうしてそんな目でぼくをみるの…?

生まれたばかりの僕を見て母は泣き叫ぶ。望まれなかった命。悪意が込められた出生。それは母親の運命を狂わせた証の一つだ。
目の前の母親は激しい痛みと足を自分の血で染めながら嗚咽をあげる。
震える両手が僕の首をぐっと掴む。力が込められてゆく、息が詰まる、苦しい、どうして。

「安心して。私もすぐにそっちに行くよ。一緒に地獄に落ちるの」

僕を殺したことをどうしても恨めなかった。彼女の身に起きていたことを思うとどうしても。
彼女もきっとすぐに…。あまりにも悲しすぎる結末。何も悪いことしてないのに。

神様なんていないのだ。彼女ばかりに不幸を与えてこんなに寂しい場所で最後を迎え、死にも値しない奴等ばかり幸福を与えて生かそうとするのだから。

定まらない視界の中で最期に映ったのは、母親の悔しさと悲しみが入り混じった表情と彼女がいつも髪につけていた綺麗な水色のリボンだった。








「可哀想に。お前もお前の母親も。大丈夫。もう苦しむ事はない。私が助けてやろう」

あのフードの男が死に絶えた男児の乳児を抱き上げ優しく呟く。あのホームレスの男の前に現れた時よりも優しげで、そして悲しげな表情を浮かべている。
男の目の先にはロープで首を吊って生き絶えた少女の姿。とても悲し過ぎる最期を迎えた親子を彼は弔う。
この男が言う救いはとても残忍なモノ。けれど、無念のまま死んだ魂にとってその救いは強い武器になる。
役割を終えたら理性を失くした化け物になり、魂は闇に溶けて瘴気化するという大き過ぎる代償を知らずに。
死体の近くで漂う2つの魂は救いに手を伸ばす。

「私のこの力を使って復讐を果たしてから空に還れ。お前らにこんな結末を用意した奴等に報復せよ。私はその為にならどんな力でも与えてやる。もう泣く事なんてないんだ」

フードの男は左手で漆黒の瘴気を生み出す。
黒い靄に似た瘴気は男の手から離れ、優しい純粋な光を放つ2つの魂を闇で包み込む。
どんな姿でもいい。復讐を果たせるなら。あの女を殺せるならそれでいい。少女の魂は怨念に染まる。
生まれたばかりの魂は本当はダメだと言う事は分かっているけれど、少しでも少女の苦しみが和らぐならと闇に従うしかなかった。

「安心しろ全てが終わったら必ず君らに安らぎは訪れる」

瘴気に身を任せた魂は魔獣はと変貌する。男はその姿を哀れみの目で見つめていた。

「言っただろ?露華?やっぱり神様なんていない。こんな不条理な世界を許すなんてふざけてる。罪を犯した奴に未来があるとほざく馬鹿がいる世界を許すなんて俺にはできない。壊してやらなきゃ気がすまない。徹底的にな」

全身の皮を剥がされた様な肉質の赤黒いムカデの様な魔獣のへと姿を変えてゆく。上半身意外もう殆ど人間の形を留めていなかった。目も焼き爛れた様に閉ざされ、残ったのは裂けた大きな口と鋭いギザギザの歯。
胸元に黒い結晶が浮かび上がる。

「復讐を果たせ。どんな手を使ってでもな」

魔獣は甲高い雄叫びをあげる。悲鳴にも似たその雄叫びは復讐の鐘を鳴らした。

少女の髪に付いていたリボンが解けて魔獣の身体に組み込まれた。完全な化け物になっても人間だった頃の事を忘れない為に。

「早く来い。木原怜、島崎澪。未熟な力でこの魂を救ってみせろ」

怜と澪への挑戦状にも似たその言葉を最後に男はその場を後にした。
黒く光結晶が月夜で悲しげに輝いていた。








「それで?母さんを呪いを解くには"カイ"って男を倒せと?」

学校からの下校途中。
怜は少しずつ剣士としての役割を理解し始め、母親の露華に呪いをかけた男の名を知ると同時本当にその男を倒せば解決するのかと疑問が生まれていた。その質問に澪は快く応えた。

「そう。全ての瘴気の元凶で魔獣を生み出す危険な男。そいつが露華さんに呪いをかけたの。奴を倒さない限り彼女は眠ったまま。最悪の場合…」
「それ以上は言わんでいい。でも、すぐには倒せないんだろ?」
「まぁね。私達まだ始まったばかりだし、全然力も付けてないから。しばらくはママから送られてくる依頼とかいろんな事をこなして強くならなきゃ」
「……お前のママって何者?剣士と武器人のことも知ってて父さんとも知り合いでさ」
「いろいろすごい人としか今は言えないかな〜」

あの奇妙な一夜から怜は澪と共に学生生活と魔獣退治の交互の日々を送っていた。
魔獣の情報は必ず島崎華山から娘の澪のスマホに送られてくる。怜は澪からその情報を聞いてから動き出すという状況。
澪が母親の仕事が理由でこの街に来たと言っていたが、まさか魔獣に関連していたと知った時の怜は驚きを隠せなかった。そして、露華の眠りの原因も瘴気と魔獣に関わっていたことも。

「もう少し依頼をこなして強くなってから会いましょうって言ってたからね〜」
「(似たもの親子。変わってる)しばらく島崎華山にも会えないし詳しい話もお預けってことだな。分かったよ。それよりも…」
「え?何?」
「帰る方向が逆なんだけど?なんか用でもあるわけ?」

家とは反対方向の街中方面の道を歩く澪にそう問いかける。怜はなんとなく悟っていたが彼女の口から聞くまで知らないフリをした。
澪はギクッとした様子で気まずそうに問いに応える。

「あのぉ〜…実は魔獣退治の依頼なんだけど…」
「…なぜそれを早く言わない」
「だって今回のは少し違うんだもん。実際に会わなきゃいけないの」
「誰に?」
「依頼主。どうしても会って話したいってうるさくて。それで学校が終わったらネカフェのカラオケルームで待ち合わせってことになってるの」
「今回はお前のママからのメールじゃないのな。で?どんな奴?その依頼主」
「……写真見る?」

澪からスマホを渡された怜は画面に映った依頼主の写真を見て一瞬だけ驚愕するもすぐに苛立ちを込めた舌打ちへと変わった。はぁーっと大きなため息が漏れる。
怜は苛立ちを抑えられないまま澪にスマホを返す。

「俺達はこんな馬鹿の依頼を受けなきゃいけないわけ?」
「しょうがないでしょ。本当は私だって嫌。でも魔獣が関わってるからほっとけないよ。幾ら裁かれて逃げてる人間でも」
「反吐が出る。そんな奴を助けるなんて」
(そりゃそうなるよね。だって…)

そうこうしている内に目的地のネットカフェにたどり着く。入口に入り、受付で要件を伝えて指定したカラオケルームへ向かう。
普通にネカフェを使う時よりも賑やかな通路を2人は神妙な面持ちで歩く。
不愉快でいっぱいだった怜は今すぐにでも立ち去りたいと願った。見せてもらった依頼主の写真を思い出す度にその思いは増す。
2人は一番端っこのカラオケルームの前に着く。澪はゆっくりと重みがある防音質の扉を開けた。
部屋の中には既に依頼主が待っていた。1人ではなくもう1人付き添いが来ていた。怜達と同年代ぐらいの茶髪のポニーテールの少女と黒髪のボブヘア少女の2人。怜達が通う学校とは違う制服だがある事件がきっかけで見覚えがあった。
ソファーに座るポニーテールの少女は部屋に入ってきた澪と怜を不審そうに睨みつけた。怜も対抗するように睨み返す。その様子を見ていた澪は慌てて挨拶をした。

「あの…」
「あ、えっと、お待たせしてすみません!貴女がマツシヅ中学の釘藤瑠璃奈さん…?ですよね?」
「はい!私です!島崎澪さんですよね?!そっちの外人の方…」
「……木原怜です。これでもれっきとした日本人ですけど」
「えー?!そうなんですか?!ごめんなさい!!」
(なんだろう?慣れているとはいえこんな奴に言われるとやっぱ腹立つな)

なんとなくわざとらしい間違えられ方に苛立ちが増したものの、これも母さんの助ける為の修行だと自分に言い聞かせて必死に抑えた。
今日はよろしくお願いしますと澪達もソファーに座る。
ハキハキとしている瑠璃奈とは対照的に付き添いできているであろうボブヘアの少女は無表情であまり喋らず暗い印象だった。
怜はそのギャップに違和感を覚えたが何故か自分と繋がるものを感じて気になってしまう。重要な何かを隠していた頃の自分に。

(……このポニテ女…)

瑠璃奈に対してあの平良雅紀の片鱗を感じ不快感を感じる怜と不機嫌そうな怜を心配する澪は早速本題に入ろうと瑠璃奈に話しかける。
瑠璃奈はやっとかと言いたげな顔を浮かべる。

「今日はどういう依頼で私達を…」
「アタシ…、仇を…、友達の仇を打ちたいんです!!ネットで調べたら貴方達に頼ればいいって聞いて…あ、あの!とにかくこれ見てください!!」

瑠璃奈は自分のスクールバックからスマホを取り出し手際よくタップして怜達の方にスマホを向ける。そして、ある動画を見せてきた。
どうやって剣士という自分達の存在を知ったのか疑問に思ったが瑠璃奈が提示した動画と動機で理解する。あまり表には出ていないが影では剣士という存在は知られた存在なのだろう。
スマホに映されていたのはある夜に起きた廃工場の惨劇だった。
最初は花やお菓子が献花された場所で数人の男女のゲラゲラ馬鹿にするような笑い声と様子、スマホで撮影している瑠璃奈の「やめなよー」等のふざけた声が流れてきた。
だが、しばらく経った頃に突然赤ん坊の泣き声が聞こえると仲間の1人の金髪の少年が青ざめながら言い出した。他の皆には聞こえていないようで冗談だと捉えていた。
すると、突然暗闇の方から赤黒い生々しい化物の手が1人の少女を闇に引き摺り込んだ。
その様子を見ていた瑠璃奈と仲間達は騒然とし、慌てて逃げようとするも1人また1人と暗闇に引き摺り込まれてゆく。
化物の手に掴まれた仲間の少女が瑠璃奈の腕を掴んで"いやぁ!!!瑠璃奈!!!助けてぇ!!"と叫ぶが彼女は自分の命惜しさに少女を見放し手を振り解いた。少女は助からず、他の者同様に暗闇に引き込まれた。そして、コンクリートに飛び散る鮮血と共に絶叫を上げて絶命した。
生き残ったのはスマホを構えていた瑠璃奈だけ。
暗闇から聞こえた高い鳴き声。ある人物の名前を叫んでいるようにも聞こえた。恨みがこもった鳴き声は瑠璃奈のスマホにしっかりと記録された。
再生が終わって真っ暗になったスマホに困惑する澪となんとなく悟ってはいたが信じないフリをする怜の顔が映った。

「まぁ…魔獣っぽいけど…」
「もしかしてコレは合成?」
「はぁ?!!!合成なんかじゃない!!本当に起きたことなんですよ!!見ての通り死人も出てる!!!」
「……正直、貴女がした事のせいで信憑性が無いに等しいとしか」
「あんなデタラメ週刊誌の方を信じるなんて有り得ない!!アタシは潔白で悪いのは羽美朱音の母親なのに!!全部アタシのせいにして!!濡れ衣を着させられて!!」
「瑠璃奈さん、あの、落ち着いて…!」

怜が言った瑠璃奈がした事。
それは、瑠璃奈とボブヘアの少女が通っている中学校で起きたあまりにも悲惨で週刊誌に取り上げられたことで話題になった事件。
未だに悪夢を見る怜にとってはとても衝撃的な事件でもあり、被害者を死に追いやるまで苦しめ助けの声を揉み消しのうのうと生きている加害者への怒りが消えるどころか更に煽らせた。
救えた筈の燈を誰も救おうともしなかった。
どんなに苦しく悲しかっただろう、どんな思いで死を選択したのか、もしかしたら自分も同じ結末を迎えていたのかもしれない。
その怒りと悲しみが混じった記憶は目の前の瑠璃奈への軽蔑の目へと変わる。

「アタシは羽美朱音さんを苛めてないし!葬式でどんだけ泣いたか分かる?!!本当に悲しかったんだから!!あのデタラメ記事のせいで家族と他の友達にも迷惑かけてるのに…どうしてアタシばかり…」
「(マジでやり方が平良雅紀(アイツ)そっくり)そうですか。じゃあ…あの最初の笑い声は何なんです?馬鹿にしているようにしか聞こえませんでしたけど?」
「あ、アレは、笑って手を合わせた方が羽美さんも喜ぶと思って友達と笑ってただけです!!なのに皆あの化物に殺されちゃって…!!!アタシ…!!!絶対に許せなくて…!!だから貴方達に頼ったのになのにどうしてこんな事言われなきゃいけないわけ?!」

激しある怒りに任せて捲し立てた瑠璃奈だが最後の方は涙声になりボロボロと両目から大粒の涙を流していた。そんな彼女の隣にいるボブヘアの少女は寄り添う訳でも、瑠璃奈の代わりに怜へ反論する訳でもなく、死んだ様な目をしたままじっと座っているだけだった。彼女のその態度が瑠璃奈への疑念を更に強くさせた。

「ちょっと!怜!!」
「(少しでも俺の許嫁って名乗るならちゃんと見抜けよ)はいはい。申し訳ございませんでした。で?俺達にその化物を倒して欲しいってことでいいんですか?」
「っ!!そうよ!!だって許せないじゃない!!アタシの目の前で殺されて…」
(じゃあ…なんで助けを求めてきた手を振り解いたんだよ。矛盾し過ぎやろ)
(あまり信用しない方がいいって思ってたけど、怜の態度からして正解だったわね。あの雑誌とネットの言う通り…)

怜には少し失望させられていたが実は澪も薄々感情に任せて喋る瑠璃奈の言動に疑念を抱いていた。
きっと、羽美朱音の葬式で泣いたという話も仲良しだった彼女が自殺した悲しみの涙ではなく、"惨めに死んだ馬鹿でどうしようもないサンドバッグへの嘲笑"としての嘘泣きだったと察した。
怜は澪に"これでもこんな女の依頼を受けなければいけないのか"と憤怒を込めた目を向ける。澪は"我慢して"と申し訳なさで目を逸らした。
澪は短くため息をつき瑠璃奈の話を聞き続けた。

「あのぉ、島崎さん。一つだけお願いがあるんです!」
「え、な、なんでしょう?」
「あの化物の正体は恩知らずの羽美朱音でしょ?」
「あの、それは」
「そうに決まってる。だって、あの化物は死んだ人間の魂でできてるんでしょ?!あんな廃工場で自殺した奴なんてアイツぐらいだし。本当恩知らずよね!アタシがどれだけあの子を救ってきたか…!!」

瑠璃奈は魔獣の存在を少しは調べていた様だ。
本当に親友だったのか疑わしい発言をしているにも関わらず悲劇のヒロイン面して瑠璃奈は話を続ける。隣に座るボブヘアの少女が益々表情が暗くなってゆくのが目に見えていた。
このまま瑠璃奈の長ったらしい被害者面台詞を聞いていても埒があかないので、怜は話をわざとらしく彼女が要求してきたお願いを聞き出そうとした。

(遂に感情が自分で制御できなくなってきて本性見せてきたな。この女)
「自分を苦しめてきた母親じゃなくてなんでアタシ達なのかしら!マジで頭悪すぎ!」
「本当にアンタら《《親友》》だったんですね。とてもそうには見えないけど。それより、アンタがさっき言ってたお願いって?」
「っ……それは、あの化物の止め|《トドメ》を私に刺させてほしい。それが私の一つだけの願い。ねぇ?いいでしょ?」

怜は呆れた様に澪の方を見る。怜と視線が合った澪は大丈夫分かっていると言いたげな目で視線を返す。澪の瑠璃奈の見る目が真剣な眼差しに切り替わる。瑠璃奈のお願いの応えに迷いなんて1ミリもなかった。どんな理由があろうと剣士と武器人として彼女を特別扱いなんてしない。

「瑠璃奈さん。申し訳ないですけど、貴女のそのお願いは承知できません」
「はぁ?!なんでよ!!」
「貴女はあくまで依頼者の立場。魔獣との戦闘に幾ら止めを刺す段階でも参加させられない。それ程危険な事なんです」
「ねぇ?!アタシ言ったよね!!友達の仇を打ちたいって!!見せたでしょ!!あの動画ぁ!!目の前で大切な友達が殺されるところぉ!!!」
「どんな理由があろうと無理なものは無理です。依頼者を魔獣から守る事も私達の仕事。どうかご了承を」
「どんなに暴れたり泣き喚いたって俺達の考えは変わらない。友達の仇を打ちたい気持ちはわかる。でもこれは命に関わる問題。アンタも幼稚園児じゃないんだから素直に聞き入れろ」

必死に自分がどれだけ苦しんでいるか訴えようと2人の意見は変わることはない。けれど、今回は事情が違う。釘藤瑠璃奈の証言は偽りに塗り固められている様なモノ。
週刊誌の記事やネットの情報、ニュースに出ていた被害者羽美朱音の母親の涙の訴えを見ていた怜は惑わされなかった。
それは、怜自身も同じ経験して未だに苦しんでいるからだ。
自分の思い通りにならないと悟った瑠璃奈は両手で机をバンっと激しい力で叩き、殺意に満ちた目で怜と澪を睨みつけた。
机を叩いた音にボブヘアの少女は少し肩をビクッとさせた。

「どうしてもダメなの…?」
「無理なものは無理。全部自分本位な考え方で助けを求めてる友達の手を振り解く様な人間のお願いなんて尚更聞けない」
「………もういいです。アンタらと話してるとアタシまでおかしくなりそう!」

瑠璃奈は苛立ちながら机の上に置いてあったスマホを奪う様に手に取り電源を入れる。画面を見ると数件の通知がきていた。
自分の思い通りに動いてくれない怜達から一刻も早く離れたいと思っていた瑠璃奈にとってこれ幸いと一瞬だけ笑みを浮かべた。
ボブヘアの少女は恐る恐る瑠璃奈の方に顔を向ける。自分の方に向けられた顔が怯えているのに苛立ち瑠璃奈は舌打ちを打つ。

「ちょっと繭!!後はアンタが話をつけておいてよ。アタシ用事があるから!」
「え…」
「え?じゃない!!アタシもう帰るから後の事お願いねって言ってるの!!本当バカのろま!!羽美の奴にそっくり!!」
「…ごめんなさい」
「馬鹿はアンタだろ?釘藤瑠璃奈」

ボソッとそう呟いた怜に瑠璃奈は般若顔で睨む。怜も怯むことなく睨み返す。
バチバチと火花を散らすも埒があかないと瑠璃奈の方から目を背けた。決して怜が怖いとかではなく、とにかくこの場から離れたいという一心からだった。
瑠璃奈は繭という少女の耳元で何かを呟いた後、ずかずかと入口の方に向かい扉を勢いよく開けてバンっと激しく叩きつける様に閉めて去った。
澪はその様子を呆然と見守るしかなかった。怜の方はやっと厄介者がいなくなったと清々していた。
ようやく静かになったカラオケルームには怜と澪、そして、繭と呼ばれた少女の3人だけとなった。
瑠璃奈が繭の耳元で呟いていたことが少し気になった怜だが突然切り出すのはどうかと思い今は思い留めた。
瑠璃奈という枷が居なくなった繭だが暗い表情は消えない。澪はそんな彼女にそっと問いかけた。

「あの…繭さんでしたっけ…?」
「……はい。雨宮繭です…。あの、どうしてもあの人の願いを叶えられませんか…」
「申し訳ないけどそれはできない。貴女が瑠璃奈さんに何を言われたのか分からないけれどもどんなに脅しをかけても無理」
「……」
「繭さん。申し上げにくいけど釘藤瑠璃奈が言ったこと…」
「澪。ちょっとタンマ」

澪が本来の事実を話そうとした途端、怜に言葉を遮られた。
繭が口ごもり表情を隠すとふるふると小刻みに震え出したのを怜は見逃さなかった。
本当は瑠璃奈の付き添いとして来ただけではない事、緊張で伝えねばならない事を中々言い出さないということも既に怜は見抜いていた。
瑠璃奈の言葉は矛盾と嘘で固められていることを死んだ目で座っていた繭が証明していた。
今にも泣き出してしまいそうな彼女の目に涙が溢れ始めて視界が歪む。2人に伝えるべき事があるのに緊張と瑠璃奈への恐怖で喉につっかえて出てこない。
羽美朱音を死に追いやったのは彼女の母親ではない。自殺へと導いたのはヒステリックに叫び自分の保身に必死になっていたあの女。
怜は突然ゆっくりと深呼吸をして覚悟を決めた目付きをする。見えない何かに怯える繭が自分達のことを信じてもらう方法。

「雨宮繭さん。依頼のことは気にしないでいい。俺達がなんとかする」
「怜…?」
「大丈夫。今から話すことは全て俺の独り言。だから何も気にしなくていい」
「……」
「俺も彼女と…羽美朱音さんと同じ目に遭ってた。ずっと誰にも言えない痛みと苦しみで戦ってた」
「……!!」

沈んでいた繭の表情が怜の言葉を聞いてバッと驚愕に切り替わる。まるでようやく自分を話を分かってくれる人を見つけた様な表情。
驚く繭を気にかけることなく、《《独り言》》として怜は話を進める。彼が繭に伝えたい事。それが他人の悪意がかけた暗い靄がかかる繭の勇気を奮い立たせるには必要な話でもあり、悪夢を見続ける怜自身がしっかりと向き合わなければならない話でもあった。

(朱音が受けた苦しみ…)
「こんな事、加害者共と俺の家族と大親友の佐々間幸人って奴ぐらいしか知らないし、赤の他人に話した事なんてあんまない。当たり前だけど」
(まさか…あの平良雅紀《バカ》から受けた…)
「釘藤瑠璃奈の話が嘘で、週刊誌に載ってたいじめが事実でしょ?殴られたり罵倒されてるところを見てる筈なのに誰も助けてもらえない、忙しい両親に心配をかけさせたくないから秘密にする。最期は全部苦しくなって…」
「……」
「解決しても全て終わった訳じゃない。苛めた方は終わったと思ってても、受けた方は一生終わらない。俺も未だに夢に出てくるもん。平良《バカ》達から受けた暴力とか、暴言とか」

澪が転校して来た日に見た悪夢も過去に平良雅紀から受けていたいじめが原因で作り出された夢幻だった。その悪夢を見た日は必ず飛び起き不安に駆られる朝を迎える。
父から受け継いだ肌を何度も恨み、他の人と同じになりたいと願った日は何度もある。
もし、朝起きたら皆と同じ肌の色になっていたら。好奇の目で見られる事もなく、外国人に間違われたり、変に期待される事も、バカにされる事もないそんな妄想だって何度もした。そして、目覚める度に絶望した。

「殴られたり、物隠されたり、金要求されたり、ゴキブリって言われて殺虫剤かけられたり、裸にされて白いマーカーで落書きされたり…言い始めたらキリがない。助けたら自分もいじめられるからって助けてくれる人はいなかった。それは大人も同じ」
(朱音ちゃんと…同じだ…)
「親になんて言えなかった。まだ弟も小さかったし、姉ちゃんも学業で忙しかったし、これ以上面倒事を増やさせたくなかった。母さんの事で沢山泣いてたからもう悲しませたくなかった」

怜の脳裏に全てを知った後のルイスの顔がよぎる。
普段は子供達には見せない悲痛に満ちた顔。その時に抱きしめてくれた感触はまだ忘れられない。


《どうして黙っていたんだ》
《隠さないで欲しかった》
《何も知ろうとも疑いもせず生きてきた自分が憎い》

今でもルイスの涙声が忘れられず後悔として残る。
ある人物に言われた言葉がその意味をさらに明確にさせた。


「怜くん。親ってね、子供が影で苦しんでるのに助けられなくて、全てを知った頃にはもうボロボロになっていた姿だった時が一番辛いのよ」



この言葉は幸人の母である夏芽が怜に言った言葉。自分もいじめられるという恐怖に打ち勝ち、勇気を奮い立たせた幸人が、死を選び大雨の影響で濁流と化した川に飛び込もうとした怜を助けた日に言われた事でもあった。
怜は夏芽に"言わないでほしい"と泣きながら訴えても彼女の意思は変わらなかった。
けれど、その出来事がきっかけで怜に希望の光が少しずつ差した。
そして、あの週刊誌に載ったあのいじめ自殺事件の当事者が依頼者として現れた。
本来の目的は元凶によって隠されてしまっている状況を打破したかった。釘藤瑠璃奈が放った靄を怜は払おうとする。
繭は払いかけている靄から怜と澪に必死に手を伸ばそうとしていた。

「あの記事を読んだ時本当に許せなかった。俺が受けたのよりも酷い。あんなのいじめっていうレベルじゃない。完全な犯罪。なのに加害者はいろんな人間を騙して自分を正当化させて馬鹿みたいに笑いながら生きてる。未練を残して散った羽美さんを思うとやるせなかった。もし、あの魔獣が羽美さんだったら救ってやりたい。あの女の魂と血を背負い込む前に」
「……ほ…とに…」
「え?」
「本当に朱音ちゃんを救ってくれるんですか?それが本当なら…本当に救ってくれるなら私…私は…」
「繭さん…」

怜の《《独り言》》を聞いた繭は震え声で彼等への応えを出す。瑠璃奈に脅された言葉ではなく自分自身の言葉で涙に染めながら朱音の今後を決める。
今度こそ苦しみから解放させる為に。そして、朱音を助けられなかった自分を罰する為に。

「わたし…何もできなくて…!!今更過ぎるのは分かってます…!!でも、でも…、もう朱音ちゃんが苦しむ姿を見たくない…!!何でもします…!!だから、だから、お願いです…!朱音ちゃんを…朱音ちゃんを…う、うわぁああ…!!!」

繭はひた隠してきたモノが爆発して大声を上げながら泣き叫んだ。ただ顔を覆いながら泣く彼女に澪はそっと彼女に寄り添いゆっくり背中を摩った。
泣き声と嗚咽が部屋に響く。瑠璃奈の業の深さを改めて思い知らされた。


羽美朱音は釘藤瑠璃奈によって殺された。


そして、"魔獣の止めを刺させてほしい"という瑠璃奈の要求を絶対に叶えてはいけないという事も。

「ごめ、ごめんなさ…わたしぃ…っ!!!うぅ…!!」
「いいよ。落ち着いたら話して。大丈夫。私達が貴女を守るから」
「澪。俺、ジュースかなんか取ってくるわ」
「ありがと怜。繭さんは私が見てるから」

澪に介抱されながら泣く繭の姿は後悔と懺悔に染まっていてとても痛々しかった。瑠璃奈が隣にいた間の死んだ目をした彼女とは到底思えない程。
怜が彼女の心の解放の為に曝け出した過去が羽美朱音が受けたモノにどこか似ていたのだろう。実際、怜の話を聞いていた繭は心の中で"朱音ちゃんと同じ"だと感じていた。
瑠璃奈の虚言と気持ち悪さがある自信に怒りが込み上げる。

(ネカフェのカラオケルームにして正解だった。金はかかるけど、此処の方が彼女にとってもいい。あの瑠璃奈《バカ》にとってもだったな)

ドリンクバーで繭達に持ってゆく飲み物をどれにしようか迷う。甘いジュースの方が喜ぶかと少し考えたが、今の繭の状況を思い返して無難に烏龍茶にした。氷が入った紙コップに烏龍茶が注がれる。
繭と澪の分の烏龍茶を注ぎ終え後は自分の分の紙コップだけ。
これから繭の方から聞けるであろう羽美朱音の身に起きた壮絶ないじめと悲し過ぎる末路。加害者は反省するどころか保身に走っている。
羽美朱音が瘴気の力を借りて魔獣になって彼女らに復讐する気持ちも怜には痛いほど分かった。

(……そういえば…)

怜はふとある違和感を思い出した。
それはあの廃工場で襲われて逃げ惑う瑠璃奈達の映像。瑠璃奈とその友人達の悲鳴と騒音、魔獣の高い叫び声が混じる壮絶な一部始終だが、その中で一つだけ怜は違和感を感じていた。
それは、廃工場では聞くはずのない微かに聞こえたとても幼く純粋な泣き声。好奇と侮辱と焦りに満ちた声ではなく無垢な泣き声を怜は聞き逃さなかった。
もう一つ、何故廃工場から出てこないのか。あの公園で遭遇した魔獣は自由に動き回り復讐対象を殺していた。だが、今回の魔獣は廃工場に現れた瑠璃奈以外の人間を殺した後は全く動きを見せていない。前のようにニュースにも話題にもなっていない。まるで瑠璃奈を待っているよう。
けれど、まだその正体と目的がイマイチ掴めないまま。もしかしたら繭が何か知っているかもしれない。
怜は自分の分の烏龍茶を注ぎ終え、3人分の中身が入った紙コップを乗せたおぼんを持ちカラオケルームに戻っていった。
戻る最中、もし瑠璃奈の思い通りになったらと想像したら怒りしか湧いてこなかった。勝ち誇って太刀となった澪を使って乱暴に魔獣を傷つけるイメージしか思い浮かばなかった。
きっとそれでは羽美朱音は救われないし苦しみが増えるだけ。

(是が非でも阻止してやる。もう殴る勢いで)

瑠璃奈が自分が1番だという言動ばかりしていたのを思い出し舌打ちを打つ。
おばんの上の烏龍茶が零れないように慎重に澪達が待ってるカラオケルームへ急いだ。
目一杯泣いて顔を赤く腫らしたままの繭は、怜がドリンクバーから持ってきてくれた冷たい烏龍茶をゆっくりと喉に流し込み気持ちと身体を落ち着かせようとしていた。身体の中に冷たい液体が流し込まれてゆく感覚がなんとなく心地よかった。
いざ我にかえり、会ったばかりの人間に対して泣き喚いてしまったことと、腫れぼったい顔を見せてしまったことへの羞恥で繭は顔を手で隠した。

「あ、あ、あの、す、すみません…みっともないとこ見せちゃって…」
「ううん。そんな気にしないで。どう?落ち着いた?」
「はい。お陰様でなんとか…」
「よかった。でも無理しないでね。今日話せそうになかったら次の機会でも大丈夫だから。繭さんのタイミングに合わせるよ?」
「いえ…もう大丈夫です。多分、今日話さないと難しいと思います…あの人が…」
「釘藤瑠璃奈?」

怜の口から出た瑠璃奈の名前に繭はゆっくりと頷いた。きっと今日というチャンスを逃したらきっと彼女からの妨害で真実を知る機会を逃してしまう。繭の中でその懸念が強かった。
何よりも、緊張し怯えて口つぐむ自分に自らが受けた悲しい過去を話してくれた怜への感謝と澪の優しさに応えたいという気持ちが繭を勇気付かせた。
まだ油断すると涙が溢れてくるがさっきよりはマシになっていた。
もう一口烏龍茶を飲みゆっくりと深呼吸をする。

「安心しな。もしあの女がこっちに戻ってきても追い返す。アイツは嘘しか話さない」
「ありがとうございます。本当にごめんなさい。私…臆病で何も言い返せなくて…」
「謝らないで。あんなマシンガンみたいな言い方じゃなかなか言い返せないよ。私も殆ど反論できなかったし…」
「まぁ、自分のメンツの為の虚言だからな。全く反省もしてないようだし」
「怜さんの言う通りで瑠璃奈さんは何も反省もしていません。それどころか自分を正当化してます。朱音ちゃんが亡くなった後、駅や校門前でご両親と署名とビラを配ってた程ですから…」

繭の口から出たビラという言葉に怜は心底呆れてしまった。瑠璃奈の親も非を認めず娘の保身に走っているという事実だ。
繭のスマホに保存してある配られたビラの写真を見せてもらう。ビラには"いじめという事実はない"、"羽美朱音ちゃんの自殺の原因はいじめではない"、"原因は自己中な母親"、"週刊誌やSNS等の情報はデタラメ!!"等、気が滅入るようなことばかり書いてあった。怜と澪はもう怒りを通り越してため息しか出なかった。

「こ、香ばしいわね〜…」
「うげ…まさに蛙の子は蛙…救いようがない…」
「配っている時も演技がかっててとても怖かったです。何も知らない人が見ちゃうと信じてしまいそうなぐらいに。その時の映像がコレです」

スマホに映っているのは、駅前で瑠璃奈と両親とその支援者が必死になって通行人にバラを配る姿。瑠璃奈は自分の無罪を叫び、母親は涙声になりながらビラを配り、何も知らずに署名する人に嬉しそうに頭を下げる父親。人が死んでいるというのに彼等に反省の色なんて微塵もなかった。
気分が悪くなってきた怜はもう充分だからと繭に動画を停止してもらった。
瑠璃奈と彼女の周辺の人間のあまりの身勝手さに怜と澪は頭を抱えるしかなかった。

「狂人しかいねぇ」
「両親もそうですが瑠璃奈さんの友人もヤバい人達ばかりで…私と朱音ちゃんはずっと彼女達の近くで生きるしかなかった。朱音ちゃんが目をつけられたのもそれのせい…いえ…全部私のせいなんです」
「繭さんの?どうして?」
「私のせいで朱音ちゃんはいじめられるようになったから…私を庇ったせいで…」

溢れてくる涙をぐいっと乱暴に拭う。
繭の脳裏に浮かぶのは在りし日の朱音。気弱な自分に躊躇なく話しかけ笑いかけてくれた明るかった頃の朱音の姿。
傍にいる澪と背格好がとてもよく似ているせいか時折朱音と重ねて見てしまう。朱音もいじめられて泣いていた繭に寄り添い慰めてくれた。その時のことを思い出してまた涙腺が緩む。

「まさか繭さんも」
「怜さんの言う通り私も瑠璃奈さん達からいじめを受けていました。苦しんでいた私を朱音ちゃんが助けてくれたんです。そのせいで瑠璃奈さん達に目をつけられた。私が朱音ちゃんを殺した様なもの。そして…救うことができなかった…」


朱音と繭が辿ってきた悲劇は今に始まった事ではない。助かる余地はあったのに周りの生徒も大人達も彼女達を救おうとせず瑠璃奈という悪女の言葉を信じ毒された。
朱音が自ら死を選んだ理由と怜が聞いた不思議な声の正体が繭の口から語られる。涙に染まっているその目は勇気と決意に切り替わろうとしていた。
全てが明るみになった今、繭の恐怖で満ち怯えていた心は異地から閃光のようにやって来た二つ星から差し伸べられた光によって罪滅ぼしと救済の旅に出た瞬間だった。








まだ中学に上がる前。小学6年の頃にまで遡る。
落書きされた机でたった1人で読書をする繭に横髪の三つ編みに水色のリボンを編み込んだ可憐な少女羽美朱音は躊躇なく話しかけた。

「繭ちゃん。どうしたの?」
「あ…朱音ちゃん…」
「また落書きされてる。この前やっと綺麗にしたばかりなのに」
「いいよ。いつものことだから」
「良くないって!!机だけじゃない!教科書にも落書きされてるでしょ?!」

繭の教科書は黒いマーカーで塗りつぶされていてとても読めない状態だったが誰にも迷惑と心配をかけたくないとひた隠してきた。けれど、親友の朱音に見つかってしまい少し騒動になった。
それでも瑠璃奈達のいじめは止まる気配を見せなかった。
遠くの方で朱音達を見つめる瑠璃奈と取り巻きはクスクスと2人を嘲笑っていた。周りの生徒も自分可愛さに黙っているしかなかった。それは教師達も同じ。
仕事で忙しい両親に心配をかけたくない。もう繭の味方は朱音しかいなかった。

「朱音ちゃん。もう私とつるむのやめなよ。朱音ちゃんもいじめられちゃうよ?」
「絶対ヤダ!何があっても私は繭ちゃんの友達だもん。大丈夫だって!神様はちゃんと見てくれているもの」

朱音の"神様はちゃんと見てくれている"というのは彼女の口癖だった。両親や親族がどこかの宗教に入信しているとかそういうわけではなく、彼女自身が神様という存在を信じているという思想からくるものだった。
どんなに今が辛くても必ず報われると朱音は信じて疑っていなかった。だから、彼女はいつもニコニコと笑顔が絶えなかった。近くにある悪意も物ともしなかった。

「朱音ちゃん怖くないの?」
「怖いって何が?」
「釘藤さんのこと。怖くないわけ?」
「怖くないって言ったら嘘になるかな。でも、平気。私強いから」

そう言って不安がる繭にニコッと笑いかける朱音は彼女にほんの少しの勇気と安心を与えていた。それに応えられない自分にヤキモキする気持ちも同時に湧き上がる。

もし、逆の立場だったら自分は朱音を守れるのか。彼女の様に笑いかけられるのか。

(駄目だ。何もできない私じゃ弱いままの私じゃ朱音ちゃんを守れない…。朱音ちゃんみたいに強くなりたい…どうしたらなれるんだろう?)

瑠璃奈達にいじめられて泣いて耐えることしかできない今の自分に立ち向かう術はまだ見つかっていない。術が見つからない限り朱音を守れない。自分を変えられない。

「悩まないで。私は平気だから。繭は何も心配しなくていいの」

自信に満ちた朱音の言葉。正義感の強い彼女はどんな悪にも折れることを知らない心と勇気で立ち向かう。


だが、釘藤瑠璃奈がそんな純粋な光を許す筈がなかった。彼女のどす黒い魔の手が朱音を包み込むのにそう時間は掛からなかった。
きっかけは、ある日の教室で瑠璃奈が繭を突き飛ばした時だった。
何か気に入らないことがあったのか近くにいた繭を突然机がある方へと強く突き飛ばしたのだ。その拍子で額を切ってしまい赤い鮮血が床に点々と落ちた。
瑠璃奈以外はその姿に引いてしまい押し黙っていたが、彼女は楽しそうに笑いながら繭にスマホを向けていた。

「アハハ!ダッサ!ちょっと押しただけで大怪我するとかキモッ!!」

痛がる繭を介抱するどころか嘲笑いスマホで撮影を続ける。さすがの取り巻き達も"少しやり過ぎでは?"という雰囲気を醸し出していたが瑠璃奈に合わせるしかないのか無理矢理笑っていた。
どよめく中で朱音は急いで負傷した繭の元へ駆け寄った。朱音は持っていた白い花の刺繍が入ったハンカチを繭の切れた額に当たる。ハンカチはじんわりと白色を赤色に侵食してゆく。

「繭、大丈夫?!」
「すごく痛い…痛いよぉ…!!」
「早く保健室行こう!!先生に診てもらって…」
「はぁ?アタシの許可無しで保健室連れてくとかやめてくれる?こんな奴の怪我なんて先生に診せる必要なし!!だって…」

瑠璃奈はニヤニヤしながら朱音と繭に近づいてくる。その手には針と糸と鋏が入ったソーイングボックスが。瑠璃奈がやろうとしていることをすぐに悟る。
ぱっくりと裂けた繭の額を無理矢理押さえつけて傷を縫う。そして、その様子を取り巻きにスマホで撮影させるというあまりにも危険極まりない行為。
今の瑠璃奈に躊躇いという言葉は一欠片もない。自分が思い付いたモノは全て実行する。それが相手の死に繋がっても彼女は気に留めないだろう。

「根暗陰キャ女に保健室なんて贅沢!だ・か・ら!アタシが治してあげる♪羽美さん?そこどいてくれる?血ぃ出てるから早く止めてあげないといけないからさぁ?」
「ちょっと!アンタ!!自分で何言ってるのか分かってるの?!!!」
「はぁ?このアタシがバカ繭の怪我を治してあげるって言ったんだけど?保健室の先生に迷惑かけるよりマシだし偉いでしょ?ほらほら!どいたどいた!!」

繭に寄り添っていた朱音を突き飛ばした。朱音はバランスを崩しその場に倒れてしまう。
床に体を打ち付け痛がる朱音を気に止めることなく、痛そうに額の傷に手を当てる繭を押し倒し馬乗りになった。
流石にまずいと思った他の生徒が急いで先生を呼びに職員室に向かった。瑠璃奈は職員室に向かった生徒に「呼んでも無駄!!」と叫んだ。取り巻き達に捕まえる様に支持する。だが、取り巻き達は躊躇してしまう。

「え、でも、流石にヤバいよ…先生達呼んだ方がいいと…」
「うるさい!!アンタらはアタシの言う通りにしてくれればいいの!!!早くアイツら追って!!」
「わ、わかったよ…」

スマホで撮影する担当の1人を残し、職員室へ向かった生徒を追いかける。
少し人数が減った教室は未だ騒然としている。
抵抗し暴れる繭の額をおもいっきり平手打ちをする。額と頰の叩かれた痛みと恐怖で動きが止まる。恐怖で動きも言葉も封じられた繭は今から瑠璃奈が行おうとしている地獄の様な縫合ショーをただ受け入れるしかない。
瑠璃奈は、怯える繭に糸の通った針を見せつけ恐怖を更に煽る。その笑顔はとても歪だった。

「だーいじょぉぶぅ♪アタシ、こう見えてお裁縫得意なの♪《《痛くない》》ように縫ってあげるから安心してねぇ?」
「ひっ…!!」
「ちょっと律?ちゃんと撮ってる?」
「撮ってる撮ってる。バッチリだよ。早く縫ってあげな。痛そうだし」
「それもそうね。ほら!暴れるな!!指刺しちゃうでしょ?!」

再び暴れる始めた繭をもう一度殴りつける。次は平手打ちではなく拳で鼻を殴りつけた。繭の鼻からも血が溢れ出した。
「手ぇ汚れちゃったでしょ!!クズ女!!」とまた顔面を殴る。額の血と鼻血で繭の顔面は真っ赤に染まった。
今度こそ繭の動きが止まる。彼女の抵抗は暴力と諦めに打ち勝つことができなかった。
瑠璃奈が持つ針が繭の額の切り傷を突き刺そうとする。

「安心してねぇ?ちゃんと縫い合わせてあげるからぁ」

ニタリと笑う瑠璃奈の顔が繭に絶望を与えようとした時だった。突然、軽くなったと同時に繭の視界から馬乗りになっていた瑠璃奈が消えたのだ。次の瞬間、聞き覚えのある声で怒号が響いた。

「いい加減にしろ!!釘藤瑠璃奈!!お前がやってることは犯罪だ!!」
「朱音ちゃん…」
「もう我慢の限界だわ!!絶対に許さない!!」

繭がゆっくりと起き上がると朱音に突き飛ばされた瑠璃奈が倒れ込んでいた。怒りで歪んだ表情で朱音を睨みつける。

「テメー…よくもアタシの邪魔しやがって…!!」
「何が"アタシが縫い合わせてあげる"よ!!"痛くない様にしてあげる"?ふざけるな!!嘘つき!!本当は繭ちゃんの痛がる姿をスマホで撮ろうとしてたくせに!!」
「もういい…もういいから…十分だよ朱音ちゃん…」
(うへ〜度胸あんな〜この女)

瑠璃奈に歯向かう朱音に律という少女は唖然とするも楽しそうに撮影を続ける。
真剣な眼差しで瑠璃奈を睨みつける朱音に迷いはなかった。怯む素振りを見せない朱音に瑠璃奈は完全にキレた。倒れ込んでいた瑠璃奈はむくっと立ち上がりズンズンと朱音に近づき怒りに任せて彼女に飛びかかった。
お互いの髪や服を引っ張り合い、頬を叩いたり、机にぶつかったりと2人の取っ組み合いで更に辺りは騒然としてなる。
朱音のリボンが組み込まれた三つ編みがボロボロになっても争いは終わらなかった。
繭はそんな2人の様子を見ながらもうやめてと小さい声で呟くしかできなかった。周りの生徒も2人を煽るだけで止めようとしなかった。

それからしばらく経たないうちに職員室に向かった生徒が教員を連れてきたことで瑠璃奈と朱音の喧嘩は一先ずは収まった。
一部始終を見ていた生徒が担任に伝えた事によって全てが明らかになった。そして、繭へのいじめ行為もピタリと止まった。
事情を知った繭の両親が学校と瑠璃奈の両親に猛抗議したのと、怪我と心身の関係でしばらく休みをとった繭が次に学校に来た時。彼女が知っていた状況とは打って変わっていた。

「あか…ね…ちゃん…?」
「おはよう。繭。やっと学校来てくれた」
「嘘…なんで…なんでなの…?!」

朱音の机に黒マジックで罵詈雑言が落書きされてる。休む前は何も落書きされていない綺麗な机だったのに、自分がされていた筈の行為が守ってくれた朱音がされている。
瑠璃奈達はいじめ行為をやめていなかった。寧ろ、ターゲットを繭から朱音へと変わっていた。
クラスで唯一瑠璃奈に立ち向かい、自分を助けてくれた朱音。最後に見た彼女の瞳は光で満ちていたのに、今の朱音の瞳は光が霞みどこか疲れている様子だった。
顔と腕に痣ができている。髪も引っ張られて少しボサボサになっていた。
落書きは机だけじゃなくスクールバックにも書かれていた。

「そんな…そんな…私のせいで朱音ちゃんが…!!」
「いいの、私が勝手にやった事だから。繭は何も悪くないよ。大丈夫。私は平気だから」
「良くないよ!!早く先生に言おう!!だって…」
「大丈夫だから余計な事しないで!!!」
「朱音ちゃん…?!」
「お願い…もう何もしないで…!!大丈夫だから…何もしないで…!!」

机に伏せて咽び泣く朱音に繭はこれ以上何も言えなかった。それと同時に彼女が受けているいじめが繭が受けていたモノより壮絶で過酷なモノだと思い知らされた。
瑠璃奈のあの反抗の恨みは想像以上のモノだったのだ。
瑠璃奈があの日と同じ様に2人を見て嘲笑っていた。まるで、あの取っ組み合いの勝者は自分で敗者の朱音はただのサンドバッグと化したから何したって構わないと体現している様に見えた。

「繭ぅ?そいつと絡むのやめた方がいいよぉ?馬鹿が移るよぉ?」
(釘藤瑠璃奈…?!)
「アタシに歯向かったコイツにはイイ結末でしょ?アハハ⭐︎」
(この人、何も変わってない。何も反省もしてない。ただ新しい玩具を手に入れただけ…!!朱音ちゃんとお母さんとお父さんが戦ってくれたのに何も…!!!何も…!!!)
「繭。本当に大丈夫だから。もう私に構わないで」

結局何も状況は変わっていなかった。瑠璃奈に立ち向かった朱音を見てもクラスの人間は誰も変わっていなかった。それどころか、瑠璃奈に加担する人間の方が増えたと言った方が正しかった。
繭が今まで受けてきたいじめの内容を朱音にも行ってきたが今回は新たな行為を加えてきた。

《羽美朱音のいやらしい写真公開〜☆保存必須だょ( ^ω^ )》

瑠璃奈からクラスのグループメッセージに送られてきた一文。その後すぐにに送られてきたのが無理矢理撮られたであろう朱音の裸の写真と彼女の身体のある一部を自ら広げた卑猥な写真。撮られている時の朱音の方は今にも泣き出しそうな顔だった。
メッセージには、"保存した"、"友達に見せてもいい?"、"おかずありがとう"等、繭と一部の生徒以外誰も朱音の心配なんてしていなかった。日に日に加担する人間が増えるだけ。
結局、画像は消される事なく色んな人間の元へ散布されてしまった。もう全てを回収するのは困難なモノへとなってしまった。
繭が想像していた以上に朱音が置かれている状況があまりにも悲惨で、小学校を卒業して中学に上がった後もその状況は変わることはなかった。寧ろ悪化した。
朱音と繭のクラスの担任になった若い女教師畠山は何故か瑠璃奈に心酔し彼女を敬っていた。なんの中身のない彼女のどこに魅了されたのか分からない気持ちの悪い女だった。
瑠璃奈が悪い事をしても必ず無実の生徒のせいにした。特に朱音への待遇は酷いものだった。

「瑠璃奈さんにいじめられてたって嘘つくなんて本当最低だな!!土下座して謝りなさい!」

繭と友人達が小学校の頃からいじめを受けていると畠山に通告したのだが何故かいじめられている側の人間に謝罪させるという愚行に走ったのだ。
畠山に無理矢理土下座させられている朱音の姿を瑠璃奈と律、そして大勢の取り巻きはくすくすと笑いながらスマホで写真を撮ったり動画に収めていた。また彼女達に弱みという玩具が増える。
頼りになる筈の大人に裏切られ朱音と繭はもう失望するしかなかった。
いじめを止めるどころか加担する人間がまた増えただけで解決がまた遠のく。暴力や写真漏洩以外にも高額の金銭の要求も加わり更に遠のいた。物を隠されたり投げつけられるのも。
遂に決定的な事件が起こってしまう。
それは、繭の友人で数少ない味方の1人からの電話からだった。

「朱音ちゃんがデパートの屋上から飛び降りた…?!」
『アイツらがあっちゃんに指示したっぽい…どうしよう…まだ目覚める様子ない…!!」
「朱音ちゃんのお母さんは?」
『来てるけど瑠璃奈の嘘をお医者さん達が信じちゃって病室に入れてくれない!こんなの酷過ぎるよ…!!』
「待って!!今から私も行く!どこの病院?!」
『マツシヅ大学病院だよ!』

繭は急いで病院へ向かうも友人の言う通りで朱音の母親は瑠璃奈達の嘘で入室を断られていた。
飛び降りた理由が母親からの受けた虐待から逃れる為。自分達は必死に朱音を止めていたが防げなかったっと涙ながらの虚偽。
実際は、大自分達の前で飛び降りろと命令されていた。ちゃんと飛び降りたら写真と動画を消すという薄っぺらい条件付きで。
しかも瑠璃奈達は他校から大勢の仲間を呼び観客をつけた。彼女の小学生の妹・美紗とその友人達もその中にいた。
7階建てのデパートの屋上から飛び降りたらどうなるか誰でも想像ができる。けれど、怯える朱音を瑠璃奈達が連れてきた大勢の愚か者が早く飛び降りろと煽ったのだ。
いざ飛び降りたが地上に停めてあった車がクッションになり一旦は死を免れたとても危険な状態。
大怪我をし、管と包帯まみれでベッドに横たわる娘を近くで見てやらない母親の悔しさと虚しさが繭と友人に痛いほど伝わった。
必死に娘に会わせて欲しいと訴る朱音の母親の姿と、朱音の状況を見て怖くなった瑠璃奈の仲間の1人がようやく真実を医者達に話した。真実を知った医者達は急いで母親を朱音のある病室へと通した。親子が再会できたのは、朱音が病院に運ばれてから6時間後のことだった。
傷ついてボロボロになった愛する娘を見て啜り泣く朱音の母親の声が繭の耳にこびりつく。そして、痛々しい姿で眠る朱音を見て繭の目からも悔しさで涙が溢れ出た。
ベッドの近くの机には血に染まった水色のリボンが悲しげに置かれていた。


(私のせいだ…!!私の…!!)

朱音の受けた痛みは飛び降りた時のものだけではない。繭の見えないところでも与えられていたのだ。それは言葉や殴られる等の暴力だけではない。最も陰湿なやり方で人生を狂わしかねない最悪の行為まで朱音は影で受けていたのだ。
繭がその事を知るのは朱音が不登校になってしばらく経ってからのこと。瑠璃奈がグループメッセージで晒した吐き気を催すほどの邪悪に満ちた動画だった。それが一因となり、彼女の身に起こった異変が自殺を決意しまうきっかけの一つとなる。


繭は動画を保存してあったが、飽く迄それは朱音が受けてきた壮絶ないじめの証拠物としてのこと。
いじめが明るみになってからグループメッセージに残っていた動画はすぐに消去されたが、繭と友人達がその前に全て保存したことで難を逃れた。
だが、大人達にその証拠を見せても動かなかった。寧ろ、自分の欲のために保存してあると言われても過言ではない。もう絶望と失望しかもう残っていなかった。
最後の希望の光は大人達ではなく、自分と同じぐらいの少年と少女。その光さえも瑠璃奈は遮ろうとしている。それでも繭は諦めたくなかった。

「怜さん達、さっきの動画で何か違和感を感じませんでしたか?」
「違和感?」
「ええ。瑠璃奈さん達の声と魔獣の叫び声以外の声」
「やっぱり空耳なんかじゃなかったんだ」
「あの廃工場で亡くなったのは朱音ちゃんだけじゃありません。もう1人いたんです」
「もう1人って…」
「なぁ…?!まさか…っ」

怜が聞いた純粋な泣き声。朱音が受けてきた過去から察しはついていたが信じたくなかった。あまりも酷すぎる現実は繭の口から語られる。人間から魔獣となった悲しい結末を。

「その子の声は--朱音ちゃんが産んだ子供。望まない妊娠で産まれた子の声です。飛び降りる以前から無理矢理そういう行為を何度も強要されて出来た子供」
「…そんな…だってこんなの…!!」
「産んだばかりの赤ちゃんを殺害して、そのすぐ後に朱音ちゃんは自殺を図りました。あんな寂しくて冷たい場所で全てを終わらせたんです。瑠璃奈さんから赤ちゃんを守る為には道連れにするしかない。そう言い遺して朱音ちゃんは…っ」

悲し過ぎる朱音とその子供の最期に澪は涙を流した。話していた繭も最後の方は涙声で震えていた。
怜の中の瑠璃奈への感情が怒りと殺意で入り混じる。

「朱音ちゃんが死んだ後も瑠璃奈さんは見ての通りずっと被害者面。あの週刊誌でいじめが明らかになった後もずっと」

瑠璃奈が朱音の身に起きていたことを知ったのは彼女が自殺した後。
悪びれることなく瑠璃奈は「何?あの女、子供孕んでたの?アハハ!!!本当ウケる!!傑作だわ!!」っと嘲笑った。「自殺するとか最期までダセーな」とも皆に言いふらしていた。
瑠璃奈のグループメッセージはまさに地獄絵図そのまんまだった。

「羽美のガキ。殺さないで欲しかったなぁ〜。遊んであげたかったのにぃ〜」

瑠璃奈の邪悪は朱音が死んだ後も衰えを見せなかった。寧ろその逆。自分を守ってくれる盾を更に増やす為ならなんでもした。
平然と朱音の葬式に現れた瑠璃奈は棺の中で眠る朱音の前で泣いて参列していた人間に可哀想な友人と印象付かせた。
葬式を終えた後、繭は瑠璃奈と2人きりになった時のこと。

「繭ぅ?アタシィ来年東京に行くの。アイドルのオーディションに受かってぇ卒業したらデビュー♪アイツとは大違いの幸せな人生♪」
「……」
「アイドルになって、カッコいいハイスペ彼氏みつけるでしょお?それでぇ結婚して、当然式は豪華にしてぇ、んで〜とっっっても可愛い赤ちゃんを産んで〜羽美のお母さんの前で見せびらかせてやるの!!早く"娘さんとお孫さんは残念でしたが、アタシが彼女の代わりに幸せになりますね"って言ってやりたいなぁ〜♪フフ☆」

もう同じ人間とは思えない思考に怒りを込み上げた繭は彼女に飛びかかろうとしたが反撃を喰らい朱音のように取っ組み合いにはならなかった。けれど、あの時のような怯えた目ではなく殺意を込めた目で瑠璃奈を睨みつけた。
そんな目で見られても瑠璃奈に恐怖心は湧いてこない。少し驚愕はしていたが、結局軽蔑の目が繭に返ってくるだけだった。

「は?アンタ親友1人助けられなかったくせにイキがるなよ。全部アタシに歯向かったアイツが悪かったんだから。誰が幸せになれるか"神様はちゃんと見てるのよ"。あ、これ羽美の口癖だったね。ごめんねぇ〜傷抉るようなこと言っちゃってぇ♪アハハ♪アハハハハ♪」



繭は話の最後に朱音が最期に遺したボイスメールを聴かせてくれた。遺書ともとれるそのボイスメールには本当はもう少し生きたかったけれど限界がきてしまったという朱音の悲痛な叫びが伝わった。
怜と澪は静かにそのボイスメールを聴き、今回のこの任務の重さを改めて思い知った。

必ず羽美朱音とその子供を救い光へ導くこと。
これ以上の苦しみを彼女らから断ち切ること。



そして、釘藤瑠璃奈の悪意を抹消すること。



「怜さん、澪さん。彼女を苦しみから解放して欲しい。その為なら何だってします!!お金とか私の臓器とか何だって差し出します!!だから…お願いです…朱音ちゃんと赤ちゃんを救ってください…!!お願いします…!!!」

怜と澪はもう瑠璃奈の依頼を受けるつもりはない。
2人が何をすべきかもう決まっている。繭の悲痛の依頼に捧げ物等必要なかった。
朱音と繭を覆っていた闇が祓われる瞬間だった。


「雨宮繭さん。十分報酬は貴女達からいただきました。貴女のご友人達を俺達が空へ還します。必ず」







-繭のスマホに残されているボイスメール-
《繭。久しぶり。こんなボイスメール送ってごめんね。これは遺書だと思って欲しいの。もう全部嫌になっちゃった。殴られるだけじゃないこともいろいろされて心と身体がもうボロボロなんだよ。その結果がお腹の中にいる。お母さんにもまだ言えてない。でも、私はこの子と一緒に死のうと思う。きっと瑠璃奈がこの子をおもちゃにするから。お母さん、繭、こんなに弱い私を許して。本当はもう少し生きたかったけどごめんね。さようなら》